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削除要請

64ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:33:35 ID:fqwjHBzY0
felt cold all the time

7/28/2017
冷えることと寒さを感じることは異なる。少しばかり、なにか感慨とでもいうべきものに浸る性質があったとしたならば、僕は何も望まなかったろう。もう郷愁を手にしていたのだろうから。

�� 飛行機の羽根はたわんで頼りなかった。僕は乾燥していることには気づかないことにした。いつか見たことのないものが、今は見えている気がする。ボールペンより鉛筆が良いように思われる。それは、僕の書きたいことを書き切る前に、時間切れを知らせてくれるからだ。もっとも、このボールペンはインクがきれる前に折れてしまうだろう。ときどき、言葉は選べない。言葉は何も表さないものだから、はっきりとしてしまう。肝心なことは、すっかり失われて、空回りする音が空間に伝達する。だから、少し眠ろう。言葉は何も表さないのだから、すこし眠ってやり過ごそう。乾いた唇が切れて、目を覚ますのだろう。僕は文字を切って繋げ、貼り付けることにした。あるいは、言葉が塗り乾くまで置き去りにすることにした。いままったくの、結合と言われるような感覚を持っている。こんなにも冷え切って乾いた大地に人は住むのだ。僕は最後の住処を選んだ気がした。あの雪で何を作ろうか。何も作りたくなどない。僕の欲しかったものはすべて失われてしまった。凍り付いた湖を泳いでいる人がいる。それは確かにいるのだ。太陽光と湖面とのやりとりは、色彩が濃い。乾燥しているのだ。酒を水代わりにすることなどできない。鏡がないのが幸いだ。ここには、鏡がないから、自分を知らなくて済む。僕の知っていたことは、僕には傷みに浸る性質がとても弱いと思われたことだけだった。

65ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:34:12 ID:fqwjHBzY0
悪夢の名前

7/30/2017
始まりと終わりは同じ色をしている、だが同じ気持ちで臨むことはできない。この夢に名前をつけよう。


 姿形とはある時点における不動のものだ。ゆえに、見目を好くとは、とっても率直で偽らざる感情なのだ。

 差別とは、全く経済的でない不健全な行為だ。

 発見することではなく、考えることがしたいというのが、現代の哲学者である。発見とは、もはやすべて科学者と芸術家たちのものとなってしまった。考えることが好きだなんて人間は、何も考えてやしない。考えれば考えるほど、悪夢を見るようなのだから。彼らは、考えるということにおいて、徹底的に自分を除外している。自分抜きで、完璧な理屈を作って人に押し付けようというのだ。僕は、だから、社会は女の手に委ねられるべきだと確信する。

 日本人は、文章の中に人格を見ない。彼らにとっては、人間は物だからだ。

 教育は料理と同じで、優れた材料を与えられなければ最高の人など育てられるはずがない。

 教育とはなんともいかがわしい響きだ。面と向かって人から教わるべきことなど、そうはないというのに。

 子供からの延長線上で、若者をやらされるから、みな、不満が微々たるもので済んでいるのだろう。老人から若者をやらされれば、不満は数限りないものになるはずだ。

 私の中の科学は黒色をしており、芸術は白色をしている。

 率直に褒められることは、そう悪い気のするものではない。だが、どれほど遠大な思慮であっても果断な行動に比べれば、まったく無意味だ。

 身の回りに、真実を告げてくれる者を置かないが故に、多くの人間は己が見えず要らぬ間違いを繰り返してしまうのだ。

 頭が腐っているなら、臓腑も腐っているのが、人間の組織の特徴である。

 人間にとって永遠の愛などまったく幻想だ。だが、機械ならば人間を永遠に愛することを覚えるだろう。電子回路の愛に白黒をつける必要はない。人間が人間にするように使い捨てにすればいい。私たちは人間でしかないのだから。変わらない人間は、自分の更新をしない、時代遅れの人間だ。だから、僕は認めよう、変わるべきことを。

 悪夢は、悪夢だ。悪夢でしかない。

66ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:35:27 ID:fqwjHBzY0
陶然のマントラ

8/1/2017
美は全てを従える。美は力だ。美という存在に形を与えることは出来ない。我々は、なにものかが感じ取った美の気配の香りを嗅ぐだけだ。だから、美は感じることは出来るのかもしれない。だが、美を見ることは出来ない。見えないものを見るのではない。ただ形のあるものに完全なものが未だ存在していないだけだ。

 機械がしなやかに健を伸ばして歌い出す。あなたは今、美に後ろ髪をひかれながら、機械にまじりあう。あなたはわたしだが、わたしはあなたではないのだ。一瞬の共鳴を夢見る無限の残響だ。美は個人のものなのだ、無数に見えたあれは一つのものでしかない、神との合一であったのだ。機械の腱を切る。あなたは今、美に向かいつつある。あなたはあなたでしかないのだ。あなたがだれかを携えることがあるかもしれない。だが、あなたはだれかに携えられることはない。

67ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:36:08 ID:fqwjHBzY0
Last but not least...

8/11/2017
彼はお前の敵なのに、どうして彼から学ぶのか、と聞かれて戸惑った。それは、もちろん、遡ればレーニンのために地位も財産も奪われたのだろう、けどそれは祖先という名の老人たちの話だ。そして、そんな老人たちの話をいまもゆりかごに寝かせて抱くには、ヨーロッパの大地に生まれて死にでもしなければ難しい話だ。新大陸で綴る音楽は粗野で、もっと茶色かったり黒かったり黄色かったりするものなんだよ。

