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売買春の是非について語れ!
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なにわともあれ、売買春の是非について語れ。
この場合の是非は「非合法だからダメ」というオチはなしで。
「非合法」をタテに取るなら「なぜ非合法である必然があるのか」を語れ。
「合法」を目指すなら「合法である必然」を語れ。
・倫理/道義上の問題とするなら、宗教観を明らかに
・売り買いOKとするなら、その根拠を明らかに
・禁止/許可いずれも、その「必然と根拠」を明確に
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>>710
慧眼ですな、早速大当りです(爆笑
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>>708三毛猫ナナさん
>『個々の内面に干渉しなさい』とは言ってませんよ。
>愛国心スレでも売買春スレでも、その点の事は繰り返
>し述べていますしね。
まさに同じことだと思います。
愛国心だって強制するものでは無い。
日の丸や君が代だって同じです。
それらに敬意を払いたい人には払う自由があり、
思想信条から敬意を払いたくない人に払わなくてもよい自由がなければならない。
武蔵さんだってこの考えには賛成してくれるはずなんですが、
なぜか売買春問題では法によって国家権力で強制的に禁止させようとする。
「本人の自覚が無くとも売春者は被害者であり、売春は自損行為だ」
というのがその理由であると思うのですが、
その売春が自損行為だとする根拠にどうも説得力が無いのです。
売春が本人にとって耐え難い痛みを伴うものであるかどうかは
本人の価値観に左右される部分が非常に大きいのです。
自己のモラルや信仰心を他人にあてはめ、
「この仕事で働きたい」という人たちを
何も解ってない人間だと切って捨てるべきではありません。
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>>712 壱学生さん
>「問題がある!」って言う方が「どこに問題があるのか?」という部分について論理的に
>説明できなきゃ、「それでは実は問題はありませんね」っていうことにして問題ないんじゃないかね?
説明できなくても「それでは問題があるかどうかわかりませんね」って以上のことが言えちゃいますかね。
全く軸足のない機能主義的説明なんて無理なんだけど、売買春の是非は軸足の選択の問題でしょう?
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>>715 スライムベスさん
自由は大事ですね。
しかし大事すぎるせいか売り渡すことのできない自由が存在することが問題を難しくしています。
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>>717うろちいさん
>しかし大事すぎるせいか売り渡すことのできない自由が存在することが問題を難しくしています。
売り渡すことのできない自由は存在しますし
売り渡すことを認めてよいかどうか判断が難しいものもありますが、
セックスしてお金を受け取る自由を認めるのに
何か難しい問題があるでしょうか。
私にはどうも考えつかないです(´Д`; )
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>>713
もう一度確認しますよ?
このスレは「売買春の是非について語れ!」であって、
武蔵氏が話題にしていたのは結局、「売買春の合法化は認められない」という事でしたよね?
これって「法律論」「立法政策論」の範囲で十分過ぎるほどカバーできる問題じゃないんですかな?
「問題が存在」してても「法的規制」には馴染まない社会問題だって山ほどあるんだし、
「法的規制」する為には「その問題が存在し」「法的規制する必要性がある」事をチャンと証明できなきゃ
それは社会及び市民の自由な権利を不当に侵害しかねない「自由への弾圧」へと容易に転化する事は
歴史が十分過ぎるほど証明しているのですが?
だから僕は以前から、「問題性を十分に証明してください」と言っているのですよ。
少なくとも法的規制を論議する上で、その俎上に載せるに十分な位には。
で、三毛猫ナナ氏は全然その「問題性」とやらには言及していないのはどういう訳で?
「問題がある」って主張している方が、先ずその「問題性」の存在を証明できなきゃ、
それは少なくとも「立法政策論」上は「問題性なし」とされても仕方のない事なのですがね。
挙証責任は(かつては)武蔵氏や、(今は)三毛猫ナナ氏の方にあるのですが?
それができなきゃ、そもそも話自体が始まらないわけで。
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>>716うろちい氏
えーっと、それって結局、
>「それでは問題があるかどうかわかりませんね」
いう程度の問題を法的に規制しようということですかな?
僕にはそんなに恐ろしい事は言えませんが?
平和と自由を求めている(ハズの)平和論者がそんなことを言ってはいけませんでしょうが(苦笑)
かつてのぼーん氏もそうでしたけど、先鋭的過ぎる平和論者にはそういう自由権に対する
配慮が欠ける場合が多いのは注意した方がいいですよ。
そりゃ単純に考えて、「個々人の自由」ってのは国内秩序に対しても国際平和に対しても
短期的に見てマイナスに働く方が多いですよ。
9.11のテロにしても、アメリカ的自由があるからこそ可能だった面が多分にありますし。
でも、そういう「自由を圧殺」して達成した平和に何の意味があるんですか?
そもそも「平和」ってのも、そういう「自由」を得るための手段として位置付ける事すら可能なのに。
で、こういう自由権への配慮のなさは、大はアメリカの悪しき伝統といった側面がある「伝道主義的民主化論」に、
小はその中に思想の自由(そこには当然「自分の信条・思想を明言しない自由」も含まれる)を含んでいる筈なのに
「αに同意するかどうか明言しろ!」と強要するぼーん氏に共通するものです。
そういう「独善的な」方向に進まないように、常に気を付ける必要があると思いますよ。
これは自戒を含んでいますけど。
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>>719
『「立法論」と「法律政策論」の範囲で十分すぎるほど
カバーできる問題』と判断しているのは『誰』ですか?
それを踏まえて>>713を読み直してご覧。
壱学生さんはまるで『客観的事実・視点』がのごとくに
物事を語られますが、客間的事実・視点に立っていると
思っているのも結局は壱学生さん本人でしょう?
つまり結局はドコまで行っても『自分から』『主観』か
らは逃れられないのです。
それを自覚せずにさも『超越』した視点から物事を語っ
ていると錯覚しているから、自分の立場とその論理の限
界を自覚できない、自覚出来ないから選択した責任など
到底気づき様もないのです。
だから、それを指摘する私の言葉を全く理解できないの
ですよ。
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>>721
だからお前はどうなんだ、と。
宿題のひとつもこなせない割に態度が尊大だよな。
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あと>>720の発言かあまりにも悲惨ですので口を挟みますが、
ぼーんさんには発言権があっても決定権はありませんから基
本的には彼の発言はOKなのです。答える答えないは結局は壱
学生さん次第なのですから。
それを言うに事欠いて『自由の圧殺』と的外れな言葉が出てく
る辺り、壱学生さんにこそ問題性があると言えるでしょう。
ちなみに、私がぼーんさんに注意を促したのは自己尊厳の低い、
尊厳を外部の反応に求める弱者には、ぼーんさんの言われ正論
では、彼らは『正しい』と思わないよと言う点です。
(何が正しいかは受手により異なりますからね)
ぼーんさんの言論を封殺しようと望むものではないのです。
彼は彼の言いたいことを、私は私で言いたいことをお互いに
忌憚なく伝えてこそ相互理解が生まれるのです。
(それを誤魔化しつつお互いに『共通の価値観を持っている』
と思い込み、その勘違いを維持しようとするから破綻が生ま
れるのです)
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社会学を信奉する者が陥りやすい盲点もしくは「穴」として、
「自分は超越者だ」という誤解がある。
社会の内側にいることを忘れて、自分は社会の外側から
社会及びその構造を俯瞰し、それについて公平な位置からの
論評ができる、と「思いこんでしまう」ことだ。
また、「社会に参画しながら、その社会を内側から俯瞰する」
とする主張もあるな。
猫のように、「社会に参画しながら、そこに属する者に、自分
(猫)の望んだ考えや振る舞いをさせよう」ともくろむ者もいる
ようだが、そういった考え方はすでに社会学の範疇を越えて
いて、どちらかといえば政治/政治学が掌握している範疇に
含まれてくるんじゃないのか。
そういう「オレって凄いよな」(´_ゝ`)的な誤解/勘違いに、自分
が陥っている可能性を、微塵も考慮せずに他人を断ずること
が、「猫には許されている。なぜなら社会学の視点を取れるから」
と、社会学を印籠か何かのようにありがたがっている点が、
見ていて笑えるんだよなあ。
なあ、兄弟。
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正論ていう、「オレが言ったら正しいんだよこのバカ」的な言葉を、
言葉の定義もせずに使っちゃう所が猫の猫たる所以かねえ。
ところで、このスレは「売買春の是非について語る」というスレ
なんだが、お前は売買春についてどう思っているのか。
それを語れよ、猫。
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>>723
>あまりにも悲惨ですので
>言うに事欠いて
>的はずれな言葉
>問題性があると言える
>「自己尊厳の低い尊厳を、外部の反応に求める弱者には、ぼーんの言う「正論」に同意は得られない
>誤魔化しつつ共通の価値観を持っていると思い込み
>勘違いを維持しようとする
このあたりは、あれか?
猫が興奮して尻尾がぶわーってなったりするアレと同じか?
ん?
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>>724
主観から逃れられないのは私も同様ですよ。
唯、その事実性を認識した上で、自己の領域の限界を認めた
上で、反省的に立場を捉え直し社会現象を見直せる事ができ
るから、私は世界に主体的に意味を与える様になるのです。
貴方の様に自己の人間関係等で培った社会の拡大版を世界
と錯覚・世界を曲解する者が、コレに気づく事を指して私
は『覚醒』と呼んでいるのです。何か人を越える特別なモ
ノになる・視点を得ることを指しているわけではないので
す。
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>>727
>貴方の様に自己の人間関係等で培った社会の拡大版を世界
>と錯覚・世界を曲解する者が
この表現は、確か反戦スレに大神が出現したのを見計らって
発言された、>713に、
>(大神さんで言うと彼自身の身の回りの人間関係等で培った常識
>の拡大版が全体社会だと錯覚している所ですね)
というまったく同じ表現が出てくるんだが、これはナニかね。
自分の発言をコピペして繰り返しているのかね。
それとも、ヤッスも大神と同様ということを言いたいのかね。
自分の気にくわないあらゆる相手は同じ穴にはまっている
ということにしたいのかね。
そうでないとすると、何かね。
俺を大神だと仮定、または看破/喝破したつもりになっているのかね。
ど っ ち な ん だ 、 小 僧 ! ( w
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つーか、最近読んだ何かの本に、そういう文章表現が出てきたんだな?
