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古代科学史掲示板

1管理人:2018/05/08(火) 19:42:26
赤井川・ウトナイ湖・幌満隕石ルート
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000001M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000001_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000001_3M.png

連休中は、北海道各地のクレーター探索をしていました。

今回は、一昨年掲示板で論議して、先の会報7号にも掲載した北海道各地のクレーター落下ルート(図1参照)のうち、岩淵先生ご指摘の赤井川のクレーター状地形を起点として、ウトナイ湖、幌満・様似(隕鉄の採れる鉱山がある)へと伸びるラインを探索してきました。

詳細なルートについては、また後日お知らせしますが、図2のようになります。図3はウトナイ湖です。

概ね25度前後のラインとなり、地軸の傾斜角から年代を推定できると思います。

それで、先日も指摘したのですが、ウトナイ湖も、支笏湖同様に、半月型のクレーターです。

なぜ、隕石の落下の際に、円形ではなく、半月型のクレーターとなるのかが課題でしたね。

この件を物理学的に解明したいと思います。



429管理人:2020/04/13(月) 15:45:47
掲示板の題名変更
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000434M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/魔鏡



430史実探偵: 平 素人:2020/04/15(水) 06:13:36
Re: 掲示板の題名変更
管理人さまへのお返事です。

古代化学掲示板・いいネーミングですね。気に入りました^^。
方墳・銅鏡について、ていねいな解説ありがとう御座います。勉強になります。

>
> > はなしに根がつづかず、散文的になって大変申し訳ないのですが、
> > 以前に管理人さまが「ぶらタモリ」で、東北、山形?秋田?の<タール油田>の話しをあげられていましたね。私も見ましたがとても "気に残って"います。その「標高」で6500万年前の巨大津波が運んだ生物体が釧路平原の “奥まったと所と河口海底” に眠っているのではと・・・^^。植物のほうは河口に流れ出て「釧路炭田」となっていますからね。これ 極秘ですよ(笑い)
>
> どうなんでしょうね・・・。そもそもどうして湿原になっているのですかな・・・。

津波(流体)というものは、似たようなものを分別し、それぞれのモノをそれぞれの場所に集め収めおく性質があります。これを知り得たのは中学生のときでした。洪水で流木が川面一面に広がって流れないでまとまって流れているのに不思議をおぼえました。以前にも上げたかと思いますが、津波の流れは上下流が逆なだけで、川の流れの上流域から河口域までの様相によく似ています。

釧路平原には早くから石油ありと睨んでいましたが、ここでの津波の高さ(標高)が推めていませんでした。北米の同緯度あたりのロッキーの山すそに油田があります。しかしながら北海道では情報量がすくなく、その高さが分かっていませんでした。・・で、それを(ぶらタモリ)で知ったわけです。釧路平原には北極からの逆流もあり、その絞込みはこれからになりますが、いまだ着手していません・・・^~!

「どうして湿原 ?」
新しい課題を頂きました。どうしてなんでしょうね? これから考えてみます・・・
ありがとう御座いました。□


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



431荊の紀氏:2020/04/17(金) 10:33:54
ピラミッドと黄金比…
北緯33度13分41秒 東経131度07分59秒
正5角形の対角線はすべて互いに「黄金比で切断」している…
古代に磁北を測って方位を定めたのでないことは確実です。
(日本経済新聞より抜粋)
古代の方位測定法 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fhayabusadandy.wixsite.com%2Fshimeha%2Fblank-3
…いまの私たちなら、方位磁針(コンパス)を使うのが簡便です。ただし、よく知られているように、磁針が指す磁北は、地球の自転軸の延長方向である真北とは一致しません。奈良や京都では、真北から7度ほど西にずれています。この差は地域や時代によって異なりますが、6〜8世紀ではさらに大きく、西日本では平均して10〜15度も西へずれていました。したがって、古代に磁北を測って方位を定めたのでないことは確実です。
 次に思いつくのは、北極星を測ることでしょう。現在の北極星(ポラリス=こぐま座α星)は真北にかなり近い位置にありますので、これを利用するのが真北の測定法としてはもっとも簡便です。実際、古代にも北極星で真北を求めたと主張する人がいます。
 ところが、北極星はずっと同じ位置にあったわけではありません。コマが首を振るように、地球の自転軸は約25,800年の周期で動いており(歳差さいさ運動)、現在の北極星が北の指標となったのは大航海時代(15世紀)以降といわれています。それ以前は、紀元前1,100年頃にコカブ(こぐま座β星)、紀元前2,800年頃にはトゥバン(りゅう座α星)が北極星の役割を果たしていました。しかし、古代の日本に、北極星にあたる星は存在しなかったのです。
 ではどうやって方位を測ったのかというと、まず間違いないのは太陽を利用する方法です。地面に棒を垂直に立て、それを中心に円を描きます(全周させなくてもかまいません)。午前と午後の2回、棒の影の先端が円周上にくるときがありますが、その2点を結べば、ほぼ正確に真東西となります。この方法は、古くから『周礼しゅらい』をはじめとする中国の書物に記され、簡単なうえに精度もよいことが実験でも確かめられています。日本へは、そうした書物や朝鮮半島からの渡来人をつうじて伝えられたのでしょう。…
【スタジア測量】《stadia》視距儀の接眼部にある2本の線が挟む標尺の目盛り数(長さ)と高度角を読み取り、標尺までの水平距離と比高を計算する測量法。
例えば問題 測量士補試験から<H17-4-A:問題>
アリダードによるスタジア法において、2点A、B間の距離を測定するためにA点に平板を整置し、B点に鉛直に立てた上下間隔2mの目標板を視準して、上方目標板の読定値十3.2、下方目標板の読定値−1.5の値を得た。2点A、B間の水平距離はいくらか。
 問題文を図に描くと次のようになる。…
アリダードの前視準板の目盛(分画)は、アリダード全長の1/100である。また、水平線を境にできる上下三角形が相似形であることを考えると、次の式により、水平距離Sを求めることができる。
100 : {+3.2 − (−1.5)}= S : 2m
∴?? 4.7S = 200m???? よって、S = 42.553m

測量のはじまり /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fuenishi.on.coocan.jp%2Fj032kodai.html
…古代には砂漠や草原の広大な地域を移動する遊牧民や隊商は道筋に石などを積み上げ道標としたり高い山などを目標としました。しかし地上の目標物のないところでは太陽の方角、日中の影の方位、夜は北極星などの天体によって進む方向を知りました。日本では草原や砂漠はなく狭い範囲で人々の移動も少なかったのですが、やはり周囲の特徴のある山や川などの地物を目印に移動していたと思われます。海上でも天体を利用し沿岸部では高い山や島を目標物として航行しました。このように人の移動にともなう目的地や自身の位置を知るために自然の地物や天体を利用するナビゲーションから「測量」がはじめられたと考えられます。
中国の「十八史略」によれば古代伝説上の帝王である黄帝の時代(紀元前2500頃か)に戦場で方向を定めるため「指南儀(車)」がつかわれたと記述されていますが、そのしくみは磁石を応用したのか、太陽などの天体を観測して決めたのかは不明です。しかし測量に専用の道具を用いられたのはこの例が初めてのようです。農耕や牧畜とともに定住生活が進展すると測量、地図、暦などが必要になってきます。たとえば中国では黄河の治水のため大規模な工事が行われ、同様に古代エジプトでもナイル川の治水、ピラミッドのような大規模工事が行われ当然、方位だけでなく数学や天文学を応用した高度な測量にもとづく土木工事が行われていたことがうかがえます。古代エジプトの測量の様子は壁画としても残存しています。1998年(平成10)にエジプトで発行された測量局発足100周年記念切手には紀元前1300年頃、ルクソールの西岸、貴人メナ(Menna)の墓の壁画が表され測量風景が描かれています。農地を背景として先頭は巻尺(ロープ)を延伸する測量師、ついで測量隊の権威を表わす柄の長い錫杖のような杖を持つ監督者、杖は河の氾濫で土中に埋没した標石を発掘する道具としてもつかわれたか、そのほか測量記録または地図の巻紙を持つ記録者などがわかります。このように農地の測量から面積を算出し、収穫を予想して課税にも活かしたことが想像できます。[Joel F. Paulson:Surveying in Ancient Egypt FIG Working Week Cairo 2005 p1−12]、[アルベルトシリオッティ・矢島文夫訳:王家の谷 河出書房新社 1998 p154]
地図についてはメソポタミアやヨーロッパ地域では紀元前に地図が描かれた粘土板や洞窟壁画が、エジプトでもパピルスの巻物などの地図が発見されていますが、どのような目的に利用されていたかわかりません。いずれにしても日本ではこの時代の測量や地図の遺跡はありません。
ギリシャ・ローマ時代になると数学や天文学が盛んになり三角法を利用したり地球の円周といった実測が困難な地物の大きさの算出も行われ実測量に想像を加味した世界図も作成されました。紀元前後には人々の移動も増加しローマ人は位置と距離を表す里程標も設置したようです。紀元前550年頃以降、ピタゴラスによる大地の球形説、ヘロドトスによるヨーロッパ・インド間の世界図、アルキメデスの地球周囲の算出、ヒッパルコスの三角法、エラストテネスの地球弧長測定、シーザーによるローマ帝国の地籍測量、また中国では秦の始皇帝時代に精密な地域図などの制作が行われています。紀元150年頃にはギリシャのプトレマイオス(Claudius Ptolemaeus 83年頃 〜168年頃)が世界図の作成をはじめ、三角法の利用、経度の表現などで地理学、測地学に業績を残しました。中国でも紀元後、漢の時代に天文学者の張衡(ちょうこう 78〜139、著作に天文書「霊憲」)が経緯度座標を地図に応用したり天文観測機器である水力渾天儀(こんてんぎ)の考案をしました。
日本では縄文、弥生時代には聖地にあたる弥盛地(いやしろち、祭祀場)の位置決定は夏至や冬至、春分や秋分の日の出や日の入の方位によったり北極星を基準にしたり、高い山や岬などを結んだ線上におかれたりしました。古代の祭祀場が方位にもとづき設置されている多数の事例が遺構に見られます。このなかには日本でのみ出土する銅鐸の埋蔵遺跡では銅鐸の「ひれ」の向く方位と直角の方位が冬至の日の入方向であったという事例もあります。中国との交流がすすむと山川や水流などの様子によって都城、住居、墳墓の位置を決める「風水思想」も導入されてきたようですから、これらの事例が現代でいう三角法や交会測量法などを応用した測量によって決められた遺跡であるとはいえません。なかには方位を意識せず設置された場合でも結果として偶然、方位との関係が緊密になってしまった事例もあるように思われます。[堀田総八郎:神々のメッセージ 中央アート出版社 1995 p21−85]、[森下年晃:星の巫(かんなぎ)リベルタ出版 2009 p140−147] 、[布施泰和:竹内文書と平安京の謎 成甲書房 2015 p16−23]
3〜4世紀になると墳墓や陵墓が築造され、いまも堺市に仁徳陵、羽曳野市には応神陵など巨大な古墳が残存しています。これらは築造の過程でかなり精密な測量が行われたことがうかがわれます。4〜5世紀には仏教の伝来とともに大陸の文化、技術も人材とともに渡来しました。農地、交通要路、用水路など測量や土木の技術が不可欠な構築物が遺跡となっています。古代朝鮮の百済からは秦氏(はたうじ)が渡来しています。現京都の山背国葛野郡太秦(うずまさ)を根拠にし多人数が各地に土着して治水、灌漑などの農業土木や養蚕、機織などの技術を普及しました。農業土木には当然、測量も含まれていたと思われます。
4世紀頃から大王(おおきみ)による支配と国家体制の整備とあいまって地方豪族の勢力範囲、いわゆる縄ばりを決める必要がでてきました。日本書紀によれば3、4世紀頃(成務天皇5年)のところでは
五年秋九月(ながつき)、諸國に令(のりごと)して、国郡(くにつきと)に造長(みやつこ)を立て、縣邑(あがた)に稲置(いなき)を置き、並びに楯矛(たてほこ)を賜ひて表(しるし)と爲(し)、山河を隔(さか)ひて國縣を分ち阡陌(たたきのみちよこさのみち)に随(まにま)、邑里(むら)を定め給ひき。 [武田祐吉編:訓読 日本書紀 臨川書店 1988 p173]

【測量技術の歴史】測量は紀元前3000年のエジプトから存在して ... /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.thg.co.jp%2Fdouyo%2Fshikaku%2Fsokuryoshiho%2Fsurveying-technique-history%2F

続・古代の直線測量の新事実(巨大古墳の謎に迫る) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F
…測量技術は国家機密だった? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F2014%2F06%2Fblog-post_11.html
…古代の道が地形をほぼ無視して真っ直ぐに造ったのに対して、中世の道は微妙な地形を考慮したり、もとにあった道筋を利用したりして、造られたように思われます。
 つまり古代から中世へと、直線を測量する技術が引き継がれなかった可能性が考えられるのです。
古代人が日本中を測量しまくっていた事実 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F2014%2F05%2Fblog-post.html
さきたま古墳群に見る規則性
空中写真で見るさきたま古墳群 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F2013%2F11%2Fblog-post_15.html
 筑波郡衙(平沢官衙)の総柱の建物群の図面である。大雑把に見るとほぼ東西南北のラインに沿って建てられたのと、角度を持って何かの基準線に合わせて建てられたのに分かれる。
 角度を持った基準線を引いたのが、ピンクの直線だ。この角度は約17度で、真北から西に振れている。
 この角度が、飛山城址を起点に郡衙が一直線に並ぶラインの角度と一致している。
約16.5度の角度で真北真南ラインから斜めになっています。
巨大古墳には驚くべき事実が隠されていた
前方後円墳の形は丸い部分と台形状の部分を合わせたようになっています。この中で前方部の墳頂つまり台形状部分の高くなった場所の経度が、ほぼ正確に揃うものがあるのです。
国土地理院の地図に経度と緯度が表示されているので、それで確認してみましょう。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F2016%2F04%2Fblog-post.html

? 中国と日本の銅鐸(どうたく) 銅鐸(どうたく)も青銅器。 渦模様、黄金比、ジグザグ模様が見られるので、ニンギシュジッダ作。
宇宙の起源 4章(21) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fmotoharu567%2Fentry-12489743618.html
黄金比…
> 図5 加茂岩倉遺跡の同笵銅鐸・・・ 18度 36度 72度 108度?
>
> 18°,36°,54°,72°の三角比(sin cos)
> 2006年11月27日 - 360÷5=72度ということは各辺に3つずつある合計15個の円周角は全部36度. この円 周角が2つ集まる角が72度で,3つ集まる5角形の内角は108度となる. 5角形 対角線 BEと辺CDはそれを横切るCEが錯角の位置で36度になるので,平行 ... /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkurobe3463.blogspot.jp%2F2006%2F11%2Ftriangular-ratio-of-18-36-54-and-72-sin.html
> 「正5角形の対角線と辺の比」が有名な黄金比で,正5角形の対角線はすべて互いに「黄金比で切断」している.
18°,36°,54°,72°の三角比(sin cos) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.uja.jp%2F2006%2F11%2Ftriangular-ratio-of-18-36-54-and-72-sin.html

フィボナッチ数列との関係等,黄金比に は,他にも面白い性質が沢山ある.
黄金比について(1) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.rikou.ryukoku.ac.jp%2Fimages%2Fjournal66%2FRJ66-02.pdf

フィボナッチ数列 五角形の画像 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.bing.com%2Fimages%2Fsearch%3Fq%3D%25e3%2583%2595%25e3%2582%25a3%25e3%2583%259c%25e3%2583%258a%25e3%2583%2583%25e3%2583%2581%25e6%2595%25b0%25e5%2588%2597%2B%25e4%25ba%2594%25e8%25a7%2592%25e5%25bd%25a2%26qpvt%3D%25e3%2583%2595%25e3%2582%25a3%25e3%2583%259c%25e3%2583%258a%25e3%2583%2583%25e3%2583%2581%25e6%2595%25b0%25e5%2588%2597%25e3%2580%2580%25e3%2580%2580%25e3%2580%2580%25e4%25ba%2594%25e8%25a7%2592%25e5%25bd%25a2%26FORM%3DIGRE
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.bing.com%2Fimages%2Fsearch%3Fview%3DdetailV2%26id%3DF14AAE877632F442525A566C986EE3F790490953%26thid%3DOIP.Hj9EHVdjImH2oZsUD_6thQHaEk%26mediaurl%3Dhttp%253A%252F%252Fmayakoookura.com%252Ftaiwa%252Fimages%252Ffinavochi.jpg%26exph%3D309%26expw%3D500%26q%3D%25e3%2583%2595%25e3%2582%25a3%25e3%2583%259c%25e3%2583%258a%25e3%2583%2583%25e3%2583%2581%25e6%2595%25b0%25e5%2588%2597%2B%25e4%25ba%2594%25e8%25a7%2592%25e5%25bd%25a2%26selectedindex%3D51%26qpvt%3D%25e3%2583%2595%25e3%2582%25a3%25e3%2583%259c%25e3%2583%258a%25e3%2583%2583%25e3%2583%2581%25e6%2595%25b0%25e5%2588%2597%2B%25e4%25ba%2594%25e8%25a7%2592%25e5%25bd%25a2%26ajaxhist%3D0%26vt%3D0%26eim%3D1%2C6
「天円地方(てんえんちほう)」… /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

天円地方(てんえんちほう)とは、天は円く、地は方形であるという古代中国の宇宙観である。 中華文化圏の建築物や装飾のモチーフとして用いられる。天が円で表されるゆえんは、星の運行が円運動で表されるためである ...

前方後円墳という形状の由来のひとつとして、天円地方(てんえんちほう)という思想が影響しているという説があります。 天円地方とは、古代中国の思想のひとつで、円形は丸い天をあらわし、方形は地を意味してるというものです。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.daremomiteinai.com%2Fentry%2F2018%2F06%2F21%2F235935
実際に多くの前方後円墳の墓所は後円部の頂上の設置されているそうです。亡くなった前代のリーダーを弔う次代のリーダーは、地である方形の支配者に、ということのようですね。
地である方形の支配者…
四大天使とは?
四大天使について、名前や役割、司る方位や色などをご紹介していきます /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkirari-media.net%2Fposts%2F6542

錐体の体積は「底面積×高さ÷3」。なぜ3で割る? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1178514666

立体の三角錐 これら全部、間違いなのではないかと、直感でそんな気がしました。 円形も、八葉形もみんな想像の産物に過ぎないかもしれないなと、思ってしまいました。 その理由は、八咫鏡の名前を解読すると、分かってきます /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftacchan.hatenablog.com%2Fentry%2F2020%2F03%2F19%2F003222

方格規矩四神鏡の鏡背面の文様は、古代中国人の、大地は方形(ほうけい)で天はそれをドームのように覆(おお)っているという、「天円地方(てんえんちほう)」の世界観(せかいかん)に基づいて、宇宙の構造を模式的(もしきてき)に表現したものです。具体的には、中央の鈕(ちゅう、紐〈ひも〉を通して持つための装置)のまわりの正方形の区画(方格)は大地、周縁(しゅうえん、鏡背面の縁〈ふち〉の厚みのある部分)は天穹(てんきゅう)、方格の四辺の中央から外へ突出(つきだ)したT字形は天を支える柱と梁(はり)、周縁から内側へ突出(とっしゅつ)した逆L字形とV字形は天をつなぎとめる装置、をそれぞれあらわしたと考えられるのです。そして、鈕と周縁の間にはさまざまな動物などが鋳出されていますが、そのうち、中心となるのは、青龍(せいりゅう)・白虎(びゃっこ)・朱雀(すざく、鳳凰〈ほうおう〉のたぐい)・玄武(げんぶ、亀と蛇が絡〈から〉んだ像)です。四神(ししん)とよばれるこれらの霊獣(れいじゅう)は、天の東西南北を代表する星座を表現しています。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.kyohaku.go.jp%2Fjp%2Fdictio%2Fkouko%2Fhoukaku.html

墓は『仏舎利塔を原型に江戸時代にできたといわれています。土台を2段に重ね、その上に棹(竿)石と呼ばれる縦長の石が載っています。石は上から「天(家庭円満)」「人(人望)」「地(財産維持)」を表しています。』だそうですから、元々が仏舎利塔、つまり世界樹がモデルということになります。
ならば、竿石はリンガであり、四角の土台はヨーニであって、リンガ・ヨーニです。でもって、墓の「天人地」は天上、中間世界、地下であって、リンガや崑崙山の概念と全く同じです。
瀬織津姫 & クンダリーニ…No.221https://ameblo.jp/8484yogi/entry-12189262055.html

五輪塔とは 読み方 ごりんとう 五輪塔とは、上から宝珠、半月、三角、丸、四角の五つの石を組み合わせた供養塔のことです。

円周率と黄金比cosmos.art.coocan.jp/sp/sp53.htm
円周率と黄金比を構成する式を示す。両者は10とも密接な関係を持っている。

【ピラミッドと数学】 - 円周率や黄金比の関係を紹介!
ピラミッドと円周率の関係
観光地として人気の高いエジプトのギザの三大ピラミッド。このピラミッドは数字と大きく関係しています。
ピラミッドには円周率を表わすπが隠されていると言われています。クフ王のピラミッドの一辺の長さをピラミッドの高さを半分に割ると、πの値に極近い数字が算出されます。古代のエジプト人は円周率のことを知っていたのでしょうか。
ピラミッドと黄金比
黄金比は黄金分割とも呼ばれ、古代ギリシャで発見されました。私たち人間にとって最も美しく安定した比率で、美しく見せるための基本的な条件とされています。
ピラミッドには、この黄金比が使われていると言われています。クフ王のピラミッドを例に挙げると、ピラミッドの高さと底辺の長さの比率がだいたい1:1.6になります。これは黄金比と呼べる特別な比率になります。
ピラミッドと地球 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.pyramid-trip.com%2Fmystery%2Fnumber.html
ピラミッドの大きさが地球の大きさと深い関わりがあると言われています。地球を東西と南北へ360度ずつ区切っていく地理度というもので見ると、クフ王のピラミッドの一辺がその地理度の1分の1/8と同じで、辺心距離はこの地理度の1分の1/10と同じになります。また、クフ王のピラミッドの高さが地球と太陽の一番近い距離の1/10億になります。
要は、大ピラミッドの高さを10億倍すると、地球から太陽までの距離の1億4700万キロになるということです。同じくピラミッドの高さを43200倍すると地球の半径になります。そして、ピラミッドの総重量の100兆倍が地球の重量と同じです。

ピラミッドの高さと底辺の長さの比率がだいたい1:1.6になります。これは黄金比と呼べる特別な比率…
黄金比…
 石柱のハンドバックの上下に、ジグザグの模様が見られる。
これと同じものはシリアの目の女神像や、紀元前2000年頃から日本と中国で見つかる銅鏡や銅鐸(どうたく)に見られる。
銅鏡や銅鐸(どうたく)には黄金比の曲線や渦模様が見られることから、これもニンギシュジッダによるもの。
…1つ上の銅鐸(どうたく)の画像の黄金比の渦模様の下に彫られている動物もイノシシで、つまりそれはニンギシュジッダのシンボルということ。

