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つぶやきすれっど2

1700れん:2005/07/08(金) 20:14:25
つぶやきです。
摂折議論において、他の蓮師門下の方のご意見を拝見して思うことは、摂折議論に限らずであるけれども、蓮師を神聖視し絶対視するあまり、蓮師の古代中世的思想をストレートに現代に持ち込んでしまっているということですね。平雅行氏は「日本中世の社会と仏教」において「生産活動は自然に対する人間の働きかけであるが、働きかけるべき自然は古代や中世にあっては単なる即物的自然ではない。古代中世社会の生産力水準にあっては自然への従属度がきわめて高く、生産活動は自然の変動に左右されやすい脆弱性を帯びていた。そのため人間の生産活動は自然に対する働きかけであると同時に自然の威力を体現する神仏への働きかけでもある、という二重性を孕まざるを得ない。つまり神仏への祈りは生産活動の不可欠な一環をなしていたのである(中略)換言すれば古代中世にあっては生産活動と宗教が未分離であり、経済と宗教が未分離であったのである。そして経済と宗教の未分離は、政治・芸能・文学をはじめとする様々な領域と宗教との未分離をもたらす(中略)このように古代中世の宗教はそれ自体として全体性を有していたが、近世・近代社会における技術の自立化は人間の生産活動を自然への従属から一定度解き放ち、経済と宗教の分離が果たされてゆく。このことは政治・法・芸能をはじめとする諸領域と宗教との分離をもたらし、信教の自由が付与されてゆくことになる。こうして宗教が政治・経済をはじめとする諸領域から分離・排除された結果、近代宗教は宗教一般がかつて有していたような全体性を喪失し、内面的実存的な領域に極限されていったのである」と述べておられます。これが現実の歴史的流れでもありますが、近代文明の発達にともない宗教が全体性を喪失した現代において、前近代・古代中世思想に属する蓮師の思想を安易に現代に持ち込んで正義だと主張することは時代錯誤にはなりはしないかと危惧してしまいます。21世紀に生きる我々は、蓮師から何を学ぶべきか、それを問うためにまず、真蹟現存遺文から、蓮師の思想を素描する作業をし、その上で、蓮師の思想の中で学ぶべきは学び、捨てるべきものは捨てるという勇気が必要だと思う。その点、「21世紀の日蓮」を考察されている犀角独歩さんのさらなるご活躍を期待するものです。以上長々なつぶやきで失礼しました。m(__)m


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