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本尊と曼荼羅
1
:
管理者
:2002/04/04(木) 07:30
いちりんさんより、スレッドテーマの御提案がありました。立ち上げます。幅広い議論が展開される事を期待致します。提案文は以下の通り。
30 名前: いちりん 投稿日: 2002/04/04(木) 02:20
本尊と曼荼羅って、とてもおもしろいテーマですよね。
こちらのスレッドは、「本門戒壇の大御本尊様の偽作説について」ということですが、
できれば、「本尊と曼荼羅」というテーマで、論じていったらいいなあと思います。
管理人さん、いかがでしょうか。
真宗の本尊とか、密教の本尊とか、天台の本尊観とか、あるいは釈迦在世のときの本尊とか、いろいろとおもしろいと思います。たとえば、天台の四種三昧の修行などみますと、修行によって本尊が変わりますよね。
そういうところから、本門の本尊をとらえかえしていくと、本質的なものがみえてくるかなあと思ってもみたり。
2
:
問答迷人
:2002/04/04(木) 08:50
すでに、他スレッドで書きこんだ事ですが、参考のため、もう一度書きこみます。
日蓮聖人は、観心本尊抄では、『曼荼羅』という言葉を1箇所も使われていません。
また、真蹟御書(身延曾存)で、曼荼羅と本尊の関係、日蓮聖人と上行菩薩の関係等を記されていますので、以下に抜粋してみました。
新尼御前御返事 文永一二年二月一六日 五四歳 (平成版御書764頁)
今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫(じんでんごう)より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱累(ぞくるい)品に事極まりて候ひしが、金色世界の文殊師利(もんじゅしり)、兜史多(とした)天宮の弥勒(みろく)菩薩、補陀落(ふだらく)山の観世音、日月浄明徳仏(にちがつじょうみょうとくぶつ)の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給ひしかども叶はず。是等は智慧いみじく、才学ある人々とはひヾ(響)けども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかるべし。我(われ)五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり、此にゆづ(譲)るべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出ださせ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひて、あなかしこあなかしこ、我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず。末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星(すいせい)は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃(かんばつ)・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉(ききん)・大兵乱(ひょうらん)等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人々各々甲冑(かっちゅう)をきて弓杖(きゅうじょう)を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅(まんだら)を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶(たす)け万民は難をのがれん。乃至後生の大火災を脱(のが)るべしと仏記しをかせ給ひぬ。而るに日蓮上行菩薩にはあらねども、ほヾ兼ねてこれをしれるは、彼の菩薩の御計らひかと存じて此の二十余年が間此を申す。
3
:
独歩
:2002/04/04(木) 10:12
あと、真蹟中で「本尊」語を曼荼羅の意味で使用された数少ない一節は以下のとおりです。
御本尊一ぷくかきてまいらせ候(是日尼御書・弘安元年4月12日)
これが釈尊の図像であったと読めないこともありませんが、やはり、無理があるように思われます。
万年救護曼荼羅の端書「大本尊」の認め、上行菩薩との対句とも考えられますが、しかし、曼荼羅一幅を指すと考えるほうが自然な気もします。
以上は例外的な記述なのか、あるいは聖人が曼荼羅=本尊と考えていたのか、あるいはLibraさんが仰るように「厳密に言えば曼荼羅は本尊を表現したものであって、本尊そのものではありえない…本尊はあくまでも教主釈尊…そのことを十分に意識した上でならば、曼荼羅を本尊と呼んでも問題ない」というのが至当かもしれません。
もちろん、あくまで原則は顕正居士さんが提示くださった Ryuei 師の如き、見解が一般的に通用のあるものでなのでしょうね。
富士門流が曼荼羅を直ちに本尊と言うのは、仏・本尊=釈尊=日蓮=曼荼羅という日蓮本仏義に基づくわけなのでしょう。もちろん正しいと言うわけではありませんが、曼荼羅を本尊と呼称する整合性はあるとは思います。
ところで他五門流でも曼荼羅を本尊と呼び習わすことはあるわけで、これはどのような見解に基づくのでしょうか。
4
:
Libra
:2002/04/05(金) 11:24
本尊論に関連して、以下を、参考資料として引用させて頂きます。
──────────────────────────────────────
大崎学報一○二号に山中喜八氏が報告するところによれば、聖人自から図顕した大曼
荼羅として百二十余幅が今日に伝えられ、殊に保田妙本寺所蔵の文永十一年十二月図
顕の大曼荼羅には「大覚世尊御入滅後経歴二千二百二十余年 雖爾月漢日三ヶ国之間
未有之大本尊 或知不弘之或不知之 我慈父以仏智隠留之為末代残之 後五百歳之時
上行菩薩出現於世始弘宣之」という讃文があるという。ここに明かに「大本尊」と明
記してあるのであるから、曼荼羅は本尊ではないという立言は決して許されないので
ある。
(浅井円道「本尊論の展開」、影山堯雄編『中世法華仏教の展開』、平楽寺書店、
1974年、p. 252)
──────────────────────────────────────
本尊の形式と思想を区別せよ(勝呂信静)
http://www.be.wakwak.com/~libra/107.html
5
:
独歩
:2002/04/05(金) 12:29
Libraさん:
