- 1 :korou :2024/03/29(金) 12:31:55
- 音楽に関するスレが混乱気味なので
「音楽スレ(2021~)」の無線イヤホン試聴以降の部分を抜き取って 新規に「クラシック音楽スレ(2024~」にした上で 以降書き続けることに決定。
また、クラシック音楽以外の音楽の話題を 新規に「音楽雑談スレ」として立ち上げることに決定。
まず「音楽雑談スレ」の立ち上げから。
- 2 :korou :2024/03/29(金) 12:33:35
- まず、レーベルの話題から。
昨日、「自由人の日課」スレに書いた内容を以下に転記。
<ドイツ・グラモフォンはポリドールなどの子会社を作り、日本の会社がライセンス契約で日本ポリドールを組織。 そのうちに、本家のグラモフォンがジーメンスに買収され、一方オランダのフィリップスも子会社でレコード会社を始めたが、その子会社と グラモフォンが合体してポリグラムになる。その頃、日本ポリドールもいったん日本グラモフォンになるが、本体がポリグラムになった時点 で元のポリドールに戻る。ポリグラムは、ロンドンのデッカも買収したが、その後、カナダの飲料会社シーグラムの二代目で、かつ芸能好き の社長により買収され(1990年代)、ユニヴァーサル・ミュージック(旧米デッカをMCAが買収、MCAがユニヴァーサルと改名)と合併。 その後、シーグラムは飲料部門と娯楽部門に分離し、前者はベルノ・リカール(仏)に、娯楽部門をヴィヴェンディに売却。2004年にヴィ ヴェンディ・ユニヴァーサルはGEの子会社NBCと合体する形でNBCユニヴァーサルを設立するが、音楽部門に関してはNBCとの合併の対象外と なり、ユニヴァーサル・ミュージック・グループとして、その後EMIを買収したりする。日本ポリドールもユニヴァーサルと改称。 2019年に中国テンセントに株の10%を売却、2021年に株式公開、現時点ではテンセントが最大株主。以上、合併等で巨大化し、その傘下には かつてのドイツグラモフォン、ポリドール、マーキュリー、デッカ(英・米)、フィリップス、モータウン、ヴァーヴ、EMIなど多くの レーベルを抱えている>
- 3 :korou :2024/03/29(金) 12:42:57
- さらに「二○世紀日本レコード産業史」(勁草書房)から抜粋。
○ポピュラー音楽隆盛により米国で新規に出来たレーベル 1947年 アトランティック、インペリアル、エレクトラ、マーキュリー 1954年 ベル(→1973年にアリスタに改名) 1955年 リバティ 1958年 ワーナー・ブラザーズ 1959年 モータウン 1960年 リプリーズ 1962年 A&M
(参考)英国の新規レーベル・・・アイランド(1962年)、クリサリス(1969年)
○大手レーベル(CBSコロンビア、RCAビクター、EMI)の動き ・CBSコロンビアはEMI=英国コロンビアとの契約終了 → クラシック分野が手薄 → フィリップス(蘭)と契約 →その音源を発売 するため、1953年に新レーベル、エピックを創設 ・EMIは、アメリカの音楽の確保のため、1955年にキャピトルを買収
○当時の日本のレコード会社 ⇒ 日本コロンビア、日本ビクター、キング、ポリドール、テイチク、東芝の6社
- 4 :korou :2024/04/06(土) 10:46:50
- (レコード産業の話・まず最初から)
エジソンがシリンダー式蓄音機を発明(1878年)、続いてベルリーナが円盤式蓄音機を発明(1887年) その後、両者は再生装置としての蓄音機の性能を向上させたが、シリンダー式には性能向上の限界があるのと、大量生産ができない(1枚1枚 が音の強弱・高低に対応した固有の溝の深さを持つ。円盤式は溝の深さが一定で(音の強弱・高低は横振動で記録される)大量生産可能) ので、次第に円盤式に統一されていく。
統一される前にシリンダー式蓄音機を販売する会社として、コロンビアが唯一生き残る。コロンビアは、他のシリンダー式蓄音機販売の会社と 違って、需要が見込める音楽に絞って宣伝したのだった(他の会社はエジソンの考え通りに音声の再生にこだわり失敗)。そして、徐々に円盤式 蓄音機に乗り換えていく。当時の音楽事情としては、米国よりもヨーロッパのほうは遥かに進んでいたので、コロンビアはイギリスに進出。その 後、1922年には英国コロンビアは米国コロンビアから独立。さらに、1931年には、下記グラモフォン社と合併して”EMI”となる。一方、 米国コロンビアも放送局CBSを買収して”CBSコロンビア”となる。
