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天照 つれづれに書く
1
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/04/19(土) 20:29:38 ID:xEssvLDo0
メインスレとは別につれづれに書いてゆくスレです。
メインスレを多投稿で流さないようにするための1処置です。
2
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/04/27(日) 05:15:14 ID:xEssvLDo0
信者になって教団(教祖)の操作下に有る経験をしたことのない人にはわからない事項かもしれませんが、
信者というものは素直であれば素直なほど教団の指導方針に従ってしまうものです。
また教義は本当の仏教の内容で無いことを知らないが故に沿ってしまう。
例えば本尊に供養するという名目で道場運営のための清掃やら手伝いなどを行う。
それは何もフィルターを通さないで見ればただの教団への奉仕にしかならない。
しかしそれは何も知らない一般人の見方であって、そうではない。
自らの空いた時間を仏様のためにご供養するのであって、奴隷ではないと言われるわけです。
それを鵜呑みにするか、それとも「屁理屈だ」と言って逆らい従わないか、で道は割れます。
で、結果として従わない方が正解であるという皮肉な現象が起きているわけです。
つまりは騙されていることに気がつかない故の結果があるわけです。
騙されている方は騙されているなどと微塵も思いません。
教団の教義に従い行っているだけですから、変だと思わない。
ところがその教義が信者を使いものにするための方便で作られていて釈尊の説いたもので無いとしたらどうか?
本当の意味を知ったら誰もやらないでしょうね。
ですからエセ宗教とは如何に酷いものか、というのを実際に経験しているのでそれを公表しているのです。
人の心も金も物も操作し搾取する。本当に人というものを育て良き方向に向上させる宗教がすることとは思えません。
詐欺宗教やエセ宗教はこうやって人を騙して成り立っているのを、我々は知るべきです。
3
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/04/27(日) 05:29:22 ID:xEssvLDo0
阿含宗は皆さんご存知の通り「仏教教団」を名乗っています。しかも仏教教団というのは世界に沢山有り、
日本でもかなりの数があります。
そういう沢山有る中で「本当の仏教教団である」ということまで宣言しています。
それは仏教の歴史を知ると判りますが、阿含経こそがお釈迦様の言動録であるお経ということが言われています。
それ以外のお経は「創作経典」といわれて本当の言動録ではないと見られています。
そしてその阿含経を依経として奉じているということで内実「阿含宗こそが本当の仏教教団だ」と言っています。
ところがこれが真っ赤な嘘なんですね。
阿含経がお釈迦様の言動録であるということを盾に「本当の仏教教団である」と見せかけ名乗っているだけなのです。
ですから阿含宗は阿含経に書かれているお釈迦様の言動に反することばかりしています。
例えばお釈迦様が禁止した事項、護摩を焚くな、占いをするな、ということを平気で破って行っています。
またお釈迦様が説かないことを言い、信者にそれらを行わせています。
例えば死者供養(死者を成仏させる)ことや因縁解脱という嘘の教えをやったりやらせたりします。
本当に阿含宗がお釈迦様の言動に沿うならば、こういう本末転倒な行動をするでしょうか?
答えは「否」ですね。お釈迦様の言動に従わない教団は仏教とは呼びません。外道と言います。
つまり阿含宗は名前や建前だけで中身は「外道」であり偽仏教であり詐欺宗教なのです。
4
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/05/09(金) 14:19:15 ID:HxeGAgT60
2chにて「功過格」についてユビさんが語られていますが、ここしたらばでは私の経緯や思うところを書きたいと思います。
実は私は功過格については疎く、知り合いの法友と2chで詳しく知った次第です。
実際的に阿含宗の信仰を20数年もしていながら、ほとんど知らない状態であった私ですが、なぜにこうも「知らなさすきたか」と
思っていたら、ユビさんの説明で納得がいきました。
自分が居た阿含宗の道場内で功過格の話が出たことが法友や先達からも一切無いのです。
なので阿含宗を辞める数年前に東京の法友から聞いたのと2chで功過格のことが出てたのを過去ログから見たり、後はネットで
参照しているPをみて「ああ、あるんだ」と認識するほど疎く遅かった。
だから最初は「何の話?」と思ったほどです。
まあ同じ信仰をする信者同士なので、いきなり横からとんでもない話のようなものを出すわけがない。
おそらく自分が勉強会とかあまり出席できなかったから、見逃したり知らなかっただけだろう。
そのように思っていました。
しかし阿含宗の教学のVTRにも法話にも功過格の話は出てきません。ほとんど皆無と言っていいほどです。
ましてや先達や職員からも功過格の話はゼロです。
私の疎さを正当化するつもりは有りませんが、あまりにも出ない話なのできつねにつままれたに近いものがありました。
ですが先も言いましたようにユビさんの説明で非常に納得がいきましたね。
それですものあまりにも目に入らぬ・頭に残らぬ・話題にも出ないはずです。
密教占星術Ⅰも見ているはずですが、全然素通りしている。私の頭の隅にでも残っていない状態です。
だからネットで功過格表を見たときに逆に新鮮に感じたものですが、でもそういう感慨を感じながら疑問も出た。
5
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/05/09(金) 14:49:04 ID:HxeGAgT60
功過格が結構大事なら阿含宗でなぜにもっと取り上げてゲイカが言わないか。
また功過格の実践を促しながらも阿含宗流「積徳の大切さ」を説いても良いではないのか、と思ったものです。
まったくと言っていいほど阿含宗に出てこない「功過格」
でも密教占星術Ⅰにある程度書かれていて、説明上では大白身法云々に表を取り入れているとしながら触れないのはかなり異常な状態です。
それともこれは推測ですが功過格に書かれているようなことが積徳行為の何かに引っ掛かりがあり、思わしくなかったので引用しなかった?
