したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

創価学会の功罪を考える

757無徳:2003/11/08(土) 16:32
昨夜テレビ朝日の「朝生・・・」を見ました。

論議がイラクへの自衛隊派遣の件に及んだとき、公明党のT議員が自衛隊派遣は憲
法違反ではないかとの質問に対し、「国権の発動・・・」ではないから憲法違反に
は当たらないと答弁しているのを聞いて我が耳を疑いました。

いくら与党の一員として責任ある立場に有るとは言え、公明党議員の発言は池田氏
の発言とリンクしている事を表明せるものであり、嘗ての公明党が絶対平和を立党
の精神とし党是ともしていた事と考え合わせると隔世の感があり、私にはとても受
け入れ難い事と言わざるを得ません。

さらに、民主党の議員がイラクに派遣された自衛隊員が、もしも、テロで死亡した
場合は戦死になるのかとの質問に対し、T公明党議員は公務員が公務中に事故で死
んだ事として扱うと発言しているのを聞いてあきれてしまいました。

もしも、死亡した自衛隊員の中に創価学会員が居たら公明党はどの様に創価学会員
の人達や公明党の支持者達に説明するのでありましょう。

ガンコさんメール拝見しました全て了解しました。
尚、「無徳の部屋」は一旦閉鎖させていただき、リニューアルして近々再開させて
いただきます。

嘗て「無徳の部屋」に投稿されました皆さんには大変申し訳ありませんが、過去ロ
グは保存してあります、必要でしたら閲覧できますので私宛にメールを下さい。

758沖浦克治:2003/11/08(土) 16:37
  愚鈍凡夫さん
 
 われ今仏の旨を受け
 妙法流布の大願を
 高く掲げて一人立つ
 見方は少なし敵多し

 これが創価学会の精神です。 
 あなたには決して理解できない事です。

759沖浦克治:2003/11/08(土) 16:41
 無徳 さん
 私の長男(沖浦克治耕治・30歳)は自衛官です。
 イラクに行きたい、と先日わたしに言いました。
 私は、立派に死んで来い、と答えました。

760犀角独歩:2003/11/08(土) 16:42

> 創価学会員は常に『どこかでかかって来い!』とのスタンス

この創価学会員というのは、沖浦さんのことも言うのでしょうね。
では、かからせていただきます。

746、750、752のわたしの質問にお答えください。
創価学会の功績についてです。
どうぞ。

761沖浦克治:2003/11/08(土) 16:51
 それでは正式に私への質問として掲示してください。
 これまで外野がうるさくて迷惑でしたので宜しくお願いいたします。

762犀角独歩:2003/11/08(土) 16:57

沖浦さん:

先にあなたは590で

> 最後は数です。
> 民衆は馬鹿ではありません。
> 民衆が選んだものが、もっとも優れているのです。

と記しました。ところが、755に

> 一騎当千
> 創価学会には、数に頼るような軟弱者はいませんよ。

先には「数」だといい、今度は「1人」と言います。
どっちなんですか。

763犀角独歩:2003/11/08(土) 17:05

760は創価学会員を自称する沖浦さんへの質問です。
事実関係のみをお答えください。
個人の信念、信条、布教はけっこうです。

764沖浦克治:2003/11/08(土) 17:06
 簡単ですよ
 一騎当千をたくさん作ればいいのです。
 お分かりかな?

765沖浦克治:2003/11/08(土) 17:08
 犀角独歩さん

 私は創価学会員ですよ。
 個人の信念を抜きの主張はありえません。
 退転者とは根本的に違うのです。

766アネモネ:2003/11/08(土) 17:09
沖浦さん

>数にものを言わせているのはあなたがたです。

数にものを言わせているのではありません。
あなたの参加者に対するこれまでの振舞いや言動が、この場で顰蹙を買ってしまっているだけのことです。
人を見下し、議論や対話をことごとく拒んできたのは、他でもない、あなた自身なのですから、仕方のないことでしょう。

767犀角独歩:2003/11/08(土) 17:10

沖浦さん:

> お分かりかな?

このような蔑む発言をおやめください。
760をお答えください。

768沖浦克治:2003/11/08(土) 17:10
  犀角独歩さん
 私個人への質問と明記してください。
 時間の無駄です。

769犀角独歩:2003/11/08(土) 17:12

沖浦さん:

退転者とは具体的に誰を指しているのでしょうか。
また、退転者とは侮蔑しての発言でしょうか。

770犀角独歩:2003/11/08(土) 17:13

> 768 

どこからでもかかってこいではなかったのですか。
答えられないのですね、了解しました。

771犀角独歩:2003/11/08(土) 17:17

沖浦さん:

ここのスレッドは、「創価学会の功罪を考える」です。
「沖浦克治さんの功罪を考える」ではありませんので、基本的に個人的にお尋ねすることなど、何もありません。

ただし、書き込んだ内容が不明点については、公開議論の場ですから、もちろん、問います。ただ、それだけです。

772アネモネ:2003/11/08(土) 17:23
うーん…それにしても…お好きにどうぞ…相手にはしないということであるならば、それこそこの場は、ご放念くださればいいのにと思いますね。(←つぶやきです)

773アネモネ:2003/11/08(土) 17:30
747>いっき‐とうせん【一騎当千】
一騎で千人の敵を相手にすることができるほど強いこと。一人(イチニン)当千。太平記二八「これら皆―の兵にて」(広辞苑第4版)

深層心理というのは、言葉に出るものだなあと思いますね。千人の敵を相手にとは、いかにも猛々しいですが、その敵とは、恐らく私たちのことを意味する心理であり、私たちは今もなお見下されていることが、この言葉からうかがえますね。

まあここは議論の場ですから、「敵」というのが、「論敵」を意味するものであるならば、ここはあくまでも「論証」による「論戦」を、正攻法でして頂きたいものです。

自分と教団を客観視できないというこの体質は、このような公の議論の場において、議論の場の空気を読めないということを生じさせ、これが行き過ぎると場の秩序をかく乱する迷惑行為にもつながるものなのだろうなと思います。
言っても言っても、理解が得られず、最後は、逆に被害者意識に陥られるというのも、創価学会の持つ傾向的体質なのでしょうか。

私には、そのような行為は、土足で人の家に上がりこんで勝手に家の中をかき乱す、そんな行為と同じものに見えます。まさに、私や愚鈍凡夫さんが挙げた文面にもある、かつて社会問題にまでなった創価学会の強引で横暴な折伏、謗法払いの数々とオーバーラップするものではないでしょうか。

本人は正しいことだと信じて行動していることが、相手にとっては大変な迷惑行為であるということ、それが全くわからないということは、これは致命的なことだと思います。
日蓮さんの推進した布教活動とは、本当にこのようなものだったのでしょうか。
私などが思うには、むしろ信徒が布教をするに際しては、その振舞いには厳格なる注意を促されていた方だったのではないかという印象を受けておりますね。

774無徳:2003/11/08(土) 17:32
沖浦さん

>私の長男(沖浦克治耕治・30歳)は自衛官です。
>イラクに行きたい、と先日わたしに言いました。
>私は、立派に死んで来い、と答えました。

耕治さんは結婚しておられますか?
もし結婚しておられるとしたら子供さんはおられますか?

775犀角独歩:2003/11/08(土) 18:03


「管理者からのお願い」88 沖浦さん:

書き込まれた場所が「管理者からのお願い」でしたので、こちらに移ります。

それにしても

> 自説を証明できないのですから。
> すでにあなたは相手ではありません

だいたい、わたしが言ったことでもないことを勝手に自説と決めつけるのも暴挙であるにもかかわらず、一方的に勝利宣言のようなことをやってみせるパフォーマンスをやったところで事実は曲がりません。

さて、あなたほど、自説を証明できなかった人はいなかったのではないでしょうか。
「世界立戒壇」一つを採っても何も証明できずに終わっています。

あなたの言葉を奪って言えば「あなたは相手ではありません」ということになりますか。
まあ、わたしはこのような人を「見下す」発言をして、自分を失笑を買うような真似をいたしませんが。

776沖浦克治:2003/11/08(土) 18:05
  無徳 さん
 まだ独身です

777沖浦克治:2003/11/08(土) 18:08
 犀角独歩さん
 
 お好きにどうぞ。

778沖浦克治:2003/11/08(土) 18:11
 アネモネさん

 なたの意見は自由に述べてください。

779沖浦克治:2003/11/08(土) 18:14
 
>あなたの参加者に対するこれまでの振舞いや言動が、この場で顰蹙を買ってしまっているだけのことです。
 
 だから何なのですか?

780無徳:2003/11/08(土) 18:39
沖浦さん

それでは、もし息子さんにお子さんがいらっしゃるとしても

>私の長男(沖浦克治耕治・30歳)は自衛官です。
>イラクに行きたい、と先日わたしに言いました。
>私は、立派に死んで来い、と答えました。

と申されますか?

781アネモネ:2003/11/08(土) 18:49
横レス失礼します。
>779
沖浦さん

>だから何なのですか?

だから、
>数にものを言わせているのはあなたがたです。

これは、あなたの錯覚もしくは曲解といえるでしょう。
前にも申し上げましたが、ご自分のなさっていることが客観視できていらっしゃらいないと思われます。しかし、沖浦さんご自身は、そうは思われない。これは結局、住む世界が違い、価値観が違うのですから、あなたはあなた、私は私と仰っているように、仕方のないことです。
ですから、数でものをいわせているのではなく、あなたの主張する価値観がここの議論の場には馴染まず、参加者を納得させることができないだけのことですね。

782沖浦克治:2003/11/08(土) 18:50
 無徳 さん

 申します。
 後は私が引き受けます。

783無徳:2003/11/08(土) 18:52
沖浦さん

780は言うも愚かでしたね!

自分の息子に立派に死んで来いと言い切られたのですからね
当然息子に子供が居ようと居まいとイラクに送り出しますよね

しかし、私の体験からすると父の戦死が母にとってあまりにも
無残な結果でしたから沖浦さんの息子に<立派に死んでこい>
との言葉は信じられません。

貴方の尊敬する戸田二代会長ならどのように申されるのでしょう?

