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大衆迎合なエスペラント運動を考える
266
:
松戸彩苑
:2009/03/21(土) 08:12:38
>>265
そんな難しいことを考えておられるんですか…
世間の人たちのエスペラント観というのは
エスペラントは、これまで100年以上にわたって普及活動が行なわれてきたが、ほとん
ど広まらなかった。
だから、一部の熱心な人たち以外の人間にとっては、何の役にも立たない。
というものだと思うんですね。
これが世間においては「理性的な判断」だとされるものだと思います。
で、私の考えは、「楽しいこと」をエスペラントでやることによって、この世間の「理性的な判
断」というものを乗り越えようとするものですので、やはり「理性」ではないと自分では思って
るんですけどね。
---
> 誰かがどこかでエスペラントをやっている、できれば、自分の上に立つ人間がエスペラント
> をやっているという事実が大衆に暗示を掛けます。
オーストリーの大統領だったフランツ・ヨナスという人はエスペランティストでしたが、大統領
になったからといってエスペラントを特別扱いしたりはしませんでしたし、またオーストリーの
国民もエスペラントに飛びついたりはしませんでした。
また現在でも、1994年にノーベル経済学賞を受賞したゼルテン博士が、エスペラントの普
及のために頑張っておられますが、しかし残念ながら、世間の反応は芳しくないようです。
それから中国においては、大学で教えている第二外国語の1つとしてエスペラントが認めら
れていて、大学院に進むための試験や、公務員になるための試験などでもエスペラントが
選択できるようになってるそうなんですね。
それに、テレビでエスペラントの講座を放送したこともあったそうですし、大型書店には中国
国内で出版されたエスペラント書籍が並んでたりもしています。
つまり、政府がこれだけエスペラントを認めてるわけなんですが、しかしそれにも関わらず、
中国社会においてもエスペラントはマイナーな存在でしかないわけです。
こういう事実を見てますと、どうやら、たとえ有名人がエスペラントをやっていたり、政府が
認めたりしていても、世間の人たちはほとんど関心を持ってくれないみたいなんですね。
そのくらいエスペラントには社会的な信用が無い、あるいは「人工語なんて絶対にムリだ」
と思われてるようなのです。
私はこういうのを見まして「上からの運動(desuprismo)ではダメだ」「むしろ反対に、一般人
の生活のなかに入りこむような運動をしなければならないんだ」と考えまして、「エスペラント
で楽しいことをやる」というのを提唱しているわけです。
(終わり)
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