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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

529初心者:2011/07/03(日) 10:21:53
役行者様へ

>絶対観念の世界とは?そこでお尋ねなのてすが、ドイツ観念論において、対立する観念からアウフヘーベンされて、ジンテーゼの世界に昇華するとき、光に包まれた矛盾なき対立からアウフヘーベンされて進化向上していくという考えは成り立つのでしょうか?

難しい質問です。観念論で優先されるのは、つねに観念であるはずですから、「矛盾なき対立」が、はたして観念として成り立つか、ということがポイントになるかと思います。観念として成り立てば、あとは全体性へと向かう運動が可能となるやもしれませんので、そうなれば弁証法的発展の可能性が見えてくるかと存じます。

また、ヘーゲルのいう「絶対」とは「全体」のことであったと思います。ものごとの全体を見わたすことのできる観念が絶対観念であったかと存じます。世界をあますところなく包みこめる観念が存在すれば、それがヘーゲルの言うところの絶対観念となるように思います。

>つまり、光と歓喜に包まれて、無限に進化向上してゆく変化ある世界を実相世界と定義付けたいのですが・・・

「変化ある」というのが、「実相世界の完全性」と対立する概念として提起されてますね。たしかに、「完全性とは何か」の定義が必要になるところであります。しばし問答いたしましょう。ブログ管理人様を呼びに行かねばなりませぬ(どうもわたくしに腹を立てておられるような気がしてなりませぬ)。

ところで本日は、これとは異なる問題で、重要と思える投稿をいたしたいと考えております。難解な問題でありますので、ゆっくり小出しで投稿いたします。


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