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本尊と曼荼羅

13いちりん:2002/04/06(土) 14:57

浄土真宗あたりでは、本尊は、「南無阿弥陀仏」の六字名号なんですね。
それをあらわしたものが、本尊となって掲げられていますが、阿弥陀如来の像であったりもします。

ここいらが、親鸞会という、まあ真宗の顕正会のような過激な原理主義教団から、本願寺が攻撃される材料になっております。阿弥陀如来の像を本尊にするとは、親鸞聖人の教えに反していると。

まあ、本願寺の言い分としては、本尊には「有相の本尊」と「無相の本尊」がある。
阿弥陀如来の像だとか、六字名号をあらわした掛け軸は、「有相の本尊」である。

本尊とは、本来は「無相の本尊」である。
姿・形にあらわれていないけれども、信ずる人の心の中に思い浮かべられる仏さまである。
いつも、いつも、瞬間瞬間、わたしたちを目覚めさせてくれる阿弥陀如来=南無阿弥陀仏、それが究極のよりどころである。

……とまあ、そういう言い方をしていますね。

そして、真宗の教えのすごいなあと思うのは、南無阿弥陀仏とたくさん称えたから救われるというんじゃないのですね。
「弥陀の誓願不思議にたすけられて、往生すると信じて念仏しようと、思い立つ心ののおこるとき」(歎異抄)そのときに、救われるのだというのです。

だから、真宗の寺に行きましても、信徒が本尊にむかって念仏を称えるというのは、あんまりありませんですね。数回、なまんだぶ、なまんだぶと、称えるくらい。


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