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なぜエスペラントは普及しないのか?

1papageno:2008/01/04(金) 23:25:54
すでにいろんなスレッドで語られて来たことではありますが、単独のスレッドが無かったので立てさせていただきます。

いろんな視点からのいろんな意見を出して行きましょう。

51松戸彩苑:2008/02/15(金) 01:03:34
>>50
> みんながなぜエスペラントをやってるのか、よく分からないです。

私の場合は「たとえ使用者が少なくても、エスペラントで国際交流をやることには意味があ
ると思うし、また自分にとっても楽しい」ということがあるから、やってるんですね。

しかし「今のままでは問題が多すぎて、これでは広まるものも広まらない」「せっかくエスペ
ラントを始めたのに、学習途中で挫折したり eterna komencanto になってしまう人も少なく
ない」ということもありますので、あえて苦言を呈しているというわけです。

私にしても社会についてそれなりに考えてはいるんですけれども、そういったことは私的な
ことですし、また「革新だろうが、保守だろうが、ノンポリだろうが、現時点でエスペラントを
やろうなどと考えるのは、ごくごく少数の人間にすぎない」と思っていますので、エスペラント
運動とは切り離して考えるべきだろうと思ってるんですね。

52ベダウリンデ:2008/02/15(金) 09:53:22
松戸様、お答えを頂いて、とても嬉しいです。理由も分かって少し安心しました。
「自分にとって楽しい」というアピールが一番、一般人の共感を得やすいと思います。
私にとってもエスペラントの勉強は楽しいです。
Por mi Esperanto estas ludo.私にとっては遊び、です。

53ベダウリンデ:2008/02/15(金) 10:19:57
Mi fojfoje legas 'raporto.info’n. En ĝi skribas ankaŭ japanoj.
私は時々raporto.infoを読みます。日本人も書き込んでますね。

Por ni Esperanto estas ilo, per kiu ni ne nur ricevas novaĵojn de la tuta mondo,
sed ankaŭ sendas niajn novaĵojn al la mondo, ĉu ne?
我々にとってエスペラントは道具なんですよね。それを使って、世界中のニュースを受け取るだけでなく、
我々のニュースを世界に送るんですね。

Ni parolu plu pri Esperanto, por ke neesperantistoj sciu pri ĝi.
もっとエスペラントについて語りましょう、エスペランチストでない人達がエスペラントについて分かるように。

(Legi estas facile, skribi estas malfacile, paroli estas pli malfacile, ĉu ne?)
(読むのは簡単、書くのは難しいですね、話すのはもっと難しいんでしょうね?)

54Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/15(金) 21:21:33
わたしは英語が得意じゃないのでエスペラントでkomunikadoしています。
昔エスペラントの会に入っていたときはKamelioさんのようなボスの監視と
干渉と統制下に組織動員されるだけでしたが、今はインターネットのおかげで
外国のエスペラントと直接知り合って自由に率直に何でも語りあっています。

55Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/15(金) 21:22:27
わたしは英語が得意じゃないのでエスペラントでkomunikadoしています。
昔エスペラントの会に入っていたときはKamelioさんのようなボスの監視と
干渉と統制下に組織動員されるだけでしたが、今はインターネットのおかげで
外国のエスペラントと直接知り合って自由に率直に何でも語りあっています。

56Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/15(金) 21:23:57
すみません。55を削除してください。

57ベダウリンデ:2008/02/16(土) 17:16:46
>エスペラントでkomunikado
エスペラントの実用で最も楽しいのは、やはりそれなのでしょうね。
私も作文練習を(この掲示板もお借りして?)やらないとなーと思っているところです。
(練習と自覚してますので、間違い等あったら遠慮せず、教えて下さい)

暫くぶりにブログ村見たのですが、登録数増えてますね。
エスペランチストって 意外と日本にいっぱいいるんだ〜と思いますね。

58KamelioJapana:2008/02/16(土) 19:06:43
>54
何の根拠もなしに勝手に人の名を引用し、他人に誤解を与えるような書き方は
謹んで頂けないでしょうか。
これは公の掲示板ですので。。。
直接に言いたいことがあれば、私信でお願いします。

59Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/16(土) 20:10:06
「Kameliaさんのような」とは「"エスペラントの思想"に忠実に日中友好やら反核
やら憲法九条やらに熱心な」の意味ですが、何がいけませんか。
話は変わりますが、わたしの文通相手である某旧共産国のエスペランティストが、
エスペラント団体にまで浸透した監視と統制ののシステムについて語ってくれまし
た。その時の指導者がいすわっているので詳しいことはここでは書けませんが、
資本主義国でも左翼全体主義者(Kameliaさんのことじゃありませんよw)にのっと
られた団体は同じようになるんですね。

60松戸彩苑:2008/02/16(土) 22:59:05
山口誠(著)『英語講座の誕生』(講談社選書メチエ214 2001年)という、日本における
ラジオの英語講座の歴史を調べた本があるんですが、このなかにエスペラントに言及した
箇所がありましたので、引用・紹介しますね。

なお、引用文1のなかに「一八八七(明治三九)年」と書いてあったんですが、これは明ら
かに「一九〇六(明治三九)年」の誤りですので、訂正しておきました。
---

  【引用文1】

  大正一四年七月一二日付の東京朝日新聞に、ラジオ放送の「英語講座」を名指して批
  判する投稿文が掲載された(15)。「英語放送」と題したこの新聞記事は、「プルルル生」
  というラジオの電子音を真似たペンネームの読者による投稿を、新聞社が編集して掲載
  したものである。

  「プルルル生」はまず、「街に出れば横文字は必ず英語であり、鉄道省でも盛んに使うし、
  中学女学生の習う外国語は英語と相場が定まっている」という現状を批判して、「之じゃ
  日本はまるで英国か米国の属国じゃないか」と嘆く。「上手に使えば書物以上に文明促
  進に役立つ」ラジオでさえ、「昨今新聞に『JOAK、英語放送』の広告が盛んに」出ている
  始末で、「最新式機械を装置して宝の持ち腐れはもちろんのこと、折角の本放送も値打
  ちが下がるじゃないか」と憤っている。

  さらに彼は「元来、ラジオほど普へん性のあるものは少ない」と述べ、「雲の中はもちろん
  の事、工場であろうと、貴族の家にも、レストランの中にも、労働住宅にも教室にもここに
  も入って行く」のだから、「こんな平等なものは少ない。だからラジオで放送するものはど
  うしても多人数の為のものでなければいけない」とラジオ放送の公共性を主張する。こう
  した意見から、投稿の主は、ラジオの公共性に適うのは「もっと普へん性のある国際語」
  であるとし、英語ではなくエスペラント語の番組の放送を提案している。

  彼は外国語の学習については否定的ではない。学ぶべき言語を英語の代わりにエスペ
  ラント語にせよ、と主張しているのだ。エスペラント語は「今日では国際的で、三箇月でペ
  ラペラになれるほどやさしい、科学的な」言語であるという。

  エスペラント語は、一八八七年に公表された人工の国際言語であり、主にロマンス語や
  ゲルマン語やスラヴ語などの(つまり印欧語圏の)複数言語から共通性の高い単語と文
  法を採用し合理化して作られた。その基礎単語は一九〇〇語にとどまる。日本では、は
  やくも一九〇六(明治三九)年に「日本エスペラント協会」が設立されている。日本に紹
  介されて約二〇年後の大正末期では、エスペラント語の存在は既に知識階級の知ると
  ころとなっていた。

  さらに、「プルルル生」の投稿と関係があるのか不明だが、東京放送局は初年度に「エス
  ペラント語講座」という教養番組を放送したという記録が残っている。残念ながらこの講
  座に関する原資料は見つかっていないが、後の日本放送協会の機関誌である『調査時
  報』ではエスペラント語について間接・直接に言及する記事が幾度か掲載されている。
  こうした断片的な資料からも、放送局が英語だけでなくエスペラント語にも高い関心を持
  っていたことがわかる。だが、初年度以降に「エスペラント語講座」がシリーズ化された
  記録はない(16)。

  (15) 「東京朝日新聞」、大正一四年七月一二日、第三面。

  (16) 「プルルル生」が無自覚に主張するほど、エスペラント語は非政治的でもないし、
  どの国民にとっても等しく中立的な言語ではないのは明らかであろう。例えば、その文
  法はやはりヨーロッパ系の言語を骨組みとしているので、日本語を母語とする人が学習
  しても「三箇月でペラペラ」になるのは難しい。

  (56〜58ページ、239ページ)

61松戸彩苑:2008/02/16(土) 22:59:59
>>60 の続き)

  【引用文2】

  だが、こうした外国語を大量に発信する放送協会の方針は、聴取者たちの生活意識に
  反していたどころか支持されており、より一層の語学放送の拡充が求められていたこと
  を示す資料がある。それは「カレント・トピックス」が始まった一九三二年に日本放送協
  会と逓信省が合同して実施した聴取者調査『第一回全国ラヂオ調査』である。これはサ
  ンプリングという調査手法がなかった時代の、聴取契約者全員に質問票を配布した大
  規模な量的調査であり、一九三二年五月一日から八月末までの四ヵ月間で、一二三万
  三九〇八件の配布件数に対して約三〇パーセントにあたる三五万八〇三九件の回答
  を得ている(20)。

  この全国ラジオ調査で教養番組に寄せられた意見の約二割にあたる三二六四件が、
  「語学講座」に対する要望であった。その内訳は、語学講座全体の「時間増加」を希望
  するものが一四一件に対して「時間減少」は四一件。同じく「回数増加」を希望するのが
  三四五件に対して「回数減少」が三二〇件であった。さらに「種目範囲拡張」という別の
  項目では、「英語会話」の番組新設を望む声が三番目(二〇件)に多く寄せられている。

  ちなみに一位はエスペラント語で圧倒的多数の二二四件、二位はロシア語の四五件で、
  既にみたようにエスペラント語講座は東京放送局が開局した大正一四年度に短期間放
  送されたが、全国番組としてシリーズ化されたという資料はない。また「指導者選抜」とい
  う番組講師への希望を訊ねた項目では、「外国人講師の登用」を望む声が最も多く、ラ
  ジオ聴取者が持つ外国語への欲望(とくに話し聞く外国語の学習意欲)の高さをうかが
  わせている。

  この『第一回全国ラヂオ調査』の結果が刊行された一九三四年、放送協会は「英語会
  話」の全国放送を開始するのだが、この聴取者調査の結果と新番組の誕生の間に直
  接の因果関係を読みとることは難しい。だが、こうした資料から考えられるのは、満州
  事変後の時局化が進むこの時代でも、ラジオ聴取者の多くは外国語への違和感をそれ
  ほど持たなかったこと、それどころか独自の古典文学を持たず、基本的に会話をするた
  めに作られた人工言語であるエスペラント語の人気の高さと語学番組への外国人講師
  の登用を望む声に象徴されるように、話し聞く外国語への要求は決して低くなかったこ
  とである。

  (20) 逓信省・日本放送協会『第一回全国ラヂオ調査』、一九三二年実施(出版は一
  九三四年)。なお、調査票の配布と回収は郵便と受信契約料の集金人によったという。

  (169〜171ページ、246ページ)

62KamelioJapana:2008/02/17(日) 06:57:22
>59
はい、いけません。
この文は、前後の脈絡が無いと

「Kamelioさんのようなボス」

と読むのが日本語が分かる人の常識です。
それに「ボス」はそれ以下の一連の言及に連動しておりますから、この文を素直に
読んだ方は私に対する心証を悪くするでしょう。

楽様が何処のEグループに所属していたかは分かりませんが、余程ひどい心の傷を負ったのでしょうね。
私の知る限り、全体主義グループのようなEグループは日本では聞いたことがありませんが。。。
まあ、本人がそう思っているのなら、仕方ありませんが、そんなグループが日本エスペラント界を
象徴するものとは思わないでください。
いずれにせよそのようなグループで苛められたことはお気の毒と言う外ありません。

63Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/17(日) 10:42:33
左翼全体主義の概念を拒否する人にとってはエスペラント運動の中にも外にも
左翼全体主義は存在しないでしょう。無意味なことは言わないでください。
概念をめぐるいい争いなどくだらないからしません。
共産国が激減し、インターネットが普及した現在ではもう昔のやりかたはできなく
なっているでしょうが、ローカルなエスペラント会の役割は"エスペラントの思想"
の注入以外にはなくなったと言えるでしょう。

64KamelioJapana:2008/02/17(日) 17:46:30
>63
貴方が言いたいことは何となく分かるのですが、私は唯単に貴方の論理展開のおかしさを
指摘しているまでです。
問題を逸らさないでください。

以前にもありましたね。
例えば、

>山川均さんや荒畑寒村さんや宇野弘蔵さんの思想がザメンホフの思想と一致してるんですね。

というような決め付けですね。

何処から引き出した結論なのでしょうか。何処かにそういうことが書かれていたのでしょうか。
そうでしたら、私も大変興味のあることですから出処を教えてください。

ちなみに、

>左翼全体主義の概念を拒否する人

とは、誰のことでしょうか。もし、私に向けられているといるとした大誤解と言っておきましょう。
何の根拠も無く、自分の思い込みでなされているなら見過ごせない問題です。

こういう言葉のレトリックで論争相手の見解をあらぬ方向に捻じ曲げ、第三者にあらぬ疑いを抱かせ
かねないやり方は、貴方の嫌いなファシズムの宣伝者が昔よく使った手口なんですがね。。。

65ベダウリンデ:2008/02/18(月) 09:00:09
>64
Kamelioさん、そんなに怒らないで下さい。
54でRakuさんが「Kamelioさんのようなボス」と書いていますが、
私は、「Kamelioさんのような(意見を持った別人の)ボス」と読みました。
Kamelioさんは、この掲示板でも沢山ご意見をお書きになっているので、ご意見は大体分かります。(難しすぎて理解不可能な個所もありますが)
その意味では「○○さんのような」という書き方でも十分通じました。(別の人が自分と勘違いするかもしれないですが)

Kamelioさんがボスかどうか、と言う事は、私が掲示板をウオッチしてる限りでは、Kamelioさんが
どこかの会のリーダーをしてる、という自己紹介は見たことないので、そういう理解はしませんでした。
もし「ボス」と誤解されるのが嫌なら「私はボスではありません」で済むことです。

