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つぶやきすれっど2

1678ラキ:2005/06/13(月) 21:43:08
独歩さんの学会から石山の時間は無駄にはなってないと思います。
独歩さん自身には、貴重な時間の無駄だったかもしれませんが、
今現在の私や現役の方の参考になりますし、それを考えますと、
私が独歩さんの同じ道を歩み、時間の無駄をするのを早く気が付き、
私にとっては、時間の節約。そして、事実を知りたい気持ちがあるので、
そのための貴重な時間を頂けたと感謝しております。

私信の追伸。
前にお勧めくださった書籍、本日購入できました。^^
また、素朴な疑問が湯源するかも知れませんが、その時は、ご教授のほどよろしくお願い致します。

1679大勇者:2005/06/14(火) 08:31:55
>1674
ラキさん。 ありがとうございます。
参考なりました。

1680犀角独歩:2005/06/14(火) 11:55:24

ラキさん:

> 時間の節約

そうそう、それがわたしがもくろむ最大の理由です。わたしがした無駄、もっと言えば、日蓮門下全般がした時間と労力の無駄という被害が繰り返されないための捨て石となることが半世紀近く日蓮本仏・戒壇本尊絶対を語ってしまった自己責任の果たし方であると思い、日夜精進している次第です。

ですから、ラキさんのような存在こそ、わたしのしてきたことが報われる思いがする存在であるということです。

1681ラキ:2005/06/14(火) 20:32:35
図書館に織田仏教辞典(お陀仏・笑)を見に行ったら、難しい・・・(^^;
帰り道、古書店に寄ったらなんと!「図録 日蓮聖人の世界」が置いてあって、
購入しました。(●⌒∇⌒●)
パンフレット。入場割引券。チラシまで挟まっていて、得した気分です。
ただ、しおりも付いていたのですが、日本キリスト教会のしおりてのが、複雑な気分w

1682犀角独歩:2005/06/14(火) 21:03:21

> 日本キリスト教会のしおり

これ、けっこう、笑えました。

1683ラキ:2005/06/18(土) 00:06:37
法華経入門(岩波新書)を読んで。
とても読みやすく、判りやすい書籍で、感動してしまいました。^^
ふと、学会在籍当時の事が思い出されます。
法華経の本を買って、読んだけど判らない(^^;
地区リーダーが「俺も持ってないし凄い本買ったね」の言葉が思い出されました。
一番の驚きは、作者が創価大学の教授が何よりの驚きでした。(-ェ-o)ボソ

1684ラキ:2005/06/18(土) 03:08:07
日本の古書店
全国の加盟店の古書が検索できます。
「日蓮」で検索すると・・・3時間眺めていました。(^^;

http://www.kosho.or.jp/index.html

1685犀角独歩:2005/06/18(土) 08:44:09

> 1683

らきさん、それをいうなら岩本裕師が中公新書で『佛教入門』を書いた当時、創価大学名誉教授でしたよ。

わたしは創価大学に本格的、かつ国際的な仏教学部を創設すべきだと思っています。そして、有り余る学会マネーを大いに投資して、他の仏教系大学では到底できない資金を援助し、学者に研究させてほしいと念願しています。そうすれば、SGIだ、勲章だというより、人類知的財産と遺産に貢献することとなりますね。また、その研究が進めば、いま言っているような石山の残滓を引きずる教学からも、本尊からも、脱却していけるのではないでしょうか。もっとも、世俗化がさらに進み、プラスチックのおもちゃみたいな漫荼羅やらファンシーグッズみたいなケースもやめなければ、哄笑・嘲笑はやまないでしょうが。

1686犀角独歩:2005/06/18(土) 08:45:41

【1685の訂正】

誤)もっとも、世俗化がさらに進み、プラスチックのおもちゃみたいな漫荼羅やらファンシーグッズみたいなケースもやめなければ、哄笑・嘲笑はやまないでしょうが。
正)もっとも、世俗化がさらに進んではしようがないですね。プラスチックのおもちゃみたいな漫荼羅やらファンシーグッズみたいなケースもやめなければ、哄笑・嘲笑はやまないでしょうが。

1687ラキ:2005/06/20(月) 22:14:57
>1685
研究費用を出して「人類知的財産と遺産に貢献する」
切に願う気持ちです。

研究成果の発表も、学会系出版社で販売すれば、低価格でよい物が手に入る、こんな素晴らしい人類貢献はないかと感じます。

>岩本裕師が中公新書で『佛教入門』を書いた当時、創価大学名誉教授でしたよ。
興味深く拝読したいです。

1688乾闥婆:2005/06/23(木) 16:51:26
川蝉さんのお名前を見かけ、Niftyの仏教思想フォーラムのころのことを思い出しました。ハンドルネームを度忘れしてしまいましたが、当時シスオペをされていた方が辞められ、その後を受けたのが川蝉さんであったような気がします。もし私の勘違いであれば申し訳ございません。

創価学会の家庭に生まれ、そのことで悩み苦しんでいたころ、自身のそのような出自の根源である部分を相対化してゆく作業は、あのフォーラムに出入りしていたころから始まったのだな、と振り返り、懐かしさで、つぶやいてみました。

蓮祖のことを、信仰の要として固めてゆくのか、むしろその呪縛から逃れるために相対化してゆくのか、そういった姿勢の違いは、議論の進め方の違いや、解釈の違いを生んでいくように思います。この掲示板は後者の傾向にあるのだと思いますし、私もそのような傾向を求めているので、ここを訪れるのでしょう。正直、折伏という名の下に行われてきたことを現場に見てきて、その語の使用を擁護する気にはあまりなれません。だからといって恣意的に読み替えようというつもりも、もちろんございませんが。よい議論がなされるといい、とつぶやくばかりです。

1689れん:2005/06/26(日) 18:23:56
とりあえず、つぶやきです。
日蓮本宗本山京都要法寺には日蓮師の弟子日興師による「観心本尊抄」写本が現存するそうです。「日興上人全集」によると、書写奥書には「弘安四年太歳辛巳三月五日申時拝書写了 南無妙法蓮華経」とあるとのことです。この写本については要法寺僧侶富谷日震師が大崎学報二十八号に「本尊抄興本対照記」という論文を発表されているのですが、残念ながらまだ管見に入っておりません。しかし、ある記述によりますと興師写本「本尊抄」には「此時地涌千界出現本門釈尊為脇士」の「為」の字の左方に「ナリテ」とルビがふられているそうです。昭和新定には「本門ノ釈尊ヲ脇士ト為ス」と読みますが、興師本によれば昭和定本の如く「本門ノ釈尊ノ脇士ト為(ナ)リテ」と読むのが正しいもののようです。この興師本は堀日亨師の著述によれば石山に伝承したのを要山に与えたとしています。ということは、興師本による限り、一尊四士の造立義が蓮師・興師にあったというのが、事実であったということになると思います。「日尊上人仰云」には「日興上人仰云、末法ハ濁乱也、三類強敵有之、爾者木像等ノ色相荘厳ノ仏ハ崇敬有憚、香華燈明ノ供養モ不可叶、広宣流布ノ時分マデ大曼陀羅ヲ可奉安置云々」とありますから、具体的には一尊四士の造立は本門寺(戒壇)において…というのが興師の義であり、上代の石山義でもあったと愚考します。しかし、有師以降日蓮本尊義が主流となり、不造像不読誦・曼陀羅本尊正意論が石山に定着した結果、彫刻本尊の造立がおこなわれ、また、興師本「本尊抄」が要山に行ったことによって、興師本「為脇士」のナリテの読みが忘れられ、日蓮本尊論から日蓮本仏論に進んだ結果、現在の昭和新定の読みが石山義として定着したものと考えます。以上ながながと失礼しました。

1690犀角独歩:2005/06/26(日) 18:51:29

れんさん、いつもながら、重要なご教示、有り難く拝読しました。

1691パンナコッタ:2005/06/28(火) 11:18:59

土日に此処では珍しく、大荒れになってしまいましたね。
正直常連さんも、ROM専の方々もみんな引いてしまっていますよ。
此処の掲示板はあくまでも富士系の思考性に疑問があり、それに対して冷静な対応・資料の提示
・論理的な思考が”味”で、それを良とするみなさんがカキコしているわけですから信仰体系を
持った方々とは論議が平行線になるのは仕方がないのでしょうけど、『前提にそれがある』ことを
踏まえての対応をお願いしたいものです。