784沖浦克治:2003/11/08(土) 18:52
>あなたの主張する価値観がここの議論の場には馴染まず、参加者を納得させることができないだけのことですね。

 あなたがそう考える事は、全くご自由でです。

785沖浦克治:2003/11/08(土) 18:54
 無徳さん
 私は私、戸田先生は戸田先生です。
 対等な関係です。

786アネモネ:2003/11/08(土) 18:59
>あなたがそう考える事は、全くご自由でです。

いいえ、自由で済まされるような問題ではありません。
掲示板の趣旨を乱される権利は許されるものではありません。
私はこの点につきまして、沖浦さんのこの掲示板への参加につきまして、引き続き審議の必要があると考え、主張しております。

787沖浦克治:2003/11/08(土) 19:03
 アネモネさん
 私はあなたのご意見を述べる権利は認めておりますよ。
 あなたは何故同じスタンスになれないのですか?

788アネモネ:2003/11/08(土) 19:19
沖浦さん

>私はあなたのご意見を述べる権利は認めておりますよ。
 あなたは何故同じスタンスになれないのですか?

言論の自由というスタンスのことを言っているのでしょうか。あなたの主張は、権利の濫用です。言論の自由は誰にでもありますが、時と場所を弁えなければならないものです。個々の場には、個々の場の秩序とルールがあります。その場を管理する人の権限とその運営によって、その秩序は保たれているのです。それを無視したところでの、権利の濫用は認められません。自分の主張が許される場所を求めて、自由に発言するべきです。

繰り返しますが、掲示板の趣旨を理解されない方の発言権は認められないものです。もちろん、その判断は管理者に委ねられるものですが、あなたの言論行為は、そこに抵触しているものと思われ、私は審議を求め主張しております。

789沖浦克治:2003/11/08(土) 19:29
 アネモネさん
 
 そうするとこの掲示板は非常に窮屈なものになりますね。

790富士桜:2003/11/08(土) 19:52
久しぶりに書き込みをさせていただきます。
また、時間が経ったとはいえ以前犀角独歩さんに対しての無礼な発言を発した前例を肝に銘じ
改めて犀角独歩さんへは重ねて反省の念をお伝えします。
また個人的にメールをいただいた方にも感謝いたします。ありがとうございました。
今後も時々ですが書き込ませていただきます。
.
管理人さんへ
.
書き込みこそしませんでしたが、ここはいつもロムさせていただきました。
ここ最近の沖浦さんの登場で相当議論が荒れていることを危惧している一人です。
.
自分も法華講の端くれ、このような創価学会員には何を言っても無駄な事はわかってはいますが
先ず犀角独歩さんからの度重なる提示の要請、またアネモネさん、無紱さんをはじめ他の方々へ
のあまりにも的外れな答えの数々に、創価学会員としてではなく、人間として対話のできない人
物と判断せざるをえません。
.
今後のこの掲示板のクオリティー保つために、このような一方的な言葉の羅列しか出来ない方は
管理者の方へ「断固出入り拒否」をお願いしたく発言させていただきます。
またここでは組織から離れ傷ついた方々の今一度仏法再考の重要な場とも思います。
ここまで作り上げてきた管理人さん、犀角独歩さんを中心としたこの場をこれ以上乱されないよう
重ねてお願いいたします。

791沖浦克治:2003/11/08(土) 19:56
 富士桜 さん
 ユニークなご意見です。

792管理者:2003/11/08(土) 19:57

富士桜さん

お久しぶりです。いつもロム戴き誠にありがとうございます。

日本は法治国家です。ですから、法に触れない限り罰せられることはありません。この掲示板もルールに則って運営されてきましたし、今も、これからもそう有るべきと考えています。管理者といえども、ルールの番人にしか過ぎません。ご理解賜りたく存じます。

794富士桜:2003/11/08(土) 20:19
管理者さん
.
丁重な御返事ありがとうございます。
.
ではルール改正は出来ないでしょうか?
日本も憲法改正に乗り出している事ですし(笑)
冗談です。
.
ですが自分は一方的な理屈の羅列は精神的なレイプと捕らえられると思います。
個人的な意見なのですが。

797管理者:2003/11/08(土) 20:26

富士桜さん

>日本も憲法改正へ動こうとしてますが。

今日の憲法改正の動きは、徴兵制に道を開くものではないかと、危惧いたしております。

掲示板のルールに付きましては、御参加の皆様のご意見をお聞きする中で、今まで何度も改廃を繰り返して、今日に至っております。改正のご提案があれば、随時、案文を「管理者からのお願い」スレッドに書き込んでいただければ、皆さんにお計り致します。

798愚鈍凡夫:2003/11/08(土) 20:43
あらっ、いつの間にかにぎやかですね。

>>755:
> 私は一騎当千ですよ。
> 数にものを言わせているのはあなたがたです。

そうですか? 死んだ祖父が「自画自賛する奴に、ろくな奴はおらん」口癖のように言ってたのを思い出しました。

> 創価学会には、数に頼るような軟弱者はいませんよ。

数に頼らない、勇者を未だに見たことがありません。

>>756:
> 金を積んでも世界チャンピオンにはなれませんよ

誰とは言いませんが、金を積んで「ブリキの勲章」や「名誉ナントカ賞」をコレクションしている御仁を知っていますが。何か?

>>758:
> われ今仏の旨を受け 妙法流布の大願を 高く掲げて一人立つ 見方は少なし敵多し

戸田さんがどこかの寮歌の旋律をパクッた替え歌ですね。

> あなたには決して理解できない事です。

小生は、常に一人で組織と闘ってきました。あなたには決して理解できないことです。

沖浦克治さんから小生宛レスの返答です。

799アネモネ:2003/11/08(土) 21:44
沖浦さん

>そうするとこの掲示板は非常に窮屈なものになりますね。

沖浦さんは、節度ということが理解できませんか?
社会人として、言われなくても、このくらいの節度が弁えられることは当然の良識です。もしもこの程度のことでさえ、窮屈だとお感じになられるとすれば、傍若無人な振舞いを言論の自由と勘違いされているものと思われます。

800末法のABC:2003/11/08(土) 22:03
 困るなー、、沖浦さん。 週刊新潮では「狂気の言論弾圧〜ツルのメデア支配で誰もモノが言えなくなった昨今、、」などの衝撃的な反撃には拍手喝采です。 創価=公明さんのヤリタイ放題?には陰では「ニガニガしく思い、とても不愉快に感じて」いた方も少なからず?、かと存じます。 明日は総選挙の日です。 三年間は「景気回復不可能」と申した「小泉氏を支援する創価・公明党」には今こそ庶民による「注意カード?」が絶対に必要のようです、。 「明日は政治をガラリと変える良き機会?」かと存じます、。

801同志の歌:2003/11/08(土) 22:28
愚鈍凡夫さん

>>758:
>> われ今仏の旨を受け 妙法流布の大願を 高く掲げて一人立つ 見方は少なし敵多し

>戸田さんがどこかの寮歌の旋律をパクッた替え歌ですね。

 凡夫さん、この歌の作曲者の決定について、その経過並びに現在についての上での、ご発言でしょうか?

>「パクッた」
 この表現は、板のルールに抵触すると思いますが、管理人さんのお考えを開示(詳しく)してください。

 凡夫さんはご存じの上での、発言でしょうか、そもそも昭和50年頃までは、作曲者不詳と記載されていたので、学会側が全ての学会歌に対し音楽著作権への対応を、真剣に取り組む作業に入り、特に替え歌は著作権権利者の、同意が不可欠の爲、現在でも制約の上で何曲かは用いているものです。

 同志の歌についても、決定は学会側で決めたのですが、その根拠となる資料は、小生の調査資料が基となった爲に、小生の推論を間違えても後々に、禍根を残らない様に音楽著作権協会に、申請したのです。
 では、現在はドウカと、凡夫さんはご存じない様で、上の書き込みは、明らかなルール違反かと、中傷するのは、かってですが、キチンと裏を取った上での投稿をすべきです。
 
近年にその学校より、学会に連絡があり、自校の歌では無い旨、申し出があったと聞いております。
 それ以来、「同志の歌」の作曲者表記は、以前の如く、「作曲者表示」が「作曲 不詳」と戻っております。
 版権が係わる重大な事なのですよ、軽々しく裏のない発言は、為さらないでください。
 素人でとかの、言い逃れは為さらないで下さい。
 ご参考までに。

802実力のチャンピオン:2003/11/08(土) 22:30
 どこかにも「我こそ真の実力チャンピオン」と言った方がおりました。 御立派です。 世の中すべてが「実力のみでの賞罰」が常識でした、。 しかし昨今「オカネで売買〜ヤリトリする」という「賞状ビジネスが大繁盛?」のようです、。
 売り手?と買い手?の中までは存じあげませんが「昨今カネさえ出せば、相当の??」が取得可能?の様ですかネ? お隣の某大統領の「ノーベル平和賞も??」「疑惑??」でしたネ、。いずれ日本でも「総てが暴露される日」が待ち遠しいです。

803犀角独歩:2003/11/08(土) 22:30

富士桜さん:

お元気ですか。
いただいた花鉢、まだ元気ですよ。

今回のお声掛け、大変に嬉しく感じました

804無徳:2003/11/08(土) 22:52
沖浦さん

>私は私、戸田先生は戸田先生です。
>対等な関係です

とは、恐れ入りました。

貴方は640でのアネモネさんへのレスにおいて

>戸田先生が蓮祖直結であることについて、私見を述べます。
>蓮祖は750年前に立宗宣言をなさいました。
>その後、題目の流布をほぼ致され、ご本尊様の流布は後世の弟子に託されました。
>御書は、布教せよ、とのお言葉で満ち溢れております。
>しかしながら、広宣流布が可能になる社会が700年の間、訪れ無かった事も事実です。
>戸田先生は牢獄の中で自ら蓮祖の法を悟られ、『吾地涌の菩薩の棟梁なり』と宣言され、創価学会の会長に就任し、創価学会を独立した宗教団体として設立なさいました。
>不思議にも、この昭和27年は立宗700年目にあたるのです。
>もしこのとき創価学会が、日蓮正宗から独立した宗教法人と資格を修得していなかったなら、今回の破門により解散を余儀なくされたでしょう。
>戸田先生の先見の明に驚きます。
>この人が出現しなければ、日蓮正宗は潰れ、我々が仏法にめぐる合う事も無かったと思います。
>地涌の菩薩は法性の延底(誤字であればご教授ください)から出現すると説かれております。
>戸田先生の牢獄での悟りこそ、これに価すると考えております。

と言われていますがこれ程の方と対等と言われるのですか、対等である以上貴方も
地涌の菩薩の棟梁であり、戸田氏の如く悟りを得られた方なのでありましょうか?

