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大衆迎合なエスペラント運動を考える

1ladio:2006/11/09(木) 18:46:18
非エスペランティストへの宣伝をどうするか?
この問題を考える必要があると思う。
新規のE-istoを取り込まなければ、日本のエスペラント界は早晩、消滅してしまう。

エスペラント運動は思想運動と癒着しすぎている。
もはや、中立思想も邪魔である。
もっと大衆迎合なアミューズメントな運動方法はないだろうか?

妙案きぼんぬ

191松戸彩苑:2007/06/21(木) 02:07:33
>>190 の続き)

    英語で叫ぶ「世界・英語化反対!」

  日本でも、たった二十年前なら、「会社の会議を英語でやろう」などと言えば、その場
  で社員全員に反対され、提案者はバカにされて話は終わってしまいましたよ。ところ
  が今や、日本の大企業も日本人同士で英語で会議をしはじめている。ほとんどが日
  本人教員という大学の教授会でも英語を使うことになり、「日本人の先生が圧倒的に
  多いのに、どうして英語で会議をする必要があるんだ」といった反対意見さえ英語で
  言わなければならないという学校がすでに出てきているんです。

  もちろん日本国民全員とはいかないですよ。それに、日本語が消えてしまうわけでも
  ありません。そうではなくて、バイリンガル、二言語生活者というものが、これからは日
  本でも非常に増えるだろうということです。その二言語のうちの一つが、日本の場合も、
  やはり英語であるということなんですね。

  この種の話は、たいへん話しにくいものです。ここまで聞いただけでも、「おまえはア
  メリカの手先だろう」とか「英語狂だろう」などと怒り出す人も多いですから。「そんなこ
  とを言って、少数民族の言語や、絶滅の危機に直面している言語を無視する気か」と、
  話が全然別なところにすっ飛んでしまう人も多い。

  世界・英語化の傾向は、当然、地球語強化の運動とも結びつきます。しかし、今ここ
  で話していることは、あくまで英語使用の情勢についてであって、地球語・地域語「論」
  ではありません。わたし個人として言うなら、この急速な変化については、多くの点で
  危惧の念を抱いています。

  ですからこの話は、カンボジア語やアラビア語やヒンディー語を学んでも無駄だという
  話でもないわけです。人はもし、自分に関係する国があったら、その国の言語は当然
  学ぶでしょうと。そういう話ではなくて、自国内での日常生活の中にも地球語としての
  英語が浸透してくる、という話なのです。

  「地球化」、それはすなわち、いま盛んに語られているグローバリゼーションですが、
  この地球化の過程においては、そうした動きに対抗する形で、一つ一つの国の言語こ
  そ大切だといった考え方も当然出てきます。極端な人が「やはり日本語は世界で一番
  すばらしいんだ!」と言い出すようなことも出てくるわけです。

  文化というのはつねに、こういう相反した動きを持っているんです。かって日本語には、
  非常に多数の互いに通じないような方言があったにもかかわらず、第二次大戦後あっ
  という間に、ある程度みんな標準語に近い言語で話すようになった。そのことで、テレビ
  放送が果たした役割は圧倒的です。英語の場合には、現在、それが世界規模で起こっ
  ているわけです。もちろん、新しい情報技術が果たしている役割は、国際政治や経済
  的な力関係と同様に大きい。

  今や理念というような崇高なものではなくて、もっと言えば、「世界・英語化反対!」とい
  うスローガンでさえも、英語で言わなければならなくなったという、こういう傾向を帯びて
  きたんですよ。

    「日本語は大切」という話とはまた別なこと

  今、書店に行くと、日本語再評価の本と、英語の勉強法の本が圧倒的に多いというの
  も、こうした背景を反映してのことなんでしょう。

  この動きは主に、英語世界の経済力の強さが地球規模で広まったということに直結す
  るわけですが、英語がこれだけ広まりはじめた理由の一つとして、たとえば、国際平和
  論とか国家経済論のように、個人離れした次元でなされている話もよく耳にします。

  しかしそれ以上に、実生活の中で、「わたしの職場でも英語が……」「あの職場で働くに
  は英語が……」と、身につけなければならない必要性を、世間の人々が実感する世の
  中になったという背景も大きいはずです。

  日本語が大切だ、という話は当然のことなんですね。それは絶滅に瀕した言語につい
  て考えることと同様に、大いに必要なことです。しかし、日本語と英語を使用する二重
  の生活をする人が、特に都市部には多くなってくるということも、また否定しがたい事実
  です。理念だったら、「私は英語なんか話したくない」で済みますが、生活に関わること
  だったら、否応なしに巻き込まれてしまうわけですからね。

  念を押しますが、未来、百年先の世界は英語一色になるというのではありません。ただ
  現状としてはこのようにあるということです。

  (同書209〜215ページ)

192松戸彩苑:2007/06/22(金) 22:32:32
>>190-191 から読み取れることは

(1) 言葉は、理念では、あまり広まらない。

(2) 日常生活に浸透してきたら、拒否することは出来ない。

(3) 「小言語を守れ」といった話とは、関係がない。

ということですね。

ということで、現在のエスペラント運動にとっては、けっして好意的なことを書いているわけ
ではないんですが、しかし、世間の一流の言語学者の考えというものを知っておく必要は
あると思い、引用してみました。

なお、この西江雅之という人は、ポリグロットとして知られている人であって、けっして英語
一辺倒の人ではないんですね。

193胡人:2007/06/30(土) 06:52:03
「エスペラント〜異端の言語」田中克彦著 岩波新書
いやぁ〜結構面白い本でした。これさえあれば少なくとも日本でのエスペラントの1〜10迄分かりそうです。
自分だけで読むのももったいないので、図書館にリクエストしようと思います。
この本1冊で入門講座を開けること請け合います!でも何時間も思わず話しそうです。

194松戸彩苑:2007/06/30(土) 11:12:34
今まで私は「欧米におけるエスペラント運動の凋落」について論じてきましたが、今度は、
中国のエスペラント運動について述べてみたいと思います。

中国では1982年からエスペラントを、大学で教える第二外国語のひとつとして扱うように
なってるそうです。
ですから、大学院に進学するさいのテストや、公務員の登用試験などで、エスペラントを
選択することが出来るようになっています。

また中国では、一般の大型書店でも、中国で出版されたエスペラント関連書籍を買うこと
が出来ます。

さらに、エスペラントで国際放送もやってるわけですし、(現在はどうなってるのか知りませ
んが、かつては)テレビでエスペラント講座を放送していたこともあるわけです。

こういういくつかの好条件があったせいなのか、1980年代の前半には中国でエスペラント・
ブームが起こったそうです。
---

しかし、これだけ恵まれた状況が20年以上も続いているにも関わらず、その割には、現在、
エスペラントが大々的に実用されてるわけではないんですね。

もちろん、中国のエスペラント運動がまったくダメだって事はないんですが、しかし、社会に
おいてこれだけ優遇されてるのですから、もっともっと実用されて、もっともっと高い評価を
受けてても良さそうなものです。
しかし、そうはなっていません。

私の目から見れば、これはどう考えても「エスペラントおよびエスペラント運動そのものに
問題がある」「現在のエスペラント&エスペラント運動のダメさ加減が、中国において証明
されてしまった」としか思えないのです。
---

たしかに中国は、今でも貧しい人が多いわけですから、外国で発行されたエスペラント書籍
を自由に買ったり、あるいは外国に気軽に出かけたり、外国のエスペランティストを gastigi
したりするわけにはいかないという事情もあるでしょう。

しかし、先に述べたような恵まれた条件もあるのですから、ただ単に「貧しい人が多いから」
ということだけで、中国のエスペラント運動がさほど盛り上がっていないことを説明するのは
無理があると思います。

また、こういったことから判断して、日本において、学校教育にエスペラントを導入したり、
あるいはテレビでエスペラント講座を放送したりしても、さほど広まらないのではないかとい
う予測も私は立ててるわけです。

もちろん、プラスではあるんですけれども、エスペランティストが期待するほどには効果が
ないのではないかと思うのです。
---

ということで、日本や欧米における状況だけでなく、中国の事例についても考慮して、運動の
計画を立ててくべきだと私は思いますね。

195Kia-kabalo-mi-estu?:2007/06/30(土) 23:08:10
>エスペラントおよびエスペラント運動そのものに
問題がある

私は(多分多くの皆様もそうだと思いますが)、Eとその運動が100%完璧なものだとは
思いませんが、それらに重大な欠陥があるとは、思っていません。
松戸様の上記の命題が幾分とも正しいとすれば、それは中国社会の独特な国家体制に
よるものでしょう。
従って、

>現在のエスペラント&エスペラント運動のダメさ加減が、中国において証明されてしまった

とは、言えないでしょう。

多くのエスペランチストが中華人民共和国の成立に寄与したことは疑いもありませんが、その後の
体制おけるEに対する中国政府による支援は、実は、「諸刃の剣」であると私は考えております。

第一に、中国はその与党である中共が如何言おうと現在は実質的に資本主義経済体制の国へと
変貌を遂げています。
従って、Eの「価値」も政府が如何に支援しようとも市場の趨勢でほぼ決まってしまうのです。
現に中国政府の支援にも係わらずE運動が停滞しだしたのは、所謂、改革・開放政策が
後戻りを許されなくなった’90年代前半からです。
その後は世界的にも米国の推し進めるグローバリズム化の影響でこれまた世界的規模で
理想主義運動は一層の後退を余儀なくされています。
人や物、そして理念といったものの「価値」までも市場原理で決まる世の中に当の中国も
なっているといえます。Eの存在「価値」とて例外ではありません。Eより遥かに難しい
英語や日本語更には韓国語のほうが遥かに「今のところ」商品価値(マルクスに習えば交換価値)
が高いのです。
それに中国政府のE支援も今の中国の経済規模から言うとそれほど大きなものとはいえません。
アングロサクソン文明に対抗するためか、革命に功績があり今では建前となってしまった
社会主義国家の理念と共通項が多いためか、いずれにせよ、その支援の内容や規模においても
市場の流れに対抗するものとは言い難くアリバイ的なものに過ぎません。それでも他の資本主義国
と比べると、UKのような大きなE行事が開かれるときだけ主に開催国の「理解を示す地方自治体」
が金だけ出してくれるのとは、天と地の違いがあります。

第二の問題として、これはある意味ではE界の公然の秘密とでも言って良いものだと思いますが、
中国政府の援助の中身が、E運動に限らず常にヒモ付きだということですね。これは今も昔も
さして変わりがありません。毛沢東の言葉を借りるまでもなくEが重要なのは、革命に寄与する
限りに於いてですし、現代中国の視点で見れば、中国共産党の指導する国家理念に寄与する限り
において、という暗黙の了解が入ります。
このことが、中国におけるE運動の自由で庶民的=大衆的運動を妨げる要因にもなっている、
と私は考えております。中国のエスペランチストが多くの日本のエスペランチストの様に
非武装理念を掲げたり、自国の一方的な核軍縮に言及したらどうなるでしょうか。
中国のE運動の別な意味での難しさを察し出来ます。中国のE運動は松戸様やその他の
方が提唱しておりますように政治的問題を出来る限り回避するよう努めているように
見えます。

あれほどの人口を抱え政府のお墨付きを得ている運動が思ったほど進展して
いないように見えるのは、資本主義経済の浸透に加え、今言ったお家の事情があるから
だと私には思われるのです。
このことについては、UEA傘下のエスペランチストの間でも昔から様々な意見が出されては
おりましたが、中国政府が殆ど国家として唯一とも言える多額の援助金(あくまで相対的ですが)
を出しているが故に、顕在化するものとはなっていません。
それに、比べると政府からの援助が全くない日本のエスペランチストのほうが、その人口比率
から考えても平和運動の観点から診ても遥かに健闘しているといって良いでしょう。

196Bonsano:2007/07/02(月) 09:46:01
>中国のE運動の別な意味での難しさを察し出来ます。中国のE運動は松戸様やその他の
方が提唱しておりますように政治的問題を出来る限り回避するよう努めているように
見えます。

私には松戸様が最近は必ずしも大衆迎合とは、思いませんが、何れにせよ勧誘段階では
勿論、大衆迎合というより学習者のbezonoに最大限合わせることは当然のことだ思います。
この事については、私は何の異論もありません。
しかし、肝心なことはKia-様が上で示唆している通り、Eの学習や実践を通じて最終的には
エスペラントの理念を学習者に理解してもらい世界の政治社会状況に目を開いていただく
ことが強固で持続的な活動家の養成に繋がると言う事でしょう。

197松戸彩苑:2007/07/02(月) 22:16:32
>>195-196
レス、ありがとうございます。
いろいろと考えさせられるものがあったんですが、それについては、もう少ししてから書く
ことにします。

ところで質問なんですが、中国のエスペランティストと自由に文通することは出来るんで
しょうかね?