1692川蝉:2005/06/29(水) 11:06:52

1688 番・乾闥婆 さんへ。
今日は。
今朝まで乾闥婆 さんの1688 番の投稿見過ごしておりました。
Niftyの仏教思想フォーラムに投稿していた川蝉です。
ブロバイダーを変えたので仏教思想フォーラムの閲覧投稿は中止しました。シスオペをしたことはありません。仏教思想フォーラムに参加されておられた乾闥婆 さんもでしたか。その後も熱心に求道のこと尊いことと思います。

>正直、折伏という名の下に行われてきたことを現場に見てきて、
>その語の使用を擁護する気にはあまりなれません。

昭和三十七五年ごろの創価学会の折伏を直接見聞していますので、皆様以上に、創価学会がやってきた折伏に対する嫌悪感は強いと思います。折伏と云うと直ぐに創価学会の折伏が重なって見えるし一般の人も創価学会の折伏と同一の事と誤解を受ける傾向が強いので、実の処は折伏と云う言葉の使用は控えています。
ただし私の理解では、日蓮聖人はご自分の強い諸宗批判は折伏の範疇に入る弘通方法せあると考えられていたことは確かと理解しているのです。
しつこくなるので冨士門流信徒掲示板での議論は止めておきますね。

1693パンナコッタ:2005/06/29(水) 22:16:28
摂受と折伏のスレで独歩さんと同一人物にされてしまいました。(^o^)
自分は摂受と折伏の議論はしたくない(ナンセンスだと思っている)ので、あそこのスレからは
身を引いたと書きましたが掲示板から居なくなるとは書いてませんよ。
疑心暗鬼になっている方も居られるようですが(土日荒れた事で)独歩さんと自分は別人ですよ。
むしろ自分の悪文投稿を独歩さんと同一視しているようでは、的はずれも良い所ですね。
クインや横溝正史の推理小説を読むことをおすすめします。

1694パンナコッタ:2005/06/30(木) 12:40:04
>567 に投稿した文中で、篠沢教授の名前が間違っておりました。
正しくは、篠沢秀夫教授 です。大変失礼しました。

実際に学習院で講義を受けたわけではないのでミスしてしまいましたが、
考えてみれば仏文学の大家なんですよね篠沢教授は。

1695乾闥婆:2005/06/30(木) 15:42:12
>>1692
川蝉さん。

>今朝まで乾闥婆 さんの1688 番の投稿見過ごしておりました。

ここは、つぶやきスレッドですから(笑)

>シスオペをしたことはありません。

それは申し訳ありませんでした。シスオペが辞められてからすぐに閉鎖されたように記憶しております。後半はごたごたしていて管理し切れていないような印象でした。あとを継いだのは青頸さんだったかもしれません。

>実の処は折伏と云う言葉の使用は控えています。

そうですね。言葉というものは力を持ちます。創価学会がいくら「仏法対話」と言ったところで、折伏という語の使用をやめなければ「折伏精神」とやらは継続して各会員の中に息づき、折に触れて激しい言動となって現われ出ます。折り伏す行為は、正確に創価学会員の継承するところなのかもしれません。そうであるので、折伏という語を蓮祖という根源において批判し正しく読みなおそうという姿勢は大事なのだと思います。

>ただし私の理解では、日蓮聖人はご自分の強い諸宗批判は折伏の範疇に入る弘通方法せあると考えられていたことは確かと理解しているのです。

ここで行われていることは非常に重要な一種の思考実験であるのだと思っています。犀角独歩さんや顕正居士さんの提示される事実を完全に否定することができないのであれば、それはひとつの読み方として認めうるということです。その読み方が伝統的な蓮祖理解と違ったとしても、そのような読み方のありうることは受け入れなければなりません。伝統的な宗学という範疇における蓮祖受容はひとつの価値判断であると思っています。それを全否定する必要はないでしょう。しかし事実判断の中にその価値判断を持ち込むことは不可であると考えます。それはそれ、これはこれ、です。

さらに遡れば、そもそもゴータマ・ブッダは法華経を説かなかったのですし、日本の仏教は仏教であるのか、とさえ言えるのでしょう。蓮祖、その人、に遡り、その一点において事実を見極めようとする思考形態は、その後の蓮祖受容を相対化することでしょう。ゴータマ・ブッタ自体に遡ってしまえば、大きな意味での「仏教」が相対化されるように。伝統を全否定する必要はなくとも、そのような視点はつねに意識しておかなければいけないと考えています。Niftyでの仏教思想フォーラムで、現代思想フォーラムから来ていた人たちとの間で行われていたことは、そのような立場の相違が底辺にあったと思っています。

1696慎之輔:2005/07/01(金) 09:34:11
乾闥婆さん
たいへん参考になるご意見ありがとうございました。m(__)m

1697一寸法師:2005/07/04(月) 02:53:06
つまり、久遠本仏という哲学的理解が出来ないから、ゴータマ・ブッダは法華経を説いていないと言うことに引っ掛かるの訳でしょ。法華経がブッダ入滅後、500年を経て成立していることぐらい誰でも知っているのに、そんなこといつまでの言っているのは、やっぱり仏教界では哲学的素養のある方の人材不足なのかなあ。

1698犀角独歩:2005/07/04(月) 08:03:27

>1697

こんなことは、100年前から言われているのであって、一神教化は原理主義と暴力に走るからやめようというのが、戦後の議論の訳です。

1699小心者:2005/07/06(水) 21:04:52
、、つぶやきです、、。
 この各スレッドでは、確かに御参考には、、相成りますです、、。 ただ一点は、、???、、 日蓮さまも、申していた、、、「、即成仏身、、!!」への???、などは、、???、、でしょうか、、?? 
今は、、何を、、拝し、、??、、何を、、行じれば、==成仏への一本道でしょうか、、?? イワユル能書きが多すぎまして、??、根本が不明、??、、のようですが、、??

1700れん:2005/07/08(金) 20:14:25
つぶやきです。
摂折議論において、他の蓮師門下の方のご意見を拝見して思うことは、摂折議論に限らずであるけれども、蓮師を神聖視し絶対視するあまり、蓮師の古代中世的思想をストレートに現代に持ち込んでしまっているということですね。平雅行氏は「日本中世の社会と仏教」において「生産活動は自然に対する人間の働きかけであるが、働きかけるべき自然は古代や中世にあっては単なる即物的自然ではない。古代中世社会の生産力水準にあっては自然への従属度がきわめて高く、生産活動は自然の変動に左右されやすい脆弱性を帯びていた。そのため人間の生産活動は自然に対する働きかけであると同時に自然の威力を体現する神仏への働きかけでもある、という二重性を孕まざるを得ない。つまり神仏への祈りは生産活動の不可欠な一環をなしていたのである(中略)換言すれば古代中世にあっては生産活動と宗教が未分離であり、経済と宗教が未分離であったのである。そして経済と宗教の未分離は、政治・芸能・文学をはじめとする様々な領域と宗教との未分離をもたらす(中略)このように古代中世の宗教はそれ自体として全体性を有していたが、近世・近代社会における技術の自立化は人間の生産活動を自然への従属から一定度解き放ち、経済と宗教の分離が果たされてゆく。このことは政治・法・芸能をはじめとする諸領域と宗教との分離をもたらし、信教の自由が付与されてゆくことになる。こうして宗教が政治・経済をはじめとする諸領域から分離・排除された結果、近代宗教は宗教一般がかつて有していたような全体性を喪失し、内面的実存的な領域に極限されていったのである」と述べておられます。これが現実の歴史的流れでもありますが、近代文明の発達にともない宗教が全体性を喪失した現代において、前近代・古代中世思想に属する蓮師の思想を安易に現代に持ち込んで正義だと主張することは時代錯誤にはなりはしないかと危惧してしまいます。21世紀に生きる我々は、蓮師から何を学ぶべきか、それを問うためにまず、真蹟現存遺文から、蓮師の思想を素描する作業をし、その上で、蓮師の思想の中で学ぶべきは学び、捨てるべきものは捨てるという勇気が必要だと思う。その点、「21世紀の日蓮」を考察されている犀角独歩さんのさらなるご活躍を期待するものです。以上長々なつぶやきで失礼しました。m(__)m