805犀角独歩:2003/11/08(土) 22:53

801 同志の歌さん

> 年にその学校より、学会に連絡があり、自校の歌では無い旨、
> 申し出があったと聞いております

この具体的な資料の提出をお願いします。

806愚鈍凡夫:2003/11/08(土) 23:06

>>801:同志の歌さん、御教示有り難うございました。

「パクッた」という表現は不適当でしたね。謝罪します。m(_ _)m

先方の学校から「自校の歌では無い旨の申し出」というのは、両曲の旋律を検討した結果、自校の寮歌と「同志の歌」は、違う曲であるという申し出があったという意味ですか?
でも、「作曲 不詳」とは「作曲者不詳」のことですよね。戸田さんが作曲したと言うことではないですよね。では、「同志の歌」の作曲者は誰ですか?
例えば、学会員有志が戸田さんの詞に曲を付けたという場合、「作曲 不詳」となることもあるのですか?この場合、「作曲 創価学会有志一同」では音楽著作権協会受け付けてくれないのですか?

807管理者:2003/11/08(土) 23:08

同志の歌さん はじめまして

>「パクッた」この表現は、板のルールに抵触すると思いますが、管理人さんのお考えを開示(詳しく)してください。

ルールについてのご意見承りました。少し考えさせてください。出来ましたら、どのルールに抵触しているとお考えか、ご提示戴けると幸いです。

ところで、同士の歌さん、出来ましたら、自己紹介スレッドにて、自己紹介をお願いできませんでしょうか。これも、当掲示板のルールですので、宜しくお願いいたします。

808愚鈍凡夫:2003/11/08(土) 23:13
>>806:訂正

誤→この場合、「作曲 創価学会有志一同」では音楽著作権協会受け付けてくれないのですか?

正→この場合、「作曲 創価学会有志一同」では音楽著作権協会は受け付けてくれないのですか?

です、悪しからず。m(_ _)m

809管理者:2003/11/08(土) 23:54

同志の歌さん

「パクッた」という表現について

パクルとは、大辞林によれば、「商品や手形などを、だまし取る。盗む。」という意味です。それが事実と違っているなら、禁止事項の『「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。』に該当します。ただ、事実であれば、該当しないと考えます。この点、管理者はその真偽を確かめる資料を持ち合わせませんので、現時点では判断が不可能であると申し上げざるを得ません。同士の歌さんが、その資料をお持ちでしたら、開示賜りたく存じます。開示戴けた段階で判断させて頂きたいと存じます。それまでは保留とさせて頂きたいと存じます。

810Leo:2003/11/08(土) 23:56
犀角独歩さん、こんばんは。

だいぶスレが進んでしまったのですが、>>728 の愚鈍凡夫さんあてのレスで、
横レスになってしまいますが、気になりました点がございますので、お話し
したいと思います。

犀角独歩さん曰く:
「今後の方向性は、ここにおける現役創価学会員の発言、たとえばLibraさんなどを通じて見る限り、
 記号論的とも言うべき漫荼羅観に変遷していると思えます。つまり、書かれている相貌によって
 本尊たり得るというような解釈です。ただ、これまた暫定的な経過途上であると思えます。 」

Libraさんは、批判仏教や凡夫本仏論等等を吸収しつつそれらの問題点を超克し、宗祖本仏論の
否定をはじめ学会教義から独立した仏教理解をされていると思います。ですので、学会教学や
指導を採用する典型的な「現役創価学会員の発言」と捉えるのは難しいのではないかと思います。

学会教学を仮に「創価仏法」と名づけると、学会教学のテキストから確認できる「創価仏法」と
古い教学や指導を残していたり会員の独自の解釈が含まれる「俗・創価仏法」があると思います。
(Libraさんの仏教理解は「創価仏法」にも「俗・創価仏法」にも分類できないと思います)

811Leo:2003/11/09(日) 00:53
犀角独歩さん、>>810の続きです。

次に、すでにご存知の部分が多いかと思いますが、参考としまして、最近の
学会教学のテキストから確認できる「創価仏法」での、漫荼羅観を紹介したいと思います。

学会の会館に安置されている本尊や個人に授与される本尊が、下記教学の曼荼羅本尊と
イコールと捉えられてますが、下記教学の範囲内だけでも、「日寛上人書写の御本尊」が
「大聖人の曼荼羅本尊」とイコールであり得るか、「日蓮大聖人の生命(心、精神)」が
印刷(本尊として渡すだけ)によって全世界の会員に授与され得るものであるか疑問で
あるところです。

「<法本尊> 法本尊とは、事の一念三千である南無妙法蓮華経を顕した大聖人の曼荼羅本尊です。
この南無妙法蓮華経は三世の諸仏の能生の根源(あらゆる仏を成仏させる根源の法)であり、
一切衆生の成仏の種子、すなわち仏種です。」
(創価学会教学部編『教学の基礎 ◇仏法理解のために◇』聖教新聞社、2002年、p.58)

「<人本尊> 日蓮聖人は南無妙法蓮華経を「日蓮がたましいひ(魂)」であるといわれて
います。これは日蓮大聖人が法本尊である南無妙法蓮華経を自らの生命の根源として開覚・
修行し、末法の衆生のために曼荼羅本尊として顕されたということです。
すなわち日蓮大聖人の生命は法本尊の南無妙法蓮華経と一体です。」
(同上、p.59)

「「末法の法宝」とは御本仏・日蓮大聖人が御図顕された三大秘宝の御本尊を指します。
大聖人が顕わさえた曼荼羅御本尊は「日蓮がたましいうぃすみにそめながして・かきて候ぞ
信じさせ給え」(「経王殿御返事」、御書一一二四㌻)と仰せのように、一念三千の法を
体現された大聖人の御生命をそのまま顕わされた御本尊であり、南無妙法蓮華経を
末法弘通の法体として顕現された当体であるので末法の法宝となるのです。」
(同上、p.136)

「平成5年(1993年)には学会として、日寛上人書写の御本尊を御形木本尊として全世界の会員
に授与することを決定。宗門とは完全に決別し、大聖人直結の広布の教団として、世界宗教
への飛翔を進めていきました」
(同上、p.146)

812沖浦克治:2003/11/09(日) 06:02
 アネモネさん
 あなたは以前私に体験を話すようにとのレスをされました。
 私は体験を語りました。
 然るに
 『個人的にいえば、沖浦さんが努力をされて、名誉ある栄光を勝ち取られたことは、さぞかし誇らしかったことだろうと、心より賛嘆したいと思います。その言動力が、間違いなく創価学会の信心であったということも、まったく理解できます。しかし、それが創価学会の正義の証明になるというものなのかなあ?という素朴な疑問は否めませんね。
 との発言は矛盾をしておられます。
 私が創価学会員で無かったなら、世界で金メダルを取る事は絶対に不意可能だったでしょう。
 たゆまざる向上心を持ちつづけることは、創価学会で学んだ事です。
 私の体験に異を唱えるのであれば、あなたと関係の無いアスリートを引用するのではなく、あなた自身が何らかの方法で世界を取ってから、体験としてお話ください。
 以前N選手が拙宅にまいりました。
 彼も日本タイトルを持つトップリフターです。
 私の家の仏壇を見て『沖浦さんは創価学会ですか!』と言ったきり黙り込みました。
 数分そのままでしたが、『実は息子が創価学会に入会すると言い出し、家族で反対しているところでした。息子に入会を勧めます。』と言われました。
 私個人の体験が布教に結びついているのです。
 宗教の布教とはかくあるべきです。 
 自分は駄目であるがこの信心はすごい、等という意見はおおかしいと思います。
 信心が生活に顕れなければ何の値打ちもありません。
 あなたのご意見は、生活即信心とは言えないと思います。

813沖浦克治:2003/11/09(日) 06:19
 犀角独歩さん
>746、750、752のわたしの質問にお答えください。
創価学会の功績についてです。
どうぞ。

 この方面に付いてあまり知識がありません。
 男子部時代に原水爆反対の署名をした覚えがあります。
 1500万人(定かではありませんが)ほど集まったと聞きました。
 詳しくお知りになりたいのでしたら、創価学会の広報に問い合わせれば如何かと存じます。

814沖浦克治:2003/11/09(日) 06:27
 アネモネさん
>747>いっき‐とうせん【一騎当千】
一騎で千人の敵を相手にすることができるほど強いこと。一人(イチニン)当千。太平記二八「これら皆―の兵にて」(広辞苑第4版)深層心理というのは、言葉に出るものだなあと思いますね。千人の敵を相手にとは、いかにも猛々しいですが、その敵とは、恐らく私たちのことを意味する心理であり、私たちは今もなお見下されていることが、この言葉からうかがえますね。

 蓮祖門下ですから当然です。
 私は何処を切っても、創価学会員でありたいと願っております。
 
 『かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへおしかけここへおしよせ念仏真言禅律等の八宗十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返しせめをとしすれどもかたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。』( 如説修行抄)

 この御書を拝するたびに、武者ぶるいに似た感覚を覚えます。
 蓮祖門下ですので当然です。

815沖浦克治:2003/11/09(日) 06:36
 無徳 さん
 息子は真面目に信心をしております。
 めったな事では戦死しないでしょう。
 もし不幸にして戦死をすれば、宿命だと思います。
 無論のこと、父親として無事に帰っていと祈っております。
 しかし自らが決めた道です。
 息子は息子の人生です。
 変わってやる事は出来ません。
 父親として、立派に戦って死んで来いと、いう以外の言葉を思い付かないのです。
 私は蓮祖門下の末席を占める人間として、子供たちにイージーゴーイングを教えた事は一度もありません。
 戦場に行って逃げ回るような人間には、育てていないのです。
 臨終正念とは、そう言う人生の延長にあると信じております。

816沖浦克治:2003/11/09(日) 06:40
 愚鈍凡夫 さん
>小生は、常に一人で組織と闘ってきました。あなたには決して理解できないことです。
沖浦克治さんから小生宛レスの返答です。

 私もそうですよ。
 だから世界を目指したのです。
 タイトルを取って以来、組織を堂々と批判できるようになりました。
 これが自分の広宣流布への武器なのです。

817犀角独歩:2003/11/09(日) 06:54

Leoさん、おはようございます。

> Libraさん…学会教学や指導を採用する典型的な「現役創価学会員の発言」と
> 捉えるのは難しいのではないかと思います

Leoさんのご指摘は、わたしの

「現役創価学会員の発言、たとえばLibraさんなどを通じて見る限り、記号論的とも言うべき漫荼羅観に変遷している」

に対して仰る部分ですね。わたしはLibraさんを現役創価学会員の典型と見たわけではないのですが、そのような印象を与えてもおかしくない文章になっています。ご指摘のとおりで、この点は反省します。

