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お気に入りのローマ皇帝

1カイザー:2002/06/13(木) 23:16
人気投票にも、『ごく稀に』参加して頂いてる方もいらっしゃるようで
すので、ここでもカキコしてくれたら嬉しいです。

好き嫌いはともかく、オクタヴィアヌスはやっぱり偉大です。
アントニウスじゃ、どう考えてもライバルとしては役不足。いっそのこ
と、カエサルが暗殺されずに2人が天下を巡って争うという歴史IFの
方が面白そうです。

813マッティアス:2003/10/16(木) 14:13
カラカラに限らず、大抵の武将はやっていた気がしますよ。>お持ち帰り
挙句、友邦でも部族の娘で気に入ったコ(ガリア人なんかだと、娘か少年だったらしい)
を差し出させたり、物陰に連れ込んだり、なんてのは普通にあったようですからね。
そういうことを考えると、妻を同伴していたマルクス帝とかゲルマニクスとか、パクス
時代のアグリッパとかって、だいぶマシなんじゃないかなあ、なんて。

まあ、ゲルマニクスの場合、実際に妻とラブラブでもあったけれども、連れて行かないで、
他の娘と懇ろになったりしたら、怖そうですよ、奥さん。
そういえば、この人、愛人がいたカンジがないですね。アグリッパですら、庶子がいた
っぽいカンジ(ポストゥムスの偽者なんか、その可能性大ですね)なのに。

814カイザー:2003/10/16(木) 22:04
理屈では分かっているつもりでも、ついつい現在の(というか自分の)価値観で歴史
を評価してしまうんですよね。こういう所は、本当に気を付けないとダメですね。

カエサルとクレオパトラの関係からして、そういうことなんでしょうね。きっとガリ
ア遠征の最中でも似たような事例はあるんでしょうね。塩野先生とかの目の前で言っ
たら、ぶん殴られそうですが。
戦地に妻を同伴するのは、指揮官の特権であると同時に、戦地で浮気なんてしないと
いう妻へのアピールという意味合いもあるかもしれませんね。

815マッティアス:2003/10/16(木) 23:35
まあ、そういうことでしょうね。妻を伴っていくような身分の人は、妻の身分も高い
のでしょう。うっかりすると、せっかくの政治的配慮の結果の結婚をぶちこわしたり、
妻が間男して子供を生んでも自分の子として認知しなければならない、なんて羽目にも
なりかねませんからね。

カエサルとクレオパトラの場合、確かに据え膳ではあったと思うのですが、もし、他の
最高司令官だったとしても、そいつが彼女に言い寄って、それを袖にしたら、政治的な
問題に発展しかねない。怖いですね。強国ってヤですね。

816カイザー:2003/10/17(金) 22:09
仮にポンペイウスがエジプトで一発逆転してれば、クレオパトラがポンペイウスに接
近したという可能性もあるんですよね。別にクレオパトラはカエサルに惚れたから、
性的関係を持ったのではないでしょうし。

でも、さすがにカエサルの部下がプトレマイオス家の王族に手を出すという、自らの
身を危うくするようなことはしないでしょうね。
まあ、ウィテリウスとかアレクサンデル・セヴェルスなんかは暴走した軍隊に処刑さ
れたりした、とかいう事例もあるから、断言までは出来ないですけどね。

817マッティアス:2003/10/18(土) 00:07
ウィテリウスは別に軍隊に処刑されたわけでは…。退位したかったけど、暴走した兵士が
フラウィウス・サビヌス(ウェスパシアヌスの兄)の立てこもるカピトリーノを焼いちゃった
とかあったけれども。市中引き回しの上獄門だっただけですよ。(それもヤダ)

クレオパトラとしては、プトレマイオス14世(13世だったかな?)とアルシノエの軍から
守ってくれて、自分の正統性を保証してくれる強力なローマの将軍が欲しかったわけで。
確かに、カエサルでなければならなかったわけではないですよね。
一兵卒だとか、あとは帝政に入ればたかが総督の身分で、同盟国の王族の女性に手を
出したら、問題にされそうですよね。そうでもないのかな?婚姻するのはOKみたいですが。
ブリタニア総督とその将校が女王ボウディッカの娘達を強姦した挙句、それを庇おうとした
女王を裸に剥いた上、鞭で打つというのは、人道的にも政治的にも、相当ヤバイと思うのですが、
これはローマとしては部族の王位を廃して一属州にしたがっていたときだから、許された行為
なのではないかな、と思います。

818カイザー:2003/10/18(土) 08:01
ウィテリウスって、アントニウス・プリムスとかムキアヌスの意向とは関係なく、ド
ナウ軍の暴走でなぶり殺しになったかと思ってたのですが、ちゃんと上意下達は機能
した上での処刑だったんですか?

ブリタニアのそのエピソードは酷いですね。いくら敵対国で、蛮族だったにしても、
そこまでするかという感じです。
ユスティニアヌス1世時代の名将ベリサリウスがヴァンダルとか東ゴートの王を捕虜
にしてコンスタンティノポリスに送還し、凱旋式の時に市中引き回しの見せ物にした
というエピソードでも、もの悲しく思ってましたが、こんなのはまだマシですね。

でも、ローマ人って蛮族の捕虜を見せ物にするの好きですね。ヴェルチンジェトリッ
クスとかゼノビアも凱旋式の見せ物になってましたよね。ローマ人の僭帝とかを捕虜
にした時は、そういうことしたというエピソードはないんでしょうかね?

819マッティアス:2003/10/18(土) 15:46
ローマ市民に対しては、そういう人権無視なことをしたら、いろいろ問題になるので
しょうね。あくまで“蛮族”だから、何してもいいんですよ。そういう発想かな。
ネロによるキリスト教徒の処刑だって、結局見世物にされたのは、下層階級か外国人
だけであって、ローマ市民(パウロ含む)は人目につかないところで、斬首でしょう?

西側帝国末期とか、もうちょっとさかのぼって、軍人皇帝時代以降だとどうかわからない
ですけれども、基本的には、僭称帝でもあくまで議員だったり騎士階級である市民を
見世物にするってことはないと思います。そんなことしたら、暴君のレッテルを貼られて、
人々の支持を失うだけですから。
アウグストゥスだって、だから“パクス”を成立させても、アントニウスが相手だった
というのはまずいから、クレオパトラと東方の王国に対する勝利ということでしか、
凱旋式をあげられなかったわけですよね。

ウィテリウスに関しては、退位できればともかく、元老院が支持した元首のウェスパシ
アヌスの親族に危害を加えた時点で、処刑決定じゃないですか?ムキアヌスはそんな
指示を受けてなかったにしても、多分元老院は処刑にGOサインを出したと思うし。
状況から言って、軍隊の暴走というだけで片付けられないと思います。

820カイザー:2003/10/21(火) 00:09
ウィテリウスが助かる可能性は極めて低かったというのは、マッティアスさんの仰る
通りなのですが、軍が指揮官の指示もなしに、勝手に殺しちゃったのではということ
を私は言ってるだけです。ローマ市街戦は、そういうデタラメな状況だったのかなと
いう。
戦死したとかならともかく、基本的には捕虜にするのが望ましいと思いますよ。
逆に元老院が処刑にOKを出さない可能性を考慮して、ムキアヌス辺りが処刑の指示
をこっそり出したというのも考えれそうです。

多分、ディディウス・ユリアヌスが、こそこそと暗殺とかじゃなく、堂々と元老院が
引導を渡した最初の皇帝になるかと思います。セヴェルスの脅しに屈して堂々もない
ですが(笑)。

821マッティアス:2003/10/21(火) 23:04
う〜ん。でも、どうなんだろう。ウィテリウス弑殺は確かに、ウェスパシアヌスが命令
したことってわけでもなく、クレモナでの戦いの勝利の報と一緒にエジプトで知った、
ってスエトニウスにも書いてありますけど。兵士達の行き過ぎを怒った形跡もないし。
ていうか、そもそもウェスパシアヌス軍にとっては、元首と認めていない存在で、謂わば
僭称帝みたいなもので。
でも、捕まえてなぶり殺しにしたのは、アントニウス・プリムスの軍で、多分プリムス
黙認のもとに行われたっぽいかんじです。
ウィテリウスも牢獄につなぐくらいで許してくれ〜、っていってたのを、ならぬ!って。

スエトニウスを読み返したら、元老院はウィテリウスの懇願だか脅しに屈して、和平の
使者をウェスタの聖女と一緒にウェスパシアヌスのもとに送ったんだか、送る事に決めた
ようです。

822カイザー:2003/10/24(金) 22:24
皇帝として認めてなかったにしろ、基本的には元老院議員であり属州総督だった人物を
独断で処刑してしまうのは、NGだろうと思います。プリムスは元老院議員ですらな
かったと思うのですが、一介の軍人が独断で決定できる範囲を越えてるんじゃないかと
思います。
乱戦の中で戦死したとかいうのは、OKでしょうけど。

ウェスパシアヌスやムキアヌスがアントニウス・プリムスを咎めたという話は聞いた
ことないですから、何らかの形でウィテリウスの死に2人は関わっていたのでしょうね。

823マッティアス:2003/10/26(日) 16:01
そうそう。それで、危険な敵対者を殺し尽くした上で、自分の地位を確立した後に、
議員を殺さぬ誓いをすればOKなんですよ。(ていうか、多分これはウェスパシアヌス
が始めたんだと思いますが)
自分の手はとりあえず汚さず、皇太子ティトゥスが近衛長官として暗躍する、という
すばらしく狡猾な手段も活用してますね。素敵です、ウェスパシアヌス。
個人的に、ムキアヌスはあんまり好きになれない人物なので、彼の独断をウェスパシ
アヌスが飲まされたのだとしたら、ちょっと苦々しいです。

824カイザー:2003/10/27(月) 20:53
セプティミウス・セヴェルスも自分で手を汚さずにユリアヌスを葬ってますね。ニゲ
ルとかアルビヌスも殺してますが、僭帝を殺すのと元老院が承認した正統な皇帝を殺
すのとでは、かなり意味することが違うのかもしれませんね。
オトがガルバを暗殺したりしてますが、基本的に軍人皇帝時代以前は、皇帝殺しって
タブーなのかもしてませんね。いや、当たり前か。

カラカラが弟帝ゲタを殺したのがトラウマっぽいのも、肉親を殺すのと皇帝を殺すの
とタブーをダブルで犯したということなのかもしれませんね。

825マッティアス:2003/10/27(月) 23:14
カラカラについては、皇帝殺しのタブーはあまり関係なさそうですけどね。父は自分を
ひいきして、自分だけを皇帝にしようとしたら、母の横槍で共同統治になったわけです
けれども、むしろあれは母との葛藤と、弟への嫉妬心競争心、さらには肉親への情愛が
いろいろ混ざって、精神的にキちゃったのかな、という気がしますが。

