[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
鬼和尚に聞いてみるスレ part2
199
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/15(金) 20:24:26 ID:WL2yRwjAO
和尚の言うことにも一理ありますが、内向外向のタイプがあると言うのは観念的な定義ではなく観察の結果でもあると思うのです。
もっともそれが観念なのか事実なのかと言うのは判別が難しいですけどね
200
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/15(金) 23:37:02 ID:GNXio6ZY0
鬼和尚
瞑想中に雑念が多い時は自分の呼吸は特に気にならないのですが、
雑念が少なくなると自分の呼吸が気になってきて、
そこから先に集中を深めることができなくなるときがあります。
201
:
473
:2013/11/16(土) 01:55:50 ID:XpOqqj3k0
馬鹿な鬼和尚は内向、外交の意味を全く理解してないね。
内向的な人間は内向的な人間同士非常に仲がいい。
内向的な幻想を共有するからだ。
外向的な人間は外向的な幻想を共有する。
外向的というのは世間的現実的な観念に強く同化しているということ。
内向的な人間は世間的現実的でない観念に強く同化している。
それに、これは相対的な強弱の問題であり、内向的な人間も相対的に弱く向的思考と同化している。
202
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 05:09:54 ID:WL2yRwjAO
>>201
面白い見方だね
どちらも観念に執着していると言う意味では鬼和尚が言われることも間違ってはいないと思う。
ただ内向外向は生来的な傾向で、環境に関わらず、赤ちゃんの時から、刺激に対する反応が違うらしい。
絶対的では無いが生まれ持った性格の違いがあると言うことは鬼和尚も同意されるんじゃないかな
自分の性格に合った仕事をした方が良いとアドバイスをされるくらいなので、悟る前の段階では、余り心の傾向性に反する生き方はしない方が良いと言うことかと受けとりましたが、そう言うことでよろしいでしょうか?
203
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 05:18:47 ID:WL2yRwjAO
確かに一般的な意味では自分は内向的だ内向的だと自己催眠にかけて内向と言う観念にとらわれて生きる人は多いので
鬼和尚が「そんなものは無いのじゃ」と一喝して救われる場合も多いが、
専門的なレベルでは、観察と検証を繰り返して得られた見解とも言える訳で、参考にはなると思う。
確かに性格など絶対的ではないかもしれないが、一応仮には存在する。
十牛図の牛も究極的には存在しないかもしれないが、仮には存在するし
乗って歩いた方が楽チンではあると言うことかと思ってはおります。
204
:
素人A
:2013/11/16(土) 07:31:09 ID:gOqWUDAs0
鬼さん今私は書き込みして気がついた.何故ホスピス制度化出来たのか?
国の健康保険財政が赤字だから。無理に生きさせようして金かけると
きりが無いと本当は考えた?患者の事を考えて決めたのでは無い。
国も経済が大切で金が無くなれば苦しむ人と一緒で生物じゃないかと思います。
205
:
素人A
:2013/11/16(土) 07:45:39 ID:gOqWUDAs0
◎生命の中に生命があつて?生命の外に生命があるし.◎で輪からない
◎だらけ○もうみんな和になつて踊るしか無い?生命とは何王将我内詰み無い
206
:
素人A
:2013/11/16(土) 08:14:30 ID:gOqWUDAs0
外が内で内が外でまあなんだ観だと拘らずにみればまあ絵画か出鱈目
空も学べる野鴨?そんなに欲張ると忙しくなり彼是たいへん目の前が
観れれば良い野鴨.私には良くわかりません我まあ良いかで
207
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 08:41:47 ID:rjrCqQY20
まあ、帰るところを見極めたいって、ただそれだけのことで大したことでもないんだけど
実は一度も出掛けてませんでした。なんてだけの落ちでは、またふらふらと夢を見そうで…。
208
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 09:42:30 ID:rjrCqQY20
実は…、分かっているのに自我が…。
209
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 10:06:40 ID:zz3du5Nk0
鬼和尚
覚者が覚者ゆえに起こしやすい間違いというのはありますか?
210
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 10:54:38 ID:rjrCqQY20
誰かが私に自我なんか中学生位の認識程度だ、恐れるなと、なぐさめてくれましたが
それがトラになったり子猫になったり、悟った振りもしたり、持て余す始末。
手に余る幼稚園児以下かもしれません…。
211
:
素人A
:2013/11/16(土) 12:10:42 ID:gOqWUDAs0
もし宇宙全身に眼だらけのたこ八郎我居るとしても?その眼の機能を一個ずつ
使える機能があるとしても.欲張って全部一緒にあれも是も見たいといったら
忙しすぎて大変な眼に遇う鴨。出来る機能でも使えるのだから使わないで満足
するのも良い鴨。でも何もしなくても出来ると妄想だけで満足する人は出来る人なのか
謎は不可まる?
212
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/16(土) 20:24:35 ID:kaXJvxhM0
>>199
例えば内向外向の定義が友達が独りも居ないと内向型とか、友達が居なくとも他人と話が出来れば外向型とか、人によって適当に決められるじゃろう。
そのように主観的で人によって違う定義に従えば、観念の上に観念を重ねる迷妄に陥るのじゃ。
前に書いた通り環境によっても変化するであろうから夢の中で夢を見ているような曖昧な事になるのじゃ。
例えば体が大きくて太っていなければ相撲取りにはなれないじゃろう。
それが肉体による性質なのじゃ。
それは今ここにあり観察できるものなのじゃ。
性格と言われるものの大部分は変化させる事が出来るものであり、苦を生むものならば滅する事も出来るのじゃ。
不正確な観念による定義を鵜呑みにすれば今ここにあるものが見えなくなるのじゃ。
>>200
呼吸が気になって良いのじゃ。
呼吸に集中する修行であるからのう。
むしろ呼吸になりきったら良いのじゃ。
それを止めようとする思いが問題を作り出しているのじゃ。
己を忘れる事を恐れているのかも知れん。
恐れずに呼吸そのものになりきるのじゃ。
213
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/16(土) 20:33:27 ID:kaXJvxhM0
>>204
そうかも知れん。
>>209
目覚めた者は自他の区別が無いからろ、自分と同じ事が他人も出来ると思ってしまう事じゃ。
何もせずに座っていろとか、観察だけをすれば良いとか言ったりするのじゃ。
目覚めていない人間には何もしない事も、観察することも困難なものじゃ。
目覚めた後にも良く学び修行しないとこのような間違いを犯すものじゃ。
214
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 21:36:34 ID:GNXio6ZY0
>>212
>>200
です。ありがとうございました。
215
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 22:50:42 ID:I70fPQRo0
>>213
ありがとうございます。
覚者ならではの視点を持つゆえに、凡夫のことを理解しがたいというのは
凡夫の視点からは、覚者を理解しがたいのと似ていて、興味深いです。
また、目覚めた後も学び、修行できるというのは励みになります。
ところで鬼和尚は、ケン・ウィルバーは覚者だと思いますか?
インテグラル理論というものを提唱しており、youtubeに動画があります。
216
:
素人A
:2013/11/17(日) 07:53:34 ID:gOqWUDAs0
和尚さん蟻我問う。私は自他端しながらまあ何だ観だと
色んな眼に遇いながらまあ絵画を進んで活きます。私の
パソコンは異常に私より誤変換が美味くなつた師.