提示いただいた学会の、現段階の漫荼羅本尊観指導、ご提示有り難うございました。参考になりました。

寛師が、「本門戒壇の本尊」を特定して説明する内容を「三大秘法の本尊」と言い換えて、自分たちが配布する寛師書写漫荼羅に当て嵌まるように書き換えてありますね。

寛師が「法本尊」というのは「本門戒壇の本尊」ですが、これを「事の一念三千の南無妙法蓮華経」と書き換えている点、また、寛師は「人本尊」を「日蓮大聖人」というのに、「日蓮大聖人の“生命”」と言い換えている点で、異なりますね。

寛師は『本尊抄文段下』で

「法即人の本尊とは一念三千即自受用身の蓮祖聖人これなり。当文及び本尊問答抄、当抄の下の文の「本門の本尊」、佐渡抄の「本門の本尊」の文は並びにこれ人即法の本尊なり。三大秘法抄、報恩抄等は法即人の本尊なり。

…“本門戒壇の本尊”は応にこれ総体の本尊なるべし。これ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応にこれ別体の本尊なるべし。これ則ち面々各々の本尊なるが故なり」

以上のように、明確に板漫荼羅(戒壇大御本尊)と他の本尊を分けています。この二つを同一に論じることを遮しています。学会の本尊観は寛師と異なっていますね。
寛師は、板漫荼羅のみを「一閻浮提の一切衆生の本尊」と断言しています。

参考になりました。有り難うございました。

818沖浦克治:2003/11/09(日) 06:58
 無徳 さん
>>私は私、戸田先生は戸田先生です。
 対等な関係です

>とは、恐れ入りました。
貴方は640でのアネモネさんへのレスにおいて、云々。

 私は心の底から戸田先生を尊敬申し上げます。
 テープを聞く度にその思いが強まります。
 私が入会間もないころ、先輩から頂いた青年訓・国士訓は衝撃でした。
 あの時読まなければ、違った人生になっていたでしょう。
 トレーニングで辛くてくじけそうな時、こんな苦労など戸田先生と比べればなんと言う事はない。と自分に言い聞かせて頑張れたのです。
 池田先生とは思った事がありません。
 無論のこと池田先生も尊敬いたしております。
 戸田先生は、私には特別なお人なのです。
 しかしやはり私は、戸田先生とは人間として対等であると信じております。
 故に一部分でも目標にして頑張ることができたのです。
 戸田先生の指導で、最も感銘を受けた部分を書いておきます。
 『私をよく世間の人が、あなたは会長だから如来様だろう、とか仏様だろうとか言われる。このときぐらい腹が立つことは無い。私は立派な凡夫だ。犬は犬の気持がわかる。人間だから人間の気持がわかるんだ。今後も決して会長を神格化してはいけない。』(趣意)
 私が戸田先生を世界一だと思うには、この指導の故です。
 法主が生身の釈迦、日蓮だとのたまうどこかの人と比較して見れば、明らかですね。

819沖浦克治:2003/11/09(日) 07:02
  犀角独歩さん
>> お分かりかな?

>このような蔑む発言をおやめください。

 私は以後慎みますが、あなたの書き込みにも同類のご発言がしばしば見られます。
 あなたも謹んで下さいませ。

820沖浦克治:2003/11/09(日) 07:11
 愚鈍凡夫さん
>> 金を積んでも世界チャンピオンにはなれませんよ。

>誰とは言いませんが、金を積んで「ブリキの勲章」や「名誉ナントカ賞」をコレクションしている御仁を知っていますが。何か?

 これは池田先生のことでしょうね。
 種種ご意見がおありでしょうが、私の考えを述べえおきます。
 
 『よし!自分も創価学会員として必ず世間のトップとなり、名誉市民の一つでも取ろう!』
 
 このような人間(特に未来部)がたくさんでてこなければ世界広布などは、夢のまた夢でしかありません。

821犀角独歩:2003/11/09(日) 07:58

世界チャンピオン、世界のトップでないと世界広布にならないのであれば「民衆」仏法とは言えないのではないでしょうか。

また、世界チャンピオン、世界のトップになる話は「信心していて良かったと感じた時は、どんな時ですか?」のスレッドがあります。そちらで書かれたらどうでしょうか。

個人的に世界チャンピオンであろうと、沖浦さんの言葉を借りれば「ホームレスでも弁護士でも」、まるでその点は問題になりません。

「何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば『当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし』の道理なれば仏の如く互に敬うべし」

相手の成功・不成功、尊貴を選んで、法を聞く姿勢は、上述の「御書」からして、仏教の視点からすれば不純であるとするのが「蓮祖の門流」です。

なお、「当如敬仏」は申すまでもなく『妙法蓮華経勧発品』の文です。
蓮祖同様、法華経の精神を尊重してください。

> 法主が生身の釈迦、日蓮だとのたまうどこかの人

などと「どこかの人」の比較しながら、自説を正しいという論法は実に見苦しいですね。他者侮蔑・軽蔑を含んでいます。自分に「揶揄」を向けられることを拒みながら他人を揶揄するわけですか。

ただし、いわれる「持住本仏論」への疑義は、当板では大いに論じられてきたことでした。問題にされたければ、該当する他のスレッドでお書きになったほうがいいいでしょう、「創価学会の功罪」とは関係ありませんので。

ここは組織集団「創価学会の功罪を考える」スレッドです。
沖浦さんの功徳を考えるスレッドではありませんので、長々と世界チャンピオンになった話ばかりを書き連ねられると、テーマ議論が妨害されます。自粛を希望します。

822アネモネ:2003/11/09(日) 08:19
沖浦さん

>私が創価学会員で無かったなら、世界で金メダルを取る事は絶対に不意可能だったでしょう。

これはわかりますよ。原動力であっただろうと想像します。

>たゆまざる向上心を持ちつづけることは、創価学会で学んだ事です。

確かに向上心もお持ちでしょう。客観的にみて、創価学会に限らず、日蓮仏法のよいところは、上昇志向にあるということがいえると思います。
しかし、沖浦さんの書かれた内容からは、宗門が邪義であることを証明せんがためとありまして、それは単なる向上心だけではなく、憎悪の心も原動力にされているなと感じました。私は、失礼ながら、そういう心根が私の思想・信条からいって好きにはなれません。それは、宗教の目指す精神性からいって、そのような憎悪の心こそ克服しなければならないものと思うからです。

>私の体験に異を唱えるのであれば、あなたと関係の無いアスリートを引用するのではなく、あなた自身が何らかの方法で世界を取ってから、体験としてお話ください。

この考え方は根本的に間違っています。あなたが世界で創価学会の信心を原動力に金メダルをとったという体験に異を唱えているのではありません。名誉あることですが、だからといって、それが創価学会の正義の証明にはならないだろうということを言っているのです。正義を証明するというのならば、世界一になられたあなたが、どのような人間性を人々に示していくかにかかっているのではないでしょうか。この掲示板での言動もその一分に含まれます。宗門憎しをあらわすることが、正義だと思ったら大間違いです。
宗教の正義は、憎悪を克服したところにあるといえます。そうでなければ、平和思想には到底至らないでしょう。
それから、「あなた自身が何らかの方法で世界を取ってから…」ということですが、これは世界一という権威を盾にしたまさに権威主義的考え方といえ、宗門の権威主義と何ら変わりません。宗門の批判はできないでしょう。

>信心が生活に顕れなければ何の値打ちもありません。

信心が値打ちと捉えるところが、私とは感覚が違います。
信心は、心の問題です。生活に顕れるとすれば、心の持ちよう、心のあり方だと思いますね。少なくとも、憎悪の心を持っていては、どんなに良い生活でも心は荒廃しているといえます。

>あなたのご意見は、生活即信心とは言えないと思います。

生活即信心はわかりますが、生活の捉え方があなたとは違います。
そもそも、宗教に求める価値観が違うのです。
あなたの書き連ねる価値観は、創価学会によって培われた価値観だろうと思われます。その創価学会によって推奨されてきた価値観というものの功罪をここで批評しているといってもいいのです。
法華講のときでもそうでしたが、大半の信徒の方々のお話を聞いていると、地位や名誉や名声や財力や学歴…そういったことで人の評価を定めているわけです。そうなっていくことが、境涯(境界)を高めることだというのです。私は、宗教が目指す精神性からいって、この価値観は、正しいとはいえないと思っています。
心がどうあるかということにおける向上心が全く欠落している点を、問題視しています。そのことから起きている心の弊害が多いのではないかと思っているのです。
歪んだ価値観が、人格形成に多大な悪影響を及ぼすことがあります。
ですから、社会的影響の多大な創価学会の功罪を通して、そこで推進されている価値観を検証してみているのです。
そのためには、ご自分の教団を客観視することです。悪いところもあるはずです。それがわからない、もしくはあっても口に出来ないとすれば、そのことが既に、弊害であり罪過といえることなのです。そのようなことは間違いなく、そこに所属する人々の人格形成に影響を及ぼすことが考えられるのです。だからそこを検証しているのです。

823アネモネ:2003/11/09(日) 08:38
(つづき)
>>その敵とは、恐らく私たちのことを意味する心理であり、私たちは今もなお見下されていることが、この言葉からうかがえますね。
>蓮祖門下ですから当然です。

私たちをあなたが見下すことは、蓮祖門下であるから当然だということの明らかなる証拠を提示してください。

それからここでも私たちを見下していることを認めていらっしゃいますが、このような心持でいらっしゃるならば、他の参加者に不快感を与えるばかりで、議論の妨げとなります。掲示板の趣旨に反し、この気持ちに変わりはないのならば、何度も申し上げているように、この掲示板への参加はご遠慮願いたいです。

>この御書を拝するたびに、武者ぶるいに似た感覚を覚えます。
 蓮祖門下ですので当然です。

如説修行抄は、日蓮が書いた御書ではないかもしれません。
この掲示板における御書真偽問題の流れについては、認識されていらっしゃいますか?