1701犀角独歩:2005/07/10(日) 00:17:33

れんさん、非常に興味深い論攷のご紹介有り難うございます。
また、エール、深く感謝申し上げます。

1702一寸法師:2005/07/11(月) 01:32:16
> 蓮師を神聖視し絶対視するあまり、蓮師の古代中世的思想をストレートに現代に持ち込んでしまっている
> 前近代・古代中世思想に属する蓮師の思想を安易に現代に持ち込んで正義だと主張することは時代錯誤にはなりはしないかと危惧してしまいます

とは、具体的にはどうような内容でしょうか。創価学会や富士系のような折伏は、日蓮聖人の思想には本来ありませんし、他宗からは非難されているようですが・・・。つぶやき

1703犀角独歩:2005/07/11(月) 08:20:54

戦前の日蓮門下について、わたしはもっと反省されて然るべきであろうと思います。

世界最終戦争、天皇本尊論に基づく、アジア侵略で日蓮折伏が果たしてしまった悪をもっと反省されなければならないと考えます。

戦後、創価学会の折伏大行進、また現在の顕正会の折伏は、中世以降醸造された折伏の意味を変えたものであったのであれば、その点は闡明にされるべきでしょう。しかし、学会も顕正会も侵略戦争に荷担したわけではありません。大木師は日蓮正宗の戦争責任を書きました。では、日蓮門下全般に戦争責任はなかったのかという問いは可能でしょう。わたしは大いにありと考えます。そのような責任を負うものが、その反省もなく、単に学会、顕正会を批判することは、まったくの無反省であると批判されて然るべきです。人のことより、まず、自分の反省が先決です。

1704犀角独歩:2005/07/11(月) 09:45:48

わたしは、勝った・負けたなど、まるで興味がありません。
事実は何か、興味はそれだけです。
事実と違うことを自分が信じていたことに気付けば、訂正して、また、前に進むだけです。ただ、そのときに自分が事実にあらざることを人に語ったことがあれば、その点は率直に反省もし、謝罪もします。潔くありたいと思っています。

人権侵害には断固甘んじません。
その権利を侵すものとは徹底的に戦います。
自分の人権は自分で守ります。いささかの妥協もしません。

善侶は尊敬します。しかし、悪侶・虚偽伝導の組織と指導者(僧俗を問わず)は糾弾します。妥協しません。そのような者の前では、一歩も引きません。

1705犀角独歩:2005/07/13(水) 09:00:17

○かつて、わたしが信じていたこと、わたしがいう「21世紀の日蓮」とは

01.「池田先生」は、世界最高の指導者である。
02.「南無妙法蓮華經」とは生命を表し、宇宙の透徹した真理である
03.「御法主上人猊下」は「唯授一人血脈相承」を継承している
04.日蓮「大聖人」は「久遠元初自受用報身如来」であり、「御本仏」である
05.「本門戒壇の大御本尊」は日蓮「大聖人」の「出世の本懐」である
06.「本門戒壇の大御本尊」は「人(日蓮大聖人)即法(本門戒壇の大御本尊)」である
07.大石寺は蓮興目道…と「唯授一人相伝」の唯一正統な寺院である
08.大石寺「御法主上人猊下」の弟子である僧侶のみが正統な僧侶である
09.「御本尊様」は大石寺「御法主上人猊下」のみが書写の権能を有する
10.大石寺授与の「本門戒壇の大御本尊」を書写した「御本尊」以外に功徳がない
11.「日蓮大聖人御書全集」に掲載される「御書」はすべて日蓮「大聖人」の真筆である
12.天台「大師」、妙楽「大師」、伝教「大師」は最高の法華経解釈者である
13.羅什三蔵は最高の漢訳者である
14.法華経は釈迦「牟尼仏」の究極の教えである
15.一切の仏典は釈迦「牟尼仏」の教えを文字にしたものである

ざっと挙げれば、こんなところでしょうか。「」で括った用語は、いわゆる専門用語で一般社会では通用しない言葉です。敢えて括ってみましたが、日蓮門下の信仰がこのような特殊用語にどのように反応するかという条件反射によって訓練された思念によって決定付けられていることがわかります。

01は創価学会のみで通用するところ。
02は石山僧俗でも信じている人はあること。
03〜10までは石山僧俗のみで信じられていること。
11は最近まで日蓮門下大半で信じられていたこと。
12〜14は法華宗(天台法華宗、日蓮法華宗)で信じられていること。
15は仏教徒の間でつい最近まで信じられていたこと。

世界の総人口は60億人。残念ながら、池田さんはわずか数百万人(1000万人としても1.6%が指示する指導者で世界最高とは言い難い。60億人のほとんどの人は池田さんの名前すら知らない)、石山住職は問題外。

南無妙法蓮華經が生命などという教えは日蓮の教えにはない。
大石寺が言う唯授一人血脈相承を証明できる証拠はない。
日蓮本仏論は、恵心流口伝法門「止観勝法華劣」「天台勝釈迦劣」を「御書勝止観法華劣」「日蓮勝釈迦劣」と焼き直した中世の捏造であることは、ほぼはっきりした。

1706犀角独歩:2005/07/13(水) 09:00:49

―1705からつづく―

いまの彫刻本尊は禅師授与漫荼羅を臨模・作為した模造品であることは明確になった。よって、それが人即法の訳もなく、彫刻を宗祖を見なす器物崇拝は高橋紳吾師の言を借りれば「象徴(シンボル)の病」に過ぎない。そのようなものを祀る寺院が正統なわけはない。また、そのような事実を隠匿して、信者を騙し、隷属搾取する形ばかりの僧が正統であるわけもない。

「御本尊様」といわれる漫荼羅書写が大石寺住職限定権限の証拠は何もなく、元より模造品である彫刻本尊を、名ばかりの書写(書かれている内容が彫刻と石山住職が書いたものでは違っている)したものに功徳があるとの思いは個人的リアリティを超えない。功徳は、宗教の数だけあり、罰も宗教の数だけある。つまり、その功罪は、実は各人の潜在能力にあり、特定宗教・指導者・教えにあるわけではなかった。

「御書」は、その大半が真偽未決であり、疑偽濃厚であり、それを直ちに日蓮の教えとするのは誠実な姿勢とは言えない。

では、真跡である日蓮の教えに間違いがないのかということが問題になる。日蓮の教えを支えるのは天台六大部その他の釈で、その釈は仏典という釈尊が説いた‘される’文書が真実であり、漢訳されたものが正確無比であるという前提によって成り立っている。

では、この前提が事実かと問われたとき、残念ながら、それを証明できるものはなく、むしろ、後世の創作であることは明らか。また、羅什の漢訳は奔放で作為的であることは近代の梵本研究で明らかになってきた。

このような釈尊が説いたわけでもない経典を釈尊が説いたものとし、さらに意訳を含む漢訳を元に釈されたものは正確であるとは言い難い。法華経に至っては西暦前100年から西暦後300年頃までに段階的な創作されたものであり、これが釈尊究極の教えであるなどということはもはや虚偽の範疇を出ない。

以上、自分が信じてきたところを総括した結果です。

さて、ここでどうするか。特定信念体系下でいまも言われ、教えられていることに疑いを懐くのは謗法であり、悪である。故にそのような自分の惰弱な信仰に鞭打ち、組織・指導者によって教えられるところを無疑曰信、以信得入の教えに従って自他共に折伏すればよいのか。こんなことを惰弱な信仰しかない自分は獅子身中の虫であるから、もっと信行学に励み、組織・指導者の言うとおり進めばよいのか。そう考えた時期はもちろんありました。

しかし、そんな選択は、事実の前には、ただ虚しいだけです。それまで、永年に亘り、人生の大半を賭けてきたことを否定する真実。その事実を受け入れることは、たしかに苦痛が伴いました。