何を読んだんだ、今度は。梅原か何かか。
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>>720 壱学生さん
>えーっと、それって結局、
>「それでは問題があるかどうかわかりませんね」
>いう程度の問題を法的に規制しようということですかな?
法的に規制されることでそうじゃないものってあります?
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>>718 スライムベスさん
>売り渡すことのできない自由は存在しますし
>売り渡すことを認めてよいかどうか判断が難しいものもありますが、
>セックスしてお金を受け取る自由を認めるのに何か難しい問題があるでしょうか。
>私にはどうも考えつかないです(´Д`; )
「売り渡すことのできない自由」のうち難しい問題が思いつくものってどんなものです?
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>>731
息をする自由。
トイレを我慢する自由。
売りたくても買い手がつかない。
よしんば買い手がついたとしても、金銭に伴う実効効果を売り渡せない。
「売り渡すことができない(できにくい)自由」のうち、難しい問題が
付きまとうのは、「売買契約をしてもそれが実行できないものを売ろう
とする場合」
ただ「1分間息をする自由を売る」「1時間トイレを我慢する自由を売る」
などのように、時間切り売り(恒久的ではない「権利制限の権利」を売る)
によることはできるかもしれない。
セックスをしてお金を受け取る自由というのは、物理的にそれを差し止める
問題が何もない。強いて言えば衛生上の問題くらい。
倫理上の問題、個人の信念や観念による問題が「問題」になるのは、
その個人の中に限定され、異なる倫理や信念・観念を持つ第三者には
そのまま適用できない。
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横レス失礼致します。
>>731
>「売り渡すことのできない自由」のうち難しい問題が思いつくものってどんなものです?
文字通りの「命を売る」はどうでしょう?
例えば死にたいと思っている人がある。一方で殺人を経験してみたい人がある。
この場合、前者が後者に「殺人サービス」として自分を殺す見返りに殺人料金を要求する自由を認められるか?
自殺の権利を認めるか?という問題にも関るけれど、自分の命ならどう扱おうが自由である。
己の命を決定する権利はあるのではないか?
これもヒトツの「自由な選択」として認められるのか?
どうでしょうか?
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>>731うろちいさん
>「売り渡すことのできない自由」のうち難しい問題が思いつくものってどんなものです?
何度か書きましたが、明らかな自損行為は禁止した方が良いのではないでしょうか。
麻薬とか未成年の喫煙とかが当てはまるかな。
「自損行為でも自己決定する権利はある」と考える自己決定権原理主義(?)の方も
たくさん居るとは思いますが。
そして「明らか度」が減れば判断が難しくなってくる。
ヘロインは禁止したほうがいいけどマリファナは認めるべきだろう、とか。
セックスした時にお金をもらう行為はちょっと自損行為とは考え難いですね。
「それは自己の尊厳を売り渡す行為である」との考えは
一種の信仰とでも呼ぶべきものですしね。
他に>>732>>733で挙げられている例にしても
売買春にはあてはまらないですし。
うろちいさんは何か売買春にあてはまりそうな例を
思いつかれたでしょうか。
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『明らかな自損好意』の定義が不明瞭です。
ベスさんの主張では『明らかな範囲』は『自意識』により決めら
れることになり、明らかな範囲の根拠は『自尊行為だから』とな
ります。これは循環論法ですよね?
自己決定権の観点で言えば、イカさんの質問『自殺を依頼する行為』
も論理的にはOKとなります。でも社会的に見てそれが認められるか
と言えば困難であることは事実ですよね?
その理由は突き詰めれば哲学的には論理的には説明できません。
(と言うより論理的な理由など存在しません。キルケゴールの
言う『決定の瞬間は狂気である』とは、この事なのです)
それでは、なぜ自殺が社会的に認められないのか?
(売春も含めて)なぜ、これらがエートスとなるのか?
自殺を認めない論理の限界、論理の当てはまる対象は誰
なのか?を考えてみるとおもしろいかも知れませんね(笑
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自殺をする自由はあるが、自殺は認められず、
自殺を幇助すると罪にもなっちゃうのはなぜか。
自殺の当事者をAとしたとき、Aが自殺をすることに
起因する損害/影響が、A個人に納まっている間は
第三者がこれを止める権利や資格は持たない。
その意味で、「誰にも迷惑をかけない」と確実に断言
できる条件を整えた上でなら、その個人Aが自発
意志で自殺するのを止める必要はない。
が、「浅田農産の会長が自殺しました」となると、
その自殺に起因する損害/影響が、残された社員
や関係者全てに及ぶ。個人の自殺が、個人のみ
だけでなく、個人の死後も多くに影響/損害を与える
わけだ。
これは、個人が「社会という共同体の中で、何らかの
責任を分担している。それによって、個人は自然人と
しては個人であっても、共同体の構成員としては、
純粋な個人ではなく、自分の生命の存続をやめる
ことによって発生する影響がある限り、自己意志
だけで自殺を遂行することが許されない」と説明できる。
人間は、死ぬと一応その遺体を処理しなければならない
ことになっている。衛生上の問題と、宗教上の問題だ。
また、資産・財産を持っている場合(プラスでも、負債でも)
その処分、継承などの問題は処理しなければならない。
故人がなんらかの役職に就いていた場合は、その役職
責任の継承も必要になる。
そうした処理を一切しないで、個人の意志だけで自殺を
するのは、自然人としては許されても、共同体の構成員
としては許されない。
共同体の一員であることを保証することによって、自然人
としての振る舞いも付属的に保証されているのだとすれば、
法と共同体の束縛は、自然人であることより優先する。
その逆であるとすれば、自然人としての判断や決断は、
共同体の構成員としての責任を放棄することについて、
罪科を負わないということになる。
自殺は自由意志でしてもいい。
ただし、共同体から離脱することに対する責任を、完全に
果たしたものだけが許される。実際にそれを実現できる
ものは少ない。
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自殺を幇助する場合(安楽死の主行為者も含めて)。
自殺志願者が、共同体の構成員であることを辞める
完全な準備ができているなら、自殺幇助は問題なく
行える。
共同体の構成員であることを完全に辞めること(自然人
としての生命活動の停止を自殺と呼ぶのだとするなら、
これは社会的な責任の一切を問われない、共同体に
対する構成員の死)を実現してからであれば、自殺幇助
は罪にはならない。
そこまでの準備は、幇助者ではなく、自殺志願者当人
がすべきことがらだが。
その意味では、
(1)人間関係は天涯孤独(血縁者だけでなく、地縁者その他の友人もない)
(2)財産もなく、役職もなく、地域の共同体にも接触を持たない
(3)共同体から科された義務をすべて果たし、見返りを要求しない
(4)共同体から必要とされない
ここまでの条件を全部果たした人間だけが、自殺できる。
が、そこまでお膳立てを全部揃えられる自殺志願者は少なく、
大部分が「共同体の他の構成員に迷惑を掛けながら死ぬ」。
自殺が咎められるのは、自然人が死ぬからではない。
共同体の構成員でありながら、責任を途中放棄することで
迷惑を被る可能性があるから咎められるのだ。
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>>735
『結局のところあなたがなにを主張したいのか』のほうが、よほど不明瞭です。
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>>721
だ・か・ら
1、売買春が「社会的問題」であることを証明せよ
2、(1が仮に証明されたとして)そこに「法的規制」が必要なことを証明せよ
3、(1、2、が証明されたとして)妥当な「法的規制」を述べよ
その際、その方法が必要最低限であり・かつ「より制限的でない方法」が他に無いことを証明しなければならない
ていうのが、「社会問題」を「法的に規制」する際に求められる考え方な訳だ。
(少なくとも法学的にオーソドックスな考え方では。あらかじめ言っておきますが、この考え方についての妥当性は置いておきますよ)
「法的規制」の話をしているのだから、それは当然「法学」的な論理に齟齬がない様にしなければならない訳ですから。
(これは別に他の方法、例えば社会学的手法を排除するものじゃないよ。でも、法学的視点から見ても「間違いがない」ように整合性について考えなければならない、ってことです)
で、三毛猫ナナ氏はこの内幾つに答えたかな〜?
また武蔵氏についてはドウかな?
「社会的問題」の存在を証明できなきゃ、そこに「法的規制」はできる訳がない。
って言うよりも、「法的規制」なんてしちゃいけない。それは『自由の圧殺』へと繋がるわけだから。
で、「売買春が社会的問題である」っていう理由は何ですか?
正直言って僕は分からないから聞いているんですけど?
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で、ここまで言ったらスレ違いなんだけど、
どうして三毛猫ナナ氏は「社会学以外の方法論」をことさらに敵視するかね〜?
まぁ、こういう「自分の専門が全て」っていうのは他の「専門がある人」にも多少はある部分なんだけど。
そもそも学問、特に分化・専門化が極度に進んだ近代以降の学問ってのは
「多様な現実」の中から「ある側面」だけを切り取って研究・考察を進めていく訳だ。
と言うことは、そこでつくられる「モデル」「理論」ってのは、それがどんなに精巧なものでも「よくできた作り物」でしかない訳で、「現実そのもの」ではありえない。
これはどんな学問についても言える訳だが、特に実験室なんかがない社会科学においては特に言える。
たとえそれが社会学であっても例外ではありえない。
と言うことは、「ある問題」を考え、あるいは解決をしようという時には
(その問題に関係する)それぞれの方法論に則らなきゃ、どこかに問題が生じてしまう。
少なくとも「それぞれの方法論」から見て「大きな矛盾」がない位には思考を洗練しなきゃいけない訳。
つまり単一の「ある方法論」だけじゃなく、並列的な思考方法が求められている、と言えよう。
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でも近代以降の学問は極度に分化しているから、そういう「総合的思考」ってのは難しいのかもね。
特に丸山真男が「ササラ型・タコツボ型」と指摘しているように、近代以降の「分化した学問」を明治以降に導入した日本においては。
でも、しかしながら、
三毛猫ナナ氏が専門としている(ハズの)「社会学」って、そういう
「近代以降に失われつつあった『学問的総合』」を復活させることを標榜・主眼としているんじゃなかったっけ?
