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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
1172
:
義春
:2011/10/13(木) 23:30:23 ID:iu5Ar./Q
私が述べているのは生長の家で言うところの第二義の神、
又は日本武尊の様に人間から神になりたる大三義の神かと思いますが、
HONNE様の仰るところの神は第一義の神に感じます。
それを混同されると話が複雑になるように存じます。
1173
:
義春
:2011/10/13(木) 23:31:25 ID:iu5Ar./Q
×大三義
○第三義
1174
:
義春
:2011/10/13(木) 23:40:52 ID:iu5Ar./Q
訂正しますが、国津神は第二義の神ですね。
これを機会に畏れ多い事に皇太子殿下に国津神に対して害し奉るというのは、
礼を失した言葉でしたね。その点は伏して訂正いたします。
私が言いたかったのは、それだけ国津神に対して、
誠心誠意で接してらっしゃるという事です。
国津神と云う方々は縄文時代に実際に生きておられた方々です。
その人達の中には、今でも鎮まってない方もいらっしゃるかと存じます。
皇太子殿下におかれましては、その方々の御霊に誠心誠意尽くされる事で、
国の為に祈りを捧げていらっしゃるかと存じます。
1175
:
義春
:2011/10/13(木) 23:42:51 ID:iu5Ar./Q
又間違った…。今日はどうも体調が悪くて…。
×国津神は第二義
○国津神は第三義
1176
:
HONNE
:2011/10/14(金) 00:24:23 ID:jtmmmlXY
第何義の神にせよ、素晴らしい日本の神々が果たして本当に怒るのだろうか。私は疑問に思います。
神話、聖書、伝承の言葉には、表面上の言葉の解釈ではなく、本当に伝えたいことは別の解釈がいる。・・・のようです。
「神が怒る」という言葉にも、他に伝えたい意味があったかもしれません。
>国津神と云う方々は縄文時代に実際に生きておられた方々です。
その人達の中には、今でも鎮まってない方もいらっしゃるかと存じます。
これらの神々は、霊界?又は神界?の秩序からみると、どのような存在になるのでしょうか。?
鎮まってない方というのは、残念ながら人間界より程度が下という感もしますが。
1177
:
義春
:2011/10/14(金) 03:16:29 ID:SjZg29/2
>>1176
HONNE様
第何義の神か生長の家では、根本的なところであり、かなり重要ですがね…まぁ…良いとしましょう。
それで他に伝えたい意味とは何でありましょうか?よろしければ伺いたく思いますが。
>これらの神々は、霊界?又は神界?の秩序からみると、どのような存在になるのでしょうか。?
鎮まってない方というのは、残念ながら人間界より程度が下という感もしますが。
例えば、神田明神は如何でしょうか?
是非ともお調べください。
古来より日本に於いて神とは尋常ならざる力を持たれた方々と、
その方々を信仰された人たちの想い、それらが合わさっております。
神田明神は平安時代の方なので、少し違いますが、国津神を信仰なされた人たちの想いが鎮まってないと存じます。
生長の家で何故、第何義の神か分けるかと申しますと、その神々の秩序を正しく表す為という理由によります。
人間界より程度が下など、検討違いもはなはだしく、先ずは第何義の神をキチンとお分かりになるのが先決ではないでしょうか?
1178
:
ハマナス
:2011/10/14(金) 11:31:11 ID:u5mC.eb2
ハマナス
いつも楽しく拝見させて頂いております。皆様の内容が素晴らしく勉強させて頂けることき感謝申し上げます。
10日付の琴音様の皇太子殿下に関する文章を読み、また義春様をサポートしたく、一言書かせて頂きます。
皇太子両殿下は、素晴らしい方と聞いています。
私の知り合いで以前、皇族様に係る仕事としていた彼に寄りますと、皇太子殿下は
誠実な方で職員を大切にされ、雅子妃殿下におきましては、お優しく、他の宮家を
ご訪問されたおりも職員達に丁寧にお礼を述べられると、聞きました。
また、最近の雑誌でこのように書かれていました。
「宮内庁職員や皇宮警察の中に、『配属されるなら、他の宮家より東宮家
(皇太子両殿下)のほうがいい。』と、漏らす人間が増えているのも事実です。」
私も、何回か皇居勤労奉仕に参加しておりますが、天皇両陛下の素晴らしさは
言うまでもありませんが、今年の皇太子殿下のご会釈に拝し、失礼な言い方
かもしれませんが、益々ご立派になられ、天皇陛下に似てこられたと思いました。
他の参加者も同様な感想でした。
皇太子殿下は、次期天皇陛下にふさわしい方と思うのです。
1179
:
トキ
:2011/10/14(金) 12:04:00 ID:AMrVyEQY
>>1178
ハマナス様、ご投稿、ありがとうございます。ここの掲示板へのお越しを心から歓迎申し上げます。
特に、今回はご皇室に関する、すばらしい御文章を書いて下さり、深く感謝申し上げます。
私も知らないエピソードですので、とても勉強になります。
最近、新人さんが少なかったので、やはり新鮮な気持ちになります。
あと、この掲示板は見ている人は多いのに、投稿者様が限られるという傾向にあります。
この理由は、いくつかあると思います。
*ひょっとして、生長の家教団が関係しているのでは? という疑問を持つ人もいるみたいです。
某掲示板では、ここの管理人は「イソベ」「ヤマオカ」「総裁の秘書」という噂が飛んでいますが
残念ながら、違いマース。教区の一会員でございます。
*投稿したら、メールアドレスや身元が分かるのではないか? という疑問を持つ人もいるみたいです。
この点、この掲示板の「したらば」を運営するライブドア様に確認をしたところ、管理人でも投稿者の
メールアドレスを割り出す事は不可能である、との返答がありました。(疑う人は、ライブドア様に
直接、確認される事をおすすめいます。)ただ、会社や職場のパソコンを使う場合は、その会社
や職場のサーバーに具体的な当該パソコンのアクセスの記録が残るので、そういう職場等のパソコン
からの投稿は避けたほうがいいでしょう。
ご自分の携帯端末や自宅のパソコン、あとネットカフェのパソコンなどのほうが良いと思います。
*内容が高度すぎる、という話も聞きます。この点については、今後「野球部部室スレ」(雑談板)
を作りますので、御期待下さい。(どれかのスレが満杯になってからですが)。ですから、今まで
通り、高度な内容の板もあれば、気軽な板もあるという掲示板にします。
丁度、今、初心者様が、たいへん重要なテーマで議論を展開されています。
ハマナス様、およびご覧の皆様、どんどん、参戦して下さい。
宜しくお願いします。
合掌 ありがとうございます
1180
:
「訊け」管理人
:2011/10/14(金) 12:22:39 ID:MPQg3/HY
<野球部部室スレに関して>
管理人さまのご慧眼に感謝します・・・・あっ、ここで笑っておかないと、
他、笑うとこないですよ。
・・・さて野球部部室スレでありますが、これはまあ、「部室棟」にしちゃ
うのはどうでしょうか。
いやまあ、野球部しかおりませんと、なんか知らんが、劇団四季の話が暴
走してしまいます・・・(中略)・・・まあそれに、アホな部活が沢山あった
方が楽しいですから、まあ次回は野球部部室ではなく、〝傍流高校・部室棟〟
的なノリでいかがでしょう?(〝哲学部〟〝演劇部〟等々は、すぐ出来そうw)
1181
:
木綿豆腐
:2011/10/14(金) 12:30:08 ID:psrFh/ZU
ハマナスさま
ようこそ、トキ様の集会所へお越し下さいました。うれしく存じております。また、いらしてくださいね。
このたび、ムーミン谷温泉の保養から戻られたわれわれのたいせつな仲間の【初心者さま】の、真実の素性は、ムーミン谷出身の【スナフキン】さんという すてきな哲学者のお方です。
決して、別のお方では、ございません。
ハマナスさまはじめ、みなさま、誤解のないようにおねがいします。
1182
:
前監督
:2011/10/14(金) 12:32:01 ID:MPQg3/HY
さくらマネからも提案がありましたが、グランド(本流対策)もあるとい
いですね。これさえあればいつでも、試合できますから(笑)
下が設計図面です。なんて豪華な球場でしょう。
888
888 に|
888 に| __|_ に|
888 に| |. ┌’㊦‘┐ | に|
=|| __|__|___| :。。 |___|__|_
|| | G EEEEEEE! ’ EEEEEEEEE! |
_||.________| EEEEEEE! === … … |___
| |生長の家 | SSK |.| T EEEEEEE! EEE! 。。。。。。 .|和解せよ|
三三三三三三三三三|―――――――――――――― |三三三
三三三三三三三三三| 傍流高校 野球部 |三三三
三三三三三三三三三|_______________|三三三
三三三三三三三三三 /l | | |i三三三三
三三三三三三三三三/_|_|__________|_|,l三三三三
闘志なき者は去れ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
1183
:
義春
:2011/10/14(金) 12:46:41 ID:iu5Ar./Q
>>1178
ハマナス様
有り難う御座います。
私はハ一民間人なので、両殿下の本当のお姿を畏れ多くも推察する
事でしか、迫れませんでした。
ハマナス様のお知り合いの方の皇太子両殿下のお話で、
皇太子両殿下の本当のお姿に触れる事ができ、
マスコミの報道が、おかしいと感じていたのは、
改めて、正しい感覚だったのだ…と、涙を流しながら、感じております。
ですので、教えて頂きました事、心の底から感謝申し上げます。
真に有り難う御座います!
改めて、一部のマスコミが面白おかしく書く皇太子両殿下のお姿が真のものでない
と私は確信いたします。そもそも、ヤフオク事件など裏づけも取れないことを
流している時点でマスコミの方に私は怒りを感じます。
私もハマナス様の投稿を拝読して、皇太子殿下が天津日嗣を
おつぎになられるのが、畏れ多くも、益々ふさわしいと感じました。
本当に有り難う御座います!
1184
:
「訊け」管理人
:2011/10/14(金) 17:30:26 ID:n8lvISAg
>義春
突然だが、山本七平『日本教の社会学』は、おもしろいと思うんだ。
山七先生があの、小室直樹先生と対談しているんだが、同書は「約30時間
分の対談」っていうから、驚きだ。オマケとしては、なんで本流掲示板、あん
なに怒ったりするのか、そのエトス(行動様式)まで理解できる。
( ちなみに下図は、部室棟イメージです。 )
,:::'' '': ::, ::'' ''
,::::' "''' , ;;'' ' ''::, ,:::' '::,
,::::' '' ''::, ,:::' ::':::, ;;' ':::, ':::,
,:::' ':::, '::, ;; '::,
,::' '::, ;;'
/\
__________//\\__________
////////////┌┐\\\\\\\\\\\\
//////////// └┘ \\\\\\\\\\\\
 ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~ ~ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
|| 田 田 田 田 田 田 田 田 田 田 ||
|| ||
|| ___ ||
|| 田 田 田 田 | | 田 田 田 田 ||
|| | | ||
""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
1185
:
「訊け」管理人
:2011/10/14(金) 17:38:42 ID:n8lvISAg
(久しぶりに〝生長の家本流〟杯
試合結果など
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&ie=Shift_JIS&q=%90%B6%92%B7%82%CC%89%C6+%96%7B%97%AC&oq=%90%B6%92%B7%82%CC%89%C6%81@&aq=0&aqi=g10&aql=&gs_sm=c&gs_upl=998l3931l0l5834l14l10l0l0l0l3l592l2433l3-1.2.2l5l0
1位 本流高校
2位 本流高校二軍
★3位 傍流高校
4位 訊商業
5位 山ちゃん高校
6位 今昔高校
<コメント>
山ちゃん高校、初(?)ランクイン!
傍流高校
ヾ" ;ゞヾ"ゞヾ ゞヾヾ "ゞ; ゞヾ" ヾ" ヾゞヾ;ヾ
ゞヾ "ヾ;ゞ"ゞヾ ゞ;ヾヾ "ヾ ゞヾヾ"; ; ゞヾ ヾヾ: :ゞ;
ヾゞ"ゞ;ヾ ゞヾ〃;ヾヾ ゞ;ヾ "ゞ::ヾヾ"ゞ 〃ゞヾ ゞ"ゞヾ::
ヾ ゞ; ゞヾ"ゞヾ ゞヾ ; ヾ;ゞヾ "ゞ; ヾ ;ヾゞ"ヾ; ; ゞヾ "ゞ; ;ヾ
ゞヾ"ゞヾ; ゞゞ"ゞ〃ヾ :ゞヾ ├─┤ ; "ヾゞ ;ゞ "ゞヾ :ゞ〃ゞヾ; ;ゞヾ;;
ヾ\ヾゞ;::: y'ヾヾ; ;ゞ ヾ ; || ◎ || "ヾ ;ヾ ヾ\ヾゞ;::: y'ヾヾ; ;ゞヾ
ゞ; ; ゞ;ヾii;;:::: イ;//ゞ; ヾ "ゞ ___┬┬┬┬┬┬┬|| == ||┬┬┬┬"ヾ;;" ゞ";ゞ;ヾii;;:::: イ;//ゞ; ゞヾ
ヾ ヾ;ゞiii;;::: |/; "| ̄ ̄| ̄| |二二二二二二二二|| 田 ||::::| ̄ ̄| ̄|ゞ; ヽiii;;::: |/;ヾ;ゞ "ヾ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | | 田 田 || 田 田||=:|| == ||゙=| |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | | |――――――――|| 田 ||::::| | ______
| | | | ̄ ̄ ̄ || ̄ ̄ ̄|| ;;|| == ||::::| | | :|
| | | | 田 田 || 田 田||=:|| == ||゙=| | | 傍流高校 |
| | | |――――――――|| 田 ||::::| |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | | | |
| | | | |
| | | | |
本流高校
1186
:
「訊け」管理人
:2011/10/14(金) 17:48:07 ID:n8lvISAg
>義春w
あれ、まだ貼られたまんまなんだが(笑)
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1007
こういう嫌がらせでくるとは、想定外だった(笑)
あれ、書き込んだ本人が読むと、非常に恥ずかしい(笑)だから早く、
削除して欲しいんだが、本流管理人、犯人の心理をよく衝いてくるわw
「どうだ・・・このままの方が恥ずかしいだろうううう」みたいな?
1187
:
義春
:2011/10/14(金) 17:54:57 ID:iu5Ar./Q
ブログ管理人さあ
絶対、呆れられていますwwむしろ本流管理人に同情したくなりま(ry
俗に放置プレイですね、はいw
1188
:
ハマナス
:2011/10/14(金) 22:24:54 ID:u5mC.eb2
トキさま、義春さま、木綿豆腐さま
今、仕事から帰りました。ご返事が遅くなりましてすみません。
歓迎していただきありがとうございます。嬉しいです!!
正直、敷居が高く感じておりましたが、皇太子殿下の記事を拝見し
どうしても皆様にご皇族様の素晴らしさを少しでも分って頂きたいとの
強い思いで思い切って参加させて頂きました。
どうぞよろしくお願いいたします。
義春さま
早速にresponseをありがとうございました。
ご丁寧なお返事をいただき恐縮しております。
ありがとうございました。
1189
:
義春
:2011/10/14(金) 23:04:20 ID:SjZg29/2
>>1184
ブログ管理人さあ
山本七平ですか、昔、少し読んだ事がありますわ。
本流はいっつも怒ってるじゃないですか、生長の家は何処にいったんですかね?
1190
:
さくら。
:2011/10/14(金) 23:06:58 ID:T/77sMGw
ハマナス様、初めまして。素敵な話、またよろしくお願いします。
前監督、グランド出来たら、思い切り試合を楽しんでください〜
陰ながら応援します…
さくらマネは演劇部へ転部し紫のバラを永遠に、待ちます。
1191
:
義春
:2011/10/14(金) 23:10:36 ID:SjZg29/2
>>1188
ハマナスさま
此方こそ、皇族様の素晴らしさを教えて頂きました事、感激しております!
私の様な若い年代は、受けてきた教育も相まって、御皇室の素晴らしさを分かってない人が多いです。
だから、ハマナスさまの投稿に流れる真の想いに号泣しながら拝読しました。本当に心から感謝申しあげます!有り難うございます!
1192
:
前監督
:2011/10/15(土) 08:09:43 ID:D0Kb5yw.
>さくらマネは演劇部へ転部し紫のバラを永遠に、待ちます。
理事長に根回しして、部室棟はこんな配置にしてもらう。
\. |
________ ________. | ̄ ̄| |
| //. .:; || || | |. |. | | | | |. l二| ̄ ̄|| ̄ ̄|
|.// .|| || | |. |. | | |__| | | || |
| || || | |. |. |/ ./. | | || |
| || || | |. |/ / \. |l . || |
| || || | | / / .\| || |
| || || | / / 演劇部→ \ ||. ]|
| 〔i| || |,/ / \|| |
| || // || / 野球部→.\ |
| ||. //./ / \,|
| || . / / \
| ||/ /
| ./ ' /
| / /
|,/ /
/
/
/
. /
./
1193
:
トキ
:2011/10/15(土) 09:31:07 ID:sGbCE82o
>>1192
いいですねえ。部室の名称も募集したいと思います。あと、新スレッドの趣旨も皆様で
考えたいと思います。
1194
:
トキ
:2011/10/15(土) 09:48:00 ID:sGbCE82o
>>1188
ハマナス様
すばらしい御文章で、深い感銘を受けました。
管理人が行き届かず、いろいろご不便をかける事も
あるかもしれませんが、今後とも、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1195
:
八百比丘尼
:2011/10/15(土) 11:00:20 ID:j8iOdie.
