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俺の記録庫
1
:
考える名無しさん
:2015/08/13(木) 14:14:22 ID:QToXdQkM0
魚拓みたいなもの。
773
:
考える名無しさん
:2017/09/25(月) 21:44:20 ID:ZZVKU.B.0
クラウドファンディング史上最高額でアニメ化が決定された「ディエス・イレ」が今秋期に始まる、ということだけを「あんまりアンテナ力を張らない」俺的に気にかけていたが、その他の作品の動向が騒がれていて、
ことの本質は、まだまだその表層には無いのだろうな。と思う。
774
:
考える名無しさん
:2017/09/25(月) 21:53:37 ID:ZZVKU.B.0
ナチス掲げを本格的に行う「ディエス・イレ」がクラウドファンディング史上最高額で公共放送に登場、という
これについての問題や危惧は過去に沢山書いたが、
燃え系からセカイ系そしてReゼロなどの異世界転生系の流れを掴んだ俺は、画像の作品の会社の作品が無名のままな理由が気になっている。
775
:
考える名無しさん
:2017/09/25(月) 22:10:14 ID:ZZVKU.B.0
深読みとして、
「アニメシーンにも、リアル政治シーンの政権交代・解散総選挙の熱狂を」
津田大介解説で有名な「ポスト・トゥルース」と東浩紀の「ゲーム的リアリズム」を絡めたシーン展開をKADOKAWAが行っているというケース。
東浩紀を嫌いになった理由のひとつ。→こういうノリ
あの団塊ジュニア世代(チーマー世代)の悪ノリ感は、本当に好きになれない。
そいつがDQNだろうがチーマーだろうがオタクだろうがガリ勉だろうが変わらない。
776
:
考える名無しさん
:2017/09/26(火) 01:08:35 ID:ZZVKU.B.0
入れるのに手間がかかるコーヒーの代わりに、と思って、カカオ70%のチョコレートを数日前に買ってみたのだが、
一粒食べると数時間苦い。なんか体調悪くなる気がする。
しかし、まだ確信を持てないので、今から今日の一粒を摂取する。
777
:
考える名無しさん
:2017/09/26(火) 01:20:23 ID:ZZVKU.B.0
ああ、にがい。
コーヒーと成分被っているのに、口の中で全部溶けた後に、なんかパサパサな魚の焦げを食べた後のような嫌な苦みがずっと残る。
頭も重くなる。
集中力が落ちる、というか、発動がキャンセルされる。
水飲んでもにがいまま。
778
:
考える名無しさん
:2017/09/26(火) 01:32:23 ID:ZZVKU.B.0
オレンジ色の野菜ジュースを飲みまくって中和した。
あのチョコレートを一気に10個とか食べたら、母親の犬と並んで危篤状態になってしまう。
779
:
考える名無しさん
:2017/09/26(火) 10:10:41 ID:ZZVKU.B.0
もう「やまびこ現象」なのか何なのかよくわからないが、
数日前に衝動的に手に入れた中古ゲーム(内容知らない)を進めていたら、
悪霊が見える主人公と幼馴染みヒロイン。家族ぐるみの付き合いの日常が長々と描かれる。
幼馴染みが殺される。心を病み悪霊を探し、殺した犯人を捜す主人公。
場面は変わり、3年経った日常の一コマ。
主人公と会話している幼馴染み。学校へ行く。欠席者がいる。殺されたようだ。
その死者の生徒が見える主人公。
幽霊として主人公と行動を共にしている幼馴染み。
死者にも平等の人権を -な「流れ」が、俺が感じ取っている「何らか」のかたち。
この状況を受け入れられるのって、幽霊と会話するのが日常な霊能者だけだろ。
心をどのように落ち着けて、その状況を楽しめば良いのかわからない。
統合失調症の幻覚妄想による現実逃避なら、それで良いんだよ。
逃避ではなく、現実と同期している場合、このリアル現実の捉え方が本当に変わる。
780
:
考える名無しさん
:2017/09/26(火) 10:14:54 ID:ZZVKU.B.0
すなわち、「死者に対して偏見を持つな」という意識を、現実的に受け入れる必要がある。
それを行うことに拒絶反応を示してしまう。
だがそれも慣れの問題とするならば、いずれは受容できるはずだ。
その状態まで自己をフニャフニャにしないといけないようで吐き気がする。
781
:
考える名無しさん
:2017/09/26(火) 21:37:44 ID:ZZVKU.B.0
危篤で入院していた母親の犬が死んだ。
という知らせをメールでもらったので、母親に電話をして聞いてみた。
昨夜中に悪い知らせが来るかな、と思っていたのだが
今日の午後3時頃に心臓の具合の急変が起き、獣医から母親へ連絡が入り、
このことがきっかけで母親は病院に駆けつけ、まだ頑張っている犬に直に会うことができた。
母親の元、心臓マッサージをされる中、母の犬、りんごちゃんは息を引き取った。
「そう悪くはない別れで良かった。聞いて安心したよ」
と俺は母親に告げた。
自分の意思では犬の最期に会いに行こうとしない母親に、会いに来させた飼い犬りんごが最期に振るった力が世界を変えた。
りんごにとって最高のかたちでこの世を去ることができた。
これより良い別れが思いつかない。
782
:
考える名無しさん
:2017/09/26(火) 21:54:06 ID:ZZVKU.B.0
3行前の文章について、文法的にも論理的にもおかしい感じがするのだが、この世の摂理は「時間を超えている」(俺のやまびこ現象のように)だと思う。
それ故に、その少しおかしな文章が、現実そのものを描写しているように思う。
書き直そうとしたのだが、因果関係はこれ以上ほぐせない。
現在母親は亡くなった飼い犬の亡骸を引き取り、家に持ち帰り、埋葬するまでの間を共にしている。
「死別の瞬間」以降は、母親の主観的な感情の増幅だから、そこの部分に俺が言うべきことは何もない。
しかし、なぜ俺は「死」に対して直感的に迷うことなく行動できるのだろうか。理由はわからない。
783
:
考える名無しさん
:2017/09/26(火) 21:58:37 ID:ZZVKU.B.0
うーん。俺は死から離れた場所で生きることはできないのかな。
どういう価値なんだろう。その「死の輪郭のエキスパート」って。
偉いのだろうか。大人なのだろうか。温和しいのだろうか。平和なのだろうか。
ただ、ひとつ確信していることは、「緊急事態」なほど、俺が指揮を執ることになる。
784
:
考える名無しさん
:2017/09/26(火) 22:15:44 ID:ZZVKU.B.0
さて、「殺された幼馴染みの幽霊がパートナーとなって街の怪事件を究明していくゲーム」の続きをやるか。
俺にとっては、「ゲームをやること」が「獲得すべき必要な体験」になっている気がする。
「死のフィールド」を「リアル社会」側の中で体験しまくることは無理なんだろう。
っていうか、
ていうか、なんで俺は「死のフィールド」について、更に親和性を高めないといけないのか?
くそ。この流れがむかつく。
俺は「やまびこ現象」を俺に与える「妖精」の思いのままなのか?
