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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
1
:
トキ
:2012/07/05(木) 10:52:30 ID:laCLyE9I
このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」について、自由に議論をするため
に作成したスレッドです。
生長の家に関連する話題なら、上記に話題に限定しないで、広く受け付けます。また
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。
投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。
目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。
*投稿に当たっての注意点
*このサイトは、「生長の家“本流宣言”掲示板」等と違い、自分の発言を自分で削除できません。
削除御希望の場合は、管理人までご一報下さい。(削除要請は、削除希望の記事を投稿したのと同じ端末から投稿をして下さい。)
*必ず、スレッドのトップにある「掲示板の使い方」をご覧下さい。
*インターネットのサイトという性質上、不特定多数の人が閲覧します。プライバシーに触れる問題
や名誉毀損の可能性のある表現などは、控えて下さい。
*サイトの運営方針としては、削除は原則としてしない方針です。他者の投稿が問題のある投稿だと感じた場合は、
「削除要請」ではなく、ご自分の意見を投稿するという方向での解決をお願いします。
*生長の家の共鳴者を対象にしたスレッドです。下品な表現や特定の人物を侮辱する言葉はご遠慮下さい。
たとえ、自分と違う意見の人でも、敬称はつけましょう。相手に対する敬意と礼儀を忘れない様に
お願い申し上げます。
*谷口雅春先生への批判は、目的外ですので、投稿をしないで下さい。
*「したらば」は長文の書き込みをした場合、一部が表現されない場合があります。その場合は、「下部左
部分」にある「全部読む」を押して下さい。
このサイトについて
*宗教法人「生長の家」、「谷口雅春先生を学ぶ会」「ときみつる会」「生長の家社会事業団」「新教育者連盟」
などの諸団体とは関係はありません。
*「ポスティング ジョイ」や「生長の家“本流宣言”掲示板」などのサイトとは一切関係がありません。
管理人からのお願い
*投稿者の身元の詮索は止めましょう。ただし、最初に簡単な自己紹介をして下さると、後のトラブル防止になります。
*「工作員」も歓迎します。同時に、特定の人を「工作員」などと議論をする事はしないで下さい。
*教団援護派、本流復活派、中間派、分裂肯定派など、どなたも歓迎します。また、相手の存在そのものを否定するような内容
の反論はしないで下さい。
*議論が感情的になった場合は、管理人がストップをかけます。その時は、協力をお願いします。
*その他、ご不明の点は、管理人である「トキ」まだお尋ね下さい。
削除について
投稿した文章を削除して欲しい場合は、削除希望の文章の番号を書いて、同じスレッドに、同じ端末
から「削除要請」と書いて、投稿して下さい。削除要請の文章も削除して欲しい場合は、其の旨も書いて
下さい。削除は、原則として、投稿者本人からの要請があるものに限ります。管理人が気がついたら、削除
しますが、深夜早朝や用事のある時は、気がつくのが遅れる場合があります。ご理解下さい。
出会い系サイト等のリンク、明らかに目的外の投稿、犯罪を予告する書き込み等以外は、削除はしません。
それ以外で、問題となりうる投稿は、原則として、相談の上で、削除します。
その他、御不明の点は、お気軽にお尋ね下さい。
管理人「トキ」 敬白
2
:
さくら
:2012/07/06(金) 00:07:12 ID:uSGRBL7.
いま見て気がつきましたが、
「生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/3」
貴重な2000をさくらのどうでも良い書き込みが踏みまして、
すみません。
そして、このNO.4の、貴重な2を踏んでしまいまして、
どうも、申し訳ありません。
3
:
Kジロウ
:2012/07/06(金) 00:13:51 ID:VJun9unU
スターダスト様
生長の家(宗教)における
エーテル体は
肉体、零体があって、エーテル体があるという事だったと思います!
物理学に
光の媒体物質のエーテル体なら、初心者様が解説されている様に今の物理学では否定されてます!
4
:
スターダスト
:2012/07/06(金) 05:59:55 ID:uuNh/pjs
>>3
:Kジロウ:2012/07/06(金) 00:13:51 ID:VJun9unU
**********************************************
さて順序として、この霊妙不可見なエーテルという存在について科学
者が最近の研究により結論をくだしたところを平易に紹介することにい
たします。第一、エーテルは絶対不可分に少しの間隙もなしに続いてい
るのであります。これをエーテルの連続性と申しまして物質には見られ
ない性質であります。
『生命の実相第一巻より』
**********************************************
光は光子としての性質と波形としての性質を持っていますが、波形は振
動する媒体が無ければ発生しないと思うのですが、それが宇宙に充満し
ているヒッグ粒子のことではないですか?
当時はヒッグ粒子が発見されていないのでエーテルといっていたのでは
ないですか?
5
:
スターダスト
:2012/07/06(金) 06:20:29 ID:uuNh/pjs
>>4
の訂正
ヒッグ粒子→ヒッグス粒子
6
:
トキ
:2012/07/06(金) 09:42:01 ID:4E5gFaLo
ポスティング ジョイにこんな投稿がありました。
この投稿、どうなるのでしょうねえ。
「新編 生命の實相」を手にして思うこと
登録日:2012/07/05 23:16 (GMT+09:00) / カテゴリ:よろこび日記 登録者:アワダさん
新編 生命の実相をamazonで購入して、手元に届いた。新しい生命の実相。大きな活字。読みやすいように工夫が随処に見られ、編集された方々の愛情がよく分かる作りになっている。この愛のこもった本を見るにつけ思う。何故に社会事業団と原宿本部で裁判をしなければならないのか。何故に「大調和の神示」が聖経の最初に書かれているのに教団内部で醜い争いをしなければならないのか。誰の心の影だ。俺なのか?生長の家は決してもう全てを抱擁した教えとは言えなくなってしまった。「宗教家よ宗派争いをしてる場合ではない」と言っていたのに、内部で揉めまくり。教団の幹部達は信徒に対して恥ずかしくも申し訳なくもないのだろうか?どの書を読んでも相手の悪いところ矛盾しているところは指摘しても信徒に対する謝罪はない。普通なら「こんな裁判を起こして信徒の皆さんにご迷惑をおかけしています。」とか何とか言いそうなものだが、全く見当たらない。相手が悪いの一点張り。どの顔で明るく「ありがとうございます」と言っているのだろうか? どこで道を間違えたのか?道を間違った責任は誰がとるのか? 全く末法の世だ。 「谷口雅春を学ぶ会」にしろ「愛国 生長の家」にしろ掲示板を見てみろ! 罵詈雑言の雨あられだ。どこが「良い言葉」なのか? どこが「光明面」なのだ?
もう組織はお終いだろう。「組織」も「現象」で「ナイ」ものなのだ。裏を返せば、無いモノだから、現象的には何でもありだ。悲しい悟りだ。結局、救われるのは実相においてのみであり、現象では救われないのが結論なのか?
0
http://postingjoy.com/users/75110612171920/diary/show/106143
7
:
トキ
:2012/07/06(金) 09:56:03 ID:4E5gFaLo
誰もお詫びをアワダさんに言わないみたいなので、ヒラ会員のトキが、生長の家教団の偉い人と学ぶ会の偉い人の
代わりにお詫びします。
「申し訳ありません。私達の努力が足りないため、和解に至って居ません。」
靖国見真会参加者様や山ちゃん1952様から、お叱りを受けていますが、懲りずに和解に精進いたします。
ちなみに、和解=総裁援護ではありません。本流掲示板の皆様、よろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
9
:
さくら
:2012/07/06(金) 10:01:03 ID:uSGRBL7.
>>1964
Kジロウさま
まえに、「利己的な遺伝子」のこと、書いておられたのは、
Kジロウさまだったでしょうか・。
生物の生態で、一見いわゆる「利他的行為」に見える行為がありますが、この「利己的な遺伝子」的な視点で見てしまえば、
種の保存、という、結局は、「利己的目的」に説明できる、というようなことにもなってしまいますね、
Kジロウさまが書かれていた、ネズミの「自殺」の現象も、種の保存のプログラムなのかも知れません。
でも、この「種の保存」の進化の過程も、わたしには面白く感じられます。
「種の存続」のために、したたかにニッチを求めて進化する生物の遺伝子に組み込まれた生命力なども、やっぱりわたしは感動してしまいます。
あまりに精妙な自然のバランスをとっている自然計算力を思うと、どうしても人間の頭脳だけの計算力って、浅はかだな、と言う気がしてしまいますね。
といっても、人間の場合の利他行動には、遺伝子プログラム以上のものが存在しますから、
こういう分野は、宗教や哲学ですかね。
村上和雄先生が仰っている、人間の思考に影響を受けるという、遺伝子のON、OFFのシステムについても、科学的な解明がもっとなされたら、面白いですけど。
>人間の場合は、先進国では、長寿で安定しているので基本は『少子化』(産んでも2人ちょい)となってますが、
個体で考えると、栄養失調ぎみになると、攻撃性、性欲が増す様です!
かつて、アメリカで大停電が起きる等、不安要素があると、生理周期を無視した形で卵子の排卵する事もあるそうです!
最近だと、アメリカのテロ9・11事件の直後に結婚が増えました!
こうした現象は、遺伝子の複雑な計算式のプログラムの関係というより、ホルモンバランスや、心理学の方に、関係がありそうですね。
10
:
さくら
:2012/07/06(金) 10:02:05 ID:uSGRBL7.
