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つぶやきすれっど2

2180れん:2006/08/01(火) 17:20:52
>2177
独学徒さん
>西山は諸師によって意見が異なりますね…保田は猊下と執事さんとで少々意見が違うようです…

とのことですが、私、不勉強にて近年の富士他山のことには全く疎いので、もう少し具体的にお示し下されれば幸甚に存じます。

2181独学徒:2006/08/01(火) 23:33:36

れんさん、今晩は。

西山については、富士門流の謗法観といいますか、所謂「雑乱勧請」といわれる別勧請を謗法ととらえる方と、そうでない方がいらっしゃると思います。
特に末寺にいたっては、身延系の日蓮宗とそう変わらない境内の寺院もあると聞いています。
具体的には申し上げ辛いのですが、本山塔中でも、七面山信仰を奨励されるところもございます。

保田では、昨年の御虫干でも、貫首猊下が同寺の御影を聖人在世に日法の作と説法されましたが、執事さんは霊宝解説の中で、聖人滅後日興上人の命によって作成と話されていたと記憶しています。
貫首猊下は伝統を尊重したお考えで、執事さんは、比較的現実的なお考えなのではないかと存じます。
但し、滅後日興上人の命によって作成との説も、公に判断されたものではないと思われます。

なかなか具体的にできず恐縮です。
事情御察し戴けますと幸です。

2182れん:2006/08/02(水) 13:56:07
独学徒さん
お示し戴ける範囲で、ご教示頂き、誠に有難うございます。
なるほど、保田でも西山でも、そのような事情があるのですね。
保田の場合はいわゆる大石寺御影の造立時期に関する異見ですか、かなり以前に話題になりましたが、日順雑集の記事によると、興師は蓮師滅後、弘安七年までに、蓮師の住坊を御影堂に改め、かつ、蓮師の御影像を造立したことが見えるので、保田の執事さんのご意見は、この雑集の記事にみえる御影を保田の御影像に比定されているということでしょうね。
西山の場合も、旧末寺が日蓮宗に所属しているので、通日蓮宗的な法義解釈の影響を少なからず受けている方もおられるでしょうから、これも、当然のことと存じます。
ともあれ、ご教示誠に有難うございました。学恩に感謝申し上げます。

2183彰往考来:2006/08/02(水) 17:03:38

>2181,2182 横レス失礼。

私はいわゆる大石寺御影の造立時期はもう少し時代が下がるものと考えています。鎌倉末期から南北朝のころでしょうか。
これにつきましては近々私見を公表したいと存じます。

彰往考来

2184れん:2006/08/03(木) 18:16:10
彰往考来さん
>2183
保田所蔵の所謂大石寺御影の造立の時期につき、ご見解を近々御披瀝戴けるとのこと、楽しみにお待ち申し上げます。
日順雑集に記される、興師が弘安七年前後に造立したという蓮師御影については、文面からは画像か木像かは分かりませんが、木像と仮定した場合、その候補は重須の生御影・保田の正御影・下条東光寺に秘蔵されて東光寺の御影・明治時代に焼失した小泉久遠寺の御影が挙げられますが、東光寺の御影は一般に非公開、小泉久遠寺のは焼失していて、比較検討出来ないのは残念です。
ともかくも、彰往さんの御賢察の御披瀝を楽しみにお待ち申し上げます。

2185れん:2006/08/04(金) 17:59:29
>2184
訂正
誤)秘蔵されて
正)秘蔵されている

2186驟雨:2006/08/08(火) 00:44:02
つぶやきすれっどということなので、ふと思ったことを書き込ませて頂きます。
御書には人間感情の両側面の主張を擁護する文面というものが存在しているように思います。
例えば日蓮正宗系で言うと、相対立した立場それぞれの言い分を擁護する御書が存在するような意味合いです。
相対立者同志がそれぞれ御書を元手に主張しても「切文」として吐いて捨ててしまわれ解決をつけられない事柄が多いのですが、大きく見れば、反論御書も、ただ一片だけでは日蓮聖人の聖意とも取れないと思うんです。
でも色々読んでいても、片方では悪を善とし、片方では善を悪とする、といった論述展開が私には見えて取れてしまったのですが、それでは一体日蓮聖人の本来の目的とは一体何なのか・・・判断に迷う事も多くあります。
特にの現在の日蓮正宗系同士のやりとりでは全く判断つかないのです。
多くの僧侶系の方々は「対告衆」という文言をよく使用されますが、主張の違う論者同士の場合、またこれが実に巧みに身勝手に使用されているようにも思えてならないのです。
私は日蓮聖人信奉者でありたいと思っていますが、お互いに情報提供しあって日蓮聖人の御聖意に近づこうとする許容力も、整合力も、協調性もないように感じてならないのです。

こんなご時世にこそ本当の力ある宗教が必要とされるのに・・・結局は日蓮聖人の生き方も、現代の多重の思考主張の世間では、一つの思想でしか成立し得ないのか、と残念に思う今日このごろです。

私は無智の部類の日蓮聖人尊者でしかないのですが、少しばかりもどかしく思いつぶやきすれっどならば、と思い書かせて頂きました。

2187大縫 薫:2006/08/12(土) 20:26:59
興門の長老から伺った話では、御本尊の首題と花押(日蓮在御判)は我々衆生
に向かっているが、実は首題に対して花押(日蓮在御判)はこちらに背を向けている
からこそ、末法有縁の大導師としてのお立場が備わると聞いた事があります。
御影様は逆にこちらを向いているのは、宗祖自ら客をもてなす意があるからだと
言っていたのが、この頃気になるのですが・・・

2188問答迷人:2006/08/12(土) 20:55:03

>実は首題に対して花押(日蓮在御判)はこちらに背を向けている

興門長老のお話のご紹介、大変有難うございます。

僕は、曼荼羅の首題と花押は、それぞれ「上行所伝の妙法蓮華経の五字」と「口唱日蓮」を表していると考えています。

これが正しければ、当然、花押(日蓮在御判)は、「首題に向っている」、つまりは、「こちらに背を向けている」と考えています。

御影様は「口唱日蓮」ではなく、「説法日蓮」を表していますから、客である信徒の方を向かれているのであると考えています。

2189今川元真:2006/08/12(土) 22:58:59
なるへそ!

2190大縫 薫:2006/08/13(日) 00:21:04
問答様
お世話になります。興門長老の言では御義口伝の末文の、法とは上行所伝の題目なり
この要文に興門の真意が要約されているとの事です。
古来より御影様は客殿式の如く安置されるのが伝統であり、西山・北山・蓮山・豆山・石山
が現在も木像・画像の違いはあるにせよ客としての信徒を御持て成しをされている姿は説法
日蓮大聖人・撰時抄を講話され第五の五百歳を指を指し示す日興上人のお姿だと・・・
我々の口を仮にお使いになり、宗祖は上行所伝の妙法蓮華経の五字に向い口唱されているから
こそ末法有縁の大導師にあたるそうです。
その長老も今は鬼籍に入られ、興門の古式伝統を重んじる方は数少ないと思います。

2191大縫 薫:2006/08/13(日) 00:57:26
もうひとつ言うのを忘れていましたが、石山(現日蓮正宗)は興門古来の化儀や
古式・伝統を簡素化にし、日蓮本佛でありますから、宗祖もこちら(衆生)側を
向いていているので、常に説法日蓮であって、客を御持て成しする姿ではなく
本佛として完成された容でありますから、佛と衆生とそこに差別が生じ、一器の
器から器に注がれた法灯連綿が説法日蓮の名代たる法主に受け継がれ、さらに法主
の名代たる寺院住職とそこに所属する信徒としての師弟関係に結び付きます。
化儀抄に出家と在家信徒には大いなる差別があると指南されています。
上行所伝の妙法蓮華経の五字に宗祖御自ら導師になられ、我が口を仮に使い口唱さ
れる宗祖こそが興門の求める宗祖の姿ではないでしょうか。

2192今川元真:2006/08/13(日) 05:44:03
シンプルに考えるなら、多宝如来の建てた宝塔にシャカを招いて法を説いてもらい、其の意義が、鎌倉時代の末法無戒の頃まで続いた事を示している漫荼羅に見えます。

2193問答迷人:2006/08/13(日) 07:33:42

宗祖「仏既に宝塔に入つて二仏座を並べ分身来集し地涌を召し出し肝要を取つて末代に当てて五字を授与せんこと当世異義有る可からず。」と法華取要抄に述べられています。

釈尊が法華経で説いた「法」とは、「妙法蓮華経の五字」であり、それが神力品に於いて、上行菩薩を上首とする地湧千界に授与された、との道筋をお示しで有ると思います。

曼荼羅にお認めになられた首題は、この上行所伝の妙法蓮華経の五字であり、日蓮花押は、宗祖が、この上行所伝妙法蓮華経の五字を口唱される姿を表すのだと思います。

2194問答迷人:2006/08/13(日) 10:35:25

「妙法蓮華経の五字」と「南無妙法蓮華経」の関係について

「妙法蓮華経の五字」は上行所伝の、神力品の結要付属の正体。この、「妙法蓮華経の五字」に南無し奉るという意図をもって、南無妙法蓮華経と口唱する数秒間の、行者の刹那の心、ひと思いの心(一念)。この一念を南無妙法蓮華経と言い、この南無妙法蓮華経の一念に十界三千が具わる、というのが、宗祖の教えられた事行の一念三千なのだと考えています。

