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人物ウォッチング

1korou:2006/02/18(土) 23:41:11
突然ですが、新スレです。
ここでは、人物を中心に取り上げます。
このHP自体、人物中心の構成になっているわけですが
最近更新もままならない状態ですので
スレッドでお茶を濁すということでもあります。

管理人の書き込みばかりが目立つと思われますが
皆様もよろしければ茶々を入れてみてくださいませ。

2korou:2006/02/18(土) 23:51:22
このスレを思い立った最初の動機は
正力松太郎→務台光雄→渡辺恒雄と続くヨミウリ人脈なわけですが
このあたりの人物については後日詳しく書き込むとしまして
今日このスレを立ち上げた理由としては
NHK教育で放映された「沖縄“笑いの巨人”〜照屋林助が歩んだ戦後〜」という番組を
見たせいでもあります。
ほんのちょっとしか見れなかったのですが、なかなか強烈なパーソナリティでした。

さらに、その直後にB_windさんのコラムを読んで、改めてナベツネの臭覚の鋭さに感嘆したわけです。
あの当時、ホリエモンが政治家のバックアップを得て広島カープの買収に動いているという情報は
いくらナベツネでもガセネタではないかと思っていたのですが
今こうして武部疑惑が話題になってみると、なるほどと思わざるを得ないわけです。

そしてダメ押しは、今、テレ朝で放映している「サタスマ」にカルロス・ゴーンが出演していること。
英語でゴーンと会話しようとしている香取慎吾の姿勢は称賛に値しますが
カルロス・ゴーンといえば、最近日経に「私の履歴書」を執筆した仏ルノー社の代表シュヴァイツァー氏を
思い出さずにはいられません。
そんなこんなで、いろいろな人間模様が一気に思い浮かび
このスレのスタートとなりました。

3korou:2006/02/22(水) 21:47:08
☆カート・ガウディ
日本時間の2006年2月21日。
1951年から1966年までボストン・レッドソックスでキャスターを務めた
カート・ガウディ氏の死去が報じられる。
この期間、ボストンの野球ファンにはこれといった楽しみはなかったはず。
ワールドシリーズでの美酒はもちろん、リーグ優勝すら1度もない時期である。
ガウディ氏の実況は、T・ウイリアムスの引退試合を担当したことで記憶される。
それとて、ファンサービスに乏しい大打者だっただけに、
キャスターとしては物足りない思いだったに違いない。

http://baseballhalloffame.org/hofers_and_honorees/frick_bios/gowdy_curt.htm

4korou:2006/02/22(水) 21:48:01
MLBの名アナウンサーといえばどういう人が検索されるのか。
グーグルで「MLB アナウンサー 殿堂」のキーワードで引いてみる(日本語サイトのみ)

ガウディ氏も受賞したフォード・フリック賞が”殿堂”のキーワードで引っかかる。
ガウディ氏は1984年の受賞だが
2003年にはボブ・ユッカー氏が受賞している。
ブルワーズの専属アナで、映画「メジャーリーグ」にも出演しているらしい。

http://www.yomiuri.co.jp/sports/mlb/watch2003/trivia/trivia27.htm

2005年にはジェリー・コールマン氏がフォード・フリック賞を受賞。
ヤンキースの二塁手として著名だが、同時代・同チーム・同ポジションにビリー・マーチンがいて
かなり損をした人である。
その後、パドレスで32年間専属アナウンサーを務めた。

http://www.major.jp/news/news20050223-5380.html

コールマン氏受賞と相前後して、オリオールズなどで半世紀にわたって活躍した
チャック・トンプソン氏が死去。
オリオールズで50年間ということになると
ほぼ球団移転後と同時ということになり、これはファンにとって大事件だろう。

http://www.major.jp/news/news20050307-5627.html

その半年前には、メッツで40年間専属アナを務めたボブ・マーフィー氏が死去。
これこそ球団創設以来の功労者である。

http://major.jp/news/news-2004080420.html

5korou:2006/02/22(水) 21:49:15
日本語でニュースを拾うと、こうした断片的な情報しか入手できない。
もちろん、インターネット時代だからこそ、断片的であれ拾えるともいえるので
これが10数年前なら、情報皆無で、何を知ることもできないことは間違いない。
ガウディ氏死去ニュースから、話がそれすぎたかも。

6korou:2006/02/23(木) 21:18:11
☆川田甕江(かわたおうこう)
<1830−1896>
大正・昭和期の歌人川田順が、「老いらくの恋」を遂げた相手だった鈴鹿俊子さんが死去(2006年2月20日)
96歳の長命であったが、鈴鹿さんが川田順と再婚して話題になった1949年当時
鈴鹿さんは40歳で、川田順氏は67歳であった。
川田順は、住友本社で常務理事まで務めた実業家であったが
大財閥の住友で出世できたのも、実父である甕江の影響抜きでは考えられない。

甕江は通称を剛といい、天保元年(1830年)に備中国浅口郡阿賀崎新町(現在の岡山県倉敷市玉島阿賀崎)で生まれた。
昌平黌に入り、古賀茶渓、大橋訥庵のもとで学びながら、藤森弘庵にも学び、
同時に多くの友と交わった(安井息軒、塩谷宕陰など)
古賀、大橋、藤森は幕末でも最も有名な学者であり、そこでの人脈が彼の人生を大きく左右したのだが
まず近江藩に招かれ、藩校を監督したのが第一歩。
その後、甕江の名声を知った備中松山藩の大物である山田方谷が、川田を近江藩から引き抜き
以後松山藩の幕末における苦境を助ける。
このとき川田とともに松山藩を救ったのが、三島中洲であり
三島は、明治になると私塾二松学舎を経営し
慶応義塾と並ぶ私塾の双璧と並び称せられる存在まで至るのであるが
一方、川田も明治期になって再び上京し
東大教授、宮中顧問官、学士院会員などを務める。
三島と川田、それに重野安繹の3者を”明治三大文宗”と称すのだが
”文宗”というのも今は使わない言葉である。
いずれも漢文の大家であり、後世への影響力は絶大であった。

川田順はそんな偉大な父親の52歳のときの息子として生まれた。
明治期であるので、こんなに父親と年齢の離れた子どもは珍しいかもしれない。
川田順氏は1966年までご存命だったので、84歳まで生きたことになる。
そしてその「老いらくの恋」の相手だった女性は、今日から3日前、96歳でその生涯を閉じた。
幕末、明治が遠いような近いような物語である。

7korou:2006/02/27(月) 21:13:17
☆佐々木守(1936.9.13〜2006.2.24)
石川県出身。
明治大学に進学し、児童文学研究会に所属。
教育映画作家協会の機関紙「記録映画」の編集に携わり、大島渚と知り合う。
大島は佐々木に実相寺昭雄を引き合わせる。
実相寺昭雄は当時TBSのディレクターとして
実験的なTV番組を制作していた時期であった。

あまりに過激な番組作り(歌番組で美空ひばりの鼻の穴をアップで撮影して大問題になったらしい。笑)のため
実相寺はTBSによりテレビ部門から外される。
映画部門に出向した実相寺は、円谷プロ製作の特撮映画の演出に携わることになり
旧知の仲となっていた佐々木を脚本スタッフに加える。

昭和42年12月17日、すでに爆発的な人気を博していた”ウルトラマン”の第12話として
監督実相寺昭雄、脚本佐々木守のコンビによる「遊星より愛をこめて」が放映される。
ウルトラマンシリーズでも屈指の名作との評価もあるこの作品だが
ある雑誌が、この作品に登場するスペル星人を”ひばく星人”という表現で紹介したため
原爆被害者団体からの抗議を受けることになり
事態の拡大を恐れた円谷プロにより、この作品は永久に放映禁止(封印)されることとなった。

このような不測の事態にもめげず、実相寺、佐々木コンビは
ウルトラマンシリーズで名作を発表し続ける。
特に第35話の「怪獣墓場」は、怪獣が悲しげに石蹴りをするシーンが有名で
多くの人々のノスタルジーを誘う不滅の名作として名高い。
↓のページでは、実相寺監督のインタビューがWMPなどで見られるが
その背後で怪獣が石蹴りしているのが見える。
(「M−78の時代」の部分)

http://kodansha.cplaza.ne.jp/hot/people/2000_03_08/content.html

8korou:2006/02/27(月) 21:14:32
佐々木守は、その後も数多くのTVドラマを手がける。
特撮ものでは、その後も「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」「ウルトラマンタロウ」の脚本を担当。
九重佑三子が演じる初代の「コメットさん」
岡崎由紀が可愛ブリッコになりきって人気爆発した「おくさまは18歳」
スポ根ものドラマの元祖ともいえる「柔道一直線」
宮崎アニメの盟友高畑勲の手になる傑作アニメ「アルプスの少女ハイジ」
山口百恵の”赤いシリーズ”の最高傑作ともいえる「赤い運命」
ご存知刑事ドラマの定番「七人の刑事」
などで、いずれも手堅い仕事で、佐々木の名声は上がる一方であった。

しかし一番の大傑作は「お荷物小荷物」であることは間違いないところ。
当時、人気沸騰中だった才媛中山千夏を主役に抜擢して
すでに保守化していた民放TVドラマではあり得ない設定で
あり得ない演出をやってのけた脚本の佐々木、演出の山内(彼は「必殺」シリーズの監督も務めた)
軍国主義と家父長制を徹底批判した政治性。
さらにゴダールの影響を受けたといわれる前代未聞の”素に戻る俳優”
番組中、突然演技をやめて視聴者に向けて話を始める俳優たち。
「ねえ、聞いてよ。私、こんな役、もういやなのよ。もうちょっと違う役が良かったのに」
とかボヤくのである。
NGとかもそのまま放映(これだとNG大賞も存在し得ない?)
昭和45年に放送(45.10.17〜46.2.13)された最後の前衛TVドラマであるが
驚くべきは、そのような実験的作風でありながら、何と視聴率36%を記録したことである。

当時、私はこの番組を視聴できなかった。
土曜の夜10時放送だったが、なぜか我が家では見せてくれなかった。
週明けに学校に行くと、皆この番組の話題で盛り上がっていて
非常に寂しい思いをしたものである。
今はビデオがほとんど残っていないという。
まだビデオで番組を残す習慣もなく、ビデオ自体が高価なものであった。

9korou:2006/02/27(月) 21:16:15
その後、佐々木守は、騎馬民族説へ傾倒して
「三日月情話」などという日本古代史の影響が大きい昼ドラ(珍しい設定!)を
書いたりするが
次第に活躍の場は少なくなっていく。
もともと児童文学出身ということで、子どもの目線からドラマを書いていたのかもしれず
商業主義ドラマをこなしながら年齢を重ねていくうちに
創作意欲が衰えてしまったのかもしれない。
日テレ系「知ってるつもり」の構成を担当した頃を最後に
その名前を見なくなってしまった。

昭和40年代で最も輝いていた脚本家であったことは間違いない。
それはテレビが最後の輝きを放った時代でもあり
その意味で辛うじて幸福な時代に生きることができた脚本家だったと言えるかも知れない。
2月24日、先週の金曜日に永眠される(享年69)

10スーウェル:2006/03/01(水) 00:12:10
ご無沙汰しております。
久しぶりに現れていきなり何なんですが(汗)
>>7
佐々木守氏のいわくつきの作品「遊星より愛をこめて」は、
「ウルトラセブン」での作品ですね。
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~okhr/sight7/page12.htm

11korou:2006/03/01(水) 12:35:58
>>10
どうも、スーウェルさん、お久しぶりです。

>「遊星より愛をこめて」は「ウルトラセブン」での作品ですね。

どうもありがとうございます。
ご指摘のとおりで私の確認ミスです(汗)