>>1965
>>1968
初心者さま
>イメージ的に考えて、質量とは「動くまいとする力」であるということがいえ
ませんかね?質量のあるものは、たしかに動きたがらないですよね。質量とは
動くまいとする力である。
ヒッグス粒子の説明をちょっとだけ聞いて、質量の正体は、初心者さまが書かれているように、動かなくさせられた状態のようですね。その「動かすまいとさせる働き」をするのが、ヒッグス粒子みたいです。ヒッグス粒子に反応する素粒子が、質量を持つということなのでしょうか。
ヒッグス粒子の正体がわかったことで、いままで理論でしか証明不可能だった物質の様々な法則が明らかになるのですか。
500年たっても証明されるかどうかわからないといわれてた超弦理論、(これが、超ひも理論のことですね?)の証明には、なにか前進するものがあるんですかね、?
そうだとしたら物理学者にとっては、悲願の実証だということですね。
・・物理学の基礎知識もないわたしにはまったくその意義がわかりませんが、
やっぱり、ただ単に、驚きたいのです、笑。
>脳や自然が高度な計算を瞬時におこなっているというのは、にわかには信じられ
ないことでしょうけども、脳も自然も宇宙ホログラムであることを考えれば、これ
も考えられないことではありませんね。脳や自然に高速計算力があるとすれば、
それは「本物の宇宙力」であると考えます。
初心者さまが本物の宇宙と言われているのは、わたしには、「叡智」とよばれるもののように受け取っています。
それは、自然科学にも物理的な真理にも、霊的な真相にも、古来人間が持っていた超能力にも、タオの思想や、合気道とかにも・・いろんな現れ方は別々ですけれど、それぞれの場でその片鱗を見せていた正体のことをいっているのかな、と。
それを、初心者さまは、簡単に、反証不可能な言い方ではいわない、という徹底した姿勢みたいなものを感じます。
・・確かに、言葉は色々知っていても、本当は、簡単には、言えないはずなんですよね、こういうことを。
>それとトキ様は、「ビッグバンがはじまって宇宙は収縮する」と語っておられますが、
ダークエネルギーの増大は宇宙定数の値を増大させますので、予想されるのは、
ビッグクラッシュではなくビッグリップ、つまりは陽子までもが、ダークエネルギー
によって生じた斥力によってバラバラに分解され、銀河はもとより、あらゆる
原子が、素粒子にまで分離されて、宇宙は無限の拡散をつづけることになる、
というシナリオですね。
先日書いた、東京大学国際高等研究所の村山斉教授も、いままで収縮していくと考えられていた宇宙の、ビッグリップ現象を、「天動説から地動説に変わって以来の大変革期に来ている」いうくらい、予想していた宇宙観を変えることだったと言っていたようでした。
そして、結局、何もわかっていなかったということがわかったということです。
たしかに、物理的な探求というのは、限界があり、これによって、どこにたどり着くかなんて、もしかしたら、霊的真相からみたら、たかが知れているのかも知れません。
それでも、こうした科学や物理の探究に於いても、人間が「叡智」の片鱗をみることは、無駄なことではないとわたしはかんじています。
11
:
さくら
:2012/07/06(金) 10:02:38 ID:uSGRBL7.
初心者さま
>信仰と科学の立ち位置については、まだ宿題だと思います。
トキ様がそう書いていただいて、安心しました。
物理や科学的な真理を探究する好奇心が、信仰心と矛盾して脅かすとは、
わたしは考えてはいないし、むしろ、真摯に歩み寄る姿勢も大切だと思っていたので、
宗教的には科学からの探求は危険だとトキ様が例に出していたのなら、こういう好奇心は迷惑かなとおもったので・。
>ミンデルは、「数式は変性意識状態である」といっていますね。数式をながめる
ときの科学者は、覚醒した変性意識状態にあり、常人ではとても見ることのでき
ないヴィジョンを見ているということですね。
ただ科学者には、そうしたヴィジョンを反証可能な形で語らなければならないと
いう制約が課せられていますね。宗教的ヴィジョンとの違いは、案外この程度で
あるのかもしれません。
したがって、ふつうの人々が科学的成果の説明を受けたときに、そこで語られて
いること以上のヴィジョンをふたたび覚醒させることは可能であり、それは各人
の自由な判断にまかせられているといえますね。
抽象概念というのは、頭脳知だけのように思われがちですけれど、
純化された思考は、リアリティがあるようですね。
数式などは、純粋思考の最たるものといえるかもしれないですね。
ある地球物理学者が、ビックバンを証明する数式をといて、わたしはビックバンをこの目で見て恐ろしかった・・と言ったというのを読みましたが、これは、ちょっと、素人には理解できないのですが・・
抽象概念のリアリティとは、バカに出来ないどころか、実現化にとって、やっぱり欠かせない能力だということは、わたしはおもっています。
>この宇宙に存在するすべての電子の電荷と質量はおなじだと考えられている
ようです。このことから、ノーベル物理学者ファインマンは、「電子は1個しかない」
と、ついに禁句を口走ってしまいました。言ったあとで、きっと「しまった!」と後悔
したことでしょう。でも言いたくて仕方がなかったんですね。
これは先ほどもいったように、物理学の基礎もないわたしなので、
なんのことだか、わかりません。
電子の電荷と質量が同じだと、なぜ、電子は一個しか存在しないといえるのでしょうか。
そして、電子が一つしか存在しないことの意味ってなんでしょうか。
同時に一つのものしか、ぞんざいしない。というのは、概念的には、哲学的で、宗教的真理に繋がることのようにも思えますが・・
物理的な真理においては、どんなことをしめしているのでしょう。
12
:
さくら
:2012/07/06(金) 10:19:11 ID:uSGRBL7.
注)
上記
>>1964
Kジロウさま
>>1965
>>1968
初心者さま
これは、生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/3においての
ものです。
13
:
初心者
:2012/07/06(金) 10:40:13 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
「電子の電荷と質量がおなじ」というのは、電荷イコール質量というのではなく、
どの電子をとってみても、その電荷はおなじであり、どの電子もおなじ重さで
あると考えられている、ということですね。
考えてみればですよ、宇宙には数えきれない電子があるわけですから、たとえば
質量にしても、ある程度のバラつきはあってもよいはずですね。重いのもあれば、
軽いのもある。これがふつうの状態ではないか、ともいえますよね。
じっさいに「すべての電子の電荷と質量がおなじ」であるのかどうか、それは
わかりませんけども、仮におなじだとすればこれはどういうことなのだろう、
ということですよね。なぜどの電子もおなじ重さなのか。こういう疑問ですよね。
これはうろおぼえの話ですけど、マックスウェルの電磁方程式でしたか、なんで
あったか忘れましたが、ある方程式を解くと、「遅行波」と「先進波」のふたつの
波が答えとして出てくるようです。「遅行波」とは過去に向かって進む波ですね。
波が過去に向かって進む。こういうことです。
おそらく「遅行波」と関係があるとおもうのですが、ファインマンは、電子は
過去に向かって進むということをいっていましたね。もちろん、未来に向って
も進むということです。1個の電子が過去と未来を行ったり来たりしながら、
あちらこちらに姿をあらわしている。だから1個しかないはずの電子が、無数に
あるように見えているのだと、「なぜだろう?」と考えたファインマンは、こんな
答えを思い浮かべたようです。
15
:
トキ
:2012/07/06(金) 12:06:23 ID:4E5gFaLo
>>6
やっぱり、削除されてしまいました・・・・。
あと、大聖典がオークションに出品されているとの連絡を頂戴しました。
出品者は大阪らしいです。複雑な気持ちです。
http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w76362631
私はオークションはしませんが、教えてくれた人の話では、
安くて30万、普通は軽く100万円を越すとか。
以前は300万円というケースもあったみたいです。
16
:
Kジロウ
:2012/07/06(金) 13:14:50 ID:VJun9unU
>>4
スターダスト様
真空中(素粒子はあり)の光の速さは一定
ニュートン力学の例外で
マイケルソン・モーリーの実験結果を
アインシュタインが数式で、
エーテルは関係なく証明
光子自体が振動しているので波の性質もあります
ヒッグス粒子は質量があるので、ジャマになる事は、あっても光媒体になる事はないです!
今のところ、何かを媒体にしているとは、なってないと思います
17
:
Kジロウ
:2012/07/06(金) 13:25:25 ID:VJun9unU
>>9
さくら様
「利己的な遺伝子」書来ました
>あまりに精妙な自然のバランスをとっている自然計算力を思うと、どうしても人間の頭脳だけの計算力って、浅はかだな、と言う気がしてしまいますね。<
本当にそうですね
後、
物理学の概念(真理)は
誰がやっても、何処でやっても、いつやっても結果が同じ
(あるモノはある!ないモノはない)
ここには残念ながら、精神や心が入り込む余地はない様です!
トキ様は、この事を危惧されていると思われます!