2195今川元真:2006/08/13(日) 10:36:52
法の形を人物で無くて蓮に例えたと見て良いのか云々。植物に例える事で諸法無我・諸行無常・涅槃寂静を示したと言うべきか云々。

2196犀角独歩:2006/08/13(日) 19:32:16

水を差すようで恐縮ですが、花押は、日蓮ご本人が確かにこれ(漫荼羅)を図したこと示す証なのであって、それが唱題する姿であるとか、こちらを向いている・背を向けているなどという意図で記したものではないという見解も付加されて然るべきであろうと存じます。

なお、現石山の言い分は中世以降に定着したものであり、日興已来のものでないことは既に議論を畢えています。また、御儀口伝が、その名称を『就注法華経御義口伝』(注法華経に就いての御義口伝)と言いながら、実際は、注法華経と脈絡がないこと(山中研究)、さらに、その口伝を弘安元年としながら「六老僧」という語彙が見られること(この記述は、石山、学会版では削除されている)、しかし、本弟子六人の選定は弘安五年であるので時系列が一致しないのみならず、当初の選定段階で「六老僧」という呼称もなかったことなどからして、この文書を以て、日蓮日興已来の血脈を論じることは、議論としては破綻している点もまた既に論じてきたことでした。

以上のような、過去の議論の積み重ねを覆すのであれば、それなりの挙証があって然るべきです。原石山の老僧が何を言ったところで、日蓮日興の教学と伝承の証明とはならない点を、指摘しなければなりません。

ただし、以上の点は、紳士的な道義から申し上げることで、問答さんのご賢察、また、大縫さんの石山歴代曼荼羅研究を穢す意図はないことは申し添えるものです。

2197れん:2006/08/13(日) 20:45:43
問答さん・大縫さん。
貴重なお話謹んで拝聴いたしました。大縫さんのおっしゃる興門長老とは、文脈から、恐らく石山以外の日興門流の老僧の方のお話と拝察致します。興門長老の方のご意見から、ふと、日順雑集の「戒定慧と下る事は仏法修行の儀式なり、定戒慧と下るは説法の儀式なり」を思い出し、前者を漫荼羅の日蓮御判に、後者を御影にあてて考えてみましたが、やはり、原初的には独歩さんが仰る以上の意味は無かったものと思います。
先日の松山師の法華経講義の休憩の時に、松山師が澁澤師に蓮師の上行自覚の有無について質問されておられました。私は個人的には、蓮師の上行自覚があったかもしれないことを示す蓮師真筆は万年救護本尊しかなく、蓮師としてはむしろ「不軽の跡を紹継する」(聖人知三世事)御自覚の方が佐渡期身延期を通じて強かったものと思っております。

2198問答迷人:2006/08/13(日) 21:47:50

犀角独歩さん

御叱責、尤もであると存じます。

れんさん

ご指摘尤もだと存じます。

ここはつぶやきスレッドなので、簡単に思うところを述べさせていただきます。

一、曼荼羅に認められている「妙法蓮華経」という文字は、法華経の経題であり、神力品に於いて上行菩薩が代表として釈尊から付属された要法であるとして蓮祖が教えられる所の「妙法蓮華経の五字」だと言う事。

二、この、上行所伝の「妙法蓮華経の五字」に南無する、という意義を以って、蓮祖が「南無妙法蓮華経」と口に唱える修行方法を自らも唱え、他にも唱える事を広められた事。

この二つは動かないと思っています。この二点を前提に考えるとき、大縫さんが教えてくださった興門の古老のお話は、誠に合点が行くと僕は思ったわけです。これは、過去、既に議論されてきた事を蒸し返しているのでは無く、曼荼羅を蓮祖がどのような目的で表したのか、それを探る意味合いなのです。

又、蓮祖に上行菩薩の自覚が有ったか無かったか、大変難しい問題ですが、事実としては、釈尊が上行菩薩に付属した「妙法蓮華経の五字」を蓮祖が口唱し、他をも口唱させ、又、曼荼羅に認めて信徒に授与したのは紛れも無い事実だと思います。もし、蓮祖に上行菩薩の自覚が全く無かったとしたら、なぜそのような越権ともむ取れる行為に及んだのか、説明が付かないのではないかと思います。大いに疑問が残るわけです。

僕としては、結論を急ぐ気持ちは全く有りません。ただ、蓮祖が如何なる目的で曼荼羅を表したのか、何としても知りたいものだと思うばかりです。まぁ、そういう意味で、日頃考えてきた愚案を少しばかりつぶやかせて戴きました。ご賢察賜れば幸いです。

2199問答迷人:2006/08/13(日) 21:51:17

訂正です

× 越権ともむ取れる行為
○ 越権とも取れる行為

2200大縫 薫:2006/08/13(日) 22:16:47
現日蓮本宗の宗務総長は興門全体の歴史・教学・伝統などすべてに精通していて
興門の論客としてもかなり有名な方だと聞いていますので、現在と往古の違いを
お伺いして見たいと思います。

2201犀角独歩:2006/08/14(月) 08:47:41

問答名人さん

「叱責」など、恐れ多いところです。
曾て、「塔中妙法蓮華経」につき、わたしが、この一節は、法華経典を指すのではないかという見解を示したとき、五字である点をご教示くださった点を、いまも有り難く存じております。その後、考えを改め、本尊抄の文意は、五字である点に、考えを改めさせていただいたものでした。

> 既に議論されてきた事を蒸し返しているのでは無く、曼荼羅を蓮祖がどのような目的で表したのか、それを探る意味合い

なるほど。御意、理解いたしました。

今回の漫荼羅図示の祖意、また、上行自覚については、わたしも興味を懐く点です。真蹟遺文から拝する限り、れんさんもご投稿と、わたしも同様の見解を懐いてまいりました。しかし、仰るとおり、祖師ほどの方がその自覚が無く、しかも、「越権」、僭称とも非難されかねない行為をするとは考えづらいとのご賢察、しかしながら、れんさんのご賢察と相反し、しかし、両意共に、確かに傾聴に値します。

仰せのとおり、早々に答えが出す用はないこと、わたしもお邪魔させていただきながら、愚慮愚見をさらに重ねてまいる所存でございます。また、こちらは、つぶやきですので、適宜なスレッドに宛て、議論もさせていただければと存じます。

2202今川元真:2006/08/17(木) 12:25:45
■名誉会長史の決定版?が出るらしいですね。 ■私の視点論点問題点で出すなら【学会広宣流布・原理主義と過激主義の狭間】《富士興門流変遷、魔障罠法主本仏論》身延・天台密教(四箇格言)法華一乗、富士・漫荼羅正意論[題目・本尊・戒壇]≒シャクソン≒皆成仏道(三証四悉檀)戒壇堂、獄中悟達は華厳式?、空識縁起で偉と卑は無い、皆成仏道で本仏もしんにょう亦仏も無い、肉食妻帯で出家も在家も無い等で書きたいです。

2203れん:2006/08/18(金) 18:22:48
問答さん
>2198
蓮祖の佐渡期の著述である顕仏未来記に「彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意之同じ」とあり、威音王仏の像法の末の不軽菩薩の「我深敬…」の二十四字と題目五字の口唱の意味・意義が同一であることが示されております。身延初期の法花取要抄には、不軽菩薩の二十四字と同意義とされた題目五字が「所謂上行菩薩所伝」と明記されるにいたりました。ですから、上記遺文の記述から、蓮師の不軽菩薩の自覚と上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字の口唱は一応の関連性が有るのではないかと愚考はしております。とはいえ、蓮祖はこの辺のところを体系的に著述したものを残されてないので、真相を現時点で決しきれないのが現状です。
その上、蓮祖は題目を中心とした漫荼羅の図顕をも行っておりますから、結構その関連性は複雑そうだなぁと感じております。
その意味で
>曼荼羅を蓮祖がどのような目的で表したのか、それを探る…
という、問答さんの問題意識に同感いたしております。この点につきましては、問答さんが仰る通り、結論を急がず、問答様をはじめ先学の皆様のご教示を拝聴しつつ、さらに考えていこうと存じております。

2204犀角独歩:2006/08/18(金) 23:03:19

れんさん、書き込みを拝読して改めて思ったこと。

不軽菩薩:二十四文字=日蓮:題目五字

が、まったく同じであると日蓮が考えていたとしたら、二十四文字の法華経と題目の五字が、意が同じであるばかりではなく、不軽が菩薩であれば、日蓮もまた菩薩の意であるという点もまったく同じだと言うことなのでしょうね。