上記挙げた15の事実に有らざるところを、では、受け入れて、それで何が残るのか、残るものが有るか無いか。有るとすれば、それは何か。また、それしか、事実で動く実社会では説得力を持ち得ないと言う事実もまた受け入れ、何があるのか、それを考えてみようと言うのがわたしがいう「21世紀の日蓮」ということです。

…長くなりましたが、つぶやきです。

1707犀角独歩:2005/07/13(水) 11:06:07

【1705の訂正】

誤)世界の人口60億人…学会員数(1000万人として)1.6%
正)世界の人口63億9003万人(国連人口部)…学会員数(1000万人として)0.156%

1708藤川一郎:2005/07/13(水) 11:33:19
>>1703
>>世界最終戦争、天皇本尊論に基づく、アジア侵略で日蓮折伏が果たしてしまった悪をもっと反省されなければならないと考えます。

「アジア侵略で日蓮折伏が果たしてしまった悪」と言うのは大東亜戦争侵略戦争論が前提になっていませんでしょうか?
(もちろん天皇本尊論、国旗本尊同格論等はもちろん無理な論理ですが。)
しかしながら、私のような「大東亜戦争正義論」の立場から言えば、アジアでの戦争が「アジア各国の植民地解放→独立」につながったと言う功績が強くもあります。
日蓮主義の是非はともかく、その面から言えば、功績がありますよね。

ちなみにもし大石寺が戦争に協力したというのなら、日本皇民として当然のことであり、マルクス史観(自虐史観)が崩れた現在、もっと誇っても良いと考えております(やばい、攻撃を受けそうな投稿になってしまった)。

1709きゃからばあ:2005/07/13(水) 12:24:31

あらゆる戒律を破るよりも法華経を謗るほうが罪が重く、そのために無間地獄に堕ちるなら、初めから法華経はいらない。
あらゆる本尊を謗るよりも板漫荼羅を謗るほうが罪が重く、そのために無間地獄に堕ちるなら、初めから板漫荼羅もいらない。
結局、どちらも無間地獄に堕ちるためのものだったのか?
本当に法華経とは何だったのだろうか?

以下、現時点の私のつぶやき。
本当は宗教の神秘的な産物ではなく、もっと身近な道徳や哲学的なものであり、あらゆる不平等を排除し、因果律によって悪心を除き、世界全体の秩序と平等を築くためのものではないのでしょうか。
その全体の平等や因果律を無視すると罰(結果)として亡国(地獄)になることを教えているのではないのでしょうか。
一日も早く、すべての国土の上に掲げられる、政治も経済も平等でかつ生命を尊重する国際法が確立して欲しい。
それが法華経の意(こころ)のような気がいたします。
そしてその意の象徴が漫荼羅であり、個々の人々のその意が本尊ではないのでしょうか。
未来に相承しなけらばならないのは、その法華経(平等と因果による安国)の精神です。
そして全知全能のような神秘的なものは、衆生を惑わす悪(犯罪)なのです。

1710犀角独歩:2005/07/13(水) 13:01:17

> 攻撃を受けそうな投稿

藤川さんに攻撃するほど、無謀じゃありませんよ、だいたいつぶやきですから(笑)
まあ、当然、コメントも戻ってくるだろうとも予想していました。

ご承知のとおり、わたしは、左右どっちだと聞かれれば、どちらかといえば右、右系左派という言い方が成り立てば、そんな口です。天皇を否定しているわけでもありません。

また、善か悪かといった二極論でいっているわけではなく、何事と善いところも有れば、悪いところもある。善いところは伸ばせばいいし、悪いところは直せばいい。

だから、たとえば、敗戦後の占領軍を支配したのは国辱であったけれど、日本人の人権と思想の自由を保障した点はよかった。じゃあ、どっちがよかったという議論はナンセンスだと思うわけです。敗戦になるようなことはしなければよかったわけで、では占領軍が与えた自由は、結局のところ、旧き佳き日本の心は殺したという一面もあります。じゃあ、かつての日本の心は100%正しいのかといえば、100%云々することではない…、と、まあ、こんな具合になってきますね。

ですから、「戦前の伝統教団はちっとも悪くない、悪いのは戦後の創価学会と顕正会だ」と言えば、「ちょっと、待った。あなた方の集団と戦前の教えは本当にそんなご大層なものなのか、反省するところはないのか」と突っつかざるを得ないと言う話です。何故か。反省というものがまったく見られないからです。反省無きところに進歩はない、反省無き者は過去の誤った歴史を繰り返します。そんなものに巻き込まれるのは御免だということです。

無反省・無自覚の日蓮もどきの跋扈に一言ということです。
生きた化石みたいな日蓮論など冗談じゃない、「もっと反省しろ」ということです。

1711パンナコッタ:2005/07/13(水) 13:42:19
画一的な物の見方(黒か白・善と悪)で、全てを判断するような単純な思考に陥っていると
結局何も解っていないのに、対立する意見に対し憎悪感情を抱く結果になってしまうのでしょう。

杉並の日蓮宗・蓮光寺にネタジの遺骨があります。(墓ではありません)
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/chandra_bose.html

マハトマ・ガンジーの名は誰でも知っていますが戦史を研究している方でもなければボーズの名は
知らないでしょう。しかし、彼の取った行動、何故ネタジなのか、遺骨が日本にある意味等を考えれば
一筋縄で物事は図れないという、複雑さの一片が垣間見られると思います。

1712犀角独歩:2005/07/13(水) 14:13:56

きゃからばあさんの「一神教」批判、わたしも同感です。

パンナコッタさんご紹介のサイト、面白いものでした。
大国ロシアを圧した唯一のアジアの列強国日本は、ロシア侵略からアジアを救った…、藤川さんが肯定する内容と軌を一にする記述は目が引かれ、30分の名演説で、上流夫人が身に付けた宝石類を貢がせたといっ件は、文が生き生きとしていますね。英雄不死伝説願望という側面も「なるほど」と思った次第です。ご投稿の趣旨とは違うところで感心したようなレスで恐縮ですが。

1713藤川一郎:2005/07/13(水) 16:08:48
たまには関係ないつぶやき。
今年も5月に三社祭が行われたんですが、そもそも「三社」って何?
浅草の人ですら余り知りません。

今から1370年程前、隅田川の漁師、檜前浜成・竹成の二兄弟が網の中に入った一像を持ち帰りまして、識者であった土師真仲知に見て貰った所、土師は尊い聖観音像であるとし、自邸に堂舎を構えて寺とした。これが浅草寺の起源であり、その後、天台座主によって中興されました。

さて、後世「檜前浜成・檜前竹成・土師真仲知」の三人が浅草の開拓者として、三社大権現の尊称を奉られ祭祠されるようになったのですが、その後、神仏分離令により明治6年三社権現の名称は廃され、浅草神社となりました。このように明治以前は寺院とその境内地に垂しゃく堂があるのが当然でありました。神仏分離により本来境内地にあった垂しゃく堂が神社として別になっているのは、日本の伝統としてはかなり不自然なんだと思います。

1714通行人:2005/07/13(水) 23:10:23
ボーズじゃなくて、ボースです。しゃれですか。そんなに日本にとって、尊敬に値する人物なんすか?
「日蓮正宗は先の大戦で日本皇民として積極的に戦争に協力しました。中国、朝鮮半島の人々は、この日本と日蓮正宗の活躍を心から喜んでいました」って、『大日蓮』の表紙に常に書くといいですね。
つぶやきですよ、つぶやき。

1715犀角独歩:2005/07/14(木) 11:24:03

> 1714

ここは、つぶやきですから、こんなふうな突っ込み方は、止めたほうがよろしいでしょう。

1716パンナコッタ:2005/07/14(木) 12:20:17
>1171 おっと、これじゃスピーカーのメーカーだな。失敬。
尊敬するかどうかは、個人の価値観でいいんじゃないの。

1717パンナコッタ:2005/07/14(木) 13:42:30
>1711だ。 すんませんね。

1718小心者:2005/07/15(金) 20:50:11
、、、ゴメン下さい。
 総合ログにも「成仏、、?」の項目が不在、、。 速成就佛身、、と御座いますが、ドーモこの一件が欠落のようでしょうか、?? 仏とは、??? ナゼ、、大切か、その獲得の手段は、、??? 原点かと、、?? 存じますが、??