またKamelioさんは62で
>いずれにせよそのようなグループで苛められたことはお気の毒と言う外ありません。
とお書きになっていますが、54のRakuさんのコメントでは単に、(Rakuさんにとっては不本意な)組織動員をされた、としか書いてありません。
苛められたなんてどこにも書いてありません。それこそ、「何の根拠も無く、自分の思い込みでなされている」ことではないでしょうか。

また54のRakuさんのコメントは、50で私がした「みんながなぜエスペラントをやってるのか、よく分からないです。」
と書いたことへ答えて下さったもの、と理解してます。
「組織動員」がエスペラント会で普遍的に行われていることなのかどうかは、私には判断できませんが
Rakuさんの経験としては一つの真実、決して嘘ではないだろう、と私は読み取りました。
別の箇所でRakuさんは「国内のエスペランチストとは接触しない」という旨の事を書いてらして、
私は「なんで?」と思っていましたが、「そんな理由があったんだ」と納得できました。
むしろ不快な事を思い出させてしまって悪かったな、と思っています。

市民の趣味の会では、勘違いリーダーや「先生」が私利私欲で会員さんを利用しようとする事は
エスペラントの会に限らず、ありうる事でしょう。もしそんな会がエスペラント界に存在するならば、
「そのような事態はなるべく無くしていきたいものですね」とコメントすれば済むことです。

66KamelioJapana:2008/02/18(月) 09:53:31
>いずれにせよそのようなグループで苛められたことはお気の毒と言う外ありません。

Raku様がよく断定的になされる言い方を私が皮肉を込めて意識的にやってみました。
Raku様のこれまでの言動の中にいかに決め付けが多いかをこの投稿を続けて読んでいる
方はご察知のことでしょう。
彼には、残念ながら、この位言ってやらないと自分の言動に対する客観的的に見る自覚が
もてない様に私には思われるのものですから。。。

それに彼の意図はどう考えてもEsperantismoを貶めるものとしか思われないものが幾つか
在りますから、それが日本エスペラント界の大多数の真面目な活動家たちに泥を塗りかねない言動を
黙って見過ごすことは出来ません。

ベダウリンデ様は真剣にエスペラント拡大のための組織活動をしている方々とは未だ距離をおいて
おられるかも知れませんが、日々活動を展開している方々に誤解を与える言動には大変腹が立ちます。

67KamelioJapana:2008/02/18(月) 10:09:41
昔エスペラントの会に入っていたときはRakuさんのようなボスの監視と干渉と統制下に
組織動員されるだけでしたが、今は他のグル−プに参加したおかげで国内外の
エスペラント[イスト]と直接知り合って自由に率直に何でも語りあっています。

68Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/18(月) 12:48:25
>>67
それはよかったですね。

69KamelioJapana:2008/02/18(月) 16:36:47
>>68
本当によかったです。

70松戸彩苑:2008/02/18(月) 22:48:31
このスレのタイトルである「なぜエスペラントは普及しないのか?」という話に戻りますが、
エスペラントを長年やってる方たちは、どのように考えておられるのでしょうかね?

私は >>4 のように考えてるんですが、おそらくこの意見には納得しないでしょうし。

71ベダウリンデ:2008/02/19(火) 09:52:22
>>66
>日々活動を展開している方々に誤解を与える言動には大変腹が立ちます。
私はRakuさんの言葉だけで全てを判断しませんよ。
Kamelioさんの事はKamelioさんの書き込みだけを見て判断してます。
エスペラントのイメージアップにつながるような事を、負けずに書いてください。
このスレのテーマについても、是非ご意見をお聞かせ下さい。

72Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/19(火) 12:09:55
>>67
中国人と自由に率直に何を語り合ってるんでしょうね。

73Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/19(火) 12:21:00
そりゃ「自由に率直に」でしょうよ。中国は日本と違って言論の自由が保障されてる
国ですからね(笑々々々々々

74KamelioJapana:2008/02/19(火) 18:07:34
>>72
>「中国人」と自由に率直に何を語り合ってるんでしょうね。(注「 」は私が挿入)

「中国人」と言う加筆はRakuさんの幻覚か幻聴ですか。いったい脳内の思考回路はどう
なっているのでしょうかねぇ。
それとも意図的だとしたら全く真面目には「お相手する価値無し」ですね。
そういう方に対する対応は、それ相応のやり方があるのでしょうけど。。。

75松戸彩苑:2008/02/20(水) 06:52:23
こんな話もありますね。
http://www.liberafolio.org/2008/orbanesperanto

76KamelioJapana:2008/02/20(水) 18:38:06
私も読みましたが、こんなものでしょうね。公式な判断は。。。
EUにおける E の公用語化も未だ遠い道のりでしょう。

記事に関する様々なコメントも面白いです。

77Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/20(水) 19:56:37
う〜ん・・・・

78松戸彩苑:2008/02/21(木) 03:15:10
私の見るところでは、エスペラント界の人たちは「知識人」たちに自分たちの活動を理解し
てもらおうと努力しているようでありますが、しかしそれはうまく行くはずがないと私は思い
ます。
---

私の考えでは、知識人というのは「現代社会の枠組のなかの重要な一要素であるところ
の学校(公的教育機関)において、きわめて優れた成績をおさめた人」だと思うんですね。

つまり、これを言いかえれば「現在の社会のなかでも十二分に生きていける人」だという
ことです。

ということで「必要は発明の母」とは正反対の「必要でないことは、いくら頭が良くてもやら
ない」という事になってしまうんですね。

こういう人たちは「世間で広く認められているような問題」にしか取り組みませんし、当然
エスペラントなんかはまずやらないって事になるわけです。

もちろん例外的な人物もいないわけではないですが、しかしそういう人は、あくまでも「例
外的」にしか存在しないのですね。
---

このように言えば「エスペラント界だって、かなり高学歴ではないか」という反論が出てくる
と思います。
たしかにそうなんですよね。

しかし、こういう人たちについて調べてみると、ほとんどの場合は「若いとき、あるいは子供
のときにエスペラントに出会っている」んですね。

年のいった人ですと「これまで何十年も生きてきたけど、エスペラントなんて全然使われて
ないじゃないか」と思ってしまうわけです。
でも、これはまったく反論しようのない純然たる事実であって、世間においてはエスペラン
トは、古代エジプト語よりも目にする機会が少ないわけですから、そんなものが「国際共通
語」だなんて言われても「はい、そうですか」というふうに思えるわけがないのです。

一方、子供や若い人の場合であれば「世間には、まだまだ知らない事がたくさんある」と思
ってくれますから、面白そうだと思えば、けっこう話を聞いてくれるわけです。

私の見るところでは、20代だと、わりとエスペラントみたいなものにもそれなりに関心を持
つみたいですが、40を過ぎてしまうと、まずダメみたいですね。
---

それから我々は「知識人というのは、ほんとうに革命的な発明については、理解してくれな
いどころか、むしろ邪魔したりする事さえある」ということを知っておかないといけません。

例えばこれは、私がここの掲示板にかつて書いたことですが、19世紀末から20世紀初頭
にかけて、多くの人たちが空を飛ぶ機械を作ろうと努力していたのですが、その一方で「空
を飛ぶ機械などというものを作るのは理論的に不可能だ」と主張する学者がけっこういたん
ですね。

A・セント=ジェルジ(著)『狂ったサル』(サイマル出版会 1972年)という本によると、そうい
ったことを述べた論文が、フランス学士院で発表されたこともあったそうです。

で、そういった学者たちによる下らない議論は、自転車屋の兄弟でともに高校中退という
学歴のライト兄弟が1903年に実際に飛行機を発明するまで無くならなかったわけです。

この飛行機が発明されるときの事例と、現在のエスペラントの状況とを比べてみますと、ま
ったく同じなんですよね。

79松戸彩苑:2008/02/21(木) 03:16:13
>>78 の続き)

また、ザメンホフじしんも「国際語思想の本質と将来」という論文の冒頭部分で、よく調べも
しないで蒸気機関車に反対した知識人がいたということを書いてますね。

  蒸気の力とその効用が人びとに示されたとき、良識ある人なら誰も反論できないだろ
  うと思われた。けれども、蒸気の発明者は長年にわたって悪戦苦闘し、嘲笑に耐えな
  ければならなかった。さらに、ようやく目的を達成し、英国ではすでに三年間も蒸気機
  関車が運転されて多大の利益をもたらしているときになっても、ヨーロッパ大陸では学
  識者や学術団体までが、まず実態をよく調べもせずに深遠な論文を書いて、機関車の
  製造は子供じみた仕事だとか、実現不可能だとか、有害だなどと反対した。これは、
  いったいどういうことだ、と疑問が生じる。すべての人が流行性痴呆症にかかっていた
  のか。ほんとうにそういう時代があったのだろうか。そのとおり、そういう時代があった
  のだ。いまそれに驚いている我われだって、その時代の人びとよりも実際にすぐれて
  いるわけではない。我われの子孫も我われよりすぐれているわけでもない。腹が立つ
  ほどくだらない反対論や攻撃をしかけたこれらの人びとは、げんざいの我われの目に
  映るほど馬鹿ではなかった。彼らは、次の点で間違っていただけである。つまり、人間
  だれもがもつ生来の精神的惰性にわざわいされて、世に出ようとする新しい思想につ
  いて判断を下す気もなく、無難な笑いにまぎらせるだけにしておくか、それともそんな
  事業は実行不可能だとあらかじめ確信をもって一方的な判断に突き進んだのだ。彼ら
  は、この既成の結論に自分たちの議論をむりやり合わせようとし、その議論がまったく
  根拠のないことに気付かず、新思想を支持する人の議論に対して自分の頭に頑丈な
  錠前をおろしてしまう。だから、「万人が不可能だと認めていること」の可能性を証明し
  ようとする新思想の側の議論は、そういう精神的惰性に陥っている人びとには子供じみ
  た行為と見える。当時の彼らの反対論が今の我われに子供じみて見えるのと同様だ。

  (水野義明(編訳)『国際共通語の思想』15〜17ページ)

これだって、べつにザメンホフが嘘を書いてるはずもないのですから、やっぱり実際にあっ
たことなんですね。

そして考えてみれば、エスペラントというのは、飛行機や蒸気機関車に匹敵する(あるいは、
それら以上の)革命的な発明なのですから、飛行機や蒸気機関車とまったく同じように、知
識人から下らない批判を受けるのは当然なんですね。

なんで知識人がこういう馬鹿げた振舞いをするのかという事について私も考えてみたんで
すが、知識人というのは「本」をたくさん読んでるわけですが、「本」に書いてあることという
のは要するに「過去のこと」ばかりなんですよね。

で、ほんとうに革命的な発明については、当然のことながら「本」のなかには絶対に書いて
ないわけですから、若いころから「本」に全面的に依存することで社会の頂点で生きてこれ
た知識人には理解ができないし、また反感を抱かせる事さえあるのではないでしょうか。

ということで、知識人というのは「本」に書いてあるような「過去のこと」に関してはよく知って
いますが、しかし、ほんとうに革命的な発明を正しく評価させるのには、もっとも不適当な人
種なんだと私は思います。
---

それから、ここで「言語学」について一言述べておきましょうか。

私は高校生だったころから素人むけの言語学の本をたくさん読んできました。

その経験から言いますと、「現在の言語学は、エスペラントを理解したり、あるいはエスペ
ラントやエスペラント運動が抱えている問題について考えたりするのには、ほとんど役に
立たない」と思うんですね。

それは >>16-18 で引用した町田健というプロの言語学者の書いた文章を読んでみても
判ると思います。
しかし、この人なんかは、まだマシなほうなんですよね。
エスペラントについてロクに調べもせずに、もっといい加減なことを書いている言語学者が、
世間にはいくらでもいます。

それから田中克彦氏は『エスペラント ― 異端の言語』(岩波書店 2007年)のなかで

  正統の言語学をやったせいで、私にはエスペラントを冷ややかに眺めるくせがついて
  いた。

と書いておられるんですね(同書208ページ)。
理由は書いておられませんし、私にも理由は判りませんが、そういうものらしいです。

80松戸彩苑:2008/02/21(木) 03:17:06
>>79 の続き)

また、私はエスペラントの問題について長年考えてきたわけですが、はっきり言って言語
学はほとんど関係ありませんでした。
やはり「エスペラントはそれなりによく出来ていると思われるのに、どうして現実には、あま
り広まっていないのだろうか?」「学習途中で挫折したり eterna komencanto になってし
まう人が大量に出るのはなぜだろうか?」といった問題意識を持ちつつ、実際にエスペラ
ントを学習したり、エスペラント運動の歴史や現状について調べたりするといったことから
判ったことのほうが圧倒的に多かったんですね。

だいたい、エスペラント界にもプロの言語学者が何人かいるわけですが、そういう人たちで
さえも「日常生活に関する語彙・表現が不足・混乱している」といったことにまったく気づか
なかったのですから、現在の言語学なんてその程度のものだとしか思えないんですね。

さらに言えば、エスペラントをやっている言語学者でさえもこの程度なのですから、エスペ
ラントをやってない言語学者に期待をしたってどうしようもないとも私は思っています。
---

ということで、私が言いたいのは「知識人に期待するのはやめたほうが良い」ということです。
知識人をアテにせず、現在エスペラントをやっている人間でやっていかないといけないと思
います。

私はこのように考えていますので「娯楽を利用すべき」だとか「自分の家族や知人でもやり
そうな方法を採用すべき」だとか「宗教やイデオロギーを信奉している人たちならエスペラン
トをやるかもしれない」とか言ってきたわけです。

もちろん、知識人のなかにも数千人に1人くらいはエスペラントに理解を示す人がいるかも
しれませんので、そういう人は大事にしないといけませんが、しかしそれ以上増やせるなど
と考えてはいけないと思います。

知識人たちは結局、エスペラントを使う人間が実際に増えないかぎり、エスペラントを評価
しないんですね。
過去に知識人がエスペラントを評価したことがありましたが、私が見るところでは、そういっ
た発言は、エスペラントが盛んだった1920〜30年代とか1950〜60年代になされている
ものが多いように思います。
要するに、世間の流行に合わせてたってだけなんですね。

しかし考えてみれば、知識人といったって、エスペラントに関しては完全に「素人」なんです
から、これは当然なんですね。
むしろ、そういう人たちにむやみやたらと期待するほうが間違ってるわけです。

これまでの私の議論から理解していただけると思いますが、私は(たぶん皆さんとは違って)
「知識人に対する幻想」というものをまったく持っておりません。
これは、栗本慎一郎氏の本を読んだせいでもあります。
詳しく説明するのは面倒くさいのでやめときますが、栗本氏のもともとの専攻分野である経
済学においても、厳密に考えてみると理屈に合わないことがたくさんあるらしいのです。
で、そこのところを指摘しても、旧来の経済学の信奉者たちはまったく反論しないんだそう
です。

そういった話をたくさん見てきたので、知識人がエスペラントを理解しないのを見ても、私は
ぜんぜん驚かないんですね。

このような結論は、皆さんにとっては信じたくないものだろうと思います。
「上手に説明すれば、わりと簡単に国連やEUに採用してもらえるんだ」と本気で信じること
が出来たからエスペラントをやってるという人がかなりいるように思われるんですが、残念
ながらそういうことは絶対にありえないと思いますね。

(終わり)

81ベダウリンデ:2008/02/21(木) 16:00:00
>>75
私も(読めることだけざっと)読んでみましたが、誰か要約してくれると、一般の人にも話が通じて面白いと思います。
EUの人、マトモだよ、と私は思いました。(最近エスペラントの面白さに幻惑されそうになってたから、ハッと我に返った感じ)
我々は道楽とか思想(これだって立派な道楽)でやってるんだから、
これをEU共通言語にしろだなんて、アツカマシイです。

82papageno:2008/02/21(木) 19:16:29
ややお久しぶりです。私は飛行機や蒸気機関車の話から、どちらかというとエスペラントより翻訳機のことを考えてしまいますね。「(高精度の)翻訳機など不可能だ」という声を時折聞きますが、飛行機や蒸気機関車は不可能だと言った人々と何が違うんでしょう?

83Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/21(木) 21:22:49
papagenoさんお久しぶりですね。ブログの更新もありませんしどうしてらっしゃ
るのか心配してました。お元気そうで何よりです。
ところでなぜエスペラントにそんなにこだわられるのですか。エスペランティスト
が翻訳機の開発を妨げているわけではないのですよ。papagenoさんのお考えなら
翻訳機の完成を座して待つか又はみずからその開発に参加されるのがいいので
はないでしょうか。わたしは嫌味や皮肉を申し上げているのではありません。
ほんとに不可解なのです。


84Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/21(木) 21:25:57
>>81
現在の世界はものすごい変化の渦中にあります。この変化がエスペラントを
最終的に葬り去ってしまうのか新たな生命力を付与するのか予測が付きません。

85松戸彩苑:2008/02/22(金) 02:19:48
>>81
そうなんですよね。

つまり私の言いたいのは、たとえて言うならば、エスペラントは「草野球」レベルで良いの
か、それとも「プロ野球」レベルを目指すのか、どっちかにしろという事なんですね。

「草野球レベルで満足なんです」というのであれば、私だってうるさいことは言いません。
それだったら「楽しければ良いんじゃない?」って言いますよ。

しかし困ったことに、エスペラント界には「草野球レベルで楽しんでいれば、そのままプロと
して通用するようになるんだ」みたいに考えてる人がけっこういるみたいなんですね。
で、それに対しては「そんなことは絶対に無いよ」「それは甘すぎるよ」と言いたいわけです。

どう見たって、世間の人たちがエスペラント運動に求めているのは「理念」などではなく「使
用者の数」であるとか「実利性」だったりするんですね。
その証拠に、知識人だろうが、革新派の人たちだろうが、判で押したように「使用者はどの
くらいいるんですか?」とか「どんなことの役に立つんですか?」としか訊いてきません。
また逆に、エスペランティストが理念を説明したら、それを聞いて感激して、ただちにエスペ
ラント運動に加わったなどという話も、寡聞にして知りません。

ですから、学習途中で挫折したり eterna komencanto になってしまう人を減らしたり、日常
生活に関する語彙・表現を整備したりすることが「使用者の数」や「実利性」を高めることに
なり、世間の人たちにとっても(ほんのわずかながら)受け入れやすいものになるわけです
ね。

私ももちろん理念は大事だと思いますが、しかし「使用者の数」や「実利性」を高めることな
く理念を連呼しても(革新派の人たちからさえ)おかしいと思われてしまいますので、やはり
それは控えるべきだと思います。

86松戸彩苑:2008/02/22(金) 02:32:05
>>82
私は「高性能の翻訳機を作るのは永遠に不可能だ」などと断言するつもりはありません。

しかし、現在のコンピューターや翻訳ソフトのレベルを考えますと、現在の技術の延長線上
でそういったものを作るのは、ほとんど不可能ではないかと思うんですね。

スーパーコンピューターと呼ばれているものであっても、それはただ単に「計算が早い」「記
憶容量が莫大である」というだけであって、人間のように「言葉の意味を理解している」わけ
ではないわけです。
ですから、現在の技術ですと「オウムが言葉をしゃべっている」のと同じなんですね。

とは言っても、いつなんどきコンピューターが質的な大進化を遂げるか判ったものではあり
ませんし、また世間においては、エスペラントよりも翻訳機械のほうが前途有望だと思われ
ているということも無視できないとは思っております。

87ベダウリンデ:2008/02/22(金) 10:02:03
>>75のリベラフォリオの記事の話に戻りますが、お許しを。
EU多言語主義担当のレオナルド・オルバンさんという人が、ネットフォーラムでみんなの意見を集めたんだって。
エスペランチストも活発に書き込んだのですが、オルバンさんは、EUでのエスペラント使用を拒絶したんだって。
理由としては、新しい使用分野で専門用語を整備するのは、すごく大変だから。
あれもこれも「無」から作らなきゃならないから大変だろうって。
また個人的には「橋渡し言語」を信じてないんだって。エスペラントだろうが、ラテン語だろうが、英語だろうが。
「橋渡し言語」は社会言語学上、歴史的な自然発生現象だから、法律や政治で決める事じゃないんだって。
(私個人としてはこの部分がカッケーと思いました)

実態はどうかというと、EU公用語は、加盟国の憲法で認められた公用語なら、申請認可すればいいんだって。
(国が無いエスペラントはこの時点でボツ)
で、今23言語が公用語になってるらしいけど、実際は全部を全部に翻訳するのは無理なんだって。
多くのヨーロッパ人が分かる言語が、実際には主に使われてるらしいです。(英語、とは断言されていません)

で、エスペランチストの反論も載ってるのですが、予想通り「用語は整備されてるぞ」というもの。
「こいつ調べてないんじゃないのバーカ」的な、大変親しみやすい反応まで。
EU公用語の条件については「法を変えればすむ」。それはそのとおり。
また「後を考えれば節約では?」と、これもよく言われそう。
でも、「橋渡し言語」を法律や政治で決めて良いものかどうか、という事に関しては、ノーコメントでした。

以上、お勉強のため頑張りました。間違い、不足はご訂正下さい。

また、ここで私が疑問に思うのは、ヨーロッパのエスペランチストはどうやら、
「用語が混乱してて使えない」とは思っていないようだ、ということです。
松戸さんは常日頃、用語の不備を主張していらっしゃいますが、それは、対日本語に限っての話でしょうか?
ヨーロッパは大体同じ文化圏だし、物の呼び名が多少異なる、というのはあるかもしれないですが、
そんなに混乱する事があるのかな、と思いますが、いかがでしょう?

88ベダウリンデ:2008/02/22(金) 20:46:18
フォーラムそのものもリンクされてて読むことができますね。(未読ですが)
あのような公的な場で、エスペランチストがガンガン発言できるというのは、
何だかんだ言ってもヨーロッパは進んでますね。エスペラント健在なり、と世界に示してます。
日本ではあんな風に自己主張できるのか、疑問ですね。みんな大体、自己の世界(個人またはグループの)で満足してるから。

それから、私は今までEUの事なんて関心無かったのですが、
エスペラントやって、月並みですが「世界が広がり」ましたね。
英語でも一生懸命勉強してたら、同じ体験できたんだろうけど、
英語ではできなかった事がエスペラントでできた、というのは、やはり驚きです。

89松戸彩苑:2008/02/23(土) 11:03:38
>>87
> また、ここで私が疑問に思うのは、ヨーロッパのエスペランチストはどうやら、
> 「用語が混乱してて使えない」とは思っていないようだ、ということです。

「エスペラントには専門用語が不足している」と考えてるエスペランティストは、欧米にもい
るはずですよ。
専門用語を一生けんめい作っている人たちがいますし、また「〜用語を作る際の問題」の
ような題目の論文や講演が少なくありませんから、気づいてる人はちゃんと気づいてるん
ですね。

でも、そういう人はやはり、ある特定の分野の専門家にかぎられていて、エスペラント界の
なかでは少数派なんですかね?
---

私は、法律についてはまったくの専門外なので詳しいことは判らないんですが、しかし考え
てみますと、エスペラント界には、まともな「法律用語辞典」が無いはずなんですよね。

もちろん、たしかにPIVやNPIVには法律法語がいろいろと載ってはいますが、しかし、あの
程度では、実務に使うのにはぜんぜん足りないだろうと思いますね。

ネットで調べてみますと Esperanta Jura Asocio という団体があるらしいんですが、この団
体のサイトを見ても、まともに活動してるのかどうか、よく判りません。
(単に、サイトを管理する人がいないだけかもしれませんが)

http://es.geocities.com/ejaaeu/index.htm
---

私はこのように考えてるんですが、それでもエスペランティストたちが平然としていられるの
には理由があります。

それは彼らが、ザメンホフの言った

  「エスペラントは使っているうちに自然に発展する」

  「必要な語彙・表現が無いことに気づいたら、既存の語根を組み合わせれば表現できる」

という考えを、今でも固く信じて、まったく疑わないからなんですね。
こういったことを信じられる人は、語彙・表現の不足・混乱に気づいても「そのうち自然に解
決するさ」と考えることが出来ますから、いたって呑気でいられるわけですね。

で、言うまでもなく私は、このような考えに断固として反対しておりまして、こういった考えが
間違っているということを示すために、この掲示板にいろいろと書いてるわけなんですが、や
はり、カリスマ性の無い人間が頑張っても、なかなか判ってはいただけないようです。

90松戸彩苑:2008/02/23(土) 13:07:38
ということで、多くのエスペランティストたちは「使っているうちに自然に発展する」などとい
うことを本気で信じているから、「EUの公用語として直ちに使える」と思ってるわけですね。

つまり、たとえ不足している語彙・表現が少々あったとしても「使っているうちに自然と発展
する」のだから心配することはない、というわけです。
だから「まずEUで使ってみることが先なんだ」というわけです。

まったくとんでもないことが信じられるものだと私なんかは呆れているんですが、でも、エス
ペラント界では、これがふつうの考え方なんですね。
---

しかし、エスペラントの歴史をひもといてみれば、「テレビ」とか「コンピューター」といったも
のをエスペラントでどう表わすかということで、さんざん揉めているということが判ります。

つまり、複数のエス訳語が提案されてしまって、何年たっても一つに決まらなかったので、
どれか一つにしようと話し合いをしても、全員を納得させるような意見が出なかったという事
が何度もあったんですね。

もちろん最終的には、それなりの結論が出たわけですが、しかし結論が出るまでに、さんざ
ん揉めてるんですね。

こういった歴史を虚心坦懐に見てますと、とても「使っているうちに自然に発展する」などと
いう話が信用できなくなるんですが、しかし私以外のエスペランティストたちは、こういった
歴史を「もう済んだ話だ」とでも思ってまったく顧みないせいなのか、いまだにザメンホフの
説を信じて疑わないわけです。
---

このザメンホフの説を信じていますと、今後も困ったことが起きると、私は思うんですね。

たとえば、EUの公用語として採用されたとします。
で、当然、さまざまな用語を作っていくことになるわけですが、このときに100%すんなりと
用語が決まるとは、私にはとても思えないんですね。

だいたい120年もたつのに、エスペラント界には、まともな「法律用語辞典」が無いみたい
なのですから、急にこしらえたとしても、そううまく行くとは思えません。

で、うまく用語を作ることができない場合には、困ってしまうわけです。
なんせEUの公用語として採用されたのですから、これまでのように「自然に発展しますよ」
などと言って、何年も放ったらかしにしておくというわけには行かないからです。

このようになったとき、下手をすると、かつて「テレビ」や「コンピューター」のエス訳語をめぐ
ってさんざん揉めたとのまったく同じような対立が、用語を作っているエスペランティストたち
の間で生じる危険があるんですね。

私のように「ザメンホフが間違っているんだ」と考えられれば、たとえ意見が異なっていても、
それほど深刻にならないと思うんですが、エスペラント界ではザメンホフの考えは「真理」と
されていてまったく疑問視されていませんから、用語を作っていてうまく行かなかったら、そ
れは必ず「用語を作っている人間」の側に問題がある、というふうに決めつけられてしまうん
ですね。

ですから、仲間どうしであるはずなのに、たった一つのエス訳語をめぐって激しく対立してし
まうという、まったく悲劇的としか言いようのない事態が発生してしまうんですね。

私は、このような事態が発生してほしくないと思っているからこそ、「ザメンホフが間違って
いるんだ」と言ってるんですね。
もちろん、私がこう言ったからといって、エス訳語が簡単に決まるようになるというわけでは
ないのですが、しかし「仲間どうしで激しく対立する」という最悪の事態だけは回避できるの
ではないかと思うんですね。

91松戸彩苑:2008/02/23(土) 17:14:11
エスペラントを仲介言語として使って、児童書の翻訳をするって話がありますね。
http://www.liberafolio.org/2008/eubaratalibro

このくらいの事からやっていって、少しずつ信用をつけていくのが良いですね。

92ベダウリンデ:2008/02/23(土) 17:57:09
>多くのエスペランティストたちは「使っているうちに自然に発展する」などということを本気で信じているから
確かに、この掲示板上でも、「自然に」派が多いように見受けられました。