私も「中国のエスペランティストと文通しています」なんてことを書いた文章を何回か見た
ことはあるんですが、いろいろと禁止事項みたいなものが事前に決められている、なんて
ことがあるんですかね?

198Kia-kabalo-mi-estu?:2007/07/02(月) 23:44:32
松戸様へ
今現在、封書に関しては、過ってのソ連圏が行った様な一般の方に対しての検閲のための
開封はないでしょう。尤も重要人物して当局にリストアップされれば別ですがね。
概して自由な文通は可能だと思います。
むしろインターネットによる情報交換の方が話題によっては相手方に迷惑がかかる場合が
あり得る知れません。例えば法輪行や天安門事件、チベット問題といった様な事ですかね。

199松戸彩苑:2007/07/03(火) 23:28:32
>>198
回答ありがとうございます。

ところで >>195

  Eとその運動が100%完璧なものだとは思いませんが、それらに重大な欠陥があると
  は、思っていません。

とお書きになってますけど、現実には、エスペラントは欧米でも伸び悩んでいるし、また中
国でも今ひとつパッとしないわけですね。
としますと、どこかに問題(欠陥)があるという事になるはずです。

重大な欠陥がどこにも無いのに、日本だけでなく、欧米や中国でもあまり普及しないという
のは、有りえないと思うんですね。

この点について、ぜひとも真剣に考えていただきたいと思います。
---

思えば、このような問題について考えるには、ある程度エスペラントができて、なおかつエス
ペラント運動の現状や歴史について知っていないといけないわけです。

で、そういう人というのは、おそらく世界全体を探しても数万人(多くても十数万人)くらいしか
居ないんじゃないかって思うんですね。

われわれは、そういう、世界的に見ても、ごくごく少数の人間の一人なわけですね。

皆さんは、国際情勢だとかの話に熱心なようですけど、もう少し、エスペラントの行く末につ
いて考えていただきたいものだなと、私は思いますね。

200松戸彩苑:2007/07/03(火) 23:45:31
>>199 に補足しますが、中国で普及しない理由は >>195 に書いてありますね。

問題は、欧米のほうです。

201Kia-kabalo-mi-estu?:2007/07/04(水) 05:52:36
>問題は、欧米のほうです。

まあ、何度も同じ事を言う様で申し訳ありませんが、重大な欠陥を有しているのは
これまでの人類の歴史についても当然言えるの事ですが、人間の作り出した文明の
方でしょう。エスペラントの理念を受け入れられないと言う。。。

欧米、特に英米が支配勢力がエスペラントに無関心なのは少し考えれば、その理由は
明らかですね。
他のヨーロッパ諸国についてもホボ同じ事が言えるのではないでしょうか。
政治社会の力学の土台にはやはり経済がありますから。その経済的利害関係、モット
単純に言いますと誰がどのような手段や方法でもって生活し、そしてその結果として
産まれた富がどういった勢力に偏在しているかを分析すればこの世界がエスペラントを
口先では何と言おうとも実際には無視し受け入れようとしないばかりか、わざわざ、
もっともらしい「理由」=言いがかりをつけて排除さえしようとするからくりが見えて
来るのではないでしょうか。

202Kia-kabalo-mi-estu?:2007/07/04(水) 06:45:28
だからEの普及のためには、どうすればいいんだと逆に質問されても困ります。
特効薬が無いのですから。。。
まあ、かのガンジーが言ってたように「良き事はカタツムリの様に進む」という
戒めどおり、あまり幻想を持たずこれまで通り大衆に受け入れられる工夫をしつつ
地道に運動を進めるしかないのですね。
もし、我々の運動が最終的に失敗するとしたら人間のDNAの限界としか言いようが
ないでしょう。
憲法9条理念しても同じことが言えますね。尤もこの失敗は地球規模での人類文明の
一時的かどうかは分かりませんが崩壊という事態を招くでしょう。
地球温暖化=気候変動危機はその規模において人類文明の存亡が試される最も
差し迫った問題でしょうね。

203Kia-kabalo-mi-estu?:2007/07/04(水) 07:10:08
Eの普及にどれだけの時間を要すればいいのか、と言う問題についてMovado最新号で
相川節子さんが興味ある文章をお書きになっていました。
まだお読みになっていない方は、是非、読んでみてください。

204Kia-kabalo-mi-estu?:2007/07/04(水) 20:58:32
「エスペラントの思想と国家権力」のスレにも書きましたが私は今後この掲示板から
去ることにしました。松戸様をはじめとして様々な意見を皆様から拝聴させていただき
感謝をいたしております。では。

205松戸彩苑:2007/07/05(木) 22:47:31
>>204
それは残念ですね。
今まで拙稿をお読みいただき、さらにはいろいろとご教示くださいまして、ありがとうござい
ました。
---

ところで私は、これまで何度も「どうして欧米でエスペラントが普及しないのか?」と書いて
きましたが、結局これが、エスペラント運動における最大級の難問だと考えているからな
んですよ。

以前にも書きましたように、欧米というのは、多言語社会であり、しかも「平等」とか「権利」
だとかいったものに対して、ひじょうに敏感なわけですね。
しかも、彼らにとってエスペラントは学習容易であるわけですし、生活も豊かであり、社会
人になっても余暇が多かったりするわけです。

ということで、これだけ恵まれた環境なのですから、エスペラントがすんなり受け入れられ
ても良さそうなものなんですが、実際には、欧米のエスペラント運動は、先の見えない状
況におちいってるわけです。

それから、これだけ恵まれた状況にあるはずの欧米でダメだったものが、欧米以外の地
域でうまく行くとは、とても思えないんですね。
つまり、これは単に欧米だけの問題ではなく、日本や世界全体の問題でもあると考えられ
るわけです。

ですから「ただちに的確な答えを出せ」などと言うつもりはまったく無いんですけれども、
少なくとも「これは最重要の問題なんだ」ということを認識して、考えつづけていく必要は
あると思うんですね。
それだけは判っていただきたいと思います。
---

>>201-202 で「人間の文明に問題があるからじゃないか」と書いておられますが、これは
かなり良い線を行ってると思いますが、私はむしろ「人間の性質」そのものに問題がある
んだと考えております。

私は、人間というものは「カネになること」「楽しいこと」「人から誉められること」くらいしか
しないと、以前から言ってきました。
これは言い換えれば「人間の理性には限界があるんだ」ということです。

ですから私は「理性的な説得によってエスペラントを理解させることはムリだと思ったほう
が良い」と考えており、それゆえに「娯楽を利用する」だとか「日常生活にエスペラントを入
れる」といったことを提案してきたわけです。
---

この私の人間観の元となったのは、栗本慎一郎氏の説でした。

栗本氏は、経済学部の学生でしたのでマルクスを読んでましたし、また学生運動もやって
たわけです。
しかし、共産主義国が経済的に立ち行かなくなったばかりでなく、マルクス主義の名のもと
に粛清や人民抑圧やリンチといったことが頻発したということを知り、「これはなぜなのか」
と考えるようになったようですね。
そしてポランニー兄弟やバタイユなどの著作に影響を受けて、独自の人間論を発表した
わけです。

で私は、この栗本氏の本を読んでたいへんに感銘を受けたんですが、しかしその一方で
「欠けている部分や、極端な部分があるんじゃないかなぁ」とも思ったんですね。
つまり、100%は納得しなかったということですね。

で、これらの問題について考えるうえで、じつはエスペラント運動が役に立ったんですね。
もちろん、それ以外の本も読みましたけれども、エスペラント運動の現状や歴史を勉強し
て得られた知識というものが、社会や人間について考えるうえで、ひじょうに役立ったんで
すね。
正確にいいますと、まず最初に、エスペラント運動について考えるさいに栗本氏の説が役
に立ち、そののちには、栗本氏の説の問題点について考えるうえでエスペラント運動の事
例が役に立ったということになります。

このように、栗本氏の人間論と、エスペラント運動における事例とをすり合わせることによ
って、独自の人間論と、独自のエスペラント運動論ができあがっていったわけです。

206松戸彩苑:2007/07/05(木) 22:48:51
>>205 の続き)

ほんとのことを言いますと、私の人間論は、「カネになること」「楽しいこと」「人から誉めら
れること」くらいしかしない、というだけのものではありません。

実際に私が考えているのは、人間にとって大事なのは「精神的な美しさ」「物理的な美しさ」
「楽しさ・快」「良き人間関係」「衣食住」「健康」「カネ」といった要素であり、これらが複雑に
からみあって、さまざまな社会現象(戦争・革命・宗教活動から恋愛・夫婦げんかまで)が
起こっているというものです。

これは言い換えれば、物理的な条件と、人間の心理的な欲求とがせめぎあって、文明や
文化とか、あるいは個人の生活とかが形成・維持されるということでもあります。
で、このさいに主役となってるのは、物理的な条件のほうではなく、むしろ人間の心理的な
欲求のほうだと思っております。

しかし、エスペラント運動の問題について論じるさいには、こんなことまで言う必要は無い
と思いましたので、思いっきり簡略化した説明をしたわけです。
---

ということで、ずいぶん話が長くなりましたが、要するに、エスペラント運動にしても、社会
問題の解決にしても、結局は「人間の本性」というものについて考えないとダメだろうという
ことですね。

たしかに「欧米でエスペラント運動がうまく行ってない」とか「革新的な人たちでさえ、なか
なかエスペラントを理解してくれない」という事実は、不愉快なことだとは思います。
しかし、こういった不愉快な問題について考えることこそ、重要なのではないでしょうか。

マルクスも「すべてを疑え」と言ったわけですから、理論と現実とが食い違っていた場合に
は、理論のほうを疑ってみても良いんだと思います。

もちろん、私の提案を疑っていただいても構わないのですが、しかし少なくとも、こういった
難問をごまかさずに真摯に考えることだけは必要だと思うのです。

(終わり)

207松戸彩苑:2007/07/16(月) 20:47:27
田中克彦(著)『エスペラント ― 異端の言語』のなかで特に印象に残った部分を引用して、
感想を書いてみようと思います。
---

  私たちは何か外国語を学んでみようと思いたつとき、どんなふうにかはっきりとは言え
  ないが、その外国語が帯びているイメージにひかれている。ではそのイメージは、いっ
  たい何によってつくられるのだろうか。ことばそのものというよりは、そのことばが話さ
  れている国、そのことばで登場するファッションだの映画だのによるところが大きい。

  最近も、その映画に登場する俳優さんに夢心地になってしまったおばさまたち、それも、
  そのときまでこれといった外国語を本気でやったことのないような人たちまでが、俳優
  さんの話すことばの熱心な学習者になってしまったというできごとがあった。

  そのことを思いあわせてみると、エスペラントには国もなければファッションもない。まし
  てや、エスペラント女優さんもいない。そうすると私たちは、エスペラントのイメージを何
  によってつくるのだろうか。

  おそらくエスペラントを学んだり話したりする人からではなかろうか。たぶんあの人がエ
  スペラントをやっているらしいと聞けば、その人が代表してエスペラントのイメージをつく
  る。そうなると、エスペラントを学ぶ人は、どこか魅力のある人であってほしいし、また、
  学ぶことによってそうなってほしい。

  その点では、本書にたびたび登場していただいた、ブランケさん、クズネツォーフさん、
  リンスさんたちは、その著書と同様、御本人もまことに魅力あふれる人たちである。私
  が本気でエスペラントに心ひかれるようになったのは、これらの本の著者、そしてその
  作品のなかに登場する人たちによってである。

  (同書211〜212ページ)

つまり「外国語を学ぶ動機は、イメージに依るところが大きい」ということなんですが、ここ
には「理念」だとか「理論」だとかいった話はまったく出てこないんですね。

田中克彦氏は革新の側の人だと思うんですが、そういう人でも「理念や理論で広まるんだ」
とか「理念や理論で広めるべきなんだ」なんてことは書いてないわけです。

私の見るところでも、右翼だろうが左翼だろうがノンポリだろうが、大部分の人はエスペラン
トなんかやらないわけですね。
だから、そういうことを気にしていたのでは全然ダメだと思いますね。

エスペラント界には「理念」だとか「理論」だとかによってエスペラントを普及させたいと考え
てる人が少なくないんですが、そういう人はまず、自分じしんの家族や知人を「理念」や「理
論」によってエスペラント支持者にすることを成功させるべきなんですよね。

それが出来ないのであれば、やりかたを変えるしかないと思います。
---

  私がはじめてすばらしいエスペラントを耳にしたのは、今から二十年ほど前、中国から
  やってきた、もう八〇歳になられていたであろうか、陳原(チェンユァン)さんという古参の
  エスペランチストの講演だった。この、日本式に読むとチンゲン菜みたいな名の人は、ま
  ったくふだんのことのように、静かによどみなくエスペラントをしゃべっておられて、私にエ
  スペラントがまるで自然の言語だと思わせる、最も説得力のあった人である。

  (同書210ページ)

これは「実体験」の重要さを示したものだと思います。

エスペランティストがいくら素晴らしい理論を説いたとしても、世間の人たちは「実際に見たり
聞いたりしないと納得できない」わけですね。

208大衆迎合の極み:2007/09/18(火) 20:12:29
↓Moea-Moea-Strategio(大衆迎合の極み戦略)

http://www.vastalto.com/bbs/

80番と82番参照。

209だにょ:2007/09/23(日) 17:47:42
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検定料 :2400円(当日会場受付で徴収。去年の検定証明書を受付に提示した人は2000円)
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□「空気を」を意味するエスペラントはどれ?
 ①aferon ②air ③legu ④aeron

□「IDO-lingvo havas kamparan odoron?」の訳はどれ?
 ①井の中の蛙、大海を知らず。
 ②エスペラント語より優れたIDO語をあなた方は認めないでしょうね。
 ③イド語は田舎臭い。
 ④世界一醜くて汚い人工言語を作ろう。

□「エスペラントの試験には、どんなやり方が良いか?」を意味するエスペラントを完成させるのはどれ?
 ( ) agmaniero tau^gas por esperanta ekzameno?
 ①Kian ②Kio ③Kia ④Ne

【戦略】時間はたったの20分間しかない。これだけの時間で100問全部を解くなんて上級者でも至難の業だ。だから、解きやすい問題からどんどん解いて、判らない問題は当てずっぽで良いからマークしておこう。「運と実力」を短時間でどう配分するかが成功の鍵になる。事前に練習をしておきたい人は、『エスペラント検定・萌え萌え過去問集』(定価1300円)を買って問題に慣れておこう!

