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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
452
:
初心者
:2011/06/25(土) 18:57:23
ぼるぼ様へ
>私も、大いに刺激を受け、埃をかぶっていた雅春先生の本を読み直しました。
素晴らしいではございませぬか。バテバテになりながらも、続けてきた甲斐があろうというものです。
ここでの問題のひとつは、神はどのようにして神ご自身が美人であることを知り得たのかということなのであります。「実相モデル」と「寂光モデル」とでは、このあたりの見解にかなりの違いがあるようなのです。ぼるぼ様も、よいお考えがあれば発表なさってください。
この掲示板では、相手の意見を否定するのではなく、批判をとおしてたがいの魂の向上をめざそうとしています。お気づきになったことを書き込んでいただければ、ありがたく存じます。
のちほど、管理人のトキ様よりご挨拶があると思います。何か関連したご発言があると思います。
453
:
トキ
:2011/06/25(土) 19:18:31
>>450
ぼるぼ様
ご投稿、ありがとうございます。ご参加を心から歓迎申し上げます。
飛田給で魂を磨かれたのですか。素晴らしいですね。徳久先生などの指導も受けられたと拝察します。
たいへん的確な助言を初心者様にされたので、関心しました。
また、谷口雅春先生のご著書を再読される契機になったとの事、管理人として、光栄に思います。
感謝、感謝です。
このスレッドも、おかげさまで活況を呈しておりました、これも皆様のおかげです。
一応、1000の投稿でおしまいになり、次のスレッドを立てるのですが、次に立てる
ときは、何か「名称」をつけて、スレッドを立てたいと考えています。もし、ご賛同
いただけるのなら、皆様から名称を募集したいとも考えています。でも、まだ半分ですから
先の話ですが。
管理人としてはまだまだ「青葉」マークですから、至らない点があると思います。
なにとぞ、ご指導、御鞭撻のほど、お願い申し上げます。
では、これからのご投稿を心から期待しております。
合掌 ありがとうございます
454
:
トキ
:2011/06/25(土) 19:20:08
>>453
誤植です。お詫び申し上げます。
×関心しました。
◎感心しました。
あと、御不明の点は、お気軽にお尋ね下さい。
管理人敬白
455
:
役行者
:2011/06/26(日) 02:06:38
>>448
の投稿は、初心者様のお察しのように、役行者でございます。
いま、パソコンを使える状況ではないので、携帯からコメントしている次第です!ただ、そのためのミスです。
いやはや、初心者様の求道心プラス負けず嫌い、完敗しました。
私はただ、真理の追究とともに、魂磨きをしたいと、そう願っているものです。
できれば、ゆっくりと、時間をかけてゆきましょうぞ!
魅力溢れる掲示板を、つくっていきましょうぞ!!
それから、先ほどの設問ですが、美人がどうして、美人を知り得たのか?
それは、鏡があったからです。
つまり、神がなぜ、神を知り得たか?
それは、神性を映し出す鏡があったからでしょう。果たして鏡とは何か?ちょっと、考察中です。
ちょっと、目覚めたので、コメントしました。(笑)
456
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/26(日) 05:19:13
>皆様
いやー、素晴らしい展開ではないですか。
私は理屈民族でありまして、そしてこれは「理屈で腑に落ちぬことは、い
かにしても同意しがたい」を意味しまして、同時に「理屈で把握できぬこと
は、たとえどんな高名な方のご主張であろうとも不同意を表明する」ことを
意味するのですが・・・ああ皆さん、ここにいらっしゃる方々は「同じ民族、
だ(笑)」てな感想を持つ次第です。実にオモシロイ(笑)実生活では皆さん、
「ああなんでアンタは、そんなに理屈っぽいのw」と差別されておられること
と愚考します(笑)でもしかし、そんな差別に遭おうともこのテーマ・・・や
り取りせずにはオレナイという(笑)
そしてまあ、既述になりますが、このテーマに関し、まあ議論の大枠を確認
していくならば「ゆっくり行きましょう」が正解だと思います。なぜと申して、
これ、「一転語は存在しない」ことは確かであります。雅春先生すら「迷いに
迷われ」た上で、ようやく気づかれたというテーマなのでありますから、まあ、
我々の様な凡夫ならばなおのことでありましょう(とは申せ、我々には御教え
があるわけです。それこそ若き雅春先生の思索の「一万分の一時間」ほどで
「容易に同意に至るであろう」そのことは付記できようかと)
>初心者さま
ご配慮をありがとうございます。でもしかし「月末なんでこんな話、してい
る場合じゃない!」なんて言葉よりも「実にオモシロイ」という言葉が飛び出
してしまうのが愚生です。「実にオモシロイ」が本音なので、ああこれ、経営
者としては失格かもしれませんね(笑)そんな真理に関することよりも、「ち
ゃんと仕事しろよ」と言われかねない、そんな時間配分で生きておりますんで
(笑)
>「寂光論争」で問われているのは、実相はどうやればキャッチできるのか、ということ>です。このキャッチの仕方に、「実相モデル」と「寂光モデル」では大きな違いがあると>考えて、共通した見解を見いだそうとしているところなのです。
まあ大凡の展開−今後、愚生が提示するであろう話―を事前告知致しますと、
以下記事になりましょうか。
●再度問う。「現象、とは?」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65560893.html
(同記事より抜粋)
『現象無し』と云うことは、何にも無いということではない。其処にその
〝現れているもの〟は無いということである。現れているものは無いけれども、
〝現れていないもの〟があるのである。肉体は現れて見える。肉体は現象であ
り、現象は無いのであり、従って肉体は無いのである。現れて見える肉体は無
いけれども人間“そのもの”は無いのではない。
その他記事も関連があるのですけど、まあ「上記を膨らませながらの話にな
るのかも」という、そんな展開を予想しております。そして頃合を見て参戦予
定であります。(まあ既に、意識の上では参戦中ではありますが)
今後もどうぞ、よろしくお願いします。
457
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/26(日) 05:26:32
>トキさま
>次のスレッドを立てるのですが、次に立てる
>ときは、何か「名称」をつけて、スレッドを立てたいと考えています。もし、ご賛同
>いただけるのなら、皆様から名称を募集したいとも考えています。
<私の希望するスレ名称>
【理屈上等】なんで〝ない〟のに〝ある〟んだよ?!
458
:
ぼるぼ
:2011/06/26(日) 08:51:55
トキさま
不特定多数の一般閲覧者の中から、突然書き込んだ一言に対して、どんなボール球でもヒットにしてしまう天才長嶋のようなレス、さすがです。
本流を出て一躍人気掲示板と成り得たのもむべなるかな。
しかし、今更長嶋はなかったかな。古すぎると、反省。
僕が飛田給にいたのは30才の頃で、ざっと30年前なんですが、徳久先生はアメリカの教化総長だったので不在でした。
僕は一番下の位の道場員でありまして、農事部に所属していて、雅春先生の指示にしたがって鶏の世話をし卵をお山に届け、徳久先生宅の草刈や、雅春先生が磨り潰して飲むという
麦の若芽にあんまり綺麗とは言えない水をやったりして下座業に励んだものです。
もちろん、教団のすべての雑務、法供養、錬成、講習会もろもろの裏方としての仕事をやりました。
当時は雅春先生が家長で、生長の家はひとつの大家族で観がありました。
組織の常として、上位のポスト争いはマキャベリズムがカビのように蔓延ります。
僕の生得の体質で、茶坊主が嫌いで、神にのみ信を置くという潔い生き方をするには教団組織外で生きるほうが
自分にはふさわしいとの結論を得て、本部へ就職を断り、当時職員だった女性と結婚して無一文で一般社会に回帰し今日に至りました。
その妻も3年前に他界しました。我が国にも大転換の兆しが感じられる今日この頃です。
自己紹介ついでにスレッドも紹介しておきます。
http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=5267&forum=8
459
:
役行者
:2011/06/26(日) 09:00:37
>訊けブログ様
いま、パソコンを使える状況ではないので、簡単に挨拶します。
面白くなってきました。
実相のみが存在する。
いいですね。
460
:
役行者
:2011/06/26(日) 09:08:31
訊けブログ様
なんでないのにあるんだよ!
に、座布団10枚!!
初心者様
もう、始めから仮説なので、当然なのですが、実相モデルも寂光モデルも人間がつくった神観です。
それでも、宇宙創造の神は存在します。
461
:
ぼるぼ
:2011/06/26(日) 09:45:09
読み返して気になるので、誤字訂正します。錬成→練成、下座業→下座行。
462
:
初心者
:2011/06/26(日) 11:48:29
おやっ!
「いやはや、初心者様の求道心プラス負けず嫌い、完敗しました」と言われし役行者様。
負けをお認めになられたということですね!
短期決戦と心得ておりましたが、
役行者様より、
予想外というべきか、予想どおりというべきかの手痛い反撃をくらい、
思いのほかの長期戦となってまいりました。
戦力の一斉投入をと考えておりましたが、ここはひとつ、戦力の消耗をふせぐために、
小出し戦術に切り替えますでございまする。
ブログ管理人様へ
>実生活では皆さん、
「ああなんでアンタは、そんなに理屈っぽいのw」と差別されておられること
と愚考します
わたくしは、小学校の1、2年生のときの担任の女教師より
「この子は、おとなになったら理屈ばかり言うようになって人から嫌われる」
と言われておったでござりまする。
この大予言を肝に銘じて、人前ではできるかぎり理屈は言わぬようにと、
このように考えて生きてまいったでござりまする。
理屈が言える場があるというのは、じつに素晴らしいことではございませぬか。
463
:
ぼるぼ
:2011/06/26(日) 12:15:51
初心者さま
あなたは既に十分真理の書を読み、科学的知識も豊富にお持ちであるにも拘らず、神について何故こんな妄想をしてしまうのでしょう。
>ここでの問題のひとつは、神はどのようにして神ご自身が美人であることを知り得たのかということなのであります
神というのは、藤原敏之さんの言葉を借りれば、「生命であり、理念であり、愛であり、慈悲そのものをいう」
「相対でも、有限でもなく、無限であり、絶対である」
これが生長の家では常識であるはずなんですが・・・・
今、藤原敏之さんの本をパラパラと読みながら思いついたので書き込んでいますが、続いて
「このような神を捉えるには、知識や学力によるのではなく、直感(生命)による以外はないのであります。身体を通し、実際の
生活を通し、さらに動かすことのできない事実を通す以外に方法はないのであります。全てにおいて生かされている事実に目覚め、
その中から救いが実感として生まれるとき、ただ感謝以外にないことを驚きと共に気付くのであります。この状態を信というのであります。」
さすがに実力ある生長の家講師であった故藤原先生は的確な指摘をしているなあ、と感じました。
初心者さまにかけているものはまさにこの信である、とズバリ指摘させていただきます。
464
:
初心者
:2011/06/26(日) 15:27:02
ぼるぼ様へ
ご登場なさって、さっそくの愛深きお言葉に感謝いたします。ですがわたくし、四面楚歌でございます。
無敵をほこった項羽は、戦えばかならず打ち破ってきた劉邦の軍にかこまれます。四方から聞こえてくるのは、故郷であるはずの楚の歌ばかり。楚の人びとにも見放されたかと、項羽は失望落胆いたします。今のわたくしには、項羽の気持ちが痛いほどわかります。
>「相対でも、有限でもなく、無限であり、絶対である」
「美人」とは相対でありましょうか?それとも絶対でありましょうか?有限でありましょうか?無限でありましょうか?
465
:
初心者
:2011/06/26(日) 15:47:55
役行者様へ
>それから、先ほどの設問ですが、美人がどうして、美人を知り得たのか?
それは、鏡があったからです。
つまり、神がなぜ、神を知り得たか?
それは、神性を映し出す鏡があったからでしょう。果たして鏡とは何か?ちょっと、考察中です。
「鏡があった」というのは順序が逆ではありませぬか。
鏡がなかった。だから鏡をおこしらえになった。こういうことではありませぬか。
神は、神ご自身の姿を見るための鏡をおこしらえになった。
これが第一創造でありましょう。
その鏡こそがこの宇宙なのでは?
宇宙を鏡として、神は神ご自身の姿を見てみようとなされた。
見えたときが「ピンポーン」の瞬間なのでは?
466
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/26(日) 16:13:08
>ぼるぼさま
初めまして。本議論へのご参戦誠に歓迎する次第であります。
さて早速ではありますが、議論の現況を、わたくしなりにご解説申し上げ
ます。
我々は種々のやり取りを行っておりますが、現在、本議論に於けるポイン
トのひとつは、「現象をいかに解釈すべきや」であります。そして「もとも
と五官では認知不能」であるのが實相界なのであるが「いかにせば、五官認
知可能な言葉で以って説明できようか?」といったものも本議論には含まれ
ているように感じております。ですので「(理解するには)信しかない」と
の貴殿お言葉でありますが、これに対しましては「まあ敢えて申すならば、
そこを『信』なき衆生には、どう説明するべきでありましょう?」という一
文を以ってお応えする次第という・・・
追伸
とは申せ、貴殿ご言及のお言葉でありますが・・・藤原第一師団小隊長(
私のことw)としましては「それが正解」なる一文をもって、お応え申し上
げる次第です。
初心者さまとのやり取りでありますが、最終的にわたしが結論するであろ
う言葉の概要は、まあ、その部分になろうかと予想しております。ただしか
し、現時点の初心者さまに於かれては、「最終的には『信』しかない」なる
言葉ですが――「論理が飛躍したカタチにしか映らない」と思われることと
愚考致します。(この主張根拠は・・・「わたし自身が元・無神論者であっ
たからワカル」というものですがwまあでも初心者さまは「無神論者」とは
言い難い御仁でありますけれどもね)
467
:
初心者
:2011/06/26(日) 17:13:33
ブログ管理人様へ
いやいや、ひさしぶりに楚歌以外の歌声が聞こえてきたような心地でござる。ご解説、まことにもってかたじけのうござる。
じつはわたくし、ぼるぼ様の真意がわからぬ段階でこのようなことを書くのは僭越と思いながら、ぼるぼ様のご意見が、これまでここで語られてきたことにたいする、ひとつのアンチテーゼとなっているような気がしなくもないのでございます。
おそらく、ぼるぼ様のお考えは、美は相対ではなく絶対であるというものだろうという気がします。絶対的な美が存在すると、このようなお考えを示されているのではないかと、このように推察いたしております。
もしそうであるとすれば、「寂光論争」に、これまでの議論を根こそぎ否定しかねない、きわめてやっかいな問題が持ち込まれたことになります。わたくしの推測では、ぼるぼ様によって持ち込まれたのはプラントのイデア論なのです。
プラトンのイデア論では、美は絶対的な観念として存在することになります。誰が反対しようとも、それは神の象徴としての絶対観念ということになってくるのです。そして神はまさに、ぼるぼ様が言っておられるように、この絶対観念の表現者ということになってくるのです。
ヘーゲルは、人類の意識は、弁証法的発展をとおして進化し、やがて絶対観念に達するということを言っていたように思います。もしもプラトンのイデア論が正しく、ヘーゲルが正しければ、わたしたち人類は、この現象世界においてすでに表現された神の絶対観念を最終ゴールとしたレースの参加者ということになってしまうのかもしれません。
このような重大な問題が提起されてしまったと、わたくしは勝手に解釈いたしております。もしも神が、真善美の絶対観念をすでに表現なさっておられるとすれば、わたくしたちが直観すべきは神の絶対観念だけということになってまいります。雅春先生や生長の家の諸先生方は、はたしてこのようなことを説いておられるのでありましょうか。
468
:
ぼるぼ
:2011/06/27(月) 01:07:19
ブログ管理人さま
>初めまして。本議論へのご参戦誠に歓迎する次第であります。
と、申されますが、貴殿のブログは開始直後から「お気に入り」にしていますので、なんだか旧知のような
気がしています。そちらでは、広大なる慈門という名前でコメントしています。
貴殿の熱情的な雅春先生への傾倒ぶりには圧倒されています。私は生の雅春先生と接していた世代の人間ですが、
貴殿の世代の生長の家は、像法の時代であって、仏教でいうなら、維摩経が釈迦と同時代人の悟りとすると、釈迦滅後、集大成され北伝し、さらに空海によって日本国教化された大乗仏教の悟りが求められている。
これは、大変きびしい要請であり、おそらく雅春先生の弟子の誰一人として、生長の家再興はできないであろう。
しかし、仏教にも中興の祖という人物が現れたように、時代の要請にあった宗祖的興隆は有りうる。
法然とか、日蓮みたいな宗祖が、現代の日本の混迷せる社会に現れる必要がある。
インターネットという新しい視野が広がっているので、ネット経由での真理普及も多数試みられている。この掲示板や貴殿のブログもそのひとつである。
不特定多数参加者は、練成や講習会に参加している有縁の信者と考えればよいと思う。
質問者にはその気根に適した回答が、どこからともなく、神意によって与えられる。
469
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/27(月) 06:30:46
>ぼるぼさま
>広大なる慈門という名前でコメントしています。
ああ!これはこれは(笑)いつもありがとうございます。
コメント欄へなかなか返信できずに、すみません。以前、コメント欄が不調
となりまして(コメントを入れると全文消去なんて事件がw)非常に神経質に
なっております(笑)でも、歓迎致しますのでどうぞよろしくお願いします。
>私は生の雅春先生と接していた世代の人間ですが、
羨ましい限りであります。「い――(30秒)――な――(30秒)――」
が本音でございます。
>インターネットという新しい視野が広がっているので、ネット経由での真理普及も多数
>試みられている。この掲示板や貴殿のブログもそのひとつである。
特にこの掲示板は、可能性無限大でありましょう。なにせ管理人様が聡明な
方であります。やはり管理人は(黒澤映画に喩えるならば)志村喬さんでなく
ては勤まらぬでしょうね・・・あっ、これは別に他の掲示板が「管理人が三船
敏郎だ」と言っているわけではありません(笑)そして「管理人も三船敏郎だ
けど、投稿者まで三船敏郎だ」なんて、一言も申しておりません(笑)
>不特定多数参加者は、練成や講習会に参加している有縁の信者と考えればよいと思う。
いやーしかし、柔軟な発想をお持ちの方ですね。これからもご指導をよろし
くお願い致します。こちらの掲示板でならば(コメント不調に見舞われず)活
発に意見表明ができそうです。
>初心者さま
いかにせば、〝五官認知可能なコトバや事象〟で真理を表現できるのか?