18
:
初心者
:2012/07/06(金) 14:57:57 ID:TfQ0e6RA
ちょっとひと言わせて。
この掲示板で総裁先生の評判を落してるのはあたしなの。
そのあたしが、なんで総裁先生と同一人物でなけりゃならないのよ。
この掲示板で、「生命の實相を護れ!」の機運を盛り上げてるのは、あたしなの。
そのあたしが、なんで総裁だといわれなきゃなんないのよ。
あたしは、さくらちゃんと「しっぽり」したくてここに来たの。
なのに、あてつけがましい真似をされてカチンときたから、ちょっと暴れてみただけ。
あたしはさくらちゃんと「しっぽり」したいの。
邪魔だけはしないでね。
19
:
初心者
:2012/07/06(金) 15:09:04 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>初心者さまが本物の宇宙と言われているのは、わたしには、「叡智」とよばれるもののように受け取っています。
それは、自然科学にも物理的な真理にも、霊的な真相にも、古来人間が持っていた超能力にも、タオの思想や、合気道とかにも・・いろんな現れ方は別々ですけれど、それぞれの場でその片鱗を見せていた正体のことをいっているのかな、と。
それを、初心者さまは、簡単に、反証不可能な言い方ではいわない、という徹底した姿勢みたいなものを感じます。
・・確かに、言葉は色々知っていても、本当は、簡単には、言えないはずなんですよね、こういうことを。
あらゆる現象というのは、本物の宇宙による夢見、つまりはドリーミングによって
起きているとする考え方がありますが、すでに述べたように、ドリーミングには、
偉大な存在者の、たとえばこれを北米イディアンは「グレートスピリット」と呼んで
いるようですが、そうした存在者の叡智が含まれていると考えるのがふつうで
あるようです。
そうした叡智が、自然科学や物理学の分野にあらわれたとしても、なんの不思議で
もありませんね。合気道や能楽、茶の湯が重んじる身体の動作となってあらわれる
ということもありますね。
さくらちゃんがいっておられるように、このことを「超越項」をもちいずに語りたい
とする思いに、どうやらわたしは取りつかれているようでもありますね。
イメージの領域のフロンティアは際限もなく広がっていますが、そうしたイメージ
世界を「超越項」をもちいずして語ろうとすると、どうしても貧弱で貧相な言葉
づかいに終始してしまいます。
こうした「言葉づかい」をもってわたしの全思想と見なす人たちが、みずからの
豊かなイメージ世界と比較して、「初心者はなにもわかっていない」と決めつけて
おられるのが実情のようです。豊かなイメージ世界と、言葉によって語られた世界
とを比較することじたい、まったく意味のないことでありますね。
20
:
初心者
:2012/07/06(金) 17:36:35 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
宗教と科学の関係ということでいえば、宗教が科学を弾圧してきたという
歴史がありますね。そうした弾圧の歴史は今も続いていて、科学にたいして
厳しい見方をする宗教関係者が少なからずいるものです。この掲示板でも、
あたしのような主張をすれば、厳しい弾圧がまっています。
宗教が科学に脅威を感じてきた。これは事実でしょう。科学の発展によってみず
からの信仰が脅かされることを、宗教にかかわる人たちは極端におそれてきた
ということがいえるはずですからね。
しかしですね、今という時代は、宗教のそうした懸念がいよいよ現実のものに
なりつつある時代だということがいえそうなのです。ジジェクは、こうした事態を
「ポジティヴな知」という言葉で語ります。「純粋な信仰がポジティヴな知によって
脅かされている」。こうした表現で、宗教人が抱いてきた懸念がいよいよ現実の
ものになりつつある事態を、ジジェクはなぜか告発気味に語っているのですね。
ジジェクにとって「純粋な信仰」とは、無根拠の決断による信仰ですね。根拠は
ないがそれを信じる。これが、ジジェクのいう「純粋な信仰」です。「純粋な信仰」
とは、いってみれば「内なる良心の呼び声」にしたがうということでもあるようです。
このような意味で、「純粋な信仰」とは個人の心のありようでなければなら
ない、ということがいえそうです。「内なる良心の呼び声」が聞こえるのはその人
自身ですから、信仰は、どうしても個人の心のありようによってしか語られることは
ないといえます。
ですけども、「真理」はすでに、個人の心のありようでは語れない時代になって
きているということがいえるのですね。なぜなら「真理」は、今の時代、無根拠には
語りにくくなっているからなのです。なにごとにも根拠を求めたがる現代人の心性
は、「真理」にたいしても根拠を求めずにはおれなくなっているのですね。この意味
で、ジジェクのいう「ポジティヴな知」とは、内なる思いによってではなく、たしかな
根拠によって「真理」を知ろうとする心的な傾向であるということがいえそうです。
このあたりの事情を、たとえば現代仏教について、ジジェクはつぎのように
語っています。
○(現代の仏教)では、多くの科学者が「現代物理学の道(タオ)」のモチーフ
を振り回し、現実を揺れ動く出来事の非物質的な流動と見なす現代の科学は、
古代の仏教の存在論を確証したとされる。
このように、現代仏教においてさえも、現代科学の考え方に根拠を見いだすこと
でその思想の正しさと関連づけようとする傾向があるということを、ジジェクは
いっているのですね。
これは仏教にかぎっているわけではありませんが、ジジェクは、「彼らには、自分の
宗教と科学の最新の発見を合体させようとする傾向が見られる。彼らにとって
宗教的声明と科学的声明とは、ポジティヴな知の同じ側面に属している」といった
物言いで、現代宗教の一部に見られる「ポジティヴな知」を重んずる傾向を告発し
ようとしているのですね。
ジジェクのいう「ポジティヴな知」によって、現代人が、科学的声明にたいしてそう
であるように、宗教的声明にたいしても根拠を要求するようになってきたという
現実がありそうです。これこそが、宗教界がこれまでずっと怖れてきた事態なの
ですね。そうした事態が、すでに現実のものになったということです。
「ポジティヴな知」を標榜する現代人は、「真理」にたいして根拠を求め、それを
じかに知ろうと欲します。無根拠な決断による信仰によって信じられてきた「真理」
を、無価値なものとして否定しようとする傾向を持つようになります。「純粋な信仰
がポジティヴな知によって脅かされている」とするジジェクの見方は真実を語って
いるとおもわれます。
人類の意識は時代とともに変化します。今という時代の意識とはどのようなもの
であるのか。こうしたことへの洞察が、宗教の側にも求められているということです。
21
:
初心者
:2012/07/06(金) 17:56:42 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
宇宙がふたたび収縮へと転じて消滅する現象は、「ビッグクラッシュ」では
なく、「ビッグクランチ」と呼ばれているのかもしれません。記憶があいまいです。
22
:
SAKURA
:2012/07/06(金) 19:32:06 ID:V.pKl3yA
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 へ
>>6
>>15
拝読させていただきまして
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
■「 ポスティング ジョイ」に“投稿…”されています文章…拝読させて頂きました。
信者の“素直な言葉”と私も受け止めています…。
■■「 生 長 の 家 …大 調 和 !!」此の事から“始まり”が〜〜><
今回の“経過”は、余りにも“悲惨な出来事”です…。【分派…お家騒動】
そして、私も「トキ様」と同感の思いなのです…。
■■それにしても〜〜〜><
今回の【トキ様の投稿…】時間の“タイム制限??”ビックリ・マークで〜〜〜す。
一時間も??もたなかった様です〜〜〜〜〜ネ?やっぱり『奥殿…入り』
■話はブレイクしますが…
【ヤフ− オ−クション!!】拝見させて頂きました…。これもまた?“ビックリ・マ−ク”
言葉になりませんが〜〜〜><
そして、余談なのですが……
【FUKの「栄える会」…】に、ある時「古物商…」の方が会員になられまして??(現在も)
その方の“言葉…”から〜〜
■「年配の会員の方が、多く亡くなっているみたい??なのでしょうか〜〜〜??
生長の家の【書籍】【実相の掛け軸(自筆)】【古い機関紙…etc】沢山手元にあります〜〜〜ョ!
“二束三文”で〜〜〜売りますが〜〜〜??」
昭和初期のモノとか??かなり古いものの様で ><この“言葉”を〜〜
そうです〜〜〜ネ!2年以上前に聞きましたが…><
■■この頃思いますが〜〜〜【物…崇拝ではなく!】
やはり最後は…
【 真 理 −−>全ては心でつくる世界−−>人生は心で支配!】なのではないでしょうかと?