【特級検定】上昇志向の君には特級検定もあるぞ。これはエスペラント通訳や翻訳家を目指すための検定で、最低基準点60点、合格率7%の超難関だ。近日、実施予定(なーんて言いながら、実際には実施しないにょ。事実上「上級」が最高レベルということにするためにょ)。

210だにょ:2007/09/23(日) 17:50:33
問:エスペラントでブログを書こうと思いますが、見出しすら上手く翻訳できません。どうしたら良いですか?
答:「光文社ペーパーバックス方式」で記述すると良いでしょう。光文社ペーパーバックスは「英語混じりの四重表記」という特徴 distingaj^o を持った書籍 libro です。日本語 japana lingvo が世界 mondo でも類を見ない「三重表記」(ひらがな、カタカナ、漢字)の言葉 lingvo であることから、この特性を生かして、英語 angla lingvo をも取り入れた「四重表記」で書かれています。そこで、この方法を借用して、英語ではなく、エスペラントで記述します。まずエスペラント辞典を用意して prepari ください。そして、このFAQの項目 artikolo のように、所々をエスペラント交じりにした日本語で記述 skribi してみてください。効果的な efekta 書き方は、本屋 libristo か、図書館 biblioteko で光文社ペーパーバックスを入手して研究 studi してみてください。

211だにょ:2007/09/23(日) 18:36:15
有力なテキストについて
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1176813142/8

有力なエスペラントのテキスト=『ALL IN ONE』+『もえたん』+『キクタン』

212だにょ:2007/09/23(日) 20:04:00
こういう図書を翻訳してイタリアのエスペランティストや大学図書館に売りつけるにょ!
http://www.amazon.co.jp/gp/series/89863

ヨーロッパが舞台になるし、西洋音楽がテーマなのでピッタリにょ。「のだめ」の英訳は、既に発売されているので日本のエスペランティストでなくても翻訳できるにょ。権利関係の調整役だけをしてもいいにょ。メジャーなマンガは、結構英訳されているにょ。のだめ、ドラゴンボール、NANA、ナルト、ワンピース、CCさくら………沢山あるにょ。

213松戸彩苑:2007/09/24(月) 18:51:07
考えてみれば、エスペラントは、オタク文化よりも社会的な認知度が低いんですよね。

オタク文化は(批判もあるけど)それなり評価されてもいるわけですが、エスペラントは、
まるで評価されていないという。

214松戸彩苑:2007/09/30(日) 16:03:05
どの程度の翻訳能力があるんですかね?

http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200709281822

  富士ゼロックス、翻訳機能を内蔵したコピー機を開発

【Technobahn 2007/9/28 18:22】富士ゼロックスが文書内に印刷された日本語を自動的
に中国語、英語、韓国語に翻訳可能な機能を備えたコピー機の開発を行ったことが27日
までに明らかとなった。

イメージとテキストが混在している文書であっても全体のレイアウトを崩さずにテキスト部
分だけを各国語に翻訳することが可能となっており、翻訳処理を含めたコピーに要する時
間はA4サイズの原稿で約20〜30秒程。

同社ではこの自動翻訳機能「Scan翻訳技術」は、翻訳する文書の文章を都度キーボード
から入力する必要がないため、効率的に翻訳を行うことが可能になると説明を行っている。

215松戸彩苑:2007/09/30(日) 18:42:53
セイコーインスツルが「SR-G8000」という、ビジネスマンやエンジニア向けの電子辞書を
発売するんだそうです。

ttp://speed.sii.co.jp/pub/corp/pr/newsDetail.jsp?news=1534

216松戸彩苑:2007/10/30(火) 04:55:09
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20071029it15.htm

  臓器再生、働くロボ、携帯翻訳機…30年までの技術予測

日本では2030年までに、自分の細胞から臓器を再生することが可能になり、人手不足
解消のため、ロボットが町工場で活躍。燃料電池自動車が走り回り、音声翻訳機も身に
つけられるほど小さくなる――。こんな将来の技術見通し「技術ロードマップ」を日本機械
学会が発表した。

予測によると、交通・物流部門では、乗用車の平均燃費が05年の1リットルあたり15・1
キロから、15年には同18・5キロ・メートルまでのびるという。地球温暖化対策として、50
年までに世界の車の4割が燃料電池車と電気自動車になり、残りの大部分がハイブリッド
車になるとしている。

臓器再生は栄養を供給する血管を細胞内に張り巡らせることが課題だが、工学的技術を
使うことで20年以降には実現可能としている。

同じころ、ロボットのパワーや精度が向上し、中小企業の製造現場で働くロボットも出てく
るという。

同学会は創立110周年記念行事として、昨年から、材料力学や流体工学など14部門で、
ロードマップ作りに着手。まず10部門の内容をこのほど発表した。予測は、大学や企業
の研究開発の目安になるという。
---

翻訳機がどれだけ進歩するかは判りませんが、2030年になれば英語の普及は一段と進
んでいるでしょうし、また日本のエスペラント界は高齢化が進んで、人数が減ってる可能性
が高いですね。

217松戸彩苑:2007/11/01(木) 06:52:34
http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2007103101000661_Culture.html

  日本語学習者298万人に アニメ影響も、交流基金が調査

国際交流基金は31日、海外の教育機関で日本語を学習している人が133の国と地域
の約298万人に上るという調査結果を発表した。2003年の前回調査と比べ、学習者数
は26・4%増加した。国の増加は6カ国だった。

同基金は、日本で作られたアニメや漫画、ゲームといったポップカルチャーへの興味が
世界で高まっていることなどが、学習者数の増加に反映したとみている。

学習者数の1位は韓国で約91万人。次いで中国の約68万人、オーストラリアの約37万
人。この3カ国で全体の3分の2を占める。一方、オーストラリア、米国など31カ国・地域
では学習者が減少した。

教育機関別では、日本の小、中、高校に当たる「初等・中等教育機関」で学ぶ人が全体の
約6割に上る。

主要な学習目的としては「日本文化に関する知識を得る」「日本語でコミュニケーションでき
るようになる」が挙げられている。
---

「海外の教育機関で日本語を学習している人」だけですから、独学の人は含まれてないで
すね。

やはり「楽しいこと」の力って大きいんですね。

218松戸彩苑:2007/11/02(金) 22:45:16
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20071102AT1G2605402112007.html

  薬の使用法、外国人に絵文字で説明・5カ国語で作成

製薬会社24社でつくる「くすりの適正使用協議会」(東京・中央)が、薬局などで日本語の
不自由な外国人に薬の飲み方や注意事項を説明するための「絵文字」を作成した。誤使
用による副作用や事故の防止が目的で、英語や中国語など5カ国語に対応。同協議会
は「絵文字を使えば外国人患者にも適切に指導できる」と期待している。

絵文字は、座薬を飲んでしまったり、服用時間を間違えるなどの誤使用を防ぐため、2004
年から同協議会が薬の種類や服用時間、注意点などをイラストで示した計51種類を日本
語で作成し始めた。今回、これを英語、中国語(簡体字、繁体字の2種類)、韓国語、ポル
トガル語、スペイン語に翻訳した。
---

これはおそらく「ピクトグラム(英 pictogram、エス piktogramo)」のことだと思います。

で、このピクトグラムの専門家(デザイナー)の太田幸夫という方が、ピクトグラムの研究
を利用して「ロコス(LoCoS)」という人工語(絵文字語)を作って発表してるんですよね。

このサイト(↓)の下のほうにロコスの説明があります。

http://www.innovative.jp/interview/2006/0125.php

また、大きな図書館ですと

『新しい絵ことばLoCoS』 講談社 1973年

という本がある可能性があります。

ただし、この言語は、見かけはとってもスマートなんですけれども、発音ができないんです
よね。

219レス代行(ladio氏の依頼):2007/11/07(水) 04:33:28
エスペラントは現在ハイカルチャーである。しかし、エスペラント大衆
に広めるためには、これをサブカルチャー化する必要がある。要するに、
言語オタクをどんどん取り込まなければならない。そのためには、エス
ペラントをウィキ化し誰でも編集可能なオープンソースにしておく必要
がある。ただし、文法事項は変えてはならない。これがエスペラントの
崩壊につながることは歴史が証明している。エスペラントの肝は語法で
ある。しかしこの語法は実に曖昧である。欧米人には自然にわかるのか
もしれないが、非欧米人には全くわからない。例えば「perlabori:稼ぐ」
「denove:再び」。このような例をなくすため、ネット版PIVをウィクシ
ョナリーで作成し、語法を合理的な方向に進化させるのである。また、
新語なども登録できるようにすることで、不足語を補いまた、流行語を生
みだす。そうすることでエスペラントは自然と進化する。
Viktaro planoエスペラントフリー辞書計画
ウィクショナリーを利用して唯一の規範的なエスペラント辞書を作る。
語幹に可能な限り接辞を付けその意味と例文とその意味(例文が暗示するもの)を載せる。
そうすることで、エスペラントの隠れた規則を明文化することが出来る。
この計画のためにはエスペラント文学を読みあさらなければならない。過去の使用例から規範的表現となるものを辞書に載せていくのである。
---------------------------------------------
依頼元:http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1187078117/152

220松戸彩苑:2007/11/27(火) 04:48:11
とうとう、こんなものが。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200711260063.html

  世界初 携帯電話を使った自動翻訳サービスがスタート

携帯電話に向かって日本語を話すと、翻訳された英語が数秒後にディスプレー画面に表
れるサービスが26日、NTTドコモの最新機種D905i(三菱電機製)、SH905i(シャープ
製)で始まった。英語で話せば日本語にも翻訳してくれる。携帯電話による音声自動翻訳
サービスは世界で初めて。ドコモは、このサービスを使える機種をさらに5機種増やす。

音声自動翻訳の基礎技術は、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)=京都府精華町=
が開発し、これにフュートレック=大阪市=が開発した携帯電話での利用技術を融合させ
た。運用は、フュートレックの子会社、ATR―Trek(トレック)=川崎市=が担っている。

周囲のノイズを多く拾う携帯電話は、音声による自動翻訳ができるほど正確に声だけを認
識することが難しかった。このため、携帯電話本体にノイズを取り除く仕組みをつくった。
音声の特徴を抽出し、音声がもつ情報量を30分の1ほどに圧縮してからサーバーに送信
している。

サーバーで、音声のデータを翻訳して携帯電話に送り返す。ディスプレー画面には、元の
文と翻訳の文が表示される。旅行英会話でよく使われる約7万5千の単語を登録し、約100
万の文例をもとに翻訳ソフトをつくった。英検準1級程度の能力があるという。

翻訳サービスの利用料は月157円で、別にパケット通信料がかかる。国際ローミングを利
用すれば海外でも利用できる。北京オリンピックをにらんで近く日中翻訳のサービスも始め
る。1年以内に10万人のユーザー獲得を目指している。

221papageno:2007/11/27(火) 17:29:48
>>220
松戸彩苑さん、できれば「翻訳機と国際語の将来」の方に書いてほしかった(笑)。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1189255086/

なるほど、翻訳機というとどうしても個々の独立した機械を考えてしまうけど、携帯電話でサーバーと結んでしまえば、一つの中央の翻訳機の開発だけですむんですね。
まだ音声が出る訳ではないし、果たして翻訳精度がどの程度のものかわかりませんが、いよいよ本格的な翻訳機の登場ということなのでしょうか?