同時に、俺自身の中に「これを見せたい。これを聞かせたい。これをやりたい」というものが無いのも事実。
社会でドン引きされるような不可思議現象を扱う人に求められる資質は「至って常識的であり、どこも狂っていない卓越したバランス感覚」だと思う。
その正常な点に錨をおろすことで、どこまででも遠くに探索にいける。
その命綱なしで探索に行くと「宇宙に放り出された宇宙飛行士」になってしまう。
785
:
考える名無しさん
:2017/09/26(火) 23:20:58 ID:ZZVKU.B.0
リツイートについて。
目にしたTLに並んでいたRTをリツイート。
この「話題」についての苫米地氏は、10年経ってもぶれないなあ、と思った。
俺の行った海外美大も、政府直属のシンクタンクっぽく機能していたけど、
「学生個人によって通過の難易度が違う」事実を知っているので蟠る。
まあ、でも、
苫米地氏「アインシュタインは何千億分の一の確率の存在。努力してアインシュタインになるのは無理」
別事実「アインシュタインは米トップスクールのPh.D課程出ではない」
この2つの命題からそのRTで示される賢さ・教育水準が普遍的知性の水準についてではないことがわかる。
786
:
考える名無しさん
:2017/09/26(火) 23:37:36 ID:ZZVKU.B.0
茂木氏と苫米地氏は仲は良いのかな?関係は薄いのかな?意識的に重ならないようにしているかな?
俺は「東浩紀のことが嫌いだ」と公言できるところまで情報空間を整理したのだけど、たまに苫米地氏の友人の宮台氏にRTされるという、5色囲碁で変な風に挟まれた状況を、どうしようかと思っている。
5色囲碁とは俺が今思いつきで作った架空ゲームだが、碁石の色が白黒2色ではなく5色5人で打つ囲碁。
チームを組んだ青と黄色に挟まれると石が取られてしまったり、とか、そういう臨時同盟が戦略に活きる囲碁。
不公平をなくすために、フォローをして、けれども、四六時中苫米地氏のRTを目にしていると苫米地氏についてお腹いっぱいになるのでRTをミュートする、という方針で行くかな。
787
:
考える名無しさん
:2017/09/26(火) 23:39:25 ID:ZZVKU.B.0
はい。事務的に処理を完了。
788
:
考える名無しさん
:2017/09/26(火) 23:43:37 ID:ZZVKU.B.0
俺が忘れてはならないのは、現在俺は、9年に一度の最悪運気年を生きており、12ヶ月で一番運勢の悪い月を生きているということ。
これが「最悪」から見える景色だ。
789
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 00:03:12 ID:ZZVKU.B.0
例の「電車と水滴の絵」の高校生の絵師のTLに目を通す。
「この人は『現在の自分』を最高潮の自己として確定(そこで静止画の自分写真を撮ってしまうこと)を望んでいない」と感じていたのだが、その通りであることが読み取れる呟きをしている。囲いの人はそこまで理解してないっぽい。
いや、でも、ちょっとシンクロ反応がうっすらと感じられるので、「俺」は「偶然の海」に戻ってしまいたい、とも考えている。
今年の3月から5月位まで茂木氏との間にシンクロ反応が見られていたのだが、いや、それもあって、今茂木氏のTLに全く目を通していない。
まっとうな人間として生まれたかった。
なんか変な力があるのは、生きにくい。変な力とは、学力とか人間力とか芸術力とかではない目に見えない不可思議な力。
思い過ごし・考えすぎであるのなら、それに勝るものはない。
だからこそ、そのあり得ない自己の設定について嘆く。
どちらに転んでも、俺の求めるものになるのだから。
790
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 00:27:22 ID:ZZVKU.B.0
かなり前の物だが、亡くなった犬、母親の飼い犬の写真を見つけた。
791
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 00:44:31 ID:ZZVKU.B.0
リツイートについて。
TLに浮遊していたものをRT。
これが「やまびこ現象」を呼ぶ、「書籍のタロットカード化」行為だな。
これが進行すると、「妖精」がそれら「ミディアム」を通して語りかけてくるようになる。
語りかけてくる「妖精」が魅力的な美少女だったら良いのかな〜?とか思ったりしたけど、
今手を付けている「殺された幼馴染みヒロインが幽霊なままパートナーとしてちょくちょく現れるゲーム」のリアリティに苦しんでいるので、
「妖精の中の人」ついては問いたくない気持ちでいっぱいだ。
792
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 02:04:26 ID:ZZVKU.B.0
筋トレ最中に途中離脱して書いている。
やばい。片腕12.5kg、両腕2つで25kgのダンベルが重すぎて戦慄・困惑している。
10回x5セットのうちの30回は終わらせた。後の20回の成功率が博打だと死ぬ。
その後に他3部位分が残っている。
一番高さのある最初のが一番きつい。
793
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 02:09:15 ID:ZZVKU.B.0
ダンベルの重さ変更直後の「この落差」が、毎度毎度怖いんだよな。
慣れると大丈夫になるのだが、まず最初に「慣れていない時の最初の困惑」の脳への衝撃がもの凄い。
もう、最初は「休みながら」や「不完全」なままでも良い。とにかくやり通せば、そのうち「普通に苦労できる」ための総合力が付く。
794
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 02:39:58 ID:ZZVKU.B.0
ようやく残りの20回を終わらす。
足が滑ってダンベルを持ち上げたまま転びそうになった。
後3部位残っている。
ダンベルを頭上に腕を伸ばした状態から「肘を曲げて肩まで降ろす」という部分が筋トレ部分なのに、「腕を伸ばすまで持ち上げる」ところが一番つらい。持ち上がらない。
筋肉は、本当に、「負荷分」しか付いていない、ということがとてもよくわかる現象だ。
今まで合計20kgでは難なくできていた。その数値を少しでも超えると、それを支える筋肉が物理的に存在しないので、この世の終わりのような危機感を覚える。
795
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 02:44:15 ID:ZZVKU.B.0
本当は0.5kg刻みで重さを増やしていけると良いのだけど、ダンベルに装着する重りの種類から一気に2.5kg上がるというのが今回の問題点。
背骨への負担がある。これを解決するために、先に背筋を付けないといけないのかもしれない。
「工程」を更に細かく見直して、丁寧に行うことで回避か。
796
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 03:20:54 ID:ZZVKU.B.0
もうひと部位終了。あと2部位。
最初の部位以外はそれ程きつくはないので、進める目処は立てられる。
筋トレ合間に漫画を読むスタイルは継続中。
アニメ「琴浦さん」のオリジナルの漫画「琴浦さん」を入手して読んでいたのだが、結構細部がアニメと漫画で異なるな。
アニメ監督というのは、
普通の映画監督と同じで、
色々なシーンが録画されたテープを、ばーっと全部広げて見渡して、シーンを細かく切り貼りしながら、その録画内容を語彙にして改めて自分の言葉で文章を綴る、
というような作業をする人だな。