元老院が認めた皇帝っていうなら、一応(やむなくではあるけれども)ウィテリウスも
そうなんですよね。最大の武力を持ってイタリアの近くにいたわけだから、オトが
死んでしまっては、元老院としてもそうせざるをえなかったでしょうけれども。
ただし、あくまでオトやガルバを正統とするならば、どちらにも楯突いたウィテリウス
は、皇帝殺しで逆賊、ということにして、戦うこともできたのかなあ、なんて。
議員達もオトが死んでわりとすぐにウェスパシアヌス派となって市内で協力した人が
多かったようですので(ネルウァもその代表格らしい)、対ウィテリウスについては、
禁忌を犯すという感覚は、ウェスパシアヌス軍にもローマの議員達にもあんまりなさそう。

826カイザー:2003/10/29(水) 23:41
実はウィテリウスはオトを実際には殺してないというのは注目すべきポイントかもしれ
ませんね。
オトの死因は自殺な訳ですから、誰もタブーを破ったりはしてない状況であるが故に、
一時的とはいえすんなりとウィテリウスが帝位に就けたんでしょうね。
まあ、ウィテリウスはオトと正面から戦争をしたんだから、オトを正統とする派閥に
とってはマッティアスさんの仰るように一緒でしょうが。

827マッティアス:2003/10/30(木) 14:48
まあねえ、そうなんですけど。オトが自殺なんかしないで、もし戦争でケリがついて
ウィテリウスが皇帝になったなら、ウェスパシアヌスとか東方属州はどうしたでしょう
ねえ?そこも気になるポイントだし、オトの処遇をどうしたろうな、とか。
オトがウィテリウスに敗北してローマに帰還した場合、元老院はさっさとウィテリウス
に乗り換えそうですよね。怖いなあ。
思うんですけど、前任者を殺すのと、生きたまま退位するのと、当時ではどっちがより
ありえないコトだったかといえば、皇帝だった人が生きたまま帝位を手放すことだと
思うんですよ。
カリグラ暗殺とか、結局、実のところ、皇帝を殺すことについては、そんなにタブーで
もなかったんではないでしょうか?

828カイザー:2003/11/02(日) 13:32
タブーと言っても神聖不可侵的なものではないですね。ただ、カリグラやドミティア
ヌスを殺した人物は、それを咎められて殺されてますし、普通の元老院議員を殺すの
とはやはり違うのではと思います。
そんなの、日本の天皇でもイギリスの国王でも当てはまる程度のタブーでしょうが。
むしろ、この辺の方が宗教絡みでタブーの敷居は高いかもしれませんね。

マウリキウスから帝位を簒奪して息子共々処刑したフォカスは、ヘラクレイオスの反
乱で捕らえられ残酷に処刑されるんですが、東方教会では因果論的にフォカスの死は
“神の罰”だと解釈されてるそうです。

829マッティアス:2003/11/02(日) 20:12
う〜ん。じゃあじゃあ、ウェスタの巫女を古式に則って処刑したドミティアヌスって、
神罰とか言われなくてすむのかなあ?いいのか、その前に処女を守れなかったってのが
罪状で、決まりどおりに処刑しただけだから。

あと、ドミティアヌスやカリグラを殺したときに、罰せられたのは結局、実行犯だけ、
っていうか要は議員身分より低い地位の騎士階級とか解放奴隷とか兵士だけ、なんです
よね。その辺、やっぱり特権階級って違うのですかねえ。議員を殺さぬ誓いとかある
くらいだし。
あとついでに思ったのですが、カリグラやドミティアヌスを殺した人々が罰せられたのは、
仮にも主君に絶対服従であるべき解放奴隷だとか、何があっても主君の命を守るべき、
近衛隊士であったこと、っていうことが大きいと思うんですよね。殺した相手が皇帝だから
というよりも、職務不履行とか、そういう意味合いが強いのではないかなあ、と。
だから、政敵が戦いの果てに、自ら手を下すなり、部下に実行させるなりで前の皇帝を殺す
というのは、さほど悪い事ではなかったり。前が暴君で、自分がそれなりによく治めさえ
すれば。
キリスト教が主流を占めるようになると、価値観も変わってくるんじゃないかとは思いますが。

830カイザー:2003/11/04(火) 22:08
そうですね、確かに皇帝のというより、元老院議員の不可侵性を、下級身分が破るこ
とは許されないという意味しかないのかもしれませんね。形式的なものとはいえ、元
老院議員の総意の下に即位する皇帝は、単なる元老院議員より、不可侵性も上なのか
なと思ってました。

もしかしたら、キリスト教が普及する前と後では、皇帝(王)殺しの意味はかなり違
うのかもしれませんね。
別段、簒奪劇がなくなる訳でも、皇帝や王が殺されなくなる訳でもないのですが。
ヘラクレイオス朝ぐらいから、皇帝や皇族が政争に敗れても、目とか鼻を潰されて生
き延びることが出来るようになったのは、キリスト教の功績なんでしょうね。
全然、羨ましくないけど(笑)。

831マッティアス:2003/11/04(火) 22:18
鼻もがれはイヤだよう(涙)。目潰しとかもイヤだよう。拷問されて傷だらけで後遺症残りまくりで
生きるより、一思いに殺されたほうがマシな気がするんですけど。
ある意味、野蛮になりますね。キリスト教の普及によって。五体満足でない人間への差別も
強まる気がするんですけど、気のせいですか?

皇帝は議員より不可侵性は上、だったとしても、ネロみたいに元老院に拒否されて国家の
敵とされちゃう場合もありますからねえ。ユリウス・クラウディウスとかフラウィウス
あたりは甚だ微妙な気がします。皇帝とはいえ、元老院の格式というか権威もまだ残って
いた時代ですから。
この元老院の名ばかりとはいえ、ものすごい威光が崩れるのが、セウェルス朝末期というか、
セウェルス・アレクサンデルの惨殺とその後続く3世紀の危機なんでしょうね。

832カイザー:2003/11/05(水) 00:35
中世ローマ帝国の価値観だと、殺すのと目潰しして幽閉するのと、どっちが慈悲深い
んでしょうね?やっぱり、殺しちゃわない分だけ、目潰しだとか鼻削ぎの方が、地球
に優しい(?)方法なんでしょうかね?
カトリック世界だと、目潰しして、強制退位なんて事例は知りませんが、これってロ
ーマだけの価値観になるんでしょうか?色々、不思議なところです。

何にしても、前期帝政の頃に政敵を目潰しして幽閉なんてしたら、元老院からブーイ
ングの嵐だったんでしょうね。

833マッティアス:2003/11/05(水) 22:34
微妙ですね。殺すべからず、を守らなければならないから、政敵とはいえ殺しはしない。
ユダヤ教の影響からか、五体不満足な者は司祭などになる資格や統治者たる資格はない
ので、どこかしら不具にしてしまえばいい、という発想なんでしょうね。
ヘロデより前のユダヤの大祭司の家で、最高位たる大祭司の座をめぐる政争で、ライバル
の鼻を噛み切って大祭司の座から引きづり下ろした、という事件がありましたが。それと
同じレベルの話なんですよね。

ただ、前期帝政ではそういうシオニズムの思想は無いので、クラウディウスのような体で
あっても元首になれたわけですよね。あとはガルバとかウィテリウスも、少なくとも元首
になった時点では何かしら、障害らしきものを抱えていた訳です。
だからこそ、返り咲かせたり不平分子に再び旗印にさせたりしないためには、前任者は
殺されなければならないわけですが。
そう言った意味で、生きたまま退位する道を開いたディオクレティアヌスは偉大といえば
偉大ですね。

834カイザー:2003/11/08(土) 11:42
退位したローマ皇帝が無事に余命を真っ当した初めがディオクレティアヌスですか
らね。
自発的に退位したのは、このディオクレティアヌスの次は精神障害を患ったユステ
ィヌス2世になるんでしょうね。帝位継承がスムーズに行えれば退位後も生き残る
というのは、不可能ではないでしょう。
でも、後継者が前任者を生かしておいても安心だと思わない限りは、危険な選択で
あることに変わりはないですね。

そういえば、鼻削がれ帝(リノトメトス)ユスティニアヌス2世が、帝位奪回に成
功して以降は、帝位継承者を幽閉する時にセットで行う処置としては鼻削ぎよりも
目潰しが主流になってるような気がします。
ヘラクレイオスの後妻マルティナと息子ヘラクロナス帝は、失脚した時に舌を切断
とかされたようですよ。

835マッティアス:2003/11/08(土) 16:22
>ユスティニアヌス2世が、帝位奪回に成功して以降は、帝位継承者を幽閉する時に
>セットで行う処置としては鼻削ぎよりも目潰しが主流になってるような気がします。
う〜ん。確かに鼻がないくらいでは、皇帝としての任務を遂行する上で別に支障はない
ですからね。目が見えないと戦争にもいけないし、いろいろ困るでしょう。舌がなきゃ
演説一つできないし、いちいち何か書いてコメントするってわけにもいかないですから
ねえ。有効な処置ではあると思います。

後継者は前任者を生かしておいても安心だと思えるのは、確実なセンでは前任者による
指名で皇帝になった場合くらいだと思うんですけど。あとは病で動けないとか障害で
政務をとることが不可能だとか、それくらい。
ちなみに、ファーティヒ・スルタン(征服王)、メフメト2世の場合、確か父親があまり
権力の座が好きではなかったらしく、13歳かそこらで一旦スルタンにされながらも、
そのあと他の国との戦争が起こって、退位させられて父親が返り咲き、というのを2回
ばかり経験させられてます。結構、これが気に入らなかったらしいですが。
ただ、ローマの場合、大抵は後継者を指名して共同統治をさせても、前任者が退位する
ってことは滅多に無いですからね。喜んでやったのはディオクレティアヌスくらいです
が、結局自分と一緒に正帝になったほうは次の時代の混乱に乗じて復位しましたものね。

836カイザー:2003/11/09(日) 12:12
ユスティニアヌス2世は、削がれた鼻の代わりに黄金で作った義鼻(?)を愛用し
ていたそうです。

メフメト2世とムラート2世の関係は、塩野七生の「コンスタンティノープルの陥
落」でも、紹介されてましたね。確かにムラート2世は、イヤな父親。
好意的に解釈すれば、若い時のメフメト2世では安心して後を任せることが出来な
かったのかもしれませんね。

マクシミアヌス帝は、ディオクレティアヌス帝と一緒に退位した後、息子マクセンテ
ィウスが四分統治を無視して帝位を僭称すると共治帝として復帰。その後、マクセン
ティウスと帝位を巡って仲違いしてイタリアから逃亡。
同じくガリアで帝位を僭称していたコンスタンティヌス1世の旗下に加わったけど、
最後に再度帝位奪回を目指して挙兵し、敗死したという経歴ですね。
マクシミアヌスの皇女ファウスタは、コンスタンティヌスの後妻として、コンスタン
ティウス2世とコンスタンス1世の母親になっていたはず。コンスタンティヌス1世
の長子クリスプスと一緒に粛正されちゃった人ですね。

837マッティアス:2003/11/09(日) 21:09
わかりやすくまとめていただき、ありがとうございます(笑)。

ムラート2世の復位は、彼の意思というよりはむしろ、家臣団がいやがる彼を無理やり
復位させたというほうが正確ですね。だから、その代表であった大宰相はメフメト2世
と微妙に仲が悪く、オスマン研究の第一人者鈴木タダシ先生の言葉を借りれば、「大変
気の置ける」後見人だったんですよ。
安心して任せられないとか何とかではなく、戦争中に旗頭に立つのが、十代前半の小僧
では、士気が上らないからまだ壮年のアンタが戻ってくれよ、ってのは当然の要求では
あると思います。その頃のメフメト少年は戦争の経験ゼロだったわけだし。

ディオクレティアヌスの共治帝の名前が、マクシミアヌスだかマクシムスだか混乱し
ちゃったから、前回のカキコで書かなかったというのは内緒です(笑←じゃねえだろ!)