コンピューターの囲碁将棋は強い師私はオマケ続きででもめげない。
217
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 10:15:51 ID:rjrCqQY20
素人Aさんは大人の自我だと思う。
中学生の喧嘩は熱い?
私は自分の幼稚園児で手が一杯で、もうお手上げ状態…。
218
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 11:19:46 ID:WL2yRwjAO
>>212
>それが肉体による性質なのじゃ。
> それは今ここにあり観察できるものなのじゃ。
鬼和尚。
内向型の人が外向型に分類される人よりも外的刺激に対する反応性が高いことはfMRIを使った脳神経回路の観察結果でも確かめられています。
つまり和尚が言われる動かしがたい肉体的な根拠もあるようなのです。
219
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 19:48:24 ID:RqjHb0Jg0
ありがとう教、感謝教に疑問があります
ありがとうを1000回?1万回?言うと奇跡が起こるとか
感謝しろ感謝などと言われていますが気持ち悪いです
ありがとうを解体すると、在り難い、めったにない です
感謝すると気後れするような気持ち悪さがありますが、引き寄せに気後れはご法度です
単純に嬉しい!の方がいいのではと思います
220
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 19:54:37 ID:RqjHb0Jg0
鬼和尚さんの回答をネットで見れるのは自然と感謝の念が湧きますが
無理やりした感謝と違って快があります
やはりありがとうではなく嬉しいの方がいいと思うのです
221
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 20:00:27 ID:WL2yRwjAO
修行の目的が苦の滅却であるならば
内向型で刺激に対してより多くの反応がある人。
つまり感受性が強く人より苦を多く感じるタイプの人間
恐らくは、人の老病死を見て激しいショックを受けたと言うお釈迦様のような方ほど
頑張って修行をしなくてはならないし
修行に駆り立てられる必然性もあるように思います。
お釈迦様はある種、内向タイプのヒーローであり希望の灯火でもあります。
222
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/17(日) 20:33:31 ID:kaXJvxhM0
>>214
どういたしまして、またおいでなさい。
>>215
ケン・ウィルバーは悟っていないのじゃ。
頭で考えすぎなのじゃ。
>>216
どういたしまして、またおいでなさい。
>>218
そうじゃ、刺激に対する反応が高い低いというのが観察できる性質なのじゃ。
それを内向型とか外向型とかに分別するのが観念なのじゃ。
観察できる性質に、観念から解釈を付け加えてしまうと本質が見えなくなるのじゃ。
>>219
>>220
そうかもしれん。
223
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 21:03:47 ID:WL2yRwjAO
確かに現代心理学では内向−外向ではなくて高反応性とか低反応性と言うような用語を使っているようです。
内向外向はMRI検査などが発達していなかった頃の仮説段階の学説ですが
一般的になっているので今でもよく使われますね。
どちらかと言うと私は高反応性なので、日常生活を送るだけでも疲労困憊してしまいます
224
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 22:38:40 ID:WL2yRwjAO
親愛なる鬼和尚へ
最近、心屋仁乃助さんの本を読みました。
心屋メソッドはかなり使えます。
具体的には、もし恐怖や不安の原因が「人に好かれたい(嫌われたくない)」と言うものならば、「人に嫌われてもいい」と声に出して言ってみると
それが原因ならば心がスーッとして楽になります。
実際、さっきまで、明日の仕事が不安でいっぱいだったのですが
仕事で失敗しても良いと声に出して言ってたら不安がおさまりました。
これは鬼和尚ならびに仏教の順観逆観理論の応用とも言えると思います。
かなり効果がありましたので報告致しました。
早々
追伸
私のように言語に親和性がある人には特に効果的なのかもしれません
225
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 09:07:46 ID:ncKanP4g0
だから君は人生相談板でウンコ達と仲良くやってろって
226
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 09:42:56 ID:fH/Ruhwo0
鬼和尚さん
自我も幻ですか?生も死も幻ですか?
227
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 12:52:04 ID:h5/JYmdA0
鬼和尚さん
最近、寝る前に10分間の数息観をしています。
でも、足を組んで座って、5分過ぎる頃になると、背中の右側の筋肉が疲れてきて痛いです。
今日も少し筋肉痛です。
あまり背筋を伸ばすことがないから、疲れてしまうのでしょうか?
それとも、自分では、真っ直ぐ座っているつもりなのですが、背筋が曲がっているのでしょうか?
どうしたら、改善できると思いますか?
228
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 13:00:17 ID:rjrCqQY20
>>207
の一行目は間違い。
目的は、二度と出掛ける夢を見たくない、でした…。
229
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 15:14:02 ID:7rD9T5220
>>222
ありがとうございます。
ケン・ウィルバーは悟っていないのですね。
私も思考に自我を投射するタイプのようです.特に自分の思考を観察
しようとして思考に注意を割くと、その観察を思考が奪って、いつのま
にか観察が観念になって混乱することが良くあるように思います。
これは止の行に励むことで避けられるようになるでしょうか?
それとも、他にコツがありますか?
230
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 20:03:18 ID:6NaQvIas0
中村天風さんの教えは求道者にとって有益ですか?
231
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 20:06:54 ID:R4hR.iFI0
鬼和尚
「失敗してもいい」「嫌われてもいい」と唱えてたら人間関係がすごくよくなりました。
観察よりも言語による働きかけの方が心を変化させやすいケースと言うのもあるのでしょうか
232
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/18(月) 20:51:26 ID:kaXJvxhM0
>>223
そうじゃつたか。
科学者もなかなか賢いのじゃ。
制感の法をやってみるとよかろう。
感覚器官を制御して刺激を減らすのじゃ。
眼耳鼻舌皮膚からの感覚を制御して少ししか受けないようにするのじゃ。
>>224
なかなか面白い法なのじゃ。
二元論を捨てる中道にも通じるようじゃのう。
何でも試してみると良いのじゃ。
>>226
最後にはそう感じるじゃろう。
それは知識ではなく実感として気づく事なのじゃ。
自らそれに気づくまで修行したらよいのじゃ。
233
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/18(月) 21:07:05 ID:kaXJvxhM0
>>227
修行中に背中が真っ直ぐになっているならば、少し背中が歪んでいるのかも知れん。