この事を、しっかり認識いたしませんと、
次なる世界【霊界…】にて??かしら〜〜〜ン!この様に思った次第ですが〜〜〜。
■ ■ 人間は永遠に“死”を見ない!自分は永遠の生き通しであるのである。 ■ ■
「雅春先生の言葉より」
再合掌
23
:
質問者
:2012/07/06(金) 20:54:02 ID:/3nxKE2Q
初心者様
少し前2000になって書き込めなかったので、別のところに書き込みましたが、今、書き込めるように
なっていたので、別のところに書いたものを貼り付けます。
名前:質問者 投稿日: 2012/07/06(金) 06:17:06 ID:/3nxKE2Q
初心者様
初心者様が色々お教えくださっていた場所が2000になって書き込めませんでしたので、
この場所に書かせていただきます。
多面的視点で、日々新しい境地への努力に敬意を表している者です。
雅春先生の教えを手放した時、自由な世界に出られたお話はとても新鮮でした。
とすると招神歌も手放した方がよいのでしょうか? もっと今の時代にあったものが
あるのでしょうか? おたずねします。
24
:
トキ
:2012/07/06(金) 21:25:38 ID:T5rRaDQw
横レスお許し下さい。
>>23
「招神歌」ですが、私が親しくしている講師の方で、霊眼が開けた人がいます。
その方の話では、神想観をしている人の回りに、たまにですが、浮遊霊などが取り巻いて
いるが、霊的な“バリア”があるため、神想観を実修している人に取り付けない光景を見る
そうです。なまじ霊的な力がある人が、自分の力を過信して瞑想をし、霊に取り憑かれて
悲惨な状況にあることもあり、「招神歌」は必須である、いうことです。
病院や墓地の近くなど、“霊的”な雰囲気が悪い場所の近くで神想観をする場合は、特に
要注意だそうです。
せっかくの対話を邪魔して、申し訳ありませんが、私もその講師の話には賛成していま
す。もちろん、時代の変化に伴い、変化させなければならない部分はありますが、「招神歌」
については、慎重な対応が必要だと思います。
合掌 ありがとうございます
25
:
トキ
:2012/07/06(金) 21:27:12 ID:T5rRaDQw
追伸です。
「招神歌」を唱える事で、霊的な“バリア”がはられる(何か、アニメみたいですが)という事でした。
26
:
SAKURA
:2012/07/06(金) 21:38:16 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1797
>>1804
>>1805
>>1861
>>1880
>>1912
>>1945
>>1956
>>1959
>>1987
>>1995
投稿の続きです…。
■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――
―――――身体的用意――――
身体的用意で、
第一 に必要なことは、左右の均斉を保つことです。静座する場合でも、いすに座る場所でも
同じです。体格に故障のある人はなるべく、前もってその故障を除いておきます。
第二は、姿勢を直角に保つことです。すなわち胸と脚との屈折を九十度に保ちます。
椅子の場合には、膝の関節が九十度を保つようにします。従っていすは、
なるべく各自適当な高さのものを作るといいです。
第三は、 各部の連鎖を完全にすることです。一人で座る場合には、合掌が望ましいです。
また、物理現象を起こすべく、数人で円座を組織する場合には、各自の手をつなぎ、生気
の交流作用をさかんにするようにします。またいすを用いる場合には、ぜひ両足をそろえて
床につけ、足を組んではいけません。讃美歌を歌ったり、祝詞を皆でとなえたりするのも、
結局は各自の気分を整え、リラックスさせる意味があるのです。
第四は、自然呼吸を行い、眼は軽くつぶり、口は軽くとじること。ある一部の人たちは、
不自然な深呼吸を無理に行いますが、これは結果的に、あまりよくありません。何ごとも
自然の姿に従うことがいちばんです。また、ある人々は半眼を主張しますが、これも不自然
でよくありません。その他、こまかい点を言えばきりがありませんが、大体健全な常識で
判断して頂けばよいのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
<つづく> 再合掌
PS:
次は精神的用意に入って行きますが・・・どうでしょうか???
PPS:
「精神統一と方法」…これは現在「生長の家」での【神想観=瞑想】スタイルと…
似ていますかしら〜〜〜ン!そう言えば??「雅春先生」の言葉の中に…
この“スタイル”が、一番“邪霊…”・“悪霊…”が入りにくいとか?
おっしゃつていましたようなのですが…
従いまして…「精神統一…」のスタイル??多々ありますモノ〜〜ネ!
この事にての“アドバイス”は?「トキ様」頂けますと幸いなのですが〜〜〜!!
27
:
SAKURA
:2012/07/06(金) 22:07:47 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1797
>>1804
>>1805
>>1861
>>1880
>>1912
>>1945
>>1956
>>1959
>>1987
>>1995
投稿の続きでしたが……
■『新しくボ−ド』が変わりましたので???再度!!拝読されます方々に対しまして、
下記に■ URL ■で“クリック”して下されば、幸いに存じます…。
此の後〜〜〜■「精神的用意」に、文章投稿をさせて頂きます…。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1797
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1804
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1805
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1861
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1880
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1912
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1945
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1956
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1959
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1987
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1995
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
PS:尚!前回の処にて「こんにちは」と記載しましたが…
「こんばんは…」に、此処で訂正させていた抱きます…。御了承の程、よろしくお願いいたします。
再合掌
28
:
初心者
:2012/07/06(金) 22:07:59 ID:TfQ0e6RA
質問者様
わたしは、ひと様から問いかけていただけるほどの偉い生き物ではありません。
たとえ回答できたとしても、信頼性を保証するものではありません。とりあえず
はお答えいたしますが、あまり信用はなさらないでください。
「我が業は我がなすにあらず」というのが『招神歌』ですね。わたしは唱える
ことはありませんが、これはタオイズムの「無為自然」につうずる考え方で
ありますので、ご自身にあっているとおもわれるのであれば、そして唱える
ことで何らかの実感が得られるのであれば、唱えられたほうがよいのかも
しれません。
ご存じかもしれませんが、わたしは生長の家の会員ではありません。『神想観』は
ずいぶん前にやめました。誌友会などにも参加することはありません。したがって
『招神歌』は長らく唱えたことがありません。わたし自身はこのようなありさまです。
今の時代にあっているものということでいえば、ミンデルの思想を学ぶ過程で、
あるべき心境には自然と近づいて行っているような気がいたします。ここでいう
あるべき心境とは、これを唯物的に語れば、アドレナリンやドーパミンに依存する
状態ではなくセロトニンに依存する状態ではないかと考えます。
人間の脳は麻薬依存体質から抜け出ることはできないともいわれているようです
ね。であれば、少しでも上質な麻薬に依存したほうがよいにきまっていると考える
次第です。セロトニンがどれほど上質であるかは、はっきりとは存じ上げておりま
せん。まだどうすればセロトニン依存体質が実現できるのか、それも存じ上げて
おりませんが、悟りの心境とセロトニンには密接なつながりがあるという気がして
なりません。
29
:
SAKURA
:2012/07/06(金) 22:11:51 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26
>>27
投稿の続きです…。
■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――
―――――精神的用意―――――
精神的用意としては、・・・・・
第一が 自我意識を全く受身におくことが大切で、これが精神統一の最重要ポイントです。
一部の人たちは、統一の実修の際、全くの無意識状態におちいりますが、その数は比較的
少ないのです。普通は、自我意識が奥の方に残存しますが、これはちっとも統一の
妨害にはなりません。ただここで最も大切なことは、その残存する意識を積極的に
働かせないことで、つまり自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。
第二に 必要なことは、自己の選んだ目標以外の雑念もうそうをできるだけ、はらいのける
ことです。雑念撃退の工夫は人によって異なりますが、どれが一番良いという事は言えません。
普通行われているところを幾つか列挙してみますと、ある単調な音(滝の音、時計のきざむ音など)に
溶け込むように努めること、眼底の色彩の変化に注意を集めること、経文や数学などを心のなかで
くりかえすこと、心眼にある目的物を描き出そうとつとめること、水晶体のようなものを凝視すること、
などです。
第三に必要なことは、静坐中一切の現象に対して、
冷静沈着を保つことです。静座中には、何らかの異常現象が起こりがちですが、初心者が最も
注意しなければならないのは、このときです。中には、極度の恐怖心におそわれたり、バカに
よろこび過ぎたり、有頂天になって大霊覚者を気取ったり、また凝視におそわれ非常に悩んだりしますが、いずれもいけません。私たちは、あくまで冷静に私たちのからだを通じて起って
いる心霊現象の意義、性質、内容、価値などを、学問的に追究し、批判し、もしそれが自分
一人で解決つかなければ、これを知識経験のある先輩にたずねるなりして、万が一にも、
間違わないようにしなければなりません。
最初に、この必要な用意を欠いたために、生涯取り返しつかない誇大妄想家になったり、
精神病者になったりすることが世間には、どんなに多いことでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
<つづく> 再合掌
PS:
「トキ様」へ
■>…云々…自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。<
自我意識…時と致しまして“雑念”が?否応なしに入り込んで来ます事も、多々ありますモノ?
現在「生長の家」での「お祈り…」を致します時…前準備としまして??
やはり“共通項…”がありますかしら〜〜〜ンと?思った次第なので〜〜〜す。
30
:
さくら
:2012/07/06(金) 22:46:39 ID:uSGRBL7.
