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なぜエスペラントは普及しないのか?

1papageno:2008/01/04(金) 23:25:54
すでにいろんなスレッドで語られて来たことではありますが、単独のスレッドが無かったので立てさせていただきます。

いろんな視点からのいろんな意見を出して行きましょう。

419松戸彩苑:2009/05/06(水) 20:24:29
>>416
残念ながら私は音楽とか詩とかいうものに詳しくないので話に加わることができないんで
すが、みなさんの知識には大いに感服させられましたので、それで「そういう才能がエスペ
ラント運動に役立てば良いなぁ」って思ったんですが、しかしひょっとしたら話の腰を折って
しまったかもしれませんね。

ところで『Parnasa Gvidlibro』という、エスペラントで詩をつくる人のための本がありますけれ
ども、これを元にして語尾の -o の省略を説明できる方はおられないですかね?

私もこの本をもっているんですが、なにしろ詩には関心がありませんでしたので、ほとんど
読んでないんですよね。

詩の用語である jambo とか trokeo といったものが何のことなのか、関心がないので、いま
だに判っておりません。
(調べれば当然判るんですが、今までそういう気にならなかったということです)

私の印象では

(1) エスペラントの詩形というのは基本的に欧米語の伝統的な詩形を踏襲しているが、そ
    れに合わせるために語尾の -o を省略する必要が出てくる。

(2) 語尾が -o ばかりだと単調になるので -o を取り去る。

(3) 音節数を減らすために -o を略す。

といったことなのかなと思ったんですが、なにしろロクに勉強してない人間の印象にすぎま
せんので、どなたか詳しい方のご教示を待ちたいと思います。

420Raku:2009/05/06(水) 23:10:04
語尾の母音を省略せずに脚韻を踏めば品詞をそろえなければ
なりませんが、それでは脚韻の効果は失われてしまいます。
日本語詩に脚韻がないのも似たような理由が関係しています。
詩のための特別な語形などは歴史的に発展してきたもので
ない限り不合理なものです。

421ベダウリンデ:2009/05/07(木) 09:42:52
Kanvaさん、松戸さん、ちょこっとでも説明して頂けて、ありがとうございました。
北辰さんは別スレには書き込みしてるのに、ここには返事してくれませんでした。

422北辰:2009/05/08(金) 07:50:32
松戸彩苑さん、 「語尾の -o の省略」は『Parnasa Gvidlibro 』を持ち出す
までもなくザメンホフの Fundamento の中の16条文法の第16条にあります。
英語版には euphoniae gratia (音調を整えるために許容される)が入って、
詩人の特権としてリズムや韻を揃えるために許される、と理解されています。
 その実用上の問題は Parnasa Gvidlibro の LA ARTO POETIKA の
Kanto kvara のなかで細かい注意(乱用の戒め)があります。
しかしこのあたり、すごいですね。Kanto unua から Kanto sesa まで
詩の作り方の極意を、見事な詩の形で述べています。
ベダウリンデさん、
> 「誰それの詩は読んだか」(北辰さん)だの、「作曲しろ」(丹花さん)
> だの、みなさんトンチンカンだなあ
とは何?? 私はそんなことは聞いたことはないが、かかわりありそうなのは
> Brendon Clark の作品、好きですか?
と おたずねしたことかな? あなたの主張を聞いて、Clark は当然ご存じだろう、
と思ったのですが --- 人の発言をゆがめて非難するのは demagogo の手段です。
説明します。Brendon Clark は詩での母音省略に反対し、省略のない詩作を
実践しています。彼の「マオリの航海の歌」は、太平洋の波のうねりのような
リズムに酔わされる感じです。あなたなら、母音省略のない雄大な詩から
エスペラントの詩の視界が開けるものを感じておられるのでないか、と
思ったのですが。これが トンチンカン ですか? ご返事ください。

423ベダウリンデ:2009/05/08(金) 09:13:25
北辰さま
>> Brendon Clark の作品、好きですか?
>と おたずねしたことかな? あなたの主張を聞いて、Clark は当然ご存じだろう、
>と思ったのですが --- 人の発言をゆがめて非難するのは demagogo の手段です。

その事です。私にとっては聞いたこともない人の名をあげられ、
突然「好きか?」と聞かれたのです。その人がどんな詩を書くのかも知らされずに。
私には、「読んだのか、読んでないなら読め」というように聞こえました。
「こんなのも読んでないくせにでかい口たたくな」的にも聞こえました。

その発言の前には「これより良い作品(音楽も)が出来ると思いますか? 作って見せてくれますか?」
と恐喝じみた言い回しさえ受けています。

こういう言い回しを受けて、私は「怖いな」「不快だな」と感じましたが、
そのように反応したら「demagogo」なんですか?
あなたの意図が私に通じなかったのならば、あなたの「書き方」に問題があるのです。

丹花さんも悪気はないとは思うけど、突然割り込まれ、あのように言われたら
「文句言うなら自分で作曲してみろよ」的に聞こえたんです。
もちろん、悪気はないとは、分かっています。
でも、私には「本当に聞きたいこと」があったのに、それから議題をそらされたように感じました。

424ベダウリンデ:2009/05/08(金) 09:22:03
北辰さんも「母音の省略に反対」の立場を理解し、
すでにそういう詩もある、と紹介して下さいましたが、
「なぜ、省略する形式の詩が多いのか」という疑問には答えてくれませんね。

北辰さんは
>このリズムを維持し、定形詩を構成するために必要だったことは
>わかりますね。この省略をやめれば(リズム、定形の崩れはどうします?)
すごい強い口調で「定型詩のリズムは重要なんだ」と主張なさっているように聞こえます。
なぜ、そこまで定型リズムが重視されるのか、その由来はなんなのか、
私はそこを質問してるんです。

それには答えようともしないんですね?

425丹花:2009/05/08(金) 14:28:04
わたしがつくつてみられたらと言ったのは、そうしてみないとわからないとおもつたからです。2人の方は、懇切丁寧に説明しておられますよ。cつたのはきょくしてみたら

426丹花:2009/05/08(金) 14:31:10
コンピュウターの調子が悪いので、大きく間違えてしまいました。

427ベダウリンデ:2009/05/08(金) 17:23:18
Kanvaさんがおっしゃってた例から・・・

>早くもザメンホフの第一書に「Ho mia kor'」という詩がありますけれど、
>いくらラテン語の単数主格が/cor/であるにせよ、こういう形を例にしない
>方が良かったのにと思います。

私も「ホー、ミーア、コーロ」のままで充分美しい響きだと思います。
それなのに、なぜザメンホフは「ホー、ミーア、コー」でなければ美しくない、と感じたのでしょうかね。
(私は語尾が子音になると聞き取れないので、だから嫌いなのですが)
自分が作った言語そのままの形では「醜い」とザメンホフが感じた「文化的背景」は何なんですか?

そういう点が知りたいんです。(自分で作ってみろよ、というレスは無しでお願いしますね)

428松戸彩苑:2009/05/09(土) 03:31:32
『Parnasa Gvidlibro』(私が持ってるのは1984年に出た第3版)のなかを探してみましたら、
41ページに Ho, mia kor' が載っていました。

この詩は「弱強五歩格(エスペラントでは kvin-jambo、英語では iambic pentameter)」とい
う韻律だそうです。
これは、アクセントの弱い音節と強い音節とが交互に現われるというのを5回くり返すという
もののようですね。

アクセントの弱い音節を小文字、強い音節を大文字で表わすと

  ho MI a KOR' ne BA tu MAL trank VI le
  el MI a BRUS to NUN ne SAL tu FOR
  jam TE ni MIN ne PO vas MI fa CI le
  ho MI a KOR'

というふうになるわけです。

ということで、この韻律にするためにはやはり kor' という形にしないといけないわけです。
---

しかし、私もエスペラントを長いことやってますけれども、欧米人の詩に対する情熱というの
はいまだによく判りませんね。

もちろん、欧米では文学はホメーロスの『オデュッセイア』と『イーリアス』という叙事詩に始
まるんだといったことは知識としては知っていますけれども、しかしなんでそんなことに今で
もこだわるんだろうと思います。

429松戸彩苑:2009/05/09(土) 06:30:11
それから私は、語尾の -o の省略は気にならないんですが、しかし詩において語順がゴチ
ャゴチャになるってのにはかなり違和感を感じます。

具体例をあげますと Ho, mia kor の3行目の

  jam teni min ne povas mi facile

なんかがそうですね。
ふつうだったら

  jam mi ne povas teni min facile

みたいになると思うんですが、これが jam teni min 〜 になっていますので、エスペラントを
始めたばかりのころは頭にスッと入ってこなくてイライラさせられました。
やはり我々は、日本語の語順と英語の語順にしか慣れていませんので、そのどちらでもな
い語順の文章は、なかなかすんなりと理解できるようにはなりませんね。

このほかにも La espero には

  nun de loko flugu g'i al loko

  g'i la homan tiras familion

なんて行がありますね。

そういえば、ギリシア語やラテン語なんかにも語順がゴチャゴチャになるというのがよくあり
ます。

430ベダウリンデ:2009/05/09(土) 13:14:51
私も、詩には全然興味なくて何も知らなかったのですが、ウィキペディアなどで、自分で調べましたよ。
それなりに勉強になりました。
(北辰さんは、やっぱり答えてくれないですね。そういう人なんですね)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%BB%E5%BE%8B_(%E9%9F%BB%E6%96%87)
(引用開始)
例えば日本語の伝統的韻律では、モーラ(拍)が最小単位となり、5拍・7拍を基本とする七五調・五七調などがよく使われる。
フランス語でもこれに似て、韻文では時間的最小単位である音節が一定数繰り返される(5音節、6音節など)。
またアクセント・強勢や音節の長さ、あるいは声調が重視される言語も多い。
例えば古典ギリシャ語とラテン語では音節の長短、英語やドイツ語ではアクセント・強勢、中国語(漢詩)では声調(平仄)に関して特定のパターンが用いられる。
イタリア語やスペイン語では、フランス語と同様の音節数に加え、アクセントのパターンが重視される。(
(引用終わり)

西洋文明の古典・ギリシャ・ローマの詩において、長短リズムの詩があったのですね。
英語・ドイツ語は、たまたま強弱リズムの言語であったので、古典詩の長短をそのまま強弱に置き換えて
その伝統を引き継ぐことができたのですかね?
エスペラントも強弱リズムなので、自然と英語・ドイツ語の詩に近づいたのでしょうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0#.E8.A8.80.E8.AA.9E.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.83.AA.E3.82.BA.E3.83.A0
『音節リズムはスペイン語やフランス語などに見られ、各音節が時間的にほぼ等間隔で現れることによって生じる。』
フランス語は、強弱リズムの言語とは異なるので、詩においても、英語・ドイツ語の詩とは違った様相を示すのでしょう。
自分たちの言語を無理に操作してまで古典の基準に合わせる、ということをフランスでは行わなかった、という事なんでしょうから、
そこらへんにフランスの「文化」というものが感じられます。

431ベダウリンデ:2009/05/09(土) 13:34:07
エスペラントがギリシャ・ローマ風の詩に近づける特徴を持っていたとしても、
無理な操作を行わずにすむ韻律の型を選べばいいのに、と思います。

http://eo.wikipedia.org/wiki/Piedo_(poetiko)
韻律は、長短(強弱)の組み合わせで、何種類もあります。
その中で、最後が「長」で終わる型は、本来的に、エスペラントには合わないと思います。
ヴィキペディーオからの例をとると、

trokeo: —∪ ("En la mondon venis nova sento") これは合う
jambo: ∪— ("Mi amis vin")  終りに来る単語を vin とか miとかに限れば可能。
daktilo: —∪∪ ("Kanto sincera de mia animo")  最後に休符を足せば、合う
anapesto: ∪∪— ("Ne riproĉu la sorton, ho juna animo")  最後-o省略しないと合わない。
amfibrako: ∪—∪ ("Tra densa mallumo briletas la celo") 合う

このように、 やっぱ、最後は短いので終わるものは、無理なく自然に合うんですよ。
anapesto型でも、最後に「短」を字余り的に追加すればいいと思う。「型」は崩しますが。

>429
エスペラントは、アクセントが固定という不自由さがあるから、
その代わりに、語順の自由は認めてあげるといいと思います。

432北辰:2009/05/10(日) 07:51:26
-->429:松戸彩苑さん、
> 日本語の語順と英語の語順にしか慣れていませんので
ですか。ずいぶん英語に慣れておいでのようですね。英語を習い初めてから
5年後エスペラントをやり出した私とはだいぶ違うのでしょうか。
 英語はかなり語順が固定され、日本語、エスペラントに比べて不自由なことば。
日本語は「が(は)のにを」の助詞が西洋語の格表示に当たる機能をもつので
「動詞が最後」という一応の語順固定はあるが、わりと自由ですね。
ザメンホフの詩で比べてみます。
jam  teni min       ne povas  mi    facile
もう 私を支える(ことは) できない、(私は) 容易には
------------------------------
と、頭から日本語で読みくだして スンナリ わかりましたので、
> 頭にスッと入ってこなくてイライラ
する方がいる、のに意外な感じがしますが、それだけ
英語に慣れて(囚われて?)いる方が多いのでしょうか。
 エスペラントでは格表示と前置詞の活用で、文の要素間の関係は はっきり
表示されるので、格表示を失った英語に比べると語順の自由度は大きく、
詩作や作文に有利な言葉です。表現したい内容にに合わせて語順を変えても
文法違反にならず表現の可能性が格段に大きい。
 「最初にエスペラントを習ったあとで外国語を学ぶほうが学習効果は大きい」
という教育研究結果が多いが、言語の表現可能性と多様性を先に知っておく
ことの意味が大きいのかも、といま気がつきました。

433松戸彩苑:2009/05/10(日) 09:37:02
>>432
それほど英語ができるわけではないんですが、しかし語順には慣れましたので、その影響
はあるのだと思います。

それから考えてみたんですが、私の場合はエスペラントを「読みくだす」ということはしてい
ないんですよね。
どうやら、語順に依存してバッと大づかみにするというやりかたで理解していたらしくて、ふ
つうの語順から外れた文章を見ると、それだけで心のなかで拒否反応を起こしてしまって
いたようです。