故に、監督特有の「言い回し」が生まれる。
797
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 03:22:01 ID:ZZVKU.B.0
アニメ監督というのは、
普通の映画監督と同じで、
色々なシーンが録画されたテープを、ばーっと全部広げて見渡して、シーンを細かく切り貼りしながら、その録画内容を語彙にして改めて自分流の文章を綴る、
というような作業をする人だな。
故に、監督特有の「言い回し」が生まれる。
798
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 03:25:45 ID:ZZVKU.B.0
映画監督にとっての「シーンの録り置き」が、アニメ監督だと「原作の漫画」であったり「ラノベの文章」であったりするわけだな。
どちらかというと、「編集者」属性なのかな、「監督」って。
799
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 04:09:22 ID:ZZVKU.B.0
筋トレ全部位+1が完了。
普段30分で行っていることに2時間かかったな。
労した時間分だけの負荷が上がったと考えられる。
普段の2倍のプロテインも取りながらやっていたが、早速腹が減る。
今からコンビニに行ってこよう。
800
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 05:14:01 ID:ZZVKU.B.0
コンビニ行った帰りに拾ってきた、いちょうの木から地面に落ちたての新鮮なギンナン。白っぽい質感がとても良いのだけど、潰すと臭いという知識が扱いに困らせる。
背骨と背筋が早速痛いな。
801
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 08:49:30 ID:ZZVKU.B.0
自宅で栽培したりできないものか、などと考えていたのだが、写真のギンナンが早速凄い臭いを放ち始めたので、やむなく路上の土の上に置いてきた。
くさいのだけが問題ではなく、
その臭さがギンナンの実から染み出る透明な蜜から発せられているのを確認したので、虫が寄ってくるのを憂慮した。
802
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 08:59:04 ID:ZZVKU.B.0
「死後の世界」との連続的な世界観について考えていたのだが、
この世の世界であまりにも幸福になってしまうと、死ぬときにその幸福すべてを手放すことに恐れと悔しさと丸裸にされる己の弱さを強く覚え、死後の世界に持ち帰ることのできる唯一のもの=「志向性」みたいなものが陰鬱な質になる。
世の成功者が「不老不死を目指す」というのは、とても「猿レベル」なビジョンであり、スケールであり、そのレベルでは進化はまだまだ先の先、といった感じになる。
この世を手放し区切りを付けたいと思うだけの飽きと嫌悪と軽蔑心も養わなければならない。
普遍的な健全な身体を求めるのならば。
803
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 09:04:42 ID:ZZVKU.B.0
俺の人生が「死」に近すぎる。
804
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 09:12:20 ID:ZZVKU.B.0
そして、追い打ちをかけるように忍び寄る「殺された幼馴染みが幽霊となって出てくるゲーム」のシナリオ。
俺がこのゲームに影響されて「死」について考えているのではないのは「母親の飼い犬の死」が同じタイミングで発生していることにより示されると思うが、にしても因果を超えた一致なんだよな。
805
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 09:21:44 ID:ZZVKU.B.0
この世を住みやすくした結果、人類はどうするつもりなのだろう?
結局死ぬのだけどな。
ここの計算は記述省略するが「餓鬼界の波長の魂が増える回転」が「この世を住みやすくする方向性」なのだと思うんだな。
死ぬときに食らう絶望の大きさが、その波長の魂に仕上げる。
806
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 09:26:02 ID:ZZVKU.B.0
ちなみにこれらは宗教的な話ではない。
VRやARの延長線上にあるリアルな話。
いやあ、でも、精々未来予知どまりのスケールで行くのかと思ったら、まさかの死後の世界まで含めるビジョンへの拡大を要請されるとは。
807
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 11:00:26 ID:ZZVKU.B.0
>「歩き出すとすぐ転んでしまう。でも車椅子は利用したくないし、入院、入所も嫌」という高齢者が望みどおりに安楽死した事実を知らされた。
diamond.jp/articles/-/134…
死の「価値」の決定以前に、死の可否を「法」で決める「生者の社会」に思考力は残されているのだろうか。
「自由意志」とはいえ、それは無意識を含まない「自分が思い込んでいる狭い領域」についてでしかなく(それ故に俺は心理学の自己申告制の診断テスト類を一切信用しないが)、
「法」というのは意識(無意識ではない部分)の、脳における石灰化した部分なのかな。
「死を取り扱う法を問題視する」
という考え方ではなくて
「法が死を取り扱う という事態自体を問題視する」
という見方でないと、
この猿人類文明が進化しない。
思考に「法」を含める時に発生する「脳の怠慢」をまずは指摘して、「その事項においては怠慢してはいけない」と導く必要がある。
808
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 11:14:29 ID:ZZVKU.B.0
「法」というのは「生身の人間が全力を尽くす」という言葉と「対(つい)」になるのかな。
俺はとにかく「法」という存在と概念が生まれたときから嫌いで、破らないにしろ、その精神に服従して法学徒となるようなことは考えられないのだが、最初から「法」を俺は相対化して見ている可能性がある。
人体構造の内部に「法」が存在しているのならば、その対称性というよりかはフラクタルな構造から法の存在を肯定できるが、人体内をミクロとしたとき、人体間でしか効力が生まれないその「法」というものは、「マクロ世界」だけのルールなのか?
動物と人間を区別するためだけの知恵なのか?
人間は背伸びしすぎ。その無理が祟っている。
そんな(低脳な)人類を相手に生きるのが面倒くさすぎる。
809
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 11:21:05 ID:ZZVKU.B.0
俺の場合は(被暗示性の高さは関係なく)「暗示が解けやすい」という体質が、もうあらゆることを脱線させまくる方に考える要因となっていると思うが、
暗示が解けてしまったら、そのかかっていた状態を馬鹿馬鹿しく思うのは、これもまた自然なことだと思っているのだが。うーん。
810
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 11:27:13 ID:ZZVKU.B.0
完全に盲目な人の持つ「輝き」のイメージは、一体どんなものなのだろうか。
これにおいて、五感の他の有効な感覚が共感覚で体内で視覚として感じさせるものは除くとする。
即ち、可視光線の無い空間において、人間の精神は輝きを保っていられるのだろうか?
