レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
-
仕切り直します。
新しいスレッドも、基本的な課題設定から始めます。
-
科学の方法論を全く踏襲していないのが自然選択論ですが、何故か自然選択論は科学的であると主張されその様に信じ込んでいる人たちがむしろ多数派だと言うのは大変理解に苦しみます。
繰り返し述べてきましたが、ダーウィン自身科学と言う言葉を殆ど使っていません。
ダーウィンが科学の方法論を正しく認識していた形跡もありません。
彼の主張は基本的にこの様に考えれば説明できると言う彼の想像の世界での話です。
その後1930年代の集団遺伝学者と称される人たちによって科学の体裁を整えたかのように錯覚されますが、これも何一つ科学の方法論に則っていません。
自然選択論は思い込みと錯覚に依って支えられているのです。
-
都合の悪い事からは目を背ける。
正に宗教的な態度ですね。
設計者の存在が極めて明示的に示されるのがゲノムの暗号情報です。
四文字でコーディングされた巨大なプログラムです。
さらにその遺伝子は修飾されています。
その驚くべきアルゴリズムが生命と生命活動を生み出します。
それが偶々出来てしまったと考えることが如何に愚かしい事か、普通の分別があれば当然のように分かるはずです。
それがそうではないんですね。
RNAワールド仮説がありますが、これも当然コーディングが必要です。
何故どーやって知的なコーディンが行われたのか、この問いに答えられる者は誰もいません。
ただ知的な設計なしには存在し得ないことは極めて明白です。
そんな明白な事実から徹頭徹尾目を逸らします。
それで科学を名乗ろうとする、それは厚顔無恥と言う話です。
-
自然選択論者に共通している特徴は決定的な想像力の欠如なので、そういった事にすら考えが及びません。
彼らの自然選択論に対する思い込みは正に宗教者の態度ですから、そもそもそもそう言った事柄に対して想像を巡らそうとする意志が存在しないんでしょうね。
その点において完全に科学者失格と言われても彼らは何も抗弁できない筈です。
ゲノムだけに限定して観察してもその驚くべき周到さ、計算され尽くした複雑さ、精密さはそれ自体人智を遥かに超えるものです。
現在急速にゲノムのメカニズムは解明されつつありますが、それはまだゲノムの持つ巨大なシステムのほんの一部にしか過ぎません。
そんなものが自然選択の結果で説明できる訳もありあせません。
そんなことにすら、彼らは想像が及ばない訳です。
彼らのそんな存在自体、想像を絶するものですね。
-
自然選択論者に共通している特徴は決定的な想像力の欠如なので、そういった事にすら考えが及びません。
彼らの自然選択論に対する思い込みは正に宗教者の態度ですから、そもそもそもそう言った事柄に対して想像を巡らそうとする意志が存在しないんでしょうね。
その点において完全に科学者失格と言われても彼らは何も抗弁できない筈です。
ゲノムだけに限定して観察してもその驚くべき周到さ、計算され尽くした複雑さ、精密さはそれ自体人智を遥かに超えるものです。
現在急速にゲノムのメカニズムは解明されつつありますが、それはまだゲノムの持つ巨大なシステムのほんの一部にしか過ぎません。
そんなものが自然選択の結果で説明できる訳もありあせません。
そんなことにすら、彼らは想像が及ばない訳です。
彼らのそんな存在自体、想像を絶するものですね。
-
自然選択論は極めて稚拙です。
それに対して進化の過程は極めて複雑で精妙です。
とても偶々の変異とそれに対する環境による生存率の制限で説明できる代物ではありません。
自然選択論において自然が行使できる唯一の力は生存率の制限です。
それによって全てが成し遂げられるとダーウィンは言っている訳です。
それが科学的であると主張し信じ込んでいる人たちが未だにアカデミズムの中央に陣取っているんですから呆れます。
中立説は自然選択論に対立こそすれ補強しないものであることは言うまでもありませんが、それがあたかも自然選択と折り合って説明可能であると言うデタラメなレトリックが弄されます。
まず何が必要か、それは自然選択論を一度完全にリセットして素直に進化の事実と向き合う事です。
それが出来ない限り、進化論が科学として成立することは決してありません。
-
ID論が声高に叫ばれているのは米国です。
背景には多くのプロテスタントの存在があります。
米国大統領もID論に言及しています。
従って、裁判でその教育問題が取り上げられるような事態になる訳ですね。
ここで一つの誤解と混同があります。
ID論は別に進化自体を否定していないんですね。
その様に主張しているのは聖書原理主義者たちです。
従って、進化論vsID論と言う対決構図は誤解を招くものです。
ID論は謂わば有神論的進化論です。
進化の事実は認める、科学的な知見は全て受け容れる、それがID論者の姿勢です。
つまりID論が非科学的と言われる根拠は何処にもありません。
知性ある設計者の想定は、逆に科学的な知見からロジカルに導かれるものです。
それは背理法であり消去法です。
そのロジックが非科学的だと言ったら、数学の証明は成り立ちませんね。
ドーバー裁判の判事の判断は、それらが全く理解出来ない偏見に基づいています。
彼の論拠はID論批判者のID論は宗教であると言う一般的な見解をそのまま口移しにしているだけで、彼自身が思考して判断したものではありません。
元より科学的な知見の乏しいこの判事にはこの裁判を裁く資格はありません。
鞭毛モーターの問題も全く検証できずにID論教育違憲の判決を下します。
それをあたかもID論裁判のスタンダードであるかのように見做すのはとんでもない誤謬ですね。
-
マイヤーは、インテリジェント・デザイン論を次のように説明する――
前提1:徹底的な研究がなされたにもかかわらず、大量 の特定された情報を生み出す能力を示すいかなる物的原因も発見されていない。
前提2:知的原因は、大量の特定された情報を生み出す能力をこれまで示してきた。
結論:知的デザインが、最上の、最も因果論的に有力な、細胞の中の情報の説明を構成する。
マイヤーは、IDに対してこれまで向けられたさまざまな議論を検討するのに2つの章を割いているが、私はある人たちが言っている、IDは反証不可能であり「テスト可能な予言をすることができない」から科学ではない、という反対意見を手短に取り上げることにする。マイヤーは、この反論は完全に間違っている、その理由は特に「大量 の機能的に特定された情報が純粋に化学的・物理的先行条件から確かに生ずる」ことを示すだけで、あるいは特定された情報が「生命体の中に存在していなかった」ことを示すだけで、現実に反証できるからだと言う。予言については、IDのほうが、対抗する唯物論的進化理論よりも「ジャンク」DNAの価値を、よりよく予言できたことをマイヤーは指摘する。
-
つまり、
「大量 の機能的に特定された情報が純粋に化学的・物理的先行条件から確かに生ずる」
事があり得ない事が証明されれば、背理法に依ってその情報に知性が介在することが証明されます。
それを否定するためには逆に上記条件の下にその結果が生じる事が証明できればいい訳です。
どうしてもID論を否定したければ、それをやってもらいましょう。
まあ、何を言っているかを理解できればの話ですが。
-
インテリジェントデザイナー論の根拠といえば、ベーエの有名な「還元不能な複雑性」ですが、そのココロは、生物を含むあまりにも複雑な自然が、デザイナーの意思なしに存在しうるわけがない、ということでしたね。
そう、ペイリーの荒野の懐中時計という譬えが示すものと同じです。
科学は、その可能性を否定しません。というより、方法論的に否定できません。
ドブジャンスキーのように、信仰を持ちつつ進化理論を基礎づけた科学者がいるのもあたりまえのことです。
「事実」に基づいて自然を解釈しようとするなら、事実とされるものが本当に事実なのかということに焦点があたり、科学者個人の思いとは異なる客観的な検証になりますから。
「還元不能な複雑性」は既に却下されていますが、なおデザイナー論を主張するとすればデザイナーそのものを客観的に証明するしかないでしょう、…
というのは無理筋で、そもそもデザイナーの意思は人知を超えてるんだから、人間が関われない領域ですもんね。
なんか面白くないことを書いちゃったな、とは思いますが、要するにデザイナー論は科学理論ではない、ということをわかってもらえれば十分です。
-
そうそう、Kenさん、デザイナー論による自然の捉え方については、神って誰さんが繰り返し示してくれているので、参照してくださいね。
-
マイヤーは、インテリジェント・デザイン論を次のように説明する――
前提1:徹底的な研究がなされたにもかかわらず、大量 の特定された情報を生み出す能力を示すいかなる物的原因も発見されていない。
前提2:知的原因は、大量の特定された情報を生み出す能力をこれまで示してきた。
結論:知的デザインが、最上の、最も因果論的に有力な、細胞の中の情報の説明を構成する。
マイヤーは、IDに対してこれまで向けられたさまざまな議論を検討するのに2つの章を割いているが、私はある人たちが言っている、IDは反証不可能であり「テスト可能な予言をすることができない」から科学ではない、という反対意見を手短に取り上げることにする。マイヤーは、この反論は完全に間違っている、その理由は特に「大量 の機能的に特定された情報が純粋に化学的・物理的先行条件から確かに生ずる」ことを示すだけで、あるいは特定された情報が「生命体の中に存在していなかった」ことを示すだけで、現実に反証できるからだと言う。予言については、IDのほうが、対抗する唯物論的進化理論よりも「ジャンク」DNAの価値を、よりよく予言できたことをマイヤーは指摘する。
-
つまり、
「大量 の機能的に特定された情報が純粋に化学的・物理的先行条件から確かに生ずる」
事があり得ない事が証明されれば、背理法に依ってその情報に知性が介在することが証明されます。
それを否定するためには逆に上記条件の下にその結果が生じる事が証明できればいい訳です。
どうしてもID論を否定したければ、それをやってもらいましょう。
まあ、何を言っているかを理解できればの話ですが。
勿論このスレの投稿者のレベルでは到底答えられる話ではないのは言うまでもありあせん。
-
ID論の証明は、従来の科学的証明とは異なります。
その理由は「知性」を証明する必要があるからです。
この知性の存在自体が従来の科学の方法論には馴染みません。
知性の定義自体が科学的には中々説明しづらいものだからです。
だからと言ってそれを非科学的と非難するのはお門違いですね。
では、人間の持つ知性は一体どう説明するんでしょう。
我々は人間の持つ知性に対してさえその実体に十分な説明を与えることは出来ません。
しかし「知性」が無ければ文明が成り立たない事は誰でも理解できる紛れもない事実です。
逆にこの文明を成り立たせているものが知性であると定義することも出来るでしょう。
ではその知性の由来は一体何処から来てるのか、それを完全に説明することが出来る人は誰もいないでしょう。
しかし「知性」が存在するのは紛れもない事実ですね。
それを否定する人は誰もいないでしょう。
それを理解するのがID論の理解にとっても極めて重要な事です。
-
>当時のエーテル研究者は頭悪いとか、そう言うことが言いたいんですか?
>目的を述べて下さい。
>何か本質を見失ってるようにしか感じませんよ。
これだけ言葉を尽くしても分かりませんか。目的は、現在のID論より、16世紀の地動説や18世紀の光波動説の方が、相対的に蓋然性が低いと論証することです。これは科学の進歩に巨大な貢献をした地動説・光波動説を評価することにもなります。「スパモン」などより比較対象として、よほど意味がありますよ。
18世紀の光波動説について、私は次の2点を言ってきました。当時の知識体系では、
(1)波動説が根拠とする観測事象は、粒子説でも説明できる
(2)波動説に必要なエーテルは物理的な無理がある
過去の品種改良に(2)の問題はありません。ゆえに、光波動説と比べて相対的に支持しやすい理論である、というのが私の主張です。16世紀の地動説(なぜかこちらは無視を続けられますが)との比較でも、同じことがいえます。
>適用範囲が異なる?でしたらエーテルも光に限定する適用範囲にすりゃいいじゃないですか。
だめです。よく考えてください。エーテルを特別扱いする基準がありません。
*二重性が成立するかしないかを分けるのは? → 量子レベルの大きさか、そうではないか
*エーテルと他の物質を分けるのは? → エーテルか、それとも他の物質か(???)
前者は、量子レベルのいろいろな対象を調べて、二重性が成立するかを検証できるし、それは実際に行われています。光に見られる二重性は素粒子ならなんでも観測できるとド・ブロイが主張してから、多くの検証実験が行われてきました。ゆえに不整合の有無を判定する基準として使えます。
後者は基準になりません。18世紀の波動理論では、エーテルといえども質量と弾性をもつ「ばね」なのです。そうでなければ波を伝えることはできないからです。しかし、それでは観測事象と矛盾するから「エーテルは何が違うのか」と問われます。その時「違いはエーテルであること」と答えますか?
それでは、いかなる矛盾も矛盾でなくなり、合理性を検証する意味がなくなるでしょうが。
そんなことをするより、粒子説でも説明できるのだから、粒子説で説明すればよいではありませんか。粒子説では説明できない事象が発見されたのは19世紀で、18世紀にその知見はありませんでした。歴史家の誤謬に陥ってるのは、ご自身ですよ。
>そもそも適用範囲が異なると言うのも後知恵です。ミクロの世界では古典物理が通用しないって当時の人間が手放しで理解してたと思いますか?
まだ「基準」と「理解」の違いが分かってません。
ミクロの世界という切り口ができた時点で、適用範囲を分ける基準ができています。なぜミクロの世界は異なるかを「手放しで理解」はできなくても、そこには基準があり、ド・ブロイが提唱したように、その基準は検証可能です。
もし、二重性が成立する条件と成立しない条件を分ける基準を尋ねられて、両者の違いは、二重性が成立するかしないかで決まる、という回答があれば、それは基準になりません。エーテルを光に限定するという、あなたの主張の同類になります。
>「物理的矛盾に‘見える”ことがあろうが確たる証拠があるもの」と「確たる証拠のないもの」、貴方の考えはどうあれ、多くの人間は前者の方を支持してると言うだけです。
どうしても、この主張に戻ってきますね。ですが、粒子説でも説明できる事象では、確たる証拠になりません。光の波動性の確たる証拠が登場したのは、2重スリット実験です。もしかして、2重スリット実験の意味するところが、分かっていないのですか?