初心者さま
さくらちゃん・・という言葉が、ほとんど、いじめに感じるくらい、
・・申し訳ないのですが、初心者さまのいうことの全てを、よく、理解ができていません、笑。見当違いのお返事なら、お許し下さい。
現代の宗教と科学の関係が、ジジェクが語るところによると、
「純粋な信仰が「ポジティヴな知」といわれる、根拠の明らかな真理によって脅かされている」状態であるということですね。
・・わたしにとっては、「純粋な信仰」とは、根拠のないものに従う、というより、
「内なる良心の呼び声」にしたがうという、こちらの方が、近い感覚です。
良心というのは、いざというときに普段の自分のそのままを反映する気がします。
普段、良心を麻痺させるような生活や考え方をすれば、良心はどんどん劣化しますし、
普段、良心に恥じない生活や考えをすれば、自分の意志にはあがなえないと思われるほど、強く働くことがあるとおもうのです。
どうしても、そうせざるを得ない、そんな感覚です。
わたしはですが・・信仰を持つことで、自分の意識がある偉大な精神性に繋がると、やはり信じていています。
良心でいえば、信仰を持つことで、普通の社会的良心(常識を守って人に迷惑をかけないなどの基本)から、
信仰の良心、(と自分では呼んでいるのですが)というものにそだっていくのではないか、と感じているんです。
この信仰の良心は、「根拠のない」自信を、わたしに与えてくれることがあります。
「根拠のない」ものの方が、時には強かったり、確かだったりすることが、明らかにあります。
・・これを言っても、たしかに何の根拠もありませんけれど。
でも、根拠がなんだ、っていうくらい、強く確かなことがあるので、仕方ありません、、。
>ジジェクのいう「ポジティヴな知」とは、内なる思いによってではなく、たしかな
根拠によって「真理」を知ろうとする心的な傾向であるということがいえそうです。
初心者さまは、先の発言で、反証不可能なことばでは語りたくない、と書かれていましたが、やはり、相当、「現代人の心性」におかされていますね、笑。
>人類の意識は時代とともに変化します。今という時代の意識とはどのようなもの
であるのか。こうしたことへの洞察が、宗教の側にも求められているということです。
たしかに、真理は変わらなくても、時代による、人類意識の変化は、宗教にとっても課題になり考えていくべき事だとおもいます。
このことに無関心な宗教団体では、社会に対しての貢献度が低くなって当然です。
結局は言葉だけ大きなことを言っても上滑りしてしまい、現実的な対応がなにも実現されない事になってしまいます。
それは、肌感覚が大きいのではないかと思います。論理がいくら正しくつじつまがあっても、
>>24
>>28
横レスになってしまいますが、コリンウィルソンの本にも、悟りとセロトニンの関係が書いてありましたね。
わたしも自己流の瞑想は、危険だと思っています。前に経験があるので、実感していますし・・。
神想観は、他比べても、良心的で安全な瞑想法ですね。
あと、わたしは、自分に没頭する「動的な瞑想」と(自分では呼んでいます)いえるものも、同じように大切だと思っています。こうしたときは、自我の意識を超えて、物事が自然に上手く動いていくことがありますね。
あとで、なんでこんな事ができたのだろうと、びっくりしたりします。
・そういえば、自分の感覚でわかる、イメージできることを人の言葉を借りずに、
自分の思いを伝えようとすると、貧弱になるのはわかります、よく。
31
:
さくら
:2012/07/06(金) 23:06:02 ID:uSGRBL7.
上の文章は、途中で送ってしまってました、すみません。
>それは、肌感覚が大きいのではないかと思います。
論理がいくら正しくつじつまがあっても、何もなしていないか、
結果が裏目にでることは、やはり、意識がずれている結果だと思います。
衰退していくのも、感覚がずれているという、当然の結果だとおもいます。
32
:
Kジロウ
:2012/07/06(金) 23:58:47 ID:VJun9unU
面白いサイトを発見しました!o(^-^)o
生長の家の御教や行と関わりがある事も、ちょいとズレている事もあります!
総裁が喜びそうなネタですが、総裁と逆の意見もあります
↓
脳内麻薬の作り方
http://www.google.com/gwt/x?gl=JP&hl=ja-JP&u=http://light.kakiko.com/sionta/MayakuSakusei.htm&client=ms-kddi-gws-jp&source=sg&q=%E8%84%B3%E5%86%85%E9%BA%BB%E8%96%AC%E3%81%AE%E4%BD%9C%E3%82%8A%E6%96%B9&guid=on
33
:
初心者
:2012/07/07(土) 00:04:16 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
ジジェクは、純粋な信仰を「事実にもとづかない信仰」といっていますね。
極悪非道ともいえる人間にも善性を見ようとする態度を、ジジェクは「純粋な
信仰」と呼んでいるようです。
アンネ・フランクの例をあげて、「彼女はナチスの堕落を目の当たりにして、
『不合理ゆえに我信ず』を地でいくように、どんなに堕落していようとも、
すべての人間の中には善性の神々しい火花があるという確信を書き綴っている」
と述べています。
「ポジティヴな知」が、こうした確信に意味や価値を見いだすことはありません。
どこまでも事実のなかに真理を見いだそうとします。本物の宇宙が事実であれば、
「ボジティヴな知」はそれに人生を賭けることができます。
問題は、事実でないことにたいして、軽々しく確信を得ようとする人たちですね。
こうした人たちを、極限状態に置かれたアンネ・フランクと同列にあつかうことは
できません。
ところでさきほど、マックスウェルの電磁方程式で、過去へと進む波を「遅行波」
と書きましたが、「先進波」が過去へと進む波であるようです。また「遅行波」は
「遅延波」とするのが正しいようです。うろおぼえの記憶で書いてしまいました。
申し訳ありません。どちらにしても、詳しいことはなにも存じ上げておりません。
それと、たとえ真理が不変であったにしても、人類意識が変化すれば、真理との
かかわり方がおのずと変わってくるというのは、たしかですね。いつまでもおなじ
やり方が通用するのかということを、宗教の側はよくよく検証すべきであると
考えます。
34
:
SAKURA
:2012/07/07(土) 01:05:05 ID:j87evcVU
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1797
>>1804
>>1805
>>1861
>>1880
>>1912
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>>1956
>>1959
>>1987
>>1995
投稿の続きです…。
■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――
―――――身体的用意――――
身体的用意で、
第一 に必要なことは、左右の均斉を保つことです。静座する場合でも、いすに座る場所でも
同じです。体格に故障のある人はなるべく、前もってその故障を除いておきます。
第二は、姿勢を直角に保つことです。すなわち胸と脚との屈折を九十度に保ちます。
椅子の場合には、膝の関節が九十度を保つようにします。従っていすは、
なるべく各自適当な高さのものを作るといいです。
第三は、 各部の連鎖を完全にすることです。一人で座る場合には、合掌が望ましいです。
また、物理現象を起こすべく、数人で円座を組織する場合には、各自の手をつなぎ、生気
の交流作用をさかんにするようにします。またいすを用いる場合には、ぜひ両足をそろえて
床につけ、足を組んではいけません。讃美歌を歌ったり、祝詞を皆でとなえたりするのも、
結局は各自の気分を整え、リラックスさせる意味があるのです。
第四は、自然呼吸を行い、眼は軽くつぶり、口は軽くとじること。ある一部の人たちは、
不自然な深呼吸を無理に行いますが、これは結果的に、あまりよくありません。何ごとも
自然の姿に従うことがいちばんです。また、ある人々は半眼を主張しますが、これも不自然
でよくありません。その他、こまかい点を言えばきりがありませんが、大体健全な常識で
判断して頂けばよいのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
<つづく> 再合掌
PS:
次は精神的用意に入って行きますが・・・どうでしょうか???
PPS:
「精神統一と方法」…これは現在「生長の家」での【神想観=瞑想】スタイルと…
似ていますかしら〜〜〜ン!そう言えば??「雅春先生」の言葉の中に…
この“スタイル”が、一番“邪霊…”・“悪霊…”が入りにくいとか?
おっしゃつていましたようなのですが…
従いまして…「精神統一…」のスタイル??多々ありますモノ〜〜ネ!
この事にての“アドバイス”は?「トキ様」頂けますと幸いなのですが〜〜〜!!
35
:
SAKURA
:2012/07/07(土) 01:12:42 ID:j87evcVU
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1797
>>1804
>>1805
>>1861
>>1880
>>1912
>>1945
>>1956
>>1959
>>1987
>>1995
投稿の続きでしたが……
■『新しくボ−ド』が変わりましたので???再度!!拝読されます方々に対しまして、
下記に■ URL ■で“クリック”して下されば、幸いに存じます…。
此の後〜〜〜■「精神的用意」に、文章投稿をさせて頂きます…。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1797
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1804
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1805
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1861
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1880
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1912
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1945
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1956
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1959
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1987
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1995
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
PS:尚!前回の処にて「こんにちは」と記載しましたが…
「こんばんは…」に、此処で訂正させていた抱きます…。御了承の程、よろしくお願いいたします。
再合掌
36
:
SAKURA
:2012/07/07(土) 01:19:52 ID:j87evcVU
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>34
>>35
投稿の続きです…。
■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――
―――――精神的用意―――――
精神的用意としては、・・・・・
第一が 自我意識を全く受身におくことが大切で、これが精神統一の最重要ポイントです。
一部の人たちは、統一の実修の際、全くの無意識状態におちいりますが、その数は比較的
少ないのです。普通は、自我意識が奥の方に残存しますが、これはちっとも統一の
妨害にはなりません。ただここで最も大切なことは、その残存する意識を積極的に
働かせないことで、つまり自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。
第二に 必要なことは、自己の選んだ目標以外の雑念もうそうをできるだけ、はらいのける
ことです。雑念撃退の工夫は人によって異なりますが、どれが一番良いという事は言えません。
普通行われているところを幾つか列挙してみますと、ある単調な音(滝の音、時計のきざむ音など)に
溶け込むように努めること、眼底の色彩の変化に注意を集めること、経文や数学などを心のなかで
くりかえすこと、心眼にある目的物を描き出そうとつとめること、水晶体のようなものを凝視すること、
などです。
第三に必要なことは、静坐中一切の現象に対して、
冷静沈着を保つことです。静座中には、何らかの異常現象が起こりがちですが、初心者が最も
注意しなければならないのは、このときです。中には、極度の恐怖心におそわれたり、バカに
よろこび過ぎたり、有頂天になって大霊覚者を気取ったり、また凝視におそわれ非常に悩んだりしますが、いずれもいけません。私たちは、あくまで冷静に私たちのからだを通じて起って
いる心霊現象の意義、性質、内容、価値などを、学問的に追究し、批判し、もしそれが自分
一人で解決つかなければ、これを知識経験のある先輩にたずねるなりして、万が一にも、
間違わないようにしなければなりません。
最初に、この必要な用意を欠いたために、生涯取り返しつかない誇大妄想家になったり、
精神病者になったりすることが世間には、どんなに多いことでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
<つづく> 再合掌
PS:
「トキ様」へ
■>…云々…自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。<
自我意識…時と致しまして“雑念”が?否応なしに入り込んで来ます事も、多々ありますモノ?
