ベダウリンデ様
「ラ・エスペロ」を例に出しておいでですが、おっしゃるようにこの曲は
「タンタ、タンタ」というリズム(強弱リズム)で出来ています。定形詩で
1行の音(母音)の数も決まっているので1番〜3番まで通して同じメロディで
歌えるわけです。
O(名詞語尾)の省略 1ヵ所 Al la mond' eterne militanta
定冠詞の母音省略 2ヵ所 signo de l' espero
song^o de l' homaro
ですが、このリズムを維持し、定形詩を構成するために必要だったことは
わかりますね。この省略をやめれば(リズム、定形の崩れはどうします?)
これより良い作品(音楽も)が出来ると思いますか? 作って見せてくれますか?
> 日本語には冠詞がないから、伝統的にはアウフタクトも無い
初めて聞く ふしぎな話です。日本民謡で、例えば
木曾節、佐渡おけさ、最上川舟歌、をどう歌い出していますか? 全部
アウフタクトで始まっているのですが。伝統を無視して自分の好きなように
編曲する人も あるかもしれないが、私は見たことありません。
語尾省略のない詩を作ろう、という考えには反対しません。わかりやすい詩を、
という趣旨には賛成です。Brendon Clark の作品、好きですか?
みたいになると思うんですが、これが jam teni min 〜 になっていますので、エスペラントを
始めたばかりのころは頭にスッと入ってこなくてイライラさせられました。
やはり我々は、日本語の語順と英語の語順にしか慣れていませんので、そのどちらでもな
い語順の文章は、なかなかすんなりと理解できるようにはなりませんね。
trokeo: —∪ ("En la mondon venis nova sento") これは合う
jambo: ∪— ("Mi amis vin") 終りに来る単語を vin とか miとかに限れば可能。
daktilo: —∪∪ ("Kanto sincera de mia animo") 最後に休符を足せば、合う
anapesto: ∪∪— ("Ne riproĉu la sorton, ho juna animo") 最後-o省略しないと合わない。
amfibrako: ∪—∪ ("Tra densa mallumo briletas la celo") 合う
『初めてこの疑問を公にしたのはВ. К. トレジャコフスキーТредиаковский(1703-69)である。
彼は1735 年に『新簡易ロシア作詩法(Новый и краткий способ к сложению российских стихов)』と
題する論考を発表し、ロシア詩法の改良案を呈示した。
彼の改良案というのは、ギリシア・ラテン詩の模倣である音節詩型ではなく、
アクセント詩型こそがロシア詩に適している、というものだった。
また、彼はロシア詩に詩脚(ロシア語ではстопа)の概念を導入し、(以下略)』
『これに対してМ. В.ロモノーソフЛомоносов(1711-65)は1739年に
『ロシア詩法に関する書簡(Письмо о правилах российского
стихотворства)』7を著し、トレジャコフスキーの上記論考の不徹底性の数々を批判し、
ロシア詩法の改革案を呈示した。
彼の主張とは、アクセント音節と無アクセント音節の交替を詩行の一次指標に
高め、2 音節詩脚のみならず3 音節詩脚を認め、
強弱格以外にも弱強格(ヤンブямб)、強弱弱格(ダークチリдактиль)、弱強弱格
(アンフィブラーヒーамфибрахий)、弱弱強格(アナーペストанапест)を認め8、(以下略)』
前者は、ヴェーダ語に端を発する、やはり膨大なシステムですが、
音節の長短(発音にかかる時間)を最も主要な要素として展開します。
音節は、
G (重=guru)と
L (軽=laghu)との
二種類に大別され、三音節の並びの略号として、順列組み合わせ的に
Y = L G G、
R = G L G、
T = G G L、
Bh = G L L、
J = L G L、
S = L L G、
M = G G G、
N = L L L、
というのがあります。
この辺はラテン語と似ていますね。
ただ、この三音節の並びというのは、意味のまとまりでも、韻律の感じ方の
単位でもありません。単に一脚の頭の音節から三つずつ数えて略号に
置き換えるだけの、諳記の道具のようなものです。
dank' al の件について、自分の意見。
日常語で頻出する言い回しが、より言いやすい形に丸まるのは、全く自然な事だと思います。
アキバハラがアキハバラになったように、です。
de temp' al tempoという言い回しも見かけた事があり、違和感はありませんでした。
言語は自然に変化するのが当然です。
ただし名詞末尾の母音省略は、日常語の散文にはほとんど見受けられず、
詩においてのみ頻出します。そこが「不自然」なのです。