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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
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まず、
>別にそこを話すのは良いですが、私は意味を全く感じません。
意味はあります。地動説と光波動説は、ID論の、相対的な蓋然性を評価するための、比較対象なのですから。
>それでID論の蓋然性が高くなるわけでも何でもありませんよ?
一方にID。他方に地動説と波動説。それで蓋然性の相対的な比較ができればよいのです。
>当時の人も粒子説でも一応説明できるけど波動説の方がシンプルだと思う部分があったから研究を続けた人たちがいました。
物理法則と整合するか矛盾するかは、あらゆる検証の1丁目1番地で、シンプルかどうかは、二次的な重要性しかもちません。物理法則と整合するために、複雑な解釈が必要なら、複雑な解釈をするのが、正当な科学的手段のはずです。忘れないでください。地動説論者と波動説論者は、研究を続けた人もそうでない人も、天動説や粒子説よりも正しいと主張していたのですよ。
>エーテルも光においてのみと言う基準があります。
いいえ。難解かもしれませんが、ここの物理は理解してもらわねばなりません。18世紀の波動理論では、エーテルといえども、質量と弾性をもつ「ばね」なのです。光が伝わるのは、音が伝わるのと同じ現象だというのです。もっと分かりやすくいえば、光と音は、感覚器官の捉え方が異なるだけで、物理事象としての本質は「ばね」の振動という、同じものになります。
ゆえに「ばね」の振動において成り立つことは、光でも音でも成り立つ必要があります。
「光においてのみ」という言い方が、すでに波動理論としておかしいのです。「光においてのみ」という言い方が通用するとすれば、それは光が、音や音以外の波とは別種の存在であるということで、当時の知識体系では、光粒子説しか選択肢がないことになります。
>だったらIDも自然選択でも説明できるので確たる証拠なし、となりますよ。
その点はそのとおりです。しかし、何度も言ってますが、品種改良には物理的な矛盾がありません。物理法則との整合は、他のあらゆることに優先します。このゆえに、地動説と光波動説は、過去の品種改良よりも蓋然性が低くなります。
>だから品種改良者は蓋然性で著しく劣るのです。
>「普遍的ルール」に対し「そのルールに従い存在した‘かも知れない”モノ」、ですからね。
木の幹を駆け上がることで、鳥に進化した恐竜も、存在したかもしれないものです。進化の仮説に登場する生物は、すべてそうです。
>駆け上がり説が積極的に否定されていないのは普通に当時の生物の体の構造上不可能では無いからです。
良い指摘です。体の構造は、私が問題にする物理法則との整合の話ですからね。物理法則との整合を考えれば、品種改良よりも、まっさきに否定されるべきは、16世紀の地動説と18世紀の光波動説であることに、同意されますか?
先の投稿でも言いましたが、地動説を無視しないでください。16世紀の知識体系では、地球が動くと、秒速460メートルというものすごい風が、東から西に吹き続けるはずなのですから。
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