…銅鐸の姿を底辺の長さ・高さ・底辺と肩の長さ等を測定しギリシャ人の発見した黄金比 1.618 ( 0.618) を適用し て考察した。
古事記と銅鐸
古事記は銅鐸を記録している (2013/9) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsites.google.com%2Fsite%2Fkojikidotaku%2F
出雲風土記の記述から出雲の荒神谷遺跡(銅剣358本・銅矛16本・銅鐸6個の埋納)加茂岩倉遺跡(銅鐸39個埋納)を取り??巻まいて,延喜式神名帳の神社の中に多久社(鐸社)・宇智・宇治(打ち社)須美禰社(澄み音社)等と等ど呂ろ吉き社(轟き社)等銅鐸の?? 鳴る音を現した神社があることが分かった。
またこの神社に関連している神々の地名説話があり銅鐸の埋納地と出雲の神々が密接?? に結びついていることが分かった。従って出雲が銅鐸の母胎であることを新たに確認することが出来た。
…また加茂岩倉遺跡から出土した39個の銅鐸は6区袈裟襷文4個流水文9個で特に26個が4区袈裟襷文であり鐸身に3つの輪が刻まれている。
????既に明らかにしているように三輪の神には固有の神名がなく、大物主の名称は延喜式神名帳の大和城上郡に大神大物主神社が唯一つあるだけでありこの名称は古事記で初めて作られた太安万侶式名称と思われる。従って三輪の神は鐸身に3つの輪のある4区袈裟襷文銅鐸の愛称?? であったと考えられる。
????古事記には「海を光てらして依り来る神ありき。その神の言のりたまいしく、「よく我が前を治めば、吾能く共に相作り成さむ。若し然らずば国成り難がたけむ」??と言って御諸山に祭られたとあり、これは神ではなく祭器神であり小・中型銅鐸を示していると考えられる。
??従って大穴持命の時代は加茂岩倉遺跡?? から出土した流水文及び4区袈裟襷文の小型・中型銅鐸の製造された時期であったことが窺われる。
 … 終わりに銅鐸の姿を底辺の長さ・高さ・底辺と肩の長さ等を測定しギリシャ人の発見した黄金比1.618(0.618)を適用して考察した。
その結果日本の古代の人々も銅鐸の高さと科底辺の割合、底辺と銅鐸の肩の長さ及び頭部の円の直径の間に黄金比に近い値を見出していることが分かった。
これが銅鐸の素朴で美しい調和のとれた成形の簡単な根拠であり、古代の銅鐸製作者が無意識のうちに黄金比を感知していたことが分かる。
?? 同様に古墳の形と濠の形が銅鐸の頭部の形と縮図の上で重なるので、同様に黄金比的考察を行ったが古墳には黄金比の関係はなかった。
しかし銅鐸の縮図と古墳の縮図が重なり合うのは銅鐸の設計法を古墳の設計に利用していたのではないかと考えられる。

120.540571°…360°÷3=90°×4…
三垣(さんえん)とは、天球を天の北極を中心に3つの天区に分けた紫微垣・太微垣・天市垣の総称。またはその基準となった星座(古代中国では星官という)。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
紫微垣 - 中垣。北極星周囲の区画。
太微垣 - 上垣。北斗七星より南、星・張・翼・軫より北の区画。
天市垣 - 下垣。房・心・尾・箕・斗より北の区域。
星座としての三垣は、藩垣すなわち城壁の形を象ったもので、城門のある南北は開かれた形で左(東)の城壁と右(西)の城壁に分けられる。それぞれ囲っているのは、紫微が宮殿、太微が庭園、天市が市場とされる。
三垣を天球上の領域とするような考え方は『晋書』天文志の段階ではまだ見られない。その後、隋の丹元子作という星座詩『歩天歌』において北極を中心として星座が三垣に分類されている。以後、三垣二十八宿(三垣二十八舎とも)を天上世界の区域名として使うことが一般的となった。

謎の東経線…黄金分割線に存在した古代の日本ピラミッド! /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DkdSlWjSfaOM
地球上の有名な古代文明の場所がギザのピラミッドを起点として、黄金分割線上に存在する…。
ギザのピラミッド・ストーンヘンジ・
29° 58′ 45.03″ N, 31° 8′ 3.69″ E
十進数 29.979175, 31.134358

ストーンヘンジ(Stonehenge)
51° 10′ 44″ N, 1° 49′ 34″ W
十進数51.178889, -1.826111

ギザのピラミッドーストーンヘンジ
距離 3,429.958203?
方位角 319.832738°(40.16726°)

ギザのピラミッドーエルサレム
距離 502.505089?
方位角 80.373309°

40.16726°+ 80.373309°= 120.540571°


432管理人:2020/04/17(金) 22:58:32
西暦536年
ちょっと興味深い記事がありましたので、引用します。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnote.com%2Fbatonz%2Fn%2Fnaeea8f9baee6

西暦536年の大噴火、気候変動をもたらしたのは、隕石落下だったと考えますが、この件についても再考したいところですね。

あと、平さんのおっしゃるお話は遠心分離機の原理ですね。

その津浪の蛇行が、周辺の地層に変化をもたらすとすると興味深いところです。

433史実探偵: 平 素人:2020/04/18(土) 04:48:35
Re: 西暦536年
https://note.com/batonz/n/naeea8f9baee6

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



434管理人:2020/04/20(月) 23:24:57
Re: 西暦536年
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


プラタモリ、今週は飛鳥でしたね・・。

> 管理人さまにお伺いします。
> 巨大隕石で、火山の大噴火が誘発されることは充分考えられます。しかしながら、人類史に影響するほどの巨大隕石は、その頻度がすくなく学会でも、“その場所と、その時の”特定はまだまだのような気がします。それだけに楽しみな分野ですね。先さまも、この地で「〇〇万年前の巨大隕石のニュース」ありとあげられていましたね。とにかく「津波」のことを「洪水」といっている内での先は望めません。世界はそれと気づくべきです。津波と洪水はまったく異なりますよね^~!。
> そこで、地表下10km以内で起こる地震をマグネチュード10とした時、それに見合う巨大隕石のサイズは、如何ほどかと^~?。わたし素人としては、地殻からの噴出エネルギーより、巨大隕石が放つエネルギーの方が<表層へ与える影響ははるかに大きい>と思っているのですが、この考えは間違いでしょうか。
>
>

これは、起爆剤の原理で、水爆などだと、小さな爆発が巨大な爆発を引き起こすわけでして、小さな隕石落下でも落ちどころが良ければ、マントルを刺激して巨大噴火に至る可能性があるように感じます。

つまり、物理的なエネルギー保存則には関係しないということでしょう。

クレーターができるだけなら、物理的なエネルギー保存則以上のものは出てこないとおもいますが、ただし、以前お話した隕石落下が核融合を誘発する場合も同様に、物理的な保存則を裏切る結果となるはずです。その場合、明らかに巨大なクレーターが生じたりするわけですね・・・・。



> > あと、平さんのおっしゃるお話は遠心分離機の原理ですね。
> > その津浪の蛇行が、周辺の地層に変化をもたらすとすると興味深いところです。
>
> う〜〜ん。数学的に根究すると、そこに行きつくのかも知れませんが、私の言っている「津波の分別」とは、すこし異なるような気がします。わたしの提唱している『同似集合の原理・作用』は、単に重さのみならず、具象のすべてで似たもの同士が集まる傾向ありを言っています。
> 『誰もが知っていて、誰もが気付いていないこと。当たり前にはあたりまえの原理が働いている』 (絶版:報告書より^~!)??何故このようなことが起こるのか、卓越した数学をもたれる管理人さまに、数学的に解明して頂けないかとひそかに思って居ました^^? □


確かに、遠心分離は質量(密度)のみですが、形状や化学反応・・・といった要因も考慮すべきでしょうね。

浮力、重力、摩擦力、化学結合、さまざまな要因で津波流体の行きつく先が変化していく・・のでしょうか。

435史実探偵: 平 素人:2020/04/21(火) 04:07:45
釧路平原の石油を捜す!!
管理人さまへのお返事です。早速のお返事ありがとう御座います^^。

> これは、起爆剤の原理で、水爆などだと、小さな爆発が巨大な爆発を引き起こすわけでして、小さな隕石落下でも落ちどころが良ければ、マントルを刺激して巨大噴火に至る可能性があるように感じます。
> つまり、物理的なエネルギー保存則には関係しないということでしょう。
> クレーターができるだけなら、物理的なエネルギー保存則以上のものは出てこないとおもいますが、ただし、以前お話した隕石落下が核融合を誘発する場合も同様に、物理的な保存則を裏切る結果となるはずです。その場合、明らかに巨大なクレーターが生じたりするわけですね・・・・。

> 確かに、遠心分離は質量(密度)のみですが、形状や化学反応・・・といった要因も考慮すべきでしょうね。
> 浮力、重力、摩擦力、化学結合、さまざまな要因で津波流体の行きつく先が変化していく・・のでしょうか。

  ・・ありがとう御座いました。□

(ブラタモリ)、二・三度見ていますが^^、
私達がふだん “何気なく”見過ごしている風景や家並みから、かつての歴史を探り・紐解いてゆく面白さがありますね。

<秋田県のタール油田>に興味をもち検索を重ねているのですが、・・・
いざそれを文章にするとなると、同じ画面(URL)が捜し出せずのアキラメを繰り返しています。とくにユーチューブは、掲載が早く変わりゆくのでとても付いてはいけません~~!。
 日本での商用油田は新潟だけかと思っていましたが、秋田にもあったのですね。累計産出量最大の油田が今でも住宅地の近くで、細々とながら汲み上げられている動画  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fonsen_shouyou%2Fe%2F12c2a66acefbd6730b8aaf8c077fe086
には驚きです。わたしは、油井が津波の戻り水で<河口近く>にありと認めてはいるのですが、ブラタモリでみたタール油田の地が<内陸部>のものか??、と思い検索してはみたものの捜し出せませんでした~~!。

??<東北石油株式会社・豊川油田展示室>
秋田県潟上市昭和豊川・・・?、Google Earth のストリートビューでその看板を捜し出しましたが、かつての栄華はどこへやら、近所の公会堂かと見まがいました(笑い)。その展示室の標高は<38m>でした。油井汲み上げ機械に関係する見学施設が他にもあるようです。ほかに「草生津・クソウズ・??」くそうず くさうづ 【臭▽ 水▽】〔「くさみず」の転〕石油の古名。(三省堂)の地名もありましたが、自分の思っていたほど標高の高い内陸部ではなく、「潟」に近いものでした。・・取りあえず秋田はここまでとし、つぎ、北海道へうつります。「地下400mからの汲み上げ」、これが秋田か? 北海道から? の検索かが思い出せません。石油は津波が運んだ生物の油分が地下に埋まり重合・熟成したものと思っているのですが、近年のメタンハイドレードの成因がまったく推めていません^~!。


436管理人:2020/04/24(金) 00:01:29
Re: 釧路平原の石油を捜す!!
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


>
>?? <東北石油株式会社・豊川油田展示室>
> 秋田県潟上市昭和豊川・・・?、Google Earth のストリートビューでその看板を捜し出しましたが、かつての栄華はどこへやら、近所の公会堂かと見まがいました(笑い)。その展示室の標高は<38m>でした。油井汲み上げ機械に関係する見学施設が他にもあるようです。ほかに「草生津・クソウズ・??」くそうず くさうづ 【臭▽ 水▽】〔「くさみず」の転〕石油の古名。(三省堂)の地名もありましたが、自分の思っていたほど標高の高い内陸部ではなく、「潟」に近いものでした。・・取りあえず秋田はここまでとし、つぎ、北海道へうつります。「地下400mからの汲み上げ」、これが秋田か? 北海道から? の検索かが思い出せません。石油は津波が運んだ生物の油分が地下に埋まり重合・熟成したものと思っているのですが、近年のメタンハイドレードの成因がまったく推めていません^~!。
>

石油・・・・、植物由来のものだけではなく、一説によると、マントル層にもともとたくさんあるらしいですね。 wikiに下記のようにあります。



無機成因論
石油「無機」由来説は、1940年代にBP(ブリティッシュペトロリアム)の研究所内では、無機生成物であることが主要理論であったが、市場戦略的な理由で機密扱いにしていた。1870年代、元素の周期律表で知られるロシアの化学者メンデレーエフが唱えたのが始まりで、旧東側諸国では従来から定説とされていた学説である。ただし、旧西側諸国では、定説とされてきた石油「有機」由来説に真っ向から反対するものであったため、長く顧みられることがなく、その後トーマス・ゴールドが取り上げたことで、西側諸国でも脚光を浴びることとなった。

天文物理学者であるゴールドの説く石油無機由来説は、「惑星が誕生する際には必ず大量の炭化水素が含まれる」「炭化水素は地球の内核で放射線の作用により発生する」「この炭化水素が惑星内部の高圧・高熱を受けて変質することで石油が生まれる」「炭化水素は岩石よりも軽いので地上を目指して浮上してくる」というものである。

無機成因論の根拠としては「石油の分布が生物の分布と明らかに異なる」「化石燃料では考えられないほどの超深度から原油がみつかる」「石油の組成が多くの地域でおおむね同一である」「ヘリウム、ウラン、水銀、ガリウム、ゲルマニウムなど、生物起源では説明できない成分が含まれている」などが挙げられる。

また、生物起源論が根拠としている、石油中に含まれる炭化水素の炭素同位体比を調べた結果、炭素数の少ない炭化水素ほど、質量の軽い炭素同位体を含む割合が多くなるという傾向は、地下から炭化水素が上昇する過程で、分子の熱運動により重い同位体が分離されたと説明することも可能だという。

この無機由来説に基づけば、一度涸れた油井もしばらく放置すると、再び原油産出が可能となる現象を説明することができる。また超深度さえ掘削できれば、日本はもちろん世界中どこでも石油を採掘できる可能性があることになり、膨大な量の石油が消費されたとしても、掘削技術の問題さえ解決されれば、石油が枯渇する危険性はほぼ皆無であるとされている。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E7%259F%25B3%25E6%25B2%25B9%23%25E7%2584%25A1%25E6%25A9%259F%25E6%2588%2590%25E5%259B%25A0%25E8%25AB%2596


ある程度の深さまで彫り込む技術があれば、石油は容易に取り出せるようですし、掘りすぎて、石油が出すぎたのが、先日のメキシコ湾の石油事故だったとの話も聞いたことがありますね。


隕石が落下した際に、マントル層を突き破る可能性があることは、先にもお話したとおりですが、その際に石油の層から、石油が噴出してしまったり、それに引火してあたかも火山噴火のような状態になるということはないでしょうか・・・。


437史実探偵: 平 素人:2020/04/25(土) 01:46:57
Re: 釧路平原の石油を捜す!!
管理人さまへのお返事です。ありがとうございます^^。

 たいへん面白い「論説」をあげて下さり感謝します。

>石油無機質論 対 有機質論

 ずいぶん昔から、云われてきたようですね。又、石炭と合わせて、いまでは化石燃料説のほうが有力のようです。自分が考えている「津波原因による」成因をどこやらに載せた記憶がありますので、しばらくの時間をください。さがしてみます・・・^^!

 つづく・・・(^-^!)


438荊の紀氏:2020/04/25(土) 10:29:26
アスファルトは、縄文時代の交易範囲を読み解く鍵だったのです。…
アスファルトのルーツを求めて /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftozai-as.or.jp%2Froots%2F
…日本の歴史の礎となる日本書紀には、第38代天智天皇7年(668年)7月「越の国より燃土、燃水を献る」との記録があります。越の国とは、越前・越中・越後を含む広範な地域とされています。当時は、珍しい物品があると天皇に献上するという習慣があり、越の国で採掘された燃える土、燃える水が献上されたようです。
この越の国が、いったいどこをさすのか議論がありましたが、当時の歴史的背景や地政学的な見地から、新潟県胎内市黒川周辺が、日本最古の原油献上地と認定されました。
燃える土についても、石炭と表記する文献があるなど、諸説ありましたが、原油との関係から、アスファルトであることがほぼ確実視されています。
…神事は、油壷(自然に原油が噴出していた湖沼)から油を採取する「献上採油の儀」、採取した油に点火する「点火の儀」、そして火を鎮める「清砂の儀」へと進みます。壷に収められた油は、天智天皇を奉った近江神宮に献上されます。この献上の様子を再現したのが、神事の後に行われる献上行列。白装束を身にまとった越の国黒川臭水遺跡保存会の皆さんが、献上図さながらに行列を作り、燃水を収めた壷と、燃土を収めた行李を運びます。
黒川で採取された原油は天智天皇を奉った近江神宮へと運ばれ、毎年7月7日に行なわれる近江神宮の燃水祭に献上されます。

シンポジウム「えっ!縄文時代にアスファルト」−縄文の生産と流通〜東北日本のアスファルト−参加記 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.isan-no-sekai.jp%2Freport%2F3925
…天然アスファルトは縄文時代には接着剤・補修材、漆と混ぜて黒色顔料としたり、埋葬の際にあの世に持たせる副葬品ともなりました。今回のデータ集成により、早期後半から利用され始め、中期後半から一般化、特に後晩期で多用され、北海道・東北地方・新潟県を中心に1,148遺跡で出土していることが確認されました。
…秋田県旧二ツ井町駒形の原産地から2.5キロ離れた烏野上岱遺跡で精製工房跡が発掘されると、同様の精製遺跡が新潟県新津油田西隣で大沢谷内遺跡発掘され、縄文人が原産地で採掘・採取し、近隣に工房をつくり土器に入れ、加熱・精製する実態が明らかになりました。また、精製品は土器に小分けされ、編布や笹葉に包み搬出され、消費地の拠点遺跡で保管される実態も明らかになりました。
…各種道具に付着したアスファルトの観察から、形態分析からでは限界のあった、道具の着柄方法や使用法も明らかにしました。有孔球状土製品、土製耳飾り、独鈷石、環石のほか、槍の穂先型石器も「横型スクレイパー」として認定することができました。
さらに、土偶の接合率は三割を超えることを明らかにして、土偶を故意に破壊して再生を願う「土偶破壊説」に否定的な見解をしめしたことも特筆されます。
…採掘場とそれと関連する集落の端から精製工房が発見されています。工房の住居跡からは精製滓と精製した塊が発見されています。特に精製されたアスファルトは小分けにして皮・布・笹・葉などに入れられ、運搬されたようです。さらに、大型土器片をパレットにして上に乗せた塊を熱して溶かしヘラですくい取った痕跡のある土器片も発見され、アスファルト塗布の作業が具体的にとらえられました。
…原産地あるいは精製遺跡から運ばれたアスファルト塊は、川筋とそこから分岐する拠点集落で保管された状態で出土しています。これを川筋や峠、盆地などの地形を追うことで運搬ルートが読み取れるといいます。結果、南北海道から東北地方への海上ルート、青森・秋田県から山形・宮城県へのルート、新潟県から福島県へのルートが想定されます。
なお、県別にアスファルト塊の出土した点数を概観すると岩手県が日本海側の原産地から離れているにも関わらず112点を数え、全体の1/3弱が確認されています。

秋田県産などのアスファルトは北海道を含む東日本各地に流通し、流通経路途中ではアスファルトの分割工房遺跡も発見されている。
アスファルトの産地特定が化学分析により可能となっている。皮袋や土器に入れて運搬・保管された。
縄文の謎 (2) 交易www.ekoko.jp/blog/files/5dfc186c070ff62ee9a80c0e94ffbf1a-64.php
 縄文時代には、現代人の想像を超える規模で日本列島を縦横に物資の移送が行われていた。
 各地の製品・特産品がどのような交換・交易ルールに基づいて流通していたのか、数百年・数千年もの期間にわたって継続した縄文経済の活動基盤となる製品の交換価値がどのように決められていたのか、これが縄文時代のもうひとつの大きな謎となっている。
…縄文時代の文化は東日本が主体の東高西低であり、西日本の方が進んでいた弥生時代の西高東低とは文化の重心が異なっていた。
…石斧にしても縄文土器にしても、その製品の完成度の高さから判断すると、実際に製作するには、適した材料・原料の確保、また場合によっては接着や着色のための特殊材料の入手、加工のための工具・器具の準備、製作のためのそれなりの高度な技巧・技術の習得、十分な作業時間と労働力の確保、など非常に大きな障壁が存在していた。
 自給自足で製作した生活用具は多々あったはずであるが、磨製石斧や縄文土器、漆器、硬玉装飾品などは専業的な作業者の存在とそれを支えるムラの社会組織がないととてもできないような先進製品であった。
 このような製品が作られたムラにおいても、通常の自給自足の生活の遺物も残されている場合が多いことより、通常の狩猟や食料採取などを行いながら合間をぬって製品の製作作業が行われた、と主張する見方もあるが、私は初期の作業兼務時期にはこのようなこともあったとは思うが、縄文時代の全期を通じて専業化が進んだというのが事実に則した見方であると思っている。
… 磨製石斧の完成品1031点・未製品35,812点が発見された、富山県産の磨製石斧は統一的な形状で生産され日本全国で使われた。
… 縄文時代の交易
 縄文人はほぼ日本列島全域に居住域を広げており人種的にもほぼ均一化が図られていたことより、縄文言語ともいうべき原日本語・原アイヌ語が流布しており、他地域のムラとのコミュニケーションは十分に可能な状況にあったと思われる。
 運搬の方法についていえば、人が物を背負って歩いて運ぶ、これが縄文時代の一般的なモノの移送方法であった。また、舟に人と物を積んで河川や沿海を移動することも決して珍しいことではなかった。
 しかし、人や舟が何日もかけて遠隔地に物の運搬を行うことは決して誰にでも簡単にできることではなかったはずである。
 片手間に産地情報を入手し、片手間に舟を作り、片手間に航海術を身につけ、片手間に神津島や霧ヶ峰山麓で黒曜石を採掘し、片手間に重い荷物を長い道のりを踏破して、自分のムラまで運ぶ、ということは極めて困難なことでとても片手間でできることではない。
 舟を操って海上航海を行う人たちもいたはずであり、獣道に近い自然道を見極めながら目的地に到達する道案内人や経験者も必要となる。道中の食料の調達も簡単なことではなかろう。動ける時期も気候の許す期間に限られよう。
 このように多くの専業製作者の労働力を経て生産されたモノを、更に専業の運搬者や交易者やその他の関係者が多大な労力と時間と危険をも費やして他の地域に運び、また、他の場所(やムラ)で産出・生産された原材料や産品を自分のムラに運び込むことを行っていた。
 当然のことながら、モノの流れが定期的に行われるようになると、産品の輸送ルートの途中での中継地(ハブ拠点)や交換・交易を行う場所、すなわち交易市場の機能をもった場所・ムラもできてきたはずである。
 …縄文時代には、ムラに帰属する(製作)専業者が特産品を作り、それをムラに帰属する(流通)専業者が別のムラとの交易を行っていた。
 その交易には少なからず準貨幣としての自然貨幣が使われていた。
 これが私の想定する縄文経済の姿であり、全ての縄文人が全て同じように自給自足の日常活動を行っていたという停滞したイメージの社会ではなく、クニ作りが始まる次の弥生時代につながるダイナミックなムラの動きが始まったのが縄文時代であると述べて、本抄を終えたい。

旧約聖書によるとイスラエル人の始祖のアブラハムと妻のサラはシュメール出身でシュメール人と考えられているが、実は日本人の先祖の縄文時代の海の民(ハプログループC)がシュメール人と同族であった。すなわち、古代の日本人である縄文人(海の民)がイスラエル人の先祖と言う驚くべき結果が得られる。
イスラエル人のルーツが古代日本人だ!日ユ同祖論 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12439161843.html
…旧約聖書によるとイスラエル人の始祖のアブラハムと妻のサラはシュメール出身でシュメール人と考えられているが、実は日本人の先祖の縄文時代の海の民(ハプログループC)がシュメール人と同族であった。すなわち、古代の日本人である縄文人(海の民)がイスラエル人の先祖と言う驚くべき結果が得られる。
…注: 古代日本の海の民(海人族安曇氏)が女系相続とされている。また、ユダヤ教徒の母から生まれた子はユダヤ教徒とされ、やはり女系相続となっている。すなわち、現代のイスラエル人の祖先を女系で遡れば、日本の漁師さんの先祖の縄文時代の海の民(海人族安曇氏)に到達することになる。