コンスタンティウス2世とコンスタンス1世もファウスタの子でしたか、その辺、もの
すごくわかってません。だめだ〜。がっくし。

838カイザー:2003/11/11(火) 01:33
ムラート2世も楽隠居するのは、難しかったのですね。君主の座というのは、
基本的には本人が望もうが望むまいが終身地位なんですよね。
ディオクレティアヌスだって、コンスタンティヌスやマクセンティウスの暴走
を制御出来なくなった、東方正帝のガレリウスに泣きつかれてカリヌントゥム
皇帝会議に出席させられてますもんね。

ファウスタのことは、クリスプスと不倫をしたとの嫌疑で、処刑されちゃった
というぐらいしか知らないんですけどね。
コンスタンティヌス1世は、ファウスタの父親のマクシミアヌスも兄弟のマク
センティウスも、統一戦争の過程で殺してるんだから、ファウスタが帝位国統
一後もコンスタンティヌスの皇后の座にあったのは、考えたら不思議なことで
すよね。
クリスプスとの不義密通が発覚するまでは、二人はかなりラブラブな関係だっ
たんでしょうね。

839マッティアス:2003/11/11(火) 15:08
もしかすると、コンスタンティヌスあるいはその母ヘレナがキリスト教徒だったのと、
彼がファウスタを離縁しなかったのとは関係があるのかも知れません。
クリスプスの母親っていつ頃亡くなったのでしょうね。あるいは離縁されたのか?
ああ、ギボンを読んだはずなのに憶えてません(爆)。
そうか、ファウスタが後妻のほうか。それなら納得。いや、クリスプスの母親と混同
していたので、あれ、なんでコンスタンティウス2世他の母親なんだろう、と疑問に
思ってしまいました。
だめです。血縁関係を覚えるには、文章ではなく、系図をじっくり見ないとムリ。

ちなみに、ファウスタが処刑されたのはむしろ、クリスプスとの不倫の申し立てが虚偽
であったからだと言われてませんか?別の情夫がいて、そっちが発覚したからとも。
クリスプスとの関係は、彼を廃嫡して息子たちに権力を継がせるためのファウスタの
策略だったような気がするのですが。思い込みかもしれません。

840カイザー:2003/11/12(水) 00:47
クリスプスの母親の名前はミネルヴィナという名前みたいです。コンスタンテ
ィヌス1世がマクシミアヌスと共闘関係にあった頃から、ファウスタと結婚し
てた筈ですから、それまでに死んだのか離縁されちゃってるんでしょうね。私
も詳しくは知らないです。

ファウスタは、コンスタンティヌス2世の母親でもあるんですね。何となく、
コンスタンティヌス2世とコンスタンティウス2世は異母兄弟かと思ってまし
たが、両者ともファウスタの子供なんですね。

ギボンの記述は、マッティアスさんの仰る通りですね。まあ、クリスプスとフ
ァウスタが不倫関係にあったかの真偽も、ファウスタがクリスプスの失脚後に
処刑された理由も、明確な根拠がある資料はなさそうだと思いますけどね。

841マッティアス:2003/11/12(水) 12:02
実際にクリスプスとファウスタがデキてた場合、ほんとにデキててうまく行ってれば、
ファウスタが夫に訴えることはなかったでしょうね。義理の息子を陥れたいか、彼を
誘惑したにも関わらず、相手にされなかった、とかいう場合のほうが、夫に訴える理由
になりそうです。あとは、途中までラブラブだったのに、ひどい捨て方されたとか。

ファウスタの息子たちって年子とか多くないですか?
いや、べつにいいんですけど。ずいぶんぶっつづけに生みまくったなあ、と思って。

842カイザー:2003/11/13(木) 23:07
年子ではないですが、マリ見ての主人公の裕巳ちゃんと弟の祐麒4月1日生ま
れで、ギリギリお姉さんの裕巳ちゃんと同学年という設定でしたね。
ぜんぜん、ローマに関係ありませんが(笑)。

コンスタンティヌス1世と大帝の死後起こったクーデターで殺された異母兄弟
のユリウス・コンスタンティウスとダルマティウスの母親テオドラもファウス
タと同じく、マクシミアヌス帝の娘なんですね。ややこしいー。

ところで、ユリウス・コンスタンティウスやダルマティウスは、コンスタンテ
ィヌス1世の異母兄になるんでしたっけ???
コンスタンティヌスの方がお兄さんのイメージだったのですが、ヘレナはコン
スタンティヌス1世時代にも政治に関わってたような記憶もあるし、いまいち
流れが把握できてないです(汗)。

843マッティアス:2003/11/14(金) 11:28
とりあえず、ギボンの3巻(多分)を発掘して確認しないとですね(汗)。
ダルマティウスのがコンスタンティヌスより若いイメージありますし、確かヘレナは
コンスタンティウスが皇帝になる前の妻で、政権についてから離縁されていたような
気がするんですけど。ヘレナはそんなに身分高くなくて、政略結婚の都合で離縁された
ように記憶してます。
だから、ユリウス・コンスタンティウスとダルマティウスは弟だと思いますよ。でも、
私の言うことだから、信じちゃいけません。

まあ、ぶっつづけに生みまくったなあ、て意味ではファウスタよりもマルクス帝の后
ファウスティーナですけどね。14人くらい生んだんですっけ?すごすぎ。
ファウスティーナの多産ネタで思い出しましたが、塩野さんの新刊、無事今年中に出る
みたいですね。どんなんなってるか、かなり興味あります。期待はしてませんが。

844カイザー:2003/11/15(土) 10:08
やっぱり、ユリウス・コンスタンティウスもダルマティウスもコンスタンティ
ヌス1世の弟くんなんでしょうね。コンスタンティウス1世は政略結婚の為に
ヘレナと離縁したということですね。
確かに、ディオクレティアヌスとガレリウス、マクシミアヌスとコンスタン
ティウス(1世)が、政略結婚で血縁関係を構築したという記憶はあります
ね。

一時期、コンスタンティヌス1世と同盟関係にあった、リキニウスは東方世
界を制圧した時に、ディオクレティアヌスとガレリウスの一族を皆殺しにし
たんですよね。
コンスタンティヌス1世って、特に残酷な人間という印象ですが、ああいう
動乱の時代だとしょうがないんでしょうね。本人も含めて、裏切りが多すぎ
です。

845カイザー:2003/11/15(土) 10:10
ああ、「ローマ人の物語」続きが出るんですね。
やばいです。まだ、前巻は5ページぐらいしか読んでない(笑)。

846マッティアス:2003/11/17(月) 00:10
今度の巻は、飛ばしまくるのかなあ、というのが気になるところですね。結構頁が
割かれるだろうと予測していたセウェルスとその前の内紛が思いのほか、あっさり
済んでしまい、去年の巻でセウェルスが死ぬ所まで行ってしまったので。
カラカラとかエラガバルスとか、カリグラのように復権させるのは難しいでしょうし。

コンスタンティヌスの時代っていうか、ディオクレティアヌス退位〜コンスタンティ
ヌス朝(第Ⅱフラウィウス朝)時代って、怖いですよ。裏切り、残虐行為、血族殺し、
と、ユリ・クラ朝や69年の内乱が可愛く思えてきます。
何だかんだで、元老院という皇帝を抑制する権威が存在したのって、やっぱり大きい
と思うんですよ。教会ってなってしまうと、これはこれで別問題で、宗教が政治に介入
するのはロクなことにならないですしね。

847カイザー:2003/11/18(火) 00:14
軍人皇帝時代だって、血生臭さでは、負けてないですよ。
ディオクレティアヌスだって、ヌメリアヌス暗殺の罪をアペルになすりつけて
皇帝に即位したと思われますからね。

塩野先生は、セヴェルス朝はしょるでしょうね〜(笑)。
少なくとも、ゴルディアヌス1〜3世あたりまでは、いっちゃうんじゃないで
しょうか。
まだ、10年以上かけてローマ史を叙述したいとか考えてるならいいのですが、
後期帝政とかをじっくり書きたいとは思ってなさそうですね。残りは軍人皇帝
時代+ディオクレティアヌスで1冊、コンスタンティヌス朝で1冊、ヴァレン
ティニアヌス朝〜西帝国滅亡で1冊というペースで刊行されそうだと勝手に決
め付けています(笑)。

848マッティアス:2003/11/18(火) 10:35
予定では全20巻でしたっけ?今度が12巻で。もう、つぎにやりたいテーマもあるらしいし。
なんていうか、ローマ千年の歴史、とかいってる時点でコンスタンティノポリス政権には
興味がないのが丸分かりですよね。それか、あれはローマだと思ってないのか。

にしても、カイザーさんの予測は結構オニですね(笑)。アウレリアヌスとかヴァレンテニア
ヌスとか、ユリアヌスとかはなにげに3分の1冊くらいかけてもらえそうだというのは、
あまりに甘い見通しですか?
ディオクレティアヌス〜コンスタンティヌス1世の統一で1冊というのは、思いっきりありそう
ですが、なぜかコンスタンティヌス朝のときに、今度はまたディオクレティアヌス退位後を総括
(大体4分の1くらい)から始まりそうですね。そうしてユリアヌスのときはメレシコーフスキイ
とか辻邦生の引用もあるカンジではないかと思うんですが。

849カイザー:2003/11/19(水) 23:01
「ローマ人の物語」全20巻なら、もうちょっと長めの刊行ペースになりそう
ですね。もし、東ローマも書くつもりなら、私の予想よりもさらに倍ぐらいの
ペースじゃないと間に合わないですもんね。

いくら塩野先生でも、小説を歴史資料みたいな紹介の仕方はしないと思います
よ。有名だから、言及ぐらいはするでしょうけど。そうでもないのかなあ?