>自然選択は普遍的規則です。過去も未来も変わらぬ法則であり性質です。
>品種改良者の存在は物質的なものでそれの成り立ちに再現性はありません。
「自然選択」と「品種改良者」を比較するのが誤りです。比較するなら。
自然選択と品種改良 (どちらも、進化のメカニズム)
品種改良者と、自然選択で進化した生物 (どちらも、メカニズムの体現者)
品種改良でも進化は起こりますから、自然選択が普遍的規則なら、品種改良も普遍的規則です。
品種改良者が物質的な存在なら、羽ばたきながら駆け上がった恐竜も、物質的な存在です。進化の仮説に登場する生物すべてに言えることですよ。
ただし、冒頭で述べたように、今は、IDと自然選択ではなく、IDとかつての地動説・光波動説を比較しています。そこに集中してください。エーテルの説明は当然必要ですが、地動説も無視しないでくださいよ。
-
馬鹿げた自然選択論にしがみ付くのが如何に愚かか、それを少しでも理解できれば簡単に了解できます。
ダーウィン自身が認めた自説の弱点は結局何一つ克服できないばかりが、現実に見出されているのは全ての反証です。
彼に追随する信奉者たちは結局種の起源をよく読みもせずに極めて表面的な自然選択論に追随しているに過ぎません。
ダーウィンは自説の難点を自ら色々あげつらってそれに対して都度言い訳を述べていますが、難点の記述に9割以上を割いており、自説の擁護はごく短く、化石証拠の不存在こそ同じような言い訳を並べていますがその他の難点に関しての反論は極めて簡略でひたすら微細な変異の積み重ねねによって全て説明可能と述べるに留まります。
微細な変異の連続する化石証拠が存在しないことは彼自身種の起源の中で繰り返し言及しています。
その状況は現在に至るまで全く変わっていません。
どころか現代科学の知見はその全てを否定します。
つまり彼の追随者は種の起源をまともに読んでいない、という事です。
まさか化石知見に無知な研究者はいないでしょう。
-
自然選択論に科学的な証明が皆無であることは繰り返し述べてきましたね。
進化の証明は化石証拠に依るしかありません。
ダーウィン自身が繰り返し「種の起源」の中で述べている様に、化石証拠は存在しません。
現在に至るも状況は何も変わっていません。
もう一つは実験的証明です。
これは進化自体の証明にはなりませんが、分子レベルの進化に関して重要な示唆を与えます。
一つの例が有名なレンスキーの大腸菌培養実験です。
多くの人は誤解していますが、何か環境に有利な変化が起こったとしても直ちにそれが自然選択の結果であることの証明にはなりません。
環境に有利な変異は自然選択以外にも起こり得ます。
これも繰り返し述べてきましたが、ゲノムの環境応答性です。
エピジェネティクスでは環境によって遺伝子の発現がコントロールされそれが遺伝することが現在よく知られています。
それ以外にも未知のシステムが存在する可能性が十分にあります。
逆にそれが自然選択の結果であることを証明するためには自然選択の各工程が存在したことを証明する必要があります。
殆どの人たちがそれをよく理解できていません。
そもそも自然選択の起こる工程が理解できないでいますね。
つまり環境に有利な変異がおこればそれが自然選択の結果であるとするのは無知と無理解によるものでしかありません。
-
全ゲノム重複は表現型における進化の発現が急激にもたらされた事を示唆します。
それは逆に遺伝子変異が徐々にもたらされそれが逐次発現したとしたら進化の実現が困難である事を意味します。
キリンの首の話でも明らかなように、馬の形状からキリンの形状に変異するためには膨大な遺伝子上の同時的変異が要求されます。
ダーウィンが目の進化について一旦は自然選択では困難と否定的な見解を述べておきながら、その後続いてそれも微細な変異の積み重ねで可能との例の妄想を述べたてます。
その根拠のひとつとして、中間的な形態でも有利なものが存在し得ると言う訳ですが、あり得るではダメなんですね。
その微細な変異の全ての過程で有利である必要がある訳です。
そしてその方向性の変異と選択が連続して累積し続けなければなりません。
その具体的な過程を示せなければ駄目なんですね。
それが可能だと考えるのは、あまりに貧弱な想像力、これもまた自然選択論者に共通しています。
-
デカルト懐疑論の根本は思考の完全孤立です。
つまり自己認識の排他性の話です。
意識の個別性が認識できるのは自分でしかない、という事です。
そこに意識の本質があり、解明不能の理由でもあります。
簡単に言えば自分の意識を意識して深掘りでない人にはデカルトの懐疑論は何時まで経っても理解出来ないと言事です。
この個別性、単一性はまた物質では到底説明が付きません。
意識が遍在したら個別の意識は存在しえません。
物質ではその意識の局所性の説明が全く付けられません。
説明が付くと考えるの論の根本は思考の完全孤立です。
つまり自己認識の排他性の話です。
意識の個別性が認識できるのは自分でしかない、という事です。
そこに意識の本質があり、解明不能の理由でもあります。
簡単に言えば自分の意識を意識して深掘りでない人にはデカルトの懐疑論は何時まで経っても理解出来ないと言事です。
この個別性、単一性はまた物質では到底説明が付きません。
意識が遍在したら個別の意識あh存在しません。
物質ではその意識の局所性の説明が全く付けられません。
説明が付くと考えるのは、自然選択同様単なる妄想に過ぎません。
-
デカルト懐疑論の根本は思考の完全孤立です。
つまり自己認識の排他性の話です。
意識の個別性が認識できるのは自分でしかない、という事です。
そこに意識の本質があり、解明不能の理由でもあります。
簡単に言えば自分の意識を意識して深掘りでない人にはデカルトの懐疑論は何時まで経っても理解出来ないと言事です。
この個別性、単一性はまた物質では到底説明が付きません。
意識が遍在したら個別の意識は存在しえません。
物質ではその意識の局所性の説明が全く付けられません。
説明が付くと考えるの論の根本は思考の完全孤立です。
つまり自己認識の排他性の話です。
意識の個別性が認識できるのは自分でしかない、という事です。
そこに意識の本質があり、解明不能の理由でもあります。
簡単に言えば自分の意識を意識して深掘りでない人にはデカルトの懐疑論は何時まで経っても理解出来ないと言事です。
この個別性、単一性はまた物質では到底説明が付きません。
意識が遍在したら個別の意識あh存在しません。
物質ではその意識の局所性の説明が全く付けられません。
説明が付くと考えるのは、自然選択同様単なる妄想に過ぎません。
-
人間の視覚の脳内補正機能も驚くべきものがあります。
決してあるがままにものを見ている訳ではありません。
それは時として錯覚錯視として現象化します。
それは脳機能のエラーではなくて、必要であるからその様な補正機能を備えているからであり、その不都合な部分が偶々現出したのが錯覚錯視である訳です。
それは生命活動を営むため、つまり生存のために必要という事です。
自然選択論者はまたそれを自然選択の結果そうなったと主張する訳ですが、その僅かの齟齬も生物を簡単に死に絶えさせます。
そのプロセスに対する圧倒的な想像力の欠如、むしろ想像してみようとするする意思にすら欠ける。
怠慢と無能、残念ながらその様に表現せざるを得ません。
-
AI(コンピューター)はものを「見る」ことが出来ません。
彼らに出来るのは画像をデジタル処理することです。
モニターに画像を結像させることは出来ますが、別に彼らがそれを見ている訳ではありません。
それを「見る」ことが出来るのはモニターを見ている人間だけです。
画像処理の技術、画像のデジタル的な解析、それらは全て演算上のものです。
コンピューターは計算機ですからね。
脳機能もこれと同様の事が言えます。
脳内の電気信号によるデジタル処理は言ってみれば演算です。
デジタル処理された画像を見ている意識は脳内視覚野に限定されて存在している物ではありません。
思考する意識体もその所在を特定することは出来ません。
それにも拘らず、意識は個体にたった一つ、唯一の単体として存在します。
脳機能をいくら分析してみたところで、それが意識の実態に迫ることにはなりません。
それらの脳機能を統合している「何か」が意識です。
それが理解できないのに意識の存在を論じるのは無意味ですね。
-
設計問題を最も顕在化させるのがゲノムの暗号情報です。
暗号と言うと秘匿性と解釈する人たちもいますが、そうではなくて言ってみれば言語化です。
限られた文字で秩序立てられた意味を生成する。
アルゴリズムに基づく膨大な叙事詩です。
ゲノム情報の暗号性をコドンとアミノ酸の対照のみに限定して捉えようとする人たちもいますが、それは文法の基礎の基礎。
その文法に基づいて長大なストーリーが展開されます。
それを読み解く作業が現在急速に進められていますが、まだほんの端緒についたに過ぎません。
ストーリーを展開するためには勿論知性が必要です。
それも極めて明確な目的を持ったストーリーです。
知性が介在することなしに何故そんなストーリーを展開することが出来るのか。
それでも出来ると信じ込めるんですね。
これも呆れ果ててものも言えません。
-
地動説も波動説も粒子説も証拠があったから主張されたんです。
しかし品種改良説には証拠がありません。いま品種改良が行われているからといって、1億年前にも行われていたという主張の証拠にはなりません。
農作物の栽培は何千年も前から行われているんだから、1億年前にも行われていたに違いないという主張と変わりません。
「一億年前にも、確かに品種改良が行われていた」という証拠が必要です。
「鳥が飛翔能力を獲得するのは物理的に不可能なんだから、品種改良が行われたに違いない」なんて思弁じゃダメなんですよ。
光の波動説や粒子説、大陸移動説を生んだものと同様の、客観的に確かだと言える証拠が必要なんです。
>「自然選択」と「品種改良者」を比較するのが誤りです。比較するなら。
>自然選択と品種改良 (どちらも、進化のメカニズム)
どちらも生物自身がもつ性質に基づくものですが、違うところがあります。
自然選択は、変異に基づく環境との関わりが子孫の多寡に影響するという自然現象ですが、
品種改良は「品種改良を行う存在」が必要になります。
>品種改良者と、自然選択で進化した生物 (どちらも、メカニズムの体現者)
>品種改良でも進化は起こりますから、自然選択が普遍的規則なら、品種改良も普遍的規則です。
自然選択はもちろん「品種改良を行う存在」を措いていないので、自然選択と品種改良がともに普遍的規則だというなら、
デザイナーの存在が普遍的規則だということになりますね。
-
量子論における観測問題は様々な問題を提起します。
黙って計算しろ、と言う言葉は量子論の実用性を示すと同時に解釈問題に解決がない事を示しています。
解釈問題は量子論が発見されて1世紀以上が経過した今も全く解決されていません。
それは重ね合わせや量子もつれと言った現象としては事実として確認されている事象が一体何によってもたらされるのか、その先にどんなメカニズムが潜んでいるのか、それが全く知ることが出来ない事によります。
アインシュタインはそれらを事実として認めることを最後まで拒み、何か見落としている因果律があると考え続けました。
結果としてアインシュタインは敗れる訳ですが、かれの苦悩はそのまま解釈論の混迷を表しています。
観測問題が提起するものは複雑です。
シュレディンガーの猫は量子論に対するアンチテーゼとして提案されたものですが、波動関数が観測によって収縮するタイミングが機器の検知時点と考えればそこで猫の状態は確定する訳であり、何も悩む必要はありません。
それにも拘らず、収縮のタイミングをめぐる議論は一向に収束しません。
2重スリット実験とその様々なバリエーションによって提起される観測問題は意識の意味と深くかかわります。
波動関数は観測された時点で収束しますが、そこで言う測定とは観測して量子の動きが特定可能な状態がセッティングされた状態に置かれる事です。
そのタイミングで必ずしも人間が見ている必要はありません。
ただ人間が観測可能な状態である事が必要です。
観測用のカメラのスイッチを切った状態では波動関数は収縮しません。
それはあたかも量子がその観測可能な状態を何らかの手段により認識しているように見えます。
それはつまり量子が何らかの意識を持っていると言う可能性すら示唆します。
また、観測された時点で時間を遡って波動関数が収縮している、という状態も観察されます。
観測されなかったら波動関数のまま、観測された時点で過去の波動関数状態が書き換えられている、と言う訳です。
しかし収縮のタイミングに関しては解釈に混乱があります。
また、人間の意識により量子の動きに偏りが生じることも観測されています。
これは量子もつれが関係している可能性がありますが、そもそも意識の正体が不明なのでそれ以上解明の仕様がありません。
解釈問題が決着しない背景にはこの様なそれ以上の検出不能性、つまり量子を測定し観測する以上の事が現時点では全くなしえないと言う状況があります。
従ってそれは言ってればレトリックの世界になるので、あらゆる憶測が成り立ってしまいます。
そしてロジックの厳密性はないがしろにされがちです。
レベルは全く異なりますが、どこか進化論を想起させるものがありますね。
-
>>358
>これだけ言葉を尽くしても分かりませんか。目的は、現在のID論より、16世紀の地動説や18世紀の光波動説の方が、相対的に蓋然性が低いと論証することです。これは科学の進歩に巨大な貢献をした地動説・光波動説を評価することにもなります。「スパモン」などより比較対象として、よほど意味がありますよ。
はあ、左様ですか。
波動説とかの方が蓋然性が低いとか現状微塵も思いませんが、それを論証したところでどうなるんですか?
それでID論の蓋然性が高くなるわけでも何でもありませんよ?
誰それが私より身長低いと証明したところで、私の身長が伸びるわけでもありません。
もう一度言いますが本質を見失ってませんかね?