演劇部部長のさくらちゃんに、手作りCAKEの差し入れ。
「ガラスの仮面」という名前よ。
カトルカールの生地にリンゴとブルーベリーを敷きつめて焼いたもの。
ほら、リンゴが透き通ってガラスのようでしょ。
あの美内すずえ先生も公認のCAKEよ。(ホント)
1196
:
さくら
:2011/10/15(土) 16:11:40 ID:MmOj0txU
比丘尼おねえさまって、ほんと何でも分かってしまうのですね…
わたし、アップルパイが好きなのですが、
味より、あのりんごの色が好きなんです、
だから、なんだか半分しか食べられない気がするけれど、
やはり、あの色に惹かれて選んでしまったりするのですよね…。
「ガラスの仮面」という名の作りCAKE、演劇部のみんな(だれ?)で頂きま〜す!
(余ったら、お隣の野球部へ…余ったら、だけど)
(カブレのわたしは、例に洩れず紅天女(?)を夢みて一時、演劇部へ入部しましたっけ…。
その時の劇団の名前は、「りんごの樹」。
由来は、この言葉でした。
「たとえ明日世界が終わりになろうとも、
わたしは今日、りんご木を植える。
マルティン・ルター」)
1197
:
ハマナス
:2011/10/16(日) 00:08:19 ID:u5mC.eb2
義春さま
ー皇太子殿下は登山が趣味だと伺っていますが、古来、皇室に於いて、山にお登りされるのは、その山の神に対する敬意だと
私は読んだ事があります。
皇太子殿下について素晴らしいことを教えて頂きありがとうございました。
山々を祈られるという事は、天皇陛下の四方拝に通じるものがあると思いましたので、
谷口雅春先生の御文章を引用させていただきます。
「天皇陛下は正月の元旦に、四方拝という行事をなさるのであります。それは、何故であるかというと
天地四方はことごとくこれ”神の生命”の現れであると知り給うからであります。天皇は、日本の
すべての人間の中で、一番高き位置にいらせられる方であるけれども、決して自らだけを”高し”
として威張っていられるのではなくて、天地四方の万物を悉く皆、”神の生命”の現れとして、拝まれる。
これが四方拝といって、天地四方を拝まれる行事を面等にされるわけであって、天地四方の万物を拝みに
なることが、日本天皇の生活の1年の始めの行事であるというわけであります。」
次に、谷口清超先生の御文章です。
「さらに昔から日本の天皇陛下は、宗教的な祭主であることが第一のお務ねであった。政治的な仕事がつけ
加えられたのは、ごく一時期だったと言えるのである。つまり祭り事から政事がひきだされるので。たって、
「神のみこころ」を聴くことが第一の使命とされて来たのである。(中略)
一月元旦には、天皇陛下は。”四方拝”をならるのが恒例である。この儀式は天皇陛下が一月一日の元旦
午前五時三十分(昔は寅の刻)に衣冠束帯を召され、昔は清涼殿の東庭、今は新嘉殿の南座におてましになり、
皇大神宮、豊受大神宮、天地四方の神々、山々を礼拝され、天下泰平と全ての人々の平安と繁栄をお祈りになる
儀式である。これこそ「全てが神性そのものであり。」という深い意味のお祈りでありということができるであろう。」
1198
:
ハマナス
:2011/10/16(日) 00:57:49 ID:u5mC.eb2
天皇陛下にかかわる宮中の儀式、行事について調べてみました。
宮中の儀式、行事
1)国事行為に関する儀式
1.新年祝賀の儀
2.新任式
3.認証官任命式 (大臣など)
4.信任状捧呈式(信任の外国の大使)
5.大綬章等勲章親授式
6.文化勲章親授式
2)恒例的な儀式、行事
1.新年一般参賀
2.講書始の儀
3.歌会始の儀
4.天皇誕生日祝賀
5.園遊会 (春、秋)
6.その他の行事
国賓とのご会見、外国の首相等に対する意見、拝謁
宮中晩餐、宮中午餐
3)臨時に行われる特別な儀式
即位の礼、大喪の礼、ご成婚など
4)祭祀
宮中三殿
祭典ー大祭、小祭、旬祭
天皇陛下のお仕事がこんなにもあられるとは、驚きました。
皇居勤労奉仕の時に、宮内庁の職員から、伺った話しですが、
ご高齢の両陛下のご健康を考慮して、宮内庁では、ご公務の軽減を申し上げても
両陛下は、災害などのお見舞はもちろんの事、毎週の皇居勤労奉仕のご会釈も、
お続けになられるとおっしゃったそうです。
我欲もなく、無であられ、常に我々国民の幸福を想って下さる両陛下のことを考えますと、
ただただ、ありがたく涙があふれます。
そして、日本に生まれ、この素晴らしい生長の家に触れられたことに、感謝して少しでも
世界のためにお役にたちたいと思っています。
(新参者が、偉そうなことを申しましてすみません・・・)
1199
:
義春
:2011/10/16(日) 01:28:28 ID:iu5Ar./Q
ハマナスさま
>新参者が、偉そうなことを申しましてすみません・・・
いえ、皇太子殿下や天皇陛下の事を教えて頂き、心から感謝申し上げます!
私も含めた若い世代は皇族様の思いに心を致せない教育を受けてきています。
そして、歴史を観れば、私利私欲に走る権力者の姿ばかりがでてきます。
生長の家に深く触れるまでの私にすれば、それが当然なのかと思いもしました。
だけど、御皇室は違いました。
それですから、天皇陛下のように、こんな素晴らしい方の事に接しますと、
この世に生まれてよかったな、日本に生まれてよかったなと心から感じるのです。
権力や金とかじゃない、そんなものに左右されない方々がいらっしゃる事が、
どれ程、どれ程に、私の心に安らぎをもたらして頂いたか分かりません。
>山々を祈られるという事は、天皇陛下の四方拝に通じるものがあると思いましたので、
谷口雅春先生の御文章を引用させていただきます。
「天皇陛下は正月の元旦に、四方拝という行事をなさるのであります。それは、何故であるかというと
天地四方はことごとくこれ”神の生命”の現れであると知り給うからであります。天皇は、日本の
すべての人間の中で、一番高き位置にいらせられる方であるけれども、決して自らだけを”高し”
として威張っていられるのではなくて、天地四方の万物を悉く皆、”神の生命”の現れとして、拝まれる。
これが四方拝といって、天地四方を拝まれる行事を面等にされるわけであって、天地四方の万物を拝みに
なることが、日本天皇の生活の1年の始めの行事であるというわけであります。」
あぁ…そうでしたよね、そうですよね…もう言葉がありません。
皇太子殿下の山登りも祈りなのですね、これほど心に染みる祈りもありません。
これほど美しい祈りもありません。
改めて、そのお姿に感動しております。
天皇陛下も元旦のあの寒き朝より、世界の為、国の為、
民の為に祈りをささげていらっしゃるのですね。
しかもご高齢なのに、東日本大震災の折には異例とも言えるくらいに、
早く被災地にご訪問くださいましたよね。
震災に津波に原発事故と不安になっていた私達に、あのビデオメッセージで、
どれほど勇気付けられたか分かりません。私も涙を流すばかりです。
こんな素晴らしい天皇・皇后両陛下をはじめとした御皇室を頂いた日本に
生まれた幸せを感じれて、私は幸せであります。
私もハマナスさまと同じく、この世に生きている限り、
人類のお役に立ちたく思います!有り難う御座います!
1200
:
志恩
:2011/10/16(日) 07:49:11 ID:psrFh/ZU
ハマナス様
天皇陛下に関わるご文章を載せてくださって、とても有り難くうれしく思っております。ありがとうございます。
義春様
先日の、講義「2つのユダヤ」は、プリントアウトして、勉強させていただきました。知らないことばかりでした。
ありがとうございます。今回も、初心者様のテーマに、役所行様とともに、すばらしいご投稿文を寄せられて教えられております。
私が、原宿本部に奉職中、本部のすぐ傍の原宿駅のある地点に、お召し列車の出発駅(到着も)がございまして、(那須ご用邸におでかけの為と思いますが)
昭和天皇と皇后、または、皇太子ご夫妻(現在の天皇、皇后)は、たまに使っておられました。
そのお召し列車ご出発のときに、
私は、本部に8年おりましたから、かなりの数、日の丸の小旗をもってお見送りさせていただきましたが、
(そのときは、前もって連絡があるのではなく、突然,ご出発日の、数時間前から数人の警備員が、その駅の近くに立つので、わかるのです。
それで、入り口に近い庶務の人が、教えて下さったりしてました。)
突然ですから、私を含めてお見送りが、4〜5人しか居ないときもあったのですが、天皇陛下ご夫妻の時も、皇太子ご夫妻の時も、お二方とも、必ず
ちゃんと列車の窓際でこちらを向いて立たれて、にこやかに手を振ってくださっておられました。べつに座席に着席されて、手を振られてもいいわけじゃないですか、
それが、起立されたまま、見えなくなるまで、「お見送り、ありがとう!」という雰囲気で、手を振ってくださっておられて、その日の一日中、胸にほこりあたたかい
灯りがともっていたことを思い出します。
1201
:
志恩
:2011/10/16(日) 07:53:58 ID:psrFh/ZU
×胸にほこり
○胸にほっこり
1202
:
役行者
:2011/10/16(日) 08:15:09 ID:b5lI7Ld2
コトバになりません。
ここの掲示板に深く感謝申し上げます。
1203
:
義春
:2011/10/19(水) 23:27:41 ID:iu5Ar./Q
志恩様
色々ありまして、物凄く遅い返信になり、申しわけありません。
色々、怒りに打ち震える事ばかりで…その気持ちの中で天皇陛下の
事をかけないなって思いでした。
そのような心温まるお話を伺い、胸が熱くなったことを思い出します。
私が生まれる前の事で、実際の所を観てないので、想像だけになりますが、
御皇室と目には見えぬ絆が結ばれていたのだなぁ…と、しみじみとした思いになります。
それから、講義なんて、恥ずかしいです(照)
私自身は、アレで良かったのだろうか…自問自答してばかりです。
それでも、お役に立てたなら、書いて良かったなって思います。
重ね重ね、お返事が遅くなって申しわけありません。
1204
:
さて
:2011/10/25(火) 16:28:23 ID:dfKeXBZU
、突然ですがある提案をさせていただきます。
私の考えの一つとして、雅春先生の教えをどう広げ、いかに多くその真理で人を救うか。この課題について陰ながら皆様と一緒に考えておりました。人類光明化へ向けた大きな運動への新たな一歩というべき提案をさせていただきます。
今やネットの力は大きいということは疑いようもなく、出来るならばその大きな力を使って真理に触れるよろこびのきっかけとして、一人でも多く雅春先生のご文章にさらに深く接していただきたいと感じています 。
昨日、本掲示板も将来的には「ネット誌友会」のベースとなれば・・との貴重なご意見が出ておりました。現在各地で行われているネット誌友会というものは、インターネット回線を用いて、ある会場に集まってスカイプなどの同時中継などで行っているようですが、それではまだまだ内輪のみの話で終わってしまう。こんな世の中であるからこそ、生命の実相哲学に基づきいかに一人でも多く救うかということが非常に大切な問題であると感じております。
当方思うところあり、最近になって数回やや堅い内容の文章を本掲示板の 〜考える2 に記載させていただいております。一連の投稿を通して、真理の根本にある一つのことをお伝えし、その上で方向性を見いだすという明確な意識を持って書かせていただいております。
先日、2の方で 父母の恩のこと について、記載させていただきましたところ、早速 代行者様からの感想(スレ2 1864)があり、その内容を見て、これは役に立つのではないかという考えが浮かびましたので、お伝えしておきます。
まず代行者様には、心に染みいるという表現で記していただいたことをうれしく思います。雅春先生のご文章ですが、非常に力にあふれていて、私自身大切なことだとしみじみと実感しましたので、自分を諫めるとともに、より多くの方に読んでいただきたくて転記掲載させていただきました。 それに対して代行者様は、4箇所文章を抜き出し、何度も読ませていただくと書かれておりました。うれしく思うとともに、その切り出しを改めて読ませていただくと、確かに大切なところがコンパクトに身にしみるように入って参ります。
心を打たれる。そこに人間の本質としてのつながり、人間の意識の深い部分でのつながりがあるのだと感じております。ある出来事やある文章を読んだ上で感動するポイントは人によって異なるであろうが、それを表現しあうことで、その感動を追体験することは出来ると思うのです。
雅春先生自体、ここが大切だというところには特に力点を置いて記述しているであろうと思われます。そんな言葉、文章を一部切り出すということで、特に真理が輝いている部分を示し、真理の追体験を実感として味わえることになるのではないかと思います。
雅春先生のみ教えの神髄は『生命の実相』だけで尽くせるものではないと思いますが、その基本は『生命の実相』にあると思うのです。その中である人が心を打たれた表現箇所を示し、他の人がその部分に触れるということは自分一人で読んだ時に気づかなかったものの見方や感動に気づいたり、真理を引き出す糸口となると思います。そもそも誌友会自体がそのような真理を皆で共有し引き出すのが、その本来の役割であると思います。大切なことほど、何度も噛みしめなおすことではじめて本当の意味で生きてくることも多いと思います。
雅春先生は、文章の力、コトバの力で非常に偉大なことをやって来られました。今こそもっともっとその真の力を引き出す必要性を私自身感じております。心打たれる部分の掲載、提示。これは非常に大きな力になると感じております。
↓↓ ↓↓ ↓↓↓
1205
:
さて
:2011/10/25(火) 16:29:58 ID:dfKeXBZU
↓↓ ↓↓ ↓↓↓
以下、まず人間は脳髄知だけで知識を得るわけでないという前提での話になります。人間の本質を捉えるとすれば、それは生命の波動を共有しているとでも表現しておきましょうか。感動するところに生命のよろこびの波動のふれあいがあり、それに触れることで癒し、救われる方がおられると思います。
たくさんのよろこびや感動のコトバ、表現がそれを読むひとのよろこびをさらに引き出し、それがより大きなよろこびとなって広がっていくものだと信じております。
たった一文であっても、それが深い慈愛に満ちた内容の文であれば、それに触れたひとは誰であれ感動する可能性が高く、その感動の深さと数が積み重なればそれ自体が、人間の深い部分を通して魂をゆさぶる力となる。当然雅春先生の伝える真理の核であるからこそ、その魂をゆさぶる力は絶大であり、救済力は抜群であろうと思われます。
真理の奥深さをはかるにつけ、単に感動うんぬんで尽きることではないと思いますが、心打つもの ここには必ず皆に共通する力があると信じているのです。
心に残る 心にしみる 心あたたまる 胸があつくなる そんな人間として大切な部分から一歩ずつ歩んでいけば良いのではと感じているのです。
多くの方が生きる力を、本当に求めている時代であるからこそ、一日でも早く広げる必要を感じ、その一歩として出来ることからという思いで歩み出しております。本当に神の御心にかなったものであれば、自然と広がるものではありましょうが、とにかく今の現状で出来そうな人類光明化のひとつの足がかりとしてまず本件を提示させていただきます。
おそらくは、まずはテストケースとしてやり始めることが一番大切なことで失敗の中から良いものを作り出すしかないのではないかと感じております。以上うまく伝え切らない部分もありましょうが、一日でも一人でも、その大切さを噛みしめてあへて投稿させていただきました。 未熟さゆえかいまだ名さだまらず、ご迷惑とは思いますがおゆるし下さいませ。 突然ではありますが、どうかよろしくお願いいたします。
1206
:
トキ
:2011/10/25(火) 17:06:44 ID:hvuI9opE
>>1205
さて 様
すばらしい御文章をご投稿して下さり、深く感謝申し上げます。ご提案の精神には大いに賛成申し上げます。
具体的な方法については、皆様のご意見をうかがった上で、内容を形成したいですが、何か始めるのは、とても
すばらしい事だと思います。
ネット誌友会は、過去、本流掲示板で「訊け管理人様」がトライされていましたが、ネットだから出来る
事があると思います。
そういう専門の「板」を増やす事も可能だと思います。
この点につきましては、「さて」様や他の方々のご意見も拝聴したいと思います。
宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
管理人 敬白
1207
:
さて
:2011/10/25(火) 18:44:04 ID:hOLjwR5Q
本スレ1204訂正 二カ所 代行者様→役行者様 ただただご無礼なること まことに失礼をば どうかおゆるし下さいませ。
1208
:
役行者
:2011/10/25(火) 19:39:14 ID:kmUbezAE
>さて さま
ヤッパリ、私でしたかσ(^◇^;)
ホントにそうですね。
魂に響くコトバをドンドンと共有してゆきましょう(^_^)/
このバーチャルな世界から光明化してゆきましょう。
これからの日本の未来が楽しみですね。
1209
:
トキ
:2011/10/26(水) 20:08:21 ID:eUn4w5Qk
先日、母校に所用があり、何十年ぶりかに訪れました。用事が終わったら、丁度、昼飯の時間だったので、久しぶりに大学の食堂へ。
ところが、昼休なので、学生さんが列をなして並んでいるので、入るまでに少し時間がかかりました。それに、システムも変化して
おり、少し調子が狂いました。少し不安になったので、前に並んでいた女性に「会計は最後で良かったのですね?」と質問をすると、
「実は、私もここは初めてなんです。」とのご返答。偶然、彼女も用事でここに来ており、同じ様に用事が終わったので、食堂に来られた
のです。後の会話は以下の通りです。
小生:「では、他の大学の学生さんですか?」
女性:「いえ、私は、学生ではなく、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)のボランティアをしているのです。」
小生:「そうですか。何年位されているのですか?」
女性:「最近、なったばかりです。モルモン教では、男性は2年間、女性は1年半、ボランティアで宣教をするのです。」
小生:「すると、ユタ(モルモン教の本拠があるアメリカの州)には行かれたのですか?」
女性:「はい、宣教師になった時に研修で行きました。」
と、順番がくるまで、少し会話を楽しみました。どうやら、モルモン教の場合、信徒がある特定の時期に宣教師としてボランティアを
する一種の義務があるみたいです。その他、いろいろと話をしましたが、モルモン教の場合も、転居などで連絡が途絶える若い信徒が多いとも
話していました。席がないので、会計が済むと別れましたが、ある時期に専門的に伝道をする方法もあるのだなあ、と感じました。
1210
:
「訊け」管理人
:2011/10/26(水) 20:13:34 ID:???