もちろん今では、こういう文章にもかなり慣れましたが。

おそらくこの手の文章は、ロシア語やドイツ語なんかを母語としている人たちには理解しや
すくて、英語やフランス語なんかを母語にしている人たちには、ちょっと判りにくいのではな
いでしょうか。

434ベダウリンデ:2009/05/10(日) 13:18:33
>英語はかなり語順が固定され、日本語、エスペラントに比べて不自由なことば。
英語は印欧語の中でも孤立語化した言語だから、語順に依存するのは仕方ないのではないですか?
その代わりに、英語では格変化は退化してるから、格変化だらけの屈折語に比べたら、日本人には馴染みやすいです。
それを「不自由」と言い切るなんて、英語はじめ他の諸言語に対しても「失礼」ですよ。
みんな普通は「母語が基準」なんだから、エスペラントと母語の異なる点に対して「違和感」を感じるのは当然だと思う。
日本人が英語を経ずに直接にエスペラトを習ったとしても、日本語には無いエスペラントの特徴(それは英語にも共通する特徴だと思うけど)
が存在するんだから、難しさは同じだと思う。

てゆーか、北辰さん、エスペラント詩において定型リズムがなぜそんなに重要なのか語って下さい。

435ベダウリンデ:2009/05/10(日) 13:38:00
ところで、私思うに、「文化」って「美意識」なんですよね。
ヨーロッパ人にとってはギリシャローマ文明は誇りであり、憧れであるのは分かる。
エスペラントだと、ラテン語風の詩が、ラテン語の知識が無くても、お手軽に書けるから、
それでエスペラントに飛びついたヨーロッパ人も多いんだろうな、と思う。
ラテン語の詩には「短+長」という型のリズムが存在するから、エスペラントでも存在しなければならない、と
硬直的に考えて、無理やり「ホミー、アコー」なんて言ってるんだろうな。

でも日本人の私からすると、長短を規則的に組み合わせだけのリズムって、単調に感じる。
そこに美しいメロディがつけば、異文化の私にでも「美しさ」は理解できるけど、
言葉だけ聞かされても「美しい」とは感じない。
ヨーロッパ人が自分たち特有の美意識にとらわれてるうちは、エスペラントの「文化」も生まれないんだろうな。

日本民謡のアウフタクトについて、ちょっと考えたんですが、
民謡に限らず、日本人が「うた」う時、一文字目と2文字目は、くっつくんですよね。
「たびーゆけーばー」の浪曲(たぶん、規定のリズムは存在しない、いわゆる無拍のリズムというやつかな?)でも、
百人一首の読みでも、そこが共通してると思う。
リズムが決まっていて採譜できる民謡も、その特徴をひきついでいて、
見かけ上の「アウフタクト」ができるんだ、と思った。

436松戸彩苑:2009/05/10(日) 16:13:39
「エスペラントの詩の上手な朗読」というのを聞いてみたいものですね。
でないと、良さが判らないですね。

437Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2009/05/10(日) 20:11:34
>英語はかなり語順が固定され
スターウォーズのヨーダのセリフを聞くとその固定観念はもろくも覆ることに。
fight the darkside we must!

ところでセレン氏が有名なメルトをうたった動画をupしたので宣伝します。
http://www.youtube.com/watch?v=eoS0NnUfC5g

438Kanva:2009/05/11(月) 00:20:34
初期からあるキリスト教典礼文は散文であり、ミサ曲なんか数多く
作曲されてきているわけですから、
「定型に沿った韻文でないと(ヨーロッパで)名曲は生まれない」
ということは、誰にも主張できないことだと思います。
縦の揃わないポリフォニーなんかにおける韻文の意味って何でしょう?

また、古代ギリシア語の長短アクセントの韻文は、アクセント位置が
規則正しく現れるタイプのものではなかったので、ベダウリンデさんが
引用したような韻律の先祖とは、見なせないものだと思います。

439Kanva:2009/05/11(月) 00:36:26
> 長短を規則的に組み合わせだけのリズムって、単調に感じる。

私も、その点に同感です。
単純拍子と言われる2拍子・3拍子・4拍子で、中のリズムも殆ど同じ
形が続く楽曲は、単調でつまらなく感じられます。
私にとって自然に湧き出る音楽は、交替拍子や複合拍子のものであり、
たとえ同一の単純拍子が続く曲でも、中のリズム分割がいろいろ変わる
ものが好きです。
また、無拍子の音楽も好きです。

> 「文化」って「美意識」なんですよね。

少なくとも芸術の文化について言えば、「何が美しいか・かっこいいか」
という感じ方・考え方が、文化の違いですよね。
それぞれの文化圏での楽典や、演奏法のルールを知って音楽を聞くことで、
より深く本当に分かるようになるわけですね。
ヨーロッパも、長短のリズムを重視する言語や、強弱アクセントの言語の
葛藤によって音楽や韻律を変遷させてきたわけですが、その結実に我々が
縛られる必要はないと思います。

440Kanva:2009/05/11(月) 00:49:29
「アウフタクト」という用語は、私の身の周りでは、ドイツ語で本来意味する
リズム感覚を離れて、「練習番号○○のアウフタクトから始めてください」と
いうふうに、弱拍から始まるフレーズの、その弱拍部分一般を指すものとして
使われています。
小節番号や練習番号が、小節単位で振られているので、「○○の前の小節の
何拍目」、と言うより、「○○のアウフタクト」と言う方が早いというだけの
ことですが、色々な学校等の出自の人を含む団体で意味が通じているので、
そんなに変な使い方ではないのだろうと思っています。

441北辰:2009/05/11(月) 04:05:24
-->430: ベダウリンデさん、
私はあなたに何度か問いかけて、1度も まともな答をいただいていません。
> 402 名前:北辰 投稿日: 2009/05/03(日) 01:28:10
での私の問いかけに、まともな返事はなく、私の問いかけた
> Brendon Clark の作品、好きですか?
に対して、次のように 私の発言をゆがめた非難が ありました。
> 416 名前:ベダウリンデ 投稿日: 2009/05/06(水) 17:13:47
> 「誰それの詩は読んだか」(北辰さん)だの、みなさんトンチンカンだなあ
しかも続けて次の文があり、あれ! と驚きました。
> 421 名前:ベダウリンデ 投稿日: 2009/05/07(木) 09:42:52
> 北辰さんは別スレには書き込みしてるのに、ここには返事してくれませんでした。
いったい何についての返事を期待されていたのか、心当たりないのですが?
そこで松戸さんへの返事と、あなたの「みなさんトンチンカン」の意味を伺おうと
> 422 名前:北辰 投稿日: 2009/05/08(金) 07:50:32
で私の真意を説明し ご返事を求めたのですが返事がないまま
> 430 名前:ベダウリンデ 投稿日: 2009/05/09(土) 13:14:51
> (北辰さんは、やっぱり答えてくれないですね。そういう人なんですね)
とは、どういうことですか。何か私の答えを待つ問いかけがあったのですか。
 確認したいのですが、上に出した私の何度もの問いかけ、読んでおいでですね?
そして無視されたのか? それとも読んでない?
いま気がついた。私の何度かの書き込みが次のアクセスの時にはもう見えなく
なっていた。常時こんなことがあれば、目にふれない書き込みがあるかもしれない。
とすると。掲示板管理者の問題ですが、あるいはあなたも その被害者か?
 となるとあなたを責めるのは間違いかも。管理者さん、説明をどうぞ。人の回答を
求める書き込みはその返事が出るまで目にふれるように出しておくべきです。
そうでないと メンバー間に 無用の不信、混乱を起こします。ご返事を!
ベダウリンデさんは 私から聞きたかったことを知らせてください。

442ベダウリンデ:2009/05/11(月) 15:36:45
>いま気がついた。私の何度かの書き込みが次のアクセスの時にはもう見えなく
なっていた。

北辰さん、すれ違いの原因が分かりましたよ。
ここのように、スレ(○○について語ろう、のようなタイトル・テーマ)が複数ある掲示板では、
各スレにつき最新の幾つかのコメントしか表示されないのです。
そのスレの書き込みを全部読みたいなら、右上の 「All」 とか「Last50」をクリックしないといけないんです。

それはさておき、私は北辰さんの質問には「答えた」つもりです。
「トンチンカン」に関しては、突然聞いたこともない詩人の名をあげられ「好きか」と聞かれたので、
私は困惑し、「どうせ読んでないんだろう、読んでから言えよ」という「脅し」のように聞こえた、というのが原因です。
「脅しだ」と真に受けるのも大人げないので「トンチンカン」と、言葉を和らげたのです。
もしも北辰さんが「○○いう詩人は母音省略しないで書いてますし、私はこの詩人好きです」などと書いてくれていれば、
私だって「そうなんだー、読んでみようかなー」と思ったと思います。
今は北辰さんへの反感が強すぎて、読む気はありません。

私がしつこく、「答えて下さい」と言っているのは、
北辰さんは、このスレでの私に対する最初のコメントで「定型のリズムが崩れますが、どうするんですか?」
と強い語調で威圧してきたので、「そこまで定型リズムにこだわるのはなぜか」と聞いたのです。
(もう一回、Last50して読んでください)

443ベダウリンデ:2009/05/11(月) 15:56:46
Kanvaさん
アウフタクトの概念自体が、今はばらけているのでしょうね。
アウフタクトの概念が「強弱」を基準にした「弱」であるなら、
日本民謡には「強弱」自体が無いので、「アウフタクトは存在しない」となるのでしょう。
また、現代では日本人の耳も、アウフタクトに慣れ過ぎて、
4分音符の前に8分音符があるだけで、体がアウフタクトっぽく反応してしまうのかもしれないです。

444ベダウリンデ:2009/05/11(月) 16:36:31
百人一首など、和歌の「詠み」についてなんですが、
「一文字目とニ文字目をくっつける」以上に大きな特徴は「語尾をめいっぱい伸ばす」ことだと思います。
(『音楽の根源にあるもの』のP165に「追分様式」の説明として、同じ様な事が書かれていました。)
エスペラントでもTANKAOは盛んなようで、丹花さん、北辰さんも趣味となさっているんですよね?
私は創作の才は無いので、そういうのができる人が羨ましいので、
けなすつもりは決して無いのですが、ひとつ疑問が生じました。

日本語とエスペラント語では、言語の特質が異なります。
日本語芸術である短歌をエスペラントに移植するとなると、
和歌の様式と、エスペラントの言語的個性のどちらかを犠牲にしなければならないと思うのです。
その当たり、どうなってるのかな?と思いました。

詠唱のイメージでは「ありあけの〜〜〜」と語尾を伸ばしたいところですが、
エスペラントでは、語尾-oを省略しないと、末尾を伸ばせない。
-oを省略すると、西洋詩同様、日常語からの乖離、という現象になる。
省略しないで、「デラホマーロ〜〜〜」と詠唱しても、私は構わないと思うけど、エスペランチスト達が許すかどうか。
そうではなく、和歌の詠唱形式を諦めて「デラホマ〜〜〜〜〜ロ」と詠唱するか?

下記のサイトでは、
http://www.epa.jp/arangxo.html
朗詠できるエスペラント短歌として、西洋詩のように強弱の繰り返しになるような作詞を推奨しています。
太鼓のリズムに合わせて朗詠したいみたいなので、これはもう「ナンミョーホーレンゲーキョー」と同じ世界であって、
和歌の世界ではないな、と私は思ったのですが、
実際、エスペラント短歌の世界って、どんなものなんですか?

北辰さんへ「タイトル右上のLast50をALKLAKU!」

445胡人:2009/05/11(月) 22:57:30
「ナンミョーホーレンゲーキョー」がどの様なたとえなのか、実際に聞いたことがないので、よくわかりませんが・・・

謡などでも同じ様に、根本的に日本の和歌なども基本的には強弱のリズムで詠う様にできています。
それを鳴り物で奏することもあります。
また様々な流派、地域で、様々な詠い方、リズムがあります。

短歌31文字では、ただ、5、7、5、7、7すべての句をのばすのではなく、
始の5、中の5、最後の7をのばし、2番目の7、4番目の7を短くすることで抑揚が生まれ実際に詠える短歌になります。

それで短く詠う、2番目、4番目のところに「’」を使用し韻をふむことが一つの方法となる様に思われます。

446Kanva:2009/05/11(月) 23:44:36
「ナンミョーホーレンゲーキョー」は、私の知っている範囲の宗派では、
太鼓を入れるときには、「ダダダンダンダンダンダン」と7回打ちます。
6拍(ウラを数え入れると12拍)のリズムですが、6拍ともほぼ同じ強さ
なので、西洋流のいわゆる6拍子ではありません。
ひょっとすると、宗派によってかなり違う可能性がありますね。

思うにベダウリンデさんも、同じ強さの強拍が規則的に出てくる例として
おっしゃっているのだと思います。

日本語短歌で、二音節ごとに一つの強拍(長いor高いor強いor重い音節)が
出てくるとは私は思っていませんが、そういう説がどこかにありますか?
べダウリンデさんが 444>> でご紹介のサイト
http://www.epa.jp/arangxo.html
では、エスペラントで短歌を作る際に、強弱を二音節ごとに規則正しく
繰り返すように単語を置くように勧めているので、これでは日本語のリズムと
大きく違うように感じました。

胡人さんは、
> 謡などでも同じ様に、根本的に日本の和歌なども基本的には強弱の
> リズムで詠う様にできています。
と書かれていますが、これも強・弱を規則正しく反復することを意味しない
ように思われます。

ところで、胡人さんがおっしゃっている
「2番目、4番目のところに「’」を使用し韻をふむ」
というのは、いま一つピンと来ないのですが、
2番目の7と4番目の7に「’」を使って音節の強弱を合わせると同時に、
2番目の句末と4番目の句末を強拍にして脚韻を踏む
ということで宜しいでしょうか?