>前者は、量子レベルのいろいろな対象を調べて、二重性が成立するかを検証できるし、それは実際に行われています。光に見られる二重性は素粒子ならなんでも観測できるとド・ブロイが主張してから、多くの検証実験が行われてきました。ゆえに不整合の有無を判定する基準として使えます。
主張して‘から”なんでしょ?
それにエーテルも検証しようと色々行われてたでしょ?
>そんなことをするより、粒子説でも説明できるのだから、粒子説で説明すればよいではありませんか。粒子説では説明できない事象が発見されたのは19世紀で、18世紀にその知見はありませんでした。歴史家の誤謬に陥ってるのは、ご自身ですよ。
当時の人も粒子説でも一応説明できるけど波動説の方がシンプルだと思う部分があったから研究を続けた人たちがいました。
歴史学者の誤謬でも何でもありません。
そもそもその理屈なら自然選択とかで説明できるのだからIDなんか持ち出すなとも言えます。
>ミクロの世界という切り口ができた時点で、適用範囲を分ける基準ができています。
エーテルも光においてのみと言う基準があります。
>どうしても、この主張に戻ってきますね。ですが、粒子説でも説明できる事象では、確たる証拠になりません。光の波動性の確たる証拠が登場したのは、2重スリット実験です。もしかして、2重スリット実験の意味するところが、分かっていないのですか?
はい。繰り返しますが、だったらIDも自然選択でも説明できるので確たる証拠なし、となりますよ。
>「自然選択」と「品種改良者」を比較するのが誤りです。比較するなら。
そうです。誤りです。
だから品種改良者は蓋然性で著しく劣るのです。
「普遍的ルール」に対し「そのルールに従い存在した‘かも知れない”モノ」、ですからね。
>品種改良者が物質的な存在なら、羽ばたきながら駆け上がった恐竜も、物質的な存在です。進化の仮説に登場する生物すべてに言えることですよ。
そこで物質的存在を考える場合、その存在確率を予測する必要があります。
貴方が中生代に大量破壊兵器や国際宇宙ステーションを作り上げた知的存在を品種改良者より下に見る理屈と同じです。
駆け上がり説が積極的に否定されていないのは普通に当時の生物の体の構造上不可能では無いからです。
>ただし、冒頭で述べたように、今は、IDと自然選択ではなく、IDとかつての地動説・光波動説を比較しています。そこに集中してください。エーテルの説明は当然必要ですが、地動説も無視しないでくださいよ。
別にそこを話すのは良いですが、私は意味を全く感じません。
それらを比較してどちらかがより蓋然性が低い高いをお互いコンセンサスを得たところで、どちらの説も主流に根拠バトルで負けており非主流である立場を受け入れるしか無い状況は変わりませんから。
これ意味あります?
そもそもエーテルなんか存在しないことも地動説が正しいことも当然分ってますよ?
当時の非主流派が科学的手順に則った状態で考えを捨てなかった理由であろうことを答えているだけです。
正直、このやり取りで貴方がどう持っていきたいのか分りません。
-
それにしても、現代進化論のお粗末さ加減は形容の仕様がないですね。
未だにダーウィンを引き摺っています。
種の起源で科学的に証明されているものは皆無です。
ダーウィン自身、科学と言う言葉は殆ど使っていません。
これは繰り返し述べてきた通りです。
それにも拘らず、これもしつこく書いてきた通り、あたかもそれが科学の如く継承されています。
その戦犯は1930年代の集団遺伝学者たちです。
これもずっと書いてきました。
数学的に証明されたなんて言う話も勿論真っ赤なウソです。
そもそも彼らは自然選択の取るべきステップを正確に理解していません。
現代の総合説が中立説を取り込んでいる、或いは折り合っていると言うのも勿論デッチアゲの絵空事です。
中立説は表現型の進化に対しては何の説明も与えていません。
遺伝的浮動がどうのこうの言うのも全く空想の話に過ぎません。
中立説が示しているのは分子進化が中立である事のみです。
そして未だに多くの研究者がダーウィンを引用しています。
勿論肯定的にです。
呆れ果てますね。
そして彼らはその自らの宗教的な態度に気付こうともしません。
極めて無自覚なダーウィン教の信徒たちです。
-
断続平衡説、跳躍説が進化の実態を客観的に捉えていることは以前にも述べています。
総合説論者はこれらも取り込んでいるなんてとんでもない事を言います。
進化は飛躍します。
化石証拠がそれを雄弁に物語ります。
最も直近で観察される人類の進化が良い例です。
能容量は階段状に折れ線グラフで増加します。
さらに類人猿と人間の中間に位置する完全な中間種は未だに発見されていません。
人間と類人猿の間には極めて明白な形態上、脳構造上の差異があります。
つまり人間と類人猿を分かつ明確な壁が存在します。
ネアンデルタールは完全な人類の亜種で類人猿ではありませんね。
現存する類人猿と人類は不稔ですがネアンデルタールとは交雑します。
その壁がどの様にして乗り越えられたのか、つまり遺伝子上のその変異がどの様にしてもたらされたのか、それは全く未解明です。
自然選択の馬鹿げた妄想に浸っている場合ではありません。
-
まず、
>別にそこを話すのは良いですが、私は意味を全く感じません。
意味はあります。地動説と光波動説は、ID論の、相対的な蓋然性を評価するための、比較対象なのですから。
>それでID論の蓋然性が高くなるわけでも何でもありませんよ?
一方にID。他方に地動説と波動説。それで蓋然性の相対的な比較ができればよいのです。
>当時の人も粒子説でも一応説明できるけど波動説の方がシンプルだと思う部分があったから研究を続けた人たちがいました。
物理法則と整合するか矛盾するかは、あらゆる検証の1丁目1番地で、シンプルかどうかは、二次的な重要性しかもちません。物理法則と整合するために、複雑な解釈が必要なら、複雑な解釈をするのが、正当な科学的手段のはずです。忘れないでください。地動説論者と波動説論者は、研究を続けた人もそうでない人も、天動説や粒子説よりも正しいと主張していたのですよ。
>エーテルも光においてのみと言う基準があります。
いいえ。難解かもしれませんが、ここの物理は理解してもらわねばなりません。18世紀の波動理論では、エーテルといえども、質量と弾性をもつ「ばね」なのです。光が伝わるのは、音が伝わるのと同じ現象だというのです。もっと分かりやすくいえば、光と音は、感覚器官の捉え方が異なるだけで、物理事象としての本質は「ばね」の振動という、同じものになります。
ゆえに「ばね」の振動において成り立つことは、光でも音でも成り立つ必要があります。
「光においてのみ」という言い方が、すでに波動理論としておかしいのです。「光においてのみ」という言い方が通用するとすれば、それは光が、音や音以外の波とは別種の存在であるということで、当時の知識体系では、光粒子説しか選択肢がないことになります。
>だったらIDも自然選択でも説明できるので確たる証拠なし、となりますよ。
その点はそのとおりです。しかし、何度も言ってますが、品種改良には物理的な矛盾がありません。物理法則との整合は、他のあらゆることに優先します。このゆえに、地動説と光波動説は、過去の品種改良よりも蓋然性が低くなります。
>だから品種改良者は蓋然性で著しく劣るのです。
>「普遍的ルール」に対し「そのルールに従い存在した‘かも知れない”モノ」、ですからね。
木の幹を駆け上がることで、鳥に進化した恐竜も、存在したかもしれないものです。進化の仮説に登場する生物は、すべてそうです。
>駆け上がり説が積極的に否定されていないのは普通に当時の生物の体の構造上不可能では無いからです。
良い指摘です。体の構造は、私が問題にする物理法則との整合の話ですからね。物理法則との整合を考えれば、品種改良よりも、まっさきに否定されるべきは、16世紀の地動説と18世紀の光波動説であることに、同意されますか?
先の投稿でも言いましたが、地動説を無視しないでください。16世紀の知識体系では、地球が動くと、秒速460メートルというものすごい風が、東から西に吹き続けるはずなのですから。
-
すべてのコード(暗号)と言葉では、無意味なチンプンカンプンを作り出す文字配列を作
る方が、意味のある配列をつくり出す機会より、圧倒的に多い。そしてこれは DNA に当
てはまる。忘れないでほしい――自然選択は、ランダムな(突然)変異が生み出した配列
のみを “選択する” のである。しかし実験によって確立されたことは、安定したタンパク
質を作ることのできる DNA 配列は、極端にまれだということである。したがって、ラン
ダムにそれに出くわすことは、実に難しいということである。どれくらいまれなことか?
-
上記はID論者スティーヴン・マイヤーの講演で述べられたことです。
他にも色々と根拠を述べていますが、内容的にはこちらが主張している事とほぼ同じです。
***
進化論者たちは以前、「ID派科学者たちの成果が専門誌の査読論文として掲載されておらず、IDは科学ではない」などとID側を批判してきたが、ID派科学者リーダー、スティーヴン・マイヤー博士によると、ID派科学者による査読論文の数は50以上に達している。
***
彼の講演はヤンキースタジアムを満員にする動員力があります。
進化論の閉塞状況を打破する力にどれだけなり得るのか、注目には値しますね。
-
アインシュタインが最後まで認めるのを拒んだ重ね合わせや量子もつれと言った現象も、現在は完全に存在する事象として承認されています。
アインシュタインはその因果律が説明出来ないため承認を拒んでいたわけですが、この様にその理由が因果律的に説明不能であっても存在するものはいくらでもある訳です。
説明不能と不存在はよく混同されます。
その為に無理繰りで説明をこじつけようとしたりもします。
これも極めて誤った態度ですね。
未知の事、説明不能の事、それが存在する事、その様な事実が存在する事を素直に受け入れられない人達は、結局先入観に囚われて中々真実に到達することが出来ないでいます。
信仰は理性の隙間に入り込みます。
一番まずいのは、信仰と合理性、つまり科学の区別が付かない事です。
-
ハイゼンベルクの不等式が示す不確定性原理は小澤の不等式によって書き換えられ小澤の不等式を支持する実験結果も報告されています。
ハイゼンベルクの不等式は実験によって検証される事なく量子論の中心概念のひとつとしての不確定性原理を示すもの信じられてきましたが、それが覆えされたと言う事です。
ハイゼンベルクは量子そのものの特性である揺らぎと観測する事によって生じる誤差の切り分けが曖昧であったのを小澤の不等式によって整理されたとされます。
もう一つ、ケナードの不等式がありますが、これは量子論から数学的に導かれるものとされ、ハイゼンベルクはその辺りも混同していたと指摘されています。
一般に言われる量子論における観測問題は観測による波動関数の収縮です。
この波動関数が収縮する理由に関しては実際全く不明で、そこにまたさまざまな解釈が存在します。
そしてこの問題も今の所完全に解決される兆しはありません。
人間の意識の介在も主張されています。
二重スリット実験で量子の波動性が示され、観測する事によるその収縮も確認されます。
その二重スリット実験で人間の意識によってスリットを通過した粒子が偏在することを示す実験も報告されています。
実験結果に対する解釈はその理論に拠って常にその結果が示されれば証明された仮説と認定でき、逆にその過程と結果における因果律が示せなければ、それは一つの解釈と言うことなります。
極めて検証が重要視される物理学の分野においても、解釈問題は想像の世界です。
そして想像だけでは勿論それが検証された科学理論とは言えません。
そして自然選択論は完全に空想の世界の物語に過ぎません。
-
進化理論では、物理法則との整合性なんて問題になりません。
品種改良に物理的な矛盾がないなんてあたりまえです。地球上で起こった歴史に属することなんだから。
一方、光の性質を問うことは、物理法則そのものを確かめる作業になります。
地動説の方がシンプルですかね。当時の理解だと風が吹かないのはおかしい。でも慣性の法則を知って納得し、偏西風が吹く理由もわかる。
そうやって確認作業を繰り返しながら知識を積み上げ、客観的な知の体系を形作る。
なぜこういうカテゴリーエラーを平然と犯すのか。それはデザイナーという伝統的・文化的想念に引っ張られるからでしょう。
「生物の進化は自然現象であるという、現代生物学の出発点」を、どうしても受け入れることができない。
神様の意思なしに、こんな複雑な世界などあり得ないという思いから逃れられないからでしょう。
私は宗教を否定するつもりは毛頭ありませんが、科学を詐称するインテリジェントデザイナー論の態度については否定します。
-
何者も介入しない、全ては自然任せの偶然。
その結果この世界が出来上がった。
ソレが有り得そうにないのは誰でも分かります。
しかしそれでも猶多くの科学者たちは設計の存在を忌避したがります。
それを非科学的と考えるんですね。
その態度こそが非科学的なんですが、彼らはそうは考えない訳です。
設計者と言う全く未知の解明不能の存在を想定すること自体が非科学的と考えるんですね。
それは解明不能の未知の存在は「存在しない」と言う誤った科学主義によるものです。
既知の知識、既知の科学的知見で説明できないものの存在を認めようとしない。
ソレが誤った科学主義です。
知れば知るほど未知の存在が明らかになると言うのはアインシュタインの言葉です。
この誤った科学主義は無知による思い上がりの傲慢でしかありません。
-
偶然とは何の恣意も作為も介入しない、全くの自然状態で起こる事です。
勿論自然選択論もその前提ですね。
何の作為も恣意も意図も介入しない、自然自身が自然状態で結果としてそれを生ずる。
自然選択は自己組織化と違って与件を必要としません。
唯一自然状態である事が与件です。
その偶然の中で自然選択が起こり得る、実際に起こっていると主張する訳です。
その自然状態の偶然のみによる作為が自然選択、それによって生物が誕生し進化した。
この妄想が自然選択です。
そこには何の作為も介入しない、自然状態があるだけですね。
それは単純に熱力学第二法則を意味します。
生存に有利な者が生き残る、この自然状態における当たり前の出来事を進化の為の法則とすり替えます。
自然状態という偶然性以外に支配する法則がない事象にあたかも必然的な結果をもたらしうるような法則をでっちあげてそれに説明を与える。
この偽装が自然選択論です。
-
自然状態では熱力学第二法則が支配すると言われています。
しかし宇宙生成も生命誕生もこの法則に抗っているように見えます。
この理由原因は解明されていません。
宇宙全体で見れば熱力学第二法則が支配している、仮にそれを認めたとしても局所的には明らかにそれに抗った事象が存在し、それによってこの宇宙も生命体も形作られています。
-
設計者を神と称する必要はありません。
神に宗教的な意味合いを持たせるとしたら、それは神ではありません。
だからわざわざIDと言う名称を与えている訳です。
ID論者に宗教的な背景を持つ者がいるかどうかも関係ありませんね。
ID論自体は全く宗教から切り離されたものです。
それを自分の信じる宗教神に重ね合わせるのは、単にID論を利用しているだけでID論自体とは関係のない世界です。
現代の科学者でも神の領域、神の仕業と言った言葉をよく使います。
これは勿論ID論が前提なわけではありませんが、漠然とにせよその様な超越者の存在を想定している訳です。
アインシュタインもよく神と言う言葉を使いますね。
神はサイコロを振らないと言う有名な言葉があります。
それは勿論宗教神を指しません。
アインシュタインも宗教的な人格神を否定します。
超越的な設計者は存在するのです。
そう考えないと全ての事象の説明が付きません。
それが唯一の解であり、同時に決して解けない解でもあります。
-
ダーウィンは自然選択を主張しますが、それを確実に証明できる具体的な事例に沿った根拠は何一つ示されていません。
そうであるに違いない、そう考える事に矛盾はない、その様に考えれば説明可能だ、全てはこういった憶測で述べられています。
キリンにしても、当初より大きな個体が生き残ったのは間違いない、と主張します。
そしてあまり大きくない個体は死滅しがちだっただろうと推測します。
これは共にダーウィンの想像であり、証明できる化石証拠など勿論存在しません。
実験的に検証するのも無論無理ですね。
そして、生き残ったに違いない、死滅しがちだっただろう、これは極めて曖昧な表現です。
生物は全て何れは死滅するんですよ。
生存率に差が出たと言うなら、せめてその事による形質の変異の子孫への遺伝の過程を想像してみるべきでしょう。
それもせずにこんな憶測だけの極めて雑なロジックで、自然選択論は論証されたなんて言われたら堪りませんね。
ダーウィンは全てこの調子。
追随者はそれを無批判に受け容れる。
それが現代進化論にまで受け継がれます。
惨状ですね。
-
「大量 の機能的に特定された情報が純粋に化学的・物理的先行条件から確かに生ずる」
事があり得ない事が証明されれば、背理法に依ってその情報に知性が介在することが証明されます。
それを否定するためには逆に上記条件の下にその結果が生じる事が証明できればいい訳です。
どうしてもID論を否定したければ、それをやってもらいましょう。
-
>>372
>意味はあります。地動説と光波動説は、ID論の、相対的な蓋然性を評価するための、比較対象なのですから。
ですから、それを比較したところで何になるんですか?