引用はパクリにならないはずですから大丈夫なのに、さらっとしか言わずなのはユビさんが言うような「つまり一時的な読書から書いてみた」
といわれても仕方無い所業だと私も思います。
本当に大事で教学にしてもおかしくない、または機軸になりえるものなのにほとんど触れない。
私のような昭和の終わり頃に入信した信者でも疎いのですから、今時の新しい信者さんなら功過格を知らない人は益々多いと思います。
決して「功過格を知っているからエライ」ということではありません。
桐山靖雄という人間は持論というか主張したいことは何度でも著書でも法話でもしつこいほど繰り返す人間です。
信者経験がある人ならこのことは皆強くいえます。
しかし刹那的で一時的であまり気にかけない(興味が無い)ものや都合の悪いものには取り合わず目もくれない。
功過格がそういう代物だとは私は思わないが、あまりにも教祖が触れないのは異常に次ぐ異常さです。
ましてや「千座行」にも関わるわけですし、因縁解脱にも関わる。
袁了凡の話「陰隲録」(いんしつろく)を読むと袁了凡が功過格の実践によって運命を変える経緯による話があります。
これが阿含宗で言うところの「因縁解脱」になるわけですが、ここで気になることが。
袁了凡が成仏法が無い時代にも拘らず、功過格の実践で運命を変えることが出来た、という点です。
阿含宗は伝家の宝刀である「成仏法」が有るにも拘らず「因縁解脱」ができない。
しかし袁了凡は功過格の実践によって運命を変えたというのは誠に皮肉な話です。
6
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/05/09(金) 15:11:34 ID:q/2u9yoc0
これではアラ探しではないが現実を見ると本末転倒に近いことではないか。
それとも袁了凡はよくあたる占い師のことを信じていただけであって、元々運命は子供も授かるのであろうし、
人生も向上するものであったといいうことであろうか。
まあそこまでは考えるのは今はしませんが、成仏法1つとっても阿含宗はあまりにもお粗末です。
それこそ阿含宗の成仏法があまりにも無能でタワケなら、功過格の実践をしたほうがずっとマシということになろう。
たまたま桐山氏が功過格の実践を教団内であまり言わなかった(ほとんど皆無)わけですが、そのせいで功過格も無能、
という風に見られないで済んだ様だが、成仏法が功過格以下ではないか、ということが浮かぶとは情けない次第です。
また功過格というのをネットで見ると道教の教えだともある。
単なる教えであったものが成仏法を上回る?となれば、成仏法とやらの名称も看板も形無し、である。
尚且つ信者の積んだ積徳の行為を受け取ることに成っている「仏」とやらも非情な存在である。
阿含宗流の積徳が悪いのか。それとも元々架空の存在だからなのか、効力の程がわかりかねるのは大問題である。
袁了凡はジュンテイ尊を信仰していたそうですが、阿含宗も信仰としてはしてはいます。
しかしあまり運命を変えたという人は多くない。
実際私が20数年間阿含宗で見てきたものは、現実的に救われずもがいているか疲弊している信者が大半です。
かくいう自分もその一人であった。
私は辞める少し前に功過格・陰隲録・袁了凡を知ったので功過格を実践する由もなかったが、もしも早めに知ってたら
効果の程を試したかもしれませんね。(今はする気も無いが)
ジュンテイ尊を信仰し、積徳もしたが効果なしの阿含宗。いったいどうなっているのか?と思いますね。
7
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/05/13(火) 05:46:02 ID:HxeGAgT60
2ch阿含スレ238にて「お手配願い」のことが書かれていますね。少し触れてみます。
ユビさんが言われていることが肝心なのですが、そこに気づかない場合がある。
特に阿含宗の嘘やインチキに気がついていないわけですから騙される。
お手配願いは「モノ」じゃないけど阿含宗側が信者さんが困ったことがあった際に願いが叶うかどうか
わからないが仏様に願いが叶うように導師が祈願せしめるというサービスのようなことです。
本当に緊急に事の成就を願う「特別お手配」そこまで行かないが何卒叶えて欲しい場合は普通の「お手配願い」と分けている。
一見するとこれはとても信者にはありがたい制度のように見えるが、なんてことはない。
ただの集金システムの1つであり、詐欺です。
仏様に事の成就のお取次ぎをするという名目だが、祈願者の願いが叶おうが叶わなかろうがそれは関係ない。