一方、ベルリーナは、1895年にベルリーナ・グラモフォン社を設立。その後、エルドリッジ・ジョンソンによる技術面の改良が著しく、ベル リーナの会社は順調に発展していく。1897年には、ヨーロッパでの事業拡大を狙って、ロンドンにヨーロッパ・グラモフォン社を開設。音楽 の制作録音の責任者としてロンドンに送りこまれたフレッド・ガイズバーグは、カルーソ、シャリアピンなどの録音を実現させ、この時点で 蓄音機は、単なる珍奇な発明品から、大衆も楽しめる娯楽の必需品となったのである。さらにドイツ支社を置き、ハノーバーにレコードの プレス工場を作ったが、第一次世界大戦の勃発で、ドイツとイギリスは敵国同士となったため、ドイツ政府はドイツ支社とハノーバーの工場 を没収してしまう。さらにポリュフォン社(ドイツのオルゴール、自動演奏ピアノのメーカー)がそれを買い取り、ドイツ・グラモフォン社 が誕生、そして、1940年にはドイツの電気メーカー、ジーメンスがドイツ・グラモフォン社を買収し、ジーメンス傘下となるのである。一方、 グラモフォン社自体は、1931年に英国コロンビアと合併してEMIとなる(既述)
さて、グラモフォンの初期の発展に寄与したジョンソンだが、強力なライバル会社が突如現れたこともあって、やむを得ずグラモフォンへの 協力関係だけに頼る工場経営から、さらにレコ―ド・蓄音機を製造する新会社を設立せざるを得なくなった。1899年に会社を設立、その2年 後に会社名をビクター・トーキング・マシン社と改名。新会社は、グラモフォンの協力もあって順調に発展するが、1926年にジョンソンは 先行きに不安を感じて、会社をラジオ事業のRCAに売却。以降”RCAビクター”として、RCAの子会社である放送局NBCともども さらに発展していくことになる。
- 5 :korou :2024/04/06(土) 11:50:41
- (レコード産業の話②)
上記をまとめると、第二次世界大戦前のレコード産業の大手として 「EMI」(グラモフォン+英コロンビア) 「CBSコロンビア」(米コロンビアがCBSと合体) 「RCAビクター」(ジョンソンが手放したビクターをRCAが経営) 「ドイツ・グラモフォン」(ポピュラーと海外向けクラシックのレーベルとしては「ポリドール」(1924年設立)) が4大メジャーとして存在。
さらに、英国ではEMIを脅かす存在として「デッカ」(1929年設立)が誕生し、1930年代に勢力を伸ばす。EMIと関係のないレーベル としてRCAビクター、ドイツ・グラモフォンとか、米国で1916年に設立されたブランズウィック・レコードなどから英国での配給権を 獲得し、さらに潜水艦ソナーの開発にも携わったことで最新の録音技術でも有名になった。1934年には米デッカも設立。ただし、第二次 世界大戦中に英デッカとの資本関係は解消し、その後、米国でも有数のポピュラー音楽のレーベルとして発展していく。
英デッカは、創業者エドワード・ルイスと、その協力者でありスイスに在住して会計を管理していたモーリス・ローゼンガルテンの2名 によって運営されていたが、第二次世界大戦後に名プロデューサー、ジョン・カルショーが加わり、カルショーの手によって、クラシック 部門が発展していく。カルショーは、ウィーン・フィルの録音について独占的権利を手中にし、さらに当時はまだキャリアの浅かった ショルティを起用して「ニーベルングの指輪」四部作という超大作の録音を敢行したことで有名になった。こうして、配給権だけでない 自前の演奏家を手に入れたことで、英デッカの世評の高い録音技術が広く世に知れ渡ることになったのである。当時、EMIにはウォ ルター・レッグという名プロデューサーが居て、戦前には予約販売という新手法でEMIに富をもたらし、戦後すぐには当時不遇だった カラヤンを起用して、フィルハーモニア管を設立の上、多数の録音を行うという辣腕を発揮していた。しかし、そのカラヤンも、次第に ドイツ・グラモフォン(DG)との関係を強化していき、そのため、フィルハーモニア管については新たにクレンペラーを指揮者に迎えて これまた多くの録音を残すことになる。そのうちにEMI内でのレッグの立場は次第に悪化していき、EMI自体も経営が保守化して いった時期でもあった。カラヤンはそこのことに大きな不満をもち、1959年にEMIからデッカに移ることになる(こうしてカラヤン& VPOの名盤が1960年代前半に多く実現する)。しかし、カラヤンは次第にデッカにも不満を募らせていく。ローゼンガルテンの金銭 管理が恣意的でカラヤンのお気に召さなかったのである。こうして、カラヤンはデッカも離れ、以降DG専属となっていく。
