したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

死刑制度についてひと言お願いします

1boro:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。

233yue:2003/08/11(月) 17:27
こんにちわ。
1週間に一度ぐらいの割合で楽しく掲示板を覗かせて頂いております。
このスレッドとは関係無い話題なんですけど・・・
文章で自分が思っている事、考えている事を、
100%の人に対して理解してもらうよう表現すると言う事は、
かなり難しい事だと私は思います。
「新しい言葉使い」と言って良いのかどうか分かりませんが、
最近のブロークンになりがちな日本語で育った私としては、
「文学的表現」や「理論的文章」などは、とても書けそうにないと思っています。
読書量も、ここにカキコされている方々に比べたら遥かに少ないでしょう。
でもここ(掲示板)って、「知識」「学識」を自慢し合う場では無いですよね?
テレビのニュース見ててストレートに、
ただ単に何となく「こう思った」と言うだけのカキコでは駄目なのですかね?
理論的に証明しないと駄目ですか?
もっと表現する場としては自由であるべきだと思うんだけど。
確かに掲示板って、議論する事も楽しみのひとつとは思うんだけど、
それが白熱しすぎて、他の方が気軽に考えを述べられなくなるのは問題かなと思うね。

思うに、議論って言うのは、
「相手に敵意を持つ事・持たせる事」では無くて、
「相手を説得し合う事」だと思うんだ。
そういう意味で、ここ最近のカキコは議論とは言い難い気がするね。

いきなり出てきた第三者が、勝手な事を述べまして申し訳ありませんです。

234yue:2003/08/11(月) 17:30
ちなみに、

>「被害者のほうにも殺されておかしくない要素がある」例を…

 と、ありますが。

 殺人事件と言う訳ではないですけど、
「稲城市小学生女児4人監禁事件」のスレッド読むと、
 多くの方が、被害者の小学生に非同情的なので、
 仮にこの小学生が殺されていたとしたら、
「被害者のほうにも殺されておかしくない要素がある」ことになりませんか?

 長々とすみませんでした。

235人権:2003/08/14(木) 02:34
確かにKatsuさんの言われるように「殺されても仕方ない」という風に
受け取ってしまったように思います。
「殺したら即死刑」は私もやや行きすぎかなとは思います。

236トニー:2003/08/17(日) 19:45
「殺す気がなかった」と言って被害者の方が生き返る訳でもないし、どんな背景の中であっても「人を殺めてしまった」という事実が残る以上、死を持って償うべきだと私は思います。
人には人の考えがあるので否定は出来ません。殺人や致死は「してしまった」事が元に戻せない事なので遺族の方々にしてみれば泣くに泣けませんでしょうから。

237ナショナルキッド:2003/08/17(日) 22:02
>「殺す気がなかった」と言って被害者の方が生き返る訳でもないし、どんな背景の中で
あっても「人を殺めてしまった」という事実が残る以上、死を持って償うべきだと私は思います。

ということは過失致死も死刑にするということですか?

年間1万人は処刑の対象になりますね。どうなんでしょう・・・。

238:2003/08/17(日) 22:41
>>237
どうしてそんな揚げ足取りみたいなこと書き込むの??

239ナショナルキッド:2003/08/17(日) 22:55
申し訳ありません。もう二度とここには書き込みません。失礼しました。

240トニー:2003/08/17(日) 23:02
一万人が対象になるって事は一万人の被害者がおられるって事になるんでしょう。その事の方が問題ですよね。

241キンランドンス:2003/08/17(日) 23:14
過失致死の1万人というのは交通事故も含めた数だと思います。
ご存知の通り、交通事故というのは事故を起こした方が100%
悪いことは極めてまれで被害者の方にもその責任はあるわけです。
これでもやはり死刑にするべきですか、と聞いているのだと思いますが・・・・・・

242:2003/08/17(日) 23:40
過失致死と殺人は違うと思うけど

243キンランドンス:2003/08/17(日) 23:44
>過失致死と殺人は違うと思うけど

その通りです。だから何?

244トニー:2003/08/18(月) 01:43
定義の問題デスよね。これは私の考えですが、交通事故の場合、加害者を収容する施設は「交通刑務所」ですよね。法を取り締まる司法分野が「刑務所」と「交通刑務所」
を区別しているように「交通事故における過失致死」と「過失致死」とは区別すべきではないでしょうか?バットを持って他人の家に侵入して罪をなして「死んでしまった」
事件に「過失致死」という言い逃れをするのはどーでしょうか?(交通事故においても過度の速度違反での接触死亡事故は殺人行為だと思いますけど…)「人の命は地球より
も重い」福田赳夫サンでしたっけ。その命を奪った、結果的に奪うことになってしまったという行為は「取り返し」がつかないと思います。「取り返し」がつかない以上、
何をもって償うか、という事になると思います。

キンランドンスさんへ
ギクッ ズキッ とくる意見ありがとうございました。「交通事故」は考えてませんでした。正直!
法定速度内での事故死の確率はどれくらいなんでしょうか?まだまだ甘いなオレも…反省!

245キンランドンス:2003/08/18(月) 02:09
私の方こそ揚げ足取りみたいな意見を言って反省しています。ゴメンなさい。
ここで「交通事故」の話をするのは反則ですよね。大人気ないことをしてしまいました。
交通事故のことはよく分かりませんが、車自体を凶器に保険金殺人でも起こさない
限り死刑にはならないでしょう、きっと。毎年600〜700人ほど殺人事件で
殺されていて、殺人罪や殺人未遂罪で検挙されるのは1000人くらいですが
このうち死刑になるのは多くても10人くらいかな、たぶん。だからだいたい
100人のうち1人が死刑ということになりますね。「人を殺したら死刑」
という意見をいろんな掲示板で見かけますが、特異な事件ばかりを見て
言っているとしか思えないですね。それほど一方的に加害者だけが悪いという
事件はやはり極めてまれだと思います。

246:2003/08/18(月) 20:09
>過失致死と殺人は違うと思うけど

>その通りです。だから何?

だから何って言われても、過失致死と殺人は違うと思うっていう
私個人の意見を述べただけなんだけど。
なんでそういうつっかかるような書き方するの??

247人権:2003/08/19(火) 15:08
死刑大国と言われるアメリカですが、一方で被害者の権利を保証するため
の法整備がある程度行われていると聞きます。少なくとも日本よりは被害者
・その遺族の人権が重視されているように思います。
死刑廃止を唱えるのであればそういう点に対する配慮も為されなければ
不公正の嫌いがあるように感じられますが。

248Katsu:2003/08/19(火) 15:24
交通事故を例に出されると、「人を殺してしまった人」=
「死をもってつぐなう人」という論点からずれるような気がします。

私としては、例えば、暴力癖がひどい配偶者や子どもに対して、
他の家族を守るために、殺してしまうという人もいるわけで、
そういう人まで考慮しての意見なのかが気になります。
そういう人は大概、殺人行為に対して深い反省や自責をされると
思いますし、残った遺族も極刑を望むとは思えません。

まあ、これも論点がずれる例かもしれませんが、こういう方でも
やめさせるために発作的な場合もあって「殺すつもりはない」けど
結果的に殺めてしまったということもあるかなと...

249人権:2003/08/19(火) 15:27
今年の7月28日付けの朝日新聞の「声」欄に勝田元死刑囚の義姉に当る
方の投稿が掲載されていました(<遺族の苦悩に思いをはせる>)。
必ずしも正面から死刑制度の是非を扱ったものではありませんが、
加害者側の遺族の思いとして考えさせられる所があるように思いました
(元死刑囚の身内の方の御考えを伺う機会は稀だという点においても
貴重だと思いました)。

250Katsu:2003/08/19(火) 15:34
>>247
法整備だけでなく、社会的な枠組みもあるように感じられます。
日本でソーシャルワーカーと呼ばれるような仕事は、存在するのか? とか
ただ、これもTVとか得られる情報を、そのままであり、本当に自分で
調べたわけではないので、あくまで「思う」という段階なのですがね。

私は死刑賛成、反対のどちらも選択ができないままなのですが、日本の
現状の加害者優先(と受け取れることが多い)の法律については、もっと
動きがあってもいいように感じられます。

#先般、人権さんには、当方のコメントに耳を傾けていただき、ありがとう
ございました。

251人権:2003/08/23(土) 01:58
私も現地調査等したことはないので「・・・のようです」とか
「・・・と聞いていますが」になってしまいます(笑)

ある弁護士さんのサイトからの孫引きなのですが、犯罪被害者支援の
ための国家予算の規模は国によって随分異なっています。そこでは
イギリス内務省(Home Office)の資料が引用されています(ただし
約10年前のものでやや古いのですが;Criminal Injuries Compensation-
Comparison of amounts paid by different countries)。

それによれば、日本は5億7500万円であるのに対して、GNPでも
人口でも日本よりずっと少ないイギリスが412億5000万円もの
金額を被害者支援に当てています(1ポンド=250円の換算)。
もちろんこの統計が充分信頼に足るものか否かということもありますし、
仮に信頼できるものだとしても直ちに断定的な結論は出せないでしょうが、
ある程度の傾向といったものは見出せると思います。

今取り上げたのは主として金銭的な面ですが、それのみならず例えば
被害者或いはその遺族等が法廷に立って訴訟に自ら参加するといった様な
権利を確保するための法整備が必要だと考えます。
このことは加害者(被疑者)の権利を侵すといったことを意味しません。
死刑の是非とは別個に考慮してもよいのではないでしょうか。