>つまり、複数のエス訳語が提案されてしまって、何年たっても一つに決まらなかったので、どれか一つにしようと話し合いをしても、全員を納得させるような意見が出なかったという事が何度もあったんですね。
この掲示板でもミニチュア版を見ることができますね。「日常生活に関する語彙・表現」のスレでは、
コンビニの訳語をめぐって、この板の有識者の皆さんが議論をしても、結局まとまりませんでしたね。
日本だけかと思ったら、レルヌ掲示板で欧米の初心者仲間達(みんな実力派ですが)が
database-driven websiteの訳をめぐって喧々諤々してますね。
エスペラント未進出の分野では、まだまだ訳語不足なのかもしれないですね。

テレビ、コンピューターなどは、外来語として、英語をそのまま取り入れちゃえばいいのに、
下手にエスペラントっぽくしようとしたから揉めたんだろうなーと思います。

93松戸彩苑:2008/02/24(日) 10:27:51
理数系の学問や医学というのは、国や文化による違いがありませんし、また用語も国際的
に統一されています。

それから動植物名にしても「学名」というものがありますから、こういったものをエス化するの
は、けっこう簡単なんですね。

ですから、現行のエスペラントの辞書には、一般人は母語でも一生使うことのないような学
術語が、ものすごくたくさん収録されてるわけです。

これを見て、エスペランティストたちは「エスペラントはもう十二分に発展している」と信じて
しまってるんですが、しかし私の考えでは、先にあげた以外の分野(つまり社会科学とか人
文科学など)の術語は、まだまだ出来ていないと思うんですね。

また、術語以外にも「生活に関する物・事」というのもそうです。

こういったものは「自然に発展する」などと考えて放っておくのではなく、意識的に整備して
いかないといけないと私は考えています。

94ベダウリンデ:2008/02/24(日) 10:51:43
「実社会」が存在しない、というのは、言語の発展においては非常に不利なんだろうな、と思います。
特に人工的に作った言語の場合、「国家」が無い、というのは致命的かもしれないです。
ヘブライ語が現代に復活したのは国家があったからでしょう。
法律用語などは国家の義務で真っ先に整備しなければならないだろうし、国民がIT社会に順応できるようになるには、
国民の言語でのコンピューターマニュアルは必要だろうし。
日本のように新語がサーッと社会に広まるのはマスコミのおかげだろうし。
エスペラントにはマスコミも無いし、裁判所もIT産業も無いから、なかなか発展しないのでしょう。

国家無き人工言語が永遠に「草野球」なのは宿命なのではないでしょうか?
みんなは実はそれを知ってて、「プロ野球」になりたい人なんていないのでは?
EUにアピールしてるのも単に「宣伝」のためであって、実際に要求が通るなんて、誰も思ってはいないのでは?

95Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/24(日) 13:05:30
松戸彩苑さんとベダウリンデさんのおっしゃってることが
本質を突いています。ミモフタモナイ話ですが( ̄。 ̄)ホーーォ

96松戸彩苑:2008/02/24(日) 13:32:19
>>94
> 国家無き人工言語が永遠に「草野球」なのは宿命なのではないでしょうか?
> みんなは実はそれを知ってて、「プロ野球」になりたい人なんていないのでは?
> EUにアピールしてるのも単に「宣伝」のためであって、実際に要求が通るなんて、誰も
> 思ってはいないのでは?

いや、そんなことは絶対にないです。
彼らは本気で信じているはずですよ。


> 「実社会」が存在しない、というのは、言語の発展においては非常に不利なんだろうな、
> と思います。

それはそうだと思いますね。

プロの言語学者がそろいもそろってエスペラントに否定的なのは、現在のエスペラントのよ
うな状態から国際語になった言語が、これまでにまったく存在しないからなんだと思います
ね。

しかし現在ではインターネットもありますから、頑張れば、かなり発展させることができると
思いますよ。

とにかく、「エスペラントはすでに十二分に発展している」とか「不足・混乱している語彙・表
現があったとしても、使っているうちに自然に決まっていく」といった神話を打ち棄てること
が先決だと思いますね。

97KamelioJapana:2008/02/25(月) 07:09:08
松戸様。
>「エスペラントは使っているうちに自然に発展する」
>「必要な語彙・表現が無いことに気づいたら、既存の語根を組み合わせれば表現できる」

ザメンホフの言及ということですが、私も何所かで読んだような気がしますが、
彼のUKでの演説集からでしょうか、それとも他の著作からでしょうか。
記憶が定かでありませんので、もう一度詳しく読み直してみたいと思います。
出処を教えてください。

98ベダウリンデ:2008/02/25(月) 08:38:09
すみません、私も質問なんですが、松戸さんがお忙しそうなら誰か別の人が答えて下さっても良いのですが

>エスペラントの歴史をひもといてみれば、「テレビ」とか「コンピューター」といったも
>のをエスペラントでどう表わすかということで、さんざん揉めているということが判ります。

具体的にどういう揉め事になったのでしょうか? 経緯を詳しく教えて下さい。
松戸さんの90のレスでは『「仲間どうしで激しく対立する」という最悪の事態』とありますが
そんなに酷い事態だったのでしょうか?

それが分かれば、「自然に決まる」派がなぜそういう主張をするのか、
というヒントにもなると思いますので。

(松戸さん質問攻めでかわいそうですが)

99松戸彩苑:2008/02/25(月) 23:25:10
>>97
出典は、ちょっと調べないと判りません。

これは pvz で読んだのだったと思うんですけど、エスペラントの最初期(1887年−1895
年)とか、Theophile Carl と論争したころ(1904年−1905年)とかに、エスペラントについ
ていろいろと言ってるなかで言ってたと思うんですが、ちょっとはっきりしません。

ただし、「国際語思想の本質と将来」のなかに

  人工語の第二の特質は、その完璧性である。言い換えれば、数学的精確さと柔軟さと
  無限の豊富さだ。

  人工語が自然言語より完璧であり、またとうぜん完璧であるはずだということは、次の
  事情を考えれば、誰にでも分かる。

と書いてから、エスペラントの造語力について論じている箇所はあるんですね。
(水野義明(訳編)『国際共通語の思想』55〜58ページ)

でも、これ以外にも言ってたように記憶してるんですが、調べてみないと判りませんね。
ですから、『Lingvaj respondoj』や、先に言及した箇所なんかを調べてみようと思います。
たしかに、うろ憶えの状態で議論をしてはいけませんね。


>>98
よく考えましたら「テレビ」の場合は、複数の語が提案されましたが、そのために特別に揉
めたという話はありませんね。
ということで、これは撤回させていただきます。

しかし「コンピューター」のほうは、これはずいぶん揉めています。

これについて日本語で読めるのは、フランソワ・ロ・ジャコモ(著)『言語の発展』(大村書店 
1992年)の214〜227ページですが、詳しいのは、エスペラントで書かれたバーナード・
ゴールデンの「Terminologia kaoso: komputilo, komputero, komputoro」という論文です。

これは『Centjara Esperanto』(Fonto 1987年)と『Akademiaj Studoj 1988-1990』(Esper-
anto press 1990年)に収録されていますが、後者のものでは167ページのところで割り
付けのミスをしてまして、本来くるべきはずの文章が無くて、その代わりに168ページの文
章があるという問題があります(つまり167ページと168ページの文章がまったく同じになっ
ている)。

それから本当に揉めた事例としては、1932年に出版された、エスペラントで詩作をする人
のための『Parnasa Gvidlibro』という本があるんですが、この本に収められた「詩語」という
のが議論の対象となったことがあります。

その他にも、論争というほどではないんですが、たとえば「tajp-ilo という表現は要らない。
skrib-maŝino で充分だ」といった話を熱心にする人がいたり、あるいは、新しい書籍や辞
書が出版されると雑誌に書評が出ますが、そのなかで新語を批判しているということが、
よくあったりするんですよね。

「コンピューター」の事例は、時間のあるときに簡単に説明してみようと思います。

100松戸彩苑:2008/03/01(土) 09:36:08
>>97 の KamelioJapana さんのご質問なんですが、土日もちょっと用がありまして、調べる
時間がほとんど取れないみたいなんですね。
ということで、ご返事はかなり遅れると思います。

ところで「こういうことをザメンホフが言ったかどうか」ということももちろん大事なんですが、
しかし「現在のエスペラント界において、こういうことが(ザメンホフの説として)絶対視され
ている」ということは事実なんだろうと思うんですね。

で、私は

(1) エスペラントの語彙・表現を整備していく際には
    「現代の文明社会に住んでいるふつうの成人であれば誰でも知っているような物・事」
    を中心に作っていくべきである。

(2) しかも、それらは「長すぎてはいけない」し、また「耳で聞いた際に、他の単語や表現
    と似すぎていて紛らわしいものであってもいけない」。

(3) そして、(1)(2)を実行していくうえで障害となるものは、たとえザメンホフの言ったこ
    とであっても間違っていると判断すべきである。

という行動指針を立てたわけですが、いろいろと考えてみても、従来のやりかたには問題
が多すぎると思ったんですね。

とは言っても、私はむやみやたらと新語根を導入すべしなどと言うつもりはないんですね。

具体例は「エスペラント改造論」スレにあげてありますので、そちらを見ていただいて理解し
ていただきたいと思います。

101松戸彩苑:2008/03/06(木) 04:12:55
私は >>78-79 で「飛行機や蒸気機関車についても、すなおに認めない知識人がいた」と
いうことを論じましたが、こういったものは最終的には認められたわけです。

そもそも実物があってちゃんと機能してるのですから、受け入れられるのは、まぁ当たり前
なわけです。

しかしエスペラントの場合には「世間にエスペラントを実用する人がたくさんいる」という状態
にならないと、「エスペラントは学習が容易で、なおかつ役に立つ」ということを証明できない
んですね。

現在でもエスペラントを実用する人間はいるんですが、世間からはほとんど見えませんし、
また伝書鳩などと同じで「一部の熱心なマニアがやってるもの」「一般的ではないもの」だと
しか思われてないのです。
だから、革新派の人たちからもほとんど支持されないわけですね。

(余談ながら書いておきますと、伝書鳩・ハム無線・郵趣は世間ではマイナーな趣味だと思
われていますが、これらの愛好者でそれらの団体に入会している人たちが、日本には数万
人はいるんですね)

ということで、エスペラントの有用性を証明してみせるのには「使用者を増やす」という困難
な作業が必要不可欠であり、飛行機や蒸気機関車などの有用性を示すのよりも、何百倍
も何千倍も困難なんですね。

で、私がこれまでに何度も言ってるように、せっかくエスペラントを始めたものの、学習途中
で挫折したり eterna komencanto になってしまうという人があまりにも多いのですから、こ
ういった人たちを減らすような努力が必要不可欠なわけですね。

ですから私は、なかなか筆が進まないのですが「エスペラントの学習法」スレで、そういった
ことについて書いているわけです。
---

それから私は

(1) 「理性」や「善意」といったものに過剰に期待するのはやめるべき。

(2) むしろ「楽しさ」や「面白さ」といったものを、エスペラントの宣伝や学習に利用すべき。

だと考えているわけです。

まずは(1)ですが、今までの宣伝というのは「理性」や「善意」といったものに訴えかけよう
というものだったと思うんですが、これまでさんざん頑張ってきたのにも関わらず、ほとんど
効果が無かったわけです。

そもそも、ビジネスライクにしか考えられない人たちはエスペラントなんかやるはずがありま
せんし、また社会問題などに関心のある人たちは、環境問題とか貧困問題といった「人の
生死」に関係のあるような問題には目を向けるでしょうけれども「国際的な言語差別」といっ
たものは人の生死とは直接的な関係はありませんし、それに何よりもエスペラントに信用が
無いのですから、やはりエスペラントの重要性が判らないんですね。

だいたい「エスペラントの素晴らしさ」とか「潜在的な可能性」とかいったものは、実際にエス
ペラントをやってみないことには絶対に判らないんですね。

ベダウリンデさんのように最近になってエスペラントを始められた方であれば「エスペラント
を実際に勉強してみて、それまではエスペラントの素晴らしさとか潜在的な可能性といった
ものをまったく知らなかったし想像することも出来なかったのだが、そういったものが実感
できるようになった」と痛感しておられることだと思います。

これは言ってみれば「食べ物の味は、食べてみないと判らない」「食べたことのない物の味
は、どんなに頭が良くったって絶対に判らない」ようなものなんですね。
たとえばオーストラリアには「ベジマイト vegemite」っていう食べ物があるんですが、私も食
べたことがないので、どういう味がするのかまったく判らないんですね。
みなさんだって、食べたことがなければ絶対に味は判らないわけです。

ということで「食べ物の味を、実際に食べることなしに、言葉による説明だけで理解させなけ
ればならない」とか「頭が良ければ判るはずなんだ」などとは誰も考えないのですが、しかし
「エスペラントの素晴らしさや潜在的な可能性について、言葉で説明すれば、少なくとも頭の
良い人たちには判ってもらえるはずなんだ」と信じて疑わない人は、エスペラント界にたくさ
んいるわけです。
しかし、どう考えても、それは無理なんですね。

エスペラントというのは「革命的」なものなのですから、その素晴らしさや潜在的な可能性が、
言葉による説明だけで十二分に伝えられないのは当たり前なんですね。
なんで、そんなことが判らないのでしょうか。

102松戸彩苑:2008/03/06(木) 04:13:59
>>101 の続き)

次に(2)の説明をしますが、この「楽しさ」や「面白さ」というものは、一般的には「理性」や
「善意」なんかよりも軽視されていると思うんですけれども、けっしてバカにしてはいけない
と思うんですね。

たとえば、日本のアニメやマンガが好きで日本語を勉強する人というのがいるわけですね。
もちろん、実利的な意味というのも皆無ではないんでしょうけれども、しかしけっして実利だ
けを求めているわけではないし、漢字の多い言語を勉強しようという気にさせるというだけ
でもすごいことだと思うんですね。

また日本には、韓国映画が好きで韓国語を勉強する人というのもいるわけです。

それからスタートレックのファンが、クリンゴン語を憶えるということもあるんですね。

このように見ていきますと、一般的には語学というのは「実利」や「生活上の必要性」のた
めに行なわれるものだと考えられていますが、しかし実際には「楽しさ」や「面白さ」を求め
てなされることもけっこう多いということが判りますね。

