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ナンミョウホウレンゲキョウで幸福になれる理由

1あきお:2004/09/12(日) 17:07

ナンミョウホウレンゲキョウを唱えるとき、わが生命と宇宙がきちっと
ギアをかみ合わせ、幸福の方向へ、幸福の方向へと回転を始めるのです。
春夏秋冬、365日。。大宇宙のリズムに合致して、どんな悩みも乗り越えられる
「生命力」と「智慧」と「希望」を発揮していける。
限りないエネルギーが出てくる。
「大宇宙」という生命力を爆発させながら、行き詰まりを打開し、前へ、前へ、希望
の方向へと勇んで走っていけるのです。
目には見えないが、その人の祈りを叶えるために、全宇宙が動いていくのです。
どんなときも、全宇宙が味方になるのです。

2free:2004/09/12(日) 17:44
南妙法蓮華経と唱えながら 死んでいった人を知っています。まだ若い 活動家の女性でした。
南妙法蓮華経と唱えても 不幸な方をたくさん知っています。

宇宙のリズムとは どんなものでしょう。全宇宙が味方するとは どういう状態のことでしょう。

3ラビット:2004/09/12(日) 18:57
大組織に属してナンミョウホウレンゲキョウを唱えるのではなく個人で、少人数の気の合った人たち
だけで唱えた方が個人的にも向上するような気がしますが・・・。ノルマを課せられる大組織など必要
ないんですよ。

4モーリス </b><font color=#FF0000>(JExy6YJA)</font><b>:2004/09/12(日) 19:12
>>1
創価学会本部の受け売り聞いてもしかたないんだけど・・・

5モーリス </b><font color=#FF0000>(JExy6YJA)</font><b>:2004/09/12(日) 19:13
>>1

ていうか忘れてた!
あきおさんはじめまして。

6ぱるぱる </b><font color=#FF0000>(PaRU2.Xo)</font><b>:2004/09/12(日) 21:35
>>1
はじめて書き込まれるかたですね?
初めて書き込みをされるかたには、ご挨拶を頂くようになっています。
もしあなたがバリバリ学会員のかたでも、コミュニケーションがきちんととれるかたならば歓迎致します。
そうでない場合は対処させて頂きます。
まずトップの注意事項をよく読んでご参加ください。
このスレッドは、ご挨拶頂くまでスレッドストップとさせていただきますので、ご挨拶の方は
「 ☆自己紹介☆」スレッドにてお願い致します。

7ぱるぱる </b><font color=#FF0000>(PaRU2.Xo)</font><b>:2004/09/16(木) 22:36
あきおさん

スレッドストップを解除しました。
当面はこのスレッドだけの書き込みにしてください。
他のスレッドに書き込んだり、新スレッドを立てた場合には、警告なくアクセス禁止処置をとることもありますので
慎重になさってくださいね。

8ぱるぱる </b><font color=#FF0000>(PaRU2.Xo)</font><b>:2004/09/16(木) 22:41
スレッドストップにした「題目は宇宙との対話・その効果があるから創価は発展してきた」は
このスレッドの趣旨と同じようですので、コピーしておきますから、続きはこのスレッドでどうぞ。

「題目は宇宙との対話・その効果があるから創価は発展してきた」
1 名前: あきお 投稿日: 2004/09/16(木) 22:07

目には見えないが、大地に花を咲かせ、雲を走らせ、鳥を羽ばたかせる「大いなる力」があります。
太陽を輝かせ、地球を回し、月を動かす、宇宙のリズム。
絶対的秩序で、一切の狂いが無い。規則正しいリズムです。
ゆえに、宇宙の要素を秘めた、いわば、小宇宙である人間が、「ナンミョウホウレンゲキョウ」を唱えるとき
、わが生命と、宇宙との交流が始まるのです。
爆発的な希望が生まれ、勇気も、優しさも、智慧も沸き立ってくる。
どんな悩みも乗り越えられる最高の生命状態が創られます。
最高の生命の象徴であるご本尊に、自分の「願い」を語るとき、、、
それは、宇宙へのメッセージを送ってることになります。
苦しくて苦しくて仕方ない。ただ、ひたすら題目を唱え、歯を
食いしばりながら、宇宙からのささやきを待つのです。
「簡単に」「すぐに」祈りが叶うなんてことはありえない。
そんな人生じゃ堕落してしまいます。
でも、根気強く実践するのなら、幸福の方向へと宇宙が動いていくのです。
全宇宙が味方になるとはこのことです。目には見えない。
しかし、必ず「変化」が起きます。
その変化こそが、「幸福への方向」であることは間違いないのです。
自分が実践して、自分自身が体験することが、なによりの証明です。

創価学会が説く日蓮仏法は極めて「科学的」です。
一切の「架空」などは存在しません。
だからこそ、間違いは無いのです。

幸福とは「欲望が満たされる状態」ではなく「現実に負けない不動の精神」です。
富士山のように、どんな嵐にも動かされない最高の生命状態、これが幸福です。

題目を唱えてるからといって、苦難が消えるなんてことはありえない。
苦難を歓喜に変えるのが、創価学会の哲学です。
「不可能」を「可能」にした奇跡のような体験をした人がたくさんいます。
僕もそのなかの一人です。

2 名前: アロエ 投稿日: 2004/09/16(木) 22:27
あきおさん、こんにちは。
この時間は私しかいないようなので、お先にレスさせて頂きます。

> ゆえに、宇宙の要素を秘めた、いわば、小宇宙である人間が、「ナンミョウホウレンゲキョウ」を唱えるとき
、わが生命と、宇宙との交流が始まるのです。

このセンテンスに、とてつもなく大きな論理の飛躍がありますよ。
普通の人が聞くと、「ここにアリが1匹いる。だから、カレーは美味しいのです」
と言ってるように聞こえます。

9アロエ:2004/09/16(木) 23:17
ぱるぱる管理人さま
処理ありがとうございます。
いつも、この場(掲示板)を管理して頂き、ありがとうございます。

10デキナイ:2004/09/16(木) 23:42
あきおさん、こんばんわ。あきおさんの書いていることって、信心をしたてのころの自分のようで懐かしいです。
あきおさんは15歳だから、その信念のままでいいと思います。これから大学受験や就職や、さまざまな分岐点があります。
そのときに強い信心で乗り越えてくれればそれで良いと思います。ただ、未来部から男子部、壮年部になったとき、
地区の会合などに出席してがっかりしないでくださいね。そこにはあきおさんが書いてくれた元気づける言葉などなにもない、
ただ折伏した人数、選挙を頼める友人数や、聖教新聞啓蒙数だけで信心の有り無しを判断される
大きな組織になっているのが現実です。私の母は純粋に信心し、仏法対話もしています。ただ無理強いをしないので
数字はありません。そうすると学会本部の婦人会館にも誘われなければ、牧口記念会館にも
行かせてはもらえません。新聞をみてあこがれている母がきのどくです。これが、現実です。

