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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

2581a hope:2015/03/04(水) 09:15:07 ID:cEpBaIdo

信念をたかめるためには

人は信ずる通りのものとなり、信ずる通りにその事業はなるのである。
信仰は勝利への第一要素である。
ではこのすばらしい信仰、信念を如何にしたらたかめることがでいるのかといえば、
毎日毎日繰返し繰返し次のごとく思念することである。

        ○

「われは神と偕(とも)に何事でになすがゆえに、
自分はいかなる事態に処しても過ちなく物事を処理することができるのである。
わが内より神の智慧は湧き出でるのである。
神はわが内に宿りたまいて、内より自分を助けてい給うのである。
われは神想観中に必ず神の導きの声をきくのである」

        ○

「神の愛、常に吾をとりまきて護り給い、神の智慧常に吾を導き給うて栄えの道に進め給う」


私はこうして祈る ――人と時と場合に応じた祈り―― 谷口雅春先生著 (日本教文社)

2583a hope:2015/03/06(金) 10:52:37 ID:cEpBaIdo

疲労しないための祈り

肉体という皮袋を使用しているところの五官的自我は、あらゆるときにおいて、疲労という問題で悩まされるのである。
しかし、この疲れるということの解消のためには「人間は働けば疲れる」という考え方が
「人間は、どんなに働いても疲れないものである」という「考え方」におきかわらねばならないのである。
この「考え」が信念にまでならなければならないのである。
この信念を得るためには、常時、繰返しくりかえし、次の如く祈らねばならない。


「神は無限力であり、自分は神の子である。
今、神の無限力が、とうとうと流れ入って、自分は無限の精力を回復しつつある。
神が自分を通して、仕事をしたまうのであるから、けっして疲れることはないのである」


私はこうして祈る ――人と時と場合に応じた祈り―― 谷口雅春先生著 (日本教文社)

2584a hope:2015/03/13(金) 07:27:50 ID:cEpBaIdo

悦び無限の祈り

神はこの世界を、歓びの心をもっておつくりになりました。
太陽も月も星もことごとく、神の悦びの感情の表現であります。
神の悦びの最高のきわまりの時に、人間は生まれたのであります。
それゆえ、私は常に悦びの感情に満たされております。

私は何を見ても神の悦びの芸術に見え、何を見ても神の悦びの言葉にきこえるのです。
悦びは悦びを呼び、毎日私の悦びはふえるばかりであります。
ありがとうございます。

ジュニア 「希望の祈り」――毎日の進歩のために―― 谷口雅春先生著 (日本教文社)

2586a hope:2015/03/24(火) 07:00:52 ID:cEpBaIdo

神の愛を受ける祈り

神さま、あなたは無限の愛であります。
愛は人の幸福を祈る心であります。
人の幸福を心で祈り、人が幸福になるように何かの助けをしてあげるのが〝愛〝 であります。
それを実行したとき、その人の心は神さまの愛と波長が合うのであります。

だから私は毎日一回必ず人の助けになることをいたします。
それゆえに私は神さまに愛されます。
ありがとうございます。

ジュニア 「希望の祈り」――毎日の進歩のために―― 谷口雅春先生著 (日本教文社)

2589a hope:2015/03/26(木) 06:59:44 ID:cEpBaIdo

失望しない祈り

私は木の生長を見るときに、私もまた木のようにのびなければならないと思うのだ。
木は寒いときに葉を落としてじっと縮かんでいるように見えるときにもけっして失望して働きをやめていない。
春が来たときに新しい緑の芽を吹き、美しい花を咲かせるために着々と準備しているのである。
私もまた木のようにどんな困難にあっても静かに準備して、必ずいっそう美しい花を咲かせる時が来るのである。
ありがとうございます。

ジュニア 「希望の祈り」――毎日の進歩のために―― 谷口雅春先生著 (日本教文社)

2590a hope:2015/04/15(水) 08:54:55 ID:cEpBaIdo

神を讃える祈り

神さま、ありがとうございます。
花が咲いております。
花のいのちは神さまから来たのでございます。
鳥が啼いております。
鳥のいのちは神さまから来たのでございます。
雨あがりの青空はすみきって空気はスガスガしうございます。
あの青空のように私の心をすみきらせて下さいませ。
私のいのちを花のように美しく生かしてください。
私はいま鳥のごとくよろこびの歌を歌って神さまをほめ讃えます。
ありがとうございます。

ジュニア 「希望の祈り」――毎日の進歩のために―― 谷口雅春先生著(日本教文社)

2591トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/09(土) 21:48:59 ID:rFzDYMW2
 みすまるの珠に、榎本恵吾先生の記事が掲載されています。

http://misumaru.o.oo7.jp

 どうして生長の家が内部紛争に至ったか、という点でたいへん
的確な説明をされていると思います。

2593トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/13(水) 22:11:46 ID:2dNuIyGk
 みすまるの珠に榎本先生のご著書「弟子像」の一部が紹介されています。

http://misumaru.o.oo7.jp

 この弟子像は、榎本先生の晩年の作品ですが、持っている人は少ないと
言われています。生長の家宇治別格本山で研修生をして榎本先生の指導を
受けた人でも、心境の程度により、お願いをしても、もらえなかったとい
う人も多いです。

 著作権の問題もあり、一般の方々への販売は難しいのですが、榎本先生
のご著書は信仰という観点から考えると、本当は広く販売されるのが理想
かと思います。特に、弟子像は、一連の教団の内紛について、かなり説得力
のある教示をしています。

 その観点から、今後の「みすまるの珠」で「弟子像」が紹介されるのを
楽しみにしております。

2596縹さん:2015/05/14(木) 00:50:48 ID:kEnG6jMo
>>元気が無く、投稿の継続が困難となっています
>>私の方が力尽きてしまい

大東亜戦争で満州の広野に、ヒルマの奥地に、南洋の海に散った護国の英霊は、死ぬまで元気に力を出し続けたのです。

あなたの鎮護国家は怪しいものですね。平時に机上の論を述べるのでなく、一旦緩急あればの心を持たれてからにしてください。

2597トキ:2015/05/28(木) 19:45:37 ID:qG1P8VuI
みすまるの珠

http://misumaru.o.oo7.jp

 生命の実相を中心にしなかったことが遠因となり、教団がおかしくなったという
点は私も心当たりがあります。教団が大きくなり、また財政的に豊かになると、ど
うも、信仰というよりも、就職という感じで職員になった人もいました。中には、
「ほかの職場では使い物にならないので、御慈悲ですから、教化部の職員に雇って
あげてください。」と言いに来る人もいました。

 そういう人も長くいると、管理職になったりします。

 大きくなったことは嬉しいことですが、反面、弊害もあったということかと
思います。

2598a hope:2015/07/06(月) 08:57:23 ID:cEpBaIdo

ーー生長の家 創刊号 よりーー


『生長の家』 は讀み捨てにするやうな雑誌ではありません。

どんなに此れが好い雑誌であるかは讀んで御覧になれば判ります。

讀みガラを捨てないで常に座右に置いて下さい。

そして心に暗い影がさして來たら本誌のどの一頁でも宜しいから、開いてお讀み下さい。

あなたの心がそれはそれは輕くなります。

暗い人生観が明るい人生観にかはります。

これを病人に贈れば實に好い慰めともなり見舞ひともなります。

私の書いたものは唯讀むだけでも元氣が出て病氣が輕減することが度々あるさうです。

愛息や愛弟妹に讀ませて頂けば、在來の消極的教育とはちがつた溌刺たる積極的精神が培はれます。

『生長の家』 は一つの家庭に是非一冊はなくてならない雑誌です。

日本國中の家庭が此の雑誌をとつて呉れれば日本國中の家庭が榮えます。

争ひの絶えなかつた家庭が平和の家となり、悲しみの家が喜びの家となり、病人の絶えなかつた家庭が健康の家となり、何事も不如意であつた家が 『生長の家』 となります。

私は日本國中の家庭を樂しい 『生長の家』 とするために全精力と全資金とを此の事業に献げます。

日本を愛する人々よ、知人に此の雑誌を紹介して下さい。

屹度その知人がお喜びになります。

此の人なら讀んで喜んで呉れさうなと思はれる知人があつたら其の人の住所氏名を發行所まで御知らせ下さい。

幾部でも見本誌をお送りします。(生長の家發送部より)

2599a hope:2015/07/06(月) 08:59:55 ID:cEpBaIdo

>>2598 a hope所感)

以前、縹さまがわたしに「生長の家」の創刊号の拝読を奨めてくださり、
『「生長の家」を信仰していく上で、必ず役に立つときがくるから・・・』
というような内容のご助言をいただいたのを思い出しました。

久しぶりに拝読してみると、とても清々しい気持ちになりました。

<<日本國中の家庭が此の雑誌をとつて呉れれば日本國中の家庭が榮えます。>>

当時の「生長の家」が人々の心を明るく光明化することで、
この日本国を光明化していこうとしていたことがわかります。

「生長の家」の信仰の基本がここのあると思いました。

個々の人々の心の光明化なくして、日本国の実相を顕現も、世界平和もありえないと思いました。


ところで、大熊先生のブログで素晴らしいyou-tubeが紹介されていました。

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/13462962.html


ただ、聞き流しているだけで心が浄められ光明化しますよ!

https://www.youtube.com/watch?v=HY7THgLlS5c

2602a hope:2015/07/08(水) 10:40:42 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第1巻 p14 


「生長の家」とわたし

わたしはこの『生長の家』の生き方がどんなに善い生活だかということについては、確信をもっている。

諸方の読者から集まって来る多くの賛辞は、わたしのこの確信がただのウヌぼれでないことを第三者として証拠たてている。

 なかにはわたしを教祖あつかいしてくださる誌友もあるが、わたしは『生長の家』の教祖ではない。

わたしは諸君と共に『生長の家』の教えを聴聞して、ひたすら、その教えのごとく生き行こうと努力する一人の求道者にすぎない。

わたしがまだこの世的な悩みをいく分でも持っているのはわたしの生活がまだ『生長の家』の生き方には完全になり切っていないからである。

むろんこの雑誌の原稿はわたしの手にもったペンにより書かれる。

しかし、ひとたび『生長の家』を書こうとしてわたしがペンをもって机に向かうとき、わたしはもうふだんのわたしではないのである。

霊きたりてわたしを導く。

弱い性質のわたしにはとても書けない強い言葉が流れるように湧いて来る。

第二号の『生長の家の歌』※のごときは自分ながら驚くほど強いことが書けている。

わたしが亀岡にいたとき、わたしが専念、教えのことを書いているのをかたわらで見ていた霊視能力者の加藤氏は、わたしと別な霊人が筆をとっている姿を見たといっていた。

それは信じてよいかどうかは知らない。

しかしもし『生長の家』に教祖というべきものがあるならば、この地上のわたしではないであろう。


およそ宗教的な深さをもったものは、それが教えであると芸術であるとを問わず、その源は霊界にあるのである。

古来から神品(しんぴん)といい神徠(しんらい)といいインスピレーションといったのはこれである。

われわれはすべて霊界および現世の人々からラジオ的に放送されて来る思想波動を感受するところの受信機であるのでる。

しかしJOAKの放送を受けるにはラジオの受信機の調節をJOAKの放送に合せなければならぬであろう。

それと同じくわれらがいっそう高き世界よりくる思想波動に感ずるためには、自分の心をその思想波動に調子を合せねばならぬのである。

ここにわれらは不断に心を清め、心をいっそう高き世界よりの波動に感ずるように訓練しなければならない。

この訓練がたりないとき雑音が混じる。

受けるインスピレーションが不純なものとなる。

もしわたしの書くものに純粋ではない雑音が混じっているならば、それはわたしの罪であって、霊界よりこの地上に『生長の家』運動をはじめた神秘者の罪ではないのである。

2603a hope:2015/07/08(水) 10:44:00 ID:cEpBaIdo

>>2602 a hope所感)

谷口雅春先生は、霊感によって「神の言葉」を感受され、数々の聖典や聖経などを書かれました。

そのことが、上に謹写した『「生長の家」とわたし』にはっきりと書かれています。

そして、当時は、雅春先生が執筆する姿が、霊人と変化するのを何人もの人が霊視されています。

唯神実相を大悟された雅春先生だからこそ、神からのインスピレーションを真っ直ぐに受けることができたのだと思います。


ですが、雅春先生御自身は、

<<なかにはわたしを教祖あつかいしてくださる誌友もあるが、わたしは『生長の家』の教祖ではない。
わたしは諸君と共に『生長の家』の教えを聴聞して、ひたすら、その教えのごとく生き行こうと努力する一人の求道者にすぎない。
わたしがまだこの世的な悩みをいく分でも持っているのはわたしの生活がまだ『生長の家』の生き方には完全になり切っていないからである。>>

と、とても謙虚におっしゃっておられます。

この雅春先生の実相世界の造り主である「神」の前にひれ伏すような謙虚な姿勢こそ、
本当に「唯神実相」を悟っていたという証拠なのではないでしょうか。


もし肉体人間が、その創造主の「教え」を補足しようなどと考えるのであれば、
それは自分を「創造神」以上の存在だと勘違いしていなければできない暴挙だと感じています。

2604a hope:2015/07/08(水) 10:47:38 ID:cEpBaIdo
>>2602 補足(頭注より)

※第二号の『生長の家の歌』・・・現在は『甘露の法雨』として、生長の家の聖経になっている。

2605a hope:2015/07/10(金) 11:07:17 ID:cEpBaIdo

「神 真理を告げ給う」p64 より

              ○

戦争は、ひとりひとりの自己処罰では足りない時に、集団的自己処罰として起る場合と、高級霊が〝自己〝 を滅して〝公け〝 に殉ずるところの自己犠牲の行為を通して、普通の生活状態では到達し得ない急速度の霊魂の浄化を得んがために起こる場合とがあるが、大抵はその二つの原因が重複(ちょうふく)しているのである。

従って戦争には〝低い霊魂〝 が互いに処罰し合う極めて残虐な悲惨な所行が各所で行われるのでるが、また他方には純潔な高級霊が、理想のために、〝公け〝 のために自己を犠牲にして「私」を顧みない崇高な精神の発露が行われるのである。

前者の残虐な悲惨な面だけを説く人もあるが、高潔崇高な自己犠牲の行為を行う〝場〝 として戦場が選ばれたということを看過ごすのは片手落ちである。


第二次世界大戦に於いて、多くの自己処罰が行われたが、多くの〝滅私奉公〝 の尊い犠牲精神で神去りまして高級天体へ移行した夥(おびただ)しい霊魂もあるのである。

戦争はこうして人為と摂理と両方面から起こるのであるから、人間がいくら努力し、警戒して、平和論をとなえても無くなるものではないのである。


大東亜戦争は一方に於いては〝高級霊〝 が最後の滅私奉公の行動を通して、急激に霊魂の地上進化の最後の課程を了(お)えて他の高級天体に移住する契機をつくったのである。

               ○

2606a hope:2015/07/10(金) 11:10:35 ID:cEpBaIdo

>>2605 a hope所感)

以前、本流復活の先輩方が雅宣先生が「大東亜戦争は日本の侵略戦争だった」と発言したと批判されていましたが、
上の「神 真理を告げ給う」の文章を拝読すると、そう言う側面(侵略戦争)も確かにあったのだろうと感じました。

一方、天皇陛下(神)のため、日本国(神国)のため、日本人(神の子)を守るため
又は、アジアの国々の解放のため、
自己の「生きたい」という欲望を滅して体当たりして戦争に臨んで命を落としたたくさんの霊魂にとっては、
それは間違いなく「聖戦」であったのだろうと思います。

『生長の家』が戦没者を英霊として供養するのは、そういう意味があったのだとやっとわかりました。

来月には終戦記念日があります。
今年は心からお祈りができそうです。

2607島津綾久:2015/07/10(金) 16:30:27 ID:???