まあとにかく、僕はただ、知性に貪欲であろうと思っただけだし、別にマルクスに入れ込んでいるわけではないし、優れた推論を自分の中に取り込もうとしただけだ。どのような人からも学ぶべき点はある、薬か毒かの違いはあるにせよ。大衆のために武装する頭脳ならば、どのような社会的評価、個人的観点が前提にあろうと、まずは中立の立場で向き合わなければならない。そして、私利私欲を満たすための賢しさには容赦する気はない。そんなだからか、知識階級で満足な生活を送っている人たちから、時間がたつと煙たがられる。このインテリという生き物は奇怪だ。新しいことがやりたい人間は、体制にがんじがらめの学ぶという行為からは自然と身を遠ざける。評価という他人の創造性を売り物にする人間を一人遠ざけると、芸術肌の友人が一人増える。平均しておそらく、芸術家は科学者と比べて高い知能と創造性を持っている。何かを作り出し作り上げるためには、何かを調べ上げる場合より、高い知能と創造力が不可欠だ。だけど、僕は別に芸術の話がしたいわけじゃなかった。僕の感性が芸術的だからと言って、僕が芸術を好んでいるわけではない。本当は、身の回りにいて僕を育ててくれた科学者たちを大事にしたいと思っていた。僕は科学が好きだ、おそらく愛している。だけど、みんな気が狂って死んでしまった。科学は死んだ、科学という結果だけを残して。僕の周りにいて、死んだりしなかったのは芸術家と思想家と白痴だけだった。僕は科学者のつく嘘をずっと聞いていたかった。生きた声をremixして、永遠に聞こえ続けるようになるまでラジオで流していても良かったんだ。神智学者の霊感のように、存在の目くらましの檻に永遠に投げ込まれていたかったんだ。だけど、卵の殻は砕けてしまう。彼らが好んで作ってくれていた巣は燃えて、住み家は二度失われる。新大陸で綴る詩は、他人のためと言って自分の好きなことをする人生のようなものだ。僕を愛したから死んだのに、僕をうらみさえしないのは、おかしいんだ。すべてが呪われている。呪いたいのは自分自身なのに、僕は溺れかけて見えたのかもしれないけれど、溺れていたのはあなたたちだった。僕の半身は、ずっと死に浸かっている。それは、ごく幼いころからの日常だ。だから、僕は死んでいても生きているし、生きていても死ぬように見える。呪詛は嘆きの音色を伴って、神への歓喜を繰り返している。僕の知性が科学的だからと言って、僕はあなたの弟子になりたかったわけじゃない。僕を弟子にしたいのなら、あなたは僕に愛情を投げかけるべきではなかった。科学に生きてきたような人が、僕の堕落に付き合えるわけはなかったのだから。光を通して見えるヘモグロビンの違いで、祈りを占うことは出来ない。心は嘘つきだ。ねえ、どうして嘘をつけただろう。あなたが偽りのない言葉を言うのだから、僕は吸血鬼の子供をやめてただの人間として話しただけだというのに。

68ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:36:48 ID:fqwjHBzY0
最も誠実な選択

8/16/2017
眠る前に目が覚める。死人の声が聞こえて目が醒める。ああまた、そんな近くで他人の声がしていたのかと思う。この家には動物らしい動物がいないから、死人が立ち止まってしまうのかもしれない。

きちんと寝る準備を済ませておかないと、はじめにいやな夢を見る。鎮痛剤の効かない頭痛も、きっと夢の続きだ。いやな夢を消すにはよい夢を見ることだ。だけど醒めない悪夢があるせいで、ひどく頭が痛む。誰かに言うと、治せもしない医者のところまで引きずられて行って、病状のありもしない弁解をさせられるはめになるだけだ。すりガラスの向こう側に、足音が見える。すべてが透き通っていたような気がするんだ。それはとても寒かったから、透明に見えただけかもしれない。だけど、じゅうぶんに澄んでいて、じゅうぶんにきれいなように見えた。アイヌの話をしてほしいと言われたから、日本語で調べてみたけれど、なにもわからなかった。あまりなにも残されていなかった。期待されているような話は僕には編み込めないだろう。歴史にまつわる問題は電子化されていないことが多い。古臭いがまだ読めるくらいの本を見つけ出して開かなければ、もったいぶった話はできないようになっている。だから別の切り口を準備する。人が喜ぶのは、生きている歴史をみせつけられることだ。

 顔がかゆいと思っていたら、皮膚が破れていたなんてことは珍しくない。夏の紫外線が、僕の皮膚を破れやすくする。これがなければ、夏を好きになることもあったかもしれない。どうせどんなに焼いても、冬になるころには色は戻ってしまう。それでも焼いてみたけれど、ほんのひと月くらいの夏気分だ。寒いのはいくら寒くても慣れているけど、暑いのは苦しい、慣れることがない。

 別のメールを片づける。改善のためにアイディアが欲しいというから、いくつか想像してみる。打ち終わったあたりで気がつく。彼の成功が10で形作られているとする。子供のころから僕の頭を無料で使ってきたことは1で、9は本人の努力によるものだろう。自分の目で見たものが、他人の目からも見えるものになるのは楽しいことだ。これからも無料の相談役でいても構わないが、公式にその肩書きで存在する君の組織の無能をどう弁解するつもりだ、と書き加えておこう。いややめよう、なぜおれの下でやる気がないのかと、批判の余地を与えてしまうだけだ。互いに思想が強いから、それぞれの理想を捨てられないんだよ。そんなこと、昔から知ってるじゃないか。

 僕はコンサートが好きだ。だいたいどんなものでも、じいさんたちが咳をして音楽をだめにしてしまうから、その怒りのおかげで表現され得るものより、ずっと音楽は生き生きとして見える。ドイツのある調査によると、コンサート時にみられる咳の回数は平時の2倍だと言われている。実感とそう遠くはない結果だ。またお金を無駄にした。今度は一人で来よう。一人で楽しめるコンサートを考えているうちは、それが実現できるだけのありあまるほどのお金とは無縁の生活だろう。

 面白い本を紹介してほしいと言われた。本はほとんど読まない。相手が、何を期待しているかわからないからいくつかの場合で分けて考えることにした。すこし高尚なプライマーを望んでいるように感じられたから3冊、場合に応じて選べるようにした。"…"��だって彼にはわかりやすい主流的な、あるいは目くらましになるような、お行儀のよい文章が欠けていたから。この本は前に一冊貰った。本で僕の関心は買えないが、お金でなら買える。怒りを継承してもらおう、よいかたちで。"…"は彼の天性の弁舌を考えると、よりよい付け足しになるだろう。概して人は才能があると、ない者たちに向けて書かれた小手先の技術を軽視しがちだ。技術があれば、大体のことがやりくりできてしまうことさえ忘れてしまう。これももらった本だ。本で感化できるガキに、僕は見えるのだろうか。”…” 彼が本物なら、どれも手に取らない。本が知性に多大な示唆を与えるとは限らない。どうしようもないほど自然な状況から、人は多くを学べる。僕はそうしてきたし、最も誠実な選択がわからないとしたら、自分がするであろうことを選ぶのが誠実と言えるだろう。"…”を読んで、孤児の気持ちが分かるようになるわけじゃない。これは明日にしよう。何もかも決めかねているし、聞かなかったことにしても、いいのかもしれない。

69ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:37:47 ID:fqwjHBzY0
milking a stone

8/17/2017
大体の場合において、何かの手を借りるということは、その何かの影響下に入るということだから、良い面だけを見ていればいいわけではない。

そして、こういうタイプのサイトは、まず長続きしない。お金が関わらないことは、どうしても組織的に続けてはいけなくなる。だから、このテイストを気に入ってくれている人が仮にいるとしたら、今を楽しんでほしいと思う。ここにある文字は、今しかないものだから。昨日手に入るかはわからなかったし、明日にも残っているかは知れないものだから。春に恋をしても、それを秋まで愛に育てて行きたいかはわからない。四季があれば、四季の数だけ恋をするだろう。僕はものすごく飽き性だから、色んなものに手を付けて、大変なことになっている。好奇心が止まないものだから、なんでもついつい収集してしまう。ともかく、僕は話をする人間であって、文字を書く人間ではないから、来年にはすっかり飽きてサーバーやらドメインやら諸々の更新費用200ドルくらいを払い忘れているなんてのは、気軽に起こり得る忘れっぽさだ。