ということで、エスペランティストもこのような「楽しさ」や「面白さ」を求める力のすごさという
ものを素直に認めて、これをエスペラント運動のために利用することを考えるべきだと思う
んですね。

こう言えば「エスペラントは世界平和のための言葉なのに …」という反論が出てくることで
しょう。
それはたしかにそうなんですが、しかし「世界平和のためにエスペラントを普及させよう」な
どと言っても、革新派の人たちでさえ耳を傾けようとしないのですから、そんなことを言って
も仕方がないんですね。
私は何度も書いてると思うんですが、「世界平和のためにエスペラントを普及させよう」と言
って世間の人たちがすんなりと認めてくれるのであれば、私だってそう言うんですね。
でも、それは無理だということが判りきっているのですから、私はやらないわけです。

「楽しさ」や「面白さ」を利用して、曲がりなりにもエスペラントが使える人間を増やせば、世
間の人たちも「無くなったと思っていたけど、けっこう役に立つんだな」と思うでしょうし、さら
にレベルの高い活動を目指すこともできるわけですね。

そもそも「娯楽はダメだ」みたいなところがエスペラント界にあるから、新興宗教か、偏狭な
イデオロギーだと思われてしまうってこともあるわけです。

で、このようなことを考えますと、やはり「現代の文明社会に住んでいるふつうの成人であ
れば誰でも知っているような物や事」を表わす語彙・表現というものの整備も急務となるわ
けですね。
---

このようにしてでもエスペラントが使える人間を増やしていかなければ、エスペラントが世間
から認められる可能性は無いと、私は考えているわけですね。

今のままでは、飛行機や蒸気機関車などとは違って、世間の人たちから永遠にバカにされ
つづけるだけになってしまうと思うんですね。

逆に、エスペラントができる人が1000人に1人の割合でいるということになれば、世間にお
いても目立つようになって、馬鹿げた批判をする人間もいなくなると私は思うのです。

ということで、囲碁・将棋をやるような感覚でエスペラントと付き合うことができるような環境
をつくることが大事だと思いますね。

(終わり)

103ベダウリンデ:2008/03/11(火) 19:58:58
>せっかくエスペラントを始めたものの、学習途中
>で挫折したり eterna komencanto になってしまうという人があまりにも多いのですから、こ
>ういった人たちを減らすような努力が必要不可欠なわけですね。

エスペラントを始めたのに途中で放棄してしまう、というのは、
やってはみたものの、思ったほど面白い事が無かった、というだけかと思います。
eterna komencanto になってしまうという人、というのは、エスペラントまたはエスペラント「運動」を楽しいとは思っているものの、
やはり難しすぎて上手になれないだけだと思います。
私は今は堂々と「初心者」を名乗れますが、2年後3年後には「エテルナコメンツァントです・・トホホ・・」と言わなければならないでしょう。
英語など外国語が不得意だと、やっぱり限界あると思う。みんなにとって平等に簡単だ、というのは嘘だと思う。

問題は「やってはみたものの面白くなかった」のはなぜか、です。
率直に言うと、今のエスペラントには「面白くて楽しい」面はあんまり無い。
国際交流や外国人との交流が好きな人には向いていると思う。
「特定の国だけが好き」な人でなく、「幅広く好き」な人が特に向いていると思う。

ワールドフェスティバルみたいな、国際交流イベントは結構人気なので、日本人は外国好きだと思う。
私もそういうお祭り好きだけど、そこには民族料理の屋台や、雑貨のお店、舞台では歌や演奏、踊りなどがある。
そういうのが楽しいのに、エスペラントには、そういった、おいしい物や目や耳で楽しめるものが何も無い。
エスペラントは、ただひたすら「言語脳」だけを駆使する楽しさなので、
これを楽しいと思える人はすごく限られると思う。

外国人と文通するのは楽しいと思うけど、
一対一のやり取りは、日本語でも見知らぬ人とのやり取りは苦手なので、無理かも。
複数の外国人との交流にしても、「初対面なのに超フレンドリ〜」みたいな雰囲気だったらやだ。
私個人は、エスペラントにはあんまり向いていないと思う。
でも、掲示板とかちょっとしたニュースとか読むのは好きなので、
エスペラントにもそういうのがたまたまあったから、今はそういうのを読むのが面白くてやっている。
エスペラントは文芸が盛んだから、そういうの好きな人はいいかもしれないけど、私は詩とかは嫌い。
自分が面白くても、他の人も面白いとは限らないし、エスペラントの「楽しい」面って少なすぎる。

ほんと、みんな何が楽しくて何十年も続けていられるのか、聞きたいですよ。

104ベダウリンデ:2008/03/12(水) 09:45:02
そうそう、私はやんないけど、好きな人によっては楽しいだろうな、と思える事としては
エスペラントでブログを書く、とか、動画にエスペラント字幕を付けて投稿する、とか。
世界の人に読んでもらえるという、壮大な満足感が得られそう。
色々探せば、その人なりの楽しみは見つけられるかもしれないですね。
(もちろん、文通や交流パーティが好きな人だったら即楽しめそうですね)

それからもう一つ大きいのが「思想」ですね。
「英語が国際語になるのが何としても許せない」とか「言語の平等の実現のため自分も何かしなければ」とか、
何か崇高な目的があって、そのために敢えてエスペラントを選ぶ場合。
私にはそういう「思想的動機」は全く無いのですが、「思想を抱く」というのは、それなりに充実感のある事なんだろうな、と想像します。
日本の全人口の比から考えると、思想が常に頭の中心にある人は少数派だろうけど、エスペラント界では主流派かな? そういう印象。

105なつ:2008/03/18(火) 00:23:05
偶然目にしたんですが、「日韓基本条約」(昭和40)。
この最後に「...日本語、韓国語及び英語により本書二通を作成した。解釈に相違がある場合は、
英語の本文による」と、書いてあります。
この英語の役目をエスペラントができるか、ということなんですよね。
日韓が国交正常するという国家間で極めて重要なものを果たしてエスペラントができるだろうか。
語義にも文法にも揺れがあり、それを解決できるスベを放棄しており、逆にそれを誇りにさえ思っている
能天気なエスペランティストが多い中、とてもじゃない、、荷が重過ぎる。
例えばEU国家間の文書は翻訳できるという建前になっていますが、
そうでしょうかね、一つ間違えば大袈裟に言ったら戦争にでもなるような大事な文書を
本当に責任もってできるのか?甚だ疑わしい。

106胡人:2008/03/18(火) 08:15:00
日韓に関しては、米国がまとめているという証拠にほかなりません。
英語というより米国を背景としているという事ですね。

文法等に関してはUEAから独立した委員会があるのだから、それを基本にすれば良いのでは?
単なるボランティアとしてのE組織には荷が重いでしょうが、一つ間違えば…はちょっと大袈裟ですよ。翻訳と解釈の違いは良くあることでしょう。

EUが英語を公用語にするという事は結局米国の影響を免れなくなるという事もその選択を難しくしている要素の一つだと思われます。
責任ある組織、あるいはそういう状況が必要という事でしょう。

107なつ:2008/03/18(火) 23:30:47
>>106
ええ、仲介者がアメリカというのが前提の条約だから英語も一つの言語にはされているのですが、
そういうのを除いて、いいたいのは、条約の非当事者言語なのにその条文の正文書たりえるのかということです。

大袈裟?どういうレベルのことをお思いなのかな?
ガキの使いでエスペラントを使うというレベルを考えるか?それとも
侃々諤々外交でぎりぎりのところをつめていくものにでも耐えうるものか考えるのか?
私は後者のことをいっている。あなたは前者?

読み違いで実際、一大事になった、あるいは一つの要因となった可能性もありうるうというのが
日本においてさえあります。あくまでも逸話ですが、
「黙殺」をignoreと翻訳されたのを、原爆投下決定の一要因なった、とか、
(西郷隆盛について)ハヤク(早く)シサツシ(視察し)という電報を手にして、
刺殺しと読み間違えて怒った反政府側が西南戦争を決定させたとか。
解釈の違いで笑い話にならない事態は考えられます。
実際、日韓基本条約の「無効」という文言についていつから無効なのかで
日韓の解釈の相違があるそうです。(それは翻訳ではなくそれ以前のはなしですが)
対華21箇条の要求やリットン調査団報告書がエスペラントでやる責任はもてるのかです。
>>翻訳と解釈の違いは良くあることでしょう。
どういうレベルの話でしょうか
私の言ってるのは「internacioは国際じゃなくてintergentoの意味かハハハ
じゃ済まされない次元の話をしています。
>>文法に関してはUEAから独立した委員会があるのだから、それを基本にすれば良いのでは?
どこに権威をもたせるかの問題ですか?それは否定されていませんか

もっと視野の大きい話なんです
個人のメールレベルを思ってはいませんか?

108松戸彩苑:2008/03/19(水) 05:35:00
エスペラントって、国内レベルの政治のために使われたことも一度も無いんですよね。

そういうものが、いきなり国際政治の舞台で使えるなどと考えるのは、やっぱり無理がある
と思いますね。

109胡人:2008/03/19(水) 07:24:16
国内レベルには必要はあまり感じられません。

先日の日米間の条約、協定に関しても、日本的には玉虫色の翻訳をして、米国側の英文と差異が見られたと思います。
紛争間の調停能力がエスペラントにあるとは全く思いませんし、またそれは言語自体にその要因をもってくるのは違うと思います。それ以前の積み重ねであって、単なる引き金に利用されたというものです。

そういった意味で状況というものが必要と書いたつもりです。
現実にEU議会でそのために活動されている方々が多くおられるのも事実です。
それなりの確信がなくてはその活動を続けておられる訳がないじゃないでしょうか?

110なつ:2008/03/19(水) 18:07:52
>>109
非当事者の中立言語としてエスペラントが正式外交文書、
世界的規模の条約文言などとしてやれるのか、という疑問を言ってるわけです。
実にシンプルな主題なんですけど。

使うという状況に仮に明日なったら即、正式な外交文書に堪えうるほど、
語義や文法に整合性が既に具備されているということなんでしょうか。

>>現実にEU議会でそのために活動されている方々が多くおられるのも
どういう活動なんでしょうかね。
議事録の当たり障りのない翻訳ならできますよ。大きな流れの内容さえあっていれば
細かい差異は関係ありませんから。いい加減な洋画の字幕的でも分かればオーケーということです。
あるいは、翻訳すらせずに、「できるのだ!」とカルト的な活動もできるでしょう。
日本のエスペラント運動自体カルトがかったものが多いですし。

まあ、「できる」いや「できない」となって行きそうで、
水掛け論で終わりそうですね。

111KamelioJapana:2008/03/19(水) 19:14:30
横から失礼します。

>使うという状況に仮に明日なったら即、正式な外交文書に堪えうるほど、
語義や文法に整合性が既に具備されているということなんでしょうか。

松戸さんなんかも普段から言われているようにまだまだ未解決な問題はあるとは思います。
しかし、語義や文法に整合性がないという問題ではありません。あくまで専門用語の不足や
未整理といった様なことです。
E の歴史を見る限りこの種の公式文書は国連関係のものや、また E 界内部においても
近年ではプラハ宣言に代表される、UEAを始めとする各種団体の世界大会毎に出される宣言や
公式文書等でその有用性及び有効性は、粗、証明済みです。
EU議会の公式文書においても E が関わる機会が増えれば増えるほど徐々に不備不完全な
面が改善されて行くものと思われます。勿論そのためには多くのエスペランチストたちの
努力が必要とされるのは云うまでもありません。
しかし、そのことと E が橋渡し言語として耐えうるものかどうかとは無関係です。
E 自体は十分耐え得るポテンシャルを持っているものと私は考えています。

>議事録の当たり障りのない翻訳ならできますよ。大きな流れの内容さえあっていれば
細かい差異は関係ありませんから。

仰る趣旨は、当然 E についての翻訳であると思いますが、貴方の認識は E では当たり
障りのない翻訳しか出来ないだろうということでしょうか。
そうだとしたら全く認識を欠いたものだと云う他はありません。

>いい加減な洋画の字幕的でも分かればオーケーということです。

ついでですが、貴方はいい加減な字幕映画にしか出会ってはいないのでしょうか。
映画の字幕ほど適切に行うには難しい翻訳作業はないのですよ。
それとも E の字幕映画はいい加減だということでしょうか。

>日本のエスペラント運動自体カルトがかったものが多いですし。

貴方の認識も世間一般と変わりませんね。

112松戸彩苑:2008/03/20(木) 04:36:18
>>111
> E 自体は十分耐え得るポテンシャルを持っているものと私は考えています。

もちろん、それはそうですよ。
私だって「必要な語彙・表現を一生けんめい整備すれば、エスペラントはどんなことにでも
使うことのできる言語になりうる」と考えています。

しかし「そのような言語にするには、かなり頑張らないといけない」「今のようなやりかたを
していたのでは、とてもじゃないが間に合わない」とも思ってるんですね。

私は法律には詳しくないので、エスペラントの法律用語がどのていど出来ているのかよく
判らないのですが、日常生活に関する語彙・表現を見ているかぎりでは、今のようなやり
かたではダメだろうなって思うんですね。

たとえば『エスペラント日本語辞典』の skribaĉi の項を見ますと「書きなぐる、落書きする、
あしざまに書く」という訳語が載ってるんですが、しかしよく考えてみますと、この3つの概念
はまったく違うものなんですよね。
つまりエスペラントでは、このまったく異なる3つの概念を、文脈から判断しないといけない
わけです。

NPIVには「落書き」を表わす grafitio という新語根が載ってるんですが、『エスペラント日本
語辞典』の編者には「不必要」だと判断されたのか、載っていません。
私は必要だと思うんですけどね。

また『エスペラント日本語辞典』の aparato の項には radio-aparato という副見出しがあるん
ですが、これには「ラジオ受信機;無線機」という訳語が与えられているんですね。
当然のことながら、これもまったく違うものですね。

ということで、こういった例を見ていきますと「今のままではダメだよな」って思いますし、また
「日常生活に必要な語彙・表現だけがダメで、法律用語はちゃんと出来ているなんてことは、
まずありえないよな」とも思うんですね。

113KamelioJapana:2008/03/20(木) 09:28:57
>>112
松戸さんとはこれまでもイロイロと議論してきましたが、云ってみれば主観的見方の違いでしょうね。