824アネモネ:2003/11/09(日) 09:17
考えさせられることばかりです。
境涯(境界)が高まるということは、人を見下すようになることであり、創価学会ではそのような人間教育をしているものなのでしょうか。
そしてそれが日蓮仏教というものなのでしょうか。

825犀角独歩:2003/11/09(日) 09:51

アネモネさん:

「境涯が高まる」は日蓮仏教とは関係ありません。
「一流になる」にしてもそうです。両方とも学会の考えです。

このような考えは、入会していない人を「境涯が低い」と見下す差別生に基づくと取られますね。また、「一流・一流でない」という分別観は人間を尊卑、上下でみる差別生が既に胚胎していると、わたしには見えます。

もちろん、一流であることは否定されることではないと思います。
けれど、それは世間のことに属します。
一流への拘りから仏教を見れば、既に蓮師の教えに反します。
以下のような「御書」があります。

「名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり、嗚呼恥づべし恥づべし恐るべし恐るべし」

「一流などということは今生の飾りに過ぎない。自ら自惚れ偏って執着が強いのは、後生の枷(かせ)になるばかりである。ああ、恥じるべきである、恐れるべきである」ほどの意味となるでしょう。

ところで『如説修行抄』の真偽に触れられていますが、仰るとおり、真跡が残っていませんね。ただし、祖滅100年頃にまとめられたと思われる禄内に既に収録されていたようです。真跡主義からは採用はしませんが、名文ですね、たしかに。

この真偽は別として、もしこの御書を引用するのであれば、以下の部分を認めることになるでしょう。

「所詮仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり」

創価学会で言えば、「人」にはもちろん、戸田さん、池田さんも入るでしょう。
この明文は、日蓮文献主義が経(論・釈)で一貫している証左です。「人の言葉を用いてはいけない、仏の言葉である」というのが蓮祖門下不動の鉄則です。蓮祖門下を名乗るのであれば、厳守しなければならないでしょう。まして、この御書を引くのであれば、なおさらです。また、この御書には

「我等が本師釈迦如来」

と明言もされています。ところが日蓮本仏圏では御書中の「釈迦」は「日蓮」と読み替えて成り立ちます。これをわたしは蓮師の素意の改変と難じてきたわけです。

さて、教学的な話はさておきます。
アネモネさんの「常識」を、わたしは指示しますよ。

827問答迷人:2003/11/09(日) 10:06

沖浦克治さん
アネモネさん

横レス失礼します。

真蹟はありませんが、録内御書の十法界明因果抄に、摩訶止観の文が引用されています。

『第四に修羅道とは止観の一に云く「若し其の心念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視(みおろす)が如し而も外には仁義礼智信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」文。』

この摩訶止観の文を基準とすれば、沖浦克治さんの仰っておられることは、僕には、修羅道の定義にぴったりと当て嵌まっているように読めてしまいます。僕の読み方が間違っているのでしようか。

828アネモネ:2003/11/09(日) 10:39
犀角独歩さん

私の素朴な疑問に、早速明快なレスありがとうございます。
大変勉強になりました。

>「境涯が高まる」は日蓮仏教とは関係ありません。
「一流になる」にしてもそうです。両方とも学会の考えです。

やはりそうですか。この考え方の根本はどこから始まっているのでしょう。
私は、この考え方の弊害、つまり人を蔑視する心ということによる罪過は大きいと思うのです。
創価学会のいう人間主義とは、このような価値観の人間教育を目指しているところなのでしょうか。

>『如説修行抄』…祖滅100年頃にまとめられたと思われる禄内に既に収録されていたようです。

ありがとうございます。勉強になりました。

>この明文は、日蓮文献主義が経(論・釈)で一貫している証左です。「人の言葉を用いてはいけない、仏の言葉である」というのが蓮祖門下不動の鉄則です。蓮祖門下を名乗るのであれば、厳守しなければならないでしょう。

これは大事なことですね。踏み外してはならないところでしょうね。
これを踏み外したところに、蓮祖直結もないものといっていいのではないでしょうか。

>「我等が本師釈迦如来」…と明言もされています。ところが日蓮本仏圏では御書中の「釈迦」は「日蓮」と読み替えて成り立ちます。これをわたしは蓮師の素意の改変と難じてきたわけです。

ここが日蓮本仏論で常に問題にしてきたところでしたね。日蓮を本仏とすることが、日蓮の考えであったか否か、そのことひとつで、御書や経文の解釈がでまるで違ってきますね。
創価学会の功罪を考える中でも、日蓮本仏論の影が落とされていることは、見過ごせないところのようですね。

>アネモネさんの「常識」を、わたしは指示しますよ。

ありがとうございます。

829アネモネ:2003/11/09(日) 10:39
827 問答迷人さん

浅学ながら、私にもそのように読めてしまいます。
誰しもそのような修羅道の心というのは持っているものですが、仏教を志すからには、そのような心を克服していくところに、その道が求められるものと思いますね。
それこそが、生活に顕れる心のありようという「結果」ではないかと思います。

830愚鈍凡夫:2003/11/09(日) 12:09

> 『よし!自分も創価学会員として必ず世間のトップとなり、名誉市民の一つでも取ろう!』

こういった考えを少年少女に刷り込むことは、「目標達成すれば、手段は正当化される」という発想を植え付ける危険性を孕んでいます。
これは、「如何なる手段を講じても、社会のトップになれ」という考えを正当化することでもあるでしょう。そして、人の犠牲(不幸)の上に自らの幸福を築くことを肯定するようなものです。
また、仏法とはほど遠い差別意識を植え付けることにもなるでしょう。
やがて、サバイバルゲームからドロップ・アウトした大多数を畜生道・修羅道まっしぐらの「危ない面々」に変えていくことになるのではないでしょうか。
まるで、現代社会の病巣を垣間見るような感じです。

「人のために、社会のために、何を成し得るか」
との発想ができる、想像力の豊かさを育成すべきではありませんか。

831犀角独歩:2003/11/09(日) 14:09

創価学会の功績を考えてみようと、やや蛮勇を起こし、本棚から少しばかり残っている古い学会書籍を引っ張り出してみました。「創価学会の功罪を考える」うえで、些少の資料を提供しようと思います。

『会長講演集』第5巻(昭和37年1月29日初版/創価学会)にこんな一章があります。

『世襲制は邪宗教の姿』
「先日、ある学者がきて「創価学会は世襲制はありませんね』という話が出ました。封建制度の残骸の一つに世襲制度という制度が現存しております。他の団体はいざ知らず、宗教界にあって、教団の世界にあって、世襲制度ということは、もっとも誤った、いやしい姿であります。霊友会しかり、天理教も世襲制度であり、PL教団も、立正佼成会も、ぜんぶ世襲制度であります。
 代々の財産をそのまま受け継いで、金もうけをしようという、その縮図であるし、その一端だけをみても、彼らに真の仏法は、真の宗教はなく、『邪宗教である』と断言できると私は思うのです。
 日蓮正宗は、そして、創価学会は、永久に世襲制度はありません。あくまでも、師弟の相対のうえで立って、もっともすぐれた弟子が創価学会の代々を継いでいくことになっておりますから、そのつもりでおっていただきたいと思います」(P20)

「世襲制度は邪宗教」、果たして、池田さん没後、創価学会がかつての池田さんが宣言する如き「邪宗教」になるかどうか、その後を見守りたいと思います。

833沖浦克治:2003/11/09(日) 21:51
 どうも皆様方は、どうあっても私を差別主義者の悪人にしたいように感じます。
 私の謝罪以後のレスで、あなた方を馬鹿にしているところがありますか?
 体験の裏づけが無ければ、民衆は信用しないでしょう。
 私はアネモネさんに体験を話すように勧められた時、必ず揶揄をされると言いましたよ。
 皆様方、特に犀角独歩さんの書き込みからは、100%私の成功の体験は自慢話だ、と攻撃されると思っておりました。
 犀角独歩さんの過去レスを読ませていただきましたが、自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向を感じます。
 私は体験主義者です。
 自らの功徳の体験と、向上の見られない信心等には、何の値打ちも無いと信じております。
 何故皆様方は、自らの功徳の体験を通して蓮祖の法を語れないのか、と疑問に思います。
 創価学会の功の部分は、私のような社会から見放された人間に生きる勇気と希望を与え、見事に蘇生をさせた所にあります。
 私の周りには、同じような体験を持つ人々が何十人といます。
 異口同音に自分が今日あるのは創価学会のおかげ、と感謝をしております。
 この事実を、皆様方はなんと見られるのでしょう。
 少なからず残念に思います。

834犀角独歩:2003/11/09(日) 22:59

沖浦さん:

> …自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向を感じます。

これはご自身のことではないでしょうか。

> 何故皆様方は、自らの功徳の体験を通して蓮祖の法を語れないのか、
> と疑問に思います。

この理由は至って簡単です。
たとえば、このスレッドは組織集団創価学会の功罪を語るスレッドであるように、それぞれのテーマに沿って議論を進めているからです。組織集団を論じるところで、個人の体験を語ることは場違いだからでしょう。

> 創価学会の功の部分は、私のような社会から見放された人間に生きる勇気と
> 希望を与え、見事に蘇生をさせた所にあります。

わたしは創価学会から見放された4桁にも上る方々の立ち直りに関与してきました。

> この事実を、皆様方はなんと見られるのでしょう。

そうです。ですから、このわたしの体験を沖浦さんはなんと見られましたか。
「退転した人間には興味がない」と見放しただけでした。
ですから、

>  少なからず残念に思います。

という沖浦さんとは反対の意味で、そのように沖浦さんが“臭い部分を見ようとしない”姿勢を残念に思うわけです。

835犀角独歩:2003/11/09(日) 23:09

重ねて沖浦さん:

わたし達“退会者”のことを、ハッサン師はご自分のことを含めて以下のように記してくれています。

「自分が学んだことや、知りあって好きになった人々をすべて受け入れ、それを統合して、新しい自意識を作る必要があった。古い自意識を統合して新しい目標をつくることで、元メンバーたちはとても強くなる。彼らは勝ち残り組なのだ。彼らは苦難と虐待に耐え、情報と自己反省で敵を克服することができたのである」

836沖浦克治:2003/11/10(月) 00:01
>ハッサン師

 このお方はどのような人ですか?