1719ラキ:2005/07/15(金) 23:29:08
つぶやきですよ〜
石山宗務院に「三転読授」の質問をしたら、所属寺院で教学的な事は聞いてくださいて・・・
不親切すぎませんか?
所属寺院で聞いても納得できないから電話したのに・・・
「十にょうぜいを3回繰り返して読んでるでしょ。それが三転読授ですよ」て。
ついでに、学生の小僧さんがどうしゅの勤行のとき、高速読授&1分題目て惰性で勤行してるようで、
質問しようと思ったのに。
お水をお供えして下げるとき、容器を乱雑に扱ってるから、戻すとき、音がガシャガシャて聞こえるんですけど〜
と、富士学林にでも問い合わせしてみようかな?(^^;

1720空即是進化:2005/07/16(土) 00:54:49
独歩さん、がんばれ!
>1705,1706
『上記挙げた15の事実に有らざるところを、では、受け入れて、それで何が
 残るのか、残るものが有るか無いか。有るとすれば、それは何か。また、
 それしか、事実で動く実社会では説得力を持ち得ないと言う事実もまた受
 け入れ、何があるのか、それを考えてみようと言うのがわたしがいう
 「21世紀の日蓮」ということです。』

 それが知りたいのです。
 本仏論も摂折論も、もはや関心が持てなくなっております。
 旧約聖書のモーゼ5書も、モーゼ1人の作でなく、最低4人以上の人間が
それぞれ自分の都合で書いたものを、後で合体させて造ったらしい。
 古今東西、人間がやることはいっしょ。

 皆さんの更なる(未来に向けた)見識をご披露ください。

1721顕正居士:2005/07/16(土) 06:59:06
ここは「つぶやきすれっど」なので1700 1705 1706 1709 1718 1720などの内容について意見を交換するスレッド
を作ってはどうでしょうか?「現代人が納得できる日蓮教学」とか。

わが国の仏教の「現代」はいつ始まるのか?飲光慈雲が悉曇学を復興し、富永謙斎が経典成立史を解明した
18世紀だろうとおもいます。この時点では睡眠中の仏徒は未だ覚醒せず明治の廃仏に至った。ようやく各宗は
欧州へ留学生を送って、現代仏教学が誕生した。以後、わが国の仏学の発達はめざましい。だが各宗の先哲、
さまざまに改革の努力をしたけれども、ついに葬式仏教から脱化しなかった。現代仏教学の知見は薄弱にしか
普及せず、伝統宗学の学習すら衰退した。そこで人民の宗教需要はほとんどが新興宗教に吸収されていった。

結局、わが国の仏教は今は整然、3種類に分かれるに至った。学問仏教、葬式仏教、仏教系新興宗教である。
伝統宗学も学問仏教に属する。いつの時代でも高等な学問は少数学僧のことで、在家信者の多数は基礎的な
宗学も知らなかったといえばそうであろう。問題は間を繋ぐ一般僧侶の教養である。かつて日蓮宗諸派の壇林
では能化に至るのには20年ほどかかった。天台の六大部を隅々まで学習するのにはそれくらい必要であった。
今日では僧侶と在家信者の教養には大差がないから、仏教学者、宗学者たちは直接に在家信者を対象にした
著作をよく出すようになった。葬式仏教、新興宗教に満足しない読者は増加しているようである。読書仏教の
隆盛である。わが国の仏教が結果的に当たり前のところに到着したのだといえる。現代仏教学の見識の上に
立った仏学書を手引きにして、次には自ら仏典を読む、それが在家仏教徒の基本である。中国、台湾の仏教
はまったくこういうあり方である。漢文がわれわれよりも楽に読めるからであるが、仏教学が発達した日本では
サンスクリット語、パーリ語からの現代日本語訳経典も溢れており、仏教を学ぶにはわが国が最高の環境です。

1722犀角独歩:2005/07/16(土) 10:31:33

空即是進化さん、エール、有り難うございます。
また、お会いいたしたいと思います。

1725藤川一郎:2005/07/16(土) 17:44:06
>>1719
ラキさんへ
一応横レスしますが、宗務院に教学的な事を直に聞いても意味がありません。
そもそも、宗務院が教学的な質問に答えることがあるとすれば、それ自体が筋違いです。
宗務院は宗務行政の機関に過ぎません。ましてや化儀に関しては末寺の裁量で微妙に違う事もありますから、余計な返答をすれば、逆に宗務院が指導教師の権限を侵害したことになるのですから、答えることが出来ないのです。
よく法華講の方は近代的な用法で「所属寺院」と申しますが、古い信徒は「寺籍」と申す方が多いです。また指導教師では無く「引導師範」(貫首)などと言われる方もおります。
寺籍の引導教師が全てを裁量する。その解釈がそれぞれ微妙に違う事もある。
ですから下手な返答は出来ないのです。その寺でどのような指導をしているか宗務院には分かりませんから・・・!

1726ラキ:2005/07/16(土) 18:43:11
藤川一郎さんへ。
宗務院に直に回答をもらいました。
当たり障りがない回答で、こんなものかと微妙に納得してお終いです。(^^;

1727パンナコッタ:2005/07/23(土) 12:54:26
放送大学の「仏教の思想」というラジオの講座が先日終わりました。(放送大学は45分授業なんですね。知らなかった)自分は全部聞いたわけでは無く
半分ぐらいでしたが、それでも歴史を通して様々に変化・発展していった仏教をその”思想”で捉えるという方法は自分にとっては新鮮でした。しかし、
史学的に見てみればごく普通の事でしょうし、当たり前の事なのかもしれません。
これは「自分が正しい仏教の教団に所属している」という考え方をずっと刷り込まれていたからなのでしょうね。

あらためて基礎的なインド・史学(講義では現在は衰退しているとの事)があってこそ、これからの仏教であると実感した次第です。

ちなみに現在の日本仏教の問題点を、
 ・宗派制
 ・シンクレティズム
 ・本覚思想 
   と指摘していました。

1728犀角独歩:2005/07/23(土) 19:00:05

富士門流というのが、日興を派祖としてはじまり、保田(小泉)の日郷、西山日代、石山の日目、上行院の日尊その他孫弟子に端緒を見る門派一般を指すとすれば、現在、その末流がやっていることを、日興の確実な資料と照らすとき、その末流の主張は、日興と異なることははっきりとしています。

となれば、流ればかりは日興を祖とするものの、その内容たるや、上古の日興に比すれば、新興宗教と何ら変わるところはなく、五十歩百歩の相違でしょう。

また、日蓮の本意は「本弟子六人」にあり、そこに偏頗はありません。ならば、一人日興を採って、他を捨てることは、そもそも日蓮の本意に悖ることになります。

ここ富士門流信徒の掲示板とは、そのような偏狭な独善を越え、日興から日蓮を戻ることを希求した人々の集まりであったと存じます。また、かつて話し合ったことであったと思いますが、日蓮が定める「本弟子六人」の遺言を遵守するとは、それぞれが門派意識を反省し、日蓮門会一丸となって、大道を進むことを意味するはずです。

しかしそれが、現在考えられている富士門、殊に、日蓮本仏、彫刻本尊を主張する信仰ばかりが富士門流であるなどとし、それ以外を批判するような態度は、源を弁えず、自身、新興宗教、改竄教学の徒である事実を確認できない愚論であると、わたしは、呟いておきます。

以下、参考までに

興門教学の思想的展開の一考察
教学の本質を中心として
執行海秀
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_001.html

1729顕正居士:2005/07/23(土) 23:56:09
門派、学派、包括法人

この掲示板は大石寺派とそれから出た新興教団の間の抗争などにより、日蓮宗富士派の宗学、宗史について
ますます誤解や混乱が増幅しているので、これを幾らかは是正できないものかという考えからはじまったように
記憶しています。そこで門派、学派、包括法人ということを理解する必要があります。

日蓮宗分派図 http://bukkyo.rissho.jp/inform/shugaku/shu_0141.htm

日蓮宗富士派は富士日興の門流であり、八本山があります。北山本門寺、 小泉久遠寺、 大石寺、 下条妙蓮寺、
西山本門寺(以上、富士五山)、柳瀬実成寺、 京都要法寺、 保田妙本寺です。包括法人とは日蓮宗、日蓮正宗
など各寺院が所属する法人です。包括法人としての日蓮宗をいう際には、「単称日蓮宗」ということがあります。
北山本門寺、 小泉久遠寺、柳瀬実成寺は単称日蓮宗に所属、大石寺、 下条妙蓮寺は日蓮正宗に所属、他3寺
は単立本山です。他に単立寺院の非法人の連盟の正信会があります。なお創価学会、顕正会は大石寺の系統
から出た新興教団です。

学派というのは、学問の師資は門派の師資より優先するので、壇林時代になりますと学派が形成されます。
今日では充洽園学派より起った立正大学が日蓮宗で唯一の学派ですが、別に国立大学の印度哲学系統の
学脈が存在します。

1730小心者:2005/07/24(日) 00:42:09
、、あくまで、、一言のツブヤキです、、。 ここにも、、庶民の願望、、===速成就、、仏身、、===成仏、、への問題は全く論外視されている論法には、、人生の生き様、、への無責任、、、無関心、、はたまた、、着いて来い、、という、、??、、傲慢さスラ視野になりましょうか、、???