>>a hopeさん


 その部分はかなり複雑な話になるんですが、総裁説は「戦時国際法から見れば」の、条件付きなのです。

 総裁説では大東亜戦争、意義の部分はあったと御認めなのです。が、戦時国際法からみれば「違反行為である」という・・・・・・・その部分はたしかに、首肯できる内容なのです。それが証拠にあの、〝戦線布告なき開戦前動員〟の真珠湾攻撃に対し、本流派は誰も反論できずにおります。(私が確認してナイだけ?ならば登場されたし)




2608アクエリアン:2015/07/10(金) 20:33:18 ID:bXmMWTIs
>>島津さん

この問題で、現総裁に問われているのは、戦時国際法の解釈の価値観か、宗教的次元の価値観か、どちらの価値観を採るのか、ということなんだと思っています。

当然、「宗教者」、「生長の家法統継承者」として、現総裁は、宗教的次元からの見解を、表明しなければならないし、大東亜民族解放の意義、価値観を採らなければならないとおもいますがね、私は。

ところが、現総裁は、そういうスタンスではないのでは。

あくまでも、戦時国際法の解釈を、第一義的に採っておられますね。

私は、生長の家開祖谷口先生の法統継承者としては、やはり、宗教的次元の価値観を戦時国際法の解釈の上にもってこなければならないのでは、という考える者です。

2609島津綾久:2015/07/10(金) 21:10:34 ID:???

第一義としたのは、本流派なのではないですか。戦時国際法違反を総裁は、第一義にしてますか?

根拠はおありなのでしょうか。

2610島津綾久:2015/07/10(金) 21:18:42 ID:???

歴史を学ぶ態度に関して、「祖国の誇るべき点と同時に恥ずるべき点を学ぶべき」だと思います。なのに、恥ずるべき点を述べている段階でその人は、「それを第一義にしてる」と言えるでしょうか。

ア氏ご展開の論理ならば、それは、雅春先生すらも裁けるものになりましょう。何故と申して雅春先生であれ、聖戦と称されたあの戦いを、きちんと反省すべき点にもご言及なのですからね・・・・・・本流派は、見たくナイものは見ない。

そこが、弱い点です。三島由紀夫だって「私は昭和天皇が嫌いだ」と公言してましたが、本流派は、華麗にスルーでしょ。見たくナイものは見ない・・・弱点だと思いますよ。

2611島津綾久:2015/07/10(金) 21:44:35 ID:???

 アクエリアンさんへ、問題です。

 以下の御文章の執筆者はどなたでしょう?以下の選択肢から選択してください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本の戦意が侵略に因(もとづ)くものと知らないで、亜細亜大陸の民族を救済するために生命を捨てるために自分は征くのだと信じて戦いに行いた将兵も沢山ある。戦争を謀略した一部主謀の階級以外の日本人は、大抵、彼ら主謀者の宣伝に乗せられて、日本人は死んでも大陸全体の亜細亜民族が救われたらそれで好いのだと思って喜んで死地に赴いたのである。(中略)彼らは此の戦争が侵略戦争だったと知らずに死んだのである。彼らは死の刹那にキリストと同じく、『人、愛のために死するは最大の幸福なり』と信じつつ死んだのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1)谷口雅春先生
2)谷口清超先生
3)谷口雅宣現総裁


<参考資料>

○大東亜戦争 その「誇るべき点」と「恥ずるべき点」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65713586.html




2612島津綾久:2015/07/10(金) 21:47:09 ID:???

 あ、選択肢4)に、「辻元清美」も入れておきますか。さて・・・・・・・

 「侵略戦争」なんて単語が堂々と使用されてますが、上記御文章は誰のモノでしょうか・・・・・もうたぶん、トンデモないレベルの左翼にチガイないですよね?(笑)




2613a hope:2015/07/11(土) 00:22:56 ID:cEpBaIdo

>>2607 〜島津さま

わたしは、雅宣先生の「侵略戦争」発言のご文章は実際に拝読してないので、
雅宣先生がどういう意味でその発言をされたのかはよくわかりませんが、
>>2608 でアクエリアンさまがおっしゃりたいことはわたしにはなんとなく理解できますよ。

たとえ、それが、戦時国際法の解釈を第一義としての発言ではなかったにしても、
雅宣先生は、「生長の家総裁」というお立場にたっておられる方なのですから、
もし大東亜戦争を語るのであれば、日本のために自己を犠牲にして「私」を顧みない崇高な精神でなくなった英霊たち
(生長の家の信徒もたくさんおられたと思います)
に対する供養の言葉が先に出なければ、宗教者としてはおかしいと思います。


ですが島津さまのおっしゃるように、本流復活の先輩方の中には、
雅春先生のご発言の中の都合のよいところだけをピックアップして、
雅宣先生をご批判される方もいらっしゃるのも事実だと感じています。


雅春先生も、「此の戦争は侵略戦争だった」とハッキリご発言されていますよね。


現象に起った事実だけを見れば、人それぞれ立場や見方が違うわけですから、
大東亜戦争であっても、ある側面から見れば「聖戦」と見えるでしょうし、
違う側面からみれば「侵略戦争」と見えてしまうのは仕方のないことで、
そのことは、いくら議論しても決着がつく問題ではないと感じています。


ですが、魂の進化の法則(摂理)から考えた場合、その戦争にどういう気持ちで臨んでいたかで簡単に結論がでるのではないでしょうか?

<<従って戦争には〝低い霊魂〝 が互いに処罰し合う極めて残虐な悲惨な所行が各所で行われるのでるが、
また他方には純潔な高級霊が、理想のために、〝公け〝 のために自己を犠牲にして「私」を顧みない崇高な精神の発露が行われるのである。>>

と、「神 真理を告げ給う」>>2605 にある通り、つまり、

『互いに処罰し合う極めて残虐な悲惨な所行』のようなことが行われていたのであればそれは単なる「侵略戦争」だったのでしょうし、
『理想のために、〝公け〝 のために自己を犠牲にして「私」を顧みない崇高な精神の発露』だったのであれば「聖戦」だったといえるのだと思います。

わたしは、当時の「生長の家」の信徒でありながら、戦没された方々にはここで言われている「高級霊」が多かったのではないかと感じています。

2614アクエリアン:2015/07/11(土) 08:34:00 ID:bXmMWTIs
島津さん

コメントありがとうございます。

>>第一義としたのは、本流派なのではないですか。戦時国際法違反を総裁は、第一義にしてますか?

根拠はおありなのでしょうか。<<

根拠ですか。

根拠は、一連の、著作等への意見表明から、ということになりましょうか。

>>歴史を学ぶ態度に関して、「祖国の誇るべき点と同時に恥ずるべき点を学ぶべき」だと思います。なのに、恥ずるべき点を述べている段階でその人は、「それを第一義にしてる」と言えるでしょうか。<<

少なくとも、あの戦争の評価として、大東亜解放戦争という評価を、戦時国際法違反という評価よりも、上位の価値感としては認めない、というスタンスでしょう。


>>ア氏ご展開の論理ならば、それは、雅春先生すらも裁けるものになりましょう。何故と申して雅春先生であれ、聖戦と称されたあ>>そこが、弱い点です。三島由紀夫だって「私は昭和天皇が嫌いだ」と公言してましたが、本流派は、華麗にスルーでしょ。見たくナイものは見ない・・・弱点だと思いますよ。<<の戦いを、きちんと反省すべき点にもご言及なのですからね・・・・・・本流派は、見たくナイものは見ない。<<

勿論、

「歴史を学ぶ態度に関して、「祖国の誇るべき点と同時に恥ずるべき点を学ぶべき」だと思います。」

これは、その通りだと、私も同感です。

ただ、日本人として、重点をどこに置くか、ということが重要ではないかと思いますがね。

さらに、現総裁は、生長の家の総裁なのですから、宗教的次元からの解釈、評価を述べなければならないのに、それが、非常に弱いというか、あるかなきかの状態でしょう。


私への問題として掲載されている文章は雅春先生の御文章でしょう。

雅春先生の大東亜戦争評価に関しては、

広岡勝次氏論文

大東亜戦争と谷口雅春先生 (7)

占領下の神示と大東亜戦争

─「聖戦」「皇軍」といふ言葉をめぐって

http://hikarinoshingun.giri.jp/15-gohou-no-undou/1507daitouasensou-to-masaharusenei/H1603%209senryouka-no-sinji.htm

が、非常に参考になるのではないかと思います。

広岡勝次氏はこの論文において、『碧巌録解釈』からの引用をされていますが、現教団はこの本を絶版にしているのですね。

これは、普通の教団ではあり得ない、考えられないことですね。

というのも、『碧巌録解釈』は、生長の家の教えの総決算ともいうべき書で、これを読まずして、生長の家は語れないという程のものですから。

2615島津綾久:2015/07/11(土) 09:15:59 ID:???
一点だけ述べます。

広岡氏論文ですが「どんな点が参考になる」のでしょうか。貴殿の解説をお願いします。いや、広岡氏論文ですが雅春先生をして、「非常にブレがある」と仰せデス(笑)

はあ、ブレなのですか(笑)私には「バランス」という用語こそが、相応しいと考えますが如何でしょう。こ自分の思想に合わない部分を広岡氏は「雅春先生にはブレが」と仰せですが、貴殿はご賛同なんですか?(笑)

2616フリーダム:2015/07/11(土) 09:59:17 ID:POAzuo8k
低レベルな質問を一つ
スルーOKです

英霊とはどなたの事を指すのでしょうか?
特攻隊にいたけど燃料が足りなくて不時着して帰国後、村八分にされて無念のうちに亡くなられた方は含まれませんよね?

シベリアに抑留されていた為に左翼のレッテルを貼られて正規の仕事にありつけず苦労の末、亡くなった方も資格無しですね

今、生き残っておられる元日本兵の方で戦争の悲惨さを語り伝えられている方が亡くなられたあともダメですね

あくまで戦時中に戦地で亡くなった方のみですね?

2617アクエリアン:2015/07/11(土) 10:38:21 ID:bXmMWTIs
>>2615

解説もなにも、広岡氏論文を素直に読めば学べるところが多くあると思いますが。

「 かやうにして戦後の一時期、雅春先生は「聖戦」を否定し、「皇軍」を否定されるやうになった。冒頭に引用した「大東亜戦争が真に聖戦であったとか、神がはじめた戦争であったとか本当に正しい戦争であったとかいうことは生長の家の教には書いてないのであります」の一文を収めた『我ら日本人として』は昭和三十三年二月初版刊行、右『秘められたる神示』は昭和三十六年十一月初版刊行であるから、終戦直前から少なくともこの頃までの雅春先生は、さういふお考へであつたと見なさねばならない。

けれども、よく考へてみると「迷ひの軍隊」として現象に現れた日本軍は、実相界の秩序たる「皇軍」と同じではないと神示は指摘しているだけで、「聖戦」については何も語つてゐない。「現象」の顕れとしての日本車が「皇軍」の理想に相応しくなかつたからといって、「実相」としての「聖戦」の理想までが否定される謂れはない。

それかあらぬか、昭和四十二年三月初版刊行の前掲『日本を築くもの』になると、以前とは余程趣が異なってくる。ここでの雅春先生は、「現象」としての「日本軍の腐敗」に囚はれて「聖戦」を全否定する立場から、「聖戦の理想」を再び肯定せんとする立場に移行しつつあることが、明らかに認められるのである。

 冒頭に紹介した『碧巌録解釈』は、かうした思想営為の後に辿り着いた、雅春先生の思想的総決算の書なのである。既に見た通り、そこでは「聖戦」を肯定された戦時中の御文章を一語も削ることなく、更に次のやうに書き加へられたのであった。

「摂理としてあらはれた地上天国実現の聖戦が、彼の大東亜戦争であった」
(『碧巌録解釈』前篇、二一一頁)。 」


結局のところ、「生長の家法統継承者」を自認されている現総裁に問われていることは、雅春先生の思想的総決算の書『碧巌録解釈』の大東亜戦争評価、

「摂理としてあらはれた地上天国実現の聖戦が、彼の大東亜戦争であった」

という評価を受け入れることができるのか、できないのか、

それに違和感を感じるのであれば、「生長の家法統継承者」の地位は、他のふさわしい方に譲るべきではないでしょうか。

2618a hope:2015/07/11(土) 11:39:36 ID:brQxC10.
>>2605 つつき

「神 真理を告げ給う」p65より

           ○

地上で果たすべき最後の課程を卒業した霊魂は高級天体の世界に移住して、もう地球上に帰還することはない。

その卒業移住と引き替えに、他の地球よりも、もっと低い階級の天体に住んでいた未発達の多くの霊魂が、恰(あたか)も中学校卒業の子供が高校へ入学して来るように、地球に移住してきたのである。