「社会的な枠組みもある」Katsuさんの仰る通りだと思います。
ボランティア的な活動も盛んなようですね。

253しましま:2003/08/31(日) 16:41
「生きて償う」という考え方が抽象的すぎると思います。どう償うんでしょうか?
過去の意見の「ボランティア活動」いいですね。一生無給で働くとか、臓器提供とか。
死刑よりも「重い」と思える刑があるなら死刑廃止に納得出来ますが…。
無期懲役なんかで税金が使われるのもイヤですね。
結論は「死刑制度に賛成」です。

255鞍馬天狗:2003/09/01(月) 16:28
結論から言えば「死刑制度」は賛成です。大量殺人を行い、しかも、何の反省もしない人間はそれこそ人間の衣をかぶった獣、否、獣以下です。
ただし、冤罪事件による死刑などはもってのほかですが。
それと関連しますが、日本にも、終身刑を作るべきです。そうすれば、死刑囚の数も減ることになるでしょうが、終身刑の持つ重みは重要だと思います。
罪を重くしても犯罪は減らないと言う考えも一理はありますが、今の日本の現状を鑑みれば、死刑制度の存続と同時に、終身刑及び有期刑をもっと重くして、
年齢も引き下げるべきです。

256ばっじょ:2003/09/03(水) 10:19
「生きて償う」の考え方は私も到底理解できません。宅間に関しても仮に無期が出ていたら
世間は、遺族は納得できなかったはずです。無期判決は将来的に社会復帰してしまうわけですし。
「生きて償う」に関しては裁判長も口にする言葉ですが裁判長自身その言葉をどう捕らえているのかも
不明ですし。死刑よりも辛い罪はアメリカの最も重い犯罪者が入る刑務所に入れることではないでしょうか。
まあ、外国の刑務所に入れるなんて事実上不可能ですが。そこはとにかく生き地獄だそうで宅間には
そこにはいってもらいたいですね。

257:2003/09/03(水) 14:42
ここの毒殺事件にもある「波崎事件」死刑囚が86歳で病死したそうな・・・。

258boro:2003/09/03(水) 20:45
事件が起きたのが1963年で
40年も東京拘置所に入ったまま
再審が行なわれず死亡ですか・・・。
物証も自白もなく状況証拠のみで
死刑確定となった冤罪事件と言われて
いるだけに辛いものがありますね。
帝銀事件が起きたのは1948年で
1987年に平沢貞通が病死だから
39年の監獄生活ということになり
波崎事件の富山常喜死刑囚の方が
長かったことになりますね。
平沢は95歳で死亡ですが、
冨山も86歳と長生きしましたね。
「第2の帝銀事件」と言われた
名張毒ぶどう酒事件の
奥西勝も77歳くらいのはずで
あとどれくらい生きるか分かりませんが
なんとか生きているうちに
再審によって無罪を勝ち取って
ほしいものです。

259とんでもない:2003/09/05(金) 21:16
あやふやな記憶ですが、松本清張の「小説帝銀事件」で、政府から見ても犯人は有罪とは思えない、だからといっていまさら無罪にはできない、それでただ犯人が獄死するのをひたすら待っているのだ、とかかかれてあったと思います。
波崎事件も同じことが当てはまるのではないかと思えてしまいます。

260RUKA:2003/09/08(月) 19:39
私も死刑と無期懲役、その刑の差がありすぎるように思えます。
終身刑をどうして日本は取り入れないのでしょうか?
税金を凶悪犯罪を起こした人に使うのに抵抗もある人もいるのかもしれませんが、
今は誰もが被害者になりやすい時代です。
犯罪(再犯)から自分の身を守るためならそういう使い方もいいと思います。
税金の無駄をする方が命を無駄にするよりよほど良いです。
自分は大丈夫。
そう思ってた人たちが事件に巻き込まれているケースのほうが多いのではないのでしょうか?
人を一人殺して、それで何十年かで自由になれる。
そんな馬鹿な話しがあっていいのでしょうか?

死刑よりも重い、あるいは死刑と同じくらいの重さの刑ができるまで私は死刑制度には賛成です。
2のえふさんの地雷撤去の刑には大賛成です(笑)。

261とおりすがり:2003/09/15(月) 23:58
今、自民党総裁選の真っ最中だけど、(万が一)亀井氏が総裁になって、
そのまま首相になったら、死刑は停止するんだろうね。
(対抗する民主党首も死刑廃止論者だから、我々国民には選挙で選択肢なし)
一度停止しちゃったら、ものがものだけに再開は難しいだろうな。

となると、宅間被告の死刑がわが国最後の死刑ということに。。。
うーむ。

262人権:2003/09/16(火) 14:07
テロ行為を容認するが如き発言を為した人物に応援されている亀井氏が
廃止を唱えても余り説得力がないような気もしますが・・・

263ばっじょ:2003/09/16(火) 22:58
亀井が首相になって死刑廃止になったらオウム麻原は死刑にはならなくなります。麻原は
裁判を引き伸ばし、死刑廃止になるまで待っているとの話を聞いたことがあります。
死刑廃止だけは絶対に阻止したいです。

264ばっじょ:2003/09/16(火) 23:01
ちなみに麻原には死刑判決がすでに出ましたが、高裁に持っていっているし、最高裁
にまで粘るでしょうから。そのときは死刑廃止になっていることを考えての発言でした。

265ばっじょ:2003/09/16(火) 23:03
死刑に関する本で「死刑はいかに執行されるか」という本があります。私はまだ読みかけですが
結構勉強になります。

266ポポロ:2003/09/16(火) 23:23
東京地裁での麻原に対する判決は2004年の2月27日です。
求刑通り、死刑判決にはなると思いますが、その信者でも
死刑確定となる者が次々と出てくるでしょう。

267むしろ:2003/09/17(水) 14:12
非常に不謹慎なこと言いますけど、宅間もどうせ殺るんだったら小学生
じゃなくて死刑反対派の識者とか人権者の身内とかをやればよかったのに・・・

>>2 地雷撤去
私が考えたのは「新薬の人体実験の刑」、これによって新薬がより早く社会
に出回るのはもちろん、マウスの命も救えるという画期的な刑

268瞥見:2003/09/18(木) 09:59
>>むしろ

本当に不謹慎な書き込みですね。読んでて不愉快です。
死刑反対派の人や人権者の身内(?)は彼らなりによく考えて
あのような考えを持つになったはずです。
「どうせ〜」だろうが何だろうが
彼らは殺されるべき種類の人間ではありません。
あなたの書き込みからは、
「自分と異なる意見をもった人間は死んで欲しい。」
というあなたの陰湿な願望がにじみ出ています。

私は本当は死刑に反対したいのですが、
宅間や麻原を見ていると自分の信条が揺らぎます。
彼らに対して怒りを感じるのは『人を殺したから』。
でも死刑は言い方を変えてもやはり『人殺し』…。
まっとうな理由さえあれば、人は殺していいものなんでしょうか?
まっとうな理由無く人を殺したから、彼らは悪いのでしょうか?
悩みます……。

269tomoe:2003/09/18(木) 13:17
もちろん自分の夫や子供を殺された場合を考えたら、
犯人に対し殺意を抱かずにはおれないでしょう。
実際、宅間被告や松本被告はもとより
「死んだ子の分まで長生きしたい」といった殺人者に対し
「おまえなんか死んでしまえ」と思わず口から出てしまいました。
しかし逆に「命を持って償う」と言われたとしても、
そこに違和を感じます。 
失われた命は絶対に帰らない
遺族は一生癒される事はない喪失感と共に生きて行かねばならない。
死のうと、人の役に立とうと、一生閉じ込められても
人の命を奪った罪は、結局何をもっても償えないのです。
では死刑は何を癒しているのかを考えたとき
全くの無関係な自分の発した殺意の言葉に思い当たり、ぞっとしました。
全く無関係な圧倒的多数の無意識の殺意で死刑制度が存続しているのが
ある側面では事実なのでしょうか?
死刑賛成反対を唱える以前に
このサイトで知った多くの殺人者達と何ら変わらない
自分の命以外は軽んじる己の浅薄さを思い知らされてしまいました

270人権:2003/09/18(木) 14:43
確かに不謹慎だと言われても仕方がないかなとは思います。陰湿な願望
とまでは言いませんが、些か激しすぎのような気がします。

私も究極的には死刑執行の必要などない世の中が実現することを願って
います。アムネスティの言うところの「人が殺されることのない社会」
が。

でも、廃止論というのは平たく言えば「いかに多くの人をいかに残虐な
方法で殺害してもその殺人犯の生命は保証する」とういうことになる
わけですから、率直に言ってそこのところがやはり釈然としない思い
が残ります・・・

271人権:2003/09/18(木) 17:30
もし仮に死刑制度が廃止されるのであれば、犯罪被害者の権利保護と
一体でなければ不公正だと思います。

我が国においては死刑以外の刑罰とりわけ生命を奪うような悪質・凶悪
犯罪に対する刑が軽すぎます。人を死に至らしめても「傷害致死」として
裁かれれば3・4年の刑期で済んでしまうこともまれではない。

特に集団で暴行を加えるような例では責任が分散するかの如く軽くなる
傾向があります。

「更生」「社会復帰」を図ることには異論ありませんが、被害者(遺族・
親族)の「社会復帰」をも同等に考えるべきでしょう。ただ賠償金が
支払われれば済むような問題ではない。