222松戸彩苑:2007/11/28(水) 04:06:19
>>221
エスペランティストがモタモタしているうちに、世の中はどんどん進歩してるんですよね。

もちろん、まだ自由自在に翻訳できるってわけではないだろうとは思いますけど、これで
また、エスペラントが普及する可能性がグンと低くなったのは間違いないでしょう。

私ももう10年以上もエスペラント運動を見てますけれども、「世間知らずの世直し運動」
って感じしかしないんですよね。

エスペラント界は、1917年に亡くなったザメンホフの意見を忠実に守ってるのですから、
社会の進歩からどんどん取り残されるのは当然だとしか思えないんですけどね。

223松戸彩苑:2007/12/13(木) 06:53:33
単なる案ではあるんですが「大学の全授業の3割を英語で実施することも明記」なんて書
いてありますね。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20071212AT3S1102C11122007.html

  教員採用、社会人2割に・教育再生会議、バウチャーは試験実施

教育再生会議(野依良治座長)がまとめた三次報告の最終案が11日、明らかになった。
教育の幅を広げるため、教員免許を持たない社会人の参入を推進。2012年までに教員
採用数の2割以上を目指すことを掲げた。大学の全授業の3割を英語で実施することも明
記。賛否両論あった「教育バウチャー(利用券)」制度は全国一律の実施は見送り、国が
公立学校を対象にモデル事業を実施することで決着した。下旬に福田康夫首相に提出す
る。

社会人の積極登用は、ビジネスマンや研究者など各界の専門家を教壇に立たせることで
教育水準の向上に寄与することを狙った。現在も都道府県の教育委員会が「特別免許状」
を発行して採用できるが、慎重な教委が多い。特別免許状なしでも優秀な人材であれば
非常勤講師などで登用するよう提言した。

224ladio:2008/04/04(金) 00:17:11
環境問題という人類未曾有の恐怖を利用して
エスペラントを広めるのだ。

225ladio:2008/04/04(金) 00:19:44
お久しぶりです。アルファングルのらでぃおです。
なんか掲示板の機能的都合でしばらく書き込めませんでしたが、
書き込めるようになったので書き込みます。
---
従来の日本のエスペラント運動には環境保護の視点が欠けていた。
平和主義を平和な日本で叫んでもそれは所詮現状維持に過ぎない。
今人類は未曾有の恐怖にさらされている。それはテロリズムでもアメリカによる
グローバリズムという新しい帝国主義でもない。
地球環境の悪化である。
人類が一つにまとまるにはエイリアンの侵略のような全人類的未曾有の恐怖が
必要不可欠である。
現在都合のいいことに全人類的未曾有の恐怖が迫っている。
地球環境の悪化は全人類を一つにする動機付けとなりうる。
全人類が市民レベルで一つになるためにはエスペラントが必要不可欠である、
と宣伝すればよい。

226松戸彩苑:2008/04/04(金) 02:28:58
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008040300745

  小学生向け英語教材試作=285単語を学習−5、6年の必修化で文科省
 
2011年度の小学5、6年生の英語必修化に備え、文部科学省は3日、試作した授業用教
材「英語ノート」を公表した。2年間で計285単語を学ばせることを想定しているが、読み書
きではなく会話に主眼を置き、イラスト中心の構成にした。

文科省は前倒しで授業を行ってもらうため、今年度、試験的に一部学校で使用させた上で、
09年度の5、6年生全員分の約250万部を配布する。同省教育課程課は「英語に触れ、コ
ミュニケーション能力の素地を作ることが大事。従来の中学1年程度の内容だが、各学校に
合った使い方をしてほしい」としている。

教材は両学年ともB5判、64ページでカラー印刷。ほぼ全ページがイラストで埋まり、教師や
ほかの児童との英会話の材料にしたり、英語のCDを聞いて、空欄に記号や日本語を書き
込んだりする。5年生用は英単語自体の記載が少ない。

227松戸彩苑:2008/04/04(金) 02:34:57
>>224-225
お久しぶりです。

「環境問題を利用する」ってのは良いアイディアだと思うんですが、環境問題を語るのに必
要な語彙・表現がエスペラントにあるかってことが問題になると思うんですよね。

たとえば「使い捨て」「光化学スモッグ」「発泡スチロール」をエスペラントでどう表現するか、
ご存知ですか?
(私は知ってますけどね)

こういった語彙・表現を整備したり、あるいは学習しやすくしたりするってことが必要不可欠
だと、私は思うんですけどね。

228ladio:2008/04/05(土) 00:41:20
勿論、語彙を整備することは重要です。しかし、もっと必要なのは
迅速な行動です。
地球環境は危急存亡の時を迎えています。そのためにはエスペランティストたちは
世界の中心となって、環境問題対策に乗り出すべきなのです。
エスペラントは中立でなければならないことはよく知っています。
しかし、地球環境問題のような全人類的テーマに中立も何もないと思うのです。
地球環境問題こそがエスペランティストが居場所を見いだす唯一の場であると私は考えます。
私は、今までエスペランティストのみに与えられていた場など存在してこなかったと考えます。
エスペランティストは市民レベルでの国際交流をしてきたと自慢げに話します。
しかしそれは折り紙や音楽の交流など遊びの域を出なかったと思います。
我々は我々の存在を世界に認めさせ、またエスペラントの有用性を世界に認知させるためにも、
世界の役に立つことを実施していかなければならないのです。
それこそが環境問題対策です。
我々は世界各地で行われている環境問題対策のネットワーク化を担わなければならないと思います。
地球環境の保全には全地球市民の連帯が必要不可欠であり、そのためには橋渡し言語が必要なのです。
彼らがエスペラントを導入するにはまず我々が環境問題に取り組まなければならないのであります。

229松戸彩苑:2008/04/05(土) 04:51:49
エスペラントが世間の人たちに認められないのは、単純に

(1) エスペラントを使用する人間があまりにも少ない。

(2) 現在エスペランティストがやってること(文学・言語問題…)が難解すぎて、世間の人
    たちから「自分たちには関係ないや」と思われている。

(3) 「エスペラントは特殊なイデオロギーと結びついている」と思われている。

ということがあるからだと私は思ってるんですね。

ですから「たとえ娯楽を利用してでもエスペラントの話者を増やさないといけない」「むしろ娯
楽のほうが一般人にも親しみやすいし、イデオロギーと間違えられることも少なくなるだろう」
と主張しているわけです。

> エスペランティストは市民レベルでの国際交流をしてきたと自慢げに話します。
> しかしそれは折り紙や音楽の交流など遊びの域を出なかったと思います。

と書いておられますが、しかし考えてみれば、英語などを使った国際交流というのも「折り紙
や音楽の交流」といったレベルのものが多いんですね。
それなのに、英語なんかだと評価されるのに、エスペラントだとあんまり評価されないという
のは、先に述べたような理由があるからだと思うんですね。
---

それに私の見るところでは、世間においては「遊び」は軽蔑されてるわけではないんですね。

たとえば任天堂というのは、ファミコンを作るようになってから世界的に有名になったわけで
すが、世界的に評価が高いわけですね。
また Sony や Microsoft なんかも家庭用ゲーム機を作っていますが、そのせいで評価が下
がった、などということは聞いたことがありません。

もちろん「ゲームのやりすぎは良くないよ」ってことはあるんですが、しかし「遊びそのものが
ムダだ」とまでは考えられてませんね。

だいたい、野球・サッカー・ゴルフ・テニス・バスケットボールといった世間で人気のあるスポ
ーツというのは、完全に「遊び」なんですね。
体力の増進ということであれば、もっとそれに適したものがあるわけですが、しかし単なる体
力増進のための運動よりも、遊びにすぎない野球などのほうがずっと人気があるんですね。

ということで、オリンピックは「遊びの祭典」だと私は見ているんですが、そういうものが世間
においては「国際的な友好に役立つもの」だと考えられているという事実は軽視すべきでな
いと思いますね。
---

もちろん環境問題にコミットしていくというのは悪くないとは思いますが、しかしこの分野でも
すでに英語を使って仕事をしている人がそれなりにいるわけですから、それに負けないレベ
ルでなければ「やっぱりダメじゃん」と思われるだけになってしまうんですよね。

230KamelioJapana:2008/04/05(土) 09:26:42
>>229
>エスペラントが世間の人たちに認められないのは
(1)は、正解
でも、(2)と(3)は松戸さんが得ている情報の範囲内での結論であると思います。
特に(2)については実際にEsperantistaroに参加していない人の一方的な見方。
勿論、難解な問題に取り組んでる人もおりますが、やはりあくまで少数派。
(3)に関しても一般の方々でそれ程詳しく運動の内容に関して理解している人は皆無と
いえます。E界に入ってきた人は、むしろ一部の噂を吹聴する人の影響を受けた極少数の方々
以外の大多数の方には、そういう思いは無いです。そのために一度入ったE界から離れたという
話は聞いたことがありません。組織運営に馴染まなくて、組織から離れた方はおりましたが、
そういう方でもEsperantistaroには残っております。

総じて、松戸様の意見は「食わず嫌い」、「虎穴に入らずば、虎子を得ず」の域を出ないものの
様な感じがしています。

231ladio:2008/04/05(土) 18:32:31
2.3はたしかにエスペランティストにとっては誤解かもしれません。
しかし、世間から見たら特に2chネラーからみたら、その通りなのです。
世間の一般の評価としてはエスペラントはマイナーであり、
難解なものかあるいは左翼のものなのです。
この社会のイメージは変えられなければなりません。

232護憲29:2008/04/05(土) 21:33:37
230
3ばりばりのてめえに言う資格はねえよ

233やぱーの@管理人:2008/04/05(土) 21:47:32
>232

護憲29 様

最終警告とします。再び良識無い発言があった場合は、
しかるべき措置を取りますので、ご了解ください。

234護憲29:2008/04/06(日) 20:48:19
>>233
申し訳ございません。以後気をつけることにいたします。

235やぱーの@管理人:2008/04/06(日) 21:25:59
よろしくお願いします。^^

236エスペロ:2008/04/07(月) 08:32:38
>>190 松戸彩苑

>英語はできて当たり前

Mia kara Matsudo-Saien,mi agnoskas ke la angla lingvo jam estas kvazau
'tera lingvo'...
松戸彩苑様、英語がすでに「地球語」のようになっていることは認めます・・・

Mi,tamen,nun ekkonsideras prie de specialeco de Japanio,kies popolo
posedas anglan plej malbone ecx inter azianoj...
しかし、私は今日本の特殊性について考え始めています・・・日本人はアジア人の中でも
英語が最も下手な国民です・・・

Kaj ankau pri Kristanismo,plejparto de japana popolo NE praktikas tiun
religion, dum cx.40% de koreoj kaj 10% de cxinoj identigxas kun kristanoj...
また、キリスト教について言えば、日本人の大部分はキリスト教を信仰していません・・・
一方、韓国人の40%、中国人の10%はキリスト教徒だとされています・・・

Malgrauxe de NE-posedado de angla kaj NE-evangelieco,Japanio 'arogas'
kaj 'uzurpas' la postenon de la plej evoluinta kaj unuaklasa sxtato
en Azio...
英語ができなくても、キリスト教徒でなくても、日本はアジア一の先進国であり、一等国の地位に
あります・・・

Mi mem opinias ke Japanio iras en Azio apartan kaj unikan vojon de 'civilizita
lando ne bazita sur anglalingva hegemonio kaj Kristanismo'...
私は、日本はアジアの中で、「英語支配及びキリスト教に基づかない文明国」という
独自の道をすすんでいると、思います・・・

237KamelioJapana:2008/04/07(月) 18:18:58
>>232
Al tiu dekstrul'
Neniam mankas postul'
Mi gxin pretere
Ignoras, sxategante
L'aliajn prefere

238ladio:2008/04/19(土) 23:13:15
「萌え全世界協会 MAT(Moea Asocio Tutmonda)

 萌え全世界協会・MAT(Moea Asocio Tutmonda)とは日本のオタク文化と
エスペラントとを結びつけて、一般大衆をエスペラントの世界へ誘い、
世界のエスペラント人口を一挙に増加させることを目的とした組織です。」
こんなの作ってみました。メーリングリストも作っておいたので、
よろしくお願いします。

http://www.m-net.ne.jp/~fujimori/mat/index.html

239不肖のこども:2008/04/20(日) 10:32:43
ハリウッド映画をエスペラントの吹き替え版を造れば
もっとみんなが関心を持つかもしれません。

240ベダウリンデ:2008/04/21(月) 10:16:19
>239
そういうのがあったら何と素晴らしいことか、と私も思っておりました。
ハリウッド映画なら英語で十分だから、エスペラントを始める動機付けにならないけど、
少なくとも勉強の手助けにはなるのになーと思う。(どんな場面でどういう言い回しをするのか、とか)
でも、どうせ無いし、これからも作らないのでしょう。諦め