あるいはただ単に筋肉が不足しているからかもしれん。
背骨が曲がっているならば、背中を伸ばす体操とかヨーガをして真っ直ぐにすると良いのじゃ。
筋肉が不足しているなら、筋肉痛を冷やすと良いのじゃ。
痛みが無くなり筋肉もついてくるじゃろう。
>>229
そうじゃ、集中力がついて思考と観察している状態が明らかにわかるようになれば、観察に集中できるようになるじゃろう。
集中の修行はそのためにあるのじゃ。
思考に自我を投射しているとわかっているならば、進歩も早いじゃろう。
>>230
積極的に考えるのはどの道でも有益じゃろう。
悟道など来ないと思っていれば来ないからのう。
ヨーガなどは今の指導者や原書で読む方が良いじゃろう。
>>231
人によってはあるかも知れん。
しかしそのような働きかけは最初は効果があるが、いずれ効かなくなったりするのじゃ。
根本の原因が残っているからのう。
観察によって原因から滅すれば、苦が二度と起こる事はなくなるのじゃ。
234
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 21:47:36 ID:gs7/H8pw0
>>232
鬼和尚さん、ありがとうございます。
やっぱり、背筋を伸ばして座るには筋肉が必要なのですね。
体操などもやってみますが、筋肉をつければいい感じがします。
以前左腕をよく使っていたので、背中の左側の筋肉はあるけれど、右側の筋肉は足りないのだと思います。
背筋を伸ばすことを増やしたりして、筋肉をつけようと思います。
ありがとうございました。
235
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 23:50:22 ID:XpOqqj3k0
>>212
>>202
例えば内向外向の定義が友達が独りも居ないと内向型とか、友達が居なくとも他人と話が出来れば外向型とか、人によって適当に決められるじゃろう。
そんな幼稚な定義をするのは、頭の足りない人だけです。
世の中でそういう意味でこの言葉が流通しているか把握する能力があればそういうことは言いません。
鬼和尚は人々のしてる意味付けを理解できず、個人的な妄想で言葉の意味を定義してるということのトロに過ぎない。
また、内向性と、外向性は、執着の対象が異なる執着であり、誰もが両方とも持ってる。
外向的な人は、内向性を抑圧してるが持っている。そして内向性は未熟だ。
そうやって人は分裂している。
内向性と外向性、そしてその対立、内戦に目覚めるのが瞑想なのです。
思考は2元的なものだから、人は両方とも抱えている。
両側について知ることはわるくないこと。片側ずつなら知ることができる。
しかし、同時にそれに覚め、その2元性から脱出するるのは思考によっては不可能。
236
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 03:54:44 ID:Bwz0R3.60
高配当優良株スクリーニング - 19件 検出
銘柄 業種 終値 単元PER(倍) 実績PBR(倍) 配当利 ROE ROA 売上高経常利 自資比
一六堂[3366]東証1部 小売業 447 100 16.4 0.82 4.02 11.15 7.64 10.73 73.74
マックハウス[7603]東証JQ゙ 小売業 1,000 100 14.1 0.96 4.00 16.27 8.46 7.51 54.22
クリップ[4705]東証JQ サービス業 1,033 100 8.3 0.81 3.87 10.22 8.77 20.11 86.79
TONE[5967]東証2部 金属製品 273 1000 10.1 1.10 3.66 39.49 17.33 12.50 50.56
三洋貿易[3176]東証1部 卸売業 824 100 7.6 0.80 3.64 11.02 6.10 5.43 59.17
ムーンバット[8115]東証2部 卸売業 200 1000 8.0 0.69 3.50 11.00 7.06 9.24 65.90
ゲオHD[2681]東証1部 小売業 918 100 9.0 0.84 3.48 15.62 6.72 6.03 46.87
小野測[6858]東証1部 電気機器 436 1000 12.3 0.83 3.44 10.34 7.85 13.06 78.63
SRAHD[3817]東証1部 情報・通信業 1,190 100 9.7 1.04 3.36 10.20 6.05 8.96 61.56
ディア・ライフ[3245]東証マザーズ 不動産業 547 100 9.2 1.02 3.29 12.87 5.97 8.04 42.66
セゾン情[9640]東証JQ情報・通信業 1,090 100 8.6 1.08 3.21 10.78 6.49 9.34 64.26
ビーエスピー[3800]東証JQ゙ 情報・通信業 1,898 100 10.7 1.08 3.16 10.50 9.04 27.88 87.16
サンヨーナゴヤ[8904]東証1部 不動産業 1,211 100 7.9 0.83 3.13 10.88 6.27 9.52 57.85
東邦システム[4333]東証2部 情報・通信業 644 100 9.3 1.05 3.10 10.83 5.90 7.81 55.64
カーメイト[7297]東証JQスタンダード 輸送用機器 650 100 7.6 0.51 3.07 11.83 6.09 8.82 54.38
萩原工業[7856]東証2部 その他製品 1,343 100 7.4 0.75 2.97 11.02 6.90 10.90 63.53
NITTOH[1738]名証2部 建設業 398 1000 7.0 0.72 2.88 10.78 6.53 6.01 61.12
ステップ[9795]東証1部 サービス業 834 100 10.5 1.03 2.87 10.30 8.19 24.34 83.62
タウンニュース[2481]東証JQサービス業 364 100 6.8 0.81 2.74 12.26 9.57 15.18 80.14
237
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 05:19:40 ID:WL2yRwjAO
悟ってしまえば、内向とか外向とかと分けることは無意味であり
幼児の三輪車みたいなもの
概念に執着してしまえばむしろ二輪車に乗る機会を失わせてしまうのは確かなので鬼和尚が言われるのも修行の観点からすれば間違いないではないと思う。
また認識には限界があり、マハリシだろうが釈迦だろうが、苦手な分野はある。
心理学に詳しい人は心理学に詳しい覚者になればいいと思うよ。
238
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 11:18:23 ID:ncKanP4g0
質問攻めが終わったと思ったら、もうスレチばっかな。
君はもうここに来る必要は無いだろ、君の居場所は人生相談板に有るんだから。
239
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 12:57:35 ID:7rD9T5220
>>233
ありがとうございます。
観察と思考の判別について、もう一つお聞きしたいことがあります。
これまで、体に生じる本物感を頼りに、観察が正しく行なわれているか
どうかを判断してきています。例えば感覚は、感覚の生じたところに
本物感があり、それを観察するのは難しくありません。
また感情は、生じる直前から感情が消えるまで、例えば胸の下などに感覚が
生じるので、その本物感を頼りに観察することもできているように思います。
ところが思考の場合、生じる直前に頭の中にもやもやしたものが現れるのが
判ることがあるのですが、そのもやもやには、本物感が感じられません。
以前鬼和尚に、そのもやもやは観念ではなく観察されたものだと教わったの
ですが、それはそもそも本物感に乏しいものなのでしょうか?
それとも止の行を進めることで、もやもやの本物感は増しますか?
あるいは、本物感に頼ること自体に限界があるでしょうか?