<貧困問題と伝道に関して>
知人がおもしろい資料を見せてくれたのですけども、まあ、借金に関する
ものです。世間一般で「あの人、借金あるのよ」とか言うとなんか、「ギャ
ンブル」「女」「酒」なんて感じの連想をされてしまいますよね。しかしそ
の、「借金のある人」なんですけど、実際の資料ではどんな実態が報告され
ているのでしょうか・・・それが以下です。
結論から云いますと、大手消費者金融で¥を借りている人のうち、〝飲む・
打つ・買う〟系の猛者はゼロ(0.1%未満)でした。つまり、一般の借金
イメージである「ギャンブル」「女」「酒」と違い、借金をしている人のほ
とんどは生活費や教育費、事業資金だったりしているわけですね、ああ・・
・もうそこまで我が国国民は、窮しているわけです。
今、借金があるひとのほとんど全ては、真面目で実直で責任感の強い方な
のです。数字で見る限りはそう云えようかと思います。・・・そういえば先
日、東京のとあるナウい(死語)レストランに行きまして、そこのウエイト
レスのお姉チャンに、ちょっかい(※)を出したのですけども、その際「ど
んな人が理想のタイプ?」なんてことを訊いてみたのです。その際の返答が
もう、びっくり仰天だったのですがこの、23歳くらいのお姉チャン返答は、理想のタイプが、
「正社員」
なんてものだったという・・・ええ?正社員?正社員が理想のタイプって、
それは何?・・・特に、団塊世代の皆さんは「えー!?」な返答じゃなかろ
うかと思います。もうね、東京すら理想の相手が「正社員」、そんな時代な
んですよ(笑)地方は推して知るべしでありましょう。小泉・竹中路線以降、
我が国の若者はここまで追い込まれているわけです。自殺者3万人のうち、
¥絡みが1/3なんだそうですが、なんだか理解できますね。
追伸
もうやっぱ、生長の家は「時代から要請が来ている」と思います。大手企
業には社員の14%がウツ病(!)、なんてとこまであるらしいのですけど、
『生命の實相』・・・ここまで追い込まれている人にとっては同書、必ず福
音になりましょう。
また戦前から『生命の實相』が読まれた理由のひとつには、特殊な時代背
景があったからだと思うのです。戦前は「(戦争で)25歳までしか生きら
れぬ」なんて人が多くいたわけですし、そこまで追い込まれれば雅春先生の
言葉、非常に心に沁みたと思うのです。これが『生命の實相』ヒットの要因
のひとつなのでしょう。
そして(残念ですが)今の若者ももう、これに近い感覚を持っているよう
に感じます。ですので高度成長、右肩上がりの時代に比べればこれ、伝道も
容易になってはおらぬかと。実際、書店でも自己啓発系のコーナー、十年前
と比べれば2倍以上のスペースに拡充されてません?(こんな理由で「伝道
が容易」ってのも、なんかあれですがね)
<註>
※ ウエイトレスのお姉チャンに、ちょっかい
(オーダーの際)
23歳鈴木さん 「ご注文はお決まりでしょうか」
訊け 「ビーフシチューと、鈴木さんの写真集を」
余談
ちなみに東京では本屋でも、イタズラして来ました。
某大手書店「今週のベストセラー」棚の1位の場所に、
『人生読本』(谷口雅春)を置いてきたのですが、
・・・神よ、そして志恩さまよ、このイタズラをどうぞ赦したまえ(笑)
1211
:
さて
:2011/10/26(水) 23:41:08 ID:wAAga0K2
<伝道ついで>に
ちょこっと伝道
波長という意味では自らが伝道者である。以下具体例。
○誰であれ、どこであれ、人に接するとき、笑顔で接す。
(達人は誰も見てない町中でもなんか嬉しそうに心の中で愛念を振りまきながら歩く)
○心の底から愛を持って接っし、さりげない感謝の言葉。
○名前をほめる→ほめられると自分の名前を好きになる!!
(自分の名前に自信や愛を持つってそれ自体名付け親への親孝行の一つであり 素晴らしいこと、きっと自分の存在が素晴らしいと感じることにつながると思う)
同波長になると、自然にそうしたくなる。人間は波長の世界で生きているから。
きっとそんな愛念をうっかり受けた人は、何気なくこれが今のランク一位か〜とつぶや きながら ふと購入してしまうとかいうことになる・・・。
当然機会がある度に堂々と自信と確信を持っておすすめするのもいいが、
いつでもどこでも自分は伝道者、しかも愛の伝道者(ここで照れてはいけない!!)
って思って楽しみながら、一人一人がちょこっとずつ伝道を積み重ねる。
いつでもどこでも気軽にちょこっと伝道者。
ちょこっとでも愛念を持って行うと不思議とそのちょこっとに動かされるんだ。
表面には出さなくても、心の中ではあつい使命感と勇気を持って。
おかげの気持ちはおかげでかえってきますから!!!
おっと雅春先生の古事記の講義の時間だ・・・・・。
1212
:
義春
:2011/10/26(水) 23:43:20 ID:iu5Ar./Q
さて様
名前を誉めるですか!良いですね!
早速実践いたします!
1213
:
志恩
:2011/10/27(木) 01:05:36 ID:psrFh/ZU
さて様
ちょこっと伝道、わかりやすくて、ためになります。
見習わせていただきます。合掌。
1214
:
役行者
:2011/10/27(木) 07:08:15 ID:dd9BQtCs
>さて さま
やさしい伝道ですね。
こんな伝道が、生長の家に、そして、人類に展開されたら、さりげなく、人にやさしい、動物にやさしい、世の中が形成されていくのでしょう。
さり気ないやさしさで、伝わってゆく、伝道ですね。
これからは、目に見える強圧的な伝道から、目に見えない繊細なやさしい波長を流布してゆく伝道に変わってゆくような気配を感じます。その過渡期ですね。
共同体意識とは、そんな世界ではないでしょうか。
1215
:
「訊け」管理人
:2011/10/27(木) 15:37:28 ID:???
>さて様
名前を誉めるを実行しましたが・・・素晴らしいですね。
これからもいろいろなご指導を宜しくお願い致します。
1216
:
トキ
:2011/10/27(木) 16:22:14 ID:8XOns2P6
>>1211
さて様
すばらしい内容だと思いました。相当、伝道をされているのでしょうね。
私も、伝道するときは、先ず、相手の立場を最優先しました。仕事で講習会に行けない、という人に
無理矢理、参加をお願いした事はありません。「御仕事、頑張って下さいね。」と笑顔で言うように
しました。
その他、いくつか心がけている事はありますが、おいおいと投稿したいと思っています。
そう言えば、モルモン教の人と話していたら、イースターや盆踊り(!)などのイベントを教会で行い
近所の人が遊びに来る様にしているそうです。また、無料英会話を教会で定期的に実施しているのも有名
で、こういう「親しまれる」努力は必要だと感じました。
合掌 ありがとうございます
1217
:
さて
:2011/10/27(木) 23:28:43 ID:8GtsBrrs
今日もなにか良いことをしようと思っていたら、なにやら「ありがとうございます。」がいいらしい。
今日はありがとうございます。で埋め尽くそうと思い、ことある毎にありがとうございます。と心の中で言い続けていた・・・がしかし、まったく個人的なことではあるが、私にとってはかなりイタイ出来事が・・・・。これはまいった・・、と昔ならばひるむところ、なぜか良いことにつながる一歩に思えたのが不思議である。
早速この出来事をいつもお世話になっていて母親のような存在でもある知人に報告してみたが、何故か不思議とすごく元気に話している自分がいる。
つい先日その方(知人)の孫娘のお写真をメールで頂いていた。なにかにっこりと笑うような感じになって最近やっと人間らしくなってきた。なにかその笑顔を見ていると、他人の子なのに、その方の心から嬉しい気持ちが伝わってくるような気がしていた。そういえばこの子が生まれた時に、すごくいい名前だな〜と思った。すべてをやさしく包んでくれるようなとてもいい名前だと感じた。 名前というのは親のまごころがこもっていて、それ自体が意味があるのかなと感じた。
その子が生まれる前はツンツンケンケンとその子の両親(知人の娘夫婦)も事ある毎に夫婦げんかしていたのに、母親になってからは、まるで菩薩様のような変わりようである。名前のようにすべてを包み込むような雰囲気がその家族全体を包んでいるかのようである。そのくったくのない笑顔になりかけの笑顔の表情を見ていると、他人の子とは言え、まるで自分のことのようにうれしく感じる今日この頃である。
以前雅春先生の教えを知ったばかりの時に、どうしても伝えたいと思ってある本を買ってその方(知人)に差し上げたが、すべて受け入れられないと言って突き返されたことを思い出す。たしか清超先生の親と子の話の本だったかな・・・。
今に至るまで伝道という意味では見事に失敗しているわけであるが、今では家族みたいに、同じその孫を思う気持ちが分かるようになっただけでそれだけでうれしいのだ。
おっと忘れていた。ちょっとこまったこの事態に対処しなくては・・・。
とりあえず自分では解決できないと思い、いつもお世話になっている大先生に相談してみた。今日はたまたま ありがとうございます。の日だったわけだけれど、
この事態に感謝の念を持って祈りなさいと教わった。今までもただ言われるままに実行していくとなぜか事がスムーズに運ぶことが多くなった。
その中で必ずうまくいくはずだった出来事だったが・・・・・・・・しかしどうやら、
こんな時こそありがとうございますなのだ!!!。
感謝の波動は感謝の縁を引き寄せる。大切な言葉を教えていただいた。(暗唱!!)
(これまた達人になると、モノが壊れた時も、今までありがとうと感謝すると一層良いモノが手に入るらしい)
おかげで何か身を引き締められたような気もする。もっと身辺を整えよう!!
伝道のコツをさりげなく大先生に聞いてみると、なんと自分は雅春先生だとおっしゃっていた。・・・??・・なんのことだと思いすかさず聞き返すと、自分では何を言ったかは考えていない。ただひとの悩みをひたすら聞いて、我(が)を捨てて、経験と真理をもとに語るだけだとおっしゃっていた。さすがに古くからのしろはと地方講師の経験が深いと言うことがすごい。
おかげ様!!と思って、おかげを伝えているだけだそうである。
(一応念のため付け加えるが、自動書記とかいうたぐいのものでは一切ない!!らしい)
そういえば四部経の 続々甘露の法雨の雅春先生の講義を清超先生が纏めた聖典がある。どうやら雅春先生御生誕百年記念のすばらしい本である。
はしがきには、やはりありがとうございます。が大切って書いてある。良くわからないが明日は清超先生ありがとうございます。とひたすら言い続けてみようかな・・。
久しく聖経もちゃんと読んでいないので、今日明日にかけてしっかり心を込めて読んでみるとしよう。 なにごとも感謝と真心がたいせつなのかな!!
ゆえ雅春先生の古事記の講義は今日はいったんおやすみだ・・。
1218
:
役行者
:2011/10/28(金) 07:38:56 ID:GoOoUu9s
> さて さま
今回も素晴らしいコメント、ありがとうございます。
早速、使わさせていただきました(^-^)
とくに、下記文章が印象に残りました。
>感謝の波動は感謝の縁を引き寄せる。大切な言葉を教えていただいた。(暗唱!!)(これまた達人になると、モノが壊れた時 も、今までありがとうと感謝すると一層良いモ ノが手に入るらしい) おかげで何か身を引き締められたような気もす る。もっと身辺を整えよう!<
如意宝珠の極意ですね。
欲するもの、好ましきもの、自ずと集まり来たり、欲せざるもの、好ましかざるもの、自ずと去る!
アリガトウと感謝の念は、大切に、やさしく、あたたかく扱い、接するヒト、モノ、コトを引き寄せて、周囲を円満解決へと、導く。
そうですね。
ありがとう!ありがとう!との感謝の言葉をあげて、感謝行を行いましょう!(^^)!
ありがとうございま〜す!
ありがとうございま〜す! ・・・・・・
1219
:
志恩
:2011/10/28(金) 07:46:39 ID:psrFh/ZU
さて様
すばらしいお話、ありがとうございます。「ありがとうございます。ありがとうございます。。。」は、生長の家の基本中の基本ですものね.私は、生長の家は永いのですが、いまも、その基本を実行しています。
私の母は、一生、「ありがとうございます」と「神様、神様」と「だから よかった。」が、口ぐせの人でした。
さて様のお話をうかがいますと、心がリフレッシュされます。
さて様の生長の家の真理のお言葉は、世界に響いています。
わたしも、同感です。
「ありがとうございます」=「よろこぶ」・・この人生、ちょっといいことがあっただけでも、たとえ無くても うんと喜ぼう。喜ぶことは気持ちがいいし、免疫力もあがる。
ありがとうございます。を実行すれば、くだらないことも忘れることができる。
そして、精神が高まるほど、ささやかなもの、繊細なものをよろこべる。なぜなら、人生には、多くの楽しい事が
まだまだ隠されているから。それらを発見するつど喜ぶようになっている。「ありがとうございます」を実行して、精神が高まれば、繊細なものを見分けることができる。喜びを引き寄せることも出来る。喜びの極みも味わえる。
〜誰もが喜べる喜びを(『力への意思』より)〜
わたしたちの喜びは、他の人々の役に立っているのだろうか。
わたしたちの喜びが、他の人の悔しさや悲しさをいっそう増したり、
侮辱になったりしてはいないだろうか。
わたしたちは、本当に喜ぶべきことを喜んでいるのだろうか。
他人の不幸や災厄を喜んではいないだろうか。
復讐心や軽蔑心や差別の心を満足させる喜びになってはいないだろうか。
1220
:
うのはな
:2011/10/30(日) 22:59:39 ID:iM0b0bt6
生活技術をもつ強さ 横井庄一展を見て
横井さんがグァム島で二十八年の穴居生活をしながら、生き残っていたことは世界の人々を
驚かしました。マスコミは、発見された当時の横井さんの旧軍人らしい言動をとりあげて、二十八年間、
横井さんを支えてきたものは「生きて虜囚の辱しめを受けず」という戦陣訓の思想だと解説し、なかには
横井ブームは軍隊的根性教育の復活につながる危険があると、したり顔で説く進歩的文化人もいた。
しかし、私には職業軍人でもない横井さんが、軍隊に行ってから叩き込まれた戦陣訓が、そんなに深く
横井さんのバックボーンを形成しているとはどうしても考えられなかった。
「捕虜になれば殺される」という恐怖感はあったでしょうが、それは別に戦陣訓の思想でもなんでもない。
それにそういう恐怖感だけでは、二十八年もの長い間を餓死や病死をしないで生き抜いたほどの逞しい生活力が
生れるはずがないのです。
そんな疑問を漠然と感じていたところ、たまたま、大丸百貨店で開かれていた横井庄一展を見る機会がありました。
会場に展示されていたのは、横井さんが現地で使用した手製の日用品、道具、衣服などでしたが、
いずれも不自由な条件の下でよくつくったと感心させられるものばかりでした。
原料に竹を利用したものが多いのには、熱帯地方に竹ということで、ちょっと意外でした。
しかし、竹細工は日本では昔から日用雑貨品のなかに広く使われていて、農家なら、箕や箒、はたき、笊、
などの竹製品を手製でつくるのが普通でした。また小学校の工作でも、竹を使う細工が多くあって、
竹とんぼ、凧、紙切りナイフ、などを作りました。
子供の遊びの中でも、竹馬をはじめ、竹を使うものが少なくありません。
1221
:
うのはな
:2011/10/30(日) 23:36:53 ID:iM0b0bt6
>1220 続き
こう考えてきますと、横井さんが竹を利用して日用品をつくったのはむしろ自然だったと
いえます。しかし、もし横井さんが大学出のインテリであったら、こんなに器用に竹細工を作ることは
できなかったに違いありません。
やはり、横井さんがものをつくる職人であったという点が、あんな穴居生活の中にも生活の技術を持ち込む
ことができた大きな理由であったと思います。つぎつぎに現れてくる展示品は、そうした横井さんの逞しい
生活技術の冴えを示していました。
最初、新聞で横井さんのことが報道されたときには、穴居生活をしていたということなので、
とても人間らしい生活ではなかっただろうと思っていましたが、ここに展示されている日用品の一つ一つは、
いずれも実用本位の間に合わせの代用品というものではなく、実に丹念に製作され、しかも美しく磨き上げられた
品物ばかりなのです。
もちろん、金属製品こそ少ないが、展示された品物は、いずれもそこにいわば“横井文化”とでもいえる文化が
存在していたことを証明するものばかりです。
ここに至って、私は、抱いていた横井さんの穴居生活二十八年の謎が解けたように感じました。
つまり、横井さんが生き抜いて来られたのは、戦陣訓というようなイデオロギー的なものではなく、
むしろ応召前は洋服の仕立て職人だったといわれるように、彼が生活を自分の手でつくり得る技術の
持主であったことによるところが大きいと思います。
一言でいえば、大工や細工師などの職人がもっている生活技術のたしかさ、これが横井さんの生活を
支えたのです。
職人は商人やサラリーマンとは違って、人を相手にする職業ではなく、ものを相手にして、自分の想像力を
実現して行くだけです。だから、仕事をしているときは、本質的に孤独な存在です。
横井さんがひとり暮しの淋しさに耐え得たひとつの理由は、彼が孤独を忘れて打ち込める仕事を持つことができたということが
挙げられると思います。私は展示されている手製の日用品を見ながら、恐らく名作をつくる職人にも似た打ち込みようで、時日の
経つのも忘れて励んでいる横井さんの姿を見たような気がしたのです。
戦後の教育は国民にこうしたたしかな生活の技術を身につけさせるということを忘れてきたのではないでしょうか?
