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つぶやきすれっど2

2186驟雨:2006/08/08(火) 00:44:02
つぶやきすれっどということなので、ふと思ったことを書き込ませて頂きます。
御書には人間感情の両側面の主張を擁護する文面というものが存在しているように思います。
例えば日蓮正宗系で言うと、相対立した立場それぞれの言い分を擁護する御書が存在するような意味合いです。
相対立者同志がそれぞれ御書を元手に主張しても「切文」として吐いて捨ててしまわれ解決をつけられない事柄が多いのですが、大きく見れば、反論御書も、ただ一片だけでは日蓮聖人の聖意とも取れないと思うんです。
でも色々読んでいても、片方では悪を善とし、片方では善を悪とする、といった論述展開が私には見えて取れてしまったのですが、それでは一体日蓮聖人の本来の目的とは一体何なのか・・・判断に迷う事も多くあります。
特にの現在の日蓮正宗系同士のやりとりでは全く判断つかないのです。
多くの僧侶系の方々は「対告衆」という文言をよく使用されますが、主張の違う論者同士の場合、またこれが実に巧みに身勝手に使用されているようにも思えてならないのです。
私は日蓮聖人信奉者でありたいと思っていますが、お互いに情報提供しあって日蓮聖人の御聖意に近づこうとする許容力も、整合力も、協調性もないように感じてならないのです。

こんなご時世にこそ本当の力ある宗教が必要とされるのに・・・結局は日蓮聖人の生き方も、現代の多重の思考主張の世間では、一つの思想でしか成立し得ないのか、と残念に思う今日このごろです。

私は無智の部類の日蓮聖人尊者でしかないのですが、少しばかりもどかしく思いつぶやきすれっどならば、と思い書かせて頂きました。


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