…旧石器時代から縄文時代の原日本語は広く東アジアに分布していたのである。そして、2200年前、中国大陸の歴史区分で言う春秋戦国時代の戦乱を逃れて日本列島に渡って来た渡来人(渡来系弥生人)や古墳時代に渡来した秦氏は実は原日本語を喋り、現地の縄文人の原日本語と言葉が通じたのである。完璧に同じではなくとも、容易に融合できる語族の範疇にあったのである。だから、渡来人と縄文人との摩擦が無く、共存出来たのである。
男性遺伝子(Y-DNA)のD2の分布が琉球から北海道に渡る日本列島に限られているが、この遺伝子が日本列島に古くから住む原日本人のものであろうとの説が定説となっている。この遺伝子D2を持った原日本人の言葉が原日本語であり、男性遺伝子O2やO3を持った人々(漢民族や朝鮮民族)が東アジアに広く分布する前までは、D2が東アジアに広く分布していたと考えられる。
日本語の起源 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12197035519.html
…18 旧石器時代から縄文時代、日本列島周辺には山の民と海の民が共存し、交流し、そして通婚していた。彼らの交流から日本語が生まれたのである。
ここでは山の民を縄文人、海の民を海人族安曇氏と呼んでいたが、考古学的には区別が難しく一括して縄文人とすることが多かった。山の民がハプログループD2、海の民がハプログループC1であった。後者の男性の腕は骨太で(参考)、南回りの海沿いのルートでやってきた(参考)。また、この海の民は太平洋を越えて南米のインディオになった(参考)
19 日本語で身体に関する主な12の名詞は上古から1300年程は殆ど変わっていなかった。日本語の方言の観点から見ても、これら身体の名詞は共通して存在し、別の言い換え(代替)は粗無いようだ。日本古来の基本的な名詞と考えられ、日本に旧石器時代からの在来人も渡来人も共通して使用していたようだ(参考)

…わさびを良く使う民族はユダヤ民族と日本民族である。
日本人とユダヤ人、中国の少数民族の共通性、ワサビ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12056114248.html
ユダヤ料理にはわさびが良く使われる。もちろん日本料理にも。ユダヤ人は食物に非常に気を使う。「何々は食べてはいけない」とか。
…? 雲南省のぺー族がワサビを食する(参考)。ぺー族とチャン族(羌族)の関係は不明だが、チャン族と同族のイー族と接近した地域に生活している。さらに、最近までの日本人の生活とぺー族の生活はよく似ていることを指摘できる。やはり羌族を介した古代からの文化交流があった。
…? ユダヤ人、日本人とチャン族は太陽暦で関係がある /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12055847356.html
…彼ら太陽暦博士やユダヤ人の民の子孫達は皆、卑弥呼の居る邪馬臺国に渡来した。もちろん、逃げ遅れた子孫達は朝鮮半島経由で、年月をかけて渡来することになる!
秦氏のユダヤ人説はこれで説明できる!秦氏全員がユダヤ人であった訳ではなく、一部、紛れて存在した!時期的には景教徒では無く、ユダヤ教徒であった。ただし、彼らを遺伝子的に追跡出来る可能性は難しい(参考)。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12056644707.html%3Ffrm_id%3Dv.jpameblo

アトラス山中のユダヤ人は、先住民族であったベルベル人に言語や生活様式などの多くの面で同化し、ベルベル人ユダヤ教徒として近年まで暮らしていましたが、その多くが、イスラエルの建国とともにモロッコを離れていきました。
ユダヤ人
ベルベル、そしてアラブ以外の1%の中に数えられるのが、外国人、およびユダヤ系住民です。
イスラムの国なのに、ユダヤ人が暮らしているの?と不思議に思う方もいるかと思いますが、モロッコのユダヤ人ははるかローマ時代から現在のモロッコにあたるかの地にコミュニティを持って暮らしてきたと言われています。
モロッコ国内では、ことわざや格言などでお互いに自分の宗教が一番だと言っては競いあい、けちをつけあってはきましたが、パレスチナ問題などにみられるような激しい対立はしないで暮らしてきた歴史があります。

E系統のユダヤ人の多くは、初期の歴史の中で本来のJ系統ユダヤ人グループに合流したものと考えられる。 ソロモン以降、フェニキアとのかかわりの時代に 積極的な交流があった
アシュケナジイユダヤ人のハプロタイプ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Foyasumipon%2Fentry-12146761873.html
インド・ヨーロッパ語族は、5,000?6,000年前 黒海・カスピ海の付近(現在のウクライナからヴォルガ川の地域)で始まったそうです。
←J2は、メソポタミア文明の農耕民が起原、コーカサス・メソポタミア・地中海沿岸(15000年前頃)。Y−DNA「G」と共に農業革命を興こした先進遺伝子集団。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fgarapagos.hotcom-cafe.com%2F1-1.htm
  また、ヨセフの時、外国人支配時代のエジプト(ヒクソス時代)なので、エフライムとマナセには E系統(YAP)は入っていないで J系統・セム系が保たれていると思われる。
…3) E1b1b1a3(E-V22)系統:  E系統は、創世記10章の ハムの子孫(クシュ、ミツライム、プテ、カナン)の代表であり、D系統と共に、Y染色体DNAに YAP変異を持ち、アフリカ、地中海沿岸に、ごく普通に非常に幅広く分布している。(A系統、B系統を半ば駆逐するような形で) 日ユ同祖論に近い議論でたびたび言及される YAP共通の点は、E系統と D系統が ごく初期の段階で分かれ、その後は互いに交流の形跡が無いことから、YAPのしるしはそれほど重要な意味を持たないと考えられる。(初期の 階段状ピラミッドまでは共通と思われる。 バベルの塔 → エジプトの階段状ピラミッド → エジプトの大ピラミッド → 小規模のピラミッド状の墓; → チベット・中国のピラミッド、 → 日本の海底ピラミッド)
  ・ E1a(E−M33)系:  西アフリカ   (→ るいネット )
  ・ E1b1a(E−M2) ソマリア、エチオピア、ギニア、サハラ以南  ・ E1b1a7(E−M191) モザンビーク、ジンバブエ、南アフリカ
          ex) ラムセス3世 E1b1a(E−V38) (・・ 2012 12)、  バラク・オバマ E1b1a(E−V38)
  ・ E1b1b(E−M215、M35 (旧)E3b)系: 東アフリカ、北アフリカ、南ヨーロッパ(ドイツとオーストリアに9%弱もいる)
          ex) アドルフ・ヒトラー E1b1b1(E−M35) ・・・  E1b1b1a3 と異なり、フェニキア・ユダヤ系ではない
  ・ E1b1b1a(E−M78、 (旧)E3b1a)、 ・ E1b1b1a1(E−V12)、 ・ E1b1b1a2(E−V13) 古代ギリシャ人、 ・ E1b1b1a4 モロッコ人
  ・ E1b1b1a3(E−V22) フェニキア人、古代ユダヤ人(レヴァント(=シリア、パレスチナ(ペリシテ人の地)))、アラビア半島
     ・・・・・・ E系統のユダヤ人の多くは、初期の歴史の中で本来のJ系統ユダヤ人グループに合流したものと考えられる。 ソロモン以降、フェニキアとのかかわりの時代に 積極的な交流があったことを示す。(アハブの妻イゼベル)、 さらに古くは ヒッタイト(ヘテ人)、モアブ人などが混じっているはずである。
     ハム系 → ミツライム(エジプト) → カスルヒム → ペリシテ人(E系統)  + J2系統(シリア人)  ≒ フェニキア人(言語はセム語系の フェニキア語、 人種は混合)  → BC9cにはアッシリアに服属、 カルタゴへ移る → ポエニ戦争以降 共和政ローマに併合
  ハム系 → シドン人
  ハム系 → カナン → ヘテ人(ヒッタイト) ・・・ エジプトに、”鉤鼻”のヒッタイト兵士の彫刻、ヘテ人とはアブラハムの頃に交流、
  エサウの妻(ヘテ人2人と ヒビ人1人) → 5人の子 → エドム人 ・・・ このエドム人がフェニキアの航海技術を持ち、ユダヤ人と共に 南洋ルートで沖縄・山陰に来たと考えられる(→ (1) エドム人とユダ族の移動 ) 琉球人から見たフェニキア人は 背の高い人々だったとされる(下に 沖縄のフェニキア遺跡 )
  モアブは、アモンと共に、アブラハムの甥のロトと彼の娘たちとの近親相姦の子孫…
…2005年の調査により、 アシュケナジー系男系 Yの 11.5%が R1a1系統であり、母親がユダヤ人で 一部の東欧系の父親の子供がユダヤ教になったことを裏付けている。 ( R1a: 東欧人で 54−60%、2001年) 母系(ミトコンドリア↓)の80%以上との違い
  * また、アシュケナジムのミトコンドリアDNAの解析では、はるかに多く、母系の81%がヨーロッパ系(mt−DNAの H 20.5%、K 31.8%、N1b 9.2%、J6.3% など)、中近東(ペルシャ、アナトリア) 8.3%、アジア1.1%であり、80%以上が(コーカサスではなく)ヨーロッパ人種であることを裏付けている。(→ Nature Asia 、 Figure10  (2013 10))


439史実探偵: 平 素人:2020/04/26(日) 06:45:30
Re: 釧路平原の石油を捜す!!
https://ja.wikipedia.org/wiki/石油#無機成因論

http://



440荊の紀氏:2020/04/27(月) 09:25:26
・・・ハプログループBは約4〜5万年前にアジアで分岐…
フェニキア人: セム語系諸族・海の商人…悪と商業が密接に組み合わさっていた…
紀元前1200年前後の「海の民」 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsekainorekisi.com%2Fglossary%2F
全盛期には彼らの活動範囲は地中海を越えて、大西洋やインド洋にまでおよんでいた。政治的には、紀元前7世紀にアッシリアの攻撃に屈したあと、新バビロニア・アケメネス朝と次々に異民族の支配を受けたが、海上における活動は引き続き活発で、ペルシア戦争時にはフェニキア海軍が活躍した。紀元前4世紀後半にティルスがアレクサンドロス3世によって破壊され、東地中海の支配権はギリシア人に奪われたが、西地中海においてはカルタゴの勢力がなお健在であった。フェニキア人の文化史上の功績は、カナーン人の創始したアルファベットの書体が、まだ造形性の強いものであったのを線状文字に改良し、これをギリシア人に伝えて、今日まで伝わる西方系諸文字の源流となった点にある。

古代地中海世界に繁栄をもたらしたフェニキア人の歴史
ヴェネツィアの商人などで知られる地中海の金融や商業活動って、現代でもお手本にされるこが多いですよね。その起源ってどんなものだったか気になりませんか?今回は、商業を発明したといわれるフェニキア(カルタゴ)人ってどんな歴史をもち、どのようにオリエント文明へと繋げていったかを紐解いてみたいと思います。
フェニキア人ってどんな人たち? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwondertrip.jp%2F96632%2F
フェニキアとは、現在のレバノン近くに紀元前3000年ごろ出来た民族と国家です。
フェニキア人は、一つの民族ではなく、テュロス(現スール)、シドン(現サイダー)、ベリュトス(現レバノンの首都ベイルート)などに移住してきたセム語系の諸族のこと。
彼らは商業に関する能力に秀でていました。
海上交易により、クレタ文明が栄えていたギリシア都市との交流もあったようです。
後に砂漠や海に囲まれ狭い地域にあったフェニキアは、メソポタミア、エジプト、アナトリア半島などとの交易をし、古代オリエントの交通の要所として発展していきます。
…紀元前14〜13世紀には世界中で貿易が盛んになり、フェニキア人の商業基地(植民地)が各地に建設されました。
特に、チュニジア共和国の世界遺産「カルタゴの遺跡」で知られるカルタゴは、この時大都市へと発展しています。
紀元前814年にカルタゴは、建国されたのではないかと推測されています。
フェニキア人たちは争いを好まない人々で、先住民に土地代を払うなどをして平和的な関係が築かれていたようです。
…チュニジア共和国のカルタゴだけでなく、15世紀頃に栄えたウガリット、スペインのカディスやバルセロナもフェニキア人が築いたものといわれています。
彼らが、交易を容易にできた理由の一つに、地形的なものもあったのではと思います。
海岸線は複雑で多島だったということから容易に航行することができ、イベリア半島東南部からシチリア島までの西地中海貿易を支配していたからです。
しかし、紀元前13世紀ごろから、東地中海一帯を征服しようとするやからが登場します。
それは、海の民という集団です。
彼らが、幅を利かせるようになると、当時大国だったヒッタイトは滅亡、エジプトの勢力が衰退していきました。
フェニキア人、アラム人、ヘブライ人は彼らが襲った土地に入り込み、様々なところに植民地(交易の場)を獲得していったのではとも言われているんです。
悪と商業が密接に組み合わさっていたと考えられます。

YAP(+)(Y染色体ハプログループE)
日本とは何ぞや?japanese-origin.hatenablog.com/entry/2016/12/17/180302
【E*】
DE*集団からの移動・・72,500〜50,000年前
E*への変異・・・・・・・・・・55,000〜50,000年前
サブクレード・・・E1-P147,E2-M75
主なSNP・・・M96,M40/SRY4064
E*(xE1,E2)とはっきりわかっているのは、2015年に判明したアフリカ東部の男性3人。E*(xE1,E2)がはっきりわかったことにより、E全体の再分類がこないだやっと一段落した。なお、DE(xD-M174)でアルタイ山脈南部のベシュペリチルで1/43=2.3%観測されている。
また、3,352〜3,161年前のE1b(E1b1b1b2a1a-FGC18319/Y5413)の遺骨(ArmeniaMBA)が、アルメニアのゲガルクニク地方にあるセヴァン湖の南西端の湖畔の村、南西にはノアの方舟で有名なアララト山の山系を一望出来るコーカサス地方のNerquin Getashenの遺跡で見つかった。
…遺跡には、はっきりしないがE1b1b1b2a1a-L788と推測される、3,593〜3,395年前の遺骨(ArmeniaMBA)とともに、R1b(R1b1a2)の3,856〜3,648年前の遺骨(ArmeniaMBA)が見つかっている。
DE*のいるチベットではE1b1b1b2a1aは発見されていない。脱アフリカしてチベットに行くDEから途上で脱落したものなのか、アフリカでEに進化して後世行ったものなのか、注目される。
なお、2010年4月27日、アララト山の山頂付近で方舟の木片を発見。遺骨と同様に炭素年代測定を行ったところ、大洪水が起こったとされる4800年前と同時期の木片であること、その木片はこの地方に繁殖していないことがわかった。別の調査では方舟らしき構造物がアララト山にあることも、大洪水はあったが局地的なものであったこともわかっている。
個人的には、大洪水以前の創世記では、遠くノドの地に離れたカインと遊牧民・演奏家・鍛冶屋の祖先となった息子ヤバル・ユバル・トバルカイン、アダムの後継者となって300年間神とともに歩み死なずに失踪したエノク、あとネピリムとは遺伝子的に何者かが気になる。
【E】
Eの分布図。ISOGGの下位サブクレードを見る限り、Eのアフリカ脱出ルートは主に4つ。1つ目はジブチ・エチオピア=イエメンルート(アフリカの角とも言う)、2つ目はチュニジア=(シチリア島又はサルデーニャ島経由)イタリアルート、3つ目はエジプトルート、4つ目はモロッコ=スペインルート。ギリシャが多いのは2つ目と3つ目が合流したからではないだろうか。
そしてアフリカ西部南端にいたEが大西洋沿いに真北に増えていたところ、Eの一部は突如北東に向かう。おそらくエレナ山の噴火の火山灰で気になって進路を変えた可能性が考えられる。なお、自説では、この移動に先立って後にDとなるDEがこの4つのうちいずれかのルートを開発してアフリカを脱出したと考えている。
E1b
・E1b1-PN2
東部アフリカ36/43=83.72%、アフリカのガンビア人33/48=68.75%・サハラ以南のアフリカに分布するバントゥー系民族73/108=67.59%(東部30/55西部43/53)、アフリカの小人ピグミー19/38=50%・エジプト人17/36=47.22%、ギリシャ人14/42=33.33%、アフリカ南部のカポイド(コイサンとも呼ばれる)21/75=28%・中央メキシコ原住民のサポテコ族2/15=13.33%、イタリア人5/39=12.82%*12、Baloch people(パキスタン)2/25=8%*13、ドイツ人2/32=6.25%*14、Makrani caste1/20=5%(パキスタン)*15、アメリカのインディアンの1つシャイアン族2/44=4.55%、南米大陸の北端に住むWayuu people1/26=3.85%、ロシア人1/30=3.33%、イングランド人1/32=3.13%*16。
日本人0/141=0%*17。*18
アフリカの小人ピグミー19/38=50%…

原ピグミー語
ハヅァ人はY染色体ハプログループB系統が58%[2]の高頻度で観察される。この型はピグミーによく見られるタイプであり、現在は固有言語を喪失したピグミーであるが、「原ピグミー語」はハヅァ語に近縁であった可能性がある。…
ピグミーの起源 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ピグミーは様々な民族名を持ち、それぞれ異なる言語を話す。しかし、その一方で、ひとまとまりの存在だと見なされてきた。その理由は、一つに小柄という身体的な特徴であり、もう ひとつは文化的な共通性。しかし、一部の研究者は様々な根拠から、異なる起源を持つ集団ではないかと、異論を提出している。彼らは共通祖先の形質を継承したからではなく、熱帯雨林における狩猟採集生活という環境が、自然選択として働いた結果、似たような身体に収斂したとする。もし、そうだとすると、ピグミーという言葉で複数の集団をまとめる事に、問題点が生じる事になる[1]。
…かつて存在したオリジナル・ピグミー語は遺伝子からハザ語に近縁であるとの説もある。
人種的特徴
ピグミーを総称した人種概念をネグリロ (Negrillo) と呼び、次のような特徴的な形質を有するとされる。
平均身長が150cmに満たない。他の黒人ほど肌の色は濃色ではない場合がある。体は筋肉質で胴は長くて太く、腕は長く足は短い。頭部が大きい。 髪質は細くちぢれていて体毛は毛深い。また、ブッシュマンやホッテントットといったカポイドにも見られる「脂臀」といわれる特殊な形質が女性にあらわれる事がある。
ネグロイドの下位区分とされるが、その特徴的な形質からさらに独立した人種とされたり、カポイドの集団と近縁ともされることもあるが、カポイドは突顎が弱く長頭が多いなどいろいろ異なる点が多い。
かつては東南アジアの小さな体をもつ狩猟採集民(フィリピンのアグタ族 (Agta) とバタク族 (Batak)、マレー半島のセマン人 (Semang)、アンダマン諸島の先住民など)と含め「ネグリト」と呼ばれ、フランスの人類学者カトルファジュは、両者を南インドを起源とする一つの人種であると捉えたが、東南アジアのネグリトは皮膚の色がより濃く、体毛が薄く、突顎が著しくないという違いがあり、少なくとも1960年代後半にはすでに別系統説が強くなっていた[9]。現在は遺伝学的に近縁でない事がわかっており、東南アジアのネグリトはオーストラロイドに属するとされる。
遺伝学より
言語学は文化的なオリジンを探求する方法であるが、生物学的な側面については遺伝学を利用することで理解することができる。
ピグミーにはY染色体ハプログループB系統が高頻度で見られる[10][11]。このグループは大地溝帯から森林地帯へ西進した系統である。
ミトコンドリアDNAの分析によって、例えば西のピグミー(アカやバカなど)と東のピグミー(トゥワやムブティなど)の間の遺伝的な類似性よりも、それぞれの近隣農耕民との方が遺伝的に近いという結果が得られている。しかしこれによって、ピグミーの同一起源が否定されたわけではない。実際にはピグミーの女性は近隣の農耕民に娶られるという一方的な通婚があり、ピグミーの女性の遺伝子が農耕民に供給されてきたからである[12]。mtDNAの集団内多様性や核DNAの研究から、実際にはピグミーと他の人々は6-7万年前に分岐し[13]、2万年前に東と西にピグミーが分岐した[14]という結果が得られ、ピグミーは同一起源であるというのが有力である。しかしながらピグミーの特徴である低身長については、ピグミーが西と東に分かれて以降、それぞれの集団が独自に環境に適応した結果であるという説もある[15]。
実際にはピグミーと他の人々は6-7万年前に分岐し[13]、2万年前に東と西にピグミーが分岐した[14]という結果が得られ、ピグミーは同一起源であるというのが有力である。…
東南アジアの小さな体をもつ狩猟採集民(フィリピンのアグタ族 (Agta) とバタク族 (Batak)、マレー半島のセマン人 (Semang)、アンダマン諸島の先住民など…)
アンダマン諸島の先住民など…
私達黄色人種も、元々は黒人。アンダマン諸島先住民族のお話。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fancientjapan.hatenablog.com%2Fentry%2F2014%2F05%2F11%2F214059
アンダマン諸島の先住民は、人種的にはオーストラロイドに属するネグリトであるとされていますが、実際にはネグロイドとの明確な区別は無いようです。
つまりは、アンダマン諸島の先住民は、東南アジアまで進出していながら、新しく現れたモンゴロイド形質の人達と混血する事なく、進出当時の形質を現在まで保持し続けている可能性が高い訳ですね。
彼らの中にも、ネアンデルタール人の血が混じっているのかどうか、非常に気になるところですが、見た目からは、全然混じらないまま、この地まで来た様にも思えます。
ちなみに、Y染色体で調べてみると、彼らは日本の縄文タイプの人やチベット人と同じハプログループDに属しています。
アイヌ民族、チベット人、アンダマン先住民、それぞれ全く違う風貌ですね。
しかし、人類がアフリカを出た頃に、突然変異によってY染色体ハプログループD系統の男性が現れ、現在の世界中のこのD系統の男性達は皆、この突然変異の男性の遺伝情報を受け継いでいると言う事なんですね。
Y染色体ハプログループD系統は人類が出アフリカを果たした頃の系統で、元々非常に古い系統なので、新しく現れた他の系統の集団から長期間隔絶された地域でしか、その勢力を保ってはいません。
つまり日本のY染色体ハプログループD系統のグループも、列島が海に囲まれ、長らく他の系統との混血が順調には進まなかった事によって、その勢力を温存されたと言う事になりますね。
ちなみに、このY染色体ハプログループD系統の男性は、アイヌの人達や南西諸島の人達に多い事はもちろんなのですが、それ以外の地域でも、今だにかなりの勢力を保っており、日本の男性全体の内の、実に約四割(約39%)が、このハプログループD系統のY染色体を持っていると言う事だそうです。
ただ、男性のY染色体や女性のミトコンドリアDNAの分布を調べる事で、人類が辿って来た道が大まかに見えて来ると言う事はあるのですが、Y染色体やミトコンドリアDNAの遺伝情報と言うのは、混血を重ねた人類の、膨大な遺伝情報の結果のごくごく一部でしかなく、それによって、人の形質までが判断出来ると言う訳ではないので、D系統のY染色体を持っている男性が、あべこべに非常に弥生的であったり、それ以外の人に非常に縄文的な人がいたりと言う事は十分起こりうると言う事なんですね。

小型のヒト属…
ホモ・フローレシエンシス(フローレス人 Homo floresiensis)は、インドネシアのフローレス島で発見された、小型のヒト属と広く考えられている絶滅種。[1][2] 身長は1mあまりで、それに比例して脳も小さいが、火や精巧な石器を使っていたと考えられる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
発見された骨は脳の異常な小ささから、小人症やピグミーのように矮小化した、あるいはクレチン症やラロン症候群といった発育上の障害をもった、ホモ・サピエンス・サピエンスの骨だと主張する研究者も多い。これに対しニューヨーク州立大学ストーニーブルック校のウィリアム・ユンゲルスや、ロンドン自然史博物館のエレノア・ウェストン、エイドリアン・リスターなどは、新たな研究からやはり新種人類であるという説を唱えている。ペンシルベニア州立大学のロバート・エックハルは、新種人類説は以前の論文と矛盾し場当たり的だと批判している。ハーバード大学のダニエル・リーベルマンは、新種人類かを判定するにはさらなる化石が必要だと述べており、専門家の間でも評価は定まっていない。
ホモ・フローレシエンシス /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
このヒト属は、当初は12,000年前まで生存していたと考えられていたが、より幅広い研究の結果、最も近年の生存証明は、50,000年前まで押し上げられた。[5] 2016年現在では、フローレス人の骨は10万〜6万年前のもの、石器は19万〜5万年前前後のものであるとみなされている。[2]
50,000年前…
ハプログループBは数々の島を渡ってきた日本最初の移住民 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fu-gene.jp%2Fcolumn%2Fhaplogroup-b%2F
ミトコンドリア・ハプログループBは約4万年前に東南アジアで誕生したグループです。アジアではハプログループDに次いで2番目に大きい集団です。
海を渡って最初に日本へやってきた移住民と考えられており、日本人の約15%がこのグループに属しています。
ハプログループBは約4〜5万年前にアジアで分岐し、東南アジアやポリネシアといった南方に広まっていきました。
分布としてはイラン、イラク、華南(中国南部)、チベット、ベトナム、マレーシア、インドネシア、タイ、日本、台湾、フィリピン、ポリネシア、マダガスカル、メラネシア、ミクロネシア、ハワイなどで、アメリカ先住民からも検出されます。
とくにハワイの先住民であるポリネシア人にはグループBが多く、9割がこのグループに属しています。


