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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

2637a hope:2015/08/16(日) 10:11:18 ID:cEpBaIdo

「人生を支配する先祖供養」  谷口雅春先生 ―― 編著 (日本教文社)

はしがき

多くの人たちは、霊界と現実界との関係を知らないのである。

人間の肉体が死んだら、もう人間そのものは消えてしまって無くなるものだと考えている。

だから此世(このよ)で狡(ずる)いことをして利益を得たり、人に残虐な行為をして自分だけが快楽を貪(むさぼ)ったりしても、それは利益の取り得であり、快楽の貪りどくだということになる。

実際そうして悪賢い狡い奴や、残虐な奴が此世で少しも制裁を加えられないで栄華をきわめたままで地上の生を終る例をたびたび吾らは見せられるのである。

そして死と共に、彼らは一様に〝無〝 の世界に消え去って、後に何も残らないのだったら、狡いことの仕得(しとく)、楽しみの仕得で、正直な人間が馬鹿を見るのがこの世界だということになる。

そこで〝悪〝 の仕得ということが一般の通説になり、道徳地に落ち、人心は乱れに乱れて此世には悪人充満の地獄相を呈することになるのである。

それが現代の、いつわらぬ世相ではあるまいか。


併(しか)し、人生はそんなに甘いものではないのである。

悪業の仕得や、悪い奴の、富や快楽の貪りの仕得などということを心の奥底で不公平に感ぜずにはいられないのは、われわれが〝心の深層〝 の中に、「そんな不公平は決して存在しない」という
原因結果の法則を直観的に知っているからなのである。


原因があれば結果を生ずる。

これは宇宙の大法である。

それを仏教では「因果、昧(くらま)さず」と教えられているのである。

悪業を重ねながら現世に於いて悪果が出てこないからとて、人生を馬鹿にしてはならないのである。

悪業を行っても現世に、その帳尻が出てこないということは、どこかに、その帳尻の総決算がおこなわれる世界があるという証拠でもある。

その総決算が行われる世界が霊界及び未来世(未来に、われわれの霊魂が生まれ代わって来る世界。単に〝来世〝 ともいう)である。

(謹写 つづく)


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