447ベダウリンデ:2009/05/12(火) 09:32:12
胡人様
>短歌31文字では、ただ、5、7、5、7、7すべての句をのばすのではなく、
>始の5、中の5、最後の7をのばし、2番目の7、4番目の7を短くすることで抑揚が生まれ実際に詠える短歌になります。

確かに、おっしゃるように、百人一首を読む時も、
1番目と3番目の後は伸ばして、2番目と4番目の後は伸ばさないように読むと、よりリズミカルです、が、
でも、それって「絶対的な規則」とは言えないのではないですか?
5行全部を伸ばす例も普通に見かけると思いませんか?(歌会始の映像で確認しました)

Kanvaさん
>思うにベダウリンデさんも、同じ強さの強拍が規則的に出てくる例として
>おっしゃっているのだと思います。

そのとおりです。
太鼓の音は和太鼓風に複雑なリズムを刻むのもありますが、
それに合わるお経は、タンタンタンタンと規則的な拍で読んでるように聞こえました。
(そうじゃない宗派もあるのかもしれないですが)

北辰さんへ「タイトル右上のLast50をALKLAKU!」

448北辰:2009/05/12(火) 11:53:35
ベダウリンデ 様
> 右上の 「All 」 とか「Last50」をクリックしないといけない
なるほど、原因がわかりました、ありがとうございます。失礼しました。
 あの詩人の名をあげた理由は前に説明した通り。あなたの「語尾 -o の省略反対」
の主張を見て、「B.Clark と同じだな、さては読んでいるな」と思ったので、--
「読んでない」こともありうるが、調べればわかること、面倒なら相手
(この場合私)に「どんな人?」と説明させればいい、この件は終わりですね。
> 定型リズムにこだわるのはなぜか
La Espero についての話でした。リズムを変えたり、母音省略をやめ音の数を
増やせば、今の楽譜では歌えなくなる。この詩には2人が作曲していますが、
どれもザメンホフの原作の詩についてのもの、あなたの考える内容改変したものは
見た事なく、具体的な詩(楽譜も)を見なければ いいも悪いも判断できません。
 この歌(La Espero)を、わかりやすい日本語歌詞をつけて エスペラントを
知らない人にも歌ってもらおうと している友人がいます。うまくできれば
いいな、と思っているのですが。1番だけ作って様子を見ています。
「やってみよう」と思う方、歌える試訳を どうですか?
> エスペラントでもTANKAOは盛んなようで、丹花さん、北辰さんも
> 趣味となさっているんですよね?
私は「趣味」と言えるほどには とてもとてもだが、外国にも紹介したい
国内の作品をいじっているうちに 短歌に当たってしまったのです。
 俳句は興味を持つ外国人が多く英語、ドイツ語その他で作る俳人が結構
いますね。エスペラントでもこの頃下火か、と思ったら「モバード俳壇」で
盛り上げている。日本の伝統的短詩型が外国人を魅する、のは愉快ですね。

449ベダウリンデ:2009/05/12(火) 16:34:15
胡人様
>短歌31文字では、ただ、5、7、5、7、7すべての句をのばすのではなく、
>始の5、中の5、最後の7をのばし、2番目の7、4番目の7を短くすることで抑揚が生まれ実際に詠える短歌になります。

学校で習った事を思い出したのですが、短歌には七五調だけでなく、五七調もあります。
その場合は、
あまのはら〜、ふりさけみればかすがなる〜〜   ではなくて
あまのはらふりさけみれば〜〜 かすがなるみかさのやまに〜〜 となると思います。

胡人さんが「詠える短歌」いう読み方は、私にもリズミカルに感じられますが、
それは、我々現代日本人が4拍子のリズムに慣れすぎているから、そう感じるのではないでしょうか?

あま、のは、らー、休
ふり、さけ、みれ、ばー
かす、がな、るー、休
みか、さの、やま、にー
いで、しつ、きか、もー

と、ついついこう読んでしまいがちではないか、という事です。

450ベダウリンデ:2009/05/12(火) 17:28:09
胡人様
「同じ強さの強拍が規則的に出てくる例」は、日本の歌で何があるか、考えたのですが
「手まり唄」的なものならありえますね。
手まり唄があるのだから、私が知らない日本の古典音楽でも、同じようなものがあるかもしれません。
ただし、手まり唄は、一拍の中が「タンタ」と細かくはずんでいますので
(例、あんた、がーた、どーこ、さ)
お経のような等間隔性とはまた違うようにも感じます。
(お経のようなリズムで歌う日本の歌があるのか、改めて探してみます)

http://www.epa.jp/arangxo.html で推奨されていた短歌形式は
お経のリズムなのか、手まり唄的なリズムなのか、実際聞かないと分からないですね。

北辰さん
単に「今の楽譜」に合うか合わないかだけを考えてたのですね。なーんだ、という感じです。
私は、歌詞がなぜ定型リズムなのか、そのリズム配置の由来は何なのか、を考えていたのです。
北辰さんはそういう事には興味無いでしょうから、質問は取り下げます。

エスペラントの詩の形式って、英語詩の形式に近いように思いました。
でも、英語を敵視してるエスペランチストが英語詩に倣うわけないし、と思って、
その由来をちゃんと知りたかったのです。
誰か詳しい人いたら、どうか教えて下さい。

451ベダウリンデ:2009/05/13(水) 09:15:23
「同じ強さの強拍が規則的に出てくる例」は、能の「大ノリ、中ノリ」がありましたね。
私は素人なので、単にセリフを読んでいるだけのように聞こえていましたが、
「謡」ともいうし、演じてる人は「うたってる」のかもしれないですね。
それに、敢えて棒読み状態で「うたう」事による音楽的効果もありますね、きっと。
緊迫感とか、鬼気迫る感じ、とか、やわな感情では立ち向かえない状態、とかを表現できるんだと思う。
お経もそうですね。(等拍に読むタイプのお経です。声明もお経の一種だから、ただし書きが必要です)
棒読みは感情を抑えてる感じがするので、それにより逆に、鬼気迫る凄味が感じられるのかもしれないです。

日本語は音節リズムの言語だから、何も感情を入れないと、単純な等拍の棒読みになる。
日常語では感情が入るので、多少等拍性が崩される。
感情を堂々と表現した「歌」となると、等拍性は意図的に崩され、はずんだり、語尾が伸ばされたりする。
和歌は感情を表現する芸術だから、等拍ではないリズムで歌うのが「正統」なのではないか??と。。
以上は私の推論です。

エスペラントや英語など、強勢リズムの言語はどうなのでしょう?
何も考えないで喋ると、強弱のリズムがバラバラになるので、その点を「醜い」と感じるのでしょうか?
日本語とは逆に、拍節にきれいに並べることが、彼らにとっての「美」であり「感情がこもってる」事になるのでしょうか?

こういう話には興味のない人が多いと思いますが、皆様のご意見をお聞かせ下さい。

452北辰:2009/05/13(水) 17:38:03
ベダウリンデさん
> 短歌には七五調だけでなく、五七調もあります
?? 七五調の短歌? どんなものか、例を教えてください。
五七調の例のつもりか、あたたが出している
> あまのはら〜、ふりさけみればかすがなる〜〜
は、五七五七七の 5句の、短歌と 呼ばれているものですね。
> 「今の楽譜」に合うか合わないかだけを考えてたのですね
違います。あなたは La Espero の改変を考えている。 -o などの母音省略を
やめて音の数、リズムが変われば当然楽譜も変わらねば歌えません。おもしろい
ものができたら拝見したい、とは思うが具体的なものは 何も見えないので
判断のしようがない、ということです。
 ザメンホフの La Vojo, 長く R,G,Tomblin の曲で歌われていたが g^anfranko は
これに全然ちがうメロディをつけてギター弾き語りで歌った。なかなか
おもしろいな、と思いました。もっとも原歌詞の改変は一切ありませんが。
> 歌詞がなぜ定型リズムなのか、そのリズム配置の由来は何なのか、
> を考えていたのです
詩を作るのが人間だからでしょう。人間のすべての動作は 心臓の鼓動、呼吸など
基本に強弱リズムがあり、若干の変化を加えて変種も作れます。あとは表現者
(作者)が自己の表現内容にふさわしいリズムを選ぶ、表現の自由を発揮するだけ。
> 英語を敵視してるエスペランチストが英語詩に倣うわけないし
ずいぶん不思議なことを言いますね。エスペラントの詩も(特に定形詩では)
英語も含むヨーロッパの詩の伝統を受け継いでいます。使いやすいから私は
エスペラントを主に使っているが、英語でしか 話せない人や、読めない情報に
出会えば英語を使う。どちらもコミュニケーションの道具で、場合場合で
便利に使えばいいことです。

453松戸彩苑:2009/05/13(水) 22:23:03
先に述べたように私は語尾の -o の省略が気にならないんですが、それは、合成語をつく
るときにしばしば(okul-vitroj のように)語尾の -o を省くということがあるからではないかと
思いました。

454Kanva:2009/05/14(木) 00:26:29
時に、日本語の定型詩と比較する対象としては、琉歌あたりがまず不可欠だと
思うのですが、まだ話題に出てこないようですね。

さて韻文には、強弱を主な要素とするものと、そうでないものの両方があります。
また、強弱を等間隔に繰り返すものと、不均等に配置されるものがあります。
例えば中古漢語以降の漢詩(詩詞)は、主に声調(平仄)に由るものですね。
この漢詩では、各音節(語)の間に、目立った強弱はつけないと思います。

私は、強弱が等間隔に繰り返される韻律は、「当たり前ではない」と思って
います。恐らくロシア語でもドイツ語でも似たような韻律をしているので、
サメンホフが採用したのでしょうが、エスペラントの内的リズムから自然に
導出できるものかどうかは大いに疑問に思います。
(私は高校時代、レールモントフの詩に曲をつけたりして遊んでいましたが、
もう遠いかすかな思い出です。)

そして、韻律に合わせるために語順を倒置することは比較的普通のことですが、
散文にない語尾省略をすることは、当たり前ではないと思っています。

ちょっと当面、書く時間が十分取れませんが、視座の一助になればと、追々、
インドの韻律の話を書ければと思っています。

455ベダウリンデ:2009/05/14(木) 09:56:44
北辰さん
>?? 七五調の短歌? どんなものか、例を教えてください。
五七調  http://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%BA%94%E4%B8%83%E8%AA%BF/
七五調  http://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%B8%83%E4%BA%94%E8%AA%BF/

>あなたは La Espero の改変を考えている。
そんな事全然考えてませんよ。ザメンホフがなぜ母音省略したのか考えてます。

>詩を作るのが人間だからでしょう。
北辰さんは私が考えてるような事には一切興味が無いのだと思います。
人はみな興味対象が異なりますから、それはそれで構いません。
北辰さんの「答え」は私には「答え」になってないのですが、
興味の対象が異なるので仕方のないことです。

456ベダウリンデ:2009/05/14(木) 10:11:38
>英語も含むヨーロッパの詩の伝統を受け継いでいます。

どうやらそのようですね。私は西洋詩の事は全く知らなかったので、
今回初めて関心を持って色々調べることができました。

参考文献  http://www.venus.dti.ne.jp/~kaisaki/gengoken/pdf/vol2/ueda2.pdf

『ロシアにおいて近代的な意味で言うところの文学の1 ジャンルと
しての詩が盛んになったのは17 世紀初めのことだが、この時期の
詩は各詩行のアクセント数のみを基準とし、音節数やアクセントの
規則的な配置は問題にしないアクセント詩法( тоническое
стихосложение)によって作られた。』

『上記の詩法は17 世紀も中期になる頃には衰退し2 、代わって主にポーランド詩から
音節詩法(силлабическое стихосложение)が輸入された。
この詩法はギリシア・ラテン詩法に起源を持つもので、
各詩行の音節数のみを一定にして、アクセントは問題にしないというものである3。
音節詩法は音節に長短の区別のある言語
(例えばギリシア語やラテン語)の詩法としては有効なものだが、ロシア語の
ように語のアクセントに著しい強弱があり、また音節に長短の区別がない言語の詩法としては、
その特徴を十分に生かせないことから、適したものとは言い難い。』

『初めてこの疑問を公にしたのはВ. К. トレジャコフスキーТредиаковский(1703-69)である。
彼は1735 年に『新簡易ロシア作詩法(Новый и краткий способ к сложению российских стихов)』と
題する論考を発表し、ロシア詩法の改良案を呈示した。
彼の改良案というのは、ギリシア・ラテン詩の模倣である音節詩型ではなく、
アクセント詩型こそがロシア詩に適している、というものだった。
また、彼はロシア詩に詩脚(ロシア語ではстопа)の概念を導入し、(以下略)』

『これに対してМ. В.ロモノーソフЛомоносов(1711-65)は1739年に
『ロシア詩法に関する書簡(Письмо о правилах российского
стихотворства)』7を著し、トレジャコフスキーの上記論考の不徹底性の数々を批判し、
ロシア詩法の改革案を呈示した。
彼の主張とは、アクセント音節と無アクセント音節の交替を詩行の一次指標に
高め、2 音節詩脚のみならず3 音節詩脚を認め、
強弱格以外にも弱強格(ヤンブямб)、強弱弱格(ダークチリдактиль)、弱強弱格
(アンフィブラーヒーамфибрахий)、弱弱強格(アナーペストанапест)を認め8、(以下略)』

『いずれにせよ、この2 人の活動により、ロシア詩には新しい詩法―すなわち
音節アクセント詩法(силлабо-тоническое стихосложение)―が導入された
のである10。』

『ロシア詩法の用語を英詩法、フランス詩法の用語と比較しながら見て来たが、
そのいずれもに語感の共通性があることが気付かれる。
それは、これらの詩法用語が本来はギリシア・ラテン詩法のものであったのを
後代のヨーロッパ諸国が輸入し、それを彼らの詩法に合わせるべく用いたからにほかならない。
つまり、このことはヨーロッパの詩法というものがギリシア・ラテンの模倣から出発し、
それぞれの言語に合わせるべく進歩したものであることを表している。
もちろん、その過程において、ヨーロッパ各国の詩法が互いに影響し
合って発展したこともまた事実である21。』

強勢アクセントのロシア語も、はじめは独自の形式の詩を持っていた。
しかし時代が下がるにつれ、ヨーロッパ色に染まって(?)いったことが分かりました。

457ベダウリンデ:2009/05/14(木) 10:21:55
Kanvaさん
>私は、強弱が等間隔に繰り返される韻律は、「当たり前ではない」と思って
います。

そうかもしれないですね。

>恐らくロシア語でもドイツ語でも似たような韻律をしているので、
サメンホフが採用したのでしょうが、エスペラントの内的リズムから自然に
導出できるものかどうかは大いに疑問に思います。

私も、散文のエスペラントでも、「十分美しい」という印象を持ってました。
なのでそこから独自の「美」を作ればいいになー、(と他人事だけど)そう思ったのです。

>散文にない語尾省略をすることは、当たり前ではないと思っています。

全くもって同感です。

458松戸彩苑:2009/05/14(木) 21:04:31
語尾の -o の省略の話が続いていますけれども、それに似た話を思い出しました。

エスペラントには dank' al (〜のおかげで)という表現があります。
これはザメンホフが使い始めたものですが、しかし、この表現を批判する人がいるんですね。

(1) エスペラントの16条の文法は、名詞の語尾 -o を省略することは認めているが、それ
    以外の品詞の語尾の省略は認めていない。

(2) だから dank' al は(たとえザメンホフが使ったものであっても)間違いであり、danke al
    としなければならない。

というのがその論旨なんですが、これについてはどう思われますか?
私の意見は、みなさんの意見をうかがった後で書きます。
---

それから余談になりますが、今日の昼ごろに「花より団子」に相当する表現を思いつきました。

  rizo pli ol rozo

というものですが、いかがでしょうか?
脚韻は踏んでいないんですが、一文字違いで意味が大きく異なるというところが面白いんじ
ゃないかと思ったんですけどね。

ちなみに『日本語エスペラント辞典』の「団子」「花」の項には「花より団子」の訳として

  regaloj pli ol flor-petaloj

というのが載っています。

459松戸彩苑:2009/05/15(金) 06:18:33
いま思い出しましたが、エスペラントの16条の文法においては「名詞の語尾の -o の省略」
だけでなく「冠詞の la を l' とすること」も認めているんですよね。

これについては、どのように思われますでしょうか?