272とおりすがり:2003/09/19(金) 02:07
人権さん、
>>「人が殺されることのない社会」
これは、7億年も前にエディアカラユートピアが崩壊した時点で、
すでに否定されているのでは?藁)

冗談はさておき、この問題が議論されるたびに思うのは、
死刑廃止云々は、宗教的な意味合いが強いのではないかと
思います。
現在死刑廃止を実施している国の多くがキリスト教文化圏です。
キリスト教には、有名な「復讐するは我にあり。。。」という
考え方があります。
そのため、人の命を(正当に)奪ってもよいのは
神だけという思想が根底にあるのではないかと思います。
(しかし異端者に対しては例外としているかも。。。)

また、生活にもキリスト教が浸透しており、被害遺族の心の
ケアを教会や宗教にて実施できているのではないかとも
思っています。
なので、そのような基盤の薄い日本で、西欧と同じような
死刑廃止論議を行っても、いまいち噛み合わないのでは
ないかと感じています。
(もっとも最近は、アメリカでもキリスト教的社会が崩壊して
 問題になっているとか。)

個人的には、日本の社会全体にそのような倫理的な
思想が浸透しない限り、死刑は廃止すべきでない
と思います。

273:2003/09/19(金) 11:54
ここんとこ皆さんの意見をずっとロムで来たが、
やっと私なりの考えが1つだけまとまったような気がするのでカキコ。

「死刑」という具体的な方法は、てっとりばやく言うと
「再発防止対策」なのではないかと思うんだがなぁ・・・。
犯人の命を絶つことで、犯人が起こす再発の可能性は0%になる。
私は、死刑とはそれだけでもじゅうぶんではないかと思うんだが・・・。

私には、元殺人犯がまた人を殺すってのがどうしても許せん。
そして、それを許してしまったシステムは更に許せん。
・・・という感情があります。
ちなみに、被害関係者の復讐的感情等は抜いて考えていますので・・・。

274st:2003/09/19(金) 16:36
イギリスでの死刑廃止に至るまでのプロセスが記述されているページです。
http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/system/abolish/abolish.htm
また、廃止のきっかけとなった、A6殺人事件のいきさつもあります。この
事件はまだ続いていたんですね。迫力があります。
http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/victims/hanratty/hanratty.htm

275人権:2003/09/20(土) 14:04
私はキリスト教に就いては疎いので、とおりすがりさんの仰るような
側面があるかどうかよくはわかりませんが、廃止を主張される方々
の言動を拝見していると、そこには何か一種の宗教的信念のごときもの
を感じることはあります。そういう意味では確かに宗教的背景の違いが
反映されているのかも知れません。

ただ、仏教においても「慈悲」というような理念が存在しますし、
「殺生」を禁じてもいるわけですから、そのあたりから廃止の論理が
出てくる可能性もあるような気はします。
もちろん、宗教的背景がどういうものであろうと、最も救済されるべきは
被害者であるということは変らないはずですが。

276アクタ:2003/09/21(日) 01:27
はじめてです。たいへん勉強になるサイトで、
あちこち見させていただいています。

死刑についてですが、私は結論は持ち合わせていません。
当サイトの、英国の死刑執行人史のところなどを
読んでいたりしますと、
死刑制度には、必ず執行者がいなければならない、
というのがとても哀しくなります。
もうすでに出た話かもしれませんが、、、。

277ばっじょ:2003/09/21(日) 04:44
>死刑制度には、必ず執行者がいなければならない

これについて執行者の苦悩を書き綴った本があります。
「死刑はいかに執行されるか」という本です。私はまだ読みかけですが
死刑を考えるについて何らかの助けになるはずですので興味のある方はご一読を。

278ばっじょ:2003/09/21(日) 04:52
>キリスト教

キリスト教で聖書を忠実に信じる時代遅れの人たち、いわばキリスト教原理主義者は
(この人たちはダーウィンだったかな?の進化論を絶対受け付けず人間はいまだに神が
作ったと考えていて、進化論を学校で教えるのを反対し一部の州では進化論を教えるのを
中止させた人たちです。ブッシュのそうなんだけど。)死刑や中絶には強固に反対します。
外国がどうだから日本もこうするべき、という欧米に対する無批判な追従だけは避けたいものです。
日本は日本で独自の価値観で判断すべきだと思いますね。ちなみに死刑囚の収容されるところは刑務所ではなく
拘置所だそうです。

279しましま:2003/09/21(日) 16:00
以前死刑制度には賛成と書きました。その考えは変わりません。
ただ、「執行人の辛さ」を思うと大変複雑です。
屠殺場で働いている人は、自分が殺す動物を絶対に食べられない、と聞いたことがあります。
(違う人もいるでしょうが…)
増してそれが人だったら、それは大変な苦しみでしょう。
でもやっぱり「こんなの生かしといていいのか?!」という感情が収まらない事があるのは確かなんです。

余談ですが、よく裁判で「被害者に対して○○円支払うよう命ずる」と判決が下っても、
実際にきちんと支払っている加害者は15%程度だとか…。
しかも、そうやって支払いを履行しないことに対する罰則はないと聞き、驚きました。
どこまで被害者は苦しめられなければならないのでしょうか?

280Ahura:2003/09/22(月) 01:00
プラトンの「ゴルギアス」だったと思いますが、死刑について、「犯罪によって劣悪化した魂を矯正するための刑罰だ」と
いう意味のことをソクラテスが語る箇所がありました。これは魂の不死を前提とした話で、いわゆる応報は死後
の世界で行われるから、現世においては死後の応報を軽くしてやるために、死刑によって犯罪者の魂を浄化するということで
しょう。プラトンは国家を教育機関として考えていたため、死刑もまた「教育刑」として位置づけられていたようです。
プラトンのような考え方は、「死後の応報」という信仰が崩壊してしまえば成り立たなくなります。
カントやヘーゲルが応報としての死刑を唱えたのは、この信仰の崩壊に見合っているように思えます。
刑罰は「野蛮な」応報刑から「進歩的な(?)」教育刑へと進化・発展してきたのだと死刑廃止論者はいいますが、実際は、「死後
の応報を前提とした教育刑」という考え方が無効化して、「現世において応報を行う」という発想に変化してきたのではないでしょ
うか。

281大谷金次郎:2003/09/23(火) 11:14
賛否に関する理屈は誰にでもあるとは思います。
だから僕はここでどうこうは書きたくありません。

端的に言って「意図的に他人の命を殺めれば死刑は当然」だと思っています。
またそれに準ずる過失(過失かどうか分からないけど、例えば飲酒運転による対物追突などによる致死事故)なども・・・
充分に死刑に値すると思っています。
やっぱり、何だかんだ言っても犯罪抑制にも役立つと思うし、意図的に殺人をする輩などは、更生云々考えるのはかなり人が良過ぎます。
加害者の人権より、被害者の人権や遺族の感情を充分に配慮すべきだと思いますが・・・。
よって死刑制度はあった方がいいと思います。

282草田男:2003/09/23(火) 11:52
死刑が廃止され重無期刑が導入されてしまうと
殺人事件の公訴時効が15年から12年になってしまう。
ただでさえ少ないのに更に少なくなってしまう。
18歳未満の少年には重無期刑が適用されない。
死刑のみならず他の罪が一段と軽くなる。

重無期刑の創設及び死刑制度調査会の設置等に関する法律案
第二の三の1
重無期の懲役又は禁錮に当たる罪についての公訴時効の期間は、十二年とするものとすること。(刑事訴訟法第二百五十条第一号の二関係)

第二の四の1
罪を犯すとき十八歳に満たない者に対しては、重無期刑をもって処断すべきときは無期刑又は有期の懲役若しくは禁錮を科するものとすること。この場合において、有期の懲役又は禁錮を科するときの刑は、十年以上十五年以下において言い渡すものとすること。

283胡桃:2003/09/23(火) 12:02
>端的に言って「意図的に他人の命を殺めれば死刑は当然」だと思っています。

殺意のある殺人とはいっても例えば通り魔のように一方的に加害者が悪い場合も
ありますが、よくある殺人について言うとその多くは顔見知りによる怨みなどが
原因の殺人だったりします。こうした場合、加害者が100%悪いと言えるのか
ちょっと疑問でそういう場合でもやっぱり死刑にするのはどうかなとも思います。
ここのサイトにある「栃木実父殺し事件」「現役映画女優愛人殺し事件」
「阿部定事件」ほかにもありますが、これらの事件の加害者を死刑にするのは
厳しすぎると思います。

それから、飲酒運転による交通事故死などの危険運転罪が適用されるような事故を
死刑にするという考えもまた同じように事故が起きた場合、運転者が100%悪い
とは限らないわけですよね。急に道路に飛び出してきて轢いた場合、酒を飲んで
いなくてもあるいはスピードを出していなくても結局事故になってしまった
かもしれないという例などもあり、こういうのも死刑にするのはどうかなとも思います。

それから犯罪の厳罰化はその効果があるというデータはありません。死刑についても
犯罪抑止力があるというデータは存在していません。単純に刑を重くすれば
犯罪が減ると思われがちですが、そうとは言い切れないようです。交通事故などは
特に危険運転罪など刑が重くなったことで轢き逃げ事件が以前より多くなったという
データがあるようです。