837沖浦克治:2003/11/10(月) 00:02
『よし!自分も創価学会員として必ず世間のトップとなり、名誉市民の一つでも取ろう!』

 刷り込みなどではありませんよ。
 自然な意志です。

838MILD SEVEN:2003/11/10(月) 00:59

<<<創価学会 問題>>> 再び。

<池田大作大先生 発言>

「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 (扶養研修所での指導)

「アッ、クリントン元気かしら、ああっ、そう、あのよーにね、口をうまくね、うんと、うんと人を誤魔化してね、あのー、あのー警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。指導してください。口をうまく、口下手なんて言うのはね、時を遅れています。クリントンは口がうまかったんだから。」(ロサンゼルスアメリカSGI&関西合同総会)

「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ!」

「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」

         ・・・・・・・・・・・・

まったくの新興宗教 創価学会・池田教。
池田氏・創価の体質はこんなところです。
人権侵害・名誉毀損は当たり前でしょう。
下品な事は相手にしない事です。
永続的一貫性無き宗教は危険です。
カルト体質の集団の呪文は呪われていると考えるのは当然です。
むやみに他宗を批判する前に、自分達の信心を再検討するべきです。

自由の砦によれば。
フランスではすでに、国会が創価学会を「危険なカルト教団」と認定している。とあります。
・・・・・・・「最近、同様の事件に対し、二件の判決が下りた。その二件とも、創価学会をカルトだと認定しました。
 裁判で信者(学会員)は負けました。裁判官は、子供に学会の呪文を唱えさせることは精神錯乱を引き起こすので危険だ、と認め、子供を学会の修行から遠ざける判決を下した」 と説明を加えました。

下記参照
http://www.toride.org/

私は基本的に他人の信じる道を侮辱したりしません。
世の中迫害よりも営業でしょう!
私が創価に求めているのは、悔い改めと改善です。

・・・・・・・・・・・

<獣・666>は比喩「ヨハネの黙示録」

<おろち> も比喩。

日蓮氏の立正安国論でも・・・。
・・・「国土乱れん時は先ず<鬼神>乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。・・・。
歴史は繰り返す。
・・・・・・自界叛逆の難・・・・・・・。
上記は何でしょう? 単純に考えれば、宗門・僧侶への反逆行為!?
やはり、池田創価でしょう!
創価は僧侶を認めない・侮辱する存在。
普通の仏教界も知っています。
しかも、他宗を裏切った者達による、元の宗門への反逆活動・策略は言わずと知れた事。

平和な民主主義国家・日本。
水面下では・・・。
陰の独裁者がいる{危険な全体主義}カルト国家日本・・・これは、避けたい事です。

しかし、現実にカルト組織は存在します。
しかも、これは霊的な問題でもあります。
世界は研究しています。

カルトからの解放教育は、緊急避難的問題です。
解放出来なければ、将来のエネルギー「石油」危機や、欧米・アジア諸国等から相手にされなくなる危険もあります。
それだけではありません。
残された時間は・・・。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

839アネモネ:2003/11/10(月) 01:04
沖浦克治さん

>どうも皆様方は、どうあっても私を差別主義者の悪人にしたいように感じます。

誰も沖浦さんにレッテルを貼ろうという思いではありません。ただし、沖浦さんの言動に差別意識が感じ取られて、そのことが指摘されてしまうわけです。そして、そのことを「創価学会の罪過」として捉えて問題視してしおります。だからといって、沖浦さんのことを差別しているわけではありません。創価学会の組織の問題として考えています。

>私の謝罪以後のレスで、あなた方を馬鹿にしているところがありますか?

途中から謝罪はされて、かなり言葉は改められたようにも思われますが、しかしこれは、沖浦さんの内心のことですら、その後の投稿においても、その内心の心情が否応にも言葉の端々から感じとられたことは、どうしても否めませんでしたね。その点、沖浦さんは、正直な方ということなのかもしれません。

>私はアネモネさんに体験を話すように勧められた時、必ず揶揄をされると言いましたよ。

私もそのことはよく覚えております。一応、私のレスも以下、転載しておきます。

>>もしも、差し支えなければ、沖浦克治さん自身が体感された戸田さんから学んだことなど、ご自身の人生を通しての体験を、できれば具体的にこの場で語ってみられてはいかがでしょう。いわゆる座談会における体験発表ですね。もちろん、内容によっては突っ込みや反論はあるかもしれません。しかし、その中から創価学会の功罪の功の部分も見えてくるかもしれません。

私のほうからも、内容によっては、突っ込みや反論があるかもしれませんと書いてあります。また、創価学会の功徳の「功」の部分も見えてくるかもしれませんとも申し上げておりましたが、しかし結果的には、私の目からみると「罪」の部分が見えてしまった気がしますね。
ものの捉え方、見方は様々で、尺度や価値観が違えば、個人的には功徳と思えたことも、社会的みれば罪過と通じてしまうように捉えられる場合もあるものです。主観と客観の違いはここにあります。
そのようなことにも目を向けてきた掲示板ですから、創価学会での体験発表通り、満場の拍手喝采では終わらず、突っ込みや反論が出てくることは、この掲示板の趣旨からいって仕方のないことですね。

>皆様方、特に犀角独歩さんの書き込みからは、100%私の成功の体験は自慢話だ、と攻撃されると思っておりました。

そういうことではないのです。人生の成功のその影に、信心という原動力があったことは、誰も否定しないでしょう。だけど、だからといって、それが即その教団の正義というものの証明になるものではないということを、大局的にみて、もう一歩踏み込んで考えてみることはできませんか。そのことを議論として試みてきたのが、この掲示板の流れといえるのですが。

>犀角独歩さんの過去レスを読ませていただきましたが、自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向を感じます。

今の時点ではそうでしょう。だけど、かつて犀角独歩さんも、沖浦さんのように創価学会を誇りに思って信心活動をしていた時期があったわけですから、沖浦さんがここに書き連ねたられたことは、その心情はよく理解されていることと思います。もちろんこれは、ご本人に聞かなければ本当のところはわかりませんが、独歩さんだけではなく、創価学会に命懸けで人生を捧げてきた人は、この掲示板の参加者にたくさんいらっしゃることと思います。
ただし、それぞれ何か思うところがあって、脱会の道を選ぶに至っているのです。
その思うところが何なのか、なかなか言えなかったその思いというものを問題提起としてこの場に投稿し、議論を投げかけてきたのがこの掲示板なのです。そこにこの場の大きな意義がり、そこに賛同する人たちが集っているといえると思います。

840アネモネ:2003/11/10(月) 01:05
(つづき)
>自らの功徳の体験と、向上の見られない信心等には、何の値打ちも無いと信じております。

仰りたいことはわかります。ですが、ここでは、もう一歩進んで考えてみてほしいのです。
功徳とは何か、向上とは何かです。そのような根本的なところを、このスレッドでは考えてきているのです。

>何故皆様方は、自らの功徳の体験を通して蓮祖の法を語れないのか、と疑問に思います。

誰しも語れないわけではありません。それぞれに相応の体験はあるでしょう。しかし、真の日蓮仏法に照らして、本当の功徳とは何かということからここでは考え直してきているのです。

そもそも功徳とは、「積功累徳」ということで、徳が授かることではなく、徳を積むことのはずですね。功徳ということも、自分がどのような徳を積んだのかという話でなければならないわけです。
さらにもっと根本的なことも議論してきています。それは蓮祖の仏法とは、何であったのか、もしくは蓮祖が求めた仏法とは何であったのかといった、本当に根本的なところからの検証再考の議論なのです。
ですから、たとえば「創価学会は正義だ」といった、結論ありきから始める議論ではないのです。むしろ、「創価学会は本当に正義なのか?」という疑問から始める議論といってもいいかもしれません。
しかし、創価学会を絶対的に誇りに思う沖浦さんにとっては、そのような問題提起から始まる議論が、相容れず馴染まれないのだと思います。
しかしそれは、それでいいのです。ただ同じ問題意識を持つ者同士が集って、気持ちよく議論をすればいいことですね。そのようないわば同じ土俵に立てないうちは、議論にならないということだと思います。

>創価学会の功の部分は、私のような社会から見放された人間に生きる勇気と希望を与え、見事に蘇生をさせた所にあります。

個人的に沖浦さんのことを存じ上げているわけではありませんが、客観的にみて、このような社会的功績は確かにあっただろうと私は思っております。
ただ、それだけでは最高の教えだといえるものではありません。なぜならば、社会から見放された人を救ったはずの教団が、今度は、教団に属さない人々や、教団から離れる人々のことを蔑む心を育んでいることが見えてきているからです。そこを罪過として捉え、いかにして克服していくかということが、今後の課題といえるのではないでしょうか。
このことは、謝罪までされた沖浦さん自身の実際の投稿で明らかになったことともいえますね。

>私の周りには、同じような体験を持つ人々が何十人といます。
異口同音に自分が今日あるのは創価学会のおかげ、と感謝をしております。

ここに参加されている方々だって、同じような体験を持っていらっしゃることでしょう。それを、創価学会のお陰と思っているか、日蓮仏法のお陰と思っているか、もしくはもっと別のことを考えているか、創価学会=日蓮仏法とならなくなってしまった人もいるわけですから、それは人それぞれかもしれません。
だけど、日蓮聖人への思いは変らないのです。だからこそ、このような形で、ここに参加して日蓮仏法に触れているのです。その点での日蓮聖人への思いは、富士門流という枠組みにおいて、ここでは皆、心は同じだと思いますよ。

>この事実を、皆様方はなんと見られるのでしょう。
 少なからず残念に思います。

それが、信教の自由というものですね。自由に信教の道を選んだ結果が、この掲示板の形に表れていると思います。

841アネモネ:2003/11/10(月) 01:30
沖浦克治さん

補足です。
>犀角独歩さんの過去レスを読ませていただきましたが、自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向を感じます。

自分と相容れないのではなくて、きっと、かつての自分を見ているような思いで、反論の投稿をなさっているのかもしれません。
沖浦さんは、独歩さんとの対話を最初からずっと拒絶されておられたようでしたが、一方の独歩さんは、言葉は痛切ながら、ここに至っても、沖浦さんにレスを向けています。
考えてもみて下さい、沖浦さんのことを、拒絶されてはいないという見方もできるかと思いますよ。

842犀角独歩:2003/11/10(月) 10:09

> 836 沖浦克治さん

>> ハッサン師
> このお方はどのような人ですか?