これまでも具体的な例を挙げてこられて「日常生活に関する語彙・表現」の不足・混乱を指摘されて
来られました。
その殆どの事柄には私もなるほどと思います。そのこと自体は、所謂、客観的事実です。

しかし、主観の相違という意味は、我々の「昔の論議」を総括してみますと凡そ以下の2点になると
思われます(今、私の頭で考えられる範囲では):

1.優先順位。
私の見解は松戸さんが指摘してきた一連の問題は E界の進出分野が質量ともに限られているからで、
その解決のためには何よりも運動の発展が第一の課題であって、その逆ではないこと
(松戸さんの見解は語彙等の問題があるため運動が広まらないとい事を強調しておられる)。

2.評価の違い。
こちらの方が主観的というか、一連の問題をプラスに考えるかマイナスに考えるかの見解の相違が
大きいところでしょう。

例えば、

>たとえば『エスペラント日本語辞典』の skribaĉi の項を見ますと「書きなぐる、落書きする、
あしざまに書く」という訳語が載ってるんですが、しかしよく考えてみますと、この3つの概念
はまったく違うものなんですよね。
つまりエスペラントでは、このまったく異なる3つの概念を、文脈から判断しないといけない
わけです。

一つ指摘しておきたいのは、辞典の訳例は概念を整理はいたしますが、それを分けるものでは
決してないのです。分けているように見えても、実はそうではなくて、あくまで一つの言語における
単語の語義範囲が示すものを他言語において該当する幾つかの表現に置き換えたものだけなのです。

特に E の様な人工言語の場合にはハッキリと云える事ですが、諸民族語の伝統的慣用的表現の影響を
強く受けたもの(例、eldoni)以外は単語を構成する形態素が示す意味でのみ、その語義範囲は判断
されるべきものなのです。
skribacxiの意味はskrib-acxiという二つの形態素が絡み合う意味範囲を示しているとしか云えない
訳で上に挙げた日本語の三つの和訳は、いずれの表現もその意味範囲に該当するものであるいうこと
です。
三つ以外にも考えればまだあるでしょう。例えば、「ぞんざいに書く」等々。

諸言語間の語義範囲が全く一致することは日常表現においては稀といっても過言ではありますまい。
それに関してはここに投稿されている皆々様が例を挙げて書いておられる通りですね。
逆の場合も云える事でして、例えば日本語の「お菓子」に当たるものを E で表現するとなると、
sukerajxo, dolcxajxo, kuko, konfitajxo, bombono 等になるわけで、しょっぱい物を含めると
まだまだ違う表現も出てくるでしょう。こう言ったEの表す語が日本語の「お菓子」の概念を
幾つかのものに規定してしまうなんてことはありませんね。
これは当然他の諸民族語についても云えることで、云ってみればお互い様のことです。

前置きが長くなりましたが、要するにこの問題は、私の見解では E にとっては少しも弱点ではないし、
その論理性やその結果として学習面という観点からはむしろ、長所ともいえることだと考えています。
例えば、「文脈から判断しないといけない」ということは欠点なのでしょうか。
日本語の様な同音異義語(ピッチが異なるもの以外にも更に存在する)が多い民族語は文脈から判断
しなければならない場面が多々あるでしょうが、それが生活に不都合をきたしているなどとは
聞いたこともありません。

言語学的に云えば「必要は発明の母」と云うことでしょうか。
現に使用されている語彙の内容で欠陥が生じてきた場合には「生きている(活きている)言語」
である限り必ず是正されていくということです。

E は既に「生きている言語」です。従って、その欠陥を是正していくのも E が「生きて(活きて)
使用される人々の広がり」に規定されるものなのです。

EUで使用される頻度が多くなればなるほど不備等は是正されていくでしょう。
なぜなら、頻度が多くなるということは E 界の質・量の発展を意味しているからです。
尤も、私見ですが、現状ではまだまだ目標にはかなりの努力がいると思いますが。。。
いずれにせよ、私の観点では、E の前途は松戸さんのお考えより遥かに楽観的といえるかも知れません。
所謂、これが主観的相違と私が云いたいところです。

114Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/03/20(木) 11:51:43
話の流れを断ち切ってもうしわけありませんが、胡人さんが>>109
「国内レベルには必要はあまり感じられません。」とおっしゃたのは
どんな意味なのでしょう。他民族多言語国家でも必要ないという意味
でしょうか。だとしましたらザメンホフがエスペラントを作った動機とは
まったく相容れないお考えと思いますがどうなのでしょう。

115松戸彩苑:2008/03/20(木) 19:22:19
>>113
> 特に E の様な人工言語の場合にはハッキリと云える事ですが、諸民族語の伝統的慣用
> 的表現の影響を強く受けたもの(例、eldoni)以外は単語を構成する形態素が示す意味で
> のみ、その語義範囲は判断されるべきものなのです。
> skribacxiの意味はskrib-acxiという二つの形態素が絡み合う意味範囲を示しているとしか
> 云えない訳で上に挙げた日本語の三つの和訳は、いずれの表現もその意味範囲に該当
> するものであるいうことです。
> 三つ以外にも考えればまだあるでしょう。例えば、「ぞんざいに書く」等々。

エスペラントを観察しますと、「単語を構成する形態素が示す意味でのみ、その語義範囲は
判断される」などということには必ずしもなってないんですよね。

たとえば mon-ujo という表現がありますね。
これは理論的には「おカネを入れる、ありとあらゆる種類の容器・袋など」を表わすことにな
るはずなんですが、しかし現実には「財布」の意味でしか使われないわけですね。
「金庫」なんかは kaso、mon-ŝranko、mon-kesto などと言うわけです。

また libr-ejo という表現も、理論上は「本に関係のある、ありとあらゆる場所」を表わして良
いはずなんですが、現実には「本屋」「新刊書店」に限定されてるわけです。
「出版社」は eldonejo、「図書館」は biblioteko、図書館などの「書庫」は libro-tenejo、「古
本屋」は libro-brokantejo などと言うわけですね。

それから『改訂 新撰エス和辞典』の boli の項に bol-ilo という表現が載ってるんですが、
「湯わかし」「ボイラー」という2つの訳語が与えられていたんですね。
もちろん、どちらも「boli に関係のある ilo」なわけですから、どちらも間違いではないんです
が、しかし「湯わかし」と「ボイラー」が区別できないのでは不便です。
ですから Waringhien が編纂した『Grand Dictionnaire Espéranto-Français』においては
「やかん = bol-ilo」「ボイラー = bol-ujo」とされたんですね。
これが旧版のPIVやNPIVにも踏襲されまして、『エスペラント日本語辞典』にも収録されてい
るわけです。

それから「やかん」を表わす表現としては bol-kruĉo というのもあるんですね。
これは『Esperanta Bildvortaro』の 41/73 に載っています。

ということで、意味を限定したうえで使われている表現の実例をお見せしましたが、このよう
に意味を限定しておかないと、精密な意思疎通ができなくなるんですね。
現在の skrib-aĉi というのも、あまりにも多義的ではないかと思います。

116松戸彩苑:2008/03/20(木) 21:02:40
>>113
> 1.優先順位。
> 私の見解は松戸さんが指摘してきた一連の問題は E界の進出分野が質量ともに限られ
> ているからで、その解決のためには何よりも運動の発展が第一の課題であって、その逆
> ではないこと(松戸さんの見解は語彙等の問題があるため運動が広まらないとい事を強
> 調しておられる)。

意見の相違の内容については、まったくその通りですね。

で、私が語彙・表現の問題にこだわるのは、次のような理由があるからです。

(1) 世間の人たちは、「理念」や「理論」を前面に出した宣伝では、絶対に納得しない。
    革新派の人たちでさえも、こういった宣伝によってエスペラントを理解するようにはな
    らない。
    やはり「実際にエスペラントを使って、何かの役に立てている人がたくさんいる」という
    事にならないと、世間の人たちがエスペラントに注目するようにはならないと思います。

    言いかえれば、エスペラントは「実演販売」しないと絶対に信用してもらえないというこ
    とです。

(2) で、現在でも少数ながらエスペラントを何らかの役に立てている人はいるわけですが、
    しかし、たとえばエスペラント版 Wikipedia などの記事を書いているときに、必要な語彙・
    表現が判らない(あるいは、無い)ということがあったりするんですね。

    もちろん、特殊な専門語みたいなものであれば無くても仕方がないかなと思うわけで
    すが、現代の文明社会に住んでいるふつうの成人であれば誰でも知っているような
    物や事を表わす語彙・表現がはっきりしないということになれば、どう考えたって問題
    なわけですね。

    こういう問題があまりにも多いと、運動が盛り上がるわけがありません。
    ですから、こういったものについてみんなで考えることが必要だと私は思うわけです。
---

「とにかくエスペラントを採用してもらうことが大事なんだ」という考えには、次のような問題
があると思います。

(A) (1)で述べた理由から、そもそも採用してもらえない。

(B) 「問題がある」ということが判っても、すぐに良い解決法が見つかるとは限らない。
    だから、ふだんから問題を見つけて、解決法を考えるようにすべきである。

(C) 「不備があったら直していけば良い」などという言語をEUに採用させようというのは、
    あまりにも乱暴すぎると思います。
    これは要するに「EUを、エスペラントを poluri するための実験台に使おう」ということで
    はないですか。

    こんなことをするのはEUに失礼ですし、また大きなミスをすれば、EUにおけるエスペラ
    ントの信用も台無しになる危険性があります。

    だいたいエスペランティストたちは「エスペラントは民族語にひけをとらないくらいの表
    現力を備えている」などと言ってるわけですから、それがまったく違うということになれ
    ば、ただちに出入り禁止になるでしょう。
---

私の見るところでは、エスペラントというのは「同人レベルの言語」なんですよね。
同人レベルにしては結構すごいと思うんですが、しかし、重大な責任のともなうようなことに
使うのには、はなはだ心もとないと思うんですね。

それで私は、エスペラントがそこそこ役に立つことは百も承知していながら、あえて厳しいこ
とを言っているわけです。

117胡人:2008/03/20(木) 23:03:39
Rakuさま、
> 胡人さんが>>109
> 「国内レベルには必要はあまり感じられません。」とおっしゃたのは
> どんな意味なのでしょう。

日本国内という意味ですが・・・他民族多言語国家の事を指すとは思ってもみませんでした!?

118Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/03/20(木) 23:06:57
「多民族多言語」に訂正します。

119Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/03/20(木) 23:18:17
日本に限定してのお話でしたか。それならわかります。しかし、松戸彩苑さんの
おっしゃってることはそうじゃないように受け取れましたが。

120KamelioJapana:2008/03/22(土) 12:40:19
>>113
ご丁寧な解説ありがとうございます。

monujoの意味範囲はあくまでmono+ujoです。日本語で大雑把に言って「お金入れ」です。
お金の入れ物として日常圧倒的に多く使われるものとして「財布」と云う意味が第一義的な
ものとして定着したにすぎません。日本語でも財布を「札入れ」といういう方をする方が
いるのと同じことです。この場合、敢えて厳密に定義をするための用語を作り出さなくても
十分に事足りますね。また、予てから私が申し上げている通り学習者にとっても負担を軽減
するものでしょう。

逆に初心者が「金庫」という単語が分からなくてもmonujoという語を使っても一向に構い
ません。殆ど文脈で理解されるでしょう。語義が固定してしまった民族語の場合はそうは
いかないですね。「金入れ」といわれると、我々日本人としては仮令前後関係で意味を理解
出来ても、どうも気持ち的には何かすっきりとしない違和感が残りますね。
「札入れ」と来た場合には金庫の意味に取るにはかなり頭を柔軟にしておかないと無理
でしょう。

以下、詳しい説明は省略しますがlibrejo等に関しても同じことが言えます。
総じて、実際の交流場面で混乱をきたすようなことは、私の場合に限っても、殆どありません
でした。

121KamelioJapana:2008/03/22(土) 13:23:32
失礼。
前回、>>113 と書いたのは、>>115 の間違いでした。

>>114
>こういう問題があまりにも多いと、運動が盛り上がるわけがありません。

お書きになっているほど問題はそれ程深刻であるとは思いませんが、百歩譲ってもその事が
E がなかなか普及しない理由ではありません。松戸さんがそう主張されるのは勿論ご自由です。
しかし、これまでのE運動史を良くご研究なさったほうが宜しいかなとも思いますが、E運動を
阻害している理由というものは、圧倒的に政治経済上の力学関係に依存しているからです。

この事は平和の問題に関しても云えることで、いかに軍事関係に占める世界の予算が不合理な問題
を世界中に齎しているにも拘らず、これが「現実だから」ということで理想を遠ざけてしまってい
ます。
このこととE運動の現状には似たようなものといえるでしょうね。

従って、
>こんなことをするのはEUに失礼ですし、また大きなミスをすれば、EUにおけるエスペラントの
信用も台無しになる危険性があります。

このような心配は皆無です。それどころか、Eが試される世界史における歴史的場面では
立派にその役割を果たしてきました。

122松戸彩苑:2008/03/23(日) 03:49:51
>>120
NPIVで mon-ujo、libr-ejo を引いてみますと

  monujo. Poŝsaketo de 〜eroj: (後略)

  librejo. Vendejo de 〜oj: (後略)

って書いてありますから、そういう解釈は難しいような気がしますけどね。


>>121
> E運動を阻害している理由というものは、圧倒的に政治経済上の力学関係に依存してい
> るからです。

それは私もよく判っているつもりです。

とは言っても、せっかくエスペラントを始めても学習途中で挫折してしまったり eterna kom-
encanto になってしまったりする人がたくさんいるわけですが、これはどう考えても国際政
治のせいではないと思いますね。

また世間においても、韓国語やイタリア語を学習する人がけっこう多いなんてことがあります
が、これだって「国際的な政治・経済上の力学関係」とは無関係に「面白そうだから」という
理由で勉強する人が意外といるということなんだと思うんですね。

それから、現在の「国際的な政治・経済上の力学関係」に批判的な人は少なくないわけで
すが、そういう人たちでさえエスペラントをやろうとはしないではないですか。

ということで、エスペラント運動がうまく行かない原因をすべて「国際政治上の力学」だけで
説明するというのには賛成できません。

123松戸彩苑:2008/03/23(日) 10:01:57
私に理解できないのは、日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱していることが判って
いるのに、どうしてそれを改善しようとせず、後生大事にとっておこうと考えるのかってこと
なんですね。

そんなことをして、一体どんなメリットがあるんでしょうか?