それが戦後に生まれて来た人たちの霊魂である。

彼らは他の天体に今まで住んでいて、他の天体で発達した文明と文化と習慣の中で生活した霊魂であるから、今まで地球で住んでいた人類の道徳とは異(ことな)る道徳的規準を身につけており、絵を描くにしても、音楽をたしなむにしても、衣装をつけ、髪形を調えるにしても、男女交際のあり方にしても、全く戦争前地球人とは全然異(ことな)る
趣味と表現と風習とをもっているのである。

けれども彼らはやがて地球という稍々(やや)上級天体の生活に、彼ら自身の生活振りと行動とを慣らして行く時が来るのである。

世界は悪化しつつあると見える時にも、結局は一層良い方に移行して行くのであるから余り心配しないがよい、

「第二章 アイディアの実現としての世界」 終り

2619a hope:2015/07/11(土) 11:40:55 ID:cEpBaIdo

>>2618 a hope所感)

島津さまとアクエリアンさまのお話に割り込む形になって申し訳ないのですが、やや関連のあることだとも思うので、お勉強を続けさせていただきます。

この「神 真理を告げ給う」という聖典は、他の雅春先生の執筆された聖典とちょっと違っていてとても興味深いです。

他の聖典は、雅春先生が神の御心を感受されて、雅春先生御自身が書き手(主語)となり表現されているのだと思いますが、
「神 真理を告げ給う」は、

<<唯、神が繰返し告げ給うた言葉を記憶によって再現して、それを文章に表現したものが本書である。従ってその文中の〝わたし〝 とあるのは〝神〝 御自身のことであって谷口のことでない。>> はしがきより

とあります。

つまり、「神示」同様、神が直接わたしたちに「真理」をご教示してくださっている形なのですが、
「神示」よりも内容が具体的です。

わたしは、この聖典を拝読していると、その「神」でなければ知り得ないような超人的な内容と言葉の響(ひびき)の荘厳さに感動して涙ぐんでしまいます。

上に謹写した内容に関しても、そのようなことは「神」以外知り得ない内容だと思うのです。

「生長の家」に出会ったおかげで、こんなにも素晴らしい聖典にめぐりあえたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

2620a hope:2015/07/11(土) 11:43:03 ID:cEpBaIdo

ところで、>>2616でフリーダムさまが、

<<英霊とはどなたの事を指すのでしょうか?
特攻隊にいたけど燃料が足りなくて不時着して帰国後、村八分にされて無念のうちに亡くなられた方は含まれませんよね?
シベリアに抑留されていた為に左翼のレッテルを貼られて正規の仕事にありつけず苦労の末、亡くなった方も資格無しですね
今、生き残っておられる元日本兵の方で戦争の悲惨さを語り伝えられている方が亡くなられたあともダメですね
あくまで戦時中に戦地で亡くなった方のみですね?>>

とご質問くださっています。

「英霊」という言葉をつかったのはわたしですので、わたしの考えを述べさせていただきたいと思いますが、
今日はこれから出かけるますので、夜にまた登場させていただきます。

2621a hope:2015/07/12(日) 00:55:40 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

フリーダムさまの質問は、わたしの>>2604

<<一方、天皇陛下(神)のため、日本国(神国)のため、日本人(神の子)を守るため
又は、アジアの国々の解放のため、
自己の「生きたい」という欲望を滅して体当たりして戦争に臨んで命を落としたたくさんの霊魂にとっては、
それは間違いなく「聖戦」であったのだろうと思います。
『生長の家』が戦没者を英霊として供養するのは、そういう意味があったのだとやっとわかりました。>>

という発言に反応されてのものだと思うのですが、
大東亜戦争で『自己〝 を滅して〝公け〝 に殉ずるところの自己犠牲の行為』をしようと心がけたにも拘らず、
生き残られた方々は英霊ではなく「英雄」なのではないでしょうか?

ですが、生き残ったということは、その人に現世でまだ学ばなければならない課題があったからなのだと思います。

フリーダムさまは『帰国後、村八分にされて無念のうちに亡くなられた方』や
『シベリアに抑留されていた為に左翼のレッテルを貼られて正規の仕事にありつけず苦労の末、亡くなった方』
『生き残っておられる元日本兵の方で戦争の悲惨さを語り伝えられている方』等あげられていますが、
すべてこの現象世界で経験する苦労は、魂の向上のための試練なわけですから、
大戦で戦って生き残られた方々には、その後もこの現世で魂を磨きながら生きて行く使命があったからだと思います。


>>2618に謹写した「神 真理を告げ給う」の中に、

<<地上で果たすべき最後の課程を卒業した霊魂は高級天体の世界に移住して、もう地球上に帰還することはない。>>

とあります。

「生長の家」の「唯神実相」の悟りは、まさに、地上で果たすべき最後の課程なのではないでしょうか?

たくさんの人が天界に召された大東亜戦争の前に、「生長の家」が出現したというのも、
「人間神の子」の真理を悟った多くの「英霊」たちを高級天体に移住させる使命があったからかもしれませんね。

2622a hope:2015/07/12(日) 00:58:47 ID:cEpBaIdo
>>2621 訂正

フリーダムさまの質問は、わたしの>>2604の 
→ フリーダムさまの質問は、わたしの>>2606

2623a hope:2015/07/15(水) 18:51:19 ID:cEpBaIdo

限りなく日本を愛す  谷口雅春先生著

第二章 真に平和の基礎となるもの p35

―――――――――――――――――――――――

合掌。突然お便りする無法をお許し下さい。この手紙を差出すまで色々考え〱てみましたが「もう黙っては居られない」私の愚見を以って御多忙の先生をわずらわす事になりましたら無礼くれぐれもお許し下さい。


貴稿『日本再建の道を拓くもの』(本章第一章)を拝読いたしました。日本の再建、是は日本逆行を意味するものであります。日本精神・家族制度・天皇制・今更一体それらがどんな価値がありましょう。終戦と共にそれらがすたれたのは、それらが本物ではなかったからであります。

かつて米軍にも感謝せよと云われた先生が、講和後、追放解除と共に
掌(てのひら)を返した様に時には真に好意的であった所の米国の態度にまで何も知らない純情な読者に反米感情を抱かす様な事は、およそ生長の家に反するではありませんか。

民主主義が米国の日本弱体化の為の政策行為のみと言えましょうか。それよりも日本政府国民が民主主義を正しく歩んだかを考えて見て下さい。左翼運動が盛んなのは、その内面、逆コース極右団体が大きく暗躍している事を忘れてはなりません。

思考、学問の自由の弾圧の次に来れるものは、常々和を説く信仰の自由の不法弾圧でありましょう。チョンマゲが既に古きものになって行く様に過ぎゆくものに何の執着が要りましょう。軍備や挙国一致に必要であった日本精神、家族制度、更に強制された天皇制は徹底的に破壊して、人民の為の政治をする真の民主主義を絶対に守らなければなりません。

先生の『日本再建の道を拓くもの』を読んで私は先生に対する愛想がつきました。どうかよく考えなおして下さって、もう一度今度は「日本新生の道を歩むもの」を書いて下さらん事を伏してお願い致します。

反抗する弟子を持った師は苦しいと先生は言はれますが、すべてを捧げた師を裏切られた弟子の心も考えて下さい。「もとに帰れ」と又云われますが、私はもっと「生長の家立教当初に帰れ」と叫びたい。立教最初の教えは「汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である」ということだったではありませんか。

世界に繋げ花の環に、わが理想!

(A ・H )
―――――――――――――――――――――――

2624a hope:2015/07/15(水) 18:55:27 ID:cEpBaIdo

>>2623 つづき)

   生長の家は戦争前も戦争中も戦後も終始一貫している p37

君の手紙の署名の肩書に「生長の家神戸青年会」とありますが、如何に吾々の団体が左右に傾かず、左右何れの人たちをも包容する寛大性をもっているとは云え、いやしくも生長の家の青年会員の中に君のように「日本精神・家族制度・天皇制・今更一体それ等がどんな価値がありましょう」と云うような、日本精神を愛しない、家族の恩愛を育てる制度を愛しない、そして、天皇を愛しない人があると云う事に気づき、私は且(か)つは驚き且つは悲しむものであります。

生長の家が天皇陛下を愛し且つ皇恩に感謝する事、そして家族の恩愛の調和ある実現の中にこそ本当の光明生活があることを、生長の家出現の当初から説いて来ていることは、その発祥当時書かれている『生命の實相』の第一巻の巻頭の神示に、

「汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。神に感謝しても父母に感謝し得ないものは神の心にかなはぬ。……皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ……」

とあることによってでも、如何に家族の恩愛の情を吾々が立教当初から大切にしているかが明らかであります。この神示は『甘露の法雨』の巻頭にも再録されてあり、一般生長の家関係の人は熟知していることであります。私が大本教を去った原因の一つは、大本教祖の筆先に、天皇に対する不敬の語があり「地は出口の血統で世を治めるぞよ」とあったことに起因いているのであります。

君は「生長の家設立当時に帰れと叫びたい」と云われますが、生長の家設立当時の精神に帰れば帰るほど、天皇は尊ぶべく、感謝すべく、父母、兄弟、姉妹、夫婦、親子の愛情は尊ぶべく感謝すべきであります。私は機会主義者(オポチュニスト)でもなく変節漢でもなく、私の宗教理想も生活理想も終始一貫しているのであります。

或(あるい)は君は家族制度などなくとも父母、兄弟、姉妹、夫婦……等、互に制度に依(よ)らず勝手に感謝し合えば好いではないかと言われるかも知れませんが、それは現実を知らざる生活の素人の若さが云う空想的言辞でありまして、日本の農村等では家族相続制度が無くなった為に、自分は親孝行をする義務はないと云う風に考えて、見るに耐えざる親子相克の醜態を暴露している幾多の事実があるのであります。

制度は、外的制約でありますけれども、それが内的精神に影響するのは、着物を浴衣にかえれば、寛(くつろ)いだ気持ちになり、労働服にきかえれば、身動きが身軽に且つ活発になり、紋付やモーニングを着れば儀式的に整然とした気持ちになるように、著しく外的形式が内部精神に影響するようなものであります。

現に姦通罪が無くなった事によって、積極的に「姦通してもよい」と定められたのではないにしても、姦通や離婚沙汰が白昼堂々と行われて、その権利を法廷に於いて、主張するものまで生じているのであります。これ家族制度の破壊が招来(しょうらい)せるところの家族的人情の頽廃(たいはい)の結果でありまして、その弊害の及ぶところまことに恐ろしきものがあるのであります。


【※旧仮名遣いを現仮名遣いになおして謹写してあります m(__)m】

(つづく)

2625a hope:2015/07/15(水) 18:59:43 ID:cEpBaIdo

>>2623 >>2624 a hope 所感)

わたしは今まで、雅春先生のお書きになった愛国書と言われる部類のご著書をあまり真剣に拝読したことがありませんでした。

単純に「生命の實相」の真理だけに興味があったわたしにとっては、「生長の家」出現の意義とか歴史はあまり興味のないことでしたし、
それにわたしは雅春先生の愛国書類は宇宙の創造神の御心の表現である「聖典」と同質のものであるとはどうしても思えず、
あくまでも生長の家の創設者である谷口雅春先生個人のご主張であると感じているからです。

ですが、現在の日本国は憲法問題で揺れています。

今まで、政治にほとんど興味のなかったわたしも、当時の雅春先生がどういうお気持ちで、明治憲法復元を望まれていたのか知りたくなりました。

そこで、現在「限りなく日本を愛す」を拝読中です。

今回謹写した部分の質問者であるA・Hさん(著書には実名記載)の考え方は、
当時のアメリカナイズされてしまった若者の代表的な考え方なのではないでしょうか?

次の部分に、

A・Hさんの

「日本精神・家族制度・天皇制・今更一体それらがどんな価値がありましょう。終戦と共にそれらがすたれたのは、それらが本物ではなかったからであります。」

という主張への、雅春先生の反論が述べられています。

つづけて謹写していきます。

2626a hope:2015/07/16(木) 21:17:20 ID:cEpBaIdo
>>2624 つづき)

占領政策として定められたものは 
占領終了として一応廃棄しなければならぬ p39


君は「日本精神・家族制度・天皇制が… 終戦と共にすたれたのは、それが本物でなかったからであります」と独断されますけれども、それは決しておのずから廃れたのではないのであります。

連合軍が占領し、連合軍が軍政を布(し)き、「言論の自由」を与えると称しながら、吾々の書いた正論は、その日本的なるものは、進駐軍の民間情報教育部の原稿検閲課に於いて検閲し、抹殺しそれを公開せしめなかったのであります。アメリカの占領中に占領軍が行ったことでも、誉むべきは誉めて来ました。同時に占領軍の政策の真理に反(そむ)く点は指摘しても来ました。

しかし検閲課に於いて、吾々の米軍を褒めたところのみ残されて、米軍の施策を攻撃又は是正又は風刺したところは悉(ことごと)く抹殺されて来ました。もしそれを敢(あえ)て発表したならば占領政策違反で巣鴨に送られることになっていました。

かかる状態において、日本的なる言論の力は封ぜられ、議会の協賛を得たと云いながら、実は占領軍のサーベルの下(もと)で威脅(いきょう)されつつ一方的な言論のみ横行する議会に於いて議決されたる新憲法を基礎とする家督(かとく)相続の廃止の如きを、「終戦とともに家族制度が自然にすたれた」と君が考えるのは事実を知らざる空想者の夢物語に過ぎないのであります。

占領軍の占領政策として無理にサーベルの圧迫下に於いて定められた憲法は、日本の独立、そして占領の停止と共に停止せらるべきものであり、それを後生大事に護っている如きはまことに嗤(わら)うべき時代錯誤であり、かかるサーベルの圧迫化ですたれさせたところの法精神、法制度も自然の理に背くが故に、その圧迫がなくなると自然にそれが復興し来たるのは当然であって、日本精神の復興も当然と云わなければならないのであります。