私は4に引かれる山中師の「曼荼羅は本尊ではないという立言は決して許されない」というの、やや言い過ぎではないのかと感じます。
通常、讃文は「仏滅後…未曾有之大曼荼羅」とされるのに、万年救護は「大覚世尊…大本尊」となっています。ここから、仏=大覚世尊、曼荼羅=本尊という等式は、容易に想像されるわけですから、山中師の言はわからないでもありません。しかしでは、なぜ、このような言い換えを、この曼荼羅に限ってされたのか?という点が明確にされない限り、結局、この等式は証明されないでしょう。
Libraさんは、この言い換えの理由をどのようにお考えになられますか。
文永11年というのは、曼荼羅図示としては、いわば初期、第二段階(身延入山の年)の始まりであって、その後、10年近く図されていく曼荼羅には「未曾有曼荼羅」と認められていく、考えようによっては初期の試作段階の記述と見ることもできないこともないと思うわけです。
また「後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之」を聖人が自ら上行菩薩を宣言したと読むことは、もちろん可能ですが、しかし本尊抄一巻の記述からすれば、この段は、「後五百歳のときに、始めて上行菩薩が出現して本尊を立てるであろう」という意味とも取れるわけです。
此時地涌千界出現本門教主釈尊為脇士一閻浮提第一本尊可立此国
しかし、ここでいう本尊は本門教主釈尊なのですから、つまり曼荼羅中に、本尊教主釈尊の出現について書き留めておいたものであると考えることは可能ではないでしょうか。
それと勝呂師の「本尊の形式と思想を区別せよ」というのは、つまり、本尊“奉安”の形式と思想を区別せよという文の運びですね。
大曼荼羅・一尊四士・一塔両尊四士、また石山義を付加すれば、三宝一体、三宝別体、御影堂式(曼荼羅・蓮祖御影)、客殿式(曼荼羅・蓮祖御影・興師御影)、さらには曼荼羅・興師御影・目師御影という形式もあるでしょう。しかし、これは“奉安”の形式を言うのであって、これを本尊のというところに、そもそもの混乱があるのではないでしょうか。
厳密に言えば、本尊というのは根本とする尊崇の対象、つまり、仏・菩薩をいうのであって伽藍に奉安される曼荼羅・仏像・尊像を言うのではないはずです。仏像・曼荼羅を直ちに本尊と言ってしまうところに器物崇拝は発生するわけですね。
聖人において、本尊は久遠実成・教主釈尊、ここに混乱はありません(もっとも富士門では日蓮本仏を言い出し混乱させていますが)。
混乱があるのは、滅後以降の弟子たちが種々考案した仏像・曼荼羅の奉安についてであると思うわけです。
6
:
Libra
:2002/04/05(金) 13:47
独歩さん:
混乱を避けるために、「本尊」という語を<狭義(厳密な意味)>でのみ使用すべきで
あるというお立場もありうるとは思いますが、私はもう少し広い意味で使ってもよいと思
います(「厳密な意味」をきちんと理解した上でならば)。
7
:
独歩
:2002/04/05(金) 20:17
Libraさん:
> …「厳密な意味」をきちんと理解した上でならば
たとえば創価学会、あるいは法華講員で、どれほどの率で「きちんと理解した」人がいるとお考えですか。その率が低いとき、それでも「広い意味で使ってもよい」とお考えになれますか。
8
:
顕正居士
:2002/04/05(金) 22:01
万年救護曼荼羅の讃文
大覚世尊御入滅ノ後、二千二百二十余年ヲ経歴ス、 爾リト雖モ月漢日三ヶ国ノ間ニ
未ダ之ノ大本尊有(ましま)サズ、或ハ之ヲ知ツテ弘メズ、或ハ之ヲ知ラズ、我ガ慈父
仏智ヲ以テ之ヲ隠留シ、末代ノ為ニ之ヲ残ス、後五百歳ノ時、上行菩薩世ニ出現シ、
始メテ之ヲ弘宣シタマフ。
「一閻浮提第一ノ本尊此ノ國ニ立ツ可シ」。讃文全体、本尊抄の要略といえ、本尊抄と
異なる所がないから、日蓮聖人の真蹟と考えてよいんでないでしょうか。
「爾リト:雖モ木畫ノ二像ハ。外典内典共ニ之ヲ許シテ本尊ト爲ス」。
しかし、
「草木ノ上ニ色心ノ因果ヲ置カズンバ。木畫ノ像ヲ本尊ト恃(たの)ミ奉ツルトモ無益也」
「我ガ慈父仏智ヲ以テ之ヲ隠留シ、末代ノ為ニ之ヲ残シタマフ」とは、
「一念三千ヲ識ラザル者ニハ佛大慈悲ヲ起シテ。五字ノ内ニ此ノ珠ヲ裏ミ。末代幼稚
ノ頚ニ懸ケサシメタマフ」であります。
9
:
独歩
:2002/04/05(金) 22:40
○いわゆる万年救護本尊・文について
Ryuei 師のサイトに5mb の BMP があったので、その相貌を明瞭に見ることができました。
http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/Mandala016.bmp
讃文は中尊・日蓮・花押の余白に以下のように記されていました。
大覚世尊御入滅後
経歴二千二百
二十余年
雖爾月漢
日三ヶ国之
間未有之
大本尊
或知不弘之
或不知之
我慈父
以仏智
隠留之
為末代残之
後五百歳之時
上行菩薩出現於
世
始弘宣之
私が意外に思ったのは「三ヶ国」の記述で“ヶ”と実際に記されていたことでした。この略字は750年前に既にあったものかと驚きました。
この文は曼荼羅を書き終え、日蓮・花押を左右に認めた後に、その余白を埋めるように記されている点に注意が引かれます。讃文というより、思いを書き留めたように感じられます。
> …本尊抄の要略といえ、本尊抄と異なる所がないから、日蓮聖人の真蹟
と顕正居士さんが仰る点は、もちろん、私も同じように考えるのですが、考えるのは「大本尊」が、実際にこの曼荼羅一幅を指すものかどうかという点です。本尊抄の略述であれば、本尊は「大覚世尊」を指すように思えます。もちろん「本尊為体」となると、ほぼ同様ですが、相貌(そうみょう)で言えば、善徳仏と十方分身諸仏の位置は違っているように感じます。
それにしても、特異な相貌であると改めて驚きました。
10
:
Libra
:2002/04/05(金) 23:08
独歩さん:
> たとえば創価学会、あるいは法華講員で、どれほどの率で「きちんと理解した」人がいる
> とお考えですか。
もしかしたら、かなり低い率なのかもしれません。
> その率が低いとき、それでも「広い意味で使ってもよい」とお考えになれますか。
「本尊」という語は、すでに「広い意味」で一般に使われてしまっていますし、宗祖に
もそういう用法がみられる以上、他人に向って「広い意味で使ってはいけない」とは言え
ないだろうと私は思います。ただし、「混乱を避けるために自分は使わない」というお立
場はありうるとは思います。
いずれにせよ、より多くの方に「厳密な意味」がきちんと理解されるように努力してい
く必要はあると思います。
11
:
独歩
:2002/04/05(金) 23:12
Libraさん:
> 他人に向って「広い意味で使ってはいけない」とは言え