240
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 19:14:35 ID:RqjHb0Jg0
私は自分の優越感のためにわざと他人を不快にする人が許せないのですが
「自分に禁止してることを他人がしていると裁きたくなる」と誰だかの言葉を思い出し
心屋さん風に「私は自分の気分のために他人を不幸にして良い」と言いました
裁く気持ちが少し和らぐのですが
でもすぐに、いや普通に駄目だろ。という考えが湧きまして
自分の気分のために他人を不幸にしてもいいが自分に返ってくることが分かっているのでそれを選択しない
に変えました
矛盾してると言うかヒヨったような文になっています
241
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/19(火) 20:42:48 ID:kaXJvxhM0
>>239
おぬしの場合、思考は感情よりも肉体の感覚が少ないのかも知れん。
肉体に何かの感覚があると気づけば観察は出来ているのじゃ。
感情とは違う感覚であるだけなのじゃ。
感情と同じような本物感は必要ないのじゃ。
思考した時に同じ感覚が必ずあればそれが本物なのじゃ。
>>240
そのように原因があれば延々と感情は生じ、更なる対抗策を考えなければならなくなるものじゃ。
原因から観察し、気づく事が根本的な解決なのじゃ。
242
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 21:35:29 ID:8sDhNKjA0
>>241
なるほど。何かを観察した時に、それに付随して肉体に起こる感覚が
必ずあれば、それは本物感とは関係なく、正しく観察できているということですね。
思考が生じる時に肉体に何が起こるかを特に注意して、観察を続けてみます。
正しい観察というものの視野を広げていただき、ありがとうございました。
243
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 22:03:05 ID:.Bu8vuG60
>>241
鬼和尚さん、わたしの
>>234
のレスを見落としてると思うので、読んでください。
244
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 23:12:37 ID:XpOqqj3k0
OSHOやクリシュナムルティーのパクリをしてるうちはまるで生き写しのようなロジックだが、相変わらず子供のような自己表現が酷い。
私との過去のやり取りを見れば、彼自身の知恵が発揮される時、普段の彼の言ってることとかなり矛盾するレベルの低さが出る。
実際、ややこしいものだよ。
鬼和尚の知識体系はほぼ完ぺきだ。
自我における、記憶による縁への反応もクリシュナムルティーとそう変わらない。
まあ、全く理解してないクリシュナムルティーの言葉を仏教風にアレンジしているだけということはあるが。
なんにせよ。
不協和音。これにつきる。
ロジカルな部分はOSHOやクリシュナムルティーと変わらぬが、響きの部分が余りに俗人、幼いものだ。
このギャップがこちらを混乱させる。
。
これを鬼和尚に言ったら、響きなど誤解させるもので、正しく論理的に話すことが大事だといったっけな。
酷い回答だ。経典は詩であり、ロジックではない。
どんな正しい理論も自我にかかれば餌になる。知識という餌だ。
役に立つのは響きだけだ。
鬼和尚の言葉に響きはない。
人が知識に頼るのを自然と辞めさせる響きが、愛の響きが、、。
あなたを一人にさせておくかね?ここの鬼和尚が。
粘着して他者依存してる印象しか受けない。
245
:
473
:2013/11/19(火) 23:32:37 ID:XpOqqj3k0
グルジェフが言っていた。
人は誤った修行法によって、自我のある部分を強固に結晶化させてしまうと。
感情、肉体、思考の調和がとれた自我の結晶化は無我に向かうが、(そういった自我を勝ちえていないと無我の可能性はない。自我を人は持ってなのだから失えない。)
その調和の取れていない自我の結晶化は誤った結晶化で、いったんそれを捨てなければいけない。
完全な寄り道だ。
因みに、サマーディーを経ていなければ自我は結晶化しない。
自我の結晶化は、結晶化した自我を持ってない人には無我、悟りと映るだろう。
鬼和尚は見事に思考面では結晶化してるが、特に感情面が全く調和していない。
独学の危険ということだ。
鬼和尚も勧めているがOSHOがいい。
OSHOは何も飛ばさない。飛越をいつも警告する。
調子よくどんどん飛ばそうとする鬼とは対極だ。
246
:
473
:2013/11/19(火) 23:42:16 ID:XpOqqj3k0
自我は、鬼和尚みたいになりたいという。
そういう誘惑があるよ。鬼和尚の振る舞いと言動には。
その誘惑がうっとおしいというのが本音だ。
自我は、老師になりたい、OSHOになりたいと言わない、クリシュナムルティーに、グルジェフになりたいとは言わない。
それは不可能だし、彼らは存在しないし、愛にあふれている。
自我がまねしてなろうとできる対象ではない。
自我は他の自我のまねをしようとはするが、いない相手の真似をしようとはしない。対象が存在しないのだ。深淵。
老師と鬼和尚を見比べると鬼和尚の稚拙さが良くわかるだろう。
他の覚醒者と比較すると似てる部分が多いからコントラスト薄い。
247
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/20(水) 00:12:41 ID:GNXio6ZY0
鬼和尚
今日も坐っておりましたところ、
記憶の断片が無造作にあふれるほど、まるでおもちゃ箱に入れられたおもちゃのようにあるのが見えました。
その記憶とは、いろんな人達の(職場の人達でした)それぞれの人の特徴的な話し方、話し声、笑い方、などでした。
その一つを取り出して、記憶を再生し、それによって私に何かを考えさせたり、感じさせようとしている自分がいました。
私がそのことに気づくと、記憶の再生は止みますが、すぐにまた別のおもちゃを取り出してきます。
記憶をおもちゃのように使っている自分の姿を見て、思わず笑ってしまいました。
これを書きながら、坐りはじめる以前に鬼和尚に、思考が走ってなかなか寝付けない、と相談したことを思い出しました。
(坐りはじめた今では、思考が走って寝付けなくなることはなくなりました。)
寝付けなくなる思考のきっかけは、記憶した人の声の再生でした。
今日坐って私が見たことは、それと同じことかもしれません。
248
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/20(水) 03:44:56 ID:Bwz0R3.60
一休さん - 36件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Zv7sij-9chg&list=PLB6E5E40150B2E4C6
249
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/20(水) 10:11:28 ID:XpOqqj3k0
この体は私ではない、という主体は確実にこの体を自分だと思っている。
そうでなければ、この体は私ではない、という想念は湧いてこない。
本当にそうならどちらかというと、「この体が私だったらなあ」という想念の方が湧きそうなものだ。
だが、この体が私だと意識無意識の両面で強く思い込んでる人に、一つのショックを与えるものであることは確かだ。
それでもあるところでそういった言葉は効果を無くす。
あるがままを見る、目覚めという言葉に移行したいところだが、
あるがままを見ない主体や眠った主体がその言葉を使おうと、やはりなにもかわらない。
何か一つのことに強くこだわっているうちは言葉はバランスを取るのに助けになる。
究極的には一人だ。
瞑想と不注意、光明と無明、2元性は忘れられるという。
250
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/20(水) 20:01:17 ID:7rD9T5220
鬼和尚、
鬼和尚は思考が生じる時に、肉体のどのような感覚を観察しますか?
感情については以前、みぞおちが重くなったとか喉が詰まるようになる
というようなことを書かれておりました。
251
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/20(水) 20:44:58 ID:kaXJvxhM0
>>242
そうじゃ、何が本物かとかに囚われなくて良いのじゃ。
今ここにある感覚を観れば良いのじゃ。
またおいでなさい。
>>243
見落としていたのじゃ。すまんのう。
>>234
そうじゃ、続けていれば座るのに必要な筋肉もついてくるものじゃ。
そのうち慣れるじゃろう。
またおいでなさい。
>>247
かなり観察が出来るようになったのじゃ。
さらに続けてみるのじゃ。
>>250
頭の中が動いている感覚があるのじゃ。
考えつづけると頭の中が熱くなると判るのじゃ。
252
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/21(木) 17:22:49 ID:7rD9T5220
>>251
ありがとうございます。やはり、思考に巻き込まれて、思考の観察が不十分なようです。
集中の行に励もうと思います。
それで集中の行ですが、現在思考が静まっていき、思考無しの意識状態が呼吸10回分
程度続けられるくらいになっています。正しい姿勢と毎日励むことの他に、何かサマーディに
達するのに役立つことがありましたら、お教えください。
253
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/21(木) 20:16:39 ID:kaXJvxhM0
>>252
肩の力をもっともっと抜くのじゃ。
個我という観念のある人間は、個我を守るために常に肩に力が入っているのじゃ。
攻撃も防御も放棄して、肩の力を全て抜ききってしまうのじゃ。
そうすれば無闘争の安心の境地に入るじゃろう。
254
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/22(金) 00:29:56 ID:GNXio6ZY0
>>251
>>247
ですが、ありがとうございました。
255
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/22(金) 12:51:35 ID:7rD9T5220
>>253
ありがとうございます。
肩の力をできるだけ抜くようにして、座ってみました。
集中の行でしたが、偶然思考の観察が少しできたように思います。確かに思考中に
頭の中が動くというか、回るような感覚がありました。思考が自分ではないと
感じるのは初めてだったので、思い出してみても奇妙で不思議な感じです。
同じことがまた起こるかどうか、気負わずに試してみたいと思います。
それで、定には初禅から第四禅の段階があるということですが、それの解説は、
ブログの「数息観のやり方」に書いてあるでしょうか?