441荊の紀氏:2020/04/27(月) 17:28:58
フェニキア語 セム語派…
フェニキア語は、言語的に言えばヘブライ語に似ています。どちらも『アフロアジア語族、セム語派』の仲間で、文字は右から左へ書き、母音字が存在しません。
ギリシャ人はどうして、インド=ヨーロッパ語系民族に分けられたんですか? ギリシャ文字がフェニキア文字からきているんだったら、セム語系民族ではないんでしょうか?
ギリシャ文字がフェニキア文字からきているんだったら、セム語系民族ではないんでしょうか? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq13198245613
文字の歴史で言えば、フェニキア文字→ギリシャ文字→ラテン文字→現在の英語やドイツ語などで使われている文字、と言う様に辿れますが、言語の歴史としては、英語やドイツ語の祖先がフェニキア語である訳では全然無いです。日本語が中国語の表記方法を取り入れた、現在のベトナム語が近現代にラテン・アルファベットを取り入れた、それらと同じ事です。言語の歴史は、文字の歴史とは全く別物、かつ、(殆どの場合)文字の使用よりもずっと古い時期を対象としたものです。

アラム人とフェニキア人
紀元前1200年前後の「海の民」の襲来は、この地方にも甚大な影響を及ぼした。陸上でヒッタイトとエジプトの勢力が後退したばかりでなく、海上でもクレタ文明、ミケーネ文明勢力が崩壊したからである。これによって、この地方でセム語系の3民族(アラム人、フェニキア人、ヘブライ人)が、それぞれ独自の活動を展開する余地が生まれた。
インド・ヨーロッパ語系民族の進出 ? 世界の歴史まっぷ アラム人とフェニキア人 紀元前1200年前後の「 海の民 」の襲来は、この地方にも甚大な影響を及ぼした。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsekainorekisi.com%2Fglossary%2F
首都: ハットゥシャ、場所: トルコ に流れるクズルウルマク川周辺、言語: インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語

相互に関係があるとする説も…
ヒッタイト語派とも呼ばれる。古代西アジアで話されていた。インド・ヨーロッパ語族とは別の語族としたうえで、相互に関係があるとする説もある。発音や文字などにおいて、印欧語族に新たな発見を多数もたらした。
ヒッタイト語はほかの古いインド・ヨーロッパ語族の言語と同様に屈折語である。
ヒッタイト語 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ヒッタイト語(ヒッタイトご)はインド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派に属する言語。アナトリア半島中央部のハットゥシャ(現在のトルコ北部ボアズキョイ)を中心とするヒッタイト帝国で使われた言語で、楔形文字によって粘土板に書かれた紀元前16世紀から紀元前13世紀頃までの文書が残っている。第一次世界大戦中に解読された。インド・ヨーロッパ語族の言語のうちもっとも古い文献の残る言語である。
ヒッタイト語は他の印欧語と異なる点が多く、早い時期に印欧語から分離したと推測されてきた。印欧語族の「姉妹言語」と考える研究者もいる。


442管理人:2020/04/28(火) 00:10:14
Re: 釧路平原の石油を捜す!!
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

また、お知らせありがとうございました。


ひとまず、植物性の物質が津波によって運ばれ凝縮されて石油や石炭になったとの仮説を裏付けるには、地底のそれより、標高の高い地域のそれに注目したほうがよさそうですね。

ご指摘のとおり、海水の塩分がそこに混ざっているかどうかも重要な識別要素になるかもしれません。

あとは津波が運ぶ砂利とか、貝とか・・・ですね。

443荊の紀氏:2020/04/28(火) 10:48:49
「 鯷(なまず)」…
「鯷は大鮎。其の皮を以て冠と為す」とある。また『説文解字』にも「鯷は大鮎」とある。時代が下って、『捜神記』に「子路之を引くに、手より没して地に仆る。
魚の名の漢字(21)「鯷」
「おおなまず」を第一義とする点では四辞典とも一致。カタクチイワシを第二義とするのは漢辞海と漢字源。新字源と新漢語林は「ひしこ」を国訓とする。
…大口鮎(河鮎)が古代の鯷に当たると考えられる。
鮎(なまず)
占(ひと所に定着する)
占 セン・うらなう・しめる  ト部
 (2)中国では、なまずを言う。「鮎魚デンギョ」(なまず) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F5bf34d06f9d457526c1a6c4f99dcc15c
きぬた(砧)。「衣板きぬいた」の略。布地などを打つときに使う石や木の台。また、その台を打つこと。

台…「台ダイ」 <スキで大地を起こし始める>… /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F40334e1d50763cb0661e877626a8b32b
臺の略字である「うてな・高殿」、生産を始める儀礼から「行動をはじめる・きざす」、スキで大地を掘り起こす事から「やわらかい」イメージがある。
始 シ・はじめる・はじまる  女部
解字 「女+台(行動をはじめる・きざす)」 の会意。女の腹の中でみずから動き始めた生命の意。意味は胎と同じだが、胎は胎児の意に、始は始めの意に用いる。

紀元前4世紀の頃の日本列島は、髭もじゃで水辺で漁をいとなむ、大国主=大穴牟遅=大なまずの国だったので、「後漢書」は倭人に「 鯷(なまず)」の一字に集約しているかもしれないんです /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftacchan.hatenablog.com%2Fentry%2F2017%2F12%2F19%2F203203
倭は別名を「タイ国」とも呼ばれた時期があったし、ヤマタイのタイと鯷(テイ)の関連は伺われますし。
澶洲とは朝鮮のことですね。
ここから導くに、倭人こと東のなまず人は、夷洲(倭)および澶洲(朝鮮)という2つの地域に住んでいました。これら2つの地域に、徐福の民が上陸したというわけです。
しかし、髭もじゃで水辺にいることだけが、なまず人と呼ばれた理由ではないのです。…
…古代エジプトでは、「なまずは冥界の牧人と話す魚」と信じられていた…

阿蘇大明神(健磐龍命)の使い ナマズ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2535

太伯(金星)の類い 東鯷(なまず)人(とうていじん) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2409

鯰を神の使いとする神社がいっぱい!?「句呉(こうご、くご)」の民 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4443

啓典の民   星宮神社 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F1823
鯰…鰻図であるのが大きな特色である。鰻は一般に 虚空蔵菩薩の使いとされ、その鰻がここでは鯰とも結びついている。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.bunka.pref.mie.lg.jp%2Fbunkazai%2Fda%2Fitem%2Fdetail.asp%3Fwag%3D2%26prePageNum%3D2%26mngnum%3D0000044
、地震は「 ゲブの笑い」と呼ばれ、ゲブが愉快な気分になると地面ごと揺れるというのだ。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.moonover.jp%2Fbekkan%2Fgod%2Fgeb.htm
大気の神シュウとテフヌトから生まれた大地の神。ゲブには恐れを抱かせる邪悪な神としてのイメージと、恵み齎す多産の象徴としてのイメージが混在する。
ゲブ(Geb)は、古代エジプト神話の大地の神。ヘリオポリス神話では大気の 神シューと湿気の神テフヌトの息子。妹でもある妻、天空の神ヌートとの間に、オシリス、 イシス、セト、ネフティスをもうける。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.weblio.jp%2Fcontent%2F%25E3%2582%25B2%25E3%2583%2596
ヌート 【Nut】 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.weblio.jp%2Fcontent%2F%25E3%2583%258C%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2588
古代エジプトの天空の女神。大地神ゲブの妻でオシリスやイシスらの母。ヘリオポリス九柱神の一神。シカモア樹の中に立ち、死者の魂(バー)に水を与えている姿で表される。
魂(バー)に水
ギャーン( 魂)
ギオン」はペルシャ語のギャーン( 魂)が語源ではないかと推測され、祇園祭の山車にはペルシャ絨毯、モスクやラクダの 図柄などペルシャを彷彿とさせるものも多く登場するんですって。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fplaza.rakuten.co.jp%2Freflexdaidai%2Fdiary%2F201303290000%2F
祇園祭の神輿を鴨川の水で清める「神輿洗式」という神事 を行う前に、神輿を迎えるため提灯行列が市内を巡行。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkyoto.graphic.co.jp%2Fpickup%2Fseason%2F2012%2F07%2Ftheme2%2Findex.html
水で清める
水で清めるところなど、ゾロアスター教の 習俗を引いている部分が幾つかある、と指摘しているね。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdesktop2ch.info%2Fwhis%2F1122656242%2F
、「魚+占(=粘。ねばりつく)」。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1025369225
鮎は中国では『なまず』を指します。
ひょうたん」は「ナマズ」頭が太い「ナマズ」を「ハチ」という「ハチ」の隠語は「ひょうたん」で ある。
「なまず」は「鯰」という字を書きますが、この鯰は国字(日本の文字)のため、中国由来の「鮎」と表記されています。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.myoshinji.or.jp%2Fevent%2Farchive%2Farchive%2F20100326_2147.html
「鮎」 占
「ハチ」
「蜂」預言者
Deborah(デボラ):ヘブライ語で「蜂」。女預言者で旧約聖書唯一の女性指導者。士師 記4章

氐(テイ)
禹を魚形の洪水水神とする 信仰は、氐族と羌族が共有し継承されたと考えられている。
禹の神話と秩父 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Finehapo%2Fe%2Fb54858d48dd1ab8ee42fce3ac79514d5
秩父の荒川沿いに建てられた諏訪神社が北斗七星に置かれてることに気づいてから、このあたりに禹にまつわる話が残されており?それが北斗七星と関係しているのかどうか・・・妄想しておりましたところ、 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Finehapo%2Fd%2F20131026
[4413] /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2Fmobile%2Findex%2Fdetail%2Fcomm_id%2F4413%2F


444荊の紀氏:2020/04/29(水) 11:40:56
エラーです。…
[448] 「 鯷(なまず)」…古代科学史掲示板
エラーです。
B206: この内容は掲示板管理者がNGワードに設定した文字を含んでいるため、投稿できません。
詳しくは上記エラーメッセージと投稿できなかった「記事本文(URL含)」をあわせて掲示板管理者にお問い合わせください。


445史実探偵: 平 素人:2020/04/30(木) 04:39:17
北海道の油田を捜す!!
管理人さまへのお返事です。

度々、「北海道の未発掘油田の推測」へのお付き合いありがとう御座います^^。

> ひとまず、植物性の物質が津波によって運ばれ凝縮されて石油や石炭になったとの仮説を裏付けるには、地底のそれより、標高の高い地域のそれに注目したほうがよさそうですね。
> ご指摘のとおり、海水の塩分 がそこに混ざっているかどうかも重要な識別要素になるかもしれません。

 素人探偵が(30年前)第一番目の探索としたことは、巨大津波因による「未発見油田地の推測」でしたが、これは余りにも "突飛論"過ぎ、どなたさまからも相手にされませんでしたので「東北巨大隕石説の探索」→「未発掘の卑弥呼の大量の銅鐸・銅剣の埋封(筆者の造語)場所の捜索」へ移りました。しかしながら寄る年波の衰えがあることは否めません。30年間萎えることなく絶えることなく続いてきた「少年心」にさえかげりがあります。
 ・・のでので^^! 頂いた情報をきっかけに「探偵局」当初のミッションである「未発見油田」の着手を記録に遺しておこうかと貴家・掲示板をお借りしています。札幌市にもかつて汲み上げていた油井が二か所ほどあるようです。何故、そこで油井掘りに至ったかのいきさつにとても興味があります。

日本の石油事情(wikiより)
「日本の石油・天然ガス資源」および「石油元売」も参照 ・・・中略・・、
 現在では、新潟県・秋田県の日本海沿岸、および北海道(勇払平野)などで原油が採掘されている。生産量は年間で63万キロリットル(2014年度)で、国内消費量全体に占める比率は0.3%に過ぎない[7]。現在 新たに釧路平野に原油が予測されており経済産業省は新たに鉱区を設定した。□

 釧路平野のものは、すでに予測されていたのですね^^!。石油埋蔵地の推察は「6500万年前の巨大津波」に気付けば埋蔵量や質の推察さえも大して難しいことではありません。それが採算にあい、実利があるかどうかの方が、大きな問題となります。当探偵局としては他の人が予測してあるものは、二番煎じとなるので他地の<十勝平野)>へ移すことにしましょう(汗〜)。

油田の場合は、前述の「銅鐸や銅剣」のようにピンポイントで探る必要がないので、大まかに言い当てればいいのですが、採算に合うことはもとより、他の諸問題、たとえば釧路のような国定公園内にある等々の現実問題のクリヤーのほうが、かなり難しく専門家チームの参加がなければ、その採掘が可能になるとは思えません。

 (30年前の)状況の違いは別として「油井の試掘・一本20億円」を得ていましたが、今はどうなのでしょか。当探偵局としては、前述の諸問題クリヤーは抜きにして、油田の中心を探ることを目的としています。「石油成因物は、津波の奥まった所と、戻り流で河口付近に流れ出て留まっています!!」

> あとは津波が運ぶ砂利とか、貝とか・・・ですね。

 その砂利は、前述「サハラ砂漠」で、その貝は「ドーバー海峡の白亜や、中国の桂林」といったら、ますます、相手にされなくなるでしょうか^^? 日本では「秋吉台」にあります。巨大津波が運ぶ貝殻は、素人の言うものだけではありませんが、「鍾乳洞」となったりもしています。素人の論が正しければ、未だ見ぬ鍾乳洞が北海道にも“必ずある”と思いますよ^^♪ そして、その集積した貝類が衝突熱や火山熱を受ければ大理石化することもあります。

> ご指摘のとおり、海水の塩分がそこに混ざっているかどうかも重要な識別要素になるかもしれません。

石炭や石油には、必ず「海水の塩分」が含有しているはずだと申し上げました。
< これに、少し言葉をたします。>
石炭と石油の『全て』には必ず『津波で』運ばれた海水の塩分が含有しているはずだ。

さてさて、かくも専門家にしては簡単であろう分析をしてくださるでしょうか??
過去30年間のいきさつから推すと、無視されるがオチだとおもいますが~~???
その「塩分」がなければ当方の過去30年間の「報告書2000通」は全没となります^^! (もっとも、石油のほうはプランクトンの堆積説が一般的でした)
素人探偵は、残念ながら「それを頼める専門家」の人脈を持ち合わせていない。
 でもでも、過去にはそこは「海だった」というお人が必ず出るんだよね(笑い)
〇m〜数百mの炭層が海ぃ〜^^?
                   2020/04/30 史実探偵 平 素人 □

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



446管理人:2020/05/12(火) 03:56:16
Re: 北海道の油田を捜す!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000451M.png

https://driving-hokkaido.com/?p=5135



447史実探偵: 平 素人:2020/05/20(水) 06:57:04
北海道の未掘油田を捜す!!
https://driving-hokkaido.com/?p=5135

http://



448荊の紀氏:2020/05/06(水) 12:34:16
「鶴歳千歳、亀歳三千歳」… 1:3… 1:2:√3…
鶴は千年、亀は万年」万年山…
「鶴歳千歳、亀歳三千歳」… 1:3… 1:2:√3 は 30度、60度、90度の直角三角形の『3辺の長さの比率』です。
1:2:√3 は 30度、60度、90度の直角三角形の『3辺の長さの比率』です。
1対2対√3の直角三角形をどのように置くか(直角の部分をx軸およびy軸に一致させる必要はあるでしょうが)によって、sin, cos, tanの値は異なる、という話です。

亀の甲羅は何角形ですか?
六角形と五角形の模様が集まって甲羅全体はほぼ楕円形をなしてる /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq11169782806
楕円形…
地球 地球は完全な球体ではなく楕円形をしている。
【回転楕円体】 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fzatsugaku-company.com%2Fearth-oval-circular%2F
地球は回転しているために、赤道に近づくほど膨らんだ楕円体の形をしており、赤道付近の遠心力が重力を弱めている。そのため、「振り子時計」のおもりの動きに違いが出ると説明したのだ。
…粘土球を作って、中心に棒を差し込む。この棒を激しく回転させたとき、球の中心部が遠心力のためにふくらんでくる。そして、上下の極は扁平になり、粘土球は楕円体になる。
地球そのものも回転をしているので、この粘土球と同じように、楕円体になるということだ。

円に関する定理を集めてみた。五角形と円、六角形と円・・・
ここには何か関連がありそう。4点以上が円周上にあることの不思議。
やってみてわかってきたこと /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.geogebra.org%2Fm%2Fm2Dwpx5c
(1)二つの円で偶数個の円を描くとぴったり一致すること
(2)偶数個の円の中心は楕円の外接多角形であること
(3)その楕円の焦点を中心とする円が最初の二つの円であること
??????詳しくはミケルの定理 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fhamaguri.sakura.ne.jp%2Fmiquel.html
例えば二点とばしの六角形で星型五角形と同じことが言えないかなど・・・。

二つの円の交わる角度を変えてみる。円の交点の角度=交線の角度という関係がある。さらに、元の長さは半径が同じなら等しい。
交わる二つの円に関する性質 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.geogebra.org%2Fm%2Fm2Dwpx5c%23material%2FGDg4PJ28

万年山(はねやま)は、大分県日田市、玖珠郡玖珠町、九重町にまたがり、耶馬日田英彦山国定公園に含まれる標高1,140.3mの山である。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
北緯33度13分41秒 東経131度07分59秒
『豊後国風土記』によると、玖珠(くす)という地名は、かつてこの地にあった大きな楠に因むものであるという。そして、大楠の木陰となって日が当たらずに困った住民がこの大樹を切り倒した後の切株が伐株山であり、巨木が倒れる際にはね上げた土が山となったのが万年(はね)山であるという伝説がある。
北西側には国定公園に含まれる耶馬溪、日田盆地、北北西30キロメートルの英彦山など、玖珠町には西椎屋の滝(日本の滝百選)、角牟礼城跡など、南東側では九酔渓、震動の滝、龍門の滝、九重"夢"大吊橋、国立公園九重やまなみ牧場、東方20キロメートルに由布岳などがある。南方15キロメートルに九重連山、南方30キロメートルに阿蘇山。
「万年山」は山頂が平坦なテーブル上の形をした草原で、穏やかなハイキングコースもあり家族連れにも人気。山頂からは、広大な展望が望め、南東に九重連山、東に由布岳、北に玖珠盆地が見渡せます。
「巨木が倒れる際にはね上げた土が山となった」のが万年(はね)山であるという伝説がある。…
 ↑ 紀氏的解釈…
巨木…<大きな定規>…巨は工字型の定規を描いた象形
定規は工型で両端のあいだが離れているから「へだてる」 (拒・距・炬) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Fbbe057a67b47b8131d2536abc428bd13
木…キ 鬼・姫 キ・ひめ?
 金文は「女(おんな)+ふたつの乳房」 で、乳房の成熟した女を表す。篆文・旧字は乳房が一つになった「女+?イ」の形。成人の女の意から転じて君主の側妾や貴婦人の意。新字体は乳房が?⇒臣に変化した姫になった。
覚え方 「女+臣(下をむく)」で、君主のそばで下をむいて仕える女。
意味 (1)貴人のそばに仕える女性。高貴な女性。「寵姫チョウキ」(お気に入りの侍女)「姫妾キショウ」(姫も妾も、貴人のそばに仕える女性の意)
高貴な女…?…
?姓は元々、禹の姒姓と同祖であり、黄帝、帝嚳の別姓とされる。嚳の子孫の后稷はこの?を姓として使ったという。后稷の子孫とされる古公亶父が周の始祖であり、その曾孫の武王が殷を滅ぼして、周王朝を築いたためその国姓となった。
周王室から分家した?姓の諸国として呉(諸説あり)・燕(諸説あり)・晋(もとは唐、諸説あり)・韓(晋の分家で分岐国、晋と同様に諸説あり)・魏(もとは畢、晋の分岐国)・管・魯・鄭・衛・霍・虢(東虢/西虢に分岐)・曹・蔡・虞・滕・随[1]・韓(戦国の韓とは別国家)・劉[2]などが挙げられる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
劉…
[10135] 劉姓…五代十国の呉越で、劉氏が「金」に改姓した。…ユダヤ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F10135

〈道教とは中国古来の巫術もしくは鬼道の教を基盤として,その上部に墨家の上帝鬼神の思想信仰,儒家の神道と祭礼の哲学,老荘道家の〈玄〉と〈真〉の形而上学,さらには中国仏教の業報輪廻と解脱ないしは衆生済度の教理儀礼などを重層的・複合的に取り入れ,隋・唐・五代の時期に宗教教団としての組織と儀礼と神学教理とを一応完成するにいたった〈道(タオ)〉――宇宙と人生の根源的な真理もしくは真実在の世界――の不滅と一体になることを究極の理想とする漢民族(中国民族)の土着的・伝統的な宗教である〉 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F

太平道は五斗米道とともに道教の基礎を作ったといわれ、白蓮教は仏教系、拝上帝会はキリスト教に影響をうけた団体であった。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fjuroujinn.la.coocan.jp%2Fkessya.htm
黄巾の乱、紅巾の乱、太平天国の乱という歴史上有名な反乱の中心となったのは、それぞれ太平道、白蓮教、拝上帝会という宗教的秘密結社であった。太平道は五斗米道とともに道教の基礎を作ったといわれ、白蓮教は仏教系、拝上帝会はキリスト教に影響をうけた団体であった。

白蓮(びやくれん)・弥勒(みろく)教徒が勢力の中心で,紅布で頭を包み標識としたので〈紅巾の賊〉ともいう。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
紅布…茜(あかね)色の布地…
魏志倭人伝には、卑弥呼が239年、魏から金印を受けた際に「せん絳(せんこう)(茜(あかね)色の布地)」などももらったとある

卑弥呼はドルイド教の巫女だったのか?邪馬台国とは倭寇の本拠地、対馬、壱岐、松浦半島にあったのではないか邪馬台国は、デーン人が影からドルイド教の巫女、卑弥呼を使って支配した古代倭寇の国だったしかも、F1bグループ(中国系)が倭寇を支配していたので、邪馬台国は「天皇が治める日本」とは異種の「もうひとつの日本」と言えるかもしれないempirex.web.fc2.com/2kanmin.html
ドルイド教…
ドルイド教とゾロアスター教と古代エジプトと古代ギリシアと古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながりrapt-neo.com/?p=33045
ドルイドの社会的役割は単に宗教的指導者にとどまらず、政治的な指導をしたり、公私を問わず争い事を調停したりと、ケルト社会におけるさまざまな局面で重要な役割を果たしていたとされる。
…ドルイド僧は、ストーンヘンジによって大地のエネルギーをコントロールしたり、それを何かに利用したりしていた可能性が高い”、と推論せざるを得ない。
ドルイド教の神官たちは、古代ケルトにおいてはドルイド教の神官となり、ギリシアではピタゴラス派になったというわけです。
…「直角三角形の斜辺の二乗は他の二辺の二乗に等しい」というのがピタゴラスの定理であるが、この定理は、前6世紀の数学者ピタゴラスが発見されたといわれている。
だが、有名な作家ヘロドトスは、エジプト人はこの定理を使って、ピラミッドを築き、無名の大工たちも家を建てている。と記している。
どうやら、この定理はエジプトではすでに普及していたものらしい。

古代ケルト信仰ドルイド教を史上初めて公認、英国 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.afpbb.com%2Farticles%2F-%2F2763458

生け贄と言えばドルイド教や古代ゲルマンの宗教も外せないしフェニキアのモロク信仰もある。

(ドルイド教の神官団)はインドのランカー島に拠点を得、ルカ人(ドルイド教の神官団)はフェニキア人とペリシテ人を 輩出し、ウェシュシュ人(ドルイド教の神官団)はウェールズ人(ブリトン人)の祖と考えられる。