現在「生長の家」での「お祈り…」を致します時…前準備としまして??
やはり“共通項…”がありますかしら〜〜〜ンと?思った次第なので〜〜〜す。
37
:
観覧車
:2012/07/07(土) 09:31:35 ID:???
アワダ様のPJでの書き込み、お二人のコメントもアップさせていただきます。
「新編 生命の實相」を手にして思うこと
登録日:2012/07/05 23:16 (GMT+09:00) / カテゴリ:よろこび日記
登録者:アワダさん
新編 生命の実相をamazonで購入して、手元に届いた。新しい生命の実相。大きな活字。読みやすいように工夫が随処に見られ、編集された方々の愛情がよく分かる作りになっている。この愛のこもった本を見るにつけ思う。何故に社会事業団と原宿本部で裁判をしなければならないのか。何故に「大調和の神示」が聖経の最初に書かれているのに教団内部で醜い争いをしなければならないのか。誰の心の影だ。俺なのか?生長の家は決してもう全てを抱擁した教えとは言えなくなってしまった。「宗教家よ宗派争いをしてる場合ではない」と言っていたのに、内部で揉めまくり。教団の幹部達は信徒に対して恥ずかしくも申し訳なくもないのだろうか?どの書を読んでも相手の悪いところ矛盾しているところは指摘しても信徒に対する謝罪はない。普通なら「こんな裁判を起こして信徒の皆さんにご迷惑をおかけしています。」とか何とか言いそうなものだが、全く見当たらない。相手が悪いの一点張り。どの顔で明るく「ありがとうございます」と言っているのだろうか? どこで道を間違えたのか?道を間違った責任は誰がとるのか? 全く末法の世だ。 「谷口雅春を学ぶ会」にしろ「愛国 生長の家」にしろ掲示板を見てみろ! 罵詈雑言の雨あられだ。どこが「良い言葉」なのか? どこが「光明面」なのだ?
もう組織はお終いだろう。「組織」も「現象」で「ナイ」ものなのだ。裏を返せば、無いモノだから、現象的には何でもありだ。悲しい悟りだ。結局、救われるのは実相においてのみであり、現象では救われないのが結論なのか?
****************以下コメントです***************
●おばちゃんさん
2012/07/06 07:02 (GMT+09:00)
ありがとうございます。
私も昨年の暮に、毎月会費をお世話をしていただいている方より、
「今年いっぱいで、お世話を辞めさせていただきます。」
っと言って、長々と悪口を聞かされ、会費を持って帰りました。
困ったものだと思って、近所にいる知り合いに相談しましたら、
隣町にいるお姉さんを紹介していただいて、無事会費を納めることが
出来ました。こんなことって、他でもあると思います。
私は、たまたまいい方との出会いがありましたけど、
信徒の事は・・・・と思いました(*^_^*)
●団塊の元気さん
2012/07/05 23:29 (GMT+09:00)
かつての友が、悪態をついて出ていきました。でも、私は、それらの人をも、
神性を見ることで、行ってらっしゃい、と。
でも、話を聞くと、もはやシンリから反れて、我流に。
大聖師らをも、コテンパンに。これでは、本物とは言えず。
でも、このようなことは、親鸞聖人と法然の時代にも、誤解がありました。
シンリは不変。姿形に見えないだけに、誤解されやすい。
いつのときにも。とにかく、振り惑わされぬよう、祈り、神想観を続ける本物を。
****************コメント終わり***************
現教団を辞めていかれる方は、悪口を言わないほうがいいと思いました。
>かつての友が、悪態をついて出ていきました。
というコメントについて、シンリを知っておられるわりにはショッキングなお言葉だと思いました。
38
:
初心者
:2012/07/07(土) 12:16:36 ID:TfQ0e6RA
「神想観」は、シュタイナーのいうイマギナツィオンの行に似ているような
気がいたします。イマギナツィオンは、「神想観」と「進化した日時計主義」を
組み合わせたような行ともいえそうです(「日時計主義」じたいは無意味で
あると考えます。このことは、2、3年前にも、「初心者」のHNで、生長の家関連の
ブログか掲示板のどちらかに書き込んだことがあります)。
イマギナツィオンは、エーテル体に関係する行でもあるようです。エーテル体
は、通常は物質世界と結びついておりますので、物質的な体験にどうしても
引きつけられてしまうようです。物質世界に引きつけられてしまいがちなエーテル
体に霊的な体験をさせるというのがイマギナツィオンの目的ではないかと考えます。
イマギナツィオンの行を積み重ねることで、エーテル体が物質世界と結びつい
ていたときには体験できなかった、超現実的ともいえる霊的世界を、霊的自我が、
エーテル体の助けを借りて体験できるようになり、それまでとはちがった「第2の
現実」に目覚めるという現象が起きてくるようです。
ところがシュタイナーは、イマギナツィオンの行によって得られた霊的世界の体験
はすべて消し去らねばならないといっていますね。せっかく手にした体験をすべて
捨て去ったときに、霊的世界からの啓示がはじめて得られるということを、
シュタイナーはいっているようなのです。
イマギナツィオンを捨て去ることで得られる体験を、シュタイナーはインスピラツィ
オンと呼んでいるようです。シュタイナーによれば、インスピラツィオンとは、宇宙
意識を体験することでもあったといいます。宇宙意識の体験は、イマギナツィオン
の行を納め、それを解き放つことによって得られるというのがシュタイナーの
考え方であったようです。
イマギナツィオンとインスピラツィオンの体験を経て最終的に得られる体験、これを
シュタイナーは「宇宙自我との一体化の体験」と捉えていたようです。
ただここで問題となるのがアストラル体です。アストラル体は、その名のとおり、
はるか彼方の天体によってさえも影響を受けてしまうといわれるほどに、きわめて
不安定な存在なのですね。このアストラル体が、「宇宙自我との一体化」という
強烈な体験に耐えられるのかということが問題になってきます。耐えられなけ
れば、「プシコーゼ」とユングが呼んだ精神の異常を抱え込むことにもなりかね
ません。
こうした状況を回避するには、アストラル体を宇宙自我の受け皿にふさわしい
状態に保っておく必要があるとシュタイナーは考えました。そのために必要とされ
たのが、女性原理としてのソフィアであったのです。アストラル体にソフィアの働きを
持たせる必要がある、シュタイナーはおそらくこのように考えたのでしょう。その
ための方法としてシュタイナーが勧めるのが「畏敬の行」と呼ばれるものです。
「畏敬の行」にかんしては、『超感覚的世界の認識をいかにして獲得するか』で詳し
く述べられていますが、残念ながら同書はいま手元になく、参照不可能な状況と
なっております。
39
:
質問者
:2012/07/07(土) 12:28:06 ID:/3nxKE2Q
初心者様
ご回答有難うございます。
今後はセロトニンについて勉強したいと思います。
有難うございました。
40
:
観覧車
:2012/07/07(土) 12:35:56 ID:???
本流宣言掲示板に霊界からのメッセージが届きましたね。
*********以下抜粋させていただきます*********
純子も白鳩総裁には相応しい魂の持ち主ではないのじゃ、
過去は無いといえども嘘つきで世間体や地位や体裁ばかりを
意識している幼き魂で霊界なぞさほど信じてはおらんぞ、
雅宣とは似たもの夫婦なのじゃ、
そんな幼い魂にこの宇宙の家(生長の家)を任せるわけには
いかぬのじゃ!!
四代目なぞ期待していては、もっと駄目の皮じゃ、
今以上に駄目になる可能性は高いであろう、
霊界の高級霊団は今誰を真総裁にしたら善いかを考えている、
名前が上っているいるのは、やはり身内だが・・・
雅宣の実姉長女佳代子の長男光靖とやらの名があがっているが、
今のところ一番青年会活動の経験もあり頭脳明晰で心身ともに
善しとされているでのう・・・
地上の生長の家の心ある幹部達の実相顕現と
真の生長の家奪還運動を起こされんことを期待し、
霊界から応援しているぞ、
*********抜粋終わり********
これを読むと、いつかは雅宣現総裁も純子現白鳩総裁も
生長の家からお引越しされることになりそうですね。
ちょっと安心しました。
41
:
初心者
:2012/07/07(土) 13:03:57 ID:TfQ0e6RA
「日時計主義」を無意味と考える理由。
「日時計主義」はたんなる「表象」の問題でしかありません。まったくの
無意味と考えます。
42
:
Kジロウ
:2012/07/07(土) 14:37:29 ID:VJun9unU
中国バレーボールチームが自国開催の為に、肉食が出来ずに敗退
実に考えさせられる
テーマです!