11名前はごめんね:2004/09/17(金) 00:39
>>10
あなたが気の毒だ、と感じたとしても、
お母様はどうお思いなっているのでしょうか?
大きな会合に出ることが全てでは無いではないですか。
あなたはそんなこと分かっているはずだと思うのですが。
甲子園球場だって、後楽園のドームだって
入れる人数が限られているのですよ。

12デキナイ:2004/09/17(金) 07:39
>>11
母はべつに大きな会合に出たいわけではないです。ただ、会場となっている
婦人会館や牧口記念会館のすばらしさは聖教新聞で紹介しているでしょう?
そこに行ってみたくても、数でしか評価されない世界では、そんなことすら
かなわないということと、そんな現実的な組織ですよということを
あきおさんにおしらせしたただけです。それより名前はごめんねさんは、
大切な未来の人材のあきおさんを激励して、あきおさんにふさわしい掲示板を
教えてあげたらいいかがでしょうか?

13ぱるぱる </b><font color=#FF0000>(PaRU2.Xo)</font><b>:2004/09/17(金) 08:30
>>11の名無しさんへ

ここできちんとご挨拶をされていないかた、固定HNのないかたは
ここで発言する権利はありません。
トップをちゃんと読んでください。
そういうことを踏まえないでここに書き込むかたに意見をしても
ただただ失礼なだけです。

14free:2004/09/17(金) 11:05
 モーリスさん マナーは大事ですね。あきお様 初めまして。

 唐突に 突っかかって 申し訳ございませんでした。学会指導そのままが載っていたためです。少し 想像力を働かして下さい。ココは 学会指導で 疲れ果てて ボロボロになった方が集う 安らぎの掲示板です。学会誌に書いてあるようなことをそのままコピーされても、何の感動もありません。

 例えば 私があきお様の ホームグラウンドのHPで

「学会辞めたら最高だよ。目の前が バラ色になったよ。バラ色って言うのは違うな。もう 金色にぴかぴか輝いていた状態だよ。だって 明日から 新聞啓蒙もF取りもないんだぜ。仕事から帰っても 会合もなくて、ゆっくり家族と団らんできるんだぜ。友人に 学会のこと話して 変な顔されたり仲間はずれされなくても良いんだよ。お祭りには 参加できるし、神社もお寺も自由参拝。彼女に学会員だからって別れを切り出されることもないし。もう 幸せで幸せでたまらないよぉ。」
と書き込んだら どんな気がされるでしょうか。

15ニコ:2004/09/17(金) 11:20
>>12
>婦人会館や牧口記念会館のすばらしさは聖教新聞で紹介しているでしょう?

本当にそうですよねぇ〜
会合でも殊更そういう風に強調するよね。
「今回の戦いで〇〇さんはとても頑張ったので〇〇会館での会合に代表で参加してもらう事となりました」
「わ〜すごいわぁ〜.。゚+.(゚ー゚)。+.゚ 」
みたいな風景は日常茶飯事でしたw

そういうところなのに

>>11
>大きな会合に出ることが全てでは無いではないですか。

なんて平気で書ける神経が(゚Д゚)ハァ?

名無しさん。
どのような人か分りませんが、人の気持ちを読み取れない無神経な人だと確定させて頂きました。

16free:2004/09/18(土) 09:29
「学会に入ると 絶対幸せになるから」と、恋人や親戚に言われて 入ってみると、折伏 新聞啓蒙 公明党票 友人連れ出しの数の強請。そこには 仏教を静かに研鑽する 求道の心はありません。

信心は 強請するものではないのです。物事には 表と裏があります。学会の表ばかり見ないでください。学会に入った故に こんなにも苦しんでいる人達が居ることを 忘れないで下さい。「絶対正しい」ことなど 無いのです。

「アドルフに告ぐ」という 手塚治虫の漫画があります。一読をお薦めします。どうか 学会指導だけを鵜呑みにせず 広い社会に目を向けて 人の痛みのわかる 大人になって下さい。

17なんだかだが・・・:2004/09/20(月) 14:46
>>1
>その人の祈りを叶えるために、全宇宙が動いていくのです。
>どんなときも、全宇宙が味方になるのです。

これ面白いねー。

もし創価学会がこれで日研師を呪う。そして日研師が創価学会の池田大作を呪う。

どちらも宇宙が味方して願いをかなえようとする。

こら宇宙と宇宙の戦いだねー。 ←これってどうよ。

っておれはただのアウトサイダー。ミツヤサイダーでもあるってのが、そうか仏法か。

そうかそうか、ふう〜ん。こら尾もろいね〜。どうよ

18なんだかだが・・・:2004/09/20(月) 14:50
ってこれってどうよって尾もろいよな〜。

要するにこれってつまりはお題目ってただの「呪いの呪文」てことでさ。

「何かに帰依するぜ」って意味なんて、鼻からナーンモないってことじゃねー
のかな〜とな〜。なー、どうよ。にゃ散れん信者らよな〜。

19なんだかだが・・・:2004/09/20(月) 15:00
でだ、それを法華経が文底で書いてあってその呪文を唱えろって法華経は言って
るんだぜーってのがにゃ散れんの主張なわけだって説明だよなー>にゃ散れん信者さんな〜

で、その法華経は釈迦の隠された教えでどうので、それが釈迦の最後の言葉で
法華経はその釈迦が最後に教えた教えだからそれが真実釈迦の言いたかった教えで
それが40余年眉間真実ってやつだとかって教えだよな〜。

で、それがどうしたってことだろな〜。実際には釈迦は法華経なんて口伝してない
ってのはすでに仏教学の常識だからね。つまり創価学会が教えてる法華経イコール
釈迦が最後に教えた真実(5時発狂of点台チギ説ねー)で、だからそれをにゃ散れん
が強調している、それで「法華経は仏教」で「そのタイトルにはその文底で唱えろ
と言ってる」から「唱えればそれで効果がある」ってのが創価にいたる法華一味の
論理のだったんだよな〜。

