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本尊と曼荼羅
24
:
川蝉
:2002/04/08(月) 20:55
管理人さん、独歩さん、問答迷人さん、初めまして。Libra さんお久さしぶりです。
三日前くらいに「佛教再考」から、初めてこの掲示板を知りました。ちょっとお邪魔させて頂きます。
新尼御前御返事にもある「此の五字の大曼荼羅」とは、中央の南無妙法蓮華経のみを指すのでなく、大曼荼羅全体をさす言葉ですね。
釈尊の証悟の世界、すなわち本仏釈尊の身土を大曼荼羅全体をもって表している。あるいは釈尊の本因・本果・本国土が表されているとも説明されています。
この曼陀羅観によれば、大曼荼羅全体をもって本仏釈尊と拝するわけです。
また、虚空会上の説法の場が、そのまま釈尊の証悟の世界を顕しているので、虚空会に基づいて大曼荼羅全体が書かれているとされていますね。
二仏並座をもって、境智一如の釈尊の妙智を表し、上行等を釈尊の脇士として本仏釈尊であることを表し、塔中の本仏釈尊の口より妙法五字の説法が一会の上に響き渡り、諸菩薩諸天等が合掌信受している様相ですね。
この曼荼羅観から云えば、仏宝の本仏釈尊、法宝は教法の肝心である妙法蓮華経の五字、僧宝は本化の諸菩薩とした本門の三宝が中心となっているといえますね。
中央の南無妙法蓮華経は法宝、教法、本仏釈尊の妙智を表していることになりますね。
また、本仏釈尊の化導の大活動を象徴しているとも受け取れますね。
法宝たる妙法五字は、釈尊の因行果徳の功徳を授与してくれるところの、釈尊の大慈悲の働く言霊でもありますね。単なる理法的な法では有りませんね。
また、本門法華宗の方では、中央の南無妙法蓮華経は、事の一念三千の理法をして聞信口唱し得るような教法にしたもので、本尊の正体であるとしています。人(本仏釈尊)と法(事の三千)一体の人法を総在する総名(人法を総在する意)要法の南無妙法蓮華経であると解釈しています。
独歩さんの
「実は、厳格な意味で私は以上のようには考えておりません。
妙法蓮華経は仏・聖人のお覚りの内容であって、本尊はあくまで菩薩道の因行・久遠実成の果徳を得た本門教主釈尊であるという考えです。
けれど、釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足が聖人の教えの至極であって、故に我等受持五字自然譲歟彼因(行)果(徳)功徳ということになるのではないでしょうか。また妙法蓮華経の五字は不識一念三千者仏起大慈悲 五字内裏此珠令懸末代幼稚頸というところに曼荼羅の意義が存すると思うのです。」
の御領解は成る程、なるほどと思います。
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