フェニキア人、マゴ王家(天孫)の後裔(ドルイド教):多氏(大国主命)、坂東八平氏
フェニキア人の後裔サルマタイ人(ドルイド教):物部氏(大物主命)
失われたイスラエルの10支族ガド族(ソグド人)の後裔(太陽信仰):神武天皇〜武烈天皇(天照大神)、蘇我氏、安倍氏、吉備氏
ヘリオポリスの蛇神を祀る神官団の後裔(蛇信仰):賀茂氏(オオナムジの前身、蛇神ナムジ?)
ブリテン島からベトナムに来た越人の後裔(ドルイド教):蝦夷(エゾ)、伊達氏
古代中原に来たシュメール人の末裔(牡牛信仰):東漢氏、西漢氏
失われたイスラエルの10支族ルーベン族等の末裔(月信仰):秦氏
多禰氏 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4498
多禰氏…
「多禰国」記事,隣接の屋久島(掖玖国)は遥か以前からよく知られていた,「五千余里」は九州王朝 …
すり替えられた九州王朝の南方諸島支配 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.furutasigaku.jp%2Fjfuruta%2Fkaiho119%2Fkai11904.html
…九州王朝の事績の盗用は、卑弥呼・壱予・玉垂命など九州王朝の女王の事績を取り込むための「神功紀」創設、九州王朝の九州一円平定譚の「景行紀」への盗用、倭王「武」の上表文にあわせた、日本「武」尊の東方「毛人」征討譚の創設など、枚挙に暇がないほどだ(註9)。
 そして、南方諸島支配に関しても、同様の詐術を施した。

卑弥呼も使った?古代の赤 ベニバナ花粉が大量出土 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.asahi.com%2Fedu%2Fnie%2Fkiji%2Fkiji%2FTKY200710140096.html
4年後の243年には邪馬台国側から「絳青けん(こうせいけん)(赤と青の絹)」を魏に贈ったと記されている。
赤と青の絹…紫・・・
赤と青の錐体が反応します。脳は赤と青の錐体が反応した時は「紫を見た」と認識するので、結果として赤と青を混ぜると紫に見える /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Flastline.hatenablog.com%2Fentry%2F20080319%2F1205925226

『纒向(まきむく)遺跡・大量のベニバナ花粉,卑弥呼の贈り物染めた? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.biwa.ne.jp%2F%7Efutamura%2Fsub73.htm
   <最古のベニバナ花粉,邪馬台国映す「紅」>』(読売新聞 2007,10,03より引用)

卑弥呼の鬼道とは /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fikejun_2007%2Fe%2F0966da89fb7d80af35f573336a1d761e

太平道は、どちらも早期道教と呼ぶことができる。まとめると、早期道教には次のような特徴がある。 1、早期道教は主に社会の下層で苦しんでいた民衆の間に伝播したwww2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-2.htm
張角は36の方を作り教団を統括した。…36…ミロク

道教(卑弥呼)VS景教(秦氏) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F1217
…卑弥呼が女王になる前後の時期に、太平道の兵団 を率いた(ことがある)人物、もしくはその関係者が列島に渡来した可能性も考えられる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fdogs_ear%2Fe%2F54063c7b766b6723f9e4d854beba8a14
銅鏡を「邪を払う・神に会う」ための呪具とする信仰は、道教の中に継承されることになる。
天津社会科学院教授の王金林氏によれば、墓に副葬された道教の呪具の中で、玉は不朽で永遠に存続する、銅鏡は神仙と会い悪魔を制御する、さらには、銅鏡を被葬者の左右に置く「日明鏡」、銅鏡を前後左右に置く「四規鏡」は、神仙と会い悪魔を制御し、俗から離れて仙人になる目的を達成する思想によるという。
銅鏡の副葬と神仙思想の関係
 道教において鏡は神仙示現・予知・不老長生・辟悪などに関わる呪具として用いられるものであり、副葬品としての鏡もまたそうした多様な呪術的性格を持ち合わせていたのではないかと思われる。たとえば、三角縁神獣鏡に描かれた神仙や霊獣が道教的思想を反映して描かれたことは、神仙が東王父・西王母などに対応して配置されていること、霊獣が巨(矩)と呼ばれる呪具などをくわえた例などからもうかがわれる。その際、霊獣は神仙の乗り物として死者の霊魂を仙人のいる天上世界に導いてくれることを期待されたのではないか。
 (「古墳出土の玉・鏡・剣の副葬品からみた道家思想の影響」王金林)
剣の副葬と尸解術
 剣は被葬者の生前の社会的地位を示すと同時に、祭祀具としての宗教意識を内包するものである。東大寺山古墳出土の環頭大刀銘に「上応星宿、下辟不□」と刻されているように、大刀は宿星信仰に基づいてその呪力が期待されて副葬された。道教では神仙の地位の上下(総じて九品)が決まっており、道士は修練によって神仙世界に昇ることができるが、その修練の度合いによって昇天の方術は飛天・隠遁・尸解(魂が昇天する)の3つに分かれる。(王金林)
 どうやら、古墳に副葬された鏡と剣の配列にも、信仰的意味があったらしい。死者に副葬された剣は、死者が神仙世界に昇るための呪具だったというわけである。

縄だけで簡単に造れる前方後円墳…
西都原メサホ塚古墳の1/10設計を試みました。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fpentacross.up.seesaa.net%2Fftp%2F200503179a04cb95.JPG


449史実探偵: 平 素人:2020/05/11(月) 07:52:12
北海道の(十勝平野)未掘油田を捜す!!
 おまたせしました^^! やっとその論文を再検索することができました。

☆「石炭層の生成と変遷」九州大学 高橋良平
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.jstage.jst.go.jp%2Farticle%2Fjie1922%2F58%2F2%2F58_2_102%2F_pdf

「将(油田)を射んとする者は、まず馬(炭層)を射よ!」
この論文は専門的であり、わたし素人にとっては難しいのですが、石炭の生成因は、現地性とするか、流木性とするかの論があります。その炭層の厚みをなすには十数倍(!?)の植物の堆積を考えねばならず、流木性といってもその厚みは、通常の大洪水では到底考えられず、そして、その分布は地球規模にあります。炭層の年代は、筆者の掲げている6500万年前のものだけではないようですが、<流木=洪水>ではなく、<流木=巨大津波>原因 と考えると解がでることに気付いて欲しい。

 先の情報で夕張の炭層の露頭は、下から10尺、8尺、6尺の3層とあるが、これは津波の数波によって回層?をなしたと考えられるし、論文で炭層を挟んでいる夾層が砂から粘土質へと異なるのは、巨大津波が持つ多数波の特徴であり、津波の上流になにがあるかによっても異なり、おおむねは第一波は粒度が大きく、第三波以降は粒度小さくなると思っています。さらに面白いのは<石灰層>の夾層もあるようです。この津波が運んだ堆積層の件は、なにも遠くの国や特別の場所へいかなくても、わたしの貴方の近くにもあるはずだ。瀬戸内山陽道北側の20m〜30mの丘陵地。京都府新幹線車窓北側の丘陵地や、岩手県胆沢扇状地北の丘陵地もそうでないかと思っています。なにしろ地球の90%を覆った巨大津波ですから。『川がないのに角のとれた丸こい石の堆積丘^^?』それが少年心(こどもごころ)には不思議でならないのです。

 キシ先生>に希望します。長文の情報層で小拙層を覆い隠さないで欲しい(笑い)。

当初の論文を熟読します。その時の超巨大津波と考え合わせながら・・・・
                      To be continued^^!

> <十勝川河口にも必ず油田があります!>
  それと<然別川と音更川との湿地帯あたり> を予測しておきます。

> (5/3)とりあえず関連して石炭中に<NaCl>の塩素の含有があることが分かりました^^!
塩素Clは単体では活性化が強く、それがナトリウムと結び付き海水中にあります。

> ☆「石炭の過熱過程における塩素の行方」
  1. 緒言石炭中の塩素(coal-Clと略す)は、・・・
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.jstage.jst.go.jp%2Farticle%2Ftetsutohagane%2F103%2F8%2F103_TETSU-2016-110%2F_pdf

> ☆ 夕張、合せて24尺炭層の大露頭^^
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.geosites-hokkaido.org%2Fgeosites%2Fsite0002.html

450史実探偵: 平 素人:2020/05/12(火) 01:24:26
Re: 北海道の(十勝平野)未掘油田を捜す!!
  急がば廻れ^^! 油田を探すなら、まず石炭から・・

<石炭層の生成と変遷> 九大:高橋氏 1978/11/16受理、より
1.1 夾炭層の構成
・・、「石炭層の直下にかつて植物が生育していた時の土壌と判断される粘土層があったり,石炭層中の珪化した樹幹(珪化木)が層面に直立した格好で含まれ,さらにこの粘土層をつらぬいていることなどは石炭の原地成因説の有力な証拠とされてきた。」・・、

 この件は、4千年前の東北に衝突した巨大隕石で発生した巨大津波の件で述べたことがありますが、同様なことに「直立した藤里の大珪化木」がある。いかに巨大津波とはいえ、その発生源とその先端部分では、その様相がおおきく異なる。発生源では巨石ゴロゴロでも、その先端等で流れが弱くなった場所や後続波では、その濁泥土の粒度は小さくて粘土質のものが運ばれてそこで堆積する。そしてそこに棲息していた樹幹が大きければ直立したままで、津波と共に運ばれてきた粘土層に埋まり珪化木化する。この件で、奥州市の岩淵先生は、島根県の珪化木林の根本部分に倒れてある木化石は、その時の津波が運んだものだとされている。

また、藤里の珪化木はアイソトープ年代で〇〇年前であったが、その年代を示す濁泥土が染入ったものだとしました。津波が運んだ植物の遺骸は他地へ運ばれたり、混ぜ合わされた土粒へ埋まりこんだりするので、その年代を決めるのが難しい。

<続 伸> 上記論文より、
「・・、坂倉は,石炭層の厚さが水平方向で容易に変化したり,石炭を含む一連の地層(夾炭層)が,繰り返しリズミカルな堆積様式を示すことなどによって日本の第三紀炭は原地で生育した植物群をその原料にしたと主張している2)。・・」

 この件は、夕張の3層の石炭の堆積層で津波成因を説明できる。3層の炭層の厚みは下から10尺、8尺、6尺であった。リズミカルな堆積様は、津波が同方向からそれらを運ぶからであり、10尺→8尺→6尺へとだんだん小さくなっているのは津波の後続波が弱くなっていることを表す。夾層の状態と何がどのように津波によって運ばれたかを知りたいものです。夕張では炭層がなだらかな傾斜があったようだが、植物体は盆地へ溜まったり、津波の波打ち際に置いていかれる ことがある。この地勢の件の要を氏は説かれている。

                       To be continued^^。

451青面金剛:2020/05/12(火) 15:31:22
Re: 十勝平野
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 奥州市の岩淵先生は、島根県の珪化木林の根本部分に倒れてある木化石は、その時の津波が運んだものだとされている。
>  この件は、夕張の3層の石炭の堆積層で津波成因を説明できる。夾層の状態と何がどのように津波によって運ばれたかを知りたいものです。夕張では炭層がなだらかな傾斜があったようだが、植物体は盆地へ溜まったり、津波の波打ち際に置いていかれる ことがある。

 2千万年前の歴史の証人「珪化木」 大田市久手町波根西の海岸 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.pref.shimane.lg.jp%2Finfra%2Fnature%2Fshizen%2Fshimane%2Fdekakeyou%2Fsyouninnkeikaboku.html

☆十勝地方では、60年程前に、資源探査が行われ、微量の石油が幾つかの地で、確認されましたが、採算性には程遠かった様です。

釧路炭田………縄文海進
 釧路炭田の形成は、約3800万年前の古第三紀漸新世の時代です。
釧路管内を中心に、釧路沖の海底を含む広い範囲に浦幌層群と呼ばれる地層が堆積し、そのなかの春採(はるとり)層・天寧(てんねる)層・雄別層・双運層・尺別層に石炭が含まれています。
これらの地層の中には石炭の層が数十枚あり、普通1から3メートルの厚さですが、5メートルをこえるものもあります。
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.city.kushiro.lg.jp%2Fmuseum%2Fjyousetsu%2F1f%2F0003.html

 道北の稚内・豊富には石油質の温泉が湧き出て、アトピーの湯治に良く効く、と評判です。
 豊富温泉は大正14年より、石油の試掘を行ったところ、翌年5月に地下約960mの地点より高圧の天然ガスと共に43℃のお湯が噴出したことから開湯した温泉です。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftoyotomi-onsen.com%2Fhistory

国内油ガス田  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.japex.co.jp%2Fbusiness%2Fep_j%2Fdomesticfields.html


※ 坪背山周辺では、鹿猪の駆除の為、銃や罠を用いる場合が有ります。無断入山は禁止されてますので、事前に、出雲市役所森林政策課 Tel 0853-21-6996 に届けなければ成りません。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.izumo.shimane.jp%2Fwww%2Fsection%2F0000000000000%2F1301563212058%2Findex.html

レンタカー、タクシー、レンタサイクル情報  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.izumo-kankou.gr.jp%2F8575

☆平さんが80歳未満ならば、一人乗り電気自動車COMS(コムス)で廻る事も可能です。
4時間フリーコースで4000円程。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdandan-izumo.resv.jp%2Fsupport%2Fsupport_help.php

☆古代出雲歴史博物館は現在休館中です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izm.ed.jp%2F
現在、桃太郎エクスプレス・バスは運休中です。特急「やくも」は運行してます。



                 

452史実探偵: 平 素人:2020/05/13(水) 04:35:33
Re: 十勝平野
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/jyousetsu/1f/0003.html

http://



453青面金剛:2020/05/13(水) 13:23:54
Re: 十勝平野
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>ちなみに島根県には<千木>という地名があります、筆者はこれをその時4000年前の大津波が運んだものかと疑っています。

☆<千木>は神社の社の屋根に付いている風消しです。千木が無いと強風時に屋根が飛び易くなります。立て削ぎが出雲神、横削ぎは物部神です。男千木と女千木で解説している本が多いですが誤りです。

> 『坪背山探索の件』
><猪の目峠茶屋跡から散策道を7分ほど登った所から右手方の分かれ道の行き当たりに、隠れ坑道のズリありか!?>を確かめる気力が残っていません。

☆ 地図に印を付けて管理人さんに送りなさい。隠れ坑道がある危険な所はドローンしか、ありません。
 GOOGLE ストリートビューで、坪背山登山道入り口の駐車スペースを見ると、法務省の不法投棄監視システムが設置されています。ドローンのカメラに映るのは、「ズリ」で無くて、『産廃』の感じがします。

※ 一部訂正します。「駆除」では無くて「捕獲」との事です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.izumo.shimane.jp%2Fwww%2Fcontents%2F1428404284634%2Findex.html
令和2年度出雲北山山地のシカ捕獲の実施について【森林政策課】

 出雲北山山地は、狩猟でのシカ捕獲が禁止されています。しかし、保護目標頭数より多くのシカが生息し、農林作物等の被害が発生しているため、シカの個体数を調整することを目的とした銃とわなによる捕獲を行います。期間中に入山・登山の際は鈴などの音の鳴るものを身に付け、登山道から外れないようにお願いします。
令和2年度通常捕獲期間
       第1回:4月13日(月)〜 6月30日(火)
       第2回:9月 1日(火)〜 3月14日(日)

※ イノシシは出雲北山には居なくて、出雲市南部の山沿いに居る様です。

454机上探偵: 平 素人:2020/05/14(木) 08:27:44
『坪背山に隠れ坑道を掘ったズリの有無確認の件』
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000459M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000459_2M.jpg

https://houshizaki.sakura.ne.jp/tuboseyama.htm

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



455青面金剛:2020/05/14(木) 13:29:07
『坪背山』
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 「忌部川」に、「下忌部・西忌部・東忌部」。 このように方向性が3つ以上連なると、(そのことに関して)そこに歴史という時の流れがあったと推むことができます。「忌む」とは、人が死んだ時につかう言葉。 ここに「千本」という地名があります。

☆千本つつじが丘の地名なので、つつじ千本の意味です。忌部氏は祭祀氏族で、東忌部町の東山向こうには出雲一の宮である熊野大社、西忌部町の西山向こうには玉造。神道では隠れる、と表し、勾玉は再生を意味します。神門・神戸(かんど)は神様の通り道。

 西忌部町に鎮座す忌部神社
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jinja-net.jp%2Fjinjacho-shimane%2Fjsearch3shimane.php%3Fjinjya%3D6313
「平安朝に忌部神戸内鎮座の22社と合祀し、二十二社総権現、総社大宮大明神と称し忌部神戸の総社として神祇令により神戸内の官物を供進し、其官祭を享け給えり。奈良朝以来、朝廷の御崇敬を始め累代国守の崇敬篤く、社領寄進、社殿造営、禁制社参代参あり。」


> 千木は、大量の銅鐸・銅剣を埋めた時、それに憑いた荒神を動かせないようにするための「重し」のための儀式方があったのではと疑っています。「風消し」の意味もあるのでしたら、「八雲」を抑える意味もあったのでしょうか。慈雨が、あまり暴れすぎて暴風雨になっても困ります。今でも、旧家では新築時の棟木の下に刀(刃物)を括り付けることがあるようです。さらに、略式化して竹で挟んだ何やらの紙幣をくくりつけているようですが^^?
>  今、「神戸・こうど」の地名がつくところの山畑に廃材で休憩小屋を建てているのですが、「屋根が風で飛んで人さまに、必ず迷惑をかける」と息子にしかられました。

☆NHKの番組で、強風が吹いた時に、千木は逆方向に力学的に作用し、屋根の上ずりを防ぐ、の分析が有りました。
 出雲の社は裏手に磐座が有る事が多いですが、磐座の背後から、雲が湧き出る伝承が在り、千木は、その象徴と先駆けの意味も有ります。竹も鎌も魔除けとして扱われます。


> 『坪背山の隠れ坑道を掘ったズリの探索の件』
その地の歴史を知らないわたしのようなよそ者は、そこが、さして先さまが仰っておられるほど危険な場所とは感じません。

★ 「危険な場所とは感じない」のならば、自分で行って証明して来い!!!

 息子さんが居るならば、連れてってもらい、平さんが先頭を歩き、距離を置いて息子さんが付いて行く。
 平さんが隠れ坑道に落ちたり、マムシに咬まれた時は、息子さんが助けてくれるでしょう。

※ 平さんが坪背山の現地レポートを此処に書き込むまで、この話は休止とさせて頂きます。(終)



456机上探偵: 平 素人:2020/05/18(月) 04:23:01
Re: 北海道の(十勝平野)未掘油田を捜す!!
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jie1922/58/2/58_2_102/_pdf

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



457机上探偵: 平 素人:2020/09/20(日) 04:07:18
将(=石油)を射んとする者はまず馬(石炭)を射よ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000462M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000462_2M.jpg

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jie1922/58/2/58_2_102/_pdf

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



458史実探偵: 平 素人:2020/09/05(土) 04:26:37
北海道の油田は、数十年前に発見されていた!!
 この件は、・・・・さまも指摘されていましたが以下にありました(^~!)

??日本北部の天然ガス (北海道の天然ガスと石油)
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.gsj.jp%2Fdata%2Fchishitsunews%2F61_07_02.pdf%23page%3D1%26zoom%3Dauto%2C-150%2C721

  油田・油井の発見は、臭水(クソウズ)であったり、自噴したり、石油ガスの匂いがしたりがきっかけのようですが、国土地理院の地勢図・等高線に重ね合わせてみると、各代・各々の巨大津波が運んだ「未だ見ぬ」動植物の遺骸の油分が見えてくるかもしれませんね(^-^)。あっ、それから巨大隕石落下後の「隕石の冬」が引き起こす海進・海退も考え合わせねばなりません。そこは昔は海だったと云わないためにも・・・つづく(^-~)。



459管理人:2020/09/05(土) 21:54:09
Re: 北海道の油田は、数十年前に発見されていた!!
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>  この件は、・・・・さまも指摘されていましたが以下にありました(^~!)
>
>?? 日本北部の天然ガス (北海道の天然ガスと石油)
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.gsj.jp%2Fdata%2Fchishitsunews%2F61_07_02.pdf%23page%3D1%26zoom%3Dauto%2C-150%2C721
>
>


平さん、ご無沙汰してます!
北海道の炭田、気になるところですね。今月は道東に向かう予定なので、その辺の情報も仕入れてみたいと思います。

摩周湖・屈斜路湖、サロマ湖、厚岸湾・・・隕石落下によるクレーター湖かどうか確認してきます!

460管理人:2020/09/06(日) 00:33:39
道東クレーターライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000465M.png

https://www.afpbb.com/articles/-/3295143



461史実探偵: 平 素人:2020/09/08(火) 05:28:31
Re: 道東クレーターライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000466M.jpg

管理人さまへのお返事です。
 ご無沙汰いたしております。お元気なごようすなによりです^^。

>
> 摩周湖・屈斜路湖、サロマ湖、厚岸湾・・・隕石落下によるクレーター湖かどうか確認してきます!

 北海道・東北地方には隕石衝突とみられる湖が散在していますね。列島の中部以南にはそのようなクレーター形状様のものがみられません。これに関心をもったのは中坊のとき、噴火湾といわれている内浦湾とメキシコ湾の形状が「よく似ているなあ」と思ったことでした。加えてイタリア辺りもそのようなものがみられます。素人はこれ等を「隕石銀座」とよんでいます。ご指摘のように黄道・偏角と惑星・軌道の交わりが過去にあったのかもしれませんね。

 ご調査・ご思考を楽しみにしています。



462管理人:2020/09/11(金) 00:44:23
Re: 道東クレーターライン
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


>  北海道・東北地方には隕石衝突とみられる湖が散在していますね。列島の中部以南にはそのようなクレーター形状様のものがみられません。これに関心をもったのは中坊のとき、噴火湾といわれている内浦湾とメキシコ湾の形状が「よく似ているなあ」と思ったことでした。加えてイタリア辺りもそのようなものがみられます。素人はこれ等を「隕石銀座」とよんでいます。ご指摘のように黄道・偏角と惑星・軌道の交わりが過去にあったのかもしれませんね。
>
>

平さんもお元気そうでなによりです!また今年こそはどこかでお会いしたいですね・・・。
秋に雪が降る前に昨年見逃した東北の遺跡を巡りたいと考えてます。

確かに、北海道・東北のクレータ湖?の多さには特徴がありますね。

以前は、その小天体群?は地球を半周しなかったと平さん同様に考えていたのですが、再度昨年考えなおして、中には数十周したものもあっただろうと予想します。

結果として等間隔で南へとずれていく先日のラインが見えてくるわけです。

十数分くらいで地球を一周していたのではないでしょうか。その間に分裂を繰り返しデブリを落下させていき、そこにクレータができるわけですね。

北海道から東北に特に多く分布した原因としては、やはりその北緯あたりから小天体が侵入してきたからではないでしょうか。

赤道平面から侵入してきそうなものですが、小天体の軌道が地球の軌道平面よりやや北側にあったのかもしれませんね。

あるいは赤道方面にはちょうど月があり、その影響で多くは月に衝突して、その月にとらえられなかった小天体群が、月の影に入らない地球の高緯度地域に降り注いだことも考えうるところです。

もっと精密に各地のクレータの分布をしらべて、月の影の領域が浮かび上がってくれば、この証明はすぐ立証できるでしょう・・・。

問題は誰がその気の遠くなるような作業をやるかですね!!





463史実探偵: 平 素人:2020/09/13(日) 06:13:02
福井県の水月湖底の年縞!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000468_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000468_3M.jpg

管理人さまへのお返事です。

コメントありがとうございます^^。
・・・、クレーターについて色々に考えているのですが、中々まとまりません~~!