仏様が「駄目だ」といえば駄目ですから幾らお金を積んでも駄目なものは駄目です。
そういう面で言えば祈願料として収める寸志は一定であるべきです。(一律\3000とか)
しかし特別に急いでお助けいただきたいことが人生ではある。例えば病気になって中々治らない。
いよいよ死にそうだ。なので助けて欲しいとか、会社が倒産しそうだなどもあるでしょう。
とにかくその方の急を要する緊急ごとに対してどうか窮地から救って欲しい=お手配をいただけるようにと願う。
だからそういう場合には金額は嵩むが祈願せしめる。また必要に応じては教祖から指導がいただける場合がある。
なので三万円という高額にもかかわらず、毎月相当数が今でも阿含宗に上がっているわけです。
祈願が成就しなくても返金はありませんが、藁をもすがるわけですから「どうかお助けを」と上納せしめる。
人の弱みというか窮地につけ込んで集金できるシステムです。
8
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/05/13(火) 06:01:22 ID:HxeGAgT60
もちろん申し込む方が申し込まなければ損もしないものですから、一番良いのは「申し込まないこと」です。
しかし「奇跡の阿含宗」とか「お手配願いで助かった」という話を聞けば、通常は申し込まないにしてもいざ何か困った際には
お願いするという人も出てくるでしょう。だから窓口だけ作っておけば黙っていても儲かるものです。
それこそ信者が困りごとがほとんど無くてお手配願いも閉鎖、なんてことになるほど幸せな信者ばかりなら無問題ですが、
そういう奇妙な教団もないのではないかと思ったりします。やはりどこの誰かがいつか申し込むことがあるでしょう。
困ったときの神だのみの如く「いざとなったらお手配願い」と信者も思っている。
だが実際的に効果の程は、とか体験談を聞けば意外と救われた例が思ったほど多くないのがわかります。
これはやはり職員だったり阿含宗の中身に近い情報を得れる人でないと中々わからない。
だから一般信者は「効くだろう」もしくは「効かなかったという人の話も聞くが緊急だからお願いしよう」と申し込む。
それが大半です。だって平素申し込む人などほとんど居ません。
それこそ何か長期で祈願せしめる必要がある方なら別ですが、多くの方は単発な願い事成就のために利用する人が大半です。
私の地域にたまたま病気持ちの方が居てその方が「延命できているのはお手配願いのお陰」と感謝し毎月会費の他に申し込んでいる人がいます。
そういう方は特殊な例でまず毎月継続して申し込んでしかも何年も続けている人はやはり稀です。
大抵は長くて三ヶ月か半年で、一番多いのはやはり一ヶ月だけの単発ですね。そういうのがあります。
ただ全国的にみると相当数になるのでこれは儲けるボロイ商売です。
祈願を請け負ってそれが叶っても叶わなくても「あがり」だけは得れる。
信者がゴタゴタいってもそれに対応できる方便がある。だから「申し込んだ方が負け」なのです。
阿含宗自体が詐欺宗教なのに気づいていないから入信しているわけで、お手配願いだけを詐欺だとは思わない。
よっぽどケチで申し込まないとか、それほど困っていない環境だから申し込まないか、なんとなく胡散臭いから申し込まないぐらいが
関の山でそれ以外は何かあったら申し込んだりするものです。
9
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/05/13(火) 06:19:05 ID:HxeGAgT60
詐欺宗教の経験がない人には「こういう簡単な詐欺に引っかかって馬鹿だからだよ」という人がいますが言うのは簡単です。
誰だって最初から嘘とわかり詐欺だとわかれば引っかかる人など居ません。無知で信用しすぎるほど人が良すぎたから騙された。
疑って掛かり入り込まなければ餌食になどなりません。
また阿含宗だけでなくどこの宗教でも名前や形態が違うだけで似たものはあるかと思います。
「助かりたかったらお金を用意して真摯に事の成就を願いながらお勤めをせよ」というように促す。
そして事の成就は必ず保障するとは言わない。それは助からなかったり成就しなかったら責任が生じるからです。
賠償まで応じますというような奇特な宗教はありません。だから必ず申し込みの際にその旨を言ってきたりする場合がある。
酷いところは告知しないで後から信者が「返金要求」や「賠償云々」を言ってきても屁理屈やら方便で対応します。
