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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

2602a hope:2015/07/08(水) 10:40:42 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第1巻 p14 


「生長の家」とわたし

わたしはこの『生長の家』の生き方がどんなに善い生活だかということについては、確信をもっている。

諸方の読者から集まって来る多くの賛辞は、わたしのこの確信がただのウヌぼれでないことを第三者として証拠たてている。

 なかにはわたしを教祖あつかいしてくださる誌友もあるが、わたしは『生長の家』の教祖ではない。

わたしは諸君と共に『生長の家』の教えを聴聞して、ひたすら、その教えのごとく生き行こうと努力する一人の求道者にすぎない。

わたしがまだこの世的な悩みをいく分でも持っているのはわたしの生活がまだ『生長の家』の生き方には完全になり切っていないからである。

むろんこの雑誌の原稿はわたしの手にもったペンにより書かれる。

しかし、ひとたび『生長の家』を書こうとしてわたしがペンをもって机に向かうとき、わたしはもうふだんのわたしではないのである。

霊きたりてわたしを導く。

弱い性質のわたしにはとても書けない強い言葉が流れるように湧いて来る。

第二号の『生長の家の歌』※のごときは自分ながら驚くほど強いことが書けている。

わたしが亀岡にいたとき、わたしが専念、教えのことを書いているのをかたわらで見ていた霊視能力者の加藤氏は、わたしと別な霊人が筆をとっている姿を見たといっていた。

それは信じてよいかどうかは知らない。

しかしもし『生長の家』に教祖というべきものがあるならば、この地上のわたしではないであろう。


およそ宗教的な深さをもったものは、それが教えであると芸術であるとを問わず、その源は霊界にあるのである。

古来から神品(しんぴん)といい神徠(しんらい)といいインスピレーションといったのはこれである。

われわれはすべて霊界および現世の人々からラジオ的に放送されて来る思想波動を感受するところの受信機であるのでる。

しかしJOAKの放送を受けるにはラジオの受信機の調節をJOAKの放送に合せなければならぬであろう。

それと同じくわれらがいっそう高き世界よりくる思想波動に感ずるためには、自分の心をその思想波動に調子を合せねばならぬのである。

ここにわれらは不断に心を清め、心をいっそう高き世界よりの波動に感ずるように訓練しなければならない。

この訓練がたりないとき雑音が混じる。

受けるインスピレーションが不純なものとなる。

もしわたしの書くものに純粋ではない雑音が混じっているならば、それはわたしの罪であって、霊界よりこの地上に『生長の家』運動をはじめた神秘者の罪ではないのである。


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