・・・非常に楽しみなやり取りです。そして貴殿なかりせば、こんなやり取
りは不能でありましょう。
ただ我々が取り組むテーマですが云うまでもなく、かの道元すら「半生をか
けて悩みぬいた」という、壮大なものであるという・・・
470
:
初心者
:2011/06/27(月) 10:42:42
ブログ管理人様へ
真理を「五官認知可能なコトバや事象」で語り、その妥当性について語り合うということは、とくに「真なき衆生」においては必要なことでありましょう。何を信じてよいのか、それさえわからぬのが「真なき衆生」でありますから。
「絶対観念」なる言葉が登場したことでもありますし、ここでの論点をわかりやすくまとめておきたいと思います。わたくしは、雅春先生がなぜ実相世界をお説きになられたのか、根本のところでそれが理解できずにおります。倉田百三氏がいわれているように、「寂光であればついてゆけるが、実相世界ではついてはゆけぬ」ということになるのであります。
実相世界と実相は異なるものだと思います。寂光に実相はありますが、寂光は実相世界ではありません。雅春先生がお説きになっておられる実相世界とは、具体的な形として存在する、神の創造せし世界であると理解しております。
ここでひとつのことが明確になります。実相世界が存在するのであれば、それですべてが完結するということであります。完結するということは、「現象はない」ということになってくるのであります。
これはきわめて明確な理屈であります。実相世界が存在するのであれば現象世界は必要ない。これは、当然の論理的帰結であります。
ここで神はなぜ実相世界を創造なされたのかと考えてみます。当然のことながら、それは真善美を表現するためであります。この表現が、実相世界において完結します。ただし、この真善美とは、神の絶対観念であります。絶対観念とは、いっさいの経験を経ずして知りうる観念であり、何らかの方法で表現しうる観念であるかと存じます。
これは、言葉を変えていえば、実相世界は神の絶対観念によって支配された世界ということになります。どんなにあがこうとも、神の絶対観念の外に出ることはできないという世界なのであります。
これは、あらかじめ先行きがすべて決定せられた世界ということでもあります。最終的には、神の絶対観念にしたがうしかないという世界であるような気がいたします。雅春先生がお説きになられた実相世界とはこのような世界ではないかと、わたくしには感じられてならないのです。
ここでは、実相世界に対抗するモデルとして「寂光モデル」を取り上げています。「寂光モデル」では神の絶対観念は存在せず、神の本質である真善美を表現するのは、現象世界における人間ということになってまいります。このあたりの対抗軸をわたくしが想定しておりますことを、まずはご理解ください。
当然のことながら、こうした対抗軸には相当な問題点がござりましょう。こうした点についても話し合ってゆければと考えております。
471
:
初心者
:2011/06/27(月) 11:55:47
>質問者にはその気根に適した回答が、どこからともなく、神意によって与えられる。
回答があたえられるべきは、わたくしではなくあなた様であるような気がいたします。
472
:
役行者
:2011/06/27(月) 12:05:12
>初心者様
いまだ、パソコンを使える状況ではなく、携帯からなのでご了承ください。
初心者様はただ単なる負けず嫌いだけではなく、論文に筋が通っております。ここまで来ると、本当に頭が下がります。
さて、トキさんから待ったがかかるかも知れませぬが、私も谷口実相哲学の範疇から外れるかもしれない持論から話すしかない状況下に置かれてきました。
まず、実相世界が存在するなら、そこは無限生長の世界でしょう。つまり、矛盾はないのですが、弁証法的に進化向上していく世界と存じます。
次に、ここからはますます持論なのですが、実相世界は来るべき地球の未来に必ず実現すると信じております。
確かに、いまは寂光世界と存じます。いや、地球創成のころから、寂光は宇宙に内包されていたと思います。
でないと、人間を中心とした神の第二創造に理由が付かないのです。
初心者様の仰る通り実相は神の理念として、存在しておりますが、実相世界は、現象的にはいまだ存在してないのでは?
いまは、神の地球計画最終章第一幕といったところでしょうか?
473
:
トキ
:2011/06/27(月) 13:25:33
>>472
待ったはかけませんから、気にしないで書いて下さい。
474
:
役行者
:2011/06/27(月) 14:23:22
>トキ様
お言葉に甘えて。
475
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/27(月) 17:16:56
>皆さま(笑)
熱い議論がつづいておりますね(笑)おそらくたぶん、種々真理探求サイ
トあれど、ここまでハイレベルなやり取りは「他に存在せぬ」とこを確信す
る次第であります。道元禅師も「うむむむむ」と申されておいでのことであ
りましょう。
さて過熱する議論に「入りたいけど入れない」そんな方々のために資料を
用意致しました。今後この議論に入られる際に参考になさってください。
● 五つの人生観
http://blog.livedoor.jp/con5151/preview/edit/2e90e990bfbdc233b98a7e6cf5ccd3f8
雅春先生ですが、世の中の思想を五種類に大別されておられます。現在の
やり取りに関して「あっ、初心者さまのこの仮説は(3)ではないか?」
「役行者さまのは(4)から(5)なのでは?」「ブログ管理人・・・実は貴様、お前の意見
は(1)だな!?」などという使い方が出来ようかと思います。
まあ云わば便利な「思考判定用モノサシ」と云えるでありましょう。
<一部抜粋>
(1)
※※※※※※※※※
※ 現象 ※
※ ※
※ 即我 ※
※※※※※※※※※
真我も仮我もそんな区別はない、「我」というのは一種の肉体現象であって、
肉体我というものの他に「我」というものはなく肉体が消えれば「我」も消えるという説。
(2)
※※※※※※※※※ ※※※※※※※※※
※ ※ ※ 我 ※
※ 肉体 ※ ※ ※
※ ※ ※ 【霊魂】 ※
※※※※※※※※※ ※※※※※※※※※
この見解は一方では現象の他に超越神を見、肉体の他に「我」というもの
を仮定し「我」は肉体と別にある。肉体が滅しても「我」というものは霊界
に残るが、その「我」はつまるところ現象我すなわち変易するわれであって
常恒のものではなく、いろいろに生まれ更わったり変易して苦しむという説。
(現世の他に霊界の存在を認む)
(3)
※※※※※※※※※
※ 現象我 ※
※ ※
※ 【真我】 ※
※※※※※※※※※
真我は現象我の内部にあると観る。
現世、霊界の現象我を〝有り〟と観ている。
(4)
※※※※※※※※※
※ 真我 ※
※ ※
※ 【現象我】 ※
※※※※※※※※※
真我の内部に迷いの要素ありて、真我が迷いの影を映して生じたのが現象我であ
ると観る。
(5)
※※※※※※※※※
※ ※
※ 真我 ※
※ ※
※※※※※※※※※
實相独在、真我独在であると観、現象は顕われていても顕われなくとも、
捨てても捨てなくても、そんなことに関せずに、如来があり、涅槃がある。
即身即仏久遠実成の説である。
476
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/27(月) 17:18:09
ああやはり・・・改行で表が破壊されました(笑)
まあ詳しくは、弊ブログまでお越しください。
477
:
初心者
:2011/06/27(月) 17:58:03
役行者様へ
携帯でのご投稿、まことにご不便なることとお察しいたします。たとえ短い文章であったとしても、ご意見をお聞かせねがえれば、ありがたく存じます。
>確かに、いまは寂光世界と存じます。いや、地球創成のころから、寂光は宇宙に内包されていたと思います。
でないと、人間を中心とした神の第二創造に理由が付かないのです。
わたくしも、役行者様と同意見です。実相世界がすでに完成しているとすれば、神の意志としての第二創造の説明がつきません。
ただこのことにかんしましても、「反・生長の家」的ともいえる持論があります。
神が神ご自身を表現なさるために実相世界をおこしらえになったとすれば、つづいて、鑑賞者としての人間をおこしらえになったと考えられます。神は、「わが創造せしすばらしき世界を讃嘆せよ」と、このように人間に命じられたことでありましょう。すかさず人間たちは、「さすがに神がつくられた世界だ。どこまでも完璧でスキがない」と、口々に讃嘆しあいました。しかしそのうち物足りない気分におそわれることになります。実相世界では、9回裏ツーアウトからの大逆転もなければ、役行者様のお好きな花金もなかったのです。
人間たちは、「こんな退屈な世界はもういやだ」と考えるようになりました。やがて念のレンズをこしらえ、それをゆがませることで、実相世界を、パースペクティブの効いた不完全な世界として見るようになったのです。
こうして人間たちは、実相世界からの逃走をはかりました。神様があらわれて、「こんな不完全な世界は、本物ではない。わが創造せし完全なる世界にもどれ」と説得しますが、人間たちは聞こうとしません。ああだこうだと押し問答となり、この不調和な波動により、現象世界にさまざまな悪が出現することとなりました。
今も人間たちは、実相世界にもどそうとする力と戦っています。戦いがつづくかぎり、現象の悪が消えることはありません。それでも人間たちは、「あんな世界にもどるのはいやだ」と戦いをつづけているのです。
このシナリオでは、当然のことながら、実相世界にもどそうとする神の力のほうが、やや優勢であります。やがて人間は力つき、実相世界へとつれもどされてしまいます。役行者様の「実相世界は来るべき地球の未来に必ず実現すると信じております」とのお言葉が実現することになるのです。
>初心者様の仰る通り実相は神の理念として、存在しておりますが、実相世界は、現象的にはいまだ存在してないのでは?
こちらのシナリオが、これまでここで話されてきた「寂光モデル」でありますね。わたくしもこのように考えます。ですから、雅春先生が実相世界をお説きになっておられる理由を判然と理解することができないのです。
ただひとつはっきりしておりますのは、もしも雅春先生が、実相世界ではなく寂光を説いておられたとすれば、教義は今よりずっとわかりやすいものとなり、仏教界からの反発もなければ、倉田百三氏による疑問も提出されることはなかっただろうということです。
しかしこれでは、生長の家ではなく、並の宗教として、仏教の一派ぐらいに数えられるのが関の山であったと考えられます。「いまだ実相世界は顕現せず」。このように説くのはやさしいことなのですが、それをなされず、「絶対観念」の問題や「第二創造不要論」、あるいは「人類造反説」も含めて、より困難な説明を要するであろう「実相世界はすでに顕現せり」のお考えを雅春先生がお説きになられたということは、やはり何か重要なお考えがあってのことだという気がしてなりません。
それにしましても、役行者様が「持論」を隠し持っておられたとは、まったく存じておりませなんだ。ひょっとして生長の家に、隠れ持論保持者はあんがい多いのでありましょうか。
480
:
役行者
:2011/06/27(月) 18:25:48
>雅春先生に訊けブログ様
五つの人生観!なかなか、いいタイミングにもってこられました。
鋭いです。
雅春先生は、唯神実相までの過程に、神を裁く、神と創造主の二元論でこの世は成り立っているという、聖道へなどの思想を経由しております。
そのように、汗と涙と血の滲むような努力のなか、実相が流出し、全身で感じ取られたのでは。
確かに、初心者様が仰る通り、実相をキャッチするには雅春先生同様多くの聖者が体験してきたよう、予期されない心が大切だと、存じます。ただ、雅春先生に限らず、実相を体現された方は必ず、いとも簡単に、ただ気づけば良いんだよ!と仰るのです。
聖者の方々のお言葉に甘えてみるのも、また一つ、悟りに近づく方法かもと、思う今日この頃なのです。聖者の方々の血の滲むような努力に敬意を表しながら・・・
481
:
役行者
:2011/06/27(月) 18:28:42
トキ様
478 479 を削除お願いします。
482
:
初心者
:2011/06/27(月) 18:37:30
ブログ管理人様へ
そこはやはり企業経営者。機を見るに敏。
センスがよろしくてございます。
役行者様、携帯で苦労しておられるようでありますね。
めげずに投稿をお続けなさってくださいませ。
483
:
トキ
:2011/06/27(月) 18:52:50
>>481
了解しました。
484
:
役行者
:2011/06/27(月) 18:54:12
>初心者様
これほど遠大な実践哲学ですから、それは隠れ持論保持者は山といるでしょう。
確かに、実相世界はすでに顕現せり。の言葉には何かがあります。
485
:
役行者
:2011/06/27(月) 19:26:59
初心者様
小出しにいきますが、(笑)
確かに私を含め、人間は現象世界、娑婆をこよなく愛してますね〜女、名誉、酒、権力と・・・どうしようもなく離れられないのでしょう。
もっと、大いなる歓喜が存在するのにも関わらず・・・
486
:
初心者
:2011/06/27(月) 19:56:58
役行者様へ
>確かに、実相世界はすでに顕現せり。の言葉には何かがあります。
そうですね。たしかに何かがありそうですね。
その「何か」を理屈で推測してみました。
今は寂光の時代であること。
未来において実相世界が顕現すること。
ここまでは、理屈で確定しています。
続いて推測です。
実相世界は時間を超越しているという可能性がある。
もしそうであれば、未来において顕現するはずの実相世界が、
すでに現在において顕現している可能性がある。
これにより、進化した神がすでに存在している可能性が出てきます。
理屈で推測できるのはここまでです。
ますますわけがわからなくなってきたような気がします。
このあたりのことをたたき台に、何かよい理屈が見つかればよいのですが。
小出しで「女、名誉、酒、権力」でござりまするか。
大出しにしたら、何が出でくるのでござりましょう?
487
:
初心者
:2011/06/27(月) 21:41:40
役行者様へ
ここから先は、理屈だけではどうにも手に負えぬ胸つき八丁がつづくと思われます。
前に進むには、雅春先生の文献を当たって見るのがよいかと存じます。
どういたしましょうか。
やはりあの、生長の家の誇る大文献学者、ブログ「雅春先生に訊け」管理人様のご協力をあおぐ、・・・というのは、ちと難しゅうございますでしょうか?
488
:
役行者
:2011/06/27(月) 23:53:16
>初心者様
>実相世界は時間を超越しているという可能性がある。
もしそうであれば、未来において顕現するはずの実相世界が、
すでに現在において顕現している可能性がある。
これにより、進化した神がすでに存在している可能性が出てきます。
これですね。素晴らしい仮説です。私はビックリしました。
そうなんですよ。この広大なるまた、悠久の昔より存在する宇宙には、
太陽系に類する天体があると聴いたことがあります。
そればかりか、未確認飛行物体、宇宙人が存在しないとも言えませぬ。
それが三次元の物質構成より、緻密で精度が良い波動体で構成されてる
可能性も高い・・・
雅春先生は、昭和4年12月13日、現象はない!!との声と共に、
確かに実相世界を観ていらっしゃるのではないでしょうか。
それは、理念の実相ではなかったと思うのです。
なんか、幸せな気持になってきました。地球の未来に・・・
>小出しで「女、名誉、酒、権力」でござりまするか。
大出しにしたら、何が出でくるのでござりましょう?
それは秘密です(笑)
しかし、この世をこよなく愛着し続け、こんな世知辛い世の中に
なってしまったのに、いまだ気づかぬのが人間。私も含め・・・
いや、流石にもう気づき始めているか・・・
神の地球計画、最終章第一幕まで来ていると観てます。
>生長の家の誇る大文献学者、ブログ「雅春先生に訊け」管理人様
のご協力をあおぐ、・・・というのは、
ちと難しゅうございますでしょうか?