日蓮が自身菩薩の自覚があったとしても、しかし、不軽=上行とはならないことは、法華経典で記述される不軽と上行の相違から言えるのだろうとも思えました。

2205れん:2006/08/19(土) 19:12:35
犀角独歩さん
2204
>不軽が菩薩であれば、日蓮も又菩薩の意であるという点もまったく同じ…日蓮が自身菩薩の自覚があったとしても、しかし、不軽=上行とはならない…法華経典で記述される不軽と上行の相違から言える…
私も、真蹟遺文から、基本的にそのように思います。蓮師自身は真言諸宗違目に「法花経の外の諸経の大菩薩は、法花の名字即の凡夫より下れり」と書き、自らも顕仏未来記に「日蓮は名字の凡夫なり」と自身を定位しました。この蓮師の名字即の凡夫の意識と、蓮師の「日蓮即ち不軽菩薩為るべし」(寺泊御書)「日蓮は是れ法花経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に」(聖人知三世事)と表明される“不軽菩薩の自覚”がどのようにつながるのか、この点についても、残念ながら蓮師は体系化した著述を残されていないので、今一つはっきりしません。この点につきましても、犀角独歩さんをはじめ、諸賢の皆様のご意見を拝聴させて戴ければ幸甚です。

2206エン:2006/08/22(火) 22:52:41
ここでよろしいでしょうか。
私は日蓮正宗系信心を続けて、結局組織的な理由から続行不可能になり現在無所属です。
実はかつて母親の臨終の際に日蓮聖人(どうお呼びすればいいのかわからず、こうお呼びさせて頂きます)の仰られたお題目を唱えた際、
母親が一瞬蘇生した事があり、それ以来お題目には力がある、と思ってきました。
現在は組織的な活動などはしたくないので、別段取り込んではいないのですが、他にもお題目で到底人知では乗り越えられない、或いは及ばない事が実現できてしまった、と思う経験があるんです。
宗派とかそうゆうのは抜いて考えた上で、お題目には力がないのでしょうか? 自分のただの気持ち次第の結果なのだろうか? と考える事もあります。
例えば 日本では念仏とか般若心経とかもありますが、そういったものはその人の「心の拠り所」というものだけなのでしょうか。
その点、どなたか御教示お願いしたく書き込みました。

例えばこんな例を私は目の前で見た事があります。(嘘偽りはありません)
ある日、私の会社にα波を調査しにきた方が来ました。
その人は会社のただの社員、中枢幹部、役員といった方達を全て対象にして、それぞれの責任能力や仕事に対する情熱を調査に来た、という名目でした。
そのうち、会社の2割がα波をよく出す人で、営業の人や或いは企画といった部署に務めている人に多く出る傾向にある、という結果が出たんです。
ところが、翌日その調査員から私だけが呼ばれ、「君は調査の際に一体何を考えていましたか?」と突然聞かれたのです。
調査員の質問はだいたい次のようなものでした。
・あなたの理想を思い浮かべて下さい。
・あなたが憎んでいる人を思い浮かべて下さい。
・あなたが「こうなったら幸せだ」という夢を描いて下さい
・あなたが「こんな事態になるのは絶対に嫌だ」というのを考えてみて下さい

などです。

2207エン:2006/08/22(火) 23:00:43
その時、私は正直に言って何も考えられず、最初に説明されていた、α波というものは人を成長させたり、能力を引き伸ばす力がある、という知識だけしかなく、どんなことを考えればいいのかも思い浮かばず、
ただお題目を繰り返し、頭の中で唱えていたのです。
すると、その調査員が聞いてきたのは「あなたは一体何を私の質問に対して考えていたのですか?」というものでした。
私は何に対してもお題目だけを頭に思い浮かべていたので、「ちょっと別のことを・・・」と濁していると、
「その内容を教えて下さい。あなたのα波は異常な高値を示していました」といわれたのです。
私が考えていた事すら知らない人が、私の脳みその中身を知るはずもなく、だからといって他の人も同じような結果が必ず出るとは思っていません。
ですが、私には衝撃でした。
母のことといい、調査の人の戸惑いといい、少なくともお題目には何かあるのではないか、と思ってしまい、それは今でも続いています。

指しよろしくお願いしますにお断りしたとおり、団体には興味がないのですが、お題目の凄さだけはこういった経験から否定する気にもなれません。
だから「ただの心の拠り所」だけではないような気がして、何か判断材料になるような論拠をお持ちの方がいらっしゃればご意見をお伺いしたく書き込みしました。
突然、ご迷惑をおかけいたしました。

2208問答迷人:2006/08/23(水) 20:41:34

エンさん 今日は

>少なくともお題目には何かあるのではないか

僕も、そう思うからこそ、創価学会を辞め、法華講も辞め、しかも、今なお、一日一時間の唱題に取り組んでいます。

過去の信仰体験が、唱題を続けさせているのだと思います。僕の個人的体験に付いては、過去、当掲示板に幾度か書き込みましたので、繰り返しませんが、不思議な力が有るに違いない、という想いには、抜き差しならぬものが有ります。

お答えにはなりませんが、ご参考までに申し述べました。

2209パンナコッタ:2006/08/23(水) 23:27:47
α波の調査という物が具体的にどういった物なのかは、わかりませんけど一般的に勘違いしやすい事を
参考までに。

『アルファ波というのは特殊な脳波ではなく、目を閉じて安静にしているだけで、誰でも発生するものなのである。
 そもそも脳波というのは、脳の活動の「結果」として発生するものである。
つまり、「リラックスするとアルファ波が出る」のに、多くの人は「アルファ波が発生したらリラックスする」
というように、原因と結果を混同してしまっているのだ(風邪をひいた結果としてくしゃみが出ることがあるが、
「くしゃみをすれば風邪をひく」という理屈には決してならない)』
  トンデモ本の逆襲 山本弘・タキオン&オカルト通販生活カタログより引用

エンさんにとって題目を唱える事は、効果的に安息を得られる物とお見受けします。

2210kuusan:2006/08/24(木) 01:39:07
はじめての書き込みにて失礼いたします 
1975年頃に学会を機縁として、信心を始めた者です
皆様の博識ある書き込み感心し興味深くこの掲示板を拝見しております
私も「唱題」はいまだ実感として元気が出ますし
不思議感覚の体験は健在です

唱題は発声とリズム、日常生活では無い深い呼吸法
合掌の姿勢の安定ある集中
自己催眠.気功.アルファ波f/1ゆらぎ等も取り入れたかのような
とても理に適った行法に思えます
更に鈴の音、香 も心地よくさせる物で
心理上に良い効果を用いてますね
唱題はモンゴルのホーミのような超音波も含まれていますね
共鳴する何かを呼び覚ます効果もあるのではと思ってます

ちなみに超音波や脳波測定器も所有してます

2211犀角独歩:2006/08/24(木) 17:32:36

記上の話題は、以下の研究を視野に入れたほうがよいでしょうね。

影山教俊師『修行による変性意識状態の誘導の比較について』坐禅と読経時の脳波と心拍数の比較から

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/01/01_037.htm

2212年金160万無職者:2006/08/25(金) 17:54:47
 横からゴメン下さいませ。 さて、昨年末NHK特集で「独居老人の孤独死と常盤台団地」、が放映されました。
 人知れず「孤独死」を余儀なくされましたかたがたを、何とかしようとNPO(自主的町内会)の方が巡回・個別相談を開始していました、、。
 
 このような「現代版のウバステ山=弱者イジメ」、、が現在・進行形で現存とは、、!!
 自殺者が三万人/年が数年も継続した今になって「、、失敗しても再チャレンジの時代、?」、を掲げる方もございますが、、何を、、今更、、トホホ、、、。
 どーも、、現今は、、何かが、、???、、が、、欠落して、、勝ち組だけが、、謳歌する時代なのでしょうか、??  この辺で、、「弱者からの、、逆襲、、??」、、にご期待は可能、、でしょうか、、??

2213真実知求者:2006/08/28(月) 19:19:31
 横レスゴメン、、。 昨今は諸般に渡り、ナカナカ厳しい世の中と、存じます。
 直近の報道記事には「、、老人夫婦が認知症状の連れ合いを殺し、本人も自殺、、」、、「、児童へのイジメ・虐待問題、老人への介護限界からの老人虐待、、」、、などなど、には言葉も御座いません。
最近の近隣でも、異臭とウジ虫が見える、という新聞配達の方の通報で警官が入室したところ「独居老人の孤独死」が判明。 すぐさま役所福祉員がきて、何食わぬ顔で白い袋に死体を放り込みました。
 人生さいごの最大的な儀式の葬式も無く、、あとは、斎場〜無縁墓地へのお決まりの「現代版姥捨て山」、、が現存中、、です。 勝ち組だけがイバッテいる今は、いかがなものでしょうか、? トホホ、、。

2214今川元真:2006/08/29(火) 10:36:51
勝ち組も負け組も浅深高低ありますから、気落ちする考え方は止めましょう。21世紀の日本が地盤沈下しない為には、技術立国・観光立国・人材立国に改善できるかにかかっていると考えます。でも借金大国ですから、自由主義の名の下にピラミッド型差別社会に移行するのは免れ無いかもしれません。

