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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

1255さて:2011/11/07(月) 01:42:17 ID:96LDMBi6
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 生長の家のことに関して大先生と語る機会が多いのですが、
まあ『生命の実相』と『甘露の法雨』のない生長の家は生長の家ではない(同感)。
どんな理由があれ、用いないのはよほどのぱあ竹林で話にならん。とおっしゃっておりまして。一部聖典どころか『生命の実相』(当然『甘露の法雨』も)用いないということに関しては、さすがにどんなことになるか笑って見届けましょうとおっしゃっております。
 私も笑って見届けたいところですが、さすがにそうは行かずとりあえずここに書かせていただいております。

ちなみに総裁先生の考えていることには、私自身含め大先生も理解は示しております。
(当然全面理解ではないが、森のオフィスなどの意義は大きいと感じている)

 さて問題の本質はなんなのでしょか。

 その本質が理解できぬ状態にあることが原因のひとつであろうと思われます。
そこまで、生長の家の本質が表面上変わってしまったことにも原因があろうが、そろそろ変わる機会も必要であろうと思います。ただし、大きく変わろうにも、現状ではなにやらいろいろな障害が存在しているのは確かでしょう。

 どうも、もう一度体質から変えていく必要もあろうが、生長の家とはいったいなんなのか、どうやって始まって大元はどうなのかということを一人一人が考え始めないといけないところに来ていると思います。人類光明化運動、それは将来に渡って教団として取り組まなくてはいけない問題であり、肉などのことについても生長の家はブラジルでの信徒数などを考えるとブラジルでその動きを作るのは当然必要で、ブラジルの森林伐採の問題を考えると当然だまって見過ごしてはならずその影響力は大きいかと思います。

 ただし、そのために聖典、聖経をすてるのか・・・そこはなにかあまりにもおかしいのではないかと思います。おそらくネットを利用できる世代の信徒様、そして新参者様は情報の多くをネットから利用することが多いのではないかと思います。その中でネットの情報に左右されることもあろうかと思います。

 私は、自分で考えきれぬ部分は必ず大先生と相談しています。私自身ただ従うのみで聞くだけでなく、自分の新たな気づきなどは伝え、その意味を問うたりしてさらに深めています。多くの方を救ってきた経験を通して色々お互いに参考になるところを出し合っている感じです。
 いろいろと具体的に動けるところは直接言えるところに伝えるということは欠かせぬようであります。学びあい、良く知るということは必要であろうかと思います。(出来るところから)古きと新しきが良く交わり理解を重ね互いに乗り切る必要があろうかと思います。それさえも、出来ない体質が既に存在しているのが問題とも言えるが、それでも何か出来ることはあろうかと・・。この山を皆で乗り越えるところに、神の見えないなにか(大愛)が大きくそのすがたを現すのではという感じもしています。努力に必ずこたえてくださるのが神と信じております。


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