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つぶやきすれっど2

1689れん:2005/06/26(日) 18:23:56
とりあえず、つぶやきです。
日蓮本宗本山京都要法寺には日蓮師の弟子日興師による「観心本尊抄」写本が現存するそうです。「日興上人全集」によると、書写奥書には「弘安四年太歳辛巳三月五日申時拝書写了 南無妙法蓮華経」とあるとのことです。この写本については要法寺僧侶富谷日震師が大崎学報二十八号に「本尊抄興本対照記」という論文を発表されているのですが、残念ながらまだ管見に入っておりません。しかし、ある記述によりますと興師写本「本尊抄」には「此時地涌千界出現本門釈尊為脇士」の「為」の字の左方に「ナリテ」とルビがふられているそうです。昭和新定には「本門ノ釈尊ヲ脇士ト為ス」と読みますが、興師本によれば昭和定本の如く「本門ノ釈尊ノ脇士ト為(ナ)リテ」と読むのが正しいもののようです。この興師本は堀日亨師の著述によれば石山に伝承したのを要山に与えたとしています。ということは、興師本による限り、一尊四士の造立義が蓮師・興師にあったというのが、事実であったということになると思います。「日尊上人仰云」には「日興上人仰云、末法ハ濁乱也、三類強敵有之、爾者木像等ノ色相荘厳ノ仏ハ崇敬有憚、香華燈明ノ供養モ不可叶、広宣流布ノ時分マデ大曼陀羅ヲ可奉安置云々」とありますから、具体的には一尊四士の造立は本門寺(戒壇)において…というのが興師の義であり、上代の石山義でもあったと愚考します。しかし、有師以降日蓮本尊義が主流となり、不造像不読誦・曼陀羅本尊正意論が石山に定着した結果、彫刻本尊の造立がおこなわれ、また、興師本「本尊抄」が要山に行ったことによって、興師本「為脇士」のナリテの読みが忘れられ、日蓮本尊論から日蓮本仏論に進んだ結果、現在の昭和新定の読みが石山義として定着したものと考えます。以上ながながと失礼しました。


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