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大衆迎合なエスペラント運動を考える
262
:
松戸彩苑
:2009/03/15(日) 18:38:43
ladio さんとは考えてることが少し違いますが、私も「エスペラント運動をやる際には、世間
の人たちの理性を当てにしてはいけない」と考えています。
なぜならば、これまで100年以上にわたって世間の人たちの理性を当てにした運動を展開
してきたわけですが、ほとんど理解してもらえなかったからです。
革新政党や革新派の人たちに宣伝しても、賛同してくれる人はほとんどいませんでした。
また言語学者にしても、大部分の人たちは関わりを持とうとしませんでしたし、ひどいのにな
ると、いい加減なことを書いてエスペラントを批判する学者までいるわけですね。
こういう理性的なはずの人たちでさえも理解してくれなかったという歴史的事実があるわけ
です。
ですから私は「エスペラント運動に関しては、世間の人たちの理性を当てにするのは間違い
だ」と断言しているわけですね。
---
とは言うものの、私は ladio さんみたいに難しいことを考えてるわけではありません。
私は「エスペラントで雑談や趣味の話ができるということを売りにして宣伝しよう」と言ってる
わけです。
おそらく、高邁な理想のためにエスペラント運動をやっている人たちにとっては「つまらない
目標」なのかもしれませんが、しかし世間の人たちにとっては、これでも十二分にすごいこ
となんですね。
むしろ、エスペランティストがあまりにも高尚なことばかりやってるので、世間の人たちには
ついていけないという問題があるのです。
町田健という言語学者が『言語学が好きになる本』のなかで
> 結局エスペラントは、クラシック音楽とか日本舞踊とか俳句のような、一種高尚な趣味の
> 一つといった雰囲気に包まれているんでして、(注10)国際語としての実用性を発揮する
> のは、残念ながら難しい状況にあるといえるでしょう。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1199456754/18
などと書いていますが、この東大の大学院を出て公費でフランスに留学したのちに名古屋
大学の教授になったという優秀な人物でさえも「一種高尚な趣味の一つといった雰囲気に
包まれている」などと形容するような言語が、世間一般に普及するわけがないだろうと私は
思うんですね。
また田中克彦(著)『エスペラント 異端の言語』の最後のあたりにも書かれていましたが、
「韓流ブームの影響で韓国語を勉強する人が増えた」ということがあったわけですが、この
人たちだって、べつに高尚なことを考えてるわけではないんですね。
おそらく「楽しそうだから」といった理由でやってるんだと思いますが、その程度の理由で勉
強する人ならば、世間にはけっこう沢山いるわけです。
ということで私は「理性」よりも「楽しそうだと思う気持ち」のほうがよっぽど当てになるだろう
と考えているわけです。
また、こういう宣伝を成功させるために、日常生活に関する語彙・表現を整備しているわけ
です。
(終わり)
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