ってことは、三毛猫ナナ氏の主張は「法律学」から見ても「政治学」から見ても、矛盾があると不味いんじゃないかな?
少なくとも僕は「政治学的な考え方ではこうですよ〜」「法律学的な考え方ではこうですよ〜」としか言ってないのですが。
で、僕は「三毛猫ナナ氏の考え方はどうなんですか〜?」と謙虚に聞いているつもりなんですが、
当の本人からは「問題がある!」の一点張りで、どうしたら良いのやら。
僕は「どこにどう問題があるのか具体的に聞かせてくださいね?」と聞いているんですがね?
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>>740
>>741
正直な話、もう三毛猫氏は、少なくともこのスレッドでは完全放置でよろしいのではないか
と思います。
これだけ皆さんで注意しましても、一向にスレッド趣旨に沿った話題に乗ろうとせず、
「自分は優れてるんだ! お前らは愚かなんだ!」
の一点張り以外に何の主張もなさってはおられませんから。
議論を成り立たせなくしている、という観点で見れば、やや婉曲的に見えなくも無い荒し行
為以外のナニモノでもありません。
一連の非礼を皆さんに詫び、スレッド趣旨に沿った話題をはじめるまでは、某koueiスクリ
プトと同様の完全放置措置がもっとも効果的であり、かつ適切であると愚考いたします。
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)壱学生さん
『社会学の方法論』ではなく『社会科学方法論』です。
自然科学は仮説を元に理論を造りますが、これは社会
科学も同様で例えば『売買春』の概念を特定の価値観
念を元に仮説(理念型)を立てます。
これはモデルに過ぎませんから現実の一部分を抜き出
したものですが、これを元に現実を捉えたり、新しい
仮説をた立てるヒントを与えてくれます。
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>>743で言いたい事は『売買春』を語る場合には如何なる
仮定を立てて問題はないと言うことですが、その仮説を思
考していく際に必要な事はその社会現象を正確に理解する
事ですが、これは私が繰り返して述べる価値自由を理解し
てなけれぱ出来ません。
例えば某貴族の一件は政治学的には有りえないと壱学生さ
んは言いますが、それこそモデルを世界と取り違える行為
であり、実際に『貴族が皇帝に従う』という社会現象を理
念型と価値自由の立場から見れば『予定説的な権力』が働
いていると推測できるのです。
『人を動かす事』そのものではなく『人が動く』社会現象
に視点当てることにより物事を考察する、つまり政治学そ
のものだけではなく政治社会学的な考察もしなければ、壱
学生の様に『理解不能』で終わると言うことです。
-
口だしするようですが。
壱学生さんもななさんも、もっと解りやすく具体的に話してもらえませんでしょうか?
-
政治は、政治の恩恵または影響を受けるものが、政治の力学を
仮に理解していなくても、実行効果は期待できる。政治とは、そう
いうものだからだ。
社会学/社会科学は、政治のように能動的な働きかけによって
必要な具体的成果を得ることを目的にしているわけではなく、
「朝顔に水をあげたら花が咲きました」という観察日記を書いて
いるのとレベルとしては何ら変わらない。例えば、観察の仕方
を変えることで朝顔の開花率を早めることや、開花する花の色を
変えることができるわけでもない。朝顔の鉢をより多く観察する
ことで、「7月20日あたりから咲き始める。例年より早い、遅い」
という報告ができ、「今年は寒かったから開花は遅めだろう」と
いう予想ができるに過ぎない。
ただ、社会学を志向するものの大部分がダメダメな理由も、この
三毛猫ナナに顕著に見て取れる。
三毛猫ナナは、「なぜ朝顔の開花が例年より遅れるのか」につい
て、原因であるところの「冷夏」や「寒いと植物の成長は鈍化する」
といった経過や成因を、順を追って説明する能力がない。
ここで、「冷夏による低温は植物の成長を阻害する」と述べること
で三毛猫ナナは「自分は十分な説明を果たした」と考え、それ以上
を説明する努力を辞めてしまう。
ところが、目の前にいるのは2年1組の児童さんだったりした場合。
三毛猫ナナは、「小学生風情が朝顔の開花が遅れる理由を理解
しようというのは、事前準備が不十分である。自分は説明責任を
果たした」と言うばかりで、児童さんには理解が行き渡らない。
これでは、「説明をした」ことにはならない。説明は、聞き手から理解
を引き出すことが目的の行為だからだ。
ということは、2年1組の児童さんたちには、
「寒いと植物はあまり育ちません。日当たりが悪いので光合成も
あまりできず、栄養ができないので大きくならず、花もなかなか咲
かないのです」
とかみ砕いて言わなくちゃならず、なおかつ、
「ハーイ、センセー、ヨクワカリマチター」
と言わせるところまで行かなくちゃ無意味。
社会学者は、自らの行動や考察の結果を説明する能力が、著しく低い。
これが社会学を志向するものの個人の個性なのか、社会学/社会科学
というものが持つ学問としての個性なのかを、三毛猫ナナ一人の行動
から断じることは難しい。が、三毛猫ナナが、自分の行動の正当性の
根拠を社会科学/社会学に求めれば求めるほど、俺は社会学への
疑念が濃くなっていくんだよなあ。
-
つ-か、その。
社会学がどうのとか政治学がどうのとかいうのは、悪いけれど、私には興味が無いのよね。
ま、そりゃワシがつまり学がないということなんだが。学問と言うのも、究極すればみんなが幸せになるためにあるんじゃないかなあ。
みんなが幸せというと、なんだかより良い(これは物理的にも精神的にも)生活をするとか、不幸の原因を減らしていくとか。
そ-ゆもんじゃないか、と思ってるんですよ。
で、ですね。
壱学生さんもななさんも、もうちっと具体的と言うか、実用的と言うか、そういう話をして欲しいわけなんですよ。
-
>>739 壱学生さん
>1、売買春が「社会的問題」であることを証明せよ
まあ、他の2,3は次のレベルでまずはそこからですね。
法的に規制されることが社会的問題であることの証明だったりして。
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>>748
法的に規制する根拠となった、法の成立経緯を見ると、
「当時の社会の訴求に合致しての法成立だったかどうか?」
「当時の社会と現在の社会の訴求に、その法が合致しているかどうか?」
を論じなければ、「社会の必要を反映した法律」かどうかは言えない。
「法的に禁止されている」→「社会的問題」→「社会的問題だから法で規制される」
これじゃ、ただのループだが。
-
>>745、>>747イカフライ氏
これは失礼しました。
三毛猫ナナ氏が変な絡み方をしたせいで話が枝葉末節的になってしまった部分もあるのですが、
要するに僕が言いたいことってのは
「法律で規制する際には、その理由をちゃんと説明できなきゃだめですよ」
「法律で規制する際には、必要最小限の規制が望ましいですよ」
ってだけの話です。
それを忘れて「俺が気に入らないから法律で規制しろ!」ってのっは、
結局戦前の政府・社会が「戦争反対」と言ってた人たちを弾圧したのと何ら変わりないってことです。
で、結局武蔵氏はその「きちんとした理由を言えなかったね」ってことを言ったていたら
三毛猫ナナ氏が「それはおまえが悪いんだ!」って絡んできただけのことです。
でも「どこが悪いのか指摘してくれなきゃね〜」って所から三毛猫ナナ氏が話を進めなくて一悶着ってだけで。
-
で、話を売買春に戻しますと、要点は三つあって
1、売買春を法的に規制する根拠は何か?
2、法的に規制するのが適当だとして、なぜ「全面禁止」でなければならないのか?
3、建前は「全面禁止」なのに、脱法行為的に実質的な『売春』が行われていて、
当局もそれを黙認しているがそれでいいのか?
だと思います。
で、当局も禁止論者もこれらの点に関して、合法化論者を納得させるだけの根拠を
示していない点が、議論が進まない理由だと僕は見ています。
で、法律学・政治学的に考えて、こういう当局の「裁量の範囲」が極めて大きいような
法律は、緊急時なら兎も角としてあまり望ましいものじゃないのです。
たとえそれが「売買春」のような「商売する自由」に関するものであったとしても。
そうですね、法律や政治ができることってのは
「だれかを幸せにすること」じゃなくて、「だれもが『幸せになれる可能性』を追求できること」に留まるべきなのです。
そうじゃないと、「これが幸せだ!」といって権力者が要らぬお節介をしてしまうからです。
で、根拠のない法規制は、そういう「可能性」を摘み取ってしまうのです。
-
>壱学生さん
壱学生さんが売買春の法的規制に対して疑問を抱いている
事は承知してますし、私自身にしても断定はできませんが
疑問を抱いているのは同様なのです。
だからこそ現実を正確に測ろうとしているのです。
売買春が社会的問題として扱われている現実が存在する
事実性の上に立たなければ物事を見誤るのです。
だから敢えて『売買春に問題性が在る』と仮定して問題性
が在ると主張する人々の心の底に隠されている一次的理由
を探ろうとしているのです。
壱学生さんの問題点は、その段階において『洞察が甘い』
ことなのです。
『政治的には在りえない』
『三毛猫ナナは僕に絡んでいる』
『売買春否定論者の理由は気持ちの問題だから、それく
らい(たいした事ではないから)我慢しなさいよ』
これらは形を変えても何れも『自分の立場でしか物事を
観察しない、自分の立場に疑いを持たない』ものなのです。
貴方が政治学的に物事を捉えていると言うなら彼らを動かし
て見なさい、彼ら自身の発言の根源にある事を、彼ら自身を
知らないのにどの様にして彼らを動かすと言うのですか?