2215犀角独歩:2006/08/29(火) 12:04:46

れんさん、有り難うございます。
御筆の複製、たしかに、やむを得ないというところですね。
しかし、複製が複製であることをしっかり明示する矜持が望まれますね。

それにしても、通りすがりさんがいう石山初信者向けは日興漫荼羅というのは、日顕さんの説法、ひいては石山本尊「奉書写之」がまるで嘘であることを物語っていますね。
もちろん、仰るように日興上人は日蓮聖人の漫荼羅を書写したわけですから、書写の書写と言えますが、これはしかし、書写とは違います。書写が第二転であれば、書写の書写は第三転ですから。さらに日興書写本尊を書写したと言いながら、実際のところ、種々相貌の相違があるわけですから、そのたびごとに違う原本を書写しているのか??という新たな突っ込みも可能となります。

わたしは曼荼羅書写は、その用途によって、各内容が変化して然りであると思っていますから、石山の言うような通り一遍の屁理屈は、そもそも美を尽くさないと思うわけです。


一真法界さん、はじめまして。

> どのような、ご本尊を拝んでおられるのでしょうか

わたしは、そもそも漫荼羅が本尊であるという点に、疑義を立ててきました。
本尊抄に拠れば、本尊は久遠五百塵点成道の本師釈迦牟尼仏であり、本尊問答抄に拠れば、法華経の題目ということになるでしょう。しかし、そののちの解釈(門派教学)でいわれるように釈迦=題目=漫荼羅という図式は、祖師に遡源できないとわたしは考えています。


彰往考来さん、有り難うございました。

大量印刷用に使用する紙でしょうから、和紙風であっても、和紙ではないでしょうね。本物の和紙であれば、布地の模様のカラープリントなど出来るはずはありませんか。
かつて、創価学会は、身延の売店で漫荼羅が売られていることを非難しましたが、その創価学会が(分離独立したわけですから石山は)他宗の漫荼羅を勝手にコピー、大量印刷し、さらに携帯本尊という、本来、御守とされてきた相貌とは違う仏壇安置用本尊の縮小版をプラスチックのケースに入れて販売したりする様は、まさに本尊雑乱の有様ですね。
おまけにいま販売の印刷本尊は、石山貸下とはサイズを変えて、仏壇を買い換えを余儀なくされる販売効果もねらっているそうですが、この点は、どうでしょうか。

わたしからすれば、身延の売店の本尊のほうが、よほど、ましに見えます。
ただし、漫荼羅は、やはり、墨書きの原本を、僧侶に書いてもらったものは、印刷とは比較になりませんね。

2216彰往考来:2006/08/29(火) 12:40:02

>2214 21世紀の日本が地盤沈下しない為には、技術立国・観光立国・人材立国に改善できるか

まあ、ここはつぶやきですから、反論権はないので、つぶやきです。ブツブツ。

『技術立国に改善できるか』ということは、現在は技術立国ではないという意味になる。
ン? 日本は世界でも有数な技術大国なんだけどな。ブツブツ。
文部科学省のアホな政策のため、学生のレベルが地に落ちているということダヨ、と言う意味ならわかる。でもそれなら『技術立国に改善できるか』ではなく『教育立国に改善できるか』ということダロウ。

2218彰往考来:2006/08/29(火) 12:48:42

>2215 布地の模様のカラープリント

犀角独歩さん
学会版寛師の特別御形木御本尊は布地の模様のカラープリントではなく白地です。
よって、和紙なのか和紙風なのかは眼でみただけではわかりませんね。
実は学会版寛師の御形木御本尊をしげしげとみたことがないのですよ、興味がなくて。
御形木御本尊が布地の模様のカラープリントとすれば、和紙ではありませんね。表装していないわけです。
それに対して寛師の特別御形木御本尊は表装してあります。

2219犀角独歩:2006/08/29(火) 14:20:57

彰往考来さん

先に、投稿するところを間違えたのですが、行きがかり上、ここで続けます。

わたしが記したのは、学会の印刷本尊は、もちろん‘白地’の紙に日寛の文字と本来、織布で表装してあるところに、布模様がカラーでプリントされているのではないかということです。

要は、いちばん高価な携帯小型版がプラスチックケース入りで、次が布模様ごと印刷の1枚プリント、特別版は、それでも表装してあり、文字の部分だけが和紙か・和紙風の、白地用紙に印刷し、表装はしてある大型ということですね。

なお、わたしも、もとよりこんなものを本尊として興味を懐いているわけではありません。むしろ、こんなものを、よくぞまあ、本尊として、拝むものだと呆れているといったほうが合っています。

もし、鎌倉時代にいまのような印刷技術があり、日蓮、日興が大量に印刷したものを本尊と称して頒布したら、いまの時代まで、その高名が残ることはなかったでしょうね。学会本尊は、わたしの正直な感想を述べれば、そんな愚考と映じます。まあ、つぶやきということにしておきます。

2220彰往考来:2006/08/29(火) 17:25:37

犀角独歩さん

>2219 要は、いちばん高価な携帯小型版がプラスチックケース入りで、次が布模様ごと印刷の1枚プリント、特別版は、それでも表装してあり、文字の部分だけが和紙か・和紙風の、白地用紙に印刷し、表装はしてある大型ということですね。

そいうことですが、携帯御本尊がプラスチックケース入りだったか記憶にありません。うろ覚えなので確認が必要ですが本体がプラスチック製で開く形になっていると思いました。だからケースなしで持っていた気がするんですよ。ケースは別売りでしょうか。携帯御本尊が手元にないので(親の家にあります)ついでの時に確認しておきます。

2221独学徒:2006/08/29(火) 22:17:34

犀角独歩さん、
彰往考来さん、

実は私、プラスチック製の携帯ミニ日寛曼荼羅を持っています。
次回、オフ会等があった場合、持参したいと思います。
確かに5,000円を払った記憶があります。

伝特別御形木の絹本日寛曼荼羅もあります。
こちらは10,000円で、プラスチック製携帯ミニ日寛曼荼羅の倍の値段です。
こちらは家族が信仰の対象としていますので、持ち出すことは厳しいと思いますが、今度家族が寝静まったころにじっくりと観察してみます。

伝特別御形木絹本日寛曼荼羅は、遠目で見る限りでは比較的きれいにできていると思います。

私の実家は、メイドイン法道院と噂される初代伝御形木日寛曼荼羅で、叔母の家は今でも顕師曼荼羅です。
これらは紙本表装で、掛軸業界では所謂「仮巻き」といわれる状態です。
仮本尊だからでしょうか?

私が個人的に、某興門寺院より授与いただいた書写曼荼羅は、未表装状態の曼荼羅部分のみでした。
表装は自分で表具店に持ち込み行ってもらいました。

石山の信徒さんには、仮本尊(紙本表装)から変わるのは「常住御本尊」で、この「常住御本尊」には二種類あって、時の法主上人猊下の直筆曼荼羅、もしくは時の法主上人猊下の板曼荼羅(板に墨書したものではなく彫刻されたもの)であると聞きました。
これはあくまでも聞いた話ですので、信憑性はいかがなものかと思います。

たしかに聖僧無き現代ではありますが、書写曼荼羅も良いものだと個人的には感じます。但し基本的には巻いた状態で桐の箱にしまったままです。
仏壇などに安置して、毎日拝むという感じではないです。
基本的には私は不信心で、勤行等はここ数年していませんので、このような感覚なのかもしれません。

不信心な私が言うのもなんですが、本尊は無くても良いような気がするのですがどうなんでしょう。
私は家に帰ってきてから仏壇に向かうことはここ数年なくなってしまいましたが、日々の生活の中で「かわいそうだな」と思うことや、大変なことに直面した時、自分では何もしてあげられない時などは心の中で題目を唱えます。

しかし敢て本尊を曼荼羅の中から選定するのなら、れんさんも仰られていますが、宗祖曼荼羅の複製版が最も良いのではないかと思います。
その意味では、日蓮宗が宗定本尊としている曼荼羅は、最も妥当なのではないかと思います。

2222ラキ:2006/08/30(水) 01:26:48
つぶやきです〜・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ...
私が知ってる範囲で、日顕上人の常住御本尊は、直筆曼荼羅から板彫刻に取り替えた方が居ます。
寺院でも直筆曼荼羅から、同じ用に板彫刻に代えてある所もあります。
日顕上人の代で板彫刻曼荼羅になったのか、詳しい経緯は聞いていませんが、何故なんだろうと考えてしまいます。

2223藤川一郎:2006/09/01(金) 12:58:55
>>口悪く言えば「ゲスト」に、総講頭を命じ、本末を挙げての慶讃委員長を命じたのですか。日達さんは池田さんを「現代の維摩居士」とまで言ったわけでしょう。