>238
「萌え」は頑張って下さいね。文なんか間違ってもいいから、自分達でどんどん作っちゃえば?
お偉いさんの協力なんて求めないで。

241ladio:2008/04/27(日) 18:02:59
萌えですが私がMATを作る前に、すでに鯨さんがEsperanto-Rondo de Otakuo
を作ってらっしゃいました。彼の軍門にくだろうと思います。

242Kanva:2008/04/27(日) 21:33:19
>>241

そのEROのサイトって、ググった結果の先が繋がらなかった(キャッシュしか
見当たらない)です。一時的に見えないだけなのでしょうか……。

243ladio:2008/04/28(月) 02:06:40
私も今見たら無くなってますね。

244Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/04/28(月) 12:57:03
だにょさんはここには書き込めないそうです。わたしは
よろず掲示板には規制を食らって書き込めません。残念です。

245やぱーの@管理人:2008/04/28(月) 13:11:56
>だにょさんはここには書き込めないそうです。

私が意識して規制しているわけではありません。
「あやしい」ホストなので一律に規制に引っかかっているだけです。
誤解無いようお願いします。

246Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/04/28(月) 21:28:51
>>245
そうでしたね。だけど、だにょさんのおっしゃってることが非常に興味深いもん
ですから、この掲示板で発言してもらえたらいいのにと思ったのです。
あちらではすぐに打ち切りにされるでしょう。

247やぱーの@管理人:2008/04/29(火) 19:31:12
一時、ホスト規制を甘くします。

だにょ様、よろしかったらテストしてみてください。

248ladio:2008/05/03(土) 19:57:03
憲章を定めて萌え全世界協会(MAT)を合法組織化しました。
日本国憲法をパクったおもしろ美しい憲章です。
また、著作権に関するガイドラインも載せました。
これで、タイーホされる危険はなくなりましたので、皆さん
ぜひご参加下さい。

249りょほう:2008/05/04(日) 10:04:14
>>248
憲章みました。
2点つっこませていただきます。

1.日本の著作権法よりも、現地の著作権法を守ることに触れるべきだと思います。

というのも、ファンサブは日本で見てもらうものではなく、海外の人に見てもらうものなので、
日本の著作権法ではなく現地の著作権法が問題になります。たとえばドイツ国内でドイツのエスペランティストに見てもらう場合、日本のではなくドイツの著作権法が問題になります。
現地の著作権法を守るに当たっては、現地のエスペランティストと連絡を取り合う必要があるでしょう。

2.権利者保護に対する姿勢

公開したファンサブが現地でライセンス化された場合、ファンサブの公開を中止する。また、ライセンスされた作品を買うことを促す。
権利者から公開を中止することを求められた場合、速やかに公開を中止する。

など、権利者の権利を重視した文面を盛り込むべきだと思います。
権利者のみなさんとも仲良くしたいですよね!

では、頑張ってください。

250ladio:2008/05/04(日) 12:01:39
つっこみありがとうございます。
憲章を改正しました。現地の著作権法を守ることを盛り込み、
翻訳物の公開を厳格に禁止しました。
また、9条として、著作権の放棄をうたいました。
日本国憲法の第9条のぱくりです。

251松戸彩苑:2008/09/28(日) 11:17:43
私は >>93 で、月刊「言語」2000年8月号に掲載された、立川健二氏の「英語批判の手前
で ― エスペラントからザメンホフへ」という論文を紹介しましたが、この文章がそっくりその
まま『論争・英語が公用語になる日』(中央公論新社 2002年)という本に転載されてるの
を思い出しました。

月刊「言語」のバックナンバーを探すよりも、こちらを見つけるほうがずっと楽だと思います。

もちろんこの論文は、私が >>93-96 で述べているように

  エスペラントはもう絶対に広まらないから、それは諦めて、それ以外の社会運動に専念し
  たほうが、ザメンホフの精神を現代社会に生かすことが出来るのではないか。

と言ってるものであります。

この論文と、立川健二(著)『ポストナショナリズムの精神』(現代書館 2000年)所収の「第
3章 言語戦争論序説」とを読んでみて、私が >>93-96 に書いた解釈が正しいかどうか、ご
自身で確かめられると良いと思いますね。

252ladio:2009/03/09(月) 01:24:46
 私はまだ、エスペラント運動の具体的な活動について書くことができない。しかし、活動の条件についてなら書くことができる。以下に、エスペラントを大衆と呼ばれる圧倒的多数に導入させるために、その活動に必要な条件を記した。


   大衆運動としてのエスペラント

 大衆とは、心理的に定義される。
「大衆とは善きにつけ悪しきにつけ、特別な理由から自分に価値を見いだすことなく、自分を『すべての人』と同じだと感じ、しかもそのことに苦痛を感じないで、自分が他人と同じであることに喜びを感じる全ての人々(である)」。(オルテガ・イ・ガゼット『大衆の反逆』)

 大衆は産業革命以降、社会の多数を占めるようになった。今まで、人々はムラなどの共同体に確固たる拘束を受けていた。ところが、産業革命後、都市部に工場労働者として集まった彼らは、その拘束から解き放たれ、自由を手にすることになる。彼らは頼るべき規範を失い、「根無し草」となった。彼らは孤独であり、常に不安を抱えている。
 そこで、彼らの不安や孤独を埋める方法で、我々は大衆に対しエスペラントを提案すべきだろう。それは、新しい仲間であり、民族である。エスペラントは人々にかくあるべしという規範を与えなければならないだろう。ただし、それは潜在的に大衆の願望の中にあるものでなければならない。ホマラニスモなどの倫理規定ではなく、彼らの孤独、不安あるいは欲望に合致していなければならない。大衆の心に存在しない要素を大衆にすり込むことは困難であり、しばしば骨折りに終わる。

 人間は理性的、合理的にはできていない。人間は欲望に従って生きており、理性はその言い訳としてしか存在しない。彼らの欲望に合致した意見でなければ、その主張は完全なる誤謬と見なされる。大衆は単純な意見しか知らないので、ある主張は宗教のように盲目的に受け入れられるか、完全に斥けられるかどちらかである。エスペラントは今まで単なる理想主義であった。人間の理性に頼り、世界が良くなれば、そして世界が真理に向かえば、エスペラントはいつか導入されるだろう、という臆見が支配的だった。しかし、真理とは間主観の共通了解による妥当であるという現象学的な見方をすれば、それが誤りであることが分かる。エスペラントはもっと卑屈に、人間の欲望に即した形で提案されなければならない。

 大衆は暗示にかかりやすい。暗示とは観念の身体化である。身体化した観念は常に善と見なされる。エスペラントは暗示によって人々に受け入れられなければならない。
 大衆は孤独である。常に他者との連帯を求めている。宣伝はだから、ある人が見たものを他の人も見ているのだという確信を与える方法で行わなければならない。エスペラント運動は全国的でなければならず、そのことが被宣伝者にも伝えられていなければならない。他人と同じものを見て、同じことを聞き、同じ意見を持つ。エスペラント運動は大衆の性質に即しているべきである。

 人間は他人と出会ったとき、彼を敵と見なすかあるいは味方と見なすかのどちらかの態度をとる。中間という態度は存在しない。敵と見なした場合、人間は他人を打倒し屈服させるか、屈服させられるかのどちらかになる。味方と見なした場合、そこでは贈与の交換が行われれる。人が他人と関係を作るとき、必ず贈与が行われる。それは具体的な物の贈与とは限らない。信念などの抽象的なものの譲り合いである場合もある。エスペラントは非エスペランティストに何を贈与しうるだろうか?また、非エスペランティストから何を受け取りうるだろうか?あるいはエスペラントは大衆を屈服させうるだろうか?他人を敵と見なし、相手を屈服させた場合でも、贈与の交換は行われる。それは、庇護と忠誠の交換である。エスペラントには人々を庇護し、恩恵を与えるだけの力があるだろうか?

 大衆は支配されることを望んでいる。大衆は孤独であるが故に、他人との連帯を求めずにはいられない。それは、自我を平気で捨て去り、他人と同化することにつながる。エスペラントは人々を支配し、大衆を結びつける紐帯となりうるだろうか?

 以上をまとめると、エスペラント運動はまず、エスペラントで人々を支配するのか、あるいは贈与の交換によって人々と共生するのかを選ばなければならない。
 次に、エスペラント運動は全国的に展開されなければならない。
 そして最後に、エスペラント運動は大衆の不安、孤独を解消し、彼らの欲望を満足させなければならない。

253KamelioJapana:2009/03/09(月) 20:58:01
>>252
ladioさん。
貴重な意見を詳しく拝聴いたしました。久しぶりに私のいつもの論争相手とは違った見解で
新鮮でした。
私なりに少しコメントをさせていただきます。

> 大衆とは、心理的に定義される。
「大衆とは善きにつけ悪しきにつけ、特別な理由から自分に価値を見いだすことなく、自分を
『すべての人』と同じだと感じ、しかもそのことに苦痛を感じないで、自分が他人と同じで
あることに喜びを感じる全ての人々(である)」。
(オルテガ・イ・ガゼット『大衆の反逆』)

筆者の使用した日本語で「大衆」と訳された原語を知らないのではっきりとは云えませんが、
あくまで、筆者自身が思うところ大衆観に過ぎない気がします。
私は、日本語でいう「大衆」とは社会の「エリート」では無い人々、すなわち、個々人の力
だけでは直接政治や社会に影響を与えることが大変難しい立場にいて、多かれ少なかれ、与え
られた社会環境の中で生きることを余儀なくされている人々、と考えます。

すなわち、単に心的態度の問題では済まされないと思います。確かに上に定義された人たち
も居るとは思いますが(エリートの中でさえ居る)、それで総てを括るのはちょっと単純な
定義だと思います。
それに人々の心的態度とは与えられた時代や社会的条件の下でかなり変わっていくもので、
ある特定集団の心理と他のものとは民族、国家、国家体制等の条件により違うものです。
彼の定義した心理的定義は、大衆の心理の多くの部分を代表するかも知れませんが、総て
ではないと思います。従って大衆とは、貴方の書いている様な「心理的に定義される」もの
だけでは決まらないというのが私の考えです。

> 大衆は産業革命以降、社会の多数を占めるようになった。今まで、人々はムラなどの共同体
に確固たる拘束を受けていた。ところが、産業革命後、都市部に工場労働者として集まった
彼らは、その拘束から解き放たれ、自由を手にすることになる。
彼らは頼るべき規範を失い、「根無し草」となった。彼らは孤独であり、常に不安を抱えて
いる。

この上記の自由の定義こそ問題なのです。ある意味では共同体の「加護」を失い、根無し草に
なる不安を抱える「自由」も得たのですね。それに多くは農村から追われる状況下に置かれた、
と云った方が好いわけで、戦前の日本の貧しい農村や今の中国もそれと似たような状況が続い
ています。言い直せば、「根無し草になる不安を前提に自由を得た」わけです。
と言うのは、彼らには、もはや労働力の売り手としての地位が保証される前提でしか生きる
道がない。不況その他で買い手の方が有利に働く状況になれば直ぐに路頭に放り出されると
いう不安が常に付いて回る。現代でも多くの国の人々が似たような状況に置かれていますね。

254KamelioJapana:2009/03/09(月) 21:08:13
>そこで、彼らの不安や孤独を埋める方法で、我々は大衆に対しエスペラントを提案すべき
だろう。

これは、前掲の私の論点から言わせると飛躍です。
と言うのは「根無し草になる不安」とは単に人々の心理の問題ではないからです。
それは、生活を維持できなくなる潜在的可能性が常にあることから来る不安です。
このことは、先ごろの世界的金融危機でも如実に顕在化しました。

従って、大衆にEを提案しても指し当たっては、彼らには殆ど利益にはならないし、あまり
意味の無いことだと思います。というか、大衆はそっぽを向くだけでしょう。

>それは、新しい仲間であり、民族である。エスペラントは人々に「かくあるべし」という
規範を与えなければならないだろう。(「 」はKamelioの挿入)

仮令、可能だとしてもEにそんな権利はないと思いますが。。。

>ただし、それは潜在的に大衆の願望の中にある
ものでなければならない。ホマラニスモなどの倫理規定ではなく、彼らの孤独、不安あるい
は欲望に合致していなければならない。大衆の心に存在しない要素を大衆にすり込むことは
困難であり、しばしば骨折りに終わる。

すいません。意味不明瞭です。
ホマラニスモは大衆の心の中には存在しない、と云いたいのかな。
では、彼らの一連のbezonojに合致するものとは??