(法は外的な規制をするものであり、内的なものを、エートスを
変えるものではありません)
『彼らが売買春を否定する本当の理由は何だと思われますか?
(二次的な理由ではありませんよ)』と言えば解り易いかもしれ
ませんね。(実際に、法的な事柄を論議するのは手順としては後
の事です)
-
>>752
>『彼らが売買春を否定する本当の理由は何だと思われますか?
(二次的な理由ではありませんよ)』
ななさんは、何だと思いますか?
売買春が社会的に問題がある、と扱われている理由、というか、原因は?
-
>>735三毛猫ナナさん
>『明らかな自損好意』の定義が不明瞭です。
はい、不明瞭です。
明確な線引きは難しいと思います。
「大多数の人が自損行為と認識している場合」
とでもしたらもう少し明確になりますかねー。
>その理由は突き詰めれば哲学的には論理的には説明できません。
はい。ここの掲示板でも何度か書きましたが、
この点は私も同意しています。
-
自殺についてはすでに意見を述べているわけだが、
猫の理解の範疇は越えているのだな(w
-
生命の相互補助システムを脅かすと信じている為です。
(犬猫を虐殺する者に大多数の者が嫌悪感を抱くのと同
様です)
思い出して下さい、武蔵さんの言葉を。論理的には売買
春が自損行為か否かは決められないにも関わらず、なぜ
彼があの様な言葉を発したのか?
それは他者の行為を通して、その者が生命を軽ろんじて
いると周りの目には写るからではないですか?
問題は人は全ての者が覚醒できるわけではないことなのです。
ウェーバーの価値自由、ナーガルージュナの空理論
これは『自分の拘りを捨てた主観的な視点』の重要性を語って
いるのですが、多くの者はこれを理解できない事実性、ある者
は自我を拡大したものを世界と錯覚し、ある者は主観を全て捨
て去った客観的視点、普遍的真理を求め、それを得られぬと嘆
き、又は得られたと錯覚して他者にも強要する。それが主観、
つまり内在と気づかずに自我を拡大し、それが世界だと(ry
その様な者達をどの様にして動かせるのか?というお話です。
私がなぜ構造主義に始まりポスト構造主義、社会システム論
等を(さわりですが)話してきたのは当然目的があっての事で
すが、それは物事は諸事、人と人、その架け橋たる行為(言葉
等)を通してしか存在できない不確実なものであることを何
とか理解して欲しいからなのです。
歴史にしろ法にせよ政治にせよ。過去にせよ現在にせよ未来
にせよ私達の認識による関係性の上にしか成り立たず、言葉
はそれらを創り出すものであるのです。
-
スルーされるかもしれませんが、
>>756
>それは他者の行為を通して、その者が生命を軽ろんじて
>いると周りの目には写るからではないですか?
周りの目ではなく、武蔵氏の目にはそのように映っていると言うことですよね?
一個人の主観による意見を全体的な意見として欲しくはないんですが。
>その様な者達をどの様にして動かせるのか?というお話です。
>私がなぜ構造主義に始まりポスト構造主義、社会システム論
>等を(さわりですが)話してきたのは当然目的があっての事で
>すが、それは物事は諸事、人と人、その架け橋たる行為(言葉
>等)を通してしか存在できない不確実なものであることを何
>とか理解して欲しいからなのです。
なにを言いたいのか全然判りませんので、理解して欲しいとおっしゃるならば、
もっとわかりやすい言葉で語ってくれませんか?
-
>>757
実際に武蔵さんがどの様な意図を持って発言したか
は推測の域を出ませんが、社会的にはその様に受け
止められている事実性は変わりません(それが妥当
か否かは別ですが)貴方の思いは関係などないので
す。
では質問。『カラスが黒いのは誰が決めたのか?』
私や貴方の目を通して黒いと判断しているだけであり
判断者が全くいなければ黒いとは言えませんよね?
『在るものは在る』的な思考法で物事を捉えるから
話を理解できないのですよ。
物事の価値認識は、私達の関係性で造られたものに
過ぎないのです。
これでワカッタかい?
-
>>758
>実際に武蔵さんがどの様な意図を持って発言したか
>は推測の域を出ませんが、社会的にはその様に受け
>止められている事実性は変わりません(それが妥当
>か否かは別ですが)貴方の思いは関係などないので
>す。
私としては聞いたことがないのですが、どこの社会に売春は
自損行為であると言われているのですか?
出来ればソースの提示をお願いします。
>では質問。『カラスが黒いのは誰が決めたのか?』
>私や貴方の目を通して黒いと判断しているだけであり
>判断者が全くいなければ黒いとは言えませんよね?
>『在るものは在る』的な思考法で物事を捉えるから
>話を理解できないのですよ。
>物事の価値認識は、私達の関係性で造られたものに
>過ぎないのです。
ですから、これのどこが「売買春の是非について語れ」に
関係があるのか理解できないんですよ。
-
>>756
>生命の相互補助システムを脅かすと信じている為です。
(犬猫を虐殺する者に大多数の者が嫌悪感を抱くのと同
様です)
これが売買春の問題点である、ということですか?
つまり、性をお金で売り買いすることは生命を軽んじている行為ではないか?ということをナナさんは言われたいのでしょうか?
-
武蔵の主張を反芻する。
「売買春(買うのも売るのも)はいけない」
「売買春によって望まない妊娠が起こる」
「望まない妊娠→堕胎は、生命を弄ぶ行為だ」
「望まない妊娠の防止のためには、売買春をさせないのが望ましい」
「法規制すべきである」
売買春が生命を軽んじているのではなく、「避妊を蔑ろにした売買春」
によって、本来回避できるはずの妊娠が「事故」として起きる可能性が
あるので、事故の発生そのものを回避するために、売買春を禁止すべ
き、というのが武蔵説。
わかりやすく言うと、
「交通事故で死人が出る可能性があるから自動車を売るな、作るな、買うな」
「自動車は仕事のために使われるべきであって、無目的なドライブや快楽を
目的とした自動車の運転は、自動車の本来の目的を汚す行為であるので
法規制されるべきだ」
とゆーことだった。
武蔵がそう考えるのは勝手だが、それが世の中の常識であると強弁する
のには、ちと無理がある。
三毛猫ナナは武蔵の主張が自分にわかっている、ということを説明したい
のだろうが、だったら「武蔵の主張が武蔵という個人の行動を制限する」
ことについて同意しているのか、「武蔵の主張を全人類的な共通項にする」
ことについて同意しているのかを、はっきり示せ、このバカ。
「武蔵がそう信じて自分自身に対してのみ制限を加えることには反対しない」
って、みんなそう言ってるじゃん。それに反対しようってんなら、武蔵が言う
ところの「だからみんなもそうするべきだ」を三毛猫ナナは支持したことになる
わけだから、武蔵の代わりにそれへの反論に応える義務があるんだよ、このバカ。
-
>>761 ヤッスさん
武蔵さんの禁止理由は確かにそれもありますが、そちっちは「オマケ」なんですよ。
しかしオマケはそれとして重要で議論の価値がある。
このあたりが話をややこしくしてるから整理が必要かな、って思っていたところでした。
武蔵説では、仮に技術が発達して売春による妊娠の可能性がゼロになったとしても、別の理由でやはり売春は禁止なんです。
こっちの「別の理由」てのが武蔵説のミソと考えて差し障りないと思います。
-
>>734 スライムベスさん
>セックスした時にお金をもらう行為はちょっと自損行為とは考え難いですね。
これを根拠付けないと議論にならないのですが・・
>うろちいさんは何か売買春にあてはまりそうな例を思いつかれたでしょうか。
似てる可能性としては(すでに認められた)基本的人権ですね。
スライムベスさんは初めから「あてはまらない」としているらしいですが、何故あてはまらないか言えますか?
僕には言えません。
あてはまるとも言えませんけど。
-
>>763
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1078280547/60
繰り返しになるけど。
「基本的人権に反するから」っていうのは、はっきり言ってしまうと広義に
過ぎると思うんだよな。基本的人権ってカバーするものが広すぎるから、
そこにかけてしまうと、世の中のほとんどの「規制」や「拘束」を無効化で
きるんじゃネーノ?