ですよねぇ〜
いい感じになってきました。
実相世界の存在をしっかりと確かめたい気持です。
これほど人間が世知辛い世の中を
489
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/28(火) 10:32:56
挑発には乗らぬが「誉められると弱い」、ブログ管理人です。いやー皆さ
ん、卑怯ですよ。皆さんから〝生長の家の誇る大文献学者〟なんて云われた
ら・・・ノコノコ出てこざるを得ないではないですか(笑)
さて本議論の現況に関して、関連記事を提示致します。しかし「この段階
でこの文献を出せば」ですよ、師団長から「もう出すか!それ!」なお叱り
を受けかねませんという・・・しかも「今出しタラ、ツマンナイよ!」と、
理屈好き同閣下から言われそうなんですが、それでもまあ・・・思考の補助
線的な記事ならば、オモシロクなるのではなかろうかと思うわけです。議論
を盛り上げるためにも雅春先生のご文章、以下に掲示致します。
――――――――――――――――――――――――
<<実相世界がすでに完成しているとすれば、神の意
志としての第二創造の説明がつきません。>>
に関しての関連記事
――――――――――――――――――――――――
●「全託」か?「努力」か?
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65545527.html
#more
●「ことすでに成れり」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65558460.html
●現象の正体とは?
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65559286.html
#more
●<まとめ>〝現象〟ってなんなのよ
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65562454.html
―――――――――――――――――――――――――――
<<実相世界は時間を超越しているという可能性がある。
もしそうであれば、未来において顕現するはずの実相
世界が、すでに現在において顕現している可能性があ
る。これにより、進化した神がすでに存在している可
能性が出てきます。>>の関連記事
―――――――――――――――――――――――――――
(●以下に関連しそうな記事二つを投稿います)・・・これは現在、探索中
です(笑)いやなにせ、議論大枠がまさに〝大枠〟でありまして、「たくさ
ん、ありますよ」なんですよ(笑)ここはひとつ、藤原第一師団の小隊長と
しましては、隣接陣地の近衛師団(トキさまw)のご助力を要請したいもの
だと(笑)
でもまあ初心者さまが・・・もしも雅春先生の本を(ほとんど)未読でこ
の仮説にたどりついたのであれば・・・これ、スゴイことですよね。
・・・なお、初心者さま提示の<<雅春先生が実相世界をお説きになって
おられる理由を判然と理解することができないのです。>>は・・・小出し
言及することと致します。まあこの部分は雅春先生、直接言及はあまりされ
ておられない様に思います。ですので「私見」というカタチで今後(笑)
また議論本筋からは外れますけど、初心者さまご言及の「もしも雅春先生
が、実相世界ではなく寂光を説いておられたとすれば、教義は今よりずっと
わかりやすいものとなり、仏教界からの反発もなければ」云々の箇所ですが、
これ、卓見だと思います。
追伸
あと・・・「反・生長の家」的言説投稿について。
これ云うまでもないことですが、大歓迎ではないでしょうか(笑)ていう
か・・・あっ、いきなり女子高生コトバになりましたけど、ていうか、「大
反論なくしては議論は盛り上がらない」わけでありまして(笑)隠れ持論保
持者の皆さんも「ガンガンに来て欲しいものだ」と、こう思う次第です(笑)
まあその際、できますれば「私の持論はまあ・・・思想(4)に該当する
と思いますが」みたいな補足を、冒頭で述べて頂くと助かりますけど。
追伸の追伸
あえて、唯物論+無神論者時代の自分を再現し、そして皆さんに対し「挑
発的な言動」を試みることもやってみようかと(笑)
思考スタンスは(1)であり、「〝霊〟なんて、あるものかあ!」「だか
ら宗教やってるヤツはバカなのよ!」てな感じの、非常に厄介な人です。HN
は「大前研一に訊け」であり、ザ・唯物論なんですが、追い詰められた途端、
いきなり(2)〜(3)になるという柔軟(?)な人でもあります(笑)
そしてさらに「相手がたは(2)(3)に変更したこと、気づいてないぜ。
ひひひ」とか思ってますが「既に周囲にはバレている」という、そんなオチャ
メさもある人・・・とまあ、そんな感じで登場してみましょう(笑)まあこん
な、デヴィルズ・アドボケイト(悪魔の反論)も、真理到達には不可欠であり
ましょうから(笑)
490
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/28(火) 10:35:30
※上記(●以下に関連しそうな記事二つを投稿します)対応記事
縦と横の世界、すなわち平面に住むところの虫というものは、前に進め
ば横にも行く、けれども厚みの世界を知らない。それで卵を産むと、その
卵を一定のところにちゃんと置いて自分の粘液でぐるりと圏線を描いてし
きりをしておく。そうすれば自分は勿論、自分と同種の虫もそのしきりの
中に入ることはできませんから「安心」と思うわけです。
ところがまたそれ以上の次元に住む人間がやってきて、上からその卵を取
ってしまう、すると虫はいったいどこから侵入して取ったのだろう。ちっと
も自分が作っておいた城壁は壊されていないのにと不思議がるのです。それ
は縦、横だけの世界しかないと思っていて、まだこの上には厚みの世界があ
るのだということを知らないからであります。
『生命の實相』第二十七巻 40ページより
実在は「全一」(※)である。
「全一」は表現せられない。
「全一」は一度に知覚せられえない。
そのことはわれわれの記憶内容全体のようである。
われわれは生まれてからいろいろの機会に触れ、見、聞き、経験した事柄
を記憶しているのであるけれども、その全体が一度に記憶の表面に浮かび上
がって来ないのは、「全一」なるものは、無数の相が超時空的な世界に重な
り合っているから、知覚することができないためである。それを記憶心象と
して脳髄の知覚面に浮かび上がらせうるには、「全一」の中から、必要でな
いものを残し置いて、「今」必要なものだけを、空間的表象面に浮かび上が
らせなければならぬ。
それと同じく、「全一」なる実在が、それが知覚しうるように表現せられ
るためには、「全一」の中からある物を呼び出して来て、他を「全一」の中
に残しておかなければならぬ。表現はコトバであり、コトバは呼び出しであ
るのはこのためである。われわれは善きコトバの力によって善き物を創造す
ることができるのである。
※ 意味:すべてを包容した完全な一体
『生命の實相』38巻103ページ
<了>
491
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/28(火) 10:55:08
489に関する補足です・・・・
――――――――――――――――――――――――
<<実相世界がすでに完成しているとすれば、神の意
志としての第二創造の説明がつきません。>>
に関しての関連記事
――――――――――――――――――――――――
●「全託」か?「努力」か?
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65545527.html
#more
●「ことすでに成れり」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65558460.html
●現象の正体とは?
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65559286.html
#more
●<まとめ>〝現象〟ってなんなのよ
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65562454.html
―――――――――――――――――――――――――――
これに関しましては、以下順番で読まれることをお勧めしようかと・・・
●<まとめ>〝現象〟ってなんなのよ
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65562454.html
●「全託」か?「努力」か?
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65545527.html
#more
●現象の正体とは?
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65559286.html
#more
●「ことすでに成れり」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65558460.html
よろしくお願い致します。
492
:
初心者
:2011/06/28(火) 11:56:32
ブログ管理人様へ
さすがに、彗星のごとくあらわれ、きら星のごとく燦然と輝いておられる、大文献学者様でございます。これほど早く、しかも適材適所に、参照すべき文献を配置なさるとは、まことに信じがたき神業を見し思いでございます。
これから、ブログ管理人様によってご提示いただいた文献を心ゆくまで味わうことにいたします。雅春先生のご文章を、これほどの深き味わいとともに読ませていただくのは初めてでございます。これもひとえに、ブログ管理人様の日頃の精進努力の賜物かと存じます。
雅春先生によってお示しいただいた、滋味あふれる深き真理の世界と、現在の教団でおこなわれていると推測される「浅き夢見し世界」とどちらが本当に面白いのか。これはみなさまに判断していただくよりほかはございません。
何にいたしましても、日本全国津々浦々より「隠れ持論保持者」のみなさまが参集くださいましたなら、まことにもって面白き掲示板になること請け合いでございます。「隠れ唯物論保持者」のブログ管理人様のご活躍も楽しみでございます。
トキ様のご出座も、いよいよ間近かと。
役行者様へ
>雅春先生は、昭和4年12月13日、現象はない!!との声と共に、
確かに実相世界を観ていらっしゃるのではないでしょうか。
実相世界を観てらっしゃらなければ、寂光をお説きになったはずでございますよね。雅春先生はたしかに実相世界を直視せられた。だからこそこれは大問題なのです。
493
:
初心者
:2011/06/28(火) 17:28:56
神は完全なる世界と人間をおこしらえになり、
人間に自由な表現力をおあたえになった。
このあたりの説明がわたくしには腑に落ちぬのであります。
神は、絶対観念、あるいは純粋観念を表現するために
実相世界を創造されたわけでありますよね。
だとすれば、人間はただその絶対観念や純粋観念を鑑賞すればよいのであります。
それですべて「こと足れり」であります。
人間に自由なる意思をあたえることで、
いったい何が生まれるというのでしょう。
絶対観念や純粋観念を超える、何か新しい価値が生まれるというのでありましょうか。
神は人間をプログラムミスなさった。
それで人間に逃げられた。
こちらのほうが、わたくしとしてはよっぽど腑に落ちるのであります。
人間として生まれてこれてよかったと思えるのであります。
あたえられた自由ではなく、自分で勝ち取った自由。
それが本物の自由だという気がするのであります。
「あたえられた自由」というものが、はたして存在するのでありましょうか。
それは自由ではなく、たんに許可あるいは許容されたもの、
という気がしてならないのであります。
494
:
トキ
:2011/06/28(火) 20:46:08
本筋とは少しずれますが、最近、感じる事を書いてみます。
宗教と科学というのは、どうも天敵のような感じで見られる事が多いです。昔は宗教が神様の名前の下で科学を弾圧し、
「それでも地球は回っている」と言ったとかいう話は有名です。反面、科学の暴走に宗教がストップをかけることができない
場面もあります。ノーベル賞の汚点と言われるノボトミー手術などもそうでしょう。
今日に目をやると、米国のような先進国でも、進化論を巡って論争が継続しているのは周知の事実です。科学と宗教との
緊張関係は、生長の家以外の世界では、容易には解けないような気がします。
個人的には、大学の物理学の授業で、「ビッグバン」仮説を知ってから、宇宙の発生前の世界に関心をもち、ここに宗教の
存在意義があるのではないか、という期待を持った事もありました。(ビッグバン仮説というのは、宇宙は137億年前に
大爆発の上で出来たという発想です。今日では「標準理論」として、認められています。)
が、生長の家の真理、特に実相論を学び、感じたのでは、過去の宗教の多くは「現象」というレベルでの解決に終始していた
事、そして、「現象」というレベルで話をする限り、永遠に科学と宗教は対立した存在であるという事です。もし、「実相」
という存在、それが信仰になって、初めて、科学と信仰は矛盾しない存在になるだろう、という事です。
まあ、そうすると、ビッグバンから素粒子がうまれ、原子が誕生し、宇宙が生まれ、現在も加速度的に発展しているように
この世の森羅万象の法則は、「実相」が根本にあり、全ては「実相」を根底にして、有機的に連結をしておりまして、この点を知って
初めて理解できる、という発想もできるのかもしれません。(余談ですが、最近、米国で「タイムマシン」の理論的な構築は
終わっており、人類が「時間」を有る程度は左右できる日が来るかもしれません。時間すらも絶対の存在ではないという訳
ですね。)
ただ、私の様に、何十年も生長の家をしていると、生長の家という枠組みから離れた発想をするのが難しいとは思います。
ですから、あまり邪魔をしないほうが、皆様のためかと拝察する次第です。
でも、楽しく投稿は拝見しているので、これからも、活発な議論を期待しております。
まとまりの悪い文章を書いて、すみません。
合掌 ありがとうございます
495
:
初心者
:2011/06/28(火) 22:22:29
トキ様は大学で物理学を習っておられたのですか。それならやはり、そちら方面のご関心も持っておられるのでありましょうね。
かつてのわたくしは科学万能論者でありましたが、生学連の練成で、ほかの仲間たちの情熱的な話を聞いているうちに、科学でわかることには限界がある、という思いをいとも簡単に持つようになりました。
その後は量子力学をかじるようになって、科学と宗教はそれほど離れてはいないという印象を持つようになり、「物質なし」の真理を実感できるようになったのも、じつは科学のお陰であったと考えております。
ところで、137億年前のビッグバンと聞くと、どうしてもあることについて書きたくなってしまう初心者なのであります。わたしたちが見ている宇宙とは、過去の宇宙を見ているわけでありますよね。100光年先には100年前の宇宙があり、100億光年のかなたには100億年前の宇宙が見えているわけであります。
するとどこまで見えるのかというと、137億光年先までであります。それより以前には宇宙は存在していなかったわけですから、見えるのは137億年過去の宇宙までであります。137億光年かたなの宇宙が、地球から見ることのできるいちばん遠くの宇宙ということであります。
するとここで、とてつもなく不可思議な事実と出くわすことになります。137億光年先には何があるのかといえば、それはビッグバン直後の宇宙であります。137億光年のかたなに見えるのは、まちがいなくビッグバン直後の宇宙なのであります。
ここでビッグバン直後の宇宙について考えてみます。ビッグバン直後の宇宙の大きさは、針の先よりもはるかに小さなひとつの点でしかなかったのであります。この小さな点が急激に膨張して、巨大な宇宙へと成長をとげたのであります。
この小さな、宇宙のはじまりの点が137億光年の先には見えるわけです。もちろん現実には、そのような遠くの小さな点は、どのように高性能な望遠鏡をもちいても見えるはずがありませんが、原理的には見えていることになるわけであります。
そこで問題となるのは、この小さな点はどこにあるのかということであります。地球から見て、いったいどの方向にこの小さな点は見えるのでありましょうか。驚くべきことに、この小さな点は、どの方向にも見えるのであります。137億光年かなたの宇宙には、どの方向にも、ビッグバン直後の宇宙が見えていなければならないのであります。
なぜ小さな点でしかないビッグバン直後の宇宙が、この広大な宇宙のあらゆる方向に見えてしまうのでありましょうか。1個しかなかったはずのビッグバン直後の宇宙が、なぜありとあらゆる方向に見えてしまうのでありましょうか。この摩訶不思議な現象が、パースペクティブとともに、この現象世界がかかえる「差延」の問題なのであります。
ここで「実相世界に差延はない」という、どこかで聞いたような話になってくるわけでありますが、あまりにも不可解な話でありますので、ボロが出るまえにやめることにいたします。
496
:
初心者
:2011/06/29(水) 08:27:00
反応がございませんね。どうしたことでしょう。
わたくしの疑問は、おそらく教義の核心部分にふれるものだと思います。
「寂光モデル」も広義の意味では実相独在論であるかと存じます。
ブログ管理人様から昨日ご提示いただきました文献の「〝現象〟ってなんなのよ」
のなかで雅春先生は「神はその第一念によって実相世界を創造し給うた」と説いておられます。
これはあきらかに「寂光モデル」とは異なっております。
ですから、実相独在論と区別するために、「実相世界独在論」と呼ばせていただくことにいたします。
「実相世界独在論」の問題点は、絶対観念の問題が重くのしかかってくることと、人間中心の第二創造の意味が説明できないという2点にあると考えます。
この2点についての疑問を、昨日は提出したような次第であります。
この疑問にたいして何らかの返答をいただかなければ、話を先に進めることができません。
みなさま方はたしかに「直観」でわかっておられるは思いますが、
生長の家は「直観」だけの宗教ではございません。
理論的に教義を説明できる、おそらく世界で唯一の教団であるはずです。
絶対観念の問題をひと言でいえば、実相世界においてすでに神の純粋観念が表現されている状況において、表現の自由をあたえられた人間が、神の純粋観念以外のいったい何を表現すればよいのかという問題であります。表現すべきものがまだ何かほかに残っているのかという問題であります。
こうした問題について、この場でダイナミックな検討をおこないたいと考えております。