言葉遊びではなく。
811
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 11:36:00 ID:ZZVKU.B.0
「音に輝きを感じる」とかそういうのは全部「共感覚の仕業」として除外して考える。
「クオリア」としての「輝き」を独立して存在させたものを求めるために。
これの思考実験をするには、「他者の視点から物を見る」などを遙かに超えた想像力が必要だと思う。
「光のない世界で「輝き」をどう定義するか」
とも言い換えられる。
それを比喩止まりやポエム止まりを超えて、人体と世界の関係を直接記述する形で言い表せると、次に進めるように思う。
「輝き」という質の本質は、光学的なもの以外のところにあると思う。「動き」をもたらす何かがある。
812
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 11:41:38 ID:ZZVKU.B.0
光速度は一定と考えるのに、輝きは「動き」を生む。
このあたりから、単純な「イメージ上」の矛盾を粗探ししていける。
光の世界の「メタ世界」がまだ発掘されていない、ということ。
そのメタ世界は確実にある。
表現できずにいる猿まね人類は、まだ最初に真似るべき相手を見つけていない。
813
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 11:48:31 ID:ZZVKU.B.0
むしろ、逆もありかもしれない。
輝きは、「動き」を止める。
感知する存在に主観を与えた場合、その状態を強く感じることができる。目が留まる。
言葉遊びでも心理効果としてでもなく。
言うなれば、自由意志を否定するどころか、その自由意志の全てを想定可動範囲に含んで物理法則とした形。
814
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 11:53:39 ID:ZZVKU.B.0
更に別視点から最初の命題を批判する。
輝きが動きを生むのは、光速度が不変だからこそではないのか?と。
輝くとき、光が目に入る。
光が目に入るとき、何も見えない。
だからこちらが見る角度を変える。
だから動いて見える。
「見ようとする」こちらの性質が生んだ性質なのでは?と。
815
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 11:57:44 ID:ZZVKU.B.0
いや、そう無理に考えるのなら、
輝いている「もの」は例外なく、当たる光が常に動いているか、表面を反射させるそのもの自体が常に動いている。
と考えるのがシンプルだな。
ならば、「輝き」というイデアや元型は無い、と言い切れるのだろうか。静止画的に存在する輝き。
あるな。◇みたいな形
816
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 12:00:43 ID:ZZVKU.B.0
まあ、今日中に答えは出ない。
このことが、「死後の世界」と何らかの関係がある。という感じで全部繋がっている。
じゃあ、逆に、「輝いている『法』」があるのなら、是非見せて欲しい。
輝いている『全力を尽くしている人間』は沢山見かける。
817
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 23:24:03 ID:ZZVKU.B.0
なぜこういう記事がタイミングを合わせて登場して視界に入るのか。
tocana.jp/2017/09/post_1…
俺は輝きが光で表されない場合を考えていたが、
この記事の研究発表では、光コンピュータにおいて光子は速すぎて処理に困るので光を音に置き換えて処理するというものだ。
上手く表現できないが例えば午前中の輝きについての思考みたいな俺の「煮ても焼いても食えないようなくだらない思いつき」に対して、世界のほうが「同期してくる」みたいな現象を「見たくない」「現実だと思いたくない」という気持ちがある。
俺はどこか、完全に放置されてこそリアル、と思っている。
しかし俺が生きている間で完全に放置されたことはあったのだろうか。
もしかすると、「完全に放置された」と思い込んだ瞬間がリアルであったり、
「完全に放置される」願望を持ち続けているだけなのかもしれない。
それは「近隣の騒音は無い方が良い」というのと同じ思いかもしれない。
818
:
考える名無しさん
:2017/09/27(水) 23:46:50 ID:ZZVKU.B.0
「完全なる放置」は「人間関係的な待遇」という枠組みではなく、より唯物論的に目に見えないものがこの世のあらゆる要素に影響しないという決まりを肯定しようという心構えだと思う。
そこでシンクロニシティやセレンディピティみたいなことが当然の様に発生すると、意識を物理法則に加える方向に。
物理法則に相反する力として自由意志が想定され、その自由意志の存在が決定論とぶつかる、
という話のはずだった。
セレンディピティやシンクロニシティが普通に発生する世界は、自由意志が物理法則の一部の世界だ。
反論の余地無く決定論的になる。
運命とも呼べる。
人の意志や無意識が、物理的に他者に物に世界に作用するのなら、「我々は完全に放置されることはない」ということが言える。
この結論を俺は最初に持っていて、そこを覆す「希望」として、「完全に放置される」という願望を持ち続けているのかもしれない。
819
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 00:16:48 ID:ZZVKU.B.0
美術やってるという時点で「頭のおかしい人」「残念な人」「社会不適合者」という認識が社会的に持たれ、同時に美術やってる人達はそういう「キチガイ」レッテルを貰えることを誇りに思っている。
音大出ると潰しがきかないと音楽人は焦るけど、美大出の人は社会的に不要な自己に焦りすら感じない。
もっと細かく見ると、
最近の美術家は「人権屋」っぽいと思う。
何かと反差別を題材にしたり。
その社会のゴミみたいな自己に自覚し始めてきて、そんな自分が変わらないまま社会に自分の居場所を設けよう、みたいな運動が蔓延している。
性器露出はアートだから法で裁かれるのは不当だ、とか。
「法」に対して「駄々を捏ねている」美術家。
俺は、今日の午前中に書いていたように「法」よりも絶対的な法則の発見によって、「法により縛られる社会」を超えようという方向性。
似ているようで、目線は結構違う。
美術家。駄々を捏ねている人達が「未だ目標未達成」な状態のまま、仲間内だけの空間では「既に目標が達成されたルール」で生きるので、いわゆる「ネトウヨ」みたいな形になっていく。
カルト宗教の感じに近い。
820
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 00:42:14 ID:ZZVKU.B.0
美術は、学問体系として「文脈主義」に偏っており、「フランス現代思想」の方向に進んでいく。
「フランス現代思想」は「反科学」が根底にある。だから、何言ってるのかわけがわからない。ハイコンテクストな内輪でしか通じない言葉でノリで進めていく。
科学には、普遍的な理解の基準がある。
821
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 00:46:00 ID:ZZVKU.B.0
オタク文化批評家東浩紀が、低学歴オタクをターゲットに批評本を沢山出していた感じだが、
これはえげつないビジネスだよね。
こんな本読んだところで、その読者は批評家にはなれない。
批評家になりたかったら東大卒業して東大院で博士号取るべきだ。
言論内容が無意味なのだから。肩書き。
822
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 01:09:14 ID:ZZVKU.B.0
東浩紀は自分では「自己啓発本は嫌い」とか言いながら、自分が読者に対してやっていることは「自己啓発本が読者に及ぼす効果」と同じ効果(その気にさせるだけで決して実現できないという決定済みの結果)を与えることだからな。
搾取していて哲学していない。
まじでアインシュタインだけが救いだよ。
アインシュタインは一般読者を搾取するような本は書いていない。
なんで現代の知識人は、搾取する本ばかり書いているのだろう?