リアルタイムで観ていた世代なんですが
この事件自体は、1年半ほど前に出た「封印作品の謎」(安藤健二著)<太田出版>を読んで
初めて知った次第で
今回文章を書くにあたって、その本が手元にないもんで
ネットに頼って書いたのですが
そのネタ元のネットの記事が間違っていたということになります。

このスレは、編集を加えて、当HPのコンテンツになっていく予定ですが
ご指摘の部分は正しく直してUPすることとします。

「封印作品の謎」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872338871/249-4016523-1468315
(これは面白い本でした)

12小女子:2006/03/02(木) 09:32:41
>>5
オンラインの情報と言うのは、入力が必要なものなので、
その作業に力をいれていないとあまり意味がないのですが...
もうちょっとデーターベースのコンピューター化ってのに力を入れて欲しいです。

日本がちょっと遅れているなと思うところと、
その部分を理解せずに情報を使ってる人が
メディア(新しいニュースを作る側)にも多いのがちょっと嫌です(笑)。

あと日本だとオンライン使用している年齢層が限られるし。
アメリカだと所得や教育レベルで限られそうだし。

13小女子:2006/03/02(木) 09:43:07
>川田甕江
岡山の人だったのですね。

息子の川田順の話が、
「無想庵物語」(ラブ!な山本夏彦っちの本、笑)ってので沢山出ていて、
それで”老いらくの恋”ってのをしりました。

川田順の青春時代と文科から法科に転じた話とか詳しくありました。
夏彦君のパパ(詩人の山本露葉)のお友達だったそうです川田順。

14マルコ:2006/03/02(木) 18:26:34
川田順って「実録満鉄調査部」のどっかに出てきたなぁと思って本を開いてみたところ、
十河信二の興中公司をサポートした住友の代表として出てますね。
いろいろ繋がってますねぇ。

15korou:2006/03/02(木) 20:51:21
>>12
ある意味仕方ないんですけどね。
私なども、小女子さんや3:16さんの書き込みを見るまで
米国のネット事情なんて、まるで知らなかったですから。
私の周りの人々も、ほとんどの人は日本語サイトばかり見ていて
英語サイトまでチェックしている人は皆無に近いです。

まあ、その方面のプロの方には、それなりに情報をまとめてほしいとは思いますが。

>>13−14
川田甕江・川田順で反応していただけるとは、予想外で嬉しいです。
まあ、川田甕江については、その存在自体が岡山県内では知られていませんし
川田順については、名前は知られていても、岡山県ゆかりの人とは見なされていませんので
郷土資料を見ても、なかなか載っていません。
普通、川田順くらいの世代だと、父親が岡山県生まれなら、岡山県出身と見なされるのが通例なんですが
なぜか川田順だけ、郷土人物辞典でも完全無視されています。
これが田淵幸一くらいになると、父親が岡山出身でも、田淵本人は岡山県出身とは言わないんですけどね。
ちょっとした不思議。

16korou:2006/03/08(水) 20:50:42
☆ミドル級王者の系譜

「傷だらけの栄光」のロッキー・グラジアーノと死闘を演じたのが、トニー・ゼール。
この2人は、ボクシング史上に残る世界タイトルマッチを3度行っている

第1回は1946年9月27日、ニューヨークのヤンキー・スタジアムで行われ
これはグラジアーノが5回までにゼールを圧倒したものの
起死回生の左フック一発で形勢が逆転しゼールの勝利。

第2回は1947年7月16日、シカゴで行われ
今度はグラジアーノが両目を負傷するというハンディを負いながら
鬼気迫るファイトで20発以上のパンチをゼールのボディに叩き込み
「このままではゼールが死んでしまう」と危険を感じたレフェリーが止めに入り
グラジアーノがタイトルを奪取する。

第3回は1948年6月10日、ニューヨークで行われ
今度もゼールは圧倒的不利となったものの
ボクシングの歴史でも名高い鮮やかな逆転パンチを決め
グラジアーノを一発で倒したのである。

グラジアーノの生い立ちにまつわる伝説、ゼールのボクサーとしての素晴らしさなどが相俟って
この2人の勝負は、ヘビー級を凌ぐ人気カードとなり
当時では破格の100万ドルを超える興行収入を記録した。
ゼールは1940年からずっと世界チャンピオンとして君臨し続けた名ボクサーであり
KOシーンの多さから言っても、ミドル級史上では、過去に
スタンリー・ケッチェルのみがゼールに匹敵するだけである。

17korou:2006/03/08(水) 20:51:31
そんなゼールも、次の防衛戦では、あっさりとKOされてしまった。
無敵のゼールを倒した男の名前は、マルセル・セルダンといった。

セルダンがチャンピオンになったのは1948年9月のこと。
同じ時期、妻子のあるはずのセルダンは不倫の恋に陥る。
恋の相手は、フランスでも有数のシャンソン歌手だった。
彼女はニューヨークで公演を行い、セルダンにもニューヨークに来るように伝えた。
セルダンは、ニューヨーク行きの飛行機に乗ったが、何とその飛行機は墜落。
セルダンは帰らぬ人となった。
その知らせを聞いた彼女・・エディット・ピアフという名のその歌手は
生涯最大の悲しみに突き落とされる。
しかし、ピアフは、セルダンのために作った愛の歌である”愛の讃歌”を
悲しみに耐えながら歌い続け、不世出の大歌手と呼ばれるようになるのである。

セルダンの急死を嘆いたのはピアフだけではなかった。
その年に、セルダンにKO勝ちした”ブロンクスの野牛”ジェイク・ラモッタもその一人だった。
ラモッタも伝説的なボクサーで
後に、マーティン・スコセッシ監督がロバート・デ・ニーロを主役にして
彼の伝記映画を作っている。
セルダンとのリターンマッチがふいになったラモッタは
その後2度タイトル防衛に成功するが、3度目の防衛ではKO負けを喫してしまう。
相手は、すでにウェルター級で抜群の名声を得ていたシュガー・レイ・ロビンソン。
そう、あのシュガー・レイ。

18korou:2006/03/08(水) 20:52:07
階級を上げてきたロビンソンは、ミドル級のタイトルもあっさりと獲得してしまい
その後10年間王者として君臨する。
ウェルター級王座も5年間守っていたので
計15年間にわたって世界ナンバーワンの座に居続けたことになる。
のみならず、シュガー・レイは、ボクシングの新しいスタイルを示した。
単なる殴り合いに近かったゼールとグラジアーノのボクシングスタイルではなく
軽やかなフットワーク中心に、頭脳的に攻めていくシュガー・レイのスタイルは
以後、パンチ力に乏しい重量級ボクサーの基本となる。
有名な話だが、カシアス・クレイ時代のモハメド・アリは
シュガー・レイの最も優れたコピーだった。
シュガー・レイのスタイルを学ぶことなしに
当時のチャンピオン、ソニー・リストンに勝利することは不可能だっただろう。
それほど両者のパンチ力には雲泥の差があったが
シュガー・レイのスタイルは、奇跡をも可能にしたのである。
(続く)

19マルコ:2006/03/10(金) 19:39:24
なんか嬉しくなってくる話題ですね。
当時、フランスでのセルダン人気は絶大だったらしいですね。

私もサドラー・ペップからアリゲリョ、サンチェスと続く大好きな中軽量級系譜を
つらつらと書いてみたくなります(^^)。

20korou:2006/03/11(土) 11:26:39
さて、シュガー・レイ・ロビンソンについて
ミドル級のチャンピオンとして10年君臨したと書いたが
厳密にはそうではない。

まず、彼はラモッタから奪ったタイトルを、わずか5ヶ月で手放している。
ロンドンでの防衛戦でランディ・タービンに判定負けしたのだ。
しかし、2ヵ月後のニューヨークでのリターンマッチではKO勝ちして
タイトルを奪い返している。
半年後、最初の防衛戦が行われ、カール・ポポ・オルソンに判定勝ち。
(オルソンとは、その後5度もタイトル戦を戦うことになるのだが)
何と、その1ヵ月後にもタイトル戦を行い、今度の相手はあのロッキー・グラジアーノ。
シュガー・レイは3RKO勝ちを収め、ロッキーは老醜をさらす結果となる。
調子に乗ったシュガー・レイは、さらにライトヘビー級のタイトルにも挑戦するものの
これは華氏150度とも言われた猛暑のヤンキー・スタジアムで行われたせいもあり
レフェリーがその暑さに耐え切れず倒れるというハプニングの末
14R開始のゴングでも立ち上がれず負けてしまうのである。
この年(1952年)の12月にはタイトル返上を宣言し
そのまま引退するかに見えたシュガー・レイ。

21korou:2006/03/11(土) 11:28:00
偉大なチャンプから返上されたミドル級の王座については
シュガー・レイと善戦した2人のボクサー、タービンとオルソンの間で決定戦が行われ
オルソンが勝ち晴れてチャンピオンの座に就く。
オルソンはシュガー・レイさえ居なければ無敵のチャンピオンだった。
その後3度の防衛に成功し、オルソン時代の到来かと思われたのだが
1955年になって、何とシュガー・レイがカムバックしてきて
12月9日にシカゴでタイトル戦が行われたのである。
結果は、2RKOで、オルソンはシュガー・レイの強打の前にリングに沈んだ。
可哀相なオルソン。
彼は、半年後に再びシュガー・レイとの世界タイトル戦を行い
またまた5回ともたずにKOされてしまう。

シュガー・レイ・ロビンソンこそ、史上最も偉大なミドル級チャンピオンだろう・・
という声が上がり始めたのだが、それも当然だろう。
そんな評価もされてきた1957年1月2日、彼はジーン・フルマーというボクサーと
世界タイトル戦を行い、判定負けを食らってしまう。
油断もあったのかもしれないが、フルマーはシュガー・レイの苦手なタイプだったことも
事実である(最終対戦成績はフルマーの2勝1敗)
しかし、さすがはシュガー・レイ。
その4ヵ月後には、苦手フルマーを5RKOで片付けてしまうのである。

22korou:2006/03/11(土) 11:28:47
このあたりがシュガー・レイの選手生活の最後のピークだったかもしれない。
フルマーから奪還した世界タイトルだったが、その4ヵ月後には
今度はカーメン・バシリオという選手に判定負けしてしまい、タイトルを失っている。
バシリオともお約束のリターンマッチをその半年後に行い、これまたお約束のように
タイトル奪取を果たすのだが(一体、何度目の”奪取”なんだ?笑)
今度は判定勝ちでの”奪取”だった。
しかもゲンのいいシカゴでの試合でKO勝ちできなかったことで
さしものシュガー・レイも衰えてきたのかもしれない。

その後、シュガー・レイは世界タイトルを剥奪されてしまい
代わりにジーン・フルマーが世界チャンピオンに認定された。
その一方でポール・ベンダーがシュガー・レイとの2度のタイトルマッチに連勝し
ベンダーも世界タイトル保持者として認定されるのだが
このあたりでWBA、WBCといった団体乱立の時代が到来するのである。
しかし、1960年代前半に発生したこのミドル級をめぐる混乱は
ジーン・フルマーを1962年10月23日に破ったディック・タイガーの出現によって
統一の方向に向かい、その後1970年代前半まで
ミドル級最強の男は世界でただ一人という幸福な時代が続くのである。
タイガー、ベンベヌチ、グリフィス、モンソン・・・この4人だけという夢のような時代。
いずれも波乱万丈な人生を歩んだ魅力的なボクサーで
語れば尽きることのない伝説の持ち主ばかりである。
(続く)

24korou:2006/03/11(土) 12:57:50
>>19
>私もサドラー・ペップからアリゲリョ、サンチェスと続く大好きな中軽量級系譜を
>つらつらと書いてみたくなります(^^)。

HPコンテンツ用としてこのスレに書き込みを続けている私ですが
もちろん掲示板のスレッドでもあるので
どうぞ”つらつらと書いて”下さって結構です。

Wikipediaのアルゲリョの項目は詳しいですが
ペップ、サンチェスは載っていないようです。
シュガー・レイ・ロビンソンに至っては、叙述が簡単すぎて不満です。
私の書き込みのほうがずっと詳しいです(^^)