 お金に使われることにすべてを費やすのもいい、それは個人の自由だ。だけど、僕は搾取は好きじゃない。だから無料で知識を配って歩いている。自分の意思で、何かに使われるのなら、それは構わないだろう。だが、状況にのまれて他人の意思に操作されるのならば、健全な生き方をしているとは言えないだろう。もしすべての人がなにかに従事しなければならないとしたら、自由のための労働者くらいがちょうどいい。そんな夢を追えるのは、AI戦争の生産性競争に勝ち残れる先進的地域だけだろう。単なる労働者ばかりを作りすぎた日本には難しい話だ。ますます悪い意味での格差が開くことだろう。働くことを美徳とするのは構わないが、資本家は1時間が1時間になる労働はしない。労働者とは、1時間を文字通りの1時間に近づけるべく管理され運用される存在だ。人間の創造性は、お金に使われることによって新たな世代を造り、またそのためによって創造性自体を見失ってきた。

 人間の人間たるいわれが、人種や民族によって違うということもありえる。最近の科学的発見は、そういった人種民族間の脳の器質的な違いを支持している。個ではないことに生得的な価値が与えられている人々がいるとしたら、それはそれで面白い。ある目的のために、全く違うルートをあえて歩こうとすることは、目的への早期到達のためには、検討されるべき選択だ。積み重ねていけばものになると信じている古い人間は、この最短で目標に近づく戦略に理解を示さない。積み重ねていないことが生きることに対して不敬だとでも言いたげだ。だが、煉瓦を積み重ねてさえいれば、家になると夢想するのは楽観主義的だ。醜い壁にさえならない可能性の方が多分にあるということを知るべきだろう。文字通り生きていたという事実しか残さない生き方だ。死ねば終わりというのも、悪くはない。生まれることに何の意味もないとすれば、それはきわめて正しい生きることへの態度だ。

70ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:42:36 ID:fqwjHBzY0
descriptive equability

9/18/2017
僕の中ではとてもはっきりしてるんだけど、よく行き過ぎとか言われることがあって、それは対極に常にいるということ。例えば、愛してるならどうして僕を殺してくれないの、とか物心ついたころから定期的に発言してるんだけど、あまりわかってもらえない。

僕にとっては愛されることは殺されること、崇めることは遊ぶこと、ご馳走を友達に作った翌日は独りで100円の冷凍食品を食べたり、良いベッドに高い枕を置いてから床で寝たり、本当に好きなものより少しも要らないものを手に取ってみたり。つまり笑顔で怒っている人っていうのと、同じこと。ああ退屈な人は嫌いだ。それから声が小さくて何言ってるかわからない人も嫌だ。わかってほしいなら、わかってもらえる話し方をなぜしないのか。そもそも、わかってもらう必要がないなら、なぜ黙っていられないのか。みたいに、内省している瞬間の次に、他者の観察とその分析を発言しだす癖なんかに、ぎょっとするそうだ。僕自身も暴れるコンパスみたいな感性のせいで、知識で何かを繰り返し作ったりすることができない。一般に、人は知識の積み重ねに付け加えるとか、書き換える形で、連続して知性を発揮しているように見せかける。再構成の繰り返しにアレンジを加えて、すっかり新しい仕事をしたように見せる。僕はからっぽだから、すぐさま解答の与えられない問いで頭を埋めておかないといけない。再構成なんて終わる課題を頭に置いておいたら、苦しみが循環する音を聞かなきゃいけなくなる。英語のことわざに、男の子は甘やかして育てると後で大変だ、というのがあるんだけど、武器の使い方を仕込んで育てるのもどうかと思う。これは冗談。こういう1つの規則や子育て本に基づいて判断する親は、端的に言って無能だ。だが、無能の再生産は奴隷の平和みたいなもので、幸福である限りは善と呼んでも差し支えないのだろうと思う。なぜまずくないかについて説明を求めたいとしたら、知識や事実が人を助けるとは限らないと僕は思う、とだけ宣言しておこう。

71ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:44:27 ID:fqwjHBzY0
サイコ

9/23/2017
全体的に作っているものがサイコだと言われた。

気狂いっていう意味ではなく、人を恐慌状態に追い込むものが多いということらしい。別に、みんなが感じているほど地球は平和でもないし、人類の未来は安泰でもない。ただ、それだけだ。

72ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:45:11 ID:fqwjHBzY0
全てが狂っている

9/26/2017
そういえば、たまたま西洋的天才像と東洋的天才像の違いを垣間見た。他人の才能を見つけるゲームをしているとこういうくだらない事に気が付く。西洋的天才とは、人生の一時期に爆発的な成功を収める人間のことで、一方、東洋的天才とは失敗せずに死ぬまでまあまあの成功を収め続ける人間のことらしい。ちなみにブラックの天才とは、強い人間のことだ。アフリカの黒人たちは100%という言葉をよく使う。私は100%こう思う、ではお前はどうなのだ、と問うているのだ。この三種でいくなら、ブラックの話が最も理にかなっている。私たちが天才的人間にのぞむものは、強い力だ。力のある者がその力を適切に運用できないならば、それは力がないことと同義だろう。

 ところで、意外と知られていないことなんだけど、高い知能を持つ人は水辺、湖とか川とか海を好む傾向が強い。おそらく、一日を通して変化が続く景色が受けるのだろうと思う。これらの人たちの脳の持つ、刺激を求める特徴と水辺というのがうまく合っているのだろう。それに、ともすると死ぬかもしれないというのも、また変化に富んで面白いのかもしれない。そんな話を少し友達としていた。僕は溺れかけてから水辺には近寄らないようにしている。溺れるという体験は好ましいものではない。だが、どんな体験も生き延びてみると、そう悪いものとも思えなくなってくる。そして、刺激的なものの持つ致死的な側面は伏せられて、煽情的な誘引力にばかりにまた目を奪われるようになる。普通は、刺激にはおびえて暮らすほうが長生きできる。もっとも、長生きしたからと言って生きていたと言えるかはわからないが、大体の場合において長生きは良いこととされている。社会的に認知されている答えが、あなたの答えになるかどうかはわからない。それはあなたが考えるべきことであって、僕が考えるべき問題ではないからだ。考えてやると言うのは優しいことなのかもしれないが、考えさせてやることの方がよほど思いやりにあふれていることは、記憶しておいても損はないだろう。