>加害者の人権より、被害者の人権や遺族の感情を充分に配慮すべきだと思いますが・・・。

加害者が死刑確定となったある事件でその被害者の遺族が加害者の死刑を望んでいない
というケースがあります。

死刑にはもはや被害者遺族の復讐心を満足させるだけの意味しかありません。
それだけの意味があれば充分といわれればそれまでですが。

284人権:2003/09/23(火) 14:52
281の方が言っておられるのは「明白な殺意を持って殺した場合は
死刑にされてもやむを得ない」と言う意味ではないでしょうか。
急に飛び出して来た人を避けられずに轢いてしまった(飲酒ではない)
ようなケースまで死刑にという意味ではないと思いましたが。

確かに抑止力を証明する確実なデータは無いかもしれませんが、逆に
抑止力は存在しないということを説得力を持って証明するデータもない
のでは。犯罪の増減には様々な要因が関っているのですから、死刑制度
の有無だけが決定的なものではないでしょう。

近代刑法においては「応報刑」の考え方は否定されて「教育刑」の理念
が導入されているのでしょうが、人間である以上<感情>から100%
自由になることなど不可能であって、ただ<応報的・非理性的な復讐心>
とのみ捉えることにはどうしても違和感を感じてしまいます。

285胡桃:2003/09/23(火) 18:54
>確かに抑止力を証明する確実なデータは無いかもしれませんが、逆に
抑止力は存在しないということを説得力を持って証明するデータもない
のでは。

つまり一般にデータないというならそれを説得力をもって証明しろ、
ということでしょうか? それよりも貴方のほうで抑止力のあるデータを
もってきて説明したほうが説得力があると思いますので、是非ともそういう
データをもってきてください。期待しています。

加害者が100%悪くなくても死刑にしていいのかどうかということを
聞くために交通事故の例を出したまでなのですが、そういうことが
分かっていないのかなと思ってしまいます。

286F:2003/09/25(木) 16:35
初めて書き込みます。
ここでは、死刑制度と無機懲役との差がありすぎる。
果たして死刑は、抑止力になるか、償いの意味があるか、
被害者と加害者の心情や権利をどう汲み取るか、
という点で話し合われているように感じます。

そんな中、私が兼ねてから思っている刑罰が一つあります。
それは人権剥奪です。
国家が国民に対して人権を認めるのならば、
それを剥奪することも可能なのではないでしょうか?
言い換えるならば、国家が加害者にたいして罰則を与えるよりも
社会が加害者に対して罰則を与えるというものです。

被害者が加害者に命を持って償って欲しいなら、
その人間を壊せば良いのです。人ではないのですから、
その加害者の保護者から器物破損等で訴えられるかもしれませんが、
相手は人ではないので殺人者になることはありません。

逆に犯罪に対して、同情の余地が多きければ、
社会は加害者を許容することでしょう。

287F:2003/09/25(木) 17:03
被害者の方がメディアの前や公衆の場で
「命をもって償って欲しい」と言う方がいます。
この「命をもって償う」これは言うならば、
国家に「この加害者を殺してください」
と嘆願しているのと同じではないでしょうか?

心情的には非常に理解できます。
しかしそれは個人の感情の意見であって、
国家や制度で補うものでは無いと思います。

私は死刑反対です。ただ、敵討ちなら許可しても良いと思っています。

288辻風:2003/09/25(木) 17:48
人権剥奪って、具体的にどういう事するの?
たとえば受刑者を町中に放り出して、「こいつは人権が無い」という札でもぶら下げて、
通行人になぶり殺しにさせるとか?
それじゃ、人道的に許される訳がないじゃないですか。
第一残虐すぎるし、そういうことをさせられる国民も非常に不快に感じると思う。
それは刑罰とは全く別の問題だ。
問題なのは、犯罪者も人間であるが故に、その罪を人間としてどう償わせるかであり、
だからこれだけ論争が巻き起こっているのであって、人間を家畜か何かとして扱うか
ということを問題にしている訳ではない。
それに、国家が人権を「認めている」訳ではなく、あくまでも人権を認めた人同士が
国家を形成しているだけのこと。だからその人権をより明確な物にするべく世界中で
人権擁護運動が行われていて、その中から法律が生まれるのだから。

289Katsu:2003/09/25(木) 18:04
>>287
適切な質問か自分でもわかってないところがありますが、
敵討ちというは、敵討ちに失敗したら、加害者は許されるのですか?
そのような加害者が、そのまま存在するのは構わないうことですか?

それに、やはり人権の剥奪って、具体的にどういうことなのか
わかりません。逆に人権が認められてないってことは、何をしても
罰されないということじゃないのかな?
そのために人権を認められる人が被害をこうむることもあるような...

勿論、人権を持つ人は抵抗するけれどね。日本のように、既に法治国家
として成立している国で、Fさんの言っている人権剥奪って、どうやる
のですか?
人権剥奪が可能なのって、独裁的な集団がリーダとして存在するような
場合でないとできないと思えています。

290人権:2003/09/25(木) 19:13
胡桃さんへ:
私は抑止力に関しては肯定も否定もできないのではないか、それ故
死刑制度支持の根拠としても有力なものとはならないであろうという
意味で申し上げたのですが。抑止力を証明するデータが存在するとは
言っていないつもりですが・・・

小生は基本的に死刑を支持しますが、その根拠の一つとして<抑止力>
を挙げることは困難であろうと考えています。率直に言って、この点に
関しては小生には判断しかねるという意味なのですが。

291人権:2003/09/25(木) 19:26
追伸:
274の方が言及されているサイト「また会う日まで」の
補足1で或るデータ(イギリスのものですが)が示されています。

292F:2003/09/25(木) 21:57
今回の発言は犯罪者の権利が認められ、保護されている現在、
人道的にゆるされないことをした犯罪者のみに適用される
このような刑罰があっても良いのでは?と考えた次第です。
たとえば人権剥奪の上、懲役30年というように。

実際問題現実的ではないのは重々承知しています。
ただ、こういう考えかたもあるのでは?という意見として発現しました。
>>288
国家の形成問題については、ここで論ずるつもりなはいのですが、
その考えではすでに追いつかない犯罪が起きているように感じます。
あと一つ聞きたいのですが、相手に確実な死を宣告する
死刑という制度は残虐ではないのですか?

>>289
加害者は唯一の生き残るチャンスをつかんだのです。許しましょう。(藁
スイマセン、言葉が足りなかったですね。ちゃんと推敲すべきでした。
ここでは、第三者に刑を執行させる制度としての死刑ではなく、
被害者当人が引き金を引くような形式のものとして書いたつもりでした。
あなたの発言にはそれだけの責任もあるのですよ、という意味で。

293胡桃:2003/09/25(木) 21:59
>小生は基本的に死刑を支持しますが、その根拠の一つとして<抑止力>
を挙げることは困難であろうと考えています。

最初からそう言えばよかったのでは?

前に貴方は他の人の意見はできるだけ理解するように務めますとか
そういうことを言っていましたよね。でも、貴方の書き込みを見ていると
理解しようとしていないのが分かります。私はできるだけ他の人の意見を
尊重し、実際はこうであるということを述べているのですが、じゃあ、
それを説得力をもってそうであるとかいうことを示せというのはどうかと
思います。少なくても私にはそういう風に言われた気がします。
ちゃんと読めばどういうことを言いたいのか普通は分かるはずですが、
そういうことがわかっているのかいないのか分かりませんが、
死刑の存在だけが犯罪が起こる原因ではないとかここで的外れな意見を
言われても困ってしまいます。そんなことは分かっていますよ。誰が
死刑の存在だけが犯罪の原因になっているとかって言いました?
加害者が100%悪くなくても死刑にしていいのかどうかということを
聞くために交通事故の例を出したまでなのですが、このことについては
何の意見もないのですか?

294バディ:2003/09/25(木) 23:16
余計なこととは承知の上、ひと言だけ言わせてください。
最近こちらを訪れるようになり、皆さんのご意見もようやくひと通り
目を通したばかりの者が、発言するのもおこがましいのですが・・・

特に犯罪や刑法について勉強したことのない私にとっては、皆さんの書き
込みは非常に勉強になることも多く、いろいろと考えさせられたりして
いますが、今のところ、自分の意見・感想を書き込んでみようという気に
なれません。なんだかここのトピックは、言葉じりを捕らえて論破したり、
揚げ足取りのような反論が目立つように思われ、不用意に発言できない
雰囲気なのです。
もちろん、本来「不用意な発言」自体すべきではないですが、以前どなた
かもおっしゃっていたように、考えを文章で表現して伝えるということは、
本当に難しいなと感じています。自分で何度も読み返しながら書いても(
今の私もそうですが)、誤解を与えてしまうことも少なくないでしょう。

そういうリスクも踏まえたうえで、(また以前の方の言葉をお借りしますが)
もう少し自由な発言が出来る場であっても良いのではないかと思います。
boroさんがこちらのトピを立てられた時の、「1」の書き込みを読む限り、
私はそう感じるのですが・・・

「ひと言」と言いながら長くなりました。大変失礼いたしました。

295Katsu:2003/09/26(金) 12:08
>>294
最近、発言するようになった私としては、気になるご指摘ですが、
パソコン通信時代から掲示板などに書き込んできた私としては、
考えを文章で表現するのは難しいということは実感しており、可能な
限り、文体や言葉遣いで判断するのではなく、何をおっしゃりたいのか
好意的解釈するように心がけているつもりです。