まあうまくいって信者側が得れるとすれば「元本返金」が関の山です。教団としても別に損はない。
ただそれさえもしのげば教団側の利益は得れる。また毎度元本請求に応じてたら儲けシステムも意味がない。
だからあれこれ言って信者を負かす、又は言いくるめて文句を封じるのが常です。
またそういう風に説明できる職員こそが「有能」の証でもあります。いちいち信者に文句を言われて金を戻すなら詐欺など出来ない。
阿含宗で言うなら職員がまず信者の苦情に答えてそれでラチが空かなければ、道場の責任者が来て説明をする。
勝手に返金などは普通の職員はしません。だから信者が勝つには道場の責任者である上の役職の職員に勝つ必要がある。
それ以外はまず返金はありえません。だから申し込んで願いが叶えば「御の字」ですが、叶わなければ「泣き寝入り」が待っています。
だから阿含宗に居る自体も間違いですし、その渦中にあるお手配願いに手を出す自体もアウトなのです。
ただ信者さんは嘘やインチキを知りませんから騙される。偶然手を出さなかったとかが幸いということでしょうね。
10
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/05/13(火) 06:34:32 ID:HxeGAgT60
だから本当のお釈迦様の言動を知らないというのは如何に損か、というのがあります。
本当のお釈迦様は阿含宗のようなこういった事項など行いません。
困ったことがあるからと言ってその解決のための祈願を請け負うとかはしません。
尚且つ成就のための供養料を貰うとは何事か、です。
例えば病気平癒のためのことが目標だとしましょう。
するとやはりお釈迦様でも我々と同じく医者に見てもらい治療を勧めます。
そして養生などに努めて回復を目指します。
そういうことだけでそれこそお経を唱えたり祈願のための護摩など焚かない。
まじないの類や何か宗教的なことを用いて治して目標を達成しようなどしません。
ですからもしも治療の甲斐なく亡くなったとしてもそれは「運命」として認識し死者を荼毘に付す。
そこには拝みも祈りもありません。ひたすら一般人と同じように治療に尽力し頑張る。それだけです。
結果が駄目であってもそれは因果応報であり、仕方なかったと割り切るしかない。それだけです。
勿論治って回復したら「よかったね」と喜ぶかもしれませんが、すぐに平静に戻ります。
頑張って治療した結果報いとして回復が得られた。それだけだけからです。
またそれに対して何か祈りわけでもないから御礼も見返りも要求しません。実にサラリとしている。
それこそ「治療のための示唆をしたのだから何かくれ」といったらまるで乞食です。
托鉢の際の乞食では無くて「貧しくて食い物を請う方」の乞食です。
以前何かの本で見ましたがお釈迦様はサンガで弟子たちが病気になった際、治療に励んだという話を見たことがあります。
それこそ阿含宗のような形であったらお釈迦様は弟子たちの回復は神通力か祈祷で治しているでしょう。
しかしそのような記述はありませんでした。栄養不足な信者には栄養摂取をさせたとあります。
オカルト要素など微塵もありませんでした。そしてそれが「当たり前の姿」でありましょう。祈祷などで治すほうが異常なのです。
11
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/05/13(火) 06:45:41 ID:HxeGAgT60
それが阿含宗になると急にお釈迦様が「守銭奴」になるから笑い話です。如何に全くの嘘かがわかります。
だが信者さんはそこに気がつかないわけです。
願い事をとりあえずは聞いてやる。だから供養金を納めお勤めをしなさい。
願い事の成就は考えておく。
これが阿含宗の仏様の姿勢です。これが仏といわれる存在の姿ですか。
これが仏といわれる存在のあり方ですか。これが仏といわれる存在の言い分ですか。
だからよく考えてみればわかることも、緊急事態とか阿含宗の中にある「お陰話」にすっかり慣らされて信じてしまう。
だから事の真偽も判別も出来ないで騙されてしまうわけです。
落ち着いて考えれば「おかしいぞ」とわかるものを「判らない」 ふらふらとお手配願いや護摩木祈願と走ってしまう。
これが実際的に阿含宗にある信者のスタイルです。
それこそ賭け事ではないのですから「願い事が叶うか叶わないかは八卦と同じ」でよろしいのか?です。
また願いが叶わなくても何もなしですよ?そこまでリスクを掛けて行うものなのか・・・。
だけど実際的にお陰話や窮地になると弱いものですよね。
