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大衆迎合なエスペラント運動を考える
259
:
ladio
:2009/03/10(火) 18:46:58
拙文お読みいただきありがとうございます。
まず、大衆の不安についてですが、これは路頭に迷う不安ではありません。
もちろんその種の不安はあります。しかしエスペラント運動にとって重要なのは
その不安ではありません。
不安は孤独に由来するものです。大衆は「農村社会にあったような共同体的紐帯から解き放たれ、・・・最終的に帰属すべき共同体、連帯すべき仲間、したがうべき秩序を失」ったのです。(若田恭二『大衆と政治の心理学』)
その不安と孤独を埋め合わせることこそ、大衆を振り向かせる唯一の方法なのです。
>では、彼らの一連のbezonojに合致するものとは??
彼らのbezonojとは被支配の欲望です。支配されることによって、支配者と一体になり、また自分と同じように支配される他人とも一体になれるのです。
つまり、エスペラントはイデオロギーとして彼らを支配しなければならないと言うことです。
>>人間は理性的、合理的にはできていない。人間は欲望に従って生きており、理性はその言い訳として
しか存在しない。彼らの欲望に合致した意見でなければ、その主張は完全なる誤謬と見なされる。
>これは、貴方の意見でしょうか。
>どうも、二者択一のような感じがします。
>そもそも「理性的・合理的」と言うことと「欲望に従って」ということが必ずしも対峙するもの
>ではないのです。
>まあ、それはそうとしても、
>人間は、常に理性的でもないし、単に欲望のみに従って生きているのでもありません。
>本来多くの人々は、条件が整えば理性的に動くものです。それが人間たる所以です。
>
>その条件とは、理性的に動けば自他共により良い生き方が約束される環境です。
>すなわち、この環境が整っていれば人々の個人の欲望と理性とは、ほぼ同じ向きを示します。
>逆にその条件が乏しいと、生きることの不安の方が理性を押しのけて、利己的な欲望が出てしまい
>ます。自分さえ良ければというやつですね。
>尤も、そんな世の中が長期に亘って栄えたためしはありませんが。。。
人には他人と良好な関係を築きたいという欲望があります。
欲望というのは必ずしも表面上利己的とは限りません。
これはKamelioさんのおっしゃるとおりでしょう。
>人間社会においては、何が真理かは確かに相対的ではあるが、そのことと理性に頼る運動がどうして
>誤りなのかは説明にはなっていないと思うのですが。。。
>貴方の頼る「現象学的な見方」を受け入れたとしても、個々の主観の共通項の総和が理想主義的な
>ものと近くなることだってあるでしょう。
そうですね。確かに真理が理想に近づくことはあり得るでしょう。
しかし、理性に頼る運動は100年という歴史がその不可能性を証明していると思うのです。
ここは思い切って方向転換して、感性に訴えるべきだと私は思います。
>>暗示とは観念の身体化である。身体化した観念は常に善と見なされる。
>>エスペラントは暗示によって人々に受け入れられなければならない。
>一種のマインドコントロールですか。
そうかもしれません。しかし、これはプロパガンダと一般には呼ばれているでしょう。
>大衆というものが、貴方のいう心的態度に留まるという前提ならば、Eを広めても無益でしょうし、そもそも
>Eを広める理由もありません。そもそも理想主義から切り離されたE自体が直接大衆に齎す恩恵とは、一体全体
>なんでしょうか。E自体の存在価値が問われます。
エスペラントは単純に広められることに意義がある、と私は考えます。
私の考えでは全ての人がザメンホフ主義者になるべきだとは考えていません。
確率上、ザメンホフ主義者が増えるべきだと考えています。
つまり、エスペランティストの10人に一人がザメンホフ主義者になるとして、
分母が大きくなればその分、分子も大きくなるのは自明のことでしょう。
いまの100万人という悲惨な分母から6000万〜6億という分母にすることによって、
分子も大きくなり世界が良くなると考えています。
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