IDの方が波動説とかより蓋然性が高かろうが低かろうが、IDと本来比較するべきは自然選択を含めた進化理論であり
波動説とIDを比較した結果なんて何の役にも立ちません。
>一方にID。他方に地動説と波動説。それで蓋然性の相対的な比較ができればよいのです。
とのことですが、その結果でどうなると言うのです?
>地動説論者と波動説論者は、研究を続けた人もそうでない人も、天動説や粒子説よりも正しいと主張していたのですよ。
?
だからそう言ってるじゃないの。
矛盾があろうが信じるに足る根拠がその人にあるなら研究も学ぶのも自由だって
貴方が何がしたいのか解らないです。
>それは光が、音や音以外の波とは別種の存在であるということで、当時の知識体系では、光粒子説しか選択肢がないことになります。
別種の存在だからバネで考えるのは違うんじゃ無いか?と当時の人は考えたわけですね。
>何度も言ってますが、品種改良には物理的な矛盾がありません。物理法則との整合は、他のあらゆることに優先します。このゆえに、地動説と光波動説は、過去の品種改良よりも蓋然性が低くなります。
何度も言いますが物理的に矛盾が無くてもそれだけでは無意味です。
それに優先するならまず本当に矛盾なのか検証し尽くして語るべきでしょう。
一見矛盾する現象なんて色々あります。ムペンバ効果とか自己組織化とかね。
エーテルも当時、一見矛盾するが説明できるはず、と研究した人が多数いても不思議じゃ無いですよ。
だって観察結果があるんですから。
>木の幹を駆け上がることで、鳥に進化した恐竜も、存在したかもしれないものです。進化の仮説に登場する生物は、すべてそうです。
で、それを補強する根拠を普通は示していくのですよ。
示せられなければ積極的に否定もしないけどとるに値しない説となるだけです。
可能な限りかも知れないでは終わらせぬものです。
>物理法則との整合を考えれば、品種改良よりも、まっさきに否定されるべきは、16世紀の地動説と18世紀の光波動説であることに、同意されますか?
いえ、全く。
科学で何より重んじるのは実験観察です。現状説明できなかろうと観察されたものと説明可能であっても妄想の類いだと科学的に価値のあるのは前者です。
>地動説を無視しないでください。16世紀の知識体系では、地球が動くと、秒速460メートルというものすごい風が、東から西に吹き続けるはずなのですから。
そんなこと言っても何を語れと?
矛盾に対してならコペルニクスは慣性の法則らしきことを語ってますよ。屁理屈に近い感じですが。
あと宇宙と地球上では法則が異なるのでは無いか、とか言ってますね。
適応範囲が異なる可能性に言及しているわけです。二重性にどこか通じる思考かも。
まぁ、どっちにしろ重要なのは根拠バトルで後れをとったから非主流となった。
でも信じる人は研究を続けた。
それだけの話であり、それは科学的にも真っ当な姿勢だったと言うだけのことですよ。
-
>IDと本来比較するべきは自然選択を含めた進化理論であり波動説とIDを比較した結果なんて何の役にも立ちません。
Dも地動説も波動説も、科学のあり様を論じるために、持ち出した題材です。その中でIDと地動説・波動説を比較する切り口を設定しているので、IDよりも地動説・波動説が支持できると思うのなら、それを論証されたらよいだけです。
>別種の存在だからバネで考えるのは違うんじゃ無いか?と当時の人は考えたわけですね。
別種の存在になるから、光波動説は矛盾しているのです。当時の知識体系では、波動とは、ばねを伝わる振動のことで、ばねでないとは、すなわち波動でないことなのです。これだけ言っても分かりませんか?
数式を示せば理解をされるんだろうか? 振動の方程式はこうなります。
m d²x/dt² + c dx/dt + kx = 0
(m=質量、c=減衰係数、k=ばね定数、x=変位、t=時間)
ばね(k)がないと振動が成立せず、振動が伝播する波動なる現象も成立しません。ばねの反発力が、ずっと問題にしている「硬さ」のこと。光波動説の、根源的な矛盾を、理解してください。
観察事象を粒子説で説明すれば、そんな問題はなくなるのに。
>エーテルも当時、一見矛盾するが説明できるはず、と研究した人が多数いても不思議じゃ無いですよ。
>だって観察結果があるんですから。
粒子説でも説明可能な観察結果です。そして粒子説なら、物理法則と矛盾しません。
>現状説明できなかろうと観察されたものと説明可能であっても妄想の類いだと科学的に価値のあるのは前者です。
地動説と波動説では「現状説明できなかろうと観察されたもの」になるが、天動説と粒子説では「観察され、かつ現状説明できるもの」になります。
ある観察結果を説明する理論が、AとBの2つある。Aは確立された知識体系と矛盾するが、Bは矛盾しない。このような状況では、AよりもBの方が蓋然性が高い、と言ってます。まさか、これを否定はしませんよね。
>宇宙と地球上では法則が異なるのでは無いか
>適応範囲が異なる可能性に言及しているわけです。二重性にどこか通じる思考かも。
「適用範囲」の存在を示す何の根拠もないのに、ですよね。これのどこが、実観測に基づく粒子と波動の二重性と、実観測に基づく量子レベルの大きさという基準に、通じますか。
>どっちにしろ重要なのは根拠バトルで後れをとったから非主流となった。
根拠バトルで後れを取った理由を理解してください。おっしゃるように、特定の観察結果は、地動説や光波動説で説明されました。でも、同じ観察結果は、天動説と光粒子説でも説明され、かつ、天動説と光粒子説には、物理法則との矛盾がなかったが、地動説と光波動説にはあったからです。
差をつけたのは、物理法則と整合するか矛盾するか、です。物理法則と矛盾したら、シンプルさ(>>369)の価値など、消し飛びます。
とはいえ、16世紀の地動説と、18世紀の光波動説が、根拠バトルで後れをとったという合意が得られたのなら前進です。後れをとったなんて中途半端な表現ではなく、根源的な矛盾があったというのが正確ですが。それでも、理解への第一歩には違いありません。
-
ダーウィンが何を構想してかと言えば、微細な同方向の変異が長時間にわたって累積される。
その結果として進化がもたらされる。
それらが全て化石になっていれば膨大な変異が連続する化石群が存在する筈だ。
しかしいくつかの理由によってそれらは化石になることがなかった。
若しくはそれらの化石はまだ未発見なだけだ。
これがダーウィンの考えた変異です。
微細な変異が連続する化石証拠群は何処にも存在しません。
前述した通り、人類と類人猿の中間に位置すべき完全な中間種も未発見です。
化石証拠に依って観察される脳容量の増加は階段状の折れ線グラフです。
化石証拠の不存在はダーウィン自身がはっきり認めています。
その後発見された中間種は点在するだけで微差な変異が連続する状態を示すものは何一つありません。
進化はゲノム重複、遺伝子の取り込み等により劇的に起こります。
進化のイベントはダラダラと際限なく連続するものでは無くて、あるタイミングで急激に生じます。
それは化石証拠が明確に示しています。
-
ダラダラと続く微細な変異の連続は証拠が皆無です。
単に種と種の間の中間種が発見されただけでは連続的な微細な変異が存在した証明にはなりません。
類人猿と人類の間には、その完全な中間種すら存在しません。
キリンの首が少しずつ長くなった証拠は皆無です。
全ての生物種は微細な変異の連続によっては結ばれていません。
明白な種間の境界は不稔性によっても確認できます。
そもそも漸進的な進化ではその様な明確な種間の境界の存在を説明出来ません。
これも自明です。
-
人間に最も近い類人猿はボノボです。
チンパンジーと似ていますが知性や社会性に明らかな相違があります。
人間の言語を文法的に理解し、キーボードを使用して感情の言語的表現も行えます。
また平和的で強い社会性を示します。
しかしそのボノボも人間とは極めて大きな隔たりがあります。
外見的特徴は一目瞭然ですね。
身体構造も大きく異なります。
機能的な決定的な相違は言語発声機能です。
チンパンジーやボノボは数百万年前に同一祖先から枝分かれしたとされますが、その隔絶した人類と類人猿を完全に結ぶものはありません。
つまり共通祖先から進化した証拠すらないのです。
-
Irreducible complexityは還元できない複雑さと和訳されますが、これは完全に誤訳です。
このことも繰り返し説明して来ましたね。
大体複雑さを還元する、って一体何のことですか?
還元とは元の状態に戻すと言う意味です。
なんですか、元の状態って?