- 6 :korou :2024/04/06(土) 15:06:49
- (レコード産業の話③)
英デッカはこうしてクラシック部門を充実させていったが、ポピュラー音楽のほうでもローリング・ストーンズという金脈を掘り当て、1960年代 には隆盛を誇った。自前のアーティストが活躍するようになると、米国レーベルの作品を英国で配給するという流れの逆方向にも取引が増え、 その結果、英デッカは海外では「ロンドン・レコード」という名称が使用されることになる。
1970年にR・ストーンズが他社に移籍し、さらに米国レーベルが独自に英国内で配給網を形成する流れが定着すると、英デッカのポピュラー部門 は弱体化していく。1980年にポリグラムに買収され、以降、英デッカはクラシック部門だけを切り離して存続、1998年にシーグラムによるポリ グラム買収により、ユニヴァーサル・ミュージックの一部門となる(その後、2007年にフィリップスのクラシック部門を吸収)
一方の米デッカは、1962年にMCAに買収される。MCAは、1924年に誕生したタレント事務所で、その後、テレビ事業、遊園地経営など事業を 多角化していき、ついに米デッカ買収にまで至るのである。しばらくデッカの名前は残っていたが(それまでもブランズウィック、コーラルなど のレーベルを所有)、1973年にMCAレコードと改名。その後も1979年にABCレコード(ABCパラマウントの傘下のレコード会社)を買収、 1988年にモータウンを買収、1990年にゲフィンを買収して巨大レーベルとなる。その後、1990年に松下電器がMCA本体を買収、1995年には、 シーグラムが松下電器からMCAを買収。1996年にMCA本体がユニバーサル・スタジオと改名し、MCAレコードもユニバーサル・ミュー ジックと改名。1998年にポリグラムと合併(書き込みNo.2に記述済み)
デッカは、戦前には4大メジャーの後塵を拝していたが、戦後になって徐々に勢力を拡大していったレコード会社である。 現在の3大メジャーを語る上で、あともう1つワーナーがあるので、次回はワーナーの成り立ちを記述。
- 7 :korou :2024/04/10(水) 15:12:13
- (レコード産業の話④)
映画会社ワーナー・ブラザーズは、1958年にレコード会社を設立。その後、フランク・シナトラが設立したリプリーズを買収。しかし、 1967年に、オーナーのジャック・ワーナーが、ワーナー全体をセブンアーツ(映画配給会社)に売却、さらにそのセブンアーツも、1969年に ワーナーをキニー・ナショナル・サービスに売却する。キニー・ナショナル・サービスは、社長のスティーブ・ロスが娯楽事業に熱心で 次々とライバル会社を買収するなど、ワーナーの発展に寄与していく。WEAと呼ばれたワーナー・グループのうち、まず「W」はワーナー のことで、ジョニー・ミッチェル、ニール・ヤングなどのスターを抱える。「E」はエレクトラで、1950年にジャック・ホルツマンが創設 したレーベルだったが、1975年にアサイラム・レーベル(デビッド・ゲフィンが創設)を吸収合併した後、ボブ・グラスノーにより発展する ことになり、ジュディ・コリンズ、ドアーズから始まって、クイーン、イーグルス、ジャクソン・ブラウンなどが所属している。「A」は アトランティック・レコードのことで、1947年にアーメット・アーティガンらが創設、黒人音楽に強いレーベルとして有名で、ドリフターズ、 レイ・チャールズから、ジョン・コルトレーン、オーネット・コールマンなどのジャズに至るまで、名盤を多く生み出してきた。ワーナーは キニーの社長ロスのもとで、これらの人材の集合体の形で発展していき、戦後の米国でMCAと並ぶ新興メジャー・レーベルとしての地位を 確立していった。 1989年にワーナーはタイム社と合併し、タイム・ワーナー社となったが、さらに2001年にAOL(インターネット接続業者)と合併しAOLタイム ・ワーナーと改称。しかし、2003年には再びタイム・ワーナーに社名が戻り、その翌年に音楽部門を投資家グループに売却、CEOには、元 ユニバーサル・ミュージック(元MCAレコード)のトップだったエドガー・ブロンフマン・ジュニアが就任。ジャズ部門は閉鎖され、エレク トラはアトランティックに吸収される。