 ※ネタ本は「ビッグ・ファイト100年(ボクシングマガジン昭和56年9月号増刊)」
 (ベースボールマガジン社発行・1981年)です。

Wikipediaを上回る日本最強のコンテンツを目指しましょう(笑)

25マルコ:2006/03/12(日) 14:46:07
偉そうにつらつらなんて書きましたが、たいした事はないんです(^^;
私の場合ネタ本は90年代の雑誌や、特集本(「世界の名ボクサー100人」(ワールドボクシング増編))などですね。
けっこうな量で、昨日久々に開いてみましたが、いつ読んでも面白いです。

ウィキペディア、意外とボクシング関係の情報は薄いですね。
サンディー・サドラーやウィリー・ペップが載ってないとは。
それだけ興味が薄れている証拠なんだと思います。

お言葉に甘えて、ちょっと情報を集めて書いてみます。
折りしもちょうど越本隆志がタイトルを奪取しましたし。
(柴田国明以来ってわけですから、すんごい話なんですけどねぇ・・・正直なんか今ひとつ・・・)

26korou:2006/03/12(日) 21:09:13
>>25
まあ、のんびりマイペースで行きましょう(笑)
結構「調査・執筆」に時間を食われると思いますんで。

今週はWBCとかあって
私も(続く)の後を書けるのがいつになるのか予想がつかない状態です。
そうしているうちに、年度変わりでそこそこ忙しくなるのは目に見えていますし。

27小女子:2006/03/14(火) 07:55:00
>シュガー・レイ・ロビンソン
Wikipediaの英語版だとあたりまえ(自国だから)で、いろいろあります。
でもKorouさんの見てから読むとフムフム感がだぜん違います(笑)。
日本語版の左のらんで英語って選択があると簡単にそのページに行けます。
ボクシングの項目でスウェーデン語があるかがちょっと不思議です。
人気なのかな、マニアがいるのか?スウェーデンで。

で英語版で見つけた豆知識
今年の切手になるそうです(↓切手の映像あり)
http://www.buffalonews.com/editorial/20060305/2063298.asp

Joe Louisっていうのがボクサーの名前だと言うのもしりました。
デトロイトのアイス・リンク施設の名前で覚えてたけど。

28korou:2006/03/14(火) 21:16:20
Wikipedia英語版のチェックを忘れてました(^^;;
さすがに詳しいですね。
これを翻訳するだけで、十分詳しい日本語版Wikipediaになりそうですが
そういう試みをする人は居ないのかな?

スウェーデンのボクシングですか。
居るんですよ、凄いチャンピオンが。
↓この方です(インゲマル・ヨハンソン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3

英語版はさすがに詳しいです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ingemar_Johansson

パターソンとのリターンマッチは、ヘビー級史上に残る名勝負となりました。
名勝負と言われるゆえんは、ヨハンソンが欧州出身だったことが大きいです。
パターソンはその後、ソニー・リストンに完敗し
そのリストンをカシアス・クレイが奇跡的勝利で下し
クレイ王朝の時代が始まるという順序です。

29korou:2006/03/14(火) 21:17:13
>ジョー・ルイス

パターソン、ヨハンセンらの直前の時代には
まず、ロッキー・マルシアーノという偉大なチャンピオンが居まして
その少し前にジョー・ルイスが居たのでした。
ルイスはヘビー級タイトルを11年間守り通して
その間のタイトル戦は25試合無敗でした。
ヘビー級史上最強であることは間違いないでしょう。
フィルムで何度も見たことがありますが
凄いパンチというよりは、クレバーでスピードのある選手という印象です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9

彼が、スポーツ界における黒人の活躍についてどの程度貢献したのか、興味はあるのですが
まだ研究したことがありません(詳細な日本語の文献なんてあるのでしょうか?)。
このWikipediaの記述だと、かなりのものですが。

30小女子:2006/03/15(水) 09:29:20
なんと、スウェーデン人の有名ボクサーがいたのですね。
Johansson、思いっきりスウェーデンな名前ですね(〜sonってなんとかの息子とかそんな意味だったと)。

Joe Louisまでつなげていただいてありがとうございます。

あ、それでデトロイトあたりも黒人運動さかんなのかな?
黒人運動(African-American Civil Rights Movement)にかぎらず、
全体のCivil Rights(公民権?)とかHuman rights(人権?)とか
頭を悩ませます(笑)。
たぶん同じ時期(戦後?)にこう盛んになったんだろうなと。

31korou:2006/03/16(木) 19:29:33
「公民権運動」という言葉の響きは、黒人の地位向上だけではないように思えますが
実態は黒人中心の運動であったようですね。
このページなどがコンパクトによくまとまっています。

http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/civil_right.html

34korou:2006/11/25(土) 23:39:51
今日の新聞には、なかなか微妙なニュアンスで重要な人物の訃報が載っていました。

アニタ・オデイ(ジャズ歌手)。肺炎で死去、87歳。
白人女性でジャズ歌手というのは珍しいポジションであり
そのポジションでは最高峰とも言える歌手でした。

フィリップ・ノワレ(フランスの男優)。がんで死去、76歳。
演劇界で活躍後、「地下鉄のザジ」で映画の世界でも有名になりました。
「ニュー・シネマ・パラダイス」で、年老いた映写技師のアルフレード役を演じていて
この映画がベストワンである私にとっては、最高の名優と言っても過言でありません。

今後、このスレは訃報中心に語っていきたいと思います。

35korou:2006/12/02(土) 10:55:52
木下順二氏死去。
戦後の日本を代表する巨人ですが、私にはうまくその業績を語れません。

実相寺昭雄氏死去。
「ウルトラマン」の監督として著名ですが
もちろん映画の分野でも、自主制作映画というそれまでになかった形を
定着させたことで不滅の功績を残しています。

宮内国郎氏死去。
「ウルトラQ」「ウルトラマン」などの主題歌を作曲をされた方だそうで
訃報で知るまで存じ上げませんでした。
実相寺監督とほぼ同じ時期に亡くなられるというのも奇なことです。

あとウロ覚えですが
ジャガー横田、高齢出産に成功ということで、多くの女性が勇気をもらったと思われます。
こういうのは家庭を持った人でないと本当の価値が分からないのも事実。
かといってその価値が分からない人がどうのこうのという話でもありませんけどね。

坂本龍一、矢野顕子が離婚・・・って、もう離婚していると思ってました。
それより年齢が遥かに自分より上と思っていたのに、あまり私と変わらないのにショック。
私は今49歳ですが、彼らは50代前半。
小学校の後半あたりでは”物凄い”年齢差ですが(自分が小学校6年生で、彼らは大学生)
ここまで来ると、たいした差ではないというのが、いとをかし。

36korou:2006/12/03(日) 22:46:07
井川遥の結婚相手、松本与氏の家系が週刊誌で紹介されたようです。
今どき、家柄うんぬんというのも無粋な話ではありますが
興味深い話でもあるので、当掲示板ではもっとコアに紹介しておきます。

徳川家康の次男秀康(結城秀康)は
本来家康を継いで第2代将軍となるべきところを
秀吉の養子になったという経緯、秀忠よりも優れた人格をかえって周囲に恐れられ
越前国に封じられ、越前松平家の祖となります。
越前松平家2代目の忠直も、また秀忠の怒りを買い、越後に改易され
その後越後でも忠直の子光長が「越後騒動」を起こし
結局、越前松平家は津山松平家に引き継がれることになりますが
それは別の話として
実際の越前には、忠直改易の後、忠直の弟忠昌が入ったので
歴史記述上、忠昌の子孫が越前松平家と誤って記されることが多いようです。
その”偽”越前松平家の分家が、明石に封じられたのが1682年。
以後、幕末の直致まで10代続き、直致の弟直徳は貴族院議員となり
明治の世を生き延びます。
直徳の子、直頴は、岩倉具視のひ孫で
なぜか西郷隆盛の弟従道の子従徳の養女になっていた初子と結婚。
その娘が、音響メーカーのパイオニア創業者松本望の息子と結婚し
生まれたのが、今回、井川遥と結ばれた松本与氏というわけです。
(長い前置きでした(^^;;)

松本与氏の祖母の岩倉初子(西郷初子)は
系図上、加山雄三の母小桜葉子(本名・岩倉具子)と従姉妹になります。
まあ、なんだか日本の隠然たるエスタブリッシュのなかに
井川遥という女優は組み込まれたとも言えますが
ここまで傍系だと、あまりそういう意識はないかもしれませんね。
いずれにせよ、在日韓国人であることをカミングアウトしているだけに
その立場と皇族にもつながる家系とのドッキングは
別の意味で衝撃的でもあります。
杉田かおると鮎川財閥の御曹司などの話とはスケールが違います。

37korou:2006/12/05(火) 21:13:23
長野士郎氏死去。89歳。
岡山県知事として24年間君臨しましたが
最初の8年間以外は評価できない、つまり後半16年間は
完全に「裸の王様」状態で職員にモノを言わせぬ圧政だったというのが
まあ岡山県庁マンの多くが感じているところでしょう。

高度成長時代なら、圧政だろうが何だろうが
これほど事業を展開するのが得意なリーダーは
喜ばれただろうと思います。
しかし、後半は明らかに低成長の時代に突入していて
そこに長野氏の政治手法の限界があったように思います。
そこで問題なのは、明らかに方向が間違っている県政と分かっていながら
改選のたびに有力な立候補者が現れない、という点のみで
多選を重ねていったという、日本の地方自治の人的資源の貧しさです。
とにかく地方行政においては、よほどのことがない限り現職が強いのが当然であって
誰も長野氏のようなパワー満点の現職に対抗しようとは思わない。
そこで、泡沫候補しか現れず、その泡沫候補が予想外の票を取っても
それが県政批判票としての扱いを受けない、という悪循環があります。

長野氏に関しては(個人的に)膨大な数の噂話を知っています。
全部書いたら、この掲示板がそればかりになってしまうほどですが
噂で登場する方にはまだ現職の方も居られるので
イニシャルトークでも書くことははばかられるのが残念です
(話としては”現代の怪談”じゃないかと思うほどスリリングで面白いんですが)

今日のNHK岡山のローカルニュースは
長野氏死去だけで予定時間の半分以上を費やしていました。
ほぼこれ一色です。
それだけの影響力はあった現代岡山最大の名士でした。

38小女子:2007/02/11(日) 05:32:36
こちらはお久しぶりです。

ちょっとお尋ねしたい人物がいまして
第二次大戦くらいに議員だったと思われる松本滝蔵という人ご存知ですか?
検索すると、彼の名前を冠した野球大会や公園の名前が出てくるのですが、
由来まで書いてない(笑)

広島出身の人物らしくて、
明治大学で英語教師していたときに、
アメリカのオールスターチームが日本にやってきて
大学生に野球を指導するメンバーにいた
あのMoe Bergと親しくなったそうです。

親方のほうが知ってるのかしら?