全く意味が分かりませんね。
Irreducibleのreduceは減らす、削減する、と言った意味です。
従って、Irreducibleは減らせない、削減できない、complexity(複雑性)と組み合わされた場合それ以上簡略化できないと言う意味になります。
つまりそれ以上簡略化できない複雑性(組み合わせ)と言う意味です。
reduceが還元を意味するのは化学反応の場合を指す時のみで、この場合は勿論化学反応の話ではありません。
この化学用語として使わるときにのみ持つ還元の意味を誤ってその訳語に当てている訳で、誰が最初にこの訳語を使いだしたのか知りませんが、全くの誤訳な訳です。
分かり易く言い直せば、それ以上簡略化(省略)できない複数の要素の組み合わせという事です。
省略してしまうとその機能が失われる、と言う意味です。
この明らかな誤訳が現在も使用し続けられている事には正直驚きます。
それで分かった気になっている人たちは自身の不明を恥じなければいけません。
そしてこのIrreducible complexityはベーエの指摘を待つまでもなく極めて当然の事であり、それは生命誕生の当初から進化の各段階においても、また細胞で構成された生命体の構造と機能においても常に全ての場面で当て嵌まる話です。
それはつまり必要な要素の同時性と言い換えることも出来ます。
そしてこの同時性が現代科学ではまだ全く説明が付けられていない事象なのです。
同時性が強く要請される典型的な例が生命誕生です。
生命誕生、言い換えれば原初の生命体が生命体として成立し得るには最低限の生命としての条件を備えていなければならない、その生命要素、生命体の定義の話です。
その生命と定義される複数の要素は何れを欠いても生命体として存在することは有り得ない、これは同時にもたらせる必要がある、そうでなければ生命体として機能しない、そういう話です。
これはそのままIrreducible complexityであり、生命活動、進化のどの場面においても確認され検証される事象です。
-
生物の進化は自然現象だと捉えたこと、これがまずダーウィンの最大の功績ですね。自然科学の土俵に乗せたわけです。
そしてメカニズムとしての自然選択。超自然を排した、客観的な理解をもたらすものですね。
ダーウィンが自然選択を説明するために最初に持ち出したのが品種改良。生物自身がもつ性質をもとに人間に都合のよい形質を作り出せることは実証済みでしたから。
人間の意思を生息環境の変化に置き換えることができる、人間が都合のよい個体を選び生存させるのと同じ効果、つまり子孫を繫げることに貢献するのではないか。納得できますね。
(現代進化学の基礎にある変異+選択に関して、変異について当時はまだ知識不足でしたが、今では塩基配列の変異が進化を駆動することを具体的に明らかにしています)
さて、こうした生物進化の理解について、地動説も波動説も粒子説も大陸移動説も、なんの関係もありません。
>IDと地動説・波動説を比較する切り口
(インテリジェント)デザイナー論が物理法則を問う理論だというなら、話は違いますけどね(笑
-
ダーウィンは科学が実験、観測による仮説の検証であると言う事実に対して無知若しくは無関心です。
同時代のパスツール、メンデル、ファーブルらは何れもそれを実践しています。
そこがダーウィンとの決定的な違いです。
そんなダーウィンを科学者と呼ぶ理由は何処にもありまません。
パンゲン説は彼のいとこのフランシス・ゴルトンによる実験によって否定されたました。
その後はダーウィンは自らのパンゲン説についての言及はありません。
彼は自分の都合で事実を歪曲しますね。
あからさまに科学に反する態度です。
変異に関して全面的にラマルクを支持しているにも拘らず、自然選択を主張します。
それが同義重複にある事にも彼は気付きません。
-
科学信仰とは文字通り信仰です。
つまり科学に対する信仰です。
信仰ですがら宗教と同義ですね。
信仰の本質は前提を無検証に信じる、という事です。
科学とは本来事実の検証な訳で、科学信仰は科学を標榜しならがら実は科学に背いているという事です。
本来の科学と科学信仰の違いは、本来の科学は常に検証を要求され続けるのに対して、科学信仰は科学の名のもとに、既成の科学あるいは科学と称される権威的なものに反する存在を検証せずに否定する、既存の権威に無検証に従属すると言う態度です。
そこを錯覚若しくは誤解している人たちが非常に多いですね。
実は信仰であるのにそれを科学と信じ込むわけです。
それは検証に対する無知です。
典型的な例が自然選択論ですね。
-
ダーウィンは負の功績しかありません。
唯一興味深いのはパンゲン説です。
ラマルクはダーウィンに比べれば進化論上遥かに意味のある存在です。
そのラマルクの獲得形質の遺伝をパンゲン説で説明しようとしました。
現在エピジェネティクスによって遺伝子修飾も遺伝することが確認されています。
ダーウィンの時代は血液と細胞くらいしか生物に関する知識が無かった事を鑑みれば、ダーウィンなりに想像力を巡らせたことは良く分かります。
もちろんその説自体は完全な誤りですが、結構示唆に富んでいます。
しかしここでもダーウィンは実験を軽視しますね。
-
前適応、適応放散、共進化、これらは全て自然選択では説明が付きません。
それをあたかも言葉を与えれば何か説明が付けられているかの様な錯覚を与えます。
自然選択論者はそのような錯覚を与えるようなこれらの言葉の使用の仕方をします。
彼らはレトリックを弄してそれが自然選択で説明できるようなこを述べることもありますが、例によってロジックが飛躍とこじ付けに満ちています。
それらを自然選択で厳密に説明することなど到底出来ません。
それでなくても自然選択で説明困難な事象は枚挙に暇がありません。
ダーウィン自身がそれを色々とあげつらっていますね。
そしてそれら全てに何とかして言い訳を与えようとします。
彼の追従者たちのやっている事も全く同様です。
-
擬態はデザインのあからさまな例証です。
多様で驚くべき擬態の数々が設計以外の理由で存在すると考えることは極めて困難です。
また例によって自然選択論者たちはそれでも無理繰り理由をこじ付けてハイ説明出来ましたと胸を張って見せるかもしれませんが、勿論デタラメです。
精巧で完璧な擬態の数々がどの様な過程を経て自然選択によって形成し得たか、その想像力も完全に欠落している訳です。
-
設計者を想定する場合、初期設定と中間関与をどう考えるか、この極めて判断困難な問題に直面すことになります。
初期設定と言うならビッグバンまで遡る必要があります。
物質、時空、物理法則、物理定数は設定可能でしょう。
しかしそれだけで全てが可能とはとても考えらない。
としたところで、果たして中間関与がどのようになされたのか、それが必要だったのか。
これは必然と偶然の問題ともつながります。
更には例えば人間の自由意思と言う極めてややこしい問題とも絡みます。
意識の問題も同時に提起されますね。
これもまた究極の難問です。
-
まぁ、デザイナーという存在の客観的な立証と、デザイナーがどのようにして生物進化に関わったのか、
その仕組みを具体的に説明できるように努力してみてください。
それができなければ、科学理論ではありません。
-
>>385
>IDも地動説も波動説も、科学のあり様を論じるために、持ち出した題材です。その中でIDと地動説・波動説を比較する切り口を設定しているので、IDよりも地動説・波動説が支持できると思うのなら、それを論証されたらよいだけです。
ですからそれらを比べる意味が無いでしょう。
どちらがより支持されてようが、どちらも現状支持されてない題材なんだから。
駄目な者同士どちらがダメかで競おうとも、結局はどっちもダメなんだからさ。
>別種の存在になるから、光波動説は矛盾しているのです。当時の知識体系では、波動とは、ばねを伝わる振動のことで、ばねでないとは、すなわち波動でないことなのです。これだけ言っても分かりませんか?
波動はバネを伝わるってのもアレですが別種だから別種と考えるのにどこも不思議は無いでしょう?
そもそもエーテルが鋼のように硬い云々言われたのは19世紀からですよ。
>地動説と波動説では「現状説明できなかろうと観察されたもの」になるが、天動説と粒子説では「観察され、かつ現状説明できるもの」になります。
天動説と粒子説では「観察され、かつ現状‘苦しいながら”説明できるもの」になります。
だから引っかかる人がいたのです。
>ある観察結果を説明する理論が、AとBの2つある。Aは確立された知識体系と矛盾するが、Bは矛盾しない。このような状況では、AよりもBの方が蓋然性が高い、と言ってます。まさか、これを否定はしませんよね。
本当に確かな矛盾だと示せればそうですね。
どっかの知らないおっさんが毎回データをいじくっているとかでも物理的矛盾は無いですが納得できますか?
矛盾無く説明できりゃ良いってもんじゃありません。
>「適用範囲」の存在を示す何の根拠もないのに、ですよね。これのどこが、実観測に基づく粒子と波動の二重性と、実観測に基づく量子レベルの大きさという基準に、通じますか。
そうですね。太古の品種改良よろしく存在の根拠はありませんね。
繰り返しますがだから非主流になってたんです。
>とはいえ、16世紀の地動説と、18世紀の光波動説が、根拠バトルで後れをとったという合意が得られたのなら前進です。後れをとったなんて中途半端な表現ではなく、根源的な矛盾があったというのが正確ですが。それでも、理解への第一歩には違いありません。
?
最初からず〜っと言ってることですよ?根拠で劣っていたから主流になれなかったって。
そしてそれは科学的のも正しい姿勢だったってさ。
-
「大量 の機能的に特定された情報が純粋に化学的・物理的先行条件から確かに生ずる」
事があり得ない事が証明されれば、背理法に依ってその情報に知性が介在することが証明されます。
それを否定するためには逆に上記条件の下にその結果が生じる事が証明できればいい訳です。
どうしてもID論を否定したければ、それをやってもらいましょう。
このスレの投稿者にはこの設問自体が全く理解出来ないでしょうから、回答は到底無理ですね。
それでID論に関してとやかく言うのは無駄な話です。
-
「波動説に必要なエーテルは物理的に無理があるから、物理的に無理のない太古の品種改良の方が支持しやすい」というのは、誤りです。
二重の誤謬があると思いますよ。
ひとつは、太古に品種改良がなされたと言うためには、「物理法則ではなく、品種改良の手順そのもの」を示すことが必要ですが、それをまったく欠くこと。
そして、恐竜の仲間が飛翔能力を獲得することは物理的に不可能だと言ってしまっていること。
前者は明快なカテゴリーエラー、後者は「個人的にそう思っている」というだけですね。
科学の理論として相手にされないこと、あたりまえです。
-
現代の主流説とされる総合説とID論を比較してみましょう。
先ずID論から行きましょうか。
ID論は科学的な知見に基づく推論です。
その推論はあらゆる科学的知見からロジカルに導かれます。
そういう意味では科学的な仮説と言って差し支えないでしょう。
しかし他の科学的仮説と大きく異なる点は知性と言う科学的な定義がかなり困難なものをその前提に置く点です。
これは知性の解釈と言う人間の意識にも関わる複雑な問題を提供します。
しかし知性をどう定義しようと、因果律をもたらすアルゴリズムの存在は否定の仕様がありませんね。
その様なアルゴリズムは何故生み出されたのかという事です。
答えは背理法に依って明確に導かれます。
一方の総合説ですが、これはずっと述べてきた通り、あまりにお粗末です。
多くの人たちはそれを科学と信じているようですが、これも繰り返し説明した来た通り全く科学理論の体をなしていません。
先ず事実に依る実証が皆無です。
都合の良い変異が起こりさえすればそれが自然選択だとするトンデモナイ誤解と極め付けが横行しています。
それは選択と言う自然選択における最も重要なフェーズを無視していることになります。
そして膨大な選択されざる者たちを生産し続けなければならないそのシステムのロジック自体が自家撞着であると言えます。
その様な誤解が生じる大きなポイントは、選択という事象に対する無理解です。
この自然選択論の最も根幹の部分の事象がロジカルに理解出来ないでいる訳です。
その最も肝心な部分の検証を完全にパスして、それを科学理論と称している訳です。
自然選択論の科学分野における正しい位置づけは、ダーウィンとその追従者によって提唱され信じ込まれている科学的な実証が全く伴わない淘汰されるべき仮説です。
-
>しかし他の科学的仮説と大きく異なる点は知性と言う科学的な定義がかなり困難なものをその前提に置く点です。
人間の知性についてデザイナーを「前提としている」というところで、科学的仮説ではないことをご理解ください。
-
この世界は驚くべきメカニズムが相互に緊密に連携し合って一つの巨大なシステムを構成する。
それが幾重にも重なりさらに巨大な有機的なシステムを構成する。
それら全ての集合体がこの宇宙です。
この連携の意味を理解しないと宇宙は理解できません。
この宇宙を支配するアルゴリズムはその全てを網羅しています。
そこから孤立して存在する事象は何ひとつありません。
その連携を解明しつつあるのが現代科学です。
しかし解明できているのはまだ極ほんの一部に過ぎません。
それが理解できないと世界理解は進みませんね。
-
「大量 の機能的に特定された情報が純粋に化学的・物理的先行条件から確かに生ずる」
事があり得ない事が証明されれば、背理法に依ってその情報に知性が介在することが証明されます。
それを否定するためには逆に上記条件の下にその結果が生じる事が証明できればいい訳です。
どうしてもID論を否定したければ、それをやってもらいましょう。
このスレの投稿者にはこの設問自体が全く理解出来ないでしょうから、回答は到底無理ですね。
それでID論に関してとやかく言うのは無駄な話です。
-
科学の手法からすれば、「わからないことはわからない」でOKです。
人間が自然現象を理解するうえで、神様を前提にする必要はないと思いますよ。
-
「大量 の機能的に特定された情報が純粋に化学的・物理的先行条件から確かに生ずる」
事があり得ない事が証明されれば、背理法に依ってその情報に知性が介在することが証明されます。
それを否定するためには逆に上記条件の下にその結果が生じる事が証明できればいい訳です。
どうしてもID論を否定したければ、それをやってもらいましょう。
このスレの投稿者にはこの設問自体が全く理解出来ないでしょうから、回答は到底無理ですね。
それでID論に関してとやかく言うのは無駄な話です。
-
Irreducible complexityは還元できない複雑さと和訳されますが、これは完全に誤訳です。
このことも繰り返し説明して来ましたね。
大体複雑さを還元する、って一体何のことですか?
還元とは元の状態に戻すと言う意味です。
なんですか、元の状態って?
全く意味が分かりませんね。
Irreducibleのreduceは減らす、削減する、と言った意味です。
従って、Irreducibleは減らせない、削減できない、complexity(複雑性)と組み合わされた場合それ以上簡略化できないと言う意味になります。
つまりそれ以上簡略化できない複雑性(組み合わせ)と言う意味です。
reduceが還元を意味するのは化学反応の場合を指す時のみで、この場合は勿論化学反応の話ではありません。
この化学用語として使わるときにのみ持つ還元の意味を誤ってその訳語に当てている訳で、誰が最初にこの訳語を使いだしたのか知りませんが、全くの誤訳な訳です。
分かり易く言い直せば、それ以上簡略化(省略)できない複数の要素の組み合わせという事です。
省略してしまうとその機能が失われる、と言う意味です。
この明らかな誤訳が現在も使用し続けられている事には正直驚きます。
それで分かった気になっている人たちは自身の不明を恥じなければいけません。
そしてこのIrreducible complexityはベーエの指摘を待つまでもなく極めて当然の事であり、それは生命誕生の当初から進化の各段階においても、また細胞で構成された生命体の構造と機能においても常に全ての場面で当て嵌まる話です。
それはつまり必要な要素の同時性と言い換えることも出来ます。
そしてこの同時性が現代科学ではまだ全く説明が付けられていない事象なのです。
同時性が強く要請される典型的な例が生命誕生です。
生命誕生、言い換えれば原初の生命体が生命体として成立し得るには最低限の生命としての条件を備えていなければならない、その生命要素、生命体の定義の話です。
その生命と定義される複数の要素は何れを欠いても生命体として存在することは有り得ない、これは同時にもたらせる必要がある、そうでなければ生命体として機能しない、そういう話です。
これはそのままIrreducible complexityであり、生命活動、進化のどの場面においても確認され検証される事象です。
-
最も重要なのは、これです。
>どちらも現状支持されてない題材なんだから。
>根拠で劣っていたから主流になれなかったって
16世紀の地動説と18世紀の光波動説は、現在のID論よりも支持できる、蓋然性が高い理論ではない、ということでよろしいですか?