なんども申しますが、わたくしは外道でございます。
雅春先生のみ教えの神髄を知りたいがために、ここにまいっているのでございます。
何も反応がなければ、わたくしは、外道の身でありながら自分で考えなくてはならなくなります。
497
:
トキ
:2011/06/29(水) 09:57:20
>>496
きっと、私が書き込みをしたため皆様が遠慮をされたのでしょう。どうも、申し訳ありません。
直接関係がない話をまた書きます。身内に法律を学んだ人がいます。で、法律の本を借りて読んでいました。
そうしたら、「部分社会」という概念があるのを知りました。
現在の日本国憲法には、第3章に国民の権利がずらずら書いております。
憲法14条では人間が平等であると書いております。第二十一条 では「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」
とあります。しかし、会社に行けば、社長は社員よりも威張っていますし、学校に行けば、授業中は黙っていなければいけません。
これは、憲法の人権保障という観点からは、不合理です。しかし、別の観点から、これを合理化できます。これを「部分社会の法理」と命名しております。
つまり、国家や社会を規律するのは法律だが、その社会の中に、特定の目的のために小社会の存在を許し、独自の規律を認めるべきだ、という発想が
あります。そのほうが、いくつかの点で、好都合だ、というのです。これは、憲法や法律を無視するのではなく、憲法や法律自体が認める「例外」なのです。
それを認める事が、実は、憲法や法律が目指す目的に近寄ることになる、と考えているのです。
あと、知人がガンになり、亡くなる前にお見舞いをしました。生長の家の人ではなく、仕事でバリバリ活躍をした人ですが、その人が
「私が、寝ずに仕事を頑張っていた、と思っていたが、どうも、自分は、何かの力に動かされていたような気がします」
と述懐されていました。
余計な事を書いて、話の腰をおりました。あまり出て来ないようにしますから、皆様、どんどん、書き込んで下さい。
合掌 ありがとうございます
498
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/29(水) 10:48:33
>初心者さま
まずは貴殿の読解力に感謝を申し上げます。前々から感じていたことなん
ですけど、いやー貴殿は実に素晴らしい方ですね。WEBのやり取りで一番
嫌なことって「主張を誤読されること」だと思うのです。そしてさらに、そ
の「誤読を元に反論(?)」を寄越されて「この方は反論できませんでした」
なんてカタチに、議論を終了させられることだと思います。ホニャララ掲示
板に於ける一白鳩会員さん追放劇でも・・・(中略)・・・その点は貴殿と
のやり取り、そのあたりの齟齬が発生しないので満足しています。まあもし
も、貴殿が相手でなかったならば、あの「寂光論争」・・・第39巻該当箇
所の全文アップなんて、ヤル気も起きなかったと思いますよ(全部で27ペ
ージ分、14,784文字ですたw)
いやさて、そんな挨拶はさて置きまして本日要件の本論に入ります。
貴殿ご提示の493ご文章ですが・・・「まさにその通り」であります。こ
こが肝心とのご主張でありますが、愚生もここが「本議論の天王山でありま
しょう。」(※)と、同意を表明する次第です。貴殿が今日まで投稿された
ご文章――パースペクティヴ仮説や「寂光モデル」とその付随例を要約致し
ますと、493ご文章の以下十二行抜粋を以って、その貴殿提示理由が明確
になろうかと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
神は完全なる世界と人間をおこしらえになり、
人間に自由な表現力をおあたえになった。
このあたりの説明がわたくしには腑に落ちぬのであります。
神は、絶対観念、あるいは純粋観念を表現するために
実相世界を創造されたわけでありますよね。
だとすれば、人間はただその絶対観念や純粋観念を鑑賞
すればよいのであります。
それですべて「こと足れり」であります。
人間に自由なる意思をあたえることで、
いったい何が生まれるというのでしょう。
絶対観念や純粋観念を超える、何か新しい価値が生まれると
いうのでありましょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
上記がこの、初心者さまなる御仁のご主張内容となりましょう。そしてこ
こから、我々は議論をスタートさせることと致しましょう。今までのやり取
りは前哨戦――正確に云うと違うが――であったのであり、旅順攻略前の南
山要塞であったわけであり、日本海海戦前の旅順港閉塞戦であった次第なの
です(少なくとも愚生にはそう映ります)
――「神は完全なる世界と人間をおこしらえになり、人間に自由な表現力を
おあたえになった。」と、雅春先生は申されます。そしてそれは、人間を神
の操り人形とせぬためだ、とも説明されておられます。しかしそれでは浅学
の(我が)身には「人間に自由なる意思をあたえることで、いったい何が生
まれるというのでしょう。」という疑問が、当然のごとく発生する次第です。
自説をお持ちの諸賢に於かれましては、本議論、ぜひご参加願いたいもの
だと切望する次第であります。
<註>
※ ここが本議論の天王山でありましょう。
無論、結論に至っても、そこから派生してくる「なんらかの新たな疑問」
・・・これは当然生じるでしょう。けれども、まあ愚生、自身の思索経験か
ら申しても「この493ご文章が肝心な点である」と確信する次第です。
499
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/29(水) 10:51:06
>初心者さま
追伸
昨日、私は「無神論者+唯物論者として議論に参戦する」と宣言しました
ね?ハンドルネームを「大前研一に訊け」として書き込みを行おうと思って
いたのですが、これ、この「大前研一に訊け」に書かせようと思っていた主
張は、貴殿493ご文章とほぼ同意のものでありました(笑)「いやー、先
を越されたか」てな次第で、貴殿の読解力に舌を巻いております(笑)
以下参考までに、この「大前研一に訊け」の主張――唯物論+無神論者時
代の私の日記からの抜粋を記します。ちなみに以下日記は、2006年11
月23日のものであり、「信仰歴4ヶ月と20日時点のものである」ことを
付記しておきます。「ああオレ、確かにこんなこと考えていた(笑)」てな
懐かしさ一杯でありますが(笑)
――――――――――――――――――――――――
(雅春先生の御教えを「素晴らしいものだ」と絶賛したあとの文章)
・・・ただしかし疑問がないわけではない。その疑問とは、「完全であるは
ずの神は、なぜ現象界を造り損なったのか?」というものだ。
X氏に疑問をぶつけたのだが同氏曰く「いや、完全に造ったら、人間に自由
意志がなくなるよね?」とのことだった。しかしオレの疑問は「いや、〝完
全でなくなろうとも〟そっちのほうが良いですよね」というものになる。だ
って「實相は完全」なわけでしょ?實相は完全なんだから、自由意志なんて、
神から貰いたくないもんだよ(笑)そんな「自由意志」なんてものを神が与
えたゆえに、人間は不完全な現象を生きねばならぬわけでしょ?だったらそ
んな「自由意志」なんて、オレは欲しくないな。操り人形であれ、實相その
ままの世界を生きてみたいものだ。
なんかオレ、宗教関係者から騙されてはいないか。谷口雅春がオレを騙して
いるとは考えにくいけれども、それでも突き詰めていけば谷口雅春理論にも、
大きな穴があるんじゃないか?そして大半の信者は妄信により「谷口雅春は
素晴らしい」と思い込まされているだけじゃないのか?
――――――――――――――――――――――――
「信仰は理屈ではありませんよ」なのかもしれませんが、思想傾向(1)(2)
の層から見れば「そのご主張、『信仰は理屈ではありませんよ』こそ屁理屈
ですよね」と返されるのがオチでありまして(笑)我が国は思想傾向(1)〜
(4)が大半なのでありまして、そしてそれぞれの層に向けての対機説法を
明確にすることは、これ、雅宣総裁を撃つこと以上に大切なことであろうと
思います。そしてやはり、教勢拡大に於ける対機説法では、理屈は大切であ
りましょうし、また雅春先生が素晴らしいのは「その理屈で以って真理を説
かれた点」これになるのでありますから(戦前は博士クラスが帰依したわけ
でしょ?やはりすごい教えですよw)
・・・ですんでもう、本流宣言掲示板の方々、諸賢の皆さんにもこのテー
マ「参戦義務がおあり」ですぞ。森の中にオフィスが建とうが建つまいが、
そんなこと・・・(中略)・・・ちなみにこれ、挑発にあらずですぞ(笑)
500
:
名無しさん
:2011/06/29(水) 12:28:58
ブログ管理人様へ
わたくしの申したいことを、ここまで印象深く饒舌に語られるとは、感心をとおりこして、いやはや、あきれはてるばかりでございます(しかも、わたくしの「大文献学者」発言にたいする反撃までなされるとは、畏れ入るばかりであります)。
とりあえず、絶対観念なるものについて、自己流の解説をいたします。「美人のたとえ」が出ておりますので、これに関連してご説明いたします。
ひとりの女性がいます。この女性は、自分の姿をいちども見たことがありません。美人と称される人物も、不美人といわれる人物も見たことがございません。さらには、「美人」という言葉さえ知らず、美人について語られる言葉を聞いたこともありません。しかしこの女性は、自分が美人であることを知り、しかもそれを表現できるのであります。
なぜこのようなことが可能かといえば、この女性が直観知性を持ち、この直観知性をもちいて「美人の絶対観念」にアクセスし、その絶対観念と女性自身とが一致していることを確認し、さらには直観知性をもちいてそれを表現しえたからであります。
神であれば、これくらいのことはできるかもしれません。直観知性を駆使して、あらゆる絶対観念にアクセスし、神ご自身との一致を確認なさったあとに、あらゆる絶対観念にもとづいた完全無欠なる実相世界を、神は創造なさる。このようなことは、神であれば可能であるということになるのかもしれません。
しかし問題はこのあとなのです。この問題について、ブログ管理人様から簡潔に語っていただきました。まさしくこれは、外道が仏道に帰依できるかどうかの天王山であるような気がいたします。
巷ではいろいろと批判されておるのでありましょうか。「部分社会」でございますね。
501
:
名無しさん
:2011/06/29(水) 15:20:02
気づいたことがあるので、簡単にメモします。
真善美は絶対観念。
知情意は、はたしていかに。
知情意は観念にあらず?
知の働き。
思考、集中、記憶、判断・・・。
知性は、意識の明るい部分にあり、かなりのところまでコントロールが可能。
情の働き。
憎しみ、嫌悪、愛着、嫉妬・・・。
感情は、意識のいくらか暗いところにあり、コントロールは難しい。
意志の働き。
意志は、意識のまったく暗い部分あり、その所在さえ知ることはできない。
これはなぜなのでありましょう。
神は知性を創造できた。ゆえに知性はコントロール可能。
他力本願も可能(神のめぐみ)。
神は感情を半分しか創造できなかった。
ゆえに、神によって創造された知性では、感情のコントロールは難しい。
神は意志を創造できなかった。
よって、すべては人間の力にゆだねられている(努力)。
人間には感情を表現する余地がある?
何物にもしばられない、意志する自由がある?
結論:人間は、意志と感情の働きによって現象世界を欲した?
悟りとは現象世界に没頭すること(飯を食ったら茶碗を洗え)?
いちおうメモしておきます。
502
:
名無しさん
:2011/06/29(水) 19:29:51
かの文豪ゲーテは、感情の世界にひたすら留まりつづけ、理念の世界に進もうとはけっしてしなかったそうです。ゲーテにとって、感情や感性の世界は、理念や観念の世界とはくらべものにならぬくらいに重要であったようです。
理念や観念の世界にはけっして振り向こうとせず、感情や感性の世界にひたすら留まりつづけようとする態度は「ゲーテ的態度」と称されるようで、同時代のドイツ観念論の哲学者からも高く評価されていたようであります。
完全な知性というものはあるにしても、完全な感情というものは、おそらくはないと考えます。完全な生物は感情を持たぬはずです。なぜなら、感情とは不完全であるがゆえに感情なのであり、完全であれば、それは論理的思考となってしまうことでありましょう。
してみると、感情とは、神の失敗作なのでありましょうか。それとも苦心の作なのでありましょうか。それは神のみぞ知るといったところでありましようが、いずれにしても人間は感情を持ってしまったようであります。
情緒、情念、情感によってつむがれる世界は、おそらく実相世界には存在せぬはずです。実相世界とは、完全なる観念と理念とによって織りなされた世界ということでありましょう。感情的世界を生きることのできる人間は、いまだ神が表現せざる世界を生きている。このように考えることも、けっして不可能というわけではありますまい。
ゲーテはこのことに気づいていたのかもしれません。であるがゆえに、理念や観念への傾斜を避け、感情的世界にひたすら留まりつづけようとしたのではないでしょうか。神の絶対観念がすでに表現されてしまった実相世界において、人間のはたすべき役割があるとすれば、それは感情的世界の表現ということであるのかもしれません。
わたくし、いつもは「知性、知性」と何かのひとつ覚えのように言っておりますが、じつは、感情を知性の上位に置いているのであります。神秘学の説くところによれば、知性はエーテル体に属するものであり、感情はアストラル体に属するものということになっております。
エーテル体は肉体の消滅とともに消え去ります。たとえどれほど高き知性を宿し、豊富なる知識を得ていようとも、それらのものは、肉体の死とともに無に帰します。アストラル体は、肉体の死後も存続いたします。情感豊かに生きることができれば、その体験は来世へと引き継がれます。寒々とした感情で生きた人は、それがそのまま来世の感情となるのかもしれません。
ことに恐ろしいのは、「死ねばすべてが終わりで何もない」と思いながら生きた人の来世は、その思いが実現して、虚しく虚無的な人生になるとも言われております。たとえどのような知識を持とうとも、来世に引き継がれるのは、せいぜいのところが、肉体的な特徴として、その幾ばくかが反映されるといった程度でありますが、感情や思いはこのように、来世に決定的な影響をあたえることになると言われているのであります。
知的に思考された観念や理念は、来世にほとんどいってよいほどに何も残しません。どのような感情で生きたかということが、来世にも残る足跡としてきざまれるようです。ことほどさように、観念や理念よりも、感情や感性のほうが、霊的にはよほど重要であります。このことが、今ここで問題となっていることがらと深く関係しているように思われてなりません。
503
:
初心者
:2011/06/29(水) 19:31:51
連続で「名無しさん」となってしまいました。
投稿者はともに初心者であります。
504
:
初心者
:2011/06/29(水) 22:14:36
今わたくしがここで書いておりますことへの返信はご無理かと存じます。
読み飛ばしていただくのがよろしいかと存じます。
みなさま方には、ここで問題になっておりますことへの積極的なご発言を
お願いいたしたいと思います。
505
:
初心者
:2011/06/30(木) 10:44:40
これほど重要な局面で反応がないというのは、意外であるとともに、残念で仕方がありません。
ここで何がなされているのかといえば、「五官で認知可能なコトバと事象」によって真理の全体を語ろうということです。わたくし、あるいはわたくしたちは、ときに「反・生長の家」的ともいえる言説を弄しながら、「実相モデル」と「寂光モデル」をつなぐことのできる思考の枠組みを、たとえそれがいかに稚拙な方法であろうとも、抽象的な言説へと流れることなく構築してきたつもりであります。
現段階で問題となっているのは、対抗するモデルが提示されていないということであります。比較対照すべきモデルが提示されていないために、これまで築いてきた、あるいはこれから築こうとしている思考の枠組みの正当性を確認できないでいるということなのであります。
生長の家の正統派モデルが必要であります。正統派モデルの全体像を「五官認知可能なコトバと事象」で語っていただくことが、今は必要なのであります。生長の家の正統派を任じてられるみなさま方にお願いいたします。真理の全体を今すぐ語ってくださいませ。
部分を語るだけであれば、いくらでもごまかしがききます。全体を具体的な言葉で語ろうとすれば、ごまかしはききません。どうかごまかしのない真理をお聞かせください。
506
:
トキ
:2011/06/30(木) 11:26:37
今、時間がないので、短めの文章になりますが、お許し下さい。
生長の家の正当派の主張では、縦に「人間=神の子」の唯神実相論、横に「三界は唯心の所現なり」の心の法則が説かれています。
一見、相矛盾する考えですが、この説明を「五官認知可能なコトバと事象」で語ると、こういう発想が可能かと思います。
以前、部分社会という発想を提示しましたが、この人間界で生活をしている我々には、憲法に相当する「唯神実相論」が適用される
と共に、部分社会の規律に相当する「心の法則」も適用されます。高校生の正当手帳に「校則」が印刷してあり、学校生活では、
法律よりも「校則」が優先して適用されるように、ある範囲では、横の真理=心の法則が優先して適用されます。
しかし、例えば、部分社会の規律が、あきらかに上位規範の憲法や法律の認める範囲を超えると、その部分社会の規律は無効となります。
生長の家が、心の法則を説きながらも、唯神実相論を追求するのは、それが上位規範であるという認識をもっているためかと思います。
ところで、生長の家の考えでは、「霊界」も「現象の世界」であると言います。
ですから、肉体の有無を別にして、人間界で通用する事は、だいたい霊界でも通用します。つまり、人間界も霊界も「部分社会」である
のは同じであり、規律の内容は少し違いますが、似ている、と説明ができると思います。
また、投稿します。
合掌 ありがとうございます
508
:
トキ
:2011/06/30(木) 13:37:20
あと、ビッグバン仮説を前提とするのなら、宇宙は137億年前に誕生した事になっています。ご存知の通り、地球の膨張は観測されており、ドップラー効果から計算すると、これはかなり確立の高い仮説だとされています。すると、137億年前には、この「現象世界」は存在しなかった可能性が有る訳です。可能性がある、と言ったのは、人間界とか物質界という観点に限定されたら、断言は出来ます。が、生長の家では、霊界も現象界だと規定します。