39korou:2007/02/11(日) 11:23:32
おっと、突如このスレが上がっている(^^)

松本滝蔵、名前は知っています。
しかも、脳裏にビビビと何かが発信するものが・・・(笑)
もう少々お待ちください。

40korou:2007/02/11(日) 11:36:43
概要はすぐ分かります。
つい最近復刊された平凡社の「日本人名大事典」の現代編が手元にあるので(20年前に購入済み)
引いてみたら項目としてありました。
以下、多少文章をいじりつつ引用。

・松本滝蔵(1901ー1958) 政治家。広島市生まれ。昭和5年(1930)明治大学商学部卒業。
 直ちに渡米してハーバード大学に学び、同13年(1938)同大学経営学部卒業。帰国後、日本女子大教授。
 フィリピン国立大交換教授を経て、明大教授、理事となる。戦後は衆議院選挙に立候補し、昭和21年以来
 当選5回。片山内閣、第一次岸内閣外務政務次官、鳩山内閣の内閣官房副長官を歴任する。フィリピンとの
 賠償全権委員、ソ連との国交正常化全権委員顧問、またサンフランシスコ講和会議にも派遣されたりと
 国際面での活躍が顕著だった。体協理事も務め、ヘルシンキ五輪、マニラでのアジア大会には、日本代表委員
 として参加。スポーツの国際交流にも尽くした。

41korou:2007/02/11(日) 11:46:09
上記平凡社の記述は明らかにおかしいですね。
普通に読めば、昭和5年から昭和13年まで渡米して日本に居なかったことになりますが
恐らくそうではないでしょう。
平凡社の事典といえば権威ある書物ですが
ミスもあるという格好の例だと思います。

山口昌男の本に出ているはずと思っていたのですが
巻末索引に名前がありませんでした。
もう少しリサーチしてみます。

42korou:2007/02/11(日) 12:36:26
このPDFページの9ページ目の後半から10ページ前半にかけて
面白い文章が載っています。

http://kins.jp/pdf/12shiozaki.pdf

三木武夫との関係は初耳でした。
自民党非主流派の三木が
なぜか米国との太いパイプを持っていることは
以前から疑問でしたが
松本滝蔵と親しいのであれば納得いきます。

で、佐野眞一の名前が出てきているので
先々週、古本屋で購入したばかりの「巨怪伝」を引っ張り出してみると・・・
かなり詳しく出ていますね。

戦後の国会議員では一番の英語力だったそうです。
明治大学出身ということで、GHQに神宮球場接収解除のお願いをしていたのですが(六大学野球復活のために)
たまたま正力松太郎、鈴木龍二の意を受けて、同じくGHQに後楽園球場接収解除の申請に来ていた
鈴木惣太郎の熱意にGHQのほうが負けて
まず後楽園球場のほうが接収解除になった、という経緯が書かれていました。

例のキャピー原田とも関係が深く
原田がGHQの副官として来日したとき
モー・バーグから「松本滝蔵の英語は上手い」と聞かされていたそうです。
キャピー原田はサンタマリア生まれであり、松本はフレスノに居たということで
原田としては、名前だけは以前から知っていたということだそうですが(山ひとつ越した土地、と書いてありますが、地理的には私にはサッパリ、笑)
なぜか昭和20年7月には、モー・バーグはフィリピンに居たそうで
同じくその時期にフィリピンにいた原田は、バーグから松本の噂を聞かされたそうです。

<ここでいったん切ります>

43korou:2007/02/11(日) 13:42:04
平凡社の事典では、松本の戦前の略歴に外交官らしきものは見当たらないのですが
上記URLの文章や「巨怪伝」などによると
親米派としてしられる外交官平沢和重、福島慎太郎らと親しく
彼らと共同で「サービス・センター・トーキョー」なる組織を設立し
自ら理事長となっています。
松本は、この組織の理事長として、主に公職追放者解除の嘆願書を作り
数多くの大物を戦後社会に復帰させた功績があるようです。

松本の奥さんである綾子も大変な女傑だったようで
ポートランド生まれで英語がぺらぺらなのはもちろん
日本語も全く問題なかったらしいです。
夫の仕事を助け、というより夫の仕事をリードして
GHQへ提出する書類を、タバコをスパスパとすいながら、
同時にウイスキーをチビチビとやりつつ
超人的なスピードでタイプ打ちしていた、と三木武夫の睦子夫人が証言しています。

44korou:2007/02/11(日) 13:53:52
さらにスポーツとの関係では
戦前にポール・ラッシュという牧師(日本の大学にに英語研究会<ESS>を創設した人物)に協力する形で
日本ではじめてのアメリカン・フットボールチームをつくっています。
昭和9年に「東京学生アメリカン・フットボール連盟」が設立されると
初代書記長に就任し、実質の理事長として、ラッシュ理事長の仕事を支えています。

さらに、戦後は、上記キャピー原田が白洲次郎の紹介で鈴木惣太郎(当時は正力松太郎の部下)と知り合い
さらに原田が松本の義兄でジャパンタイムズの社員であったチャーリー吉井の仲介でやっと出会えたことにより
正力−鈴木(惣)−原田−松本というラインができます。
この縁で、昭和24年2月に、正力松太郎が初代プロ野球コミッショナーに就任した際
通訳(ESS局長マーカット少将が立ち会ったため)を務めています。

サンフランシスコ・シールズ来日に最も尽くしたのは鈴木惣太郎でしたが
それを支えたのも原田、松本コンビでした。
原田が米国側の面倒を見て、松本が日本側の代表として裏方で支えていたようです。

余談ですが、ディマジオ、モンロー夫妻来日の際
世話役を買ってでたのは松本で、滝蔵の息子満郎が運転する車で案内した、とあります。
美空ひばりの初のハワイ公演も、松本が斡旋しています。

昭和24年には、GHQからの特例で、全米水上選手権へ日本選手団が特別に参加を許され
選手団団長として渡米します(いかに松本がGHQから信頼されていたかが分かるエピソード)
この選手権で、古橋広之進が世界新記録を連発し「フジヤマのトビウオ」と絶賛されたのは有名な話。

45korou:2007/02/11(日) 14:06:42
まさに多彩な活躍ですが、実は追放解除に尽くした功績が最も評価されていたようで
鳩山一郎からは「なんで私の追放のときに私のそばにいてくれなかったんだ」と言われたそうです。
鳩山も松本を頼りにしていて、第一次から第三次までのすべての内閣において
彼を官房副長官のまま留任させ重用しました。

出生については、さすがの佐野眞一氏も完全に調べきれず
何か秘密があるらしい、という印象のまま、日系二世という表現で終わっています。
歌人の吉井勇と姻戚関係があるとのことですが
どうも綾子夫人の姉の嫁ぎ先がそうみたいで、本人とは直接関係なさそうです。
CIAの前身OSSなどとの関連もちらほら感じられますが
それこそモー・バーグ同様、実際のところは何も分からないまま
近代史の闇としてこのまま秘密が明かされないままで終わりそうです。

ポール・ラッシュなどは完全にCIA人脈ですし
実際、ラッシュは上司の命令でゾルゲ事件の再調査を行っています。
その際、柴田秀利(正力が対米工作に使った不思議な人物。私の文章にはよく登場します(^^))と
ラッシュは関係を深めていますが
その際、柴田は、近衛文麿や松前重義らが極秘に調査したソ連共産党関連の情報を入手していて
それをラッシュに伝えているふしがあります。
多分、柴田はこの功績で、正力が構想した民間テレビを実現させるべく
渡米を許され、フーバー大統領などとも面会が許されたりしたのでしょう。
柴田の手記には、松本とおぼしき人物が登場しますが
なぜか匿名の表現になっているので、確定できません。
ただ、片山哲内閣が発足した際、柴田が呼ばれて
西尾末広などにGHQとの折衝の仕方を教えた、とあるのは
当時、片山内閣で政務次官となっていた松本の示唆なのかもしれない、と
推測できます。
今まで片山内閣内に柴田との接点を見つけ得ないでいたのですが
これならスポッとはまります。

46小女子:2007/02/12(月) 06:21:47
凄い!!
早いし、詳しいし!
ありがとうございます、ありがとうございます。

いま、買って寝かせておいた(忘れてた)Moe Bergの本を読んでたら、
出てきたんです、滝蔵ちゃん。
登場した日本人では一番気になりました。

英語で調べら、こんなの出ました(日本語翻訳ページあり)
「チック・パーソンズ米海軍中佐と日本人」
http://www.us-japandialogueonpows.org/index-J.htm
松本”フランク”たきぞうって真ん中ぐらいに、
上で書かれてる水泳選手の話で出てきます。
捕虜になったアメリカの人たちの記録を集めた団体のサイトみたいです。

上の私の文章も間違ってました。
Moe Berg、オールスターの合間の1932年に
大学生に野球を指導するグループの一員として日本にやってきて、
後のBabe Ruthが一緒のオールスターのメンバーになるのでした。
1932年(昭和7年)と1934年(昭和9年)です。
タッキーとは、1932年の指導グループが明治大にやってきたときです。
Bergに英語の授業もお願いしたとありました。
満洲の様子もタッキーから聞いたそう。
(1932年は、Bergはその後アジア諸国を訪れてます)

んで、年数はわかりませんがその後に
滝蔵ちゃんがHarvard大学のBusiness Schoolに編入する手続きを
Bergが手助けしたとありました。

タッキーはいつ頃Fresno(フレズノ)に居たんでしょうかね?
農業が盛んで日系人が多かった土地です(今はちょっと違う)。
日系人野球リーグもありました。
強制収容所もあったはずです(←あまりくわしくありません)。
Santa Mariaは確かに山を越えてだけど...

当時の新聞とか読んだら、結構当たり前に載ってそうなことですが、
あまりそういうことは残ってないから(積極的に残さないと残りませんね)、
後の時代で、こうやってパズルみたいに解くのは、
面白いですよね(笑)。

47小女子:2007/02/12(月) 06:30:04
あ、日本語に翻訳されてますね。
「「大リーガー」はスパイだった―モー・バーグの謎の生涯」
 ニコラス ダウィドフ (著)、鈴木 主税 (翻訳)
原題は
「The Catcher was a Spy: The Mysterious Life of Moe Berg 」ですね。
Moe Bergマニアってのがあちこちにいるみたいで、
この本の手助けになってるようです。

私もぞっこんです(笑)。

48korou:2007/02/12(月) 15:29:24
モー・バーグについては、以前下の方の掲示板で取り上げたことがありましたね。
妙な書き込みが続いたので、このところパスワードで塞いでいたのですが
ちょっとの間だけパスワードを解除してすぐ読めるようにしておきます
(なお、またパスワードで塞ぐ予定ですが、このあたりの書き込みを参照されたい場合は
 mixiでメッセージを下されば、小女子さんならお教えします)

http://6236.teacup.com/mlbetc/bbs
(牛の写真<笑>の下のあたりにモー・バーグ関係の記述アリ。通常は
 「次のページ」→「画像掲示板へのリンク」でたどり着きます)

49korou:2007/06/29(金) 12:38:15
今週号の週刊朝日の中森明夫のエッセーで
「「赤ちゃんポスト」を設置した熊本市・慈恵病院の蓮田院長の父が
三島由紀夫にも大きな影響を与えた国文学者蓮田善明であることを
知ったのは、思わぬ不意撃ちだった」
と書いてあるのを読み、私も完全に不意撃ちを食らいました。
三島由紀夫と「赤ちゃんポスト」(本当は違う名称ですが・・・)、何たる組み合わせ。
片や"死ぬことが文化だ”という思想の美しさから逃れられなくなった文学者、
片や”どのような事情であれ、生命は大切にしたい”という病院長。
どこかでつながっているような気もしますが
安易なアナロジーは慎みたい。
これは意外感で止めておきます。

50korou:2007/06/30(土) 20:46:09
またまた週刊朝日の話ですが
先週あたりに渡辺二郎の恐喝事件で羽賀研二が絡んでいる、という情報を
ニュースコーナーに書いていました。
今日、羽賀が逮捕されたので、これも見事なスクープということになります。
「あるある大事典」事件など、このところ半年ほどずっとスクープ続きの”週刊朝日”。
以前では考えられないことですが、何があったのか?
今注目のメディアです。

51korou:2007/07/20(金) 12:55:39
河合隼雄氏が亡くなられた。
mixiで書こうかと思ったものの、訃報ばかりの日記もアレなので
こちらに簡単に記す。