Yahoo!(9/8(火) 10:06配信) ビッグニュース ありました!!
「福井県の水月湖底」の年縞(ねんこう:年輪のようなもの)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded?page=2
年縞が過去7万年にわたり途切れずに1年刻みで残っている湖沼は、世界でもここにしかない。

サンデー毎日×エコノミスト
(本誌初出 「地球の古文書」の年縞 7万年を刻んだ水月湖の「奇跡」/15 20200825)
 ■人物略歴
鎌田浩毅 かまた・ひろき 京都大学大学院人間・環境学研究科教授

 ドキドキします・・・・^^、
取りあえず(私が)知りたいのは、岩淵先生と二人でやっている「東北釜石:巨大隕石」です。この落下日をBC.2001/12/25.am6:00頃(日の出前)と推んでいますから、その年縞に何かの異変が刻まれていれば大正解^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



464管理人:2020/09/14(月) 02:18:49
小天体と隕石群の周回・落下方向
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000469M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000469_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000469_3M.png

https://www.youtube.com/watch?v=Jx5FEF3nVNI&amp;t=19s



465史実探偵: 平 素人:2020/09/17(木) 08:07:31
Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向
https://news.yahoo.co.jp/articles/a354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded?page=1

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



466管理人:2020/09/19(土) 23:47:46
Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメント&情報ありがとうございます。
>
> > 水月湖、興味深いですね!7万年前まで調べれるならば、最近の隕石衝突の地層も特定できそうなものですね。
> ただ、その水月湖の近場の隕石のそれですね。
>
>  私が水月湖の年縞に期待しているのは、小天体衝突の飛散物等の直接的証拠ではなくて、間接的な証拠です。年縞のなかの<葉っぱの14C>を調べることによってその年縞が何時になったか分るそうです。
> >『また、年縞に含まれる花粉や火山灰などを分析することで、過去の気候と地球環境も解読できる。さらに春、梅雨、夏、秋、晩秋、冬によって異なる堆積物が残されており、年縞を使えば縄文人の生活を1年ごとに知ることができる』
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Farticles%2Fa354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded%3Fpage%3D1
>
>  7万年もの間の物差しですからその判別には膨大な量の調査と時間が予想されます。私たちが思う大きさの小天体の衝突が、陸部であれば必ず「隕石の冬」を伴わなければなりません。その時の気温の降下が大きければ大きいほど年縞の間隔や変わり目が顕著に現れます。温暖期が長く続いて “急に” 寒冷期になっていれば場所の特定はできませんが「その時」に小天体の衝突があったと判別できます。
>  例えば、これを逆にとらえて自分の提唱する4000年前や、先さまの云われている1万2千前に、そのような年縞の変移があり、ボーリング柱に<寒冷期の葉っぱ>でも捕まれば、つよい状況証拠となります。近場で直接的のものでは中国と北朝鮮の国境にある白頭山(活火山)の火山灰が確認できているそうです。
>

火山灰の件は重要ですね。先ほど読んでいたアイヌ文化のチャシの特定にも火山灰地層の件が記されていました。有史の火山灰をみれば、かなりの正確さで年代を推定できそうですが、それ以前のものを正確に測るうえでも水月湖の地層解析は重要ですね。


>  惑星や衛星の運行についての情報ありがとうございました。それには色々な法則や作用があるのですね。素人にはそのすべては理解しえないですが、その衝突は太陽系のようにできあがった形では小さいものは別として、隕石の冬を伴うほどの大きさのものが、太陽なり地球の周回軌道に入るまえに捕まえなければ、取り逃がしてしまうのではないかと思っています。つまり半周以上の周回では捕まえるのが難しいのではないかの考えをもっています。惑星や衛星の軌道をみだすものとして重力の大きい木星の影響力をきいたことがありますが、(北海道クレーターが)地球の傾きに近いものの衝突角であれば、月の重力が関係する時を考えねばならないのですね。月のことはまったく考えの内にありませんでした(汗〜)。ありがとうございました。
>


地球軌道角での隕石落下からクレーター生成については、これからちょっと道東に向かうので、現地の地層などをみながら、確証を得たいと思います!


467史実探偵: 平 素人:2020/09/20(日) 06:55:21
Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向
管理人さまへのお返事です。 コメント&情報ありがとうございます。

> 地球軌道角での隕石落下からクレーター生成については、これからちょっと道東に向かうので、現地の地層などをみながら、確証を得たいと思います!
>
 お気を付けていってらっしゃいませ^^。
(先さまの以前の記事で)小天体の衝突痕として斜角が小さければ衝突方向に堆を残すとか五・六角形になるとかに斬新さや意外性をおぼえたことがありましたが、溶岩様や、微視的なものでSiO2が確認できればいいですね。酸化ケイ素は小天体衝突時の高温で発生し、通常の火山の噴火熱では発生しないのではと思っています。又、ドローン等が使えれば衝突域の植生の違いの有りや無しやをみるのも面白いかもしれません。たのしみです^^。

 北海道のチャシ(跡): はじめて知りました。戦いのためにも使われていたとのようですが、わたし素人は、薬石探しに列島に来た「徐福と武人集団」が、なぜ北海道の内陸に侵入痕跡がないのか? を思っていましたが、その理由の一つとして、アイヌの人達は天地のすべてを神体としており神域をおかすものへの強い抵抗と、熊と共存しゲリラ戦(ベトナム戦)を得意とする人達。専門家の多くは徐福は列島支配の目的ありとみているようですが、私はそうは思いません。徐福達は列島の植民地化が目的ではなく「不老不死の薬石探し」が大きな目的。もし、それを違えて「安穏な列島暮らし」が始皇帝の耳に入ろうものなら、十万二十万の大軍を繰り出され、たちまちのうち殲滅されるかの恐れがあります。それに北海道の地は広大な中国にも似ています。激戦をしてまで「珍薬探索の要無し」との結をだし太平洋岸を周り、岩手あたりまで南下したのではないでしょうか。遮光面土器、なまはげ、蕨手刃、金色堂の童子を連れた釈迦仏画等はそのなごりと推んでいます。
 史記に「徐福は広大な州の王となった?」とあるようですが、これはあくまで中国本土の人がその伝聞を記したものであり、事実かどうかは分かりません。先没した始皇帝の暴君性の“トラウマ薄れ”への結果としてそのようになったかも知れませんが、「神仙の列島に仙薬あり」を信じて出帆した徐福には、定住性はなく生涯がサバイバル!! どの地ではてたかは分かりません~~!

 北海道の地名に「空知、美唄、忍路」があります。
わたし素人探偵は、四千年前の天空を血色の巨大塊が、ビリバリの衝撃波と音をだし、恐ろしい路を松前のほうに飛んでいったとの地名伝言だとしています^^!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



468管理人:2020/09/28(月) 23:38:10
Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000473M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000473_2M.png

史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。 コメント&情報ありがとうございます。
>
> > 地球軌道角での隕石落下からクレーター生成については、これからちょっと道東に向かうので、現地の地層などをみながら、確証を得たいと思います!
> >
>  お気を付けていってらっしゃいませ^^。
> (先さまの以前の記事で)小天体の衝突痕として斜角が小さければ衝突方向に堆を残すとか五・六角形になるとかに斬新さや意外性をおぼえたことがありましたが、溶岩様や、微視的なものでSiO2が確認できればいいですね。酸化ケイ素は小天体衝突時の高温で発生し、通常の火山の噴火熱では発生しないのではと思っています。又、ドローン等が使えれば衝突域の植生の違いの有りや無しやをみるのも面白いかもしれません。たのしみです^^。
>
>  北海

平さん、こんばんは。道東探索では、摩周湖、屈斜路湖、サロマ湖、阿寒湖、網走湖、能取湖と、クレーター湖と睨むところをひととおり撮影、ドローン空撮などしてきました。また今度お会いしたときにでもお見せしたいです!

地層のほうはいまいちよくわかりませんでしたが、火山性の熱源という意味で驚いたのは摩周湖付近に立ち上る霧ですね。地熱が高いのではないでしょうか。

また摩周湖そばの第1展望台でドローンを飛ばそうとしたら、磁気コンパスに異常が起きて飛ばせなくなったのには驚きました。滅諦にない現象で、磁場が狂うほどの鉄?が付近に埋もれているのではないかと感じましたよ・・。

あとは、アイヌの拠点である神居古潭、ここも神秘的な雰囲気が漂う場所で、そばのストーンサークルともども、ぜひ平さんにはご覧いただきたい感じがします。

白滝遺跡では、黒曜石らしき石をひとつ拾ってきました。ここから各地へと黒曜石が運ばれるネットワークがあったようです。

ちかいうちに、白老のポロトコタン、つまりポロト湖のコタン(集落)を見に行きたいと考えてるんですが、隕石ライン??らしきものも見つけてます。。添付しますね。23度前後の偏角になるようです。

倶多楽湖⇔ポロト湖⇔ウトナイ湖へと伸びるラインですが、同時に22度偏角で以前指摘した倶多楽湖⇔洞爺湖⇔寿都湾のラインもあり、どちらかが本物??、双方本物??が見極めどころです。



469史実探偵: 平 素人:2020/10/30(金) 00:23:57
小天体と隕石群の周回・落下方向
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000474M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000474_2M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-14.html

http://



470史実探偵: 平 素人:2020/10/10(土) 05:53:54
Re: SAHARA
水月湖の年縞(ねんこう)に興味をもち調べていたら、山田さまの記事にあたりました。

> ・・
> サハラは広い。
> 情報量の多いサイトがありました。
>
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Farchive.aramcoworld.com%2Fja%2Fissue%2F201403%2Flast.lakes.of.the.green.sahara.htm


 ボーリング柱の写真あり・・・^^。

471管理人:2020/10/14(水) 22:58:46
Re: SAHARA
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 水月湖の年縞(ねんこう)に興味をもち調べていたら、山田さまの記事にあたりました。
>
> > ・・
> > サハラは広い。
> > 情報量の多いサイトがありました。
> >
> > /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Farchive.aramcoworld.com%2Fja%2Fissue%2F201403%2Flast.lakes.of.the.green.sahara.htm
>
>
>  ボーリング柱の写真あり・・・^^。

あとで拝見させていただきます!

472史実探偵: 平 素人:2020/10/15(木) 04:33:29
Re: SAHARA(湖底土のボーリング柱)
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-16.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



473史実探偵: 平 素人:2020/10/17(土) 07:02:37
縄文人の生活が推める水月湖底の堆積物!!(年縞7万年前まで)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/103/3/103_3_233/_pdf

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



474史実探偵: 平 素人:2020/10/18(日) 23:08:37
水月湖年縞についての情報
水月湖年縞についての情報ありました。

福井県里山里海湖研究所
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsatoyama.pref.fukui.lg.jp%2Ffeature%2Fvarve


475管理人:2020/11/18(水) 23:50:10
クレーター動画
平さん、ご無沙汰してます。水月湖の地層年代、気になるところですね。

クレーターの動画を探していて、興味深い動画がありましたので、お知らせいたします。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2Fnp8bOTRNMuQ

また近いうちに東北あたりでお会いしたいですね。

476史実探偵: 平 素人:2020/11/19(木) 03:06:53
Re: クレーター動画
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000481_2M.jpg

管理人さまへのお返事です。ご無沙汰はしていますがPCへは訪問しています^^。

クレーターの情報ありがとうございます。
わたしのPCは動画の音声はなくその大半を理解しえませんが「巨大隕石と大津波」を掲げている当方としましては大変興味のあるところです。ですが、あれこれ色々と掲げてきましたが専門家はおろか世間さまのいっさいの受けがないのに加えて、その気力も、その遊び心に費やすお金も欠乏しています^^!。今の自身のもつ能力では到底むりとあきらめての終活中です^^!。

 現在云われている生物の大半を絶滅させるほどの隕石のサイズはΦ1km程度と云われていますが、わたし素人はそれよりケタ違いにおおきいモノでも生物のすべてが滅ぶとは思っていません。地球を隕石の集積体とみて、その大小を問わず数限りない衝突があったにもかかわらず、こうして今の私達生命体が存在しているからです。巨大隕石の衝突にもかかわらず生命が絶滅しなかったのは、最大比熱の水の存在がおおきく関係しているのではないでしょうか。

 当方の掲げる「南極大陸は6500万年の巨大隕石論」は、先様のあげられた「南極大陸とその周辺大陸に6500万年以前の古生物化石の繋がりあり」で完全にKOされました^^!。なぜなら、「大西洋を挟む大陸の双岸に同種のミミズの対応あり」を言ったウェゲナーの大陸分離論にまったく反するからです。

それ以降、当方の「南極大陸は巨大隕石論」は、息も絶え々の<虫の息>ですが“息の根”までは止まっていません(笑い)。以前にあげました「地球の90%以上を覆った 巨大津波の痕跡シリーズ「南米大陸を突き抜けた巨大津波。豪州大陸を覆った巨大津波。アフリカ大陸に突き当りサハラにその砂を運んでいる。北米大陸に上陸した巨大津波はグレートベースンになだれ込んでいる!」は、・・で止まっていましたが、それに続いての「中国大陸に上陸した巨大津波」を遺しておくことにします。どうぞお楽しみに・・・(^-~)。

http://



477管理人:2020/11/20(金) 23:23:37
隕石研究会・・・
平さん、お返事ありがとうございます。
南極大陸にかぎらず、大陸生成と隕石落下との関係はあるとおもいますよ。その年代はともかく・・・。
今年はコロナでまた動きにくくなってきましたが、岩手方面、また伺いたいですね。向かうタイミングは難しいところですが。

隕石クレーター史研究会発足にむけて、そろそろ動き出したいところではあります。





478史実探偵: 平 素人:2020/11/21(土) 23:19:05
Re: 隕石研究会・・・
管理人さまへのお返事です。コメントありがとうございます。

> 隕石クレーター史研究会発足にむけて、そろそろ動き出したいところではあります。

 すごいことお考えなのですね・・・^-~とりあえずの参加者は、
先さまと。いわぶち先生と、わたしの3人しか思い当たらないのですが・・(^^汗〜)

わたしの本懐とするところは、その方面なのですが余りにもぶっ飛びすぎているので・・・
なにかしら世間の注目をあびる、きっかけはないかと始めたのが・・・

?卑弥呼が埋めた未掘の銅鐸23個±αが「吉備・総社市の岩屋寺裏の崖上に!」
 この件は、
 この素人ひとりが諸難を排して、ここに金属反応ありとしても誰も相手にしない(笑い)。
  いちばんこわいのは肩書のない素人が下手に動いて「立ち入り禁止」にされること!

?天ノ岩戸の原形洞窟が出雲大社裏方の大文字地形の鷺峠にあり。
  「出雲市・猪の目峠茶屋跡から7分上がった所から北の行き止まり!」に岩戸で塞がれ、
  土で覆われ封印されている。
 1700年前の冬至の初光を洞窟奥に射しこます設計がなされており、
 施設の後先は分かりませんが環状木柱列(ウッドサークル)にも通じる。
その洞窟の奥行を10丈として、その入り口付近にズリ(排石)があるはずだとしましたが、
 これとて、そのズリがあればあったで「ズリ捨て場」だと云われるでしょうし、・・・
 よしんば、その洞窟発見まですすんでも「銅鉱石の試掘」だと云うお人がでるのは必定。
 実際に、銅鉱石の試掘・採掘と、ズリの捨て場が他にもあるようです(^~汗〜)。
 要は、出雲を知らない素人がその場所に、その存在を予見できることに意味があり。

?4000年前(BC2001年/12月)の東北に降臨した巨大隕石による「激変・隕石の冬が石川県・水月湖の年縞に」刻まれている。
 この件は、専門家に、コラボ調査・解明を依頼するには費用が必要(^^!)

以上、いずれも史学にはないことであり、素人探偵が口でいうのは簡単ですが、いずれも「専門家の鑑定・認証のお墨付き」がないかぎり、だれも相手にしない。その専門家は、30年来2000通が無反応です(^-^!)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



479青面金剛:2020/11/22(日) 09:35:40
Re: 隕石研究会・・・
管理人さん、と平さん、へのお返事です。

> 隕石クレーター史研究会発足にむけて、そろそろ動き出したいところではあります。

☆ 先月、出雲を廻って来ました。御神体が隕石と思われる神社ならば、赤秦神社( 島根県雲南市加茂町大竹676)へも行って来ました。加茂岩倉遺跡から南西方向に数百メートルの地に位置します。

赤秦神社|成長する石?世代交代する御神体の謎!
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izumo-enmusubi.com%2Fentry%2Fakahada-jinjya%2F

「 この御本殿の中には御神体となる巨石が納められているのですが、その巨石は年々大きくなっていくため、次第にこのお社の中に納まらなくなるのだそうです。そして現役の御神体を玉殿に納め、大きくなってきた先代の石を「若隠居さん」と呼んで、隣に置かれているのだそうです。
 この石は隠居さんと呼ばれ、現在の御神体から2代前の御神体ということでしょう。隠居さん→若隠居さん→現在の御神体という世代交代があったのですね。
 境内には隠居さんを凌ぐ大きさの巨石が横たわっています。 」

※ 赤秦(あかはだ)は落下直後に表面が赤かった、との意味でしょうか。


☆ 稲佐の浜から日御碕にかけては、筆投島や礫(つぶて)岩、などの小島が並び、古代の祭祀も行われていました。

日御碕神社と経島と海底遺跡・雄大な神秘がここにある
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fsazanami217.blog.fc2.com%2Fblog-entry-404.html

「 島の下部には、大きな洞窟のようなくぼみが確認できます。そして日御碕神社からは、この島はほぼ夏至の日没の方向に位置しています。
 発想を逆にして見ましょう。
夏至の日没を反対から見ると、ほぼ冬至の日の出の方向です。
座標軸を経島に置くなら、冬至のころの朝日が島の巨大な洞窟に射すことになります。」

※ 坪背山稜線の登山道から南斜面は「宮内」ですが、北斜面の方は外れます。
遺跡も社も磐座も無い所で祭祀を行なう訳ありません。


☆ 島根県立古代出雲歴史博物館がリニューアルオープン  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izm.ed.jp%2F

『青銅器と金色の大刀』のコーナーでは、入り口に「命主社」の勾玉(国宝)と銅戈が!

 「景初三年」銘三角縁神獣鏡(神原神社古墳)(重要文化財)、荒神谷遺跡出土青銅器(国宝)、加茂岩倉遺跡出土銅鐸(国宝)、環頭大刀(かわらけ谷横穴墓出土)(重要文化財)など、このコーナーだけで1時間は過ごせます。

 特徴ある銅鐸の幾つかには、分かり易い解説が附けられています。写真撮影は「フラッシュ」を発光させなければ、撮り放題です。
(コンパクトデジカメの場合、自動発光してしまう場合が有るので、設定を確認。)

★ 行く気に成れば、毎月でも気軽に出雲へ行ける土地に住みながら、一度も目にする事なく、人生を終え様としているのは、馬鹿々々しい限りです。専門家の方々は「自分で行けば良いじゃない。」と相手にしません。机の前で、何時までも嗾けているだけの人の為に、専門家が動いてくれる筈も有りません。


※ 岩屋寺の住職さんや、奥之院で清掃ボランティア活動されている方々へ、由来や伝承の話を直接聞く事もしない人に、発掘許可など出す訳も無いです。


480史実探偵: 平 素人:2020/11/23(月) 06:19:33
Re: 隕石研究会・・・
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-10.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



481史実探偵: 平 素人:2020/11/24(火) 02:19:39
Re: 隕石研究会・・・
https://www.izumo-enmusubi.com/entry/akahada-jinjya/

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



482青面金剛:2020/11/25(水) 06:27:22
Re: 隕石研究会・・・
生贄探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 「すべては没後からはじまる」
> 共立・発信を望みます^^。

★ 共立も発信も、お断りします。平さんのグロい創作は、民俗学のルール違反ですから。それに、平さんの御子さんや御孫さん方にも、平さんが「幼子を生贄とする。」作り話ばかり綴っていた事は、知られない方が好いでしょう。

※ 歴史掲示板の中には、「生贄」や「人身御供」についての書き込みを、禁止している所も有ります。ブーメランの応酬となって、掲示板が荒んだ雰囲気に成ってしまいますから。

〇 平さんの人生と共に、全て消え去った方が、世の為と思います。

483史実探偵: 平 素人:2020/11/25(水) 06:33:33
Re: 隕石研究会・・・
http://sazanami217.blog.fc2.com/blog-entry-404.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



484管理人:2020/11/28(土) 23:09:00
北海道東部の重力異常
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000489M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000489_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000489_3M.png

http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/KOHO/KOHO/backnumber/24/24-1.html

http://



485史実探偵: 平 素人:2020/11/29(日) 09:40:06
Re: 隕石研究会・・・
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000490M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000490_2M.jpg

https://blog.goo.ne.jp/houshizaki/e/e3fdb3134c638b43515b478d82e96b17

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



486青面金剛:2020/12/10(木) 01:17:02
素鵞川
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>「坪背山の古くは「壺背山」とありました。それに「背」とは何を意味するのでしょうか。
>??“雨乞い儀式”があったかと謎解きしていました。
> 雨乞い儀式は各地にあり、
> ふるくは屋島山頂から土器小片(かわらけ)を投げる風習がありました。
> 先さまから「南斜面は宮内」

※ 「壺背山」の山頂から北側は、凹んだ地形で、雨水の流れが集まる壺の役目を生すから。

※ 出雲市内をバスなどで廻れば、斐伊川や神門川の氾濫を予防する為の「放水路」が各所に引かれていることが分かります。降雨の少ない瀬戸内地方とは正反対に、「雨は適度に」の制雨の願いです。

※ 瓦投げは、厄除け・厄払いの為に行うもので、「壺背山」の南側には、因佐神社、奉納山の出雲手斧神社、大穴持御子神社 (三歳社)など、出雲大社の境外摂社が多数鎮座していますので、それらの祭神に向かって「厄」を投げるなど有り得ません。

※「壺背山」山頂から奉納山にかけての稜線の東側は、大社の境内を流れる「素鵞川」に雨水が集まります。
「宮内」には、無届けの不届き者が禁則地に入り込まない様、大社側が監視カメラを多数配置しています。

☆ こちらは、出雲から遠い地に住んで居ますので、出雲へ行くにも、平さんが行く場合の数倍の旅費が掛かります。平さんの思い付きの妄想の為に廻す旅費など有りません。

平さんが、この次に給付金を受け取ったら、直ぐ行けば良いだけの事です。


487史実探偵: 平 素人:2020/12/30(水) 04:31:31
Re: 素鵞川
青面金剛さまへのお返事です。

> 机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。
> ※ 出雲市内をバスなどで廻れば、斐伊川や神門川の氾濫を予防する為の「放水路」が各所に引かれていることが分かります。降雨の少ない瀬戸内地方とは正反対に、「雨は適度に」の制雨の願いです。

 私は、1700年前の気候がどのようであったか分りませんが、出雲の生活圏の中心は松江にあったと見ています。ここには “雨乞山” の地名が残っていますから雨乞いがなかったとは言い切れません。長い歴史のなかには「八大竜王さまこの雨止めさせ給え」の豪雨災害もあったでしょうが 当時の人達の考えは、雨天・干天を仕切るるのは水神竜であり太陽神ではなかったように思います。それを卑弥呼は大彗星のニアミスを境に竜神は太陽神の従神説を唱えそれまでの銅鐸文化を銅鏡文化にかえたのではと以前のべました。前に申し上げたことがありますが歴史を語り合うときは、どの時代のどの地域で、何について語るかの主題を決めてかかるほうが良いと感じています。

> ※ 瓦投げは、厄除け・厄払いの為に行うもので、「壺背山」の南側には、因佐神社、奉納山の出雲手斧神社、大穴持御子神社 (三歳社)など、出雲大社の境外摂社が多数鎮座していますので、それらの祭神に向かって「厄」を投げるなど有り得ません。

「瓦投げ」の件は、わたしは知りません。瓦と破片土器では微妙にその意が変わります。素人が「それと言った」と遺りますと困りますのでねんのため・・(笑い)

卑弥呼の代までは、列島に「国」の概念はなく、むしろ、その社会形態は「政教分離」であったと見ています。「国」の考えは大陸の考えであり、卑弥呼は大陸の考えに傾斜していったのではと思います。当時出雲の住社会の中心は松江にあり「教」の中心は「大社」であったと見ていますが、わたし素人は大社の設営がなぜ今の位置に?が判っていません。

大社は、素鵞川(そが)と、吉野川の清流に挟まれていたのですね。それらの清流にはゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタルと多くのホタルが棲みついているようですが「ヒメ」の名付けが気になります^^!。

大社周辺には色々と摂社があるのですね。私は「なにを奉納したか」と奉納山の名付けに興味があり、そこにある神社名を知りたかったのですが「手斧神社」だったのですね。ありがとう御座いました。この件につきましてはいずれ又・・・、

> 平さんが、この次に給付金を受け取ったら、直ぐ行けば良いだけの事です。

それから、
当方の孫子の代の行く末やら、懐事情まで言及していただいて汗顔のいたりですshanks(^-^!)  ^^

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



488史実探偵: 平 素人:2020/12/31(木) 00:57:35
Re: 北海道東部の重力異常
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000493M.jpg

管理人さまへのお返事です。コメント遅くなって申し訳ありません。

 専門的な分野までもふみこんでおられるのですね^^。
わたしには専門的で重い部分でありますが、かつて釜石馬蹄形を小天体の衝突体だとし、重力異常図に挑戦したことがありましたが求めるような顕著さが見られずそのままになってしまいました・・・

「物質のもつ比抵抗」の件、はじめて知りました^^!。思えば中坊のとき通電の夥多は習っていたのに全く思いつきませんでした(汗〜)>私たち(^^?)の思っている衝突小天体の大きさであれば、核に鉄系金属の保持が考えられ、それが衝突によってどのように変移したり、どのような位置に収まるかは大変興味あるところです。その分布によって重力異常や磁気異常がでるのではと考えていたのですが素人には難しすぎて投げ出していました・・・^^!