1732犀角独歩:2005/07/24(日) 09:28:21

1729 顕正居士さん、補完有り難うございます。

「充洽園」とは優那陀日輝に始まるところでしたか。
立正安国論をさて置き、さらに現代摂受で、出発が立正大学と読めますでしょうか。

1733パンナコッタ:2005/07/24(日) 11:00:00
ここでの受け答えは良くないのですが、小心者さんが怒っているようなのでとりあえず、
「即身成仏事」といわれている弘安三年七月二日の『大田女房殿御返事』が蓮祖の考え
であると思われます。(真蹟二十一紙完 中山法華経寺蔵)

1734顕正居士:2005/07/24(日) 11:08:31
>>1732

舜統真迢が宗外に出てこの宗の学行の弊害を指摘したのに対して、草山日政は宗内にとどまり弊害を刷新
しょうとした。その草山の教風を慕ったのが本妙日臨で、優陀那日輝は壇林を去って彼を訪ねた。門派でも
壇林でもない革新教学を創始した日輝の許には学徒が参集して充洽園学派を形成した。その資、新居日薩
が日蓮宗の初代管長に就任し、品川区大崎の日蓮宗大学林が今日の立正大学になった。大崎学派という。
以後、大石寺派(日蓮正宗)であろうが、妙満寺派(顕本法華宗)であろうが、日蓮宗学を専攻するのはこの
大学であるから、学派としてはすでに統合されているわけです。

新居日薩和上 http://www.t3.rim.or.jp/~nichiren/hoke/hoke15.html

1735犀角独歩:2005/07/24(日) 13:34:38

1734 顕正居士さん

有り難うございました。

1736パンナコッタ:2005/07/24(日) 13:39:30
>>1733
 失礼、『大田殿女房御返事』ですね。_(._.)_

1737パンナコッタ:2005/07/28(木) 21:59:44
週刊誌ネタなのですが、創価学会の全国男子部長が女性問題で解任されたとの記事があり、
他の掲示板の一部では盛り上がっているみたいですね。まあ、どうでもいいことなのですが
恐らく組織内では”動じるな”との引き締めは、やるでしょう。しかし、末端をいくら締め付けても
エリート幹部の不祥事は直接関係ありませんし、今後もこの手の問題は出てくるでしょうね。

なんだか、巨大教団が蔑んで見ている小乗律こそが「あなた達には必要ではないのか」と思ってしまいますね。

1738犀角独歩:2005/07/28(木) 22:19:15

つぶやきですが、1737に賛同します。

1739愚鈍凡夫:2005/07/30(土) 19:06:13

ご無沙汰しております。
もしかして、パンナコッタさんが仰ってるのは、この御仁のことでしょうか?

池田名誉会長が「ケダモノ!」と激怒した 超エリート幹部の「ハレンチ解任劇」
http://wave2005.hp.infoseek.co.jp/kyouki/050729.htm

組織が大きいぶん、いろんな人間がいるんでしょうが、男女関係の問題って創価学会には多いですね。 ( ̄(エ) ̄)ゞ クマッタナー

河川は源に行けば行くほど澄んでいるものですが、人間の組織は、上へ行けば行くほど濁っていくものなのでしょうか。 ( ̄〜 ̄;) ウーン

1740青島:2005/07/30(土) 23:49:56
事件は現場で起きている!会議室じゃない!

1741パンナコッタ:2005/08/01(月) 13:50:46
お薦めスレの >266の蛇足的な部分は自分の勝手な主観で、決して茶化した訳ではではありませんのでご容赦ください。

1742パンナコッタ:2005/08/04(木) 13:47:12
『英雄を崇拝する人は、たとえ暴力によらなくても崇拝する対象の名誉が傷つけられたと感じるとひどく傷ついて激怒するものです。
そういったことが国家間の戦争の引き金になってきたことはよく知られています。

 英雄崇拝をする人が傷つきやすい理由は、英雄崇拝の心理を考えれば理解できるでしょう。劣等感や無力感を持つ人は、自分自身の
値打ちによって人から尊敬してもらえないと思うので、称賛に値するものや人と結びつくことによって、自分の存在意義を見いだそうとします。
 このような、自負心を持ちたいという欲求は非常に強いもので、からだが酸素を必要とするように精神にとってなくてはならないもの
かもしれません。したがって、英雄が侮辱されると、自分の存在意義がおびやかされたような気がするわけです。 

 英雄と自分を結びつけるのは、他にも目的があります。 完全な人間などいません。誰でも失敗します。それでもなお、全知全能の存在になりたい
という欲求がありますが、これはしょせん無理というものです。そこで完全なものだと思える何かと自分を結びつけることによって、
このハードルを越えようというわけです。その完全なものの一部になることによって、完全のおこぼれにあずかろうとするのです。
 崇拝の対象が神に近いと感じることで、完全なものへの欲求が満たされるので、崇拝の対象に欠点があると指摘されることは、
絶対にがまんがなりません』    A・J・ツワルスキー  スヌーピーたちの性格心理分析 より引用


荒し行為や常識外れの嫌がらせ的行為をする人たちは、上記の引用で「自分中心でまわりが見えない人」と指摘されています。

1743藤川一郎:2005/08/09(火) 14:20:55
8月9日は「北方領土の日」です。
本日あらためて、日ソ中立条約を見てみました。
第1条 両締約国ハ両国間ニ平和及友好ノ関係ヲ維持シ且相互ニ他方締約国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スヘキトヲ約ス
第2条 締約国ノ一方カ一又ハ二以上ノ第三国ヨリノ軍事行動ノ対象ト為ル場合ニハ他方締約国ハ該紛争ノ全期間中中立ヲ守ルヘシ
第3条 本条約ハ両締約国ニ於テ其ノ批准ヲ了シタル日ヨリ実施セラルヘク且五年の期間効力ヲ有スヘシ両締約国ノ何レノ一方モ右期間満了ノ一年前ニ本条約ノ廃棄ヲ通告セサルトキハ本条約ハ次ノ五年間自動的ニ延長セラレタルモノト認メラルヘシ 

本条約の締結は昭和16年4月13日です。
つまり昭和21年4月12日まではソ連は日本領に踏み込むことは許されてなかった。
それを一方的に廃棄したのに「国際法違反」については戦犯として裁かれていません。

1744犀角独歩:2005/08/09(火) 23:55:34

ここのところ、わたしに対する不満を書く方が増えています。
管理人さんには、ご迷惑をかけ、たいへんに申し訳なく思っています。

わたしの「うんざり」発言がいけなかった部分があるのでしょう。

しかし、おしなべて言えることは、わたしに対する不満・批判は、かつて、わたしが他者に対して、示した言論と感情と同じで、その意味で、言ってみたい気持ちはわかるし、わかるだけに今さら面倒くさいという意味もあります。まあ、わたしも通った道だという思いで同情はあります。付き合いたいのですが、あまり、付き合うと、管理人さんを煩わせてしまうという申し訳なさもあります。

通ってきた道は、「何だ、こんなふうになっていたのか」と、わたしならずとも誰でも気付けるものなんですが、所詮、団体や、指導者、そんなものに拘っていると、それより大きなものが見えないことになるので、前に進めなくなり、かったるい、ということになるわけです。