例えばドラマじゃないけど宗教も嫌い。お陰も嫌いという人でも病気になって医学では無理、となったらエセ宗教でも治せる人を請う、
というのがあったりします。
元気だったり困窮してない人には「騙されるほうが馬鹿」と非難できますが、いざ自分にかなり困ったことがあってそれを回避できる
とあれば、やはり如何に頑固な人でも多くの人は応じたりするのではないですか。
12
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/05/13(火) 06:58:53 ID:HxeGAgT60
また頑固でない人でも平素平穏で何も困ったことがない環境の人が、何か人生上で障害があったとする。
その際に今までやったことがない「お手配願い」でも噂を聞いたことがある。
法話などで体験談を毎月発表していますからね。例祭とか会報を見ている人なら記憶にもあるはずです。
普段は接することがないものでも例えば本人が何も無くても家族の誰かが緊急事態に成った。
何とかしのぎたいがかなり事態は悪い。何とか救いを・・・と思ったら阿含宗にお手配願いがあったな。
思い出して初めて申し込んだりする人など多いのではないかと思います。
(かくいう私もそれに近い経緯で行ったものです)
勿論それで救われればよろしいでしょうが、二度三度はない。
そうするとその救われなさ(格差)に信者はガクリと来ます。
以前は救われたのに何で今回は駄目なのだ?と。
又は一回も奇跡を得れない信者さんも居ます。そういう場合も納得がいくでしょうか?
また一回は救われた人も二回目が駄目であってそのときに以外と阿含宗で申し込んだ人で効かない人が相当数いると聞き、
一回目の奇跡は「まぐれ奇跡」だったのか、と愕然とするのではないのでしょうか。
私はそういう例を道場で修行していて知ったのですが、言葉が出なかった。
あまりにも適当で惨すぎる。これでは最高の本尊も稀居なる法力の持ち主である教祖もあてにならない。
信者は何を信じてゆけば良いのか皆目わからなくなる。本当にそう思いました。
そしてその後に阿含宗の嘘やインチキを掲示板で知って納得が行く、という結果になってゆくわけです。
13
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/05/13(火) 07:15:36 ID:HxeGAgT60
だから確かに2chでも出た「金額の問題はない」とか「どこの宗教もビギナーズラックはあるよ」は確かに判る。
だけど問題点はそこではないのですよ。
阿含宗が如何に嘘とインチキとデタラメで成された教団であるか。その中身や実情を知って判別をすることが肝要なのです。
そのために回答をした人や批判者さんが随時「阿含宗はこのようである」と事実を教えているわけです。
勿論そこをどのように読み・認識し判断するかは個人個人に拠ります。
いくら「こうなんですよ」と情報を出しても「聞く耳持たず」な人(信者)も居る。
まあそういう人は好きなだけ詐欺宗教と心中すれば良いのですが、真実を知って「それはまずい」と理解する人も居るわけです。
先程から何度も言っていますが信者さん多くは詐欺宗教と知らずに入信している。
だから外部から見れば「馬鹿の集まり」にしか見えないでしょうが、ある意味そうともいえるが全てそうではない。
人が良すぎる馬鹿と無知ゆえの愚かさ馬鹿であって、頭の悪い馬鹿ではない。
また入信した人の中には家族や知り合いを信じて入った人も居るわけです。
入る前にちゃんと確認してから入るのであればよかったのでしょうが、そういうのよりも人のつながりで入った人も居ます。
ですから信者の大多数が最初から詐欺だとわかっていれば誰も好き好んで入りません。
それがわかるからこそ掲示板というところではありますが、「阿含宗は詐欺宗教だ」と呼びかけ内容を出しているわけです。
そして今回は「お手配願い」というものが阿含宗にあるわけですが、それはこういうものだよ、と説明している。
そこで普通は内容がわかれば「あ、これは講じるものではないな」とわかるでしょうし、お手配願いだけでなく阿含宗の全て、
つまり阿含宗自体丸ごとが「問題あり」なんですよ、ということに気がついて他の事項にも目を通す。
そして「ああ、詐欺宗教の餌食に遭ってたんだ」と理解し辞めることを促す。これが私の目的なのです。
だから信者さんにはお手配願いだけでなく阿含宗全般について知ってもらいたいし、気づいて欲しいですね。
そして一日も早く詐欺宗教の餌食から逃れる〜解放されるようにと願っている次第です。