武蔵の言う「性の自己決定権」についてだが、これはもう言葉の定義が
不確か(曖昧に広く取りすぎ)な上に、主語・目的語の配置が間違って
るので、違った意味にしかならない。
間違った前提にこだわる前に、前提をよく点検すべきって気がするな。
「性の自己決定権」 > 「性」は何を意味するものとして使っているのか。
(1)性別を表す (区別)
(2)性行為そのもの=セクースを表す (行為の認可と機会の提供)
(3)性器を表す ( (2)で実際に使われる物理的に存在するもの)
で、(1)はこの場合、自分の意志で自己決定はできないのが普通なんだ
が、「でも、性不一致の人とかいるし」とか言い出すのが出てくるだろうこと
を見越して、候補に入れるだけは入れとく。ただ、今回のテーマからは明らか
に違う。
武蔵が自己決定権を設定したいのは、(2)のための(3)なのか、(2)その
ものなのか。これがまずヨクワカンネ。( ゚д゚)、
というわけで、
「性行為の自己決定権」
「性器利用の自己決定権」
という言葉の明確化ができた。
性器を用いない疑似性行為については武蔵は禁止してなかった気がする
ので、「性器利用の自己決定権」が、武蔵の意図だろう、と思われる。
-
「性器利用の自己決定権」についてだが。
これだって、この言葉からだけでは複数の意味が読み取れてしまう。
(1)性器を利用することについて、性器の所有者が自己決定する
(2)性器自身が性器利用について自己決定する
基本的人権というのは、人格・知性を持った存在に対して付与される
ものだと思うんだが。そう考えれば、性器自身が性器利用について
自己決定権を持つ、と読み取りかねない(2)は間違い。
そうすると、(1)が武蔵の主張する「性の自己決定権」の真意の骨格
となる。
で、(1)だとした場合。
性器の所有者が、自分の性器の使い方を決める権利はもちろん、
性器の所有者が持っているし、処分権も含めて自己決定権は性器の
所有者(という、人格と知性を持った存在)に付与されていて、基本的
人権の枠内にはあるものと思われる。
が、「自己決定権に基づいて、自分の性器とそれを使用する機会を、
有料で貸与する」と、性器の所有者が決めることは、「自己決定権」
とも「自己決定権を保証する基本的人権」とも矛盾しない。
「性器利用の自己決定権」が基本的人権に含まれていたとして、自己
決定権に基づいて、性器を有料で利用できるようにする(レンタル)こ
とは可能である。
武蔵が反対しているのが、「性器の利用を決める機会が、永久/恒久
的に当人以外の第三者のものになる」=性奴隷にされる場合だと
思う。これは人身売買に当たり、確かに基本的人権の侵害と言える
かもしれない。
が、それだと、「永久/恒久的ではない、一時的・時限的な性器の利用
機会の貸与」に過ぎない、大部分の売春行為は基本的人権の侵害と
は到底言えない。
また、「売春は悪くない、買春だけ取り締まれ」についても、「永久/恒
久的な自己決定権の奪取」なら人身売買だが、「一時的・時限的な
性器の利用機会の貸与を、所有者と合意の上」だとするなら、必ずしも
基本的人権の侵害とは言えない。
武蔵は、この疑問に答えないまま海外逃亡している。
-
>>759
一つ目の問いは論ずるに値しません。
売春は社会的に見て忌避されているのは法規制
を見ても明らかです。
忌避されてなければ問題化などしないのです。
二つ目の質問は愚問です。
『売買春の是非を問う』これが議題なのは改めて
語るまでもありませんが、繰り返し説明した通り
普遍的真理がないのですから、売買春の是非は根
源的にはないのです。
それにも関わらず社会的に見て売春を忌避する現
実が存在するのは、人々と言葉による関係性によ
り造られたからである、と述べた所、貴方が『理
解不能』と喚くからカラスの例えを出したのです。
現実がどの様に造られているか理解していなければ
論議の帰結も的外れになるから、この点に関して私
は拘るのです。
理解できましたか?
-
>>760
私はフーコーの言葉を借りれば『構造に隷属』する行為
そのものを忌避していますから、売春行為は必ずしもそ
の様な帰結になるとは思っていません。
『姦淫する勿れ』は『殺す勿れ』と同様に社会科学のモ
デルに過ぎませんから普遍的真理ではありません。
私が申し上げたのは、あくまで社会的に見てのお話であ
る事をご理解下さい。
-
>>761
私の論旨は『武蔵氏の様な売春に反対する人(つま
り大多数)が『なぜ、売春に反対するか、その一次
的理由を探る事により問題性を検証しましょう』で
す。それにも関わらず>>761の様な的外れな質問は
何ですか?
ここは、様々な者が出入りしますから程度の差があ
るのは承知してますが、中学生レベルの理解力すら
ない者と対話をするのは正直疲れる(興味深い存在
ではありますけどね)
-
>>766
ドアホウ。
>論じるに値しない
「法規制されている」→「社会的に忌避されている」
「社会的に忌避されている」→「法規制を見れば明らか」
というのは、循環しとるだろうが。脳みそ付いてんのか、このバカ。
>愚問
愚かなのは問いではなくお前だ。バカタレ。
-
>>767
>フーコーの
言葉を借りずに説明しろ、このバカチン。
>>768
おまえの質問が的はずれもしくは、質問の主旨を正しく
理解させるだけの十分な説明がなされていないからだ、スカポンタン。
お前はクチを開けば「自分は説明責任を果たした」だの、「自分の説明
を理解する能力がないのは相手のせい」だのと失礼千万なことばかり
言うが、「相手は知らない、または十分に理解していない」からこそ、
相手に対する説明や解説が必要となる。相手に理解する能力がない
から説明を理解できないのは相手のせい、というのは、説明する側が
その目的を果たしていない。
おまえの自称「説明」は、いつも相手に十分に自分自身の主旨を理解
させられないでいる。そのことで不利益を被るのは「思った通りに理解
されず、誤った解釈をされることで主旨を曲解される」お前自身だろ。
それが厭なら、幼稚園児にも理解できるような言葉を選べよ。
「中学生以上でなければ理解できない」というのは、小学生以下は
理解不能なわけで、そんなのは全人類的に普遍的な理論とは言えん。
そこんところをわからずに、「相手に理解する能力がないから自分の
説明は高尚すぎるのだ」などとヌカしているタワケもんは、いつまでも
「僕ちんだけが脳内最高学府」と信じて、他人とクチを聞こうとするな。
はっきり言って、邪魔だ。
-
複数の人間の間で、ひとつの事柄に対する見え方、解釈、捉え方が異なるのは
当然のことだ。だが、当然を当然のままにしておくと、意志の疎通が困難になるし、
その「本来は同一のものを指す事柄や理解」に共通のものを作っていかなければ、
同じ社会で同一または近似の行動ができなくなる。
それを解決するための法だし、その法の正当性や共通性、公共性を鑑みるのが
議論だろ。
それを、「法で決まってるから論じるに値しない」は思考停止だろ。
また、「誰もが違うのは当然だ」で止まったら、それは最後まで話がいってないだろ。
お前は「議論のための議論」をしたいんだろうが、「接点や齟齬の解消」を目的にし
てないタコはスッ込んでろ。
-
>>765
法も所詮は構造であることすら理解できないか?
基本的人権も我々の関係性により構築されたもので
ある以上、既存の人権の範囲は定められていると
しても後づけ可能であるのは自明な事であり、何を
付け加えるかも私達の関係性により決められるもの
です。
『基本的人権は広義すぎる』とは的外れも極みです。
-
>>772
この野良!
「法は所詮構造に過ぎない」なら、遵法は不要なわけ?
遵法のための定義やその確認も要らないというのがお前の
考えなわけだな? しかも、その主張はこれまでに半万回
は出てきてるけど、お前はその先をいつも主張しないな。
その先は?
構造に過ぎないから、なに?
人間の関係性で決められるからなに?
だからどうしたいわけ?
竹輪やるからあっち言ってろ。カス。
-
それと、「構造主義」は四半世紀前の流行なんだそうだが、それは
おまえが学生時代に流行ってたのか?
それとも、おまえは未だにそれを主流だと信じて疑わないがために、
傍流の縁のほうで、メインストリームの社会学者を羨んでるのか?
どっちなんだ、一体。
-
>>770
子供には二次的理由で十分。
普遍的真理などドコにも存在しません。
更に言わせて貰えば社会秩序が保たれるのは我々が
等しい価値概念を持っているからではなく関係性を
通して価値概念が造られていく為です。
それが半固定化したものが構造。
それを貴方の様なセッカチさんは普遍的なものだと錯覚する
のです。
(こんな事を言えるのはルーマン・ハーバーマス論争すら知
らないかでしょうね)
貴方がまだ高校生位までなら納得出来るけど、そうでないの
なら余りにも、ね?
何が普遍的真理ですか? どこかの怪しい宗教団体でもある
まいに。
貴方が何を悩んでいるかは理解できるけど、結論がそれでは
余りにも短絡的なのです。
-
あのなあ。
お前はすぐにそうやって「そういうこともしらないのは、○○○すら知らないからでしょう」
とか言い出すけど、そういうのって恥ずかしくないのかい?
それと、猫の特殊能力では>>770の中に「普遍的真理」という文字が見えるらしいが、
どこにそんなことが?(w
等しい概念を、それぞれの関係を通して作っていくためには、それぞれが自分の持つ
概念を述べ合って、それを相互に受け入れあうことが必要なわけだ。
それが「自分の主張を説明する」「相手に理解を促す」「相手の主張を聞く」「相手に
理解したことを再説明して、相手の同意を得る」ということだよな。
お前はそれができてないんだよ。
はっきり言って。
そしてまた、そういうことをしようとしている奴らを妨害して邪魔してるワケ。お前一人が。
会話によって価値概念を作っていこうかね、というときに現れては「そんなものは構造
に過ぎない」と言ってみたり、説明がわかりにくいよって話に対しては「理解力がない
ものに説明する必要はない」と言ってみたり。
自分がかなりおかしいことを言っていることはわかってるか?
心療内科の先生とかにも相談してみたか?
ちゃんと今日の分のデパスは飲んだか?
必要以上にレンドルミン飲んでないか?
何が普遍的真理だよ。誰がそんなこと言ったってんだよ。
幻聴と幻視もいい加減にしろ。
この人語を解さないが、鳴き声が人の声に似ているだけのチェシャ猫が。
-
言っておくが、
「普遍的な理論」と「普遍的真理」というのは、一文字違いだけど内容は
大違いだってことはわかってんだろうな?
まさか、同じに見えてるのか?
-
>>766
一つ目の問いですが、私としては論ずるよりも、
ソースを提示して欲しいと言っているのです。
二つ目ですが、三毛猫ナナ氏の考えとしては、
「売買春に是非はない」でよろしいですね?
YesかNoかでお答えください。
-
>>766
>売春の是非は根源的にはない
つまりこうだな。
「売買春は是である」 <合法論者の主張
(してもよいししなくてもよい。することを強制されるべきでもないがしないことを強制する必要もない)
「売買春は非である」 <非合法論者の主張
(してはいけない。しないことを強制することを肯定し、一切させないのが正しい)
「売買春は是でも非でもない」 <猫の主張
(してもよいししなくてもよい。することを強制されるべきではないがしないことを強制する必要もない。
また、是ではないが非でもないので罪にも問われないが、非でない代わりに是でもないので顕彰
もされない)
どちらでもないとどちらでもよい、は違うんだろうなあ。
その上で、是でも非でもない場合は、それに基づくとどういう判断が正しい、という
ことになるかな?