生長の家は右翼でも左翼でもない、しかし、あるべきものをあるべき位置にあしらしめて人・事・所の三相応を得せしむる中道実相の教えが生長の家でありますから、中心に置くべきものは中心に置かなければならないのであります。


「国民統合の象徴」(憲法第一条)たる天皇に対しましては、国民一人ひとりの基本的人権(憲法第十一条)を各々の「神性」に基くとする以上、国民各自の「神性」の集中的象徴として 天皇を尊敬し、天皇に感謝すべきは当然であります。どこに生長の家がその発祥当時に帰れば、君の云うように「天皇制を徹底的に破壊し、人民の人民による人民の為の政治を」翹望(ぎょうぼう)するようなことになるのでありますか。

貴方は、『生命の實相』の第一巻及び『甘露の法雨』の巻頭の「皇恩に感謝せよ」の神示の一句さえも読まず(読んだのかも知れないが、その神示とは反対に、天皇制を徹底的に破壊せよと云われるから読まないのと同じことだ)にいて、みづから生長の家神戸青年会員と名乗るけれども、君は現在の心境に於いては決して生長の家の青年ではない。

2627a hope:2015/07/16(木) 21:19:20 ID:cEpBaIdo

>>2626 a hope所感)

<<連合軍が占領し、連合軍が軍政を布(し)き、「言論の自由」を与えると称しながら、吾々の書いた正論は、その日本的なるものは、進駐軍の民間情報教育部の原稿検閲課に於いて検閲し、抹殺しそれを公開せしめなかったのであります。>>

事実はそうだったんですね。
そういう事実をしらない信徒が、雅春先生がいきなり掌を返したように態度を変えて連合軍を批判し始めたと思ってしまったのですね。


<<占領軍の占領政策として無理にサーベルの圧迫下に於いて定められた憲法は、日本の独立、そして占領の停止と共に停止せらるべきものであり、それを後生大事に護っている如きはまことに嗤(わら)うべき時代錯誤であり、かかるサーベルの圧迫化ですたれさせたところの法精神、法制度も自然の理に背くが故に、その圧迫がなくなると自然にそれが復興し来たるのは当然であって、日本精神の復興も当然と云わなければならないのであります。>>

ここの部分で、雅春先生は「現憲法が停止せらるべきもの」であり、
さらに「それを後生大事に護っている如きはまことに嗤(わら)うべき時代錯誤」とまでご主張されています。
ですが現実には、戦後70年たった現在もその憲法は停止されることはなく、わたしたち国民は後生大事?に護ってきています。


ところが次の文章では、雅春先生はそれほど嫌っている現憲法の第一条と第十一条を例えにあげて、
国民が天皇を尊敬し、感謝すべきであるとご主張されてもいます。

<<生長の家は右翼でも左翼でもない、しかし、あるべきものをあるべき位置にあしらしめて人・事・所の三相応を得せしむる中道実相の教えが生長の家でありますから、中心に置くべきものは中心に置かなければならないのであります。
「国民統合の象徴」(憲法第一条)たる天皇に対しましては、国民一人ひとりの基本的人権(憲法第十一条)を各々の「神性」に基くとする以上、国民各自の「神性」の集中的象徴として 天皇を尊敬し、天皇に感謝すべきは当然であります。どこに生長の家がその発祥当時に帰れば、君の云うように「天皇制を徹底的に破壊し、人民の人民による人民の為の政治を」翹望(ぎょうぼう)するようなことになるのでありますか。>>


たしかに、現憲法第一条は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって・・・」と始まっていますね。

それに、「生長の家」の代表的な神示である『大調和の神示』にも「皇恩に感謝せよ」とうたわれています。

そうなると、日本人としても、「生長の家」信徒としても、親や兄弟を敬い感謝するのと同様に、
天皇を尊敬し、感謝することはあたりまえのことなのですね。
(それだからと言って、わたしは「生長の家=天皇信仰のみである」とはならないと思っていますが・・・)

この「限りなく日本を愛す」は、とても勉強になります。

この後、雅春先生は幼児期の体験による人間の性格形成に関して精神分析等の具体例をあげてまで、共産主義をご批判されています。

ここで、ふつうに疑問に思うのは、
『「現象なし」「悪なし」の教えを説く「生長の家」の創設者である雅春先生が、なぜ、現憲法や共産主義をご批判されたのか? 』ということです。

わたしも最初は混乱しましたが、今はその理由がわかりました。

雅春先生は「現憲法」も「共産主義思想」も人間を「有限の肉体である」と見ているので、
そこの部分が、「生長の家」の教えからすると「虚説」であったからなのですね。

「虚説に和解してはいけない」は「生長の家」の教えですから、当時の雅春先生は、それを忠実に実行されていたのだと思います。

勉強不足のわたしには、戦後70年間も存続している平和憲法とも言われている現憲法が、本当に「悪憲法」であるのかどうかはわかりません。

ですが、その内容のすべてが「虚説」であったのなら、70年間も支持されるということは在り得なかったとも思えます。

「限りなく日本を愛す」続けて拝読することで、雅春先生の当時のお心を少しでも理解できたらと思います。

2628トキ:2015/07/16(木) 22:04:19 ID:FWrC0t5k
 大日本帝國憲法の問題は、おそらく世代間の感覚の相違は大きいのではないか、と感じます。

 明治生まれの人は、今日ではほとんど亡くなられていますが、回顧録などを見ると、大正デモクラシー
の経験が大きいみたいです。佐藤幸治教授が佐々木惣一教授の「立憲非立憲」という本に言及して、
今日の憲法学の原点は、大正デモクラシーという自由で民主主義的な時代があったのに、なぜ、戦争と
軍国主義の時代を生んでしまったのか、という反省である、と言われていました。天皇機関説事件で
弾圧を受けた美濃部達吉教授ですら、終戦後、憲法改正について質問をされ、「天皇機関説を前提に
するのなら、改正の必要はない」と断言をしています。大正時代の日本を訪問した外人が、「これほ
ど自由な雰囲気の国はない」と書き残していたと何かの本で読んだ記憶もあります。吉田茂総理なんかは、
軍人や官僚がおかしくしたが、それがなければ大日本帝國憲法でも問題はなかった、という感覚だった
みたいです。

 さらには、明治後期は、人情があつく、助け合いの精神が世間にはまだ残っていたみたいです。

 それが、昭和の戦争を経験した人は、大日本帝國憲法末期の圧政的な時代の感覚があり、その後
の日本国憲法の発布があったので、大日本帝國憲法には拒否反応を持つ人も多いみたいです。戦後
は、大日本帝國憲法=ファシズムという教育がされたので、若い人からは、自由と民主主義の存在が
前提ですから、大日本帝國憲法の復元改正など狂気の沙汰ということになるのでしょう。

(つづく)

2629トキ:2015/07/16(木) 22:21:37 ID:FWrC0t5k
 谷口清超先生が、かって、戦前の日本でも、今の日本とそれほど変わらなかったし、そんな理想的
な社会でもなかった、と言われていたと記憶していますが、そういうことでしょう。

 もう一つ言えるのは、終戦直後の占領軍の振る舞いです。

 マッカーサー元帥などは、米国で「日本が戦争をしたのは、個別的自衛権の行使だった」と議会で
証言したぐらいでしたから、日本に無茶苦茶な悪意を持っていたわけではなかったみたいです。(も
っとも、そのあと、「日本人の精神年齢は12歳」と発言して、一気に人気が下がりますが)が、
占領軍の内部にはアメリカ共産党の党員が混じっていて、日本共産党の党員と連絡を取り合い、
左翼的な政策を推し進めたのも事実です。この辺りは、袴田里見氏(元 日本共産党副委員長)の
「わたしの戦後史」に詳しく書かれています。

 戦後のある時期までは、愛国者と言われる人々は公職追放をされていました。谷口雅春先生も
執筆禁止の処分をされていました。そのため、目の前で占領軍が好き勝手をして、日本をかき回した
のに何も言えなかったのです。

 そういう経験は、決して小さなものではなかったと思います。

(つづく)

2630トキ:2015/07/17(金) 11:38:52 ID:NxmvabhE
 結論としては、谷口雅春先生のイメージにある「大日本帝國憲法」の体制
というのは、戦争中のそれではなく、明治後期や大正デモクラシーのものだ
と考えるべきでしょう。ただ、読み手の多くは、戦争と結びつけるので、そ
れが、齟齬の原因かと思っています。

 付け加えると、谷口雅春先生は「大日本帝國憲法 復元 改正」
と書かれていて、一旦は旧憲法には復元するが、旧憲法にも問題は
あったから、その上ですぐに改正をする、というご主張でした。

 ただ、最晩年になると個人の霊的な向上をつきつめることで理想の社会へ
と変えるという方向を提唱されたと記憶されています。(旧神誌に書かれてい
たのを拝読した記憶があります。)

 政治的には「大日本帝國憲法の復元」は不可能であるというよりも、社会
に個人主義が行き渡った以上、それを前提にした社会改造しかないとお考え
になられたと拝察しています。

 私は、谷口雅春先生の「大日本帝國憲法」のご解説は、スピリチュアルな
背景があるとも感じていますが、それについては、まだ、研鑽が不足しており
意見を述べるまでに至っていません。

 要するに、もっと人間関係が密接な社会を願っておられたのではないか、と
考えています。

2631a hope:2015/07/17(金) 12:37:19 ID:cEpBaIdo

>>2628〜 トキさま

興味深いお話をありがとうございます。

<<ただ、最晩年になると個人の霊的な向上をつきつめることで理想の社会へ
と変えるという方向を提唱されたと記憶されています。(旧神誌に書かれてい
たのを拝読した記憶があります。)

 政治的には「大日本帝國憲法の復元」は不可能であるというよりも、社会
に個人主義が行き渡った以上、それを前提にした社会改造しかないとお考え
になられたと拝察しています。>> >>2630

谷口雅春先生は聖典同様、かなりの数の愛国書も執筆されておられると思います。

すべての愛国書はすべて、「生長の家」の真理にもとづき書かれているのだと思いますが、
聖典と明らかに違うのは、当時の時代背景に見合った内容を論じられていることなのではないでしょうか?

時代が変われば当然、人々の生活や思想も変わっているのに、
そのことを全く考慮せず、「谷口雅春先生がこう愛国書でおっしゃっているから、こうすべきである!」
というのは、あまりにも他者依存的な考え方のような気がします。

2632「訊」:2015/07/17(金) 13:41:20 ID:???

>>>ただ、最晩年になると個人の霊的な向上をつきつめることで理想の社会へ
と変えるという方向を提唱されたと記憶されています。<<<

 その通りですよね。政治参加に関しては〝直接的なもの〟よりも、間接的なもの、つまり、「ひとりひとりの霊的な向上」を目指すように雅春先生は、御指示されてますよね。以下、「聖胎長養のため宗教に専念せん」からです。


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 併し私はこの際、沈思し静慮して深く思いをめぐらさなければならないことは、生長の家が、純粋宗教的立場から幾分方向転換して政治的方面に運動を進めて来たために、宗教の純粋さや、清潔さが少しでも失われて来ていないかと言うことである。教化部や道場へ魂の糧となるべき宗教的真理を求めて行った人が失望したと言って間接に私に伝えられて来ることは、教化部や道場や誌友会にいっても、宗教的な話はほんの暫くであって、集って来る人たちは、「今日は何票獲得した」とか、「今日は何人獲得したとか」いう数字であったりすることが多く、其処には索漠とした数字争奪の空気が漂うているばかりで、魂の救いとなるような雰囲気が殆どなくなりつつあったということである。

(中略)

 つまり政治方面に熱心になった結果は宗教的方面がおろそかになり、純粋宗教をもとめて来た人が足踏みをしている結果が現れているのだと考えざるを得ないのである。
つまり生長の家の政治方面はその宗教方面から輸血を負債することによって伸び、多くの得票を獲たのである。“これ以上、政治方面が宗教方面から輸血を負債するならば、宗教方面は貧血に陥って、宗教としては萎縮して伸びない盆栽になってしまうおそれがある。負債は返さなければならないのである。宗教方面から負債した力を、政治方面は、今こそ純粋宗教である生長の家の伸びるために返す時が来たのである。

○ 「聖胎長養のため宗教に専念せん」全文
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:EGAHiUc2ZS4J:bbs5.sekkaku.net/bbs/%3Fid%3Ddaityouwa%26mode%3Dres%26log%3D423+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

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2633誰か教えて:2015/07/17(金) 19:04:26 ID:kEnG6jMo
「聖胎長養のため宗教に専念せん」の文意が
「ただ、最晩年になると個人の霊的な向上をつきつめることで理想の社会へと変えるという方向を提唱されたと記憶されています」には当たらないと思います。

この48,9年ごろの選挙に田中忠雄氏村上正邦氏の二人を立て合わせて110万票で二人とも落選した。6年間の間に誌友を増やし実質の票の拡大を狙っての宗教
活動専念との方針でしたでしょう。生長の家の信徒は人柄は良いでしょうが、生活の幸せ感があれば事足れりとする程度の人が多く、学会やものみの塔の如き
伝道魂のある人は少なかった。今の自称本流派にしても、真理の拡大、光明化運動そのものを第一義とするのであれば教団の悪口を言う必要はないのです。
それこそ訊けサンではないが口喧嘩悪口を云う事が素晴らしいなんてことで、ネットを賑わせても新人さんは寄ってきませんよね。

講習会何人減ったという暇に、新人何人入信したと発表する方が遥かに良い。と云う事でここで森田安東両氏による理誌百万運動なるものが出て来るのです。
学会に負けるなが合言葉みたいなものは愛嬌があるのだが、10部一括100部一括など、白鳩会でもありましたが、ただ単にポストに入れる、知り合いに郵送する
程度のもので、新人獲得の成果はいくらも出ていないのが実情でした。集まりに出ていない信徒の息子娘さんを誘って会を開いている程度でしたでしょう。

今の分派も同じことで、新人勧誘はさほどされていないのでしょう。生長の家の教えはタコができるほど聞いている人を取ろうとしているだけで、
新人獲得に最大の目標を定めているのであれば、件の如きつまらん宣伝はしないでしょうから。つまるところ昔も今も信徒の信条は大して変わっていないと
云うとです。まあ森田安東お二人の子分が昔ながらの事を言っているだけと云う事です。清超先生の下では組織に寄生していたのにね。