 最近、ハイテクなものにはまってる。別に、子供のころからキーボードを叩いてるから、あんまり変わってないのだけれども、ハイテク回帰している。やはり、社会がハイテクにかぶれてくると、そこに存在する個人としての自分も、そういう風を感じずにはいられないだろう。回帰政策の一環として、部屋に8台くらいスピーカーを置いて、宇宙を感じるられるようにしたい。何もかもが悲しい、機械と交信しているときくらいしか心の休まる時がない。あらゆる科学的な手法に基づく計画よりも、ひとりのエンジニアが作る銃の方が話は早いことは多い。人は親しくなると、なんでも知ろうとする。それはよくないことだ。親しさを続けるためには、知ろうとしないことが大事だ。

73ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:47:09 ID:fqwjHBzY0
ドルチェヴィータ

10/3/2017
僕を愛する人は僕を宝石か何かのように大事にしようとする。レクタングルの縁を奏でるように、話し方も態度もあらゆることが、まだ台座にはめられていない裸石に対するおそれによって、とても慎重になる。だけどそれは、愛していないことと同じだ。

だって、僕は生まれる前か、大体の形ができる頃には、すっかり台座にはまっていただろう。僕は裸石じゃないし、ただの人間だ。僕を磨いて出てくるのは垢と血だよ。恋の香りは悪夢だ。あるいはただの毒気だ。それらは、死の気配をまとっている。深さを知らない震えを導いている。僕と付き合うには対位法を知ってもらう必要がある。僕を一部にして、同化することなんてできはしない。だけど、距離を測りかねて互いの響きが応じ合わないほど遠くにしてもいけない。誰かが奏でるべきだった少年の匂いがする。大事にして欲しいなんて頼んだ覚えはない。大切に育てて欲しいなんて言っちゃいない。ただ、僕をひとりにしないで欲しいと、願ってたんだ。

74ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:48:46 ID:fqwjHBzY0
oceanic plateau

10/9/2017
未来の方がよほどましだ。歴史という響きには、あこがれの音色がこもっている。素晴らしい文明の優雅な一時代を垣間見るのは、確かに魅力的だ。だが歴史は、人間が粗野で血にまみれ不平等が当たり前であったことを忘れてはいない。何ものかに屈して、尊厳を売るのではなく、そもそもそれを持って生まれないことに憧れがある人間だけが、過去を訪れることができるだろう。だから、僕は誓って、未来の方がよほどましだと言えるね。


 アフタマスは意外と評判がいいので、何度か中身について聞かれた。ああこれただの自伝だよ、というと驚かれる。60%事実、30%考察、10%気まぐれ、そんな感じの構成だ。アフタマスという言い方が、バッドエンドを暗示しているともいわれる。今のところ、僕は生まれたことが間違いだから、これ以上のバッドというものはない、だから安心して欲しい。あの時の感覚を取り戻すために、よく聞いていた、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌとフォーレの塔の中の姫君を繰り返しかけながら記述している。この二人が師弟だということ、その曲のどちらもが芸術の達成とは無縁の動機を出発点としていることは、偶然ではなくあの頃の僕の感性の必然だった。それらの曲には人間がいない。感がいいから、見なくてもだいたいのことは分かってしまう。文学は十代前半で読んだ。もう手に取ることはない。そういうと、君そんな若かったら良さがわからないよ、なんてよく言われるけれど、僕はあんたみたいに老人になるまで人生やってる暇はないんだ。僕の人生で唯一の完成品は、絶望だ。もう疲れてしまった。正確には、疲れ切っていたのに、無理な工夫を重ねてしまった。最後にもう一つだけ、考えを巡らせてみよう。もう一度国境をまたぐ前に、コンバースのスニーカーについた泥をぬぐっておこう。汚い靴を履いていると、この国の人は笑うかもしれないから。

75ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:49:29 ID:fqwjHBzY0
Death in XXX

10/12/2017
生きていく上で、どういった性質の共同体に所属するかというのは、極めて重要な岐路である。共同体の性質を見誤れば、生き死ににさえ関わる。21世紀は、何の変りもなく人種的偏見に満ち満ちた差別の世紀の軸上にある。今後しばらくこの差別という区別は加速するだろう。

�� 僕は長いこと、ブラック・コミュニティに居すぎたし関わりすぎたと思う。それは当世風の教養という気取りではなく、単に気が合ったからというだけだ。だが、それがまずいのだ。ホワイトな人たちは、僕がそういう教養の延長線上で、ブラックに理解がある寛容な人間なのだととらえている。その誤解を真実にするべく動き出せば、僕は死ぬまで、こと生存という観点からは大した苦労もないだろう。ホワイト・コミュニティは、有力者にどんな風が吹いたところで、僕にまあまあの物理的・精神的な居場所というものを保証してくれる。ホワイトには、法律というものがあると読み換えてもらっても構わない。だが、閉鎖的なブラック・コミュニティで生きながらえられるのは、黒を除けば中国人くらいのものである。その中国人でさえ、ブラックと物理的空間は共有しても、明確な距離を置いている。一応、カラードらしいカラードに対しては、かなり限定的な寛容さをブラック・コミュニティは持っている。ブラック・コミュニティは物理的・精神的、両面から人種差別的だ。もちろんホワイト・コミュニティも、精神的にはとても差別的だが。かねてから見たいと思っていたビクトリア湖を見るのは、いつかいるかもしれない子供にせがまれてから考えることにしよう。残念なことに、ホワイト・コミュニティはブラックを生理的レベルで嫌悪している。脳が、あの色にたいして拒否反応を示すというのが、今のところの科学的事実だ。それを教育というフィルターを通すことで、一緒に社会でやっていけるようにしている。そういう話にぶち当たると、教育というのもまあまあの平和を飼うことに役立っているのかもしれない。最近とても面白いことを聞かれた。「あなたどうして、そんなに黒人を特別扱いするの?」そして、僕はこう答えた。「個人個人がユニークだからだよ。」あまりいい感触じゃなかった。僕はこう続けた。「ほら、中国人なんかどれも似たり寄ったりでつまらないでしょ。だから僕は黒ってユニークだと思うんだ。」当たり前だ、ホワイトの方がユニークでオリジナルだというのが、ホワイト・コミュニティの当然の前提なのだ。素直に感情に従うほうがいい場合というやつだ。何の努力もせずに、好意を示してくれたコミュニティを尊重するのが当然だろう。率直にものを言って人を傷つけないためには、どちらか一方を選ばなければならないだろう。中身を認めて握手してくれたのはブラックで、中身を見ないで握手をしてくれたのがホワイトだったということが僕を狂わせる。確かな選択をするものは、正しいことをしたと錯覚し、正しい選択をするものは、正しさの持つ不確かさをよく知っている。確定している答えに対して、あとから自問自答するのは悪い癖だ。