経にある、喜とか楽とか捨とかが分からないので、少し詳しく教えていただけ
ますと、ありがたいです。
256
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/22(金) 18:08:19 ID:wqr.6GRM0
五蘊仮和合 を どう思いますか?
257
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/22(金) 21:53:02 ID:kaXJvxhM0
>>254
どういたしまして、またおいでなさい。
>>255
書いていないのじゃ。
心の段階はそのように正確に分けられるものではないからのう。
想念が無ければ無想と判るぐらいなのじゃ。
楽や喜は姿勢を正しくして座りつづければ自然に湧いてくるものじゃ。
気が頭の中にまで昇れば快や喜びは生じるのじゃ。
捨とは他人の行いに対する憎しみや怒りの感情を捨てる事なのじゃ。
他にも金銭欲とか権力欲とか名声欲とかあらゆる執着などを捨てるのじゃ。
>>256
心身の要素を全て合わせたものが主体であり、己であると思っている者には正しいのじゃ。
それらの全てが合わさった状態が己として仮に設定しているのじゃ。
それも観念に過ぎないが、五蘊に執着している者には気づきをもたらすかも知れんのじゃ。
258
:
太陽くん
:2013/11/23(土) 04:10:49 ID:cGYP0q2w0
僕は、自分自身が幸せに感じる事を拒否する意識が強くて、何をしても心から楽しめず、辛いです。
その原因を考えていたのですが、中学生の頃、自分が人を殺すのではないか、
などのあり得ない想念が湧いてそれを抑え込むということを繰り返していました。
それらを抑え込むために、自分の心の声を無理やり押し殺していました。
このような想念に悩まされた原因は、自身の性欲の抑圧にあるような気がします。
性欲が非常に強かったのですが、それを他人に知られまいとするところに自我が生じ、
同時に隠そうとする自我に対して罪悪感を感じていました。
自分の感じる性欲を否定する一方でそれに囚われるという葛藤が、
自己の生存の欲求への抑圧になったのではないかと考えています。
しかし、このような自己の感情への疑念を外してしまうと、
自分自身の汚い部分と、自我以前の心と、自我に引き込まれた思考とがうまく判別できないのではないかと思います。
心を観察し乗り越えるためには、一旦その枠組みを外して見る必要があるとは思うのですが、
自分の反応を、どう扱って良いか解らないです。自分自身を受け入れるには、瞑想の中で、心の動きが
自我による引き込みであるかどうかを見極めたり、それに対して何かしらの判断を下す事が、必要でしょうか?
アドバイスがあれば、よろしくお願いします。
259
:
そうなんだ 乱入
:2013/11/23(土) 05:53:14 ID:wqr.6GRM0
>>ご回答ありがとうございました
260
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/23(土) 09:42:56 ID:7rD9T5220
>>257
自分の中に、自分が消えてゆく恐れと好奇心、それから知識への執着と、
鬼和尚への執着が生じていることに気づきました。
心の段階や集中の行の進度について思い煩うより、止観の実践に励もうと思います。
ありがとうございました。
261
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/23(土) 19:13:39 ID:WL2yRwjAO
仏教修行してるとニート生活がこの上なく幸せに感じるが世間の価値観とは真っ向から対立するんだよな
262
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/23(土) 21:01:21 ID:kaXJvxhM0
>>258
必要は無いのじゃ。
どのような観念上の捜査もする必要は無いのじゃ。
ただひたすらに心を観察すれば良いのじゃ。
自分を汚いと思っているという事も、自分の心に自分を汚いとする観念がある事もただ観察すれば良いのじゃ。
心に苦や迷いがある者が思考しても、迷いや苦を反映してあれも駄目とかこれも駄目とか思うだけなのじゃ。
自分の本心をひたすら観察して真相に気づく事が大事なのじゃ。
自分を汚いとする価値観さえも条件付けされたものと原因を知るが良いのじゃ。
>>259
どういたしまして、またおいでなさい。
>>260
そうじゃ、修行に励むのじゃ。
またおいでなさい。
263
:
太陽くん
:2013/11/24(日) 00:22:06 ID:9tag3QBU0
鬼和尚様
お返事をくださりありがとうございます。
たしかに、判別しようとしても、あれも行けない、これも行けないという堂々巡りにしかなりません。
僕も、自身の「汚い」とかの判断は根拠のないもので、条件付けの結果であると思っています。
しかし、「真相に気づいた」と思っても、絶対に正しいかどうか確信が持てないために、
その「真相」が正しいかどうか、、と再び観念による捜索を開始してしまいそうです。
僕が、物理学という論理的に組み立てられた学問を学んで来たことにも原因があるかとは思うのですが、
心の声に関する問題でも「本当に、絶対に正しいか?」という言葉による疑問を常に繰り返してしまいます。
(もちろん、物理学も自然を「絶対に正しく」記述するものではなく、
今ある実験事実を説明する(心が創り出した)論理的に一貫した枠組みであるというだけですが。)
心で納得する、ということに対して、(自我による?)疑いのスタンスを取ってしまいます。
自責的な思考習慣も、このような「疑念」の一つの現れなようにも感じています。
このような反芻は「雑念」そのもののようにも思うのですが、納得ということが難しいです。
心からの納得は、(観察しようとする姿勢によるとはいえ)偶然性の産物というか、自然に起こるものだから、
自我の操作を放り出す必要があるとは(頭で)思っているのですが、
それも、本当にそうかと、考えてしまいます。
これ以上頭で考えても仕方がないとは思うのですが、瞑想しても結果を焦ってしまいます。
本来、「正しい」ということ自体、心の声を聞く際には考えても仕方がないことのような気もしています。
「心から納得する」ことと「正しい」ことは全く別のことなのに、
「納得する」ということについて理解(?)がないために、混同してるのかもしれない、などとまた、頭で考えました。
心を論理に当てはめようと思考することは、経験と歩調が合えば有効だけれども、
僕の場合、経験に思考が先行してしまい、仮定に仮定を重ねることで、
心が置いてけぼりになってるのかも知れないと思いました。
的外れなことを考えているでしょうか?
