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お気に入りのローマ皇帝
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わかりやすくまとめていただき、ありがとうございます(笑)。
ムラート2世の復位は、彼の意思というよりはむしろ、家臣団がいやがる彼を無理やり
復位させたというほうが正確ですね。だから、その代表であった大宰相はメフメト2世
と微妙に仲が悪く、オスマン研究の第一人者鈴木タダシ先生の言葉を借りれば、「大変
気の置ける」後見人だったんですよ。
安心して任せられないとか何とかではなく、戦争中に旗頭に立つのが、十代前半の小僧
では、士気が上らないからまだ壮年のアンタが戻ってくれよ、ってのは当然の要求では
あると思います。その頃のメフメト少年は戦争の経験ゼロだったわけだし。
ディオクレティアヌスの共治帝の名前が、マクシミアヌスだかマクシムスだか混乱し
ちゃったから、前回のカキコで書かなかったというのは内緒です(笑←じゃねえだろ!)
コンスタンティウス2世とコンスタンス1世もファウスタの子でしたか、その辺、もの
すごくわかってません。だめだ〜。がっくし。
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