ヴァレンティニアヌス1世とか、いまいちイメージをつかみきれてない人物な
んで、キチっと書いてくれてたら嬉しいですね。カエサルみたいにメジャーじゃ
ないから、読者の反応は薄いでしょうけど。
逆ギレで憤死とか、いい味してる皇帝なんですけどね。エラガバルスほどでは
ありませんが(笑)。

850マッティアス:2003/11/20(木) 11:42
いや、資料としてではなく、小説を引用して、「私ならばこう書く」とか「美しい場面
だが、いささか解釈がおかしい」みたいな書き方をすることは、前例もありますから。
ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』という、前例が。しかし、時折、塩野さんの
解釈より、小説のほうがまだ説得力があるよ、というものもありましたね。アンティノ
オスの自殺の理由とか。
あとは、コンモドゥスの章で「グラディエーター」を槍玉というか、突っ込みまくって
いたのも、印象深いです。
となると、やるんじゃないかなあ、この先もって気がします。ひどい解釈ですかね?

とはいえ、セヴェルス朝については、ヒストリア・アウグスタやデォイン・カッシウス
の記述もわりかし信憑性が高いとか言われてますし、その辺りを使って書くのかも。
もし、アントナン・アルトー「ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト」を
引用したら、あるイミ勇気あると思います。
新刊タノシミだなあ(笑)。

851カイザー:2003/11/21(金) 23:54
「グラディエーター」に突っ込みたくなる気持ちは、よく分かります。自分も、
しましたし(笑)。あれに突っ込むのは、タイムボカンシリーズの歴史考証に
ケチをつけるようなもんで、大人げないことなんですけどね。

セヴェルス朝も、カラカラだとかエラガバルスだとか、個性的な皇帝がいてて
ちゃんと勉強したら面白そうですね。
いや、次の更新予定なので勉強しようと思いながら、相変わらずやる気が沸き
上がらないので放置プレイです(笑)。「ローマ人の物語」の新刊が発売した
ら、参考にしてみようかと企んでおります。セヴェルス朝って、手頃な参考文
献あんまりないですし。
ギボンで、別にいいんですけど。

852マッティアス:2003/11/23(日) 17:23
一番イメージわかないのが、セヴェルス・アレクサンドルなんですけど。おかんのイン
パクトばっかりが強い、ってカンジなんだけど、そのおかんもアグリッピーナさまほど
のアクというか存在感はないような。単にギボンくらいしかわからず、刷り込みが足り
ないだけなのかも知れませんが。
セヴェルス朝のアンチョコ資料には、新保良明先生の「ローマ帝国愚帝列伝」なんかも
いいですよね。カラカラとエラガバルスは入ってますから。
そうそう、1月末頃には南川先生訳の「ヒストリア・アウグスタ」1巻が出るらしいで
すね。そうすると、ハドリアヌス以降の邦訳文献が増えて、ローマを専攻している学生
は大助かりですね\(^-^)/。

そういえば、やっぱり次の巻きはディオクレティアヌス登場くらいまで行っちゃうみた
いですね。軍人皇帝時代、って括りだとすると。うっわ〜、はしょってる。
となると来年がディオクレティアヌスとその後の後継者争い、コンスタンティヌス1世
の登場、ってとこですね。

853カイザー:2003/11/24(月) 21:11
塩野先生、そんなにはしょっちゃうんですか!?私の予想以上です。
てことは、無理矢理20巻で「コンスタンティノープルの陥落」まで、叙述し
ようとか考えてるということでしょうか。
そうだとすれば、その次の巻で西帝国滅亡までをやって、残りで東ローマとい
う感じになるんじゃ。5巻ぐらいあったら、メフメト2世まで、やれないこと
ないでしょうね。

もし、20巻のペースを守って、西帝国滅亡までを書ききるなら、ちょっと見
直しますけどね。もう、店仕舞いに入ってるんでしょうねー。

「ヒストリア・アウグスタ」の和訳本、出版されるんですね。チェックしとか
ないといけないですね。買う前から、積ん読になりそうな気がしますが(笑)。

854マッティアス:2003/11/25(火) 00:19
えーと、とりあえず、75人の皇帝が出た「3世紀の危機」というのがテーマらしいです。
>塩野さん、今年の新刊
つうと、どこまでですか?3世紀の危機って?(←オイオイ)ヴァレリアヌスくらい?
アウレリアヌスかな?すみません、私本気でアホなんです。

さすがに20巻でコンスタンティノープル陥落まではないと思いますが、何とも言えない
ですねえ。すごいなあ、塩野さん。

855カイザー:2003/11/25(火) 19:27
軍人皇帝時代って、75人も皇帝いましたっけ?
多分、セプティミウス・セヴェルスから数えるんでしょうけど。
試しに、ざっと3世紀のローマ皇帝と僭帝を羅列してみます。

※正統とされる皇帝(29人)
セプティミウス・セヴェルス(193〜211)
カラカラ(211〜217)
ゲタ(211)
マクリヌス(217〜218)
エラガバルス(218〜222)
アレクサンデル・セヴェルス(222〜235)
マクシミヌス(235〜238)
ゴルディアヌス1世(238)
ゴルディアヌス2世(238)
プピエヌス(238)
バルピヌス(238)
ゴルディアヌス3世(238〜244)
フィリップス・アラブス(244〜249)
デキウス(249〜251)
トリボニアヌス・ガルス(251〜253)
アエミリアヌス(253)
ヴァレリアヌス(253〜260)
ガリエヌス(253〜268)
クラウディウス2世(268〜270)
クインテルス(270)
アウレリアヌス(270〜275)
タキトゥす(275〜276)
フロリアヌス(276)
プロブス(276〜282)
カルス(282〜283)
ヌメリアヌス(283〜284)
カリヌス(283〜285)
ディオクレティアヌス(284〜305)
マクシミアヌス(286〜305、307〜308)

※ガリア帝国の僭帝(5人)
ポストゥムス(260〜269)
ラエリアヌス(269)
マリウス(269)
ヴィクトリアヌス(268〜271)
テトリクス(271〜274)

※パルミュラの僭帝(3人)
オダイナトゥス(261〜267)
ゼノビア(267〜272)
ウァバラトゥス(272)

※その他の僭帝(13人)
サビニアヌス(240)
イオタピアヌス(248〜249)
リキニアヌス(251)
インゲヌウス(260)
レガリアヌs(260〜261)
マクリヌス(260〜261)
クイエトゥス(260〜261)
ムキウス・アエミリアヌス(261〜262)
アウレオルス(268)
ボノスス(280)
プロクルス(280)
カラウシウス(286〜293)
ドミティアヌス(297)

クリス・スカーの「ローマ皇帝歴代誌」を流し読みして、皇帝と僭帝を並べてみ
ました。塩野先生と数え方に見解の相違はあるでしょうけど、どう見ても50
人しかいないんですが!?
デキウスの子供とかガルスの子供とか数えるべきか迷うのとか、コンスタンテ
ィウス1世とガレリウスという、ディオクレティアヌス時代の副帝を含めても
75人にはかなり遠いような・・・。
塩野先生の新刊、楽しみですね♪



・・・・ちょっと、自分がイヤな奴の様な気がしてきました(笑)

856カイザー:2003/11/25(火) 19:29
注目すべきは、ヴァレリアヌスがペルシアのシャープール2世の捕虜となった
260年ですね。
この一覧を見るだけでも、皇帝僭称者がウジャウジャいてますもんね。

857マッティアス:2003/11/30(日) 11:12
すみません、勘違いでした。75年で23人の皇帝が、とかそんなカンジです。
75って数だけ記憶していました(爆)。てことは、アウレリアヌス登場までですか。
好きそうですよね。アウレリアヌス。ちょっとこの人とゼノビアとかにも頁数かけるの
かなあ?
ヴァレリアヌスは、興味深いですよね。ギボンはシャープール2世大好きでしたが。
僭称帝はどう扱うのかも、めちゃめちゃ興味あります。

858カイザー:2003/11/30(日) 17:34
やっぱり、違ったんですか。75人はいくら何でも多すぎですもんね。ザコな
僭帝を目一杯入れても、知れてましたからね。

軍人皇帝時代の僭帝で、塩野先生がキチッと取り上げそうなのは、ガリア帝国
のポストゥムスとパルミュラのオダイナトゥス、ゼノビア辺りでしょうね。
特にゼノビアは誉めるにしろけなすにしろ、塩野先生が女性という点に拘って
あれこれ書くんじゃないかと思います。いつもそうですもんね。

ヴァレリアヌスはどうなんでしょうね。彼がペルシアの捕虜になって、おそら
くはイジメ殺されたという事件は、軍人皇帝時代の混乱を象徴する出来事です
が、実はイメージあんまりない人物だったり。
帝位に残されちゃっtたガリエヌスとか、絶対に入れ替わりたくない人物の一
人ですね。もちろ、ヴァレリアヌスと入れ替わるのもイヤイヤだけど(笑)。

859マッティアス:2003/11/30(日) 21:47
皇帝とは誰であれ、入れ替わりたくなんかないですけどね。あんな心労と身の危険の
多い立場になんかなりたくない。なるならやはり、暇と金をもてあました上級騎士が
いちばんだと思いますよ。
でも、皇帝で一番納得行くカンジの人生送ったのは、セヴェルスかなあ?あれなら、
ちょっとなってみたい。カッコイイです。でなければ、トラヤヌスとか。
とりあえず、自然死したいです。←望みがもはやこれかい!