瞑想の実践に当たっても、思考と観察の関係性をつかむことが必要と思い考えていました。
長文失礼しました。
264
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/24(日) 19:52:45 ID:WEXkRmVk0
鬼和尚
>>35
を書いた者です。
あれ以来も坐り続けていますが、自我の抵抗とでも呼ぶべきことが続いています。
間食は増えました。
小さな事に大きく憤慨するようになりました。
以前よりもはっきりとした夢を見るようになりました。
悲観的な気分でいる時間が長くなりました。
浮世において、経済的、物質的な満足も得られず、結婚はもとより恋愛などできず、
かといって、坐っても悟りを開くこともできず、どっちつかずの中途半端な状態が死ぬまで続くのだろう、
と考えてしまいます。
265
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/24(日) 20:13:13 ID:WL2yRwjAO
俺もそうだよ
座禅をしたら心が弱くなった気もする。
心にプラスの働きかけをしない分だけ弱くなる。
プラマイゼロの状態を目指しているからだと思う。
ゼロに徹する事が出来れば最強なんだろうが
そこに至るまでは、何だか弱くなった気がするのかもしれない
煩悩を燃料にすることも出来ないしね
煩悩という燃料を毎日船から捨てていって、船が停止してしまっているような状態。
煩悩を燃料にしている凡夫が煩悩を捨てたら、自然、ガス欠になる
これは自明の理だ。
代わりに慈悲のエネルギーがわきだして来ない限り船は進まない。
多くの修行者はこんな状態にいるんじゃないだろうかね
266
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/24(日) 21:29:05 ID:kaXJvxhM0
>>263
正しくなくとも、納得しなくとも良いのじゃ。
観察はそのように正しさを知るためでも、納得するためのものではないからなのじゃ。
正しくなくとも、納得しなくとも観察しつづければ、苦とその原因を滅することが出来るのじゃ。
仏教徒の観察は正しさや知識を求めるためのものではなく、苦を厭離し、本心を観て自我を滅するためのものなのじや。
例えば原因を間違えてみていたとしても、結果的に苦を詳しく観察したために、苦は厭離されることもあるじゃろう。
思考と違う観察を身につけるならば、疑いが起こるたびに今自分は疑っていると観察するのじゃ。
自分は納得していないと思うならば、今自分は納得していないと思っていると観察するのじゃ。
そうすれば思考も観察できるようになるじゃろう。
思考が観察されれば思考に囚われ無くなるのじゃ。
思考に囚われなければ思考によって観察が妨げられる事はなくなるのじゃ。
267
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/24(日) 21:44:36 ID:kaXJvxhM0
>>264
>>265
修行の道に入ったならば、もはや世間で楽しみや喜びとされている事とは無縁になるものじゃ。
しかし、修行の道に人の真の喜びと安らぎがあるものじゃ。
物が多ければそれを無くす不安や恐れがあるじゃろう。
何ものも持たないならばその不安や恐れは無い。
同じようにあらゆる欲を放棄すればもはやそれを得たいとか得られなければ苦しいと言う事も無い。
嘘を付く事を放棄すればもはやどのように嘘をつくかとか嘘がばれないかと恐れる事も無い。
勝負事を放棄すれば勝ちたいとか負けるのが恐いと言う恐れも無い。
自分の心が見えるようになった分だけ恐れや不安も見えるじゃろう。
しかしそれは滅する事が出来るものと知れば、恐れを恐れる事も無いのじゃ。
もはや自分の心を誤魔化さずに済む喜びを味わうのじゃ。
苦を滅する喜びも味わう事が出来るじゃろう。
欲を捨てる喜びや瞑想による喜びも味わう事が出来るじゃろう。
そのように世間の喜びを捨て、修行者の人を超えた真の喜びを味わうが良いのじゃ。
268
:
太陽くん
:2013/11/24(日) 22:31:26 ID:q/FcBNjY0
鬼和尚様
ありがとうございます。
観察は、考えることとは全く別ということですね。
概念の正しさや論理を納得することを目指すと、それを解決するために前提に前提を重ねて、結局物事を複雑にしてしまうようには感じています。
それとは関係なく、そのとき起きた感情や思考を対象として観ていくことを続ければよい、ということでしょうか?
不安が出た時に「不安が出た」とラベルし、概念に対する疑いが出た時に「疑い」とラベルすることは出来ます。
そこで答えを求めて深追いすると「仮説」->「(記憶と論理による)検証」という思考(雑念の連鎖)に入ってしまいやすいように思います。
知らない間に、無理矢理納得させようとする自我対疑う自我の戦いになってしまうのかもしれないです。
一度だけ、深く集中した時に、雑念が起きた時、「雑念」というラベルより、もう一歩深いラベルが出来たことがありました。
その時は、雑念の種、というか「こういう雑念どう?」と雑念の種を提案している自我が現れて、放っておけば消えて行きました。
観察で苦の原因を知るというのもこんな感じで、よく集中出来た時にたまたま苦が出て来ようとするその直前を観ることかな、と思いました。
なので、不安の原因についても無理矢理ではなく自然に観察出来そうならば観察するという姿勢が良いのかな、と思いました。
そんな感じで脱力系でやるので良いでしょうか?
269
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/24(日) 23:15:03 ID:WEXkRmVk0
>>267
>>264
です。
鬼和尚が指摘された通り、世間と無縁になれず、中途半端な状態です。
今の私にはこれが苦であると認識できるものはありません。
従って、苦を滅することはできませんから、その喜びを味わうこともできません。
同様に欲もこれが欲であると認識できるものはありません。
従って、欲を捨てることはできませんから、その喜びを味わうこともできません。
それとも、認識できていないだけで実際は苦も欲もあるのでしょうか。
単に「苦」とか「欲」とか、名を付けているだけではないでしょうか。
名を付けることによって、それらがあるように思えているだけではないでしょうか。
修行の道に喜びと安らぎがあるかあるかと言われたら、
>>59
,170に書いたように、どうやら無念無想、忘我を経験したらしいのですが「だから何?」という感じです。
坐ってる間は雑念はわずかで、安らぎはあると言えるかもしれません。
しかし、ずっと安らぎを得ようとすれば、坐ること以外のことは一切できなくなります。
こうすれば世間とは無縁ですね。
しかし坐る事への執着であり、世間と無縁であることの執着ではないでしょうか。
書いててめんどくさくなり、どうでもよくなったので、このへんで書き込みます。
270
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/25(月) 18:48:41 ID:QFAlEtdM0
鬼和尚、
観察をしている時、例えば目から涙が出ているとして、「肌を水が流れている」と言葉で確認
すると、そこで思考を使ってしまうことになります。そこで私は現在、それを避けるために
例えば思考を観察した時に言葉で確認するのはなく、指を動かして確認するようにして
います。それで今後なのですが、観察していると確信が持てる場合には、観察に徹して、
確認無しにするという方向で良いでしょうか?
271
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/25(月) 20:23:49 ID:kaXJvxhM0
>>268
そうじゃ、今ここにある心の働きをそのままに観るのじゃ。
正しさとか納得とかの分別を働かさないようにするのじゃ。
もしそれが起こってしまったら、それが起こったと更に観察するのじゃ。
ラベルも止めたらよかろう。
それは観察の補助であり、観察そのものではないのじゃ。
言葉を使えばそこから叉連想もわき易くなるのじゃ。
おぬしにはそれが合っていると感じるならば続けて見ると良いのじゃ。
何でも試してみるのじゃ。
>>269
悲観的な気分になるのが苦じゃろう。
あまりに長年常態化していて自覚もないのかもしれんがのう。
悲観的な気分にならなくなったら楽になるじゃろう。
そりもまた修行による喜びなのじゃ。
272
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/25(月) 20:33:26 ID:kaXJvxhM0
>>270
そうじゃ、それで良いのじゃ。
言葉も動作も観察の補助にするだけなのであるからのう。
無くせるならば無くした方が良いのじゃ。
言葉も動きも無くなれば観察は更に精妙になってくるじゃろう。
そうであれば本心もまた観易くなるのじゃ。
273
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/25(月) 22:03:59 ID:WEXkRmVk0
>>271
>>269
です。
鬼和尚の指摘が本当ならば、それまではどこにも喜びがないかもしれません。
274
:
太陽くん
:2013/11/25(月) 22:44:50 ID:58kVA0Ys0
鬼和尚様
ありがとうございます。
ラベルは観察の補助でしかないというのは、分かるように思います。
自我にくっ付いた雑念を客観化するために、ラベリングは有効ではあるけれど、
ラベリングに頼りすぎると、言葉に終始してしまっては本末転倒ということですよね。
よく集中できた時は、ラベリングせずとも、心の動きをそのまま観るのに近い感じで観察を行えます。
ラベリングを使わないで、そのまま観る観察をやってみようと思います。
集中するまでのところは、数息観とラベリングの補助があった方がやりやすいのですが、
観察モードに入ってきたら、言葉をつかわないでそのまま見る観察に(自然に切り替えられる事もあるけれど)切り替えて行くという感じで、
やろうかな、と思っています。
そんな感じでいいでしょうか?
