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本尊と曼荼羅

17独歩:2002/04/07(日) 09:30

―16からつづく―

問答名人さんが引用される『新尼御前御返事』は本尊と曼荼羅が交互に記され、実に難読であると思うわけです。つまりこれは、当時、本尊といい礼拝の対象と言えば、仏像・画像であるという当時の常識下で、聖人が文字曼荼羅図示・授与を始められた、それを始めて知った人々が、この「文字の曼荼羅とはいったい何であろうか」という、まったく新たな義に触れた心の揺れ動きを計算して読まないとわからないのではないのか、と私は思うわけです。この書は、その点を一所懸命にご説明になられているように感じるわけです。曼荼羅をご自身が記されたからといって、では仏像は要らないかと言えば、そんなことではない、けれど、この曼荼羅は、本尊を表わすものであって重要なのだと諄々と説かれている文面ではないのかと拝察するわけです。

現代の我々は妙法曼荼羅が定着して700年も経ているわけですから、それを本尊であると言われても何ら抵抗はないことになります。しかし、当時は、まさに「未曾有之大曼荼羅」が文字どおりであったわけであろうと思うのです。つまり、いまだかつてそんな曼荼羅、本尊もましまさなかったわけですね。

聖人は初期において、専ら唱題行を流宣された、そして、最も重要なお経は法華経であると強調された、さらに最も重要な仏様は寿量品で説かれるところの本門教主釈尊である、そして、この妙法蓮華経を末法に弘めるのは上行菩薩であると説かれてきた…、まあ、順繰りにそのようにお説きになられながら教えを広め、弟子檀那も増えてきた、そこまでで十余年が経過してきたわけです。

ところがそこで聖人は佐渡に流罪になってしまうわけです。弟子檀那からすれば、もうほとんど死んでしまわれる、二度とお会いできない、そんな思いもあったのでしょう。そこで突然、まったく見たことも聞いたこともない、文字曼荼羅の図示を始められるわけです。「これはいったいなんであろうか?」、そういう思いが弟子檀那に起きたのは当然で、それをまた聖人は一所懸命にご説明になられたわけですよね。図示の意味合いから言えば、もちろん曼荼羅である。しかし、それだけではなく、法華経の意味を表わし、一念三千を表わし、末法の正法を表わし、引いては本尊・釈尊をも表わしている…、そのことを弟子檀那に伝えたかったのではないでしょうか。

当時、聖人は釈迦立像を所持されている、弟子も釈迦仏像を崇めていたわけです。朗師が釈迦立像に執着されたのはその端的な例であったのでしょう。また、その他のお弟子方も天台寺院に寄宿し寺務を執りながら聖人の義を守っている状態であったわけですね。興師も弘安元年ごろまで四十九院の供奉僧であったといいます。そんな状況下、聖人と弟子檀那の心の交流のなかで曼荼羅・本尊が語られていったという経過があったのではないのだろうかと思うわけです。

やがて富士では仏像義は撤廃され、曼荼羅正異が確立していくわけです。ここでは仏像・画像はないわけですから、文字曼荼羅が本尊となっていったのは当然のことであったろうと思うわけです。


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