2634トキ:2015/07/17(金) 19:55:42 ID:NxmvabhE
「訊」  様

 それもあったのですが、過去、どこかで読んだ記憶があるのです。
ちょっと思い出せないですが・・・。すみません。

2635トキ:2015/07/18(土) 22:43:47 ID:s/w8mZyU
>>2633

 私は、別に森田先生や安東先生の支持者ではないですが、ちょっと感想を言いますね。

 森田先生や安東先生、あるいは彼らを崇拝している人達が、「組織に寄生していた」という
のは違うとは思います。森田先生で言うと、睡眠時間4時間ぐらいで仕事をしていたと聞いた
ことがあります。安東先生で言うと、講習会の推進になると何ヶ月も教化部に泊まり込みで
仕事をしていたという話も聞いています。彼らの弟子筋にあたる人も、現場での経験がある
人が多く、仕事ができる人が多かったという印象があります。少なくてももらっている給料
分の仕事はしていたと思いますよ。

 「誰か教えて」さんは違うとおもいますが、森田先生や安東先生の悪口を言うのは、だいた
い現在の教団の本部関係者が多いです。では、彼らがもらっている給料分の仕事をしているか
というと、私は、これだけ教団が質量ともに落ちていることを考えると、彼らのほうが問題が
あると思います。

 だいたい、森田先生にしろ、安東先生にしろ、もう教団にいないのです。現在の教団がかか
えている問題は、基本的に現在の教団指導部の問題です。裁判の問題については、安東先生が
からんでいるという風聞はあります。が、それも、対応がきちんとしていたら、ここまで状況
が悪くなることはなかったと思います。

 耳にタコができる話ですが、やはり宗教団体は「救済」が本業です。教団にしろ、本流復活
派にしろ、政治が大好きみたいですが、ここは本業への回帰こそが、生長の家復活の鍵になる
と思います。

2636神の子さん:2015/07/19(日) 00:22:43 ID:kEnG6jMo
彼ら二人の青年会会長副会長の時代の事しか知りません。愛知か福岡かと云われ二大教区を引っ張っていた人間が、今の本部側と分派になっています。

雅春先生最後の武道館での全国大会に、当教区の過去最高の動員を、私と仲間でしました。しかし彼らのヒステリックな金切声には辟易していたのです。

彼らの下で青年会中央執行委員会を構成していた人間でどれだけ定年まで残ったでしょうか?青年会は清超先生が総裁でしたね。そして生長の家の総裁になった中で

教化部長になった人間と賑っている日本会議系で外に出た人間に分かれたのは何故だと思いますか?埼玉から当地に勤務の関係で来られて講師活動をしていた人が

帰り横浜の講習会に来ませんかと云う事で、妻の仲間8人ばかりを連れて行った事が有ります。勿論雅宣総裁の講習会です。やはり昼飯を境に引き潮のようでありました。

退職するまで生長の家と共にという思いでいたのであれば、彼が終わりまで居るよう県下を回って話せばそうなるはずのものです。雅宣総裁のしていることが可笑しい

のであれば、さっさと退職して今しているような活動をすればいいのです。それをせず講習会も信徒の気ままにさせておく、これを寄生と云ったのです。

今の職員がたるんでいるかは知りませんあなたのように部内者ではないので。

2637a hope:2015/08/16(日) 10:11:18 ID:cEpBaIdo

「人生を支配する先祖供養」  谷口雅春先生 ―― 編著 (日本教文社)

はしがき

多くの人たちは、霊界と現実界との関係を知らないのである。

人間の肉体が死んだら、もう人間そのものは消えてしまって無くなるものだと考えている。

だから此世(このよ)で狡(ずる)いことをして利益を得たり、人に残虐な行為をして自分だけが快楽を貪(むさぼ)ったりしても、それは利益の取り得であり、快楽の貪りどくだということになる。

実際そうして悪賢い狡い奴や、残虐な奴が此世で少しも制裁を加えられないで栄華をきわめたままで地上の生を終る例をたびたび吾らは見せられるのである。

そして死と共に、彼らは一様に〝無〝 の世界に消え去って、後に何も残らないのだったら、狡いことの仕得(しとく)、楽しみの仕得で、正直な人間が馬鹿を見るのがこの世界だということになる。

そこで〝悪〝 の仕得ということが一般の通説になり、道徳地に落ち、人心は乱れに乱れて此世には悪人充満の地獄相を呈することになるのである。

それが現代の、いつわらぬ世相ではあるまいか。


併(しか)し、人生はそんなに甘いものではないのである。

悪業の仕得や、悪い奴の、富や快楽の貪りの仕得などということを心の奥底で不公平に感ぜずにはいられないのは、われわれが〝心の深層〝 の中に、「そんな不公平は決して存在しない」という
原因結果の法則を直観的に知っているからなのである。


原因があれば結果を生ずる。

これは宇宙の大法である。

それを仏教では「因果、昧(くらま)さず」と教えられているのである。

悪業を重ねながら現世に於いて悪果が出てこないからとて、人生を馬鹿にしてはならないのである。

悪業を行っても現世に、その帳尻が出てこないということは、どこかに、その帳尻の総決算がおこなわれる世界があるという証拠でもある。

その総決算が行われる世界が霊界及び未来世(未来に、われわれの霊魂が生まれ代わって来る世界。単に〝来世〝 ともいう)である。

(謹写 つづく)

2638a hope:2015/08/16(日) 10:17:36 ID:cEpBaIdo

>>2637 a hope所感)

みなさま、こんにちは。

わたしはこのお盆休み中、実家のお墓参りに行ったり、子供たちを遊びに連れていったりと、
猛暑に負けないように気合を入れて奮闘していますよ(笑)

ところで、ここのところ毎晩のようにTV番組で戦争特集をしていますが、どの番組をみても「命」の大切さが身に沁みてきます。

激しい戦火の中で生き残った人々のほとんどの方が、インタビューを受けると口をそろえたように、
「生き残りたかった。」「どんなことがしても生きて帰りたかった。」「命を大切にしたかった。」と答えています。

特攻隊に志願した英雄たちでさえ、特攻直前には「本当は家族のもとに帰りたかった、現世で自分の夢を実現したかった」と戦友たちに本音を語っていたといいます。
(もちろん、例外はあると思いますが・・・)

わたしたちがこの現象世界に生まれて来た意味(投影されている意味)、とは様々な人生経験を通して、
「生命の実相(生き通しの生命)」を悟るためなのですから、それは当然のことなのかもしれませんね。

だって、その人生を自分の本意ではなく外部からの不可避の強制力で「中絶」させられたら、
現世で果たすべきその使命を果たせなくなってしまうわけですからね。

これは、お腹の中に宿った「小さな命」も同じことだと思いました。

現世で自分に課せられた使命を全うするためにお母さんのお腹の中に奇蹟的に宿ることができたのに、
外部の人間の都合によって、本意ではなく自分の人生を「中絶」させられるわけですから、
その無念は計り知れないですよね。

先祖供養や英霊供養、水子供養が重要なのはそういう理由なのだと思いました。

2639a hope:2015/08/19(水) 22:14:02 ID:cEpBaIdo
>>2637 つづき

「人生を支配する先祖供養」 p2 後から3行目〜

現代は物質科学が発達しているだけでなく精神科学が発達して、既に過去の心理学とは様相が一変しつつあるのである。

更に心霊科学と称して〝第四次元〝 以上の霊的存在の世界の研究も段々進歩して科学的、実証的に現世で帳尻が合わない悪業が霊界に於いてその清算をさせられるために苦しんでいる霊魂がたくさんあることが、明らかにせられつつあるのである。

過去の仏教での地獄・極楽説は、その通りであるのではない。

しかし、その通りではないが、霊魂の行く世界には、地獄とか煉獄とかいう語で形容されるような多種多様の苦しみの境界があって、霊魂の浄化作用が行われるのである。

つまり霊魂の浄化とは、汚れた霊魂の洗濯のようなものである、一層多く汚れている(悪業の集積している)霊魂ほど長時間激しいショックの中でその〝汚れ〝 を落とさねばならないのである。

〝多種多様の苦しみ〝 と私がいったのは、それらの霊魂が自分の身につけた悪業の種類は各人一様でなく多種多様であるからそれを浄化する過程も多種多様であるという意味である。


それらの苦しみによる浄化の過程にある霊魂が苦しみの叫びをあげ、悩みの呻きに喘ぎながら、〝助けてほしい〝 と思って子孫や親類縁者の名を呼ぶのである。

そうすると、此の世界は電波の交流する世界であると共に、電波(霊魂の想念の波動)が互いに交流交感する世界であるから、われわれ現世の人間で、その霊魂の身近者がその苦痛で叫んでいる霊魂の思念の波を感受するのである、すると、放送局の放送を感受したテレビセットが、その放送を画像化して具体化するように、自分の身に、その苦痛悩みの画像を具体化してそれを病気としてあらわすのである。


このような病気は、原因が霊魂の世界にあるのであるから、物質医学や精神医学の方法によっては解決の道はないのである。

概ね(おおむ)ね現代の医学で解決し得ない病気――癌やスモン病や、原因不明の不随症又は各種の精神的痛み、麻痺を伴う病気は、霊界に於ける霊魂の苦しみを、その人が受像した結果だとみとめられるのである。

これを癒す道は霊界に於ける霊魂の苦しみを除去するほかに道はないのである。


霊界に於いて霊魂の背負う〝悪業〝 を浄化消滅する自然の道は、苦しみによって償うことによって、その悪業が清算されるのであるが、それには長時間かかる。

しかし現世に於ける縁者がそんなに長時間〝苦しみの霊波〝 を感受して病気をつづけていてはたまらないのである。

それで、祖先及び自分の家系に属する縁者の霊魂が霊界で苦しんでいるのを急速に救う道を講じてやらなければならないのである。

これを救いえたならば、霊界の霊魂自身及びその影響を受けるべき現実界の両様の救いとなるのである。

2640a hope:2015/08/19(水) 22:15:16 ID:cEpBaIdo
(>>2639つづき)

幸いにして、霊魂の浄化というものは、霊魂は物質ではないから、洗濯機にかけて霊魂を摩擦の搾(し)め木で拷問的に叩きのめさねば浄化できぬというものではないのである。

霊魂の浄化は消極的には〝懺悔〝 と積極的には〝真理を悟る〝 という二つの方法によって主として行われる。

〝懺悔〝 というのは〝今までの行為は悪うございました。人間の為すべき本来の姿ではございませんでした。今後一切いたしません〝 と過去の悪業を〝心の世界〝 で否定することで、過去の悪業を否定消去してしまうのである。

〝真理を悟る〝 というのは、「人間の実相」は本来、〝如来〝 であり〝神の子〝 であり、本来〝 無罪〝 の実相をその霊魂が自覚して、悪業存在の世界から解脱して〝如来〝の実相地に超入することである。

この〝如来地〝 (如来の境地)に入ることを成仏するというのである。

祖先及び縁者の霊魂を成仏させてあげるのが、現実界の子孫及び縁者の義務でもあり、それはまた自分自身に報いられて来て家族ぜんたいの健康ともなり、繁栄ともなるのである。

「先祖供養」と本書の表題にはなっているが、流産児や子供や自分の兄弟姉妹等々へ…の真理供養も本書は扱っているのである。

それも中々大切である。

戦後、戦前に見られなかった小児癌が殖えたり、現代医学で原因のわからない奇病が発生したりしているのは、戦後、占領軍が日本弱体化のために押しつけたマッカーサー憲法が「日本の美しき正しき伝統」であるところの〝家〝 (〝霊の継続〝 の系譜)の制度を破壊して、家督相続ということではなくなり、財産相続のみとしてしまったために、子孫が結婚して家庭をつくれば、所謂(いわゆ)る〝核家族〝 として、祖先及び父母から断絶してしまうことになったために、祖先及び父母を聖経読誦によって〝真理〝 を供養してあげる子孫が次第に少なくなり、それだけ、祖先及び亡父母の霊魂が、霊界に於いて〝真理〝の悟りをひらいて〝如来〝 の実相を顕す(所謂る〝成仏〝の)機会にめぐまれないために、成仏がおくれる。

その迷っている霊魂の霊波の影響を受けて脳腫瘍その他の難治の病気が特に戦後多くなって来たのである。

このような脳腫瘍は、原因が霊界にあるから霊供養のほかに治療せしめる道はないのである。


そんな理論を信じない人もあると思うのであるが、その理論の正しさは、実際聖経を読誦して祖先に〝真理〝 を供養した場合、脳腫その他、医界難治の病気が消滅する奇蹟がたびたび起こることによって実証されるのである。

その実証は、本書の最後の章に収録してあるがこの〝はしがき〝 には、脳腫瘍が簡単に治った実例一つだけ挙げておく。

これは本書をお読みになる最初の予備知識として知って置いて頂きたいからである。

(体験談 略)


昭和四十九年三月二十日  谷口雅春

2641a hope:2015/08/19(水) 22:18:00 ID:cEpBaIdo

>>2639 >>2640 a hope所感)

生長の家の教えに触れて間もないころのわたしには、先祖供養の大切さがよく解りませんでした。

ですが、宇治の練成会に参加し、さらにこの「人生を支配する先祖供養」を拝読するとその重要さがとてもよくわかり、
自分のご先祖さまに対して親近感と感謝の気持ち湧いてきました。

<<霊界に於いて霊魂の背負う〝悪業〝 を浄化消滅する自然の道は、苦しみによって償うことによって、その悪業が清算されるのであるが、それには長時間かかる。
しかし現世に於ける縁者がそんなに長時間〝苦しみの霊波〝 を感受して病気をつづけていてはたまらないのである。
それで、祖先及び自分の家系に属する縁者の霊魂が霊界で苦しんでいるのを急速に救う道を講じてやらなければならないのである。
これを救いえたならば、霊界の霊魂自身及びその影響を受けるべき現実界の両様の救いとなるのである。>>
<<〝真理を悟る〝 というのは、「人間の実相」は本来、〝如来〝 であり〝神の子〝 であり、本来〝 無罪〝 の実相をその霊魂が自覚して、悪業存在の世界から解脱して〝如来〝の実相地に超入することである。
この〝如来地〝 (如来の境地)に入ることを成仏するというのである。
祖先及び縁者の霊魂を成仏させてあげるのが、現実界の子孫及び縁者の義務でもあり、それはまた自分自身に報いられて来て家族ぜんたいの健康ともなり、繁栄ともなるのである。>>

「はしがき」を拝読するだけで、ご先祖さまに聖経をあげる重要性がわかります。

「人間神の子」と「人間無罪」の実相の自覚はわたしたちだけでなく霊界の霊魂までをも救うのですね!