だがそれもすべてはうそだったと仏教学は言ってるわけだが、そういう常識も創価
学会なんぞには通用せんとこういうわけでな。で結局池田クンも今のようにして
蒙昧な現代の迷える子羊どもをうそで煙に巻いて騙しこきまわしていいように金を
せびり取ってこらええ気分やなーとこういうわけだったわけだな〜。いやー、
創価って困りものですなーしかし。

20なんだかだが・・・:2004/09/20(月) 15:12
でさ〜、結局この論理を認めれば「法華経は仏教ではない」かつ「そのタイトルを
呪文のようにして唱えるのが最高の仏教だってな主張や議論(=にゃ散れんの主張)」
は、

    別に仏教とはなんもカンケーないって

ことだよな〜。

要するに軒下借りたら図に乗って母屋のっとるんだぞってのが、要はにゃ散れんの
やったことだったわけだね。これで頭は7分だなどとはこら笑わせるってことだった
わけだ〜な。

   ナンミョウーホーレンゲーキョー

が意味のない呪いの呪文、丑三つ時にくぎ3本打って呪うのにぴったりの呪文だった
ってことがはっきりした時点でさ、もう仏教って言葉を使うのをやめなよ。
「呪文=仏教」だってさ〜、あー恥ずかしいー、、(ry〜)

21アロエ:2004/09/20(月) 16:00
なんだかだが・・・さん、こんにちは。

そうそう、各家庭の仏壇に「○○撲滅!!!」とか平気で書いてるんですけど、
「かなり異常」なことだと思わないのですかね。麻痺してる。

せっかく面白いこと言われてるのに、当て字はあんまり使わない方が読みやすいです。

22犬作 </b><font color=#FF0000>(nH.EB2uo)</font><b>:2004/09/22(水) 01:40
>>21
アロエさん、はじめまして。

異常を通り越して、怖いですね。
創価学会は、明らかに間違った方向へ行こうとしています。
誰か止められる人がいれば宜しいんですが・・・、、いないんだよなぁ(ハァ。

23なんだかだが・・・:2004/09/25(土) 12:55
さて再び「なんだかだが・・・」ですが、よろしく。さて、まずは以下をお読み
ください。

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/3784/1071192211/124-136

今度はこちらで続けましょうね。ここでさらに考察を深めましょうか。上記の136に
書いたことは以下でした。

>・「ナンミョーホーレンゲーキョー」を唱えることで得られた快感や体感が
> 法華経の法力によるものであるという証拠はどこにもない
>・それが思い込みであるのか、はたまた生理学的効果であることを説明する実験は
> まだ行われていないものの、どんな思想を信じていようと「その音韻を唱えれば
> 得られる体感」というものは、おそらくは「宗教」として保持しうる思想とは
> 無関係な効果であることは容易に推測可能であること
>・現実に同じジュモンを唱える信者同士が簡単に争い合い、しかもその争う「道具」
> としてその呪いの効果を持つとされるそのジュモンを用いていることが可能なこと、
> それは結局のところそのジュモンが「道具」ではあっても「我々を教える主体」では
> ありえないことをほとんど証明していること
>
>これらの現実によって我々は、こうしたジュモンがもともと宗教の名で語られてはならない
>種類のものであったことを知るのではないだろうか?
>
>あえて言うなら、それはせいぜいヨーガの方法論としてであり、マントラとしての
>瞑想の道具としてであり、それが一宗教を構成するための崇拝の対象にはなりえなかった
>ことを物語っているように考えられるのである。

これらを解説しましょう。

24なんだかだが・・・:2004/09/25(土) 13:01
題目唱えが持つ効果はほとんど生理学的なものであるということの証左としては
次のものがあげられるのです。

1.題目唱えの響きとリズムは、実は和太鼓の響きとリズムと同じものである

  和太鼓を聴いたことがありますか?演奏会は夏祭りや秋祭りでも行われますので、
  そばで聴いたことがない人は行って聴いてみてください。そうするとそこでは
  このことを実感することでしょう。テレビで見て聴いているときはそれはわからない
  のえすが、間近で聴いてみるとはっきりと認識できるでしょう。

  そのときに響いてくる低音の響き、腹に来る響きを体感するはずです。それが
  題目唱えのリズムと響きと一致することにあなたは驚かれるはずです。つまり、
  横隔膜を刺激して腹から入る低周波数の振動があなたの体に染み込み、それが
  血行を活性化し、また神経を静め、そして弛緩効果を生み出し、また何かやる気を
  引き起こすような気分にさせられていくことを感じるはずです。

  これがすなわち題目唱えのリズムと響きが、実は和太鼓のリズムと響きと同じもの
  であることをはっきりとわからせる事実となるのです。題目とは要するに和太鼓の
  リズムと響きを、一人で体で実現する方法のひとつであるということに過ぎない
  ことに気づくことでしょう。そのときにそれが全身の血行をよくし神経を静め、
  そしてやがて免疫力さえ高める振動の効果であったことを、あなたは知るのです。

25なんだかだが・・・:2004/09/25(土) 13:07
  さて実は、こうした効果は、すでにチベット仏教の読経のリズムでも現れていました。
  日蓮の題目リズムは実はチベット仏教の読経のリズムでもあったのです。これは
  ときおりテレビなどでチベットを訪れてその模様を放送することがあるのでそういう
  時に聞いて見るとわかるでしょう。そのリズムは高速で題目を唱えたときのものと
  ほとんど同じです。つまり彼らも、読経の文句は違えど、同じリズムと低音の音韻の
  連続という効果を応用しているといえるのです。

  法華経のタイトルだけが特許的に実現しているものではないということを知ること
  が必要ですね。さて次です。

2.題目唱えは、同様の効果を持つところの別のマントラに交換可能であること

  法華経の題目とされてきた「ナンミョーホーレンゲーキョー」は、このように
  和太鼓のリズム発生器としての音韻でしたが、しかもそれは音韻の特徴によって
  実現されていたのです。

  たとえば、こういうマントラを考案してみましたので興味のある人はぜひ試して
  みてください。

  「ビョンデンベンデン レンベンデンギョウ」

  「ビョンデンレンゲン ベンデンデンギョウ」  

  これを題目唱えの場合と同様に、連続称揚してみてください。おそらく全く同じ
  効果効能が現れることでしょう。どうでしょうか、これは驚くべきことではないで
  しょうか。つまりは、これはこれまで不思議な効果として考えられてきた宗教的
  な観念とは無縁な、実は無意味なマントラの効果と同じものであることを、何より
  証ししているということなのです。