是非がないのは、禁止の対象には成り得ないということになるんでわ?
漏れには合法論者の主張と猫の主張は同じに見え、非合法論者の主張と猫の
主張に繋がりが見えないんだがね。
ま。猫は、非合法論ではないが、合法論者と同じ旗の下に立つのが厭なだけさ。
-
>>776
『普遍的な理論』も『普遍的真理』も同義です。
この場合『全ての人を理解させる方法がある』
と貴方は主張しているが、その様なものはドコ
にもありません。
全ての人が解りあえる事は不可能なのです。
貴方の望むものはドコにも存在しないのですよ。
他者は絶対的に他者であり、解り会えたと思うの
は貴方の心『内在』の産物なのです。
>>778
情報源も何も『人を殺すな』は社会的常識か?と
同レベルのお話ですが?
サンプル調査をせずとも、これは結果は明らかで
すよ。
設問に不備があるからYES NOでは答えられません。
根源的には論理的に見て説明のつく理由はないと言う
だけであり、基準を主観で設ければ是非は生まれます。
『売買春の是非は、私達人と人の関係性を通して造られ
るものである』
これを持って私の回答とします。
-
>>780
そんなものはどこにもないのではなく、
「そんな能力は猫にはない」だよな(w
全ての人がわかりあえるのは不可能だとして、
わかりあう努力はしないでいい、というのが
お前の主張なわけだな?
そうではないのだとするとしたら、「わかりあう
ために、相手のレベルに立つ、相手の既知域
の単語をできるだけ使う」という配慮をすること
を、お前はなぜ否定するかな?
なぜか教えてやろう。
「三毛猫ナナにできないことを、三毛猫ナナ以
外ができてしまうことを、三毛猫ナナは許せない」
からだな(w
自分にできないからって、それ以外の全ての
人間にもできないと思っちゃいかんよ。それは
猫の思い上がり。
また、設問に不備があると思うなら、自分で設問
の不備を訂正した上でy/nを答えればよかろう。
不備があると指摘しながら、不備の訂正を行わな
いのは、「不備を訂正する能力がない」か、「不備
の指摘そのものが嘘」かどちらかだわな。
「1+1=n」を問われたときに、「nは1である」という
回答があるとする。猫の言いぐさは「1+1という設問
が間違っているので、自分が答えたい応えをnに代入
すると式が成立しない。だから式を訂正しろ」しかし、
「式の訂正は出題者がすべきであって、自分は自分
が入れたい正答を明らかにしない状態で、出題者に
よる式の訂正を待つ」
と言ってるわけだな。
こんバカ。
猫が「n」に代入したい値が「1」だったとする。
そうなら確かに「1+1=」という設問は、「n=1」を
導き出すのには不十分だ。だったら、
「1×1=」なり「1÷1=」なり、式の訂正が必要な
わけで、その式の訂正は「n」を1に固定した側が
行うのが筋。
「1( )1=1」(解をnとする)
という問題に置き換えて、結論を固定して式を変え
させようっていう手口は、もう見破られてるよ。
三毛猫ナナ学会の常識だ。
-
>>780
>>780の発言かあまりにも悲惨ですので口を挟みますが、
>『売買春の是非は、私達人と人の関係性を通して造られ
>るものである』
と三毛猫ナナ氏は考えているんでしょ?
で、>>766でのご自身の発言から考えるに、その『人と人との関係性』とやらは
「売買春は否」となってるように見えます(少なくとも『三毛猫ナナ氏はそれが一般的な通説だと考えている』ようにしか解釈できません)。
しかしながら、>>767のこれまたご自身の発言から察するに、三毛猫ナナ氏は『構造に隷属』する行為を忌避しています。
ここで重大な矛盾が。
『人と人との関係性』も(普通に考えるに)『構造』と解釈することができますが、
その「関係性」により是非が決定されるということは、それでは『構造に隷属』していませんか?
それともその「人と人との関係性」に自分も参加するから、「隷属」には当たらないとお考えなのでしょうか?
でもそれじゃあ、「自分自身の『是か非かの』意見を明らかに」しないと駄目ですよ。
自分自身の「是か非かの意見」を明らかにしないと、『構造』に参加したことにはならないでしょ?
つまり
「是か非かは他者の議論により決定される」>三毛猫ナナ氏は『構造』に参加していない>『構造に隷属』
「是か非かは自分もそこに参加して決定される」>三毛猫ナナ氏は『構造』に参加
あなたの意見の述べ方だと、ちゃんと「自分自身の意見」を述べないと自己批判になってしまいますよ。
「根源的根拠はない」とかいって誤魔化すんじゃなくて、あなた自身の「決定の瞬間の狂気」を経た『是か非かの』決定を述べないと。
-
>>763うろちいさん
>これを根拠付けないと議論にならないのですが・・
理由は>>715で既に述べた通りです。
「自損行為だ」とする論理に説得力が無いからです。
またこの論法を妥当とする理由は>>610で述べた理由とほぼ同様です。
>スライムベスさんは初めから「あてはまらない」としているらしいですが、何故あてはまらないか言えますか?
>僕には言えません。
>あてはまるとも言えませんけど。
これも>>610で述べた理由と同様です。
なお、説明済みのことはその次から結論だけ書く場合がありますのでご了承下さい。
そうでない場合でも、文章が長くなりそうな時は
まず自分の考えを書き、相手が自分の考えに不同意の場合は
そこからお互いに根拠を述べ合うという形をとらせてもらう場合もあります。
この点もご了承ください。
-
>>783 スライムベスさん
>理由は>>715で既に述べた通りです。
>「自損行為だ」とする論理に説得力が無いからです。
>またこの論法を妥当とする理由は>>610で述べた理由とほぼ同様です。
と、いうことは「自損行為ではない」こともまた説得力がないことを認めてるんですね。
他の職業(靴磨きとか)と比べ売春は問題にしている人が非常に多いですよね。
このことは売春が他の職業と著しく異なることを強く示唆しませんか?
人は本性として性行為を売り物にしない可能性は考えられませんか?
このようなことが示唆された以上、示唆を覆すべき根拠を売春合法側は求められませんか?
要するに、自分と異なる声に耳を傾けるかどうかってことなんですけど。
声をあげることそのものが積極的根拠なんですね、こういった問題は。
日の丸・君が代だって、内心の自由だって、誰も声を出さなければ何も問題無いのですよ。
壱学生さんが期待するようなハッキリした抵触事項がなくても法は人々が問題にしたものをこれまでもたくさん規制したし、今でも我々はそのことを受け入れているからこそ法体系なるものが存在するわけです。
-
>>782
私の立場は既に幾度となく述べていますが、それを
お分かりににならないなら>>768を読みなさい。
>>781
方程式を教えるのに四則計算を知らない者には、まず
それを教える必要がありますが、それを拒む者には教
える事はできません。
釈迦ですら、全ての者を悟りに導けた訳ではなく、悟
りを開けない者に対しては布石を置いただけです。
貴方の様な自我のみで語るお子様には、徹底的に事
実を突き付けて後の布石を置く事しか出来ません。
それに貴方が決定的な思い違いをしているのは、私は
社会現象の分析をしている者であり、聖人の様に皆を
騙してでも救いを与えようとする者ではないのです。
勝手に相手に期待して、勝手に裏切られたと思い逆恨
みする、その様な心理現象は興味深いけど、個人的に
は迷惑ですね。
設問が不備だから不備だと述べたのです。
これは2ch辺りではよく見られる事ですが
『〜〜ってどうよ?』的な質問提起。
こんな馬鹿げた設問、本来なら相手にはしない
ものです(学術系の話ならね)
なぜかと言えば、あまりにも設問が漠然としす
ぎており、複雑性の縮減がなされてない為に有
意義な話にならない為です。
売買春の是非を話し合うなら基準を明確にしな
ければ話し合いにはなりません。
それには、まず基準が正常か否かを問う必要性
がありますが、それを貴方達は理解できないか
ら一から説明をしているのです。
基準が正常と仮定して論理を構築して、それが
当然と疑わないから、仮定そのものの是非を問
うている私の話が『全く』見えないのです。
機能主義の悪弊そのものとしか言い様がありま
せん。
-
>>785
自己分析乙。
おまえの最大の失敗を教えてやろう。
社会学がウンタラ言ってるくせに、自分の観察対象に自分自身が
加わってしまってることだ。
観察者として、観察対象の全てに荷担しない対等な距離を保とう
と思うなら、発言しないことだな。
観察対象に対して発言を行った時点で、おまえはすでに当事者の
一人なわけだ。外側から大きく構えているのは大間違い。
外側から見れば基準の設定など無意味に見えても、当事者にと
っては基準の設定が重要なものなどいくらでも実例がある。
子午線、赤道、日付変更線、国境、成人と未成年の境界、
宇宙空間で宇宙遊泳をする飛行士にとっての「上下」などなど。
当事者でなければ論じるのは無意味だろうが、当事者にとっては
基準の設定というのはこれ以上なく重要なわけだ。
おまえが当事者ではないなら、口を開くな。
口を開いた時点で当事者になっていることを少しは自覚しろ、
このバカ。
-
>>784を踏まえて
法規制をする際に重要な点として波及効果があり
ます。
現状の日本人の傾向は、共同体に精神的な安定を
求める精神共同体を求めています。
つまり『自己決定』の『自己』がなく『自我』を
広げる形でしか物事を見れない傾向のある国民性
を考慮して『法で売買春を認める』と、どの様な
帰結になるかと言えば、危険性がないとは楽天的
には言えません。
自己と自我の区別のつかない愚か者に自己決定権
を利用させて、痛い目にあわせて目を覚まさせる
のも一つの手ですけどね(笑)
-
それと、おまえは少しは>>1-10くらいを嫁。
「売買春の是非を問う」では、
「法に照らし合わせての是非」
「照らし合わせる法の正当性を問うための、売買春そのものの是非」
「売買春の必要性と不要性」
その他、いくつもの切り口が何度も出てきている。
しかも、「結論が出ないのは承知の上だが、どのような切り口や意見が
あるかを並べてみよう」という呼びかけもされている。
お前は、結局ナニも言ってないのと同じなんだよ。
それをお前だけが理解できてないの。
そろそろ人語を解しろ。
-
自己と自我は違う。
「自分にはわかっているが、おまえたちにはわからない」と言う。
では、「自己と自我の違いについて、わかるように説明しろ」と言う。
そうすると「教える義務などない」と言う。
これはなあ、「正解は俺だけが知っているから俺は正しい。だが、
正解がなぜ正しいのかについては説明しない。俺の頭の中にだけ
ある正解をおまえは共有させない」と言って悦に入ってるだけなん
だよな(w
おまえはケチだなあ。
-
>>787
>現状の日本人の傾向は、共同体に精神的な安定を
求める精神共同体を求めています。
う-ん、もともと日本人は集団性が強い民族だ、とは私は思っていますが。
それを言われているのでしょうか?
