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大衆迎合なエスペラント運動を考える
256
:
KamelioJapana
:2009/03/09(月) 21:37:43
>エスペラントはもっと卑屈に、人間の欲望に即した形で提案されなければならない。
のように貴方は、貴方は人間は常に欲望的なものだという前提に立っているので、欲望の主体である個々の
主観の総和は、すなわち真理というものは、理想を受け入れるものにはならない、と云いたいのでしょうか。
>大衆は暗示にかかりやすい。
これは、何も大衆に限ったことではないでしょうが、先に貴方が引用した「大衆の定義」からはそうも
云えるかもしれません。
>暗示とは観念の身体化である。身体化した観念は常に善と見なされる。
エスペラントは暗示によって人々に受け入れられなければならない。
一種のマインドコントロールですか。
>大衆は孤独である。常に他者との連帯を求めている。宣伝はだから、ある人が見たものを他の人も見ている
のだという確信を与える方法で行わなければならない。
「貴方の大衆の定義」ではそうかも知れませんが、私の定義する大衆は、常に孤独であるわけではありません。
もっと正確に言うとアプリオリに孤独ではないのです。
上記で示唆したようにある条件の下で孤独に思うようになる、または孤独にさせられるのです。
>エスペラント運動は全国的でなければならず、そのことが被宣伝者にも伝えられていなければならない。
他人と同じものを見て、同じことを聞き、同じ意見を持つ。
エスペラント運動は大衆の性質に即しているべきである。
大衆というものが、貴方のいう心的態度に留まるという前提ならば、Eを広めても無益でしょうし、そもそも
Eを広める理由もありません。そもそも理想主義から切り離されたE自体が直接大衆に齎す恩恵とは、一体全体
なんでしょうか。E自体の存在価値が問われます。
>人間は他人と出会ったとき、彼を敵と見なすかあるいは味方と見なすかのどちらかの態度をとる。
中間という態度は存在しない。敵と見なした場合、人間は他人を打倒し屈服させるか、屈服させられるかの
どちらかになる。
そういう人もおりますが、そんな単純なものではないでしょう。何か殺伐としたものが感じられますね。
何方の心理学理論または人間論なのですか、教えてください。
過っては、そういう理論もありましたが現段階の考古学的見地からも、別の見方をしていますよ。
>味方と見なした場合、そこでは贈与の交換が行われれる。人が他人と関係を作るとき、必ず贈与が行われる。
それは具体的な物の贈与とは限らない。信念などの抽象的なものの譲り合いである場合もある。
これは、大方その通りだと思います。共感などは大事な交換の要素ですね。
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