「矛盾」についても、はっきりさせておかねばなりません。
>矛盾無く説明できりゃ良いってもんじゃありません。
あなたは、矛盾が無くても、それだけでセーフにはならない、と言っておられます。
私は、矛盾があれば、それだけでアウトになる、と言ってます。
私の論点を外しておられるのですよ。
何度も説明しましたが、原理が未解明なことと、矛盾があることは、別の問題ですよ。さすがに、このことは理解されましたか?
重力の法則は、
重力 = 重力定数 × 質量の積 ÷ 距離の2乗
ですが、なぜ重力が働くのかは、今にいたるまで解明されてません。それでも、この法則が普遍的に観察されるかぎり、そこに矛盾はありません。
しかし、質量がないところに重力が働くという仮説が出されたら、今の法則の元になった事象と矛盾します。ばねがないところに波動が伝わるという仮説と同じです。仮説の蓋然性・信頼性は、ほぼゼロになります。
以上の点で合意できれば、他は関連説明です。以下もそうです。
>波動はバネを伝わるってのもアレですが別種だから別種と考えるのにどこも不思議は無いでしょう?
数式まで示して、振動とはばねが起こす動作であると言ったのに。それを無視して、ただ「別種だから別種」では、「問答無用」と同じではありませんか。
ばねが入らない、むろん19世紀に発見された電磁気も、20世紀の量子力学も入らない、波動の数式を書いてみせてください。
>エーテルが鋼のように硬い云々言われたのは19世紀からですよ。
光を伝える媒質の特徴は、フックの法則(17世紀)、ニュートン力学(17世紀)、ダランベールの方程式(18世紀)、ブラドリーの光速度測定(18世紀)から導かれます。なによりも、硬い物質ほど力が速く伝わる、大昔からの観測事実があります。エーテルの矛盾が無ければ、光波動説が光粒子説に、差をつけられる理由はありません。
2重スリット実験で、光の波動性が決定的な事実となり、エーテルの硬さが、もはやすておけない、真剣に考えるべき問題と認識されたのが19世紀、ということでしょう。
-
自然選択論に否定的な人たち、例えばID論者の中にでも自然選択論を完全に否定している人たちは必ずしも多くは無い様です。
むしろ完全否定はしていない人達の方が多数派の様にも見受けられます。
しかしここは重要な点で、果たして自然選択による進化が起こり得るのか、そこをしっかり見極める必要があります。
結論は、言うまでも無くこれまで繰り返し説明して来た通り、自然選択によって進化が起こる事は一切ありません。
先ず第一にロジックが完全に破綻しています。
それは不必要な膨大な選択されざる敗者を生むシステムだからです。
その様な非効率なシステムは進化のエンジンとしては到底採用出来ません。
そして実はそこが多くの研究者から見逃されている点です。
その膨大な敗者の化石証拠の不存在をダーウィン自身もずっと気にしていました。
少なくとも彼は膨大な敗者の存在が必要で有る事までは認識していたのです。
そしてその想定自体が現実を説明するロジックとしては成り立たない理由です。
勿論その膨大な敗者を示す化石証拠も皆無です。
競争原理は文字通り淘汰、つまり不適合者を排除する為の原理であり、進化をもたらす原理ではありえないのです。
計らずもselectを淘汰と訳した日本語訳はその事実をよく示しています。
選別は生存の制限でしかなく、その膨大な敗者を生むシステムは進化のエンジンとしては機能する事は有りません。
-
16世紀の地動説も無視しないでください。
地球が動くのなら、ものすごい強風が、やむことなく吹き続けるはず、という矛盾のほうが、エーテルよりも、よほど分かりやすいでしょう。
それでいて、地動説は、科学史の中でも最大のインパクトを与えたといえます。ガリレオそしてニュートンによる、事象を数式で定量的に表現するという、物理学の基本思想を、確立したのですから。
波動理論であれ、電磁気学であれ、量子力学であれ、すべてそこから生じたものです。地動説なくして、その後の一切はありませんでした。
-
>>408
>16世紀の地動説と18世紀の光波動説は、現在のID論よりも支持できる、蓋然性が高い理論ではない、ということでよろしいですか?
だから宜しくないって言ってるでしょう。
それは偏に観測なり実験なり実質的証拠が無いからです。
貴方と違い私はそちらを重視します。
>私は、矛盾があれば、それだけでアウトになる、と言ってます。
>私の論点を外しておられるのですよ。
本当に‘確実な矛盾と示せば”それで結構だと思いますよ。
しかしながら当時本当にエーテルが鋼のように硬いのか、硬いものでないと光が本当に伝わらないのか明確に実証されていません。
だから当時の研究者も色々検証しているのです。
>なぜ重力が働くのかは、今にいたるまで解明されてません。それでも、この法則が普遍的に観察されるかぎり、そこに矛盾はありません。
とか言っていますが、当時の光も普遍的に観察されてしまってます。
と言うことはエーテルも解明されて無くても普遍的に観察されるなら認めても問題ないってことになりますねぇ。
>ばねが入らない、むろん19世紀に発見された電磁気も、20世紀の量子力学も入らない、波動の数式を書いてみせてください。
へぇ、それではバネを入れて空気中を伝わる音や水面の波を説明して下さい。
>エーテルの矛盾が無ければ、光波動説が光粒子説に、差をつけられる理由はありません。
ですから、うんざりするほど繰り返しますが
だ か ら、波 動 説 は 非 主 流 に な っ て た ん で す。
貴方がエーテルに対しどう思おうと自由ですが、当時の人でそれでもまだ波動説に利があると考えた少数派の人がいて研究を続けたのは動かしようの無い事実です。
それに対し文句言って何がしたいんですか?
何度も言いますが現在の知見から見て間違ってる部分はあるでしょうが、当時の知識として科学の正しい手順に則ってのことです。
あくまで私は、なぜ光波動説や地動説が完全に棄却されなかったか?その理由を述べてるだけです。
そこ、理解してますか?
>>410
>16世紀の地動説も無視しないでください。
書いたでしょう?コペルニクスの見解を。
これもエーテルと同じですよ。
支持する人にとっては支持するに足る確信と根拠があったってだけです。
IDも同様に支持する理由があるなら同様に好きに研究すれば良い。
科学的手法を逸脱しなければ私はむしろ応援する立場ですよ。最初から言ってるようにさ。
-
ID論を正確に理解するためには、いくつかの基本的な事項の理解が前提になります。
先ず、IDを神と称してID論を宗教と極め付ける、この様な態度を取り続ける人たちには先ずID論を理解する資格はありません。
ID論が宗教であるなら、科学的な知見も不用、ロジックも顧みる必要はありあません。
逆にID論は科学的な知見に立脚しロジックによって証明されるものですから、全くその逆を行っている訳でそもそも話になりません。
更に、自然選択論に基づく総合説に代表される現代進化論が実際の進化のメカニズムを何一つい説明出来ていない事を十分に理解する必要があります。
現代進化論は基本を偶然性に置いています。
それはつまり現代進化論を認める事は進化が偶然の産物であると理解することです。
完全な偶然では如何なる進化も起らない、それを理解出来なければ矢張りID論を理解することは出来ません。
それが十分に理解できたなら、自ずと進化にはそれを必然たらしめる何らかの要因が存在する、と言う結論になります。
その進化を必然たらしめる要因の存在が承認出来たなら、それは何らかの設計の存在に帰着します。
つまりID論は極めて自然な思考の流れの中で示されるものなのです。
そして何らかの設計が介在するとした場合、それは宇宙生成のビッグバンにまで遡り、その初期設定まで行ったと考える必要があります。
それは時空、物質、あらゆる物理法則、物理定数を含みます。
それをIDは生物的な何者かだ、等と言ってるようでは全く話になりませんね。
ID論について何一つ理解できていない、と言う話です。
-
このあたりで、「反証主義」という線引き基準についてひとこと言っておきます。
帰納的推論のみによって普遍的な法則を導くのは無理だと言ったのがヒューム。どれだけ証拠を集めても絶対に正しいとはいえない、そりゃそうですね。
科学は、その時点で確認された事実を集めて論理を組み立てますが、それを真理だということはできない。どんどん、新しい事実や解釈が出てきますからね。
そこでポパーが立てたのが、「反証事例の検討に耐え抜くこと」という基準ですね。
波動説、粒子説、地動説にしても、科学理論としての正当性を示すためにはそれに耐えなければならない。とりあえずさんの言う根拠バトルですね。
ポパーは当初、進化論はフロイト理論と同様に反証不能だと捉えていましたが、後にリサーチプログラムという概念をふまえ、間接的でありつつ客観的な理解の方法であることを認めています。
さて、インテリジェントデザイナー論はどうでしょう。デザイナーがどのように、古代の品種改良を含めてどう自然を構築したのか、「反証が可能なかたち」で提出できるでしょうか。
-
あ、一つ言い忘れましたが、
ダーウィンに端を発する科学理論は、上記の検証に耐えているんです。
-
知性の劣る人、感性の鈍い人、権威に盲従したがる人、こういった人たちが事実を直視できない人達の類型です。
それらは基本的に資質の問題なので、その特徴は終生変わることがありません。
彼らは科学の進歩の阻害要因となります。
事実を直視するのは、実際の所それ程簡単ではないんですね。
-
自然神学と対比されるのが啓示神学です。
キリスト教は正に啓示神学です。
自然神学は突き詰めれば聖書を否定します。
当然それは既にキリスト教ではありません。
更に推し進めれば自然哲学、つまり科学と合流しさらにそのままID論に直結します。
それでも尚自然神学をキリスト教の範疇で捉えようとする人たちがいます。
そこに固執すると議論が錯綜して収拾がつかなくなります。
宗教的信念はひたすら議論を混乱させます。
-
宗教的信念は科学にとって有害無益です。
従って自然選択論も一種の宗教的信念と見做すことができます。
ダーウィンはデザインを自然選択と見誤りました。
そしてそれが彼の宗教的信念となります。
何ら事実による検証を経ない思い付きに囚われ続けます。
それは残念ながら自然神学にも該当しません。
勿論科学の対極です。
それに気付かない後のダーウィニストたちも同様に宗教的信念に囚われた人たちです。
彼らはそれを科学と思い込むわけですが、その無自覚は不気味ですらありますね。
-
信仰とID論をどうしても識別出来ないでいる人達がいます。
その理由は二つ。
一つは知能の低さですね。
つまりID論をどうしても理解することが出来ないでいる訳です。
これは資質の問題なので諦める外ありません。
もう一つ、それはID論をどうしても宗教であると信じたい、つまり宗教であると理解しないと非常に不都合がある人たちです。
かれらは勿論合理的な判断にの上でそう考えるのではなくて、ただそう信じないと何か都合が悪い事情を抱えている訳です。
彼らも科学の阻害要因です。
-
宗教的な態度と言うのは、合理性の拒絶です。
合理的な判断を重ねれば宗教の前提は崩れ去ります。
前提を無検証に信じ込まなければ宗教は成立しません。
それらが全て科学の対極にあることは言うまでもありません。
そういった態度をもたらす主な要因が無知であることは繰り返し述べてきました。
そしてもう一つ、理性の脆弱さです。
これもずっと述べていることです。
勿論知能のレベルとも関連します。
-
低知能者の一つの顕著な特徴として、いつまでも飽きることなく同じことを繰り返し言い続ける、と言うのがありますね。
つまり特定の事柄に囚われて全く周囲が見えない状況です。
自分の固執する限られた問題からかたときも逃れられないでいます。
物事を客観視することが出来合い、つまり判断力の欠落です。
そして、本人には全くその自覚がありません。
この薄弱は知性は本人の属性であり、変わることはありません。
-
ダーウィンが唱えた自然選択論は以下の2点においても完全に否定されます。
進化が漸進的であるどころか全ての化石証拠は進化が飛躍していることを示している。
進化の過程において進化が選択された結果である証拠が全く存在しない。
微細な変異が生じる。
その変異が環境によって選択される。
その微細な変異が積み重なり進化が起こる。
これがダーウィンモデルです。
この全ての過程の化石証拠が存在しません。
存在するのは階段状に跳躍しながら進化を重ねる化石証拠たちです。
-
ダーウィンは存在する化石群が不連続である事、また例えばカンブリア紀に突然一斉に出現する多様な化石群がそれ以前の地層には全く存在しないことを認めています。
これは地質学者としては当然の態度です。
しかしそれにも拘らず彼は変異は全て連続的であり、カンブリア紀以前にもそれ以降と同様に生物の進化の連続が存在していた筈と主張します。
ただ化石証拠がいくつかの理由により存在してないだけ、発見されていないだけというのが彼の言い訳です。
つまりそれは全て彼の空想です。
カンブリア紀に至るそれ以前の連続した変異は現在完全に否定されていますね。
彼はスノーボールアースを知りません。
全ての中間種を埋め尽くす微細な変異の連続も未だ発見されていません。
自然選択論はつまりこの様なダーウィンの想像に完全に依存しています。
そしてその証拠が存在しないものを科学と称したりします。
それに対する反論を非科学的と非難したりもします。
呆れ果てますね。
それが現代進化論の主流とされる立場です。
この愚かしさは一体何なんでしょうね。
-
問題が絞られてきましたね。
>それは偏に観測なり実験なり実質的証拠が無いからです。
これは、IDのことですね。でもID論は、
*品種改良によって種の進化が起こるという、再現性のある事象がある
*過去の地球で、種の進化が起こっている
この2点を証拠として、過去の地球で品種改良が行われたと、想定します。
あなたは、IDの証拠を「叩き潰した」とおっしゃいますが(>>255)、おやりになったのは、ID論が証拠に挙げる進化を自然選択で説明した、ということですよね。地動説と波動説が証拠とした事象を、天動説と粒子説が説明したように。
地動説が挙げる証拠は、天動説も説明した
波動説が挙げる証拠は、粒子説も説明した
ID論が挙げる証拠は、自然選択も説明した
同じ構造でしょう。IDが叩き潰されるのなら、地動説も波動説も叩き潰されます。
ただし、16世紀の地動説、18世紀の波動説と、今のIDには、重要な違いがあります。地動説と波動説には、物理的な矛盾があるが、IDにはそれがない、ということです。波動説の矛盾が、つまりエーテルです。
>だ か ら、波 動 説 は 非 主 流 に な っ て た ん で す。
私の投稿を読めば、そこに反論してないことは、分かるはずです。
ただし、非主流といっても一様ではなく、蓋然性の差があります。物理的な矛盾を含む理論と含まない理論を、同列には扱えません。いわんや、矛盾がある方に、高い蓋然性を認めることはできません。これこそ、私の論点ですよ。
>当時の光も普遍的に観察されてしまってます。
>と言うことはエーテルも解明されて無くても普遍的に観察されるなら認めても問題ないってことになりますねぇ。
いいえ。光の観測をエーテルの観測と見なせるのは、光波動説が前提です。光粒子説が正しければ、光の観測はエーテルの観測になりません。頭を整理して考えてください。
2重スリット実験のような、光の波動性の決定的な証拠が出たら、エーテルを想定するのもよいでしょう。でも、18世紀までは、波動説が証拠とする事象は、粒子説も説明したのです。それなら、物理的な無理があり、かつ観測例がないエーテルを想定する、どんな正当性がありますか。光粒子説が正しい、と結論すればよいだけでしょうが。
誤解しないでくださいね。だから光波動説など考えるべきでなかった、と言ってるのではありませんよ。光波動説の蓋然性は今のID論より高くない、と言ってるだけです。地動説も同様です。
>本当にエーテルが鋼のように硬いのか、硬いものでないと光が本当に伝わらないのか明確に実証されていません。
硬い物質ほど波が速く伝わる観測事象と、力学的になぜそうなるかの説明があります。これに反対する主張には、観測事象も力学的説明もありません。それともありますか?