ないだろうと私は思います。ただし、「混乱を避けるために自分は使わない」というお立
場はありうる
まさに、このようにありたいと思います。
12
:
いちりん
:2002/04/06(土) 14:35
「本尊」って、「根本として尊敬する」という意味らしいのですが、
根本として尊敬する「方」ととらえることもできるし、根本として尊敬する「もの」ととらえることができましょうか。
日蓮思想にあっては、根本として尊敬する「方」は、「本仏」ですね。根本にして究極な最高仏。
それは、一般的には『法華経』の如来寿量品にあらわされた「久遠の本仏」ですよね。
富士門流にあっては、これは「日蓮大聖人」ということになりましょう。
「肝心の日蓮さんは、どうとらえていたか」となると、自らが本仏であって、自らが自らを拝んでいたということになりましょうか。
やはり、日蓮さんは、如来寿量品にあらわされた「久遠の本仏」を最高に信奉されていたと、わたしは思いますが。
もひとつ、根本として尊敬する「もの」となりますと、これが仏像であったり、仏画であったり、曼陀羅図であったり、御神体であったりしますよね。
富士門流にあっては、日蓮さんのあらわした曼荼羅が本尊ですね。いわゆる「御本尊」「御本尊様」と。
この「御本尊」じたいに、力がある。
この教えが、ものすごくわかりやすく、実践的であるといえましょうか。
「正しい御本尊」に祈れば、「すばらしい結果=功徳」があらわれる。
祈るとは、お題目を唱えること。
それは、たとい信仰心がなくても、実践すれば、きちんとあらわれるのであると。信仰心、強い祈り、真剣な祈りがあれば、さらにすばらしい結果があらわれる。
戸田さんのことばでいえば、御本尊は、なにしろ「幸福製造機」なのである。
逆に、この「正しい御本尊」を誹謗したり、不敬すれぱ、とんて゜もないよくないこと=罰がてきめんにあらわれる。どうだ、すごいだろ。こわいだろ。ありがたいだろ。……という感じで、布教がされてきましたよね。
なんといいましょうか。
その、具体的な「もの」としてあらわれていること。
具体的な「行」として、お題目などが定まっていること。
そのあたりが、すごいなあと思ったりしますよね。
他の宗派というのは、その本尊というのは、そんなに厳密じゃない。こだわってないんですね。
13
:
いちりん
:2002/04/06(土) 14:57
浄土真宗あたりでは、本尊は、「南無阿弥陀仏」の六字名号なんですね。
それをあらわしたものが、本尊となって掲げられていますが、阿弥陀如来の像であったりもします。
ここいらが、親鸞会という、まあ真宗の顕正会のような過激な原理主義教団から、本願寺が攻撃される材料になっております。阿弥陀如来の像を本尊にするとは、親鸞聖人の教えに反していると。
まあ、本願寺の言い分としては、本尊には「有相の本尊」と「無相の本尊」がある。
阿弥陀如来の像だとか、六字名号をあらわした掛け軸は、「有相の本尊」である。
本尊とは、本来は「無相の本尊」である。
姿・形にあらわれていないけれども、信ずる人の心の中に思い浮かべられる仏さまである。
いつも、いつも、瞬間瞬間、わたしたちを目覚めさせてくれる阿弥陀如来=南無阿弥陀仏、それが究極のよりどころである。
……とまあ、そういう言い方をしていますね。
そして、真宗の教えのすごいなあと思うのは、南無阿弥陀仏とたくさん称えたから救われるというんじゃないのですね。
「弥陀の誓願不思議にたすけられて、往生すると信じて念仏しようと、思い立つ心ののおこるとき」(歎異抄)そのときに、救われるのだというのです。
だから、真宗の寺に行きましても、信徒が本尊にむかって念仏を称えるというのは、あんまりありませんですね。数回、なまんだぶ、なまんだぶと、称えるくらい。
14
:
問答迷人
:2002/04/06(土) 21:12
いちりんさん
>根本として尊敬する「方」ととらえることもできるし、根本として尊敬する「もの」ととらえることができましょうか。
そうすると、前に引用しました、新尼御前御返事で、いちりんさんのお考えを当てはめてみますと、
『此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫(じんでんごう)より心中にをさめさせ給ひて、……我(われ)五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり、此にゆづ(譲)るべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出ださせ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひて』
とあります。そうすると、尊敬する「方」は「教主釈尊」、尊敬する「もの」は「法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字」という関係になりそうですね。そして、その尊敬する「もの」は尊敬する「方」の内心の悟り、という関係になります。そうすると、その尊敬する「方」をそのまま表わせば、教主釈尊の木像であり、その尊敬する「もの」としての内心の悟りをそのまま表わせば、それが曼荼羅である、という関係になりましょうか。
尊敬する「方」、尊敬する「もの」、木像、曼荼羅、この辺りの対応関係が、なにか不鮮明で、捉え難い感じがしていますが、いちりんさんはどのようにお考えになられますでしょうか。
15
:
菊水護国
:2002/04/07(日) 08:24
浄土真宗での「名号掛軸(南無阿弥陀仏)」は本来無かったものです。
しかし、本願寺が廃れていた頃、出でた蓮如が親鸞の血脈(この場合文字通り血を引くという意味)を正当化するため、下付しだしたようです(日蓮宗を真似しだしたというのが多数説です)。
すなわち戦国時代以降ですね。ちなみに今や「浄土真宗」=「本願寺」ですが、蓮如以前は他派の方が多かったようです。そういう意味では蓮如はまさに中興の祖ですな。
16
:
独歩
:2002/04/07(日) 09:29
問答名人さん:
横レス失礼します。
ここのところ、本尊と曼荼羅の聖人の語法について、やや議論になっています。これはこれで実に有効な議論だとは思うのですが、まず私が明確にする必要があると思うのは、富士門における「本尊」語の使用という点であると思うわけです。
本尊=曼荼羅という場合、ともかく曼荼羅も本尊を表わそうとしているものであるから、同等に見なしてよいという基本的な了解事項があると思うわけです。そこで言われる本尊とは当然、仏教ですから、本尊は仏、これも決まりごとです。この段階で本尊と曼荼羅、まあ言い方に多少の出入があっても大きな問題ではないと思うわけです。
けれど、この仏をどう見るのかという点、これこそが最も重要な点ですね。