860カイザー:2003/12/02(火) 00:13
確かにローマ皇帝で自然死したのは、半数以下でしょうね。だいたい、暗殺と
か処刑とかろくでもない死に方してますもんね。

著名な皇帝で自然児したのは、アウグストゥス、五賢帝、ディオクレティアヌ
ス、コンスタンティヌス1世、テオドシウス1世、ユスティニアヌス1世、ヘ
ラクレイオス、アレクシウス1世といった辺りでしょうか。
ありゃ、教科書に載ってるような皇帝は、ほとんどベッドの上で死んでるのか。
教科書に載ってて真っ当じゃない死に方な皇帝は、カラカラとユリアヌスぐら
いなのか。

私としては、とりあえず政治や軍事は部下に任せて、マイペースに人生を過ご
したというイメージの、ホノリウスとテオドシウス2世ぐらいが、憧れのロー
マ皇帝です。
志低いです、はい(笑)。

861名無しさん:2003/12/02(火) 06:52
ティベリウスは著名にいれてもらえませんか? 思えば、神格化も断罪も
されなかったというのも珍しいかも。

862真奈美:2003/12/02(火) 06:56
あ、すみません、名前いれてなかった。
確かに教科書に載ってる人ではないですが。強いて言えば、「イエスの処刑の
あった時代」の人ということでしょうか。「ベン・ハー」にちょこっと出たのは
このひとのはずだし。どんなヤツかときかれたら、「有能で暗い人」と
私なら答えるでしょう。ーー替わりたくは決してナイ!

863マッティアス:2003/12/02(火) 12:13
教科書にならネロも載ってましたよ。多分。少なくとも用語集に載ってたし、半数くらい
の教科書では名前が出たみたいです。キリスト教迫害者として。
ティベリウスの名前は、宗教の時間があるようなキリスト教系の高校出身の人は意外と
知っていたりするんですよね。

関係ないですけど、いまサトゥラエを読んでます。オトやドミティアヌスは悪口言われ
てます。

864カイザー:2003/12/02(火) 21:30
ネロは間違いなく教科書に載ってましたし、授業でも習いましたね。

ベン・ハーに登場したローマ皇帝は、時代的にはティベリウスなんでしょうが、
果たして映画の制作陣がティベリウスをイメージしてたのかはかなり疑問です。
私は、単に『皇帝』を登場させただけのように思います。
教科書に載ってないけど有名な皇帝の筆頭はコンモドゥスでしょうね。
映画の影響って、本当凄いです。

865マッティアス:2003/12/02(火) 22:35
ビバ!メディアミックスですね!!(←なんか間違ってるぞ)
単に“皇帝”とか“将軍”というイメージは、フィクションにはありがちなんですが、
それと同様に多いのが、(ローマではないけれども)近い時代のメジャーな人に置き換え
られるパターンですね。「一休さん」の上様が義満であるように(時代から行くと、義満
は出家してるし、将軍は息子のはず)。
そういう意味で、ネロとかアウグストゥスというのは、ローマ皇帝の典型として使われ
やすいかな、って気がしますが。

教科書に載ってないけれども、名前は知られている皇帝はほかに、カリグラがいますね。
酒見さんのSF短編集『聖母の部隊』所収の「地下街」(だったと思う)で、悪役が言った
セリフに「風俗はかのカリギュラ帝の時代よりもさらに乱れ」云々というのがありました。

866カイザー:2003/12/03(水) 21:54
何だかんだ言っても、コンモドゥスぐらいまでの皇帝は、みんな有名だと思い
ますよ。
カリグラとかクラウディウスなんかは、その中でも比較的メジャーな方でしょ
うが、世間の歴史人物への無関心さを考えると日本人の2%ぐらいが知ってい
る程度だと思います。
アウグストゥスで50%、カエサルで60%ぐらいかなと。
マッティアスさんお気に入りのドミティアヌスあたりだと、1%以下になるで
しょう。それでも、100万人ぐらいにはなりますからね。

きっと、徳川家康や昭和天皇すら知らない子供なんかも、いてるんでしょうね。

867マッティアス:2003/12/03(水) 23:18
うちの相方は、アウグストゥスもオクタウィアヌスも知っていましたが、ほんの数年前
(私がローマにハマる前)まで、その二人が別人だと信じていましたよ。
ネロっていえば、「街焼いた人」という明確な答えが返って来ましたし(笑)。
クラウディウスは微妙ですね。カリグラよりは確実にマイナー。ティベリウスとどっち
のほうが知られているのか、というカンジですねえ。
コンモドゥスは、「グラディエーター」で初めて知りましたよ、私(爆)。まあそもそも、
ネロと五賢帝の間に皇帝がいたことも、「我が名はネロ」で知ったくらいですからねえ。

世間の歴史上人物への無関心さ+日本人の世界史への関心の弱さから言って、ほんとに
ローマ史は厳しいですね。カエサル、アントニウス、オクタヴィアヌス、スキピオ(大と
小の区別は微妙)に、他国ですがクレオパトラ、ハンニバルくらいが知られているカンジ
でしょうね。あと、カラカラ。大浴場を造った人として有名。

868真奈美:2003/12/04(木) 16:14
ドイツ西南部のバーデン・バーデンにある「カラカラ温泉」には行きました、
いろいろなお湯がありますが、日本人には熱さが足りないと思いました。
しかし「カラカラ」ってやっぱりヘンな名前・・・

私はクラウディウスの名前は、大学の図書館で世界の女性史のシリーズを
読んだときに知りました。メッサリーナを塩野さんが、アグリッピナを
弓削さんが書いてる本。なんて女房運の悪い奴!と焼きつきました。

ところで新潮文庫の新刊「超・偉人伝」はお読みになりました?
139Pのあたり、私は激怒しました。カエサルの章を本屋で立ち読みしてください、
あんなものの売り上げに貢献してたまるか。

869マッティアス:2003/12/06(土) 11:55
そもそもタイトルに“超”とかついてる時点で、最近は買ったり読んだりする気がない
ですねえ。あからさまにバッタモンていうかイロモノじゃないですか。あら捜しとか、
そういう楽しみ方をするつもりがないときは、まともに受け取って怒っても仕方ないと
思いますよ。
でもまあ、そういう本を出した出版社が光文社とか三笠文庫とかPHPとかならば納得で
すが、よりにもよって新潮かよ!という突っ込みは入れたくはなりますよね。

カラカラもカリグラも服飾からついたあだ名ですよね。カラカラ。フードつき外套。
うっかりすると、寒がりなアウグストゥスやクラウディウスあたりも言われかねなかっ
たあだ名ですねえ。

870カイザー:2003/12/06(土) 12:02
真奈美さんもご存じかもしれませんが、カラカラっていうのは、本当の名前じ
ゃないんですよね。本当の名前はセプティミウス・バシアヌスで、皇帝になっ
てからアントニヌス朝とのインチキ血縁を利用する為に、マルクス・アウレリ
ウス・セヴェルス・アントニヌス・ピウスと名乗っていました。
カラカラという俗名の由来は、好んで着ていたという服装にあるそうです・

私が初めてローマ皇帝の名前を意識して覚えたのは、高校生の時にスエトニウ
スの「ローマ皇帝伝」を読んでからですね。
それから、母親が読みもしないのに全巻を買い揃えただけで物置に放置プレイ
になっていた中央公論社の世界の歴史(40年ぐらい前の方)とかタイムライ
フブックスの「IMPERIALROME」「BYZAMTIUM」「BAR
ABARIAN EUROPE」なんかを読みまくってました。
その辺りで、有名な皇帝は自然と頭に入ってましたね。で、ギボンを読んでこ
ういった概説書だと無視されちゃうような皇帝(ヴァレンティニアヌス1世と
かアンテミウスあたり)なんかにも注目するようになりました。

871真奈美:2003/12/06(土) 14:48
これは「古代ローマ」BBSと繰り返しになりますが:
お笑いの本ならば多少のハッタリがあるのは仕方ないとは思うんですよ。
(クレオパトラにからむ部分でかなり下品な書き方してるし、
オクタファンとしては石を投げてやりたいけど。)
しかし、よりにもよってリウィアに、メッサリーナの話を混ぜてしまうのは
もう言語道断です。たとえ連続(?)殺人犯と言われても、陰険と言われても、
ふしだらとの噂とは無縁のリウィアに。
だいたい、この福田和也という著者って、塩野さんプッシュしてる人なんでしょう、
それなら「ローマ人〜」も読んでいるはずで、それがなぜこんなひどい間違いを。
連載中に誰も指摘しなかったのかと不思議でたまらんですよ。

皇帝やその関係者なんて名前のまぎらわしい人が多いので、仇名があると
後世の人間はむしろ助かります。

寒がり暑がりのアウさんなら、それをツッコんだ仇名の作りようはあったでしょうね。
そういえば(?)、8代将軍の吉宗はーー外の掲示板に移します。



872マッティアス:2003/12/06(土) 20:15
う〜ん…塩野さんをプッシュしてる時点で、桐生操を参考文献に挙げてしまう史学科の
生徒とレベル変わらないんじゃないかなあ、って気がしてしまいますけどね。
お笑いの本というか、軽い歴史読み物程度でしかないので、多分マジメに歴史が好きな
人は滅多に読まないし、読んでも突っ込むだけなんだと思います。
アウグストゥスに関しては、アントニウスとクレオパトラを倒した時点で、怖くて変な
あだ名つけられなかったでしょうね。死後もリウィアがいるわけだし、神格化されてる
わけで。つうか、アウグストゥスがすでにあだ名っていうか尊称なんですよね。

ちなみに、ローマサイトは少ないといっても、皆がすべてを定期的に回っているわけで
はないので、他のサイトでも言いましたが、というのは別に言わなくてもいいかな、と。
もしくは、「ここと相互リンクしている〜」と一言説明を添えるとか。
管理人でもない私が言うのも変な話ですが。ちょっと前から気になっていたんですよね。

皇帝が死んだ直後に(ていうかその皇帝の記憶が生々しい程度の時代に)、風刺の対象に
されると、結構いろいろ言われますよ。ドミティアヌスはユウェナリスに近親相姦皇帝
とかいろいろ言われてますし。オトなんかは女装癖(ていうか化粧)のことをちくちくと
言われたりしてますね。
あだ名があると覚えやすい、ってことで日本人にもなにげに知られてるのが、“背教者”
ユリアヌスと“キリスト教迫害者”“暴君”ネロですね。あとは“哲人皇帝”マルクス・
アウレリウスもですが。

873真奈美:2003/12/07(日) 06:51
他のサイトでも云々というのは、あってもなくても気にしない人は気にしない
だろうと私も思います。「またこの話してるよコイツ」と思われることの
予防線でもあります。まえに2chで、同じことを別のスレッドに
コピペしてた人が非難されてて、「同じことを2度読まされると損した気になる」
(そりゃセコすぎだと思う)「○○にも書いたことですが、と一言添えるとか」
なんて書いてあったことが頭にあるもので。
遠慮なく、ココでは省くことに致します。

また「超」ですが:一般に、だいたいの読者にとっては下品な話のほうが
印象に残りやすいものなので、ろくに知識もない人が読んだらあんなことを
覚えてしまうかと思うと、やはり機会あるごとに怒りを表明せずには
いられません。