「比抵抗」で、地下調査がなされるようにもなっていたのですね。わたしの知る30年前では爆薬による地下地盤の調査でしたから、その調査の一般化には日進月歩の進化があるのですね。私のかかげる釜石小天体もかなりの斜めの進入と考えていますから、管理人さまの上げられている北海道の多くの小天体の衝突も、その境界深度は図からみると5kmより浅いあたりかも知れませんね??。

> 今後は海域を含めた多点で精度の高いデータを取得し,3次元比抵抗構造を求め る努力が必要な時代になってきています

??いずれにしても、その研究所は会社組織のようですから、調査費用がいるのですね。

 ごめんなさい。上げられているご記事・資料のすべては理解できなくて・・・、
次報がたのしみです・・・^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



489青面金剛:2020/12/31(木) 01:08:36
Re: 素鵞川
隠居探偵: 平 素人さんへのお返事です。


 あま=雨=天=海。雨乞山と現在、記してても、元は、天乞山、又は、海乞山と綴った可能性が有ります。
 松江は「水の都」と呼ばれる様に、度々、宍道湖の増水や、意宇川の氾濫に悩まされた歴史を持ちます。
 雨の止むのを祈るのも「雨乞い」の範疇とするならば、そうかも知れません。月や星々の運航を観測したり、天気の好い日は隠岐も見えたと思います。古代の宍道湖は大社の近くまで、広がっていました。

「水の都」松江  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.kankou-matsue.jp%2F

 瓦投げは小さな素焼きの、底の浅い、薄い丸皿を投げるもので、京都の神護寺や琵琶湖の竹生島で投げた事が有ります。
「手斧神社」は、宮大工などの建築関係者、家具職人、木工芸職人、板前さん、水産加工業者、などの技能向上と健康維持、商売繁盛を祈る社です。

 卑弥呼以前に出雲王朝が18代続いた事は、以前に繰り返し説明しました。時間をおいて同じ質問を繰り返し続けるのはマナー違反です。
 近場に住みながら、現地に行きもせず、遠方の側に、思い付きの質問の乱発を、吹っ掛け続けるのも、マナー違反です。

 つぶて島、筆投げ島、古代の宍道湖の範囲、などは、自分で検索して調べて下さい。
平さんが出雲に行くまで、出雲に関する質問は、暫らく「お預け」とさせて頂きます。

 そんなに出雲に興味が有るなら、大元出版の本を読めば好い事です。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.oomoto.net%2Findex.htm

新刊出ました。『上宮太子と法隆寺-伝承の日本史- 』斎木雲州 著 A5版 222ページ 定価 2778円税別 ISBN4-901596-20-6






490管理人:2020/12/04(金) 23:20:04
Re: 北海道東部の重力異常
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメント遅くなって申し訳ありません。
>

> 「物質のもつ比抵抗」の件、はじめて知りました^^!。思えば中坊のとき通電の夥多は習っていたのに全く思いつきませんでした(汗〜)>私たち(^^?)の思っている衝突小天体の大きさであれば、核に鉄系金属の保持が考えられ、それが衝突によってどのように変移したり、どのような位置に収まるかは大変興味あるところです。その分布によって重力異常や磁気異常がでるのではと考えていたのですが素人には難しすぎて投げ出していました・・・^^!
>

お返事ありがとうございます。そうですね、通常は大気圏でほとんど溶けてしまうようですが、巨大なものだと、地中深く潜り込む可能性がある、、ここで平さんお得意の衝突後のシュミレーション仮説が役にたつかもしれません。



> 「比抵抗」で、地下調査がなされるようにもなっていたのですね。わたしの知る30年前では爆薬による地下地盤の調査でしたから、その調査の一般化には日進月歩の進化があるのですね。私のかかげる釜石小天体もかなりの斜めの進入と考えていますから、管理人さまの上げられている北海道の多くの小天体の衝突も、その境界深度は図からみると5kmより浅いあたりかも知れませんね??。
>
> > 今後は海域を含めた多点で精度の高いデータを取得し,3次元比抵抗構造を求め る努力が必要な時代になってきています
>

比抵抗の件は興味深く感じてます。真上からではなさそうですね。斜めだとするとひきづったあともみえるはずですし、衝突角を逆算してみましょうか!




491管理人:2020/12/04(金) 23:25:25
Re: 素鵞川
青面金剛さんへのお返事です。


>  瓦投げは小さな素焼きの、底の浅い、薄い丸皿を投げるもので、京都の神護寺や琵琶湖の竹生島で投げた事が有ります。
> 「手斧神社」は、宮大工などの建築関係者、家具職人、木工芸職人、板前さん、水産加工業者、などの技能向上と健康維持、商売繁盛を祈る社です。
>
>  卑弥呼以前に出雲王朝が18代続いた事は、以前に繰り返し説明しました。
>

青面さん、お知らせありがとうございます!

瓦投げ、初見ですが、興味深いですね。
出雲王朝も、気になるところです!出雲方面の銅鐸と、吉野ケ里遺跡の銅鐸の鋳型が同型というところからみて、弥生時代の出雲と北九州との深いつながりを感じてます。

492史実探偵: 平 素人:2020/12/05(土) 03:44:59
Re: 北海道東部の重力異常
管理人さまへのお返事です。 コメントありがとうございます。

> 比抵抗の件は興味深く感じてます。真上からではなさそうですね。斜めだとするとひきづったあともみえるはずですし、衝突角を逆算してみましょうか!

「比抵抗」で、その小天体の衝突地形や“深度”が分れば、衝突塊の総量がわかり、それを丸めれば衝突前の天体の直径も推定できます。それは、科学的な言及へより一歩進むことになりますよね^^。自分には、それができていません^^!

その衝突塊を丸めると、管理人さまが上げられている北海道の多くの候補地や、わたしの掲げている「釜石馬蹄形」もですが、その衝突前の直径が Φ1kmを越すと人類が生き残れていないと いわれている科学の常識^^?を 超えた大きなサイズになると思われるのですが・・・、(わたし素人はその論におおきな異議をもっています) 無論、その衝突が人類の発生とされる 500万年以前であれば別問題となります。

 すでに衝突痕と国際的に認定されているものは別として、新しく「衝突痕」と認定されるには、その認定機関がカナダにあると。岩淵先生から聞いています。それと認定されるには、まずは理解・興味をえて、その人たちを招へいし、その認定を受けなければなりません。その可否はともかく、それにかかる費用はペーパー1枚まで依頼者側持ちのようです^^!。日本で衝突痕と認定されているモノはまだまだ少ないとも聞きます。その前に国内の火口論者の反論も聞かねばならず、・・・このさき長いように感じます・・・(アセアセ^^!)

>「衝突角を逆算してみましょうか!」

 数学計算は、先様のお手のモノ^^。衝突角はもとより、エネルギー総量、スピード(km/S)、温度等々、いろいろありますね。ただ4000年前の竜飛崎や、出雲→速玉ラインを飛んだ巨塊が(朱色)赤かったと祖先は遺していますから、その芯の温度は別として表面温度は7・800℃かなと思っています。このてんから、色々に衝突前の巨大隕石の動画に描かれている姿には大きな疑義をもっています^^。ただし、その小天体が惑星軌道をもっていて太陽直近(ケプラーの法則)の通過の前後であれば別の問題が生じます。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



493管理人:2020/12/09(水) 23:55:20
Re: 北海道東部の重力異常
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> その衝突塊を丸めると、管理人さまが上げられている北海道の多くの候補地や、わたしの掲げている「釜石馬蹄形」もですが、その衝突前の直径が Φ1kmを越すと人類が生き残れていないと いわれている科学の常識^^?を 超えた大きなサイズになると思われるのですが・・・、(わたし素人はその論におおきな異議をもっています) 無論、その衝突が人類の発生とされる 500万年以前であれば別問題となります。
>
>  すでに衝突痕と国際的に認定されているものは別として、新しく「衝突痕」と認定されるには、その認定機関がカナダにあると。岩淵先生から聞いています。それと認定されるには、まずは理解・興味をえて、その人たちを招へいし、その認定を受けなければなりません。その可否はともかく、それにかかる費用はペーパー1枚まで依頼者側持ちのようです^^!。日本で衝突痕と認定されているモノはまだまだ少ないとも聞きます。その前に国内の火口論者の反論も聞かねばならず、・・・このさき長いように感じます・・・(アセアセ^^!)
>

お返事ありがとうございます。
認定機関がカナダにあるんですね!英訳しないといけないかな・・・。



> >「衝突角を逆算してみましょうか!」
>
>  数学計算は、先様のお手のモノ^^。衝突角はもとより、エネルギー総量、スピード(km/S)、温度等々、いろいろありますね。ただ4000年前の竜飛崎や、出雲→速玉ラインを飛んだ巨塊が(朱色)赤かったと祖先は遺していますから、その芯の温度は別として表面温度は7・800℃かなと思っています。このてんから、色々に衝突前の巨大隕石の動画に描かれている姿には大きな疑義をもっています^^。ただし、その小天体が惑星軌道をもっていて太陽直近(ケプラーの法則)の通過の前後であれば別の問題が生じます。


複雑な計算をするには、やはり機関に任せるしかないですかね・・・。
我々の発見を理解してくれる理系のお友達を探しましょう・・・!

494史実探偵: 平 素人:2020/12/10(木) 10:07:54
Re: 北海道東部の重力異常
https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/3274

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



495管理人:2020/12/20(日) 01:33:19
地球球面と図法
平さん、お知らせありがとうございます!
またぜひ岩淵先生ともお会いして、お話したいですね。

古代史掲示板で、図法の件で投稿してみました。隕石の落下ルート解明の件でも役立つかもしれません・・。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F11145

496史実探偵: 平 素人:2020/12/20(日) 07:45:56
Re: 地球球面と図法
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000501M.jpg

管理人さま、コメントありがとう御座います^^。
 ご多忙のよし、なによりです。

<鹿島・浅間・伊勢・>ラインを再考されているのですね。

わたしは、先様方が掲げておられる<ライン>が、恥ずかしながらよく分っていません^^!。

土地の私有化が定まっていない古代に(縄文弥生代〜)、何故「その地、その場所」と定めて "聖地”とするには、何かの由・わけがなければなりません。

その始まり(発端)は、いつ(頃)で、だれ(人間)が、なんで、その場所(聖地と)定めたのか??
歴史を識らない中坊ですが、挑戦してみます(汗〜^^!)

> 古代史掲示板で、図法の件で投稿してみました。隕石の落下ルート解明の件でも役立つかもしれません・・。

 ええ、私は上記の考方法で四千年前の東北に降臨した巨大隕石の軌道を割り出しましたよ^^。地球表面、丸平(まるべた^^)その地を聖地と定めたには大自然への驚愕があった!
イースター島(モアイ)→ナスカ(地上絵)→ドーバー海峡(ストーンヘンジ&カルナック列石)→東北地方・大湯(忍路・竜飛崎・大槌)これ等は、地球儀表面で ”一直線上” にあります!!!

 コロナ禍の拡大、心配ですね・・・、どうぞお気をつけて・・・

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



497史実探偵: 平 素人:2020/12/30(水) 08:27:55
北極の小さな島で最後のマンモスが
https://www.businessinsider.jp/post-200261

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



498管理人:2021/01/11(月) 03:22:07
今年もよろしくお願いします。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000503M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000503_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000503_3M.png

平さん、青面さん、みなさん、あけましておめでとうございます。昨年も大変お世話になりました。
今年もよろしくお願いします!

マンモスの絶滅年代、気になるところですね。
あれだけの寒冷適応した生き物が死ぬんですから・;・・、単に人間が狩猟をしすぎただけが原因なのか、考えさせられますね。

地球球面による落下方向(クレーター列)のゆがみの件は、どう地図上に現れていくか、シュミレートする必要があるかもしれません・・・・

つまり、隕石が落下していくルートは、23・4度の東北方面へと向かっていったとしても、正距方位図法における東北方面へと向かうはずなので、これをメルカトル図法の地図でそのルートを表現すると、やや北に湾曲したルートになるでしょう。

そうすると、メルカトル図法において、先日しめした図1の隕石落下ルート(クレーター列)のラインも、やや北に湾曲したラインにならなければならないのかな・・・と感じるわけです。

イメージ図も添付しますね。図2のオレンジラインが、その歪みを示した部分です。

図3が先日お知らせした畿内七道ラインの落下予想ルート(石見銀山⇔小豆島⇔熊野大社)ですが、このようにグーグルマップで2つの図法で作成して重ね合わせてみると、片方のルートが湾曲しているのがわかります。このズレを計算にいれて、落下ルートつまりクレーターの中心地点があるべき位置を推測する必要があるわけです・・・。




499管理人:2021/01/03(日) 21:10:44
隕石落下角
興味深い記事がありました。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Farticles%2Fdd570c3766be22a5891c0430c42fe8ff91162359

500史実探偵: 平 素人:2021/01/05(火) 00:21:05
Re: 今年もよろしくお願いします。
管理人さま、皆さま> あけましておめでとうございます。
 昨年は大変お世話になりました。
コロナ禍が早くにおさまり、本年も皆さまにとってお健やかな年になりますように^^。

> マンモスの絶滅年代、気になるところですね。
> あれだけの寒冷適応した生き物が死ぬんですから・;・・、単に人間が狩猟をしすぎただけが原因なのか、考えさせられますね。

 マンモスの絶滅は40余年ほど前でしたか「人類の狩りのため」と教えられ、ソ連からの展示場で見た記憶があります。それには、マンモスの牙をドーム状に組み合わせ住居とした絵もありましたから人類の大なる影響が思われます。その後、子どもの凍結体や、細胞肉や毛やらも見つかってきました。これ等は温暖化で永久凍土が溶け表土近くになったからでしょうか。この度の情報では、「北極の閉じられた小さな島」という特殊な条件があります。それと、「4000年程前の石器時代に!」と「急速に」というワードがとても引っかかります・・・^^?

 情報では、雪の上にいく度かの雨がふり「表土の氷結による食料不足か?」と結んでおられます。実際には、それで千頭単位でトナカイやら、ジャコウウシが死んだ歴史もあるとか。ですが、マンモスはそれ等と異なり巨大な牙と強力な鼻とがあります。アフリカ象ですが、大きな木を押し倒し牙と鼻で枝を折り、その葉を食んでいる映像を見たことがあります。それを考えると雨による表土の氷結説にも幾何かの疑問がのこります・・・、 時もおり、列島では一晩のうち1m〜2mの豪雪がありました・・・

> 地球球面による落下方向(クレーター列)のゆがみの件は、どう地図上に現れていくか、シュミレートする必要があるかもしれません・・・・
> つまり、隕石が落下していくルートは、23・4度の東北方面へと向かっていったとしても、正距方位図法における東北方面へと向かうはずなので、これをメルカトル図法の地図でそのルートを表現すると、やや北に湾曲したルートになるでしょう。
> そうすると、メルカトル図法において、云々・・・・・・、

 先さまは、メルカトール図法を組み合わせて、より詳しく軌道や角度を求めようとなさっておられるのですね^^! その方面はとても苦手です。それに、国土地理院では60年に?一度だったかな経度修正をしてたかな・それに、以前に先さまがあげられた歳差運動やら、何やらの周期を考えあわせると、万年単位の昔になるとお手上げです・・・^^!

<石見銀山 ? 小豆島 ? 熊野>ラインについて、
 このラインについては、わたしもとても興味があります。先さまやキシ先生も?云われていたのかな? この方は、AD560年ごろ(正確に覚えていなくてゴメンナサイ)だから、より追求可能かと思います。岩淵先生も石見銀山に興味を持たれ訪問もなされていました。・・・
わたしの方は、それを少し修正した<出雲市→淡路島→熊野灘>かな?とも思っています。理由として出雲に<石飛>の地名があります。それと神話にイノシシやら、赤ムゲもあることから「出雲大社の御神体は、イノシシ大の隕石塊か?」とお話したことがありました(sigechan izumo氏に)。小豆島も捨てがたいですが淡路島には多数の銅鐸の発見がありました。それというと熊野方面に銅鐸の出土があればいいのですが??(汗〜^^)私は、特に祖先が残した<地名>に注目してきました。これを少しさかのぼりますが、<淡路とか鳴門>とかは、4000年前の祖先が遭遇した東北発の巨大津波を云っている<地名>だとしています。<多度津>もありますしね^^。
このように、その時の言葉や表現は、ともかく、その驚愕を何かに残し記録しておきたいと思うのは当然の事かと思います。そのデブリ(分散塊)を落としながら熊野灘沖に核が落下したかの思いがありますが、まだまだ考えが至ってはおりません^^!。

<管理人さまは>、朝鮮半島の歴史にも詳しいお方^^。このラインの延長上にそのようなイワレや地名があるといいですね。半島の石の上に巨石を載せるお墓の形は「空を飛ぶ巨塊」を模したものかとも思っています・・・半島には「東方神起」もありますしね^^!。

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501史実探偵: 平 素人:2021/01/05(火) 02:49:33
Re: 隕石落下角
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd570c3766be22a5891c0430c42fe8ff91162359

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502史実探偵: 平 素人:2021/01/27(水) 00:37:11
独論:6,500万年前の恐竜大絶滅は南極大陸が衝突惑星だった!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000507M.jpg

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503史実探偵: 平 素人:2021/01/28(木) 06:25:22
Re: 独論: 6,500万年前の恐竜大絶滅
     拙:絶版報告書『巨大隕石と大津波』より、
4 南極大陸が衝突大惑星だったら何が起きるか?

?地震と高熱が発生する。
?岩石を含む、大津波(大泥流)が発生する。
?地殻、地表がひび割れる。
?マグマを噴き上げ、火山活動が活発になる。
?粉塵や噴煙が、天を覆い隠す。
?水蒸気を舞い上げ、雷、大雨、大洪水が発生する。
?一時期を過ぎると気温が下がり、氷河紀へと向かう。
?その他の、あらゆる転変地変が起こる。

 その壮絶な光景、壮絶というには余りにもおぞましい状態を想像すると。
当時は無季節で温暖な気候が続いていた。巨大化した恐竜や、シダ類をはじめとする大植物が生い茂り、海には魚類や珊瑚たちが時代を謳歌していた。繁栄の後には終焉、終焉の後には新時代がくるのを誰が知る。安息の夜空に一つの点が現れた。天地は徐々に異常を訴えたが恐竜たちは知るよしもなかった。その不気味な存在は何を意味するのか。しだいに地球に近づいている。このまま進めば地球軌道と交わりそうだ。予兆が始まった。地球は恐れ慄いて震えだした。その巨大な塊は極点に狙いを定めていた。冷たくて白いもので覆われた南極を狙っていたのだ。

 閃光が走り、号砲が成った。あらゆるものが破壊され、あらゆるものが飛び散った。海水はクラウンとなり静止した。次の瞬間、泥海水は狂ったように走り出した。極部で、数千m は越したであろうか。否、それ以上だったかも知れない。・・・・・・

   前記事の<大津波の地球図−1993.9.23>へつづきます・・・^^!

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504史実探偵: 平 素人:2021/01/29(金) 08:18:22
Re: 独論: 6,500万年前の恐竜大絶滅
前記事[507]の<大津波の図−1993.9.23>の説明(カッコ内は補足です)
 この図には、小さくて見ずらいと思いますが矢印の元あたりに番号をふっています。

    拙:絶版報告書『巨大隕石と大津波』より、

 巨大津波の?は、南米大陸とアフリカ大陸の間の大西洋を小溝のごとく駆け抜けて、北極海へ向かった。(津波と直角にあたるギアナ湾沿岸は、陸地内ではありますがリアス式沿岸に似た様相を示し、その時噴出したアイスランドの南岸は単調であり北岸は流された形をしています。アイスランドに6,500万年前より前の地層はない。面白いことに、こういった地殻を貫入(噴出)した岩体には、その噴出分を補うように凹むことがあり、それが小さくではありますが南東沿岸の海底あたりに見受けられます^^!)

?の南米のブラジル高原を削り取った大泥流の一端は、メキシコ湾に流れ込み北米東部を駆け抜けた。(この赤道越えの北緯17°〜30°あたりはサハラでも前述しましたが津波の力が弱まる所であり、メキシコ湾の海底は堆積土が厚くあることで知られています。近くのバーミューダ海域では砂と共に埋没した陸上物が腐泥しガスを発することがあると謎解きしましたよ。)

?の東太平洋を駆けた大津波は、北米大陸に突き当り、駆け昇った。(ロッキーとフロリダのハの字地形を津波が通り過ぎるとき流れが集まるので表土を削り低湿地帯になると前述しました。ミシシッピー州あたり。)

?のオーストラリア大陸をひと舐めにした怒とうの大津波は、バンダ海に渦をつくりながら東アジア大陸に乗り上げた。(このバンダ海の巨大な渦巻き地形は是非に観て欲しいのですが、その渦巻きにより清水域が出来て深海で棲息していたシーラカンスが生き延びたとしました。類似に、マダカスカル・コモロ海域。ちなみに水深150(160)m以下では津波の影響が小さいとの論説がありました。)

?の東インド洋のものは、オーストラリア大陸のものと一緒になり、タリム、チベットへ溜まりこんだ。(「津波、川を上る」。チベットに塩水湖あり。)

?の西インド洋のものは、マダガスカル北に渦を作りながら、イラン高原という跳び箱に駆け上がり、乗り越えた。(魚たちは中東で今に石油となり、カスピ海南岸のエルブールズ山脈を飛び越えた巨大津波は、そこに滝つぼウオーターホールを作っている。)

そして ?のアフリカ南部を削り取った大泥流は、(前述の)サハラ砂漠を造り、地中海に流れ込んだ。

??大運動会が終わった。地球上の全てを北へ押し流した。山岳や大地や緑を、そして我らが愛する大恐竜をも呑み込んで。海水は引き戻しの余波を残しながらも、平静になるかにみえた。が?? 今度は、地球自身に変化が起きていた。・・・・つづく^^、



http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



505史実探偵: 平 素人:2021/01/30(土) 02:53:15
Re: 独論:6,500万年前の恐竜大絶滅は南極大陸が衝突惑星だった!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000510M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000510_2M.jpg

https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/72_02_04.pdf

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



506史実探偵: 平 素人:2021/03/03(水) 06:55:34
巨大津波:タリム盆地に入り込んだタクラマカン砂漠!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000511M.jpg

 <タクラマカン砂漠一帯に、残っている筈のない巨大津波の流紋痕が !! >
   特に、写真矢印の左側下方あたりに、その 流痕跡 が認められます。

6,500万年前、月に匹敵する惑星が南極に衝突し南極大陸となった!! このとき発生した巨大津波は、地球の90%以上をカバーし、驚くなかれタリム盆地に入り込みタクラマカン砂漠となっていた。その「残っている筈のない津波の流紋痕」が、この一帯に、じつに克明に残っている。→それを Google Earth で確認できます^^。

 先端科学は日進月歩書き改められている。このようなビッグイベントは、現存の科学的概念を刷り込まれていると天動説中の地動説のように拒否反応が働き現実を受け入れることが出来ない。(ちょっと言葉がすぎましたかぁ(^-^!)? わたしの場合は、その学識がないことが幸いしてます^^!)
私たちは、そのことを “信じる” のではなくて、そのことに “気付くこと” が大切だ。「信」の字は人が言うと書く。人が言うことほど 'アテ’ にならないことはないからね(笑)。引き続きのゲーム感覚で楽しんで頂ければ幸いです。・・・つづく ^^! ・・・
   ↓ Welcome to my Big Game^^.