私が本尊と曼荼羅を敢えて厳格に分けて考えるべきであると言うのは、つまり、石山で言う本尊が日蓮とされ、さらに人法一箇とまで、言われるからです。つまり、ここでは本尊が久遠実成釈尊から日蓮に代わってしまっている。そのうえで「御本尊様」と言われれば、「それは違う」。ここが、いちばん言いたいところであるわけです。
富士義の大好きな言い換えゲームで「御書に書かれている釈迦(釈尊)は全部、日蓮と読み返す」というのがありますでしょう。この考えが、まず間違いである点を明らかにするために、聖人の本尊抄を拠り所として、「本尊とは久遠五百塵点成道・教主釈尊」であるという大前提を、まずしっかりと押さえることが始めようということなのです。
「では、曼荼羅は」と言えば、聖人が法華経の身業読誦を畢えることになる佐渡前後において、たぶんご心中にまざまざと浮かび上がった壮大な心象を筆にとって表わさずにはおられなかった体感に基づいた図示なのであろうと思うのです。それはもちろん本尊・釈尊、そして、一念三千、なにより妙法蓮華経の五字をもって勘んがえられるところですから、本尊と言っても差し支えないのかもしれません。ただ、厳格に言えば、それまでの仏像・画像曼荼羅表現と違った、聖人にはじまるところであることは事実なのでしょう。ここで私は聖人の曼荼羅図示という新たな展開のその時と、現代の感覚を混同してはいけないのだと思うわけです。
17
:
独歩
:2002/04/07(日) 09:30
―16からつづく―
問答名人さんが引用される『新尼御前御返事』は本尊と曼荼羅が交互に記され、実に難読であると思うわけです。つまりこれは、当時、本尊といい礼拝の対象と言えば、仏像・画像であるという当時の常識下で、聖人が文字曼荼羅図示・授与を始められた、それを始めて知った人々が、この「文字の曼荼羅とはいったい何であろうか」という、まったく新たな義に触れた心の揺れ動きを計算して読まないとわからないのではないのか、と私は思うわけです。この書は、その点を一所懸命にご説明になられているように感じるわけです。曼荼羅をご自身が記されたからといって、では仏像は要らないかと言えば、そんなことではない、けれど、この曼荼羅は、本尊を表わすものであって重要なのだと諄々と説かれている文面ではないのかと拝察するわけです。
現代の我々は妙法曼荼羅が定着して700年も経ているわけですから、それを本尊であると言われても何ら抵抗はないことになります。しかし、当時は、まさに「未曾有之大曼荼羅」が文字どおりであったわけであろうと思うのです。つまり、いまだかつてそんな曼荼羅、本尊もましまさなかったわけですね。
聖人は初期において、専ら唱題行を流宣された、そして、最も重要なお経は法華経であると強調された、さらに最も重要な仏様は寿量品で説かれるところの本門教主釈尊である、そして、この妙法蓮華経を末法に弘めるのは上行菩薩であると説かれてきた…、まあ、順繰りにそのようにお説きになられながら教えを広め、弟子檀那も増えてきた、そこまでで十余年が経過してきたわけです。
ところがそこで聖人は佐渡に流罪になってしまうわけです。弟子檀那からすれば、もうほとんど死んでしまわれる、二度とお会いできない、そんな思いもあったのでしょう。そこで突然、まったく見たことも聞いたこともない、文字曼荼羅の図示を始められるわけです。「これはいったいなんであろうか?」、そういう思いが弟子檀那に起きたのは当然で、それをまた聖人は一所懸命にご説明になられたわけですよね。図示の意味合いから言えば、もちろん曼荼羅である。しかし、それだけではなく、法華経の意味を表わし、一念三千を表わし、末法の正法を表わし、引いては本尊・釈尊をも表わしている…、そのことを弟子檀那に伝えたかったのではないでしょうか。
当時、聖人は釈迦立像を所持されている、弟子も釈迦仏像を崇めていたわけです。朗師が釈迦立像に執着されたのはその端的な例であったのでしょう。また、その他のお弟子方も天台寺院に寄宿し寺務を執りながら聖人の義を守っている状態であったわけですね。興師も弘安元年ごろまで四十九院の供奉僧であったといいます。そんな状況下、聖人と弟子檀那の心の交流のなかで曼荼羅・本尊が語られていったという経過があったのではないのだろうかと思うわけです。
やがて富士では仏像義は撤廃され、曼荼羅正異が確立していくわけです。ここでは仏像・画像はないわけですから、文字曼荼羅が本尊となっていったのは当然のことであったろうと思うわけです。
18
:
問答迷人
:2002/04/08(月) 08:17
独歩さん 確認させてください。
何回か読み返していますが、本尊は五百塵点劫顕本の教主釈尊がその心中に懐き持って居られる妙法蓮華経の五字であり、その五字を曼荼羅に表わしたのである、そういう文脈であるかと思います。ここでの論点では、本尊とは妙法蓮華経の五字ということになります。そういう理解でよろしいでしょうか。
19
:
独歩
:2002/04/08(月) 12:04
問答名人さん:
> 本尊とは妙法蓮華経の五字ということになります
実は、厳格な意味で私は以上のようには考えておりません。
妙法蓮華経は仏・聖人のお覚りの内容であって、本尊はあくまで菩薩道の因行・久遠実成の果徳を得た本門教主釈尊であるという考えです。
けれど、
釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足
が聖人の教えの至極であって、故に
我等受持五字自然譲歟彼因(行)果(徳)功徳
ということになるのではないでしょうか。また妙法蓮華経の五字は
不識一念三千者仏起大慈悲 五字内裏此珠令懸末代幼稚頸
というところに曼荼羅の意義が存すると思うのです。もちろん、仏のお覚りは一念三千を包み込んだ妙法蓮華経であれば、その覚りを仏・本尊の含ませて礼拝することは是ではあろうかと存じます。
また、聖人にも妙法蓮華経を仏の如く見なされるお考えは見られるかも知れず、殊にこの点をデファオルメし、終には曼荼羅を法そのものを見なし、曼荼羅正意論へと突き進んでいったのが富士門下の時代的な流れであろうと考えるものです。
20
:
独歩
:2002/04/08(月) 12:14
【19の訂正】
誤)というところに曼荼羅の意義が存する
正)というところに曼荼羅と唱題の意義が存すると
21
:
問答迷人
:2002/04/08(月) 12:19
独歩さん
仰るところは、判らないのではないのです。ただ、この
『今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫(じんでんごう)より心中にをさめさせ給ひて』という記される場合の、この御書における意味合いは、「此の御本尊」とは、「曼荼羅」でしょうか、「五百塵点劫の教主釈尊」でしょうか、或いは、「妙法蓮華経の五字」でしょうか。文脈からは,私には「妙法蓮華経の五字」を指しておられるように読めるのです。如何でしょう。