- 8 :korou :2024/06/14(金) 10:58:00
- 「ベストヒットUSA」でビリー・アイリッシュ特集。
まとめてMV、楽曲を見聞きして、イメージが湧いた。 これは、宇多田ヒカルだ。 世の中のトレンドとは無縁で ひたすら自らの才能だけで 自分のアーティストとしての運命を切り開いていく人。 誰にも影響されず、誰にも影響を与えない、でも 天才であることに間違いない。 誰もが認める天才、でも誰も近寄れない。
イメージさえ湧けば 後は簡単。
- 9 :korou :2024/06/17(月) 11:11:31
- 「カラヤンの伝記」からメモ
カラヤン曰く、演奏するとそのあと数日は気分的に立ち直れない作品
リヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」 シベリウス「交響曲第4番」 マーラー「交響曲第6番」 アルベン・ベルク「管弦楽のための三つの小品」 オネゲル「典礼風」
- 10 :korou :2024/06/26(水) 15:21:26
- EMIの1964年度上四半期の印税収入上位者リストから
ザ・ビートルズ 46,982ポンド クリフ・リチャード 18,847ポンド ザ・デイヴ・クラーク・ファイヴ 13,535ポンド ヘルベルト・フォン・カラヤン 10,903ポンド マリア・カラス 10,022ポンド ザ・シャドーズ 7,760ポンド ディートリヒ・フィッシャー=ディスカウ 7,165ポンド オットー・クレンペラー 6,234ポンド
- 11 :korou :2024/12/07(土) 11:45:52
- 芸能スレが下のほうにいったので、音楽関係の芸能ネタはここに書くことにしよう。
中山美穂が急死(2024.12.6) 浴槽で倒れたとのことで、処置された薬の関係かもしれないが 死因はいまだ分からない。 ミポリンについては 音楽ブログに堂々と書くには 根拠となるものが今やすべて無くなっていて 読んで面白い内容にまとめることはムリだろう。
確か実父は反社だったような記憶がある。 すべて「噂の真相」の記事からの知識だが。 小さい時に誘拐されたのも その実父のせいかもしれないし 実母が引っ越しを重ねたのも 実父の干渉を避ける意味合いがあっただろう。 親戚の家で落ち着いたはずなのに引っ越しを重ねるという行為は さすがに反社からの干渉に親戚を巻き込むわけにはいかない という配慮だったはずだ。 そして、芸能界にデビューして早々に バーニング系の事務所に移籍したのも 今思えば、反社対策なのだろう。 せっかく順調に売れ始めたのに 反社の情報が入れば台無しになるわけだから。
- 12 :korou :2024/12/07(土) 11:53:36
- もう1つのミポリンのネタは
youtubeの初期にアップされた「ザ・ベストテン」の映像だ。 これは、倉敷美観地区での中継で カメラの不調でミポリンは待機となったときのマル秘映像っぽいものだったのだが その時のミポリンの神対応が映っていたのだった。 これをみれば 誰でもミポリンに好感を抱くに違いないと思えるほどの映像で 彼女が十代のごく若い頃から 人間としてしっかりしていたことが良く分かる。 芸能界入り直前まで 金髪でだらしない恰好の不良少女だったことと合わせて考えると 思春期の少年少女に環境がもたらす影響の大きさを思わずにいられない。
まあ、この2つを掛け合わしてみても たいした文章は書けそうにないことも 今書いてみて 改めてみて分かった(苦笑)
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