255KamelioJapana:2009/03/09(月) 21:20:43
>人間は理性的、合理的にはできていない。人間は欲望に従って生きており、理性はその言い訳として
しか存在しない。彼らの欲望に合致した意見でなければ、その主張は完全なる誤謬と見なされる。

これは、貴方の意見でしょうか。
どうも、二者択一のような感じがします。
そもそも「理性的・合理的」と言うことと「欲望に従って」ということが必ずしも対峙するもの
ではないのです。
まあ、それはそうとしても、
人間は、常に理性的でもないし、単に欲望のみに従って生きているのでもありません。
本来多くの人々は、条件が整えば理性的に動くものです。それが人間たる所以です。

その条件とは、理性的に動けば自他共により良い生き方が約束される環境です。
すなわち、この環境が整っていれば人々の個人の欲望と理性とは、ほぼ同じ向きを示します。
逆にその条件が乏しいと、生きることの不安の方が理性を押しのけて、利己的な欲望が出てしまい
ます。自分さえ良ければというやつですね。
尤も、そんな世の中が長期に亘って栄えたためしはありませんが。。。

>大衆は単純な意見しか知らないので、ある主張は宗教のように盲目的に受け入れられるか、完全に
斥けられるかどちらかである。

これも二者択一的。
「〜と言う傾向が大きい」等の表現を用いることをお勧めします。

>エスペラントは今まで単なる理想主義であった。人間の理性に頼り、世界が良くなれば、そして
世界が真理に向かえば、エスペラントはいつか導入されるだろう、という臆見が支配的だった。
しかし、真理とは間主観の共通了解による妥当であるという現象学的な見方をすれば、それが誤り
であることが分かる。

人間社会においては、何が真理かは確かに相対的ではあるが、そのことと理性に頼る運動がどうして
誤りなのかは説明にはなっていないと思うのですが。。。
貴方の頼る「現象学的な見方」を受け入れたとしても、個々の主観の共通項の総和が理想主義的な
ものと近くなることだってあるでしょう。

256KamelioJapana:2009/03/09(月) 21:37:43
>エスペラントはもっと卑屈に、人間の欲望に即した形で提案されなければならない。

のように貴方は、貴方は人間は常に欲望的なものだという前提に立っているので、欲望の主体である個々の
主観の総和は、すなわち真理というものは、理想を受け入れるものにはならない、と云いたいのでしょうか。

>大衆は暗示にかかりやすい。

これは、何も大衆に限ったことではないでしょうが、先に貴方が引用した「大衆の定義」からはそうも
云えるかもしれません。

>暗示とは観念の身体化である。身体化した観念は常に善と見なされる。
エスペラントは暗示によって人々に受け入れられなければならない。

一種のマインドコントロールですか。

>大衆は孤独である。常に他者との連帯を求めている。宣伝はだから、ある人が見たものを他の人も見ている
のだという確信を与える方法で行わなければならない。

「貴方の大衆の定義」ではそうかも知れませんが、私の定義する大衆は、常に孤独であるわけではありません。
もっと正確に言うとアプリオリに孤独ではないのです。
上記で示唆したようにある条件の下で孤独に思うようになる、または孤独にさせられるのです。

>エスペラント運動は全国的でなければならず、そのことが被宣伝者にも伝えられていなければならない。
他人と同じものを見て、同じことを聞き、同じ意見を持つ。
エスペラント運動は大衆の性質に即しているべきである。

大衆というものが、貴方のいう心的態度に留まるという前提ならば、Eを広めても無益でしょうし、そもそも
Eを広める理由もありません。そもそも理想主義から切り離されたE自体が直接大衆に齎す恩恵とは、一体全体
なんでしょうか。E自体の存在価値が問われます。

>人間は他人と出会ったとき、彼を敵と見なすかあるいは味方と見なすかのどちらかの態度をとる。
中間という態度は存在しない。敵と見なした場合、人間は他人を打倒し屈服させるか、屈服させられるかの
どちらかになる。

そういう人もおりますが、そんな単純なものではないでしょう。何か殺伐としたものが感じられますね。
何方の心理学理論または人間論なのですか、教えてください。
過っては、そういう理論もありましたが現段階の考古学的見地からも、別の見方をしていますよ。

>味方と見なした場合、そこでは贈与の交換が行われれる。人が他人と関係を作るとき、必ず贈与が行われる。
それは具体的な物の贈与とは限らない。信念などの抽象的なものの譲り合いである場合もある。

これは、大方その通りだと思います。共感などは大事な交換の要素ですね。

257KamelioJapana:2009/03/09(月) 21:52:40
>エスペラントは非エスペランティストに何を贈与しうるだろうか?また、非エスペランティストから
何を受け取りうるだろうか?あるいはエスペラントは大衆を屈服させうるだろうか?他人を敵と見なし、
相手を屈服させた場合でも、贈与の交換は行われる。それは、庇護と忠誠の交換である。エスペラント
には人々を庇護し、恩恵を与えるだけの力があるだろうか?

中世、封建社会のことですか???

>大衆は支配されることを望んでいる。大衆は孤独であるが故に、他人との連帯を求めずにはいられない。
それは、自我を平気で捨て去り、他人と同化することにつながる。
エスペラントは人々を支配し、大衆を結びつける紐帯となりうるだろうか?
 以上をまとめると、エスペラント運動はまず、エスペラントで人々を支配するのか、あるいは贈与の
交換によって人々と共生するのかを選ばなければならない。

貴方のお考えなら、ちょっと危険な香りがしますね。
大衆、又は社会の多数派がそういう「支配される事を望んでいる」状況に陥った時は、まさに、民主主義
が危機に晒されているのですね。
今の日本の状況は果たして如何でしょうか。

むしろ、大衆に対するプロパガンダが容易になる社会状況こそ、変えていかなくては、なりません。
極左や極右の全体主義者につけいる隙を与えないようにね。

258KamelioJapana:2009/03/09(月) 22:06:23
>次に、エスペラント運動は全国的に展開されなければならない。
そして最後に、エスペラント運動は大衆の不安、孤独を解消し、彼らの欲望を満足させなければならない。

貴方の云う「>大衆は支配されることを望んでいる。」と言っているのを思い出して、今、昔読んだE.フロム
の「自由からの逃走」と言う本が頭を過ぎりました。

大衆の不安というものが、今の社会状況から来るのであれば、その社会状況を、先ず、変える為の行動を
取ることが多くの識者(必ずしもエリートではなく広い意味で大衆の一員かも知れない)に課せられている
優先課題といえましょう。
Eが悪化しつつある社会状況に対して迎合的態度を取れば、ナチスやスターリン体制下で、また日本の
戦前・戦中の一部のエスペランチストが犯した過ちを繰り返すことになります。
その誕生の理念からしてEが広まるのは理性的・論理的に考える大衆が多く存在しえる条件下であって、
決してその逆ではないのです。
そして、本来のEの目的から外れるEの存在価値とは一体なんでしょうか。

259ladio:2009/03/10(火) 18:46:58
 拙文お読みいただきありがとうございます。

 まず、大衆の不安についてですが、これは路頭に迷う不安ではありません。
もちろんその種の不安はあります。しかしエスペラント運動にとって重要なのは
その不安ではありません。
 不安は孤独に由来するものです。大衆は「農村社会にあったような共同体的紐帯から解き放たれ、・・・最終的に帰属すべき共同体、連帯すべき仲間、したがうべき秩序を失」ったのです。(若田恭二『大衆と政治の心理学』)
その不安と孤独を埋め合わせることこそ、大衆を振り向かせる唯一の方法なのです。

>では、彼らの一連のbezonojに合致するものとは??

彼らのbezonojとは被支配の欲望です。支配されることによって、支配者と一体になり、また自分と同じように支配される他人とも一体になれるのです。
つまり、エスペラントはイデオロギーとして彼らを支配しなければならないと言うことです。

>>人間は理性的、合理的にはできていない。人間は欲望に従って生きており、理性はその言い訳として
しか存在しない。彼らの欲望に合致した意見でなければ、その主張は完全なる誤謬と見なされる。

>これは、貴方の意見でしょうか。
>どうも、二者択一のような感じがします。
>そもそも「理性的・合理的」と言うことと「欲望に従って」ということが必ずしも対峙するもの
>ではないのです。
>まあ、それはそうとしても、
>人間は、常に理性的でもないし、単に欲望のみに従って生きているのでもありません。
>本来多くの人々は、条件が整えば理性的に動くものです。それが人間たる所以です。
>
>その条件とは、理性的に動けば自他共により良い生き方が約束される環境です。
>すなわち、この環境が整っていれば人々の個人の欲望と理性とは、ほぼ同じ向きを示します。
>逆にその条件が乏しいと、生きることの不安の方が理性を押しのけて、利己的な欲望が出てしまい
>ます。自分さえ良ければというやつですね。
>尤も、そんな世の中が長期に亘って栄えたためしはありませんが。。。

人には他人と良好な関係を築きたいという欲望があります。
欲望というのは必ずしも表面上利己的とは限りません。
これはKamelioさんのおっしゃるとおりでしょう。

>人間社会においては、何が真理かは確かに相対的ではあるが、そのことと理性に頼る運動がどうして
>誤りなのかは説明にはなっていないと思うのですが。。。
>貴方の頼る「現象学的な見方」を受け入れたとしても、個々の主観の共通項の総和が理想主義的な
>ものと近くなることだってあるでしょう。

そうですね。確かに真理が理想に近づくことはあり得るでしょう。
しかし、理性に頼る運動は100年という歴史がその不可能性を証明していると思うのです。
ここは思い切って方向転換して、感性に訴えるべきだと私は思います。

>>暗示とは観念の身体化である。身体化した観念は常に善と見なされる。
>>エスペラントは暗示によって人々に受け入れられなければならない。

>一種のマインドコントロールですか。

そうかもしれません。しかし、これはプロパガンダと一般には呼ばれているでしょう。

>大衆というものが、貴方のいう心的態度に留まるという前提ならば、Eを広めても無益でしょうし、そもそも
>Eを広める理由もありません。そもそも理想主義から切り離されたE自体が直接大衆に齎す恩恵とは、一体全体
>なんでしょうか。E自体の存在価値が問われます。

エスペラントは単純に広められることに意義がある、と私は考えます。
私の考えでは全ての人がザメンホフ主義者になるべきだとは考えていません。
確率上、ザメンホフ主義者が増えるべきだと考えています。
つまり、エスペランティストの10人に一人がザメンホフ主義者になるとして、
分母が大きくなればその分、分子も大きくなるのは自明のことでしょう。
いまの100万人という悲惨な分母から6000万〜6億という分母にすることによって、
分子も大きくなり世界が良くなると考えています。

260KamelioJapana:2009/03/14(土) 09:17:35
>まず、大衆の不安についてですが、これは路頭に迷う不安ではありません。

水掛け論になってしまいそうですが、本質的には路頭に迷う不安でしょう。
その不安が無ければ、単に心理学的なからくりで病的になった人とか性格的に極端な偏りがある人は
別ですが、ロビンソン・クルーソーの様な特別な環境に置かれない限り人間は、一時的にはあるにし
ても真の意味で孤独にはなりえません。
理由は生活を自立して確保できる条件とは、彼または彼女が社会と何らかの交流がないと不可能な
ことを意味しているからです。所謂、生活手段の獲得のためには社会的生産組織に己が組み込まれて
いることが前提条件なのです。
従って、共同体を失ったことだけが孤独を固定的なものにしてしまうものではありません。それ
どころか、それは自立した個人の新たな連帯(共同体という単一集団に縛られるものではない多様な)を
作っていく条件にもなったのです。

不安は、近代市民が衣食住の不断の供給源から縛られない代わり、eventualeそれが、いつ何時、奪われ
るかも知れないという自己存立基盤の不安定さと、生活を維持するための結果責任が昔の共同体ではなく
自立した(しているべき)個人の責任に課せられるというところから来ているのです。

261KamelioJapana:2009/03/14(土) 09:29:36
>彼らのbezonojとは被支配の欲望です。

人間の本来の欲望は、むしろ逆に支配の欲望だと思います。生物学的にもそう考えるのが自然だし、
何よりも人類の歴史がそのことを物語っています。
従って、「被支配の欲望」とは、本来の望ましい環境から人間がかなり遠ざけられ、その存在自体が
脅かされる極端に不安な心理状態に陥った特殊な状況下にあることを示しているに過ぎません。
(続く)

262松戸彩苑:2009/03/15(日) 18:38:43
ladio さんとは考えてることが少し違いますが、私も「エスペラント運動をやる際には、世間
の人たちの理性を当てにしてはいけない」と考えています。

なぜならば、これまで100年以上にわたって世間の人たちの理性を当てにした運動を展開
してきたわけですが、ほとんど理解してもらえなかったからです。

革新政党や革新派の人たちに宣伝しても、賛同してくれる人はほとんどいませんでした。

また言語学者にしても、大部分の人たちは関わりを持とうとしませんでしたし、ひどいのにな
ると、いい加減なことを書いてエスペラントを批判する学者までいるわけですね。

こういう理性的なはずの人たちでさえも理解してくれなかったという歴史的事実があるわけ
です。
ですから私は「エスペラント運動に関しては、世間の人たちの理性を当てにするのは間違い
だ」と断言しているわけですね。
---