22
:
Libra
:2002/04/08(月) 16:05
今問題になっている『新尼御前御返事』の「御本尊」という語は、「曼荼羅」を意味し
ているのではないでしょうか。「わたす」という表現から考えても、そのように見るのが
自然であるような気がします。
──────────────────────────────────────
日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために此の御本尊をわたし奉るならば十羅刹
定めて偏頗の法師と・をぼしめされなん
(「新尼御前御返事」、全集、pp. 906-907)
──────────────────────────────────────
──────────────────────────────────────
さどの国と申し此の国と申し度度の御志ありてたゆむ・けしきは・みへさせ給はねば
御本尊は・わたしまいらせて候なり
(同上、p. 907)
──────────────────────────────────────
23
:
Libra
:2002/04/08(月) 16:14
「法」と「仏」の関係について考えるとき、「経は師なり仏は弟子なり」というような
宗祖のお考えはどのように理解され、位置付けられるべきなのでしょうか。
──────────────────────────────────────
昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し九十一劫金色の身と為りき其の夫の金師は今の
迦葉未来の光明如来是なり、今の乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供
養す彼は仏なり此れは経なり経は師なり仏は弟子なり、涅槃経に云く「諸仏の師とす
る所は所謂法なり乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と、法華経の第七に云く「若し復人
有つて七宝を以て三千大千世界に満てて仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せし、
是の人の得る所の功徳は此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きに如
かず」夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ勝れたる経を供養する施
主・一生に仏位に入らざらんや
(「乗明聖人御返事」、全集、p. 1012)
──────────────────────────────────────
24
:
川蝉
:2002/04/08(月) 20:55
管理人さん、独歩さん、問答迷人さん、初めまして。Libra さんお久さしぶりです。
三日前くらいに「佛教再考」から、初めてこの掲示板を知りました。ちょっとお邪魔させて頂きます。
新尼御前御返事にもある「此の五字の大曼荼羅」とは、中央の南無妙法蓮華経のみを指すのでなく、大曼荼羅全体をさす言葉ですね。
釈尊の証悟の世界、すなわち本仏釈尊の身土を大曼荼羅全体をもって表している。あるいは釈尊の本因・本果・本国土が表されているとも説明されています。
この曼陀羅観によれば、大曼荼羅全体をもって本仏釈尊と拝するわけです。
また、虚空会上の説法の場が、そのまま釈尊の証悟の世界を顕しているので、虚空会に基づいて大曼荼羅全体が書かれているとされていますね。
二仏並座をもって、境智一如の釈尊の妙智を表し、上行等を釈尊の脇士として本仏釈尊であることを表し、塔中の本仏釈尊の口より妙法五字の説法が一会の上に響き渡り、諸菩薩諸天等が合掌信受している様相ですね。
この曼荼羅観から云えば、仏宝の本仏釈尊、法宝は教法の肝心である妙法蓮華経の五字、僧宝は本化の諸菩薩とした本門の三宝が中心となっているといえますね。
中央の南無妙法蓮華経は法宝、教法、本仏釈尊の妙智を表していることになりますね。
また、本仏釈尊の化導の大活動を象徴しているとも受け取れますね。
法宝たる妙法五字は、釈尊の因行果徳の功徳を授与してくれるところの、釈尊の大慈悲の働く言霊でもありますね。単なる理法的な法では有りませんね。
また、本門法華宗の方では、中央の南無妙法蓮華経は、事の一念三千の理法をして聞信口唱し得るような教法にしたもので、本尊の正体であるとしています。人(本仏釈尊)と法(事の三千)一体の人法を総在する総名(人法を総在する意)要法の南無妙法蓮華経であると解釈しています。
独歩さんの
「実は、厳格な意味で私は以上のようには考えておりません。
妙法蓮華経は仏・聖人のお覚りの内容であって、本尊はあくまで菩薩道の因行・久遠実成の果徳を得た本門教主釈尊であるという考えです。
けれど、釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足が聖人の教えの至極であって、故に我等受持五字自然譲歟彼因(行)果(徳)功徳ということになるのではないでしょうか。また妙法蓮華経の五字は不識一念三千者仏起大慈悲 五字内裏此珠令懸末代幼稚頸というところに曼荼羅の意義が存すると思うのです。」
の御領解は成る程、なるほどと思います。
25
:
独歩
:2002/04/08(月) 23:45
川蝉さん:
はじめまして。お名前は、たしかLibraさんのサイトで拝見しておりました(笑)
今後ともよろしくお願い申し上げます。
26
:
独歩
:2002/04/09(火) 00:02
問答名人さん:
> 『今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫(じんでんごう)より心中にをさめさせ給ひて』という記される場合の、この御書における意味合いは、「此の御本尊」とは、「曼荼羅」でしょうか、「五百塵点劫の教主釈尊」でしょうか、或いは、「妙法蓮華経の五字」でしょうか。
雑駁な言い方ですが、これはどれでも正解ということではないでしょうか。
該当の書は特に論書というわけではありませんから、信者の「信」に重点を置いた記述であろうかと思うわけです。方や、問答名人さんが求めている答えは論述的なものではないでしょうか。16にも記しましたが、私は情緒的な意味合いを加味せず、考証するとズレが出るように思うのですよ。
これと、しつこい記述になりますが、「厳格な意味」とは、また、分けて考えるべきではないのかというのが私の意見です。
27
:
管理者
:2002/04/09(火) 07:43
川蝉さん