霊界まで広げると、ビッグバン以前には存在しなかった、と言い切るだけの材料を私は持っていませんからです。しかし、おそらくは、存在しなかったと言えるのではないかと考えています。
137億年というのは、たかだか100年も生きられない人間を基準とすると、気が遠くなるような長い時間です。しかし、神様の目から見たら、たかだが137億年という発想が可能だと思います。ひょっとしたら、ビッグバンは過去、何度も存在した可能性があるのかもしれません。とにかく、何故、ビッグバンが起こり、宇宙が誕生したのか、という質問への返答は困難ですが、神の意思という説明は可能だと思います。その意思を持った存在を
生長の家の観点からは、第1義の神様と呼べると思います。その後、現象世界の想像と発展により、その中で、一見、独立したようかに見える意思が生まれ、それが生長の家でいう第2義、第3義の神様という事になったような気がします。さて、正当派の生長の家からは、どう説明をしたら良いかは難しいですが、もう少し、ましな説明の方法があるかもしれません。また、その時は、投稿をします。
509
:
初心者
:2011/06/30(木) 14:28:23
トキ様、ありがとうございます。
トキ様を相手に持論をぶつというのはあまり本意ではありませぬが、とりあえずここで「全体」ということについて語らせていただきます。「寂光モデル」では、「三界は唯心の所現」は、部分ではなく全体に組み込まれるのであります。
アーノルド・ミンデルという心理学者がおります。教文社からも何冊か書籍が出版されておりますので、ご存じの方もおられると思います。ミンデルは、MIT(マサチューセッツ工科大学)で修士課程まで量子物理学を専攻し、その後、ユング派の心理学者に転向した、きわめて変り種の心理学者であります。
ミンデルは、宇宙には自己反射的な傾向があると主張します。そうした傾向は、量子波動関数の数式のなかに見いだせるともいっております(このことにかんして、わたくしは関知しておりません)。ミンデルによれば、宇宙の自己反射的傾向は、物理学的な法則でもあるようです。
宇宙の自己反射的傾向が人間をとおしてあらわれたのが「三界は唯心の所現」の法則であります。この法則により、人間は、自分自身を他者、あるいは他物に反射させて見ているということになります。
ここで重要であるのは、こうした傾向は宇宙的法則であるということであります。宇宙がなぜこうした傾向を持つにいたったのか。答えは、神が神ご自身を見るためであります。神が神ご自身をご覧になるために、自分が自分自身を反射するという仕組みをおこしらえになったと、このように考えることが可能となります(「他者」や「他物」に見えているものが、じつは自分自身だったということになってまいります)。
このあたりのことを考えますなら、「三界は唯心の所現」の法則は、横の真理といいますよりも、神にとって最重要の法則ということになってまいります。神は、神ご自身をお知りになるためにこの世界をおつくりになった。これが「寂光モデル」の核心にある考え方であるからです。
この意味で、「三界は唯心の所現」の法則は、宇宙の存在理由そのものであり、したがって、部分ではなく全体に組み込まれるべき事象となるのであります。「寂光モデル」では、「三界は唯心の所現」は、物理的法則としての説明も可能であり、全体と部分とにわけるでもなく、全体のなかの一本の流れとして説明できるのであります。
「三界は唯心の所現」の法則にかんしますなら、これを縦と横とに分離せざるを得ない「実相モデル」よりも、全体のなかに組み込むことができる「寂光モデル」に優位性があると考えます。「三界は唯心の所現」とは、言葉をかえていいますなら、「自分で自分を見る」という、宇宙の大真理ということになるのです。
わたくしは、「自分で自分を見る」ということが宇宙の大真理であると考えております。「三界は唯心の所現」の法則は、この意味において、わたくしが「寂光モデル」を支持する有力な根拠となっております。アーノルド・ミンデルは、わたくしが「寂光モデル」を支持するにあたっての切り札的存在であります。
「正統派」といわずに、「○流」というべきであったような気がいたします。「○流」は出てきそうもありませんので、「正統派」の方々とは和気あいあいと語りあってゆきたいものであります。
510
:
初心者
:2011/06/30(木) 18:51:57
これは「○流」にたいするひとり言です。
教義の根幹にかかわる疑問が提出されたにもかかわらず、
誰ひとりとして答えるものなし。
あいもかわらず、おなじような批判ばかりをつづけて、
教義の危機には無頓着。
「直観」だけなら、あたしは18年前に悟りをひらいて、
それからずっとハッピーに生きてます。
「直観」といっておれば、そりゃ楽だわね。
説明責任からは逃れられるもんね。
何を訊かれても「直観ゆえに言葉にはできない」と
いっておればいいもんね。
教義の危機がおとずれても「直観」はゆるがない。
説明できないのは、それが「直観」ゆえだから。
ちゃんと言葉で説明してよ。
でなきゃ、生長の家は終わっちゃうよ。
511
:
初心者
:2011/06/30(木) 20:01:28
正直いって、
あたしは谷口哲学が理解できない。
理解したくとも、理解不能なのだ。
悟りはとりあえずひらいてみた。
宇宙の神秘を味わえるようにもなった。
死の恐怖も克服した。
やりたいことはすべてやった。
もう何も思い残すことはない。
そう思って生きてきたが、
肝心の谷口哲学が理解できないままなのだ。
正直いって、
谷口哲学への嫌悪感がある。
どう考えても間違いなのだ。
神の第一念による実相世界の創造は
じっさい不可能なのだ。
神が第一念を発する前に何がおきたのだ。
神はなぜ第一念を発したのだ。
発しなければならないような
何か特別な出来事があったのか。
第二念ではなぜだめなのだ。
第二念の創造なら可能であるはずなのに。
正直いって、
谷口哲学を理解したい。
これだけ大勢の人々を救ってきた
谷口哲学を理解したい。
あたしの悟りが救ったのはあたしだけだった。
あたしはあたしの真理によって救われた。
でも、救えたのはあたしだけだった。
ほかの誰ひとりとして救えはしなかった。
あたしが味わえたのは、
あたしひとりが救われた喜びだった。
それは誰とも共有できない喜びだった。
正直いって、
あたしは谷口哲学が嫌いだ。
間違っているのに大勢の人を救った。
だから嫌いなのだ。
間違ってないとわかれば
きっと好きになれるだろう。
神はなぜ第一念を発したのだ。
第一念の前に何があったのだ。
誰も本当のことを教えてくれない。
誰も何も語ってくれない。
きっと誰もそのことは知らないのだ。
512
:
トキ
:2011/07/01(金) 10:40:43
>>511
先は長いですから、じっくりと腰をすえて勉強すればいいと思います。
私も勉強中です。がんばりましょう。
合掌 ありがとうございます
513
:
初心者
:2011/07/01(金) 13:18:56
わたくしは、正直なところ、多くのことで失望しております。昨日は、失望のあまりキレかかりました。なかばキレたといってもいいでしょう。現職員、妻様だけではありませぬ。わたくしも、ここで無様な姿をさらすことにいたします。この期におよんで、「いい子ぶりっこ」にいかなる意味もないことははっきりとしておりますから。
言いたいことは山ほどあります。ここに集まってらっしゃるみなさま方の反応はいっさい気にせずに書かせていただくことにいたします。何を失望しているのか。それは、ひとつやふたつではございません。
本流掲示板。あそこは社会の縮図のような場所であります。人と人とのコミュニケーションとは何なのか。これを見事に説明できる場所なのであります。まず最初にいっておくべきことは、あそこに集まっておられる方々は、教義を理解できておりません。理解できていないがゆえに、足らざるところを精神的高揚にておぎなおうとしているのでございます。
あそこの掲示板に見られるのは、真理ではなく精神的高揚です。勇ましい言葉を吐き、現教団にたいする優越性を誇示することで、みずからの精神を高揚させているだけなのであります。
さてここで、わたくしは重要なことがらについて申し上げます。ひとつの真理について語ります。ここ最近のわたくしの発言は、おそらくみなさま方にとりましては、そうとうに異様な発言として感じられておることでありましょう。おそらくそうだろうという気がいたします。
ではなぜこれが異様に感じられるのかというと、これにたいする明確な答えをお持ちの方はおられないだろうと考えます。わたくしの発言がもしも異様に感じられているとするなら、なぜそれが異様であるのか。これを明確に説明できる方が、はたしておられるでありましょうか。
この異様さこそが、人と人とのコミュニケーションの本質をあらわしています。コミュニケーションとは、虚しき言葉と言葉のやりとりなのでございます。
虚しき言葉とは、はじめから拒絶されることがわかっていながら語られる言葉であります。「総裁よ、しりぞけ」の言葉にしても、森のオフイスの批判にしても、はじめから拒絶されるのがわかっている申し出であります。こうした申し出を延々とくり返しているのが本流掲示板なのであります。
ここでコミュニケーションの正体があきらかとなります。コミュニケーションは「やりとりそれ自体を目的としておこなわれる」ということでございます。コミュニケーションとは、それによって具体的な何かを実現しようというのではなく、やりとりを続けることそれ自体を目的におこなわれるのがコミュニケーションなのでございます。
人と人とのコミュニケーションとは、はじめから拒絶されるのがわかっている言葉と言葉の応酬なのでございます。人に贈り物をするとき、日本人は「つまらないものですが」といいながら手渡します。当然のことに、この「つまらないものですが」の言葉は相手によって拒絶されます。もらった相手は、包装紙のなかにつまらないものが入っているとはけっして思っていません。
「つまらないものですが」は、はじめから拒絶されるのがわかっている言葉なのです。こうした虚しき言葉の応酬で、実質的に社会が成り立っているということがいえるのであります。
ここで言葉に真実なる意味をつめこもうとする人物があらわれたとします。この人物とは、拒絶されることを拒否する人物です。言葉に実質的な意味をつめこみ、拒絶されないことを前提に、他者に語りかける人物です。
こうした人物の発言は、はじめから拒絶されることがわかっている申し出のやりとりによって成り立っている通常のコミュニケーションに慣れ親しんでいる人々には、きわめて異様な発言として映ります。
拒絶されることを前提に語られた言葉は人々によって受け入れられますが、拒絶されないことを前提に語られた言葉は、逆に人々によって拒絶されてしまうのです。こうした出来事が、通常のコミュニケーションのなかでしばしばおきているのであります。
本流掲示板で語られているのは、はじめから拒絶されるのがわかっている申し出ばがりであります。この虚しき応酬によってあの掲示板は成り立っております。拒絶されないことを前提に言葉を語るものは、やがて追放されてしまいます。これが、やりとりそれ自体を目的とする本流掲示板の正体なのであります。
ところでわたくしは、当掲示板において、拒絶されないことを前提にした言葉を語ってしまいました。むろんそれは、異様な発言として拒絶されたことと存じます。しょせんコミュニケーションとはこういうものなのです。コミュニケーションの虚しさをしみじみと実感しております。
514
:
初心者
:2011/07/01(金) 20:48:24
きのうのつづきを書きます。
正直なところ、わたくしは、「実相世界」という言葉を聞くと、少なからぬ嫌悪の情をいだくことになります。嫌悪の情は、避けがたく出てまいります。
実相世界の存在が、嫌悪の情をいだかざるをえないほどリアルに感じられる、というわけではございません。これは記憶なのです。それはおそらくわたくしが、過去に実相世界に住んでいたことがあるという、その記憶より発せられる嫌悪感なのでございます。わたくしはたしかに、実相世界より逃げて、ここにまいったのでございます。
それは根源的な記憶。もしかしたらそうなのかもしれません。何が正しいといえるものではありませぬが、嫌悪の情は、たしかな記憶であるといえるものなのかもしれません。
ある人の説明によれば、実相世界は、風景にしても、音楽にしても、住む人々にしても、何もかもが完璧で素晴らしいものであるそうです。ですが、完璧であるために変化がない世界なのだそうです。
変化するものは無常です。無常とは、形がつねに変化して定まることがないということであります。完璧なる世界に無常はありません。無常でないがゆえに変化もないということになるのです。
変化がないということは、おなじパターンが永久にくり返されるということです。実相の世界では、おなじパターンが、空間的にも時間的にも、永遠にくりかえされていると、このように言っている人がいました。
この人は、実相世界に行って、じっさいにそこにあるものを見てきた人のようです(たしかに実相世界はあります!)。この人は、実相世界を見て、自分がかつてこの世界に住んでいたことがあり、そのあまりの退屈さに耐え切れずに逃げたしたことを思い出したそうです。
思い出したということは、記憶がどこかにあったということです。おなじ記憶がわたくしのなかにあったとしても不思議ではありません。おそらくわたくしは、こうした記憶に基づいて、実相世界にたいして、嫌悪の情を避けがたくいだいてしまうようなのであります。
それとわたくしは、神の第一念による実相世界の創造はありえないとして、生長の家の教義である「実相モデル」を否定しているわけでありますが、この点に関しましては、トキ様よりひとつのご回答をいただきました。
ビッグバン以前にも世界は存在した。これがトキ様よりの回答です。ビッグバン以前の世界を想定しますならば、この世界における神の第一念による実相世界の創造は可能となります。ただしこの場合、ビッグバン以前の世界がどのようにしてつくられたのか、という問題が依然として残ります。
そこまで深く考える必要はない。いちおうそういうことにしておきます。実相世界はすでにある。それはたしかなことのようですから、この問題には、これ以上は深くかかわらないことにいたします。さてでは、わたくしはこれから、実相世界とどのように向き合うべきなのでありましょうか。
現象世界がそれほど住みよい世界でないのはたしかであります。実相世界とくらべて、はたしてどれほどマシな世界であるのか、それはわかりません。さりとて、実相世界にもどろうという積極的な気持ちがおこるわけでもありませぬ。
自分のまわりに、泥に咲く蓮のごときプチ実相世界をつくってみるのも悪くはないかもしれませぬ。無常のなかに実相のあらわれを見て楽しむ。実相のなかにドップリとつかるというのではなく、そういうちょっとした幸せを味わうというのが、わたくしには向いておるようでございます。
515
:
トキ
:2011/07/01(金) 21:13:36
初心者様は、谷口雅春先生のような方ですね。すばらしいです。
初心者様と同じような考えは、立花隆さんの「臨死体験」の中に出てきます。
子供の頃、臨死体験をしたアメリカの科学者が、学者になってから、擬似的な
臨死体験ができる装置を作り、自分が実験材料になったそうです。すると、
子供の頃に会った天使が出て来て、この世界は実在ではなく、現れである事等
生長の家で説く事と同じような事を話しだしたのです。で、その動機は、神が
実相世界の退屈さに飽きた、という説明をしているのです。(笑) ですから
初心者様だけの考えという訳ではないと考えています。
ところで、人間は死んでも、霊界に行きますが、そこも「現象世界」である
のは同じです。ただ、肉体がない分、「実相世界」の存在を実感する事は、
可能かもしれません。そこで、ある人が、過去に「実相世界」を経験した
としたら、霊界でもハイレベルの状態である、神界におられたとか、ある
状況により、実相世界を実感する経験が出来たと思います。しかし、実相世界
自体は、この現象世界を生み出すパワーの源でもありますから、少し範疇が
違うような気がします。
そのような霊界の記憶は、今生に生まれる時に、一度、リセットされますが
しかし、潜在意識に残っていると言われています。ですから、初心者様が紹介
した方は、実相世界と類似の状態におられたのではないか、と拝察する次第です。
初心者様が、そのような意識を持つに至ったのは、何か、前世か霊界で独自の
経験をされた事が背景にあると思います。すると、これとどう向き合うかは、
人間がはしから言うのは難しいでしょう。可能性があるとしたら、「行」しか
ないかもしれません。
以上、勝手な事を書き並べて、すみませんでした。
合掌 ありがとうございます
516
:
役行者
:2011/07/02(土) 06:24:57
>雅春先生に訊け管理人様
>>491
いやあ、見事に順序まで付けていただいて・・・感謝です。
魂の底に真理の言葉が深く流れ入り、実相に包まれているいい気持ちに
なりました。ありがとうございました。
それから、
>我が国は思想傾向(1)〜(4)が大半なのでありまして、
そしてそれぞれの層に向けての対機説法を明確にすることは、
これ、雅宣総裁を撃つこと以上に大切なことであろうと思います。
そしてやはり、教勢拡大に於ける対機説法では、
理屈は大切でありましょうし、また雅春先生が素晴らしいのは
「その理屈で以って真理を説かれた点」これになるのでありますから
(戦前は博士クラスが帰依したわけでしょ?やはりすごい教えですよw)
同感であります。このように、生長の家も進化向上することによって、
より人々に救いの手を差し伸べることができるようになると存じます。
素晴らしい提案だと思います。訊け管理人様。やりましょうぞ!!
>初心者様
やあ、しばらく見ないうちに、書いていますね〜(笑)
まず、
>ある人の説明によれば、実相世界は、風景にしても、音楽にしても、
住む人々にしても、何もかもが完璧で素晴らしいものであるそうです。
ですが、完璧であるために変化がない世界なのだそうです。
変化するものは無常です。無常とは、形がつねに変化して定まることが
ないということであります。完璧なる世界に無常はありません。
無常でないがゆえに変化もないということになるのです。
これなのですが、前にも述べたのですが、実相世界が存在するなら、
そこは無限生長の世界だと思うのです。つまり、矛盾は存在しないのですが、
弁証法的に進化向上していく世界と存じます。
つまり、歓喜に満ちあふれた世界が展開されているのが、
実相世界かと存じます。どうですかね〜実相世界とはどんな世界なのか?
訊け管理人様にもお伺いしたいです。
517
:
役行者
:2011/07/02(土) 06:30:43
続きです!!