だからこそ、疑問に思うことは、問うべきだと思います。でないと
かみ合わない議論になるでしょうし。

後、大事なのは、カチンと来るような反応であっても、それは、
そういう風に受け取られる表現だったと自省することで、対処
するようにしています。

296辻風:2003/09/26(金) 12:18
>>295
俺も頭にきすぎて、未熟者なのに出しゃばってしまいました。すみません。
もっと勉強してから発言するべきでした。

町中でなぶり殺しがあふれるより、死刑の方がマシ、と思ったので・・・

297人権:2003/09/26(金) 16:39
胡桃さんへ:
どうしてそんなに感情的に反発されるのですか。
「死刑の存在だけが犯罪の起こる原因ではない」などとは一言も言っていませんよ。
発言してもいないことを取り上げてどうこう批判するのはフェアじゃない。

これ以上申し上げてもまた「理解していない」と仰るでしょうから控えます。
<縁無き衆生は度し難し>

298人権:2003/09/26(金) 16:53
一言だけ。
交通事故の件はそもそも281の方の書き込みに端を発しているわけですから
御本人に伺った方がすっきりするのでは。小生を問い詰めて論破してもあまり
意味が無いというか・・・

299胡桃:2003/09/26(金) 18:16
>どうしてそんなに感情的に反発されるのですか。

どうして感情的だと分かるんですか? 私はいたって冷静ですよ。それに感情的に
反発したとしてそれが何なんですか? 感情的になってはいけないんですか?
感情的だと勘違いされるような書き込みもしていないのにそういう言い方は
どうかと思います。

>犯罪の増減には様々な要因が関っているのですから、死刑制度
の有無だけが決定的なものではないでしょう。

同じこと言ってますよね。死刑制度に限定して話をしているのに
こういうのはどうかなと思います。どこか論点がずれていることを
言っていることに気がついていないのであればこれ以上話しても無駄でしょう。

>小生を問い詰めて論破してもあまり意味が無いというか・・・

論破? 私は貴方と議論したつもりはないです。疑問に思ったことを
そのまま書いただけです。誤解のないように。

300草田男:2003/09/26(金) 21:22
喧嘩腰の発言は止めましょう

301草田男:2003/09/26(金) 21:23
本人がそのつもりはなくても相手がそう思うのなら控えるべきです。

303小夜子:2003/09/27(土) 11:15
池田小児童殺傷事件の宅間守は死刑になりたいために犯行に及んだと考えていいのでしょうか?
死刑になりたいためということが本心なら死刑制度はやはり考え直す必要がある時期にきていると思います。
こんな事件はめったに起こらないから、ということで済ませていい問題でもないように
思ったりします。法務省としてはもう少し様子を見てみたいといったところなのかも
しれませんが、、、、、。

304st:2003/09/27(土) 11:39
>>303
逮捕直後の彼の発言には「自分はどうせ死刑にはならない」とか言っていた
という報道も見ましたし、過去にも彼は何度か傷害事件等起こしていますが、
精神病者として刑罰を免れています。恐らく彼は強度のソシオパスで、少な
くとも逮捕前後までは、自分は世間をだしむいて死刑を免れると思っていた
可能性があるように感じます。

ただ、現在の彼の心情はどうなのか、僕にはちょっと図りかねます。本気で
死刑を恐れていないのか、悪役として最後を迎えるためのやせ我慢なのか、
いずれにしても改悛の情は今の所全く見せていないらしいですが、、、
皆様はどう思われますか?

305山口虎美:2003/09/27(土) 15:10
st氏のおっしゃるとうり、刑法を独学したり、精神科への逃げ込みなどから、精神
分裂もしくは心身耕弱と判断され死刑は免れると本人は思っていたかもしれません。
だから、1審の死刑判決を受ければ、即日控訴するだろうと思いました。大方控訴
は間違いないと思っていたのではないでしょうか? でもしなかった。
でも、なぜ控訴しないのか?と言う事よりも、なぜあれだけの児童殺傷事件を起こ
したのかという明確な、犯行に至る心情を掴めていない事のほうに疑問が残ります。
当然、常人では想像できないような精神状態になっているのでしょうが、何か、
「ああ、そうだったのか」というような直接的な動機が隠れているのかもしれない
んですよね。範疇分けすれば、「快楽型」というわけでもなく「激情型」のはず。
激情型であれば、明確な犯行に至らせた「動機」があるはず。
話は逸れましたが、「自暴自棄」の極型が今の宅間受刑者だと思います。
彼とコミュニケートできる人間がもしいたとしても、止める事は出来なかったので
はないでしょうか?

306人権:2003/09/28(日) 03:04
別段感情的になっていけないとは思いませんが、論点をそらしている
という御批判は如何なものか。

貴殿は以前にも「事実はこうだと言っているにも拘らず人権とやらは
同じことばかり繰り返している」と批判されていましたが、仰るところの
「事実」というのはあくまでも貴殿がそう判断されたものであって、
見方が異なれば必ずしも事実かどうか判らないのではないですか。

もちろん小生の主張していることもあくまでも個人が判断した結果に
過ぎないわけで、普遍的な真実とは限らないことは言うまでも無い。

「ずれている」のであれば是非具体的に御指摘願えませんか。
この掲示板は確かに議論することだけが目的ではないと思いますが、
時として議論になってもそれはそれでかまわないのではないかと思って
います。

307Kyle:2003/09/28(日) 04:15
このスレッドの初期に、ふと思いついた個人的な疑問を投稿したところ、
“(思考が)ズレている”と指摘されまして書き込みを控えてきました。
それはそれでもうよいのですが、
ちょっと気になる記事を見かけましたので再度書き込みさせていただきます。

このスレッドでも紹介された『死刑執行人もまた死す』というサイトです。
http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/index.shtml
皆さんもすでにご覧になられたかと思いますが、
このサイト内のあるページに、補足として
“倉田靖司 「イギリスにおける死刑廃止」 研修 565号 58-59頁 (1995年)”が取り上げられ、
それによると、
“ホミサイド(謀殺、故殺、嬰児殺)認知件数の人口100万人あたりの人口比すなわち「発生率」は、
死刑廃止から1993年までの23年間で6.8から11.8へとおよそ倍近い伸びを示している”とのことです。
同時に、それ以外の犯罪も今日まで増加の一途を辿っており、
このサイトの管理人曰く「全国の刑務所は過剰収容に苦しみ、
市民は犯罪被害への恐怖にいらだち、
各政党は犯罪対策を重要な選挙公約に位置づけざるをえない状況になっている」そうです。

また、イギリスにおける死刑廃止から現在にいたるまでの流れを見てみると、
1965年の期限付き死刑廃止法案Murder Act(通称“65年法”)可決から、
1969年の正式な死刑廃止、そして1998年「犯罪および治安紊乱法」の制定によって
名実ともに死刑全廃にいたるまで、ほぼあらゆる時期において国民および一部の議員は
かならずしも全面的に死刑廃止に賛成しているようには(僕には)思えないのです。

もちろん、だからと言って
これらがただちに死刑肯定の理由になりうるとは思いません。

しかしながらわが国の一部の政治家および死刑反対論者の方々が言われる、
「死刑制度をなくしても犯罪の発生率に変化がなかった」という意見の根拠は
どこにあるのだろう、と――
また“EU諸国の市民のアンケートで現在の死刑廃止の状態に賛成が多数を得た”という情報に対しては、
“本当に!?”と、僕は(ふたたび)ふと疑問に思ってしまったのです。
それとも、僕がここに書いたイギリスの犯罪発生率や完全廃止に至るまでの経緯等は
まったく根拠のないモノもしくは誤り(?)として遠の昔に否定されたことなでしょうか。

僕個人は(以前も言いましたように)現状におけるわが国では死刑存続やむなしと考えています。
その理由は、こちらで皆さんが述べれているものとほぼ同様です。

どなたか僕の疑問に答えてくださる方はいらっしゃいませんでしょうか。
マチガイならマチガイで、かまいませんので。
長文レス、失礼いたしました。

308Kyle:2003/09/28(日) 04:26
>>307
訂正
“皆さんが述べれて”×
“皆さんが述べられて”○
失礼いたしました。

309人権:2003/09/28(日) 16:41
Kyleさんへ

以前ある日本人に殺されたイギリス人女性の事件で投稿したことが
ありました。彼女の父親の記者会見での発言「冤罪の問題等がある故
一般的には死刑に反対だが、娘を殺したのがこの○○であると疑いの
余地無く確実に証明できるのであれば今回に限っては死刑を望む」
を取り上げて少々書き込んだように思います。

結局この方(ブラックマン氏でしたか)も死刑に賛成していることに
なるわけでしょう。かといって廃止論者がすべて氏のように自分自身
に降りかかってきた時に容認論者になってしまうとも断言できないと
思いますが。

すでに書いたかも知れませんが、アムネスティ等が死刑執行の度に
抗議声明を出して「国家権力による殺人行為」を非難しています。
いつも思うのですがあらゆる殺人を認めない立場から廃止を主張
されるのであれば、私人間の殺人行為についてもそれを確実に
減らすことができ最終的にはなくせるような具体的な施策・方法が
示されなければ不公正だと思うのですが・・・。でなければ被害者の
生命は保証されないが、殺人犯の生命は如何なる場合でも保証される
ことになるわけですから。