欧米においても、またエスペラントを政府がバックアップしている中国においても、エスペラ
ント運動がいまひとつパッとしないのは、日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱してい
るせいだと私は思うんですけどね。

124松戸彩苑:2008/03/23(日) 10:55:26
余談になりますが、ヘブライ語を話し言葉として復活させることに成功したベン・イェフダとい
う人について書いた

  ロバート・セントジョン(著) 『不屈のユダヤ魂』 (ミルトス 1988年)
  ロバート・セントジョン(著) 『ヘブライ語の父ベン・イェフダー』 (ミルトス 2000年)

という本があるんですが、これはエスペラント運動について考える際にも役に立つんじゃな
いかと私は思うんですね。
なお、1番目の本と2番目の本は、中身はまったく同じで、タイトルだけを変更したもののよ
うです。

ベン・イェフダは1858年にリトアニアで生まれて1922年にパレスチナで亡くなった人です
ので、ザメンホフと同時代人なんですね。

で、ベン・イェフダが「ヘブライ語を、イスラエルが復活した際の公用語にする」と周囲の人た
ちに話したときに、多くの人は「それは無理だ」って言ってたわけなんですが、結局それが
現実のものとなったわけですね。

このように見事に成功したヘブライ語と、世間の人たちからは失敗したと思われているエス
ペラントとの違いはどこにあるのかということを考えてみる必要があると思います。

また、この他にも

  デボラ・オメル(著) 『ベン・イェフダ家に生まれて』 (福武書店 1991年)

という本もあるんですが、これは従来のベン・イェフダの伝記には書かれていなかったエピ
ソードを集めたような本ですので、セントジョンの本を読んでからでないと理解しにくいと思
います。

125松戸彩苑:2008/03/23(日) 13:30:26
民族・国家・宗教といった後ろ盾をもたない言語が生き延びるには、一般人の家庭生活の
なかに定着させるしか方法が無いんですね。

しかし、日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱していますと、それが不可能になるわ
けです。

欧米人はエスペラントが使いこなせるようになるのが早いですが、しかし、その割にはエス
ペラント運動が盛り上がっていない。
いや、それどころか、西欧においては落ち目になってさえいるわけです。

こういうのを見ていますと「今のままで良い」などという話は、とうてい信じることができませ
ん。

126KamelioJapana:2008/03/24(月) 18:44:18
>そういう解釈は難しいような気がしますけどね。

Eでは、十分可能です。辞典というものは現実社会において該当単語が最頻に指示しているものを
挙げているのですが、民族言語と違い論理を最重要視するEでは、常にmonujoやibrejoの意味する
範囲は形態素自体の意味が変わらない限り同じです。


>エスペラント運動がうまく行かない原因をすべて「国際政治上の力学」だけで
説明するというのには賛成できません。

「すべて」とは云っておりません。圧倒的主要原因であると申し上げているのです。
eterna komencantoとなる理由は主としてE界を含めたバックアップ体制に問題が
あると思います。実利目的というには程遠い(この状況にEを置いているのが正に
国際政治経済上の力学)学習し続けるためには、効率的でenkuragxigiな教授法や仲間の
支えが必要ですね。
松戸さんが主張する「日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱」を感じられる方が
居られたとしても、その方はもうkomencantoではありませんね。

127KamelioJapana:2008/03/25(火) 07:44:44
>中国においても、エスペラント運動がいまひとつパッとしないのは、日常生活に必要な
語彙・表現が不足・混乱しているせいだと私は思うんですけどね。

私の知る限り、そのようなことは聞いたことがありません。

>私に理解できないのは、日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱していることが判って
いるのに、どうしてそれを改善しようとせず、後生大事にとっておこうと考えるのかってこと
なんですね。

松戸さんは組織運動に関わっていないので、分からないと思いますが、改善論議はZamenhofが
第一書を発表して以来、これまでその努力はなされてきましたし、今も続いています。
松戸さんも評論家を卒業してE界にご自分の意見を反映する努力を為される事をお勧めいたします。

>このように見事に成功したヘブライ語と、世間の人たちからは失敗したと思われている
エスペラントとの違いはどこにあるのかということを考えてみる必要があると思います。

御意。良いですね。
松戸さんは如何思われますか。

>欧米人はエスペラントが使いこなせるようになるのが早いですが、しかし、その割にはエス
ペラント運動が盛り上がっていない。
いや、それどころか、西欧においては落ち目になってさえいるわけです。

このことの理由も「語彙の不足・混乱」の所為にお考えなのでしょうか。
欧米人にとっても、我々同様にEがいくら学習が容易であるといっても他の民族語に比べて相対的
にそうであるといえることで、第二言語を習得する難しさは絶対的なものがあるのです。
特に、日本人等の非印欧語族には誤解されていることですが、トルストイの逸話にもあるように
文章を見ただけで凡その意味がつかめることは確かである反面、それを実際に使いこなせるには
それなりの努力と経験が必要であることは云うまでもありません。
逆に、Eの実用における受動的な面と能動的なものとのギャップは我々以上に感じるところがある
といえます。

総じて松戸さんのご意見はE界に深く関わろうとしない多くの言語学者のものと通ずるものがある
と私には思われてならないのです。

128胡人:2008/03/25(火) 12:09:17
正直、私も Kamelioさま とほぼ同じ思いをもっています。

>私に理解できないのは、日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱していることが判って
いるのに、どうしてそれを改善しようとせず、後生大事にとっておこうと考えるのかってこと
なんですね。

私達の学習グループでは日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱という感覚はありません。反対に、この様な表現方法の方が興味深いとか、こんな表現方法を何処何処の本で読んだ事があるとか・・・

翻訳をしていて面白いのは、例えば英語教室なら正解は、ほぼ一つなのでしょうが、エスペラントでは、7人いれば7様のエスペラント訳が生まれ、また、ほぼどれも正解という事があります。あとはある面、感覚的に好きな訳とか、ゴツゴツした訳とか、ちょっと大袈裟な訳とか的な違いを各々が楽しむものとなります。
講習の指導者達の中には、勿論これが一番正しいと指導者として明確にされる方々もおられるし、またその様にしなければ指導も難しいと思いますが・・・

Zamenhof の文章が長々として読みにくいので大嫌いという先輩方も多いです。良いエスペラントを読むのなら Edomond Privat だ!或いは誰々がお薦めだ!また Zamenhof はこの様な単語の使用をしているが、これは戴けないダメだ!とか。

国家的組織が、選定すればもちろん松戸さまの感じられる不足・混乱は無くなると思いますが、またエスペラントの面白さも半減しそうです。
TV番組でケンミンクイズが面白いのとエスペラントのこの面白さもある面共通していると思います。

>このように見事に成功したヘブライ語と、世間の人たちからは失敗したと思われている
エスペラントとの違いはどこにあるのかということを考えてみる必要があると思います。

国家の意思が有るか、無いか?と経済的に有利かどうかだと思います。

私は先輩方から、イスラエル建国の時、エスペラントの採用という話もあったが、Zamenhof 自体がその建国によって、自分達と同様の第2のユダヤ民族を生む形になり、憎悪の連鎖のため、活火山の上に住む様なもので、決してパレスチナが安住の地とは言えないと賛成しなかった経緯のゆえ、その選考の枠からはずされたと聞いたことがあります。

島ごとに違う言語を持っていたインドネシアも、戦後、独立戦争後、言語選定委員会を設け政治家専門家が集い、ほとんどそれまで使用されていなかった或る島の言語を様々な考慮のすえ現在の公用語として採用し現在にいたっている事。
またパキスタン等も独立後、二百数十の言語があり英語しか共通言語がなかったため、イスラム聖職者達が現在の公用語を作った事。
その様に、国家が必要として関与した事が、成功した一番の要因だと思います。

129護憲29:2008/03/25(火) 23:36:18
>>128
お前、知っててそんなこと言ってんのか?
ベン・イェフダーは何年にエルサレムに移住したのか?
ザメンホフは何年死んだのか?
イスラエルは何年に建国したのか?
キチガイか?
お前、共産主義に受動的にいいなりになる典型例だな

130松戸彩苑:2008/03/26(水) 03:50:58
1999年に Hejma Vortaro という60ページほどの小冊子がUEAから出版されてるんです
が、ご覧になったことはあるでしょうか。

この本の前書きには、次のように書かれています。

  Tiu ĉi vortareto celas helpi tiujn parolantojn de Esperanto, kiuj uzas la lingvon hejme
  kiel ĉiutagan komunikilon. Ordinaraj vortaroj ja ne ĉiam utilas, kiam oni serĉas nom-
  on por iu enhejma aĵo aŭ ago. Kompreneble oni ofte povas utiligi la riĉan vortfaran
  sistemon de Esperanto por mem krei taŭgajn vortojn, sed estas bone ekscii, kiel aliaj
  familioj Esperant-lingvaj solvis similajn problemojn.

  (同書5ページ)

つまり、家庭でエスペラントを使っている人たちは、家庭生活に必要な語彙・表現が判らな
くて普通の辞書では役に立たないということがあるから、この小辞典を作ったんだってこと
ですね。

日本のエスペランティストたちは「欧米のエスペランティストのレベルになれば問題ないん
だ」と本気で信じているようですが、しかし、家庭でエスペラントを使っている欧米のエスペ
ランティストは、家庭生活に必要な語彙・表現が判らなくて困ってるんですね。

131松戸彩苑:2008/03/26(水) 03:54:16
>>130 に訂正。

困ってる → 困ることがある

132胡人:2008/03/26(水) 07:44:37
護憲29さま。私はキチガイではありませんし共産主義者でもありません。またたぶん地域的には Kamelio さまとは全然異なります。たぶん話した事もないと思います。

時間的に、ずれがある事は当然知っています。詳細に書くと長くなりすぎるため若干短くしすぎて、貴方には理解出来ませんでしたか?残念です。

初めはザメンホフもシオニズム運動をしていましたが、日露戦争〜第一次世界大戦の暗雲がたちこめようとしてきたころ、兄弟の戦争における戦死や自殺、様々な現実の中でシオニズムから離れていった様です。

133やぱーの@管理人:2008/03/26(水) 08:45:21

護憲29 様

言葉使いは少々気をつけましょう。

よろしくお願いします。

                一回目

134胡人:2008/03/26(水) 12:50:36
> 家庭でエスペラントを使っている欧米のエスペランティストは、家庭生活に必要な語彙・表現が判らなくて困ってるんですね。

その Hejma Vortaro、私も実はもっています(^^) 独学の一助として利用しています、便利で面白いと思って買いました。
需要はあると思いまが、松戸さまの様にはとらえていませんでした。

別になるかもしれませんが、欧州の人にとってもエスペラントは充分難しいようです。エスペラントクラブは数多くあっても上手に話せるエスペランチストは案外すくない様です。結構真剣に勉強しなければモノに出来ない様でス。その面では、案外私達日本人と五十歩二百歩くらいじゃないでしょうか?

長続きしない一番の問題は、活用する場が少ないことに尽きると感じています。経済面でも文化面でも学習面でも、または宗教面でも思想面でも、とにかくどのような面であれ活用する場がなくては、永久初心者で終わってしまうと思います。そういう様々な面を各々が充実させていくことが結局、エスペラントの普及につながると思います。

135KamelioJapana:2008/03/26(水) 19:17:20
>つまり、家庭でエスペラントを使っている人たちは、家庭生活に必要な語彙・表現が判らな
くて普通の辞書では役に立たないということがあるから、この小辞典を作ったんだってこと
ですね。

そうですね。普通の辞書では検索に不便なこともあるでしょう。家庭でEを使っている状況には、
様々あると思いますが、主にエスペランチスト同士の国際結婚や同じ言語同士の場合であっても
自分たちの子供をdenaskalingvanoにしようと思ってる方たちが該当することでしょう。
謂わば、かなり未来を先取りする実践をしている方たちを如何サポートするかはE界にとっては
大変重要なことです。
そのためにも家庭生活の細かな言葉の用法のモデルを示す必要がありますね。
私たちがガスティーゴする場面とはまた違う内輪の会話なんかもありますから。

もっとも、それぞれの家庭で独自のEの表現を作り使うこともEでは十分出来ますが、
denaska-infanoj同士が集まった時に、用語が統一されていなければやはり不便でしょう。
欧州では主としてE家族を中心に集まる機会(familia renkontigxo)が随分あります。

しかし、
>家庭でエスペラントを使っている欧米のエスペランティストは、家庭生活に必要な語彙・表現が判らなくて
困ってるんでことがあるんですね。

松戸さんに案じて頂けることは有り難いのですが、このために家庭生活がうまくいかなかったとか、子育てに
支障をきたしている例をご存知なら逆にお聞きしたいです。

どうも松戸さんは如何あってもEが広まらない理由を語彙の問題にしたいがために細かいことに拘り過ぎて
いるように私には思えます。
語彙にまつわる問題は、Eに限らず総ての現存する言語に問題の側面こそ違え、存在しています。
日本語でも用語の世代間のギャップとかカタカナ英語等、考えればいろいろありますね。

necesejo >かわや、トイレ、お手洗い、便所、WCなんてのもありましたね。
これも、用語の混乱でしょうかね。私はそうは思いませんが。
私、俺、僕、おら、わし、わっち、あっし、われ、手前、
これらは言語の内包的特徴にあたります。E にもその弱点含めて言語特有の属性があるものです。

胡人さま。
これまでのご意見を伺うと共通するところが多いです。
お互いの所属する会で素敵な体験を積み重ねていきましょう。
今年はどこかの大会でお会いしたいですね。

136KamelioJapana:2008/03/26(水) 19:21:38
>困ってるんでことがあるんですね。

訂正します。

→困ってることがあるんですね。

失礼しました。

137護憲29:2008/03/27(木) 00:25:10
胡人
分からんな。どう自分のしったかを正当化しているのだ。
Z死亡とイスラエル建国とでは幅があきすぎだ。
なお
ベン・イェフダーはZと同時期にzと違い夫婦でエルサレムに乗り込み
zが無理だと思った共通ヘブライ語普及を努力していった
のちイスラエル建国時そのヘブライ語が公用語とされた。
どこにエスペラントのかかわる余地があるのだ

