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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
519
:
初心者
:2011/07/02(土) 12:15:09
役行者様へ
最近、なぜかブログ管理人様がお出ましになられません。わたくし、何か失礼なことでも申し上げてしまったのでしょうか?天照大神の天岩戸隠れにも似たさみしさが感じられてなりません。
>との説を初心者様は、繰り広げられたのですが、パースペクティブの効いた
不完全な世界を人間が果たしてこしらえることができましょうか?
さすがに役行者様であります。現時点では、これが最優先に考えるべきテーマであろうかと存じます。これについては、やはり諸説紛々ということでありましょうが、実相世界において神の絶対観念がすでに表現されてしまった状況において、それにつづく第二創造の意義を見いだすとすれば、人間がパースペクティブの効いた世界をつくりだすということが、神の計画の一部であったと考えるのが適当ではないかと考えます。
つまり、神は最初からそうした能力を人間にあたえていた、ということです。ただし、ロバート・モンローの体験した「魂のふるさと」はパースペクティブが効いた世界であったようであります。このあたりはまだ一考の余地があると考えます。
>これなのですが、前にも述べたのですが、実相世界が存在するなら、
そこは無限生長の世界だと思うのです。つまり、矛盾は存在しないのですが、
弁証法的に進化向上していく世界と存じます。
そうなのですね。わたくしは、役行者様がこれを書かれたとき、「おや!」と思いました。実相世界は、はたして弁証法的発展の場なのか、と思いました。生長するということは、変化するということです。だとすれば、実相世界はまだ完成されていない。いまだ神の絶対観念や純粋観念の一部が表現されただけで、すべてが表現されたわけではない。つまりは、実相世界においても実相の流入はつづいているのだろうかと、このようなことを考えるにいたったような次第であります。
雅春先生は、実相世界はすでに完成していると、このように説いておられるような気がいたします。完成しているとすれば、そこは変化無常の世界ではなく、永久不変の世界のはずであります。この世界に変化をあたえるのが、役行者様のいわれる弁証法なのでありましょうか。弁証法的発展が要因となって、永久不変であるはずの実相世界に変化、発展が生じる。このようなことを役行者様はいっておられるような気がいたします。このあたり、パソコン環境下でさらに詳しきところをお聞きしたく存じます。
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