竹細工にかぎらず、一般に、最近では、子どもの頭と手を同時に働かせて、ものを創作するということを
あまり重視していないようです。とくに、自然の中から材料をとってきて、工作するということは少なくなりました。
その代わりにすでに材料が揃えてあり、つくり方まで説明してあって、ただそれを組み立てるだけになっているモデル玩具のようなものが
圧倒的に多くなりました。しかし、これはものをつくるということからは、ほど遠いものです。
自分の頭で考えたことを、自分の手によって実際に実現するという仕事は、それ自身、極めて創造性に富むものであり、
また地に足をつけた実際的なものです。
工作は、どんなに素晴らしいアイディアでも、自分の手で実現しなければ何にもならないことを教えてくれるし、
また現実の制約を無視しては何もつくれないことをも教えてくれるのです。
横井さんの生活技術は、本を読むことばかりで頭だけが大きくなって、実際には何ひとつや役に立つことができない
人間をつくる傾向にある今日の教育に、大変貴重な反省の機会を与えたといえるのではないでしょうか。
『母親は何ができるか』 生活のなかの教育 東京教育大学・鈴木博雄 先生
P69−73 日本教文社
1222
:
木綿豆腐
:2011/11/01(火) 05:39:43 ID:psrFh/ZU
『善悪の彼岸』フリードリヒ・ニーチェより
〜話し合いの効用〜
対話、それも、何か決まった事柄についてのじっくりした話し合いは、とてもたいせつだ。
なぜならば、そういう話し合いによって、自分が何をを考えているのか、何を見落としているのかがはっきりわかってくるし、
問題の重要な点がどこなのかも今までになく見えてくるからだ。そうして、1つの考えというものが形としてまとまってくる。
独りでぐずぐず考えてばかりだと、とめどがないばかりで何もまとまらないものだ。
だから、話し合いは、互いに考えの産婆となって助け合うことでもあるのだ。
『曙光』より
〜安定志向が人と組織を腐らせる〜
類は友を呼ぶというけれど、同じ考えの者ばかりが集まり、互いを認め合って満足していると、そこはぬくぬくとした閉鎖空間となってしまい、
新しい考えや発想が出てくることはまずなくなる。
また、組織の長が、自分の考えと同じ意見を持つ者ばかりを引き立てるようになると、その者も組織も、確実にだめになってしまう。
反対意見や新しい異質な発想を恐れ、自分たちの安定のみに向かうような姿勢は、かえって組織や人を根元から腐らせてしまい、
急速に頽廃(たいはい)と破滅へ向かうことになる。
1223
:
木綿豆腐
:2011/11/01(火) 06:03:46 ID:psrFh/ZU
『悦ばしき知識』より
〜読むべき書物〜
わたしたちが読むべき本とは、次のようなものだ。
よむ前と読んだあとでは、世界がまったくちがって見えるような本。
わたしたちを、この世の彼方へと連れ去ってくれる本。
読んだことで、わたしたちの心が洗われたことに気がつかせるような本。
新しき知恵と勇気を与えてくれる本。
愛や美について新しい認識、新しい眼を与えてくれる本。
『人間的な、あまりに人間的な』より
〜批判という風を入れよ〜
キノコは、風通しの悪いじめじめした場所に生え、繁殖する。
同じことが、人間の組織やグループでも起きる。批判という風が吹き込まない閉鎖的なところには、必ず腐敗や堕落が生まれ、大きくなっていく。
批判は、疑い深くて意地悪な意見ではない。批判は風だ。頬には冷たいが、乾燥させ、悪い菌の繁殖を防ぐ役割がある。
だから、批判は、どんどん聞いたほうがいい。
1224
:
木綿豆腐
:2011/11/01(火) 06:31:22 ID:psrFh/ZU
『漂泊者とその影』より
〜木に習う〜
松の木のたたずまいは、どうだろう。耳を澄まして何かに聞き入っているかのようだ。
モミの木は、どうだろう。まんじりともせず何かを待っているようだ。
この木々たちは、少しもあせってはいない。慌てず、いらだたず、わめかず、静けさの中にあり、じっとしていて、忍耐強い。
わたしたちもまた、このような松の木とモミの木の態度に見習うべきではないだろうか。
1225
:
木綿豆腐
:2011/11/01(火) 07:05:57 ID:psrFh/ZU
『ツァラトゥストラはかく語りき』より
〜絶えず進んでいく〜
「どこから来たか」ではなく、「どこへ行くか」が最も重要で価値あることだ。栄誉は、その点から与えられる。
どんな将来を目指しているのか。今を越えて、どこまで高くへ行こうとするのか。どの道を切り拓き、何を創造して行こうとするのか。
夢を楽しそうに語るだけで何もしなかったり、そこそこの現状に満足してとどまったりするな。
絶えず進め。より遠くへ。より高みを目指せ。
1226
:
義春
:2011/11/01(火) 13:41:42 ID:SjZg29/2
>>1222
木綿豆腐様
そういえば、総合紛争解決センターで(玄関破壊・抗がん剤治療中の私を病院送り等々)色々あった弟と話し合って、お互い、かなり誤解していたのが判明しました。
最初はお互い『何じゃ!?お前(怒)』だったのではあるのですが、話し合いをしている最中、弟が足の中指を骨折しました。
働けないと知って、こりゃヤバいとなり、慌てて、きちんと話し合ってみると、お互いがお互い、相当な規模での誤解がわかりました。
で、弟にしてみれば『俺、お母ちゃんから縁切られるんじゃないか?』と疑心暗鬼になって暴れた様でした。
それだから、金銭的な事は然程、重要ではなかったみたいで、後は(多忙の為、話し合いに欠席していた)母と12月の話し合いをすれば、それで終了となりました。
まぁ…母も弟は我が子だから愛情がありますし、これで丸く治まれば良いなぁと思ってます。
話し合うというのは、どんな事になっても大事であると、つくづく痛感いたしました。
1227
:
木綿豆腐
:2011/11/01(火) 14:45:09 ID:psrFh/ZU
義春さま
前々からの懸案でいらした弟さんと話し合って、誤解だったことも判明されたようで、よかったですね。
義春さまは、高度な課題を与えられておられても、つぎつぎに真摯に乗り越えられて、いつも尊敬しています。
あと、
昼メシが、義春さまは、最近、うどんのようですが、あれだと、すぐお腹へるでしょう?
そういうときは、トウフを一丁買っといて、あとで、かつお節の粉と醤油をかけて、食べておくと、結構お腹が保ちますよ。
りんご1個、かじるのもいいしね。
真空パック入りの1袋100円の、サラダ豆、あるでしょう。そのまま食べられる。あれも便利です。わかめも毎日食すると、健康にいいです。
私は、20代のころから、東條百合子さんの玄米・菜食に凝りにこってた時期が有りまして、
弟妹たちにも、勧めまして、一同で、凝りまくってた時期が有りますが、今は、たまには、すきやきとか、とんかつとかも食べてます。
いただく命に合掌して。
アメリカに住む、妹と妹の旦那さまが、いまだに肉食べません。アメリカ在住ですのにね。
今,アメリカで『eat to live』という本が売れているそうです。
アメリカでも"eat to live"(生きる為にたべる。つまり、順調に働けるように、体調を
維持するように食事をしている人が,すこしずつ増えているそうです。アストラル界についての認識はないようですが・笑)
人間には、"live to eat " の人と、 " eat to live"
(食べる為に生きる。味わうことが好き、食べることにはまっている) (生きる為にたべる人)
と、2種類の人がいるのだというのが、妹の持論ですが、経済的な理由で言えば、肉が一番経済的でもありますから、肉抜きで,生きられる人は、
経済的に余裕のある裕福な人たちではないかと、思ったりしています。
1228
:
義春
:2011/11/01(火) 21:24:21 ID:iu5Ar./Q
>>1227
木綿豆腐様
まぁ、ホントに頭が痛い事でした。
本当に一時は弟を逮捕して貰うか迄考えも致しました。
今となれば、それをしないでよかったと心から想います。
それで、食事のアドバイス有り難う御座います。
昨日は月見、今日はきつね…と、うどんはバリエーションに富みますよね。
豆腐ですか…その店にはそれがないないので、残念ですが、これから朝飯に食べますね。
私はその店では、鮭の握り飯と、ジャガイモのコロッケを食べるのが常です。
まぁ…ぶっちゃけ、あんまり考えていないのです(汗)
私自身は生きる為に食べるという感じでしょうか、省みれば、1日何も食べてない時もあります。
痩せているくせに食べてないと、速攻でフラフラになるのですが、身体が欲しない時は食べない。
それが普通になっております。
まぁ…これは、初回の癌で1ヶ月も絶飲食を経験したからでしょうけどw
それだから、金持ちの友人が旨いものを食べたという話を聴いても、
それがそれだけの事なのかなぁ…と想ったりもするのですね。
舌の上からこぼれたら、味も消えるだろうって想うのです。
それよりも良い景色を見て、風を感じている方が、ずっと心躍ります。
特に江の島や宮島の夕焼けを1人でボォーと観ている時こそが、人生の至福の時ですね。
何て言うか、それだから、肉食もしていたのですが、さすがに動物に悪いなと想ったから止めました。
そこまでして生きたくもないなって感じなのです。。
1229
:
さて
:2011/11/02(水) 00:33:37 ID:0IMe0CaU
、そういえば例の知人(
>>1217
)がもう一つなにか言っていた。
以前は心労が絶えなくて、毎日がストレスの嵐で、大きな十円ハゲが出来るほどのすごさだった。旦那さまも一度倒れているし、こんなにストレスばっかりでは自分もそんなに長くは生きれないかも・・・・なんて弱音を吐いていたと思う。
しかしである。あのかわいい孫娘の笑顔をしょちゅう見ている内に何か言うことが変わってきた。この子をずっと見守っていきたいな〜とおっしゃるではないか。まだ全然お若いので、しっかりと気をつけて生活していけば、当然相当先まで大丈夫のような気はする。 その子を眺めているだけで幸せで、ストレスなど吹っ飛んでいるのであろうが、夫婦そろって普段から、食事や体のことを気遣いはじめているようである。夢や希望の力はすごいのではあるか、やはり具体的に出来ることからしっかり実行していくことは大切だ。あの子が成人になるまで、みんなずっと幸せに過ごして欲しいな〜と思う。では五十年後はどうだろう・・・・。
そう言えば、生長の家が1930年に創立されて以来、既に八十年余りが過ぎ去った。まだ雅春先生の寿命ほどにも時は経っていない。あと十年後はどうだろう。 あと八十年後、百年後、千年後、一体どんな社会になっているのかな。きっと科学の進歩はものすごい勢いであろうな。世界各地の人口はどんなことになっていることやら・・・・。人類の愛はどのような形であるだろうか。
世界中のみんなが聖経『甘露の法雨』をあげているのもどうかとは思うが、日本にも世界中にももっと広がっている方がいいだろうな。皆がすべての人類のために生長の家の祈りを捧げている必要もないと思うが、多くのひとが自分以外のひとの幸せを祈って微笑みあう世界であって欲しい。 日本は、科学技術と精神世界の調和した世界のリーダーであり、世界の皆様のためにお役に立てる素晴らしい方々が多く活躍しているのだろうな。
ところで生長の家と言えば神の子であるが、なぜ、なにを持って神の子なのだろうか・・。生長の家やってないと神の子になれないのであろうか。生長の家をやっていると特別な神の子になれるのであろうか。 みんな同じ神の子として、手を取り合っていけたら良いかもな。これからも、ずっとずっと先の将来だって手を取り合って、神の子無限力!!なんかカッコいい???な〜〜。
遠い未来だって一瞬一瞬の時間の積み重ねでやってくるんだから、そのつどそのつど努力していくしかないな!!ほんの少し先の将来から、一歩一歩祈りを持ちながら一歩一歩、毎日毎日、いまその瞬間。体と心と頭を使って、自分のために出来ること、周りを見渡し、自分以外のためにできること、ひとつひとつ積み重ねていくしかないのかな。
みんなで心をむすびつけると一人の神の子のちからが、なんかすごくおっきな力になるんじゃないかな。一人一人が皆神の子なんだから、自分の無限力信じて、できるとこから一歩一歩よろこびにつながることをしっかりと重ねていけばいいのかな。
一人一人知恵を引き出して進んでいかないといけないな。
一人では出来ないことでも、みんなで同じことをやったらおっきなちからになる。
一人では気づかないことでも、みんなで知恵を出しあったら大きな気づきになる。
一人では届かない祈りでも、みんなで祈ったら必ず叶う夢がある。
あらゆる機会を通して、ひとりひとり努力していかないといけないし、その努力は必ずなにかしっかりと形あるものをむすぶと思う。
ひとのこころをむすぶ、つなぐ、そんな一歩が、この十一月からはじまるといいな。
生長の家にとってとても大切なものが多く生み出されてきたこの十一月から・・・。
一人一人に出来ることを、心でひとつになって出来ることから始めればよい。ちょっとだけ自分の得意な分野を用いて、さらに磨いて出来ることから始めればよい。
今までのカラを破って自分の外にちょっとだけ目をやってみると、もっと出来ることがあるかもしれない。ちょっとだけ声をかけてみたらいい。ちょっとだけ、意識を変えてみるだけで、神さまってのはいつだってホラそこそこ早く気づきなされ・・・とやさしくいつでも見守ってくれていたりするもんだ!!なんか、いろんなところに、思ってもみない解決策がころがっていたりするもんだ!!。
それにしても、いったい人間どこまで生きれば生き切ったって言えるのかな・・・・、いったいどこまで人類は生きていくのかな・・・・、
まあむつかしいことは置いておいて、とにかく一歩一歩なのかな。20一一年一一月。
一が沢山列ぶ年の一が沢山列ぶ月、みんなでよろこびというこころの歩調を合わせて身近に出来ることから一歩一歩が大切だろうな!!!
1230
:
木綿豆腐
:2011/11/02(水) 04:21:26 ID:psrFh/ZU
義春さま
癌医療は、近年、著しく進化しているそうですが、治療は続けなければならないので、根気がいりますね。
義春さまは、お仕事をこなしながら、前向きに生きていらして、ほんとうにすばらしいお方です。
先のお話させていただいた東城百合子氏著「家庭で出来る自然療法」が、私の部屋の本棚にありました。この方は、重い結核に罹られたのですが、
玄米菜食の食事療法で、結核が全治されまして、あなたと健康社という会社を立ち上げられて、いまもお元気でご活躍中だとうかがっております。
生長の家人です。
義春様は、今、お肉を絶たれたそうですが、治病食としても、それは正解のようですよ。主食は玄米が一番なのですが、あれは、慣れないと続きません。
せめて、副食を切り替える。この本にも、病気を治すには、動物性の肉より、植物性の大豆、豆製品、小魚、木の実、ごま、海草、野菜は色の濃い青菜や
人参、ごぼう、ハスなど、、と書かれてあります。
つまり、朝食か夕食のおかずに、トウフの上に 戻したワカメと 豆を乗せていただくのを加えれば、いいのでは。
それにしても、義春さまの親友の訊け君は、どうされましたかね。
最近、ここで おみかけしてませんが、、
ブログのほうは、毎日チェックして拝見していますけれどね、、
1231
:
役行者
:2011/11/02(水) 08:18:21 ID:.c7ckQ3Y
>>1229
さて さま
またまた、すばらしい投稿文、ありがとうございます。
初心に戻ろう、近視眼的な見方から離れ、もっと、大局的な視点からものごとを観てみようと 心を新たにできました。
ありがとうございます。
>では五十年後はどうだろう・・・・ そう言えば、生長の家が1930年に創立さ れて以来、既に八十年余りが過ぎ去った。まだ 雅春先生の寿命ほどにも時は経っていない。あ と十年後はどうだろう。 あと八十年後、百年 後、千年後、一体どんな社会になっているのか な。きっと科学の進歩はものすごい勢いであろ うな。世界各地の人口はどんなことになってい ることやら・・・・。人類の愛はどのような形 であるだろうか 世界中のみんなが聖経『甘露の法雨』をあげ ているのもどうかとは思うが、日本にも世界中 にももっと広がっている方がいいだろうな。皆 がすべての人類のために生長の家の祈りを捧げ ている必要もないと思うが、多くのひとが自分 以外のひとの幸せを祈って微笑みあう世界で あって欲しい。 日本は、科学技術と精神世界 の調和した世界のリーダーであり、世界の皆様 のためにお役に立てる素晴らしい方々が多く活 躍しているのだろうな<
>遠い未来だって一瞬一瞬の時間の積み重ねで やってくるんだから、そのつどそのつど努力し ていくしかないな!!ほんの少し先の将来か ら、一歩一歩祈りを持ちながら一歩一歩、毎日 毎日、いまその瞬間。体と心と頭を使って、自 分のために出来ること、周りを見渡し、自分以 外のためにできること、ひとつひとつ積み重ね ていくしかないのかな。 みんなで心をむすびつけると一人の神の子の ちからが、なんかすごくおっきな力になるん じゃないかな。<
>むすぶ、つなぐ、そんな一歩 が、この十一月からはじまるといいな。 生長の家にとってとても大切なものが多く生み 出されてきた。この十一月から・・・ 一人一人に出来ることを、心でひとつになって 出来ることから始めればよい。ちょっとだけ自 分の得意な分野を用いて、さらに磨いて出来る ことから始めればよい 今までのカラを破って自分の外にちょっとだ け目をやってみると、もっと出来ることがある かもしれない。ちょっとだけ声をかけてみたら いい。ちょっとだ
け、意識を変えてみるだけ で、神さまってのはいつだってホラそこそこ早 く気づきなされ・・・とやさしくいつでも見 守ってくれていたりするもんだ!! それにしても、いったい人間どこまで生きれ ば生き切ったって言えるのかな・・・・、いっ たいどこまで人類は生きていくのか な・・・・ まあむつかしいことは置いておいて、とにかく 一歩一歩なのかな。20一一年一一月 一が沢山列ぶ年の一が沢山列ぶ月、みんなでよ ろこびというこころの歩調を合わせて身近に出 来ることから一歩一歩が大切だろうな!!<
1232
:
八百比丘尼
:2011/11/02(水) 08:34:59 ID:j8iOdie.