近親相姦ならほかにもいろいろ例があるだろうに。その、ドミのは姪との
ことをさしてますか?「背教者ユリアヌス」は、大昔、国語の教科書の
文学史年表に載ってるタイトルで最初に覚えました。なんとなくかっこいいと
思ったのかもしれません。

874マッティアス:2003/12/07(日) 14:29
姪でも基本的には近親相姦ですよね。確かにクラウディウスのときにアグリッピーナとの
結婚を認めさせるために、ウィテッリウス(父)が立案して可決された法案がありますが、
フラウィウス時代には死文化されていて、人々の心情的にも決して賛同できることでは
なかったようです。
確か、共和政末期には従兄妹同士は事実上アリにはなりましたが、古きよき時代(笑)には
いとこというのも近親相姦の範疇に入っていたようですから。
とまあ、こんなかんじに近親相姦にはうるさいローマから見ると、同母・異母に関わらず
兄弟姉妹との結婚がアリというか、理想的とされていたエジプトというのは文化的に遅れ
ていて、ひどく淫奔な地域、というように映ったようです。
さらにというか何と言うか、ドミティアヌスが非難され易い要因に、ドミティアと離婚
してフラウィア・ユリアと結婚したのならともかく、依然として妻はドミティアのまま、
姪にも手をつけた挙句に、妊娠→堕胎→姪の死、というのが人としてあんまりなことに
見えたのでしょうね。堕胎が事実なのか、噂に過ぎないのかは、宮廷内で起こったこと
ですので、何とも言えないのですが。民衆はそう信じていたのでしょう。

875真奈美:2003/12/07(日) 19:30
そーゆー夫に対してなんだか一筋縄ではいかない未練を抱き続けていたような
ドミティアの心理も、上手い作家が描いたら味なものになりそうです。
近親相姦にどこまで数えるかもかなり差がありますよね。まぁエジプト王家
みたいなのは極端としても。親等の数え方でペテンもあるし(アリエノール
とルイの離婚とか)。「ハムレット」では、兄嫁を娶るのも近親相姦
扱いだし。
ーーローマと話がずれますな。

876マッティアス:2003/12/08(月) 16:08
洋書で「Domitia and Domitian」という小説はあるようですね。気にはなりますが、
いかんせん語学は苦手なもので。
しかし、ドミティアも役者と浮気したんだから、まずいですよね。あ、そもそもドミ
ティアヌスと結婚する前は、アエミリウス・ラミアの妻だったんだ。どうなんでしょう。
ドミティアヌスに対して愛情があったのか否か、彼との結婚を彼女が望んだのか、望ん
だとして、それは愛からか野心からか、などなど、面白いテーマではありますね。

フラウィア・ユリアとドミティアヌスの年齢差は14歳で、当時の夫婦とかにはありがちな
くらいで、叔父と姪であると同時に、彼らは乳兄妹みたいです。どうも、ドミティアヌス
が殺害されたときに、彼の遺灰をユリアのと混ぜて埋葬した乳母というのは、二人に共通
の乳母だったようですから。

877カイザー:2003/12/08(月) 23:17
ずいぶん時代は下りますが、ヘラクレイオスの後妻となったマルティナも、ヘ
ラクレイオスの姪だそうです。この時も、コンスタンティノポリス総主教(多
分、ペルシアの包囲戦からコンスタンティノポリスを防衛したセルギオス)か
ら違法だとのクレームがついたそうです。
前期帝政時代に強引に立法したのに、また別の皇帝が近親婚を禁じる法をだし
たんでしょうかね?

>真奈美 さん
個人サイトには大小ありますが、共通認識を持ってる人に話しかけるような書
き込みならばともかく、基本的には書き込みを見てる人はそのサイトを全く知
らないと思っておいて丁度いいくらいかと思います。
もし、他サイトの掲示板と似たような書き込みになるのが気になるようでした
ら、いきなりそのサイトの固有名詞を書いたりしないで(かなり唐突に見えま
す)マッティアスさんの仰るように軽く説明を添えるか、「別の掲示板でも似
たようなことを書いたことありますが〜」みたいな表現を取った方が無難かと
思います。

基本的にコピペで複数の掲示板へ書き込んだりすれば、クレームを付けられて
当然だと私も思いますが、書き込みが似たような内容になってしまうぐらいな
ら許容範囲だとは思いますよ。

878マッティアス:2003/12/10(水) 22:39
ヘラクレイオス朝の時代だと、もうとっくにキリスト教文明ですから、皇帝の法律では
なくて、むしろ教会の倫理(少なくとも中世カトリックでは7親等以内を近親婚と見な
した、あれですね)に引っかかるのではないかと思います。
カトリックと正教会では多少は違うのかも知れませんが、ユダヤ教・イスラム教とは、
その辺の感覚が違いそうです。
そうでなくても、フラウィウス時代には死文化していたわけで。誰かがわざわざ禁じた
のかどうかは微妙ですね。あるのかも知れないけれど、いつ誰がというのはわからない。

ふと思ったのですが、ユダヤ教も古代においては近親婚についての規定はそこまで厳し
くないと思うんですよね。ヘロデ王朝においては叔父・姪の結婚はザラなので、多分、
そこはOKだったんですよ。兄弟姉妹は同母・異母を問わずないみたいですけど。
イスラムなんかはまあ、従兄妹同士の結婚が理想とされてますよね。で、ローマでも、
キリスト教が主流(?)となったコンスタンティヌス朝でも、たとえばユリアヌスとヘレネ
とか、従兄妹同士の結婚はOKなわけでしょう?ということは、もしかしたら、キリスト
教の規範であった、というよりかはむしろ、ゲルマンとかその辺りから入った思想なの
かなあ、とか思うんですが。どうでしょう?

879真奈美:2003/12/12(金) 19:47
うーん私も詳しくはないので情報提供はできなくて興趣区いえ恐縮です
(なんだこの変換は)。ゲルマンは血族の絆を重んじた、キリスト教は
結婚の絆を神聖視した、だから同じジークフリート物語でも、「エッダ」
「サガ」ではヒロインは兄弟の敵である夫を殺し、中世文学の「ニーベルンゲン
の歌」では夫の敵である兄弟を殺す、と解説されています。
(これ、テストに出したことあります)−−思い出すのはこんなとこです。

880カイザー:2003/12/13(土) 16:43
ユリウス・クラウディウス朝とヘラクレイオス朝じゃ、500年以上違います
もんね。
ユスティニアヌス1世時代に「ローマ法大全」という形で編纂されてますが、
どのぐらい連続性を持ってローマ法が運用されてたのかとか、全然知らないで
す(汗)。

キリスト教が近親婚にうるさいというのは、何となく記憶してましたが、7親
等までダメとは知らなかったです。王家同士の政略結婚で、従兄弟ぐらいの結
婚なんて普通にありそうなんですけどね。そうでもないんでしょうか?
とりあえず、テオドシウス朝なら「はとこ」で結婚してますね。ヴァレンティ
ニアヌス3世はテオドシウス1世の孫で、皇后エウドクシアはテオドシウス1
世の曾孫です。

881カイザー:2003/12/13(土) 16:47
テオドシウス1世の息子ホノリウスは、テオドシウス1世の姪と政略結婚した
スティリコの娘と結婚してるから、これも「はとこ」の結婚になりますね。

882マッティアス:2003/12/14(日) 13:26
近親婚についての規定(というか離婚したりするための方便かも?)が厳しかったのは、
何となく、中世カトリックだけ、っていう気がしないでもないです。で、確か12世紀
前後は7親等というのが建前で、でも実際にはそこまで守られていないカンジですね。
離婚したくなった時には、それを持ち出せば教皇からあっさり認定されやすいという。
キリスト教の結婚観とかは、たまに何じゃあこりゃあ、てのが多いです。
17〜18世紀頃の性的不能者裁判とかがいちばんヤダ。←これは本が出てますね。
前にも書きましたが、エジプトでは近親婚(兄弟姉妹間)は庶民でも3世紀まではあった
そうですから、その後なくなったとしたら、キリスト教の影響なのか、ローマ化が
進んだ影響なのか、興味あるところですよね。

883カイザー:2003/12/15(月) 21:16
ローマ人の物語の新刊、買ってきました。もちろん、前巻は読破してません(笑)。
どうやら、セヴェルス朝から、ディオクレティアヌスの登場までを扱っている
ようですね。
普通に面白そうですね。

今、中世カトリックのローマ帝国(というか神聖ローマ帝国)の歴史を思い返
して気付いたのですが、ザクセン朝のオットー1世は、オットー2世と数える
のが古代ローマファンの嗜みなのでは?
もちろん1世は、ネロのお友達だったオトさんです。
世間は賛成してくれなくても、マッティアスさんは賛成してくれますよね!?(強要)

もしかして、オトとオットーは別の単語だっりしたら、ゴメンしてください(笑)。

884マッティアス:2003/12/15(月) 22:25
大丈夫です。オト=オットーですよ。私、以前オペラのタイトルで「ドイツの王オットーネ」
(多分そんなタイトル)をうっかりローマものに分類しそうになりましたが。他のオペラで
オトはオットーネになってたから間違いないです。
オットーをオットー2世とすることよりも、神聖ローマ帝国をローマ帝国とするのに抵抗が
あるんですけど。教皇が一体何の権利があってローマ帝国を新たに作るっていうんです?
ローマ帝国ならコンスタンティノポリスにあるのだけで充分です。認めません。
なんて、ちょと反対してみましたv

885カイザー:2003/12/16(火) 01:11
いやいや、私が言いたいのは、蛮族風情がローマ帝国を自称してるくせに偉大
なる(?)オト陛下の存在を無視してるとはどういうことやねんというツッコ
ミです(笑)。
実はオットー1世はオトの存在を知らなかったというような気もしますが(笑)。

私も昔は神聖ローマ帝国をローマと呼ぶのに抵抗があったのですが、最近東ロ
ーマ皇帝とローマ教皇の関係を調べてて、カロリング帝国とそれに続く神聖ロ
ーマ帝国もそれなりに正統性があるかなーと思いつつあります。
軍人皇帝時代の僭帝と、カール大帝やオットー1世がどう違うのかというと、
別に違いんですよね。
ローマ教皇とローマ市が承認したら、皇帝と言えば皇帝かなーと。属州が擁立
した皇帝みたいなもんだと。
かなり強引な論法ですが(笑)。