14
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/05/25(日) 02:30:34 ID:HxeGAgT60
私が色々欺瞞を知り「目が覚めた」ということの事項は結構有ります。
つまり数種あるということで、何故そんなにあるかというと阿含宗で覚えさせられた(やらされた)ことが内容が多岐にあるからです。
そしてそれに対し明確に答えたのが批判側の諸兄様方であり、釈尊でもあります。
その数ある事項の中からチョイスしてみて「勤行」を見てみると、この勤行〜旧千座行(現仏舎利尊行)に「何かある」と見ていたことです。
本当の仏教を知らない私は当然教わる全てが初めての事でしたし、この教わったものが秘法であり信仰の要になる大事なものだとしていた。
ところがこれが全くの嘘でデタラメであったときのショックは計り知れないものがあります。
つまり講じても何ら意味が無く、せいぜいフラシーボにしかならない行為・代物であったということです。
このことが判らず未だに信奉し祀っているのが欺瞞を知らない信者さん、もしくはオカルト好きの錯誤者たちということです。
桐山氏が大分前から言っていた「架空の存在を拝んでどうする」ということを良く理解してない人が多い。
この単純なことに気がつかないのですから、騙されるわけです。(過去の自分を含めて、です)
まず考えてみてください。
本尊は何か?です。 本尊は「ジュンテイ如来」ですが、これは架空の存在です。実在しません。
まずこのことが全く判っていない。
次に「いや、ジュンテイ如来は応身という変化身だから本当は釈迦如来を拝んでいることと同じなんだ」というでしょう。
ですが、これが桐山氏の組んだ「トリック」なのです。
15
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/05/25(日) 02:36:05 ID:HxeGAgT60
変化身というのは密教の世界での観念です。つまり方便でもあるわけです。
それが釈尊自身がそうお説きになるなら問題はないが、一切説かれていない。
何故なら阿含経のどこに変化身の説かれた箇所があるかを探せば良い。全くないのですからありえません。
尚且つ密教は後期大乗です。釈尊滅後に後世の人間たちが勝手に作った観念であり嘘です。
だから法の化身である大日如来も架空であり、唯一本当の如来は「釈迦如来」だけでありそれ以外は皆偽物〜架空の存在です。
その架空の存在を拝んで何をするのか?です。
また勤行に要となる「宝塔」ですが、こういったものを拝むことなど釈尊は弟子たちにはやらせていません。
そして宝塔で得る要のものは何かというと「解脱と宝生」です。これを得るために日々行を行う。
しかし釈尊はそういう指導など一切説いていません。
ましてやその解脱とは「因縁解脱」を指しています。因縁解脱というのは全くの造語で釈尊が説かない観念と教えです。
ですからもう最初から外道の教え・観念を「仏教の教え・釈尊の教え」として嘘をついて信者らにやらせているというものなのです。
つまり釈尊が説かない教えと作り物をありがたがって拝んでいる奇妙な輩が阿含宗信者である、ということなのです。
これはある種「本当の仏教の内容」や「釈尊が説いた正しい内容」を知らないから騙されている方は仕方ないが、それ以外に自ら
好んで現仏舎利尊行を行っている人は、ある意味「ヤバイ存在」なのです。
嘘の教えと観念を好みそこに埋没し酔っている。行じても何も効果が無いのに「喜んで祀り拝んでいる」
それこそ道端に落ちている「石」を宝塔として売っているのを喜んで買ってそれを拝んでいるのと大差がないわけです。
そしてこの石を大切に敬って信仰する。奇妙な人間のキテレツな行為なのです。
16
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/06/12(木) 05:46:29 ID:HxeGAgT60
だいたい釈尊が「千座行」なるものを教えたわけではないことに気がつかない自体に問題があるのです。
確かに阿含宗の勧める「千座行」(現在は仏舎利尊行)だけでなく、何か行する際には「千」を区切りにして勧めるものがある。
千日回峰行にしてもそうだし、大黒天法というのもあってそれも千日行ずる。するとご利益に預かれるのだそうだ。
千日も同じことを継続して行うというのは確かに大変な作業です。
しかし問題はそこではなく「釈尊が教えた解脱という内容と示唆が正しいものかどうか」が要だと思うのです。