>へぇ、それではバネを入れて空気中を伝わる音や水面の波を説明して下さい。
・・・こんな初歩の初歩の物理が分かりませんか?
空気も水も、押せば押し返す、引けば引き返す、弾性があります。膨らませた風船を指で押すと押し返しますよね。あれが空気のばねです。穴をふさいだ注射器に水を入れても同じ。そして、押したときの抵抗は水の方が大きいでしょう。あれが媒質としての硬さで、だから水中の方が音速が大きいのですよ。
波を伝える媒質は、質量(m)とばね(k)の連続的なつながりと見なされます。物理の教科書によく載ってる図は、こういうものです。
en.wikipedia.org/wiki/Wave_equation#From_Hooke's_law
では、あらためて、18世紀の知識体系の中で、ばねが入らない波動を示してください。必ずやってくださいよ。
>書いたでしょう?コペルニクスの見解を。
>>384では、
>コペルニクスは慣性の法則らしきことを語ってますよ。屁理屈に近い感じですが。
と言われただけで、内容の説明がありません。コペルニクスが唱えた慣性の法則を説明願います。
ガリレオ以前に、本当に慣性の法則が知られていたのなら、大いに関心があります。私が読んだどの科学史も、ガリレオ以前は、馬車には馬が必要なように、船には風が必要なように、物体が動き続けるには、力が働き続ける必要があると考えられた、と書かれています。馬が休めば馬車は止まり、風がやめば船は動きませんから。
だからこそ、ニュートンは力学の3法則の先頭に、慣性の法則を置きました。外力がなければ、物体は同じ運動を続けるというものです。実をいうと、この第1則は「力=質量×加速度」という第2則から導かれますが、わざわざ別に1項を設けて強調したのです。慣性の法則が、前世紀からの公知なら、無用のことでしょう。
>支持する人にとっては支持するに足る確信と根拠があったってだけです。
>IDも同様に支持する理由があるなら同様に好きに研究すれば良い。
地動説と波動説が、IDよりも蓋然性が高いという論旨になってません。
-
擬態はデザインのあからさまな例証です。
多様で驚くべき擬態の数々が設計以外の理由で存在すると考えることは極めて困難です。
また例によって自然選択論者たちはそれでも無理繰り理由をこじ付けてハイ説明出来ましたと胸を張って見せるかもしれませんが、勿論デタラメです。
精巧で完璧な擬態の数々がどの様な過程を経て自然選択によって形成し得たか、その想像力も完全に欠落している訳です。
-
現代の主流説とされる総合説とID論を比較してみましょう。
先ずID論から行きましょうか。
ID論は科学的な知見に基づく推論です。
その推論はあらゆる科学的知見からロジカルに導かれます。
そういう意味では科学的な仮説と言って差し支えないでしょう。
しかし他の科学的仮説と大きく異なる点は知性と言う科学的な定義がかなり困難なものをその前提に置く点です。
これは知性の解釈と言う人間の意識にも関わる複雑な問題を提供します。
しかし知性をどう定義しようと、因果律をもたらすアルゴリズムの存在は否定の仕様がありませんね。
その様なアルゴリズムは何故生み出されたのかという事です。
答えは背理法に依って明確に導かれます。
一方の総合説ですが、これはずっと述べてきた通り、あまりにお粗末です。
多くの人たちはそれを科学と信じているようですが、これも繰り返し説明した来た通り全く科学理論の体をなしていません。
先ず事実に依る実証が皆無です。
都合の良い変異が起こりさえすればそれが自然選択だとするトンデモナイ誤解と極め付けが横行しています。
それは選択と言う自然選択における最も重要なフェーズを無視していることになります。
そして膨大な選択されざる者たちを生産し続けなければならないそのシステムのロジック自体が自家撞着であると言えます。
その様な誤解が生じる大きなポイントは、選択という事象に対する無理解です。
この自然選択論の最も根幹の部分の事象がロジカルに理解出来ないでいる訳です。
その最も肝心な部分の検証を完全にパスして、それを科学理論と称している訳です。
自然選択論の科学分野における正しい位置づけは、ダーウィンとその追従者によって提唱され信じ込まれている科学的な実証が全く伴わない淘汰されるべき仮説です。
-
この世界は驚くべきメカニズムが相互に緊密に連携し合って一つの巨大なシステムを構成する。
それが幾重にも重なりさらに巨大な有機的なシステムを構成する。
それら全ての集合体がこの宇宙です。
この連携の意味を理解しないと宇宙は理解できません。
この宇宙を支配するアルゴリズムはその全てを網羅しています。
そこから孤立して存在する事象は何ひとつありません。
その連携を解明しつつあるのが現代科学です。
しかし解明できているのはまだ極ほんの一部に過ぎません。
それが理解できないと世界理解は進みませんね。
-
>ID論は
>*品種改良によって種の進化が起こるという、再現性のある事象がある
>*過去の地球で、種の進化が起こっている
>この2点を証拠として、過去の地球で品種改良が行われたと、想定します。
想定する? 事実に基づく具体論じゃないんですか?
「品種改良」というなら、それを行う主体が必要ですが、誰が、どのような目的で、どのように行ったんでしょう。
具体的に示しましょうね、抽象的表現ではなく(笑
、
-
ダーウィンは存在する化石群が不連続である事、また例えばカンブリア紀に突然一斉に出現する多様な化石群がそれ以前の地層には全く存在しないことを認めています。
これは地質学者としては当然の態度です。
しかしそれにも拘らず彼は変異は全て連続的であり、カンブリア紀以前にもそれ以降と同様に生物の進化の連続が存在していた筈と主張します。
ただ化石証拠がいくつかの理由により存在してないだけ、発見されていないだけというのが彼の言い訳です。
つまりそれは全て彼の空想です。
カンブリア紀に至るそれ以前の連続した変異は現在完全に否定されていますね。
彼はスノーボールアースを知りません。
全ての中間種を埋め尽くす微細な変異の連続も未だ発見されていません。
自然選択論はつまりこの様なダーウィンの想像に完全に依存しています。
そしてその証拠が存在しないものを科学と称したりします。
それに対する反論を非科学的と非難したりもします。
呆れ果てますね。
それが現代進化論の主流とされる立場です。
この愚かしさは一体何なんでしょうね。
-
繰り返し説明してきた通り、ID論は極めて簡明に証明されます。
それは自然観察に基づく合理的な結論です。
反証は不可能と言っていいでしょう。
そしてそれを否定する具体的な論拠は実体不明であるものを信じたくない、それ位しかありません。
それが論拠にならない理由も何度も説明してきましたね。
逆にあらゆる事象は設計者の存在を示唆します。
それを強いバイアスに依って素直に認めることを拒む人たちも多数存在します。
その様なバイアスは科学に反するものです。
それが理解出来ないのはつまり科学を理解していないという事です。
-
>物理的な矛盾を含む理論と含まない理論を、同列には扱いえません。いわんや、矛盾がある方に、高い蓋然性を認めることはできません。これこそ、私の論点ですよ。
自然選択説を含む進化理論のどこに、物理的矛盾があるでしょうか。
その論点は、インテリジェントデザイナー論擁護には接続しませんよ。
歴史を扱う科学という視点を、しっかり確かめる必要があると思います。
-
ダーウィンは存在する化石群が不連続である事、また例えばカンブリア紀に突然一斉に出現する多様な化石群がそれ以前の地層には全く存在しないことを認めています。
これは地質学者としては当然の態度です。
しかしそれにも拘らず彼は変異は全て連続的であり、カンブリア紀以前にもそれ以降と同様に生物の進化の連続が存在していた筈と主張します。
ただ化石証拠がいくつかの理由により存在してないだけ、発見されていないだけというのが彼の言い訳です。
つまりそれは全て彼の空想です。
カンブリア紀に至るそれ以前の連続した変異は現在完全に否定されていますね。
彼はスノーボールアースを知りません。
全ての中間種を埋め尽くす微細な変異の連続も未だ発見されていません。
自然選択論はつまりこの様なダーウィンの想像に完全に依存しています。
そしてその証拠が存在しないものを科学と称したりします。
それに対する反論を非科学的と非難したりもします。
呆れ果てますね。
それが現代進化論の主流とされる立場です。
この愚かしさは一体何なんでしょうね。
-
繰り返し説明してきた通り、ID論は極めて簡明に証明されます。
それは自然観察に基づく合理的な結論です。
反証は不可能と言っていいでしょう。
そしてそれを否定する具体的な論拠は実体不明であるものを信じたくない、それ位しかありません。
それが論拠にならない理由も何度も説明してきましたね。
逆にあらゆる事象は設計者の存在を示唆します。
それを強いバイアスに依って素直に認めることを拒む人たちも多数存在します。
その様なバイアスは科学に反するものです。
それが理解出来ないのはつまり科学を理解していないという事です。
-
ダーウィンは科学が実験、観測による仮説の検証であると言う事実に対して無知若しくは無関心です。
同時代のパスツール、メンデル、ファーブルらは何れもそれを実践しています。
そこがダーウィンとの決定的な違いです。
そんなダーウィンを科学者と呼ぶ理由は何処にもありまません。
パンゲン説は彼のいとこのフランシス・ゴルトンによる実験によって否定されたました。
その後はダーウィンは自らのパンゲン説についての言及はありません。
彼は自分の都合で事実を歪曲しますね。
あからさまに科学に反する態度です。
変異に関して全面的にラマルクを支持しているにも拘らず、自然選択を主張します。
それが同義重複にある事にも彼は気付きません。
-
何とか言い逃れの口実を探す。
これがダーウィンが種の起源で繰り返し行っていることです。
彼がその思い付きである自然選択論に何故そこまで固執したのかはよく分かりません。
それを危うくする証拠、否定しかねない現実に対して彼が取り続けた態度です。
事実によって反論することはしない、出来ないですね。
従って「こう考えれば説明できる」と言う言い訳に終始します。
事実による反論は皆無です。
この様に考えれば自説による説明は可能だ、つまり想像です。
それを現代の総合説はそのまま引き継ぎます。
従って進化論の多くの部分は想像になります。
そしてそれを科学と称したりするわけです。
訳の分からない無知な人達もソレを科学と信じ込みます。
これは映り込んだ解明できない映像を単なる光学現象や自然現象、フェイクと断じてそれ以外の可能性を何が何でも否定るやり方と何の変りもありません。
そもそも進化論は再現検証不能です。
レンスキーの大腸菌培養実験の様に細胞や分子レベルでの実験が可能なだけです。
レンスキーの大腸菌培養実験は色々と示唆に富んでいますね。
それを自然選択論の論拠にしようとする人たちもいますが、それは自然選択論の必要な工程の詳細を全く理解しない人達です。
実際自然選択論の必要な工程を殆どの人たちは理解せずに自然選択論を振りかざします。
それでよく科学を名乗りますね。
想像と科学の区別すら付けられない、つまりフィクションとノンフィクションの判別が出来ない訳です。
それが自然選択論を支える人たちです。
-
>>423
>>それは偏に観測なり実験なり実質的証拠が無いからです。
>これは、IDのことですね。でもID論は、
>*品種改良によって種の進化が起こるという、再現性のある事象がある
>*過去の地球で、種の進化が起こっている
それを大多数の方、私も含め根拠とは認めません。認めたにしても凄まじく根拠は薄いと思います。
だって単なる‘かも知れない論法”ですから。
>あなたは、IDの証拠を「叩き潰した」とおっしゃいますが(>>255)、おやりになったのは、ID論が証拠に挙げる進化を自然選択で説明した、ということですよね。
いいえ。ここで叩き潰したのは駆け上がり説に力学的無理があると言う貴方の反証に対してのことです。
>同じ構造でしょう。IDが叩き潰されるのなら、地動説も波動説も叩き潰されます。
ですから叩き潰された、と言っています。ずっと。
>物理的な矛盾を含む理論と含まない理論を、同列には扱えません。いわんや、矛盾がある方に、高い蓋然性を認めることはできません。これこそ、私の論点ですよ。
ですから当時は矛盾だと確たる証拠はありませんでした、と言っています。
「当時の知識で考えろ」と仰ったのはそちらですよ。
何か矛盾があった前提で話を進めようとしていますが、それ間違っていますよ。
18世紀にエ-テルが確実に絶対的矛盾だと当時の科学者の大多数のコンセンサスが得られていたと言うなら、まずそれを示して下さい。
得られていなかったから議論があったんですよ。
>いいえ。光の観測をエーテルの観測と見なせるのは、光波動説が前提です。光粒子説が正しければ、光の観測はエーテルの観測になりません。頭を整理して考えてください。
違います。波動性が観測されたのが問題なのです。
だから媒質であるエーテルを想定する必要があったってことです。
頭を整理して考えてください。
>硬い物質ほど波が速く伝わる観測事象と、力学的になぜそうなるかの説明があります。これに反対する主張には、観測事象も力学的説明もありません。それともありますか?