まあ、しかし、団体、指導者の代弁が宗教ではないとわかる人であれば、わたしが歩いた道は、あなたも、やがて通る小道です。先に歩いた人、わたしの話を聞いてみるのは一考だということです。あなたの気持ちはわかりますよ。なぜなら、わたしはもっと過激でしたから。もちろん、それは過去形ではなく、現在進行形です。

1750管理者:2005/08/10(水) 16:50:31

1745-1749

当事者からの申し出がありましたので、申し訳ありませんが削除させていただきます。

1751犀角独歩:2005/08/10(水) 22:25:39

皆さん、済みません。わたしのほうでお願いして、今回は削除していただきました。

1752犀角独歩:2005/08/12(金) 20:34:59

本年は、オウム真理教地下鉄サリン事件から10年目に当たる。
さらに遡れば原爆投下から60年…。そう考えながら、本日ニュースを見れば御巣鷹尾根への航空機事故から20年。つい少し前まで、わたしは本年が小樽問答から50年、言論出版帽が事件から35年であるとも語ってきました。

00年…1945年…原爆投下、敗戦
10年…1955年…小樽問答
35年…1970年…創価学会言論問題
40年…1985年…御巣鷹航空機事故
50年…1995年…阪神淡路大震災、オウム真理教地下鉄サリン事件
60年…2005年…本年

わたしは、10年、5年のきりで何かを考える習慣はない。けれど、偶然か必然か、以上の一連の事件の起きた年を反芻しました。それはまた、本年で自分が50の齢を経るからかも知れません。

1753犀角独歩:2005/08/12(金) 20:53:56

【1752の訂正】

誤)35年…1970年…創価学会言論問題
正)25年…1970年…創価学会言論問題

1754パンナコッタ:2005/08/19(金) 11:55:03
独歩さん、普通の事をして”賢人”だなんて、自分に対してはホメ過ぎです(◎-◎;)

『描写するための創作の嘘はたちどころに、【真実】と、なり得る。これが小説である】
          池波正太郎  「新選組異聞」 より引用

小説ならば作家の力量や盗作に対して厳しい目で見られますが、仏教関係の教書等は
”ありがたいものである”との先入観・イメージが先行してしまい今まで割と無頓着
だったのではないでしょうか。 
だから古人の意図したものをキッチリ把握出来る物は把握し、現代社会でも通用するものは
採用し、そぐわないものは切り捨てる判断を出来るように個人がなっていかなければ、
いけないのでしょうね。

1755藤川一郎:2005/08/19(金) 15:31:55
原爆投下(終戦)から60年ですか?
アメリカでは今でも戦争終結のためにやむを得なかったと発言しているようですが、広島と長崎への原爆投下は「人体実験」であります。
広島に落とされた「リトルボーイ(ふざけたネーミングですが)」はウラン235を原料とする「ウラン型」であります。対して長崎へ落とされた「フォットマン」はプルトニウム239を原料とする「プルトニウム型」なのです。
大体、爆弾にネーミングを付ける等、最初からふざけてるんですが、明らかに人体実験だったのです。60年経った今こそ、それをアメリカは認めるべきだと考えております。

1756藤川一郎:2005/08/19(金) 15:55:10
>>1755
ついでにイヤミを1つ、ネーミングですが
「リトルボーイ」は「小さな男の子」
「フォットマン」は「ふとっちょ」
だそうですが、少年とふとった人が大変な損害を起こしてくれたもんです。

1757彰往考来(しょうおうこうらい):2005/08/19(金) 17:12:57

>1756 藤川さん

Fat Manファットマンですね。

http://rnnnews.jp/indepth/pg/view.php?ch=020

英語の発音に忠実に書こうとすると「フォットマン」になるのでしょうね。

ここでの話題から脱線しますが、fatは“太った”という意味以外に“脂肪”という意味もあります。米国で太った人にいう表現で“fatty jaket”を着ているというのがありまして、小生は“fatty jaket”を“肉襦袢”と訳していました。日米で同じような表現があると妙に感心したものでした

1758彰往考来(しょうおうこうらい):2005/08/19(金) 17:37:34

1757の続きです。

リトルボーイがウラン型で広島に、ファットマンがプルトニウム型で長崎に投下されました。どういう理由をつけるにせよ、2種類の原爆を同時期に投下した行為は人体実験以外の何ものでもありません。

http://contest.thinkquest.jp/tqj2001/40234/genbaku/genbaku.htm

http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/manh1.htm

ウラン型は核実験を必要とせず、プルトニウム型は構造が複雑なため核実験を要するといわれています。
しかしながらプルトニウム型は使用済核燃料を再処理することにより原料が得られますので、最初に北朝鮮が進めていたのがプルトニウム型であったと思われます。どうでしょうか、今、北朝鮮は5個前後のプルトニウム型を保有しているのではないでしょうか。1個は核実験を要しますが数個持っていれば、核保有を宣言することができます。
それに対してウラン型の原料は構造は簡単であるものの天然ウラン中にごく少量含まれる同位体を精製して得られますので、原料の確保が簡単ではありません。原子炉が止まった状態の中、北朝鮮が極秘に進めてきたといわれるのがこのウラン型です。核実験を要しないことと小さいことからノドンへの取り付けが容易と考えられますので、日本にとって非常に脅威なのです。

1759彰往考来(しょうおうこうらい):2005/08/19(金) 17:47:23

>1758

誤記訂正

誤:小さいこと
正:小さくできると考えられること

1760犀角独歩:2005/08/19(金) 19:40:49

原爆投下、まちがいなく、人体実験でしたね。
一般市民の無差別大量殺人でした。
戦争を早く終結させるために役立ったというのであれば、なぜいま、イランの投下しないのでしょうか。もっとも劣化ウラン弾でも問題ですが。結局、理屈になっていないわけです。
この前、テレビを見ていたら、アメリカの高校生に原爆投下を意見を聞いたら「たった20万人しか死なないですんだんだから正しかった」と言っていました。「たった、20万」、では、同時多発テロでは何百万人も死んだんでしょうか。異常な国民体質だと思いました。

以下、何度か引用したコピーですが

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/ikaku.gif

ジャンプしないときは、コピペしてください。

1761パンナコッタ:2005/08/19(金) 23:20:49
まあ、平和な国のティーン・エイジャーの意識とは、そんなものかもしれませんね。
同じ十代でも大戦経験者は、
 http://homepage3.nifty.com/yoshihito/3f.htm#dai-kuushuu

こんな感想を述べています。
ただ別の意味で気になったのは、新聞のプロパガンダですね。これ又富士系の体質に
非常によく似ているんですね。

1762藤川一郎:2005/08/20(土) 13:28:09
いずれにしても、当時の日本は瀕死の状態でした。そこに原爆では・・・!

総合格闘家が相手がタップしない場合、腕を1本1本、足を1本1本折っていくんだそうです。
ところがそれが面倒くさくなって(勝ちあぐねて)銃でも使いたくなることがあるそうです。
アメリカもそうで、少しずつ消耗させていくやり方が、じれてきたので、一気に大量破壊兵器を導入したと言うのが心理的な事実でしょう。いずれにしても、人間が人間にやる所業では無いですね。
もっとも、日本が白人の国だったら、絶対に原爆は落とさなかったと言うのが定説です。

1763パンナコッタ:2005/08/21(日) 09:44:24
独歩さんのブログで大白蓮華の「佐渡国法華講衆等御返事」の引用の指摘がありましたが、
あらためて切り文引用の恐さを感じた次第です。

1764犀角独歩:2005/08/21(日) 09:55:46

パンナコッタさん、ご高覧、有り難うございます。

1765藤川一郎:2005/08/22(月) 17:43:14
選挙ですね。意見を言うと、選挙違反になりそうなので、URAだけ貼っておきます。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/koizumi-rape.html
http://www.asyura2.com/0505/senkyo10/msg/256.html
http://www.pressnet.tv/log/view/4760
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku771.html
http://www.pressnet.tv/log/view/6172
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku1045.html