>初心者様
>確かに、いまは寂光世界と存じます。いや、地球創成のころ(ビックバン)
から、寂光は宇宙に内包されていたと思います。
でないと、人間を中心とした神の第二創造に理由が付かないのです。
と私が述べたとき、
>わたくしも、役行者様と同意見です。実相世界がすでに完成していると
すれば、神の意志としての第二創造の説明がつきません。
ただこのことにかんしましても、「反・生長の家」的ともいえる持論が
あります。
神が神ご自身を表現なさるために実相世界をおこしらえになったとすれば、
つづいて、鑑賞者としての人間をおこしらえになったと考えられます。
神は、「わが創造せしすばらしき世界を讃嘆せよ」と、このように人間に
命じられたことでありましょう。すかさず人間たちは、
「さすがに神がつくられた世界だ。どこまでも完璧でスキがない」と、
口々に讃嘆しあいました。しかしそのうち物足りない気分におそわれること
になります。実相世界では、9回裏ツーアウトからの大逆転もなければ、
役行者様のお好きな花金もなかったのです。
人間たちは、「こんな退屈な世界はもういやだ」と考えるようになりました。
やがて念のレンズをこしらえ、それをゆがませることで、実相世界を、
パースペクティブの効いた不完全な世界として見るようになったのです。
との説を初心者様は、繰り広げられたのですが、パースペクティブの効いた
不完全な世界を人間が果たしてこしらえることができましょうか?
そして、トキ様が、
>ビッグバンから素粒子がうまれ、原子が誕生し、宇宙が生まれ、
現在も加速度的に発展しているように、この世の森羅万象の法則は、
「実相」が根本にあり、全ては「実相」を根底にして、有機的に連結をして
おりまして、この点を知って初めて理解できる、という発想もできるのかも
しれません。
と述べられ、ビックバンからの宇宙創生には、実相のエネルギーが意志として
働いていると思いました。
そうすると、
>なぜ小さな点でしかないビッグバン直後の宇宙が、この広大な宇宙のあらゆる
方向に見えてしまうのでありましょうか。
1個しかなかったはずのビッグバン直後の宇宙が、なぜありとあらゆる方向に
見えてしまうのでありましょうか。この摩訶不思議な現象が、
パースペクティブとともに、この現象世界がかかえる「差延」の問題
なのであります。
ここで「実相世界に差延はない」という、どこかで聞いたような話になって
くるわけでありますが、あまりにも不可解な話でありますので、
ボロが出るまえにやめることにいたします。
つまり、ビックバンのとき、パースペクティブとともに三次元空間が
生まれてしまった。そこに、すでに矛盾の芽があったのです。
なぜ、ビックバンが生じたのか・・・大切な問題です。
>ビッグバン以前にも世界は存在した。これがトキ様よりの回答です。
ビッグバン以前の世界を想定しますならば、この世界における神の第一念
による実相世界の創造は可能となります。ただしこの場合、
ビッグバン以前の世界がどのようにしてつくられたのか、
という問題が依然として残ります。
まあ、そのとおりだと思います。イエスが、この世のはじまる前からの
ことを説きましょう。と述べられておりますが、この実相世界のこと
なのでしょう。
果たして、神の第一創造から第二創造の境界に、何があったのか?
人間の知性で、理解し得るものなのでしょうか?
また、これからパソコンを使える環境でなくなるんで、ご了承のほど!!
518
:
初心者
:2011/07/02(土) 11:59:45
トキ様、ありがとうございます。
「嫌悪感」につきましては、あくまでも推測でありまして、さしたる根拠があるわけではありません。ただはっきりしておりますのは、そうとうに強固な嫌悪感がある、ということでありまして、これにはやはり、それなりの理由があるのはたしかなようであります。
その理由が何なのかを明確に語ることはできません。ただこれもはっきりといえるのは、それが、実相世界の存在を否定しようという方向の嫌悪感ではないということであります。存在することにたいする嫌悪感。こういうものだろうと思います。
わたくしが紹介した人物というのは、ロバート・モンローです。教文社からも本が出てます。ロバート・モンローは、体外離脱を可能にするヘミシンクと呼ばれる音響装置を開発した実業家です。モンローは、この装置を使い、「環体」や「インターステート」とモンローが名づけた霊的世界の探索をつづけます。
そうした探索のなかで、インスペックと呼ばれる高次の存在と出会い、その導きによって「魂のふるさと」と呼ぶべき場所に案内されます。そこでの体験を、「じつに素晴らしく退屈であった」といったふうにモンローは記していました。
わたくしもじっさいにヘミシンク音が録音されているCDを購入して聞いて見ました。18枚組でありましたが、まだ数枚を聞いた程度で、長いこと聞いておりません。じつはわたくしは、自分が気づかぬうちに、自然と体外離脱してしまうところがあって、そのために、ひと様に多大な迷惑をかけてしまったようなのです(あまりの出来事に、寝込んでしまった人もいるようです)。
体外離脱したあと、覚醒した意識でいられるのは1分程度です。あとは夢の世界で、それでも、高速での移動や降下といった身体的な感覚だけは維持できています。このような事情により、離脱後の行動をコントロールする必要性を感じたものですから、ヘミシンクCDを購入して聞いて見たという次第です。
結論からいうと、なんらかの効果はあったように思います。聞きはじめてすぐに身体的にかなり大きな変化がありました。その後は、体外離脱を禁止する物理的な手段を見いだすことができましたので、ここ3年以上、体外離脱はしておりません。
このようなことから、わたくしももしかしたら、ロバート・モンローとおなじように、何らかの方法によって実相世界か、あるいはそれにいくらか近い世界を体験した可能性がないとはいえません。それが今の嫌悪感となってあらわれているのかも、とは思います。
あらぬことを書いてしまいましたが、これも体験ではありますので、紹介いたしましたる次第であります。
519
:
初心者
:2011/07/02(土) 12:15:09
役行者様へ
最近、なぜかブログ管理人様がお出ましになられません。わたくし、何か失礼なことでも申し上げてしまったのでしょうか?天照大神の天岩戸隠れにも似たさみしさが感じられてなりません。
>との説を初心者様は、繰り広げられたのですが、パースペクティブの効いた
不完全な世界を人間が果たしてこしらえることができましょうか?
さすがに役行者様であります。現時点では、これが最優先に考えるべきテーマであろうかと存じます。これについては、やはり諸説紛々ということでありましょうが、実相世界において神の絶対観念がすでに表現されてしまった状況において、それにつづく第二創造の意義を見いだすとすれば、人間がパースペクティブの効いた世界をつくりだすということが、神の計画の一部であったと考えるのが適当ではないかと考えます。
つまり、神は最初からそうした能力を人間にあたえていた、ということです。ただし、ロバート・モンローの体験した「魂のふるさと」はパースペクティブが効いた世界であったようであります。このあたりはまだ一考の余地があると考えます。
>これなのですが、前にも述べたのですが、実相世界が存在するなら、
そこは無限生長の世界だと思うのです。つまり、矛盾は存在しないのですが、
弁証法的に進化向上していく世界と存じます。
そうなのですね。わたくしは、役行者様がこれを書かれたとき、「おや!」と思いました。実相世界は、はたして弁証法的発展の場なのか、と思いました。生長するということは、変化するということです。だとすれば、実相世界はまだ完成されていない。いまだ神の絶対観念や純粋観念の一部が表現されただけで、すべてが表現されたわけではない。つまりは、実相世界においても実相の流入はつづいているのだろうかと、このようなことを考えるにいたったような次第であります。
雅春先生は、実相世界はすでに完成していると、このように説いておられるような気がいたします。完成しているとすれば、そこは変化無常の世界ではなく、永久不変の世界のはずであります。この世界に変化をあたえるのが、役行者様のいわれる弁証法なのでありましょうか。弁証法的発展が要因となって、永久不変であるはずの実相世界に変化、発展が生じる。このようなことを役行者様はいっておられるような気がいたします。このあたり、パソコン環境下でさらに詳しきところをお聞きしたく存じます。
520
:
トキ
:2011/07/02(土) 13:35:50
初心者様
私が理解しているところでは、ロバート・モンローはアメリカの実業家で、自分が体外離脱を経験した事が
契機となり、私財をとうじて体外離脱の研究を始め、ついに人工的に体外離脱が出来るシステムの開発に成功
し、これを「ヘミシンク」と称しています。以前はテープでしたが、今はCDになっているのですね。面白そう
なので、一度、聞いてみようかと思ったのですが、高そうだったので、止めました。
ヘミシンクについては、日本人で初期に経験した人が本を2冊書いています。それによると、魂のレベル
に応じて、「フォーカス10」とか「フォーカス20」とか、称している様です。説明自体には、生命の実相
第2巻や霊界編などと矛盾する部分はないと感じています。ただ、何であれ、「体外離脱」をする訳ですから
一つ間違えば、そのまま、永久的な霊界へのご旅行になる可能性があります。おそらく、霊界から神界の近く
まで体験するシステムなのでしょうが、アメリカのモンロー研修所など、しっかりした指導者の下でしないと
危険性はあるのかもしれません。
しかし、有名なキューブラー・ロス博士などもヘミシンクは使っていたみたいですし、立花隆さんの「臨死体験」
にも紹介されています。たいへん面白いシステムであると思います。初心者様が、あれを使っていたというのは、
面白かったです。すると、ヘミシンクの途中で会ったガイド(指導霊)から、何らかの示唆を受けているのかもし
れませんね。
合掌 ありがとうございます
521
:
初心者
:2011/07/02(土) 14:56:57
トキ様、ありがとうございます。
体外離脱は、じっさい危険です。遠くにいきすぎて、もどろうにも肉体の在り処がわからいという体験は、しばしばいたしました。本当にあせって探しまわるんですよ。どんなに探しても見つからない。こういうこともあります。見つからなければ、そのままあの世行きです。さんざん探しまわったあげくに見つかれば、ものすごい速度で移動します。最後に、なにか大きなものに飛び込むんですね。これがどうやら肉体のようです。肉体は、その後の数分間、はげしく振動して、それでようやく体外離脱が終了します。
でもわたくしの場合、体外離脱は自然に起きるようになったもので、ヘミシンクはほとんど関係なかったです。CDに録音されているヘミシンク音は、じつはほんの少しなんですよ。ほかの多くの時間は、ロバート・モンローがひとりでしゃべりまくってます(もちろん英語で、しかもかなり大きな声で)。なかなか集中できなくて、あまり役には立ちませんでした。
なんにしても、きちんとした指導者のもとでなければ、たいへんに危険です。肉体にもどれなくなるのは日常茶飯事なのです。
522
:
トキ
:2011/07/02(土) 15:17:22
>>521
初心者様、ありがとうございます。トキです。
立花隆さんの「臨死体験」には、フィンランドのキルデさんという医者の体外離脱の経験が書いてありますね。
彼女の説では、世間にいる精神異常者のある程度の人の中には、体外離脱をして、霊界で異常な経験をして、
そのまま戻って来たケースがあるはずだ、と言っています。また、私は寝ている間に突然亡くなったとされる人
の中にも、体外離脱をして戻れなくなった人が相当数いるような気がします。
余談ですが、彼女は、亡くなった叔父(やはり医師だったそうです)の自動書記で「死は存在しない」
とう本を書き、世界的なベストセラーになったのですが、日本語には翻訳されていません。英語版でも
時間をかけて、探そうかと思っています。
523
:
緑の意思
:2011/07/02(土) 16:20:46
横から失礼します。
ヘミシングは太平洋戦争中アメリカの軍事研究所で、兵士の市への恐怖心をなくす洗脳技術、
暗示による殺人任務を遂行させる誘導実験の目的で、音響差による脳への刺激を与える研究されていた
みたいですね。
私も体外離脱の経験から肉体を離れてもありありとした感覚があるのに驚き、
興味からCDを持ちました。
ただ友達の弟の離脱体質から精神的に調子をくずしたことや、
色々分ると結局危険な幽界の遊びだとの認識を持ちました。
モンローの研究自体は使命があったのでしょうね。
すみません、お邪魔して。
524
:
トキ
:2011/07/02(土) 16:42:09
トキです
>>523
緑の意思 様
貴重な情報をありがとうございました。臨死体験から、音響による体外離脱に至る論理関係が不明
だったのですが、軍事研究の応用なら、納得できます。
ヘミシング自体は、たいへん面白いテーマですが、実際には、アメリカに何度も行き、モンロー研究所
の正しい指導を長期に受ける必要があるでしょうから、普通の人にはまず無理でしょう。
体外離脱の場合、いわゆる「魂の緒」が体とつながっているから、自分の肉体に戻れるのですが、
間違って、あるいは誰かが故意に、それを切断すると、そのまま「ご臨終」という訳です。先に紹介
したキルデ博士の場合、その恐怖もあり、転じて瞑想を始めたようです。
生長の家の神想観の場合、最初にきちんと招神歌を唱えるので、大丈夫なのですが、あれがないと
やはり危険なみたいです。
関心はもっているので、ヘミシングについて、詳細なご教示を頂戴できれば幸いです。
合掌 ありがとうございます
525
:
初心者
:2011/07/02(土) 18:44:57
ヘミシンクというのはバイノーラルビートと呼ばれる音響技術のようです。モノラルを単一の音響とすれば、バイノーラルは、異なる周波数の音を、左右の耳から別々に聞かせる技術であるようです。
これはおそらく、左脳と右脳に異なる音響的刺激をあたえることで、通常は睡眠時にしか体験できない体外離脱現象を、覚醒した意識状態でも体験できるように工夫したものだと思います。
明晰夢は、それが夢であることを知りながら見る夢です。明晰夢においては、夢見手はほぼ覚醒した意識状態で夢を見ているはずです。こうした状況を人工的につくり出すのが、バイノーラルビートを応用したヘミシンク技術であると考えられます。
明晰夢を見る訓練をすれば体外離脱の体験が可能になるといっている人もいますが、何にしてもこれは、精神に大変な負荷をかける方法であるように思われます。ヘミシンクは、長いあいだ研究がつづけられておりますので、正式なトレーナーについて学ぶかぎりは、いくらか安全な方法であるのかもしれません。
ちなみに、わたくしが体外離脱をしてみようという気になったのは、真理の研究のためであります。本を読んだだけでは真理はわかりません。霊的世界をじっさいに体験してみたい。体験することでわかることがあると考えたためであります。
それなりに収穫があったとは思いますが、リスクもそれなりに大きかったと思います。不惜身命。この覚悟がなければ、あまりお勧めできる方法ではありません。
526
:
トキ
:2011/07/02(土) 20:49:47
>>525
トキです。初心者様、ご説明、ありがとうございました。
すごい覚悟ですね。勇気というか、無謀というか。まるでイラクへ旅行に行くような感じです。
霊界については、浅野和三郎先生が、亡くなった子供からの霊界通信を記録した「新樹の通信」という本が
面白かったです。これは、生命の実相第2巻に一部が引用してあります。また、昭和初期の発行ですが、既に
大東亜戦争を予告した記述があります。しかし、霊界で、ガイドについて勉強をしていても、限界はあるみた
いです。この当たりは、また、時間のあるときに投稿します。ありがとうございました。
合掌 ありがとうございます
527
:
初心者
:2011/07/02(土) 22:22:05
役行者様へ
>つまり、ビックバンのとき、パースペクティブとともに三次元空間が
生まれてしまった。そこに、すでに矛盾の芽があったのです。
なぜ、ビックバンが生じたのか・・・大切な問題です。
この宇宙空間は、ビッグバン直後の宇宙に包まれているように
見えてるわけですよね。
まるで、ビッグバンが内側に向かって起こったような、
そんな姿が見えているわけであります。
このことひとつをとってみても、
この見えている世界がまやかしであるのはあきらかですが、
宇宙物理学者は、このまやかしの世界を観察して、ああだこうだと
言いあっているわけですから、学者たちの言い分が
はたしてどこまで信じられるのだろうかという気になります。
それでも、ブラックホールの研究で有名な、ジョン・ホイーラーという物理学者は、
「宇宙は振り返って自分の姿を見る」といっていたそうです。
この言葉の意味するところはかなり衝撃的です。
過去の宇宙を振り返って見ているのは、人間ではなく、宇宙自身ということなのです。
宇宙は、自分自身を振り返ってみるために宇宙を創造した。
その創造の瞬間がビッグバンであった。
こういうことであるのかもしれません。
もしそうなら、人間の立場はどうなってしまうのでしょうか。
人間は宇宙にとって必要のない存在なのでしょうか。
たしかに、この宇宙は、まったく矛盾だらけの宇宙です。
どうしようもないほどの矛盾につつまれています。
さてここでジジェクの登場です。
ジジェクの手にかかれば、宇宙は矛盾につつまれているがゆえに
「精神異常の宇宙」となるやもしれませぬ。
創造の最初に、神は正気を失い、狂気にさらされていた、
ということにもされかねないのであります。
ブログ管理人様によってご提示いただいた5つのカテゴリーでいえば、
これは(4)の世界観です。
この支離滅裂な宇宙を見るかぎり、
あんがい(4)が正解なのかという気がしなくもありません。
528
:
役行者
:2011/07/03(日) 07:24:30
>初心者様
携帯環境下ですが、簡単に問題提起させていただきます。
これは実相世界の定義の問題かと存じます。
実相世界とは如何なる世界なのか?つまるところ、訊け管理人様へ、舞台あればストリップショーでもお見せして、笑いのなか、ご出御願うところなのですが・・・いかばかりか・・・
ですから、絶対とか、完全の定義なのですよ。
世間的には、絶対とは権力と連動してしまうイメージがあります。中世のキリスト教文化圏で有名な、それでも、地球は動く!で象徴されるように。
絶対イコール動かない。
そんなイメージが潜在意識のなかに定着されている可能性があります。
絶対観念の世界とは?そこでお尋ねなのてすが、ドイツ観念論において、対立する観念からアウフヘーベンされて、ジンテーゼの世界に昇華するとき、光に包まれた矛盾なき対立からアウフヘーベンされて進化向上していくという考えは成り立つのでしょうか?