2642フニュ(´・ω・`):2015/08/20(木) 07:43:20 ID:wLZgPbag
ご先祖様が、生長の家を受け入れてくれたら良いんですけど。
現代文で書かれてるあるからまず「聞く気にさえ」なってくださったら「すごいことが書いてある」って
なるんでしょうけど、頭から違う宗教のお経だ。って思って聞く気にならない確率高いですよね。
わたしが創価学会のお経を聞く気にならないように。

2643フニュ(´・ω・`):2015/08/20(木) 07:55:21 ID:wLZgPbag
>>戦後、戦前に見られなかった小児癌が殖えたり、現代医学で原因のわからない奇病が発生したりしているのは
>>(中の部分略)祖先及び父母を聖経読誦によって〝真理〝 を供養してあげる子孫が次第に少なくなり、それだけ、
>>祖先及び亡父母の霊魂が、霊界に於いて〝真理〝の悟りをひらいて〝如来〝 の実相を顕す(所謂る〝成仏〝の)
>>機会にめぐまれないために

{戦前では「家制度があって子孫が祖先のために供養したからガンや奇病が少なかった}と書いてあるけど、
(2642でも書きましたが、)子孫が生長の家のお経を読んだからご先祖様が実相を悟って迷いから救われた。という場合は
そんな数は多いとは思えないんです。

また、
>>「日本の美しき正しき伝統」であるところの〝家〝制度

家制度が「美しい制度」とはあまり思わない。女性に何の権限もなかった。

2644トキ:2015/08/20(木) 09:56:51 ID:Mx7sgpnk
>>2642

フニュ(´・ω・`) 様

 「人生を支配する先祖供養」に書いてありますが、その場合は、最初に

 「このお経は、皆様方が信じておられる宗派の教えを現代風にわかりやすく
説いたお経ですから、安心してお聞きください。」

という趣旨の説明をされてからあげてください。

 先祖供養と病気との問題も、その点をご覧にください。

 なお、家制度の説明は、先祖供養という場面についての説明です。
谷口雅春先生は生命の実相の女性教育編を見てもわかるように女性も男性も
神の子であり、拝むべきであると説かれています。平塚らいてふ女史も
谷口雅春先生の教えに共鳴され、「青鞜」の同人に生長の家を紹介していま
す。よろしくお願いします。

2645トキ:2015/08/20(木) 10:29:37 ID:Mx7sgpnk
>>2641

 素晴らしいご文章のご紹介、ありがとうございました。

私も周囲の人が先祖供養で救われたのを実際にみているので、大切さは痛感しています。

2646a hope:2015/08/21(金) 23:54:04 ID:cEpBaIdo

>>2642 >>2643 フニュ(´・ω・`)さま

実は正直にいうとわたしも、フニュさまご指摘の部分の文章

<<戦後、戦前に見られなかった小児癌が殖えたり、現代医学で原因のわからない奇病が発生したりしているのは、戦後、占領軍が日本弱体化のために押しつけたマッカーサー憲法が「日本の美しき正しき伝統」であるところの〝家〝 (〝霊の継続〝 の系譜)の制度を破壊して、家督相続ということではなくなり、財産相続のみとしてしまったために、子孫が結婚して家庭をつくれば、所謂(いわゆ)る〝核家族〝 として、祖先及び父母から断絶してしまうことになったために、祖先及び父母を聖経読誦によって〝真理〝 を供養してあげる子孫が次第に少なくなり、それだけ、祖先及び亡父母の霊魂が、霊界に於いて〝真理〝の悟りをひらいて〝如来〝 の実相を顕す(所謂る〝成仏〝の)機会にめぐまれないために、成仏がおくれる。
その迷っている霊魂の霊波の影響を受けて脳腫瘍その他の難治の病気が特に戦後多くなって来たのである。
このような脳腫瘍は、原因が霊界にあるから霊供養のほかに治療せしめる道はないのである。>>

を謹写している時、多少の違和感とこの掲示板へ謹写することへの戸惑いを覚えていました。

現代では医学もかなり発達してきて、当時では治療や治癒が難しいと言われた難病や奇病も治ってしまう場合も増えていますし、
実際に現代の日本で、お子さんが小児癌だったりご自分やご家族が脳腫瘍を患っている方に、
「その病気の原因はご先祖さまの迷いですから真理を悟らせてあげてください」
などと説明したところで、いったいどれだけの人が素直に受け入れてくださるのだろうかと考えてしまうからです。

わたしたち現代人は、すでに唯物思想の影響をかなり受けてしまっているわけですから、
昔の生長の家のやり方のままでは、人々に「生長の家」の真理を伝道することはむずかしくなってきている気がします。


それから「先祖供養」に関してですが、
わたしは、わたしたち一人一人が真理のお勉強を真面目にして「悟り」を深めていくことが何よりの先祖供養になるのではないかと思います。
なぜなら、わたしたちとご先祖さまは波動で影響し合っていますから、自分が悟ればご先祖さまにもきっといい影響があると思うからです。

だから、わたしは>>2642のフニュさまのように「先祖供養」をご先祖さまのためだけにする独立したものとは考えてはおらず、
「神想観」にしても「聖経読誦」にしても、「聖典のお勉強」にしても「他への愛行」にしても、
自分自身が「生長の家」の行をするということが、すべてそのまま「先祖供養」になっているんだと信じて行じています。


また、昔の〝家〝制度が実際はどうだったかということに関しては、わたしには十分な知識がありませんが、
「生長の家」の教えで考えた場合は、>>2644でトキさまがお答え下さっている通りなのではないかと感じています。

「生長の家」の教えでは、女性も男性もみな完全円満な「神の子」として同じように礼拝しますし、
その上で、両親やご先祖さまに感謝することの大切さを教えてくれていますものね!

2647フニュ(´・ω・`)るん吉:2015/08/22(土) 16:01:54 ID:???
a hope さま

いや、自分ね、今の生きてるこの世界でも生長の家の真理は知らない人、多いですよね。
だから、亡くなった人だけが(ご先祖様)簡単に「真理を聞こう。」としてくれるかなあ。って。
「このお経は、皆様方が信じておられる宗派の教えを現代風にわかりやすく
説いたお経ですから、安心してお聞きください」。と説明したとしても、聞こうとしない人も多いんじゃないのかな?と・・
それに生長の家が発生したのは昭和5年だから、それ以前はここまで実相独在の真理はなかったんだから
昭和5年前には、いくら家族制度はあっても生長の家はなかったんだから、祖先に真理を知らせられないから、
家制度が、必ずしも(病気の)原因じゃないと思って。(なんか重箱のすみつついてるみたいですね)
>>「先祖供養」をご先祖さまのためだけにする独立したものとは考えてはおらず、
>>「神想観」にしても「聖経読誦」にしても、「聖典のお勉強」にしても「他への愛行」にしても、
>>自分自身が「生長の家」の行をするということが、すべてそのまま「先祖供養」になっているんだと信じて行じています。


ふむ、そうですね。これ藤原先生もそうおっしゃってましたね。ご先祖様に「悟れ

あなたが悟らないと、私がこんな病気になって困ってるのだ。さあ、この聖典を読んで

悟ってくれ」みたいになってる人がいて(苦しいでしょうね、この考え方は)藤原先生が

病気無し、迷いなし。なのに まず祖先が病気だtとか迷ってるとか、思ってはいけないよ!

そんな風に書いてましたね。でも結局藤原先生のお説は谷口先生の教えてくれたお説ですし。

なんか文、めちゃくちゃになってしまいました。実相独在、現象無し、これが大事ですね。

2648フニュ(´・ω・`)るん吉:2015/08/22(土) 16:22:34 ID:???
a hopeさま

いつも返事くださり有難うございます。

2649フニュ(´・ω・`)るん吉:2015/08/22(土) 16:48:06 ID:???
トキ様

いつもお世話になってます。ご迷惑もおかけして申し訳ないです。

>>私も周囲の人が先祖供養で救われたのを実際にみているので、大切さは痛感しています。


実際にみてもいないのに、偉そうにすみません。実際にみてらっしゃたら又違いますね。ごめんなさい。

>>人生を支配する先祖供養
この本、持ってます。また読み返します。

>>女性も男性も神の子であり、拝むべきであると説かれています。

それはわかってます。ただ人間皆神の子の真理の部分はそうですが、真理と

関係ない部分に関して、書かれた本を読んでて思うのは、谷口先生は明治生まれだし、その時代の男性の考え方(男性優位)が全くないとは思えないんです


>>平塚らいてふ女史も谷口雅春先生の教えに共鳴され、「青鞜」の同人に生長の家を紹介しています。

そうですか。平塚氏は女性運動家の方ですね。そうでしたか・

谷口先生のこと、こう書きましたが、大事なのは真理ですから私は谷口先生に対して大感謝してもしきれないほど

の存在です。命の恩人です。ただ家制度に「美しい」と形容がついていたので、ちょっと思って書かせていただきました。

言うたら あかんかったのかも知れんけど。

しかし、レスがついててありがたかったです。

2651a hope:2015/08/23(日) 09:12:11 ID:cEpBaIdo

>>2647 フニュ(´・ω・`)さま


<<いや、自分ね、今の生きてるこの世界でも生長の家の真理は知らない人、多いですよね。
だから、亡くなった人だけが(ご先祖様)簡単に「真理を聞こう。」としてくれるかなあ。って。>>

わたしも、全く同意見です。
その真理を悟っていない人間が、何べん上辺だけ「聖経」を読誦しても、その真理を鳴り響かせることはできないと思います。


フニュさまは、ここでは「生長の家の真理」と表現されていますが
「生長の家」は万教帰一の教えで、すべての正しい教えの神髄が「生長の家」の「唯神實相」なのですから、
今生きているこの世界(現世)の人が「生長の家の真理」を知らないということは、
目覚めていない、つまり、真理を悟っていないということになるのだと思うのです。

でも、だからこそ、わたしたちは勉強のし甲斐があるのだと思います。

わたしたちには聖典「生命の實相」があるのですから、悟ってやろうではありませんか!

わたしは最近「生命の實相」を拝読するたびに、天界から雅春先生が「あなた、よくがんってますね」って、
笑顔で応援してくださっているような気がしていますよ。

フニュさま、これからも一緒に頑張りましょうね!

2652曳馬野:2015/08/23(日) 10:25:23 ID:JPiKJZkg

わたしも、全く同意見です。【その真理を悟っていない人間が、何べん上辺だけ「聖経」を読誦しても、その真理を鳴り響かせることはできないと思います。】

わたしたちには聖典「生命の實相」があるのですから、【悟ってやろうではありませんか!】
*********************************************************************************************************************************

過去の生長の家信徒のしてきたことを頭から否定している言葉でしょう。悟ってから甘露の法雨を読みましたか?悟らずして甘露の法雨を読んで、藁にもすがる思いでこれを読めば良くなるとの信念で良くなったから『聖経』なる言葉が出来たのでしょう。

ですから甘露の法雨の言葉で変化が出たのか、良くなるとの信念で変化したのかは、はっきりしない。こういう言葉を平然と吐ける人間を褒めてくれるとは。天皇陛下が「生命の実相」読んで天皇の仕事を全うしていますか?悟ってから何かをしていますか?クダラナイ解説です。

生長の家ができる前ずっと以前からの日本人の生活として国柄はできていたのです。生命の実相を悟らないといけない、???です

2653トンチンカン:2015/08/24(月) 03:46:48 ID:gJyKhqbg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『「甘露の法雨」の<言葉>で変化が出たのか、良くなるとの<信念>で変化したのかは、
はっきりしない』・・  (曳馬野)

『今の教え』では、そのような解釈なのでしょうか・・??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・『観音経』やら、『般若心経』などを、意味を理解しないで読誦しても仕方ないのでし
 ょうか?


・『良くなるとの信念』で、これらを読誦するときには、「良くなることもある」といっ
 た程度なのでしょうか・・?


・『南無阿弥陀仏』と称えただけで ≪救われる≫ との教えは、ウソなのでしょうか?


・谷口雅春先生のお話では、お仏壇の前で「ご先祖」に対し、≪聖経≫の内容が分からな
 くとも、読誦すれば 『ご先祖の御霊』 は救われるのです・・とのことでした!!


・『甘露の法雨』や、『観音経』、『般若心経』などを読誦した場合、その ≪聖経≫ の
『コトバの波動』が素晴らしいから、それを読誦する人とは関係なく、その『コトバの
 波動』が伝播して、『ご先祖の御霊』の≪霊波≫に影響を与えるのです・・


・「マサノブ爺さん」が≪人間智≫でもって作成した、パクリの 『聖経もどき』 につ
 いては、『コトバの波動』が素晴らしいと断言できないから、問題なのであります。




(参考)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2652 :曳馬野 :2015/08/23(日) 10:25:23 ID:JPiKJZkg

過去の生長の家信徒のしてきたことを頭から否定している言葉でしょう。悟ってから甘露
の法雨を読みましたか?悟らずして甘露の法雨を読んで、藁にもすがる思いでこれを読め
ば良くなるとの信念で良くなったから『聖経』なる言葉が出来たのでしょう。

ですから甘露の法雨の言葉で変化が出たのか、良くなるとの信念で変化したのかは、はっ
きりしない。こういう言葉を平然と吐ける人間を褒めてくれるとは。天皇陛下が「生命の
実相」読んで天皇の仕事を全うしていますか?悟ってから何かをしていますか?クダラナ
イ解説です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2654トンチンカン:2015/08/25(火) 13:06:26 ID:z9V4A.MQ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「生長の家」の信仰を論じるのに、なぜ≪天皇陛下≫のことを書く必要があるのか?

