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ナンミョウホウレンゲキョウで幸福になれる理由
29
:
なんだかだが・・・
:2004/09/25(土) 13:41
(続き)
宗教というものはその発生の根源からして、往々にしてそもそもが「カルト」そのもので
あるのですが、日蓮教もそのひとつでした。これは日蓮のような本来的に真言的傾向の
あった人が「仏教」というものを誤解したことがそもそもの始まりであったと言えます。
しかしその誤読はそもそも天台にあり、またその始まりはすでに書いたように、観無量寿経に
みられる経文のタイトルへのとってつけたような崇拝を促す文言だったわけですが、そう
した文言の連鎖がありとあらゆる妄説や宗教的思弁を生み出し、再びそれに依拠した読解
を継承していくといったことの中で宗教的信念というものが形成されていったのです。
しかし、仏教はそもそもが、そうしたカルトの解体のために提出された釈迦による目覚め
の運動の創始であったはずでした。釈迦は迷信的なバラモン経の呪縛を排除し、その時代の
社会を覆っていたそうした非科学的慣習や人々の観念を払うために、現代的なまでの合理
主義的理性の目覚めを説いたのでした。死んでしまった子供を憂う冷静さを失った母親に
うまい喩え話で適切に教えた釈迦は「目覚めること」を教えたのであり、呪文によって
奇跡が起きることを説いたのではなかったのです。仏教という言葉はこのように正しい
意味において正確に使われるべきなのです。
すなわち彼は超自然への崇拝や盲信ではなく、むしろ禅的であること、あるいはあらゆること
に対して冷静になることを説いたに過ぎないのです。それこそが大事なことであると。
しかるに目覚めではなく、人々はあくまでも妄説に従うことで「眠る」ことを選択してきた
のです。
そしてそれが仏教であるかのような錯覚を得てこの方2500年を過ごしてきたのです。
そしてその結実が、まさしくこの現代では創価学会のような団体として実現してしまった
という非常に不幸な結果を招来してしまったということだったのです。
どうかあなた方の正しい真実への認識という本来なさねばならない仕事に取り掛かって
ください。そうすることだけが、本当の世界の平和に貢献する唯一の道であるのです。
それではひとまず筆を置くことと致しましょう。
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