真理解明よりも収入を重視している「社会的な」人達だからだろうな。
知性や学問以前に、人間として生きる目的が違う。
俺の、「俺個人の問題点」は、このように魂や意識や目標が「輝き」すぎている、ということ。
もっと曇らないと。もっと灰色にくすまないと、社会の濁流という栄養ドリンクを飲みながら生存できない。
823
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 01:30:14 ID:ZZVKU.B.0
俺は、「科学信者」なのではなく、「純粋に、そして下心無く進む人」に「輝き」を物理的に非主観的に感じるということであり、
そういう輝いている人としての代表例として、アインシュタインなどの科学者が上がってくる、ということになる。
これは読解ではなく理解されるべきこと。
824
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 01:36:57 ID:ZZVKU.B.0
まあ、同じ次元で語っていても、全く埒があかないので、
前も書いたように、
「神秘体験世界空間」と「芸術空間」を分けて格差を設けた。
科学的、つまり、皆にとって共通の真理を基準に現実を語れる、この状態は文脈依存の芸術空間では無理。
その先の神秘体験の共通言語化により到達する算段。
825
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 01:59:09 ID:ZZVKU.B.0
>後年公開された資料では、ミレーバとの破局はアインシュタインの家庭内暴力が一因であり、病気を患った息子に対しても非常に冷淡な態度を取り続けたことが公表されている。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2…
アインシュタインについて確認していたところ見つけた描写。
アインシュタインが現代に生きていたら、先に社会的に抹殺されて新理論の発表どころではなかったかもしれない。
826
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 02:10:02 ID:ZZVKU.B.0
この形(画像引用の構図)があるからこそ、
「周囲の肩書きある『やや賢い人達』の言うことに従って生きるのは危険」という意識がある。
自分が信じたことは、周囲の反応を無視してでもやり通す意味・必要性がある。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2…
827
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 02:34:28 ID:ZZVKU.B.0
この試供品を食べてみたら、かなり旨かった。まだ食べ続けている。
ピーナッツ。コーヒー味。
828
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 02:36:37 ID:ZZVKU.B.0
とまらないな、これは。
今、強力な「意志」を使って、食べるのをやめた。
これは嗜好品の条件をかなり満たしている気がする。
829
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 02:53:40 ID:ZZVKU.B.0
結局、湯を沸かして、豆を挽いて、コーヒーを作って飲んでいる。
830
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 03:05:23 ID:ZZVKU.B.0
ネタとして実際のことを書くと、
10年位前に沖縄の「ユタ」(その地方の霊能者みたいな人)に見てもらったときに、
「(俺に)祖母の霊がいる。けれども下半分がない。どうしてなのかわからない」と言われた。
不可解な霊の世界が見える人達にも不可解な状況が発生する模様。
謎は深まるばかり。
831
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 03:12:07 ID:ZZVKU.B.0
閑話休題。
昔から俺は、聡明さで行くのか創造力でいくのかハッキリさせたかったのだが、そこにオカルトチックな力という別物が現れて、もっとわけがわからなくなった。
アインシュタインは、結局のところ、大学を「駆け込み寺」にすることができた。
この駆け込み寺の所在が「宗教心」だと思う。
832
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 03:14:59 ID:ZZVKU.B.0
アインシュタインの宗教観を画像引用。
833
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 03:22:55 ID:ZZVKU.B.0
そこに至る経緯は異なるのだが、俺の言う「神秘体験世界空間」というものと、アインシュタインの言う「宇宙的宗教感覚」というものは、かなり近い感じがする。
大きな違いとしては、「宗教」を意味ある存在(変数)としてアインシュタインは語っている。
俺から見た「宗教」は、先述の通り、「大学」がアインシュタインを救った、故に己に存在意義を与えたその組織「大学」が、その己にとっての「宗教」である。というものだ。
いくら教授と喧嘩別れをして在野となっても、論文を提出できるという「手段」が「与えられていた」わけで、その状況が救い。
834
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 03:40:07 ID:ZZVKU.B.0
そういう意味では、社会福祉の充実や(社会復帰というよりは)各機関への直接的な通信手段の確立が「次世代の宗教」とも考えられるのだが、
勿論そうなると人々が取り組むべき事柄は決定してくるのだが、
しかしその場合そこまで当たり前なことを「宗教」と呼んで特別視することに違和感を感じる。
835
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 07:51:49 ID:ZZVKU.B.0
オタクを弄って話題性を得るのは良いけど、
>僕はこれからも引き続き「人間」の方々のみと手を取り合い
部分の論法と姿勢が
JASRAC理事長「『カスラック』と言う人たちは議論の相手ではない」
http://lite-ra.com/2017/08/post-3415_4.html
…
と同じなので、
・感じ悪い
・重複して退屈
fate論の俺さんが追加
山本寛 @yamacane_0901
ブログ更新しました。 お詫び
https://lineblog.me/yamamotoyutaka/archives/13155421.html
…
836
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 08:29:25 ID:ZZVKU.B.0
アインシュタインの「人格」について調べてから、
世間の知識人達、博士達が、アインシュタインの生活習慣&モットーをマネることにとても勤勉な様子を感じ取ってしまい、
そんな「優等生」的秀才な現代のエリート達に、少し、残念な気持ちが生まれた。
アインシュタインの次は、やっぱり「スティーブ・ジョブズ」なのかな。
「人が真似できない卓越した存在」は。
偉人はもれなく左利きだから、優等生エリート知識人は、「右利きを辞めてみよう」とは思わないのかね。
俺は高校の時の部活のパートナーを超成長させるために、ジャポニカ学習帳を買って、左手で五十音と漢字の書き取りをさせてた。
なんか右利きって、冒険をしないよね。根底を崩そうとしない。
生活をぶっ壊す。現実をぶっ壊す。その一手をワンクリックするだけなのに、どうも立ち止まってしまうように見える。
ループもののゲームは、結構その左利き的世界観を持っていて、
「この日常は、また繰り返すのだから、もう好き勝手にやりまくって良いだろ」って感じではじける臨場感を得られる。
この一度しかない人生を、何度も繰り返している退屈なループする人生と仮定して、やりたい放題やってしまう。
これが左利きの魂。
837
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 08:41:20 ID:ZZVKU.B.0
俺は左利きではあるが、レオナルド・ダヴィンチの鏡文字を書くデバイスを考案し(装着すると鏡が額のところに来る帽子型ヘアバンド)、この鏡を見ながら「普通に」文字を書くと、紙面上では逆さ文字になるのだが、書くとき手の動きが鏡面に見える方向とは逆になる。これで書く練習すると吐き気が凄い。