はじめまして。私も、お名前は、Libraさんのサイトで拝見致しております。どうぞ、ごゆっくりなされてください。今後ともよろしくお願い申し上げます。
28
:
問答迷人
:2002/04/09(火) 08:04
川蝉さん
一点、お伺い致します。よろしくお願い致します。
>法宝たる妙法五字は、釈尊の因行果徳の功徳を授与してくれるところの、釈尊の大慈悲の働く言霊でもありますね。単なる理法的な法では有りませんね。
つまり、本門の教主釈尊の唱題の音声、という事でしょうか。そうすると、曼荼羅における、「日蓮」とのお認めは如何なる意味合いと捉えれば良いのでしょうか。私は、曼荼羅の中尊は、日蓮聖人がお題目を唱えて居られるお姿、と捉えてきましたが、間違いでしょうか。
29
:
問答迷人
:2002/04/09(火) 08:06
独歩さん
あぁ、そうでしたね。厳密な意味は、本尊抄等の論文によって捉えるべきである、という御意見、了解です。
30
:
川蝉
:2002/04/09(火) 13:35
問答迷人 さん今日は。
「一閻浮提第一の本尊を此の国に立つべし。月支、震旦にも未だ此の本尊ましまさず。・・所詮地涌千界の為に此れを譲り与へ給ふ故なり。」(本尊抄・学会版254頁)
とありますように、八品において説かれ付属された本門の御本尊を末法の始めに於いて、地涌千界(特に上行菩薩)が顕すことになっていると云う意ですね。
その遣使還告の上行である日蓮が、確かに図顕したという意を御署名花押にて表していると解釈されています。
すなわち、署名花押は、宗祖が本尊図顕主・宗主導師であることを示すものと見るわけです。
「中央題目と署名花押は一連のもので、題目は法、宗祖は人であり、中尊は人法一体の日蓮大聖人である」と云うようには解釈しません。
第一義的に、中尊を日蓮大聖人とすることは、本尊抄の教示から云って無理であると考えています。
立正安国会刊の御本尊集を見ると、題目と署名花押との間に、天照大神や八幡大菩薩が書かれていますし、題目と署名花押とが大きく離れている曼陀羅が多くあります。
>私は、曼荼羅の中尊は、日蓮聖人がお題目を唱えて居られるお
>姿、と捉えてきましたが、間違いでしょうか。
お言葉の趣旨が、はっきり掴めないので、なんとも云えませんが、宗祖ご在世には、御本尊の前に宗祖が坐り、弟子信徒はその背後にすわって、読経唱題していたのでしょう。
ですから、わざわざ、曼陀羅本尊に、お題目を唱えている宗祖の姿を記す必要はなかったと思います。
御本尊の前に宗祖が坐られて、導師となって、ともにお題目を唱えて居てくれると、宗祖滅後の私どもが、観想する事は別に問題はないと思います。
31
:
Libra
:2002/04/09(火) 14:51
川蝉さん:
本当にお久しぶりです。相変わらず不勉強で、しかも頑固な私ですが、よろしくお願い
いたします。
川蝉さんは、
>>24
の中で「本門法華宗」の本尊観を述べられ、「人(本仏釈尊)と法
(事の三千)一体」という表現も使われていますが、浅井円道氏の以下のご説明について
はどのようなご印象をお持ちでしょうか。
──────────────────────────────────────
日蓮聖人遺文を繙くと、本尊の表現形式に関しては法華経・首題・大曼荼羅、釈迦
仏・一尊四士・二尊四士などの区別があることについては既に最近では大崎学報一○
四号に望月歓厚・鈴木一成・執行海秀の三先生の綿密な報告がある。しかもそれらは
表現形式上の一応の差別にすぎないのであって、形式の根幹たる理念においては人法
一体であることは、江戸末期の優陀那和尚も妙宗本尊略弁に「我宗ノ本尊、二種ノ別
アリト謂ハ祖意ニ達セザルナリ。豈ニ二種ノ所尊ヲ立テ初心ヲ迷惑セシムルノ理アラ
ンヤ」(充洽園全集三・三八九)と言った通りである。
(浅井円道「本尊論の展開」、影山堯雄編『中世法華仏教の展開』、平楽寺書店、
1974年、p. 251)
──────────────────────────────────────
私自身は、曼荼羅の中尊の五字は「教主釈尊」であり、「釈迦の報身(智慧)」である
と考えてきました。
本尊論メモ
http://www.be.wakwak.com/~libra/z013.htm
犀角独歩さんとの対話
http://www.be.wakwak.com/~libra/z021.html
浅井円道氏の「日蓮聖人の仏身論の特徴」(『印仏研』28-Ⅱ)という御論文によれば、
「江戸末期の優陀那日輝は『綱要正議』の中で、首題は極理ではなく、仏の智慧である」
と主張されているそうですが、このような立場について、川蝉さんはどのように思われま
すでしょうか。
日蓮聖人は報身仏を中心に据えている(浅井円道)
http://www.be.wakwak.com/~libra/106.html
32
:
問答迷人
:2002/04/09(火) 15:35
川蝉さん 懇切な御教示、ありがとう御座います。了解致しました。
>「中央題目と署名花押は一連のもので、題目は法、宗祖は人であり、中尊は人法一体の日蓮大聖人である」
これは、富士門流において、その様に言われていますが、私も無理であると考えております。
ところで、
>その遣使還告の上行である日蓮が、確かに図顕したという意を御署名花押にて表していると解釈されています。
日蓮聖人御自身が、上行菩薩であるという御自覚を以って、お認めになられている、という事は、確かに、そうなのかもしれないと思います。ただ、聖人の真蹟御書には、不軽菩薩の跡を継承する、という表現や、法華経の行者との自覚は、随所にお示しになっておられますが、上行菩薩である、と明確にお示しになっておられる御書に私は行き当たりません。御存知でしたら、御教示賜りますれば幸いに存じます。
33
:
川蝉
:2002/04/09(火) 16:54
Libraさん今日は。
Libraさん提示の
浅井円道「本尊論の展開」、影山堯雄編『中世法華仏教の展開』、平楽寺書店、1974年、p. 251)の一節の趣旨は、宗学者の共通認識と思います。まったくその通りと思います。
ただし、本化妙宗の山川智応博士や高橋智遍居士は、正式本尊は大曼荼羅、一尊四士像は妙略であると区別しています。
文字形式も一尊四士像等の仏像形式も形式が異なるだけだと云うことですね。法本尊とか人本尊とかの論議は形式の違いに、とらわれたものと云う事ですね。
残念ながら、優陀那日輝師の『充洽園全集』は、手に入らなかったので『綱要正議』も読んでいません。
法本尊だと云う主張に対し、題目は単なる真如実相でなく、実相と一如した釈尊の証悟・智慧(境智冥合の妙智)であるとしいるのですね。
題目は釈尊の妙智、則ち三身即一の釈尊とし、故に法的表現の題目と釈尊とは即していると云う見解ですね。
優陀那日輝の「本尊略弁・付録」に