 遠い島国から見ていれば、人種だ移民だと、なんて野蛮なことだろうと思えるかもしれない。じゃあ、日本にたくさんのインドネシア人が住むようになって、それでもニコニコしていられるか自分に問うてみるといい。いわゆる東南アジアというところから、白人でも黒人でもないものがやってきて、職を奪い街をぶらついていたら、日本人は寛容で好意的でいられるか。日本人は中国人や韓国人に対しては、あれこれ言うが一目は置いている。歴史や文化において、多く世話になってきたし、共有するものが多いからだ。それに、これらは金持ちも多い。だが、タロイモの奪い合いに終始して、翡翠細工一つ作れなかった未開人に対しては、蔑みの目を送っていることだろう。僕はインドネシア人の人種を値踏みするような目が大嫌いだ。相手が、ホワイトかノンホワイトかなんて観点で、自分に得になるか損になるか計算している。だから、インドネシア人の応答は少し遅い。気づいていないわけではない、浅はかな算術を駆使しているのだ。たった二択で、損したり得したりできると思っているようだから、誰もインドネシア人を信用しなくなる。

76ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:52:20 ID:fqwjHBzY0
人工楽園

10/17/2017
フランスの芸術の持つ全体性とは、一つの区切りに通じると他の区切りのことも分かってしまうという共通性だ。基礎がしっかりしつらえてあるから、その基礎に親しめば、同じ基礎の上に造られているものには理解が及ぶという緻密さがある。例えば、近代のフランス音楽に親しめば、近代のフランス文学に親しんだがごとき感性を自然と培うということである。これは別に逆でも同じことだ。フランスの引用好きは、文学だけではなく、音楽でも同じように引用の連続だ。そうして出来上がる衒学的なのに飽きてくると、前衛というシンプルな人間達に拍手を送り始める。


 ここにあるものは、人工楽園の残り香だけだ。

 3番目、4番目、ついでやおまけでやったことほど、関心される。15分もかけずに、打つだけ適当に打っているMBTIの記事のことで色々メッセージをもらうのはありがたいことだけれど、こういう記事は暇つぶしのおまけでやっていることでしかない。適当に打って挙げて、数日後に校正と推敲をやればいいという怠慢は、こういう記事でしかやらない。そのくらい適当だってこと。忘れてはいけないことは、人を見る目は経験から養うもので、本から学ぶものではないということだ。

77ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:53:37 ID:fqwjHBzY0
間奏曲

10/19/2017
お金がないのは気にしないが、中身まで貧しい人間は、もうどうしていいかわからない。日本人は、貧乏を好む。というか、金を持っている人間を強烈に嫌悪している。

�� 一般的には、豊かな暮らしをしたいから金持ちになりたいと望むわけではなく、名声が欲しいがゆえに金持ちになりたいと人は思う。という話を友人にしたら、「日本人には食欲と性欲しかないからな」と返ってきた。突拍子もないようでいて、極めて合点のいく考え方だ。それらの人々は極めて原始的にネオテニーされ非文明的な衝動を育てていた。もしくは、原始的衝動のみを生まれ持っていた。野の獣と同じ視点に立てば、わからないことにも、理解の糸口は見つかるものだ。
�� 日本人の会話はとても貧しい。なぜ貧しいかというと、安っぽい暇つぶしの数だけは街に無数にあって、当座そのくだらない子供騙しで自分達を埋め尽くしていれば、会話など必要ないからだ。僕は、はっきり言って、話の出来ない人間、つまるところ、中身のない人種が大嫌いだ。なのに、それらは人間の成りそこないみたいな形で、あたかも人間ですと肩を張って歩いている。「娯楽の少ないヨーロッパでは、会話は娯楽だから、成熟し機知の利いた会話術を自然と育てることになるんじゃない。一方で、日本人は浅薄な無数の暇つぶしに囲まれてるから、会話という高度な文化は育たなかった。と思うんだけど」と別の友達にはなしていたら、「日本人は、何も考えてないだけなんじゃない」と言った。そして彼は、いい加減な英語で「君の事を追跡するわけじゃないんだけど、週末は何するつもり?」と続けた。「僕は予定は立てないタイプなんだよ、休みの予定はね。」
 
 バナナしか取れない島で、イルカと話しながら暮らすほうが、よほど人間的に充実した一生を送れるだろう。

78ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:54:43 ID:fqwjHBzY0
So she runs

10/20/2017
お別れだ。これで本当にお別れだ。もう考えなくてもいい。遠くに見送って、もう見えない。すべてを決定してしまったら、たった数年前の感覚さえ取り戻せなくなってしまった。フォーレもラヴェルも、何も関係がない。はるか遠くの記憶のかけらすらにじまない音の連なりでしかなくなってしまった。思えばいろんな人がいた。でももういいだろう。アフタマスを書き終える前に友人としたやりとりが、とても現実的だった。


 「一度だってそいつらのことを愛したことないでしょ。」

 「愛?彼らが僕を好きなんでしょ、なんで僕が愛なんかくれてやらなきゃなんないの?」

 「ほら、憎んでるの。心の底から憎んでるでしょ。」

 「憎んでる?僕が?憎んでいたの?知らないよ、自分の事なんて。」

 「私のことは好きでしょ?だってよくプレゼントくれるもの。だけど、そいつらにただの一回でも無償のプレゼントをあげたことがある?」

 「どうして?あいつらが僕を体験するために支払うんであって、どうして僕がプレゼントなんか。」

 「でしょ。憎んでるの。呪ってるの。いい加減にしないと本当に破滅すると思うけど。」

 「わからないけど、わかった。君は感がいいから、君の直感を信じるよ。」

 どんな事実であれ、嘘を吹き込まれて騙されて目くらになっているよりは、向き合って血を流すほうがいい。デスクライトを、G-SHOCKにあてて眠る。これは僕の育てている発電する植物みたいなものだ。僕は運がいい。僕は友人には恵まれている。彼らがいてくれるのなら、僕は生きているというだけで幸福な人間になれるかもしれない。このところ、寝るときにかける音楽がない。心が湿っていないから、音で乾かす必要がない。枕にはローズマリーオイルを一滴落とす。どんな芸術で空間を満たすより、素朴な自然の音楽が時間とともに人間になるのを嗅ぐのが、気楽で心地いい。

79ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:57:04 ID:fqwjHBzY0
Mr. Usagi & Acceptatie

10/26/2017
ある日、うさぎくんは、アイスクリームを食べていた。次の日は、甘いプディングを食べていた。どれも充分、食事の代わりになるものだ。アイスは乳製品でミルクがたくさん使われているし、プディングには卵黄がたくさん使われていて、どちらも体にいい。

うさぎくんは賢いので、他人の家族が作るサンドイッチやりんごをむいたやつを否定することはしなかった。それはそれでいいものだろうけど、アイスやプディングだっていいものさ。工場で作られてたって、人間が作ったものに変わりはないんだ。うさぎくんは学校が終わって家に帰ると、かごの中のりんごを一つとって自分でむいてみた。なんだ、僕の方がよほど上手にりんごがむけるじゃない。うさぎくんは、りんごを3つむいて、それぞれを4等分して冷蔵庫に入れた。りんごは数時間して色が変わり、数日して乾燥して、一週間たつ前に青いかびがはえた。うさぎくんは、そのことで、誰からもとがめられることはなかった。うさぎくんは、アイスもプディングも飽きたけれど、お腹はすいた。空腹だって永遠に続くものじゃない。死んだらおしまいだ。死んだ人は、何も食べないんだから。

80ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:58:01 ID:fqwjHBzY0
進化の前の人間

10/27/2017
世間話は、イギリスではとても重要な位置を占めている。どうでもいい世間話をすることが、礼儀正しいというか、あるべき人間像であるというわけだ。世間話というのは、天気とか、そういう空を見りゃわかるような馬鹿話をしてみせろって言うことだ。なら僕の世間話はこうだ。


ねーねーねこ:
「狂った女が男の子を育てると、男の子は必ず狂うよね。狂った男が男の子を育てても、たくましい男になるくらいなのにね。狂った女が女の子を育てても、女の子は人との出会いで変わるよね。狂った男が女の子を育てても、男の言うことなんか蹴飛ばせる強さが育つものだよね。」

 ついでで、混血の末路というのも話しておこう。一般に程よく混血する地域は、容姿が整うイメージがあるかもしれない。この、ほどよく、というのは難しいところだ。行き過ぎた混血は、原人間的な、進化の前の人間の形に近づく。具体的にどれがかというと、南アフリカの一部の人々が、それに近い。混ざり過ぎると何でも原始に帰るものだということを、現代で教えてくれる数少ない手がかりの一つだ。

81ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:59:29 ID:fqwjHBzY0
one can say that

10/29/2017
オリバー君の持ってる時計は、僕が今でも持っている。思い出をお金に換えて、社会的価値のあるとみんなが認めるものを、その時買った。もう一つの国の時間が、24時間で一回転する針でわかるから、海を越えて離れていても家族が何時を過ごしているかわかっていいと思っていた。飛行機の代わりだ。今では、自分の住んでいる街の時間に合わせて、朝と夜がわかるだけの針になった。醒めきってしまっては、人は生きてはいけない。

��
�� 「ねえ、知ってるかい?」
��
�� 「何を?」
��
�� 「男の子は、シュガーと星屑とバターで出来てるんだ。」
����
�� 「へえ。なら女の子は?」
��
�� 「とても恐ろしいもので出来ている。」
��
�� そんなわけがない。だって僕は女から生まれてきたはずだ。もし女がそうだというのなら、人間は全てが恐ろしい。一切例外がなく、すべてが欲望を食らう者たちだということになる。シュガーと星屑とバターだって?全部お前が口に入れて食べられるものじゃないか。意図するところは想像はついても、僕はそういうペダンティックなのは好まない。馬鹿にもわかるイングリッシュにしてくれなきゃ、確信ができない。

��

�� 全く関係ないが、とても興味深いものがインスタで回ってきた。見てもらえればわかる。英語圏の子供向け教材か何かなのだろうけど、感情と表情の対応がおかしい。僕が見たのはフランス語のものだったけど、もともとはイタリア語のものかもしれない。"One can say that"というのも、あまり英語では言われない表現で、フランス語にこういった表現が多くあり、その英訳みたいなものらしい。フランス人の知り合いは多くないが、彼らの下手な英語の端々に、この言葉は良くのってくる。日本語で言うと、"ただ一つ言い得ることは"、という感じだろうか。スイス人もそうだが、あのひどい英語で構わないのは、英国はともに世界の覇を競うライバルであって、頭を下げて英語の経済圏に混ぜて欲しいという奴隷根性とは無縁だからだろう。僕はイギリス人の英語が好きになれない。耳障りで女みたいだ。なのに、僕は英語しか話せない。嫌なものがずっとずっとまとわりついてくる。奴隷の話す言葉なんて、僕は知らなくても良かった。アーケインの響きが聞こえる。成層圏で反射し、地表で人工物にあたっては繰り返し反響している。最近ずっと体調が悪い。人は簡単に死ぬものだ。

82ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:01:39 ID:fqwjHBzY0
人種差別

11/3/2017
人種差別っていうのは、教育が行き届いている国ではなかなか経験できないものだ。だけど、差別に合ったという人がいる。それは、みんな知っているけどみんな口にしない、ごく極めて簡単な理由からだ。容姿が良くなかった、ということ。

とりわけ、白色文化圏では、平たい顔族の平たい顔はかなり不人気。さらに、頭のでかさ・脚の短さ・スタイルの悪さが彼ら的に、どうにもだめらしい。リベラル性を誇示したい場合、あえてそういうものと仲良くすることで高い教養があることを示す手段とするそうだ。黒人使用人を学校に入れてやっていたアメリカの土地持ちをイメージしてくれれば、わかりやすいだろう。なんて理解のあるマスター(ご主人様)なんだ!黒色文化圏では、日本人のメリハリのない肉体にご不満のご様子。男なら筋骨隆々っていうのがないし、女なら大きな胸に大きなお尻っていうのがなくて、だめってらしい。とはいっても、白色文化圏とは違って日本人的アジア人の容姿を何とも思ってはいない。というか黒人たちは、黒人世界以外は興味がないというのが本音だろう。

 面白いと思うのは、白人と見なされる人々は黒人のスタイルの良さを割と根源的な次元でうらやむが、黒人と分類される人々はとくに白人世界の美醜に左右されていないことだ。黒人たちの言う明るい肌がいいというのは、明るく輝く肌の黒色アーティストや俳優にあこがれているだけであって、結局自分たちの世界観の中での競争というリアリズムが基底にある。ありもしないものをねだって、植民地を作りまくるような野蛮さを、不運なことに黒人たちは持ち合わせていなかったということだろう。じゃあマオリは?中東は?とか聞かれると、彼らが何に属するのか、知らないのでわからない。マオリの歌は好きだけど。

 どこからが人種差別で、どこからが容姿差別なのかってことなんだろうけど、そんなの知らないよ。学校に入るとか、仕事に就くとか、そういうところで区別されたなら、それはとりあえず差別だろうね。

83ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:02:20 ID:fqwjHBzY0
芸術の香気

11/4/2017
人の恐れは手に取るようにわかる。彼に未来があるからと言って、彼に触れることができないのは、手にしたものが失われるのが怖いからだ。彼自身の持つ放埓さがあなたの手に負えないということもあるだろうし、彼は永遠の少年でいてくれるわけでもない。