460北辰:2009/05/15(金) 07:59:16
ベダウリンデさん
> ザメンホフがなぜ母音省略したのか考えてます
私が次のメッージで説明した通りです。
> 402 名前:北辰 投稿日: 2009/05/03(日) 01:28:10
La Espero の例でしたが、「詩のリズムを維持し、定形詩を構成するために必要」
と言う説明が、どうもあなたには理解できないようで、さらに
> 定型リズムにこだわるのはなぜか
と言われた時、根本的に「定形詩に対する理解がない人」と知るべきでした。
これはその後 あなたの
> > 英語も含むヨーロッパの詩の伝統を受け継いでいます。
> どうやらそのようですね。私は西洋詩の事は全く知らなかったので、
で明らかになりましたが、どうぞ理解を深めてください。
La Espero は kvin-trokeo(強、弱のリズム5個で1行の定形詩)なので、
それに揃えるためザメンホフは苦労してますね。しかし見事にできています。
 定形にこだわらず自由詩を作るのも、作者の「表現の自由」ですから、
面白いものができたら 見せてください。

461ベダウリンデ:2009/05/15(金) 17:17:06
定型詩といえば、短歌や俳句も日本の定型詩と言えるでしょう。(音節数の定まった詩)
5文字7文字の組み合わせは、日本人にはとても安定的に響きます。
それは万葉集の時代から現代まで、日本人の言語的美意識としてずっと続いています。
淡々と等拍的に「しずけさや」と言うだけで、とても安定感が感じられます。
「しずかだ」「しずかだよね」より「しずかだな」の方がリズム感が出ます。
このような言語的美意識は日本語の特質から出ているのでしょう。
私にだってちゃんと、母語の日本語では「定型詩に対する理解」はありますよ。

エスペラントにもtankao やhajkoもありますが、
エスペラントを5音節で言ったとして、はたして日本語のような美しい安定感は得られるのでしょうか?
「わがこころ」と同じリズムで「ほみあころ」と言っても、エスペラントらしくないでしょう。
エスペラントだったら「ホーミーアコーロ」と堂々と言った方がずっと美しいと思いますし、
わざわざ5音節にしなくても、いきなり「ミーアコーロ」と言ったとしても、全く遜色ないと思います。

462ベダウリンデ:2009/05/15(金) 17:35:44
エスペラントでtankaoやhajkoを作るのはなぜですか?
本当に、その音節数の組み合わせがエスペラントにぴったり合って美しい、と言えるのでしょうか?
日本の文化を外国人に紹介して親しみを持ってもらうためのツールとしては役立つでしょう。
でも、5,7,5音節のエスペラント文を読んだ外国人は、
日本人が日本の俳句で感じる美しさと同じ印象を持つのでしょうか?

ラテン詩型定型詩についても同じです。
それは西洋一般に普及して、彼らの美意識に染みついているので、
彼等にとっては、日本人が575で句を作りたいのと同様な理由で、そう作りたかったのでしょう。
でも、それは本当にエスペラントに合っているのでしょうか?
母音省略という、日常語を不自然に加工してしか生み出すことのできなかった
ザメンホフの「ラエスペロ」って、そんなに素晴らしいのでしょうか?
定型に無理やり押し込めた努力って、そんなに称賛される事なのでしょうか?

もし「西洋型定型詩はエスペラントにぴったり合っている」としたら、どうでしょう?
単語、文法はエスペラントはヨーロッパ的です。
それは我慢できるとしても、それ以上の「言語的美意識」までも、
ヨーロッパ流に染まらなければならない、という事です。
エスペランチストが「それでいい」と思ってるなら、私は何も言わないです。

463ベダウリンデ:2009/05/15(金) 17:52:37
そうそう、日本人は普通に喋る場合でも、ちょっと気をきかせば
すぐ5,7,5口調で言えますね。
なんでだろ、やけにくいつく、ほくしんさん(最後はちょっと字余り)
(まあ、俳句が芸術的になるには、内容が重要なんですけどね。)

エスペラントでも、『それに揃えるためザメンホフは苦労してますね。』
なんていうような「苦労」なんてしなくても、
誰でもさらっとリズム感ある詩句が言える言語だったら、
エスペラントはきっと魅力的な言語になってたと思う。

464Kanva:2009/05/15(金) 22:17:53
>松戸彩苑さま

まず、「散文と違う語形を、韻文で韻律に合わせるために頻繁に使うこと」が
問題なのであって、散文や口語先行で広まったものが韻律に入ったり、
或いはほぼ同時並行で入ったりする分には、違和感がないと思います。
また、韻文の方に古形が残ったために散文と違うのも、自然なことです。
どの言語でも、その言語に合った「美」を、文筆家が模索してきた歴史が
あります。言語という土壌がまずあって、その特性に合った文芸・文学が
花開きます。
そこを、「計画言語でもちゃんと文芸・文学ができるんだぞ」ということを
早く見せるために、無理して近隣言語の韻律を移植してきたのだとしたら、
それは何かおかしいぞ、というわけですね。
世界中の韻律の中から、作り手がどんどん好きな韻律を持ち込んで、
独自のエスペラント詩の世界を開拓するのが、筋としては望ましいことです。
……私は多分、やらないけれど。

dank' al は、もう群前置詞として機能していて、副詞としての danke の
意味が変質してしまっているので、副詞を示す語尾を省略しても構わないと
思います。
明らかに名詞として使っているのに名詞語尾を省略するのとは、違います。
それに、「韻文だから省略している」のでもありません。

465Kanva:2009/05/15(金) 22:43:51
インドの韻律は、皆様ご案内のとおり、大きく二つの流れがあります。
『リグ=ヴェーダ』を最古の文献とする、インド=アーリア語派のものと、
『サンガム』を最古の文献とする、ドラヴィダ語族のものですね。

後者は、大野晋氏が、日本語の五七調の源流ではないかと論じたもので、
文節を単位として各行を組み立てる独特のシステムを持っているそうです。

前者は、ヴェーダ語に端を発する、やはり膨大なシステムですが、
音節の長短(発音にかかる時間)を最も主要な要素として展開します。
音節は、
G (重=guru)と
L (軽=laghu)との
二種類に大別され、三音節の並びの略号として、順列組み合わせ的に
Y = L G G、
R = G L G、
T = G G L、
Bh = G L L、
J = L G L、
S = L L G、
M = G G G、
N = L L L、
というのがあります。
この辺はラテン語と似ていますね。
ただ、この三音節の並びというのは、意味のまとまりでも、韻律の感じ方の
単位でもありません。単に一脚の頭の音節から三つずつ数えて略号に
置き換えるだけの、諳記の道具のようなものです。

466Kanva:2009/05/15(金) 23:03:39
古典サンスクリットで、おそらく最も大量に使われてきた韻律として、
「シュローカ」(狭義の「アヌシュトゥブ」)があります。

○を、軽重どちらでもよい音節の記号とすると、

○○○○ LGG○, ○○○○ LGL○ |
○○○○ LGG○, ○○○○ LGL○ ||

という形式の韻律です。
8音節で一つのまとまりを持ち、その5音節目が軽く、6音節目が重い
リズムがミソです。全体としては、アクセントは不規則なはずなのに、
心地よい4拍子で歌える調子になっています。

エスペラントでは、このシュローカを構成するにも、句末から2番目の
音節を軽くするのがネックになりそうですね。

467松戸彩苑:2009/05/16(土) 09:40:16
>>464
たしかにその通りですね。

私の場合は「エスペラントでよく詩を作るなぁ」という感嘆(と呆れ)の気持ちが先に立ちます
ので、-o の省略とかはほとんど気にならないんですよね。
たぶん、そこのところで意見の相違が出てくるのでしょう。

ところで、これまでは「日本のエスペラント界は、欧米と比べると、詩に関心をもつ人の割合
が少ない」と言われてきたんですが、Kanva さんやベダウリンデさんのように詩にこだわる
人がいらっしゃるのを見て、正直言って驚いております。

残念ながら私は詩には詳しくないので、専門的なことは『Parnasa Gvidlibro』や詩集なんか
を取り寄せて研究していただきたいと思いますね。

あるいは、他のエスペラント掲示板で尋ねてみるという手もあるでしょう。

468Raku:2009/05/16(土) 09:49:35
>>460
北辰さんお勧めのエスペラント「自由詩」を教えてください。

>>462
>そうそう、日本人は普通に喋る場合でも、ちょっと気をきかせば
>すぐ5,7,5口調で言えますね。
一般に定型詩は西洋の詩でも漢詩でもそんな安直なものではありません。
かなり勉強を要します。なぜそうような詩形が出来たのかは、言語の音韻的
特質だけでは説明できない歴史的文化的背景があります。
「誰でもさらっとリズム感ある詩句が言える言語」とはどの言語ですか?
そんな言語はわたしは知りません。

>>464
>そこを、「計画言語でもちゃんと文芸・文学ができるんだぞ」ということを
>早く見せるために、無理して近隣言語の韻律を移植してきたのだとしたら、
>そそれは何かおかしいぞ、というわけですね。
>世界中の韻律の中から、作り手がどんどん好きな韻律を持ち込んで、
>独自のエスペラント詩の世界を開拓するのが、筋としては望ましいことです。
>……私は多分、やらないけれど。
同意です。「私は多分、やらないけれど。」の部分も含めて。
和歌の翻訳を考えてますが、一人ではできませんし協力できる能力を
備えたエスペランティストはいませんから絶望的ですね。

469北辰:2009/05/16(土) 10:30:54
-->458 松戸彩苑さん
ちょっと訂正します。
> (1) エスペラントの16条の文法は、名詞の語尾 -o を省略する
> ことは認めているが、それ以外の品詞の語尾の省略は認めていない。
文法第16条ですが、名詞の語尾 -o と 定冠詞の語尾 -a の省略を認めています。
いま気がついた。あなたは 459 で この件追加していました。
ほかは認められてないので、 dank' al については
> 間違いであり、danke al としなければならない
と 言えます。しかし、現実には「広く便利に」使われており
「文法原理主義」も なかなか優勢に なれません。
ザメンホフは dank' al と同じ意味に danke 〜-on も使っていますが、こちらは
前置詞省略の対格となり、文法違反にはなりません。
 この第16条の母音省略、詩人にとっては福音ですね。定形詩の音の数や
リズムを合わせるのに四苦八苦するとき、ほんとに助かりますから。
母音省略に反対し、わかりやすい詩を、と主張し実践している
Brendon Clark も おりますが、立派なもの、と思います。
> rizo pli ol rozo
おもしろい! もっとできそうですね。

470Raku:2009/05/16(土) 11:57:11
>>462
エスペラント短歌とエスペラント俳句の形式はエスペランティストの発明では
ありません。日本語歌人日本語俳人が非日本語人に短歌俳句を作らせるために
考え出した形式です。

471Raku:2009/05/16(土) 12:12:06
わたしの知っている限りでは日本語を除くあらゆる言語で短歌は
5音節、7音節、5音節、7音節、7音節の5行で書かれます。もちろん
日本語短歌のリズムを理解する助けにはなりませんし、それ自体としても
快いものではありません。

472Raku:2009/05/16(土) 17:25:33
エスペラント版ウィキペディアではこのようになってます。
Poemo
http://eo.wikipedia.org/wiki/Poemo

Poezio
http://eo.wikipedia.org/wiki/Poezio

Verso
http://eo.wikipedia.org/wiki/Verso

473北辰:2009/05/16(土) 19:03:49
Raku さん、
> 北辰さんお勧めのエスペラント「自由詩」を
寡聞にして、心当たりはありません。詩集を見てもみな定形詩、なかに
行の長さ不そろいで これは非定形=自由詩か、と思ってみると作者が組み立てた
独自のリズムと脚韻で組み立てた定形詩だったり でお求めには答えられません。
リズムも 韻も ないものは詩でなく、散文 ということでしょうか。
 このスレで母音省略を嫌い、詩のリズムの必要についても疑問を持つ方が
いるので、その考えを実行したら自由詩(自由律?詩)だろうと思い、
> 面白いものができたら 見せてください。
と書いただけです。
 日本の詩歌には自然と人間の関わりが多い。死後も「草葉の陰から」縁者を
見守ったり。英語文化の中から出た歌でも「千の風になって」が日本で受けたのは
そのためか。しかしヨーロッパ文化ではこんな思想は見えないようですね。
Mediuma Poemaro(ブラジル、 1972)は その性格上 生と死を扱った詩99編が
出てますが、ほかの生き物と違って人間だけは 神のもとへと 天をめざし、
「千の風」になる気配は全くなし。あの歌が元来アジア起源でアジアと共通の
自然観をもっていたインディアンからでないか、と言われる所以ですね。
この詩集の作品、構成は多様ですが、やはり全部 定形詩です。

