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俺の記録庫
871
:
考える名無しさん
:2017/09/30(土) 03:50:54 ID:ZZVKU.B.0
この2010年代が芸術において「不毛な時代」に思えるのは、「計算機」に持ち替えた人間達。
そこまでは良い。
しかし、生まれたときから計算機があった世代達が、己にとって未経験な「そろばん」時代を再発見しようとしている。
この「車輪の再発明」による停滞感。
2色の絵の具を混ぜるように、もう一度「計算機」世代が「そろばん」を発見し直した方が、色が良く混ざって均一な安定した色になる。
この部分は、混ぜるという人為的な行為に寄らずとも、熱力学のエントロピーの増大から言える。
エントロピーの増大ならば無秩序化に向かうのだから、綺麗にまとまる「結晶化」とは逆の方向ではないのか?
無秩序な灰色と整頓された結晶が同一と見做されるとき、それは量子論的な「有る状態と無い状態が同時に存在している」ことになるのではないのか?
という風に概念的に展開できるのだが、
この、突破に向かった概念的な進行方向が見えてしまうことが「禁断の果実を囓った状態」である、ということになる。
停滞である現状しか知らないのならば、それを停滞と嘆く思いが生まれない。
停滞の中での格付けで、優劣と偉さが、銀行が紙幣を刷る様に増産されている。価値の低下が発生中。
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