  その秘密を明かせばこうなるでしょう(続く)。

26なんだかだが・・・:2004/09/25(土) 13:16
続き)
  ・これらのマントラ(呪文)には、撥音便「ン」が多用されています。これは
   鼻腔の奥に呼気(吐く息)が吹き込まれる音韻であり、それが鼻腔の奥に湿った
   呼気を機械的に送り込み、それが鼻腔の奥を広げて振動と実際の空気の流れによる
   刺激を、次から次へと連続的に与え続けることになります。これがまず第一です。

   これは題目唱えを何時間もやった人はすぐに納得することでしょう。そういう
   人はかならず鼻声になっているのですが、その秘密はこの撥音便の多用によって
   鼻腔が広がった結果だったのです。人はそれだけで弛緩効果を受けて神経が
   静まる傾向があるのです。

   しかしその秘密にはもっと深いものがあったでしょう。それは、これにより鼻の奥の
   血行が促進され、また鼻の奥に程近い位置にある脳下垂体に振動と圧力の刺激が及び
   ます。これが脳下垂体を活性化するように働き、下垂体ホルモンの分泌を促つことで
   しょう。

   しばしば福運のひとつとしてあげられる病気が直ったとされる事例の多くは、実は
   こうした振動的効果による弛緩効果と同時に、こうした内分泌腺への刺激による
   ホルモン分泌の効果があったからなのです。また体の小さかった人が大きくなった
   とか、元気になったとかの本当の原因はこうした下垂体ホルモンの分泌が盛んに
   なった結果であったと考えられます。つまりマントラ唱えはこうした内分泌腺への
   刺激による効果をそもそも狙ったものであったのです。

27なんだかだが・・・:2004/09/25(土) 13:25
(続き)
  ・撥音便の効果と並行して、最後の「ギョウ」に注目してください。ここには息を長く
   吐くための方法が使われているのです。

   これは、いわゆる題目では「ホウ」も含まれていますから、そこでも息が長くなる
   ように促されるでしょう。つまりこれらホウやキョウ、ギョウは、その時に息を
   ゆっくり吐かせる効果をもち、それによって呼気をためてどっと吐き出すような
   働きになります。これは禅などで息をゆっくりさせるのを推奨するのと同じで、
   弛緩効果を持つでしょう。気功などではこれは「体の中の邪気を吐く」として
   つかわれている音韻でもあります。

  ・濁音の多用もまた気が付くでしょう。いわゆる題目では「ゲー」がそれです。その
   効果はなんでしょうか?実はこれは振動を低周波に導くための方法でした。ゲーなど
   の濁音は、音韻の調子を低周波に導き、全体の周波数をさげて発音させる効果を
   持つのです。これが全体のトーン・周波数を低くさせて、弛緩効果を強めていると
   いえるのでした。

  ・さらに「ゲー」の効果は実は別の意味がありました。

   それは「エ」の効果です。「エ」は口を横に広げて発音しますが、エは「エクボ」
   です、つまりエは笑って頬が横に拡張した時の発音で、これは「笑う角には福来る」
   の原理を応用したものです。つまり、「エ」は人の顔の両横で上下に走る神経の
   弛緩をもたらし、かつ幸せに笑った時の神経の状態を実現するでしょう。これが
   神経への暗示となり、その人に笑ったときの感覚を取り戻させる効果があったのです。
   つまりこれは「エ」の持つ体から心への「笑」への暗示効果でした。
   
   題目を唱えるのが習慣化すると、なんとなく顔がふっくらして福福しくなったような
   感覚を得るでしょうが、その秘密はこの「ゲー」による「エ」の発音にあったのです。
   それで気分がゆったりすると、それが元になってなんでもリラックスしてできる
   ようになるので、なんでも成功しやすくなるとこういうことだったのです。

28なんだかだが・・・:2004/09/25(土) 13:34
(続き)

さて、このように「題目マントラ」の秘密はかくも明らかになってしまいました。
つまり、マントラは音韻の組合せと順列による、

 1.和太鼓などの超低周波振動・リズムによる腹への弛緩効果を声で実現し、
 2.内分泌腺、とりわけ脳下垂体の活動を活発化させる鼻腔奥の機械的振動効果を持ち、
 3.さらに「エ」の発音によって顔の神経に微笑の感覚を再現させる効果を持つ

ということだったのでした。

つまり、そこには「宗教的な不思議」は存在していません。適宜リズムと音韻が組み合わ
されてしまえば、それが「意味も持たない」ものであっても、それは必ず効果を発揮する
ものになるのです。

これが「題目唱え」の効果のほぼ完全な解明です。つまりそれはほぼ完全に生理学的な効果
なのだということであり、何かの宗教に依拠した唯一性は本来持っていないということです。
それはこうした人間の生理学に準拠した特長を備えていさえすれば、それだけで単純に効果
を発揮する、ということなのです。

それは「法華経のタイトルである」ということが、元々そもそも必要ないことだったのです。
つまりこの特徴的な音韻を含み、適宜発音が繋がり安いように順列されたものであれば、
それに代替が可能なものでもあったのです。つまりそれは、「法華経のタイトルである」から、
それが「因縁めいていて」ありがたいものなのだという論理はもはや成り立たないということ
の証拠なのです。

これが日蓮以来日本で広まってしまった大いなる誤解宗教の本当の解明でありまた秘密でした。
天台のチギに始まる法華経タイトルへの執着というテーマの根源は、実はこうした生理学に
よって読解されたといえるわけです。

このようにあらゆるものを冷静に分析し、事の真実とは本王は何であるのかを解明して
行かなければならないのです。そうすることなく、単に宗教を盲信していくなら、それは
またただカルト化のために奉仕するだけとなるのです。

29なんだかだが・・・:2004/09/25(土) 13:41
(続き)

宗教というものはその発生の根源からして、往々にしてそもそもが「カルト」そのもので
あるのですが、日蓮教もそのひとつでした。これは日蓮のような本来的に真言的傾向の
あった人が「仏教」というものを誤解したことがそもそもの始まりであったと言えます。
しかしその誤読はそもそも天台にあり、またその始まりはすでに書いたように、観無量寿経に
みられる経文のタイトルへのとってつけたような崇拝を促す文言だったわけですが、そう
した文言の連鎖がありとあらゆる妄説や宗教的思弁を生み出し、再びそれに依拠した読解
を継承していくといったことの中で宗教的信念というものが形成されていったのです。