日本におけるユング心理学研究の第一人者という評価もあるが
ユングに関しては研究者も多いので、そういう評価が先走るのもどうかと思われる。
箱庭療法についても、紹介者としての評価を否定することはできないものの
実際の研究に関しては、必ずしも第一人者とは言えないだろう。

河合氏の優れた点は、やはり一般大衆への啓蒙ではないだろうか。
心理学者と称する大学教授、研究者は多数居るなかで
河合氏ほど、コンスタントに分かりやすい書物をものにしてきた人は他に居ない。
専門書として書いた本のレベルがどうなのかは素人には分からないが
少なくとも、絵本とか夢とか、身近な題材を使って
心理学の初歩を魅力的に伝え続けてきた方であった。
我々一般人にとって、これほど頼りがいのある心理学の羅針盤はなかっただろう。

「明恵、夢を生きる」(講談社+α文庫)などは
漠然とした夢分析、表層的な夢占いなどとは一線を画した
見事な心理学の本であり、夢を扱った本である。
非常に丁寧であり、俗っぽくないのだが
それでいて、非常に読みやすいという不思議な魅力をもった本だった。

1年前から病状がひどいというのはお聞きしていたものの
いざ亡くなられると、さすがに寂しい気持ちになる。
また、その著作を読み直してみたいものである。
合掌。

52korou:2007/07/31(火) 18:53:22
ベルイマン監督、小田実氏と、次々に訃報が届く。
そういえば、ポピュラー音楽評論の青木啓氏も亡くなられた。
長文をしたためるほど詳しくはないのだが
いずれの方からも影響は受けました。
懐かしい名前、そしてやや地味なため
訃報後はあまりその名前を聞くことがなさそうな方々ですが
安眠をお祈りします。

53korou:2007/08/01(水) 19:09:26
今度は阿久悠氏死去。
mixiに書きましょうか、これは。

54korou:2007/08/01(水) 21:13:37
と思ったんですが
特に書きたいこともなかったので、やめました。
なお、このページは面白かったです。

http://www21.ocn.ne.jp/~kobataka/ongaku/you1.html

55花眼(旧korou):2007/09/05(水) 08:24:10
瀬島龍三氏死去。

何と、今書きかけて、瀬島氏の下の名前がすぐ出てこないことに
我ながら愕然。
私の脳裏の中でも過去の人となっていたわけだ。

岡田啓介の娘婿なのだが、生涯そのことを隠し続け
新聞社の若手記者などは、そのことを知らない者も居るようだ。
能力だけで、あの若さで参謀部の中心人物になれるわけがないのである。
岡田は、2・26で一度死んで復活した「軍神」なので
その代理として瀬島が発言権を得ていたはずである。
もっとも、瀬島は絶対にそのことを語らなかったので
今となっては、終戦時での岡田との関係は謎のままである。

ほとんど何も語らなかった瀬島だが
山崎豊子が少しだけアプローチしたのと
魚住昭氏の労作「沈黙のファイル」が
その実像に迫る唯一の本だろう。
「幾山河」などは、多分ウソの固まりに違いない。

56まさひろ。:2007/09/05(水) 19:41:37
瀬島さん、数々の日本史における疑問に答えずにお亡くなりになりましたねぇ。
やはり 一番の疑問点は ソ連との停戦に おいて日本が捕虜の連行を担保したかどうかでしょうねぇ。
その停戦協議に加わった日本人は3人。そのうち 最後まで 生存されたのが
瀬島さんですねぇ。そのことに関しては 誰が聞こうが 答えなかったそうです。
ほかにも色々と ありますねぇ。
でも なにも しゃべらない。話題をそらすのが とてもおじょうずな
方だったようです。
でも 色々な評価はありますが、シベリア抑留11年から 日本帰国時
43歳。そして 伊藤忠に就職して 会長まで上り詰めます。
土光臨調では 中曽根さんの懐刀として 大活躍。
まさに 並みの人間の5人分の大活躍でしたねぇ。

57花眼(旧korou):2007/09/06(木) 12:34:21
まさひろ。さん、どうも、しばらくです。

瀬島氏について
「戦前は大本営で戦争を指揮して、戦後は戦争賠償を商売にして富を築いた人。
 そこには、戦前戦後を通じて、戦争への反省というものが全くなかった」
と評している人が居ました。
真実を突いている指摘だと思いました。

ソ連との停戦時で、捕虜の連行については
誰もが短期間の処置と思っていたはずです。
ただし、その暗黙の了解はソ連によって破られ
その局面で瀬島氏は何もし得なかったというところでしょう。

もっとも、当時の流動的な情勢では正確な判断をすることは極めて難しく
そのあたりを下手に誤解されるよりも
沈黙を保っておこうという知恵なんでしょうね。
そもそも、彼は引退した元軍人ではなく現役の実業家でしたから
対ソ連への言動も慎重にすべき立場であったと考えられます。
とにかく頭脳だけは明晰この上ない人だったことは間違いなさそうです。

58花眼:2007/11/13(火) 12:53:53
稲尾和久氏死去。

現役時代の鉄腕ぶりはここで改めて書き記すこともない。
稲尾さんの立派だったことは
どう考えても損な役回りだったポスト三原を引き受け
低迷期の西鉄ライオンズを一手に背負ったところである。
のみならず昭和38年には逆転優勝までした見事な采配ぶりには頭が下がる。
普通なら、ロイ、バーマ、ウィルソンなんかダメ外人トリオになってしまうところだったのだから。

さらに”黒い霧事件”で時代の変遷時期で苦渋をなめるが
昭和50年代にロッテの監督として復活し
落合をうまく使いながらチームカラーを前面に押し出した。
監督業引退後には、池永投手の復権などにも尽力されたはずである。
(その点、森安投手には稲尾さんに匹敵する存在が居ない。これは気の毒すぎる)

過激な発言を好む西鉄ライオンズOBのなかにあって
人当たりの良い稲尾さんの存在は光っていたと思う。
偉大なる投手、偉大なる人格者を失った悲しみは大きい。
合掌。

59花眼:2007/11/14(水) 09:58:09
訂正。
昭和38年の采配は中西さんでしたね。
また、黒い霧事件の混乱の直後を引き受けたのが稲尾さんでした(そこまでは中西さん)
記憶が随分違っていましたが
文章の趣旨としては修正不要で、人格者であったことには変わりありませんが。

60花眼:2007/12/27(木) 12:50:17
今週号の林真理子の対談ゲストは、郷ひろみ。
彼は終始カッコいい言葉を吐き続けるが、ある意味、それは彼の宿命かもしれない。
彼が何か喋るたび、昔はあまり良い印象を持てなかったが
今はそれほど嫌悪感もなく、むしろ好感に変わっているのに気づく。
そして、ときにこういう嬉しい言葉も飛び出す。

(林が、今の郷さんが昔の歌を歌うと、歌詞が以前と違う意味を持って聞こえる、と言ったのを受けて)
「歌がナツメロになってしまうのは、アレンジやバンド編成のせいじゃなくて、歌う側の意識の問題だと思うんです。
 今の自分が頑張るしかないという意識。自分が昔の歌手になってしまうと、曲もナツメロになってしまう」

決して昔の曲を歌わない沢田研二とは対照的だ。
ファンの立場からすれば、郷ひろみに感謝したい気持ちになるのは当然で
ジュリーも、こういう気持ちになってくれないかな、と熱望する。
かつては、このコラム後半のように、昔のヒット曲を歌ってくれたこともあったのだから。

http://ww1.tiki.ne.jp/~sisho007/column/020526.htm

61花眼:2008/01/04(金) 11:28:58
物故者リスト(H19年)
1月・・・安藤百福、嘉門安雄、福田歓一、井沢八郎、シドニー・シェルダン、高橋揆一郎
2月・・・大杉君枝、生恵幸子、渡辺和博、フランキー・レイン、大久保怜、池田晶子、高松英郎、アーサー・シュレシンジャー
3月・・・ジャン・ボードリヤール、時実新子、鈴木ヒロミツ、椎名素夫、船越英二、鴨志田穣、城山三郎、植木等
4月・・・カート・ボネガット、ボリス・エリツィン、デービッド・ハルバースタム、藤林益三、ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ
5月・・・横山ノック、北村和夫、池宮彰一郎、栽弘義、三好京三、岡仁詩、藤原伊織、塩沢とき、野口二郎、平岩外四、鈴木光枝、熊井啓、大庭みな子
6月・・・石立鉄男、羽田健太郎、観世栄夫、関口清治、横山泰三、門脇禎二、クルト・ワルトハイム、谷幹一、宮沢喜一
7月・・・西山千、ジェリー伊藤、宮本顕治、河合隼雄、カール・ゴッチ、小田実、イングマール・ベルイマン、ミケランジェロ・アントニオーニ
8月・・・阿久悠、松村禎三、平古場昭二、佃正樹、山口小夜子、マックス・ローチ、南風洋子、富樫雅彦、西村寿行、渡辺秀武、サイデンステッカー、ナンシー梅木
9月・・・瀬島龍三、ルチアーノ・パヴァロッティ、長船騏郎、ジョー・ザビヌル、高山辰雄、土居甫、長嶋亜希子、マルセル・マルソー、石川忠雄、長井健司、鬼塚喜八郎
10月・・・若桑みどり、グエン・ベト、黒川紀章、デボラ・カー、木原光知子、竪山利文、晴乃ピーチク、藤波孝生、谷口千吉
11月・・・ポール・ティベッツ、浜尾文郎、ノーマン・メイラー、草薙幸二郎、関本忠弘、稲尾和久、江藤隆美、モーリス・ベジャール、真部一男
12月・・・多田道太郎、カールハインツ・シュトックハウゼン、衛藤瀋吉、メイ牛山、島野育夫、五島哲、田中徳三、山本孝史、稲川角二、オスカー・ピーターソン、ベナジル・ブット

※以上、毎日新聞(関西版)2007.12.31付け 10・11面より抜粋

62花眼:2008/06/01(日) 22:34:11
早朝に、園田天光光さんの話をラジオで聴く(聞き手、阿川佐和子、森永卓郎)
1919年生まれの89歳ながら、しゃべりには迫力があった。
27歳の女性にして、東京の路上で立会演説のようなことを行い
その結果、当時の幣原首相に面会までやってのけた武勇伝には驚く。
その仔細は、このページにも紹介されている。

http://www.jacom.or.jp/archive01/tokusyu/shokuryo/02012902.htm

63花眼:2008/09/13(土) 09:16:02
「週刊朝日」の中森明夫のエッセーは面白い。
先週と今週は、スタ誕のプロデューサー池田文雄とのエピソードだった。
池田氏は、1990年代に山口百恵をとってTV出演の交渉をしたことがあるそうだ。
彼女は断ったのだが、「淳平(桜田淳子)のことをよろしくお願いします」と
池田氏にお願いしたらしい。
こういう交渉をした人は何人居るのだろうか?
誰が交渉したら、さすがの百恵ちゃんも”落とされる”のだろうか?
まだ、49歳、十分魅力は残っているはず。

64花眼+:2008/12/25(木) 12:42:36
週刊朝日で芸能界のニュースが特集されていた。

中村獅童がエイベックスに移籍したのは知らなかった。
一方で、最近、獅童ネタが増えたのはどうしてか分からなかったので
さすがエイベックスと思ってしまう。
芸能人の駆け込み寺か、ここは。

春風亭小朝が加護亜衣を起用するというのも妙。

小倉智昭は、渡辺和洋アナのスキャンダルでおいしいポジションを手に入れているのか。

小栗旬と山田優は尾道デート・・・ふーん。

長瀬智也は、アユの後が相武紗季か・・・ふーん。

まあ、こんなとこか(笑)

65花眼+:2009/01/09(金) 23:01:57
TBS「中居正広のキンスマ」で森進一特集。

森の母親の自殺について初めて詳しく知った。
川内康範氏が、そういうことについて森の不利にならぬよういろいろと奔走したらしい。
川内氏が亡くなり、本人がタブーを解放したら、こういう番組も可能になるのか。