この吐き気を乗り越えると、まあ、一皮むけるわけだな。
筋トレでいう筋肉の追い込み時の凄い辛さみたいなのが、精神活動において吐き気として表出するのかもしれない。その壁を突破すると先に開けた空間がある。
838
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 14:18:38 ID:ZZVKU.B.0
今、アコースティックギターを弾いていて「良い音だな」と思って弾き終えたところで
「幻想的な音のするアコギが欲しいな」と思ったのだけど、
俺の「好き」判断回路はいかれていると思う。
結構、これは深刻な問題だな。浮気性とかそんな単純な形の飛躍じゃない。もっと恐ろしい。
839
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 14:21:53 ID:ZZVKU.B.0
なぜAについて「良い」と思った結果として「A以外の良いもの」をほしがっているのか。
ラカンの理論でも、この核心には掠りもしないのではないのだろうか。
840
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 14:28:36 ID:ZZVKU.B.0
これが辰巳天中殺の「心が満たされない」という「天上の欠如」なのかな。
凄い感じでその満たされなさの軌道が確認された感じだ。
満足度99%まで直線。そこから100%にいくかと思いきや、グラフの線が消えた。
841
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 14:38:03 ID:ZZVKU.B.0
満足度100%を精神世界とすると、「辰巳天中殺が精神世界を持たない」というのは、常に99%未満の状態に閉じ込められている、ということだ。
おおお。これ、きついな。
要は、オルガスムが存在しない世界ということだろ。
辰巳のアインシュタインが絶対に笑わなかった真相に接近か。
842
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 14:44:35 ID:ZZVKU.B.0
俺の家族や身の回りに辰巳が沢山いるからわかるのだけど、
辰巳の人間の持つ雰囲気って「常に臨戦態勢」「常に現実ゲームをプレイ中」といった一人称視点な覇気というか殺気。
その質と理由が解明されつつある。
843
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 14:57:56 ID:ZZVKU.B.0
単語一つで表せと言われればpresentだな。
辰巳がリアリストで行動・実績重視、という占術上の定義とそのpresent一語が展開する世界観が一致する。
自分がabsentになることがない。
精神世界は己にabsenceを与えた状態だ。天上が欠けるとはabsenceが無い。
これに対して、反対のものを欠いている戍亥天中殺の人は、常にabsentなわけだ。現実に不登校。
なるほど。
わかってしまったな。
戍亥天中殺の人が「いいね」を押して何をしているのかを。
雨漏りしてくるオルガスム状態の部屋の壁と天井を補修する紙をペタペタと貼っている感じだ。
844
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 15:02:35 ID:ZZVKU.B.0
辰巳の「飽くなき探究心」は「永遠に満たされないが故」の「必然的な推進力」として解釈できる。
つまり、もの凄い動力を持っているわけだ。何かを求めていくという行為に対して。ガソリンが切れない。
俺は、自分はスタミナが無いのが弱点と思ってたが、実はスタミナが切れないみたいだ。
845
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 15:10:12 ID:ZZVKU.B.0
うーん。
単純に言い換えると、その「天上」「精神世界」とは「自分だけの世界」ということだな。
俺には「自分だけの世界」「ロマン」とか「無い」。これは自信を持って宣言できる。
自分一人で幸せ・極楽を満喫する形は、俺にはあり得ないな。自己を満足させることは虚ろ過ぎる。これが辰巳か。
846
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 15:25:45 ID:ZZVKU.B.0
ではなぜ先程、アコギで「良い音」と思った直後に「別の良いアコギ」をほしがったのか。
脳内を探索すると、その「良い音」の手持ちのアコギを、誰かにあげたくなった、という感じだな。
これは良い音だから人にあげる。だから自分は別のが欲しい。こういう理屈だ。
辰巳の性質の他に、先天的な自己犠牲と奉仕の色も少し混ざってる気がするが。
辰巳が組織のトップになると波乱を巻き起こす、というのは、満足しそうな状態が100%で飽和するとき、全く満たされていない0%時の貪欲性が突如現れるから、だな。
つまり、
辰巳にとって満足度とは、0%と100%が結ばれた帯、トーラス型をしている、ということだ。
多様体である、と。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A…
時間ループものも、関係ありそうだな。あれも時間の始点と終点が結ばれた帯だ。
始点と終点を結んだもの(時間でも満足度でも)をトーラスと考え、これが「天上」が欠けた結果であるとすると、
欠けた部分は、「ドーナツの穴」の部分なのではないか?と、各々の論理のメタ視点から考えられる。
つまり、穴が埋まると、多様体としての形状が変わり、数値増減の法則まで変わる。
847
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 15:36:46 ID:ZZVKU.B.0
「多様体の曲率により分断する感じ」は、「微分可能ではない箇所探し」と似ているな。
848
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 15:45:31 ID:ZZVKU.B.0
社会に存在するそれぞれの専門分野の用語と書式で組み立てられた知識を、幼稚園児でも理解できる統一言語でわかりやすく全部説明するプロジェクトとか、地球規模で開始すべきだと思う。
それが一番、情報量の圧縮の効率アップに繋がると思う。
今のままでは200歳の魔術師が更なる延命を望む道。
200歳の魔術師は、全てを知り尽くし完成させるには200年では足りないと結論し、寿命を延ばす方に研究を進めていく、というデッドエンドルート。
難しいことを理解できるボクは凄い!みたいな背伸びを早く辞めて、「わかりさえすれば簡単なこと」を最初から簡単に記述する方法を開発すべき。
849
:
考える名無しさん
:2017/09/28(木) 15:56:36 ID:ZZVKU.B.0
なんかもっとこじんまりとしたドリームを持ちたいな。どうして、いつも言うけど、スケールがでかくなるのか。
全然うれしくない。
俺個人が満たされるところからどんどん離れていく。
そして、先程言ったように、俺個人が満たされることは虚ろである、と予め定義している。
拡大が決定路線。
喩えると、
個人経営の飯屋でも営んで慎ましく幸せに暮らしたいな、と一瞬思いながら、
実際にしていることは、フランチャイズ化して全国展開。自分はどの店舗にも身を置かず、どこか関係ないビルにあるヘッドクォーターの執務室に居る、という状態。
850
:
考える名無しさん
:2017/09/29(金) 00:41:54 ID:ZZVKU.B.0
「立体図形の重心の位置を知るとわかる。」
という謎の一文は何を意味するのか。
「満たされないこと」が決定した世界の中で、とまることなく追求し続けた結果、諸々の語っていたことは上記の一文として描写でき、「バランス感覚」があるのならば、必然的に導かれる答え。
それはあらゆることに当てはまり、例えば、「俺が数学を専門的にやっていない」という実際も、「その重心位置」から必然的に取られる「座標」となる。
得意分野を伸ばす人と苦手分野を学ぶ人の違いとでも言うのだろうか。
天秤座の月を象徴するかのような、価値判断についてのこだわり。
851
:
考える名無しさん
:2017/09/29(金) 00:48:44 ID:ZZVKU.B.0
ここはあえて筋トレで喩えるとわかりやすいと思う。
例えば、身体部位Aの筋肉をとても大きくしたい。
この部位Aだけを大きくするのは難しい。
他の身体部位の筋肉を増やさないと、その部位Aの筋肉が大きくならない。