つまり、光と歓喜に包まれて、無限に進化向上してゆく変化ある世界を実相世界と定義付けたいのですが・・・
529
:
初心者
:2011/07/03(日) 10:21:53
役行者様へ
>絶対観念の世界とは?そこでお尋ねなのてすが、ドイツ観念論において、対立する観念からアウフヘーベンされて、ジンテーゼの世界に昇華するとき、光に包まれた矛盾なき対立からアウフヘーベンされて進化向上していくという考えは成り立つのでしょうか?
難しい質問です。観念論で優先されるのは、つねに観念であるはずですから、「矛盾なき対立」が、はたして観念として成り立つか、ということがポイントになるかと思います。観念として成り立てば、あとは全体性へと向かう運動が可能となるやもしれませんので、そうなれば弁証法的発展の可能性が見えてくるかと存じます。
また、ヘーゲルのいう「絶対」とは「全体」のことであったと思います。ものごとの全体を見わたすことのできる観念が絶対観念であったかと存じます。世界をあますところなく包みこめる観念が存在すれば、それがヘーゲルの言うところの絶対観念となるように思います。
>つまり、光と歓喜に包まれて、無限に進化向上してゆく変化ある世界を実相世界と定義付けたいのですが・・・
「変化ある」というのが、「実相世界の完全性」と対立する概念として提起されてますね。たしかに、「完全性とは何か」の定義が必要になるところであります。しばし問答いたしましょう。ブログ管理人様を呼びに行かねばなりませぬ(どうもわたくしに腹を立てておられるような気がしてなりませぬ)。
ところで本日は、これとは異なる問題で、重要と思える投稿をいたしたいと考えております。難解な問題でありますので、ゆっくり小出しで投稿いたします。
530
:
初心者
:2011/07/03(日) 10:25:10
ずっと考えてました。答えを模索していました。
>つまり、ビックバンのとき、パースペクティブとともに三次元空間が
生まれてしまった。そこに、すでに矛盾の芽があったのです。
なぜ、ビックバンが生じたのか・・・大切な問題です。
この問いかけに答えなければ、真理は崩壊する。
そう思ってました。問いかけの重さが、ずしりとのしかかってきました。
この問いかけは、見かけよりもずっと重く、難解です。
それでも答えなくてはならない問いかけでした。
答えが見つかりました。それは、とてつもない答えでした。
これまでの常識がすべてくつがえりました。
これまでの考え方が、すべて木っ端みじんに砕け散りました。
結論から申します。
ビッグバンによって生じたのは、パースペクティブによってゆがめられ、
差延によって偽られた、矛盾だらけの宇宙ではありませんでした。
ビッグバンによって生まれた宇宙は、パースペクティブもなく差延もない、
完全に調和した美しい宇宙だったのです。
真実の宇宙にパースペクティブはありません。差延もありません。
このことにようやく気づきました。
真実の宇宙はビッグバンによって生まれるしかなかった。
このことにも気づきました。
これから、真実の宇宙、美しい宇宙について語ります。
531
:
初心者
:2011/07/03(日) 12:58:11
「見えている世界」と「見えない世界」。
このことについて語る人は多くいます。
見えている世界の奥には、見ることのできない世界がある。
このように言う人は少なくありません。
これから、「見えている世界」と「見えていない世界」について語ります。
ところで、見えている世界とは何なのでしょうか。
ここではっきりさせておくべことは、
見えている世界には、パースペクティブと差延が
かならずあるということです。
見えている世界とは、光をモノサシにした世界です。
見えている宇宙の唯一のモノサシは光です。
光をモノサシにして、時間と空間があらわれます。
光の弱点は速度です。
毎秒三十万キロ。
十分に速そうに思えますが、宇宙のスケールでは十分とはいえません。
光が届くまでに、何万年、何億年とかかることもあります。
この遅さが差延を生み出します。
光をモノサシとした世界では、見えているのは、すべてが過去です。
わたしたちは、過去の世界、過去の宇宙だけを見ています。
見えている世界とは、すべてが差延によって生じた過去の世界なのです。
夜空を見上げながら、人は、宇宙を見ていることを実感します。
星空は、たしかな宇宙だと考えます。
しかし星空は宇宙ではありません。
見えている宇宙の果てには、
どの方角にもビッグバン直後の宇宙があります。
これは差延によって生じた宇宙です。
本当の宇宙ではなく偽りの宇宙なのです。
では本当の宇宙はどこにあるのでしょう。
本当の宇宙とは今の宇宙です。
見えている宇宙がたとえ過去の宇宙であったとしても、
今の宇宙は、かならずどこかにあると人は考えます。
真実をいえば、光をモノサシとした世界では、
「今の宇宙」という考え方は成り立ちません。
光をモノサシとした宇宙では、
「同時」という考え方が成り立たないのです。
すべてが過去であり、
今この瞬間に同時に存在するものは何ひとつとしてありません。
したがって、今この瞬間に同時に存在する宇宙は
どこにも存在しないと考えるしかないのです。
光をモノサシとするかぎり、
存在できるのは過去の宇宙だけです。
今の宇宙はどこにも存在できません。
今の宇宙が存在できるとすれば、
それは光をモノサシとしない世界のなかだけなのです。
「見えない世界」とは何かといえば、
それは光をモノサシとしない世界です。
光をモノサシとしない世界が存在すれば、
それが「見えない世界」ということになります。
はたして、光をモノサシとしない世界が存在するのでしょうか。
存在するとすれば、
それが真実の宇宙ということになるのかもしれません。
はたして真実の宇宙は存在するのでありましょうか。
存在するとすれば、それはどんな宇宙なのでありましょうか。
このことについて考えてゆきたいと思っているところですが、
なにしろ相手がでかすぎます。
光をモノサシとしない真実の宇宙の存在は、
生長の家でこれまで語られてきた「実相世界」と「現象世界」の区別についても
一石を投じることになります。
これまで「ない」といわれてきた「現象世界」の真実の姿を
わたくしはこれから明らかにしようとしています。
このことが可能なのかどうか・・・、
何しろ相手がでかすぎます。
532
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/07/03(日) 15:29:53
>初心者さま
いやー別に腹を立ててなんて(笑)「どうしてそう思われましたの?」と
不思議です。
さて、いやー話題がすごい広がりを見せているではないですか(笑)私、
個人的流儀としましては、まあ、他者主張を了解してからでないと、返信で
きぬ性質でして・・・少々お時間をくださいませ。
いやー、別に苦労自慢するわけじゃないんですが、今激務です(笑)週末
から本日にかけまして、
● 近所の高校野球部の遠征へ付き合い
● 夏祭りの打ち合わせ
● 近隣奉仕作業
●(愚息が通う)幼稚園にて「陸上部」創設準備の手伝い
等々・・・みなさん、なかなか返信できずにスミマセン。
追伸
まあしかし、神の子無限力ですわ(笑)時間はないんですけど「疲労感はまったくない」という(笑)実に畏れ多きかな、光明思想であります。
533
:
初心者
:2011/07/03(日) 15:56:17
ブログ管理人様。
出てきていただいて安心いたしました。
あなた様は、この掲示板にどうしても必要なお方なのであります。
534
:
初心者
:2011/07/03(日) 16:07:47
ブログ管理人様に出てきていただいたところで、
話のつづきを書かせていただきます。
これより、真実の宇宙の姿を明らかにいたします。
真実の宇宙とは、今ここに同時に存在する宇宙です。
過去にではなく、今この瞬間に現存する宇宙です。
真実の宇宙を、わたくしたちは見ることができません。
わたくしたちに見えるのは、光をモノサシとした、偽りの宇宙だけです。
偽りの宇宙は、パースペクティブと差延によって成り立っています。
「同時」ということを考えてみます。
光をモノサシとした宇宙では、
宇宙の果てから果てまで情報が届くには、三百億年近くかかります。
これではとても同時とはいえません。
「同時」とは、宇宙の端から端まで、
情報が瞬時に届かなければならないということです。
ここで、宇宙の端から端まで、
情報が瞬時に伝わる宇宙を想像してみます。
この宇宙では、いったい何がおきているのでしょう。
300億光年を、情報がゼロ秒で伝わったとすれば、
それはもはや「伝わった」とはいえません。
ふたつの出来事が同時に起きた。
このように考えるしかなさそうです。
光のモノサシを用いない真実の宇宙とは、
あらゆる場所の出来事が同時に起きている宇宙です。
しかもその瞬間に、宇宙で起こっているすべての出来事を、
宇宙のすべての存在が理解していなければなりません。
宇宙の辺境で、今この瞬間に何が起きているのかを、
真実の宇宙では、すべての存在が知っていなければなりません。
これが真実の宇宙で起こっていなければならない出来事なのです。
こうした宇宙では、パースペクティブも差延も存在しません。
存在するのは、すべてのモノと出来事が
ひとつに結びついているという現実だけです。
真実の宇宙では、すべてが一体化しています。
わたしはあなたであり、あなたはわたしなのです。
こうした現実によって成り立っているのが真実の宇宙です。
だからこそ、すべての出来事が同時に起こり、
すべての存在がそれを知ることが可能となるのです。
今の宇宙の姿をイメージしていただけたでありましょうか。
真実の宇宙では、すべてのモノや出来事は、
分割も分離も不可能です。
すべてがむすびついて一体化されています。
これが今の宇宙、真実の宇宙の姿です。
こうした今の宇宙が、
わたしたちが見ている偽りの宇宙の背後に存在しています。
偽りの宇宙をわたしたちは見ることができますが、
真実の宇宙を見ることはできません。
見ることはできなくても、真実の宇宙はまちがいなく存在します。
光のモノサシをはずしさえすれば、
その存在があきらかとなるはずです。
それは感じてみるしかない宇宙です。
その存在を自覚するしかない宇宙です。
それでも、真実の宇宙は、たしかにここに存在するのです。
535
:
義春
:2011/07/03(日) 16:34:47
>>532
ブログ「雅春先生に訊け」管理人さま
お疲れさまです!
差し入れです。
つ芋焼酎
つ日本酒
つひやしあめ
暑いから気をつけて下さいねぇ〜。
536
:
初心者
:2011/07/03(日) 17:50:12
アインシュタインの相対性理論では、
情報は光速を超えて伝わってはならない、とされています。
宇宙の端から端まで情報が瞬時に伝わるという考えは、
相対性理論では、けっして許されない考え方なのです。
ではなぜ、真実の宇宙では、辺境での出来事が、
全体に瞬時に伝わることができるのでありましょうか。
それは、真実の宇宙では、すべてが一体であるからです。
他と見えているものが、じつはすべて自分だからであります。
すべてが自分であるのなら、どこで何がおきているのかを、
たとえどんなに遠く離れていても知ることができます。
真実の宇宙で起きている出来事とは、
自分のことを自分で知るという出来事なのです。
そこで問題となるのは、真実の宇宙において、すべてが自分である
という一体化が、なぜ実現したのかということであります。
その答えは、真実の宇宙がビッグバンによって
生まれたからなのであります。
ビッグバンによって、
宇宙のすべての物質が同時に誕生いたしました。
同時に誕生したことにより、
すべての物体の一体化がなしとげられたのです。
EPRパラドックスとは、情報が光速を超えて運ばれるが
ごとく見える現象にたいしてつけられた名称です。
パラドックス。それはつまり「あり得ない」ということです。
情報が光速を超えて運ばれる?
そんなことは絶対にあり得ない。
そう主張したのが、アインシュタイン、ポドルスキー、
ローゼンの3人の物理学者です。
この3人の頭文字を取って、この現象は
EPRパラドックスと呼ばれるようになりました。
EPRパラドックスが起こる条件はただひとつです。
複数の物体が、こすれあうとかぶつかりあうとか、
過去になんらかの関係を持ったことがあれば
それだけでEPRパラドックスが起きるといわれています。
複数の物体が、一度でも関係を持てば、
この関係は永遠につづくともいわれています。
ビッグバンで同時に誕生したすべての物質は、
その瞬間に関係を持ち、この関係は
永遠につづくことになったのです。
ビッグバンによって同時に誕生したことによって、
宇宙のすべての物質は、EPRパラドックスで結びつけられました。
EPRパラドックスで結びついた物体は一体化します。
真実の宇宙のすべての物質は
EPRパラドックスで結びついています。
これにより、真実の宇宙の物質は、
そのすべてが一体化しました。
わたしはあなたであり、あなたがわたしとなる。
こうした宇宙が実現しました。
一体化が実現できたのは、
宇宙がビッグバンによって誕生したからであります。
もしも同時にではなく、バラバラに誕生したとすれば、
すべての物質がEPRパラドックスによって結びつけられることはなく、
したがって、一体化が実現することもなく、
真実の宇宙は誕生することがなかったと考えます。
「なぜ、ビッグバンが生じたのか」
これが役行者様からの問いかけでした。
この問いかけに答えられなければ真理は終わる。
そう考えました。
わたくしなりの答えを出してみました。
537
:
トキ
:2011/07/03(日) 20:07:19
トキです。相対性理論の話題ですか。深淵ですね。
直接、関係ない話なのですが、体外離脱を経験した人が、場所の移動は瞬時に
思っただけで可能だ、と言われています。これも、現象界について解明するヒント
になるような気がします。
合掌 ありがとうございます
538
:
初心者
:2011/07/03(日) 22:45:10
トキ様は、「関係ない話ですが」といわれながら、
いつも関係のある話をお書きになられます。
今回もソートーに関係のありそうな話でございます。
宇宙の果てまで瞬間移動したとすれば、
そこにはどんな世界が待っているのでありましょうか。
おそらく、果てまでいったとしても、そこが宇宙の中心で
あることでありましょう。
わたしたちは、ともすれば、
「現象世界」とひと言で片づけてしまいがちですが、
なかなかにして複雑怪奇な世界であります。
実相世界はどうなんでしょうね。
現象世界よりはわかりやすい世界なのでしょうか。
みなさまは、このような疑問はお持ちにならないのでしょうか。
「実相世界」と「現象世界」の言葉だけで
気持ちが落ち着いてらっしゃるのでありましょうか。
ようはハッピーになれればよいことですから、
人それぞれにハッピーになられればよろしいのでしょう。
でも、悩んでる人って、けっこう多いと思うんですけどね。
539
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/07/04(月) 07:58:13
ううむ・・・「よく解らん」が正直なところです(笑)
まあもう少し、読んでみます。
540
:
トキ
:2011/07/04(月) 09:15:05
トキです。どうも、オタクな話題になり、申し訳ありません。
さて、現象世界の中でも、人間界はきわめつけの「部分社会」ですから、五感、六感では
実相世界を知る事は至難の業だと思います。しかし、人間の観点から見て、絶対の真理だと
思った事が、実はそうではなかった、という事はまれではありません。
例えば、一般相対性理論が登場するまでは「時間」という概念は絶対でした。が、今では、
時間も相対的で、早く時間が流れたり、遅く流れる事もわかっています。ですから、現象世界
で起こっている事が、全て絶対ではありません。
そうすると、人間界に限らず、この世界で起こっている全ての事が、実は、絶対ではなく、
「現れている事」と理解するのは可能だと思います。初心者様が、体外離脱をする時に、自由
に、瞬時に移動が出来た、と言われているのは、その現れだと思います。
では、絶対の世界があるか、というと、これが「実相世界」であります。
現象世界というのは、実相世界があって、その影と言われていますから、現象世界は実相世界が
ある程度の部分は、反映したものです。有る意味では、現象世界は、実相世界の部分社会とい
う事ができると思います。
ですから、実相世界を知る為には、宇宙の先に行く必要もなく、霊界に行く必要もなくて、
ただ、自分の内面にある実相世界と対話をすればいいのですね。
この対話をする「行」を、生長の家では、神想観と言うのであります。
541
:
初心者
:2011/07/04(月) 10:51:29
ブログ管理人様へ
「よくわからん」のは当然でありますよ。
「今の宇宙って何なのだ?」なんて、ふつうは考えませんもの。
でもはっきりしているのは、わたしたちが見ている宇宙は、
すべて過去の宇宙であって、今の宇宙ではないということですね。
わたくしは、生まれてはじめて「今の宇宙」と向き合ってみました。
そして重要なインスピレーションを受けました。
「すべてわかった」
まっ、こんな感じです。
わたしたちが見ている宇宙は本物ではありませんよね。
現実には存在しない、見せかけの宇宙です。
本物の宇宙はべつにあります。
しかも、本物の宇宙は、光を介して見ることはできないときています。
光はすべて過去からやってきます。
わたしたちが見ているお月さまは、1.3秒前のお月さまです。
太陽は、8分20秒前の太陽であります。
わたしたちが見ているあらゆる現象は、すべて過去なのです。
今この瞬間の現象を見ることは不可能なのであります。
なぜかといえば、光はすべて過去からやってくるからなのであります。
わたくしは「今この瞬間」を問題にしました。
なぜかといえば、ビッグバンによってつくられたのは、
今この瞬間に存在する、本物の宇宙だからであります。
今この瞬間に存在する本物の宇宙を知らなければ、
ビッグバンの意味を知ることはできない。
そう考えたからこそ、今の宇宙を問題にしたのであります。