138胡人:2008/03/27(木) 07:07:20
 ユダヤ民族が、パレスチナは神の約束された地として、当時の列強に対し、Zamenhof が生まれる前から、資金力政治力で長年建国のために努力してきた歴史があります。
 Zamenhof が10代の青年期、初めに原エスペラント語をつくった要因の一つは、ユダヤ人同志の共通言語というものもあったようです。その地域での彼らの言語イーディッシュはドイツユダヤ語とも言われ、ユダヤ人の共通言語が必要というのは当時のユダヤ人知識階級の共通認識だったようです。

 その面で、後に、その原エスペラントをもとに作られ発表された現エスペラントが欧州中心の言語というのは、欧州全体にちらばっているユダヤ人にとってある面当然だと思います。

 後に、Zamenhof がホマラニスモを強く主張していくのも、ユダヤ教とキリスト教、イスラム教等宗教間の争いを無くさねば、真の平和は来ないとユダヤ人として感じていたのだと思います。でも、その面を強く主張すればするほど、ユダヤ社会からは孤立していき、資金的には恵まれませんでした。

 エスペラントの単語の"gento"というのは、DNAを共有する民という感覚を感じます。普通は民族というと、言語・文化(宗教を含む)の一致でもって一つの民族という概念で、現在も世界各地での分離、独立運動でのその概念での対立ですが、ユダヤ民族は、長年の離散でほぼ宗教上でのみの概念に近いものがありました。その意味でユダヤ民族というよりもユダヤの民という雰囲気の方が当時はふさわしかったのではないでしょうか?当時の欧州には独立をゆるされない、言語の使用も公式には許されない地域民族がまだまだ多くありました。

139KamelioJapana:2008/03/27(木) 07:58:42
胡人さんへ
「護憲29」の様なえたいの知れない無礼な輩を相手にする必要はありませんよ。
時間の無駄です。勝手に吠えさせておいた方がよろしい。
まあ、彼au彼女にたいする精神療法としてカウンセリングをやっているなら話は別ですよ。

私の場合は胡人さんの様に人が善くはないので到底その気にはなれませんが。。。

140松戸彩苑:2008/03/28(金) 03:11:17
>>137
「イスラエルが建国されたとき、ベン・グリオンはイスラエルの公用語としてエスペラントを
採用しようかとも考えたが、結局やめた」という話を、エスペランティストが書いたか話した
かしたもののなかで私も読んだことがあります。

しかし、この話には確たる証拠が無いんですよね。

エスペラント界には、この手の「伝説」がけっこうあるんですが、私は確かな証拠が出てく
るまでは信じないことにしております。

実際これまでにも「スペイン内戦のときに、エスペランティストから成る部隊があった」など
という噂があったのですが、調査によって間違いであることが判明しています。

141護憲29:2008/03/29(土) 02:37:55
>>ユダヤ人の共通言語が必要というのは当時のユダヤ人知識階級の共通認識だったようです。

はあ?何を証拠にそんなことを言ってるのだ?
だれがそういうことを求めるというのか?
だから共産主義の意見を鵜呑みにする受動的な人間だとおれがいってるのだ。
共産主義者のカメリオも論理的に意見が言えないから、無言を続けるしかないのだ

中立的なベン・イェフダーの伝記1冊くらい読めよ。
東欧系、西欧系別れ共通言語不必要だと思っているやつら、
フランス語で充分だと思っている開拓村あるなか
命を賭してバンビちゃんという新聞を発行し続けたのだ。
ザメンホフとは違う。
イスラエル建国時、エスペラントが公用語?
なんで??
全く不必要なんだよ、無視はなはだしい。
既に生きたヘブライ語があるんだよ。


エスペラントがイスラエルの公用語??
そういうのを信じるから共産主義者のいうことを無批判に受動的に信じているおかしなやつだというのだ

142護憲29:2008/03/29(土) 02:46:15
無視 訂正→無知

イスラエルでのエスペラント公用語というのは全くの捏造。完全な捏造。
論理的、あるいは証拠を言うまでもない。
それはヘブライ語というアイデンティティがユダヤ人間で存在するからだ。

エスペラントは歴史的捏造をせず、ヘブライ語を手本にどうすれば成功するか
それを考えることだな。まあカメリオ連中が死ぬまで無理だろうがな

143胡人:2008/03/29(土) 06:01:19
ものの見方は、それぞれですね(^^)V

なかなかお若い方の様ですね。もっと様々な本をお読みなった方が視野がより広くなると思います。

私は様々な立場のイスラエル人達とも実際にいろいろ話した経験があります。

144KamelioJapana:2008/03/29(土) 18:14:48
>>143
Jes, vi pravas.

Ju pli junagxa
li estus
Des pli malsagxa
li restus

Kaj mi opinias ankaux:

Kiu restas malgxentila
Tiu bojas senutila

145松戸彩苑:2008/03/30(日) 10:54:10
>>121 で KamelioJapana さんは

> Eが試される世界史における歴史的場面では立派にその役割を果たしてきました。

と書いておられますが、私はエスペラントが「世界史における歴史的場面」で使われたとい
う話は聞いたことがありません。
具体的には、どんなことを指しているのでしょうか?
---

また >>134 で胡人さんは

> 欧州の人にとってもエスペラントは充分難しいようです。エスペラントクラブは数多くあって
> も上手に話せるエスペランチストは案外すくない様です。結構真剣に勉強しなければモノ
> に出来ない様でス。その面では、案外私達日本人と五十歩二百歩くらいじゃないでしょう
> か?

と書いておられますが、これはエスペランティストがいつも言ってる「エスペラントは学習容
易な言葉だ」という宣伝文句とはまったく違いますよね。
---

で、これらの2つの言葉を組み合わせますと

  エスペラントは欧米の人たちにとっても充分に難しく、上手に話せる人は案外少ないのだ
  が、世界史における歴史的場面では立派にその役割を果たしてきた。

ということになるんですが、なんだかおかしくありませんか?

(もちろん一方は KamelioJapana さんの意見であり、もう一方は胡人さんの書いたものなん
ですが、>>128>>135 を見ますとほぼ同意見のようですので、一緒に論じても差し支え
ないと判断しました)

可能性として考えられるのは「上手に話せる人は案外少ないが、その少数の上手な人たち
がエスペラントで成果を上げてきた」ということですが、そうすると、それは英語などとあんま
り変わらないという事にはなりませんか?
---

ということで、お2人の話をうかがっていますと、どうもいろんな疑問がわいてくるんですね。

エスペラントをまったく知らない世間の人たちが読んだとしても、このように理論的に説明す
ることは出来ないでしょうが、やはり何となくおかしいと感じるのではないでしょうか。

(終わり)

146Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/03/31(月) 12:57:43
Kamelioさん胡人さん、松戸彩苑さんに答えてあげてくださ〜い。

147胡人:2008/03/31(月) 17:09:46
> Eが試される世界史における歴史的場面では立派にその役割を果たしてきました。
と書いておられますが、私はエスペラントが「世界史における歴史的場面」で使われたとい
う話は聞いたことがありません。具体的には、どんなことを指しているのでしょうか?

 すみません、私は詳細はわかりません。ただ、

 新渡戸稲造が国際連合事務局次長の頃、エスペラント語の言語としての能力を実際に体験し国際連合における公用語として採用しようとしたとされたという事、また前のEU議会で、エスペラントの公用語採用は残念ながら否決されましたが、近年になく接戦になり現実に可能性が出てきた事は知っています。そのEU公用語については一部で結構なニュースとして流され、まったくエスペラントをしていない方から、それについて聞かれた体験を今年しました・・・
 その他、現在の国連会議においてエスペラントの採用について、様々な委員会で、代表者の発言があったりもします。それが歴史的というかどうかは・・・

また >>134 で胡人さんは

> 欧州の人にとってもエスペラントは充分難しいようです。エスペラントクラブは数多くあって
> も上手に話せるエスペランチストは案外すくない様です。結構真剣に勉強しなければモノ
> に出来ない様でス。その面では、案外私達日本人と五十歩二百歩くらいじゃないでしょう
> か?

> と書いておられますが、これはエスペランティストがいつも言ってる「エスペラントは学習容易な言葉だ」という宣伝文句とはまったく違いますよね。

 学習は、比較的容易だと思いますが、やはり語学ですから結構真剣にしないとモノにはならないと私は正直思います。ただ、日常会話程度なら案外簡単に出来ると自分の体験からして思います。また学習歴3ヶ月〜半年の何人かの初心者が、海外でのエスペラント大会、セミナー等に実際に参加して、それなりの成果をあげています。

 私達のグループでは、「比較的簡単だけど、所詮言語なので、それなりに集中しなければモノにならない。」といつも入門者にお話しています。ただ、海外のエスペランチストとの交流は、辞書さえもてば、すぐにでも出来ますし、安価な海外旅行もヤル気にさえなれば案外簡単に出来ることも伝えますし、要望があれば手伝います。

 また、前記のポーランド人の事に関していえば、その地から来日したエスペランチスト初心者が、日本で約2週間学習をした後、すっかり先生級のエスペランチストになった事をお伝えします。要は集中して学ぶ事なのかなぁとその時思いました。現地ではエスペラントをサカナに楽しいサークル活動という雰囲気の様でした。

 ノーベル賞受賞経済学者のゼルテン博士は、その経済的側面から、ポーランド、ドイツでの小学生への実験から、エスペラントは英語とくらべて約三分の一〜四分の一の学習時間で習得でき、また、初めにエスペラントをある一定期間学んでから英語を学んだ生徒の成績と、初めから英語を学んだ生徒の英語(エスペラントの学習時間分も英語を学習)の成績を比べるとエスペラントを初めに学んだ生徒の方が成績が総じて上回ったということから、民族語よりも先にエスペラントを学ぶ方が言語そのものに関して掴みやすいと講演しておられました。

148胡人:2008/03/31(月) 19:29:36
訂正
> 国際連合⇒国際連盟

149KamelioJapana:2008/03/31(月) 21:24:21
胡人さんの補足です。

>可能性として考えられるのは「上手に話せる人は案外少ないが、その少数の上手な人たち
がエスペラントで成果を上げてきた」ということですが、そうすると、それは英語などとあんま
り変わらないという事にはなりませんか?

「英語と変わりないという事」どういう意味かが良く分かりませんが。。。

世界中で英語を学んだ人の数(しかも殆どの人は3年から6年間の義務教育として)とEを学んだ人
の数(しかも多くの人がその存在すらも知らず、そして学習者のかなりの人は独学で)を比べて
みてください。恐らく4桁くらいの違いになるのではないかな。

そのギャップにも関わらず英語と同じくらいの時間と労力(しかも、英語の様に親切丁寧な教材に
恵まれている訳でもなく)でEを学習した人の言語力の到達度を比較して考えてみてください。
尤も数理統計的な資料が手許に無いので想像でしかないのですが、少なくとも自分自身に照らし
合わせる(英語学習に費やした時間)とEの圧倒的優位性に十分確信が持てる結果を引き出せます。

そして、学習人口が他の有力な民族言語に比べて圧倒的に少ないにも拘らず、近年、UKと並んで
毎年開催される新渡戸シンポジュームや最近の欧州における様々な言語に関する会議や研究・討論
またはそれらの発表会等では、共に使用される民族語と並んで、殆ど引けを取らない同時通訳者や
翻訳者を擁しています。

150松戸彩苑:2008/04/03(木) 04:57:47
みなさん、書き込みありがとうございます。

しかし、どうも話がかみ合わないなと思って、いろいろと考えてて気がついたんですが、「エ
スペラント運動は今のままで良い」と考えておられる方というのは、英語とエスペラントを単
純比較して、使いやすさという点では英語よりもマシだから問題ない、みたいな発想をして
るんですね。

私の場合はまったく違います。
私の考えでは、エスペラントというのは最初っから合理的に作られているんだから、英語よ
りも使いやすいのは「当たり前」なんですね。
ですから、そんなところで満足してたのでは仕方がないと思うんですね。
(話者の数も、4ケタくらいは違うわけですしね)

私の場合はむしろ、学習容易であるはずなのに、現実には学習途中でやめてしまう人や
eterna komencanto になってしまう人があまりにも多いというのは根本的におかしいではな
いかと思ってるんですね。
私の問題意識はそういうところにあります。

もちろん、学習者の100%がエスペラントに習熟するなどということは実現できないでしょう
が、しかし少なくとも学習者の半数が本人の好きなことにエスペラントを役立てられるように
ならなければ「成功」とは言えないと思ってるんですね。

エスペラントは英語とは違って希望者だけが勉強するわけですし、また私の見るかぎりでは、
世間の平均よりも学歴も高いと思います。
そういう人たちが学習しているのにも関わらず、挫折する人や eterna komencanto が多い
というのは大問題なのであって、「英語よりマシだから…」などと言って済ましていられるも
のではないと思うのです。

みなさんの意見をうかがっていますと、学習途中で挫折した人や eterna komencanto のこ
とをすっかり忘れて「うまく行ってるんだ」と主張しているようにしか見えないので、それには
断固として反対しなければならないと思ったわけです。
---

で、私が >>145 みたいなことを書いたのには理由があります。

私の見るところでは、どうもエスペランティストは、問題だらけの現在のエスペラント運動の
ありかたを正当化するために「その場しのぎの言いわけ」みたいなものをたくさん作りだして
るようにしか見えないんですね。

これらの「言いわけ」というのは、ある特定の問題を説明するのには成功しているように見
えるんですが、しかしそういったものをつなぎ合わせますと、やっぱりツジツマが合わない
んですね。

この手の「言いわけ」めいた理論というのは

(1) 現在のエスペラント運動の問題を隠蔽し、真の問題解決の妨げになる。

(2) エスペラントをやってない人たちに「うさん臭さ」を感じさせる。

というものであって、百害あって一利なしだと思うのです。

まぁ厳密にいえば、この手の理論には「エスペランティストの精神衛生に良い」という一利
だけは確実にあるんですが、しかし、こんな理屈はエスペラント運動について真剣に考え
るうえで邪魔にしかなりませんから、ちょうど「アヘン」みたいなものなんですね。


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