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本尊と曼荼羅

3独歩:2002/04/04(木) 10:12

あと、真蹟中で「本尊」語を曼荼羅の意味で使用された数少ない一節は以下のとおりです。

御本尊一ぷくかきてまいらせ候(是日尼御書・弘安元年4月12日)

これが釈尊の図像であったと読めないこともありませんが、やはり、無理があるように思われます。

万年救護曼荼羅の端書「大本尊」の認め、上行菩薩との対句とも考えられますが、しかし、曼荼羅一幅を指すと考えるほうが自然な気もします。

以上は例外的な記述なのか、あるいは聖人が曼荼羅=本尊と考えていたのか、あるいはLibraさんが仰るように「厳密に言えば曼荼羅は本尊を表現したものであって、本尊そのものではありえない…本尊はあくまでも教主釈尊…そのことを十分に意識した上でならば、曼荼羅を本尊と呼んでも問題ない」というのが至当かもしれません。

もちろん、あくまで原則は顕正居士さんが提示くださった Ryuei 師の如き、見解が一般的に通用のあるものでなのでしょうね。

富士門流が曼荼羅を直ちに本尊と言うのは、仏・本尊=釈尊=日蓮=曼荼羅という日蓮本仏義に基づくわけなのでしょう。もちろん正しいと言うわけではありませんが、曼荼羅を本尊と呼称する整合性はあるとは思います。

ところで他五門流でも曼荼羅を本尊と呼び習わすことはあるわけで、これはどのような見解に基づくのでしょうか。


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