だからいくら何々行だの秘法だの持ち出したり行じても、それが正しい仏教のものでなければ邪教・邪道・外道の講じだという事です。
つまりやっている本人は「仏教の何々をやっている」と錯誤しているだけで、それは仏教ではない。
尚且つ仰ぐ諸尊はヒンズー教の尊たちです。つまりは極端に言えばヒンズー教を講じていることになる。
仏教徒ではなく「ヒンズー教」の信者であることになるわけです。
本当の仏教を講じなければ仏教を講じているとはいえません。仏教もどき、もしくは仏教ではないまがいものを講じているのだ。
そこに気がつかないでありがたがって拝んでいるだけで、個人的な信仰でしたら構いませんが、せめて「私は仏教を講じている」とは言って欲しくない。
釈尊の顔に泥を塗り厚顔無恥をさらけ出している阿呆さ、丸出しだからです。
世間の人が仏教に疎いのをいいことに無知全開です。知識のある人に言ったら「馬鹿か?」といわれて失笑を買うか呆れて去られるだけです。
17
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/06/12(木) 05:55:49 ID:HxeGAgT60
また千座行のどこに秘力があるか、です。
実際請じてもこれといったことがなかったのが私を始め、知り合いの信者さんらにも共通してある事項です。
教祖の言うとおりに行じ続けてきたが何もない。何も無いのなら最初からやらないと同じです。
ゼロにいくら数字を掛けてもゼロなように、講じても意味のないオブジェに何を成しても結果はゼロです。
あるとしたらその人がウン日掛けて力の限り拝んだ、ということだけでしょう。物好きとしか言いようがない。
それこそ人形やおもちゃに拝むのと同じです。よほど頭のイカレた人でなければそういうことなどしないが、宗教に狂うとそれがまかりとおる。
仏舎利という名目の低劣な宝石(月光石)を拝むと解脱宝生の力が得られるんだ、と信じて拝んでやまない。
尚且つ拝んで得られる行為を釈尊が勧める??? 釈尊の本当の姿や教えた内容を知らないからそういう「たわけ」ができるわけです。
私はいつも言いますが仏教徒であることを言いながら、「釈尊関係ねえ」ということを平気でする。
欺瞞を知らないで嘘を講じている人は別です。欺瞞をいくら説明しても蛙の面に水の如く「だから?」とこちらを馬鹿にした態度をとる。
結局、その人は釈尊など・本当の仏教など関係ないのです。自分が思ったことやナモナモすることが楽しくてしょうがない。
効果のないことをやっているのにそれを価値のあることと錯誤しているので、そこから離れたくない。
オカルト宗教大好きだから、真実に目を向けない・理解を示さないのです。もうこうなると救いようがありません。
だからそういう人は死ぬまで・・・いや転生してもそういうオカルトを追っかけることでしょう。
私は確かに仏教に疎かったがお釈迦さまという存在を仰いでいた。正しい仏教を知っていたら阿含宗などに入らなかった。
本当に人生で一番のミスは「阿含宗に入ったこと」と「詐欺宗教に身銭と労力を費やしたこと」です。
これさえなかったら家族で旅行したり別な楽しみを味わえていました。
先祖を供養したいとかが目的でしたが、釈尊は「死者はその人の赴くところへ行く」といわれていたとは露ほども知らなかった。
正しい仏教を知ってたら世に遍満するオカルトは自分で一掃されていた。本当に残念で成りません。
18
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/06/12(木) 06:14:52 ID:HxeGAgT60
だから釈尊は「拝んで何かを成す」ということは教えてないのだと理解することです。
私はいつも思い出すのですが、欺瞞に気づいてない時期(在籍していたとき)に宗教嫌いの人と論じたことがある。
また父親もそういう面が強い人だったので、よく反発しあった。
宗教嫌いの人によく見られるのが「拝んで何か成す」という姿勢が大嫌いなのだそうだ。
つまり何かに依存してそれで何かを得ようとする姿勢が嫌いだと。
こちらにすれば「そんなことはしてるつもりはない」のですが、向こうからすると「している」のだそうだ。
このすれ違いがかなり平行線になって決着が付かなかった。
私にすれば現世利益も欲しいことは欲しいがそれよりも先祖の完全成仏が欲しかったわけです。
つまり先祖供養メインで阿含宗を講じていた。
ところが釈尊自ら「俺は死者をどうのこうのできないよ」というのを知ったらどうなるか?