しかし、川内氏も浮かばれない。
やはり、森進一は、何か別の思いがあって改作したはずで
そのことは作詞者に断ってから行うべきであった。
もちろん、川内氏は許可しなかっただろうが
別の歌を書くぐらいの配慮はしてあげたはずだ。
それほど、川内氏は森氏の母親に感銘を受けたのだから。
そういった川内氏の思いは、生き残った者の強みで
一切が消されてしまっている。

まあ、川内伝説は結構有名になってきているので
知る人ぞ知る、ということもあるが。

それにしても、山口市下関の女性の話も不可解。
普通、そこまでマスコミが女性の妄想につきあうとは思えない。
この話には何かウラがある。
でも、もう誰もわからない。
生き残った者の強みか、これも。
まあ、森進一には、必要以上の嫌悪感は感じないので
それほど憤りは覚えないけど。
私に「紅白」を引き戻した人もあるしなあ。

66花眼+:2009/01/15(木) 22:25:13
このところ、大原総一郎、堤清二(辻井喬)といった人たちの文章に惹かれている。
大原総一郎の場合、本人の文章というより、その業績・人柄を讃える文章であるのだが。
「高梁川」の最新号を読んでいて、思わずその魅力に惹かれてしまう。
辻井さんの場合は、読売新聞で連載中の自叙伝が素晴らしく
今や新聞を読む楽しみの半分以上がこの連載だと言ってもいい位だ。

この2人に共通するのは、財界人としても一流でありながら
真の意味での教養を備えた人である、ということだ。
不況になると、ただ怯えて派遣労働者のクビを切ることしか頭に浮かばない現今の経営者とは
一味も二味も違うのだ。
一流の財界人には到底なれないわけだが
普通に社会人として与えられた責をこなして
なおかつ真の教養を常にたくわえて居られる人間になりたい、という今の自分の欲求が
こうした文章に惹かれるゆえんだろう。

少し話題は違うが
毎日巡回しているブログ「定年再出発」にこのところ登場してきた澄江さんの話にも
感銘を受けた。
さらに、今日読んだ「週刊朝日」での三国連太郎氏の話も、興味深かった。
逐一感想を書く時間がないのが残念だが
こういう感銘の連続で、私はどこかへ連れていってもらえるのだろうか?私の心を連れていくことが可能なのだろうか?
ただ単に感銘しているだけなのか?そうだとしたらその差異はどこに原因があるのだろう?

67花眼+:2009/01/17(土) 00:01:50
mixiの夏目雅子コミュニティの新着コメントを見ていたら
ついついyoutubeの夏目雅子関係の映像を見てしまった。
また泣いてしまった。

だって
彼女の27歳は私の27歳だし
彼女の28歳は私の28歳なのだ。
51歳の自分が今眺めて未熟な部分を発見したところで
彼女の27歳は私の27歳なのだ。
自分の27歳の未熟さはよく分かっている。
だから、彼女の未熟さを責める気分なんてさらさらない。
むしろ、自分の未熟さを思い出し、それとシンクロする彼女の未熟さを思い
共感するばかりなのだ。
つまり、同世代の戦友!

一緒に時代を駆け抜けていくはずだった戦友の彼女は
早々と世を去った。
私はムダに年を重ね、
youtubeで彼女を偲ぶばかりだ。
雅子さん、そりゃないよ。
まあ、もうすぐそこへ行くけどね。

68花眼+:2009/01/17(土) 14:38:16
「私の履歴書」も第4巻に突入。まずは岩田宙造氏から。

あまり知らなかった人だったが、たいした人である。
昭和32年の執筆当時でも相当の高齢であり
明治8年生まれということで
実はそれまでの執筆者の誰よりも年長者だったのではないか。

ゆえに、幼年から少年時代の出来事などが
他の誰とも違って、いかにも明治維新直後という風情があり
その点にまず驚き、かつ新鮮で面白かった。

さらに、そのような時代背景ではありながら
岩田氏本人は極めて理屈の鋭い人であり
昔の人、と一言で片付けることなど決してできない理知に長けた聡明な方なのである。
明治中期の山口の地において、来日した女性宣教師と問答を重ねた部分の記述は
現代でも十分通用する見事な思索、論理だろう。

そして、圧巻は、伊藤博文との交流の部分で
これだけは、今後どれだけ「私の履歴書」を読み続けていっても
岩田氏だけが持つ独自の体験であろう。
大体、伊藤博文との接点があること自体、昭和32年の時点においても稀有だったに違いない。
しかも、ここに書かれた伊藤の姿は、等身大で嘘偽りがなさそうで、貴重な文章だと思う。
極めて優れた知性、というより、おおらかな人間性で明治の政界を牛耳っていたのだ、ということが
よく分かるのである。

他にも、終戦直前に岩田氏を首相に任命して天皇親政を復活させようとした一部軍人の話など
驚愕の事実も多い。
久々に熱中して読めた「履歴書」だった。

69花眼+:2009/01/24(土) 10:25:27
もう「私の履歴書」に没頭である。
先週の岩田宙造氏のを読んで火がついた感じである。

引き続き、永田雅一を読む。
それから、3日前は芳澤謙吉、昨日は安井誠一郎と
郷土ゆかりの人たちの「履歴書」を読む。
さらに昨日は、荻原井泉水、河合良成も読んだ。

永田雅一については、誇大気味の本人記述だけに、全面信用はならないものの
あまり広く知られていない時期についても細かく書いてあり
なかなか面白かった、

芳澤謙吉については、パリ大使時代に、国連に出向いて
満州事変の後処理に苦慮する様子が詳しく書いてあり
これは昭和史の一級史料だと思った。
永田と違って、ラッパの部分はなく(笑)、まずまず信頼できる記述ではないかと思う。
芳澤は犬養毅の娘婿だが、芳澤の娘婿は井口貞夫である。
もう一人の娘婿の娘(謙吉の孫)が緒方貞子であり
貞子は緒方竹虎の息子四十郎と結婚しているのは有名な閨閥である。

70花眼+:2009/01/24(土) 10:41:55
芳澤が、いかにも皆から頼られて、いかにも面倒な仕事を最終的には引き受けたのに対して
安井誠一郎は、ほとんど宇垣一成の引きで出世したようなものだろう。
元々憲政党系官僚だったのが、犬養毅との交友もあって政友会系になってしまい
最後は犬養、宇垣という岡山閥の官僚になってしまうという人生。
そして、左遷同様の地方官暮らしのなかで、東京市との縁を深くして
戦後の混乱のなかで偶然にも東京都知事になってしまう幸運。
しかも、安井は3期も都知事を務め、その間大過なく首都の長であり続けた。

安井都知事は初代都知事であったが
東京都の長は「都知事」の前は「長官」という職名で
安井自身も2度「長官」に就いている(全部で8代続いた)
その前は「東京市」であり、これは19代続いた。
4代の阪谷芳郎は岡山の人(井原)で、最後の19代の岸本綾夫も岡山の人である。
岸本は陸軍大将であり、政務に疎かったので、周囲に人材を配したが
その一人が河合良成であった。

河合は、これもほぼ郷誠之助の子分といっても過言でなく
郷の影響力を思えば、彼の出世は当然とも言えた。
正力松太郎との交友で、官界とのコネもつかみ
「帝人事件」でのダメージも
満州へ行って新たな人脈をつかむことで帳消しとしている。
まずまずの人生ではなかったのではなかろか。

荻原井泉水については、漂白の俳人のパイオニアというべきか。
師匠が河東碧梧楼で、弟子が尾崎方哉、種田山頭火というのも、いかにもという感じ。

71花眼+:2009/01/24(土) 10:44:56
荻原もかなり年代の古い人で
夏目漱石帰国の際に、歓迎会を主宰したというから相当なものである。
明治末期にはそこそこ知られていた若手俳人というだけあって
貫禄十分の「履歴書」だった。

72花眼+:2009/02/05(木) 21:03:43
山内一弘氏死去。

mixiを続けていれば当然、日記にして
交流のあったMBさんなどのコメントもいただけたかもしれないが
それにしても久々に驚いた訃報だった。

私が野球を見始めた頃
すでに広島カープの選手だった。
阪神時代は記憶になく
まして大毎時代も記憶などない。
30代も半ばを過ぎて
特にどうということのない打者だったが
若手ばかりのカープのなかにあって
やはりその風格は格別だった。
山本一義も中堅の域に達していたが
よく打つのだけれどもどこか勝負弱いところがあって
やはり山内さんのほうが頼りになった記憶がある。

今、山本浩二入団との時代の前後を確認。
昭和42年まで阪神、昭和43年から広島。
それにしては、阪神時代の記憶がないなあ。
打率がとにかく低くて2割5分台で終始している。
広島に移ると、打率3割になっているが
ファンの期待度、投手陣の安定度、球場の広さ狭さなども影響しているかもしれない。

73花眼+:2009/02/05(木) 21:11:30
で、昭和44年に山本浩二入団。
その年の平均的な打順としては
今津、古葉、山内、山本(一)、衣笠、山本(浩)、朝井、田中、大石(白石、外木場、安仁屋)
という新旧のバランス良い打線。
10勝投手も4人居たが、それで最下位とはこれいかに。

その翌年、若手の水谷(実)にポジションを譲る形で最後のシーズンをプレーして引退。

山内氏は若手の時代に大下弘のバッティングを目で盗み
自らのものにした。
それを、引退後は惜しげもなく
掛布、原、落合に教えて、それぞれを大打者に仕立てた。
何にしても、これほど積極的に「技を伝えた」打撃の職人は空前絶後である。
この世代の人たちは、寡黙で教えベタだったが
山内さんは例外的な存在、稀有の存在だった。
数年前の稲尾さんに続いて、惜しい方を亡くしたという感が強い。

74花眼+:2009/04/04(土) 23:46:04
考えてみれば「演芸」スレがないのだ。
いまさら新規スレというのも、自分一人だけの掲示板なのに大げさだし
「演芸」に関することもここで書いておこう。
たいていは人物絡みの記述になりそうだから。

昨日はyoutubeで、ダイ・ラケ、いと・こい、枝雀を続けて見た。

ダイ・ラケの「じゃんけん」は面白い。
http://www.youtube.com/watch?v=-ql3sXXj4HE&feature=related
じゃんけんだけでこれだけ笑わせる芸人は
ダイ・ラケ以外考えられない。
ダイマルの天才には改めて驚かされる(もちろん、爆笑の連続だ。腹がよじれて痛い!)

いと・こいの「花嫁」のネタは有名だが
展開を知っていても、やはり味があるのはこの二人ならではの面白みである。

枝雀の「時うどん」
うまいなあ、リアルだし、面白いし、引き込まれる。
枝雀ワールドに浸りきって存分に笑った後、
やはりどうしようもない悲しみが押し寄せる。
それがどんなに本人にとって切実であったにせよ
自分で自分の命を絶ったという結末は
あまりにも悲しい。
これだけの天才なのに。
私は号泣するしかなかった。

75花眼+:2009/04/24(金) 20:44:05
SMAPの草磲 剛が現行犯逮捕。
情報が誘導されている疑いがあるのでなんともいえないが
事実そのものは現行犯に値しないはず。
恐らく逮捕の際の暴れ方が異常だったので
「薬物」の疑いを持たれたことは間違いない。
有名無名を問わず、芸能人を狙った薬物疑惑の立件は
このところ急増している。
SMAPの看板を思えば、見境なく暴れる姿を見て
現場の警官はピンと来たに違いない。

しかし、その流れなら当然の(それがなければ不可解な)家宅捜索では
何も出てこなかったし
実際にラリっていたのなら
警察・検察の検査を免れるはずもない。
ストレスと深酒と「むしゃくしゃしたこと」が重なって
裸体でリラックスする願望につながっただけの「過ち」でしかなかった。

一種の人権侵害だなあ、これは。
逮捕することがどういうことにつながるのか、現場の警官は分かっていなかったのだろう。
彼らは役目だけは果たした。
しかし、犯罪を摘発するという意味において結果的に意味がなく
ただ単に、皆が不愉快な思いをしただけである。
もちろん、原因を作った草磲が一番悪いのだが
公人だからこそ、周囲はもっと配慮すべきだった。
警察はKYだ、というのが今回の事件の結論。

76花眼+:2009/05/11(月) 20:08:39
三木たかし氏、死去。
64歳という若さ。岡山市の病院で亡くなったらしい(なぜ岡山?)