474Raku:2009/05/17(日) 20:52:27
北辰さんお答えありがとうございます。
「詩=poezio/poezia?o」という理解は決定的に間違いということでしょう。

475Raku:2009/05/17(日) 22:30:58
エスペラント短歌俳句についてはベダウリンデさんがすでに指摘されましたが、
拍がすべて同じ長さと意識される日本語と違って、強弱アクセントでアクセントの
ある音節が長めに発音される言語では、強弱の並べ方に規則性がなければ
リズムは成立しません。

476ベダウリンデ:2009/05/18(月) 09:11:41
>このスレで母音省略を嫌い、詩のリズムの必要についても疑問を持つ方が
>いるので、その考えを実行したら自由詩(自由律?詩)だろうと思い、

それは誤解です。
私は「エスペラントならでは」の「エスペラントの言語の特性を生かした」
「母音省略という不自然な操作せずに、誰でも自然に口に出せる」エスペラント定型詩は
なぜ生まれなかったのか、という疑問を持っています。

西洋詩はラテン語の呪縛に縛られながら(ラテン語というお手本から離れられずに)発展してきた。
中国詩も(よくは知りませんが)古典詩の偉大さが大きすぎて、
現代中国人からすると「縛られている」と感じたりするかもしれません。

幸い私は日本人ですが、5文字7文字の組み合わせという日本の定型は
とても良くできたものだと、関心せずにはいられません。
古代から続き、現代の小中学生でも現代口語で短歌俳句が作れちゃう。
文字数という、最も単純な基礎だけ決まっている。
ジャンルによって規則(俳句の季語)や技巧(枕詞、掛詞)があり、
それによって単純さだけでない変化が加わる。
文字数の規則も厳密ではなく、字余り字足らずも許され、それでいてリム感が損なわれない。
5文字に合わせるために、不自然な言語的な操作をする「苦労」なんてないんです。

>「誰でもさらっとリズム感ある詩句が言える言語」とはどの言語ですか?
>そんな言語はわたしは知りません。
日本語ですよ。日本語で575口調で言うのに「苦労」しますか?
日本語の他に外国語自体を私は知らないのですが、
世界には、今の自分の気持ちを、即興で、メロディ付きで歌ってしまう民族がいますよね。
歌うってことは、リズム的にも自然に言えるって事かもしれないですよ。

ザメンホフは西洋人なので「詩とは苦労して既存の枠にあてはめるもの」という先入観から抜けられなかったのでしょう。
世界には、言葉をもっと自由にあやつる民族が他にも沢山いるかもしれませんよ。
いつまでも「ザメンホフの呪縛」に縛られていると、
エスペランチストはいつまでも19世紀ヨーロッパの枠から抜けられないですよ。

477ベダウリンデ:2009/05/18(月) 09:17:04
464のkanvaさんのご意見には全面的に同意です。
エスペランチストの中にも、西洋に縛られない人がいるのは心強いですね。

478ベダウリンデ:2009/05/18(月) 15:46:24
dank' al の件について、自分の意見。
日常語で頻出する言い回しが、より言いやすい形に丸まるのは、全く自然な事だと思います。
アキバハラがアキハバラになったように、です。
de temp' al tempoという言い回しも見かけた事があり、違和感はありませんでした。
言語は自然に変化するのが当然です。
ただし名詞末尾の母音省略は、日常語の散文にはほとんど見受けられず、
詩においてのみ頻出します。そこが「不自然」なのです。

>この第16条の母音省略、詩人にとっては福音ですね。定形詩の音の数や
>リズムを合わせるのに四苦八苦するとき、ほんとに助かりますから。
詩を作るのに、文字数を合わせるためだけに四苦八苦するのは、異常事態だと思います。
何のための「定型」なんですか? 詩人が「苦労」するためのものなんですか?
それとも、>422で北辰さんが『詩人の特権としてリズムや韻を揃えるために許される』と書いたように、
詩人が特殊技能をひけらかし、特権階級ぶるために必要なんですか?

479ベダウリンデ:2009/05/18(月) 16:00:57
詩の発生については、>464のKanvaさんの意見に同意で、
エスペラントでは詩が自然発生する前に、ザメンホフが既存の定型を安易に移植してしまった。
それは人工言語ならではの「失敗」だったと、私も思う。

それ以外にも、西洋や中国など、文化先進国には特有の事情もあると思います。
古代の言語では自然な形であった定型が、時代を追って言語の方が変化してしまい、
古代の名作詩は、実際の日常語とはかけ離れたものになってしまった。
しかし名作詩の権威は衰えなかったので、言語が変わっても昔の定型は守られる努力がなされ、
よって、詩は日常語と異なる言語で書かれるのが当然だ、という感覚になってしまった。
ザメンホフもそれを受け次いでいるのだと思う(19世紀ヨーロッパの限界)

日本も文明国だったけど、定型の基礎が単純で、時代時代に適応できたことが幸いしたのかな。

北辰さんはアメリカインディアンの例をあげたけど、彼等の詩はどのようなものなのでしょうね?
英雄叙事詩とか、神(彼等が神とみなすもの)への讃歌とか、きっとあるんじゃないかな?と思う。
そしてそれには、耳で聞いて心地よい、何か表現上の工夫があるんじゃないかな?と思います。
彼等は詩を「文字で記す」事はしなかったから、「昔の定型」は保持されない。
とすると、時代時代で言語が変わっても、聞く人が違和感なく聞けるような形で受け継がれてきたのでは?
と思います。まあ、これは私の「想像」ですけどね。
詩の言葉は本来は「自然なもの」であるべきだった、と思うんですよ。

480ベダウリンデ:2009/05/20(水) 10:25:20
ザメンホフは最初から、ラテン語っぽい詩を書けるように(或いは、書くために)、エスペラントを設計したのではないですか?

ラテン語アクセントについて調べたのですが、http://www.kitashirakawa.jp/taro/latin20.html
ラテン語には長母音と短母音があり、それとは別に高低のアクセントがあるようです。

ラテン語=『2音節の単語の場合。 語の最後から数えて2つ目の音節にアクセントは置かれます。 』とあり、
エスペラントでも最後から2番目にアクセントがくるので、
2音節目が長母音でないラテン語単語に限り、耳で聞いた印象は、エスペラントのアクセントと近くなるでしょう。

ラテン語=『3音節の単語の場合。 ラテン語では、後ろから数えて2番目の音節に含まれる母音の長短で判断します。
それが「長い」音節であれば、この2番目の部分にアクセントがつきます。』
ラテン語でこのパターンにあてはまる単語は、そのまんまエスペラントのアクセントパターンと同じになります。

ラテン語ではこれ以外のアクセント(『「短い」音節であれば、語の後ろから数えて3番目の音節にアクセントがつきます。』)
もありますが、そこまで真似ると、エスペラントの「規則性」が損なわれる。
エスペラントの規則性をなるべく損なわない形で、ラテン語詩の形体にも対応できるようにしたい。
そのための最も単純な「例外措置」が「末尾母音-oの省略」ではなかったか?
と思いました。
事情通の皆さんは真実をお知りでは?

481ベダウリンデ:2009/05/20(水) 10:34:28
問題点を先に書いちゃうと、
ザメンホフがラテン語風の詩をエスペラントで絶対に書かなければならなかったのは、
彼にとっては、西洋文明が世界の規範となるべき至高の存在だったからではないでしょうか?
その思想は現代の「世界人」からすると「異常」です。
世界の価値観は多様であり、全て尊重されるべきものです。
ヨーロッパ文明は特殊で魅力的ですが、それが世界の他の文化に比べて殊更に勝っている、と思う必要はないと思います。

エスペランチストは「ザメンホフ先生は常に正しい」「ザメンホフ先生のお手本どうりに詩を作ろう」
と素直に思いすぎていて、ザメンホフへの批判精神がなかなか現れないのだと思います。
その結果、みんなして「四苦八苦」してラテン語風の詩を書いて喜んでいる、
それが結果として、「西洋文明世界一!!」という凝りかまった価値観に陥る、
それはザメンホフの仕掛けた罠だと、誰も気付かずに・・・

482松戸彩苑:2009/05/21(木) 06:31:49
>>480
> ザメンホフは最初から、ラテン語っぽい詩を書けるように(或いは、書くために)、エスペラ
> ントを設計したのではないですか?

ザメンホフは最初は(アルカやクリンゴン語のように)民族語とはまったく関係なく単語を作
ってみたのですが、それだと自分にとってさえも憶えるのが大変だということが判って、そ
れで当時のヨーロッパ社会においてもっともよく学習されていたラテン語やフランス語をもと
に単語を作ることにしたんですね。

つまり「当時の人たちの学習のつごう」に合わせて作られたんですね。

それから詩ですが、ザメンホフは単純にヨーロッパ式の詩の作り方しか知らなかったんじゃ
ないかと思います。
(でもヘブライ語の詩の形式くらいは知ってたかもしれません)

「ヨーロッパ中心だ」とはよく言われることですが、100年前のロシア帝国民であったザメン
ホフがヨーロッパのことしか知らないのは已むを得ないでしょう。

ヨーロッパ以外の要素を取り入れるというのは、後世の人間がやるべきものだと思います。

483ベダウリンデ:2009/05/21(木) 09:32:28
>ヨーロッパ以外の要素を取り入れるというのは、後世の人間がやるべきものだと思います。
それが簡単なようで、簡単ではないんだと思います。

ザメンホフは基本単語を決める時、どういう基準で選んだのでしょうでしょうか?
ヨーロッパ語の中からアットランダムに「平等に」選んだのはないですね。
単純な多数決? だとしても、最も影響力のあるラテン語起源の単語が自動的に優勢になるでしょう。
或いはそうではなくて、最初からラテン語系優先で考えた、とも考えられますね。
ラテン語優先で考えれば、必然的に、その直接後継者であるところの仏伊西の各国語に近くなるし、
英語もラテン語単語の影響が強いのでイギリス人にも好都合。
西洋文明の規範であるラテン語を優先にするなら、違う単語を使っているドイツ人ロシア人も文句ないだろう。
(ドイツ語ロシア語起源の単語は微量取り入れれば、一応平等ということで納得してくれるだろう)

今回、アクセントまで「ラテン語風」に仕組まれていたと、初めて気がついて知って、ちょっとショックでした。
Kanvaさんがkoroはラテン語のcorだと教えてくれましたが、
一音節名詞はラテン語にはありますね。(エスペラントで一音節は代名詞前置詞数詞くらい)
花floro=flos 山monto=mons 平和paco=pax 声voĉo=vox 王reĝo=rex
そういう単語は末尾母音省略することで、音韻面でもラテン語に近づくのだと思います。

日本人の私も、ラテン語基準なら他のヨーロッパ語を覚える時に便利かな?と
最初は安易に考えていましたが、
単語面で妥協すると、歌とか詩とか「文化」に関わることまでも、
西洋文明に対して妥協しなくてはならないんだな、と気づきました。
ラテン語風単語を使ってラテン語風アクセントで歌えば、
立派な「エセ」ラテン語風歌になるしかないでしょう。

日本人エスペランチストが素直に「ザメンホフ先生をお手本に」なんて思って詩を書いていると、
ヨーロッパ人は、「我々の西洋文明が優れているからアジア人が模倣しているのだな」と思うんだろうな。

484ベダウリンデ:2009/05/21(木) 09:56:07
>ヨーロッパ以外の要素を取り入れるというのは、後世の人間がやるべきものだと思います。

おまけで書きますが、エスペラントでは
(エスペラントがヨーロッパ一色から脱するために)アジア人頑張れ、なんて話は普通にありそうですね。
でも、アジアだからって即「団結」できないですよね。
ヨーロッパの基盤は「ケルト、スラブ、ゲルマン」と多様だったとしても、
共通して誇り憧れる「ローマ文化」がありますね。
ドイツは「神聖ローマ」と称し、ロシアも「ローマ帝国の正統な後継者であるビザンツ帝国の、さらにその後継者」を自任してた。

アジアはまとまれるものないですよ。価値観が多様すぎる(そこがアジアの魅力ですが)
中東なんて、「一神教」で、こっちから見るとヨーロッパ的だし。
インドは「多神教」でその点は近いけど、あのあくの強さは異質だなーって思う。
中国韓国は「漢字文化圏」の仲間だけど、彼等「大陸的」。
それなのに「アジアは協力してヨーロッパのエスペラントに対抗しろ」なんて
無理だと思いませんか????