1766VIPPER:2005/08/27(土) 16:14:04
>>1765
藤川さん、極左団体関連のURLはいかがなものかと・・・

ところで正宗の寺院では民主党のチラシを置いてるところが結構あるようですが、
創価憎しで民主党を支持したり、民主党側がその心理を利用して擦り寄ってきたりしているのは、
物凄く滑稽で間抜けな姿に見えるのですが・・・
民主党のHPを見ればマスコミが国民に知らせない彼らの本音が満載なのに。
私は「国民主権の移譲」を見てぶっ飛びましたwww
仮に億千万が一民主党が勝利して公明党が寝返ったら悲惨だと思う。
創価憎しだったら自民党単独政権を実現して公明党を追い出すのが筋だと思うんだけどなあ。

1767藤川一郎:2005/08/27(土) 19:26:11
>>1766
これは別に極左集団のページではありません。
一部を作ってる方は、某地域で出馬しましたが、共産党でも左翼でもありません。
大体、私は左翼大嫌い人間(爆)ですので、そのようなページは挙げません。

1768パンナコッタ:2005/08/29(月) 12:06:44
栴檀さんが蕎麦好きとのことなので、ランチで蕎麦を食べながらふと思い出したのですが、

『私たちにも馴染み深い大根、意外にも外来野菜なのだそうです。鎌倉期には渡来していたとみえ、
日蓮上人の見た大根は「大仏殿の大釘」ほどの太さだったといい、【徒然草】にも、薬草としてちらりと
名が見えています。品種改良が進められたのが室町中期、女性のふくらはぎのように立派に完成したのが、
わずか三百年前、元禄の頃なのだそうです。 元々貧弱な外来野菜だった大根を、総菜頻度ナンバーワン
野菜にまで高めたのは大和魂のたまもの』   杉浦日向子 一日江戸人 より引用

ソバ(屋)好きで、先日お亡くなりになった杉浦さんの著作を改めて読み直した次第です。 ちなみに、
「上野殿御返事 弘安四年九月二十日(真偽未決)」と
「徒然草 第六十八段(大根のことを”土おほね”と記述)」 の引用のようですね。

1769犀角独歩:2005/08/30(火) 23:30:32

栴檀さん、ご覧になっていらっしゃいますか。
なかなか有意義な2日間でしたね。

わたしは神四郎の屋敷跡が特定されており、そこに墓があることも知りませんでした。
本日は、その墓参ができ、また、この地に寺院が建ちが700年近く、護られてきたことに敬意を表しました。パンフレットに載った神四郎坐像、しかし、いつ頃の作なのでしょうか。

しかし、あそこの住職さんの温厚な笑顔、吟じてくださった唄、振る舞ってくださった料理、心が温まりました。その前の学習も含め、いい旅ができたと思い出に残りました。

1770犀角独歩:2005/08/30(火) 23:33:30

栴檀さん、いま気付けば、わたしの前のご投稿は蕎麦、大根の話題ですか。
振る舞っていただいたメイン料理は手打ちのうどんでした。イカと大根の煮物も美味しかったですね(笑)

1771尾池:2005/08/31(水) 23:37:23
先日、本門寺根源のホームページがリニューアルされ、その中にある映像資料
で御大事本尊会の模様が動画で紹介されていましたが、シキミ払いという作法
が富士門流には伝わっているのですか?
だれか教えて下さいませ。

1772栴檀:2005/09/01(木) 10:48:08
犀角独歩さん、おはようございます。

お返事遅れました。
昨日一昨日、PC見てなかったものですから。

いや、まことに有意義な2日間でしたね。
富士に行くというので、
以前要法寺で購入した日興上人所持の数珠の複製を持っていったんですが、
なんとみなさん日蓮宗でありながら、その同じ数珠でしたね。
富士門流だ〜〜〜!と感激しまして、2日間はそっちを使っておりましたよ。
そう考えると大石寺が形状のみは現行一致派等の数珠の形と同じなのはなんか変ですね。
帰ってから宮崎英修師の本見ましたら、宗祖から室町まではあの形なんだそうです。
3本ある方も2本しかなく、しかも紐に珠はついていないんですね。
やはり富士は古風を守ってきたのでは、と思いました。
で、よく考えたら真宗で坊さんが正装時に持つ数珠と同じになるんですよ。これが。
色も形も。
昔は宗派での数珠の違いってあんま無かったんじゃないですかね?

神四郎さんのお墓の前で自我偈読みましたが、
あれ皆が全部読めるわけじゃないんじゃないかって思ったんです。
佼成会さんは裏経でありますが、今は普段読まないのでほとんどの会員は読めないでしょうし、
(かの先生は古参の会員なんで多分お読みになられたでしょう)
仏立宗さんの妙講一座には自我偈無いんですよ。
だからきっと読めなかったんじゃないかなって気になりました。

あとおうかがいしたいんですが、
要法寺の経典では唱題は1分間に12遍となっているんですが
やはり他の富士門流もそうなんでしょうか?
かなりゆっくりですよね?

1773犀角独歩:2005/09/01(木) 12:08:13

栴檀さん、おはようございます。

本照寺縁起につき、彰往考来さんからメールをいただき「疑義あり」と(笑)
彰往考来さん、ご教示有り難うございます。

> 日興上人所持の数珠の複製を…みなさん日蓮宗で…同じ数珠

これは興門流寺院を訪れるということで、それに合わせてお持ちになったということでしょうか。となれば、見習うべき身だしなみであると思った次第です。

> 要法寺…唱題は1分間に12遍…やはり他の富士門流

少なくとも石山には、このような既定はないですね。
ただし、創価学会では(今は言っているのかは知りませんが)「1時間3000遍の唱題」というのが、一応の目安となっていました。石山では唱題には太鼓を用いますから、こんなスピードとはならないわけです。ただ、不確かな情報ですが、小僧修行の寒経ではかなり早く唱えるなどと聞いたことがありました。極めつけは、顕正会で唱題中にメトロノーム(大笑)でリズムを取るんだそうです。まあ、これがどれくらいのスピードで「カッチン、コッチン」合わせているのかは知りません。(藤川さんに批正していただければと思います、よろしく)

1774栴檀:2005/09/01(木) 13:36:55
犀角独歩さん、こんにちは。

数珠は本来は自己の所属を表すと思いますので、
今まで通りでよかったのでしょうけれど一応持参しました。
国柱会などは用いませんしね。
でも富士一帯で仏具屋さんで「日蓮宗の数珠を」と言っても、
「富士門ですか?」と但し書きをつけなければ間違えてしまいますね。
下手すると真宗の坊さんから借りた方が早かったりしますね。

1時間3000遍ですか。
となりますと、1分間で3000÷60=50遍ですから
随分違いますね。
これは不受派の方から聞きましたが、あちらも大変ゆっくり唱題するとかで、
大聖人御在世の時はゆっくりだったからだ、とおっしゃっていました。
引き題目というのもあるようにうかがいましたが、あれは通常とは違うのですか?
田中智学師は北山本門寺の唱題が本当だ、と言っておられましたね。

メトロノームは「脱歴史化」じゃないでしょうか?(笑)

1775藤川一郎:2005/09/02(金) 02:16:38
眠いので、一言だけ顕正会のメトロノームの平均は24/1分間で設定されております。
すると1時間で1500遍足らずですかね。
浅井さんは、良く学会の唱題を「ナメコナメコ」と聞こえる。恐れ多いことですと指導しておりましたね。

1776藤川一郎:2005/09/02(金) 02:17:40
ちなみに余談ですが、単なるメトロノームではありません。本格的ですよ。だって、リズムボックスのメトロノームだもん(爆)。

1777犀角独歩:2005/09/02(金) 09:19:10

栴檀さん

> 引き題目

石山のアナウンスでは、日蓮聖人の朝日に向かっての唱えはじめの唱題は引き題目であったといいます。(何を根拠しているのかわかりませんが)

この引き題目の唱え方については、石山の唱え方を批判する声があります。
たしか、以前、みかんさんが記していたと思います。すなわち、

南〜無、妙法蓮華経南〜無、妙法蓮華経南〜無、妙法蓮華経

で、最初の「南〜無」は導師、そのあと全員で続けますが、「南無」で切ってしまうので、「首切り題目」と言って批判されるようです。


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