浅丘ルリ子「愛の化石」
あべ静江「コーヒーショップで」「みずいろの手紙」
石川さゆり「津軽海峡冬景色」「能登半島」「風の恋盆歌」
五木ひろし「追憶」
伊藤咲子「君可愛いね」「乙女のワルツ」「木枯らしの二人」
岩崎宏美「思秋期」
キャンディーズ「哀愁のシンフォニー」
西城秀樹「ブーメランストリート」「君よ抱かれて熱くなれ」「若き獅子たち」
坂本冬美「夜桜お七」
清水由貴子「お元気ですか」
テレサ・テン「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」
西川峰子「あなたにあげる」
黛ジュン「夕月」
森進一「冬の蛍」
森山良子「禁じられた恋」
山口百恵「白い約束」「愛に走って」
わらべ「めだかの兄妹」「もしも明日が・・・」
そして「アンパンマンの歌」

これだけの曲を一人で書いたのだから
もう下手な賞賛な言葉など不要だ。人間技を超えている。
若すぎる死を悼むばかりである。しかも最近まで優れた曲を書いていたリアルタイムの人なのだから。

77花眼+:2009/05/11(月) 20:54:20
さっそくyoutubeで鑑賞。

最初は「夕月」から。多分これが最初の大ヒット曲。
妹のおかげで歌手から作曲家にうまく転身できたということ。

次に「夜桜お七」を聴く。「夕月」から25年以上経っているけれど
全く鮮度が落ちていないみずみずしさ!

次に山口百恵を聴く。
「愛に走って」はやはりいいねえ。百恵サンの代表曲の一つ。
今確認してら、売り上げも「横須賀ストーリー」以降にヒケをとらない。
宇崎・阿木でブレイクした、という百恵伝説など怪しいものだ。

それから森山良子「禁じられた恋」
森山お母さんが若い頃にイヤイヤ歌わされた曲なので
歌手のことを思えば好ましくも聴いていられないが
曲そのものは60年代末の飽和しきった昭和元禄の世相を一気に追憶させてしまう
鮮やかなメロディライン、アレンジで、懐かしさに涙が出る。

西城秀樹、キャンディーズも聴いてみる。
西城秀樹の曲は記憶通りで(「ブーメランストリート」は意外とシャープ!)
キャンディーズは、思ったより面白い曲想だった。

最後は石川さゆり。「津軽海峡冬景色」はやはりリアルタイムの1977年の歌唱が良い。
一方、「風の盆恋歌」は1993年の歌唱の映像が素晴らしい。
三木たかし作曲の歌では、これがイチオシでしょう。

http://www.youtube.com/watch?v=0u6RapC3vlw&fmt=35

78花眼+:2009/06/26(金) 23:24:11
マイケル・ジャクソン急死。

マイケルはジャクソン・ファイブの中でピカ一だったけれど
残念ながら、当時の日本ではジャクソン・ファイブよりもオズモンズのほうが
人気があったように思う。
オズモンズがマンネリになった頃
マイケルがソロで「ベンのテーマ」を歌ったときに
この両者の音楽的地位が逆転したような気がする。

そして、1980年代前半にスマッシュヒットを次々に放ち
それは同時に黒人音楽の白人音楽への優勢を決定づけた出来事でもあった。
マイケル・ジャクソンは
ここで音楽史上不動の地位を築いたわけだ。

・・・という型どおりの紹介はどうでもよい。
今は時期外れの歓送迎会帰りで酔っ払っているので
また、何かまとまった文章ができればものにすることにしよう。

79花眼+:2009/07/08(水) 19:03:09
しばらくの間、マイケル・ジャクソンの死について
正しく受け止められないでいた。
あまりのことでショックというのとは全然違って
むしろ逆に、自分でも不思議なくらい無関心な状態が続いたのだ。

そして、日本時間で今日未明に追悼セレモニーがあり
そこで、マイケルの娘が本当に悲しそうに父の死を語り、泣き崩れたのを見て
やっと「人の死」にふさわしい感情を持てるに至った。
それが予定外な進行ということも後で知り、ますます感情は高揚し
さきほどWikipediaでマイケルの人生をプレイバックしてみたわけだ。

80花眼+:2009/07/08(水) 19:09:52
スタートは意外なくらいの貧困で始まっている。
父親がたくらんだブラザース歌手だったのに
父親の影は途中から消えている。
何か深いワケはありそう。

ジャクソン5になってからは、非常に順調。
そして、子どもの可愛さで愛されていた男の子が
年令を重ねて自己嫌悪に陥っていく過程も
そこまでなら非常によく分かる。

そして、クインシー・ジョーンズと出会って
一連の素晴らしい楽曲、PVを出し続け
時代の波にも乗ってスーパースターとなっていく過程も
リアルタイム体験者として納得済み。

分からないのは
1990年代に入って
①楽曲が説教臭くなること
②私生活に慎重さが見られないこと(マイケルの性格と合わない)
の2点。

特に②については、マスコミを避けていたこともあって
今日の娘の存在など、今日知ったくらいだ。
あれほど家族を愛して、また家族にも愛されていたのなら
もう少し生き続けてほしかったと思うのは
私だけではあるまい。

youtubeでまた代表作を見ることにしようか。

81花眼+:2009/10/18(日) 22:34:16
加藤和彦が自ら命を絶って亡くなったらしい。

別にどうということもないのだが
ZARDの坂井泉水とか、RCサクセションの忌野清志郎とかと違うのは
彼の歌は、生ギターですぐ歌えるということだ。
今日は日曜、昼間のうちにギターを取り出して歌っておけばよかった。
いつもとどう違うのか、少し精神的にtripできたかもしれないのに。

でも拓郎が亡くなったら、ちょっとショックだろうなあ。
他の人とはちょっと違うので。
あとP・マッカートニー。
まあ、こっちは結構いまだに元気なんで心配いらなさそうだけど。

82花眼+:2009/10/20(火) 21:59:26
どうも南田洋子さんが危ないらしい。
医者が「治療しません」ということで、近いうちに訃報が流れる感じの報道だ。

さて、その訃報をマスコミはどう扱うのだろう。
もうマスコミの第一線の人たちは「昭和は遠くなりにけり」の世代になっているらしく
その分扱いが丁寧で驚くことが多い。
加藤和彦氏についても、それほどヒドい報道はなかったように思う。

まあ、それにしても、こういう結末は残酷だ。
以前mixiにも書いたけど
夢を与える職業の人は辛い立場だなあとつくづく思う。
認知症でクモ膜下出血など、特に珍しいことではないとは思うが
かつて「夢を与えた」大女優の最期には全くふさわしくない。
そして、介護の末、裏切られたような形になった長門裕之にしても
その立場は昭和の大俳優にふさわしくないポジションのはずだ。

北原三枝がこうなって、裕次郎が看護の結果こうなったとしたら
もっと分かりやすいはずだ。
衝撃度がワンランク違うとはいえ、このカップルも同じことなのであり
そのあたりを、ちゃんとマスコミは報道してほしいと願う。

83花眼+:2009/10/21(水) 22:29:25
結局、本日死去(南田洋子)。

加藤和彦氏のときも不遜な報道があったようだ。
あるブログにこんなコメントが寄せられていた。

  がんで死んだ人に「どうしたんだ」というでしょうか。
  少なくともこの国の人々は、とくにマスコミの方たちは、
  「うつ」という病に無理解で無知です。
  私が敬愛する加藤氏はなぜ死んだのか。
  その答えは、重い鬱病であったから。それ以上でもそれ以下でもありません。
  彼は死を選んだのではありません。鬱病が彼の命を奪ったのです。

人は自殺するのではなく、自殺の原因が人の命を奪う・・・この考え方は
人生の真実に近いと思う。
しかし、人を責めるほうがはるかに安易で分かりやすい。
安易で分かりやすい方向に流れがちな今の日本にあって
自殺した人を責める言動はありがちなこと。

しかし、それでは真実は歪められてしまう。
困難・・というか、単純すぎて不満も残るだろうけど
自殺に原因なんてない。
探すほうがどうかしている。
自殺の原因が自殺する人の命を奪っているだけに過ぎない。

加藤さん、そうですよね。

84花眼+:2009/10/31(土) 16:39:23
三遊亭円楽死去。

円楽は好きでないので、亡くなっても全然どういうことないと思っていたのに
いざヤフーのニュースでそれを知ると
自分でも意外なくらい驚いた。

まあ、それが書きたかっただけだど・・・

落語家としては
落語というものに「誤解」を与えたという意味で
始末の悪い活躍をしてしまった人でした。
真打ちになるまでは、そこそこ期待されたそうですけどねえ・・・これほどの期待はずれも珍しいのでは。

85花眼+:2009/11/03(火) 22:02:49
昨日から、久野久というピアニストの生涯に釘付けである。

もとはいえば、朝日新聞に、戦前のピアニストの話が出ていて
その記事に、久野久の名前があったのを読んだのが始まり。
しかも、その久野という人は、我流で日本国内を席捲したというのに
欧州に出かけて、自らの実力を本場の権威ある教師に見てもらったところ
「一から基礎をやり直しなさい」と言われて
絶望のあまり、ビルから飛び降り自殺したというのだ。
昔の話とはいえ、ショッキングな話だ。

その久野のことを書いた本として一番有名なのが
中村紘子の書いた「ピアニストという蛮族がいる」(文藝春秋)という本。
さっそく入手して、該当部分から読んでみた。

86花眼+:2009/11/03(火) 22:08:06
まずは、久野を教えた幸田延の話から始まる。
文豪幸田露伴の妹でもある延は、恐らく日本最初のプロのピアニストのはずである。
パイオニアとしての苦しみも多かったのだが
もともと多才で器用な人でもあり、家もまずまず裕福であったので
その苦しみは妥当なところで落ち着いている。

それに対して
久野は、家は貧乏であり、本人も足に障害を抱えていた。
精神的にも余裕がなく、ひたすら数奇な運命に翻弄され
自身もそうした苦難に満ちた運命を招いてしまう不器用さを持っていた。

しかし、それなりに才能に恵まれた人でもあったので
不器用なりに困難を克服し
ピアニストとしては幸田延以上の名声を得る存在にまでなった。
大正時代初期に謎の交通事故に遭っても
何とか凌いで、音楽家としては成功した部類に入るだろう。

87花眼+:2009/11/03(火) 22:16:00
問題は、彼女の精神状態が、その交通事故以来ますます妙な方向に発展していき
おそらく自分でも無理だろうと想定していた欧州行きを敢行してしまったことだ。
「本場の欧州でも自分の演奏は通用するだろうか」という思いと
「日本でこれほど認められているのだから、全く通用しないということもあるまい」という相反した思いがあって
しかし、内心では「通用しないだろう」と思っている自分が辛くて
あるとき、突然発作的に渡欧したという感じではないかと想像する。

そして、その直感は当たってしまい
彼女は、ザウアー教授に「才能以前の問題」を指摘される。
彼女は自分の年令(30代後半)で、一から基礎からやり直せるわけもないことも分かっていた。
あとは、日本で騙し騙し演奏活動を行うしか道はない。
未来への絶望に加えて、それまでの活動の真の価値を権威ある人から全否定された彼女。
飛び降り自殺は、あり得ない選択肢ではなかっただろう。
同時代の関係者も、悲しみこそすれ意外であるという思いはなかったに違いない。