それとも、今平成16年(だっけ?)の時代・社会において精神的共同体を求める嗜好が強い、ということでしょうか?
>つまり『自己決定』の『自己』がなく『自我』を
>広げる形でしか物事を見れない傾向のある国民性
>を考慮して『法で売買春を認める』と、どの様な
>帰結になるかと言えば、危険性がないとは楽天的
>には言えません。
この「危険性」というのは、具体的にはどういったことを言われているのでしょうか?
-
>>790
)共同体
今も昔も、それほど変わりはありません。
日本の中間層(つまり大多数ですね)は伝統的に
ファシズムの傾向があります。
当掲示板を見ても、その傾向が伺えます。
ヤッス氏が普遍的真理(理論)を求める、皆と話
をして共通の価値観を持ちたがる事。
通りすがり氏(だったかな?)が、以前、私が『
国は道具』と答えたのに対して反発した事。
大神氏と、それに類するプチウヨクが国という共
同体に、精神的なものを求めている事。
これらに共通する事柄は、精神的共同体を欲する
ことに外なりません。
自分に自信が持てないから強いと思う(あくまで本
人がですが)ものにコミットする事により一体化し
安心感を得て、それを背景に異なる立場にたつ価値
概念を持つ者を排除しにかかり、それにより更に共
同体の結束を高める(生贄のろんりは話しましたよね
?)という仕組みなのです。
これは、自分に自信が持てない弱者のコミュニケーシ
ョンと言って差し支えないでしょうね。
)危険性
法も構造である以上、多数が法を信頼しなくなれば法は
その力を失います。(強制するにも限度がありますしね)
法は、一見揺るぎない存在に見えるかも知れませんが、
その実態は曖昧でいい加減なものなのです。
あくまで、表向きを取り繕っているに過ぎないのです。
これを踏まえて、生命の危険性を信じて疑わない多数派
に対して『売買春合法化』を突き付ければ、どの様な結
果になりますか?
彼らを説得するのは、武蔵氏を見ても判る様に困難、と
言うよりも現段階では不可能と言っても差し支えないで
しょうね。
仮に、売買春合法化が国民に社会常識として受け入れら
たとしても、それはそれで問題性があります。
売春には、人権を侵し、死に繋がる要因が含まれている
のですから、これが社会科学のモデル、社会常識になれ
ば現状の国民性から見て問題性はないとは言えないので
す。
もう少し皆が賢くなり、構造に隷属する状態から抜け出
せば、状況は変わるのでしょうけどね。
-
自分に絶大な自信を持ち、他人を顧みないことを強さだと考えるプチサヨクほど、
共同体に帰順しない個人の尊重を強く打ち出すんだよなー。
そういう主張そのものが少数である(=平均を求めた場合に、基準とするには
特殊すぎる)わけで、特殊すぎる、強い(=他人に対する配慮が少なく、配慮を
しないでも心が痛まない厚顔無恥な)モノは、日本では多数ではないわな。
プチサヨクはそうした「共同体を構成する」ということそのものを、「組織や社会
に迎合する」として唾棄する傾向が強く、共同体の一員としての行動や自覚を
持つと「プチブル」と言ってみたり、「心が弱くて多数派に阿って他人と自我を
融合させることでしか生きていけない」と言い張るんだけど、それって極論する
と、「心が弱い奴は生きていくな。一人で立てない奴は死ね。共同体を構成し
なければ対抗できない奴は、個人で抵抗できる人間に比べて価値が低い」
と言っているわけだよな。
三毛猫ナナって、弱者が生きていくための「共同体」を否定するんだね。
そいで、同じ見解や合意に至って「同意見の多数派」を構成した、「合意者」
を、「唾棄すべき多数派」って見てるわけなんだけど、そうすると、いつまで
も合意に至らない少数派が、相手を非難しあっていがみ合い、合意を形成
しない状態のほうがキミの理論としては正しいわけ?
アフガンやイラクが、軍閥の内戦で血みどろ細切れの無間地獄になって、
共同体を構成しないほうが、個人は幸福だって言ってるように聞こえるん
だがねー?
-
>ヤッス氏
私は『基準を設けるな』と言いましたか?
寧ろ『基準を設けろ』と主張しているのですよ?
(決定しなければ『決定しない』という『決定』を
することになりますしね)
論点は『何を基準にするか』『猫は、ヤッスは何を
基準にしているか』『それを自覚しているか?』
なのです。
それが曖昧だと、各分野ごとの視点で得られた物を
全体に還元できませんよね?
(あくまで、一部分を抜いて話をしているだけです
からね)問題は、それを理解していない事なのです。
後、自己と自我ですが、自己の意味も知らずに『
自己決定』に賛成していたのですか?(驚)
私は、仏教的な使い方をしてますけど、自己決定
の自己は、それと同様なのですよ。
(自我は自己が判れば、察しがつくと思います)
-
>>792
人間は社会的動物である以上、共同体は必要
なものであることは同意してますよ。
私は以前『国は(国民の利益を守る)道具』と述べた
様に、問題は『共同体とのお付き合いの仕方』なの
です。
会社や肩書きを自慢する親父達と、国に(自分の)誇
りを求めるプチウヨのナショナリズムは、根源的に
は尊厳を他者に求めるものであり、これは自己決定
とは対局にあるものなのです。
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>>793
知らないで、じゃないんだよ。
お前の使ってる言葉の意味と、俺が使ってる言葉の意味が、完全に
一致する保証はどこにもない。だから、お前の言葉の意味を言ってみろ
と言ってるわけよ。
「そっちが先にヤレ」ははっきりいって付き合いきれないから却下。
おまえ、読解力ないじゃん。
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>>794
共同体に所属してもよいが、自分が所属している共同体の成果を、
自分自身が享受してはいけない、と言いたいわけだな?
おまえは本当に、お強うございますねえ。
おまえが強いかどうかは勝手だが、世の中の大部分を占めるであ
ろう、弱者はおまえの主張にゃついていけんわな。
時に、巨人、大鵬、卵焼き って知ってるか?
これをどう解するかでおまえの程度を見極めてやるから、そのお得
意の「読解力」で読んで見せろよ。この語の語義と指し示す意図と、
ここでわざわざ引用したヤッスの「思惑」を。
-
「巨人、大鵬、卵焼き」は、ここまでの議論に何の関係もない、と猫は切り捨てようとするだろう。
が、これが「関係がない」という判断を下すようであれば、読解力ゼロ、論文再提出級。
大いに関係があるが、それが読み取れないならば落第級。
-
>>787
>つまり『自己決定』の『自己』がなく『自我』を
>広げる形でしか物事を見れない傾向のある国民性
>を考慮して『法で売買春を認める』と、どの様な
>帰結になるかと言えば、危険性がないとは楽天的
>には言えません。
一部同意だが、それゆえに、現在の抜け道を使った無法状態の売買春よりも
合法化と、細かい国家管理が必要と自分は唱えるのだが。
-
三毛猫氏は人様を見下すためと、寂しさを紛らわすために誰かに構ってもらいたいだけの
カマッテチャンにしか見えません。
議論をする気があるようには見えません。
正直な話、武蔵氏より遥かにタチが悪いです。
彼を相手にしていると議論が一歩も前に進まない。
意図的にその状況を作り出そうとしているのならば荒しですし、自覚が無いのであってもそ
れは荒しと同様であり、同類です。
彼の個人専用隔離スレッドがあるのですから、そこ以外では完全に放置するのが良いかと
思われます。
三毛猫ナナの社会学解読講座
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1063971263/
三毛猫氏、及び彼に構ってしまう方は、こちらで行なうようにお願いしたいと思いますが、如
何でしょうか。
-
>ヤッス氏
『巨人・大鵬・目玉焼き』とは、また懐かしい事で(笑
これは、60年代頃の子供の好きなベスト3ですけど、こ
れを持ち出してきた貴方の心理は興味深い。
これと貴方の心理は同じと言われるのなら、貴方は、
やはり自己と自我の区別がついていないのです。
貴方が、好きに決定出来るのは貴方の内在だけであり、
他者の内在も自分と一緒に出来る思う事は自己を越えた
『自我』なのです。
自己決定と言うのは『自分の事を自分で考えて、
選択して、決めて、責任を負う事』です。
それが、なぜ他者の価値観に惑わされるのか?
皆が『これはイイ』と言えば、それがイイのか?