とは言うものの、私は ladio さんみたいに難しいことを考えてるわけではありません。

私は「エスペラントで雑談や趣味の話ができるということを売りにして宣伝しよう」と言ってる
わけです。

おそらく、高邁な理想のためにエスペラント運動をやっている人たちにとっては「つまらない
目標」なのかもしれませんが、しかし世間の人たちにとっては、これでも十二分にすごいこ
となんですね。

むしろ、エスペランティストがあまりにも高尚なことばかりやってるので、世間の人たちには
ついていけないという問題があるのです。

町田健という言語学者が『言語学が好きになる本』のなかで

> 結局エスペラントは、クラシック音楽とか日本舞踊とか俳句のような、一種高尚な趣味の
> 一つといった雰囲気に包まれているんでして、(注10)国際語としての実用性を発揮する
> のは、残念ながら難しい状況にあるといえるでしょう。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1199456754/18

などと書いていますが、この東大の大学院を出て公費でフランスに留学したのちに名古屋
大学の教授になったという優秀な人物でさえも「一種高尚な趣味の一つといった雰囲気に
包まれている」などと形容するような言語が、世間一般に普及するわけがないだろうと私は
思うんですね。

また田中克彦(著)『エスペラント 異端の言語』の最後のあたりにも書かれていましたが、
「韓流ブームの影響で韓国語を勉強する人が増えた」ということがあったわけですが、この
人たちだって、べつに高尚なことを考えてるわけではないんですね。
おそらく「楽しそうだから」といった理由でやってるんだと思いますが、その程度の理由で勉
強する人ならば、世間にはけっこう沢山いるわけです。

ということで私は「理性」よりも「楽しそうだと思う気持ち」のほうがよっぽど当てになるだろう
と考えているわけです。

また、こういう宣伝を成功させるために、日常生活に関する語彙・表現を整備しているわけ
です。

(終わり)

263N:2009/03/17(火) 23:30:15
松戸様。

>私は「エスペラントで雑談や趣味の話ができるということを売りにして宣伝しよう」と言ってる
>わけです。
>
>おそらく、高邁な理想のためにエスペラント運動をやっている人たちにとっては「つまらない
>目標」なのかもしれませんが、しかし世間の人たちにとっては、これでも十二分にすごいこ
>となんですね。
>
>むしろ、エスペランティストがあまりにも高尚なことばかりやってるので、世間の人たちには
>ついていけないという問題があるのです。

このご指摘は重要ですね。
私の連れ合いは「エスペラントは語学オタクのおもちゃだ」と申します。「いくら自然言語より平易だ、といっても、やっぱり習得には労力が要るよね」「だったら楽しい実用法を示してよ」とも。
エスの宣伝パンフの類はJEIにもありますが、UKで開かれる趣味の分科会(ekz.囲碁の会、鉄道ファンの会、ネコ愛好者の会)とか、Pasporta Servoなどの「肩の凝らない、実用的な楽しみ」をもっと前面に押し出すといいと思います。
私自身は北海道連盟で一般市民にエスの魅力をアピールするのに、PSを積極的に使っています(私もgastigantoなので)。
エスの精神性はあとからついてくる、ぐらいに考えてもいいと思います。

264松戸彩苑:2009/03/20(金) 09:37:47
>>263
Nさん、こんにちは。

Nさんの奥さまの発言ですが、私の考えるところでは、ほんとうに良いものだったら家族や
友人・知人に認められて広まると思うんですよね。
つまり、いわゆる「クチコミ」で広まるはずだということですね。

だいたい、自分の家族や友人・知人にさえも認めてもらえないようなものが、社会全体に
広まったリ、政府だとか国際機関だとかに認められたりするとはとても思えないのです。

そのように考えておりますので、まずは、自分の家族や友人・知人に認めてもらえるような
ことをすべきだと私は主張してるんですね。

そうやって理解者・支持者を増やしていかないと、エスペラントの未来は無いと思います。
---

Nさんは Pasporta Servo の gastiganto をされておられるんですか。

外国のエスペランティストがやって来ますと、やはり「日常生活に関する語彙・表現」が大量
に必要になると思うんですよね。

家のなかや街のなかにあるモノ・事を表わす単語や、旅行に関する用語、さらには雑談をす
る際にも多種多様な単語が必要となるんじゃないかと私は思うんですが、これまでに gast-
iganto をされてきて「こういう語彙・表現があったら良かった」みたいな経験をされたことは
無いでしょうか?

私は

  これまで多くの人たちが一生けんめいにエスペラント運動をやってきたのに、はっきりいっ
  て今ひとつパッとしない。

  その原因の一つとして「日常生活に関する語彙・表現」が不足・混乱しているという事が
  あるのではないか。

と考えていて、それを改善するための方法を

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160642811/
http://yy67.60.kg/test/read.cgi/jinkogoplus/1228036613/

などで論じてきました。

それから Pasporta Servo の gastiganto をされてきて体験された事について教えていただけ
ると、とても有益だと思います。

(終わり)

265ladio:2009/03/20(金) 22:20:52
>ということで私は「理性」よりも「楽しそうだと思う気持ち」のほうがよっぽど当てになるだろう
>と考えているわけです。

私の考えではその「楽しそうだと思う気持ち」からエスペラントをやるというのも理性の産物だと思います。
楽しそうだからエスペラントをやるというのはとても理想的です。
私の考えでは、周りがやるからそれを何となく模倣してしまうというのが感性的だと思います。
つまり、暗示です。
誰かがどこかでエスペラントをやっている、できれば、自分の上に立つ人間がエスペラントをやっている
という事実が大衆に暗示を掛けます。
我々は何らかの方法で彼らに暗示を掛けなければならないのです。

266松戸彩苑:2009/03/21(土) 08:12:38
>>265
そんな難しいことを考えておられるんですか…

世間の人たちのエスペラント観というのは

  エスペラントは、これまで100年以上にわたって普及活動が行なわれてきたが、ほとん
  ど広まらなかった。

  だから、一部の熱心な人たち以外の人間にとっては、何の役にも立たない。

というものだと思うんですね。
これが世間においては「理性的な判断」だとされるものだと思います。

で、私の考えは、「楽しいこと」をエスペラントでやることによって、この世間の「理性的な判
断」というものを乗り越えようとするものですので、やはり「理性」ではないと自分では思って
るんですけどね。
---

> 誰かがどこかでエスペラントをやっている、できれば、自分の上に立つ人間がエスペラント
> をやっているという事実が大衆に暗示を掛けます。

オーストリーの大統領だったフランツ・ヨナスという人はエスペランティストでしたが、大統領
になったからといってエスペラントを特別扱いしたりはしませんでしたし、またオーストリーの
国民もエスペラントに飛びついたりはしませんでした。

また現在でも、1994年にノーベル経済学賞を受賞したゼルテン博士が、エスペラントの普
及のために頑張っておられますが、しかし残念ながら、世間の反応は芳しくないようです。

それから中国においては、大学で教えている第二外国語の1つとしてエスペラントが認めら
れていて、大学院に進むための試験や、公務員になるための試験などでもエスペラントが
選択できるようになってるそうなんですね。
それに、テレビでエスペラントの講座を放送したこともあったそうですし、大型書店には中国
国内で出版されたエスペラント書籍が並んでたりもしています。

つまり、政府がこれだけエスペラントを認めてるわけなんですが、しかしそれにも関わらず、
中国社会においてもエスペラントはマイナーな存在でしかないわけです。

こういう事実を見てますと、どうやら、たとえ有名人がエスペラントをやっていたり、政府が
認めたりしていても、世間の人たちはほとんど関心を持ってくれないみたいなんですね。
そのくらいエスペラントには社会的な信用が無い、あるいは「人工語なんて絶対にムリだ」
と思われてるようなのです。

私はこういうのを見まして「上からの運動(desuprismo)ではダメだ」「むしろ反対に、一般人
の生活のなかに入りこむような運動をしなければならないんだ」と考えまして、「エスペラント
で楽しいことをやる」というのを提唱しているわけです。

(終わり)

267隣の隠居:2009/03/21(土) 09:21:38
ゼルテンさんが頑張っても無理なのは、経済学で十分に説明がつきますよ。
「英語は普及しているから、みんな勉強しようとするし、エスペラントは普及していないから、誰も学ぼうとしない」という現象は、経済学では「ネットワーク外部性」という理論で十分に説明がつきます。
昔の頭の固い人は、政治運動でエスペラントの普及を加速しようとしているわけですが、かえってそれが普及のネックになっているのは明らかです。
MATのようにエスペラントで誰もが注目するようなコンテンツをつくっていく方が、理にかなっています。

268ladio:2009/03/21(土) 16:50:41
大衆をとりこにするには、思想を単純化し、断定しなければなりません。
内在思想は、いまいちはっきりしないので、いけません。
それでは大衆は何を頼っていいのか分からずエスペラントに魅力を感じないでしょう。
例えば「世界平和」など分かりやすいものがいいでしょう。
但し、もちろんこれは悪い例です。
エスペロさんなどが再三おっしゃっているとおり、平和という言葉は人々に懐疑を引き起こさせます。
私が言いたいのは、単純なイデオロギーしか、大衆を取り込むことはできないと言うことです。

何らかの方法で「我々」(大衆側)と「彼ら」(誰か)を分け隔てなければなりません。
そして、憎むべき敵が必要です。
エスペラントの敵は何でしょうか?
なるべく具体的な何かがいいのですが。。。

269ladio:2009/03/21(土) 17:17:37
そう言えば、今更なんですが。

エスペラントは政治団体ではありません。
また、営利団体でもありません。
エスペラントそれ自体はそもそも組織ですらありません。
ということは、エスペランティストって何やっても自由なんですよね。

ポスターは貼り放題だし、ビラも配り放題。
新聞・テレビ出放題。インターネットでも運動し放題。
何も遠慮することはないんです。
何なら贈収賄も罪にはなりませんね。

これをやらないなんて、実にもったいない話ですよね。

270松戸彩苑:2009/03/21(土) 20:49:16
「大衆の煽動」というのは、おもに選挙のときとか、あるいは商品を買わせるといった場合
に行なわれることが多いものだと思うんですが、考えてみると「投票する」とか「商品を買
う」といった行動は(比較的)かんたんに出来るものなんですよね。

ですから、単純なイメージを植えつけるだけで大きな効果があるわけなんですが、しかし
エスペラント運動の場合は、一人一人が、何千もの単語を憶えて、その用法に慣れなけ
ればならないわけです。

こんなことは誰だって判りますから、エスペラントのような世間においてはまったくと言って
いいほど広まっていない言葉を、時間と労力とおカネをつぎこんで憶えようとは、なかなか
思わないわけです。

また、たとえ学習しはじめたとしても、何ヶ月あるいは数年たってみて自分が予想していた
ほどエスペラントが理解・運用できるようにならなければ、ガッカリして止めてしまうというこ
とにもなってしまうわけです。

そういったことを考えますと、どうもエスペラントを大衆扇動で広めるというのは難しいんじゃ
ないかと思いますね。
---

でもまぁ、いろいろと考えてみてください。
みんなで同じことを考えるよりも、いろんなことを考えたほうが建設的だと思いますから。

271松戸彩苑:2009/04/04(土) 18:01:23
世界エスペラント協会の会員が減ってるみたいですね。
http://www.liberafolio.org/2009/revuofalo/

272松戸彩苑:2009/05/30(土) 09:00:58
ハンガリーのブダペスト大学(厳密にはエトヴェシュ・ロラーンド大学)のエスペラント学科が
廃止されたんですね。

http://www.liberafolio.org/2009/esperanto-malaperas-el-budapesta-universitato/

やはり、今までのようなエスペラント運動ではダメだということでしょう。

273Raku:2009/05/30(土) 11:33:14
そのうちに翻訳通訳機が完成してエスペラントの価値はなくなりますから。
まったく新しいエスペラント普及方法を考えるのは無駄です。
一年間でその方法を開発してただちに実行に移して5年間で1千万人の
エスペランティストを獲得できるなら話しは別ですがね。エスペラントが
滅びるかどうかはどうでもいいことです。確実なのはエスペラントは価値
をなくすことです。それをもたらすのが翻訳通訳機の完成です。わたしが
生きている間にはそんなことは起きないでしょうから、それが望ましいか
どうか、その日が早く来るのがいいかどうかを私は気にしません。その時
まで生きているかもしれないと思う人が判断してください。

274松戸彩苑:2009/05/30(土) 14:37:51
>>273
Raku さんも desuprismo 信奉者だったんですかね?