本当にね、「訊け」監督、どうしていらっしゃるのかしら。
『部室板』が出来たら帰ってくる予定なのでしょうか。
義春さん、メールしてみたら?鈴夜も寂しがっているってね。
義春さん、辰巳芳子さんの「命のスープ」ご存知?
玄米スープや干しいたけのスープがおすすめよ。
不二子ちゃんもこのごろストレスから、体調を崩してて
しいたけや玄米が良いというので、研究中よ。
You Tubeでも作り方出てるから、いっぺん試してみて。
1233
:
さくら
:2011/11/02(水) 10:26:31 ID:ua9dGoJI
命のスープ、わたしも今度、作ります、
訊けさまとは、「エマニュエル…」とかいう、
ラブコメの映画のお話をした以来、お見かけしてません…
TSUTAYAで、また新しいラブストーリーのDVD借りて、
見まくってるのかしら、
1234
:
義春
:2011/11/02(水) 11:45:50 ID:SjZg29/2
木綿豆腐様
ビクニ姐さま
さくら様
今日は朝から会議で書記でヘトヘトでありますが、取り急ぎトイレから。
メールでは相変わらず、お元気な様でしたよ。まぁ…あの方がくたばるなんて想像もつかないのですけど、正直、私も寂しかったりします。
又、呼びかけてみますから、もしかすると、ご登板されるかと想いますというか、登板してくだされ…と。
では、仕事に戻ります。
1235
:
木綿豆腐
:2011/11/02(水) 11:46:06 ID:psrFh/ZU
「命のスープ」よさそうですね。私も早速作ってみます。風邪気味のときとか、胃が弱ってるときには、特に最適ですね。
いいの、教えて下さって、ありがとね。ママ。うれしいです。
私自身は、主食は,今でも玄米を食べています。今は、圧力釜もいいのが発売されていて、私は、"new圧力名人"というのを愛用していますが、
自動で玄米ごはんが炊けますので、べんりな時代になりました。でも,若い働き盛りの人は、朝は早く出勤し、帰宅も遅いし、玄米は、好みもあり、
続けるのは,なかなかかなぁと,思って。
私は、朝は、ミキサーに、濃い色の青菜とりんご、バナナ、緑効青汁、米ぬか、豆乳などを入れて。野菜ジュースをこさえて、飲んでいます。黒砂糖をほんの少し入れると
飲みやすくなります。
これも、面倒な人は、面倒だと思えるでしょう。簡単じゃないと、若い人は、続かないし。
とにかく、血液浄化は、血液を酸性からアルカリに変更することにありますから、粉になってる青汁だけでも、飲めるといいのですけれどね。
先にお話ししたトーフにワカメと豆を乗せて食べる方法は、いそがしい妹がやってる方法です。仕事してるので、いつもではないけれど、
いそがしいときの食事法です。かけるものは、中華ドレッシングとか、あれこれ変えてみると、飽きないと思います。
私も、ときたま、それを食べてます。美味しくはないけれど、まずくもないですよ。・笑
でも、義春さま、たま〜には、お肉も召し上がって。
私の個人的意見だけれど、たまには、いいと思うわ。
そうでないと、却ってストレスになるかもしれません。
人間は、この世に生きているだけで、知らず知らずにさまざまな罪を犯している。
神さまは、そのぐらいのことで、罰を下すような狭量なお方では、ございません。..と,私は、思っております。^^
1236
:
義春
:2011/11/02(水) 13:45:28 ID:SjZg29/2
続報が入りました。
えー…訊けさあ『この頃、キャバ嬢のメールがいっぱいで大変』…だとことです(-_-;
1237
:
「訊け」管理人
:2011/11/02(水) 14:03:46 ID:???
祭がバンバン入ってまして、掲示板にはなかなか参加できません。しかし
私は元気です。
ちなみに先日、鹿児島で「妙円寺詣り」がありました。これは島津勢の敵
中突破を記念した祭りでありまして、そして歌などありまして、そしてその
歌は22番までありまして、今年、22番までの歌詞を暗記出来た小学生は
54名だったそうな。以下は、彼ら小学生の歌う関ヶ原「前進撤退(敵中突
破)」ごあす。これ聴くと、泣けてくるんだよなあ・・・(谷口あかり姫に
も捧ぐw)
まあしかし・・・400年もこんなこと、未だにやっている地方って南九
州くらいでしょうね(笑)
妙円寺詣りの歌(伊集院徳重神社)
http://www.youtube.com/watch?v=uwzIIfhZvz0
1、明くれど閉ざす雲暗く 薄(すすき)かるかやそよがせて 嵐はさっと吹き渡り 万馬いななく声高し
2、銃(つつ)雷(いかずち)ととどろけば 太刀稲妻ときらめきつ 天下分け目のたたかいは 今や開けぬ関ヶ原
3、石田しきりに促せど 更に動かぬ島津勢 占むる小池の陣営に 鉄甲堅くよろうなり
4、名だたる敵の井伊本多 霧にまぎれて寄せ来るや 我が晶巌ら待ち伏せて 縦横無尽にかけ散らす
5、東軍威望の恃みあり 西軍恩義によりて立つ 二十余万の総勢の 勝敗何れに決戦や
6、戦い今やたけなわの 折しも醜(しこ)の小早川 松尾山をかけくだり 刃(やいば)返すぞ恨めしき
7、前に後ろに支えかね 大勢すでに崩るれど 精鋭一千われひとり 猛虎負嵎(もうこふぐう)の威を振るう
8、蹴立てて駒の行くところ 踏みしだかれぬ草もなく 西軍ためにきおい来て なびくや敵の旗の色
9、家康いたくあらだちて 自ら雌雄を決っせんと 関東勢を打ちこぞり 雲霞の如く攻めかかる
10、かかれ進めと維新公 耳をつんざく雄叫びに 勇隼人の切先の 水もたまらぬ鋭さよ
11、払えば叉も寄せ来たり 寄すれば叉も切りまくり 剛は鬼神を挫けども 我の寡勢を如何にせん
12、運命何れ生か死か ここを先途と鞭ふるい 奮迅敵の中堅に 活路(みち)を求めてかけ込ます
13、譜代恩顧の将卒ら 国家(くに)の存亡この時と 鎬(しのぎ)をけずる鬨(とき)の声 天にとどろき地にふるう
14、篠を束(つか)ねて降る雨に 横たう屍湧く血潮 風なまぐさく吹き巻きて 修羅の巷のそれなれや
15、薙げど仆(たお)せど敵兵の 重なり来たる烏頭坂 たばしる矢玉音凄く 危機は刻々迫るなり
16、骸も染みて猩々緋 御盾となりし豊久を見るや敵兵且つ勇み 群り寄する足速し
17、賜いし御旗ふりかざし 阿多長寿院駈け入りて 兵庫入道最期ぞと 名乗る雄々しき老いの果て
18、欺かれたる悔しさに 息をもつかず忠吉ら くつわ並べて追い来しが 返す我が余威また猛し
19、牧田川添いひと筋に 行く行く敵をけちらして 駒野峠の夜にまぎれ 伊勢路さしてぞおち給う
20、献策遂に容れられず 六十余年の生涯に 始めて不覚をとらしたる 公の無念や嗚呼如何に
21、興亡すべて夢なれど 敵に背(そびら)を見せざりし 壮烈無比の薩摩武士 誉は永久に匂うなり
22、無心の蔓草(つるくさ)今もなお 勇士の血潮に茂るらん 仰げば月色縹渺(ひょうびょう)と うたた往時のなつかしや
1238
:
義春
:2011/11/02(水) 15:26:13 ID:SjZg29/2
>>1237
訊けさあ
登板、有り難うございます。
妙円寺詣りの歌、戦国いい話悪い話に出てましたなぁ…。
今日はかなり疲れモード入ってるので、木綿豆腐様とビクニ姐さまのレス、夜に返します…もしかすると、クタバって眠ってしまって明日の朝かも。
1239
:
義春
:2011/11/02(水) 17:28:00 ID:SjZg29/2
やっとこさ、ちょっと休憩です(-_-;
パソコン仕事は眼が痛くなります(泣)
>>1230
木綿豆腐様
まぁ…問題から逃げても、アレは逃げたら追ってくるから、逆に、此方から問題に襲いかかっているだけです。
今日は同僚で同じく癌をやっている人が治療の合間に来社されました。癌治療は大変だなぁという話から、癌に負けたくない!という事で話してました。
アドバイスを今晩から活かして身体を慣らすのに一苦労ですが野菜中心に変えていきます!
肉はちょっと止めときます、私は弱い人間、それだから蟻の一穴は避けたいので…。
>>1232
ビクニ姐さま
それで普段、忙しくて料理しないので、存じ上げませんでした。又、調べて頑張って作ってみます!(ただ、私が作ると悪魔のスープなりそう…。)
1240
:
義春
:2011/11/02(水) 17:33:13 ID:SjZg29/2
>>1229
さて様
素晴らしい御文章、有り難うございます!休憩中ゆえ、取り急ぎのレス、お許しください。
>多くのひとが自分以外のひとの幸せを祈って微笑みあう世界であって欲しい。 日本は、科学技術と精神世界の調和した世界のリーダーであり、世界の皆様のためにお役に立てる素晴らしい方々が多く活躍しているのだろうな。
真にそうあって欲しいです!又、そのような社会の在り方を提唱出来るのは、日本以外にないとも存じます!
又、7時以降に書かせて頂きます。
1241
:
八百比丘尼
:2011/11/02(水) 18:16:59 ID:j8iOdie.
ーー鈴夜 魔女のスープで死にかけるーー
《 義春どの、無理をするな。
疲れているときは、ゆっくり休まれよ。
オレはな、この前比丘尼の作った「魔女のスープ」で殺されかけたぞ。
身体に良いからと、わけの分からん物を(はっきりいえば、残り物だ)
鍋に放り込んでグツグツ煮込んでいてな、食えと出された。
すぐに逃げて、その夜は一晩、外で過ごした。
桃太郎のメシだけは、忘れるなよ。 》
1242
:
うのはな
:2011/11/03(木) 00:59:48 ID:iM0b0bt6
本流で削除になったりする投稿を見るたび、それならヘレンケラーは
どうなるの?と思ったりしてたが、よく考えると今の教団は三重苦のような
ところがあるから、ヘレンケラーのように困難(今教団)を乗り越えよう、という
メッセージがあったのかもしれないな。
秘められたるメッセンジャーデントーってやつだろう。
1243
:
義春
:2011/11/03(木) 01:31:45 ID:iu5Ar./Q
さて様
御返事遅くなって、真に真に申し訳ありません!