310人権:2003/09/28(日) 23:33
私もこの前「死刑執行人もまた死す」内の補足(Kyleさんの仰っている)
を読みました。Kyleさんの疑問はもっともだと思います。そのデータが
充分信頼するに足るものか否かは私には即断できませんが、少なくとも
全否定はできないのではないでしょうか。

311トシ:2003/09/29(月) 16:37
みなさまはじめまして。
とても興味深い内容だったので思わず書き込みさせていただきました。
僕も死刑制度には賛成なのですが、最近無くていいのか?またはない方がいいのか?
と、凶悪犯罪の裁判などを見る度考えるようになりました。
先日の裁判での遺族の言葉で「生きる価値も無ければ、死ぬ価値もない」と言っていたこと。
なんだかいろいろ考えさせられます・・・。

312正義漢:2003/09/29(月) 21:32
私が初めて死刑(制度)について身近に感じたのは、加賀乙彦さんの書いた「宣告」を読んだ高校1年生の頃でした。その時に感じた死刑に対する捉え方は20数年たった今もあまり変化がありません。その時私は死刑に処される一人の男の側に立った感じ方をしたように思います。この「宣告」という小説のテーマは犯罪を犯した人間の人間性の回復だったと記憶しているのですが、私には「死」を恐れない境地に至った主人公と自分を重ね合わせることができず、「死刑になるのはイヤだ」というかなり単純なものでした。みなさんの意見とはちょっとずれている書き込みですが、極私的な「死刑制度に関する一言」です。

313ケン:2003/09/29(月) 22:44
人が作ったルールから逸脱している人に対しての刑罰の一つとしてある死刑という制度。
考えてみれば、それは自然界の中でも特別珍しいことではないはずです。
群れのルールから逸脱した行動をとる存在は群れから排除されることは珍しくありません。
単純に強者から捕食され搾取される場合もあることでしょう。

凶悪犯罪に対して行われる制度、「死刑」を刑罰として考えるから結論が出にくいのではないでしょうか?
そのものが隣人として存在することが許されなければ、それは排除されて当然のように思います。
こう書くと他の人からは「人は動物ではない」と言われそうですが、私にはそんなに差があるとは思ってません。

私にとって死刑は、死を持って償うのではなく、
隣人として許されない相手に対して行われる罰と考えます。

314人権:2003/10/10(金) 01:09
群馬の女子高生拉致殺害事件の判決が出ましたが
「計画的でない」「被害者が逃走するなど予想外の状況で起きた
偶発的な犯行」などとして結果は無期懲役。

「犯人が人を殺すのは簡単だが、国が人を殺すのは難しい」との
釈明。言い訳するくらいならそのような判決を出さなければいいのでは。
正に被害者の父親が仰るように「犯人の命の方が大事なのか」と言いたく
なります。

「被害者が逃走」しようとするのは当然でしょう。まるで被害者に
落ち度があるかの如き発言ですね。

「謝罪している」「反省を期待する」とも言っているようですが
釈然としない思いが残ります。

315loveless:2003/10/11(土) 02:49
>>314
裁判長が変な言い訳をして、後を濁してしまいましたが、
最近の日本の判例を見ても、極刑は難しいかなと感じました。
司法の公平性は、何よりも重んじられるものと思います。

とわいえ、、
思えば、「国立主婦殺人事件」の検察側の上告が最高裁で棄却された時点で、法曹界では、
被害者が1人の場合はどんな残酷な事件であっても極刑とすることはできない、
というような変なコンセンサスができてしまったのかなあと思っています。

いちおう、最高裁は、被害者が一人の場合でも死刑がありうる
との判断も示したらしいけど、この国立の事件より残酷な事件は
そうそう無いような気が。。。

316一生活者:2003/10/11(土) 09:26
>>314,315
群馬女子高生拉致殺害事件判決と同じ日に死刑が求刑された、
三島女子短大生焼殺事件の判決が気になりますね。
新潮45でルポを読んだのですが、事件のあまりの残虐さ、悲惨さに衝撃を受けました。
被害者の受けた恐怖感、そして被害者家族の憎しみや悲しみは、判決に反映されるのでしょうか。
被害者の人数のみで極刑が回避されるというのは、納得できないのですが・・・。

317人権:2003/10/12(日) 00:53
結局「判例」と「相場」によって決められている面があると思います。
(一説では求刑の8掛けだそうです)
316の方の言われるような<恐怖感><憎しみや悲しみ>は
むしろ「理性的な判断を妨げる」として忌避されているように感じられ
ます。法曹界の方々は<情>というものを非常に嫌悪されるようですね。
(少なくとも量刑判断する場合にはという意味ですが)

今回のように殺されたのが1人であっても身代金目当ての誘拐殺害事件
の場合従来は死刑が選択されることが多かったように記憶していますが
「計画性がなく、偶発的」だとの理由で無期になったのかも知れません。

もちろん、殺された方にとっては「計画的」であろうとなかろうと
何の関係もないわけですが・・・

318無常:2003/10/12(日) 12:27
 はじめまして。
 団藤先生の『死刑廃止論』を第三版の頃から読んでいます。
著者が最高裁判事で陪審として死刑囚の上告を棄却した折、傍聴席から飛んだ
「人殺し!」という声から模索がはじまったという名著です。
被害者になって殺されるという立場や、被告人になって死刑宣告を
受けるという立場に立つことも稀有なことですが、裁判官にまでになって
「人殺し」呼ばわりされるのも、一般人には想像を絶する世界だと思います。 

 今の世界が欧米の価値観を一応『主流』とみていて、
その根底はキリスト教博愛主義から出た自然権思想ですよね。
日本の法律は憲法も刑法も刑事訴訟法も、ルーツは英米や
ドイツから持ってきたもので、憲法の根本的価値なんか正に自然権
思想そのものだと思います。
 いくら明治維新、大戦後と欧米の価値観を取り入れて社会を構成しても、
あちらのように、神様はただ一人で真実は神のみぞ知るという考え方は、
日本人には中々受け入れがたいのではないでしょうか。
 真実は所詮人間には分からないのだから、人間はせめて手続きだけ
精一杯やろう、というあの精神は特に。
「犯人が人を殺すのは簡単だが、国が人を殺すのは難しい」という言葉は、
日本人でありながら、法律に則して制度を扱わねばならぬ裁判官の叫びにも聞こえます。

現状が裁判は仇討ちの場でない以上、裁判制度に応報観念を持ち込んで
議論しても、あまり意味のないことだと思います。
では「野蛮国」と呼ばれようと江戸時代に戻って、日本独自の価値観で
社会を構成し直すといっても、それももはや無理でしょう。
ここまで浸透した欧米文明・文化をすべて捨て去る決意は私にはできません。

結局のところ、大半の日本人にはいまいましいキリスト教博愛主義『汝の敵を愛し、
迫害する者の為に祈れ』ってやつと折り合いをつけるしかないのではと思っています。
かの考え方では、犯罪者の命も被害者の命も優劣はなく等価値であり、苦楽生死
等しく感謝なのですから。(その辺は仏教の無常思想とも通じますね。)

 なお被害者感情、『犯人を殺してやりたい』という遺族の気持ちは、
人間らしい自然で当たり前な感情だと思います。ただ、第三者は
内心の想像に留めて外にこれを語るべきではないと私は思います。
死刑が議論されるような犯罪は、そもそも想像をはるかに超えたところにある事実ですし、全く関係のない他人が事件の加害者に憎悪を掻き立てたところで、被害者やその近親者が癒されるわけではないと思いますから。
 自分にできることといえば、こうした人たちの悲痛な叫びを黙して聴き、
悲しみを共有することくらいではないかと思うのです。

319人権:2003/10/12(日) 13:44
無常さんへ:

「日本人でありながら、法律に則して制度を扱わねばならぬ」
とは、つまり日本人には法治主義はなじまないという意味ですか。
キリスト教国以外の人間は法というものの精神が理解できない
と仰りたいのでしょうか。

本当に欧米諸国では「犯罪者の命も被害者の命も優劣は無く
等価値である」と考えられているのでしょうか。
小生は欧米の事情には疎いですが、例えばアメリカはどうなんでしょう。
廃止論者の方々からは「死刑大国」と呼ばれているように死刑制度が
存在していますよね。一口に「欧米」とは言えないのでは?
貴殿の言われる「欧米」とは端的に言えば「EU諸国」ということでしょう。

「全く関係のない他人が加害者に憎悪を掻き立てたところで、被害者
やその近親者が癒されるわけではない」
第三者は議論してはいけないということでしょうか。
確かに情緒的な議論は避けるべきですが、自分自身が被害者・加害者
になった場合を想定して発言するのは別段問題ないと思いますが。
そもそも「被害者が癒される」とは?どうすれば本当に「癒される」
のでしょう。

貴殿のお考えでは、結局のところ日本がキリスト教の価値観を受け入れ
ない限りこの問題の解決はないという結論になってしまうのでしょうか。

320人権:2003/10/12(日) 13:58
追伸:

別に無常さんを論破するとかそういったつもりではなく、ただ
非キリスト教徒としての素朴な疑問を書き込んだに過ぎません。
御寛恕のほどを。

321無常:2003/10/12(日) 22:25
人権さん。ご質問ありがとうございます。
私も非キリスト教徒です。神道、仏教を含め特定の信仰を持っていません。
これは私の悩みで、答えは持っていないのですが、
素人が趣味で法律の勉強を始めたら、すればするほど
欧米と日本の価値観に差があるように思えたのです。勿論私は、の話で
他の方々がどう感じるかはそれぞれだと思います。