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-15.html



507史実探偵: 平 素人:2021/02/09(火) 19:10:10
南極大陸は6,500万年前の衝突惑星だ! -7
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000512M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-64.html



508史実探偵: 平 素人:2021/02/11(木) 05:43:43
Re: 南極大陸は6,500万年前の衝突惑星だ! -7
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000513M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-64.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



509史実探偵: 平 素人:2021/02/12(金) 18:34:41
Re: 南極大陸は6,500万年前の衝突惑星だ! -7
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000514M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-64.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



510史実探偵: 平 素人:2021/02/14(日) 02:23:17
New discovery of lava meteorite!!「ツインズ熔岩隕石」Collision scar Φ400m
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000515M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000515_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000515_3M.jpg

What is this trace? I ask you.

   “Twin's Lava Meteorite Scars”  East side of Takla Makan Das. Qinghai,China
 その『ツインズ熔岩隕石;仮称』の位置は;中国青海省ゴビ砂漠西部の辺りにあります。
     北緯38度22分30秒、東経90度34分52秒 (N38°22′30″ E90°34′52″)
     標高(Elevation) ;  (3,016 m)
 その大きさ(Size) ; 中心部(Central)に、ほぼ (Φ100m x2)の円形が二つ並んでいます。
       (放射状の衝突痕のサイズは、 直径約 (Φ400m x2)が二つ重なっています)
 その深さは(Depth) ;  約(d.10m)です。

   Yahoo!地図(1図)でも、移動すれば発見けることが出来るかも知れません^^。
     衝突痕の下側にある二つの濁流痕 (Muddy stream marks x2) にも注意して下さい。

Just now,(Sept.02,2013)??I discovered secondary astrobleme of the iron pawn which collided in the western part of Gobi 65 million years ago. I call it an “Twin's lava meteorite” tentatively. The Antarctic Continent where I press-agent the first collision planet from 30 years ago is a huge meteorite of 65 million years ago.
I announcing it the Antarctic Continent size meteorite as big game 1&2 of my blog. The trace of the 90% huge Tsunami which covered the surface of the earth of 65 million years while is long, I am amazed to know that stay in the desert. If the Tsunami trace is left for a long time; the; while was long, there should have been the fall of other meteorites by all means. The secondary lava meteorite trace was caught in it when I looked for Gobi area using Google earth. It is the next photograph.
 You attention to the two muddy-stream traces on the side.

     http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-68.html
       誰でも<Google earth>で隕石痕を発見けることが出来る。
     http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-69.html
       誰でも「隕石痕」の発見が出来る!,の続き

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



511管理人:2021/02/20(土) 01:09:48
超古代文明について
興味深い動画ありました
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DK5vT4gmtjuM

512史実探偵: 平 素人:2021/02/20(土) 06:58:51
Re: 超古代文明について
https://www.youtube.com/watch?v=K5vT4gmtjuM

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



513史実探偵: 平 素人:2021/03/07(日) 05:18:55
Re: 新発見!!「ツインズ熔岩隕石痕」Φ400m周辺
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000518M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000518_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000518_3M.jpg

https://www.wikiwand.com/zh-tw/花土沟?

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



514史実探偵: 平 素人:2021/03/09(火) 01:43:40
巨大隕石痕Φ400mを新発見!! 中国青海省 in Yahoo!地図で!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000519M.jpg

What is this trace(ツインズ熔岩隕石痕)? I ask you. (↑写真はGoogle Earth)

> Yahoo!地図で、日本から移動しても見つかるのかな^^???
  Yahoo!地図(の航空写真)でも見つけることが出来ましたよ^-^♪。
    貴方も、この<衝突痕>を世界へ発表して鼻高さん^^になりませんか^^?

Yahoo!地図でも発見けられるということは、PC,やっている人なら、その気になれば^^誰でも見つけることが出来るということですよね。以前に、この記事をnature>や、その他の機関に、この報告書を送ったことは、この掲示板でも申し上げました。nature>を除いてすべてが無しのツブテ^^!でした。世界中で誰もが相手にしてくれません。だから鼻高さんになれるのです♪。世界中で貴方さましか、この衝突痕の重要性に気付いていないのです。この痕跡が火山口か隕石の衝突由来かは全く別にしても、この地形が『衝突痕』であることは、万人が否定できません!!!

この衝突痕には、次のような<特異性>があります。
?約Φ400mの、そこだけが赤色化している。Yahoo!,Google Earthで誰もが発見できる。
?周りの状況や地勢からして火山性の原因とは考えられない。
?中心部に直径100mの凹地が二つ並んでいる。
?そして、その凹地を中心にして放物線条痕が、北東方向に二つ重なっている。
?中心部の凹地二つの底が、シャーレー状約10m深さで、ほぼ平になっている。
筆者は、その痕跡がロート状ではなく際立ったリムがないことから柔らかい(熔岩性)物体が衝突したとしました。
?世界中で(私を除いて)誰もが発表していない!?

 < あなたも鼻高さんになって、>
この痕跡の希少性と重要性を世界に広げていきませんかぁ?? わたし素人は、この記事に限っていえば、著作権等の問題に関して、まったく意に介しません。(但し、写真は自己責任で!) この記事の、助詞のひとつ!  語句のひとつを変えて発表しさえして下されば、もはや、その報告書は、皆で共有できます !!!。 □

<その衝突痕の見つけ方^^>
?Yahoo!地図・航空図をクリックして、アジア大陸に縮小して、タクラマカン砂漠の東部あたりにカーソルをもっていく。
?そこを少し拡大すれば、筆者がコモドドラゴン形に似ているとした〇〇湖を中心にして三つの湖が/状に並んでいます。
?その、いちばん右の笑い目状をしたGas Hu(ガス湖)は、小さいので少し拡大したほうが良いかも知れません。
?さらに拡大していくと、ガス湖の近くに茫崖(ぼうがい)の地名が出ます。続けて花土溝 鎮(町)も出てきます。
?そこから大きく拡大していくと、西北西に延びる丘陵地がありますから、その <約27km>先 に求める <衝突痕> が現れてきます。・・・どうでしたか?  Google Earthより、すこしぼんやりとした色のようですが^^!。□ 見つかったら、この掲示板でも知らせて下さいネ^^。

<これより以下は、素人探偵の独論です^^!!>
 この写真の下半分に5〜6の扇状痕がみえます。扇状地の成因は多量の水泥が一気に開ける地形に出たとき出来るのですが、このあたり一帯にも多くの扇状痕跡があります。それも捜して下されば幸いです。
 筆者は、この成因を『川が無いのに扇状地!』とし、例として、岩手県の胆沢扇状地をあげています。この地形の成因は、連なる平たん斜面にたいして直角に大津波が上り、下りおりる時、より低い所に集まり溝を深く削りながら、その麓へ濁泥土を扇状形に置いたと解しています。このように上流に「川が無いのに扇状地」が出来る地形は、経年で出来る扇状地と異なり津波のような短時で大量の水泥がないと出来ません。日本の祖先はその津波のことを<篠津>篠垂れ状態であったとか<垂水区>水垂れであったとかの地名として遺しています。貴方さまに問います。それ等の地形の上流に、その扇状痕をつくるだけの降水域と土量が認められますかと!!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-200810.html



515史実探偵: 平 素人:2021/04/19(月) 06:00:03
中国青海省 新發現的巨大隕石碰撞軌跡Φ400m在Yahoo! Map & Google Earth上
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000521M.jpg

   (↑照片是Google Earth)

在Yahoo! Map和Google Earth 新發現的巨大碰撞軌跡Φ400m!
 目前:中國青海省茫崖市花土沟鎮 西北約27公里(315国道)
 (当前是2021年4月19日)世界沒有人認識嗎?

您是否要找到此<碰撞標記>並將其發布給全世界^-^? 為了學術進和旅遊促進
這是什麼痕跡?(臨時名稱:Twins熔岩隕石標記)我想知道細節 □


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-69.html



516管理人:2021/05/29(土) 17:06:26
お知らせありがとうございました。
平さん、ご無沙してます。岩淵先生の訃報のお知らせありがとうございました。

私もショックで言葉が出ない感じです・・・・、生きておられるうちに一度お会いしたかったのですが、残念です・・。コロナ禍、体調不良で、なかなか遠出できないまま、時間が過ぎてしまってますが、また平さんとも、お会いできること期待してます。札幌に来られることがございましたら、一声かけてください・・・。

517史実探偵: 平 素人:2021/05/30(日) 07:18:35
Re: お知らせありがとうございました。
http://www.tankonews.jp/modules/bulletin1/index.php?page=article&amp;;storyid=429

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-200810.html



518青面金剛:2021/09/06(月) 06:12:01
後南朝正統天皇家御所と三種の神器
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000524M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000524_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000524_3M.jpg

https://gyokuzan.typepad.jp/blog/2019/09/後南朝.html



519青面金剛:2021/09/07(火) 18:57:59
三休み山から真東へ連なる神社群
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000526M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000526_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000526_3M.jpg

https://www.jinja-net.jp/jinjacho-okayama2/jsearch3okayama.php?jinjya=6693



520ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/08(水) 02:33:49
Re: 後南朝正統天皇家御所と三種の神器
青面金剛さんへのお返事です。

> ※ 古代史掲示板では、直ぐに多コメントで、下げられてしまうので、こちらに『保存版』として、再投稿させて頂きます。
>

おつかれw

> ※ この記事への返信の際の、引用文は、必要最小限に短縮される事を、厳守される様、希望します。直前ならば、引用文は不要です。
>

ごもっとも!
だが、守るやつはいないw

521ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/08(水) 03:31:36
Re: 中国青海省 新發現的巨大隕石碰撞軌跡Φ400m在Yahoo! Map & Google Earth上
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。


あ、青海省関連掲示板はコチラですか?



> ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツさまへのお返事です。
>
> > 史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。
> > 史実探偵: 平素人さんもおるのか。平素人には何を教えてあげよう?
> > じゃあ、私の「DNAクラン」が韓国に見付かったことをお話してあげようか。
> >
>
> 初めまして・でもでもないような気がいたしますが、素人探偵の邪推とお捨ておきください~~!。
> 先に<オンリイ-2>の岩淵先生をなくしましが、わたしのような現学にない暴論奇論にかかわって下さる方は30数年来、世界で片手指数に満ちません^^! 思いもよらない貴方さまからの御教示ありがとうございます。ですが,中二症(×病^^)程度の学識の素人には、先様方のようなレベルの高い投稿には「にゃんこに小判^^!」です。それがこの掲示板へ投稿できない理由のひとつです^^!。
>
>  この掲示板でも、かつて理系に興味をもっておられた方がおられますよね。現在の先様は中国で厚遇されているごようす喜ばしいかぎりです^^。中国は50年、100年先を見据えての政治が行われる国。産業科学の先導は兵器開発ときいたことがあります。未来にDNA工学が対象相手をやっつける為に使われはしないかと危惧するのはわたしだけではないと思います。
>
>   渡来人研究とはまったく別の話^^?になりますが。
>   中国の人脈をお持ちの先様に提案があります。
> 『巨大津波と大隕石→隕石の冬(1〜2年のうちに半球で平均気温 10℃以上の降下→民族の移動)』を唱えている素人探偵ですが。Google earthで青海省のあたりの巨大津波の痕跡を調べているときに下記のようなΦ400mの隕石痕が見つかりました。拙文ですが国内はもとより米、英国。最近では中国科学院と隕石調査の〇先生にも送りましたが、natureで「他紙で取り上げられる予感」が唯一の返信(笑い)。こんなに分りやすく、しかもGoogle EarthやYahoo!地図で誰もが見つけることができる<衝突痕跡>なのに誰も相手にしない^^!。 逆にいえば「相手にされないほどの希少性あり」・・これから先は先様でどうぞ、いきぬきに^^?・・・(笑い)。
>
> 古代科学史掲示板
> [521] 中国青海省 新發現的巨大隕石?撞軌跡Φ400m在Yahoo! Map &; Google Earth上
> 投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2021年 4月19日(月)06時00分3秒
>
>    (↑照片是Google Earth)
>
> 在Yahoo! Map和Google Earth 新發現的巨大?撞軌跡Φ400m!
>  目前:中國青海省茫崖市花土?鎮 西北約27公里(315国道)
>  (当前是2021年4月19日)世界沒有人認識??
>
> ?是否要找到此<!--?撞標記-->並將其發布給全世界^-^? 為了學術進和旅遊促進
> 這是什麼痕跡?(臨時名稱:Twins熔岩隕石標記)我想知道細節 □

522史実探偵: 平 素人:2021/09/08(水) 05:45:55
Re: 中国青海省 新發現的巨大隕石碰撞軌跡Φ400m在Yahoo! Map & Google Earth上
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000529M.jpg

ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツさんへのお返事です。


> あ、青海省関連掲示板はコチラですか?

ええ、こちらです^^。この掲示板は、渡来人研究の「歴史掲示板」の管理人さまが設えて下さった掲示板で上部で繋がっていますが、一日の閲覧者数がかたや40~200に対し、こちらは2~3なのでご注意を^^!。青海省・隕石衝突痕関係は[518]あたりに投稿しています。

> > ワタクシも、世界中の人々が系統DNA解析で再認識している、国境や民族を超えた繋がりの輪に、島国出のハンデがありながらもやっと入り込めたという感じです。セーフ!w

・ですよね^^!。日本の報道でもアメリカのは、すぐ入ってくるのに青海省の"隕石雨"はどこに・・・^^!。学問に国境はないはずなのにねえ。さらに、このジャンルの関心度は極少(^^)。本業は本業として、たまには少年心(こどもごころ)にかえって遊んでみませんか^^?

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-1.html



523青面金剛:2021/09/08(水) 07:57:23
速玉大剣(はやたまおおつるぎ)の眠る里
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000530M.jpg

https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/19579/



524史実探偵: 平 素人:2021/09/08(水) 08:37:03
竜は隕石 竜は神!
それを竜と呼んだら伝説で、巨大隕石と言ったら科学ですか。それが科学ならナンセンス^^。竜画は四千年前、東北に光臨した巨大隕石をそれと聞き及び大陸人が<モンタージュ>し逆輸入したものだ。(平 素人)

 青面金剛さまへのお返事です。

> 三休み山(宮住)の周辺にも、古代『大倭(おおやまと)』の秘宝が、眠っているのでは、 無いかと考えます。

三休み山は、(宮住)なのでしょうね。賛同します^^。そして、二上(ふたかみ)山もあるのですね。ますます「ひと山越えてえ 二山越えて 三山のまえでぇ」 さらに(みやま・深山・美山・海山・宮間・御山・宮山)と重ねると、祖先の考えた歴史が見えるような気がします。そこに封印されているであろうお宝が発見かるといいですね^^。

 このように民話伝承や、現在の私たちが成している慣習から史実を探るのが素人探偵のやり方です。

さらに、「大鯰・おおなまず」は、中国では「鯷・大鮎?」と書くそうですね。中国では大地震の予兆が自然界の生物(鳥・犬・魚・等)に現れるとして、大震災後の日本に、その共同研究をもちかけたが日本は、それを断った。(笑い) 古来中国ではナマズを飼って地震予知を占っていた^^?。

徐福の一回目の東海出航は<秋の収穫>を済ませた台風時期(大鯨)に重なり大破した。始皇帝は、東海の荒神(地震の巣→大津波と台風)なにするものぞ! それを恐れていては民に示しがつかないとして、徐福に二回目を・・・、

 さきに千年前の大津波の跡が千葉県の浜でその痕跡ありとのニュースがありました。太平洋プレートの潜り込みストレスの解消は、約千年おきにあるのでしょうか。なかでも一番おおきなものは、当方と故岩淵先生が提唱する四千年前の東北に降臨した巨大隕石を引き金として、列島のすべての<ストレス>を解消するものでした。岩淵先生は、そのときの巨大津波で良渚文明が滅んだとされています。朝鮮半島にも津に関係する地名がありますよね・・・。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-1.html



525史実探偵: 平 素人:2021/09/09(木) 01:13:20
Re: 竜は隕石 竜は神!
青面金剛さまへのお返事です。

詳細な情報ありがとうございます。しかしながら、そのすべてを消化しきれない自分があります^^!

流星刀のお話おもしろく伺います。わたしも、<速玉→鉄隕石→隕鉄刀剣>の思いがあります。掲示板のどこやらにその投稿をしたことがありますが^^!、星屑が集積し惑星へと肥大してゆく過程で、重いものから順番に中心域へと沈みこむのが順当ですが、鉄はアルミに次いで存在量が多いのでいちはやく中心域へ集まります。その結果、重力をうけた鉄は緻密化していきます。このような鉄が隕鉄となれば、通常に私たちが目にしている軟鉄とは異質で硬い鉄となると思われます。緻密がゆえに酸素分子が入りにくいのでサビにくい。・・ので斬鉄剣^^。スイスのアーミーナイフは、飲缶等なら易く切れますね^^。スエーデン鋼、ゾーリンゲン鋼は惑星衝突でその内部核がリム化したものではないでしょうか。国内では、先様の思いのとおり出雲→備前→神戸→堺→速玉神社ラインに隕鉄の飛散があったのでしょうか。これらの古来製鉄は既知のとおりです。

次に【お宝の封印】については以下のような図式を考えています。
                         (美唄)ビリパリ衝撃波 ↓ (竜飛崎)
                       BC2001/12/25の未明に東北大隕石(大槌)
         北                   (面白山)/ 閃光(千光)
        西 東             (朝来町)地震波・巨大津波(津の地名)
         南             直後の滝爆雨/(隕石の冬1・2年で 12・3℃降下)
                      慈雨<荒神>竜← (大陸人がモンタージュ画)
                       銅鐸雨乞い文化
                    (銅鐸は荒神を呼び寄せ乗り移させる媒体)
             卑弥呼が、全天を覆うほどの彗星を”退散祈祷”でニアミスに^^!
 荒神は太陽神(主神)のお使者彗星(従神)説唱える
銅鏡文化へと変換 → 雨乞い生け贄を伴う銅鐸文化の急速な衰退
  卑弥呼・寄集めた銅鐸の封印(後になったものあり)

 以上のような位置関係構図から丑寅の方角の荒神様は要注意!
卑弥呼1700年前の当時(冬至)の日の出時の閃光(=荒神)は、地球の歳差運動を考えるとほぼ真東であったと思われますが、今の日の出は時計回りに∠23° ∠24°移動しています。
卑弥呼以前にも新しく入手した銅鐸へ、環状木柱列(ウッドサークル)で<冬至の旭光を入魂>していたと謎解きしました^^!

    【 お宝関係図^^】
                      人里から徒で半日ほど離れた奥山
                   (金)屏風岩→<※基点>冬至旭光の当たる山の中腹
          西方から南西方向    ←   封印する銅鐸(&お宝)
              二山越えたおよそ一里(一離)約4km?
   (亀石)重石岩(×千木)
大量の剣類(その剣、二度とその荒神に持たせてはならない!!)
 後には銅剣・銅鐸を一緒に埋めたり、土中保管説単体のままの出土もあるようです。

このセンで絞ると先様(青面金剛さま)の考えは、いいセンいっておられると思います。
そのお宝が出土するのを楽しみにしています。光陰矢の如しについては別の機会に・^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-1.html



526ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/09(木) 04:18:14
Japonic
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000533M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000533_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000533_3M.png

青海の斉家文化の古人骨では私のミトコンドリアDNAハプログループG3a2(金蝉口遺跡, 2000BC)が、甘粛の斉家文化の古人骨ではO-ACT7481-F2137(磨溝遺跡, ~2000BC)が出ているので、甘青地区は私にとって非常に重要である。

大陸・朝鮮半島から日本列島への足取りが考古・言語・DNA的に掴めれば先ずは良い。私の男系祖先は原日本語集団であるが、諸君は違う。君たちの男系祖先は朝鮮半島または日本列島で日本語集団に同化されたに過ぎない。しかし、「日本人はどこからやって来たのだ」と聞かれても、これからは胸を張って答えるが良い。「私たちが同化された日本語集団は遼河流域から来ました」と(笑)



527青面金剛:2021/09/09(木) 21:36:22
Re: 竜は隕石 竜は神!
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。

> 流星刀のお話おもしろく伺います。わたしも、<速玉;鉄隕石;隕鉄刀剣>の思いがあります。掲示板のどこやらに投稿したことがありますが^^! その結果、重力をうけた鉄は緻密化していきます。このような鉄が隕鉄となれば、通常に私たちが目にしている軟鉄とは異質で硬い鉄となると思われます。緻密がゆえに酸素分子が入りにくいのでサビにくい。
> 荒神は太陽神(主神)のお使者(従神)説
>  後には銅剣・銅鐸を一緒に埋めたり、土中保管説単体のままの出土もあるようです。
> そのお宝が出土するのを楽しみにしています。光陰矢の如しについては別の機会に・^^!

☆★☆彡 【『宮山古墳』の『奥大谷』側である、周りからは見えにくい、南東斜面の窪地に、銅鐸か八咫鏡か勾玉が埋まってる。良懐親王の墓から、真北の線上か?!! 】

◎ 宮山古墳の東南側の発掘計画を進めるに当たっては、一番の障壁に成りそうなのは、平さんの「生贄」「人身御供」の記事に対して、岡山県内の各大学の民俗学の先生方や、岡山県内の各市町村の生涯学習課・教育委員会、観光課などからの、強い嫌悪と反発が予想され、発掘計画案に、反対を意思表示され、発掘が大幅に遅れる事です。

 平さんが、まだ目の黒い内に、出土物を目にしたいのならば、平さんのブログから、「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除願います。

 『「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除し終えた。』との前提で、私の発掘予想の仮説記事を、平さんのブログへ転載する事を許可します。

★ 出雲の荒神と銅鐸の話も、再三に渡って、私の方から指摘済みですし、「生贄」「人身御供」は、秦氏と物部勢力が日本に持ち込んたものです。

 出雲の『幸の神三神』信仰は、陰陽石で御分りの様に、子宝と子孫繁栄を願うもので、「誰かに犠牲を押し付ける」、発想は有りません。

 平さんの「生贄」「人身御供」の記事は、民俗学の根本ルールをことごとく踏み外したもので、民俗学を研究する諸先生方からは、単なる興味本位の俗物創作記事でしかなく、根拠も無い風評被害を地元に招くもの、として、嫌悪と軽蔑の対象と成ります。

 発掘計画が進められる過程で、岡山県内のテレビ局や地方紙、地方雑誌が、平さんの記事をスキャンダルネタとして取り上げた場合、その被害を被るのは、平さんよりも、平さんの御子さん方や、お孫さん方です。

 平さんがパソコンの操作も覚束なくなった時にも、御子さん方に、パソコン内の記事を読まれてしまうだろうし、身内にさえ見せられない代物は、今の内に削除する分別は付けるべきです。






528ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/09(木) 23:08:03
Re: 竜は隕石 竜は神!
青面金剛さんへのお返事です。

> 史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。
>  平さんが、まだ目の黒い内に、出土物を目にしたいのならば、平さんのブログから、「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除願います。
>  『「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除し終えた。』との前提で、私の発掘予想の仮説記事を、平さんのブログへ転載する事を許可します。
>

うわっ、すごい上から目線。何勘違いしてるのか…この人?


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