275
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/26(火) 00:20:39 ID:Bwz0R3.60
┏━━━━━━━━━┓
┃ 彡⌒ミ ┃
┃ (´・ω・` ). ┃
彡⌒ミ⊂ 9m) ┃
.( ) Y 人. ┃
⊂ フ .(_入_| ┃
人 Y ━━━━━━┛
(_入_|
ほとけと言う人物としての存在があるのではありません。
山川草木国土 悉有仏性(さんせんそうもくこくど しつうぶっしょう)
名付ければほとけです、宇宙の全存在。
ほとけという仮の名前を剥ぎ取れば、これを何と呼びましょうか。
そこが、一の如し、です。
平等、あるいは 眼は横についている、と言ってもいいと思います、さとり(自他一如)の事を。
276
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/26(火) 06:11:47 ID:WL2yRwjAO
観察すると、自分に投げ掛ける言葉や人から投げ掛けられる言葉によってによって自己イメージや世界や気分は変化することがわかります。
言葉に影響されやすい人もいればされにくい人もいるかとは思いますが。
仏教的にはこの影響されたりしたりしている本体・心・自我を破壊するともはや影響を受けないと言うことになりますよね
馬鹿にされて怒るのは自己イメージが低下するからだと思いますが、自己が無ければ怒る必要もない
しかし自己があるうちは馬鹿にされたらそれなりに反論しないとうつ病になるかと思います。
277
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/26(火) 08:05:52 ID:WEXkRmVk0
鬼和尚
>>273
ですが、その後坐っておりました。
坐りながら「自分は悲観的であり、そのことで苦しんでいる」とわざと言い聞かせるようにしてみました。
そのせいかどうかわかりませんが、その途端唐突に
>>59
,170に書いたような状態になりました。
これまでよりも速く、その状態になりました。
身体がゾクゾクするような感覚がありました。
さらに、これまでは断片的な記憶の再生を伴っていましたが、それがありませんでした。
記憶の再生がないことに気付いた時、まさに思い出したかのように、申し訳程度の再生が行われた限りです。
あともう少しで次の段階に進みそうな感覚はありますが、どのようにすればよいのかわかりません。
この時は、試しに、なるべく頭の中から言語を排除するようにこころがけてみたのですが、何かアドバイスがあればお願いしいます。
278
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/26(火) 19:43:36 ID:6NaQvIas0
守護霊っているんですか?鬼和尚は見えます?
279
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/26(火) 20:15:33 ID:Dp/qMVVc0
>>272
今日試しに確認なしで観察に徹してみましたが、
思考が生じてしばらくしたら、いつの間にか思考に
同化していました。もうしばらく集中の行に
励みます。ありがとうございました。
280
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/26(火) 21:03:51 ID:kaXJvxhM0
>>274
それで良いのじゃ。
習慣として言葉を使えば、自動的に言葉が起こるようになってしまうものじゃ。
言葉の無い観察によってのみ、微妙な本心の働きが観察できるのじゃ。
>>277
それで本心が見えたのかも知れん。
更に肩の力を抜いて、本心を自分に明かすのじゃ。
全ての努力と言葉と計らいを放棄して一つの岩の如く座るのじゃ。
そうすれば更に進んで行くじゃろう。
281
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/26(火) 21:14:58 ID:kaXJvxhM0
>>278
おぬしが居るとすれば居るのじゃ。
居ない事にすれば居ないのじゃ。
先祖の霊があるとする民族には先祖の霊が憑き、精霊が居るとする民族には精霊が憑くのはそのせいなのじゃ。
自分以外のものの力を借りるという観念が無我の智慧を引き出すのじゃ。
>>279
続けているうちに何も無くても出来るようになるじゃろう。
またおいでなさい。
282
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/26(火) 22:15:07 ID:Bwz0R3.60
問う 真理さとり とは?
まったくのやくたたず 禅は。 役に立ったら、それは禅では無い。
(・0・*)ホ,(゜0゜*)ホ--ッッ!!! ふくろうですか。
では、禅とはなんですか。
ミミサンデー|( ̄3 ̄)|キコエマセーン
なんでしょうか、それ。
禅禅、/(x_x)\聞こえない聞こえない
では、禅は何を問うていますか。
モモンガ、です。
エ━━━(;゚д゚)━━━ッ・・ モモンガですって。
まちがえました、ふんがふんが、です。
Σ(゚Д゚;エーッ! ふんがふんが、ですかー
また、間違えましたぁ。チューイングガム ■ ポーン( Д )⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒...。....。コロコロ 、です。
アラララァ〜 ̄|_|○ドテッ
( ̄ω ̄;)エートォ... もしかしてそれって、諸法無我でしょ。
(◎-◎;)!!ドッキーン!!!
283
:
太陽くん
:2013/11/27(水) 00:00:09 ID:cGYP0q2w0
鬼和尚様
アドバイスありがとうございます。
これからも、観察の行を続けて参ります。
よろしくお願いします。
284
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/27(水) 00:04:38 ID:Bwz0R3.60
チラシの裏in人生相談板 三枚目
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1384162570/
285
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/27(水) 18:19:39 ID:NpBkhqbI0
マジで、凄い発見をした。
今まで、理想化していた上司がただのおっさんに見えた途端、苦が消えた。
つまり、苦の原因は、理想化(愛着)であるということだ。
お釈迦様のいう通りであった。
上司をスーパーマンに見せていたのは、自分の不安の裏返しだったようだ
最悪な出来事が起きることを肯定すると、不安が消える。
例えば、首になるとか、死ぬとか、それを肯定すると、人事権を持つ上司が全く怖くなくなる。
つまり、上司が怖かったのは、首になる恐怖があるからで、首になってもいいと思えば、上司への恐怖も消える。
おそらく、死を肯定すれば、一切の不安がなくなる。そして一切の理想化もなくなる。
286
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/27(水) 18:21:21 ID:NpBkhqbI0
全部失っても良いという覚悟ができれば、首になってもいいと思ったとたん会社が楽しくなったように
人生すべてが楽しくなると思う。
287
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/27(水) 18:31:15 ID:OxLaKRlI0
インスタントな神秘体験より価値あるよな
288
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/27(水) 19:33:09 ID:WEXkRmVk0
>>280
>>277
です。ありがとうございました。
289
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/27(水) 19:49:17 ID:kaXJvxhM0
>>283
そうじゃ、実践あるのみじゃ。
またおいでなさい。
>>285
良かったのじゃ。
それが気付きなのじゃ。
原因から起こる囚われに気づいて楽になったのじゃ。
更に観察を続けて楽になるのじゃ。
>>288
どういたしまして、またおいでなさい。
290
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/28(木) 14:20:47 ID:ncKanP4g0
>>285-286
君は過去何回もその手の書き込みをしておきながら、
何年間鬼和尚のスレに居座ってると思ってるんだよ。
291
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/28(木) 14:22:09 ID:2xof5STw0
鬼和尚、
行をしたくないという気分を観察し、そこで自我消失の恐れと逃避に気づきました。
苦の原因になるにもかかわらず、手放したくないようです。
苦滅によってその気分を減じて、行に励みましたが、この調子で続けて
良いでしょうか? それとも、行の時間を少し減らすなど、自我の言い分(?)を
少しは聞いたほうが良いですか?