ふと別スレの独歩さんの上記文章を読んでいて、創価学会って確かにかわいそうな扱いだったんだなと思ったので、つぶやきを・・・。

達師は「現代の維摩居士」と口では言ってくれるのに、何で俺達はゲスト扱いなんだ?
大石寺正式信徒の代表である“総代”のはるかに下にさせられ、大法要では、総代は内陣に入れるのに、外陣で有象無象の信徒と一緒に扱われ、大檀那として扱わず、本来大した役職も無い信徒が命じられるべき“慶讃委員長”という名誉職でお茶を濁された。
自分らは、現代の有徳王のつもりでいるのにその象徴である「太刀持ち役」すらさせてくれない。
俺達(池田さんたち)が最後まで納得いかなかったのは、この扱いだったんだ。
以上が彼らの本音でしょう(笑)。確かに不満は感じるでしょうね。

2224真実知求者:2006/09/02(土) 20:57:40
  気になる点です。 ツブヤカセて下さい。
 今、ロクに葬式もされずに、白い袋にに無造作に放り込まれて、一人寂しく、?、、無縁墓地に埋葬される方が、、少なく有りません。
  菩提寺を持たない現今の方方の「、、弱みを見事に、巧みに利用、?、、」、、した寺院があります、。 大阪・天王寺区の「一心寺」です。
  そこでは檀家からの「お骨」をマゼすり合わせて「日蓮様が堕地獄の主因と喝破された阿弥陀佛(浄土宗)に似せてセメントと合成しながら似非の仏を作り、大衆の支持を受け、経済的にもすごいようです。(日経新聞8月20日、大阪の「御骨佛」、)
 ナカナカのアイデア・マンの建築家あがりの住職の御発想のようです、?
  今後は、これをマネして、お骨の始末・処置に苦慮する寺院らが、、「、、その残骨を活用して、セメント合成の題目の本尊作成も視野、?」、、かも、、??
  これはマジに懸念と検討も、?、、でしょうか、!怖い時代、、かも、、?

2225孤独な迷子:2006/09/03(日) 06:07:11
>>2224
真実知求者さん、はじめまして。

宗教もビジネスの手段、金のためなら何でもあり、というところでしょうか?

2226藤川一郎:2006/09/07(木) 13:36:27
いよいよ、安部普三氏が総理大臣になりそうですね。
彼は、今年の統一教会の合同結婚式に祝電を送ったそうですね。
彼と統一教会の関係は、おじいさんの岸信介氏以来ですかね(岸信介氏と統一教会系の政治結社国際勝共連合の関係は有名)。

自民党の支持母体=統一教会(国際勝共連合)
公明党の支持母体=創価学会

そんなこと無いか(笑)。

2227藤川一郎:2006/09/07(木) 13:42:49
(つづき)
岸信介氏が文鮮明氏を弁護した文書

親愛なる大統領閣下
 本日私たちは恐らく前例がないと思われる憂える米国民および世界市民の集まりとして、閣下にこの書状をしたためております。この集まりは、特に報道・通信分野で活動する者たちを代表しています。(中略)
 「教会と国家」の問題はあまりにも数多くありますが、その中で閣下に書き送るという点で、私たちが一致した問題は、合衆国と文鮮明師との間の訴訟です。私たちは文鮮明師を弁護する必要も、文師の教会を支持する必要もないのです。私たちの伝統が、すなわち万民に対し自由と正義を認めるという遺産が、文師にも同様に与えられるべきであるという、強い信念のゆえの行動なのです。
 文師は米国で評判のいい人物ではありません。彼は強固な反共の立場を取り、同時に伝統的な価値観をはっきりと擁護しました。多くの人々がこれらの価値観を嘲笑している時にです。このような文師とその教会の人気のなさにもかかわらず、文師の訴訟は、事実上キリスト教会全体から支援されただけでなく、米国の主な公民権擁護団体の多数から支持されました。
 歴史上の主な宗教指導者が皆そうであったように、文師は今、迫害のただ中にいます。文師は誰かの助けがあってもなくても、最終的にはこの期間を乗り越えて、神の真の人として認められるようになるだろうと思います。しかし、精神的、物質的再復興という神から与えられたこの国の使命にとって、今世紀最大の希望の灯をともしている政府の下で、このような不正が行なわれているのを見るのは痛烈な皮肉であり、悲劇です。米国は信仰と道徳と正義の善なる手本を自ら示すことで、世界を導いていくという使命を担っているのです。
 「宗教の自由」が、米国で保障されている自由の根幹を成していることを考えると、「宗教の自由」が侵害されているのを見ることは、実に恐るべきことであります。文師の裁判では、文師を支援する書状が、米国でも著名な人々や、主流教会をはじめ3人の州検事総長を含む40の主要団体、個人から合衆国最高裁宛に提出されました。最高裁史上、これほど多くの支援が寄せられた人はいないのですが、それでもなお、最高裁は審理することさえ拒否したのです。
 300万人近い人々の宗教指導者で国際的にも認められている人物が、このような状況下で米国の刑務所に投獄されていることは私たちにとって非常に気がかりです。大統領閣下、私たちは「宗教の自由」および「言論の自由」を保障した米国憲法修正第一条に基づいて、閣下が直ちに過ちを是正する行動を取るようお勧めするものであります。文師を引続き投獄しておくことは、国家にとっても何ら利益になりません。私たちは閣下がこの問題に注意を向けてくださるようお願いするものであります。
敬具
岸信介 元・日本国総理
ダグラス・マッカーサー2世 元・駐日大使
ジャック・スーステル博士 元・フランス副首相

2228彰往考来:2006/09/08(金) 18:23:33

「撃壌歌(げきじょうか)」

日出而作
日入而息
鑿井而飲
耕田而食
帝力于我何有哉

日出でて作り
日入りてやすむ
井を鑿ちて飲み
田を耕して食らう
低力われに何かあらん

太陽がのぼれば耕作し
太陽がしずめば休む
井戸を掘って水を飲み
田を耕してご飯を食べる
帝の権力?私には何の関係もない

本郷和人『人物を読む 日本中世史』2006年、講談社、62頁より、

2229彰往考来:2006/09/08(金) 18:26:00

>2228 誤記訂正

誤:低力われに何かあらん
正:帝力われに何かあらん

失礼いたしました。(彰往考来)

2230独学徒:2006/09/20(水) 22:35:05

公明党元委員長で総務庁長官をつとめられました石田幸四郎さんが、突発性肺繊維症の為18日にお亡くなりになったそうです。
ご冥福をお祈りします。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060919-00000007-maip-peo

2231鳥辺野:2006/09/21(木) 21:06:53
皆さんお久しぶりでございます。2005年5月「蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について」でお世話になりました鳥辺野でございます。
以前から大変気になっている事を一点挙げさせていただきます。現在小泉久遠寺に奉安されている御影尊は確か明治十三年十一月九日の
大火で焼失してしまった旧御影尊に替わって安置された物なのですが、私が所蔵しています「大石寺をめぐる史跡と伝説」(郷土出版社
緑星社刊 著者 富士 宗四郎 初版1973年9月1日)七六頁によると「九州から戻された由緒ある祖師像」と写真入りで掲載され
ております。本文七五〜七七ページにも「なお当寺の火災後、ただちに九州本善寺から古い由緒ある祖師像が送られたことを報告してお
く。」とあります。九州本善寺といえば石山の末寺ですが元々郷門の寺院で日郷師の弟子日叡師が建武二(1335)年に開山した寺院
です。この事と何か関係があるのでしょうか?どなたかご存知の方はおられますか?

>2230 石田氏亡くなられましたか。ご冥福をお祈りします。

2232鳥辺野:2006/09/21(木) 21:09:46
>2231行がずれました。失礼致しました。

2233独学徒:2006/09/21(木) 22:17:47

鳥辺野さん、はじめまして独学徒と申します。
旧本門宗の時代には、保田妙本寺と小泉久遠寺は郷門の中心寺院でしたので、明治期に本善寺から小泉久遠寺に御影の奉納があっても不思議ではないと思います。
むしろ日向定善寺や日向七ヶ寺・保田妙本寺などが、戦後日蓮正宗に移行したことのほうが不思議な出来事であったのかもしれません。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/Temple/Kyushu/honzenji.jpg

2234鳥辺野:2006/09/21(木) 22:59:49
2233 独学徒さん
>戦後日蓮正宗に移行したことのほうが不思議な出来事
はじめまして。そうですよね。現在の妙本寺に関しましては小泉久遠寺や伊豆の實成寺、北山本門寺とも仲良くされています。特に執事さんは「久遠寺とは親戚のようなものですよ」とおっしゃっていた事が印象に残っています。

2235国旗国歌強制は違憲:2006/09/22(金) 07:01:39
>戦後日蓮正宗に移行したことのほうが不思議

創価の財力がおいしそうに見えたのでは。

2236賞味期限ゼロ:2006/09/22(金) 19:11:29
、、、2235サン。 失礼します。
 >、、おいしそうに、、。
 グサリと核心を突いています。  我々は所詮はカネとその他の力には、トホホ、、ですか、、。
 誠に情けない次第では御座います。
 アノ鎌倉時代にカネと力に対して、、?を感じて、全力・全誠心で命を投げ打って立ち上がった方= 
こそ日蓮さま、と存じます。  その末裔を繋ぎたいならば、いまは、?、、が求められていますでしょう、?
 とっくの昔に賞味期限が切れている団体さまも散見されます。(「創価の実力」島田教授、「FORUM21]9:15号)
 今後もダマシのテクニックが闊歩するでしょうが。 それを見破る眼力の養成に今こそアイ勤めたく思いますが、、。

2237通りすがり:2006/09/22(金) 21:10:28
賞味期限ゼロさんは、たびたびネームを変えて書き込みされていますね。
???、、、ばかりの珍しい書き方は、あなたしかいません。

2238不思議?:2006/09/22(金) 23:03:27
自作自演の書き込み、何が楽しいの?