千日ブログ 〜雑学とニュース〜 ベジタリアンのアスリートの方が優秀説と中国バレーの敗退
http://1000nichi.blog73.fc2.com/?mode=m&no=1932&cr=94fc5deeaa26feaf78e2f43d6f7d58da
さて、かつての日本では、仏教の教えで
『殺生』を禁止しておりましたが
ウサギを1羽、2羽…と数え、鳥の仲間だから『殺生』はしてない
クジラは、海にいて、脚がないから魚の仲間
また、皇室においては伝統行事として、
『猪狩り』を続けておりました。(仏教の教えでは殺生)
又、猪肉を
『山クジラ』という方便表記にしておりました
人類は、馬や牛、猿の様に植物だけを食べて、動物性たんぱく質に替える腸内細菌はありません
(※例外として、アフリカ原住民で一部の種族にはあります)
自然と身体に必要な食べ物を選んでいるのだと思われます!
43
:
志恩
:2012/07/07(土) 15:18:26 ID:.QY5jUA6
〜シュナイターの超感覚的認識に関する考察〜
シュナイターのことば
「イマギナツィオン」ー準備段階にあたり、意識を研ぎすますことにより心性(魂)の領域を知覚する「霊視的認識」をいう。
「インスピラツィオン」ー「悟りを開く」段階。
そして、最高の段階が
「イントゥイツィオン」ー(霊的合一)。より高次の霊的(精神的)世界の本質を認識できるという。
このようにして得た、日常的の経験的世界の認識と異なる 「高次の霊的認」であり、そして、「超感覚的認識」は、本来の言葉で表現し得ない次元の内容であるが、
東洋の思想の無分節のゼロ・ポイントと対応すると考えることは不自然ではないと思われる。
人は完全に高次の真理内容と1つにならねばならない。単にそれを知るだけでなく、飲んだり食べたりするのと、同じ生きた行為の中で、まったく自然に
血肉化しなければならない。
真理内容そのものが行となり、習慣となり、性向とならなければならない。
その内容が、人間そのものとして表現され、身体の循環機能のように、人間の中を流れていなければならない。
このように、シュナイターは「超感覚的認識」を完全に内面化しなければならないという。
それは、超越的な意識の世界に隠遁(いんとん)するのではなく、むしろ、超越的な視座を保ちつつ、しかも同時に、世俗に生きることを説くものである。
44
:
志恩
:2012/07/07(土) 15:20:23 ID:.QY5jUA6
×高次の霊的認
○高次の霊的認識
45
:
志恩
:2012/07/07(土) 15:53:51 ID:.QY5jUA6
シュナイターは、1910.6.17に、オスロで語った。
〜「霊学」について〜
霊学とは、私たち自身の中で生きながら、しかも、私たちのためではなく、
すべての人のために生きること。そのことが、真の霊学的寛容なのです。
〜「現代科学と霊学」について〜
霊学は、普遍的な性格を持っている。
数学は、近代にいたって大変な進歩を遂げましたが、少なくとも、その精神のありように関しては、
古代以来変化していないのです。
近代科学は、ここ数十年の間、大発見をし続けてきました。そのことを霊学の光の下で見てみますと、
霊学の解釈は、それらの発見とぴったり一致していますが、今日まで構築されてきた科学理論は、数十年来知られるように
なった諸事実と一致していないことがわかるのです。
唯物論という一面的な観点から、繰り返して同じ誤謬がなされてきているのです。
私が強調したいのは、ここ数年間に物理・化学がなしとげた業績が示しているように、物質は、人間の単なる表象にすぎず、
実験の下では崩壊してしまう。
すべての運動、すべてのエネルギーを超えて、物理・化学は,今,物質が、その基礎に存する霊的作用に直面しつつある。
ということなのです。
今日の物理・化学の事実世界は、すでに霊的な基礎を求めるところまで来ているのです。
私が,今述べたような諸事実を示唆しようと思ったのは、科学理論とは別のところでも、外的感覚的な事実世界を霊的なものに
導き入れようとする必要が、いたるところにあらわれている、と、言いたかったからなのです。
とはいえ、現代の科学によって世界の全体像が提供されている限りは、そこからの一種の諦めをぬぐいさることはできません。
哲学の分野にも、この諦めを見ることができるのです。今日、アメリカのウィリアム・ジェームスやイギリスのF・C・シラーなどの
影響の下に、一つの注目すべき理論が通用しています。
それは、本来、諸事実が、霊を志向しているという事実から生じたものなのです。
46
:
初心者
:2012/07/07(土) 16:19:30 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
なぜみんな、それが「完全なる実相世界」でなければならないと決めつける
のだろう。なぜみんな、それが「人間のレベルをはるかに超えた叡智を持つと
と想定される本物の宇宙」であってはならないと考えるのだろう。
じっさいにも、多くの人たちが本物の宇宙について考えてきた。本物の宇宙とは
こんなものだろうと考えてきた。もちろん、その考えがちがっていることもある。
ちがっていれば直せばよい。それがどんなものであるかというのは、たしかに重要
な問題ではあっても、本当に重要なのは、本物の宇宙はまちがいなく存在すると
いう事実なのだから。
アラン・ワッツの『タブーの書』が戻ってきた。久しぶりにページを開いた。「孤独だと
か、宇宙のかりそめの過客であるというこの感情は、人に関するあらゆる科学の
あらゆる認識と完全に矛盾するものだ。わたしたちはこの世界に生まれ落ちた
のではない。私たちは、樹から木の葉が萌え出るように、そのなかから出てきた
のだ。大洋が波打つように、宇宙は生起する。どんな個人も、自然界全体のひとつ
の表現、全宇宙のユニークなふるまいだ」とワッツは熱っぽく語ってくれている。
訳者あとがきに、「(ワッツは)組織に属することを拒み、快楽を愛し、酒を飲み、
LSDで神秘体験を味わった」とある。一方にとどまるのではなく、闇と光のあいだ
を往来する。「イロニー」のこうした考え方を、ワッツは身をもって実践していた。
『タブーの書』が書かれたのは、1966年、フラワームーブメントの全盛期だそうだ。
フラワームーブメントといえば、スコット・マッケジーが『花のサンフランシスコ』で
歌った、あの世界だ。あたしは知らないけれども、ビートニクスよりも少し遅れて
やってきて、フラワージェネレーションと呼ばれるようになった若者たちが、「反戦」
を旗印に既存の価値観の破壊をはじめたあの時代に、『タブーの書』は書かれた。
あとがきには、「現代科学が明らかにしつつある、ひとつの全体の一部なのだ、
という宇宙像」とある。「木から葉が生じるように、私たちは宇宙から生じ、宇宙
と不可分に結びついている」とある。
「現代科学」といったところで、これはずいぶんと古い「現代科学」にはちがい
ない。なんといっても『タブーの書』は、フラワームーブメントの時代に書かれた
のだから。
それでもあとにつづく台詞がいい。「雨のしずくが海に落ちて雲となり、ふたたび
雨のしずくとなるように、あらわれては消えていく。そこにはとくに意味などない。
〈それ〉を楽しんでいる〈それ〉があるだけだ」。
ワッツはタオイストであったと記憶している。それがそれをなしているだけ。
たぶんこれが真実なのだ。
それからひと言。ワッツは「私たちが、今日知るに至った宇宙や、習ったことの
多くが卒業式の当日にはすでに時代遅れになってしまうほど激変してゆく
人間世界」と、現代という時代を楽しく揶揄してくれている。これは「変わらなく
てもいい」という話ではない。それがそれをなすにも、時代の作法があるって
ことだ。今の時代に、フラワームーブメントはけっして流行りはしないってことだ。
47
:
初心者
:2012/07/07(土) 21:28:11 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
コリン・ウィルソンは、『フランケンシュタインの城』で、「右脳の仕事は意味を伝える
ことなのだ」といってるんだけど、これはたしかに本当だろう。ウィルソンによれば、
右脳は、ほっておけば、際限もなく意味を供給しつづける。こうした事態を防ぐ
のが、左脳を中心にした治安維持部隊というのがウィルソンの考え方であるように
もおもえるのだけど、なんらかの理由で治安維持部隊の活動が弱まると、右脳から
の、とどまることを知らぬ意味の供給がはじまるってことを、ウィルソンは言って
るようにもおもえる。
こうした供給が限度を超えてなされることで、世界は意味に満たされ、あの、至高
体験をさえも突き抜けたとおもわれんばかりの、極上の世界へのトリップがはじま
り、日常生活とはしばしのおさらばとなる。ウィルソンが言うように、「すべての人が
右脳意識の状態で平安にその日暮らしを送ろうものなら、文明は崩壊する」に
きまってる。
文明の恩恵を享受したいのであれば、「右脳意識で平安にその日暮らしを送る」と
いう自然状態には、いまさら戻れないってこと。結論として、治安維持部隊の活動
はどうしても必要ってことになるんだけど、部隊の力があまりに強まってしまうと、
意味の供給が途絶えて人生から意味の感覚が消え去る。「人生は虚しい」ってこと
になる。
ではどうすればいいのだ、って話。このことについて、ウィルソンはなんて言って
るんだろう。治安維持部隊の活動を適正にたもてればいいのだろうけど、それが
できないから、人は「幸せいっぱい」か「人生は虚しい」のどちらかの世界に投げ
込まれる。
「心が開かれているときだけ世界は美しい」といった人がいる。たしかに、見なれた
風景を美しいと感じる瞬間はある。この瞬間は、たいていは、大きな悩みから解放
されたときにやってくる。
問題は、世界はなぜ美しく感じられたのかということだ。考えられる答えは、世界は
美しいということだ。ふだんはそうした世界を見ることはできないが、世界はある
がままに美しいのだ。そうした美しさを、特別な瞬間にだけ見ることができるって
ことだ。ウィルソンが問題にするのは、どうすれば、特別な瞬間にではなく、気が
向いたときに、いつでもどこでも、どんなときにでも、そうした美しき世界を見る
ことができるのかってこと。
右脳意識が優勢であれば、内なる世界はあまりにも美しく感じられる。世界が
美しくなければ、この美しき内的世界にくらべて、外の世界のなんと穢きことかと、
人はついつい厭世的な気分へと誘われてしまう。
ウィルソンが問題にしたのはこのことだ。内なる世界の美しさにばかりひたって
いると、人は外の世界の穢さに耐えられなくなる。このことをウィルソンは問題にした。
解決策はある。内も外も美しければよいということだ。外の世界を、気が向けば、
いつでもどこにいても美しいと感じられるのであれば、内なる世界の美しさに
人は耐えられる。
ウィルソンは、外の世界を美しいと感じられる「至高体験」は、いつでもどこでも
実現できると考えていたはずだ。しかもウィルソンは、こうした事態を実現できる
のは、右脳ではなく左脳と考えていたふしがある。左脳がこの能力をはばまれる
のは、治安の維持をその他の部隊に左脳がまかせっきりにするからだとも、たぶん
このように考えていた。治安の維持を常時その支配下においておくという努力を
左脳が怠らずつづけるかぎりにおいて、左脳はその能力を開花させることが
できるとも、たぶんこのように考えていた。
左脳よ、覚醒せよ!