ああ、先祖供養だの完全成仏だの全く嘘だというのがわかるわけです。
だから一生懸命講じても「騙されているから終わりだよ」と無宗教のやつらに負けたとも思った。
つまり本当の釈尊の言動を知れば無宗教に成らないでも彼らの言うことは正しかったと知ることが出来たわけです。
無知というのはここまで哀しい思いするわけです。
19
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/06/12(木) 06:29:36 ID:HxeGAgT60
確かに父も無宗教の知り合いも仏教に疎いですから正しい内容を示すことは無かった。
だから反発しあって激論したことがあります。
もしも無宗教の人で仏教に詳しかったら、そこの時点で欺瞞に気づくきっかけを掴んだかもしれません。
結局彼らが言うには「ご利益目的で拝まないのは偉い。だけど先祖の安穏を願う(得る)ために行をすることは拝むことと同じだ」
そのように言うのです。そこが自分には腹が立ったし逆に「あんたらは中身を知らないからだよ」と思っていた。
ですが本当に中身を知らないのはどっちでしょうか? 正しい仏教と欺瞞を知ったら阿含宗の宝塔には「何も無い」ことがわかる。
いや、宝塔だけではない。仏舎利も諸尊も講じる行為全ても何もかも「繕い」ですから虚構です。
それを一生懸命拝んでいたのですから、「ほら、それみたことか」といわれるのは当然です。
内容を示せないでも無宗教の人の勝利です。バカはこちらだけがみた。
いくら真摯に拝もうが、何年掛けようが結果はゼロなのです。先祖も成仏しないし、解脱宝生なんて真っ赤な嘘です。
第一お釈迦さまが「そういうのは説いてない」というのが一番のショックだった。
阿含宗が正しい仏教教団であるというから信じたのです。それがほとんど嘘である。偽仏教教団と知ったら講じれるか?
なんでこういうことになったかを調べてゆくと、教祖が詐欺で儲けてエラクなりたいというエゴのために作ったものであったのがわかった。
そこへ自分らが見事に騙されて入ってしまった、ということでした。
だから講じても意味がないのですから、辞めるしかない。
なので早速やった行動は「勤行をやめること」でした。まずはそこから始めて後は退会をどうするか。
それは自然退会系で行いました。長年染み付いた講じ癖を取るには結構難儀しましたが、それも時間を掛けて解きました。
そして辞めてからも考察を深めて今に至ります。
20
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/06/12(木) 06:44:49 ID:HxeGAgT60
話は戻りますが、阿含宗は講じても意味がない宗教であるというのを知るべきです。
もちろんそれを知るということは阿含宗に存在する嘘というのを認識・理解するということが必須ですが、それから進んで
「阿含宗は講じても意味がない」これをちゃんとわからなければ意味がないと私は提唱します。
つまり逆を言えば「講じる意味や価値がある」と思うから阿含宗の信仰をするわけです。
それがあるからこそ、やる意味がある。
ところが実際にはないんだ。尚且つ本当の仏教ではない。
阿含宗は他の教団や仏教宗派を「正しい仏教ではない」と批判して存在している教団です。
阿含宗こそが正しい釈尊直説の成仏する方法と力を持っている、と謳っている。
それが本当か嘘かを知るということです。
本当であれば講じる意味があろうし、無ければ講じるに足りないということです。
私は何故講じる意味がない、というと教祖の主張はほとんど嘘だからです。
本当の仏教の内容を知って照らし合わせれば、それは判ります。
わからないのはその人が真実を知らないか、オカルトが好きだという贔屓があるからです。
私もかなりの強く教祖の良い分を信じていたが、阿含宗に存在する矛盾や不整合な事項らには疑問を感じていた。
その解決がちゃんとできたのは、批判側の示す情報〜つまり正しい仏教の内容でした。
阿含宗の中にある教祖の言い訳や説明だけでは解決できないものが、あっという間に解決できた。だから嘘はやはり嘘なのです。
真実が嘘を暴くことが出来る。釈尊の言うことはやっぱり正しい。それが判ったわけです。
21
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2014/06/12(木) 06:57:25 ID:HxeGAgT60
釈尊は無宗教の知り合いと同じこと言っています。
拝んで何かを得ようとすることが仏教ではない、と
仏教の要は解脱すること。つまり煩悩解脱をして仏陀になり究極的には涅槃へ入ることです。
そこには先祖成仏もないし、現世利益もない。もちろん浄土のような来世成仏もない。
宝塔や仏舎利を前に拝み祀ることもない。諸尊もないし釈尊さえも拝めというのもない。
ひたすら自分の煩悩解脱のために精進し修行をする。
そこにはお金がかかるわけでもないし、教祖にへつらい沿う必要もない。
拝むのではない「自分を見つめ自分を鍛える」そういうのが本当の仏教の示唆です。
戒律を守りながら自分というものと自分の煩悩を制御し究極的には滅してしまう。
仏陀になるということはその修行の末に成る状態・境地です。
また一旦仏陀になったからと言ってそれが永遠に成るわけではない。陥落もあるのです。
ですから仏陀になったら死ぬまでその状態を継続しないと意味が有りません。
単純なようで非常に大変なものなのです。
これらを見て「ああ、拝むとかはないんだなあ」というのがよくわかりますね。
仏教開祖の釈尊さえ拝まないというのですから、如何に巷にある宗教が毒されているかが判りますね。
本当の仏教というのは「自分との戦い」なのです。
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