しかし、仏教はそもそもが、そうしたカルトの解体のために提出された釈迦による目覚め
の運動の創始であったはずでした。釈迦は迷信的なバラモン経の呪縛を排除し、その時代の
社会を覆っていたそうした非科学的慣習や人々の観念を払うために、現代的なまでの合理
主義的理性の目覚めを説いたのでした。死んでしまった子供を憂う冷静さを失った母親に
うまい喩え話で適切に教えた釈迦は「目覚めること」を教えたのであり、呪文によって
奇跡が起きることを説いたのではなかったのです。仏教という言葉はこのように正しい
意味において正確に使われるべきなのです。

すなわち彼は超自然への崇拝や盲信ではなく、むしろ禅的であること、あるいはあらゆること
に対して冷静になることを説いたに過ぎないのです。それこそが大事なことであると。

しかるに目覚めではなく、人々はあくまでも妄説に従うことで「眠る」ことを選択してきた
のです。

そしてそれが仏教であるかのような錯覚を得てこの方2500年を過ごしてきたのです。
そしてその結実が、まさしくこの現代では創価学会のような団体として実現してしまった
という非常に不幸な結果を招来してしまったということだったのです。

どうかあなた方の正しい真実への認識という本来なさねばならない仕事に取り掛かって
ください。そうすることだけが、本当の世界の平和に貢献する唯一の道であるのです。

それではひとまず筆を置くことと致しましょう。

30ラビット:2004/09/27(月) 07:14
なんだかだがさん、
詳しいですね。私はクリスチャンですが私もナンミョウホウレンゲキョウだけなら
正座して声を出してやるのだから本人の健康にはいいだろうなとは分かっていました。
ウチの近くには和太鼓ではなくドラムを叩いて勤行しているヤツが居ます。
二十四時間いつでも起きてやっていますね。サラリーマンではなくいつ死んでもいい
捨て駒でしょう。これが困るのですよ。いかにも嫌な宗教組織に属しているようで独り者
の私を追い込むのです。
ウチの団地では建て替えが迫っていてS価学会ぐるみで団地乗っ取りが進んでいて
アンチや他宗教の者や自分達の気に入らない者をあの手この手で追い出しにかかって
います。共産党も丸め込まれている感じです。残った者でどんな団地を作るつもりですかね。
今以上に地獄の団地になりますよ。
公明党が与党入りしてからますます厚かましくなっているのです。勇気を持ってNOを
突きつけ戦わなければ被害者はワルどもを太らせるだけで終わりますからね。

31アロエ:2004/09/27(月) 21:54
なんだかさん、面白い解析ですねぇ。
これは、自分でなさったものですか?どなたかがされたものですか?
何か参考になるものがあれば教えていただけませんか?

かなり昔、題目には5つの母音が全てそろっているが、念仏には欠けているから
どうのこうのという話を聞いたことあります。
「エ」や「オ」などはそうですが、上記のような解説は初めてです。

32なんだかだが・・・:2004/09/28(火) 22:24
>>30
いやー、それは大変ですね。

でも大丈夫です、ここで述べた理論がおそらくは正しい理論ですから、つまりは
彼らにもこういうことを教えてあげれば、彼らも自分たちがカルト経でわあーわあ
やっているのはあほらしいことだといつかはわかる時が来ることでしょう。というか
ですね、彼らも一般信者は単にに被害者なのです。つまりそういうカルトでやられた
迷えるこひつじたちだったのですよ。

だから人類の知の発達とともに、いつかは目覚める運命にあります。もしそうなら
なければ彼らも人類の知の発達においていかれるだけになるわけですから、早晩こうした
客観化の知の進化の中で雲散霧消する運命にあるのです。それは被害者である彼らの
救いであり、それと同時に騙していた側である創価学会という団体の運営側の運命的な
死であるのです。私はそのように信じています。

33なんだかだが・・・:2004/09/28(火) 22:29
>>31
私が>>27などで書いたことは興味深いことだったと思いますが、これらは私が体験的に
発見したものです。

私は自分で題目唱えをやってみてそのときの体感とほかのものとを比較しながらその
秘密を解き明かそうと考えました。そして体験的にそれを得たのです。代替呪文もそうした
試みの中で得たものです。これは必ずしも完全な代替にはなりませんが、かなり題目の
特徴を捉えた変更呪文になっていることに気が付いたのです。それは音韻の特徴が似ている
からなのです。

それにもまして、和太鼓の響きやリズムが題目唱えのとれと全くイコールであったのは
非常にすばらしい発見でした。これが私にひとつの重要な発見の種を与えたのです。
そこからこれは(題目唱えは)おそらくはリズムと音韻の秘密を持ち、そこから物理的、
生理的に影響を与えられて人体を通して心や精神、意識に効果を与えているのだと
直感し、そしてやがては確信を抱くまでに至ったのです。

34なんだかだが・・・:2004/09/28(火) 22:37
>>31
>かなり昔、題目には5つの母音が全てそろっているが、念仏には欠けているから
>どうのこうのという話を聞いたことあります。
>「エ」や「オ」などはそうですが、上記のような解説は初めてです。

そうかと思います。こういう説明は私が人類始まって以来(大げさですが・・・)
の大発見ではないかと自負しています。誰かがこれをさらに研究して論文でも発表
すれば、おそらくは歴史的な学問的宗教研究の端緒となるのではないかと思って
おる次第でした。いや、それくらいこれらはこれまで誰も言っていないことでは
なかったでしょうか?

で、この「エの効果」が題目の場合には非常に重要であると考えられました。
それはまさに笑顔の「エ」だったのだと思います。「笑う門には福来る」の原理は、
おそらく「アッハッハッハ」や「イッヒッヒッヒ」の笑いではなく、「エッヘッヘッヘ」
の笑いだったのだと思います。(まあこれはちょっと下品ですが)

35なんだかだが・・・:2004/09/28(火) 22:43
念仏の場合は、これは概念としての阿弥陀如来の他力に任せるということの決意と
しての唱えであり、題目と違ってあくまでも「唱えることの反響としての影響力を
浴びて(つまり体感から得る力)ではなく、むしろ精神や意識が先にできてはじめて
口でそれを宣言して信仰を表すというものだったと思います。

その点、念仏自体は題目のような効果効能ははじめからないのでした。それ自体が
その唱えによって救われるという性質のものではなく、”そういう信仰”を持つという
ことのマークみたいなものでしたから、あくまでもマントラとしての効果効能は
はじめから期待できない代物でしたね。

