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ナンミョウホウレンゲキョウで幸福になれる理由
42
:
なんだかだが・・・
:2004/09/29(水) 00:54
日蓮がそもそも真言的傾向を強く抱いていたというのは、彼が「時の朝廷は真言の
マントラで僧侶にたくさん祈らせたにも関わらず、戦さに破れたのはなぜか?」と
言ったような疑問が強くあった、というようなまだ叡山に上る前の彼が抱いていた
思考にもはっきりと現れています。彼は根っからのマントラ教人間だったのだと
言えるでしょう。仏教といえば真言教だというような誤解をはじめから抱きながら
子供のころから仏教という環境で過ごしてきたのでしょう。そのくらいかれには
「何かを唱える」というのが仏教というものにかくべからざるものであるという
信念を強く抱かせていたのでしょう。それに当時の「法然の念仏」の広まりの影響
もあったことでしょうが、それよりもかれはあくまでも真言的傾向が強い人だった
のではないでしょうか。
その彼が、上記したようなメカニズムを持つ「題目」と称されたマントラを唱えた
ことが、人類を大きく左右するようなエポックを創出してしまったわけです。
つまり、彼は、この強い影響力を与えるマントラこそ、釈迦が仏教として本当は
言いたかった本当の仏教だったのだ、という観念をどうしても強く信じざるを得な
かったからでした。つまり、彼の生きた当時の天台の教説というものが五時八教で
あり、法華経至上主義であり、そこでさらに大乗経のタイトルに力があるの経文が
出ていた時代だったからであり、そこでの法華経のタイトルはまさに彼に衝撃的な
体内瞑想経験を与えた衝撃的な釈迦の隠された秘教であり、法華経の文底にはそれが
秘沈しているに違いない、として考えられたに相違ないからでした。
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