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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

493初心者:2011/06/28(火) 17:28:56
神は完全なる世界と人間をおこしらえになり、
人間に自由な表現力をおあたえになった。

このあたりの説明がわたくしには腑に落ちぬのであります。
神は、絶対観念、あるいは純粋観念を表現するために
実相世界を創造されたわけでありますよね。

だとすれば、人間はただその絶対観念や純粋観念を鑑賞すればよいのであります。
それですべて「こと足れり」であります。
人間に自由なる意思をあたえることで、
いったい何が生まれるというのでしょう。
絶対観念や純粋観念を超える、何か新しい価値が生まれるというのでありましょうか。

神は人間をプログラムミスなさった。
それで人間に逃げられた。
こちらのほうが、わたくしとしてはよっぽど腑に落ちるのであります。
人間として生まれてこれてよかったと思えるのであります。

あたえられた自由ではなく、自分で勝ち取った自由。
それが本物の自由だという気がするのであります。

「あたえられた自由」というものが、はたして存在するのでありましょうか。
それは自由ではなく、たんに許可あるいは許容されたもの、
という気がしてならないのであります。


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