485Kanva:2009/05/21(木) 20:43:30
ベダウリンデさん記:
> ラテン語風単語を使ってラテン語風アクセントで歌えば、
> 立派な「エセ」ラテン語風歌になるしかないでしょう。

そういうことだと思います。


さて、古典サンスクリットの「シュローカ」、プラークリットの「ガーター」に
続いて、アパブランシャ文学以降になって代表的になった韻律は
「ドーハー」です。

サンスクリット以来、インドの韻律には「拍(マートラー)」という
発音の長さの単位があります。
「ドーハー」は、音節数を定めず、主に拍の数だけで決まる韻律です。
(サンスクリットにおける韻律「アーリヤー」などの仕組みと類似。)

拍一つを 0 で表わすことにすると、

000000 0000000, 000000 00000 |
000000 0000000, 000000 00000 ||

という、24拍×2行の韻律(二行詩)です。
(ヒンディー語における「一番短い韻律」と言われています。)
古典サンスクリットの韻律では、脚韻を踏む必要はなかったのですが、
ドーハーは各行末の2音節ずつで脚韻を踏みます。
行末最後の音節は短い(1拍の)音節になります。

こうして、各言語文化圏内でも、時代によって韻律の形が変わっていく
ことがあります。

漢語の場合も、音韻体系が時代や地域によって大いに変わってきており、
平仄の本格的な仕組み(近体詩)ができたのは、中古漢語以降(六朝期)で
あると言われますよね。
仏典の翻訳では脚韻を踏まないなど、ジャンルによる違いも指摘されます。

486ベダウリンデ:2009/05/22(金) 09:02:03
心地よいリズム感というものは、言語や時代によって異なる、ということですよね。
エスペラントが西洋流のリズム感に固執し続けるのは、やはり尋常ではない、と私は思います。
さて、エスペラント詩が「エセ」ラテン語詩から脱却するにはどうすべきだったか、というと、
エスペラントならではの個性を前面に出すことではないか、と思うのです。
単語がラテン語起源なのは仕方ないとして、エスペラントの場合、語尾が極度に規則的だという点は
人工語ならではの個性であると思うのです。
それは既存の民族語の美意識からすると「変化がなく醜い」となるのでしょうが、
個性は、それを恥じれば欠点でしかないですが、堂々と出していればチャームポイントになります。
「何〜ァ、何〜ォ言ってるから、これエスペラントだね」と一般人にも区別できたら面白いです。
タモさんの4ヶ国語麻雀のように、でたらめエスペラント語が言えるくらいの「個性」があったらね、と思います。

それからエスペラントで、詩の分野と散文の分野で、全く異なった語法が使われてきたのは
エスペラントの発展にとってマイナスでしかなっかたのでは?と思います。
ただでさえ人的資源にハンディがあるエスペラントです。
詩へ向けられた「四苦八苦」の情熱が、日常語を豊かにする方向へ向かえば良かったのに。
日常語で使えない詩語や詩的アクセントにいくら磨きをかけたって、それは「無駄な努力」だよ、と思うのです。
「詩人達」が、リズム感ある素敵な言い回しを、日常語で使える言葉のために開発してくれたら、
エスペラントはもっと豊かな言語になっていたのではないですか?

487なつ:2009/06/19(金) 22:10:41
エスペラントはヨーロッパ的すぎる
と思ってましたが、その考えは変わってきました。
ヨーロッパ人にしてみれば、習得の容易さからいけば
格段にインテルリングワです。
エスペラントの特徴は、①恣意的な語彙選定②人工的な造語③共通的欧州語から安易な採用(特に新語)。
アジア人からは看過しがたいのですが(特に③)、
ヨーロッパ人にとってみれば③だけでいくインテルリングワが圧倒的に容易で、
逆に特に②が、エスペラントはうざいし覚えにくいと、こうなるわけですね。
例えていうなら、病院は、malsanulejo=反・健・人・所は、②だから、
ヨーロッパ人にとっては、
覚えにくいからhospitaloでいいじゃん、と③でいこうとおしきることになる。
結局2語覚えなければいけないはめになる。
ヨーロッパの言語が不得手な人にとっては機能語を駆使した造語方法のほうが絶対に覚えやすい。

かたや、インテルリングアは、ハナからhosipital一本でいく。

で、母語または第一外国語がヨーロッパの言語だという人は世界で圧倒的多数だと
すれば、その次に学ぶ人工語は、それにより近いインテルリングワのほうが有利といえなくもない。

しかし、インテルリングワをやるんだったら、いっそのこと英語で十分だという意見が強くなる。
無理する必要はなく、英語でいいと。
以前は、Z氏の時代などは、フランス語、ロシア語、ドイツ語、英語、あるいはラテン語などが肩を並べていた。
しかし、いまは、そういうこともなく少なくとも全ての科学の分野では英語で論文を書かなくてはフランスやドイツの機関でも取り扱ってくれない。
国際的学会はどこの国でも英語でやる。あるいは、一流ホテルはどこでも英語で通じる。
Z氏の時代と違い、小さいころからみんな英語に的を絞ればいいだけということだ。
言語間の優劣争いがない今、それを怠らなければ、言語の不平等はない。
英語使用者と不使用者の間で格差は起こるだろうが、それはどの言語を採用してもそれは起こりうることだ。

488なつ:2009/06/19(金) 22:13:16
加筆。アンチテーゼです。

489ベダウリンデ:2009/06/24(水) 10:19:37
インテルリングワ(インターリングア?)も名目「国際補助語」なんだけど、
設計は最初から西ヨーロッパ(=ロマンス語系)志向なんですね。
「西ヨーロッパ的」なのは最初から承知で、というか、それを目指して作られたんだから、
エスペラントと比較しても意味ないと思う。
世界中の諸民族から等距離で平等ですよ、とか、嘘宣伝してないから、売り方としては公正だと思う。
アジア人だったら「こんなんだったら英語でいいよ」ってすぐ思うから「騙されない」ですむ。
エスペラントは名目が平等をうたってるし、設計としてもそれを目指してはいたんだろうけど、
なにせ「当時の時代のせい」とやらが今でも生き残って、ヨーロッパ色がいつまでも消えない。
自分は「救急車」の英単語を知らなかったから、エスペラントでもなかなか覚えられなかった。
malsanoaŭtoとかにしてくれれば簡単なのに、と思った。
ヨーロッパ人がmalsanulejoを覚えるの負担だと言っても、日本人が「救急車」覚える苦労に比べたらはるかに楽ですよ。
日本人が、これからは「病院」と言わずに「反健人所」と言いましょう、と言われたとしても
大した苦労なく順応できると思います。それと同じです。

490ベダウリンデ:2009/07/01(水) 10:17:57
「エスペラントが自然言語的だから」とか言われちゃうと、元も子も無いんですが、
人工言語なんだから、もうちょっと「不自然に」ぎちぎちと決まりを守ってもらえたら
逆に「平等」になったんじゃないか、とも思いますね。
数百?の基本語くらいなら西欧語起源でも全く構わないですよ。
その程度なら頑張って覚えますよ。
でも、造語で言葉を作らないで、西洋語に-o付けてる例が多すぎる。
まともな文読もうとすれば、そういうのばっかりです。
語源が同じゆえ似て非なる単語も多く、混乱します。
humoroとhumuro、どっちが気質でどっちがユーモアなのか、最初全然分からなかった。
英語でユーモアhumorは気質の意味もあり、古さとしてはそっちなんですね。
ユーモアの古い正当な意味=気質がhumoroで、新しい方はhumuroとして区別。
何とややこしい!!!

あと、造語で作ってるくせに、なぜそうなのか通じない例。
よく言われるeldoniもそうだけど、bonhavo良い持ちって何?と思った。
簡単な単語をつなぎ合わせてるのに、意味不明。
財産、だって、ふーん、なんかこじつけっぽい。
きっとどこかの民族語の熟語から来てるんだろうけど、
その民族の感覚が万国共通とは限らない例ですね。

あー、あとそうそう・・・まだまだある不満・・・

491ベダウリンデ:2009/07/02(木) 08:56:28
最初、ホームページのトップに書かれるbonvenonの意味が分からなかった。
今は分かりますよ。英語で言えばwelcome、日本語では「よく来たね」的な表現。
でも、salutonは挨拶「を」、dankonは感謝「を」、こっちにくれる、という意味。
bonan tagonは好き日「を」、こっちに願ってくれてる、という意味。
bonvenonって、「良い来訪を」こっちに願ってくれている?
既にこっちの意思で来訪してるのに、訪問された側が他人事のように言うのがピンとこなかったです。
bonvoleも「良い意思で」が「どうぞ」になるのは微妙な気がした。

その他、partopreni、voĉdoniは、「答え」を知れば「言い得て妙」なのは分かりますが、
答えを知らずに意味を汲みとれ、と言われたら無理。
vidpunktoは文字どおり「視・点」で、そういうのもありますが。

造語は話者が勝手に作って、聞き手が想像力を働かせろ、というのは無理だと思う。
でも、既存の、上手く出来た造語は、「答え」が分かった後なら覚えやすい。
漢字文化圏なら、意味+意味=別の意味、という熟語の観念に慣れてるから、特に分かりやすいと思う。
逆に西洋人は、そういう習慣が無いから、造語=分かりにくい=
だったらみんな共通認識してるラテン語系単語ですませちゃえー、
となるのだと思う。

492ベダウリンデ:2009/07/02(木) 09:16:50
思えば、自然=自由の世界では、強い者が勝つんですよね。そして不平等が起こる。
平等を求めるならば、何らかの統制が必要なんですよ。
エスペラントは自然・自由な発展を許してきたから、強者であるところの西洋色に染まってしまったんだと思う。
エスペラントにも強力な統制機関が存在して、造語の考案と普及と検閲(?)をしていたら
不平等な西洋語が、こんなにもエスペラントに溢れなかったのではないかな?と思います。
でも、全体主義的な人工語なんて、怖くて誰もやらないと思いますけどね。
なので一長一短ですね。

たまたま、エスペランチストの集合写真を見たんですが、会場はヨーロッパでしょうね。
ほとんど全員ヨーロッパ人でした。彼らでかいから迫力ですよ。日本人みたいにきちっと並ばないし。
アジア人やアフリカ系の風貌の人はいないかな?と思って探したんですが、
アジア系は最後列にちんまり写ってました。存在感うすっ!
エスペラントの現状を表してるな、と思いました。
過去も今もエスペラントは白人主体。
アジア人やアフリカ人は「国際語ですよ」を主張するための、お飾り・おまけにすぎない、と思いません?
もちろん中国は政府の後押しで、日本はボランティアの尽力で、
エスペラント運動頑張ってると思うけど、「蚊帳の外」感がありあり。
韓国はどんな系統の人がエスペラントやってるのか、さえ不明だし。

493ベダウリンデ:2009/07/02(木) 09:27:32
あー、そうそう、「そんなに不満ならエスペラントやめれば?」「他の人工語やれば?」
という声が聞こえそうですが、私には「エスペラントの変さ」が面白いのです。「中途半端さ」「へたれぐあい」が。
そもそも、何かの役に立てようと思って始めた訳でもないのです。
最初の動機から「暇つぶし」として始めました。
ゲームとかユーチューブ見るとか、テレビや読書、音楽鑑賞とか、そういったものの代わりです。

494ベダウリンデ:2009/07/03(金) 10:12:41
エスペラントは「造語力」があるから、数少ない語根で無限に(?)造語できる、とか
どっかで読んだような気がします。
自分も単純に信じ、「それはすごい」と思ったのが、エスペラントに興味を持ったきっかけの一つです。

でも、今は思う。「発想はいい」、けど、十分に生かしきれなかったのではないか、と。
造語のパターンとして、接頭語・接尾語を使ったものと、語根+語根のものがあると思う。
接頭語を使ったものは特に、慣れないと分かりづらいです。
subteni=下で保つ=支持する、elteni=保ち抜く=耐える
substreki=下に線=強調する、subskribi=下に書く=署名
どれも「言われてみれば」分かるけど、自分で想像しろ、と言われたら無理。
でも、西欧語起源の語を新たに覚えるよりは楽だと思し、よく考えたな、と思う。

語根+語根は、○○の××、○○な××、という即物的表現が多い。
partopreni、voĉdoniのように、ちょっとひねった表現は、むしろ少数派かもしれません。
即物的表現は、日本人(あるいは他のアジア人)にも、西洋人にも、分かりやすいと思います。
ですが、熟語に慣れた日本人としては、ちょっとひねった型がもっとあっても良かったかも、と思います。
それによって、西洋語起源の語が「駆逐」できたなら、その方が良かったです。

ザメンホフや創設時の西洋人の仲間達は、熟語を作る能力=想像力が、
「西洋人だから」劣っていたのかもしれません。
例えばridegoが爆笑なら、pensegoが熟考だっていいではないですか。pensetoが軽率、とか。
grandanimaが寛大なら、grandmienoがでかい顔=尊大だっていいではないですか。

でも、今更、今の西欧主義で完成されたエスペラントは変わりませんよね。
平等=自由の原理で西洋人にとって楽な方へと流れ、
劣ったアジア人は西洋人を模倣すべく、必至でそれについていく。

495ベダウリンデ:2009/07/03(金) 10:18:25
×平等=自由
○自然=自由

496ベダウリンデ:2009/07/04(土) 17:46:38
日本語の熟語というのは、和語+和語(高笑い、とか)もあるけど、
漢語の熟語の比率が多いです。
漢語の熟語は音だけでは意味が汲み取れない。
「きゅうきゅうしゃ」と発音しても、漢字知らなかったら意味が分からない。
「れいきゅうしゃ」もあるけど、車の仲間なのに「きゅう」の意味が違ったりする。
漢字で熟語が発達したのは、表意文字を用いるから、短い同音で異なる意味を表せたからかもしれない。
エスペラントは表音文字なので、単語の意味が異なれば音まで変えなければならない。
必然的に一つの単語の音の長さは長くなり、熟語でくっつけばくっつくほど長くなる。
長い=面倒=だったらラテン語系単語が短く言えて楽、となる。
とすると、造語で単語を増やす発想自体に無理があったのかも。

それから、エスペラントは「論理性」を売りにしてるので、
論理的でない感覚的な造語は好まれないのかもしれない。
西洋人社会で慣習的に既に言いまわしている熟語なら、非論理的でも取り入れるけど、
それ以外に想像力を駆使して上手い表現を新しく生み出すまでは、いかなかったのかも。
高笑い=alt/ridoなんて言ったら、高く笑うってなんなの? 意味分からない、と言われそう。
勝ち誇って得意満面で笑うと声が通常より高くなるでしょ、そういう意味って言っても
想像力無い人種には「はあ?」かも。

mok/rido=嘲笑 sub/rido=下で笑う=忍び笑い、はあるみたいです。

497なつ:2009/07/05(日) 12:35:31
>>エスペラントは「造語力」があるから、数少ない語根で無限に(?)造語できる、とか
>>どっかで読んだような気がします。
>>自分も単純に信じ、「それはすごい」と思ったのが、エスペラントに興味を持ったきっかけの一つです
同感です。どの人にも平等で学びやすいというのと合わせて、だまされたって感じです。
それをここで語ると、「まず人を呼び込むことが大事なのだ」というようなことを言われたような気がします。
つまり、ちょっとの捏造や虚偽や甘言を用いて、入ったらこっちのものだと。
あらら宗教団体や左翼団体と同じ発想で悪びれる様子がない。
エスペラント諸団体が左翼団体なんですがね。
話がそれましたが、数少ない語根で造語ができるという思想は特に非印欧語族者にとってとても有意義なはずです。
しかし、実際は数百語レベルまで行くとあとは、ヨーロッパ語を安易にどんどん取り入れているから、覚えるのが結局大変で、自然語とあまり大差はないと気付く。
しかも日本人でも上級者になれば、malを嫌う人が出てくる。
ここの掲示板でもかつて、話されてたんだけど、malを嫌う人が多数で、
どんどん新語を作っていく方向の人たちが圧倒的多数でした。
学びやすいことを考えるとベクトルが全く逆なんですけどね。
malあるいはinoを使うことだけでも、どれだけ入門期に助けられることか。
単純に覚えることが半分です。それをみんな忘れてしまうのだろうか。

統制する機関が必要だったと僕も思います。
が、結果はほぼ同じだったと思います。
例えるならアカデミーオに権力を与えるだけですから。

語彙に関して疑問を呈している方の言葉を思い出しました。
その人の例はmonoteismo(一神教)はunudiismoにすればいいじゃないか。
金茶主義ってなんなんだ、と。
せっかくすぐれた造語法があるのに安易にヨーロッパ語を取り入れて、ヨーロッパ人びいき甚だしいと。
ちなみに、英monotheism、仏monotheisme、伊・西monoteismo、独・羅monotheismus、インテルリングワmonotheismo

498エスペロ:2009/07/06(月) 07:41:19
Esperanto restas post ĉio Eŭropa Lingvo...ĉu...?
エスペラントは、所詮、ヨーロッパ語なんですね・・・?