さて様の御文章には、深い祈りと愛があって、拝読していて身に染みるあまり、
御返事返せないばかりになってしまっております。何卒、何卒お赦し下さいます様、お願い申し上げます。
> しかしである。あのかわいい孫娘の笑顔をしょちゅう見ている内に何か言うことが変わってきた。この子をずっと見守っていきたいな〜とおっしゃるではないか。まだ全然お若いので、しっかりと気をつけて生活していけば、当然相当先まで大丈夫のような気はする。 その子を眺めているだけで幸せで、ストレスなど吹っ飛んでいるのであろうが、夫婦そろって普段から、食事や体のことを気遣いはじめているようである。
夢や希望の力はすごいのではあるか、やはり具体的に出来ることからしっかり実行していくことは大切だ。
あの子が成人になるまで、みんなずっと幸せに過ごして欲しいな〜と思う。
では五十年後はどうだろう・
あぁ…もう色んな意味で身に染みる話でありますね。
夢や希望の為に、今出来る事を具体的に一歩一歩、本当に一歩一歩…
地道なんでしょうが、その地道さこそが偉大でありますね。
私は長生きしないといけなくなりました…正直申せば、自分の事では長生きしたくないのです。
逆にそう生きるのが嫌気すら差しています。もし自分がそうであるならば、今すぐ此の肉体を滅したくすらあります。
だけど、自分の為じゃなくて、誰かの為、人類の為…それに再び神から頂いた人生を生きてみたい。
我ながら馬鹿だと想います。だけど、それで良いのだとも想っております。
それだから、趣味はと訊かれれば【生きている事】と答える様になりました。
癌で痛みを味わうのは、自分にはこんな感覚があったのかとか、人工肛門から便が落ちる様を
観察するのも、面白さに溢れておりますから・・・。
>一人一人知恵を引き出して進んでいかないといけないな。
一人では出来ないことでも、みんなで同じことをやったらおっきなちからになる。
一人では気づかないことでも、みんなで知恵を出しあったら大きな気づきになる。
一人では届かない祈りでも、みんなで祈ったら必ず叶う夢がある。
あらゆる機会を通して、ひとりひとり努力していかないといけないし、その努力は必ずなにかしっかりと形あるものをむすぶと思う。
ひとのこころをむすぶ、つなぐ、そんな一歩が、この十一月からはじまるといいな。
生長の家にとってとても大切なものが多く生み出されてきたこの十一月から・・・。
一人一人に出来ることを、心でひとつになって出来ることから始めればよい。ちょっとだけ自分の得意な分野を用いて、さらに磨いて出来ることから始めればよい。
今までのカラを破って自分の外にちょっとだけ目をやってみると、もっと出来ることがあるかもしれない。ちょっとだけ声をかけてみたらいい。ちょっとだけ、意識を変えてみるだけで、神さまってのはいつだってホラそこそこ早く気づきなされ・・・とやさしくいつでも見守ってくれていたりするもんだ!!なんか、いろんなところに、思ってもみない解決策がころがっていたりするもんだ!!。
本当の意味で皆が一人一人心から祈り、智慧を出さないといけない時代になってきたと
痛感しております。既存の色んな社会システムが限界に達しました。
後ほど、別スレでも立てますが、福島の原発では再臨界が起きてしまったようです。
ここまで人類の今までのありようは間違っていると、あからさまに示されてしまうと、
ちょっと困ったなというのと、だったら新しく作っていこうかという2つの想いがあります。
そういえば、今までは雅宣先生の祈りの言葉に然程想いが至らなかったものですが、
今日のニュースを観ていて「自然と人間の大調和を観ずる祈り」は、確かになと頷ける様にもなりました。
順序が逆になりますが…
>みんなで心をむすびつけると一人の神の子のちからが、なんかすごくおっきな力になるんじゃないかな。
一人一人が皆神の子なんだから、自分の無限力信じて、できるとこから一歩一歩よろこびにつながることをしっかりと重ねていけばいいのかな。
なんで、さて様の御文章はこんなに染みるのでしょうかね…本当に温かさに溢れていて、
深く切なる温かな想いが伝わってきます。現象では色々な疎ましい出来事がありますが、
今はそんな時じゃないんだ、本当の意味で生長の家に真を捧げようと思います。
1244
:
せい
:2011/11/04(金) 00:56:37 ID:9O3c0Yd2
生長の家の食事
聖書に吾らが祭壇に対して供物(そなえもの)を献ずるに当っては、先(ま)ず兄弟と仲直りしなければならないと云(い)うことが書いてある。吾らは食事をとるに当っても矢張りこれと同じことをしなければならないのである。何故なら食事は自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式であるからである。一椀を手にしては是れ今迄過ちて人に対して憎み怒りし自己の罪が神によって許されんがための供物(そなえもの)であると念(おも)いて食せよ。二椀を手にしては是れすべての人の罪が神によりて許されんがための供物(そなえもの)であると念(おも)いて食せよ。三椀を手にしては是れ神の護りによりて自己が再び隣人を憎み怒るの罪を犯さざらんが為の供物であると念いて食せよ。而(しか)して一杯の飲料を手にしてはすべての人の罪をこの水の如く吾が心より洗い流して心にとどめざらんがための象徴(しるし)と思いて飲め。若(も)し病人にして医薬を服用する者あらんにはそれを四口(よくち)に分けて飲み、この同じ想念をなして飲めば病(やまい)必ず速(すみやか)に癒えるのである。すべての他の人の罪を恕(ゆる)すは、吾らの過(あやまち)をも亦大生命なる神より恕(ゆる)されんがためである。若(も)し吾等(われら)が心を閉じて他を恕(ゆる)さなければ、大生命の癒能(いやすちから)もまた閉ざされて吾等に流れ入ることは出来ないのである。
(昭和五年十一月四日神示)
<神示講義>
神の赦しを得るための祈りの供養
そして、一椀を手にしては、私達は多くの人達をうらんだり憎んだり、腹立てたりしておったその心の間違いを思い出し、それを捨て浄めるために「今迄過ちて人に対し〜〜念いて食せよ」と教えられているのであります。即ち、最初御飯の一椀を手にして、それを額のところへ頂くようにして「今迄私が、過ちて人を憎み怒りました自分の罪が神様によって、これによって赦されますように」と念じて、それから食せよというのであります。
次に「二椀を手にしては是れ〜〜念いて食せよ」とありますが、自分の罪が赦されることを念ずるだけでは一種の合理主義でありますから、全ての人々の罪が赦されるように祈るべきであります。だから「どうぞ全ての人々が、この供え物によって、それぞれの罪が赦されますように」と、念じて二椀目を食せよと教えられているのであります。それから三椀目を食しては、「是れ神の護りによりて自己が再び隣人を憎み怒るの罪を犯さざらんが為の供え物をいたします。どうぞ、二度と人を怨み怒る罪を再び重ねませんように、どうぞお護り下さいませ」という祈りをして、それから食せよとかう教えられているのであります。
これはキリスト教の"主の祈り"に「吾らを試みに遭わせず、悪より救い出し給え」と祈れとあるのに一致いたします。それから御飯の次ぎには飲料のことが書いてあります。一杯のおつゆでも、或るいはお茶でも、此の「飲料」の中に含まれていると考えてよろしい。「一杯の飲料を手に〜〜思いて飲め」と言って教えられております。「罪はない」と言っても、心につかんでいる間は「心の世界」にそれは「ある」のですから、心から、それを放ち去らなければ消えないのです。と言って、心から放そうと思っても、ただそれを潜在意識に押し込むだけになり易いので、それを「洗い流す」象徴的行事を行う方が一層ハッキリと罪を消すことができるのであります。その洗い流しの象徴的行事として飲料をもって口中を洗い流して、此処に教えられている通り念ずるとよいのであります。この行事は大変効果があるのですが、古い生長の家の誌友諸氏でも実際に実行している人が少ないのであります。
人を赦して得られる無上の開放感
それを実行した人がありましたが、以前その人は或る人を非常に憎んで怨んでおられました。そしてその相手を殺したい位に思っておったと言うのであります。御自分の体験談で「私はこの『生長の家の食事』の神示を読んで、その通り毎日実行致しました。毎日毎日その通り実行しているうちに、もう殺したい位に憎んでおった人を、全然憎む心が消えてしまいまして、その結果、まるで憑きものがとれたように人生が本当に明るくなりました。本当に感謝いたします」と言って喜ばれたのです。
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1245
:
いま
:2011/11/04(金) 00:59:15 ID:9O3c0Yd2
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今でも時々恩を忘れないで、私に手紙をよこされるのであります。人間が人を怨んだり憎んだりしていて、それを本当に赦す心ができたときには無上の開放感を覚えるものでありまして、この人はその喜びをいつまでも深く心に感銘して、時々感謝の手紙を寄こされるのであります。肉体の病気が治るということよりも、こういう「人を憎む」という心の病気の治ることの方がよっぽど素晴らしい功徳なのであります。肉体の病気なんかたとひ治っても、その肉体は十年先か二十年先か知らぬが、やがて死んでしまう。けれども、人を怨んだり憎んだりしておったら、その人の肉体は死んでも、魂が霊界に往ってからも、まだ怨んだり憎んだりしておって、それこそ、その人の霊魂は地縛(じばく)の亡者になって彷徨(さまよ)わなければならんということになるのであります。「それなのに、自分が人を怒り憎み怨んでおった其の怨み憎みが自然と解消するように導いていただけたのは生長の家のお陰である。ありがとうございます。」というので、この人はいつまでも感謝を忘れないのであります。この人は以前出版会社に勤めていたこともあり、日本教文社の確実な校正係が欲しいと思いまして、紹介してあげたことありますが、テストの結果は、一点一画の間違いもないような立派な校正ぶりで、完全でありました。
ともかく、此の人は立派な人格者である、と私も今でも尊敬しているのであります。此の人のように、恩を知り、感謝を忘れないということはその人の人格の高い証拠で、まことに尊敬すべきことであります。
潜在意識を浄化する象徴的行事
さて、此の神示にある通りに毎日毎食実行しておられましたら、潜在意識が浄化せられますから、心の病気が治るだけではなく、単に心が安まるというだけではなく、実際に肉体の病気も治るということになるのであります。大体すべての病気は、人を憎み怒りした心の歪み----即ち「精神身体医学」で言うところのストレスが原因になっていると言ってもいい訳であります。まだ其のほかにも、「恐れる」とか「悲しむ」とか「嫉妬心を起こす」とか「むさぼる」とか「高慢な」とか、いろいろの間違いの心で肉体の病気を引き起こすこともありますけれども、大部分は、怒ったり憎んだりしていることが病気のもとになっているのでありますから、三椀の食物を手にしては「再び自分が人を怨んだり憎んだりするところの罪を犯しませぬようにお護り下さい」と祈り、一杯の飲料を手にしては、「今迄人を怒り怨みましたところの罪がこの飲料によって、流し浄められますように」とこう念じて、今までの心の習慣を洗い流すようにして飲むのがよいのであります。そうすると、そう念じただけの功徳が出て来るのです。そう念じないで、ただ物質の水であると思って飲めば、渇(かつ)を癒す物質の水だけの功徳が出てくる。けれども、それでは魂のかわきは治らないのであります。
次に「若し病人にして医薬を〜〜癒えるのである」と書いてあります。其処には「必ず」と書いてありますから、必ず治るにちがいありません。時々、「先生、どうしたら此の病気が治りますか」と言う人があるけれども、先ずこの教えを実行してもらうことが肝腎であります。ここにも示されております通り「すべての他の人の罪を〜〜許されんがためである」斯うして他の人を許したとき、自分自身の心が自己解放されることになるのであります。キリストも「汝等、人を審(さば)くことなかれ。その同じ尺度にて汝等も審かれん」と言っているのであります。自分が人を審いたならば、自分は又、ひとから審かれることになる。他人(ひと)に対して怒ったならば、自分は他人(ひと)から腹を立てられます。他人からだけではなく、神様からも審かれるということになるのであります。吾々人間は知らず識(し)らずのうちにいろいろの罪を犯したり、過ちを犯したりしています。その癖、その過ちに気がつかないことが多いのでありますけれども、「与えたもの」は与え返される法則で、知らず識らず自分の不測の災過(わざわい)となって自分に返って来るのであります。併(しか)しながら、私たちが他人(ひと)の過ちをも本当に寛大なる心で許して上げたならば「亦大生命なる神より許される」ことになるのであります。すなわち「許しを与えれば、自分が許される」という法則に当てはまるのであります。「若し吾等が心を閉じて他を許さなければ、大生命の癒能(いやすちから)〜〜出来ないのである。」と此の神示に書かれてあるのも結局は、「許さない者は許されない」「人の欠点をそっと包んでやる者は自分の欠点も包まれる」という法則によるのであります。
1246
:
義春
:2011/11/04(金) 01:14:20 ID:iu5Ar./Q
せい様
身に染みる様な御文章、有り難う御座います!
1つ1つの行ないにもっと丁寧に真心を込めていこうと感じております。
そういえば、癌で1ヶ月絶飲食の後に初めて冷たいお水を飲んだ時の、
あの喉に染みる嬉しさは忘れられません。
私もまた、人に怒り憎むの罪を往々にあり、昨晩も一晩怒りっぱなしでありました。
人の世の甚だ浅ましきを観るに嘆かわしい想いでありました。
私も、そういったものに囚われようともしておりました。
その事に、せい様の御文章を拝読し赤面の至りで重ね重ね至らぬところを反省し人を赦し、
また、心を安らげ、これからの在り方に全身全霊で向かっていきたく存じます。
真に有り難う御座います!!
1247
:
ある女性
:2011/11/04(金) 18:37:21 ID:iM0b0bt6
> 訊けさあと私を貶めた者に対してそれ相当のことをしております。
何か我の正義か友情かに波立つものがあれば、いきなり殴りかかるような
ことしかいえない。
でも猫に蹴られるタマがあるだけ私なんかよりずっと立派な人みたいだ。
なんだかお釈迦様の自分自身や法を拠り所にせよ、という話を思い出した。
1248
:
せい
:2011/11/04(金) 23:55:38 ID:Z8wtfwcM
<生長の家の食事 神示講義> <<1244 <<1245 の続き
大体、生長の家の教えは、神示がもとになっているのでありまして、神示の通りに実行しておれば病気もどんな不幸も無いということになるのであります。今回講義するのは生長の家の食事の作法に関する神示であります。
着衣喫飯みな佛法
この神示には、吾々が食事をとる時、どういう作法をもって食事をしなければならないのであるかということが示されているのであります。三度の御飯を食う位のことはただ無雑作に食えばいいんだと思う人があるかも知れませぬけれども、生活の作法というものは其のまま精神に影響するものでありますから非常に大切な事なのであります。道元禅師は「威儀即佛法」ということを言われたのであります。"威儀"と言うと、生活の"作法"のことであります。"作法"そのままが"佛法"であると言うのであります。在るいは"着衣喫飯、みな佛法"とも言われております。着物を着るのでも、飯を喫(く)うのでも、それが法に則(のっと)るとき、みなこれは佛法であるのであります。"法"というものは物言わずとも其のまま生活に実現すべきものであります。佛教と佛法とは異なるのであります。佛教というものは佛(ほとけ)の教え、又は佛になる教えであり、それは教えであるから時にはむつかしい理論を滔々(とうとう)と述べることがありますが、佛法というものは、"法"でありますから其のまま"生活"に現成(げんじょう)すべきものであります。"日常坐作進退、ことごとく法(のり)にかなう"というのが「威儀即佛法」であります。日常生活がくずれているようなことでは、いくら理論の上で滔々と悟りの心境を述べてみましても、それは謂わば野狐禅(やこぜん)で口真似をしているだけで駄目であります。飯を喫(く)うには飯を喫う作法があるのであります。そう言うと、何か型にはまって窮屈なようでありますが、別に型にはまらないでも宜しいのであります。否(いな)、型にはまらない方が「法」が自然(じねん)として出て来るのであります。その心が「法」にかなえば自然と型になって現れて来るのであって、型が先にあって人間がそれに嵌るのではない。心が自然に「法」にかなって型そのものがい!の!ち!を得て来るということになるのであります。
諸方へ講習会に行きますと、諸方のお茶の先生が私にお茶を立てて下さることがある。私はお茶の作法を習ったことがありませんから、どういう訳か知らぬが巧みな手つきで茶碗をまわすのも、「あれは何遍廻したら良いのだろう」と思ったりしても訊くのも決まりが悪く、窮屈で仕方がない。柄杓みたいなものをシューと茶釜に水を注いで「此れを見てくれ」と言わんばかりにやっているのであるが、こっちは喉が渇いているから早く出せばいいのになどと思うこともあり、こう型にはまったことをやられたのでは、面倒くさいこと限りなしと思っていたのです。
大自然が茶室の中に入って来た
このように茶道というのも型に嵌って窮屈に思っておりましたが、あるお茶の宗匠がお茶を淹れて下さるのをまためんどくさいことをおやりになるのだろうと、初めは面倒くさい感じがしていましたが、それを見ておりましたら、私は始めて解放されたような楽な良い気持ちになれたのでした。「これこそ本当の茶道だ」と思いましたね。一茶という俳人の名前をとった一茶流の宗匠でありまして、その宗匠が茶を点てているのを見ていると「そ!の!ま!ま!」という感じがするのです。少しも「構える心」がない。自然の「そのまま」という感じなのです。無理に茶の「型」をやっているという感じがしないのですね。従って、少しもぎ!こ!ち!ない感じがしないで、それを見ているとこちらの精神がゆったりして構えがなくなり、自ずから精神が統一して来て、何となしに静かな気持ちになって来るのです。そして茶のたぎる音が松風のやうにスーッと静かな響きをたてる。そして柄杓で水をくんで、やや高い目のところから落とす音が、何とも言えない渓谷にながれるせせらぎの音のようにきこえる。それをきいていると、大自然そのままが、そこにスーッと幻灯のようにパノラマのように、私の心に浮かび上がって来るのでした。その時私は始めて「茶というものはいいもんだなあ」と思ったことがあるのです。この宗匠の茶は型を行じながら型を超えて自然そのままになっているのです。お茶でも何でも型にはまっている間は駄目であります。
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1249
:
ざさ
:2011/11/04(金) 23:58:29 ID:Z8wtfwcM
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坐作進退悉く法にかなう
また別のところである煎茶の先生にお茶を淹れていただいた時に、私のところに持って来るときに手がブルブルと震えて茶をこぼしてしまったことがありました。これは宮本武蔵が細川候の御前で絵を描いて見せよと言われて、絵を描こうと思うと固くなって上手に描けなかった話と一対であります。宮本武蔵のような人でさえも「上手に描こう」と思って「構える心」になるとかえって下手になってしまうのですが、何事をするにも構える心を捨てて「そのまま」の自然(じねん)の心にならんといかんのであります。「座作進退、法にかなう」というのでなければならぬのです。座るも動くも進むのも退くのも自然に法にかなうのでなければなりませぬ。
長崎へ行きましたときに、生長の家の花嫁学校の生徒だったあるお嬢さんが茶を淹れてくれたのでした。例によって茶椀をまわして置いて下さいましたとき、いつもの作法通りに過ぎなかったのですけれど、それなのに私は始めて「これは何のために茶椀をまわすのか」という意味が分かったのです。それまでは「何回まわすのが規則なのか」と思っていたのです。ところがそのお嬢さんのまわし方には、精神がちゃんとこもっていたために、「なるほどそういう意味で茶椀をまわすのか」とわかったのです。茶の湯の茶椀には表と裏があって、表のところを尊敬する客人のところへ向けて出すのであります。愛敬の意味の表現として茶碗の表を私に向けたいという意味が、それをまわしているお嬢さんの全体の動作の上にそのまま表れていたのでした。それで初めて、そういう意味で茶碗をまわしているのだったら、こちらも少しも窮屈ではない。というわけで、のんびりとお茶を飲むことができたのであります。
そういう風に我々の動作というものは、誠心(まごころ)がそこにあると、自然とその動作が、い!の!ち!が生きている動作になって、人を感動せしめたり、ゆったりと打ちとけた感じを人に与えることも出来るようになるのであります。
食事の意義について
ところでこの食事をいただくというのは、単に肉体にカロリーを補給し、ビタミンを補給し、蛋白質を補給するというだけの意味で、食物をたべていますと、その物質によって補給せられ、その物質がかためられて人体というものになっている気がして来ますから、どうしても物質的に人間を見て来ることになります。食物で養われる人間も、摂取される食物も、それはただの物質である、というだけのことになります。「物質」が物質を食べて「人間」というものになっている。そう思って食べても毒にはならんけれども、其処には物質を超えた霊的な価値というものは出て来ない。物質は物質としてただそれだけの値打ちしかない訳であります。ところが、私たちがいただくところの食物を、そういう風な、単なる物質的カロリーの補給だとか、物質的栄養素の補給だとかだけに思わないで、その奥にある霊的生命を観て、それに感謝して食物をいただくとき、内在価値が展開してくるのであります。「人間は、肉体に非ず、物質に非ず」ということを、皆さんは、すでに『生命の実相』を読み、聖経『甘露の法雨』を読んで感得しておられる訳であります。それが既に感得されていますと「ここに斯うして聖霊が天下っているのが人間である」とわかるのであります。その「聖霊なる神の生命(いのち)」に対して、供え物を献納するところの行事が、三度の食事であるというのであります。だから其の実相を知れば、これはまことに荘厳極まりなきところの行事である訳です。だからその荘厳極まりなき行事を、そのつもりになって、食物をいただくことになれば、それはそれだけの荘厳なる功徳があるのは当然であります。
われわれは認めただけの功徳しか受け取ることが出来ない。心で受け取ったものだけが自分に摂取される。だから食物をただの食物の物質の栄養分であると思う人にはそれだけしか自分に受け取れないけれども、食物を神の恵みと観、霊的実在として観るとき、それ以上のものを受け取ることが出来るのであります。人間自身が「神の子」なる"聖霊"であって、その"聖霊"が神の恵みを供養され献上される、その荘厳極まりなき行事がお食事である----こう思って食せよ、と書いてあるのであります。
此の講義をお聴きになった今日から、皆さんはそう思って食事をいただいて欲しいのであります。そうすれば物質なる「肉体人間」から「霊的人間」に生まれ更(かわ)る第一歩が其処に出来ている訳であります。
(掲載の都合上、本筋変化なきよう一部訂正省略箇所有り。)
1250
:
義春
:2011/11/05(土) 00:02:11 ID:iu5Ar./Q
せい様
有り難う御座います!!丁度今、食事について記していたところなのです!!
物質が物質を食べるのではない…そこを私は見落としていました!