2239お願いです。:2006/09/23(土) 16:02:10
>2236の方へお願い。

『、、、2235サン。 >、、おいしそうに、、。アノ鎌倉時代にカネと力に対して、、?を感じて いまは、?、、が求められていますでしょう、?』

抜粋しましたが、ひらがな、カタカナ、句読点がゴチャゴチャになってとても読みづらいのです。
公開を前提として書き込まれているのですから、出来るだけ、読む者のことも配慮して頂けないでしょうか。つぶやきというか、お願いです。

2240賞味期限ゼロ:2006/09/23(土) 17:21:08
前略。
 済みません。 全てに関しまして陳謝いたします。
 申し訳が御座いません。 反省いたします。 早々。

2241犀角独歩:2006/09/23(土) 19:37:00

反省いただくことは有り難く思います。

人間孤独なときは、人との関わりがほしくなり、されど、実際に関わるのは怖く、自問自答で、答えを導き出すこともあります。

ここはされど、挙証と論攷を、文書証拠を指し示しながら、静かに落ち着いてするところです。その趣旨に則っていただけると、場が荒れた雰囲気にならず、文字通り、落ち着いてやれます。
ご協力をお願いいたします。

2242鳥辺野:2006/09/23(土) 20:22:24
何やら私の書き込み以降荒れてしまいました。申し訳ありません。これに懲りず勉強させてください。また何かあれば、宜しくお願いいたします。

2243国旗国歌強制は違憲:2006/09/23(土) 21:32:50
2235 名前: 国旗国歌強制は違憲 は

名前:賞味期限ゼロさんとは全くの別人です 。
よって、自問自答ではありません。

書き方、内容からなんとなくどなたかわかるような気がしますが、大はずれかも。

2244犀角独歩:2006/09/23(土) 22:10:37

まあ、どうでもいいですが、管理レベルでは、IPその他から、投稿者が、HNを変えても、誰と誰が同一人物であるかはわかっています。ただ、管理人さんは、こころが大きな方ですから、そんな追及はなさらないだけですよ。ですから、わたしも、突き落とすレスはしません。

そんなことは、どうでもいいですから、実りある議論をしましょう。

2245通りすがり:2006/09/24(日) 03:23:12
私は何も荒れていないと思いますよ。
ただ非常に読みにくく、しかも毎回ハンドルネームを変えて来られる方に、
お願いと言うか、お知らせしているだけだと思います。

1人の方が毎回同じネームで投稿し、意見を述べる。
当たり前のマナーだと思いますし、読む方も混乱しないのではないでしょうか?

2246犀角独歩:2006/09/24(日) 07:44:40

通りすがりさんと、わたしでは「荒れる」という視点が、少し違うのでしょう。

ここは挙証しながら、議論を重ねる場ですから、な議論にもならず、多重ハンドルがどうの、と言い合うこと自体、すでにその段階で荒れ出していると考えます。

いずれにしても、議論に関係のないことなので、これ以上は繰り返さないことといたします。

2247鳥辺野:2006/09/24(日) 09:41:13
>2242
×これに懲りず勉強させてください。
○これに懲りず勉強研鑽してまいりますので書き込みさせてください。

2248鳥辺野:2006/09/24(日) 10:05:42
私は犀角独歩さんのホームページにてアップされている執行海秀師の論文を読んで私自身のなかにある本佛感、本尊感を180度変える事ができました。それまでは日蓮=本佛という石山教学の固定概念にとらわれて生きてきました。しかしそれはひとつの考え方(教義の解釈の違い)の問題で正しくないことがわかりました。今では一塔両尊四士は何のためらいも無く拝んでいます。自宅にも御影尊を曼荼羅の前に安置しています。執行海秀師の論文とそれをアップしてくださった犀角独歩さんに感謝しております。

2249きゃからばあ:2006/09/25(月) 09:57:10

23日、『吉田拓郎&かぐや姫 コンサート イン つま恋』に行ってきました。
拓郎ファンの私にとっては、同じ拓郎ファンの仲間と盛り上がり、忘れられない思い出となった。

平成6年、大石寺の六万総会に参加しました。
平成13年、30万総登山会に参加しました。
「あれ?何も思い出せない!」「どんな話があったっけ?」
一緒に参加した仲間は、ほとんどいなくなってしまった。
ただ『つま恋のコンサート』のチケット代の20倍以上の御供養をしたのだけは覚えている。
つまらないつぶやきでした。m(_ _)m

2250子持ちししゃも:2006/09/26(火) 01:24:16
突然失礼いたします。
全く関係のない家族での出来事なのですが、私には少し尾を引くことでしたので書き込んでみます。
私は日蓮正宗系の信仰でいうと家系的には私が初代(笑)となるのですが、今の考えは組織から完全に離脱していて、むしろ否定的ですらあるのですが、
この前、自分の子供と話している時も、子供の矛盾する言動に対して理屈をこねている私の言い方が、どこか私の最も拒む正宗系の詰め方になっている事に気付きました。
子供への対応の問題ではなく、どこかで自分は既に忘れ去ってしまったと思っている考え方に影響を及ぼしているのでしょうか。
それとも自身に対する警戒のし過ぎなんだろうか。
そんなことをつい思ってしまいました。

たわいもない話ですみません。

2251犀角独歩:2006/09/26(火) 08:21:21

2248 鳥辺野さん、はじめまして。

> 執行海秀師の論文

秀逸な論文であると、わたしも目から鱗が落ちる思いをなしたものでした。対して、石山は50年経っても、何ら進歩するところがなく、嘘を繰り返しています。破門になって古文書を研究する人々は、その識読能力で門下一般に重宝がられ、「先生」と呼ばれたりもしていますが、その人たちがいない場では、「結局、板マンダラと日蓮本仏論を捨てられないんだ」と嘲り笑われている現場を、何度か目の当たりにし、「だから、石山彫刻本尊と日蓮本仏論に決着をつけておけばよいものを」と同情もしました。

さて、わたしは、漫荼羅ばかりではなく、仏像も好きです。文字による図示では表現できない面を有しているからです。もちろん、字像漫荼羅も仏像では表現できない世界を有しています。どちらか一方を採るという考えは偏ったものであると映じます。

ところで、挙げられた「一塔両尊四士」は、通常、首題が記された塔の形を採ることが多いようですが、『本尊抄』の意からすれば「塔中」とすべきところ、同じく、四士は二尊と同じ面を向いていますが、実際は、拝観者に背を向けて、首題と二尊が収まる塔を向かうか、もしくは東西南北に位置し、塔に向いているはずですが、そうはなっていません。ここら辺が仏像奉安上の限界と言ったところですね。まして、「有七宝塔…住在空中」ですから、浮かんでいなければなりませんが、塔は地に着いています。

漫荼羅では、弘安2年10月頃は首題が小さく書かれ、「日蓮花押」と間が大きく開いているために、恰も空中に浮かんでいるような印象を懐かせます。実際、日蓮聖人がそのような意図を持っていたかはわかりませんが、このような表現は、字像、絵像ならでは、仏像奉安では表現不可能ということになります。

「本尊」は天台初期文献には全く見られない密教の影響の反映であるわけですが、真言密教の影響から比叡山を批判しながら、漫荼羅を図し、さらに極楽往生を批判しながら、霊山往詣を語るに至る心情の推移と、末法を意識し展開するところに、鎌倉という時代の人であった一面が窺えます。

横道に逸れましたが、本尊とは「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏」をいうのであって、この本尊を体(たい)と為(な)して、表すところが漫荼羅であり、諸尊仏像の奉安なのだろうというのが、わたしのなかで落着した考えです。「為体」は‘ていたらく’ではなく‘いたい’、もしくは「たいとなし」であると拝します。そして、己の心に観する本尊を「正像未有寿量仏 来入末法始此仏像可令出現歟」というのでしょう。「一閻浮提第一本尊可立此国」の‘可立’も、立つ可しではなく、「立てる可し」であろうと拝します。

以上、つぶやきということで。

2252鳥辺野:2006/09/26(火) 15:27:28
2251犀角独歩さんはじめまして。
字像漫荼羅、仏像どちらも捨てがたいですね。私も両方好きです。日尊師は上行院を起こされた頃、諸尊全体(大曼荼羅勧請全部)を仏像で造立されていた可能性が強いですね。今の富士門流もこれを見習って字像と仏像の両立を、今一度考えてもらえないかと思います。