「当に知るべし。法に即するの仏を以て本尊と為し、仏に即するの法を以て題目と為すなり。・・無作三身の教主釈尊と十界具足の大曼荼羅と二なく別なし、ただ名体相異なるのみ」
と、あるそうです。
> 私自身は、曼荼羅の中尊の五字は「教主釈尊」であり、「釈迦
>の報身(智慧)」であると考えてきました。
報身と云っても三身具足の仏です。報身だけではありません。報身は智慧身でして、釈尊という人格的な仏と離れて別にある智慧だけをさして報身とは云わないのが、法華教学上の約束です。
>日蓮聖人は報身仏を中心に据えている(浅井円道)
まだ読んでいませんが、天台は寿量品の釈尊は報身仏としていますね。日蓮宗でも報身仏中心と捉えている人が多いようです。
「開目抄」(学会版198頁)に、寿量品の顕本は「応身・報身の顕本」であるとしていますね。
「日蓮流罪に当たれば教主釈尊衣を以て之を覆いたまわんか」(真言諸宗異目・141頁)
「霊山浄土の教主釈尊、宝浄世界の多宝仏、十方分身の諸仏、地涌千界の菩薩等、梵釈、日月、四天等冥に加し、顕に助け給はずば、一時一日も安穏なるべしや。」(撰時抄・292頁)
等の文を拝すると、宗祖はむしろ、常に見守り教導してくれている応身中心の三身如来として、信仰的には仰いでいたと云った方が良いとも思われます。
顕本法華宗が応身顕本論をいうゆえんですね。
34
:
川蝉
:2002/04/09(火) 16:55
問答迷人さん今日は。
この問題について、他の掲示板に投稿したのがありますので、それを発信させて貰います。
「後五百歳の時、上行菩薩、世に出現して始めて之を弘宣す」(立正安国会「御本尊集」第十六番・文永十一年十二月・通称「万年救護御本尊」の讃文)
「日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば、久成如来の御使、上行菩薩の垂迹、法華本門の行者、五五百歳の大導師にて御座候聖人を、」(頼基陳状・建治三年六月)
とあるのが、明確に上行自覚を述べている文ですね。
「宗学全書第一巻上聖部」をさっと一瞥したところ、
日朗上人「本迹見聞」に
「今家法主聖人は上行菩薩の化身なる故に」(16頁)
日興上人の弟子日弁上人の「円極実義抄下」に
「此の聖人は本化地涌の弘経なり。・・親り地涌上行菩薩の化導に預かり、妙法蓮華経の五字を相承し仏種を心田に植ゆ、誠に宿福深厚なり」(87頁)
同上人「訴状」に
「地涌の菩薩出現して法華本門三大秘法を弘めたもう。所謂日蓮聖人なり」(90頁)
とありました。
「宗学全書第二巻興尊全集」にある日興上人の「三時弘経次第」には
「付属の弟子は 上行菩薩 日蓮聖人」(53頁)
「与波木井実長書」には
「上行菩薩日蓮上人の御霊窟なり」(169頁)
日道上人「御伝土代」には、
「日蓮聖人は本地は是れ地涌千界上行菩薩の後身なり」(236頁)
同じく日道上人「日興上人御伝草案」には
「日蓮聖人云はく、本地は寂光地涌大士上行菩薩六万恒河沙上首なり、久遠実成釈尊の最初結縁令初発道心の第一の御弟子なり」(253頁)
等と有ります。
それぞれ親筆あるいは偽書の疑いないものならば、宗門上代において、弟子信徒は、宗祖を上行菩薩であると認識していたことになります。
特に「日興上人御伝草案」によれば、宗祖が生前中に自らを地涌大士上行菩薩であると語られていたことになりますね。
開目抄、本尊抄等に「日蓮は上行菩薩である」と、明言をしていない理由について、本化妙宗の高橋智遍師が
「勧持品二十行の偈はすでに色読し、また自界叛逆難も的中し他国侵逼難も文永五年正月に蒙古の牒状が来て、一部的中したが、実際に蒙古来襲が無いうちは、全部的中していない。本尊抄に『今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり。此の時、地涌千界出現して・・』とあるが、その西海侵逼が『全部』実現していない。
また、『聖人知三世事』にあるごとく、聖者は未萌知る者でなければならないので、開目抄、本尊抄述作時には、『聖人の全分』ではない。そこで、『我が弟子これを惟へ』と文上を抑止して義意を示されたものでないか(趣旨)」(妙宗第四十五巻第十号)
と推測しています。
「日大兼実問答」(宗全第二巻430頁)において、
「聖人は上行菩薩の再誕であることは、涌出品の上行等の文、神力品の爾時仏告上行等の文、それから天台妙楽の疏釈によって分明である」と云っても、「それは本地上行の沙汰のことで、日蓮の本地が上行とは云えまい」と兼実が返答すると、それに対し日大上人が「其れ子細あるが故に云うべからず。此の如く数通の疏釈の中に観心本尊抄は明鏡なり。国主崇敬の時、其の隠れ有るべからず」と、答えています。(日大上人は日尊上人の弟子)
これは、諫暁によって国主が帰依した時に、宗祖が上行菩薩の再誕であると云うことは隠れないことが分かるであろうと云う文意が有りますね。高橋智遍師の推測を助証するものと云えますね。
蒙古来襲は蒙古の王に諸天が入り謗法の日本国に侵略を企てたものと見られています。宗祖は国家諌暁が受け入られ、一国同帰の可能性が有ると考えられて居たようですね。
弘安元年三月の「諸人御返事」に、
「三月十九日の和風並に飛鳥、同じく二十一日戌の時到来す。日蓮一生の間の祈請並に諸願、忽ちに成就せしむるか。将又五五百歳の仏記宛かも符契の如し。所詮真言、禅宗等の謗法の諸人等を召合せ、是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那となり。我が弟子等の出家は主上、上皇の師とならん。在家は左右の臣下に烈(列)らん。将又一閻浮提皆此の法門を仰がん。幸甚幸甚。」
と有ることからも窺われます。
弟子信徒の間では宗祖は上行菩薩であることは、疑う余地もないことでしたが、宗祖が公然と明言しなかったのは、国主の帰依までなし得た時、上行菩薩である事が、高橋智遍居士の言葉を借りれば「全分的」証明されると考えられていたからではないでしょうか。
35
:
Libra
:2002/04/09(火) 17:53
川蝉さん:
ご丁寧なコメント、ありがとうございました。
> 浅井円道「本尊論の展開」、影山堯雄編『中世法華仏教の展開』、平楽寺書店、1974年、
> p. 251)の一節の趣旨は、宗学者の共通認識と思います。まったくその通りと思います。
(中略)
> 文字形式も一尊四士像等の仏像形式も形式が異なるだけだと云うことですね。法本尊とか
> 人本尊とかの論議は形式の違いに、とらわれたものと云う事ですね。
勝呂信静氏が「本尊の形式と思想を区別せよ」と言われるのも同じ意味ですよね。
本尊の形式と思想を区別せよ(勝呂信静)
http://www.be.wakwak.com/~libra/107.html
> 報身は智慧身でして、釈尊という人格的な仏と離れて別にある智慧だけをさして報身と