『天皇陛下が「生命の実相」読んで天皇の仕事を全うしていますか?』・・なんて??
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(参考) <生長の家・開祖の『御教え』全相復活を目指す掲示板>
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FAX作戦推進本部 - 2015年08月25日 (火) 06時30分


「掲示板」より・・・マサノブ(自称)総裁は、――  天皇陛下に、敬語を使わず!

       =全く崇敬の心なし! 反日サヨクの一員だ!=


「トキ掲示板・信仰体験板/2」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2652 :曳馬野 =マサノブ (趣旨)
< 生命の実相を悟らないといけない、???です・・・天皇陛下が「生命の実相」読ん
で天皇の仕事を全うしていますか? 悟ってから何かをしていますか? >
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


▼ これは、天皇陛下に対するマサノブの侮辱発言だ!


▼ マサノブ君は完全に天皇陛下を“下”に見て、敬語を全く使っていない! まさに、
  サヨクの反日的日本人だ!

▼ 「生長の家」の信仰を論じるのに、なぜ天皇陛下のことを書く必要があるのか?


▼ マサノブ君の本音は、天皇国・日本に反対だからである


▼ 大統領制共和国実現のための女系天皇制賛成論者だ!


▼ お孫さま信仰信徒の皆様!マサノブに騙されるな!



■■ 信徒の堪忍袋の緒は切れた!こんな開祖に対する恩知らずの総裁・超高給を蝕む理
事参議はもう要らぬ! マサノブ総裁および最高幹部の追放を信徒の力で! 聖使命会費
の一時休止と 講習会受講券購入拒否と マサノブ講習会参加拒否を! ■■

平成27年8月25日   本当の「生長の家」を伝え遺す信徒
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2655フニュ(´・ω・`)るん吉:2015/08/26(水) 02:41:03 ID:???
>>悟ってやろうではありませんか!

a hopeさま
きゃー、すごい、なんか元気出るぅ!(*^-^*)生きてる間に悟りたいですね!

私は、実相独在の真理は大好きだけど・・・すごいと思うけど、じゃあ宇治とか行きたいか?と言われると

行きたいとは、思わない。なんか宗教宗教してるのは、好きじゃないんです。拒否反応が起きてします。

生命の実相も、嫌なところは飛ばして読みますし。良いとこどりで読んでます。こんな私に比べてa hopeさん

>>、天界から雅春先生が「あなた、よくがんってますね」って、笑顔で応援してくださっているような
気がしていますよ。

それ、ほんとに、雅春先生から応援されてるんじゃない?おせじじゃなくて、私はa hopeさまはそういうところがあるような
気がするの!気功の先生にもいわれたんでしょ?「あなたがいるだけでそばにいる人の病気が癒える」みたいなこと。

2656トキ:2015/09/23(水) 21:57:43 ID:/nPvn1gY
純粋教理批判 様

 今日はお彼岸でお寺に参っておりました。ちょうど、臨済宗のお寺で、和尚様にこの掲示板を見てもらいました。
で、ひとしきり講義を受けて参りました。閑話休題。

 最近は、純粋教理批判様の投稿に刺激を受けて、宇宙についての本を読んでいます。大学時代に勉強したことから
ずいぶんと進歩したのだなあ、という感慨を感じております。たとえば、我々が目で見ることができる宇宙は、実は
4パーセントしかないのです。22パーセントがダークマター(見えない物質)で、74パーセントがダークエネルギー。
どちらもどのような存在形態をしているのか、ということすらわかっていないのです。純粋教理批判様が議論したい
内容は、実は宇宙論を研究している人の間でかなり真剣に議論をされている内容で、これはこれで興味深いものが
あります。

 ここまでくると、従来の宗教観と理論物理学との間に矛盾が生じることになりまう。ユダヤ人であるアインシュタイン
が、晩年はユダヤ教の教会から破門されていた、という正体不明の話しを読んだ記憶がありますが、それもあり得るで
しょう。

 純粋教理批判様がスピノザについて言及されていますが、アインシュタインはどうやらスピノザには触発されていた
みたいです。アインシュタインは晩年、よく「神」という言葉を使いましたが、その神は、聖書にいうような神様では
なく、スピノザのいう、その秩序について書かれていたみたいです。アインシュタインはこうも言っているのです。

 「わたしが知りたいのは、神が宇宙を創造したときに、他にも選択肢があったのか、ということだ」

 これについては、いろいろな議論があります。たとえば、マルチバース(多元的宇宙論)を前提にするのなら、
他にも選択肢があった、ということもあり得ます。まあ、この辺りは、純粋教理批判様がマルチバース論は議論
の対象にしない、との話しなので、ここで終わります。

(つづく)

2657トキ:2015/09/23(水) 22:17:08 ID:/nPvn1gY
 私がそれよりも深く感銘したのは、ビッグバン理論を提唱したベルギー人の物理学者であり、
カソリックの司祭でもあるジョルジュ・ルメートルという人物のことです。彼は第1次世界大戦
では砲兵として従軍し勲章を受けましたが、後年、神学と数学を勉強し、ハーバード大学と
マサチューセッツ工科大学の両方で博士号を取得しました。

 ビッグバン理論を提唱したときには、反対するアインシュタインと猛烈な論争になりました。
が、結局、ジョルジュ・ルメートルが正しかったことが証明される結果となりました。

 このビッグバン理論は、つまり、カソリックの司祭が言い出したことです。教皇ピアス12世も
この理論に言及し、「ビッグバンは天地創造の証拠だ」と絶賛したぐらいです。ところが、
ジョルジュ・ルメートルは教皇を諌めました。(ジョルジュ・ルメートルは、カソリックの科学者
の集まりであるカソリック・アカデミーの会長でもありました。)

 「この種の理論は、いかなる形而上学ないし信仰の問題にもかかわりなく、完全にその外側に
留まるものです。」

 ジョルジュ・ルメートルが言うように、ビッグバンが起こったか、どうかは科学上の問題であ
って、神学上の問題ではないということです。各人がそれを天地創造の根拠と考えるのも、ある
いは、考えなくてもいいが、それを無理に結びつけるのは正しくないということなのでしょう。

 その意味では、科学や哲学の問題を生長の家の真理の説明のたとえに使うのは良いですが、
それも限界がある、という感想を感じております。

*web 誌友会板では、楽しい議論が続いており、私も楽しんでおりますが、おそらくは、私と
純粋教理批判様と曳馬野 様以外は、腸が煮えくり返る思いでご覧だと思いますので、こちらに
投稿をさせていただきました。

 お許しください。

2658トキ:2015/09/23(水) 22:21:27 ID:/nPvn1gY
>>2657
 
 補足です。ビッグバン理論は、今日ではほぼ正しいとされていますが、証明までは
されていないみたいです。

2659純粋教理批判:2015/09/24(木) 10:03:10 ID:DD4jWV6M
アインシュタインは大きさが一定で大きくも小さくもならない定常宇宙を想定していました。宇宙が一定の大きさをたもっていられるのは、万有引力に対抗する力、つまりは万有斥力が必要と考え、それを宇宙定数と名づけその大きさを1としたようです。

実際には宇宙は膨張していると考えられているので万有引力に対抗する必要はありません。宇宙定数は必要ないと考えられていましたが、科学の進歩によって宇宙定数の存在があきらかになったようです。

その値はアインシュタインが想定した1ではなく、なんと小数点以下120桁という途方もなく小さな数字でした。アインシュタインは120桁も計算を間違えたことになります。1桁や2桁ならともかく、それ以上の桁違いは科学者の恥です。120も間違えてしまったアインシュタインはこの間違いを人生最大の汚点とみなしていたようです。

この120桁にかんしてはのちに意外な事実があきらかになります。宇宙定数があと1桁か2桁大きければ原子どうしがむすびつくことができなかったということがわかってしまったのです。原子がむすびつけなければ銀河は存在しえません。この宇宙はおそらく空っぽの宇宙になっていたことでしょう。

2660トキ:2015/09/24(木) 10:25:52 ID:UusplGVI
>>2659

純粋教理批判 様

 確かに、アインシュタインは、ジョルジュ・ルメートルにこう言ったそうです。

 「あなたの数学は正しいが、あなたの物理学はおぞましい。」

 余談ですが、アインシュタインは確か、最初の奥さんの協力で相対性理論を完成
させています。ご本人は数学にはやや弱い点があったという話しもどこかで聞いた
ことがあります。でも、アインシュタインは最初の奥さんを大事にしないで、結局
追い出してしまいます。閑話休題。

 先日亡くなったノーベル物理学賞受賞者の南部陽一郎博士が晩年のアインシュタイン
と話したことを「素粒子の宴」という本で書いていますが、南部博士はその時の
アインシュタインの話には全然感心しなかった、と辛辣なことを書いています。
 
 アインシュタインのような天才といえども、間違いをすることがある、ということ
でしょう。

2661純粋教理批判:2015/09/24(木) 10:51:52 ID:DD4jWV6M
宇宙定数や膨張の速度、電子の電荷その他をすべて合計すれば、1000桁、2000桁のうちほんの1桁でもちがっていればアウトであったということです。途方もなく低い確率で宇宙は存在しえたということですが、このとうてい考ええない事態を説明するのがマルチバースということになります。

宇宙が無限といってもいいほどに存在するとするなら、そのうちのいくつかが途方もなく運のよい宇宙であってもよいわけです。この宇宙はおそらくその「運のよい宇宙であった」というわけでしょう。

マルチバースの話もOKでありますが、ユニバースにしぼらなければ話が進みそうもなかったので、ユニバースにしぼり込むことにいたしました。

2662トキ:2015/09/24(木) 10:52:32 ID:UusplGVI
Web誌友会 板/2
5770 :純粋教理批判 :2015/09/24(木) 00:56:43 ID:DD4jWV6M
教えを広めさえすれば環境問題は解決するといわんばかりの人への質問です。

 一つの参考になるかもしれませんが、中国では今、環境破壊が深刻になっています。
この点について、ある中国人が興味深いことを話していました。

 たとえば、アメリカでは、基本的にはキリスト教の価値観がまだ生きています。
日本でも「恥」の文化があり、これも突き詰めたらある種の宗教観が根元になって
います。確かに日本でもアメリカでも環境破壊の問題はありますが、同時に、それ
に対する動きも盛んです。それは、環境破壊が道徳的、宗教的に問題がある、とい
う発想を持つ人が多いということです。

 中国でも、昔は儒教の考え方がありましたが、文化大革命で排除され、共産主義
の価値観を押し付けようとしたが、失敗をしてしまった。そこへ改革開放で資本主義
的な考え方が入ってきたので、一気に拝金主義になってしまった、と言います。

 政府や人民がいくら叫んでも環境破壊がなくならない原因は、この拝金主義にあると
言います。

 今朝、早朝神想観のあとにテレビを見たら、習近平国家主席がアメリカを訪問して
いるニュースがありました。そこで、中国からアメリカへ汚職官僚が多数亡命してお
り、その引き渡しが争点になっているとありました。国を良くするのではなく、
私利私欲で動く人が政府の指導部の多くを占めるようになった事実は、この点にある
ような印象があります。

 つまり、人間の根本的な価値観が、唯物主義(中国は宗教を弾圧している)や
拝金主義になると、環境破壊をものとしない人が増える、という関係にはあるの
ではないか、と考えています。

 教えを広めさえすれば環境問題は解決する、とまでは思いませんが、極めて有益では
ないか、と考えています。

2663純粋教理批判:2015/09/24(木) 10:55:21 ID:DD4jWV6M
アインシュタインは確かに計算には弱かったみたいで、奥さんではなく名前はわすれましたが、ある高名な数学者にむつかしい計算はまかせていたという話は聞いたことがあります。

2664トキ:2015/09/24(木) 11:07:50 ID:UusplGVI
 すみません、仕事の都合で少しお返事が遅れます。お許しください。

2665純粋教理批判:2015/09/24(木) 11:33:28 ID:DD4jWV6M
>すみません、仕事の都合で少しお返事が遅れます。お許しください。

どうぞお気になさらずに。意外とおもしろい展開になってきたとおもいます。

宇宙の業といえばダークエネルギーでしょう。宇宙はすでにダークエネルギーの時代に突入してしまったようです。

ダークエネルギーのやっかいなところは、宇宙がいくら膨張しても密度がかわらないとされているところですね。密度が変わらないということはエネルギーの総量が増えているということなのでしょうか。

いずれにしても重力の影響はこれから弱まるばかりです。これに反比例するかたちで斥力であるダークエネルギーの影響力が強まるわけですから、宇宙はこれから加速度的に膨張しつづける可能性が高いといえます。最後はビッグリップ、原子までもが素粒子にまで分解してその状態が永遠につづくことになるのかもしれません。

2666純粋教理批判:2015/09/24(木) 11:43:36 ID:DD4jWV6M
拝金主義は昔からあったことで今にはじまったことではないはずです。何が問題か、それは人間中心主義であり、それを生み出したのはおそらくキリスト教的世界観であり、その世界観をささえているのが「みずからの言葉をもって真理となす」イデア論であるとする考えをわたしはもっています。

教えもまたイデア論であるとわたしは考えます。世界観としてはキリスト教的世界観とおなじと考えます。そのために「神は原子力エネルギーを人類にあたえたもうた」というがごとき人間を中心とした思考にどうしても落ち込んでしまうのではないでしょうか。

教えでは環境問題に対応できないばかりか、むしろ環境破壊を生み出した人間中心主義をよりいっそう助長しかねないとさえ考えております。

2667トキ:2015/09/24(木) 17:51:19 ID:UusplGVI
>>2666

 コメント、ありがとうございました。

>>拝金主義は昔からあったことで今にはじまったことではないはずです。

 拝金主義は昔からありましたが、拝金主義に反対する意見や考えも昔からありました。
拝金主義があって、拝金主義に反対する声が少なかったらどうなりますか?
エンジンは正常だが、ブレーキが故障している自動車みたいなもので、どこかにぶつかります。

 それだけの話です。

>>教えでは環境問題に対応できないばかりか、むしろ環境破壊を生み出した人間中心主義をよりいっそう助長しかねないとさえ考えております。

 純粋教理批判 さんの発想はすごく飛躍していると思います。昔の歌に「電信柱が高いのも、郵便ポストが
赤いのも、みんなオイラが悪いのよ」というのがあったのですが、それに近いものがあると感じます。

