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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
1266
:
うのはな
:2011/11/15(火) 13:10:05 ID:iM0b0bt6
ある知り合いの予備校の先生で、学校をたびたび首になる先生がいた。
彼は若くて、教える情熱と学力を持ち合わせた熱心な教師である、にもかかわらずである。
彼には一つ悪い癖があり、それは自分の教えている学校、そして、以前に教えた学校の悪口を
誰かれかまわず、しかも、自分が教えているクラスの生徒にさえいうことであった。
つまり、「自分はこんなに一生懸命に教えているのに、この学校は自分を評価してくれない」とか、
「前の学校はひどい学校だった」などと嘆くのである。
彼が学校を首になった原因の一つは、その彼の愚痴のせいだと私は思っている。
私たちが現在関わっているもの、それが職場であれ、友人であれ、住宅であれ、それはすべての自分の分身、
または、自分の延長であると考えることができる。
だから、現在自分がどんなにそれを嫌っているとしても、それを非難することは、自分自身の悪口をいうのと
同じことである。
自分の悪口をいう人が、豊かになるのは難しい。
もし自分が今関わっている何かが好きになれなかったら、それが自分の中の何を反映しているかを問い、
そして、そこから受け取っている最もよいものに感謝するとよいと思う。
それが、そこから抜けだす最も早道である。
高木悠鼓 著
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