「ご存じないですか? 驚きです」と言っても揶揄ではありません。
「そうだろう」と思っただけですが。

Steve Alan Hassan
http://www.freedomofmind.com/

霊感商法、違法伝導訴訟、青春を返せ裁判の統一協会
地下鉄サリン事件のオウム真理教
詐欺の法の花三法行
ミイラ事件のライフスペース 等その他多数
一連のカルトを違法たることを証明する基礎理論を提供したカウンセラーです。

主著『マインド・コントロールの恐怖』
(恒友社発行/著者 スーティーブン・ハッサン /訳:浅見定雄)
以下のページに目次が載っています。

http://hanbai.com/lib/book/mind_cont.html

843犀角独歩:2003/11/10(月) 10:53

また、自己レスですが

> 一連のカルトを違法たることを証明

というより、
メンバーの心理状態が破壊的カルト・マインド・コントロールという第三者による心理操作された状態にあることを社会心理学を応用して証明することによって、グループの違法たることを証明
としたほうが、より正確かもしれません。

844犀角独歩:2003/11/10(月) 16:38

アネモネさん:

このような応答も「横レス」というのかわかりませんが、記述いただきましたわたしに係る部分に就き、少し書かせてください。

(>> 100%私の成功の体験は自慢話…攻撃)
> …人生の成功…信心…原動力…誰も否定しない

そうです。この部分を言っているわけではありません。
ここのところは、スレッドテーマから逸脱している。だから個人体験は「信心して良かった」のスレッドにでも投稿すればよいと促しているわけです。

> それが即その教団の正義というものの証明になるものではない…

同感です。
信仰を基盤に人生の成功を収めた人は信仰集団の数と同じだけあるでしょう。
それが自分たちの信仰における成功のみの喧伝は客観性を感じません。
社会心理学で言う「個人的リアリティ」は、あくまで主観に過ぎません。

(>>犀角独歩さんの過去レス…自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向)
> 今の時点ではそうでしょう。

この時点で言えば、相容れないわたしをいきなり「境涯が低い」「程度が低い」などと激しく責めてきたのは沖浦さんのほうです。この批判に甘んじる理由はわたしにはありません。

しかし、それ以前には他の方との激しい議論のなかで、証拠も提示せず、一方的に自己信念を押し付けるような横暴な態度に対しては断固たる態度を採ってきたのもまた事実です。ここで共通していることは相容れないわたしに対する人格攻撃と侮蔑、無礼があったことです。そもそも「脱会者」「退転者」などと侮蔑される謂われは微塵もありません。

> …かつての自分を見ている…反論の投稿

生まれながらの創価学会員であったわたしは、いわゆる体験談はいくらでも知っています。自分も個人的な体験は語りきれないほどあります。しかし、その実否を考え直してみる必要がある、それは脱会に至る極自然なプロセスです。その意味において、個人的な体験談を集団の功績としてしまうことを短絡であるとみます。

> 沖浦さんのことを、拒絶されてはいない

そうですね。誰人も拒絶しません。
ただ、わたしは特定集団の一方的な宣伝は拒絶します。
だいたい、それは掲示板のルールに違反しています。

ここでの特徴は、たとえば顕正会員が顕正会の問題点を提示して、会の是正を考えたり、富士門流の現行教義を富士門信徒の立場から考えるなど、自己の信念体系を自分の責任に基づいて考えてきたところに意義があります。

ですから、希望を述べれば、沖浦さんが国立戒壇、御肉牙、戸田本仏論、池田本仏論、戸田・池田血脈相承という学会内に胚胎した過ちを積極的に否定したように、その他、創価学会の問題点を洗い出し、より前進するための方途を考えるべく、このスレッドを応用されることです。

一つの事例として創価学会が沖浦さんが世界チャンピオンになるのに役立ったことはわかりました。しかし、それは一事例に過ぎません。何度となく繰り返すとおり、ここは創価学会の功罪を考えるスレッドですから、「沖浦さんの」体験ではなく、「創価学会の」功罪を論じようと繰り返してきたわけです。
この姿勢はスレッドテーマの尊重という当然の帰結です。

845犀角独歩:2003/11/10(月) 16:38

―844からつづく―

> 犀角独歩…脱会の道を選ぶ…なかなか言えなかった…問題提起

そのとおりです。沖浦さんが反省・謝罪した点ですが、「心の底より見下す」ことをしたのは何も沖浦さん一人ではありません。多くの創価学会員から脱会前後、実にひどい目に遭わされた経験があります。しかし、先にも提示したハッサン師の言葉のとおり、「苦難と虐待に耐え、情報と自己反省で敵を克服」し生き残ってきたわけです。

ここでいう「敵」とは何であるのか。それは脱会者を憎悪し、あるいは無視して非人道的に扱う態度と行動です。わたし達のことを沖浦さんが「退会者」と言い換えた。この点をわたしは評価します。しかし、それ以前に書いていたとおり「退転者」という汚名で侮辱されてきたわけです。それ以前でも、集団で悪者扱いをされ、「裏切り者」「恩知らず」と組織を挙げて人間性を貶められてきたわけです。それにも関わらず、現役学会員にはまったく罪の意識というものがない。反省もないわけです。それでも、10月18日以降の投稿で「心の底から見下し」「退転した制裁を受けるのは自業自得」だと下沖浦さんがわずかでもその姿勢を改めたことは評価できるところはあります。しかし、まだ我々の苦しみ・痛みの本質が理解されていないと残念に思うわけです。

我々脱会被害者は、学会の罪過を言おうものであれば、人格攻撃をされ、その口を封じられるという発言それ自体のを弾圧を受けてきたわけです。ようやくとこの掲示板に辿り着き、思いの丈を吐露し始めれば、またもや創価学会(員)による妨害です。自由に意見を述べることはさせないわけです。

ここは創価学会の掲示板ではありません。
原則的に自分たちの経験、蒐集した資料から学会問題を考えることは自由です。
むしろ、それを封殺する一方的な布教活動こそ、否定されなければなりません。

反面、わたしは沖浦さんの言論を封じているのではなく、証拠を示さず、一方的な布教を行う点に異議を唱えているわけです。ここが「相容れない相手」にあったときの対処の、沖浦さんとわたしの相違点です。

> 「創価学会は正義だ」といった、結論ありきから始める議論

この点が最も重要な点ですね。
結論に「到るため」の議論の場が、ここであるとわたしも思います。
ですから、このスレッド「創価学会の功罪を考える」の結論が、もしかしたら、「創価学会はすばらしい」という結論を導き出すことになるかも知れません。その点はまさに未知数そのものです。また、むしろ、そのような万人が認める創価学会の功績を披露できるのはわたしたち脱会被害者であるというより、沖浦さんのような現役会員でしょう。ですから、大いに集団組織創価学会の功績を披露するように促しているわけです。なぜ、なさらないのか不思議で仕方ありません。

いずれにしても、罪過を述べるのも、組織集団・指導者の功績を述べるのも、何ら妨害されることなく、冷静な議論を希望します。その場合、議論の健全さ、正当性を決めるのは、やはり、挙証責任を果たすことに尽きるとわたしは思うわけです。

マイルド・セブンさんが、種々、創価学会、または池田さんに係る問題点をネットから抽出しては紹介してくれます。なかなか参考になります。これは罪過面の提示です。

同じように沖浦さんも創価学会の功績面を提示されればよろしいのではないでしょうか。「個人的な功徳」はよくわかりました。今度は集団・組織・指導者の功績をご披露くだされば、比較対照の資糧とできます。

ただ、そこで提示される資糧の適否、実否は重要な点ですから、資糧吟味の段階で十分に質問をさせていただき、その適正を判断したいと思います。

このようにわたしは考えています。
スレッドの提案者であるアネモネさん、どうでしょうか。

846沖浦克治:2003/11/10(月) 17:54
 あらゆる宗教は個人の体験から始まっています。
 キリスト教はキリストの個人的な行動から、仏教も釈迦の個人的な悟りから、蓮祖の個人的な行動から日蓮系が発生いたしました。
 それずれの宗教を広めた原動力も、信者の個人的な体験に基ずく個人的な行動によるものです。
 創価学会の功罪を考えるにあたり、個人の体験は避けて通れません。
 創価学会は個人の集団であり、その功績は個人に行為の積み重ねなのです。
 皆様方のご主張のように、個人の体験を重要視出来ないのであれば、創価学会の真実の姿など見えるはずもありません。
 宗教とは、純粋に個人的体験から出発しているのです。
 個人をはなれて評価などは不可能でしょう。
 
 PS
 ハッサン師なる人物が、蓮祖と並ぶべき人物であるとは思えませんが、もしそうであればどなたか証拠をお示しください。
 私にはハッサン師が、沖浦克治になんら影響をおよばせないと感じます。
 現段階で個人的には、弁護士でもホームレスでもハッサン師でも、といったところです。
 サイババ師も、同類かも知れませんね。

847:2003/11/10(月) 18:24
沖浦さんはこの掲示板で、最終的にどのような結論をめざしておいでですか?
1対7程相手の討論で「私は勝った」「反創価をやり込めた」ですか?

ハッサン師が蓮祖と並ぶべき人物などと、どなたも言われておりません。

848沖浦克治:2003/11/10(月) 19:12
 路さん
 最終的な結論はそれぞれの個人が出すべきです。
 私は私の立場で資料を提供しているにすぎません。
 7対Ⅰでも1000対1でも私のスタンスは変わりません。
 勝ち負けは、どちらが人生で成功をおさめ、蓮祖の法の正義なることを証明できるか、にかかっています。
 簡単に言えば、どちらが世間で一流になるかです。
 これ以外に証明のしようはありません。
 自分は駄目だが蓮祖は正しい、などは馬鹿げています。
 この掲示板に参加されている皆様方も、自らの体験で蓮祖の正義を語らねば世間は信用をしないでしょう。
 世間から離れて仏法はありません。
 世間の人々の中で、自らの体験に基づき蓮祖の法の正しさを証明できなければ、無力な人間です。
 ハッサン師については、あなたのご意見を支持致します。

849ガンコ:2003/11/10(月) 19:39

相変わらずですねえ、沖浦さん

質問があります。
息子さんのことに触れられていましたが、けっこう迷惑しているんじゃないですか?
ちゃんと許可をもらってるんですかね。

850:2003/11/10(月) 19:44
「自分は駄目」と人が言うとき、そこに「謙遜」の意味があることも
あります。「世間で一流」に人格のすばらしさも加えてください。

蓮祖の法の正義を語るとは、折伏するということですか?
私は、犀角独歩さんが過去にいわれた
「菩薩の生き方を教えたのが法華経」という捉え方がいちばんしっくり
します。 仏法の正しさの証明方法は、ひとそれぞれだと思います。
信仰を「何のために持つか?」というのも、それぞれです。
お互いに相手を自分色に染めることは、大変難しい。