 言葉を選びますが、欧米のいう法治国家つまり法の下の平等という考え方には
私を筆頭に私の周囲の人には馴染み難いと思うのですよ。
決して馴染まないと断言はしません。
大陸法、英米法に共通するあの自然権思想も理解しにくいと思います。
理解できないとは思いません。ただ彼等よりは疎いし遠い存在だと。
勿論、キリスト教徒の中にも異教徒排除の歴史はありましたし、彼らすべてが
博愛主義だなんて私も思いません。今日彼ら、特に米国を見ても明白ですしね。
 
 米国は州によっては廃止州もあるので何とも言えません。
死刑に立ち会う遺族もいれば、死刑囚と和解を進める遺族もいて
あの国らしいなぁとは感じます。

 色々解釈があるとは思いますが、例えば例の児童殺傷の死刑囚と自分の命が
等価値だと言われたら、誰だって冗談じゃないと反論したくなると思います。
 立つことも歩くことも喋ることもできない重度の障害者と、バリバリ仕事を
こなして稼いでいる人の命が等価値だと言われたら、これも別の意味から反論が
あると思います。でも、キリスト教の根本精神では等価値です。
「神の目には罪は見えぬ、唯人が見えるのみである」
「罪を憎んで人を憎まず」「私にとってあなた方すべてみな等しく素晴しい」
こういう思想、つまり人間は存在するだけで価値があるという考えですから。
あの神様は最終的に人間に優劣をつけないのですよ。
私もそんな考え方本当のところ自分が理解しているとは思っていません。
 また、もしすべての人間がこんな価値観を実践したら、それこそ人間=神様に
なって法律も不要になると思います。
でも、この価値観を内に持っている人が多いか少ないかで、随分と社会の
様相も変わるのではないかと思います。

 自然の中に八百万の神様が存在してきた日本の考え方に則して、法治国家
をつくることは可能だとは思いますが、おそらくイスラム法のように、米国
や欧州からは理解してもらえないでしょう。彼らの実際はそこまで博愛でも
寛容でもありませんからね。
 私にはとてもそうした日本固有の価値観で社会を構成しなおすことは
是非はともかく、ちょっと具体的に予測できません。
(続きます)

322無常:2003/10/12(日) 22:27
第三者は議論してはいけないとは思いません。死刑の存置、廃止については
大いに議論したらいいと思います。ただ被害者感情に自ら立ってということで
議論するかしないか、と言われたら私はしないほうを選択する、それだけです。

被害者がどうすれば癒されるのか?
被害者でもない私が軽々に論じてはならないことを前提に、敢えて考えると
私は加害者が死刑になっても、世間が同情してくれても決して癒されないと思います。
奪われた命は元に戻ってこないのですから。

そして怒りや恨みをおろさない限り、心の平和は訪れないと感じています。
多分、そこまで至るには他人には想像もできない苦しみがあると思います。
でもアメリカには加害者と融和するための遺族団体があるのをご存知ですか。
日本でも富山長野連続女性誘拐殺人事件で娘を奪われた母親が、
娘の命を奪った死刑囚の加害者との交流を通じて、死刑廃止を訴えています。
神戸須磨児童連続殺傷事件で愛娘を奪われた母親の手記は、最後は「加害少年を
抱きしめる」で締めくくられています。

一方でそういう遺族の方もおられるのです。
彼らの話を聞くと、憎悪の中で狂ってしまいそうになり、このままでは自分も
残された家族も崩壊するという八方塞の状況に至って、初めて犯人を赦す道を
選択したといいます。「赦し」を「許し」と混同されるむきもありますが、
「赦し」とは決して譲歩して大目に見ることでもなければ、無かったことに
することでもありません。その原点は、これまた相手を等価値の人間として
認めることだと思います。

大変困難で勇気のいることだと思います。
お前の肉親の命が奪われて犯人に対し同様の感情を持てるのかと問われれば、
私は持てない可能性のほうが高いと答えると思います。
でも、「加害者をこの手で殺したい。」と呻く遺族と、加害者を赦す道を選択した遺族を
比べて、どちらが癒されているのかと問われれば、後者であると答えざるを得ません。

 以上、無力な自分が偉そうに私見を述べさせていただきました。
人権さんの素朴な疑問は、私の中にも沸々と存在しているものです。
ですから答えになっていませんが、お互い何かヒントをつかめるといいですね。
文中に出した書籍を記しておきます。もし未読でしたらご参考までに。

団藤重光『死刑廃止論(第六版)』有斐閣
刑法の大家、団藤先生の本。法律の知識がなくても読めます。存置、廃止両論者に有意義な内容だと思います。
彩花へ ― 「生きる力」をありがとう, 著者 山下 京子. 発行 河出書房新社
ベストセラーですね。とにかく凄い内容の本でした。

323人権:2003/10/13(月) 02:23
無常さんへ:

丁寧な御回答ありがとうございます。傾聴すべき御考えだと思います。

確かに欧米の思想・理念を今更否定するのは現実的ではないでしょう。
小生自身の価値観の中にも厳然として存在します。
ただ、「神の前の平等」と言われますが、仏教においても「仏の前
では全ての人は平等」とされますし、イスラムでも多分そうではないか
と想像します。

「欧米と日本の価値観には差がある」のはその通りでしょう。
でもそれはあくまで<差・違い>であって、どちらかが<上>で
どちらかが<下>というような<優劣>の問題ではないでしょう。

「いまいましいキリスト教博愛主義と折り合いをつける」
「米国や欧州からは理解してもらえない」
キリスト教的価値観を高く評価される(と少なくとも小生には思える)
貴殿の見地からすれば当然の発言でしょうが、「理解してもらえない」
のは専ら日本人のせいなのでしょうか。ひたすらこちらが理解しなくては
ならず、一方欧米人の側で理解する努力は必要ないのでしょうか。

貴殿は些か欧米的価値(=キリスト教文明)を高い次元に置きすぎる
ように感じられます。
上でも述べたように我々もその恩恵を蒙っていることは否定でき
ませんが、その他の価値・文明をやや低く見なされているように
思われますが・・・

現実問題として敢えて単純化していえば、廃止論とは
「殺される方(=被害者)の命は保証できないが、殺す方(=加害者)
の命は必ず保証する」
こういうことになるでしょう。よく廃止を唱える方々(例えばアムネスティ
等)が「国家が人を殺さない社会」「人が殺されない社会」を目指す
べきである、と言われます。

でも、ではどうすれば「人が殺されない社会」が実現するのか一向に
実効ある具体策は示されません。これでは不公正ではありませんか。
(続く)

324人権:2003/10/13(月) 02:49
法律を学んでおられる貴殿は既に御存知のことでしょうが、死刑制度
の問題に限らず、我が国の刑事司法においては被害者が全くといっていい
ほど司法の現場から排除されています。裁判一つをとってみても、
公判の期日すら通知されない、いつ服役を終えて出所するのか等の情報が
被害者側には知らされない(通知されていれば防げた可能性大の殺人事件が
ありました)、法廷においても単なる傍聴人として正に「傍聴」するしか
なく、被疑者の供述調書を見るためには別に民事訴訟を起こすしかない等等
被害者の権利が蔑ろにされています(最近になってようやく多少は改善され
てきたようですが)。

廃止された国々ではこのあたりのことにも相当配慮されていると
聞き及んでいます。
このような状況を改善することなしに、廃止だけを主張されるのは
あまり説得力はないのではありませんか(無常さんがそうだと言っている
わけではありません)。

325人権:2003/10/13(月) 03:09
無常さんの仰る「赦す」ということは小生にも少しはわかるような
気がします。

でも、どうして既に嫌というほど残酷な目に遭って打ちひしがれている
被害者側にばかり崇高さを求められるのでしょうか。
加害者にも同等いやそれ以上のレベルが求められるべきではありませんか。
どんなことをしても癒されないとするならば、せめて極限までの正に
死ぬほどの努力・苦闘が殺した側に求められてしかるべきだと思います。

アメリカの例を引用されていますが、所謂「修復的司法」のことでしょうか。
小生も賛成です。ただ、その実現には相当の困難が伴うことが予想され
ますが。

先にも述べたように、論破するなどと構えているわけではなく、無常さん
も仰っているように何かのヒントでも得られればと思っているだけです。

326無常:2003/10/13(月) 18:12
人権さんへ。
ご意見ありがとうございました。人権さんのご趣旨はよくわかります。

全ての人は平等である、という思想はイスラムにも
仏教にも共通しているのは知っています。私にはその中でキリスト教が最も身近でした。
私もこの時代に生まれ育った人間ですから、欧米の価値を優位に置いていると思います。
疑問は持っていますが、それが一応世界のスタンダードであると。
どこかである程度その価値に身を委ねなければ、今の世界で国家も個人も不利益を被る。
そう考えているのでしょうね。これは私個人の限界です。優劣をつけているように
みえたらお詫びします。

もし死刑が廃止されるならば、人権さんのおっしゃるとおり単なる廃止だけでは問題は
済まないと思います。存置にしても廃止にしても、周囲では沢山の仕組みが
用意されなければなりません。これは大事なことだと思います。

『被害者と加害者の人権をシーソーの両端にのせて比べてはならない。』
私はこう教わったとき、どうして?と思いました。
殺された人と殺した人は、命を奪われた、奪ったという関係なのだから
同じ土俵で人権を比べて何が悪いと。今でも心のどこかでそう思っています。