> は云わないのが、法華教学上の約束です。
私にとっては、「報身」というのは、まさに「生き続ける釈尊」なのです。
仏身論メモ
http://www.be.wakwak.com/~libra/z014.htm
> 宗祖はむしろ、常に見守り教導してくれている応身中心の三身如来として、信仰的には
> 仰いでいたと云った方が良いとも思われます。
私は報身中心と捉えますので、やはりこの点では、川蝉さんとは捉え方が異なるようで
す。
またいろいろとご教示頂ければ幸いです。
36
:
独歩
:2002/04/09(火) 18:07
私は、いちばん首をかしげるのは、そもそも「法本尊」とは、いったい何であるのか、ということです。法本尊なる成句は真蹟は、おろか真偽未決書を含めてその使用は確認できません。
寿量の仏が、天台の釈義でも「正在報身」だから、報身であると言うのも短絡であると思うのですが、法本尊というのであれば、これでは法身偏重となってしまうでしょう。そもそも三身とは一仏の三側面を言うのであって、それぞれバラバラにあれば隔歴であって、三身を成じたことになりません。また、元来、“三”身で捌いていていたものが、いつまに人・法という“二”になる説明が曖昧であると思うわけです。
また、初期天台資料、また本覚資料などで検索しても「法本尊」なる成句はあるはずもありません。それどころか、そもそも「本尊」という語の使用がないわけです。もちろん、聖人にとって「本尊」は重要な位置を占めますが、しかし、法本尊はありません。
取りあえず、富要で検索すれば、その使用は寛師に始まるように思えますが、これは他五門との通用があってのことなのでしょうか。疑問が残ります。
なお、石山亨師は
本尊(法本尊)並に御聖人の御影(人本尊)の苦まれを清長が身に厚く深く被るべく候(正応元年波木井清長状)
()をもって説明し、人法本尊を御影・曼荼羅に分かって論じていますが、ここら辺を始源と見れば、聖人滅後、御影信仰が隆起したあとの教学の流れと見なせるのであろうかと思えます。
法本尊というのは、本来、法門、観法、観念であった一念三千が=妙法蓮華経と見なされた結果、さらに秘密荘厳論などの一念三千即自受用身という“人(自受用身)法(一念三千)一箇”が生じ、ついで富士では寛師が援用して自受用身を日蓮に差し替えた結果、発達した極めて後天的な教学運動といえるのではないでしょうか。
いずれにしても、台学、及び聖人の真蹟に確認できない「法本尊」を既得事項のように述べる学者諸師の姿勢に、私はまず疑問を呈すると共に、聖人滅後の教学展開を、恰も聖人の教義の如くに論じることにも、疑問を呈したいのです。
37
:
独歩
:2002/04/09(火) 18:10
川蝉さん:
> 34
非常に説得性のある論の展開であると思いました。
38
:
独歩
:2002/04/09(火) 18:14
> 33
> 優陀那日輝の「本尊略弁・付録」に「当に知るべし。法に即するの仏を以て本尊と為し、仏に即するの法を以て題目と為すなり。・・無作三身の教主釈尊と十界具足の大曼荼羅と二なく別なし、ただ名体相異なるのみ」と、あるそうです。
輝師ほどの人物が初期天台資料に見られない「無作三身」をもって論じているとは意外でした。無作三身は、先ごろ、私のサイトにアップした初期本覚資料『本理大綱集』でも、その使用は見られませんね。
39
:
Libra
:2002/04/09(火) 19:14
独歩さん:
> 法本尊というのであれば、これでは法身偏重となってしまうでしょう。
「法本尊」という場合の「法」というのは「教法」を指すのではないでしょうか。「教
法」ならば、「法身」というよりはむしろ「報身」になるのではないかと私は思います。
また、
>>23
にも述べた通り、宗祖には「経は師なり仏は弟子なり」という表現もあり
ます。独歩さんは、この点はどのように理解されますでしょうか。
40
:
独歩
:2002/04/09(火) 19:42
Libraさん:
> 「法本尊」という場合の「法」というのは「教法」を指すのではないでしょうか。「教法」ならば、「法身」というよりはむしろ「報身」になるのではないかと私は思います
この点については、しつこく論じ合ってきましたが、共通の認識には立てないので、ここで蒸し返しても実はないように思いますが(笑)
つまり、人法はどちらからみても報身論であると?
どうでしょうか、それは。如来蔵批判の立場からすれば、そうなりますか?
私はそもそも三身論のなかから報身だ、法身だと取り出して論ずるのは嫌いですからね(笑)
どの道、人法本尊の立て分けなど、聖人の預かり知らないところではないでしょうか。
文句の正在報身の文を挙げれば
此品詮量通明三身。若從別意正在報身。
何以故義便文會。義便者。報身智慧上冥下契。三身宛足故言義便。文會者。我成佛已來甚大久遠。故能三世利益衆生。所成即法身。能成即報身。法報合故能益物故言文會。以此推之正意是論報身佛功徳也。
といい、寿量品を詮じ詰めて推し量れば、通じて三身を明かしている。けれど、別意に従えば正しくは報身にある。では別意とは成仏の成を能所からいえば、能は報身である、成仏は報身の功徳であるという点では正在報身であるという運びです。
このあとには
本迹雖殊不思議一也。…故云不思議一也。復次此三非三亦復非一。非三非一爲本。而三而一爲迹。
不思議一であると。そして、その一を
祕密者。一身即三身名爲祕。三身即一身名爲密。又昔所不説名爲祕。唯佛自知名爲密。神通之力者。三身之用也。
と展開して行っているわけです。つまり、正在報身は能成功徳面から見た一面であり、それを分けて論ずるのではなく、不思議一として結論付けていくのが文句の文脈であろうと存じます。
> 宗祖には「経は師なり仏は弟子なり」…この点はどのように理解
この御文は、つまり、結論部の「勝れたる経を供養する施主、一生に仏の位に入らざらんや」という功徳を賞賛する前段となる部分でしょう。それで、経・師、仏・弟子のあとに経を説明するのに涅槃経を引かれて「諸仏の師とする所は所謂法」と言われて、仰せの経・師を法が師であると展開されおられるわけでしょう。ただ、優れたる経への供養を讃嘆せんがために、法を経といい、仏の師とも論じられたのではないでしょうか。
41
:
独歩
:2002/04/09(火) 20:06
ちょっと、文の引用が不親切でしたので補います。
今經所明取寂場及中間所成三身。皆名爲迹。取本昔道場所得三身。名之爲本。故與諸經爲異也。非本無以垂迹。非迹無以顯本。本迹雖殊不思議一也。…復次此三非三亦復非一。非三非一爲本。而三而一爲迹。皆言語道斷心行處滅。不思議一也。未知諸師指何處本迹不思議一也。
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