鍛錬の実践を可能にするためと身体構造上の理由の両方から。
立体図形のどこかの頂点を、どこかしらの方向に伸ばしていく。
これが現実上で人間達が行っていることだ。
そして、この行為と成果は「幻想」だ。
実体は「重心位置の座標」だ。
先端を伸ばすことで、重心がどっちに移動するか。そっちが大切。
852
:
考える名無しさん
:2017/09/29(金) 00:55:55 ID:ZZVKU.B.0
もっと現実的な例え。
例えば、ある人が「私は〜な人になりたい」と思っている。
それを思っている現時点の座標(重心の位置)から見て理想的な自己の未来像だ。
実際、その〜な人になるべく努力を始める。
その己は重心について自覚がないので、重心の座標をずらしてしまうような動きをする。
その実際の努力の結果、手に入れた〜な人な自己は、当初想像していた〜な人とは異なっていた。
これは、「目標の設定の仕方に失敗していた」という言い回しをするのが現代社会的かな。
「〜な人」の定義が曖昧だった。
故に、具体的に定義しなかった部分が削がれた形で達成される目標となった。
ちょっと、自己実現の啓発書っぽい内容になってきたな。
それらがどういう原理なのかは知らないが、俺は俺が見つけたこの世の真相を描写していく。
853
:
考える名無しさん
:2017/09/29(金) 00:59:10 ID:ZZVKU.B.0
なんか変な願いの叶え方をする悪魔が象徴化されていると思う。色んな名前と物語で。
例えば、「一億円くれ」と願うと、「親が殺されて一億円が手に入る」みたいな事物の動かし方をする悪魔。
この悪魔は人間なんだな。
立体図形(自己の広がり)の重心について無自覚な人間そのもの。
854
:
考える名無しさん
:2017/09/29(金) 01:21:01 ID:ZZVKU.B.0
逆に言うと、自己実現の自己啓発書が「成りたい自分になるために」するべきこととして、「具体的にその自分を思い描いて、ノートに毎日その自分を描写する文章を書く」みたいなことを「やれ」みたいに書かれている。
そんなどんな原理かもわからないことを実行に移すのは難しい。
「重心の位置を気にしながら立体図形を描け」と言われれば、俺は即座に理解する。
逆に更にわからなくなる人もいるかもしれない。
だが、物事の原理や構造さえ見えれば、やるべきことは自然と見えてくる。このこと自体が「乗るべきビッグウェーブ」だろう。
文章だけの理解(文字通りのアスペ的な平面的な解釈)だけで説明すると、
幼児が「野球選手になりたい」(宣言A)と言ったとする。
この宣言Aの意味は「父と母がいて幸せで何不自由ない現在に追加する形で」という意味を含んでいる。
そういう含みを、願いの宣言の形に含めなければいけない。
含まれるそれぞれの事項を、それぞれの願いとして扱うと、それだけ頂点の多い多角形となる。
この多角形の重心の座標が、「一点にしか立てない『己』」という存在が居る場所だ。
簡略化した例。
「父と母の両方共と仲良くしたい」
これが願いだとする。
父と母と2つの頂点を既に宣言文に含んでいる。
よって、自己の座標は重心位置の「父と母を結んだ線の中間地点」となる。
この「バランス」は弄れない。力学。弄りたかったら頂点を増やして重心位置を変える。
855
:
考える名無しさん
:2017/09/29(金) 01:23:20 ID:ZZVKU.B.0
これが「人生の弄り方」。
自己啓発書とかが回りくどいことを書いている・させるのは、事の神髄を提唱者が理解していないか、知ってることを人に理解させる気がないのか、そんなところだろう。
856
:
考える名無しさん
:2017/09/29(金) 01:26:51 ID:ZZVKU.B.0
ということが、仮眠中に、夢の中で自動的に計算されて示された。
その夢で得たことを書き留めている、という感じになる。
「夢」凄すぎるな、勝手に思考を進めてくれるな、全自動だな。これ、もはや俺の手柄ではないんじゃないのか?とか思う。
857
:
考える名無しさん
:2017/09/29(金) 01:33:43 ID:ZZVKU.B.0
そこから発展して言えることは、
次元を上げるためには、省略できない頂点、がある。ということか。
平べったい世界観では、
「苦手分野もできるようにすべきだ」みたいなことになるが、「なんのために?」を説明できない。
自己という多角形の次元数を上げるための頂点として必要だから。
858
:
考える名無しさん
:2017/09/29(金) 01:35:22 ID:ZZVKU.B.0
「飯を食うのを省略して生きよう」としたが、無理だな。
「飯食わなくていいかな〜」と思っていた時間分、食事時間がずれる結果となる。
実らない努力はするだけ無駄。
859
:
考える名無しさん
:2017/09/29(金) 10:23:31 ID:ZZVKU.B.0
リツイートについて。
TLで見かけたものをRT。ここ最近アインシュタインについて考えていたところだったので。
「次のアインシュタイン」という「表現」が「NOTアインシュタイン」な質を示していることに引っかかる。
「優秀さ」と「突破力」が一般社会において区別されるまでまだ遠い。
また、そういう知見とは別に、
5千億分の1の確率の存在のアインシュタインの「次」を、完成前から予測できてしまう「現代社会」の見る目って、アインシュタインよりも希少な確率の存在ってことになると思うのだが。
「そう呼ばれるとアインシュタインにはならない」というフラグになってしまう。
飛び級早熟で非の打ち所のない逸材ってことならアインシュタインではなくてニーチェのほうがその形だ。
しかし、ニーチェがニーチェたる存在になったのは、そう早熟で世に出て、学会でいきなりタブーに触れた論文を提出して学会追放されて、将来が破滅して「から」だ。
まあ、「東京ドーム100個分」みたいな表現としての「1アインシュタイン」という単位なのはわかったうえで、細かいことを言っているだけ。
ただ、「優秀な人」の「熟れ時」「収穫時」が「大成前」、「将来への期待感が現在最高潮な今」っていうのが、なんか色々間違ってると思う。
860
:
考える名無しさん
:2017/09/29(金) 10:29:12 ID:ZZVKU.B.0
その「Next Einstein」の英語記事後半、「女性として」という言葉が目立つのが、
、、
もう、こうやって持ち上げることが「女性差別」「ハラスメント」なんじゃないのか?と思う。
861
:
考える名無しさん
:2017/09/30(土) 01:32:35 ID:ZZVKU.B.0
「洗脳」について改めて考えている。
変な方向から。
苫米地氏の生きているレベル(セレブというよりは貴族的な)には出自からの格差があるので「別世界の人」と俺は能動的に区別して認識しているのだけど、
「外国の水準を知りながら日本独自の水準の中に身を置く」という点で重なってしまう。
先日リツイートした苫米地氏の「米国トップスクールの博士課程などについてのツイート」に感じられる「強い意志」はどういう方向性のものなのか?ということだと思うけど、
世界の水準とは異なる水準&難易度で、日本国内において「海外と同名の学位・資格」が国内の人間に対して与えられている、
という(本質を描写する前に、捉えやすい表面部分を叙述すると)
例えば、日本では安売り量産され氾濫する博士号によって、苫米地氏の持つ博士号の価値がそれらと同レベルに認識されてしまう。
「そういう状況」は迷惑だし、とても不愉快だ、もっと現実を見ろ(世界の水準を見ろ)
という思い。
ツイッターの文字制限内で書く形では誤解が生まれやすい表現になる。
という思い。は俺の思いではなく、苫米地氏の「そういうツイートをした動機」部分を、一般的にわかりやすい事物で表現した形。
そして、その「ガラパゴス日本」に対して感じる「侵害してくる感じ」を俺も共有している。
862
:
考える名無しさん
:2017/09/30(土) 01:46:07 ID:ZZVKU.B.0
一方の茂木氏の「日本の受験批判」からも、「世界の水準を無視したまま、低いレベルに競争の土俵を設けている国内の現状」に「焦り」を感じているのを感じる。
この茂木氏の「危惧」は、苫米地氏の「不快感」が感じ取られたのと同じ事象・状況から生まれたものだと思う。
現在、俺は、人と人とを比べていない。
「ある特定の事象」に対して、複数の人達が同様に様々な「良くない感じ」を受け取っているということを明示することが、俺の主旨だ。
「ある特定の事象」とは、「日本の井の中の蛙性」だろうか。この井戸がかなりジャイアンみたいに乱暴であるわけだ。