翻訳機械ですが、ほんとうに高性能なものができれば言語問題も解決するでしょうが、しか
し現在の技術の延長線上では、通訳者・翻訳者が不要になるほどのものができるとは思え
ないんですよね。

もちろん徐々にではありますが、だんだん高性能にはなるでしょうし、大ざっぱに把握でき
れば良いという場合には、どんどん使われるようにはなると思いますが。

エスペラントが入り込むことのできる分野はきわめて少ないですし、また、そういうニッチも
徐々に小さくなっていくわけではありますが、そういうところに食い込んで、なんとか命脈を
つないでいこうと私は考えているわけです。

もっとも「あくまでも desuprismo にこだわる」、つまり「政府か国際機関が認めてくれて、そ
れで一気に普及するというふうにならなきゃヤダ」というのであれば、諦めたほうが良いで
しょう。

275ベダウリンデ:2009/06/02(火) 10:04:08
>確実なのはエスペラントは価値
>をなくすことです。それをもたらすのが翻訳通訳機の完成です。
翻訳機が発展途上である今でさえ、翻訳・仲介言語としては英語が最も有力で十分機能しています。
今でさえ、公の場では、エスペラントに出番はありません。
もし翻訳機が完成したら、「価値」を失うのでは英語であり、エスペラントではないでしょう。
だって最初から翻訳言語としては存在価値が無いのですから。

翻訳機があっても、自分の力で喋りたい人は必ずいるでしょう。
言語マニアや高尚な趣味としての世界に限られるとおもうけど、
エスペラントはそういう所で細々と生きていけるのではないですか?
「変人」はきっと、いつの時代でも一定数いますよ、

276ベダウリンデ:2009/06/03(水) 09:50:20
非エスペランチストがエスペランチストの言動で最も不審を抱く事は、
エスペラントこそが言語の不平等を解決する中立公平な言語である、と宣伝している事です。
多くの人は「エスペラントなんて西洋語すぎて全然平等じゃないよ」とすぐに見破ります。
「平等じゃない」という批判に対して、エスペランチスト達はいつもお決まりで反論します。
「国家や権力を有する民族語じゃないから平等なんだ」とか(言語としての偏りについては無視)
「英語よりマシだ」「今までの人工語では一番成功してる」とか(単なる比較で本当に平等かについては無視)
「これからアジア人が変えていけばよい、言語は生きているのだから」とか(今までずっと西洋基準で発展してきたのに?)
「膠着語だから西洋語ではないです」とか(接尾語接頭語合成語なんて西洋語でもあるよ)
「ザメンホフの時代は西洋語の知識しか無かったから仕方なかった、でも気持ちは平等を目指してた」とか(だから何なの!)
等々、屁理屈ばかりなので、却って反感を買います。

まずそういう屁理屈を一掃し、エスペラントは中立な仲介言語なんかではありませんよ、
エスペラントを使っても全民族間に公平な交流はできませんよ、と素直に認めるといいと思う。
不相応な大義名分を掲げて不信感や嫌悪感を買うよりも、
こんなもん何の役にも立たないけど、お友達できてそれなりに楽しいよ、という程度にしておけばいいです。
「中立平等」の名目が無くなるとエスペラントやめちゃう人も出てくると思うけど、
そんなのは、エスペラントにはその程度の価値しか無かったという証明ですよね。

277エスペロ:2009/06/03(水) 10:08:27
>>276
Vi tute pravas...E NENIOM restas neŭtrala lingvo,ĝi estas malfacile
regebla lingvo por orient-azianoj. Ni agnosku ke E celu esti komuna
lingvo NUR inter eŭropanaoj...
そのとおり・・・エスは決して中立的な言語ではありません。東アジア人にとっては
習得が困難な言語です。エスは、ただヨーロッパ人同士の共通語を目指すべきだと
いうことです・・・

278Raku:2009/06/03(水) 20:56:37
>>276
スレを立てましたからどうぞ。
「ベダウリンデ氏エスペラントを切りまくる」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1244030093/

279らでぃお:2009/09/17(木) 03:16:56
皆さんお久しぶりです。
ちょっと思いついたことを書かせてください。
エスペラント運動について。

もっと、エスペラント運動は政治活動や宗教の布教活動のようにしたらどうでしょうか。
例えば、政治家はどぶ板選挙をしています。
宗教の布教者も草の根的に勧誘しています。
私は以前ティッシュ配りでとにかく知名度を上げようと提案したことがあります。
しかし、それは一方通行な運動です。
もっと双方向な運動が必要なのではないでしょうか?

例えば、自殺志願者をエスペラントに誘いつつ引き留める。
夜の繁華街を孤独に歩く若者に声をかけて相談に乗る。もちろんエスペラントを勧めつつ。
政治家のように街頭演説をする。
言葉の問題で困っている在日外国人にエスペラントを勧める。
引きこもり、ニートの相談に乗りつつエスペラントを勧める。
ほとんど選挙の立候補者のように、各家庭、商店街を周り、支持を広げる。

特に、発展途上国からアメリカンドリーム的なものを
日本に求めてやってきた出稼ぎの人は悲惨なようです。
彼らに、エスペラントを教え、多国籍だが、共通語を持つコミュニティを
外国人の多い地域に作れば、かなり、注目されるはずです。

お前がやれ?めんどくさいし、人望がない

280ベダウリンデ:2009/09/17(木) 12:13:09
らでぃおさんのおっしゃるとおり、エスペラントを普及するためには、
「疑問を抱かせない洗脳」が一番てっとり早いでしょうね。
そのためには、孤立してる人、悩んでる人、自分の居場所が無い人をターゲットにするのは正解。
らでぃおさんの周りにもいるんじゃないですか?
提案したからには、「めんどくさい」とか言ってないで、自分でできる範囲でいいからやれば?と思う。
日本に来た外国人には・・・生活面でサポートしつつ日本語を教える、のがベストかと。。。
エスペラントできても日本語できなきゃ働けない。

281ame:2009/09/23(水) 17:52:46
孤立してる人とか悩んでる人に、エスペラントなんか勧めても、何の意味もない
親に虐待され帰る家がない、そんで繁華街をふらついている子供に、なんかようわからん言語を勧めたところで「はあ?」だし
借金苦に喘ぎ自殺しようとしてる人間に「エスペラントを学びませんか」とか、それこそ正気の沙汰じゃない
引きこもりにエスペラントを教えても、社会に出れる訳じゃなし

本当に苦しんでる人ってのは、とにかく自分が救われることが第一なんですよ
弱っている状態の人間だからといって、軽く洗脳できるわけじゃない。彼らが宗教に引っかかるのは
宗教が何らかの形で、仮初めにせよ「救う」ことが出来るからであってね

エスペラントは宗教と違って、苦しんでる人を「救う」ことなんて出来もしないし
洗脳なんて出来やしませんよ。窮地に立たされてる人間を洗脳しやすい、「チョロい」人間だと
思っているなら大間違いだし、愚弄してるのもいいとろ

282ame:2009/09/23(水) 18:15:39
エスペラントは宗教じゃないんだから。あくまで「言語」だから。
社会的弱者を狙っても意味がない。むしろ上流階級を狙うべき。
例えば、東京大学の学生なんかどうですか。豊富な人脈を持つ将来の官僚候補に、エスペラントの信奉者を大量に作る。
これを各国のエリートにやっていくわけですよ。もちろん、実用に耐えうる言語だということをアピールしながらね。
社会的弱者であればあるほど、エスペラントなんかやってるヒマありませんからね。

283ベダウリンデ:2009/09/24(木) 15:45:09
エスペラントを勧めるんじゃなくて、正確に言えば、友達・相談相手作り、ですよ。
エスペラントは「口実」で、本当は、孤立して、悩みも人に言えない人に
エスペラントを勧めるという「口実」で近づいて、彼らの友達・相談相手になってあげてって事です。

284なつ:2009/09/26(土) 00:37:52
>>281
以前も今もそういう人たちにカルトはしのびよることをご存知ですかな?
そしてエスもそういう存在だったのですww
武闘派共産主義ではなく、サークル共産主義だったときにね。
今の我々にとって、えらい迷惑ですけど。今もその残党がはびこって牛耳っていますから。

285ベダウリンデ:2009/09/26(土) 11:02:21
そうなんですよ。カルトに巻き込まれたり、孤独が原因で犯罪の加害者や被害者になったりする人もいる。
そういう人にお友達がいたら・・・と思いました。
エスペラントは現在は、かなり健全な「お遊び」になってるのではないか、と思いました。
昔みたいな反政府運動でやってる人も、中にはいるかもしれないけど、表立った危険な活動はしてないのではないか、と。
エスペランチストにとっては「話者数を増やす」という大義名分があり、
勧誘を受ける側も、カルトほどの危険は無く、その上、自分を大事にしてくれそうな集団と出会える。
両者にとってお互いに都合がよいのではないか、と。
エスペラント界はなにしろ若手不足ですから、特に十代とかでエスペラント団体に入れば、
その子にどんな過去があったとしても、おじいさんおばあさん達が、孫のように大事にしてくれるのではないかなーと期待しました。
ただし、地方の会の先生たちが未だに思想に取りつかれ、その基準にそぐわない者は排除したり矯正したいという気概ばかり先立つようならば、
この提案は全くの無意味、むしろ有害となりますが。

286ベダウリンデ:2009/09/26(土) 11:16:53
>282
東大エリートにエスペラント勧めるのも、できればやってもらいたいです。
その頭脳優秀初心者集団の中に、批判精神が旺盛で、エスペラントの問題点に気づき、
なお且つ、真の国際共通語を作りたい、という崇高な理想も併せ持つ人がいたらなーと思います。
どちらかが欠如してたら「どこにでもいる、ただの優秀なエスペランチスト」になるだけなんだけど、
両方兼ね備えていたら、私の理想とする新エスペラントを作ってくれるんじゃないかなーと。
勝ち組エリートに、そんな暇ないか?

287ame:2009/09/26(土) 14:30:10
>>284
>以前も今もそういう人たちにカルトはしのびよることをご存知ですかな?

もちろん知っていますとも。創価学会なんてまさにそうでしょう。
戦後の経済成長に取り残され、疎外感を味わっていた人に現世利益を説くことで信者を拡大していったわけで。

>東大エリートにエスペラント勧めるのも、できればやってもらいたいです。

彼らは、とりあえず受験英語はかなりできるわけですし、エスペラントは英語よりもかなり易しいわけですから
おそらくかなり容易く習得することでしょう。
だけれども彼らは、もっとメジャーな外国語を習得したいと考えるんですよ。当然といやあ当然ですが
例えばフランス語とか、ドイツ語とか、中国語とかね。それらは実社会に出ても役に立つわけですし
本来実質的な国際語である英語がそこそこできる人間(いくら受験英語とはいえ)が、「国際語エスペラント」を普及させたい、とはそうそう思わない。

したがって、彼らを引き込むにはかなりしっかりした思想的バックボーンが必要です。
相当の理論武装をもって説得する必要がある。あまり自信はないですねー...。

蛇足ですが、以前東大の英語の入試問題に、エスペラントをテーマにした長文問題がありました。
うろ覚えですが、"Esperanto is reckoned to be 5 times as easy to learn as French"みたいな。
フランス語と比較すると5倍易しいということですが、英語と比較するとどれくらい易しいんでしょうね。

288ベダウリンデ:2009/11/02(月) 17:23:58
だにょさん的な発想になるけど、
今、ゆるキャラブームなので、エスペラント界にも、ゆるキャラ作ってもいいんじゃない?
エスペラントを宣伝する時も、気ぐるみ着てやればいいし、
カードにキャラとエスペラント語を印刷して配ったりすれば、安上がりな宣伝。
キャラは日本は日本で作っちゃっていいと思う。
他所の国のエスペラント界でも、賛同してもらえれば作ってもらって。
オリンピックにマスコットキャラがあるのだから、外国にだって「キャラ」という発想はあると思う。
世界のエスペラントキャラが集まって「サミット」とかして、
色んな国の個性的な「仲間」が増えていけば、そういうのをコレクションする楽しみも。

289ベダウリンデ:2009/11/04(水) 10:18:37
だにょさん流にアイデアの垂れ流しで。
カードの表にキャラクターの絵とエスペラント語のセリフを書いて、(どっかの外国のカードみたいにおしゃれに)
裏に読み仮名、日本語訳、単語の説明などを書く。
その他の説明は「これはエスペラント語です」だけで可。
エスペラントはポーランドの眼科医ホニャララが〜、等の説明は一切不要。
セリフは「サルートン」などの挨拶から、I love you、元気出して、等の簡単なメッセージ、
その他、麻薬noとか、自然はいいなあ、とか、色々と作って、それに合わせて絵を描く。
例会で使う公共施設の公民館祭りとか、そういう機会があったら、お茶サービスとかの雑用係でもいいからなるべく協力して、
その折にカードを配る。絵だけなら気楽にもらっていくと思う。
エスペラントやってる人は小難しい爺さんが多そうなので
「わしにお茶を出せじゃと!?」とか言いそうだけど。

290なつ:2009/11/08(日) 00:46:13
>>その他の説明は「これはエスペラント語です」だけで可。
>>エスペラントはポーランドの眼科医ホニャララが〜、等の説明は一切不要。
これ、とてもいいですねえ。
そもそもエスペラントはポーランドの眼科医の〜〜〜
そもそも論なんて要らないの。
ってのが分からない小難しい爺さん。


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