それにしても数奇な人生だ。
たかだか大正時代の話だというのに、ものすごく時代の違いを感じてしまう。

88花眼+:2009/11/10(火) 19:56:46
ついにこの日がやってきた。
あまりにも大きな喪失感、虚脱感。
人が亡くなっても、すぐには実感が湧かない今日この頃だが
さすがにこの人の場合は違う。
森繁久弥、96歳。大往生というべきか。

私に満州体験という”人として当然知っておかなければならない事実”を
「森繁自伝」という本により教えてくれた人。
もうそれだけで、私にとって一番大切な人と言っても過言でないが
さらに、森繁さんは、芸談の披露、という私にとって一番興味深い数々の話を
テレビや本で紹介してくれた人でもある。
そして、当たり前のことだが、俳優として申し分ない人で
つい最近も「サラリーマン清水港」を見て、その堂々たる社長ぶりに
喜劇の真髄を知ったことは、映画スレで記したばかり。

小林信彦(中原弓彦)氏の名著では、喜劇人を批評するものさしになっていて
それが、私にとって最初の出会いなのかもしれない。
単に大御所として「知床旅情」を口ずさむ俳優という位置づけから
小林さんの著作への敬意、ひいては森繁さん本人への敬意へとつながっていく。
そして、上述のごとく「森繁自伝」と出会って、私の人生は大きく変わった。
今の職業を気持ちの深いところで楽しめているのは
そうした出会い抜きでは考えられない。

89花眼+:2009/11/10(火) 20:04:35
その主演映画のビデオをまだ消さずに残している・・・というか
消しているほうが圧倒的に多いなあ・・・残念。

また追悼番組が組まれるだろう。
しっかり録画して、在りし日の森繁を偲びたい。

ああ、在りし日の森繁、なんて言葉は寂しいよ。
でも仕方ない。
あちらで
のり平さんや、大介さん、フランキーさんと
積もる話をしてください。
それだけに限っていえば、楽しそうだなあ、その集まり。

合掌。

90花眼+:2009/11/12(木) 20:13:12
記念すべき「徹子の部屋 第1回」の映像。
ゲストはもちろん森繁久弥。

http://www.youtube.com/watch?v=yR_1R_N2wWM

91花眼+:2009/11/15(日) 20:59:45
これは音楽スレでもいいのだが
今夜のBS2は「安井かずみ」特集だった。

たしか・・・と思って確認したら
加藤和彦と結婚していて、先に逝った人でした。

今、平尾昌晃、なかにし礼、加賀まりこ、といった錚々たる人たちが
彼女を絶賛している映像が出た。

驚くべき多彩な相手への歌詞提供。
女性としても魅力的でありながら
「天才」でもあった稀有な存在。

ああ、これだけの人はもっともっと多くの人に知ってもらいたい。
そんな思いが募る番組だった。

個人的には阿久悠氏よりも好きである。
残した業績は阿久氏も彼女に決して劣るものではないけれど。
というより、この両者を同じ比重で扱ってほしい。
あとは、松本隆、荒井由実で、ビッグ4ってことで。

92花眼+:2009/11/21(土) 12:56:24
水の江滝子女史死去。
九十四歳。
あたかも森繁さんが呼んだかのように
昭和の芸能界の王道を歩んだ巨星が
この10日間の間に次々と世を去っていった。

どうしても、ジェスチャーの女性軍キャプテンとしてのイメージが強いが
もちろん戦前において松竹歌劇団を支えた人である。
そして、戦後は石原裕次郎を世に送り出し
芸能界に隠然たる存在感を見せ続けた人でもある。

田英夫氏の死去といい
ここにきて、巨星の逝去が相次ぐ。
若い世代にはピンと来ないかもしれないが。

93花眼+:2009/11/25(水) 20:50:44
丘灯至夫氏死去。
またしても92歳という高齢。

舟木一夫が
「高校三年生」の生みの親が次々と居なくなり寂しい、という話をしていたので
あれっ?と思い、遠藤実を検索すると
昨年末に亡くなっていた。
これだけの人の生死を不確かに記憶しているとは、それも最近のことなのに、と思った。

この掲示板では遠藤実死去について何も書いていない。
mixiを見たら、まだドロップアウトする前で
ちゃんと日記に書いている。
「困っちゃうナ」をリンクしているのを見て
やっと思い出しているところだ。

去る人、日々に疎し、というより
自分の老人病が進行、という感じだ。

94korou:2009/12/10(木) 12:47:54
日経に藤田晴子の話が載っていて
そのまま、レオ・シロタ、ベアテ・シロタ・ゴードンのことにも興味を惹かれ
ひとしきりWikipedia三昧をしてしまった。
東大が戦前に女性の入学を拒否していたことなど
言われてみればそうだが
つい気がつかなった。
最初の女子東大生が、藤田女史のような活躍のめざましい方であって
良かったと思う。
工藤雪枝も、そういう先達がいてこそ、東大を目指せたはずだ。

それにしても、Wikipediaのベアテ・シロタ・ゴードンの記述は
ミニ小説のようで面白い。
人生そのものが波乱に満ちているが
それをWebの百科事典で読ませてくれるのだから最高だ。

95korou:2009/12/24(木) 21:58:09
神野力氏死去。91歳。

この偉大な先達に対して、私ごときが何か言える立場ではないが
私が一番意欲的に仕事をこなしていた時期に
常に意識していた先達であったので
神野氏について追想することは
いつのまにか
かつての自分を回想していることになってしまうのだ。

まずは山陽新聞賞受賞の際のパーティーの裏方として
神野氏の人となりを知った。
その幅広い交友関係から
パーティーに招待するメンバーたるや
岡山文化界を総括できるといっても過言でなかった。
私も裏方の一人として
池田遥邨氏(この時から2年後に文化勲章を受章)との電話連絡とか
三上澄恵氏(筝曲の大家。息子は著名な文章家である土屋賢二氏)と
実際に御自宅前でお会いする役得に恵まれた。

96korou:2009/12/24(木) 22:04:32
さらに当日の受付は、名前が「ア」行のお客様を担当したのだが
早々と参議院副議長を務められていた秋山長造氏が来られ
私ごとき受付員にまで、実に丁寧に挨拶をされたのが
今でも記憶に残っている。
その点で、当時の県知事長野士郎氏が到着した際の仰々しさといったら
噴飯ものだった。
ふんぞり返って歩く、というよく言うが
本当にふんぞり返って歩いている人を初めて見た。
しかも、まわりにはお付きの者というか、数名の高級官僚風の人が
一緒について歩いている。
もはや呆れるほかなかった。

それにしても豪華なパーティーだった。
残念ながら、神野氏の尽力で文化勲章にまで至った藤原啓氏は
その前年に亡くなっていたが
山本陶秀氏、藤原雄氏などの備前焼の大家をはじめ
地元政財界の大物、秋山氏などの中央政界の大物なども勢ぞろいした。
池田先生の風邪による欠席は実に残念だったが
総勢400名近い、山陽新聞賞受賞パーティーとしては史上最多クラスの
大宴会となったのである。

97korou:2009/12/24(木) 22:10:31
それから数年後、私は
神野先生を講師として
地元の歴史愛好家たち(高齢者ばかりだが)を県北の文化財の旅に連れて行く
県の文化行事の企画を担当することになった。
とにかく案を作れということだったので
神野先生に拙案を出すのも気恥ずかしいことだったが
仕方なく適当なものを作成して
神野先生に会いに行った。
先生はこう言われた。
「こういうものにワシがついていかんといけんかのう?」
こういうもの、と言われてしまうと返す言葉がなかったので
「いえ、これは単なる案でして、もう先生の考えどおりに変更してくださって結構です」
と申し上げると、そうか、と言って、一気に眼光を鋭くしたかと思うと
ササッとメモを書かれて
「これでどうじゃ!」
と私に渡したのである。
異論などあるはずもない。
即決定であった。

その文化財旅行は
今思えば、牧歌的で本当に愉しい旅だった。
最北端の県境まで行って、そこで美味しい川魚を焼いたものを食べたことが
印象に残っている。

98korou:2009/12/24(木) 22:19:40
その焼魚をメインに神野先生と一緒に食事をしたときに
「あんたは、***(当時の職場名)に来て何年になる?」
と訊かれ、もう5年目です、と答えると
「5年か・・・5年も居るんか」
そう言って、何か寂しそうな表情をされたので
こちらとしてはどうしようもなかった。
恐らく、***で現職のときには圧倒的な名声を誇っていた神野先生にしてみれば
そこで5年も働いている職員で
自分がよく知らない者が居るという事実に
少なからぬ感慨を持たれたのだろう。

私は、その翌年***を転出したが
9年後に、再度***で仕事をすることになった。
残念なことに、すでに神野先生はそこでは過去の人になっていた。
職員は一気に世代交代が行われ
神野先生の時代はあっという間に終わってしまっていたのだ。

そこから今年、今週まで
先生自身の健康、体力に急激な衰えもなく
さらに県文化界で活躍されたのは
ある意味驚異である。
80歳を超えて、ますますそのお名前を拝見する機会が増えたことに
敬意を抱かずにはいられなかった。
***では第一線を退かれても
別方面でさらなる大活躍をされたのである。

まさに県文化行政の第一人者であった。
以上、長々しく書いたけれども
先生の業績を語ればこんなものではなく
一冊の本になるほどである。
ともかくも御冥福をお祈りする。
合掌。

99korou:2010/03/03(水) 22:02:32
mixiに大々的に書くのも恥ずかしいので
ここでこっそり書く。
(しかし、神野先生への文章の次の投稿がこれかよw)

ユカリたん引退。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1129410&media_id=20

友加里ちゃんは一番気になる女子フィギュアスケーターでした。
鈴木明子さんには敬意を表するものの
多分、脇で見ていて一番飽きない女性は断然ユカリたんなんです。

・・・なんてmixiには書けないからなあ(爆)
なんか可哀相だよなあ。
普通なら楽勝で五輪代表になれたのに。
多分、コンディションさえ狂わせなければ
8位入賞も間違いなかったはずなのに。
今回の上位陣のSPの完璧さからして
メダルはムリだったろうけど。

早稲田大学というのが普通で良いです。
普通にお嬢さんをしていて、そのままスケートも上手くなったようなイメージがするので。
(実際はそうじゃないだろうけど、他の選手ではそういう妄想は不可能。友加里さんだけは可能)
今度はフジテレビということで
先輩アナにいじめられないよう頑張ってネ、ユカリたん(もうエエっちゅうに!)

100korou:2010/03/25(木) 22:09:36
mixiに、しばたはつみのことを書こうと思い
「マイラグジュアリナイト」では普通すぎるので
「化石の荒野」という歌を聴いたら、結構ハマった。
映画の主題歌らしく、渡瀬恒彦主演の角川映画らしいのだが
ヒロインが浅野温子ということで
結構昔から(1982年)映画に出てるなあ、と思ったのだが
そういえば「スローなブギにしてくれ」で話題になってたなあと
昔のことを思い出した。

浅野温子のWikipediaの項目を見ていると
デビューは山前五十洋による、と書いてあり
山前とは誰ぞや、とクリックしてみると
なんと倉木麻衣の父親だった。
かつて「噂の真相」にヤクザまがいの素行を書かれた男だ。
ビーイングの長戸が、この男から娘を隔離する必要を感じ
倉木麻衣は、デビュー直後からビーイングによる保護のもとで生活していた。
Wikipediaには、そういうダークなことは何も書かれてなくて
岸田智史も発掘、とか書いてあり
その岸田の項目をまだ誰も書いていない、というのも驚きだった。


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