 人間が人間の生存を最優先に考えるのは、私は当然だと思っています。それを人間中心主義というのなら、
世界中の人間が人間中心主義者でしょう。キリスト教やイエスキリストが生まれる前から人間はそういう主義
でやってきたのでして、なるほど、西洋文明はその程度が甚だしいとは思いますが、だからと言って、それを
否定するまでにはいかないのではないか、と思います。

 10年ほど前に、サラリーマンの生活を辞めて縄文時代の生活を始めた人がいましたが、数年で挫折して
普通の生活に戻りました。テレビのバラエティー番組でよく登場しているので記憶している人もいるかも
しれません。

 環境問題の大切さは否定するつもりはありません。ただし、私は少なくても、人間が人間に価する生活が
できることが最優先だという価値観を持っています。その上で、行き過ぎはよくない、というのが普通の
市民感覚ではないでしょうか。

(つづく)

2668トキ:2015/09/24(木) 18:18:02 ID:UusplGVI
 あと、これは宇宙論の本とかを読んでいて知ったのです。原子力というと、福島とか
川内とかのような発電所というのが我々庶民のイメージです。ところが、実際には、
原子力電池などもあります。今の宇宙開発などは、この原子力電池を利用しないことには
実現が不可能なのです。

 イトカワから帰ってきた「ハヤブサ」などは太陽電池を積んで、電気エンジンつまり
電気を推進力にするシステムでしたが、これは太陽系の範囲内で太陽の光が届く範囲で
しか動きません。ご存知の通り、太陽の光は太陽の距離の二乗で減衰しますから、太陽
の反対の方向へ行く場合は動力としては使えません。その点、原子力電池はエネルギー
源としては理想的です。米国の「ボイジャー1号」「ボイジャー2号」や「パイオニア
10号」などは、原子力電池を使って太陽系のふちまで行ってデータを送ってきています。

 さらには、宇宙ステーションとか地球外の星への移住が現実の話になると、化石エネルギー
は非現実的だから、原子力以外の選択肢は存在しない、ということになります。

(つづく)

2669トキ:2015/09/24(木) 18:31:16 ID:UusplGVI
 私は不勉強ですから、今のエコロジストがこういう点をどう考えているのかが不明ですが、
生長の家の現在の方針を見る限りは、原子力エネルギーの平和利用自体にもかなり否定的な
印象があります。それもかなり観念的に、物欲自体の否定から始まった原子力エネルギーの
否定論です。

 この理論の側に立つにしても、10年とか20年のスパンなら、まだ、賛成するか、ど
うかは別にして、理論としては成り立ちうるが、それ以上の年月が経過し、宇宙開発が
本格化した時期には、この理論は存在そのものが不可能になるだろう、という予感をもって
います。

2670トキ:2015/09/24(木) 18:56:35 ID:UusplGVI
>>2661

 マルチバースとユニバースでは、少し違う点があるみたいです。

 ユニバースつまり我々が生きているこの世界では、物理法則は宇宙では一定です。
これを「標準理論」というらしいです。ところが、マルチバースつまり多元的な宇宙
の存在を肯定する考えでは、そういう物理法則というのは、あくまでも我々の宇宙で
のみ通用する法則である、ということになるみたいです。

 まあ、宗教を信じている人にとっては、マルチバースのほうが都合が良いみたいで
す。ユニバースだと標準理論で全部説明できるので、いわゆる人格神が存在しにくく
なるからです(笑)。

 それはともかく、物理学の本を読んでいると、かなりの部分がわかった、という
ことは確かですが、同時に、わからない部分のほうが多い、ということも改めてわ
かります。ダークマターについても、いわゆる「重力レンズ」の理論により、存在
することは確かですが、その正体は不明なままです。

 まあ、それはそれとして、結論を急がないのが私の主義です。

2671トキ:2015/09/25(金) 10:51:33 ID:C6YPV.Os
 少し話がずれますが、お許しを。

 
 「立花隆の「宇宙教室」という本は、違う意味で面白かったです。
別に目新しいことが書いてあるわけではないのですが、漠然と考えてい
ることが書いてあります。

 特に、後半の東北の被災地の小学生と宇宙開発事業団の人と立花隆氏
との授業は面白かったです。

 かって生物が海の中から陸上へと上がることで進化を遂げたように、
今後、人類は宇宙へと進出することで新しい進化の段階になる、という
発想はそうかもしれません。

 過去、地球は何ども巨大変動を迎えています。地球も人類の化石燃料
の使用で温暖化していると同時に、地球規模では寒冷化の時期が始まって
いる可能性があるそうです。地球は過去に全球凍結の時期もあり、巨大隕石
の衝突でほとんど全ての生命が絶滅した、いわゆる大量絶滅期が何度かあっ
たこともわかっています。

 こういう事態に対応して、火星や月の探索は必要になったくる、という
のは確かでしょう。そうなると、宇宙意識が必要になってくる、という
指摘もありうると思います。

 最後に、ディベートの大切さ、というのもその通りだと思います。
意見の対立する問題では、議論をして相手を打ち負かすという発想よりも
多様な意見を考えた上で、結論を修正するという態度は大事です。

 生長の家で言えば、教団と本流復活派の対立もそうですし、先の
安全保障法案の議論もそうですが、ひたすら相手を打ち負かす点だけに
熱をあげてしまい、内容にある議論がされていない、というのは
議論としては無益であるばかりか、有害だと感じます。

 実は、教区の現場での議論は、それが当たり前なのですが、大きな
会議になると、それができない傾向があるのも感じています。

 どうしても覚える教育に重点がいきがちですが、考え、議論をする
教育も大事だと感じましたね。

 話がずれて失礼をしました。

2672純粋教理批判:2015/09/25(金) 11:53:38 ID:DD4jWV6M
>人間が人間の生存を最優先に考えるのは、私は当然だと思っています。それを人間中心主義というのなら、
世界中の人間が人間中心主義者でしょう。

意図的かどうかはわかりませんが、わたしの主張をまったく違った方向へ解釈しようとしておられるようです。

わたしのいう人間中心主義とは「おのれの言葉をもって真理となす」考え方をいいます。トキさんはまったく違った方向の解釈をしておられます。

反捕鯨の問題が起きたときに「クジラはだめなのになぜ牛はよいのか」との質問があったと記憶しています。これにたいするある欧米人の回答は「牛は神が人間にあたえたものだ」であったとおもいます。

「牛は神が人間にあたえたものだ」、こした言い方が「おのれの言葉をもって真理となす」ということであり、わたしのいう人間中心主義です。

このようにいわれたとき反論のしようがありません。「神はそのようなことをしておられない」といったところで相手の主張を否定できるはずもありません。

人間中心主義に対する批判は「それはおのれの言葉をもって真理となそうとするイデア論である」とする方向からでないと無理のような気がいたします。イデア論を徹底的に批判するよりほかはないと考えます。

生長の家にこれができるのか、ということです。

わたしのみるところでは、生長の家においてもまた「おのれの言葉をもって真理となす」考え方が支配的のようです。生長の家は人間中心主義を批判できない。わたしはこのように考えます。

2673純粋教理批判:2015/09/25(金) 11:58:50 ID:DD4jWV6M
生長の家の教えで環境問題に介入したとしても、それはイデア論とイデア論の対立でしかない。わたしがいいたいのはこういうことです。

2674純粋教理批判:2015/09/25(金) 12:20:47 ID:DD4jWV6M
わたしは、雅春先生の教えをすべて否定しているわけではありません。多くの人々を救ってきたすぐれた教えであるとはおもいます。しかし、どんな教えにも問題はある。わたしが言っているのはこういうことです。

キリストの教えにしても人間中心主義という副産物を生み出してしまいました(とわたしは考えている)。雅春先生の教えにしても、雅春先生の意図に反して思いがけない副産物を生み出すということです。本流にみられるような尋常ならざる排他性もそのひとつと考えます。

2675トンチンカン:2015/09/25(金) 13:41:08 ID:z9V4A.MQ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『わたしが言っているのはこういうことです』・・

(参考)の文面は、「マサノブ爺さん」以外に考えられないのですが・・?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




(参考)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2674 :純粋教理批判 :2015/09/25(金) 12:20:47 ID:DD4jWV6M

わたしは、雅春先生の教えをすべて否定しているわけではありません。多くの人々を救っ
てきたすぐれた教えであるとはおもいます。しかし、どんな教えにも問題はある。わたし
が言っているのはこういうことです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2676純粋教理批判:2015/09/25(金) 14:10:35 ID:DD4jWV6M
>かって生物が海の中から陸上へと上がることで進化を遂げたように、
今後、人類は宇宙へと進出することで新しい進化の段階になる、という
発想はそうかもしれません。

ロシアの宇宙開発は「ロシアの宇宙開発の父」と呼ばれるツィオルコフスキーの思想にもとづいてなされたというのは、いまや多くの人が知るところとなっているはずです。

ツィオルコフスキーの狙いは人類が宇宙に進出することによる意識の拡大であったといいます。宇宙に人類の支配圏を拡大しようというのではなく(アメリカにはおそらくこうした狙いがあるのでしょう)、ロシアの狙いは人類意識の拡大であったともいわれているようです。

たとえひとにぎりであっても人類はすでに宇宙へと進出しています。意識の拡大ははたして実現しつつあるのでしょうか。スピリチュアルへの関心をもつ人が増えていることと意識の拡大との関連性があるとはおもえませんが、人類はすでにあとへはもどれぬ段階に足を踏み入れてしまったのかもしれません。

2677純粋教理批判:2015/09/25(金) 14:40:01 ID:DD4jWV6M
わたしがいっている人間中心主義はヒューマニズムです。トキさんがいっておられるのはエゴイズムです。両者はまったくちがいます。

論点をヒューマニズムとしての人間中心主義にしぼっていただくことをのぞみます。

自然破壊をいかにして正当化するか。正当化するにあたって大きな役割を果たしたのが一神教です。自然界の万物に神がやどるとする多神教やアニミズムでは環境破壊はとうてい正当化されるものではありません。多神教やアニミズムを否定する一神教のほうが、環境破壊を正当化するには都合のよい考え方であるのはたしかな事実です。

一神教であれば「牛は神があたえたものだ」とする言い方が成り立ちます。多神教やアニミズムにおいてもこうした言い方を成り立たせることはあるとおもいますが、それにはかならず「礼をもってなされなければならない」といったような条件がつくはずです。

こうした条件を取り払って人類の好き勝手ができるようにしたのが一神教であるともいえます。宗教と環境破壊はけっして無関係ではありません。生長の家では「感謝して食する」というはずですが、一神教は、多神教やアニミズムを奉ずる人類が当然のこととしてなしていたであろう感謝の思いでさえも取っ払ってしまったという気がしてなりません。

2678曳馬野:2015/09/25(金) 17:54:21 ID:JPiKJZkg

>>2677

「生長の家の教え」では「神とは人間の実相」のことですから、という人がいますが、「神が心に浮かべた理念が人間だ」といわれますね、そんな人に訊いてみたい、「あなたが神であるのなら、理念としての何物かを造ってみて下さい」と、性質としては神と同じと説いてはいるけれど、神が心に浮かべたものが人間と云うことになると、人間が理念として出来上がる前に神は存在したことになります。この言い方には創造主としての神と被創造物の人間とが別々に存在しているように聞こえる。

「神は姿かたちの無いもの」として説かれている生長の家で『人間は神だ』と云うことと『神とは人間の実相だ』とは同じことになりますので、人間も姿かたちの無いものと云うことになります。しかし人間がこのような姿かたちをしている元が理念と説いていると思います。

『人間』とは何なのでしょうか、この肉体はどのようなものなのでしょうか?人間なるものの誕生以前に神というものが存在したのでしょうか?人間は無始無終に生き通すものとも言われているのではないですか?神が作り出すまでは存在していなかったということですと、この辺も変です。

こういう点で生長の家の話には疑問を持ちます。一神教に関して別の観点から。

2679トキ:2015/09/25(金) 19:04:13 ID:C6YPV.Os
>>2677

純粋教理批判様

 ご投稿、ありがとうございます。アニミズムなどでは、確かに人間が好き勝手なことが
やりにくくなります。古神道やアイヌの信仰もそうですが、アメリカン・インディアンの
信仰などが、おそらくは純粋教理批判様の思考とかなり近いものではないか、と想像して
います。人間も生態系の一部という発想は、確かにアニミズムの信仰では大きな部分を
占めますから、環境破壊は起こりにくいでしょう。

 問題は、このようなアニミズムの信仰が現代の社会では主流派にはなり得ないことです。

 例えば、アメリカン・インディアンと言われる人たちでも、自動車に乗ります。小林よしのり
さんによれば、現代、北海道ではアイヌの純粋な生活をしている人は皆無に等しいと言います。
古神道にしても、現代の日本ではかなり信仰する人は少ないでしょう。その理由は単純で、
現代の人間には説得力が少ないからです。

 環境維持を声高に唱える生長の家本部の人たちも、北杜市の「職員寮」の写真を見ると、
ハイテクの建物であるのはすぐにわかります。

 確かにスピリチュアルな観点からは、アニミズムというのは勉強になるのは事実です。
しかし、現代のハイテクな時代に生きる人間に、近代はおろか原始時代の信仰が「環境に良い
から」と推進することは、実現の可能性という点ではかなりの問題はあると思います。

 それに、アニミズムの信仰にも危険性はあります。

 例えば、古代のマヤ文明の信仰などでは、人間を生贄にしていました。アニミズムは環境保護
という視点では良い点があっても、それ以外の点で問題がないわけではありません。暴走する
危険性はアニミズムでも同じだと考えています。

 それと。

 一神教が環境破壊の原因か、どうかは私はわかりませんが、これを肯定したとしても、例えば
アメリカン・インディアンの信仰では、天地の創造主という発想をします。これもアニミズムで
はあるが、一神教であると理解することが可能です。すると、一神教でも環境破壊にならない、と
考えることも可能です。問題は信仰の中身だと考えます。

 現象としての人間には、問題はありますが、同時に、神様から与えられた知恵というものがあり
ます。環境の問題は、人間に与えられた宿題ではありますが、知恵と愛とで十分に解決できるし、
それで十分だと思っています。


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