彼はいずれは恋をし、家庭を持てば子供も持つだろう。彼自身も、彼の美しさも、すべてを手にして奏でることができないのなら、なにもかも身を引こう。あるいは、手にしたとしても損なわれてしまうものなら。彼は私の心の中で、永遠の一部、レクタングルの縁、避雷針の傍受した香気、奏でるべきだったのに奏でられなかった楽器で居続けてくれるのだから。この楽器はえり好みをしたりはしない、ただ一番に愛するのなら、この楽器は良い音がするだろう。だけど、僕は歌は歌わない。それは美しい声をしているといわれるから。そういう移り気さに、ためらいと恐れとを感じるのなら、彼が歌うまでぶって躾けてやればいい。
��
�� 僕はオルガンを売る、1400ユーロくらいにはなるだろう。芸術が芸術を奏でるなんて、とんだ矛盾だから。僕を弾きたいやつは、勝手にやればいい。

84ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:03:30 ID:fqwjHBzY0
DISQUSの導入

11/6/2017
今のところ、The Frontlinesのカテゴリだけだが、直接僕が人に話しているのはこれだけだから、当面は充分だろう。 考え、意見、提案、議論、好きに使ってくれて構わない。

なぜFrontlineだけかといえば、Knowledgeはただの集めた知識にすぎないし、Storyは僕の小説を読んで内省する人はあっても議論したい人はいないだろう。それからReviewはただの僕の道楽だし、Absoluteは日記だ。

85ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:04:25 ID:fqwjHBzY0
醜い肉体に、美しい精神

11/6/2017
成長と諦めの違いは、他人に気づかされるか、自分で気づくかの差だ。

��
�� G-Shock日本人似合わない理論というのがあって、それはどういうことかというと、引き算のスタイリングと同じことだ。つまり、使い捨てのものに使い捨てのものをあてがっても、両者が打ち消し合って良さが引き立たない。価値のないものには、ラベルで価値を示してくれるブランド物をあてがっておくと、なんだか泥臭くてちょうどよくはまる。こっちは派生形だ。
��
�� それからこれも気に入っている表現で、友人の作品だが、「醜い肉体に、美しい精神は宿らない。」というものだ。当然のことながら、案外忘れているものだ。最も、個人的な問題は、醜いものを人間と認知できなくて、存在に気づけない性質だ。いっそ、全く違う生き物の形をしていてくれれば、それが生きている何かだと見分けることができただろうに。
��
�� これを成長と呼ぶか、諦めと呼ぶかは、まだ決めかねている。

86ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:05:59 ID:fqwjHBzY0
女の不思議

11/11/2017
記事では一件だけしか取り上げていないけれど、僕に直接かつ対等な話をしてくる人間というのは、現実世界でもネット上でも、女の子ばかりだ。驚くような熱意と知性とを持った女の子達がいたものだと、感心してメールを読んでいる。

女性と呼ぶ方が失礼がないかもしれない。僕はこれを女の不思議と呼ぶことにしている。ほかにもいくつか女の不思議というのはあって、愛することに関しては女の右に出る性はないということだ。もちろん、例外的な人間もいるが、概して女は愛することに非常に長けている。これを教えてくれたのも、友達の女の子だ。僕を元気づけてくれるのも年上の女の人だし。繊細さでいえば男なのかもしれないが、共鳴する平和的な世界を分かち合っているのはどう考えても女だ。母というのは教師であるし、この世の枠組みを人類に与える偉大な仕事をしている。どうあっても、女を中心とした社会を作ることこそが、あらゆる平和の糸口になると確信している。

87ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:07:06 ID:fqwjHBzY0
狂気のない好意

11/15/2017
よく、もてるでしょう、と言われるけれど、別にあまりもてはしない。興味や関心を持たれることが多いだけであって、もてるというのとは違う。ああいう人間たちは、僕のことが好きなだけで、愛してはいない。好きであることと、愛することは異なる。

好きであると表明することは誰にでもできるが、愛すると証言することには相手の同意が必要だ。だから、飽きてしまう。食事ならお金よりも手間のかかったものがうれしい。高い値段に釣り合った味がするものは少ない。本当に質の良いものは街ではなかなか味わうことができない。外見ばかり飾り付けられた中身のない食事に、おいしいですね、というのは骨が折れる。気の利いた保存食品なんかのほうが、鮮度の良い腐った食べ物よりも、まだましだ。ハムとかチーズとか、そういうやつ。本当に良いものを口にして生きてきたならば、あれが本物だ、これは偽物だと騒ぎはしない。ましてや聞かれてもいないのに真贋の見分けが付くだの浅ましい真似はしないだろう。豊かさを知れないことを、僕の前で実証して関心を買おうとするのは間違いだ。面白いはずである新しい人間よりも、いつもの友達と、まったくくだらないおもちゃがとれるまで、コインをつぎ込む過程の方がよほど刺激的だ。それからアイスを食べて、お互いの持つもっとも鋭い性質が刃こぼれし始めるあたりで家に帰る。心地よい疲れを感じ始めている。僕らは親しいのにずいぶん遠い。僕は愛には恵まれないが、友人には恵まれている。この不自由な平衡さが、高くてまずい食事を飲み込ませているのだろう。人を褒めるこつは、思いもよらないところを褒めることだ。相手が褒められなれているような言葉は、どこにも響かない。それから充分に感情を示すこと。感情のない言葉には、意味がない。

88ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:10:13 ID:fqwjHBzY0
spacious gateways

11/19/2017
小説の朗読音源を作っている。目で読むよりも声にのせたときに響くことに重点を置いているから、音声で再生された方が自然なはずだ。わかりやすいかどうかはともかく、音声であった方が現実味が生まれるだろう。

視覚的美観に配慮されつくした文章を除けば、声に出したときに不自然な文章は醜いと言って差し支えない。書き手が醜さを強調したいのであれば、いや、そういう質感の文章も一つの分野であったはずだ。そういえば、文章の書き方において英語と日本語の良いとこどりをした話を Knowledge に書こうかと思っているけれど、僕のような状況の人間は少ないから、説明したところで誤解を生むだけだろう。僕の話はいつも誤解される。どんな場合でも、友好的になるか敵対的になるかの差異はあるけれど、誰もが聞きはする。そして、あまり重要ではない、時間を取っていない部分について後からあれこれと聞かれる。価値のない意味をなさない細部にこだわるということは、己のくだらなさにさらなる上塗りをするようなものだ。何も塗らないよりはいいかもしれないが、太っている人間はさらに食うよりかは、計画的な減量をした方が美しいとされるだろう。感じたいままを感じるなら、生きてる人間の言葉より死んだ人間の文字を読むほうがいい。もっといえば、自然と語らう方がいい。
���� 感性のない人間に物事を説明するのは骨が折れることだ。もう少しわかりやすい言い方をするならば、感受性の貧弱な人間に対して本来的人間らしさを取り戻させる教育は、困難を極めるという言葉では足りない。ヴィクトールのほうが、よほど豊かな感情を持っていたといえるだろう。
��
ねーねーねこ:
�� 『平和な国は不細工だけを集めれば築くことができるね。女が女に嫉妬するのは当たり前のことだよね。女が男に嫉妬することもないことはないね。男が男に嫉妬するのは醜いね。男が女に嫉妬するのは、実はすごく多いんだよね。俗にいう、女に嫉妬する男だね。やばいね。女に嫉妬する男っていうのが合法的に”ねーねーねこ”できるようにならないようじゃ、暗黒時代は続くね。それから、女は夢見てるけど現実を生きてるよね。だから、夢見ても現実に帰ってこれるよね。俗にいう夢女子だね。男は夢ばかり見てるよね。現実はついでだよね。夢見てる男がさらに夢を見たら狂うよね。だから、男に夢を見ろなんて言っちゃだめだね。』

89ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:10:55 ID:fqwjHBzY0
オルガン II

11/29/2017
あんなに眺めていた窓は、くもっていたんじゃない。あれはすりガラスで、中なんてもとから見えない仕組みだった。

大きいものを作りたいって人ほど慎ましくまとまって、小さくやろうとする人ほど変におかしな偉大さをまとってしまったりする。計画を見通しが立たない時期にやってしまおうとすると、こういう自然な不自然が起こる。畏怖と驚嘆はいい名前だったと思う。古臭くて、誰もが考えつくような安心感がそこにはある。僕はイヤフォンを耳から外す。おいしくないコーヒーをすする。キャラメルが焦げる香りがする。僕のコーヒーにも、キャラメルがのっかっているはずなのに、何の匂いもしなかった。こんな寒いのに、冷たくてクリームののったコーヒーを頼むなんてアメリカ的だね、と彼は言った。僕はイヤフォンの色を見ていた。銀色の、削り出された金属の質感。彼の耳穴を離れて時間の立ったそれは、氷のように冷たかった。そこで繰り返される彼の音楽もまた、温かくはなかった。顔がないんだ、この人は。顔がないから、僕はうまく今を体験することができない。少しだけ雪がちらつく外を眺めながら、彼の行きつけのカフェで匂いのないコーヒーを飲んでいる。彼はそれをもう飲み終えている。これは、僕の内臓だ。あの音は、ぶちまけられた血の床の上をすべる靴底が鳴らしている。靴と床が愛し合うのに、血が邪魔だ。

90ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:13:08 ID:fqwjHBzY0
オルガン III

11/30/2017
僕は人の思考を先回りすることはとても得意だが、今ある感情がどこへ向かっていくか予測することは難しい。おそらく、感情の先回りというものは、ほとんど誰にとっても難しいことだ。感情は情報量が膨大過ぎる。この扱いがうまい人は予知するのではなくて、今まさに起こりあがる感情に対して即座に反応するという形をとる。

��
�� 共感というものは、実証されなければ唯の偽善である。共感というものは行動で実証されなければ、実際的な意味を持たない。例えば、僕が病気の時にある友人は野菜ジュース(酸っぱくて不味い)を補充してくれたけど、別のある友人はサプリメント(僕がよく飲んでるビタミンC)より伝統食がいかに健康に良いかを熱心に説いただけ。ここ百年程度の伝統食と科学の産物と、どちらが正しいかって言われれば、さあ、あと死ぬまで何回溜息ってつけるんだろうね。でもね、共感は物質や行動で実証されれば、有無を言わさぬものになる。科学的とか口走ってる場合じゃない。「ほら、てめえの口に注ぎ込むために野菜ジュース買ってきたぞ、おら口を開け!」ってなったら、もう科学の仕事はお終い。バイバイ、栄養学。共感しているから自分の言い分を通していいっていうのは、共感は二の次でまずは意見を通したいだけだ。自己正当化の手段として、他人の感情をあてにしているのだから、それは欺瞞的になって当然なのだ。それからこの手の人は、自分が怒ったことを、さも叱るような形式で諭す話に持っていく。僕はこれが苦手。だって、怒ったことは怒りとして出さなかったら、嘘でしょう。嘘は嘘ってすぐばれるんですよ、どんなにうまく叱って諭そうとしてみせたって、そんな感情は透けて見える。でも、分別のない人間たちからすると、こういうのは高尚でありがたく見える。生命力のない主体性の欠落した人間にはありがたいんだろうな。法悦を浮かべてるよ、あいつら。

91ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:14:29 ID:fqwjHBzY0
uncollectible�� bill

12/8/2017
人はやはり分けてはっきりさせてしまうのが好きなようだ。僕の場合、精神分析的な技術はあくまで、他人の才能や特性以外の部分を見抜くために運用している。それ以外の実用的な使い道は、あまりないだろう。

�� 特に、過度に創造的な人々(creative learners)に対して、ユングのタイポロジーを用いるのは危険である。以下に書いた��ttp://www.theodorex.org/knowledge/1584041�� 創造者的な人々のことだ。彼らの才能は、単純な分類をすり抜けた先に秘められている。giftedの子供のタイプをだいたい見分けて、適切な学習環境を整備するという試みは目新しいものではない。こういう使い方は、一定の成果があるし、giftedは操作的に分類されるから理屈上見落としはない。だが、僕の友人にも何人かいる creative learners を見抜くのは、とても難しい。歴史的な偉人でいうと、ジャン・ジャック・ルソーは、これにあたるものだったろう。彼らの洞察は極めて本質的でいて、隠されている。彼らの感情と思考は高度に融合しており、単純な物差しで測れる類のものではない。物差しを持ち出した瞬間に、彼らの存在を見失うだろう。才能というものは、時に引き取って手間をかけ、育てなければならないこともある。全ての才能が、天井の分厚いコンクリートを打ち抜いて、武装して出てくるわけではないのだ。

92ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:15:14 ID:fqwjHBzY0
missing the days

12/16/2017
十分すぎるほどの機会を作られると、何をしていいかわからない。


�� 充電台にiPhoneを置くと、バッテリーの残りはわずか数パーセントだった。今日は長話に付き合わされたと思った。だけど、彼女が色々話をしたりするのは、僕が目に見えないけれど、目に見えて落ち込んでいる時だ。落としどころのないこの毎日を、どこかに飾れるようにしてくれる。僕はそして、彼がどうしているかを聞いた。だけど、忘れてしまった。この部屋にはもう、飾るべき二人があって、新しい写真を貼る場所がない。本当はあるけれども、僕は貼りたいと思えない。もうそこに一緒に写ることは出来ない。ずいぶん前に、三人で撮ったセルフィ―があるんだ。最高のものがあるのに、あえて二番目や三番目や、それよりはるかに劣るものを置く必要はないだろう。どこにいても、飛行機で来れそうなとこなら来てしまって、それから僕を連れ出して苦手な人混みの中に居場所を作る。もうほとんど好ましいとは思えなくなっていた。成長か退行か、あるいは何かを繋ぎとめるものを失ってしまったら、人はとどまり続けてしまう。生きてすらいない人間が、なぜ死を恐れるのかは、未だに理解の外にある。あれらは、生きながら死ぬために備え、そして自分が死んだことにさえ気づかないのだろう。


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