886マッティアス:2003/12/16(火) 10:39
オットーがオトを知らなかった可能性は大ですね。あるいは、オトはゲルマニアと対立
した皇帝ですから、ドイツではウィテッリウスのほうが重要でオトはいらないとか(笑)。
オトって、死に方がああでなかったら、きっと評価されなかった皇帝なんでしょうね。

塩野さんの最新刊、もう出たんですね。じゃあ、来年になったら図書館で借ります。
なにげにフラウィウス朝の巻だけ持ってますが。

887カイザー:2003/12/17(水) 20:49
オトは死に様で、得をした(ってのも変ですが)皇帝ですね。逆にディディウ
ス・ユリアヌスは死に様で、思いっきり損をした皇帝だと思います。
私、ディディウス・ユリアヌスには同情的なんですよね。評価してる訳ではな
いのですが。

中世ヨーロッパで、ローマ史の知名度って、どれぐらいあったんでしょうね?
いくらなんでも、カエサルやアウグストゥスの名前ぐらいは、ポピュラーだっ
たとは思うのですが。オトなんてマイナー皇帝(やっぱり偉大とは言えないか
な(笑))を、蛮族の王様が知らなかっても不思議はないかなーとか思うので
すが、オットー1世の父親ザクセン公ハインリヒ1世も東フランク王だった訳
で、カロリング帝国の後継者としてローマ皇帝に敏感であるべき立場だから、
知ってても不思議はないかなーとか、微妙なところです。当時の諸侯は、カロ
リング家が断絶した時に、ローマ皇帝の地位も同時に消失したという認識だっ
たのかなあ?
とりあえず、文盲だったというカール大帝は、オトなんて絶対知らない名前で
しょうけどね(笑)。

888マッティアス:2003/12/18(木) 10:56
ごめんなさい。話は戻りますけれども、おじと姪の結婚を禁止した法律、ありました。
意外と身近(?)なトコで、ネルウァが出した法令です。そのあと廃止されてなければ。
当然のことながら、人々はドミティアヌスへのひそかな攻撃、ととらえたようです。

シャルルマーニュは本人が文盲でも、宮廷人に知識人を集めたり、ハールーン・アッ
ラシードと交流を持ったりしているので、知っていてもよさげですけどね。
キリスト教と関連の少ない皇帝は一般的にマイナーかもしれませんよ。

889カイザー:2003/12/19(金) 21:52
ネルヴァもそういうことしちゃうから、監禁されちゃうんですね。反ドミティ
アヌスと親ドミティアヌスの両派閥に囲まれた皇帝って、そんな立場イヤです
ねー。

カール大帝の時代にどれぐらいローマ史の知識が一般的だったのかは、よく分
からないんですよね。スエトニウス、タキトゥス、ディオ・カシウス、プロコ
ビウスなどの、ローマ史家の著作は流通してたのかとか根本的なところが、分
かってないんですよね。
でも、カールがローマ皇帝に即位して以降は、それなりにローマの歴史も押さ
えとこうと思ってかなとは思いますね。

蛮族の時代に古代ギリシア、ローマの知識はかなり失われたとかよくいいます
しねー。アーヘンに招かれたというイングランドの学者アルクインとかなら、
ちゃんと知ってて、カールに講義したりしたのかもしれませんが。

890マッティアス:2003/12/21(日) 15:47
アルクインは博学っぽいですよね。ゲイだけど(←関係ないだろう)。
ギリシア・ローマの知識は中世カトリック世界においては無用の物とされ、かなり大幅に
失われましたが、十字軍遠征のおかげで、イスラム世界経由で戻ってきましたよね。
いわゆる、十二世紀ルネッサンスです。これが一番盛んだったのが、異端者皇帝フリーリ
ヒ2世治下のシチリアです。フリードリヒがアル・アーディルやアル・カーミルを通じて
アフリカやシリアの猛獣や珍獣を輸入し、民衆に見せびらかした、というエピソードは何か
ローマの凱旋将軍や皇帝達が競技場で見せた示威行為と似かよっていますね。
フリードリヒは中世カトリック世界よりも、ローマ時代にいたらしっくりきそうな支配者
だと思います。タイプ的にはハドリアヌス系かな?

ネルウァにはなりたくないですね。ディオン・カッシウスとかによれば、ドミティアヌス
暗殺計画において、次の皇帝候補に挙げられたなかで、彼はかなりリストの下の方だった
といわれていますが。
例の洋書の著者は、「ネルウァはローマ市内(元老院)か、せいぜいイタリアの上流階級
のことしか知らなかった。無知が彼を大胆にした。」なんて言ってます。

891ローマ初心者:2003/12/22(月) 14:23
初心者ですがお邪魔させていただきます。
オトはマイナーな皇帝ですかーやっぱり。
生前の放蕩ぶりとあのかっこいい死に方のギャップとか
二面性があって結構人格的に興味があります。
女装癖って当時としては普通だったんですか?

892カイザー:2003/12/23(火) 13:02
ネルヴァを評価する根拠って、結局の所はトラヤヌスへの継承しかないですか
らね。
そこに至る過程をネルヴァの明敏な政治手腕と考えるか、いきあたりばったり
の結果オーライと考えるかで、正反対の評価になるのも分かります。まあ、ネ
ルヴァを五賢帝に数えるのがそもそも無謀というか(笑)。

フリードリヒ2世って、面白い立場の人物ですよね。
アル・カーミルと彼が仲良しさんだったのは知ってましたが、ヴァレリー様と
もお友達だったんですね。
それにしても、そんな危険人物なフリードリヒを全盛期の教皇と言われるイン
ノケンティウス3世が推挙したっていうのも、不思議ですね。血縁で選んだと
いうのもあるんでしょうが、本性を見抜けなかったのかなあ?

893カイザー:2003/12/23(火) 13:09
>ローマ初心 さん
初めまして、掲示板への書き込みありがとうございます。

オトは『ローマ皇帝』というカテゴリーの中なら、知名度は上から数えた方が
早いそこそこメジャーな皇帝だと思いますが、ローマ史に関心がないような人
が知ってるような名前ではないでしょうね。

女装癖の普及率はどうなんでしょうね。
元老院議員とかのローマの支配層が、女装したりすると眉をひそめられたとは
思いますよ。
女装した男娼とやることやる(?)のは、OKでしょうけど(笑)。

894マッティアス:2003/12/23(火) 23:49
☆ローマ初心者さま☆
マルティアリスやらユウェナリスの風刺詩でもオトは取り上げられてますが、両者の
評価は正反対ですね。マルティアリスなんかは、彼の死を称えて、「ウティカのカトー
よりも偉大だ」みたいなことを書いてますが、ユウェナリスは「汝は楯よりも鏡を誇り
とした」とか、オトの女装癖というか化粧(美容)への入れ込み具合をけなしてます。
少なくとも、女装癖っていうのはメジャーではなく、男娼がやることで、風刺詩によく
出たからと言って、本当に流行っていた訳ではない。むしろ、そういうものに対して、
不寛容な時代ほど、辛らつに風刺(揶揄)される、みたいなことを本村俊二先生が言って
いましたね。

オトは一応、プルタルコスに取り上げられてるし、どちらかといえば知名度は高いです
よね。でも、皇帝になった事やその死に様はローマ史ファンにこそ有名ですが、一般的
には、ネロに妻を寝取られた、というエピソードのほうが有名だと思います。

895マッティアス:2003/12/23(火) 23:59
>フリードリヒ2世
インノケンティウスが彼を押した当時は、まだ若くて何の業績も無い頃だから、本性が
見抜けず、ライバルの皇帝候補のほうが危険に見えたのではないかと思います。
猫かぶっていた可能性も高いと思うし。

>五賢帝
五賢帝とか言って、本当に有能だったっぽいのはトラヤヌスとハドリアヌスくらいです
よね。マルクス陛下は能力はあるけど、性格的に戦時の皇帝向きではないし。
しかし、ハドリアヌスも危なかったですね。危うくドミティアヌスの二の舞。記憶の断罪
をされかねなかったとは。有能だろうと何だろうと、人付き合いがうまくないと損だって
ことですね、皇帝でも。エキセントリックだったり、孤独癖がある人は辛いですね。

896ローマ初心者:2003/12/24(水) 11:54
レスありがとうございます。
オトはそこそこ有名な皇帝だったんですね。
めちゃくちゃマイナーかと思ってたんで以外でした。
オトの事は最初寝取られたエピソードぐらいしか知りませんでした。
また教えてちゃんで申し訳ないですが
彼は元老院議員だったんですか?(ルシタニア総督になる前)
あと女装癖は風紀の乱れたローマでは当たり前かと思っていたら違うんですね。

897マッティアス:2003/12/24(水) 21:33
オトは確か、ルシタニア総督になる前って何も役職についた経験がなかったはずです。
彼の兄ティティアヌスは52年の執政官ですから、バリバリの議員ですけど。
まあ、ルシタニア送りになったのが26歳ですから、一般的にいって、せいぜい財務官
(クアエストル)くらいしかつけないはずですが。なので、議員ではないでしょう。
ただのネロの取り巻きでご学友で、悪友で元カレです(笑)。

ちなみに、ドミティアヌス治世に亡きオトの誕生日をこっそり祝っていたかどで処罰
された、オト・コッケイアヌスは、ティティアヌスとネルウァの姉妹の間に生れた子
です。皇帝の家系って意外とつながってるんですよね。

898カイザー:2003/12/28(日) 10:33
>風紀の乱れたローマ

例えば軍旗が乱れた軍隊というのがあったとしても逃亡兵を処刑したりはする
訳で、主流派は基本的に保守的なもんです。今の日本でも、援助交際なんかを
肯定的に評価するなんてのは、一部の偏った知識人ぐらいのもんでしょう。

もう一つ気になるのは、ローマの風紀は乱れていたと本当に推定出来るのかと
いうこと。
当時の大国には後漢なんかもありますが、当然そういった所でも売春もあれば
政治腐敗もある訳で、目立ってローマが退廃しているということはないと思い
ます。
ローマの(しかも前期帝政という安定した時代の)風紀が乱れていると仮定す
るなら、それこそ中世ヨーロッパでもイスラム世界でも現代の日本でも風紀は
乱れていると思うのですが。
塩野七生さんは、いくらなんでも共和制時代のローマを美化しすぎだと思って
います。

ドミティアヌスの時代にオトの誕生日を祝うと罰せられたというのも不思議で
すね。ウィテリウスなら明らかにフラウィウス朝から見たら重罪人でしょうけ
ど、オトやガルバなら正統性を認めても良さそうなもんなんですが。
政治的野心を疑われちゃったんでしょうか?
そういえば、ウィテリウスは記憶の断罪処分はくらってなかったんでしたっけ?