ですから、逆にいえば、この方が「宗教」としての性質をより正しく持っていると
いえました。つまり、ヨーガでも体操でもない”信仰”がそこにはじめから必要
だったからですね。それが題目とは全く種類の異なるものであることを証している
ということではないでしょうか。

36なんだかだが・・・:2004/09/28(火) 22:52
で、また話を音韻の効果の方に戻しますと、「エ」の効果は、「レン」と「ゲー」
の両方にありましたが、これらが「ミョウ」や「ホウ」と「キョウ」の両方に
はさまれて近くに配置されていることが重要だったのだと思われました。

この「エ」は自然にこの息を長く吐かせる音韻「ミョウ」や「ホウ」「キョウ」
の近くにあることで、顔の筋肉を非常に効率よく動かさせるのでした。つまり、
笑顔を効率よく生み出すことに貢献しているわけでした。

よく聞くことだと思いますが、「お題目は朗々と声高らかに唱えるのがもっとも
効果的」という説明は、まさしくこの顔の筋肉の運動を自然な形で行わせる方法
だったということなのです。声高らかに、朗々と唱えるとどうなるかというと、
それによって口の開け方を堂々と立派に開けるということにつながるからなのです。
それによって自然に創られる笑顔への運動効果が自然に心に暗示的に作用し、それ
によって自然に心が喜ぶように「仕向けられる」ということだったのです。

37 なんだかだが・・・:2004/09/28(火) 23:00
人はそのことを明示的に知らないで、朗々と唱えるので、それがより効果的に精神
に影響を与え、自然に知らず知らずにその効果によってだんだん元気になり、喜び
を感じるように「仕向けられていく」ということだったのです。

これは催眠暗示だよ、それでこういうメカニズムでそうなるんだよ、と誰も説明して
はくれませんでしょうし、しかもむしろこれはありがたい不思議な法華経の法力の
おかげで「歓喜」を得るようになるんだよ、と吹き込まれるわけでしたから、私たち
はそれが半信半疑ながら唱えるのでしたが、しかしそれがこうして「体のしくみ」に
依拠した(言ってみれば思っても見なかったようなメカニズムによって)効果を
与えられていたわけで、それが実際に効果をこのようにして持っていたので、その説明
「法華経の題目、タイトル」はすごいんだね!!と感じるようになっていったのです。

しかし、本当はここに書いたことこそ、この題目唱えというものの、トリックとも
いるほどの効果の秘密だったのです。

38なんだかだが・・・:2004/09/28(火) 23:08
ちなみに、これをもっと端的に検証する方法があります。それは、お題目の変わりに、

  ゲーキョオウーゲーキョーオーゲーキョオウー・・・・・

と、「ゲ−キョウ」だけでゆっくり繰り返すという方法だけで試してみてください。

これでも鬱な気分が何か晴れてくるのがわかるでしょう。ちょっと気分が落ち込んだ
時に試してみてください。すぐにこの効果がわかるでしょう。

どうです、これでもうこの効果の意味がお分かりになるでしょう。つまり題目唱えの
効果とは、この「エー」の音韻が笑顔を作るのだということと、「キョウ」が息を
長く吐かせて、腹の中にたまった邪気を吐き出させる効果を持っているからだという
ことを実感するはずです。これが体感としてはっきり感じることができることでしょう。

どうでしょうか?疑問の方はやってみてください。簡単にお題目の秘密は解明できて
しまうのです。いかがですか、面白いでしょう。

39なんだかだが・・・:2004/09/29(水) 00:09
しかし、これだけがすべてではありません。はじめに述べた通り、撥音便「ン」の
効果もまたこれら「エ」と「オウ」の音韻と絡んで、巧妙にその効果を高めていた
のです。

「ナン」ではじめることで、撥音便の効果「鼻腔奥に呼気をぶつけて響かせる」と
同時に、出だしで爆発させて覚醒的効果を与えるということと、上記の「呼気を
長くさせる」と同時に「笑顔を導く」中でも、「レン」によってまた撥音便を響かせ、

 ナン  -> 撥音便効果で鼻に息を入れ(脳下垂体を内側から緩く圧して)
 ミョウ -> 呼気長く吐いて(喉付近の邪気=筋肉の停滞を払い)
 ホウ  -> 呼気長く吐いて(下腹部の邪気=筋肉の停滞を払い)
 レン  -> 舌で弾いて振動付きの撥音便で鼻腔奥を振動で叩き
       (笑う門に福来るにしながら脳下垂体を振動的に刺激し)
 ゲー  -> ここで自然に笑顔にしながら息を長く吐き(上腹部の邪気=みぞおち
       の筋肉の停滞を払い)
 キョウ -> さらにその同じ息を長く吐く(同じ上腹部の邪気=みぞおちの筋肉の
       停滞を絞りきるように払う)

これが、「ナンミョウホウレンゲーキョウ」の人体絞りの秘密だったのです。

40なんだかだが・・・:2004/09/29(水) 00:24
このような体操の効果を狙った呪文が、法華経のタイトルとして長い間唱えられて
きたものだったということで、これは完全に体操効果です。

つまりこれははっきり言えば、ヨーガなのです。

ヨーガではマントラは内分泌腺を刺激するものとして昔から用いられてきました。
真言宗という宗派がありますが、この「真言」というのがいわゆる「マントラ」
をさしていました。で、真言宗というのは元はいわゆる密教であり、それは実は
「喩伽行派」といわれ、つまりはヨガ行を行じる宗派という意味だったのです。
それはつまり、バラモン教の中の修行集団であったヨーガ派の教えに回帰した仏教
の一宗派という意味だったのです。ですので、マントラは真言宗の唱える真言で、
「ノウマクサンマンダーラ、オン〜・・・」というのがいわゆるマントラでした。

日蓮は天台真言宗の僧侶団のメンバーだったとの記録があるようで、おそらくかれは
そうしたマントラの研究をしていたはずでした。もちろんその過程では歓心行として
言われていた瞑想法も試みたことでしょう。それには阿字観瞑想や天台の開発した
摩訶止観の瞑想も行ったことでしょう。その多様な修行法を比較検討する中で、
チギの説にあった法華経のタイトルも応用されたに違いありません。それをマントラ
として利用できるのではないか、そうした工学的応用をかれは真言の修行の過程で
行ったのだと考えられるのでした。