ウィルソンが望んでいたのは、おそらくこのことだ。左脳が覚醒したときに何が
起きるのか。左脳の覚醒は、「幸せいっぱい」と「人生は虚しい」のあいだをさま
よいつづける人類を、はたして救えるのか。左脳の覚醒という、人類にとって
前代未聞ともいえる大イベントを、たぶんウィルソンは企画している。
48
:
SAKURA
:2012/07/07(土) 22:40:38 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26
>>27
投稿の続きです…。
■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――
―――――精神的用意―――――
精神的用意としては、・・・・・
第一が 自我意識を全く受身におくことが大切で、これが精神統一の最重要ポイントです。
一部の人たちは、統一の実修の際、全くの無意識状態におちいりますが、その数は比較的
少ないのです。普通は、自我意識が奥の方に残存しますが、これはちっとも統一の
妨害にはなりません。ただここで最も大切なことは、その残存する意識を積極的に
働かせないことで、つまり自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。
第二に 必要なことは、自己の選んだ目標以外の雑念もうそうをできるだけ、はらいのける
ことです。雑念撃退の工夫は人によって異なりますが、どれが一番良いという事は言えません。
普通行われているところを幾つか列挙してみますと、ある単調な音(滝の音、時計のきざむ音など)に
溶け込むように努めること、眼底の色彩の変化に注意を集めること、経文や数学などを心のなかで
くりかえすこと、心眼にある目的物を描き出そうとつとめること、水晶体のようなものを凝視すること、
などです。
第三に必要なことは、静坐中一切の現象に対して、
冷静沈着を保つことです。静座中には、何らかの異常現象が起こりがちですが、初心者が最も
注意しなければならないのは、このときです。中には、極度の恐怖心におそわれたり、バカに
よろこび過ぎたり、有頂天になって大霊覚者を気取ったり、また凝視におそわれ非常に悩んだり
しますが、いずれもいけません。私たちは、あくまで冷静に私たちのからだを通じて起って
いる心霊現象の意義、性質、内容、価値などを、学問的に追究し、批判し、もしそれが自分
一人で解決つかなければ、これを知識経験のある先輩にたずねるなりして、万が一にも、
間違わないようにしなければなりません。
最初に、この必要な用意を欠いたために、生涯取り返しつかない誇大妄想家になったり、
精神病者になったりすることが世間には、どんなに多いことでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
<つづく> 再合掌
PS:
「トキ様」へ
■>…云々…自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。<
自我意識…時と致しまして“雑念”が?否応なしに入り込んで来ます事も、多々ありますモノ?
現在「生長の家」での「お祈り…」を致します時…前準備としまして??
やはり“共通項…”がありますかしら〜〜〜ンと?思った次第なので〜〜〜す。
49
:
さくら
:2012/07/08(日) 00:31:45 ID:vxm3Yqkc
初心者さま
・・えっと、
さくら、なにを答えたら、よいんですか、これ、笑。
先日、大好きな、バンドのライブに行ってきて、ずっと、あたまから、
その曲が離れないんです、
しかもですよ、そのバンドのメンバーの一人が、さくらのこと、覚えててくれて、
これがここのところ、思い出すたび舞い上がってしまい、・・
だから、初心者さまの言葉も、なかなか頭の中に、入ってこなくて、ごめんなさい、・・微笑。
つまり、さくらの名を使って、初心者さまが、言いたいことを言ってるのですね、笑。
ところで、初心者さまは、まず、「純粋な信仰」を軽視、あるいは軽蔑されておられるように感じられますが、違いますか。
わたしは、「ポジティヴな知」も尊重しますが、
それと共に、時には、それ以上に、「純粋な信仰」というものを、尊重しています。
>問題は、事実でないことにたいして、軽々しく確信を得ようとする人たちですね。
こうした人たちを、極限状態に置かれたアンネ・フランクと同列にあつかうことは
できません。
ただ、初心者さまがこのように書いておられることも、良く解ります。
純粋な信仰というものは、もっとも、真摯な姿勢を必要とするものだと思っていますし、ほんとうは、そう簡単に、言葉で語ろうとすることも出来ないものだとかんじます。
ただ、それは、反証不可能であっても、あがないようもない想いとして、あるということです。
でも、自分の中に確かにあるとわたしがいくら言葉を尽くして語ったとしても、
残念ながら、初心者さまとは、共有できませんね・・
信仰は、わたしと、神との間のこと、だからです。わたしの道はわたしが歩いたときだけ、出来るものですので。
初心者さまには、初心者さまが感じられる、真理の世界があるようです。
50
:
さくら
:2012/07/08(日) 00:32:29 ID:vxm3Yqkc
初心者さま
>いつまでもおなじやり方が通用するのかということを、宗教の側はよくよく検証すべきであると考えます。
初心者さまは、時代とともに変わる宗教の形は、どのようにあるべきだと思いますか?
>>38
>こうした状況を回避するには、アストラル体を宇宙自我の受け皿にふさわしい
状態に保っておく必要があるとシュタイナーは考えました。そのために必要とされ
たのが、女性原理としてのソフィアであったのです。アストラル体にソフィアの働きを
持たせる必要がある、シュタイナーはおそらくこのように考えたのでしょう。その
ための方法としてシュタイナーが勧めるのが「畏敬の行」と呼ばれるものです。
「畏敬の行」にかんしては、『超感覚的世界の認識をいかにして獲得するか』で詳し
く述べられていますが、残念ながら同書はいま手元になく、参照不可能な状況と
なっております。
人間に、ソフィアの働きを持たせるのは、「畏敬の行」とシュタイナーは言っているのですね。、やっぱりそうなのですね。
では、古来からの森が育んできた自然霊への信仰は、ソフィアの働きだったといえますか?
・・それにしても、まず、女性原理としてのソフィアの働きって、なんですか?
>「人間のレベルをはるかに超えた叡智を持つとと想定される本物の宇宙」
先日、訊け商業さまとのやりとりの中で、訊け商業さまから、「これは倉田百三の寂光論ではないか」という問いかけがあったとおもうのですが、わたしも、近いものを感じたのですが・・この辺はどうでしょう。
さくらにウィルソンを語ってくださるのは、
さくらに、内なる美しさと、外の世界を美しいと感じられる「至高体験」を
感じさせてくださるということですか、笑。
では、いじわるばかりしないで、笑、
もっと単純に、このことをさくらにも感じさせてください、。
初心者さまのコメントを読んでばかりで、ウィルソンの本が疎かになっております、微笑。
初心者さまのところは、今日は雨でしたか?
・・七夕って、毎年、雨ですね。
おやすみなさい。
51
:
さくら
:2012/07/08(日) 00:42:07 ID:vxm3Yqkc
初心者さま
>初心者さまは、時代とともに変わる宗教の形は、どのようにあるべきだと思いますか?
曖昧な聞き方でしたね。
ほんとうは、生長の家の活動は、どう変わった方がよいと思うのか、、
初心者さまのお考えをお聞きしたいと思いました。
ちなみに、わたしは、生政連の活動の復活には反対です。
政治活動が有志で独立してあるのはよいですが、生長の家として活動するのは、あり得ないと思っています。
これからの時代にはもうないだろうとは思いますが、望む声があるようなら、反対します。
かといって、環境問題偏狭な活動も、ありえませんが。
これから、さくらは、お風呂です・・
こんどこそ、おやすみなさい。
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