だったら更に硬い物質中は更に速く光が伝わるってだけでしょう。
>・・・こんな初歩の初歩の物理が分かりませんか?
>空気も水も、押せば押し返す、引けば引き返す、弾性があります。膨らませた風船を指で押すと押し返しますよね。あれが空気のばねです。
じゃあ、エーテルもエーテルのバネでいいじゃん。
なんでエーテルだけバネが入らない波動を示さにゃならんのです?
>>コペルニクスは慣性の法則らしきことを語ってますよ。屁理屈に近い感じですが。
>と言われただけで、内容の説明がありません。コペルニクスが唱えた慣性の法則を説明願います。
面倒なのでみんな大好きWikipediaからコピペします。
>「もし誰かが地球は動くと考えるならば、その運動は自然的なものであって、無理なものではないと言うだろう。自然にかなったものは無理にされるものとは異なった作用を生じる。力あるいは無理が働いている物体は必ず破壊され、長く続けることはできないが、自然の働きを受けるものは、ふさわしい仕方で受けるのであり、より位置に留まることができる。そこでプトレマイオスは人工から生するものとは非常に異なっている自然の働きで生ずる回転によって、地球や地上のものが破壊されることを心配する必要はなかった。」と反論した。
>地動説と波動説が、IDよりも蓋然性が高いという論旨になってません。
ですからそれに何の意味があるのです?
本質を見失ってませんか?
全く持って微塵もIDの方が蓋然性が高いと思いませんが、でしたら仮に認めるとしましょう。
はい、IDの方が波動説とかより蓋然性が高いね!やったね。
…で?
これでどうしたいんです?
蓋然性が当時の地動説より高かろうとIDの確からしさに何の影響もありませんけど?
ムー大陸の存在説より恐竜絶滅パンデミック説が蓋然性が高いとして、それで恐竜絶滅パンデミック説の根拠が増すとでも思ってるんですか?
科学と非科学の線引きが出来るのか?IDはどの立場になるのか?
それがここで本来追求したいモノじゃ無いんですか?
本質を見失ってませんか?
-
>>IDが叩き潰されるのなら、地動説も波動説も叩き潰されます。
>ですから叩き潰された、と言っています。ずっと。
IDと地動説と波動説に、蓋然性の優劣はないということですか?
>蓋然性が当時の地動説より高かろうとIDの確からしさに何の影響もありませんけど?
それはそうでしょう。でも私は、各理論の相対的な比較を問題にしております。本スレッドの初めにまとめて書き込んだ内容から分かると思いますが、私が本サイトでやってきたことは、すべて相対比較にほかなりません。目的は、科学理論を評価する基準が公正なものかの検証です。
>本質を見失ってませんか?
理論を評価する基準が、公正で普遍的な基準であるかこそが、スレッドの本質です。IDはその題材にすぎません。IDを評価するのではなく、IDを題材にして基準を評価するのです。
>だって単なる‘かも知れない論法”ですから。
それをいうなら、仮説はすべて「かも知れない」です。その中で、蓋然性を相対的に評価するだけです。
>18世紀にエ-テルが確実に絶対的矛盾だと当時の科学者の大多数のコンセンサスが得られていたと言うなら、まずそれを示して下さい。
コンセンサス? 私は>>408にて、こう述べました。
****************************************************
光を伝える媒質の特徴は、フックの法則(17世紀)、ニュートン力学(17世紀)、ダランベールの方程式(18世紀)、ブラドリーの光速度測定(18世紀)から導かれます。なによりも、硬い物質ほど力が速く伝わる、大昔からの観測事実があります。
****************************************************
すべて当時の公知です。この理由により、18世紀の知識体系の中では、光波動説は、非常に硬い物質が空間を充たすという結論になると言いました。あなたは、その結論の妥当性を、ご自身の「正規の科学的手段」から評価されたらよいのです。もしもそれが妥当な結論なら、同意しない人が「正規の科学的手段」に沿わなかっただけです。コンセンサスがあろうがなかろうが。
>違います。波動性が観測されたのが問題なのです。
>だから媒質であるエーテルを想定する必要があったってことです。
>頭を整理して考えてください。
分からない人ですね。18世紀の時点で観測されていたのは、粒子説でも説明可能な事象だった、と言ってるではありませんか。エーテルの矛盾を押してまで、波動とみなすものではなかった、ということですよ。2重スリット実験のように、粒子説では説明できない、本当の波動性が認められたら、エーテルを想定する必要が出ます。そうでないなら、矛盾がない粒子説を採用すればよいだけです。
>だったら更に硬い物質中は更に速く光が伝わるってだけでしょう。
>じゃあ、エーテルもエーテルのバネでいいじゃん。
そのとおり。そこを理解されるのを待っていました。
そして、そこが光波動説の根源的な矛盾なのです。光が伝わる空間は、私たち自身を含め、あらゆる物体が運動する空間です。私たちは、強力なばねに逆らって動いているという結論になってしまうのが、エーテルの矛盾です。観測事実と整合しないのですよ。
そして、光波動説がIDと比べて、蓋然性の優位がないばかりか、むしろはるかに劣る理由はそこにあります。地動説もまったく同様です。
>面倒なのでみんな大好きWikipediaからコピペします。
記事で述べられているのは、慣性の法則でもなんでもありませんが、それより重要なのは、
>自然にかなったものは無理にされるものとは異なった作用を生じる。
この仮説の根拠となる観測事象がどこにあるのか、です。プトレマイオスの主張が根拠というなら、プトレマイオスの主張が、どういう観測事象を根拠にしているかです。
根拠が無いのなら、コペルニクスがおかしなことを言っただけです。地動説の矛盾を解決することになりません。
-
すべてのコード(暗号)と言葉では、無意味なチンプンカンプンを作り出す文字配列を作
る方が、意味のある配列をつくり出す機会より、圧倒的に多い。そしてこれは DNA に当
てはまる。忘れないでほしい――自然選択は、ランダムな(突然)変異が生み出した配列
のみを “選択する” のである。しかし実験によって確立されたことは、安定したタンパク
質を作ることのできる DNA 配列は、極端にまれだということである。したがって、ラン
ダムにそれに出くわすことは、実に難しいということである。どれくらいまれなことか?
-
上記はID論者スティーヴン・マイヤーの講演で述べられたことです。
他にも色々と根拠を述べていますが、内容的にはこちらが主張している事とほぼ同じです。
***
進化論者たちは以前、「ID派科学者たちの成果が専門誌の査読論文として掲載されておらず、IDは科学ではない」などとID側を批判してきたが、ID派科学者リーダー、スティーヴン・マイヤー博士によると、ID派科学者による査読論文の数は50以上に達している。
***
彼の講演はヤンキースタジアムを満員にする動員力があります。
-
問題を混乱させている最大の問題の一つは宗教の介入です。
ID論を攻撃する人たちはソレが宗教であると言うのが一つの論拠です。
ドーバー裁判の判事もベーエの主張を宗教に根差していると極め付けていますね。
ベーエが公式に宗教的な発言をした記録は残っていません。
この判事の判断は根拠のない予断に基づいています。
一般的にID論を攻撃する人たちの論法に乗っかっているだけで、この判事自身が思考し判断した形跡はありません。
実際宗教者からもID論は主張され、米国プロテスタント聖書原理主義者からも強く主張されていますが、彼らの採る若い地球説はID論と本質的に折り合う訳もありません。
自然神学の説く神の存在はそのままIDに繋がりますが、勿論それは人格神、啓示神ではありません。
ID論自体は宗教とは切り離して論じられるべきで、それが混同されるとID論の本質を見誤ることになります。
ID論が科学的でないと主張する人たちは自然選択論の検証を全く棚に上げて非難しますね。
自然選択論が科学である根拠を彼らは決して語れません。
そう勝手に思い込んでいるだけで、実際は何ら科学的な手法に則っていませんからね。
これは何度も述べてきた通りです。
それにも拘らず、ID論は宗教若しくは非科学で自然選択論は科学であると主張します。
何らその根拠を示せないにも拘らずです。
背理法によるIDの存在証明が理解出来ない、ロジックが分からない、それは自らの知性の低さを示すだけなんですがね。
-
>鳥の進化にID(意図的な品種改良)の可能性を見るのは、この進化を自然選択で説明するのは力学的な無理がある、と考えるからです。
冒頭でそうおっしゃってましたが、
>理論を評価する基準が、公正で普遍的な基準であるかこそが、スレッドの本質です。IDはその題材にすぎません。IDを評価するのではなく、IDを題材にして基準を評価するのです。
「デザイナー論は題材にすぎない」に変わったわけですね。
それなら、判定基準について、科学という方法論そのものの理解、また科学哲学による濃密な検討についてきちんと踏まえたほうがいいですね。
>それをいうなら、仮説はすべて「かも知れない」です。その中で、蓋然性を相対的に評価するだけです。
光の波動説も粒子説も地動説も、客観的に確認されたことに基づく仮説ですが、「鳥の進化をもたらしたデザイナーによる品種改良」は、そうではありません。
その違いに気づき、波動説とデザイナー論との相対的な評価なんてあり得ないことを理解することが、大事なところじゃないでしょうか。
-
ID論を正確に理解するためには、いくつかの基本的な事項の理解が前提になります。
先ず、IDを神と称してID論を宗教と極め付ける、この様な態度を取り続ける人たちには先ずID論を理解する資格はありません。
ID論が宗教であるなら、科学的な知見も不用、ロジックも顧みる必要はありあません。
逆にID論は科学的な知見に立脚しロジックによって証明されるものですから、全くその逆を行っている訳でそもそも話になりません。
更に、自然選択論に基づく総合説に代表される現代進化論が実際の進化のメカニズムを何一つい説明出来ていない事を十分に理解する必要があります。
現代進化論は基本を偶然性に置いています。
それはつまり現代進化論を認める事は進化が偶然の産物であると理解することです。
完全な偶然では如何なる進化も起らない、それを理解出来なければ矢張りID論を理解することは出来ません。
それが十分に理解できたなら、自ずと進化にはそれを必然たらしめる何らかの要因が存在する、と言う結論になります。
その進化を必然たらしめる要因の存在が承認出来たなら、それは何らかの設計の存在に帰着します。
つまりID論は極めて自然な思考の流れの中で示されるものなのです。
そして何らかの設計が介在するとした場合、それは宇宙生成のビッグバンにまで遡り、その初期設定まで行ったと考える必要があります。
それは時空、物質、あらゆる物理法則、物理定数を含みます。
それをIDは生物的な何者かだ、等と言ってるようでは全く話になりませんね。
ID論について何一つ理解できていない、と言う話です。
-
インテリジェントデザイナーを客観的に示せなければ、「科学理論」ではありません。
-
科学理論と言うからには、検証可能である必要があります。
ところが自然選択論を検証したと称するのは、ダーウィンフィンチ、工業暗化、これ位しか知られた例はありません。
そしてこの二つ共に検証と言うにはあまりにお粗末、ただ単に環境に適応するような変化が観察されたと言うだけで自然選択と判断するために必要な要件の検証など全く行われていません。
つまり単に環境に適応する様な変異が観察されたと言うだけで、それが自然選択の結果だと称している訳です。
これは自然選択が成立する過程を全く無視したものです。
自然選択による進化が如何なる過程を経て成立するか、成立し得るか、その点の事例に即した具体的な考察が全く行われていない訳ですね。
これはダーウィンの時代から現在に至るまで全く変わっていません。
これも実に驚くべき事です。
何故それで科学理論だと言い張れるんでしょうね。
-
現代科学が明らかにしつつあるのは、驚くべき全ての事象の背後にあるシステムです。
膨大に潜むアルゴリズムのまだほんの一部ですがソレが急速に解明されつつあります。
生物に関しても、その生存を支える膨大なシステムがまだほんの一部に過ぎませんが急速に解明されつつあります。
その意味するところは、生物の生存維持の為に膨大なアルゴリズムが潜んでいるという事です。
言い方を変えれば、生命体はその生存を維持するだけでも膨大なシステム、それを支えるアルゴリズムが必要とされるという事です。
この点が理解できないと、生物理解も進化の理解も進みません。
生存を維持する自体が奇跡に近い難事業、それを成し遂げる巨大なシステムが存在して初めて生存が支えられる、それらが失われれば簡単に生物は死滅するという事です。
自然選択なんて子供じみた空想などとても通用する世界ではありません。
部品を適当に入れ替えて試していたりしていたら、生物は簡単に死滅します。
それはツマリ生物のメカニズムを全く理解していないという事です。
|
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板