2253鳥辺野:2006/09/26(火) 15:38:38
>2252
×可能性が強い
○可能性が高い
初歩的なミスです失礼しました。

2254犀角独歩:2006/09/26(火) 18:56:46

鳥辺野さん

HNは、京都における日目墓所ですね。尊門につき、語ることも故なきもなしと読みました。

2255鳥辺野:2006/09/26(火) 19:55:07
目師墓所の側には尊師の逆修塔があります。この逆修塔の一遍首題は日尊師の文字と言われています。要法寺客殿には本尊の隣にこの日尊師の石拓本曼荼羅が掛けてあります。生涯一度も字像曼荼羅を書写しなかったとされる、日尊師の曼荼羅を拝みたいという尊門徒の願望の現われのように私は感じました。

2256れん:2006/09/28(木) 18:24:30
仏像と字像、本来は相反するものではなく、両立するものだったと思います。
日尊師の仏像は日尹師の“遣日代上人状”によりますと「有る仁の方より安置候へとて寄進申さしめ候ひ畢ぬ、教主は立像、脇士は十大弟子にて御座候」とあって、十大弟子を脇士とする釈迦立像だったようです。日代師より日尹師への返状には心底抄と同様に「仏像造立の事は本門寺建立の時なり、未だ勅裁無し、国主御帰依の時三ケ大事一度に成就せしめたまうべきの由御本意なり、御本尊図は其れがためなり」と明示されて、本門の仏像の造立は広宣流布の時・本門寺建立の時とことわられています。また尊師実録には「日興上人の仰せに云く、末法は濁乱なり、三類の強敵これ有り、爾れば木像等の色相荘厳の仏は崇敬憚り有り、香華燈明の供養も叶ふべからず、広宣流布の時分まで大漫荼羅を安置し奉るべし云々」とあって、これらの史料から富士上代では未広布時は大漫荼羅安置、本門寺建立の時、戒壇に大漫荼羅図の如く仏像造立安置だったようですね。しかしその本門寺戒壇に安置の仏像等の具体相は、富士に大漫荼羅正意・不造像不読誦義が定着してから戦国期頃にはその伝承は失われたようで、大漫荼羅正意の本尊義から石山では彫刻本尊を作成し、西山等では保田の大本尊を戒壇の本尊をしているようですね。
とりあえず、鳥野辺さんのご投稿を拝見して呟きました。

2257れん:2006/09/29(金) 10:17:01
>2256
訂正
誤)鳥野辺さん
正)鳥辺野さん
HNを間違えてしまい大変失礼いたしました。

2258鳥辺野:2006/09/29(金) 17:34:47
>2256れんさん
はじめまして。富士門流で実際に蓮祖、興師の理想的な本尊論を展開、実行した人物は、要山一三世広蔵日辰師や石山一七世日精師ではないかと思います。造仏論と字像曼荼羅の書写や彫刻等(特に精師は保田の万年救護大本尊の模刻安置)を平行して行っています。今学会ではこの造仏論を謗法と決め付け、石山ではその事実さえ闇に葬ろうとしている始末です。原点に立ち返って冷静に考えてもらいたいです。
西山の万年救護本尊と呼ばれる曼荼羅(つまり戒壇の本尊)は確か本尊集№32-2であったと記憶します。
私も、誤字脱字が多いですのでお構いなく(笑)

2259彰往考来(しょうおうこうらい):2006/09/29(金) 18:05:39

>2258 鳥辺野さん、 横レス失礼。

>西山の万年救護本尊と呼ばれる曼荼羅(つまり戒壇の本尊)は確か本尊集№32-2

西山本門寺蔵の蓮祖御本尊は32の2で間違いないですね。

http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/032B.html

でも西山の万年救護本尊=戒壇の本尊とおっしゃるのがよくわかりません。
ご説明願えませんか? 西山で当該本尊を万年救護本尊と称しているのは理解しています。
戒壇の本尊とおっしゃっているのは西山にある当該本尊の板漫荼羅のことでしょうか?

2260鳥辺野:2006/09/29(金) 18:23:24
>彰往考来さん
はじめまして
万年救護本尊=戒壇の本尊 失礼しました。戒壇ではなく御宮殿(重文)の本尊でしたお詫びして訂正させていただきます。

2261独学徒:2006/09/29(金) 18:55:30

横レス失礼致します。

>御宮殿(重文)の本尊

御宮殿の本尊は、日蓮聖人御影であり、板・紙幅とも曼荼羅はありません。
御宮殿の背面(御宮殿の外)には、左から日蓮聖人御影画・№32-2の彫刻・日興上人御影画・日代上人御影像となっています。
現在の本堂は旧客殿で、もともとは「左から日蓮聖人御影画・№32-2の彫刻・日興上人御影画」のみがあったと思われます。
いつかは失念しましたが、火災で三堂が焼失した際に、御影堂の本尊である御宮殿に入った日蓮聖人御影像と、開山堂の本尊である厨子に入った日代上人御影像が遷座されたものと思われます。

れんさんの仰る通り、西山でいう「戒壇の本尊」とは、現在保田妙本寺に所蔵される「万年救護本尊」の事です。

2262鳥辺野:2006/09/29(金) 19:42:07
>2261独学徒さん 御宮殿の背面(御宮殿の外)
なるほど、そうでしたか。私は現物を見たことがないもので。ありがとうございます。
れんさんのおっしゃる通りなのですね。れんさん大変失礼しました。
まだまだ私自身知っているようで知らない事だらけです。これからもみなさん御指導、ご教示ください。お願いいたします。

2263鳥辺野:2006/09/29(金) 23:28:27
ところで、別の話ですが、これは私のつぶやきということで、保田妙本寺の一四世日我師の観心本尊抄の抜書に「久遠寺の板本尊今大石寺にあり。大聖御存日の時造立なり」という文章をかつて創価学会は切り文で解釈して仏教哲学大辞典の第一巻(昭和五十年十月一二日三版)で「(日我師が)富士大石寺に大御本尊あり、との事実を、ありのままに認めている。」と宣伝していますが、これは身延山久遠寺の事ではなく私は小泉久遠寺の板本尊の事で、以前れんさんが「本門戒壇の大御本尊様の偽作説」№1409にて語られた弘安四年の板本尊について日我師は述べているのではないかと思います。つまり「(小泉)久遠寺の板本尊(の紙幅曼荼羅は)大石寺にあり(板本尊は)大聖御存日の時造立なり」とは読めないでしょうか?実際に日我師が戒壇の板本尊を本物と認めるはずは無いと思います。ただ小泉の弘安四年の板本尊の原本が本当に石山にあるのかは不明です。私は№2231の小泉の御影尊の事同様この事を考えると夜も眠れません。(少しオーバーですが・・・)皆さんはこの文章どうとらえられますか。以上つぶやきでした。

2264独学徒:2006/09/29(金) 23:56:53

鳥辺野さん、

>日我師が戒壇の板本尊を本物と認めるはずは無いと思います。

私は日我師は、論理構成には長けていたかもしれませんが、本因・百六箇の両抄を真撰として各抄に引用するなど、真偽眼はそれほど長けていなかったのではないかと考えます。
したがって、日我師が大石寺の彫刻を見て「大聖御存日の時造立なり」と錯誤する可能性は大いにありうると思います。
現代のようにパソコンもなければ写真もない時代ですので、そのようなことがあっても致し方ない時代であったのだろうと思います。

しかし写真もパソコンも大いに普及したこの世の中で、いまだに彫刻を「大聖御存日の時造立なり」と信じ込んでいる人が多いことは、大きな問題かもしれませんね。

2265鳥辺野:2006/09/30(土) 00:07:02
>2264独学徒さん
さっそくのご返事ありがとうございます。参考になりました。

2266れん:2006/09/30(土) 20:52:01
独学徒さん・鳥辺野さん
お二人のお話、なかなか興味深く拝読いたしました。私も独学徒さんのご教示により、西山における戒壇本尊=保田の万年救護と知りましたが、腑に落ちないのは西山の御開山の日代上人は仏像安置と日尹師に示しているにもかかわらず、今の西山では保田の万年救護をもって戒壇安置の“本尊”としている点です。おそらく西山では八通置状の内、元徳四年状の「日秀阿闍梨の跡並びに御筆の大本尊…」の大本尊を保田の万年救護に比定しているものと推察しますが、日我師を遡ることさ程遠くない成立と思われる撰者不明“日道六ケ謗法事”には「大聖人御筆御本尊の先師より理境坊に給わるるを横しまに押留せらるる事」とあり、理境坊日秀師にかかる蓮師御筆漫荼羅を日道師門下が“押留”したとする記録があり、とすると八通置状にある日秀師に係る“御筆大本尊”を保田の万年救護に比定するのはやや牽強付会であるかもしれないですね。ただ、何度か記しましたが、道門と郷門の係争は当時の史料によれば、行師・時師と伝師による係争であり、それぞれの門祖である道師・郷師の間に係争があったことを証する正文献はなく、本来行師・時師と伝師の係争であったのを、それぞれの門祖に係争を遡らせている“日道六ケ謗法事”は上記係争からある程度時間がたって、史実が埋もれてから、それぞれの門閥意識が高揚して係争を門祖に遡らせた設定のもとに作られているので余り文献価値が無いのですが、秀師にかかる蓮師御筆漫荼羅の伝承を考えるには一応の参考にはなります。
我師の観心本尊抄抜書ですが、この記述が確かならば石山日院師の代には彫刻が作られていたことになりますが、どうでしょうか?石山における漫荼羅正意を決定付けたのが、左京日教師の著述と思われるので、本尊抄抜書の記述が正確ならば、左京日教師以後に石山において彫刻が作成された可能性を想定することは可能です。ただ確かな石山貫首の著述で彫刻について触れるのは精師を待たねばならないので、写本のみ現存の抜書の記述をどこまで信用すればよいのか、迷いますね。
抜書を信用するとして、しかし、我師の御見識は、現在とは違い、戦国期の限られた情報の中からの判断ですので、独学徒さんの仰る通り、石山彫刻を“大聖御存日の造立”と見誤っても致し方ないと存じます。
鳥辺野さんのご指摘の、小泉蔵の弘安四年の板本尊について、私はまだ一度も拝したことはないので、よくわかりません。実見すればある程度原本を想定することは可能かもしれませんね。
以上、お二方に触発されての長い呟きでした。