被害者の人権は加害者に侵害され、
加害者=被疑者・被告人の人権は国家権力によって侵害される。
人権の侵害主体が異なるものを比べても、例えばお湯による火傷と
炎による火傷のどっちが熱いかを議論するようなものだというのです。

私が法律論という理屈では人間の心の傷は救えないなと感じる所以です。
(続く)

327無常:2003/10/13(月) 18:13
人権さんのおっしゃる「修復的司法」も含めて、これからは被害者を
社会全体で支えてゆく仕組みが必要だと思います。
私自身は犯罪被害者の救済は司直とは別の分野、例えば医療、心理、宗教、など
被害者とそれをサポートする人々によって為される方が有効だと思っています。
癒しは国家機関よりも民間のあまり経済性に拘らない組織がして、国家はそれを
経済面のみで援助する、それが相応しいような気がしています。
癒しは他人によってはなしえず、自らによってのみなしうると思っているからです。

昔、京都の禅寺であるお坊さんが
「教育というものは、自分に対してしかできない。」と話しているのを聞きました。
被害者の方に崇高なものを求めているように見えたら、それは私の傲慢です。
被害者の方が憎悪と怨恨に苛まれるのは当たり前です。それを赦しが救うかどうかは
被害者自身の勇気と選択によるものであり、私のごとき第三者が求めるのは
まことにおこがましいことだと思います。
ただそういう方もおられるという事実に、私は勇気をもらいます。
人間の強さを感じます。でもだからといって弱い人間を卑下するつもりは
毛頭ありません。私もその弱い人間のひとりですから。

328無常:2003/10/13(月) 18:16
私の大前提は、加害者も含めて「他人は変えられない」です。
そのうえで、自分には何ができるか。それを考えたいと思っています。
あれだけのことをしたのに、これだけのことをしてやっているのに、
という「のに」言葉を私は使いたくありません。(勿論他人が使うのは自由だと思います。)
私の場合、「のに」が出ると見返りを期待して行動している自分に辟易してしまうのです。
(勿論他人が見返りを求めて「のに」を使っているなどとは思いません。
あくまで自分自身の内の問題です。)
加害者が過去を悔悟し、贖罪の意思をもって更生して欲しいと心から願いますが、
結果について自分は評価する立場にないと思っています。

自分にできることはただ、自分の無力を認め、投げ出すことなく努力すること。
それだけだと思っています。

こうして私見を述べているのも、人に意見するというよりは
自分の頭の中を整理したいからなのかもしれません。

存置論も廃止論も、犯罪を少しでも減らし世の中の幸福を少しでも増やすことを
願っていることにかわりはないと思っています。
人間は成長し、そういう未来に向かって僅かでも前進していることを信じています。

(すみません、ひとつ上にレスしてしまいました。長々とごめんなさい)

329loveless:2003/10/16(木) 01:46
無常さん、人権さんの議論の中でひとつだけ気になった点がありました。
それは「すべての人は平等である」という思想についてです。

このスレでも、死刑存廃問題は宗教観が根底にあるのでは?と
疑問を持ったこともあり、この平等思想についても各宗教で違いが
あると思っています。

キリスト教では、人が平等なのは、唯一絶対の存在である神から
等しく命を与えられたということに起因していると思います。
この思想を発展させ、神から与えられた権利は神以外が冒すことが
できないという発想、すなわち、生まれながらにして人はみな
等しく人権を持ち何人も侵すことができないという近代的基本的人権
の発想へとつながるものと考えます。

一方の仏教では、人が持って生まれた魂は平等であり、
人はみな(悪人や女性であっても)精進すれば解脱して仏になれる
というものだったと思います。逆説的には、魂は平等であるけども
人は前世からの宿縁により、美醜や才能、身分、財産などの差が生じてしまう
こともまた受け入れざるを得ないというものだったはず(ちょっとうろ覚え)
また、たとえば、殺人などにより、ある人が殺されてしまった場合も
その人は前世からの宿縁により、その殺人者によって殺される
縁であったと説いていたような気がします。
(その人は殺されることで業(カルマ)を減らし、来世では現世より
 上位の存在として生まれ変わる。殺人者は逆。この辺りの仏教観に
 ついては、手塚治虫氏の「火の鳥」がわかりやすいです)
つまり、どちらかというと因果応報の考え方が強いのではと思います。

イスラムはよくわかりませんが、特に女性の人権についてはキリスト教
世界から考えると著しく人権を損なっていると考える人もいます。しかし、
彼らにとっては、コーランに定められた戒律は絶対のものであり、その中で
の女性の人権は彼らの中ではまったく問題ないはずです。

また、インドのヒンドゥーではカースト制度を基盤としているので、明確に
人々の人権に差があります。インドでは上位のカーストの人が下位のカースト
の人を殺しても罪が軽くなる傾向があると聞きます。

では、肝心の日本はどうかというと、、、
よくわかりません、この国の宗教観は 笑)
(織田信長が比叡山を焼き討ちしちゃったからなあ)

とにかく、人権の考え方やそれに付随する国家による個人への罰則
についてはその社会の宗教観が色濃く出ているように感じます。
ここを考えずに安易にアムネスティなどの意見に同調するのは
危険と思います。

330人権:2003/10/16(木) 03:18
無常さんとの意見交換を通じて私自身の認識も少しは深まったかな
と思っております。

無常さんも疑問に思っておられる<人権シーソー論>私も以前どこかで
読んだことがあり、その時も釈然としない思いがありました。
<加害者の人権は国家権力によって侵害される>
そうでしょうか。
「被害者を殺傷した時点でいわば自動的にそれまで保持していた人権
を失ったものと見なされる」
小生はこんなふうに考えていますが(多分法的には論理的でないの
でしょうが)。

確かに現行の刑事司法においては「加害者vs国家」という図式で審理
がなされており、そこには被害者の関る余地はほとんどありません。
<シーソー論>はこの図式を基本的には支持しているのでしょうね。

無常さんはそうではないと存じますが、廃止を唱える方々の一部には
必要以上に「国家権力」を否定的に見なされる方がおられるように
思います。確かに「国家権力の横暴」は存在しますし、それに対抗して
人権を守るための戦いが求められることもあると思いますが、ややも
すると過剰に敵視するかの嫌いが無きにしも非ずのように感じる時が
あります。

私も死刑という刑罰(残虐だとは思いません。自らが犯した罪業に
比べれば絞首刑が<残虐>だなどとはとても言えないでしょう)が
執行される必要のない時代が来ることを祈っております。

331しッド・ツェッペリソ:2003/10/18(土) 15:28
>329
横レス失礼。発言の主旨に異論などコメントを加えるものではありません。

>人は前世からの宿縁により、美醜や才能、身分、財産などの差が生じてしまう
>こともまた受け入れざるを得ないというものだったはず(ちょっとうろ覚え)
>また、たとえば、殺人などにより、ある人が殺されてしまった場合も
>その人は前世からの宿縁により、その殺人者によって殺される
>縁であったと説いていたような気がします。
>(その人は殺されることで業(カルマ)を減らし、来世では現世より
> 上位の存在として生まれ変わる。殺人者は逆。この辺りの仏教観に
> ついては、手塚治虫氏の「火の鳥」がわかりやすいです)
>つまり、どちらかというと因果応報の考え方が強いのではと思います。

仏教といってもいろいろありますが、ここで輪廻転生を基盤とする死生観は、「仏教」というよりもインド固有の死生観(ブラフマニズム〜ヒンドゥイズム)に由来するものと思います。
ブラフマニズム〜ヒンドゥイズムの主流が基本的に差別肯定に傾いたのとは逆に、仏教・ジャイナ教などがカーストによる差別を無意味だとしたのは確かです。
ただ仏教・ジャイナ教は修道に対する方法論を早くから合理的に確立しようという傾向が強く、
その観点から見ると「カースト」等の違いが修道にとって何ら本質的な意味を持たない、と考えたからこその「平等思想」だと思われています。
要するに「解脱の前での平等」といった感じですね。

>イスラムはよくわかりませんが、特に女性の人権についてはキリスト教
>世界から考えると著しく人権を損なっていると考える人もいます。しかし、
>彼らにとっては、コーランに定められた戒律は絶対のものであり、その中で
>の女性の人権は彼らの中ではまったく問題ないはずです。

よく言われる「一夫多妻制」その他の女性をめぐるイスラムの戒律は、夫を失った寡婦を男性による暴力や経済的困窮などから守ることが目的であったようです。
一夫多妻をする場合には、夫が妻の扱いに差別を設けることは禁じられています。妻たちに平等に愛情を注ぎ、妻たちの生活を保障できる力がなければ一夫多妻は認められなかったのです。
「肌を見せない」といった部外者には理解しにくい戒律も、性暴力から女性を守るのが目的だったと聞いたことがあります。
職業を制限するのも、事実上「売春」をできないようにするためだ、とかね。
自由と平等の名の下に社会的弱者をほったらかしにしておく欧米風「人権」などお笑い種だ、とイスラム圏の人が考えても不思議はないでしょうね。

332草田男:2003/10/23(木) 00:19
私が被害者家族になった場合絶対に加害者に死刑を望む。
この気持ちは変わらないと思う。
加害者が死刑になっても失われた命は帰ってこないが加害者が生きているという事実よりは
いい。
この考えが逆の被害者家族もいるのだから両方に対応できる体型にすべきである。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板