早速使わせていただきます!!!有り難う御座います!!!
1251
:
さて
:2011/11/06(日) 02:16:23 ID:MrB7WSBw
、食事の神示であるが、生長の家に関わる方で、これを知らない方はおそらくいないであろう。<<1244-1245 <<1248-1249
十一月四日のこの神示は雅春先生が一番最初に発表された神示であり、非常に大切なものだと感じていている。私が日頃お世話になっている大先生でさえ、この一節を改めて読む時までその大切さに気づかなかったのであるが、とても大切だということで教えていただき自分でもこの本文を読んでその大切さを知ったので実行している。
本文中の方のように、私自身どうもこの祈りを続けているうちに、いろいろな方とのしこりというものが心の中からす〜と消えていった感じがする。心の中ではっきりとそう感じるし、実際の機会を通してどういうわけか解消されていくのだ。
特に大切なポイントは普段の日常生活の中で、各自が実践できる形で用意されているということである。生長の家の原点がそこにあるように思える。本来のすがたをしっかりと気づくために練成会などは必要であろうが、実際にそれを生かし、さらに伸ばせるかどうかは日常の生活にあるのである。いや日常生活こそが各自の本当の鍛錬の場であるだろう。当然日々忙しさに追われているのが現状ではあろうが、それだからこそ日常の中でひとつひとつ学びを実践していくことが大切であろうと思うのです。
毎食前はむりとしても神示を読む時にその実践があるのではなく、椀をとって、一口、二口、・・そして飲み物をいただいているその瞬間に、その気持ちを持っていただくということの方が大切であろうと思うのです。どなたかと相席して楽しく会話しながらも、その椀を持った手、口に運ぶその箸、そして一噛みごとにちょっとだけ感謝と懺悔の気持ちを持ちながら、心を込めてご馳走をいただくのである。私も覚えてはいるが、許せる限りにおいては、しっかりと原文を見ながら心を込めて読んでから食事をいただくことを常として、いまやその習慣はかなり大切なものだと感じている。正直なところ、最近は食べている最中は懺悔というよりは、おいしいな〜と味わいながら、お世話になっている方々にありがたいな〜と拝むような気持ちで一口ずつ噛みしめながら食べる方が実際には多いと思われる。
雅春先生御自身が反省されておりますように、目の前のことに自分の欲するところばかり気がいっていると、なぜそうなっているのかが分からないこともあるが、その方を感じて、なぜそうされているのか、行いの中に隠れた真心として見てみると新たな発見があるのかもしれない。良く見ればいたるところにひとをもてなす心、日本人の大切にしてきた真心の表れがあるだろうと思う。また普段の生活の実際の行動の中に、真心を持って行うこと自体が良きいのりのようなものであろうと感じる。実際に動いて実感として感じてみないとなかなか肉体人間は分かろうとしないし、すぐ都合のわるいことは忘れようとするもんな。忘れる間もなくただ実践あるのみだろうか。
シャワーを浴びる時、水で流しながら、自分の罪と我(が)を洗って生まれ変わる時間が私のお風呂の時間である。そうはっきりと意識することで体がきれいになるだけでなく、心もなにかリフレッシュされる気がしている。ちなみにお湯に浸かっているときは、無限の幸せに包まれているイメージである。食事、お風呂、お掃除、そして、睡眠こんな必ず毎日行う日常の生活の中に、意識することで魂の生まれ変わり(のようなもの)を実践できるのではないかと感じている。
学びを深め、日常生活のあらゆる機会で個人的に、対人的に、社会的に実践する。まず生長の家人として個人個人が出来ることは、そんなことではないであろうか。生長の家人としては、外の方からの学びも生かし、良きものは広げていく。御教えの内外に関わらず意識して良い型を学ぶ。良いと感じる型の背後にあるものを感じとり、そこに学び皆とともに生長していく。日々日常が行じるということであろうな。
生長の家人でない人でもそういう日本の良い伝統や作法が整っている方とふれ合い、逆にそんな型のしっかりとした方と御教えに関係なく普段の知恵やその背後の精神性をお互い理解することで、より深くつながっていくのかもしれない。そのご縁を通して、より真理に触れる機会があるのかもしれない。
人間のもつ肉体的側面と霊的側面の両方から意識して、工夫創意と自覚で両方の面からものごとを整えていく必要があると感じる。雅春先生でさえも日々学びの連続なのであり、どなたでも敬うべきは敬うという気持ちがはっきりと読むにつけ感じられ改めてこの文はとても気に入りました。最後に茶道でもなんでも、極めきるところは全て道でひとつにつながっているようである。別々のことをやっているようでも最後は、ひとつの精神性にたどりつくようである。真心とひとを敬う気持ちを持ちながら日常を通して学びを大切にして日々道を極めていくことが大切なのであろう。
1252
:
義春
:2011/11/06(日) 03:39:24 ID:SjZg29/2
>>1251
さて様
御教導、有り難うございます。さて様には真に感謝しております。
これから私は組織としての生長の家から去り、自分自身の人生の課題に取り組む所存でございます。
これを為せば長生きも出来ると信じてもいます。ただ、為さざる時は没するのみとも感じております。
その課題に取り組むに当たって、さて様の御教導を胸にあらゆる事から学び、又、新生すると感じて生きていく所存でございます。
合掌、有り難うございます。
1253
:
志恩
:2011/11/06(日) 20:22:44 ID:psrFh/ZU
義春さま
義春さまは、温泉行きではなく、ご静養のためにここから旅立たれるのですか?
袖すり合うも,,,と言いますが、ほんの数ヶ月のご縁でしたけれど、お別れとは、さびしいものですね。義春さまのこと、わすれません。
貴方から、私も たくさん、たくさん、ためになることを教えていただきました。ありがとうございました。
朝夕、陰ながら義春さまの全快をお祈りさせていただきます。
でも、ここを旅立たれた皆様が、また帰っていらしているように、出来ましたら、また帰って来て欲しいと思っております。
私も、いつまで、ここにお邪魔しているか、わかりませんが。
なんたって、親友の訊け君が、一番さびしく、心細くなるわね。
おげんきで!お母様を一層おたいせつに!!
お返事のご心配なく、、、
1254
:
さて
:2011/11/07(月) 01:40:08 ID:96LDMBi6
いつもありがとうございます。
あなたさま(
>>1252
)は特にくれぐれもご無理はなさらぬよう御慈愛くださいませ。ついででは失礼かとは存じますが、今までお返事いただいた方はじめ掲示板の全てのみなさま、そして読んで下さっている方にお礼を申し上げておきます。そしてこのスレ最近私が占めてしまっておりますことをどうぞお許し下さいませ。
さて
、生命の実相の件、確かに第一の神殿であり非常にその意義は大きいのですが、さらに第二の神殿があるのでございます。いや第三までと言った方が良いのでありましょうか。ここが非常に大切なところだと考えています。
とにかく生長の家とは、実践がかなり大切なところだと思っております。
話に聞くところ(あくまで聞いた話なのでそのつもりで・・)、清超先生の時に
一般の書店に置いて欲しいという要望があったようであるが、『生命の実相』は本屋に出すと余計な経費がかかるとかで、それほど一般的には書店に出ていないようである。
今精神面を見直す流れに世間はあるようなので、一般の書店に多く出回ればそれだけでどんどん売れるのかもしれない。
とにかくは広告塔は生長の家の信徒であったわけですが、なにせ40冊と多すぎるのと、その内容の深さゆえ、分かる人には分かるが分からぬ人には何のことやらさっぱりということもあろうかと思います。ある程度の機会や素地のようなものも必要かと思います。
さらに一人では分からぬところを補う意味でも所謂誌友というものが必要であるのだと思います。
『生命の実相』それ自体の解釈になると、また人それぞれで体得のレベルによって実はこの文のここはこれこれこうだということがあり、直接体験を通してか、教えの中で知るしかない部分もあるかと思います。
さらに宗教色というものは一般的に(特にある時期以降)敬遠される傾向にあるのは、いたしかたないところで、これは完全な真理だと万民に向かって言ってもかえって聞き入れられないところはあると思います。おそらく、その意味が伝わるのは、ひととのふれあいを通して通じ通い合ったときに自ずと伝わるものではないのかと思われます。ある意味その過程を通してそこに神の愛が表れているのかもしれません。
生命の実相は古事記と密接に結びついており、古事記を分からぬことにはその本当のところは分からぬ。そんなものであろうと思います。そういった最も基本でありながら、その基本すらなおざりにされる中本質が失われていっているのではないかと思います。
古事記 すなわち 日本人の本質的な生き方をしっかりと学ぶ中にすべてがつながってくると思っております。ちなみに古事記の解釈は様々でありましょうが、前提として雅春先生の解釈の古事記という話となりましょう。
生長の家自体の一切が、古事記の解釈と実践であると雅春先生が捉えている限りは、やはり古事記は欠かせぬものでありましょうが、いろいろな諸事情により、古事記を語れぬ状況が生じてきた。
そもそも古事記イコール生命の実相であるからして、古事記がいらぬなら、生命の実相も必要ないということになるのでしょうか。
まあ、それほどまでしても今やらなくてはいけないことが何であるのかというところにも目を向ける必要もあろうかと思います。
私自身は、すべて古事記とつながっていると信じており、もっと学びを深めなくてはならぬと思っております。
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1255
:
さて
:2011/11/07(月) 01:42:17 ID:96LDMBi6
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生長の家のことに関して大先生と語る機会が多いのですが、
まあ『生命の実相』と『甘露の法雨』のない生長の家は生長の家ではない(同感)。
どんな理由があれ、用いないのはよほどのぱあ竹林で話にならん。とおっしゃっておりまして。一部聖典どころか『生命の実相』(当然『甘露の法雨』も)用いないということに関しては、さすがにどんなことになるか笑って見届けましょうとおっしゃっております。
私も笑って見届けたいところですが、さすがにそうは行かずとりあえずここに書かせていただいております。
ちなみに総裁先生の考えていることには、私自身含め大先生も理解は示しております。
(当然全面理解ではないが、森のオフィスなどの意義は大きいと感じている)
さて問題の本質はなんなのでしょか。
その本質が理解できぬ状態にあることが原因のひとつであろうと思われます。
そこまで、生長の家の本質が表面上変わってしまったことにも原因があろうが、そろそろ変わる機会も必要であろうと思います。ただし、大きく変わろうにも、現状ではなにやらいろいろな障害が存在しているのは確かでしょう。
どうも、もう一度体質から変えていく必要もあろうが、生長の家とはいったいなんなのか、どうやって始まって大元はどうなのかということを一人一人が考え始めないといけないところに来ていると思います。人類光明化運動、それは将来に渡って教団として取り組まなくてはいけない問題であり、肉などのことについても生長の家はブラジルでの信徒数などを考えるとブラジルでその動きを作るのは当然必要で、ブラジルの森林伐採の問題を考えると当然だまって見過ごしてはならずその影響力は大きいかと思います。
ただし、そのために聖典、聖経をすてるのか・・・そこはなにかあまりにもおかしいのではないかと思います。おそらくネットを利用できる世代の信徒様、そして新参者様は情報の多くをネットから利用することが多いのではないかと思います。その中でネットの情報に左右されることもあろうかと思います。
私は、自分で考えきれぬ部分は必ず大先生と相談しています。私自身ただ従うのみで聞くだけでなく、自分の新たな気づきなどは伝え、その意味を問うたりしてさらに深めています。多くの方を救ってきた経験を通して色々お互いに参考になるところを出し合っている感じです。
いろいろと具体的に動けるところは直接言えるところに伝えるということは欠かせぬようであります。学びあい、良く知るということは必要であろうかと思います。(出来るところから)古きと新しきが良く交わり理解を重ね互いに乗り切る必要があろうかと思います。それさえも、出来ない体質が既に存在しているのが問題とも言えるが、それでも何か出来ることはあろうかと・・。この山を皆で乗り越えるところに、神の見えないなにか(大愛)が大きくそのすがたを現すのではという感じもしています。努力に必ずこたえてくださるのが神と信じております。
1256
:
役行者
:2011/11/07(月) 19:06:38 ID:odX3izAU
>さて さま
いつも、適切で、しかも、的確なご指導、ありがとうございます。
文章に重みがあるのです。不思議な存在です。
今回特に、下記二点に、注目しました。再三、沈思黙考させていただきます。
>その本質が理解できぬ状態にあることが原因のひとつであろうと思われます。
そこまで、生長の家の本質が表面上変わってしまったことにも原因があろうが、
そろそろ変わる機会も必要であろうと思います。ただし、大きく変わろうにも、
現状ではなにやらいろいろな障害が存在しているのは確かでしょう。
どうも、もう一度体質から変えていく必要もあろうが、
生長の家とはいったいなんなのか、どうやって始まって大元はどうなのかという
ことを一人一人が考え始めないといけないところに来ていると思います。人類光
明化運動、それは将来に渡って教団として取り組まなくてはいけない問題であり、
肉などのことについても生長の家はブラジルでの信徒数などを考えるとブラジル
でその動きを作るのは当然必要で、ブラジルの森林伐採の問題を考えると当然だ
まって見過ごしてはならずその影響力は大きいかと思います。<
>多くの方を救ってきた経験を通して色々お互いに参考になるところを
出し合っている感じです。
いろいろと具体的に動けるところは直接言えるところに伝えるということは
欠かせぬようであります。学びあい、良く知るということは必要であろうかと思
います。(出来るところから)古きと新しきが良く交わり理解を重ね互いに乗り
切る必要があろうかと思います。
それさえも、出来ない体質が既に存在しているのが問題とも言えるが、
それでも何か出来ることはあろうかと・・。この山を皆で乗り越えるところに、
神の見えないなにか(大愛)が大きくそのすがたを現すのではという感じもして
います。努力に必ずこたえてくださるのが神と信じております。 <
人と人とのふれあいの中、気付くこともあるのですね。
私も、ここの掲示板の方々とふれあう中、いろいろ、気付かされたことがあります。
また、お気づきだと思われますが、底知れぬ情も湧いてきているのです。たかだ
か、ネットなのに、不思議です。
また、もっともっと、この掲示板をとおし、古きと新しきが交わる必要性があるかと、存じます。初心者さまが仰るよう、共有と共感がこの危機を救ってくれると信じてます。
微力ながら、人類の光明化にお役に立ちたいと思ってますので、これからも、ご指導のほど、お願い申し上げます。 合掌
1257
:
さて
:2011/11/07(月) 23:56:56 ID:HLwGhoCk
、今日はさかなになってみた。
えっさかな?と思われるでしょうが
さかなを食べながらさかなになってみたのである。
ちょっと何か作ってみようと買い物に出かけたところ
鮮魚コーナーに足が止まった。特に閉店間近でちょっと家計にやさしい値。
鰯の山が目に止まり、久しぶりに食してみよう
最近ありがとうございます。がクセになっていて食べながらも
ありがとうございます。と言っている。
実のところ、なにがありがたいのか、分からずに言っている時が多いのだが、
少し考えながら食べてみた。
小イワシは小骨が沢山あって、箸でつまみながら少しずつ頂いて
ちょっと丁寧に扱いながらじっ〜と眺めていると、少しありがたくなるような・・・。
まさかこいつの魂のいのちを食して自分のいのちにしているわけもない・・・・はずではあるが、栄養はいっぱいであろうが、細胞一つ一つにいのちが詰まっているのだろうか?いや既に死んでいる状態で買ったわけで、さらに焼かれて細胞とて生きているはずはない。
そういえば隣で生蟹を販売していて、あっ生きてると思った。
だけどあれだって生でかじれるわけではなかろう。
ゆでた瞬間にいのちは無くなっているはずである。
ゆでたてホヤホヤだとまだ魂が少し残ってるからうまいのかな・・・・。
おっとこれ以上は余計なことは考えないでおこう。
そういえば、食事をいただくということは、ただ目の前のモノを食べているだけでは
ない・・という本当にありがた〜い話があったな〜と思いながらこいつを見つめてみた。
するとそのさかなの辿ってきた道のりを遡っている内に・・・、
なんと自分自身が魚の群れに混じって泳いでいるではないか・・・。
そのまま群れといっしょに泳いでいるとなにか向こう側に光輝くきれいなたてものが
見えてきた・・・・・・はっと我にかえり気を取り戻して目の前の鰯を見つめた。
ずいぶんと長い道のりをここまでやってきたのだね と感謝のありがとうございます が魚の辿った道のすべてについて気持ちがこもった。
さて、この魚の運命について考えてみた。どうして、こいつは目の前にいるのかな。
ここにいなかったら、どうしていたのだろう。
別のひとに食べられてしまったかな。
とりあえず、私に食べられたばかりに数え切れない中の一匹として、なんと海の中まで引き戻されてしまっている。
まあ私はこいつのおかげで栄養元気をもらえてる。焼かれていのち無いのにそれを食べて私は生かされている。こいつに生かされているんだな〜。
そういえばどうやら、隣で泳いでいたお魚君は網をくぐり抜け逃げ切ったらしい。
でもずっと一生逃げ切ったら、どうやって死んでいくのだろう。
きっとやっぱり最後は別の魚につつかれるか、海の底で何かのえさになるのだろうな。
どれだけ豊かな生物で満ちあふれていることだろう。特に日本は海の幸がほんとに豊富だな〜。
そう考えると魚を育んできた海にも感謝だな。当然漁師さんにも、その船を造って下さった皆様にも・・・。この魚を漁って生計を立て、大事な家族など大切ないのちを養っている。沢山のひとが、この一匹(ちょっとおおげさかな)に支えられ、生かされている。
実はいのちってのはなんかこんなつながり、つらなり自体を言うのかな。
そんな
いのちをぜんぶ乗っけちゃうと小イワシが鯨よりも大きな存在に感じてきた。
なんかちょっと想像力をふくらますだけで感謝しきれないほどになってしまうな・・・
なにかありがとうございます がちょっとほんとにありがたくなってきた。
さっきまでこいつと思ってた目の前の鰯さまが光っているようにも見える。
そうそうそういえば何故いまこの板にいるのだろう。
ずっと続く大切ないのちのつながりのひとつがここなのかな。
いろいろあってのいまここなのだろうが、出来る前とか、さらにもっともっと
ずっ〜〜〜と遡るともとはどこにあるのかな。
自分でもできそうなことに、いまいのちを使わせていただいている。まあ感謝だな。
いつも一生懸命書いて下さる方、読んで下さる方。ネットの技術もすごいな。
これってほんとにまるで魔法だな。
あっそうだ、龍宮海・・・。
きっとキラキラとりっぱだろうな〜。
1258
:
トキ
:2011/11/08(火) 11:22:49 ID:hKCzLzOI
>>1257
さて様
すばらしいご投稿、ありがとうございます。
人間は食物連鎖の頂点に存在しています。生きているだけで、たいへんな他の生物の命を頂戴しています。
こういう事が許されるのは、何か意味があるように思います。
そうすると、今、私達は、頂戴した命に感謝すると同時に、生きている意味を考え、何かのお役に立つ
必要があると痛感します。それが神様の意思だと思います。そういう事をあらためて気づかせていただき
感謝しております。
今後とも、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1259
:
神の子さん
:2011/11/10(木) 23:14:22 ID:Q0k8TAks
生命の実相が無くても 365日シリーズとかの日本教文社の書でなんとかなりそうな気もする。
さて問題は聖経「甘露の法雨」が無くなったとしたら。本山や道場での宗教的行事には大きな支障があるでしょう。
1260
:
役行者
:2011/11/11(金) 00:50:19 ID:YEUC93mw
確かに!
