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なぜエスペラントは普及しないのか?

494ベダウリンデ:2009/07/03(金) 10:12:41
エスペラントは「造語力」があるから、数少ない語根で無限に(?)造語できる、とか
どっかで読んだような気がします。
自分も単純に信じ、「それはすごい」と思ったのが、エスペラントに興味を持ったきっかけの一つです。

でも、今は思う。「発想はいい」、けど、十分に生かしきれなかったのではないか、と。
造語のパターンとして、接頭語・接尾語を使ったものと、語根+語根のものがあると思う。
接頭語を使ったものは特に、慣れないと分かりづらいです。
subteni=下で保つ=支持する、elteni=保ち抜く=耐える
substreki=下に線=強調する、subskribi=下に書く=署名
どれも「言われてみれば」分かるけど、自分で想像しろ、と言われたら無理。
でも、西欧語起源の語を新たに覚えるよりは楽だと思し、よく考えたな、と思う。

語根+語根は、○○の××、○○な××、という即物的表現が多い。
partopreni、voĉdoniのように、ちょっとひねった表現は、むしろ少数派かもしれません。
即物的表現は、日本人(あるいは他のアジア人)にも、西洋人にも、分かりやすいと思います。
ですが、熟語に慣れた日本人としては、ちょっとひねった型がもっとあっても良かったかも、と思います。
それによって、西洋語起源の語が「駆逐」できたなら、その方が良かったです。

ザメンホフや創設時の西洋人の仲間達は、熟語を作る能力=想像力が、
「西洋人だから」劣っていたのかもしれません。
例えばridegoが爆笑なら、pensegoが熟考だっていいではないですか。pensetoが軽率、とか。
grandanimaが寛大なら、grandmienoがでかい顔=尊大だっていいではないですか。

でも、今更、今の西欧主義で完成されたエスペラントは変わりませんよね。
平等=自由の原理で西洋人にとって楽な方へと流れ、
劣ったアジア人は西洋人を模倣すべく、必至でそれについていく。


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