Aliaj ekzemploj: politeismo(plurdiismo),lano(ŝafharo),murdo(hommoritigo),
dermologo(haŭtokuracisto)...
他の例: 多神教、羊毛、殺人、皮膚科医・・・

499ベダウリンデ:2009/07/06(月) 09:12:09
エスペラントより新しいインターリングアはエスペラントよりも西欧的。
エスペラントの改造板イドも、「西洋人」がエスペラントに対して抱いた未完成感を補う程度の変更だったのではないかと思う。
非西洋人に対しても平等にしようという方向性の改造案は、今まで無かったのでしょうか?
無いとしたら、どうしてなんでしょうね?

日本のエスペランチストさんの発言を読んでると、
「今のままで十分コミュニケーションできるから、今のままでいいんだ」
「エスペラントに不満ならイドに行けばいい。イドは変更ばっかりで結局失敗したが」
「エスペラントに不満なら他の人工語をやればいい。で、その人工語の話者数はどの位ですかな」
「エスペラントって案外難しい。でもそれは自分の努力不足でせいだから、もっと頑張らねば」
のように、エスペラントの批判は全くといっていいほど、しません。

また、不備を指摘されると、
「エスペラントは民衆の物だから、民衆の選択により、不備な点は自然と変わっていくだろう」と言う。
その人個人は既存の語法を模倣してるくせに。超保守的な人が、そのうちいつかきっと変わるよ、と夢見る変さ。

日本人エスペランチストも、詩語や西洋語起源の学術用語を知ってて使える方が偉いエスペランチストなんだ、
ベテランなんだ、使いこなしてるんだ、という認識が強そうですね。
アメリカ上流階級英語が話せる方が、ヒングリッシュ、シングリッシュより偉いんだ、
という認識と全く変わらないです。

500ベダウリンデ:2009/07/06(月) 09:39:40
これは全くの冗談話なんですが、自分がエスペラントを改造するなら、
文法には手をつけずに、造語を大改造しますね。基本的に語根は変えない方針で。
monoteismo->unudiismoは、まだ甘い、なんてね。

エスペラントは「論理性」を売りにいてるから、造語も冗長になりやすいです。
ridindaĵo=笑うべき物、ですが、ここで「べき」なんていらないですよ。
ridaĵoだけで、笑える可笑しい物だって分かるし、他と混同することもありえない。
okulvitroj眼鏡も、長いし、発音が難しい。だったら、okuliloでいいじゃないですか。
目で使う道具で、日用品として頻繁に使う道具なんて、眼鏡くらいしかないですよ。
コンタクトレンズはokuliletoとか、望遠鏡や顕微鏡は特殊な人以外は普段は使わないから
○○okuliloでいい。専門でいつも使ってる人はTPOに合わせてokuliloと言えばいい。

-umiも便利なようで、意外と実用化されてない。
malvarmumiは初心者で習う例だけど、上手く出来てるのは他にplenumiくらい。
okulumi=見る(今は色目を使うという意味ですが)でいいじゃないですか。
目でやる事は見る事でしょう。okulumiĝi=見える。
nazumi=においを嗅ぐ、nazumiĝi=匂う。
orelumi=聞く、orelumiĝi=聞こえる。
piedumi=歩く、krurumi=走る、などなど、

501N:2009/07/06(月) 22:24:06
Saluton, Nです。エス単語はなるべく易しい基本語から造語されるべきで、
ヨーロッパ人特有の「理解」に他の地域のE-istoが合わせる必要はないと
考える1人です。たとえば「subvencio」は「helpmono」のほうがよい、と
か。
後藤文彦氏の「使いたくないエスペラント単語」をお読みください。私も
基本的に賛成です。

http://www3.ocn.ne.jp/~gthmhk/trmnr.html

502ベダウリンデ:2009/07/07(火) 09:34:55
>501
>subvencio」は「helpmono」のほうがよい
その通りなんですが、ヨーロッパ人が文書でsubvencioって書いたら辞書引かなきゃならないし、
口頭だったら、その時点で話はちんぷんかんぷんか、
いちいち「今の単語分かりません」って言って、皆の議論を中断させるかのどっちかです。
日本人は遠慮勝ちだから「分かりません」って言うより、「今の単語何だったんだろ」と一人で悩みながら傾聴し続けるだけかも。
現にヨーロッパ人達が何の悪びれもなく使っていて、辞書にも載っている正式なエスペラント単語なので
少数の意識の高い日本人がジタバタしても無駄だろう、と思います。

後藤さんのHPは、初期に検索した時に出てきたので、一部は読んでると思います。
難しい高級語を簡単な造語に、というのは基本賛成です。
問題点として、やはり、日本人が一部で騒いでもヨーロッパ人主体の世界では
焼け石に水、ではないか、という事です。

動物が「鳴く」という単語が、動物毎に異なるのは煩わしいから一つにしろ、というのは、全く同感。
さらに言えば、動植物の名前も削減してほしい。
学名調の呼び名で言わないで、○○鳥、とか、○○猫、とか
ライオンはキング大猫、ピューマはアメリカ大猫、虎は縞大猫、とかでいいよ。
インドは虎しかいないだろうから、「大猫が出たぞー」と言えば、「虎が出た」と思えばいい。

後藤さんのリストには、高級学術語でないものも入っていますが、
庶民が日常で使う用語で、同音の言い方が世界的に広まってるものならば、
わざわざ造語しなくていいと思う。
野球はbasbaloでいいですよ。アメリカの民族的競技としてĵudoとかと同じ扱いでいいでしょう。
basbaloはやり玉にあがってるのに、ĵudo,futbaloは載ってない、というのも恣意的。
operoも民族的芸術の一種なので、そのままでいいでしょう。
西洋語の駆逐という点に厳格になりすぎても、冗長でわずらわしくなる。

503ベダウリンデ:2009/07/07(火) 09:42:18
blinda(めくら)surda(つんぼ)などを改善、には賛成。
未だに使うヨーロッパ人というのは、差別語の問題意識が日本人とは異なるのか、
或いは、差別的ニュアンスがその語には無いのか、よく分からない点です。

それから、詩語もやり玉にあげているのは、偉いと思う。
詩人かぶれのせいで、エスペラントはより難解になった、と。
(言ってやれ、言ってやれ!ですよ)

504ベダウリンデ:2009/07/07(火) 18:15:03
>501
Nさんのコメントは
私の499の「非西洋人に対しても平等にしようという方向性の改造案は、今まで無かったのか」への
返答なのでしょうか? ありますよ、という。

一部の人が個人的に主張してるのは分かりますが、
イドのような「分派」として存在するのでしょうか?
エスペラントの枠内で大人しく主張してるだけでは、
結局多数派の強者に飲み込まれてしまうのではないですか?

それに、subvencioとhelpmonoのような日常語(この例は事務用語)なら方言的バリエーションは許されると思いますが、
高級学術専門用語において、monoteismoとunudiismoのように、同じ内容を示す語が二つあっていいんでしょうか?(素朴な疑問)
下手に2種の言い方を許すと、「我々のはmonoteismoだが、奴らのはunudiismoだ。」と
屁理屈こねて同じものを違ったものとして言いくるめようとするヤカラが現れたりするかも。

505エスペロ:2009/07/07(火) 21:13:02
Mi,tamen,prie argumentas alimaniere,karaj N,Bedaŭrinde...
お言葉ですが、Nさん、べダウりンデさん、私はこの点については別の考えです・・・

Mi mem preferas vortojn 'subvencio','monoteismo','paleontologio','latitudo' al aliaj kunmetitaj vortoj...
私自身、subvencio,monoteismo,paleontologio,latitudo...の言葉の方が他の合成語より好きです・・・

Ĉar mi asertas ke E simple estu komuna lingvo NUR inter eŭropanoj...
kaj mi opinias ke E evitu kunmetitajn vortojn nenaturajn al eŭropanoj...
E ne bezonas prikonsideri parolantojn de ne-eŭropaj lingvoj...
なぜなら、エスペラントは、ヨーロッパ人同士の共通語でありさえすればいいと思うからです・・・
エスは、ヨーロッパ人にとって不自然な合成語は避けるべきだと思います・・・
エスは、非ヨーロッパ語の話者のことを考慮する必要はないと思います・・・

506ベダウリンデ:2009/07/08(水) 10:37:02
エスペロさんのような考えの人(=西欧語由来の単語を好む人)は
実際は、エスペラントの主流派・正統派だと思います。
かつてこの掲示板でエスペロさんと数多くの議論を繰り広げていた某KJ氏は
詩語大好き人間だったと記憶してます。
現実問題として、ヨーロッパ人が書いたエスペラント文はそういう単語ばっかりなので
我々日本人も覚えない訳にはいかないでしょう。

後藤さんやNさんのようなお考えは青臭い(と言っては失礼ですが)理想論として、
結局はまともに扱ってすらもらえないんだろうと思います。
本気でやるなら、イドのように分派を作って、現エスペラントと袂を分かつ位の意気込みでやらないと駄目だと思います。

507ベダウリンデ:2009/07/08(水) 18:39:37
私の場合は、エスペラントをより良く(或いはより正当なものに)しようという改革論ではなく、
どんな語彙群を作ったら、国際語としてより効率的なのかと、
エスペラントを叩き台にして、お気楽に考えている、という次第です。

私は、まず、語彙を、人間界に普遍的なものと、特定の民族から由来しているもの、との
二つに分けたいです。
両者の境は曖昧ですが、民族由来のものを狭い意味で限定し、
それ以外のものを「普遍的なもの」として位置付けると楽です。

民族由来のもの(民族系単語と呼ぶ)は、basbalo,ĵudo,opero,hajko,など、起源が明らかで、名称が一般化されてるもの、です。
キムチ、テコンドーなどは、今エスペラント単語にあるかどうか知りませんが、
韓国流の読み方でエスペラント化してもらって結構。カバディ、セパタクローなどもどんどんエスペペラント化してOK。

それ以外は、一応全部、人類普遍のもの(普遍系単語)とする。
つまり、語源が西洋語でも西洋オリジナルのものだけを指すのではない、と定義する。
西洋オリジナルのものを指す場合、民族系単語の範疇に入る事を明示的に示す。

オペラは、通常、例の西洋式の歌劇を指すものとす。(民族系単語)
京劇をチャイニーズオペラなどと称することもあるが、厳密には西洋のオペラとは異なるので、そういう呼び名は失礼なので別の呼び名を用意する。
operoという単語には、「世界中の民族に存在する歌を伴った芝居」という定義は与えない。
逆にteatroには「全世界の芝居形式のものを指す」と、普遍的な意味を与える。
普遍系単語の組み合わせを用いれば、京劇の固有の名称を知らなくとも、「チャイニーズ歌芝居」などと説明的に訳すこともできる。

現在のエスペラントは、西洋語起源の語を用いていてますが、それが西洋オリジナル形式のものを指すのか、
他の民族にもそれに類するものがあればその語を使っていいのか、非常にあやふやである、と考えました。

例えば、士族階級などは、世界中の複数の地域に存在する(した)でしょう。
西洋の騎士はkavaliroですが、その語は他の地域の騎士類や士族類に用いて良いものかのかどうか。
つまり、民族系にするか、普遍系にするか、悩むところです。
民族系と定義したら、騎士武士階級を普遍的に表す語を考えないといけません。
普遍系と定義したら、今は日本の武士はsamurajoなんて名づけてますが、
同じように世界中の全ての騎士武士階級に名称を与えないといけません。
西洋の騎士を示す名前を新たに考える必要もあります。
それか、民族別呼称は平等に廃棄、か。

508エスペロ:2009/07/08(水) 19:48:59
Mi mem opinias ke E simple estu pure eŭropa lingvo...ankaŭ koncerne ties
vortprovizon,E konsistu el nur eŭropecaj vortoj(ne artefaritaj kunmetitaĵoj)...
私は、エスペラントは純粋にヨーロッパ語であればいいと思っています・・・
その語彙に関しても、エスはヨーロッパ語の単語(人工的な合成語ではなく)だけで構成されるべきだと考えます・・・

Eŭropa Civilizacio(inkl.Nord-Amerikon) jam nun universalas...aliaj mondpartoj
nun enkondukas preskaŭ ĉiujn kulturojn kaj morojn eŭrop-devenajn...ekz.
vestaĵoj,loĝado,manĝaĵo,leĝoj,politika sistemo,sporto,ludoj k.a.
ヨーロッパ文明(北アメリカを含む)は、今やすでに普遍的なものになっています・・・
世界の他の人々も、今や、ヨーロッパ起源のほとんど文化や風習を導入しています・・・
衣服、住居、食物、法律、政治制度、スポーツ、ゲーム・・・