貴方は、売買春賛成の理由として自己決定を挙げ
ているが、自己決定を何かを理解していない。
自己決定は、自我を、貴方の我を無制限に認めて
くれる類のものではなく、その様な我を一定範囲
に抑え込む為のものなのです。
自己決定と、貴方の希求する精神的な共同体は対
立関係にあるものなのです。
-
>>798
はい、剣氏の言う通り(うろちい氏の話も含めて)売買
春を検討する事は有意義だと思っております。
今は、その足場を固める作業をしているのです。
手前勝手な先入観は捨てなければ、有意義な話になり
ませんからね。
-
>>800
その解釈は間違っているなあ。
正解は違うところにあるんだよ。
だけど教えない。お前にはわからないからな。
お前が正解を言えたら「それが当たりだ」と言ってやるよ。
おまえのしていることは、こういうことなんだが、
わかるかな? わっかんねーだろうなあ(w
-
>>801
だったらお前の価値観を
捨 て ろ !
-
>>803
自我を捨てろとは言いましたが、自己を捨て
ろとは言ってません。
ウェーバの言う価値自由、ナーガルージュナ
の説く無我、の必要性を述べているのです。
自我を捨て自己を知ることにより、主体的に
世界に意味を与えることが可能になるのです。
貴方の様に『客観的視点』『第三者の視点と』
言いながら、自分の主観を他者に広げた形で
しか世界を見れないのは、貴方が自我を捨て切
れず、自己を知らないからなのです。
日本社会が昔から『公』の為と言いながら『私』
を延々と『公』に注ぐ『公私混同』がなされて
いるメカニズムと同様なのです。
>>802
『論理的に回答できません』と言う事ですね。
-
>>804
お ま え が そ う だ !
と言ってるんだがなあ。
やはり自分に対する批判というのは、一切聞き入れられないらしいな(w
猫のように客観的視点、第三者の視点、社会学の作法と
言いながら、猫の主観を他者に強制した形でしか世界を
見られないのは、猫が自我を捨てきれず、自己を知らない
からなのだ。
そして、次にお前がなんというか教えてやろう。
『貴方の批判は的はずれ過ぎて呆れるより他にありません』
-
>>805
私は売買春合法化を視野に入れて検討すべきだと思って
いますが、そうは思われない方が多数いるので、彼らの
視点『売買春には問題性あり』の立場から考えてみまし
ょうね、と述べているのですよ?
これの、どの辺が>>805の貴方の主張に当てはまるのか
論理的に明示しなければ、話にならないのですが?
貴方にはそれすらも、理解できないのでしょうね。
-
ちなみに、私が仮に自我を広げた形で話をすると
壱学生氏の様に『気持ちの問題くらい我慢しろ』
となるでしょうね。
反対派にとっては、その様な軽い問題ではない事
実性、他者の他者性を認めなければ、この様な馬
鹿な結論が出てくるのです。
-
これまでのところで、非合法論者(合法化反対論者)の主張で、
「なるほどなー、それが事実ならしょーがねーべや」と一瞬でも
思ったのは川田理論ぐらいだがなあ(w
じゃあ、今から反対論の立場でどうしても譲れない理由とやら
を考えてみっか。
おまえも反対論の立場に主観的に立てよな。
結局、賛成論も反対論も「それを打つ人間の主観でしかない」
と言いたいんだろ? 客観ではなく。
ならば代弁も主観でよろしく。
-
売春を許せない理由。
まず、衛生上の理由と妊娠については、「努力によって(100%でなくても
回避が可能」なので、その理由には含めないものとする。100%でなければ
ダメだってんなら、話にならないから。
・個人的に自分の身体を売るのが厭だ
・個人的に自分の身内が売るのが厭だ(情緒的に耐えられない)
・自分及び身内の身体を売るのが厭だという情緒的な気持ちと矛盾
しないようにするためには、自分が他人の身体を買うのも厭だ。
・同様に自分の身内に他人を買わせるのも厭だ
ここまでは、ごく小さな世界の話。つまりは、自分という個人の損得と感情、
それをやや拡大した最小単位の共同体という意味で、血縁関係にある家族、
夫婦、親族など、「当事者である自分と同一視または感情的にも影響を与え
たり与えられたりする可能性が高い関係」にあるものに対しての意識上束縛。
-
これをさらに拡大して、
・自分の保護下にある者が売るまたは買うのを見るのは、情緒的に厭だ
・自分の至近にいる、または同じ地域にいるものがそれをするのが厭だ
・自分と仕事、学校などで共通の利益を得ているものが、それをするのが厭だ
さらに拡大して、
・自分の知らない人間がそれをするのも厭だ
・自分と同じ地方に住むものがそれをするのが厭だ
・自分と同じ国の、同国人がそれをするのが厭だ
・自分の国以外で外国人が外国人にそれをするのが厭だ
となっていくわけだが。
個人の信条/心情として、自分が厭だは理解できる。
そういう主張がある、ということも別に非難しない。好きにすればいい。
個人の信条/心情として、自分の家族、配偶者、親族がそうなるのが
厭だという感情もわからんでもない。
これは、「自分と同一視していて、自分と家族の人格的な区別が
できていない、一心同体のつもりがあり、家族の自由意志を阻害する
ことも辞さない」ということでそうしたいのだろう。
個人を尊重するなら「自分」まではともかく、それ以上の他人の行動に
口出しするのは、それが「家族」であってもどうかと思うが。
殊更に、自分と同一視しがちな血縁関係を越えて、自分と直接の
利益上の接点がない第三者にまで自分と同じ行動を取ることを強要
するというのは、つまりは「自己と自我の区別が付かない」が故に、
そうした行動を起こす、ということかね。
「俺がそう思っていることは、俺以外のみんなも同じように思ってい
るはずだ」
という。
そうすると、「自己と自我の区別が付かない者(=武蔵)が、自分の
主張に他人が従うのが当然」と考えた結果、自分の個人的感情で
ある非合法/売買春反対論を自分と無関係な第三者にまで広げる
ことを肯定するようになる、ということか。
-
さて。
「売春には問題性がある」
の、問題って結局なんだ?
とりあえず、このスレでは「すでに存在する法律で否定されているから
犯罪」という意見は、ループの元になるので排除した。
・従事者/利用者の健康の問題 <性病の罹患
・公衆衛生の問題 <性病の蔓延
・事故としての妊娠の問題 <堕胎の多発、私生児の親権
・上記3項を原因とする従事者への蔑視 <職業差別
・そもそも売春は職業として認められるか否か <職業差別
・婚外交渉の是非
・既婚者の利用による配偶者の感情の是非
性病の罹患と蔓延(健康と公衆衛生)については、合法化して管理を
徹底したほうが防止が進むのでは、という意見がすでに出ている。
事故としての妊娠も同じ。「売春婦が意図的に客を子供を作ろうとする(ム)」
という仮定はそれこそアホ過ぎるので除外する(w
従事者への職業差別(蔑視)というのは、元を辿れば「性病を
罹患、蔓延させる恐れがある」という、「共同体に不利益な疫病
を流行らせる忌みごと」、及び「共同体に血統不確かな私生児を
押し付ける(本人が抱えた場合も同じだけど)という血縁主義に
端を発する経済負担への忌みごと」が原因となっている。
性病問題と事故としての妊娠を解決できると、差別の原因はほと
んど消えて解消されてしまう。
-
>>811の続き。
売春を職業と認められるか否かについて。
職業/仕事というものは、貨幣経済にかかわらず「なんらかの目的のもの、
状態を得るために、自分の持っている所有物を手放す、与える取引のひとつ」
と考えられる。商品売買でも付加価値売買でも同じこと。
その中で、売春は「肉体労働」の一バリエーションと言える。人間が所有している
「所有物」の中で、もっとも根源的なものは「自分の身体」である。そのうち、臓器
売買などは繰り返し売買することができない(一度売ったら複数存在しない臓器
のほとんどはなくなってしまうから)が、肉体や臓器を一時的に貸与することは可能。
多くの「肉体労働」は、特定の時間に限って特定の条件(金銭)で、自分の筋肉と
体力を提供するものであり、売春はそれを「性器」とその関連物に制限している以外
は肉体労働と何ら変わらない(というより正に肉体労働)と言える。
故に、売春は「肉体労働の職業である」と言える。
そんなわけで、次の問題点。
-
今日はヒマなんで続くぞー。
金曜っていいなあ。
ここまでに「健康問題」「避妊」「蔑視」「職業かどうか」については一応
考えてみた。
で、反対論者が売春を受け入れにくい問題として大きいのは、ここから
続く二項じゃないかと思う。
「婚外交渉の是非」と「既婚者の利用による配偶者の感情の是非」ここ。
まず、独身者が売春を利用する場合。これは別に何ら問題は起きん気がする
のだが、反対論者はそれをも問題にする。一応、ここでの売春で「売る側は
自分の意志で売春をしている」としておく。(人身売買の問題はまた後で)
独身者が利用する場合で、それが問題になるのは、「あの人、ソープ通い
してたんですって」「まー、汚らしいわ!」と、後々問題にされるケースかねえ。
これは、蔑視の問題(+公衆衛生の問題)が絡んでくるんだろうなー、と思う。
また、「ソープ通いしてたようなヒトとおつきあいできません」というのもおるかも
しれん。
俺的には、「新婚初夜に両方とも未経験で知識なし」というのは悲惨でしか
ないので(w)、男性がリードする必要があるなら婚前の独身者はどこかで
何らかの経験を積まなければならないことになる。昔は年上のおねいちゃん
やおばちゃんが若い男の水揚げ(筆下ろし)をしてくれたんだろうけど、今は
そういう偶然や必然は確実に望めるわけではない。そうすると、職業売春者
の手ほどきを有料で受けるというものが出てくるのも致し方ない。
武蔵とか武蔵クローンのヤツスとかは、そこんところ、「モテナイ君の救済を
風俗嬢にさせるべきではない」と主張してたが、「救済すんな」と言われちゃう
と、ねえ(w
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