2267雖念:2006/10/01(日) 09:31:57
ご無沙汰しています。

最近はネットともご無沙汰気味なのですが、最近「紅楼夢」のビデオ(中国中央電視台作)を見ていて、道教のお寺でも同じように香をたくのを見て、大変興味深く思いました。
また、三国志や水滸伝のビデオ(同)を見ていても、やたらに香を焚くシーンが多いのが気になりました。
また、変わったところでは「牡丹亭」(漢光文化事業股人分有限公司、台北、1990)を読んでいると、進士の受験生である柳夢梅が杜麗の肖像画を前にして香を焚くシーンもありました。
私は、長ずるまで仏壇でしか線香を焚いたことが無かったものですから、これらの情景には新鮮な驚きを感じました。

2268鳥辺野:2006/10/02(月) 14:19:43
>2266れんさん 貴重なお話ありがとうございます。 
行師・時師と伝師による係争  以前保田妙本寺の執事さんからも同様の回答を頂きました。又、師は「(石山彫刻)板本尊は有師が跡条条事とセットで彫刻したものと推定される。重須日浄記の原本が見つかればなー」とおっしゃっていました。私も有師彫刻説を現段階では支持しております。

2269犀角独歩:2006/10/02(月) 17:30:10

2268 鳥辺野さん

こちらの掲示板をいつ頃からロムされていたかわかりませんが、わたしは、彫刻本尊の再造説を立てています。理由は、時代資料に残る彫刻本尊の相貌が著しく異なってからです。この点は、拙書に記してあります。このわたしの仮説を受けて、皆さんも、賛意を表してくださっています。

日有の段階で、仮に彫刻本尊があったとしても、現代のものとは別のものでしょう。完則、日憲の記録がそれを物語っています。

ただし、石山では、日有造立の「戒壇本尊」の身代わり彫刻があると言います。これがどのようなものであるのか、杳としてわかりませんが、実際にこのようなものが存在するとすれば、その相貌を見れば、多くの事実を語ることでしょう。

明治年間に撮影された彫刻本尊は、弘安3年5月9日の日禅授与漫荼羅を臨模作為した模造品ですが、北山にあるこの本尊は『大石寺誑惑顕本書』では万年救護とも、戒壇本尊とも称されています。

万年救護、戒壇というロジックが先行し、次いで、時代時代に、複数の「戒壇本尊」が再造され、今日に至ったのであれば、単に日有作とするの、論を微細に尽くしていないことになります。

なお、条々事との関係とのことですが、この書で言う「弘安二年本尊」とは、日精説では第16大本尊の可能性は濃厚ではないでしょうか。

2270鳥辺野:2006/10/02(月) 18:03:12
>2269犀角独歩さん ご返事ありがとうございます。 彫刻本尊の再造説
なるほど再造ですか。しばらく掲示板見ておりませんでしたので(汗)もう一度過去掲示板を読まさせていただきます。

>「弘安二年本尊」とは、日精説では第16大本尊の可能性は濃厚
この件私も賛同致します。

2271鳥辺野:2006/10/02(月) 21:02:45
>彫刻本尊の再造説
あらためて過去の掲示板をざっと見ました。・・・鳥肌がたちました。つまり石山は何か有るごとに戒壇本尊と呼ばれるモノを何度も何度も偽造し信徒を騙してきたわけですね。いかにも器物崇拝の石山がやりそうな事です。「火事でもえてしまった・・・どうしよう、出生の本懐がなくなった、信徒がいなくなるー。替わりに偽作して本物とするしかない・・・」みたいな。本当に呆れてしまいます。そして、たまたま今の(何体目か判りませんが)板本尊が禅師授与曼荼羅の彫刻だったということですね。それならばすべて納得いきます。

2272彰往考来(しょうおうこうらい):2006/10/03(火) 07:57:46

>2271鳥辺野さん

本件につきまして、私も過去スレッドの「本門戒壇の大御本尊様の偽作説について」のスレッド1347〜1350(2005.09.12)に投稿していますので、併せて参照ください。

彰往考来

2273れん:2006/10/03(火) 21:16:11
鳥辺野さん
亀レスになりましたが
>2268
石山東坊地係争につき、保田妙本寺執事さんのご見解も同様でしたか、これは驚きました。
石山彫刻本尊の有師彫刻説は重須日浄記が典拠とされていますが、犀角独歩さんが三学無縁さんのお言葉をご紹介くださったとおり、「原本」に当たれないようですし、当の日有師には戒壇に“本尊図の如く仏像安置”を説く心底抄を高く評価したという南条日住の記録がありますので、戒壇に安置するという彫刻本尊を有師が造ったかどうか、決しきれないものがあります。条々事が日有作ならば、日有師は蓮師御筆漫荼羅を“数多拝見”したようですから、その拝観した蓮師御筆?や先師御筆の十界広式の漫荼羅を参考に、日道門流の旗印としての紙幅の蓮師御筆に仮託した漫荼羅を偽作した可能性は有り得ると思います。また、それを不造像不読誦・漫荼羅正意論に傾倒した日有師死後の石山貫首(誰かは特定出来ませんが)が、戒壇には大漫荼羅を安置すべしとの思いから、その日有が偽作したであろう門流の旗印の紙幅を彫刻し、あの腰書きを作成し付して戒壇本尊と意義付けして、初代彫刻本尊が成立したという流れ、展望の推定は可能だと思えます。ですから、私の現時点の考えとしては、日有がただちに彫刻本尊を偽作したという説には懐疑的ですので、この点、保田妙本寺の執事さんとは、意見は合いませんね。
ともかくも、亀レスにて失礼しました。

2274犀角独歩:2006/10/04(水) 08:27:11

以下に移動しました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/1661

2275今川元真:2006/10/20(金) 23:56:09
整理整頓 【漫荼羅正意で無くて漫荼羅本意】 【天台密教から法華一乗を目的とする】 【法華経は因果倶時を目指す場、題目は一念三千を目指す場、本尊は色心不二を目指す場、戒壇は依正不二を目指す場】 【法華経付属と立正安国に導く修行の場を提供する漫荼羅】

2276ひきこもり:2006/10/22(日) 17:57:06
創価学会は日蓮正宗の教義を保持してきたわけです。大御本尊が偽作であり、日蓮正宗が邪宗である
と言うことなら、私は何を拝んだらいいにでしょうか。

2277ひきこもり:2006/10/22(日) 18:04:27
>第16大本尊の可能性は濃厚ではないでしょうか。

独歩さんこれはどう言う御本尊ですか?

2278犀角独歩:2006/10/22(日) 18:39:32

2277 ひきこもりさん

以下の本尊です。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/016.html

2279鳥辺野:2006/10/22(日) 20:28:04
2277ひきこもりさん はじめまして
横レス失礼いたします。
第16大本尊についてですが、私の知っている事を少し書かせていただきます。蓮祖が文永十一年十二月に身延山にて揮毫された曼荼羅です。讃文(端書)に「大本尊」の文字が入っている唯一の曼荼羅です。(他の蓮祖の曼荼羅は大曼荼羅也、大曼陀羅也等です)石山一七世日精師によると弘安二年十二月に興師に授与されたとしています。石山の東坊地問題(日郷師と日行、日時師ら)の後、建武元年(1334)日郷師はこの大本尊と蓮祖正御影を持って小泉久遠寺を開きました。(その後本拠地である大本山保田妙本寺に大本尊、正御影共遷座)現在に至っています。GohonzonShu/016の写真右側のカラーの板本尊は保田妙本寺の真筆大本尊を模刻した新興宗教本門正宗本門寺のレプリカ板本尊です。尚これは私見ですが、蓮祖には究極の本尊とか唯一礼拝の対象の本尊などという物は存在しないと思います。蓮祖揮毫の字像曼荼羅とは釈迦佛救済の世界を図案化した物だと思います。「コレこそ究極だ。これしか拝んではいけない」という器物崇拝主義では決してないと思います。以上僭越ながら私の考えを述べさせていただきました。


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