Ankaŭ prie de lingvo,la mondo ne povus rezisti kontraŭ uzado de eŭropa lingvo...
言語に関しても、世界は、ヨーロッパ語の使用に対して抵抗はできないでしょう・・・

La mondo,tamen,ne estus feliĉaj okaze de uzado de lingvo apartenanta al
specifika eŭropa nacio...ili estus multe pli feliĉaj je ESPERANTO,lingvo,
kiu simpligis eŭropecajn gramatikaĵojn sed konsistas el vortprovizo pure eŭropeca...
しかし、世界の人々にとっては、特定のヨーロッパ民族に属する言語の使用はうれしくないでしょう・・・
世界の人々は、ヨーロッパ語的な文法を簡素化したが、純粋にヨーロッパ語の語彙から成る言語、
エスペラントには好感をもつでしょう・・・

509ベダウリンデ:2009/07/09(木) 11:00:50
エスペラントは今のまま西欧志向で続けばいいと思います。
現実的にはそれしか道が無いでしょうし、そこがまた魅力でありますし、いいと思います。

で、私の勝手なエスペラント改造案(エスペラントを愛する人からすると、こういう遊びは不謹慎かな?)
騎士武士階級の普遍系単語は、batalisto,batalistaroがいいかな、と思いました。
kavaliroは民族系単語とし、西洋中世batalistoと説明する。舞台設定が明らかであればbatalistaroのみでOK。
戦国武士は日本中世batalisto、江戸の武士は日本近世batalistoなど。

futbaloはイギリス発祥で世界的に広まっている例の球技とする。(民族系単語)
piedpilkoは、世界各地に存在するであろう、球を足で蹴って遊ぶ競技と定義。(普遍系単語)
futbaloはイギリス式piedpilkoで、蹴鞠・セパタクローもpiedpilkoの一種。
イギリスでのfutbaloの前身でもある競技(町中でボール蹴ってるような競技)も
世界に広まったfutbalo競技とは別扱いにし、イギリス式piedpilkoとする。
現在のエスペラントでは、futbalo=piedpilkoですが、そこをちゃんと区別する。

510ベダウリンデ:2009/07/09(木) 11:14:17
別扱いにし、イギリス式piedpilkoとする。
->別扱いにし、イギリス式旧piedpilkoとする。

511エスペロ:2009/07/09(木) 13:01:25
Mi konsentas kun vi,kara Bedaŭrinde koncerne vian mencion pri vortoj: futbalo,piedpilko...
'Futbalo' implicu la nuntempe vaste ludatan ludon per pilko,dum 'piedpilko' ĝeneralan ludon per piedbato de pilko...
ベダウリンデさんの'futbalo'と'piedpilko'に関する言及には賛成です・・・
'futbalo'は、今広く行なわれているサッカーを意味し、一方、'piedpilko'は、球けり遊び一般を意味する・・・

Nun lasu min ordigi mian propran ideon pri Esperanto kaj lingvo-problemo de la mondo...
ここで、エスペラント及び世界の言語問題に関する私の考えを整理させていただきたいと思います・・・

Mi argumentas pri E NE kiel komuna lingvo inter nacioj de la mondo,SED nur kiel tiu inter-eŭropanoj...
私は、エスは世界諸国民間の共通語ではなく、ヨーロッパ人の間だけの共通語であればいいと考えています・・・

Nuntempe en Aziaj landoj la angla lingvo estas eklernata en baz-lernejoj kaj uzata efektive kiel komuna lingvo inter azianoj...
現在、アジア各国では、英語が小学校から学ばれ、現実にはアジア人の共通語として英語が使われています・・・

Mi mem agnoskas kaj taksas tiun efektivecon...
私は、この現実を認め、評価します・・・

E kiel komuna lingvo inter eŭropanoj...angla kiel tiu inter azianoj...
エスペラントはヨーロッパ人の共通語・・・英語はアジア人の共通語・・・

Sed nur japanoj estas esceptaj...! Japanoj ne bezonas paroli aliajn lingvoj kiel anglaparolantaj
usonanoj...eksterlandanoj uzus japanan lingvon aŭ dungus interpretistojn en dialogo kun japanoj...
しかし、日本人だけは例外です・・・! 日本人は、外国語を話す必要はありません、英語を話す米国人のように・・・
外国人は、日本人と対話をするときは、日本語を使うか、或いは、通訳を雇う・・・

Tio estas mia idealo pri lingva afero prie de Eŭropo,Azio,Japanio...
これが、ヨーロッパ、アジア、日本の言語問題についての私の理想です・・・

512ベダウリンデ:2009/07/10(金) 16:24:19
なるほど、エスペロさんのお考えも分かりますし、結論としては一部賛成だったりします。(過程は違うかも)
エスペラントの魅力はそのヨーロッパ性にあると、私も認めます。
エスペラントは、諸民族に平等でなくてもいいから、是非このままの魅力を保ち続けてほしいです。
(個人的には嫌いな箇所もありますが、あばたもえくぼ、です)
より平等な人工語は、新たに、或いは、エスペラントから正式に離脱して、作るべきです。

ヨーロッパ人がエスペラントを自分達の共通語にするか否かは、
我々アジア人が口出しすべき事ではないと思います。
ヨーロッパ人にとっては分かりやすくて、西欧世界に限れば比較的平等なのに、
なぜ未だに、ヨーロッパ世界でも「変人」がやるものとされているのでしょう?
レルヌの掲示板でも欧米系(国は忘れました)の人が
エスペラントやったら変人扱いされ友達失った、とかいう書き込みが時々あります。
たぶん、思想面に対する偏見とか、何かあって、欧米でもエスペラントってなかなかメジャーになれないんだろう、と思います。

アジア人は既に英語をマスターしてるし、ヒングリッシュとかシングリッシュとか言って
堂々と自分流英語に変換して恥じてません。
そのまま正当英語の権威なんか糞くらえの精神を貫いて、世界に見本を示してほしいです。
それに、アジア人にとっては英語だろうがエスペラントだろうが、どっちも難しい、異質な言語です。
英語なら「自分は英米人じゃないから」という開き直りで堂々と崩せるけど、
エスペラントの方がむしろ「エスペラントらしい表現」とやらを強要される恐れがあります。

日本人は、英語にしろエスペラントにしろ、どっちも苦労するのが目に見えてます。
インド人や中国人みたく厚かましくないから、崩して喋る勇気も無いし。
外国語の得意な人が専門職となり、諸民族の言語を日本語訳してほしいなー、というのが、私の本音です。
エスペロさんのいう「英語を話す米国人のように」はなれないと思うけど。
だって国のステータスが全然違うじゃないですかー

513エスペロ:2009/07/10(金) 17:53:14
Dankon pro respondo,kara Bedaŭrinde...
ベダウリンデさん、レスありがとうございます・・・

E simple estu inter-eŭropa lingvo...sed ankaŭ en Eŭropo furoras anglalingva
hegemonio,kontraŭe rezistas sole francoj,al mi ŝajnas...
エスは、単にヨーロッパ人同士の言語であって欲しい・・・しかし、ヨーロッパでも
英語支配はすごいです・・・これに一人抵抗しているのはフランス人だけのよういに
思えます・・・

Nun mi legas avide libron 'Kolizio de Civilizacioj' de Samuel Huntignton,kie
li montras ke ekzistas 8 diferencaj civilizacioj en la nuntempa mondo,
el kiuj elstaras 'Japana Civilizacio'...! Ĝi konsistas el nur unu sola lando.dum
aliaj el pluraj landoj...
ところで、今私が熟読している本に、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』があります・・・
ここでハンチントンは現代世界のには8つの文明があるといっています。そのうちの1つが、日本文明
なんです・・・! 日本文明はただ一国からなっています・・・他の文明が複数の国々から
なっているのに・・・

'Japana Civilizacio' estas karakterizata de Tennoismo,eliro el religio,eliro el angla lingvo...
’日本文明’は、天皇制、脱宗教、脱英語・・・により特徴づけられます・・・

Ene de Orienta Azio,kaj Ĉinio kaj Koreio...al mi ŝajnas...iras la vojon de evangeliziiĝo,anglismo...
東アジアにおいては、中国も韓国も、キリスト教化と英語化への道をすすんでいる
ように見えます・・・

Kompatinda afero...! Japanio iru unikan vojon de senreligio,senanglismo... mia espero...
哀しむべきことです・・・日本は、非宗教と非英語という独自の道をすすんでいって欲しい・・・私の願い・・・

514なつ:2009/07/10(金) 19:14:03
僕は、ベダウリンデさんと同じ方向だと思います。
僕は普遍的語彙は極力少なくしていく「べきだった」、あるいは、分派するなら、す「べきだ」と思います。
okulo目であれば、視覚作用つまり「見る」はokuliだけでいいと思います。
「見える」「目に入る」を特に言いたければenokuliだとかにするという感じです。
okuloよりも視覚作用は語幹vidが世界共通的なのでそっちを採用してvidiは視覚作用全般の行為を指すとし、
vidorganoが目のほうがいいかもしれません。同じようにaudiは聴覚作用全般を指し「聞く」「聴く」、
耳はaudorgano。語幹は共通的な欧州的語彙を用い造語法は漢語的にいくわけです。
(organoを付けるのは冗長なら短い語を考えるのも手です)
猫科のライオン、トラなどをkategoに統一するのもとてもいい試みだと思います。


エスペロさんのようにエスペラントを共通ヨーロッパ語だと割り切ろうとする考え方
であるのなら、いっそのことインテルリングワを選択したほうがヨーロッパ人は習得が
早いという現実があります。

515ベダウリンデ:2009/07/11(土) 10:11:48
エスペラントとは不思議なものですね。
私は最初「人工語とはどうあるべきか」なんて一切考えなかったけど、
エスペラントの不完全さを知ると、改善したくなってしまう。
ミニマムな語根で、世界中の物事をもらさず公約数的に網羅できる人工語なんて、
人間には作る能力は無いのかもしれないけども、それでも考えてみたくなる。
人類共通の国際語にならなくてもいいから、知的挑戦としてやりたくなる人々の気持ち、分かります。

そういう点で、エスペラントを叩き台にしつつ、既存エスペラントの枠を崩す試みって
あってもいいんじゃないかな、と思います。
名前はNEPO=孫なんでどうでしょう。IDO=子ならぬ。コードネームNova EsPerantOの略です。できすぎですね。
子は親に反抗しただけで中途半端に終わったけど、
孫はお爺さんとお父さんから「いいとこどり」をしつつ、しかも縛られない。
世界的視野と現代性は、祖父や父に比べたら桁違い、という。

516ベダウリンデ:2009/07/11(土) 10:23:24
monoteismoとunudiismoに関しては、いっそ、mono=単一、teo=神、と
語根の意味を変えてしまえばいいんじゃないか、と思います。
現エスペラントのmonoお金はmoneoとし、teoお茶はĉaoとでもする。
polio=多数、も語根とする。
そうすれば、学術用語として広まってるラテン語との矛盾も解消されます。

517ベダウリンデ:2009/07/13(月) 09:52:23
あと、エスペラントだと、感情や言論に関する語の分け方が、(例:後述)
日本語と非常に異なっていて、複雑だな、と思うんですよ。
そういう語彙の設定基準って(私は他の言語知らないから比較できないのですが)
ヨーロッパ語に準じてるんじゃないか、と思わざるをえないです。
物の名前は完全にヨーロッパ基準なので、抽象的な語も当然そうではなかろうか、
それ以外の基準をザメンホフが思いつく訳がない、と思うのです。

となると、エスペラントを使うという事は、抽象的な思考の基準までヨーロッパ的に頭を切り替えなければいけないので、
他民族にはつらいなーと思うのです。
ヨーロッパ的思考=論理的=正しい=世界が見習うべき基準、だなどと、ヨーロッパ人やエスペランチストが考えているとしたら、
私はそれには反対です。

感情を表す語なども同様に複雑なので、現代心理学とか応用して(って、私は知らんけど)、
全人類共通的に、もっとすっきり表せないものか、と思います。

518ベダウリンデ:2009/07/13(月) 18:08:52
例えば、の例。
エスペラント語のkonvinkiとpersvadiってあるんですが、前者、後者を順に、各国語で訳しますね。
日)(論理や証拠によって)説得する, 説き伏せる・・・・・説き伏せる, 説得する, 納得させる(参考:実用エスペラント小辞典)
英)to persuade, to convince・・・・・・・・・・・・・・to persuade           (参考:Lernu!vortaro以下同)
仏)convaincre・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・persuader, inspirer (faire naître)
独)überzeugen・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
西)convencer・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伊)convincere, persuadere・・・・・・・・・・・・・・・persuadere
露)убедить・・・・・・・・・・・・・・・・・・・убедить, уговорить
ポーランド)przekonać・・・・・・・・・・・・・・・・・przekonać, perswadować, nakłonić, wmówić, namawiać
フィンランド)vakuuttaa, saada uskomaan・・・・・・・・suostuttaa, suostutella, taivuttaa, taivutella; vakuuttaa, saada vakuuttuneeksi
中)說服/说服・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・說服/说服

日本語では両方「説得する」。一応説明では「論理的か、そうでなくてもいいか」の区別はあるが、
日本語で「説得する」という場合、論理的方法でのみ行うか、或いは、それ以外の策も動員するかは、あまり意識されない。
中国語でも両者は同じ訳語である。(他のアジア語も見たが辞書が未完成なのか表示されない場合が多かったので諦めた)
西洋語では、どちらかが他方の意味を含んでいる場合もあるが、中国語みたいに全く同じ訳語のものは無い。
つまり西洋語では、どう説得するかというのが非常に重要なようだ、と分かる。
日本人は、論理面も感情面でも両方駆使して説得するのが普通なので、
(いくら正しい事を言っても、先方に生意気だ・礼儀知らずだ、とか思われたら、説得できないので、
無意識に或いは論理的根拠に基づき人間感情まで把握した上で説得するのが普通)
今の説得が論理面のみか否かなんて考えられないので、西洋的区分って難しいな、と思いました。


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