851アネモネ:2003/11/10(月) 20:25
>息子さんのことに触れられていましたが、けっこう迷惑しているんじゃないですか?
ちゃんと許可をもらってるんですかね。

そうそう、私もそう思って気にしていました。血のつながった親子といえでも、人格は別の個人なわけですから、たとえ親でも、ご子息の名前や年齢・職業といった個人情報を本人の許可なく公開することは、人権侵害にも抵触しますし、ここの以下の禁止事項にも反しますね。

2 他人の個人情報(実名、住所、年齢、電話番号、メールアドレス、家族構成、勤務先情報、等)を、掲示板で公開してはならない(ペンネーム、ハンドルネームと実名を特定させるような書き込みを含みます)。但し、以下の一から五については、この限りではないが、これらの個人情報の公開に当たっては、充分個人の人権に配慮し、節度を持って行うこと。

852アネモネ:2003/11/10(月) 20:29
路さん

はじめまして。

>850
私も同様に思います。

853アネモネ:2003/11/10(月) 21:38
845〜846
犀角独歩さん

>だから個人体験は「信心して良かった」のスレッドにでも投稿すればよいと促しているわけです。

そうですね。この点は、私にも大変な落度があったと思っています。実際に、沖浦さんに自己体験を語ることを勧めたのは、他でもない私でした。このような混乱を招いた原因は、無知な私にもあったものと、反省しているところでもあります。

このようなネットの場ではありますが、直接現役の創価学会の方と対話を試みたのははじめてでしたが、私の正直な感想としては、自分と自分の教団を客観視する意識というものが見受けられない。何度も書いたことですが、その罪過というものを感じました。
信仰というのは、自己陶酔の作用というのは大きいですね。それがプラスに働いて、何かの原動力になることは多いと思いますが、マイナスの作用、つまり弊害も大きいと思います。それは、社会性の欠如、エスカレートすれば、社会的孤立というものを招きやすものではないかと懸念されますね。

>社会心理学で言う「個人的リアリティ」は、あくまで主観に過ぎません。

本当にその通りだと思います。またそれは、そのまま信仰の落とし穴でもあるだろうと思いました。

>「境涯が低い」「程度が低い」などと激しく責めてきたのは沖浦さんのほうです。この批判に甘んじる理由はわたしにはありません。

当然のことと思います。傍で見ていても、決して快いものではありませんでした。
しかし、素朴な疑問ですが、いつも他者に対してあのような心持でいるということなのでしょうか。もしもそうだとすれば、社会適応そのものが危ぶまれるものではないかと思います。信仰が受け入れられないのではなく、そこで培われた人格が社会から受け入れられるものではないでしょう。集団的孤立とでもいえばいいでしょうか。なにかそのようなものを感じます。人間主義といい、庶民の立場といい、民衆の立場などと訴えながら、実際に社会における円滑な人間関係は困難なのではないかと思いますね。ここで起きたような摩擦は、決して珍しいことではないのではないでしょうか。

>他の方との激しい議論のなかで、証拠も提示せず、一方的に自己信念を押し付けるような横暴な態度

裏付けの示せない自己信念の断言は、単なる一方的な押し付けであり、とうてい議論にはなりません。時間とエネルギーが消耗するだけですね。

>自分も個人的な体験は語りきれないほどあります。しかし、その実否を考え直してみる必要がある、

私にはたいした体験がそもそもありませんので、だいたいの体験談は疑ってかかりますね。不思議だの奇跡だのといわれても、ほとんどピンときません。むしろ、私はかれこれ約三年前になろうとしていますが、この掲示板にたどりついた偶然のほうが、よほど奇跡に思えるくらいです。
だいたい、個人の信仰的体験談は、他の宗教団体でも同じような成功話や奇跡話が腐るほど語られています。となると、それだけでは正邪の証明には全くならないと思います。
ですから、私は、その人の思想性や人間性、そして人格や人柄、そういったところを見ようとしてしまいます。それにしても、そこを見る私に、真価をキャッチするだけの感性や感覚が備わっていないと、その判断もわかるものではありません。やはり、仏教でいうところの八正道が求められるところだなあと思いますね。

854アネモネ:2003/11/10(月) 21:39
(つづき)
>ここでの特徴は、たとえば顕正会員が顕正会の問題点を提示して、会の是正を考えたり、富士門流の現行教義を富士門信徒の立場から考えるなど、自己の信念体系を自分の責任に基づいて考えてきたところに意義があります。

仰るとおりですね。富士門信徒の掲示板という、大きな枠組みの中での集いであるということ。まずここに大きな意義があるということに、今回、改めて気がつきました。
私は幸運にも、ほぼ掲示板が立ち上がった当初から参加させて頂いておりますが、立ち上がった当初は、まだ議論そのものが混沌とした状態であり、試行錯誤だったと振り返ります。しかし長く議論を重ねてきた結果、今日のような秩序の形になってきました。それが、この度、ルールの追加でかなり整備されたのではないかと思いますね。
窮屈になったと感じるかもしれませんが、それはそれだけ責任をもった投稿が求められるという当然の帰結だろうなと思います。

>希望を述べれば、沖浦さんが国立戒壇、御肉牙、戸田本仏論、池田本仏論、戸田・池田血脈相承という学会内に胚胎した過ちを積極的に否定したように、その他、創価学会の問題点を洗い出し、より前進するための方途を考えるべく、このスレッドを応用されることです。

そうですね。創価学会の抱える問題で、この掲示板で最も議論すべき問題の場面は多々ありました。ところが、そのような大変重要な問題について、交わされたというか、結果的に掘り下げた議論には至らなかったところ、やはり創価学会という組織を個人的立場でしか捉えられていない、要するに、客観視できないという問題点を見た気がします。

>多くの創価学会員から脱会前後、実にひどい目に遭わされた経験があります。

脱会を考えている方も、そのような前例を知ると、実際のためらってしまうでしょうね。

>それ以前でも、集団で悪者扱いをされ、「裏切り者」「恩知らず」と組織を挙げて人間性を貶められてきたわけです。

創価学会は、ひとつのコミュニティの場でしょうから、そこで特殊な価値観を指導されれば、否応なしに組織内だけの偏狭な人間関係しかなくなってしまうのではないかと思うんですね。しかし、それがどうしても脱会したいということになると、外界での人間関係が希薄なだけに、飛び出せば、相当な孤独感にさいなまれることが考えられますね。そのうえ、組織のメンバーから侮辱や汚名を浴びせられては、誰しもノイローゼになってしまうと思います。また、そのような不安から逃れるために、組織をサーフィンしてしまう人も多いというのも納得しますね。
やはり、これは大変大きな社会問題だと思います。

>我々脱会被害者は、学会の罪過を言おうものであれば、人格攻撃をされ、その口を封じられるという発言それ自体のを弾圧を受けてきたわけです。ようやくとこの掲示板に辿り着き、思いの丈を吐露し始めれば、またもや創価学会(員)による妨害です。自由に意見を述べることはさせないわけです。

やはり、言論妨害、言論弾圧の体質は、今も個々の学会員に受け継がれているものだろうと思いましたね。

>原則的に自分たちの経験、蒐集した資料から学会問題を考えることは自由です。
むしろ、それを封殺する一方的な布教活動こそ、否定されなければなりません。

そうなんですね。私たちの言論の自由は、私たちで守らなければならないものだと、私も強い気持ちを持ちました。

855アネモネ:2003/11/10(月) 21:40
(つづき)
>反面、わたしは沖浦さんの言論を封じているのではなく、証拠を示さず、一方的な布教を行う点に異議を唱えているわけです。

もっともなことだと思います。

>また、むしろ、そのような万人が認める創価学会の功績を披露できるのはわたしたち脱会被害者であるというより、沖浦さんのような現役会員でしょう。ですから、大いに集団組織創価学会の功績を披露するように促しているわけです。なぜ、なさらないのか不思議で仕方ありません。

その通りですね。一般的国民感覚からいっても、創価学会という宗教組織の名前は知っていても、その組織がどのような社会貢献をしているのかということについては、ほとんどわからない人が多いと思います。何をしているのかわからない巨大組織でありながら、政界には進出し、方や教団トップは世界の要人たちと会って握手を交わしてもいる。ところが国内的には、強引で迷惑な勧誘活動をする教団というイメージが強いですから、なんだか怪しげだなと思う人も多くいるわけです。
ですから本当ならばこうした場においてレスをする以上、現役信徒はその訝しく思う疑問に対して説明責任があると思いますね。当然、個人的な信仰体験は、その説明にはなり得ません。また、それしか語れないとすれば、自分の教団が何をしているのかわからないという場合も有り得、それはある意味で別の危険性を孕んでいるとも思います。
例が不適切かもしれませんが、オウム信徒の大半は、まさか自分の教団がサリンを撒いていたなどとは、まるで思ってもみなかった、恐らく知らなかったのではないでしょうか。それと同じことが起きるとも限りません。それは学会に限ったことではなく、宗教や信仰とは、熱狂的になる要素があるわけですから、そのような社会的危険性を孕んでいるということを、認識しておくべきだと思いますね。
そのためにも、常に自分と自分の教団を社会的に客観視するということを、忘れてはならないと思いますね。

>マイルド・セブンさんが、種々、創価学会、または池田さんに係る問題点をネットから抽出しては紹介してくれます。なかなか参考になります。これは罪過面の提示です。

私も同様に思っております。

>同じように沖浦さんも創価学会の功績面を提示されればよろしいのではないでしょうか。「個人的な功徳」はよくわかりました。今度は集団・組織・指導者の功績をご披露くだされば、比較対照の資糧とできます。

まったくこれも同様に思います。

>スレッドの提案者であるアネモネさん、どうでしょうか。

2年前に立てたスレッドですが、思わぬ展開でレスが増えました。
しかし、一番の問題は、このようなスレッドにおける罪過の投稿に対して、現役信徒から投稿そりものが非常識だとするクレームが出るということ、そもそもその体質こそ大きな問題だと思います。pundarikaでも議論をしたいと思っていたことですが、批判を許さない体質、さらには批判を妨害・弾圧するという体質が、今もなお信徒に受け継がれていると思われるところ、これが創価学会の最も大きな罪過ではないだろうかと思います。

856沖浦克治:2003/11/10(月) 22:07
 ガンコさん
 あなたはご子息に一々許可を得られるのですか?
 私の家ではそのような習慣がありません。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板