899マッティアス:2003/12/28(日) 20:47
記憶の断罪って、ネロの次はドミティアヌスじゃないですかね?多分。
オトの誕生日を祝うってことは、ある意味神格化された皇帝への礼拝と同等の行為と
見なされるということかな、と思っています。それがまた、執政官級の甥でしょう?
政治的野心、乃至はドミティアヌス体制への批判と取られたのではないかと思います。

ローマの退廃については、カイザーさんのおっしゃるとおりだと思います。
いずれにせよ、ある程度文化レベルが進むと、悪所というのは出てきますよね。それに、
それが普通のコトではなく、揶揄や批判・処罰の対象となったということは、ある程度
の人がそれを行っていたにせよ、大方はそれをまずい、と思える風潮とか良心があった
ということに他ならないわけですよね。
塩野さんの共和政マンセーも大変の物ですが、じゃあカエサルってどうなのよ?と問い
詰めてみたくなりますね。

900カイザー:2003/12/29(月) 12:10
ウィテリウスは記憶の断罪処分されるほどの皇帝でもなかったんですね。
そういえば、ガルバ、オト、ウィテリウスの3人は死後神格化もされてないん
でしょうか?

カエサルの様な道徳心が欠如した人間が独裁者になるのは、風紀が乱れている
と言えますよね。ローマ国内の女性関係とか借金しまくりもそうですが、クレ
オパトラなんていうエジプトの女王を愛人にして子供を作ったりするのを『道
徳的』に好意的に評価するのは不可能でしょうねー。
偉人が道徳的であるかどうかなんてことを評価の基軸にしたりすると、偏った
見方になっちゃうんですよね。結局、現在の価値観で断罪する様なことになっ
ちゃいますし。

901マッティアス:2003/12/31(水) 00:47
>ガルバ、オト、ウィテリウスの3人は死後神格化もされてないんでしょうか?
されてるはずはないと思うし、わざわざ記憶の断罪もされてない(可決されたとして
実行する暇もない)気がします。でも、オトはネロの復権を宣言していたような気が
しないでもないです。記憶が曖昧ですみません。本を確認してないので。

カエサルはねえ。むつかしいですねえ。クレオパトラの件は、彼が彼女を妻にしたい
とか言い出さない限り、手を出してガキができるくらいのことはおっけーなんでしょう
ねえ。当時の感覚では。塩野さんは子供を認知させようとしたり、カエサリオンを彼の
後継者だと主張したクレオパトラのことを、ローマのことがわかってない、とか批判
していましたが。クレオパトラだってエジプト女王として、少なくとも私生児を生む
わけにはいかなかったと思うんですけど。クレオパトラとカエサリオンについては、
評価がどっちかに偏ったものばかりですね。
それにしても、本当に政治家や英雄に道徳的観念を評価基準に加えるのは、相当無理が
ありますね。道徳家=名君なわけではないし。

902真奈美:2003/12/31(水) 16:45
当時のエジプトの人々はどう受け止めたのでしょうか、
女王が未婚の母になったということは。そのへんについて触れたのを
読んだ記憶はないですね。現代人からするとかなり世間体の悪いことの
ように思えますが。結局カエサリオンは即位してしまってるし。

903カイザー:2003/12/31(水) 17:06
残念ながら、今年中に1000レス達成は不可能ですねー(笑)。

ガルバ、オト、ウィテリウスはザコ皇帝扱いなんですね。ローマ帝国の概説書
なんかには絶対名前が挙がる皇帝達なんですけどね。

クレオパトラを責めるより、クレオパトラを愛人にして子供まで作ったカエサ
ルを責めるのが先だろうと私なんかは思いますね。カエサリオン誕生の知らせ
を聞いたカエサルは「あちゃー、やっちゃったかー」みたいなこと思ってたん
でしょうね。塩野先生は賛成してくらないでしょうけど。
エジプトの中だとアントニウスの後ろ盾もあったでしょうし、カエサリオンは
カエサルとクレオパトラの正統な子供として扱われていたんじゃないでしょう
か。
カエサリオンの正統性が認められなかったのは、ローマ内部の話であって、エ
ジプトは別の話なのでは。

904真奈美:2003/12/31(水) 19:01
エジプト内部で認められているならばエジプト王家の跡取りということで
かまわないんでしょうに。母の子としての地位を与えれば。
もしも生まれたのが女児だったら、ずいぶんあとの話は変わっていそうですね。

905カイザー:2003/12/31(水) 23:49
とは言っても、エジプトはローマの監視下に置かれた事実上の属国だった訳で
すから、いたずらにローマの反感を買うようなことをするのもやばいんですよ
ね。
クレオパトラの目算では、アントニウスがローマの覇権を握れば、カエサリオ
ンが王位を継ぐのもOKだと考えたんでしょう。結果論ですが大失敗でしたね。

クレオパトラは、アントニウスにもオクタヴィアヌスにも距離を取り、カエサ
リオンは人質としてローマに差し出し、ローマが望むならカエサリオンをエジ
プト王にするというぐらいの考え方だったらよかったんでしょうね。
クレオパトラも、エジプトがローマの属国にすぎないということを十二分に理
解出来ていれば、もう20〜30年ぐらいはローマから見逃されていたかもし
れませんね。

906マッティアス:2004/01/01(木) 00:50
あけましておめでとうございます。このスレもとうとう足掛け3年ですねえ。

クレオパトラは一応、弟のプトレマイオス13世(数あってるか不安)と結婚していたので、
未婚の母というのとは違うのですが、カエサルの子だというのを(周りはわかっている
でしょうが)はっきりさせておかないと、政敵であった弟の子というカタチになってしま
いますからねえ。それはイヤでしょう。
あとは、多分彼女の目算としては、ローマがあんなだと知る前は、最高権力者である
カエサルの子であれば、我が子はもうちっとマシな扱いを受けられるとか、エジプトで
王であることも、しっかり認められるみたいなカンジだったのでは?と思います。

ちなみにカエサリオンも一応、エジプトの共同統治者だったはずですよ。もう一人の弟
プトレマイオス14世だか15世が病死した後は。

907真奈美:2004/01/01(木) 06:35
謹賀新年

ええと、アキラスだのポティノスだのに担ぎ出されていたのが13世
(ああそうか、この弟の存在をすっかり忘れていた、ははは)、
そのあとまた結婚したのが14世、カエサリオンは15世。
この弟たちも影薄いですね、アルシノエのほうがまだ勇ましい。

やはり淀とイメージ重なるなぁ。

908カイザー:2004/01/01(木) 20:54
新年明けましておめでとうございます。

カエサリオンがエジプト王になってプトレマイオス15世だかになったという
のは、どこかのエジプト史の本で見た覚えはあります。まあ、カエサルの子供
でさえなければ、別にクレオパトラの子供がエジプト王になっても問題はなか
ったんでしょうね。
クレオパトラからしたら、カエサルの子というのが武器なんでしょうが、ロー
マはカエサルの国ではなく衰えたとはいえ元老院が支配する国だというのを分
かってれば、また違った選択肢もあったかもしれないのに。
やっぱり、クレオパトラはエジプト一国の安泰だけを考えてなかったのかなあ?
アントニウスに肩入れしたりとか、カエサリオンを王位に継けたりとか、単な
るエジプト王を超える野望を持っているとローマに疑われたら、いずれ間違い
なく滅ぼされるだろうというのは目に見えていそうなものなのに。

909マッティアス:2004/01/02(金) 23:30
カエサルやアントニウスに肩入れは止むを得ないと思いますよ。宗主国のトップに財力
なり兵力の提供を命ぜられたら、断る訳にはいかないと思うし。断ったら、一国の安泰
も望めませんて。択ぶ側を間違ったと言うか。まあ、カエサリオンのこともあるから、
彼女がオクタウィアヌスと組む事はないですが。
ヘロデなんかは、両方の陣営をうまいこと渡り歩きましたよね。どっちとも友情が成立
してるんですよ。すごくないですか?
あとはねえ、多分、属国からは宗主国の政治システムなんてわからないので、どっちか
といえば王制のようにトップが一人、というカタチのほうが理解しやすいし協力もしや
すいでしょうね。だから、元首政時代のほうが他の国はローマと戦争も交渉もしやすい
んですよ。

910カイザー:2004/01/04(日) 00:22
そうですね、クレオパトラの命運はアントニウスという疫病神に目を付けられ
た瞬間に終わっていたのですね。アントニウスがやばくなった時に、クレオパ
トラを暗殺してオクタヴィアヌス派に乗り換えたりとかが、わずかながら残さ
れたプトレマイオス朝の延命策なんでしょうね。
確かに共和制のローマって重要人物が台頭しては失脚の繰り返しでしたもんね。
しかも、血縁で権力が継承されないですし、単純に独裁者を一本釣りする(の
が簡単ではないと思いますが)というより、『ローマという政府』を相手にす
るという外交交渉が望まれたのでしょうね。そんなの都市国家のまま強大化し
たローマぐらいのもんでしょうね。

911マッティアス:2004/01/07(水) 00:09
>共和政ローマ
やりづらいでしょうね、他の国は。ローマのトップだったり、そこに派遣された責任者は
コロコロ換わりやがるし、元老院とかいう厄介なものがあるから、いつ取り決めが無効に
されるかわかったもんではないですもん。

>アントニウス
前にも書いたかもしれませんが、私の師匠が言っていたのは、アントニウスとオクタウィ
アヌスの年齢が逆だったら、彼らの関係は良好なままだったのではなかろうかと。
アントニウスって、三国志に喩えれば呂布とか馬超系だと思うんですよね。だからトップ
よりも強力な武将としていたほうが、存在感とか価値があるカンジ。で、何だかんだで、
意外と上(カエサルとか)には従順だし、可愛げがあるからナンバー2のがいいんですよ。
オクタウィアヌスにはそういう愛嬌がないですからね。でも、もし彼が年長者でもう少し
余裕があって、20歳くらい下のアントニウスと組んだら、結構最強だったんじゃないかと
思います。まあ、そうなるとアグリッパの出る幕はないんですが。

912真奈美:2004/01/07(水) 09:41
アントニウスは、一武将でいることに納得していればハジを残さずに
すんだろうと思いますよ。脳筋でも活躍どころはあるのだし。適材適所の
できる上司がいれば。
先日、横山光輝の「史記」を少し読んだのですが、改めて、君主の幸せは
良い家来を持つことだと思いました。たとえ君主自身は凡庸でも、心がけの
良さ、賢い忠言を採用する分別があればだいたい安泰でいられますね。
(それにしてもこの作家も顔の描き分け決して多くない)

>アントニウスという疫病神に
きっと、アントニウスサイドから見ればクレオパトラが疫病神だったでしょうね。




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