41なんだかだが・・・:2004/09/29(水) 00:38
ですので、彼はマントラの自己を実験台にした体験的な研究を重ね、そこでこの
法華経の題目、タイトルを利用したマントラを唱えることを実際に実験し、そこで
ここ>>39に示したようなメカニズムで起きていた自分の人体の中の現象によって
自分自身に起きた体内の内分泌腺への衝撃的な効果を知ったわけだったのです。
これが日蓮が自分のマントラ研究で知った発見だったのです。

そこでは滑らかにスタートしたマントラが快感を持ってリズムを刻み、その音韻が
持つ次から次へと唱えさせる体感、すなわち筋肉の弛緩と緊張、振動と鼻腔奥への
心地よい刺激、呼気の長い排気方法、といったことの連続による体内の再調整、
そしてとりわけそれに伴う脳下垂体への活性化刺激、さらには前頭葉への血流促進、
そしてまたそれらが高まって左右の副腎皮質へのホルモン刺激を生み出して全身の
内分泌腺の活性化を促す、いわば「体内における瞑想経験」を効率的に体感したの
に違いありません。これが彼に法華経の題目への信仰を生むきっかけとなったので
す。

42なんだかだが・・・:2004/09/29(水) 00:54
日蓮がそもそも真言的傾向を強く抱いていたというのは、彼が「時の朝廷は真言の
マントラで僧侶にたくさん祈らせたにも関わらず、戦さに破れたのはなぜか?」と
言ったような疑問が強くあった、というようなまだ叡山に上る前の彼が抱いていた
思考にもはっきりと現れています。彼は根っからのマントラ教人間だったのだと
言えるでしょう。仏教といえば真言教だというような誤解をはじめから抱きながら
子供のころから仏教という環境で過ごしてきたのでしょう。そのくらいかれには
「何かを唱える」というのが仏教というものにかくべからざるものであるという
信念を強く抱かせていたのでしょう。それに当時の「法然の念仏」の広まりの影響
もあったことでしょうが、それよりもかれはあくまでも真言的傾向が強い人だった
のではないでしょうか。

その彼が、上記したようなメカニズムを持つ「題目」と称されたマントラを唱えた
ことが、人類を大きく左右するようなエポックを創出してしまったわけです。

つまり、彼は、この強い影響力を与えるマントラこそ、釈迦が仏教として本当は
言いたかった本当の仏教だったのだ、という観念をどうしても強く信じざるを得な
かったからでした。つまり、彼の生きた当時の天台の教説というものが五時八教で
あり、法華経至上主義であり、そこでさらに大乗経のタイトルに力があるの経文が
出ていた時代だったからであり、そこでの法華経のタイトルはまさに彼に衝撃的な
体内瞑想経験を与えた衝撃的な釈迦の隠された秘教であり、法華経の文底にはそれが
秘沈しているに違いない、として考えられたに相違ないからでした。

43なんだかだが・・・:2004/09/29(水) 01:04
これこそまさに日蓮における法華経のタイトルへの信仰の発祥でした。

そしてこうしてそれへの信仰というものが過去750年もの間、ずっとその思弁と共に
少なからぬ信者を作り出してここまできたのだといえるのでした。

しかしその実相とは、すでに書いた通りの生理学であったのです。

それが過去750年の「宗教」を形成させた本当の原因だったのです。どうでしょうか、
みなさん、これが人間と人間を争い分かれさせるほどの宗教を生み出す本当の原因
だったのです。日本では殺し合いにまで発展するほどの宗教戦争にはなかったものの、
しかし実際にいまではそれが大元で創価学会と日蓮正宗は争っていますし、その熾烈な
戦いはまさに世界でやむことがない宗教と宗教の争いの雛型のようなものでした。

このように、現象を客観化できない人々はみな宗教観念を元にしてそれを種にして
戦い、争いあうのです。物事を「真実はどうなっているのだろう」と考えてそれを
見極めようとしないで、与えられた教説をどこまでもどこまでもただ信じるだけに
なれば、そこにはカルトとカルトの戦いしか残らなくなるのです。

44なんだかだが・・・:2004/09/29(水) 01:15
すべての物事には、本当の原因があります。

しかしそれをただ宗教的観念で覆ってしまうだけになれば、そこから先は何も見えなく
なります。それが人間の知の停滞なのです。

そこからはほかの考え方は入りません。ただ宗教の上層部や教祖が「言う」から
あなたは「信じる」のでしょうか?あるいはだれかの宗祖がその遺書に「書いてある」
からあなたは「それをそのまま信じる」のでしょうか?

それはおそらく間違いの道に足を踏み入れる一歩です。それが信仰だというのなら
あなたは北朝鮮の首領サマを世界の唯一の慈悲深い首領サマだと信じているのと
大差ありません。それは結局「首領サマ」が「そうだと言う」から「そうだと信じ」
ているということそのままだからです。

そこにはもはや進化し進歩ていかなければならない人間の知や理性の発達は決して
見込めないでしょう。そこで我々の精神は疲弊し、マントラや気勢でもらった元気
以外にはなにも残らないでただ組織の命じるままの軍隊のような宗教だけが世界を
支配するに違いないでしょう。それは我々の死に値するのです。そういうことを
まさに、特徴的に、典型として「創価学会」という集団・組織がやってきたのでした。

もうそろそろ目を覚ますべき時が来ているのではないでしょうか。

45なんだかだが・・・:2004/09/29(水) 23:03
>>31
>これは、自分でなさったものですか?どなたかがされたものですか?
>何か参考になるものがあれば教えていただけませんか?

それでですが、これは当方が体験的に研究してわかったことではありましたが、
全然外部知識がなかったかというと、確かにそういうわけでもなかったのでした。

これらの説明の中でしばしば使っている「邪気を吐き切る」などという表現は、
すでに少し触れたように、これは気功で使われている表現でした。

私はそれを「その部分に関係した筋肉の停滞」と翻訳していましたが、おそらくは
そういう種類のものでしょう。それを気功では「邪気が溜まる」と表現し、その
「邪気」を「吐き出してしまって」そしてそこに外の良い気を入れることで気の充実
を図るという説明をしていましたが、それは実際にそういうものなのかどうかは
私は不明だと思っています。

むしろそのように呼吸運動に関係する筋肉の弛みや停滞、懲りなどの非制御状態に
あることが、気功で言うところの「邪気が溜まった状態」ということなのだと理解
しています。

ところで、ここで用いた説明の中にある「ホウ」などの音韻がそれら「邪気を払う
効能」を持つという知識はどこから導入したのでしょうか?それはこうした気功が
中国四千年の歴史に由来するところの「導引術」なる流派のものだったのでした。