その場で苦滅ができても、後に反動で執着が増すこともあるのかと
思いまして。
292
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/28(木) 20:40:07 ID:kaXJvxhM0
>>291
そのような恐れは全ての修行者が経験するものじゃ。
そこで逃避しつづけるか、恐れを超えて行くかで悟りを得るかどうかが決まるのじゃ。
多くの者は逃避し続ける事を選んでしまうのであるがのう。
その恐れの原因が実は観念でしかないにせものの自我によるものと気付くのじゃ。
にせものの観念である自我を失うという恐れ、それは本来ありえないものと気付くじゃろう。
それを知り恐れを超えて行くのじゃ。
今までの一切の学びはそれを乗り越えるためのものなのじゃ。
その恐れを乗り越えられなければ今までの修行も学びも全て無意味になってしまうのじゃ。
逃避を続ければ今自我を失う事は無くともいずれは死とともに消え去っていくものじゃ。
決意を新たにして恐れを乗り越えていくのじゃ。
293
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/28(木) 21:38:43 ID:LC3de7YgO
感情の観察を中心に据えた瞑想を続けております。
呼吸に集中するのとは異なり、呼吸があることに気付きつつも、自然な感情=本心がわいてくるのをひたすら待つ方法で座ってます。
できるだけ意思力を用いず、感情がわくまでの間呼吸に気付き続けようとしてますが、雑念に巻き込まれることも多くなってしまいます。
感情がわいてくると、1時間座している間の半分以上その感情が消えないこともありますが、抑制も逃避もせず、解消を図らずに観察し続けると最後には消えます。
観の行を更に深めるにはどうしたらよいでしょうか?
鬼和尚のブログも読みましたが、空の法、縁起の法等今一つやり方が理解できません(;_;)
294
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/29(金) 12:25:59 ID:zz3du5Nk0
>>292
思考が見えたことで、自我が消されるのではないかと恐れているようです。
自我はにせものと知識で分かっても、恐れの反応と思われる体の緊張は
なかなか消えません。死を超えるには、自分で、本物だと感じている偽の
自分を消していく勇気が要りそうです。体感としては、死を待つか、自ら
飛び込むかの2択という感じです。
自我が恐れるのは行が進んでいる証と捉え、一歩ずつ進んで行こうと思います。
おかげさまで、勇気を少しもらえました。ありがとうございました。
295
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/29(金) 20:19:46 ID:kaXJvxhM0
>>293
かなり行が深くなったのじゃ。
感情を消えるまで観察できるのは稀有な事じゃ。
次は分別や認識の働きを観察するのじゃ。
何かものを見ればそれがりんごだとか石だとか分類し別けるのが分別なのじゃ。
何かを感じた瞬間にそれは起こるものじゃ。
そしてそれがりんごであると認め、知るという働きが認識なのじゃ。
何かを感じ、分類し、認め知る一連の認識の働きを、観察してみるのじゃ。
その認識が自分の認識にも働いている事が観られれば、自我は自己同一化を離れるのじゃ。
296
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/29(金) 20:37:57 ID:PAHPUIz60
>>294
そうじゃ、かなり進んでいるのじゃ。
修行者はいつかはその別れ道に来るものじゃ。
その時、敢然として悟りを選ぶ者だけが悟りを得られるのじゃ。
勇気をもって進むのじゃ。
またおいでなさい。
297
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/29(金) 21:22:29 ID:LC3de7YgO
>>295
ありがとうございますm(__)m
希有なこととまで仰っていただくと恐縮です。そこまで進んでいる実感はまだ持てません。
確かに、呼吸に集中することを続けた結果、雑念や強い感情がわき出ても集中する対象があれば、気付きさえすれば、それらを瞬時に、あるいは長くても十数秒くらいで消せる。どんなに深刻な感情でも消そうとすれば消せるという方法が身に付いていると思います。
感情との一体感が錯覚に過ぎないことは実感できてると思います。そのため重苦しい感情を観察し続けるとことができているのだと思います。で、それが最後に消えるのは、その感情に対する観察の集中力か途切れてるだけかな…とか思ったりしてます。
今日いただいたコメントの「分別や認識のはたらきを観察する」ことに挑戦してみます。これは、縁起の法ですか?
298
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/30(土) 01:45:27 ID:Bwz0R3.60
> あなたは、どのように悟りの道を歩まれておられますでしょうか? 差し支えなければ、お教え願いますでしょうか? 』
ほとけと言う人格的な人物がいらっしゃるわけであります。
Budha 目覚めた者、仏陀、と言う聖者に対する尊称 です。
ほとけは、仰ぎ見るものではありません。
自他一如ですから、ほとけとも、地獄の鬼とも、二ではない、一の如し、です。
どちらも、わたしです。
ほとけとは、真理さとり の事です。
わたしは 公案に取り組みました。
隻手の音声(せきしゅのおんじょう)、と言うものです。
「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい」、と言う公案です。
32〜33歳の頃、無師独悟(むしどくご)、と言いますか、あるいは、独覚(どっかく)、と言いますか、初関を透った(しょかんをとおった)のです。
もちろん、お師家さまのもとで修行した事も無く、つまり、保証書。印可状がありません。
でも、一向に気にしてないのです。
と言うのも、人間から、影響を受ける事をその頃から特に極端に避けていたのです。
ある曹洞宗の僧が言います、引導を渡すのが、僧の資格での仕事、だと。
だから宗派の大学を卒業してから、門を叩きなさい、と言います。
片手の人がたたく拍手の音を聞いたので、これを、さとりとして、その後、20年近く、見性したと思っていました。
色即是空です。
臨済宗の僧が、この方も、隻手の音声に取り組んだそうですが、「聞いた!」 とお師家さまもさぞや喜んでいただくだろうと、方丈に喜び勇んで駆け込んだそうです。
ところが、お師家さまは小さな静かな声で、「片手でたたく音は聞こえない」、と、すぐさま、色即是空から、空即是色へとリアル世界に引き戻していただいたそうです。
それで、今のわたしは、空即是色、です。
お師家様は、と言うものは実にあったかい存在ですね、まさに老婆禅のお師家さまばかりです、弟関係とは、いいものですね。
わたしは、無師独悟、独覚ですから、20年ぐらい、色即是空に留まっていました、それも、無師独悟、独覚のわたしであり、今のわたしは、色即是空は、空即是色と返すです。
公案は、ひとつ透ればすべて透る、と言われますが、一つずつ取り組んで、一つずつ透っていきます、深遠です。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板