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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

1262うのはな:2011/11/12(土) 00:15:50 ID:iM0b0bt6

 カミ・コメ・ツチ・ヒト、その有り様

現代の日本人のどれほど多くの人間が、自己愛という名の執着に翻弄されているかを考えると、
気が遠くなる思いをする。
自己中心、自分本意、利己主義、とそれに関連する言葉を幾らでもある。
一体、何故このようなことになってしまったのか?
この件の一因として、日本人の「群れ」として帰属すべき「場」の崩壊と「場」を
中心とする「社会」の凋落が挙げられる。

ここで、日本の「場」「カミ」「社会」などについて大まかに触れてみたい。
古来、日本人は「カミ」を怖れ、敬い、奉って来た。
宗教という名を当てはめるには、あまりにも原始的なそれは、しかしカミの「心」の
支えであり、規範であり糧でもあったのだ。
当時の人々の奉る「カミ」は、大自然の威力であり、穀物の収穫の多寡を決定する者であったのだ。
(多くのアニミズムのカミがそうであるように・・・)
人々は収穫を少しでも多くしたい、その行為には「カミ」の気に入るように生活することが
必須条件、と自分たちの生活に規律を設けたが、基本的に農耕民族であったので、集落的な作業を伴うことが多く、
自然に規律も自己と他者との協同生活に於けるノウハウという意味での規律であった。

 
『カミ・コメ・ツチ・ヒト』 北川恵子 著より  つづく


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