入門書として当方が参照したのは「気の導引術」(徳間書店、日本道観道長早島正男著)
でした。そこには「気の流れを良くする方法」として、そうした気を吐き切るための
音韻がいくつか説明されているのです。そこにあるのは「シュイ」の気、「シー」の気、
「ホー」の気、「スー」の気、「チュイ」の気、「フー」の気の用い方がありました。

46なんだかだが・・・:2004/09/29(水) 23:19
これらの音韻がそれぞれどういう効果を持つのかを丁寧に説明してくれています。
そしてそれを指定された体操をしつつそれにあわせて呼吸を整えて吐き出すときに
用いるという方法が説明されているのでした。

それは実際にやってみると非常によく体感でき、その説明の通りの効果を持つこと
が私自身の実践ではっきりと経験し、体験することができたのです。その音韻を
その体勢でストレッチしながら呼気を吐きながら静かに発音する(というか息を
吐くときにその吐く息をその口の開け方を通して吐くことで自然にその吐き出し音
になるという方が正しいと思われました)ことで、よりその部位の筋肉がより適切に
絞れることが良くわかりました。これはだれでも体験可能でしょう。だれでも体験的
に実証できる「体操」「ストレッチ」でした。

私はその方法で人体の中で呼吸に関連して働く筋肉というものが、そのような息の
吐き出し中の口の開け方や閉め方、また舌や喉への用い方や技巧によってできる振動に
関係してより効率的に絞れるということを知りました。つまり息の吐き出し方に技巧
を取り入れて体内の呼吸用に使われる筋肉の動かし方が変化するということがわかった
のでした。そういう説明の仕方ではその本には書かれていませんでしたが、しかし
「よりよく邪気を吐き出せるようになる」ということの意味とは、本当はそういうこと
なのだと悟ったのです。その方法で息を吐き切るストレッチをすると、その後は非常に
爽快な気分になり、それこそ「邪気が出て行った」というように形容されるような体の
爽快感や懲りのほぐれる感覚を得ることができたのでした。

これらの事実は、法華経の題目唱えの業を読解する上で非常に重要な示唆を与えていた
のです。そしてまさにそこに長年のそこに秘められていた生理学としての秘密のベール
がはがされていったのです。

47なんだかだが・・・:2004/09/29(水) 23:39
さて「気の導引術」なる書は「徳間書店」あたりから出ている本ですので、そんな
ものは現代の有象無象の書いたもんだろうぐらいの感想を持たれて歯牙にもかけない
人も世の中には」いることでしょう。

しかし実際に「気の導引術」なるものは中国四千年の歴史の中に存在していたのです。

その一旦はたとえば、「老荘と仏教」(講談社学術文庫、森三樹三郎著)などを見ます
と、そこにそれを示す部分があります。そのp.72-74を見ますと、ちゃんと「導引」という
名の健康法がすでに「荘子」の時代によく知られていたことが書かれています。そこに
書かれている記述内容はまさしくすでに上記したところの「古くなった生気を吐き出し、
新しい生気を取り入れ、あたかも熊が木に登り、鳥が伸びをするような格好をして、云々」
というまさしく「気の導引術」のそれでしたから、中国には遠い昔からこうした「気」
の実践科学があったということでしょう。

ですから、それはそもそもが、そうした現代で言えば「ストレッチの科学」あるいは
「スポーツ科学」の一種だったことでしょう。

また、実はインド発祥のヨーガもそういう文脈で捕らえることが本来可能な部類の
ものだったのでしょう。

しかし、それらは、実際に我々の「体の実践的な科学」ではあったものの、現代の
ような「客観性の高い科学的認識方法に基づいては」いなかったがために、それらは
あくまでも当時の人々が「信仰的に認識していた」ところの”疑似科学的”な概念や
言葉で語られていたということだったのです。それらが宗教と結びつく根底でも
ありました。しかしそれでもそれらはまさしく「現実の現象」としての生理学を構成
するほどに実験的に効果を求めて少なからず精緻に研究されていたものであることは
今我々が実地にそれを実践して確認することができるほどのものであることは確か
でした。

48なんだかだが・・・:2004/09/29(水) 23:53
ということで、近くで秋祭りがあるところは、そこで和太鼓の演奏会がないか確認して、
もしやっているようでしたらぜひそこで和太鼓のリズムと響きを間近で体感してみて
ください。その超低音の響きがあなたの横隔膜をゆさぶり、そして好むと好まざるとに
関わらずあなたはそこで腹に響く振動を受けてそれがあなたの血流を良くし、そして
また神経を静め、また充実した気力を与えることでしょう。

それはまさしくあなたがお題目を唱えて感じているリズムと体感そのものであることを
あなたは知ることでしょう。そうしてお題目の効果が、まさしくそのものずばり和太鼓
の効果とイコールであることをあなたは完全に知ることでしょう。

そしてまたここで書いてきたことどもをまた振り返ってみてください。そうしてあなたも
私と同じ認識に達することでしょう。

しかし、そこで本当はまだ終わりではありませんでした。あなたはここに書かれている
内分泌腺の感覚をまだ明瞭には感じていないかもしれませんから、まだこれらのすべての
説明を受け入れないかもしれません。しかしそれはまたとしましょう。しかし必ずあなたも
私と同じことを体感し、そして内分泌腺の活性化を実際の実践の中で完全に感覚し、知覚
することになることでしょう。

お題目は生理学なのです。ではではまたまた。

49ぱるぱる </b><font color=#FF0000>(PaRU2.Xo)</font><b>:2004/09/30(木) 21:14
なんだかだが・・・さん、こんばんは。

ここで興味深いお話しをされるのは構わないのですが、この掲示板はあなたのものではないので
あちこちにアドレスを貼るのはやめて頂きたいのですが。
いたずらに興味を引くことで、ここを必要としている皆様にご迷惑がかかるのを懸念致します。
ここでもあなたのお話しに興味を引かれているかたがいらっしゃいます。
しかし、それで物足りない、いろんなかたの興味を引いてお話しがしたいということでしたら、
ご自分でそういう掲示板をつくってそちらをご自分で管理してやってください。
ここでは困ります。
それでも同じことを繰り返されるのならば、残念ですが厳しい対処に出なくてはなりません。
そういうことになりませんよう、よろしく聞き入れて頂きたいと思います。

50なんだかだが・・・:2004/10/01(金) 01:14
>ぱるぱる殿
わかりました!今後注意致します。
なにとぞよろしくです。すんませんです。
議論の際は必ずほかでやります。ではではまたまた。


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