トーキングスティックボードで、そのことも、話題にしましょう。
ヒント、ありがとう。
1261
:
さて
:2011/11/11(金) 23:53:11 ID:GtIcEXlo
、どうやら龍宮海に行ってきたようである。
群れから離れてキラキラと光る見事な門をくぐると、
そこではなぜか雅春先生が道案内をされておりました。なぜそこにおられたのか分からぬが、それほど気にもとめずにハイ分かりました。とただ道案内に従った。
数え切れないほど多くのひとが誰もが満面のえがおでありがとうございま〜す。と言っている。
なぜだか分からないが、心の底からそう言っているとはっきりとそうわかるのである。なにがありがたいのか分からないが、みんなで互いにありがとうございます。って言い合っている。
何か一体感に包まれて、すべてがみたされた感じがする。何本もの立派な柱を通り抜けて行くと、そこには草木が広がっていた。
何か聞こえてくるので耳を傾けると草一本にいたるまで、ありがとうございま〜す。と言っている。
耳をすますと、いろいろな草が一本一本違う声を発していて全体で見事なハーモニーを奏でていた。
近くに行ってよく見ると なんと草がにっこりと笑っていた。
じ〜っと(目を閉じて)聞き入っていると吸い込まれるような感覚に包まれて豊かな音階がまわりを取り囲んでいた。
ふと気づくと、あたりには光る大きな柱が何本も立っている。どうやら草一面の深い樹海の底に降り立ったようである。そのまましばらくの間心地良い音階の中で、それに合わせて無心にリンリンと鳴いていた。
ちょっと鳴くのをやめてみると、それに合わせて一斉に静まった。
それとともに草の海の表層で草の穂先がさわさわと心地良いなんとも言えぬ音ならぬ音を奏でているのが聞こえる。
そうだ。いつのまにか、深〜い草むらの樹海の底で、リンリンと鳴くムシになっていたのだ。遠くに自分と同じムシの音がかすかに聞こえる。もうひと月早い時期ならば、そこら一面にこだましていただろう。そのかすかな音を頼りに意識して音を響かせると応えてくれるように音を返してくれるのが分かる。
ふと上を見上げると、とてもきれいなお月様が空に光っていた。
澄んだ空気を感じながら、お月様をじ〜と見ているとなにかほんわりとあったかいものに包まれている感じがした。
そのあったかな雰囲気に浸りながらかすかな音と音を探り合うようになぜか互いに響き合わしている。向こうも同じように月を見上げているのを感じる。
そのうちになにか分からぬがなみだがあふれてきた。
特にかなしくもなく、くるしくもなく、くやしくもない。
ただそこにいるあたたかさを感じ、ただそこにいるだけで幸せな気がする。ただただとめどなく涙があふれてとまらない。
そのままじ〜とお月様を見ているうちにいつのまにか寝入ってしまったようである。
何か大きな音が聞こえて意識が戻ってきた。あっそうか、寝てしまっていたのかと自分で気づいて、おそるおそる目を開くとそこはいつもの寝室だった。
すこし寒いと思ったら窓を開けっぱなしのままである。閉じようと窓辺に寄ると窓辺からほのかな月の光りが差し込み、やや遠くから虫の音がかすかに聞こえた。
きっと貨物列車が通り過ぎた音だったのだろう。遠ざかっていく音がかすかに聞こえ、またはるか彼方に海の上の船だろうか、汽笛の音もかすかに響いている。
夢だったのだろうか。ただ、ほほとまくらがしっとりとぬれていた。なにかいっさいのものがひとつになってただありがたい。とかんじるとともに、なにかいっさいをつつむようなそのあたたかさのなかにとてつもなくおおきなちからをかんじた。なぜだかよくわからないけど、確かにそう感じた。
1262
:
うのはな
:2011/11/12(土) 00:15:50 ID:iM0b0bt6
カミ・コメ・ツチ・ヒト、その有り様
現代の日本人のどれほど多くの人間が、自己愛という名の執着に翻弄されているかを考えると、
気が遠くなる思いをする。
自己中心、自分本意、利己主義、とそれに関連する言葉を幾らでもある。
一体、何故このようなことになってしまったのか?
この件の一因として、日本人の「群れ」として帰属すべき「場」の崩壊と「場」を
中心とする「社会」の凋落が挙げられる。
ここで、日本の「場」「カミ」「社会」などについて大まかに触れてみたい。
古来、日本人は「カミ」を怖れ、敬い、奉って来た。
宗教という名を当てはめるには、あまりにも原始的なそれは、しかしカミの「心」の
支えであり、規範であり糧でもあったのだ。
当時の人々の奉る「カミ」は、大自然の威力であり、穀物の収穫の多寡を決定する者であったのだ。
(多くのアニミズムのカミがそうであるように・・・)
人々は収穫を少しでも多くしたい、その行為には「カミ」の気に入るように生活することが
必須条件、と自分たちの生活に規律を設けたが、基本的に農耕民族であったので、集落的な作業を伴うことが多く、
自然に規律も自己と他者との協同生活に於けるノウハウという意味での規律であった。
『カミ・コメ・ツチ・ヒト』 北川恵子 著より つづく
1263
:
うのはな
:2011/11/12(土) 00:35:49 ID:iM0b0bt6
1262 つづき
今のようにマスメディアの発達もなく、知識や知恵の伝達者は「長く生きた者」として「長老」連中が
当たって来た。従って、夫婦単位に分裂した小さな単位の家庭ではなく、かなり大きな単位の家庭が営まれてきた。
良きにつけ悪しきにつけ、人々はモノを考える時にいつも『自分と社会』を意識してきたのだ。
この当時の「社会」は「ムラ」であった。
人々が「群れ」を成して生活する「場」を「ムラ」と呼ぶのは至極自然だ。
ヒトが多く協同生活を送る時には、そこに個人単位の欲望を剥き出しのまま持ち込むことは出来ない。
「ムラ」には長老を核とした、権力構造もある。
このシステムに不平不満を抱いた者も多く、それらの者は「ムラ」を外れて放浪した。
放浪した先に自分が長となれる別のシステムを持とうとする者もいた。
しかし、大多数の人々は「ムラ」の相互扶助システムを自ら捨てる者であり、従ってその恩恵に浴することはない。
「ムラ」を外れるには、それだけの覚悟と力が無ければ無理な話だった。
しかも「ムラ」は「カミ」を奉る、「カミ」を頂点とした組織であった。
これを自ら捨てる者は、大変な苦労を覚悟で捨てたのだった。
この「ムラ」のシステムの中に、不合理・不条理・非能率的な部分がある、と
人々が最初に気付いたのは、明治維新の頃だった。
しかし、当時は未だ「カミ」の威信が強かったので、相互扶助システムの外で生きてゆく自信と
覚悟と力を持つ者は少なかった。そして、これは大切なことだが、「ムラ」のシステムは人々を
規律で縛る反面、その恩恵を分け与える面を忘れてはいなかったのだ。
つづく
1264
:
うのはな
:2011/11/12(土) 01:21:10 ID:iM0b0bt6
1263 つづき
大自然の力「カミ」も、その後の科学の発展で人間に制御出来ると思われ始めた。
明治以降、欧米の人間のやり方を学んで来た日本人は、科学力による工業・商業発展の
足を引っ張ると、日本の「ムラ」の不合理・不条理・非能率的な側面を嘆いた。
旧システムである「ムラ」を出ることは、「カミ」を頂点とする相互扶助システムから
はみ出ることであっても、「カミ」に代わる「科学」があるではないか、と人々は話し始めた。
「カミ」は科学の力の前には、結局、無力なんじゃないか、と人々は思い始めた。
天皇は「カミ」の代弁者であり、「カミ」の力の権威そのものだ、と人々は教えられたし、
その通りであった事実もたくさんある。
しかし、「カミ」の威信が薄れると同時に天皇の威信も少しずつ薄れて行った。
特に第二次世界大戦後、天皇は「アラヒトカミ」からただの「ヒト」におとしめられた。
同時に、人々は「カミ」を捨てた。
「科学」という新しい神の前に「カミ」は、成す術もなく沈黙していたかに見えた終戦当時の
日本の姿は、人々に「ムラ」を捨て「カミ」を捨てることの良心の痛みを忘れさせるいい口実になった。
日本人は、こぞって「科学という名の神」を奉り始めた。
何しろ「科学という名の神」を奉った国に戦争で負けてしまったのだから・・・と
人々は暗に感じてもいた。
工業・商業を発展させる為には、「カミ」を奉る農業的視野を捨てなくてはウマク行かないと人々はいいはじめた。
確かに「カミ」「ムラ」「イエ」「ヒト」という、大きい「場」から小さい「場」への流れというシステムを
遵守していては、現代日本のような工業や商業は発展しなかったかも知れない。
しかし、人々は古い習慣と呼んできたものからの恩恵を忘れはしなかっただろうか?
工業化・商業化の為に、大きい単位から小さい単位へと切り詰めてきた人々の単位。
「場」であった「ムラ」や「イエ」を、切り刻んできた結果何があったのか。
個人の欲望を剥き出しにしても、それが最小単位の夫婦の間でのことだから、
誰もその最小単位に口出し出来る故もない。
つづく
1265
:
うのはな
:2011/11/15(火) 12:54:51 ID:iM0b0bt6
おかげを数える
「感謝の心が高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく」
そんな言葉を残しているのは、私の尊敬する経営の神様・松下幸之助さんです。
私はこの言葉が大好きです。
人は、自分が恵まれていないと感じるとき、あるいは、他の人たちのほうが幸せに
恵まれているのを目にしたとき、運命を悲観したり、神様に文句を言いたくなったり、
すべてがいやになったりすることもあるものです。
しかし、本当にそうでしょうか?本当に?本当に?
そんなときは、指折り数えてほしいのです。
自分がこの宇宙に愛されていることのささやかなサインを、確かに守られて恵まれていた出来事の数々を!
どんなささいなことでもいいから思い出して、数えてみると、
感謝で胸がいっぱいになってきて、涙があふれてくることでしょう。
いいことも、うれしいことも、楽しいことも、数えてみれば、いっぱいあったとわかるはず・・・・。
もしも、痛むことや、辛いこと、悲しいことのほうが多かったとしても、
今日、こうして、ここにいて、この本を手に取っているということや、
なんとかもっとうまくいく人生をと、もっと成功する人生をと、もっと幸運な人生をと、
思う自分がここにいたとしたならば、すべては辛い道のりのおかげだったのです。
なんというありがたいことでしょう。
すべては、あなたの人生を好転に導くために、よりよく輝かせるためにあったということなのです。
“おかげを数えてみる”というそれだけで、あなたの中に感謝の思いが充ちあふれ、
大きな功徳の力がふりそそぎ、奇跡のドアが開くのです!
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます!
こんなにも、こんなにも、こんなにも、私のことを守ってくださって、
本当にありがとうございます。感謝しています。
佳川奈未 著
1266
:
うのはな
:2011/11/15(火) 13:10:05 ID:iM0b0bt6
ある知り合いの予備校の先生で、学校をたびたび首になる先生がいた。
彼は若くて、教える情熱と学力を持ち合わせた熱心な教師である、にもかかわらずである。
彼には一つ悪い癖があり、それは自分の教えている学校、そして、以前に教えた学校の悪口を
誰かれかまわず、しかも、自分が教えているクラスの生徒にさえいうことであった。
つまり、「自分はこんなに一生懸命に教えているのに、この学校は自分を評価してくれない」とか、
「前の学校はひどい学校だった」などと嘆くのである。
彼が学校を首になった原因の一つは、その彼の愚痴のせいだと私は思っている。
私たちが現在関わっているもの、それが職場であれ、友人であれ、住宅であれ、それはすべての自分の分身、
または、自分の延長であると考えることができる。
だから、現在自分がどんなにそれを嫌っているとしても、それを非難することは、自分自身の悪口をいうのと
同じことである。
自分の悪口をいう人が、豊かになるのは難しい。
もし自分が今関わっている何かが好きになれなかったら、それが自分の中の何を反映しているかを問い、
そして、そこから受け取っている最もよいものに感謝するとよいと思う。
それが、そこから抜けだす最も早道である。
高木悠鼓 著
1267
:
うのはな
:2011/11/15(火) 21:01:57 ID:iM0b0bt6
総裁と総裁代理人と書かれてる人の似ている点
いつでも自分が正しいかのように、他から批判でもなにか異見をいわれると、
他の人達に遠まわしに話題をそらす。他へ行かせたり、他の掲示板へ誘導しようとする。
これを2ちゃん的にわかりやすくいうならば「田代一!鏡!鏡!」
キケさあを貶めたものにたいして相当のことしております、ひとりごとですが?
次から実際現場で話してるつもりで書け!と怒鳴ると、
僕はもうすぐ組織をやめます、僕は傷病者リストに入っています、というように、
側近みたいなのが頼りない。
1268
:
うのはな
:2011/11/15(火) 21:33:16 ID:iM0b0bt6
あるソープランドの社長が泡姫たちを連れてよくホストクラブで遊ばせていた。
そこのホストがある日、社長と話したとき、「いつも女性陣をねぎらっていい社長さんですね」と
感心すると、その社長は「ソープランドで働く女性というのは、最初借金をかかえて
その返済のために必死で働く。しかし、そういう真面目でよく働く子ほど早期に借金を返済する金額を
貯めこみ、店をやめようとする。経営者にとってはそういう女性にやめられると損だから、
彼女達があともうすこしで借金全額返せるわ、とひといきついたあたりをねらって、ホスト遊びを教える。
そうすると今まで仕事一徹だった彼女たちはそこにはまってまた借金をつくる。
そしてまたソープで働く、というように循環するから、こうやって、女の子たちを
ホストクラブで接待しているのだと、打ち明けたという。
あちこちの掲示板であちこちの投稿記事を掲載し、議論をふっかけ、こちらへ来ませんかとばかり
誘う人もいるし、何の目的か工作かしらないけれど、世の中には色んな人がいるものだな。
1269
:
神の子さん
:2011/11/15(火) 22:35:16 ID:SHfEsqPc
ソープ嬢へのホストクラブの接待と「あちこちの掲示板であちこちの投稿記事を掲載し、議論をふっかけ、こちらへ来ませんかとばかり
誘う人もいるし」との共通点が私には解りません。
うのはなさん、あなたも自分に落ち度はないということをこの掲示板に何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も書いているではありませんか。
世間ではそのような人をネットストーカーとかアラシと呼ぶのですよ。
正直、あなたの書き込みを見るたびに嫌な気持ちになります。今までガマンしていましたが、もううんざりです。
皆、そう感じていると思いますよ。
1270
:
うのはな
:2011/11/15(火) 22:39:36 ID:iM0b0bt6
>1268
別に共通点があるとは書いてませんよ。
>1269 神の子さん、わたしもあなたのカキコミをみるたび、また、
キケさんになんだかんだといわれるたび嫌な気持ちになります。
訊けサンブログに私の文が勝手に掲載されてますが、みられないほうがいいと
思います。ここでも「うのはな」の名をみたら見ないようにされたらいいですよ。
1271
:
神の子さん
:2011/11/15(火) 22:49:36 ID:SHfEsqPc
この掲示板は、『生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える』がテーマでしょ?
うのはなさんのカキコミの多くは「訊けさん」の批判ではないですか?
あなたが掲示板の管理人ならともかく、「見ないようにされたらいい」というのはおかしいと思います。
あなたと訊けさんの争いは、本来のテーマに沿わないと言っているのです。
管理人様やほかの人の意見もお聞かせください。
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