日本で多様性を推進するべき理由として、その乱暴に侵害してくる井戸の壁を取っ払うことで、その日本局所的な重圧から己を含む皆を解放するため、というものがあると思う。
問題として、
この重圧は「世界の水準を知らなければ」感じられない。
どこか禁断の果実っぽいところがある。この原罪性。
863
:
考える名無しさん
:2017/09/30(土) 01:58:44 ID:ZZVKU.B.0
世界の水準が高いのならば、日本の水準における争点において勝者となることは、世界水準の人にとっては容易いことなのか?と問うならば「違う」となる。
水準とは「執着する点」のこととなる。
喩えると、計算機の使用が当然の水準において、そろばんの技能で優劣が競われる水準が危惧される。
864
:
考える名無しさん
:2017/09/30(土) 02:17:56 ID:ZZVKU.B.0
水準という価値自体に高まる性質が含まれるのならば、革新的な志向性がそこに見られる、となる。
ところで、人と人を比較していない、としたが、
人を比較するのならば、「今俺が、この議論上に東大哲学博士の東浩紀の名や意見を上げていない」という点が、「人を比較している」ことになると思う。
話が飛び飛びだが、
「洗脳」の最も身近な、自然に発生している例が、「恋愛感情」であり「敬愛感情」であり、即ち「理屈ではなくその相手の放つ言葉で現実を作っていく」作用だと思う。
「相手色に染められていく」。その描写のまま。
「日本」は、そのようにして染められている。
日本人は、日本人を敬愛している。
日本人成功者の言葉から現実を作る。
これの連鎖だ。
この様子を見て「やばいなこれは」と思ってしまうこちら側は「禁断の果実」を囓った罪人だ。
危険を感じたこちらに罪がある。
この形で包囲されている。「この感じ」を共有できる相手は限られている。
865
:
考える名無しさん
:2017/09/30(土) 02:24:13 ID:ZZVKU.B.0
偶然目に入った記事も即興で繋いでいくが、
この記事で語られる「3年間持続する脳内麻薬の『好き』の作用」も、その洗脳の連鎖に貢献していると思う。
blog.tinect.jp/?p=43325
866
:
考える名無しさん
:2017/09/30(土) 02:43:48 ID:ZZVKU.B.0
「麻薬」という部分から、「世界から分断された日本の音楽・アートの水準」という部分に触れると、
世界(欧米)(アート&音楽の先端)において、ビートルズから様々な80年代から、という系譜を辿った背景に、「ドラッグの流行」というのがある。
違法行為をしない日本が凄いという話ではなく、
流行ドラッグの使用により感じられた視覚・聴覚、総合的な感覚の直接的な(妄想と反する、事実を報道するような)表現により発展したと言える部分がある、欧米の水準について。
同様に、(例は飛躍するが)
日本において性器露出のアート表現が重視されるのは、画像映像の性器部分にはモザイクを入れる、という法的な制限が作り出す「国内における想像力」故だ。
法規制が解かれれば、性器アート表現は張り合いがなくなる。性器を武器にしたアーティストは法を変えたくない。
これが、現代アーティストが人権屋っぽくなる理由と構造だと思うが、
世界の水準と比較して、何がどう違うのか。
「世界の水準」は、「本当に外側に行こうとしている」。
日本は、境界線をふらつくことにより注目(時に実績・業績の構築)を得たいだけであり、超え切る気がない。
867
:
考える名無しさん
:2017/09/30(土) 03:01:37 ID:ZZVKU.B.0
語気を荒げてタイピングしているときに限ってPCがフリーズする。
なんだろな。
キーロガーでも仕込まれているのだろうか。
868
:
考える名無しさん
:2017/09/30(土) 03:07:17 ID:ZZVKU.B.0
「計算機」を使用することで「そろばん」の外側の世界の「臨場感」を得られる。
ならば、四の五の言わずに「計算機」を使ってみろ、と。
「計算機以前」の妄想を「芸術」とするな。
この「計算機」の部分に、ドラッグとか、性器露出とか、好きなものを代入すればいい。
まあ、俺の定義では「芸術空間」は「神秘体験世界空間」の真似事止まりである、というものなので、その「妄想性、童貞性」こそが「芸術っぽさ、至らなさ」とも言えるのだが、
だとしても、世界の芸術の「先端」は、進むものであり、日本の先端みたいにずっと停留している感じじゃない。
初めから保守する気なら「先端」などと名乗らずに保守と名乗ればいい。
その言動の「不一致」に「不誠実さ」を感じ、そこに嫌悪感を持つ。
869
:
考える名無しさん
:2017/09/30(土) 03:30:22 ID:ZZVKU.B.0
俺が日本においてアニメとゲームだけ「特別視」するのは、その「妄想性・童貞性」による「進捗ゼロ感」を、その分野においては追求できると見做しているからであり、
また画像引用元は個人サイトだがピカソの着眼点を代行する可能性を見ている。
artprogramkt.blog91.fc2.com/blog-entry-73.…
まあ、ピカソにしても、その「視覚的に有効な要素」だけを綺麗に抽出すると「妖怪の百鬼夜行」的な、いわゆる「蓮画」的な、科学的に認識上の負荷を与えるような「力」だけが認識され、その結果、「奇行としての現代アート」を支えることにもなるのだが、
そこは抽出におけるセンスの差。
センスは優劣ではないが、世界を分ける。
870
:
考える名無しさん
:2017/09/30(土) 03:36:10 ID:ZZVKU.B.0
このピカソの遍歴を「計算機」と「そろばん」の見方で読み解ける。
まず最初に写実的な描写を追求した。半ば義務的に。半ば自ら出来ることを知らないが故に。
それ以降、その「写実的」な形は自己にとって「退屈」になるわけだ。
ドラッグ使用によるアートに欧米が飽きている現実の水準と重なる。
871
:
考える名無しさん
:2017/09/30(土) 03:50:54 ID:ZZVKU.B.0
この2010年代が芸術において「不毛な時代」に思えるのは、「計算機」に持ち替えた人間達。
そこまでは良い。
しかし、生まれたときから計算機があった世代達が、己にとって未経験な「そろばん」時代を再発見しようとしている。
この「車輪の再発明」による停滞感。
2色の絵の具を混ぜるように、もう一度「計算機」世代が「そろばん」を発見し直した方が、色が良く混ざって均一な安定した色になる。
この部分は、混ぜるという人為的な行為に寄らずとも、熱力学のエントロピーの増大から言える。
エントロピーの増大ならば無秩序化に向かうのだから、綺麗にまとまる「結晶化」とは逆の方向ではないのか?
無秩序な灰色と整頓された結晶が同一と見做されるとき、それは量子論的な「有る状態と無い状態が同時に存在している」ことになるのではないのか?
という風に概念的に展開できるのだが、
この、突破に向かった概念的な進行方向が見えてしまうことが「禁断の果実を囓った状態」である、ということになる。
停滞である現状しか知らないのならば、それを停滞と嘆く思いが生まれない。
停滞の中での格付けで、優劣と偉さが、銀行が紙幣を刷る様に増産されている。価値の低下が発生中。
872
:
考える名無しさん
:2017/09/30(土) 04:17:54 ID:ZZVKU.B.0
幸か不幸か、俺は「概念的に」先端を進んでしまう傾向があるので、
「概念的に既に認知された感情や感覚を表現する行為」に用いられる手段では、その描写に困る。
なにしろ、概念的に人々にまだ受け入れられていないものについての想いになるのだから、感情部分だけを表出しても何も伝わらない。
それ故に、「具体的表現によるニュアンスの生成」に手をかけている時間がとれない。
それを行いたいのだが、まずは「認知されていない概念」のほうを示し、舞台を作らないといけない。
しかし、
「概念の先端」って、一般受けしない。評価以前に認識されない。
この有様は滑稽に映り笑えてくる。
思考を「絵」や「音楽」ではなく「文字」で示していることは、俺自身にとって「怠慢である」という意識がある。
しかし、まだ、「文字」に頼らないといけない。
これはサーフィンみたいなものだ。押し寄せる波を背にパドリングする。ここが「文字」。
勢いに乗ったら板に立つ。ここが絵と音楽。
しかし、この形で「文字」から先に以降する機会は永遠に訪れないのではないか、と感じてきている。
それは、「俺の概念追求が止まらないから」というのが原因・理由となる。
具体的に表現可能なとき、それは既に形骸化している。
もの凄く損な役回りに感じる。存在している意味がわからない。
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