現象世界はすべて過去です。
しかも、遠くへいくほど、それは過去なのです。
現象世界をいくら調べても今のことはわかりません。
生長の家では「今を大事にする」といいますが、
はたして「今」はどこにあるのでしょう。
「今を大事にする」といいながら、
「今」をどうやって体験できるというのでしょう。
今を大事にする「今」とは、この瞬間に存在する本物の宇宙です。
本物の宇宙は光を必要としません。
光を必要とせず、すべての存在者が同時に存在するのが、
今この瞬間の本物の宇宙なのです。
「今の宇宙」に従来の常識は通用いたしません。
従来の常識は、光によってもたらされたものです。
そのすべてが過去を知るための常識なのであります。
したがって「今この瞬間」を問題にしようとしたときには、
まったく役に立たないのであります。
ブログ管理人様が「よくわからん」といっておられるのは、
過去を知るための常識で考えておられるからであります。
わたくしが問題にしておりますのは「今この瞬間」です。
「今この瞬間」を知るためには、従来の常識にとらわれない、
まったく新しい発想が必要になってくるのであります。
それと、ここでひとつはっきりといっておかねばならないのは、
「今この瞬間を知ることにどんな意味がある?」についてでありますが、
じつは、これが「大あり」なのであります。
今この瞬間の宇宙とは、とんでもないシロモノなのであります。
しょせんは現象世界にずきないと、
けっしてバカにできるシロモノではないのでございます。
わたくしたちの人生の中核は、
この、けっして見ることのない「今この瞬間の本物の宇宙」から
もたらされているのであります。
必要なのは「自覚」であります。
今この瞬間の宇宙を自覚することが必要なのであります。
この自覚なくして、人生が満たされることはありません。
わたくしたちの人生の中核にエネルギーをもたらしてくれているのは、
今この瞬間に存在する、本物の宇宙なのであります。
本物の宇宙をいっさい自覚することなく、
実在しない過去の宇宙だけにとらわれて生きることに
いったいどのような意味があるというのでありましょうか。
本物の宇宙こそが人生の源泉であります。
ビッグバンによって創造されたのは、
そんな宇宙なのであります。
結論をいいます。
わたしたちがふだん見ているのは、実在しない過去の宇宙だけです。
この実在しない過去の宇宙だけを見て現象世界を云々するのは、
けっしてフェアではない、ということなのであります。
本物の宇宙を問題にせずして、現象世界を云々することなかれ。
こういうことを申し上げたような次第でございます。
542
:
黒住忠宗
:2011/07/04(月) 11:40:13
『ひふみ神示』
悪神よ。日本の国を此処までよくも穢したな、
これで不足はあるまいから、いよいよ此の方の仕組通りの、
とどめにかかるから、精一杯の御力でかかりて御座れ。
学問と神力の、とどめの戦ざぞ。
世界人類が平和でありますように
543
:
初心者
:2011/07/04(月) 12:24:35
神の名をかたるものは神によって滅ぼされる。
はたしてあなた様は、
わたくしの言葉を理解しておられるのでありましょうか。
わたくしが何を語らんとしているのか、
それをご存じなのでありましょうか。
正当なる言論の展開を期待しております。
544
:
トキ
:2011/07/04(月) 13:11:42
>>542
黒住忠宗様、管理人のトキです。投稿ありがとうございました。
ところで、投稿の内容が、『ひふみ神示』であり、最後のコメントは
白光真宏会の五井昌久さんの言葉です。このスレッドの趣旨との関連が少し
不明ですので、ご投稿の意図や趣旨、また簡単な自己紹介などをしてくださ
れば嬉しく思います。
勝手ながら、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
545
:
初心者
:2011/07/04(月) 16:16:34
トキ様、ありがとうございます。
ついに相対性理論まで登場して、なにやらきな臭いにおいが漂ってまいりました。
相対性理論にかんしまして、現時点でわたくしが重視しておりますのは、相対性理論が「同時」という現象を否定しているということです。この宇宙に同時はない。このことを相対性理論はいっているような気がします(観測者によって時系列が入れ代わることもある、ということですね)。
「同時」を否定する相対性理論は、「今の宇宙」の存在を否定します。「今の宇宙」が存在するということは、すべての星や銀河が、今この瞬間に同時に存在していなければならない、ということですから、「同時」を認めない相対性理論によって「今の宇宙」は否定されます。
そこで「今の宇宙」が存在するためには、言葉を変えていえば、「同時」が成り立つためには、相対性理論と対立する現象が、どうしても必要になってくるのであります。相対性理論と対立する現象があるのかといえば、それがEPRパラドックスと呼ばれる現象なのであります。対立しているがゆえに、これはパラドックスなのです。
EPRパラドックスはまことに不可思議な現象であります。いちど関係を持った物質どうしは、たとえどんなに遠く離れていても、たがいに相手の動向を瞬時に知ることができるのであります。片方の物質で起こったことは、同時にもう片方の物質でも起きます。たとえ何万光年はなれていたとしても、それは同時におきるのであります。
「同時」ということを考えるにあたっては、EPRパラドックスほどに適当なものはございません。何億光年はなれていても、それは同時に起こる現象なのであります。「同時はない」と主張する相対性理論にたいして、EPRパラドックスは、まっこうから異議をとなえることのできる現象なのであります。
「今の宇宙」とEPRパラドックスは、密接にかかわっているにちがいありません。「今の宇宙」は、EPRパラドックスによって語るしかないと、このようにも考えております。「今の宇宙」では、すべての出来事が同時に起きます。今この瞬間にすべての出来事が起きているのであります。それがパラドックスなのであります。
それにしても、宗教が科学を否定するというのは、今も昔も変わらぬことであるようです。思えば、バヴァリア・イルミナティーもまた、キリスト教ジェズイット派によって弾圧され、殲滅させられてしまいました。
宗教にとって、理性や知性が敵であるという事情は、生長の家においても変わらぬようであります。少なくとも、そう信じる人は少なくないようです。学問や知識は役に立たない。この言葉によって、これまでいったい、どれほどの理性と知性が排斥されてきたことでありましょう。
イルミナティーの亡霊が、その恨みを晴らさんと、現総裁にのり移っている。そんな気がしてきました。
546
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/07/04(月) 16:47:55
>初心者さま
「よくわからん」の意味だけ述べておきます。私が「よくわからん」と述
べました理由は、貴殿ご説明の内容とは全く違います。「ブログ管理人様が
『よくわからん』といっておられるのは、過去を知るための常識で考えてお
られるからであります。」とのことですが、そんな高尚な理由で「わからん」
わけではありません。
私がよく解らないのは、貴殿ご提題以下文章と、その後のご投稿文章の関
連についてであります。念のため、貴殿ご提題を再度掲示致します。
―――――――――――――――――――――――――――――
神は完全なる世界と人間をおこしらえになり、
人間に自由な表現力をおあたえになった。
このあたりの説明がわたくしには腑に落ちぬのであります。
神は、絶対観念、あるいは純粋観念を表現するために
実相世界を創造されたわけでありますよね。
だとすれば、人間はただその絶対観念や純粋観念を鑑賞
すればよいのであります。
それですべて「こと足れり」であります。
人間に自由なる意思をあたえることで、
いったい何が生まれるというのでしょう。
絶対観念や純粋観念を超える、何か新しい価値が生まれると
いうのでありましょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
この論点に於いて、貴殿の種々ご主張を拝読するにやや、ご主張内容の意
味が、不明になるのです。此処で申す不明とは既述のように、関連性に於け
る不明さとでも申せばよいのかもしれません。そしておそらくですが、不明
である理由は貴殿ご主張が「神は自身を見るために人間を創造した云々」の
視点を元にしているためではないか、とまあ、そんな感想を持っている現在
です。
まあ以下は、私が誤読している点ご念等にお読みくださればよいのですが、
現時点での愚生意見はトキさまと同様のものになろうかと思います。その、
トキさまご主張とは、515ご投稿の「行しかありません」、この一文にな
ろうかと。
追伸
五官認知不能な事象を「五官領域で見よう」(註:「観よう」ではない)
とするならば、幽体離脱よりも神想観をお勧めする次第です。(まあ、「幽
体離脱」経験のない私が言うのもなんですが)
科学の世界では、実験をしてそのレポートを作成するわけですが、この、
光明思想に於ける実験レポートとは、「体験談になるのではないか」と、個
人的には断言できようかと思っております。
雅春先生の光明思想ですが、この実験結果(体験談)の量+質が、凄味の
ひとつでありましょう。そして私個人もこの、なにか偉大なるものを〝五官
領域で認知する〟体験――現世利益を得ることを多々経験している次第です。
まさに、目には見えない〝なにか偉大なもの〟を、手に触れ目で確認できて
いるわけであります。「神想観を超える大行はない」が雅春先生のご主張な
のですけど、貴殿に於かれましてはこの、雅春先生のご主張「神想観を超え
る大行はない」に、一時的に騙されてみるのも一興ではなかろうかと思う次
第であります。
547
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/07/04(月) 16:49:13
余談
なにか偉大なるものを〝五官領域で認知する〟体験――現世利益を得るこ
と、について補足などを。
私の知り合いに小説を書いている者がおります。十年間鳴かず飛ばずであり
ましたが、私が『生命の實相』を伝えた途端「覚醒」致しまして・・・●●年
に「アマゾンが選ぶナンバー1小説ランキング」部門にて、1位を――これ、
政治的な色がついていない、まったくの実力ランキングらしい――獲りやが
りましたよ(笑)ちなみにこれ、日本の「全作家」に於けるランキングです。
そこで1位でしたんで我々は、マジで仰天しましたけどね(笑)今度映画化
もされますんで、元無神論者のコヤツも今、「神想観、してるか!?」「先
祖供養、してるか!?」と、私に聞いてくるくらいになっておりますが(笑)
まあ、あまり「あの小説家は生長の家だ」という色を付けたくないらしい
んで、名前を挙げることは控えますけど、コヤツの書斎・・・招神歌が大書して
掲げられているという(笑)なにせ当事、出版社は「2作品しか発売しない
予定だった」のに、なぜか「出版社が『3作品発売』を決定した」らしく、
そして「その補欠扱いの3作品目がオレの作品だった」とのことで「3作品
発表が決まるのも奇跡ならば、その3作品目にオレのが選ばれたのも奇跡」
であり、さらに「その補欠作品がアマゾンで1位になった理由は・・・神想
観なのだよ!!!!」とのことで、ありますた(笑)いやー、ヤツを見てい
ますと「神想観を超える大行はない」を実感できる次第です。なにせコヤツ、
雅春先生の本なんて、『生命の實相』第8巻+『神真理を告げ給う』+あと
数冊しか読んでいないんですよ(笑)
548
:
緑の意思
:2011/07/04(月) 17:02:00
またお邪魔してます。
科学と宗教の統合でダライ・ラマ14世をおもいだしました。
来日した際の講演をききにいきましたが、科学者との対談を少年のような目で楽しんでおられ、やはり魅力的な人物ですね。
質疑応答の中で、科学によって仏典の矛盾が明かされれば、喜んで仏典を見直したい、人間が伝えるものは間違いがあることの方が多いから、と話されてました。
仏教徒も科学を探求しているし、また現代の科学者も仏教や宗教を深く探求して欲しいとも言われてました、
初心者の偉大なる思索を拝見しても思いましたが、仏典も神話も、神の物語が科学によって新たに物語られることになると思いますね。
549
:
初心者
:2011/07/04(月) 19:02:37
ブログ管理人様へ
>この論点に於いて、貴殿の種々ご主張を拝読するにやや、ご主張内容の意
味が、不明になるのです。此処で申す不明とは既述のように、関連性に於け
る不明さとでも申せばよいのかもしれません。そしておそらくですが、不明
である理由は貴殿ご主張が「神は自身を見るために人間を創造した云々」の
視点を元にしているためではないか、とまあ、そんな感想を持っている現在
です。
ブログ管理人様のこのご主張は、もっともなことであります。
すでに述べておりますように、今回のわたくしの主張は、
これまで述べてきたこととはまったく関係がございません。
そればかりか、おそらく、これまでわたくしが読んできた本の内容とも、
数冊をべつにすれば、まったく関係のないものでございます。
これが重要なるインスピレーションというものでありましょう。
それは、これまでの考え方をいっさい否定するがごときインスピレーションでありました。
これまでのわたくしの主張における対立軸とは、まったく異なる対立軸へと
転換しておることにお気づきでしょうか。
これまでの対立軸とは、実相世界と現象宇宙との対立でありました。
現在の対立軸は、実在宇宙と現象宇宙との対立になっております。
これは、これまで一度も経験したことのない、少なくともわたくしとしては
はじめての対立軸であります。
今は、個人的には、実相世界と現象宇宙の対立を問題にすべき時期にはありません。
問題とすべきは、実在宇宙と現象宇宙との関係なのであります。
これまでのわたくしの主張は、実相世界と現象宇宙の対立を
想定したものでありました。
ここにきて対立軸が一変しました。
当然のことながら、わたくしの主張は、これまでとは
ぜんぜん異なったものとなるやもしれませぬ。
わたくしには、実在宇宙は、調和のとれた美しい宇宙に感じられます。
神がビッグバンによって、この実在宇宙を創造なさったと思えるほどです。
これまで生長の家が問題にしてきたのは現象宇宙です。
実在宇宙が問題になったことは、おそらくはなかったと思われます。
「現象はない」ということが、はたして実在宇宙にあてはまるのでありましょうか。
実在宇宙は、実相世界にくらべて、どれほど劣っているのでありましょうか。
神は実在宇宙を創造なさらなかったのでしょうか。
実在宇宙のアイデアは、いうまでもなく、きのう一日でつくりあげたものです。
突っ込みを入れられれば、まだまだスキだらけであるはずです。
ブログ管理人様が、以前のわたくしの主張との相違をお感じになるのも
当然のことであります。
きっかけは、役行者様より「ビッグバンは、なぜ、生じたのか」と問われたことにありました。
この問いかけによって、わたくしのなかに、これまでとまったく異なる対立軸が
持ち込まれたのであります。
いってみれば、脱皮中の甲殻類といったところでありましょうか。
思想的にはもっとももろい時期であります。
これまでの主張は、いったん白紙にもどさねばなりません。
それほどに大きな変化に見舞われている時期なのであります。
ただし、役行者様よりご提示いただいた、実相世界における「矛盾なき対立」につきましては、
しばし問答いたさねばならぬ重要な問題であると考えております。
それと「神想観」でありますが、これはわたくしには無理であります。
そうとう期間、まねごとのごくと実践してみましたが、
自分には向かぬということがわかっただけです。
そのかわり、わたくしはこれまで、宇宙の神秘を十分に味わってきたつもりでおります。
それがどれほどのものであったのかはわかりませんが、
これがわたくし流の「神想観」ということにしておきます。
550
:
初心者
:2011/07/04(月) 19:06:53
緑の意思様へ
>初心者の偉大なる思索を拝見しても思いましたが、仏典も神話も、神の物語が科学によって新たに物語られることになると思いますね。
「偉大なる思索」は「稚拙なる模索」に変えてくださいませ。お頼みいたしまする。
科学は、やはり真理を探究しているものだと、わたくしは思います。
科学は真理を探究してはならぬ。このように考える人がいるのはわかりますが、
やはり探究していると思います。
信仰者が怖れるのは、科学が、自分たちが信ずる真理とは異なる真理を
あばきだしてしまうことだろうと思います(たとえばキリストの聖骸布のDNA鑑定)。
そうした怖れがあるために、科学を否定する方向へ向かってしまうのだろうという気がします。
ダライ・ラマ14世は、勇気のある決断をなさったのではないでしょうか。
551
:
トキ
:2011/07/04(月) 20:23:37
>>548
トキです。緑の意思様、コメント、ありがとうございました。
ダライラマの話で印象にあるのは、アメリカでの講演で、参加者から中国の侵略について質問を受けたときのことです。
彼の返答は、中国のチベット侵略は強く非難されるべきだが、チベットもあまりに閉鎖的で、自分達だけの
世界にひたっていた、という点を指摘し、その上で、自分達がこれから世界にどう訴えていくべきか、を
話していました。とても魅力的で、魂の自由さを感じました。
生長の家という視点で考えると、今の総裁の言動は確かに非難されるべきですが、では、従来の生長の家に
問題がなかったのか、というと、それは違うと思うのです。そういう点に目をつぶり、昔は良かった、と言っ
ても、たぶん解決策は見えて来ないと思うのです。
この点、教団や教団の援護派も、「本流復活」派も、自分の世界だけにひたっているので、すごくもったい
ないと感じます。その意味で、両方とも、どんどん投稿を期待したいです。
合掌 ありがとうございます
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