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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

1263うのはな:2011/11/12(土) 00:35:49 ID:iM0b0bt6
1262 つづき

今のようにマスメディアの発達もなく、知識や知恵の伝達者は「長く生きた者」として「長老」連中が
当たって来た。従って、夫婦単位に分裂した小さな単位の家庭ではなく、かなり大きな単位の家庭が営まれてきた。
良きにつけ悪しきにつけ、人々はモノを考える時にいつも『自分と社会』を意識してきたのだ。
この当時の「社会」は「ムラ」であった。
人々が「群れ」を成して生活する「場」を「ムラ」と呼ぶのは至極自然だ。
ヒトが多く協同生活を送る時には、そこに個人単位の欲望を剥き出しのまま持ち込むことは出来ない。
「ムラ」には長老を核とした、権力構造もある。
このシステムに不平不満を抱いた者も多く、それらの者は「ムラ」を外れて放浪した。
放浪した先に自分が長となれる別のシステムを持とうとする者もいた。
しかし、大多数の人々は「ムラ」の相互扶助システムを自ら捨てる者であり、従ってその恩恵に浴することはない。
「ムラ」を外れるには、それだけの覚悟と力が無ければ無理な話だった。
しかも「ムラ」は「カミ」を奉る、「カミ」を頂点とした組織であった。
これを自ら捨てる者は、大変な苦労を覚悟で捨てたのだった。

この「ムラ」のシステムの中に、不合理・不条理・非能率的な部分がある、と
人々が最初に気付いたのは、明治維新の頃だった。
しかし、当時は未だ「カミ」の威信が強かったので、相互扶助システムの外で生きてゆく自信と
覚悟と力を持つ者は少なかった。そして、これは大切なことだが、「ムラ」のシステムは人々を
規律で縛る反面、その恩恵を分け与える面を忘れてはいなかったのだ。

つづく


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